ちゅうカラぶろぐ


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週末に襲った台風がらみの豪雨、皆さんは大事無かったでしょうか。
 私は出社早々に電車が運行中止の報を知り、簡単な引き継ぎだけ済ませて速攻とんぼ返りキメてあとは在宅勤務という軽くエクストリームな1日でした。あと少し判断が遅ければ宿泊場所を探さないといけないところでしたが、自宅の方もレベル4の避難指示が出る有様でなかなか際どい状況でしたね。

 こんばんは、小島@監督です。
 まだ6月に入ったばかりだというのにもうコレ。今年の夏も集中豪雨に悩むことになりそう。

 さて、今回の映画は「アラーニェの虫籠」「アムリタの饗宴」です。

 「アラーニェの虫籠」…女子大生のりん(声・花澤香菜)は、自宅である巨大集合住宅にまつわる不気味な噂に不安を抱いていた。ある日りんは救急搬送される老婆の腕から虫が飛び出る光景を目撃する。虫のことが気になって仕方ないりんは虫についての調査を開始する。
 「アムリタの饗宴」…女子高生のたまひ(声・内田真礼)、陽(声・能登麻美子)、由宇(声・MoeMi)の3人は学校帰りに巨大集合住宅の屋上から人が飛び降りる姿を目撃する。集合住宅に駆け込んだ3人は、そこで人ならざる「何か」と遭遇する。

 映画は基本的に1人でできるものではないですが、アニメだとキャスト以外のほとんどを1人で製作したという作品が稀に登場します。有名どころでは新海誠の出世作となった「ほしのこえ」や堀貴秀が手掛けたストップモーションアニメの「JUNK HEAD」あたりになるでしょうか。海外に目を向ければフレデリック・バックの「木を植えた男」などがありますね。1人で製作しているが故にダイレクトに作風が現れ必然的に作家性が強くなるためか、エンターテインメントよりもアートの系譜で語られることが多いように思います。
 そんな個人製作アニメの系譜に連なる作品が新たに登場しました。手掛けたのは押井守監督の「イノセンス」でデジタルエフェクトを担当したりL'Arc〜en〜CielのMVや、ドラマ「MOZU」の作中イラストを製作した経験を持つアニメーター・坂本サク。脚本・監督・アニメーション製作に音楽までも一手に手掛け、文字通りキャスト以外はほぼ1人で作り上げたと言っていい作品です。「アムリタの饗宴」で主演した内田真礼はアフレコでスタッフが監督1人しかいない上にコロナ禍の只中で個別収録だったために監督と1対1で収録に臨む現場に初めて遭遇した驚きをインタビューで語っていました。
 「アラーニェの虫籠」の方が2018年に製作され、アヌシー国際アニメーション映画祭などで上映された実績を持っています。世界観を共有した新作である「アムリタの饗宴」公開に合わせてカットに手を加えたリファイン版が作られ、今回2本立てとして上映されています。

 2作品ともジャンルとしてはホラーになりますが、手触りは結構違います。共通しているのは巨大な集合住宅が重要な舞台装置であることと「虫」がモチーフであること。「アラーニェの虫籠」はイントロにしても語り口にしてもJホラーの王道を行くような展開を見せます。不穏な空気感の描写と終盤のツイストもなかなか。主観的なカットも度々登場しますがそのカメラワークがどことなく「エコーナイト」などPS1〜2時代の一人称視点のホラーゲームを思い起こさせます。
 一方で「アムリタの饗宴」ではSF色がグッと強くなります。集合住宅に踏み込んだことでたまひたちは時間の迷宮に囚われてしまい、そこからの脱出を試みます。「アラーニェの虫籠」よりもアニメの表現と世界観との親和性が増していて、こちらの方がいくらか洗練された雰囲気を放っています。両作とも主演を務めた花澤香菜・内田真礼があまり他では見ないタイプの演技をしているのも特徴と言えるでしょう。

 ただやはり個人製作の限界というべきか、クオリティ面でどうしても一般的な商業アニメと見劣りがしてしまう箇所があるのは否めません。ちょっと変なというか不自然な動きをしているカットも散見されます。また虫が重要なキーであるために多足動物がわんさと出るカットもあるのでそういうのが苦手な人も注意が必要です。

 作家性が強すぎるので合わなければただ作り手の自慰的な映像を延々と見せられているように感じる方もいるかもしれません。かなり観る人を選んでしまう作品であるのは間違いありませんが、こういう挑戦的な作品が小規模といえど全国公開されるところに日本アニメの強さがあるように思います。まだまだ、可能性の芽は色んなところにあるものです。「羽ばたき出す寸前」の作品を観てみたい方は是非どうぞ。

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割と思い立つと、一気に断捨離を始めたりする私だったり。

しかしそれもひと段落ついてしまうと、捨てたり売ったものが、
突然にもったいなかったような気がして欲しくなったりします。

もうやらないから売っちゃえと思ったゲームやその本体を、
今になって買い戻そうかと、最近ウジウジと絶賛後悔中。

世間ではミニマリストという持ち物をできるだけ減らして、
自分にとって必要最小限な物だけを持つということで、
かえって豊かに生きられるという考え方があるようです。

豊かになるどころか、後悔するような私にしてみれば、
向いていない考え方なのだと断捨離後にいつも思います。



さて、週末に降りく雨が止んで、その後はかなりの強い風。

そんな強い風のせいか、近所に駐車した車のセキュリティが、
その強い風に反応してサイレンを鳴らしまくっています。

その車の持ち主は出かけてしまって家にはいないようで、
そのセキュリティを解除する人が誰もいない様子でした。

強い風が吹くたびにサイレンが鳴っては止まりを繰り返し、
さすがに、いい加減にしてくれんものかと思いだします

私も昔は厳重なセキュリティを車に設置したことがあり、
その時は車に人が接近したり、車が傾いたり、揺れたりで、
すぐにサイレンが鳴るようにしていたこともありました。

しかしそこまですると、本当に少しのことで反応してしまい、
サイレンがすぐに鳴り、結構じれったかったものでした。

セキュリティよりもまわりに迷惑がかかるのが気になり、
結局、セキュリティの反応するレベルを下げまくって、
セキュリティが本当にされているのかという感じでしたね。

特に暇だった私は散歩がてらその車を見に行ってみようと、
サイレンの音を頼りにその車を探しに行くことにしました。

特に文句言ってやろうと言うわけではなかったのですが、
うるさいのもそれを目的にしてしまえば気になりません。

サイレンを頼りに車を見つけるのも、サイレンが止まると、
手がかりが無くなってしまい、意外と手こずっていると、
道の角を曲がったところに人だかりができているのを発見。
どうやらその人だかりのところにその車があるようです。

その人だかりに近づいていくと、私が何も言わないでも、
その中の1人が私に「この車だよ」と話しかけてきます。

やっぱり家には誰もいないようで、どうすることもできず、
ただ近所の人が集まっているだけで無念の様子でした。
私は車を発見したことで、なんとなく満足してしまいました。

しかしその車の持ち主、しばらく居心地が悪いだろうな。

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昨日開催のダービーはご覧になりましたでしょうか。
 私が応援していた内の1頭がスタート直後についでに騎手まで振り落とし悠々と走って行ったのには笑ってしまいましたが、そんなアクシデントすら吹き飛ぶほどの事態が。2番人気だったスキルヴィングがレース中に急性心不全を起こし、ゴール後に倒れ込んでそのまま逝去してしまったのです。倒れ方が只事ではなかったためせめて無事であってくれと思いましたが運命とは時に残酷なもの。競走馬の脆さ、儚さを観衆に刻みつけるレースとなりました。

 こんばんは、小島@監督です。
 それでもレースは続いていく。全てのレースで人馬ともに無事に帰還してほしいものです。

 さて、今回の映画は「帰れない山」です。

 1984年、イタリア。トリノでエンジニアを務めるジョヴァンニ(フィリッポ・ティーミ)の息子ピエトロ(少年期アンドレア・パルマ、成年ルカ・マリネッリ)は両親に連れられ夏の休暇をモンテ・ローザ山麓のグラーノ村で過ごすことになった。グラーノ村はかつて賑わっていたものの今は寂れてしまい十数人しか住民がいない。そこでピエトロは牛飼いの少年ブルーノ(少年期フランチェスコ・パロンペッリ、成年アレッサンドロ・ボルギ)と出会う。都会育ちで繊細なピエトロと山育ちのブルーノは対照的な性格だが山で過ごす日々の中で親交を深めていく。
 しかし、思わぬ形で2人は引き裂かれる。そのことが大きな傷となりやがて思春期を迎えたピエトロはジョヴァンニに反目するようになりグラーノ村からも遠ざかっていく。だが一度は離れたグラーノ村に、ピエトロはもう一度導かれる。そこでブルーノとの15年ぶりの再会が待っているのだった。

 自分のルーツとなる土地、帰るべき場所、そこへ「帰れない」とはどういうことか。
 山岳映画の系譜に新たな傑作がまた一つ。敢えてスタンダードサイズに切り詰められた画面が映し出すのは、峻険で荘厳な北イタリアの山並みと普遍的な人間模様。世界各国で高い評価を得たパオロ・コニェッティの小説を原作として製作されたこの映画は、沁み入るような深い余韻とともに「生きる」ことの意味の根源を問うドラマです。

 映画は、数十年という時間を通して描かれます。その語り口は一見地味とすら思えるほどに細やか。けれどそれらが連綿と連なることで物語はどこまでも壮大になっていきます。人生には特別なことと特別でないことがいくつにも折り重なり続くもの。その中でつまるところ「立ち止まる」か「動く」かの選択を迫られながら進んでいく。そうして生きる人間を見下ろすように山がそびえている。その対比が全編を貫き、気付けば引き込まれていました。147分と結構な長尺なのにそれも気になりません。

 子どもの頃から対照的なピエトロとブルーノは大人になっても対照的な生き方を選びます。どちらもがある意味で満ち足りていてある意味では欠乏しており、片方だけが幸せではない。恐らくどちらの生き方にも共鳴できる部分や憧憬を抱く部分があるはずです。そして2人の友情は各々の境遇はどうあれ絶対的に確かなものですが、そうであるが故に最後にはその山へ「帰れなく」なります。それもまた「選択」の果てのことであり、何か強烈なサスペンスがそこに待ってるわけではありませんが、人が生きることの難しさと尊さを観るものに再確認させます。
 きっと誰しもがちょっぴりだけ自分の人生と重ねて観てしまう、そんな映画。決して華々しい作品ではないけれど、人生のどこかで立ち寄って欲しい一本というのはあるもの。迷い道の中、力強い激励や叱咤では眩し過ぎるときに、この映画は静かに寄り添ってくれることでしょう。

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夜、寝ようと目をつぶると耳元で「ぷぅ~~~ん」と羽音が!

ついにこの時期がやってまいりました、蚊の襲来です。
まずはトイレに置いていたキンチョールを散布し迎撃です。

その後はすぐに電気蚊取りを出してコンセントに接続します。
その薬液の補充の必要性を確認して、すぐにこれを機動。

そりゃもうすぐ夏ですから、蚊も出てくるってなもんですよね。

私はとにかく蚊に刺されるのが嫌いなのでいつも重装備です。
家では夏になると電気蚊取りが常に電源ONの状態です。

しかし、昔に比べると蚊に刺されなくなったのは歳のせいか?



先週、風邪をひいて声が出ないと言う話を書きましたが、
少しずつ治りかけて声は出ても咳がなかなか止まりません。

とは言え普通に生活する分には困るほどでは無くなった先日。
とある予定が迫ってきていたことに気が付いたのです。

そう言えば、今週末って歯医者行くんじゃね?

生まれてから咳がひどい時に歯医者行った覚えはなくて、
治療中に咳が出たらと思うと、突然不安になってきました。

治療している間に何度も、「すいません咳が・・」などと、
何度も中断させてしまうのが想像できすぎてしまいます。

歯医者の予定をキャンセルしようかとも考え続けましたが、
どうやったらこの咳を確実に止められるかググりまくる私。

歯医者などの治療はあんまり先延ばしにしたくないので、
行きたく無い歯医者に行きたいというなんという矛盾。

暖かい飲み物を飲みまくると咳が止まるなどありましたが、
歯医者直前の歯を磨いた状態で暖かいものを飲むなんて、
外出先でお湯を手に入れるなんて非現実過ぎて却下です。

結局、咳止めの薬を買えばいいじゃんという簡単決断で、
普段の自分では信じられないフットワークで薬を買いに。

実はこれまた生まれて咳止めの薬は飲んだことがないので、
何を買えばいいかわからず、とりあえずネットの口コミ。
これだと決めて初めて咳止めの薬を購入してきました。

さぁ家で咳止めを飲んで車でいざ医者に向かうのですが、
なんか咳も止まったような気が・・いや止まった、すげー。

すごい効き目に感心、これで安心して歯医者に行けますが、
なんか、めっちゃくちゃ喉が渇いてしょうがないのです。
これはすさまじい副作用です。咳止めってこうなるのか。

咳止めの効果に感動しつつ歯医者を終えることができました。
まずは本当に咳が止まるように身体を治すことですね。

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昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
 再開してからこっち、馴染みの人たちと固まることが多かったので今回はあまり組んだことの無い方がいる部屋に行こうと決めて臨んだら、思いのほか居心地の良い部屋で(笑)、最近にしては叫び倒してしまいました。こういうその場のグルーヴ感も楽しかったりするもの。

 こんばんは、小島@監督です。
 まだまだ以前ほどには歌えていないので次回までに腹筋とか鍛えておかなきゃ。レパートリーも増やしたいですし。って思えるようになってきたあたり「戻って来たなぁ」と感じます。

 さて、今回の映画は「独裁者たちのとき」です。

 深い霞が立ち込める煉獄。その廃墟の一室でヨシフ・スターリン(映像・本人、声・ヴァフタング・クチャワ)は目を覚ました。天国の門へ向かい歩き出すスターリンに、アドルフ・ヒトラー、ウィンストン・チャーチル、べニート・ムッソリーニ(いずれも映像・本人、声はヒトラー役から順にロタール・ディーグ/ティム・エッテルト(2人1役)、アレクサンドル・サガバシ、ファビオ・マストランジェロ)が合流し、互いに悪態を吐きながらの旅が始まる。

 さながらダンテの「神曲」を思わせる煉獄を舞台にした幻想世界。そこを歩き天国の門を目指すのは第二次世界大戦において世界に名を轟かせた独裁者たちだ。互いに互いを嘲笑し、揶揄し、己の業績に酔いしれている。そんな彼等に天国の門は開くのか。
 ロシアが生んだ孤高の巨匠アレクサンドル・ソクーロフ。マッカーサーとの会見に臨む昭和天皇の姿を描いた「太陽」、エルミタージュ美術館で繰り広げられるロシア近代史をワンカットで綴った「エルミタージュ幻想」などで知られるソクーロフは、ソ連時代に全ての監督作が国内で上映禁止処分を受けたことでも知られています。早くからウクライナ侵攻の予兆をかぎ取っていたらしく、2021年にプーチンへ向けて意見陳述を突きつけるなど気骨のある活動を続けています。そんなソクーロフが2022年に発表した新作はシュールでアイロニーに満ちた幻想譚です。
 作中登場する4人の独裁者たちは全て生前実際に撮影されたアーカイブ映像を加工、コラージュしたものを使用し、彼等の放つセリフも回顧録などで本人が言ったとされる言葉から引用されているという非常にユニークな作りをしています。ディープフェイクで作られた映像ではないか?と言及されたこともあってか、本編冒頭にそれを否定するコメントが表示されています。

 冥界での対話、と言う主題は西洋文学では極めて伝統的な部類に入るものですが、対話というには自分以外を見下し続ける4人の姿は実に卑小で滑稽にすら映ります。他者に対してマウント取って自分のことだけ饒舌になるとか悪いオタクが集まって会話にならない会話してる様にも思えて変な笑いが出てしまいます。実のところ激論を交わすでもなく淡々と、と言うかかなりのスローテンポで物語が紡がれていくので途中いささか退屈に感じてしまったのは内緒です(苦笑)。
 しかしこの映画が2022年のロシアから世に問われたというのは大きな意味を持ちます。ロシアは今、映画製作の補助金をプロパガンダへ優先的に回すように政策の舵を切り、製作環境が一変しただけでなく欧米諸国の経済制裁により外国映画がほとんど入らなくなり、映画産業は甚大なダメージを受けていると聞きます。自由に映画が作れる環境を求めてアメリカなどへ逃亡する者も続出しているとか。今作もまたウクライナ侵攻の煽りを受けてカンヌ映画祭で上映数時間前に中止措置が取られたりと逆風吹きすさぶ中にあって真っ向から権力への問い掛けを行うこの映画には、今向き合うべき熱を持ち得た作品に思えます。ソクーロフ監督、肝の据わり方が尋常じゃありません。
 折しも世界の首脳が集うG7サミットの只中ウクライナのゼレンスキー大統領も電撃的に来日し、歴史の転換点のような様相を呈しつつある中でタイムリーと言えるこの作品に触れることは、これから先の世界を見据える上でも良きよすがとなるのではないでしょうか。

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歌会数日前に風邪を引いたようで、声が全然でなくなり、
今回の歌会のあいさつ、説明で私の代理となったみやびさん。
緊張されたと思いますが、大変よくやっていただけました。

個人的にたまには他のメンバーがあいさつをするのも、
今回のみやびさんを見ていて面白いかななんて思いました。

ですが、他の方に聞くと『中部からの歌声』の色が見えるのは、
歌会前後のあいさつなので、よほどの理由がないなら、
やっぱり私がやったほうがいいと言ってもらえました。

というわけで、これからは骨折して病院に運ばれちゃったり、
声が出なくなったりしないかぎり、私が進行いたしますね。



さて、長期に渡りブログを書いてくれている小島@監督、
ほぼ毎回、いろんな映画作品の魅力を語ってくれます。

いつも感心するのは、映画のネタバレをしていないのに、
その映画の雰囲気などを上手に伝えてくれることです。

ブログはアップされると、Twitterに更新が告知されます。
そのブログに小島@監督の映画紹介が告知された時に、
製作関係者に反応していただいた際は本当に驚きました。

毎週の更新大変だと思いますが、今後も頑張ってください。

そんな映画ですが、また料金が値上げされるようで、
とうとう2,000円と「これ映画の料金?!」という大台に突入。
正直、これってちょっとエグくないですか?という感想です。

最近は電気代を含め、何でも料金が高くなったので、
「映画だけ上げるな!」というのは可哀そうですけどね。

それでも、映画に2,000円というのは、やっぱり高いです。
家族で映画を見に行くというのは、もうちょっとした贅沢です。

作品を見るだけなら、AmazonPrimeなどのサブスクなどで、
数百円でほぼ無限大に見られることを考えると躊躇しますよね。

とは言え、やっぱりあの映画館という空間はやっぱり良くて、
作品への没入感は特別なものを感じることができます。

座席に座って始まるまでのCMもドクソ長くてウンザリ反面、
本編が始まるまでの高揚感に繋がっているのは言い過ぎ?

ちなみに私は映画館で映画を見るときは使命のように、
必ずポップコーンを食べますし、むしろこれが本命で、
ポップコーン食べに行くために、映画館に行って・・・ウソです。

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職場の飲み会は基本面倒なので行きたくないタイプの私ですが、さすがに3年ぶりのとなるとそう言うワケにもいくまいと参加。焼肉店なのは事前に聞いていたのですが行ってみたら最近主流の無煙ロースターを入れていないタイプの店で、早い話が燻製にでもされてるのかくらいの勢いで煙を浴び、帰る頃にはファブリーズでもごまかし切れそうにないほどの臭いが自身から発されていて、同じ電車の車両に乗ってる人たちに何だか申し訳無い気分に。
 いや、味はとても美味しかったんですけれども。

 こんばんは、小島@監督です。
 そんな飲み会の最中、何故か私は社長と肉を焼きながら「水星の魔女」やらPCエンジンのゲームの話をひたすら繰り広げて周囲から若干引かれ気味に(苦笑)。「釣りバカ日誌」のハマちゃんとスーさんってこんなノリなんかしら。

 さて、今回の映画は「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーVOLUME.3」です。

 スター・ロードことピーター・クイル(クリス・プラット)は、サノスとの戦いの中で最愛のガモーラ(ゾーイ・サルダナ)が記憶を失い自身の元を去って行ったことに傷付きヤケ酒をあおる日々を送っていた。心配する仲間たちの声もクイルの慰めにはならない。
 そんなある日、ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーのアジトであるノーウェアが超人アダム・ウォーロック(ウィル・ポールター)の急襲を受け、その最中にロケット(声・ブラッドリー・クーパー)が瀕死の重傷を負った。クイル達は必死にロケットを救おうとするが、ロケットの体内には治療を受け付けないキル・スイッチが仕込まれている事を知る。クイル達はロケットを救うため手掛かりとなる企業オルゴ・コープ社への侵入を計画する。

 もともとはマーベルの中でもマイナーなキャラクターばかりの集まりだった「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」、ジェームズ・ガン監督の卓抜した手腕によって、一癖も二癖もあるコメディであると同時に傷を抱えた者たちの繊細な群像劇でもある物語が評価され、アベンジャーズの中でも屈指の人気を勝ち得たスペースオペラの3作目にして完結編となる作品が公開されました。
 完結編の名は伊達じゃない。見事なまでの大団円へ向けて圧巻の盛り上がりを見せる傑作の登場です。

 ロケットがいかにして人間を超える知性を獲得してしまったかが主軸となりますが、序盤で瀕死になってしまい動けないため回想シーンとして描かれる一方でクイル達の冒険が並行して語られる二段構えの構成として映画は展開します。ここで描かれるロケットの過去もそれだけでスピンオフの題材になりそうなほどの質量ですし、実質2本の映画を同時に観ているようと言って過言ではありません。
 この過程の中でクイル達が心に抱えていた傷や問題にも少しずつ決着や成長がもたらされ次の旅立ちへの準備が整っていく。ここに狂気と狂信に満ちた今作のヴィランであるハイ・エボリューショナリー(チュクーディ・イウジ)のもたらす危機的状況へのアタックが重なりドラマが重層的に盛り上がって行きます。

 もちろんシリーズのお約束というかジェームズ・ガン監督の持ち味でもある不謹慎ギリギリのユーモアや抜群のセンスを誇る選曲の妙は今作でも冴え渡り、150分という長尺を物ともしない高いカロリーの作品に仕上がっています。
 一気呵成にアゲて行きながら、それでいて最後にはじんわり噛み締めたい余韻も残してくれる、これを最高と言わずして何とする。
 長期シリーズとなった弊害か、いささか迷走が目立ち始めたMCUですが、ここぞというところではしっかり決めてくれました。彼等の勇姿をどうぞスクリーンで見届けてください。

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