先週最終回を迎えた「機動戦士ガンダムGQuuuuuuX」を振り返るなら、ひとえに「祭り」であったように思えます。サンライズ×カラーのコラボレーションがもたらしたのは富野由悠季監督の「機動戦士ガンダム」を正史とした「本歌取り」の物語によってもはや古典の領域になりつつある1st〜逆襲のシャアまでの作品群を「再発見」する導線を作ってみせ、平日深夜という不利な放送時間も意外なほどライブ感の醸成に一役買って古参どころかご新規さんも巻き込み、先行上映「Beginning」も入れると約半年間ファンを楽しませてくれました。マチュやニャアンらのキャラクターも個性的で、もうちょっと彼女たちの活躍を観ていたかったような気も。
こんばんは、小島@監督です。
さすがに古びていく一方であった旧作群を再発見できた功績は大きく、「ガンダム」というコンテンツはこれで更に10年は戦えるようになったと思えます。ここからガンダムに入ってきた人たちが後年更なる傑作を生み出して来たら嬉しいですね。
さて、今回の映画は「罪人たち」です。
1932年アメリカ南部。大金を得た双子の兄弟スモークとスタック(マイケル・B・ジョーダン/2役)は閉鎖された製材所を買い取り客に音楽と酒を提供するジューク・ジョイントをオープンしようとする。酒を手配しミュージシャンを雇いいよいよ店はオープンの時を迎えた。酒、音楽、ギャンブルまでも始まり狂騒の夜が幕を開ける。それはやがて人ならざる者さえも呼び寄せる事になる。
「フルートベール駅で」や「ブラックパンサー」などアメリカにおける黒人の悲喜とカルチャーを作品に落とし込みながら高いエンターテインメントを見せるフィルムメイカー・ライアン・クーグラー監督。その最新作は黒人差別も強く残る1932年の南部でブルースの音楽と共に人外の存在、ぶっちゃけて言えばヴァンパイアと死闘を繰り広げることになった者たちの一夜を描きます。
吸血鬼ものも数あれど、まだこんなアプローチがあるのかと驚かされる一本です。
前半は意外なほどゆったりとしたテンポで南部の片田舎での濃密な人間模様を描いていきます。結構な数の人物が登場しますが、きちんと把握しやすく配置され人物描写が積み重ねられている手腕はなかなかのもの。
物語の中心はスモークとスタックの双子ですが、彼等の従兄弟である少年「プリーチャー・ボーイ」サミー(マイルズ・ケイトン)も非常に重要な存在です。神父の息子であるサミーは天才的なブルースの才能を持っていますが聖歌たるゴスペルに傾倒している父とは対立しており、それはそのままブラックミュージックの対立軸とも言えるでしょう。ミュージカルというわけでもないのですが、この映画は非常に音楽の比重が高いことが重要なファクターになっています。
サミーの奏でるブルースは客たちをトランス状態へと導いていきますが、その音色にヴァンパイアも誘われてしまいます。ここで吸血鬼ものの定番「招かれないと家に入れない」という設定が活かされているのが特徴的。これに匹敵するのは小野不由美の「屍鬼」くらいではなかろうかというくらいに前面に出て機能しています。また登場する吸血鬼たちがアイルランド系というのもポイント。彼らもまたアメリカの主流から外れた遅れて来た移民たちである点は、この映画を読み解くのに重要でしょう。
緊張感と恐怖が沸点に達し狂騒が惨劇と死闘に変わる頃には、物語はそれまでのゆったりしたテンポをかなぐり捨てて爆発し、ブルースとケルティックミュージックが交錯するクライマックスに突入します。
全編にわたるブルースの哀愁を帯びた旋律は一方で非常にクールで、観ているとサントラが欲しくなってくるくらい。正直当初は別の映画を観ようとしたら満席だったので代わりに、という程度で観た一本でしたが想定外の面白さに大満足。
なお本当のクライマックスはエンドクレジットの最中に語られる上にクレジットの終わりにももうワンシーンあるのでご鑑賞の際は明るくなるまで席をお立ちになりませんよう。
こんばんは、小島@監督です。
さすがに古びていく一方であった旧作群を再発見できた功績は大きく、「ガンダム」というコンテンツはこれで更に10年は戦えるようになったと思えます。ここからガンダムに入ってきた人たちが後年更なる傑作を生み出して来たら嬉しいですね。
さて、今回の映画は「罪人たち」です。
1932年アメリカ南部。大金を得た双子の兄弟スモークとスタック(マイケル・B・ジョーダン/2役)は閉鎖された製材所を買い取り客に音楽と酒を提供するジューク・ジョイントをオープンしようとする。酒を手配しミュージシャンを雇いいよいよ店はオープンの時を迎えた。酒、音楽、ギャンブルまでも始まり狂騒の夜が幕を開ける。それはやがて人ならざる者さえも呼び寄せる事になる。
「フルートベール駅で」や「ブラックパンサー」などアメリカにおける黒人の悲喜とカルチャーを作品に落とし込みながら高いエンターテインメントを見せるフィルムメイカー・ライアン・クーグラー監督。その最新作は黒人差別も強く残る1932年の南部でブルースの音楽と共に人外の存在、ぶっちゃけて言えばヴァンパイアと死闘を繰り広げることになった者たちの一夜を描きます。
吸血鬼ものも数あれど、まだこんなアプローチがあるのかと驚かされる一本です。
前半は意外なほどゆったりとしたテンポで南部の片田舎での濃密な人間模様を描いていきます。結構な数の人物が登場しますが、きちんと把握しやすく配置され人物描写が積み重ねられている手腕はなかなかのもの。
物語の中心はスモークとスタックの双子ですが、彼等の従兄弟である少年「プリーチャー・ボーイ」サミー(マイルズ・ケイトン)も非常に重要な存在です。神父の息子であるサミーは天才的なブルースの才能を持っていますが聖歌たるゴスペルに傾倒している父とは対立しており、それはそのままブラックミュージックの対立軸とも言えるでしょう。ミュージカルというわけでもないのですが、この映画は非常に音楽の比重が高いことが重要なファクターになっています。
サミーの奏でるブルースは客たちをトランス状態へと導いていきますが、その音色にヴァンパイアも誘われてしまいます。ここで吸血鬼ものの定番「招かれないと家に入れない」という設定が活かされているのが特徴的。これに匹敵するのは小野不由美の「屍鬼」くらいではなかろうかというくらいに前面に出て機能しています。また登場する吸血鬼たちがアイルランド系というのもポイント。彼らもまたアメリカの主流から外れた遅れて来た移民たちである点は、この映画を読み解くのに重要でしょう。
緊張感と恐怖が沸点に達し狂騒が惨劇と死闘に変わる頃には、物語はそれまでのゆったりしたテンポをかなぐり捨てて爆発し、ブルースとケルティックミュージックが交錯するクライマックスに突入します。
全編にわたるブルースの哀愁を帯びた旋律は一方で非常にクールで、観ているとサントラが欲しくなってくるくらい。正直当初は別の映画を観ようとしたら満席だったので代わりに、という程度で観た一本でしたが想定外の面白さに大満足。
なお本当のクライマックスはエンドクレジットの最中に語られる上にクレジットの終わりにももうワンシーンあるのでご鑑賞の際は明るくなるまで席をお立ちになりませんよう。
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最終回を目前に再上映が始まった「機動戦士ガンダムジークアクスBeginning」、せっかくの祭りだ!乗っかるか!と何か妙な勢いで観に行ったら私と同類項と特典が欲しい方がわんさといたのか映像的には取り立てて何のサプライズも用意されていない正真正銘の再上映がほぼ満席。ええいどいつもこいつも!言うて私もですが(笑)!
こんばんは、小島@監督です。
いよいよ最終回は明日深夜!!
さて、先日は珍しくミュージカルを観に行って来ました。四季劇場名古屋で現在公演中、劇団四季の「ゴーストアンドレディ」です。
1854年ロンドン、ドルーリー・レーン劇場。そこには「灰色の幽霊(グレイ)」(萩原隆匡)の噂があった。彼の姿が現れた芝居にはその後興行の成功が約束されるという。そのグレイに会うために劇場を1人の令嬢が訪れた。彼女はグレイに自身を殺してくれと懇願する。令嬢の名はフローレンス・ナイチンゲール(谷原志音)、やがて従軍看護婦として苛烈な戦場に身を投じることになる女性である。
(註・出演者は私が鑑賞した回のものになります。メインキャラクターはダブルもしくはトリプルキャストのため日や上演回によって異なります)
劇団四季の演目というとブロードウェイの邦訳版かディズニーのイメージが強いのですが、今作は違います。原作者は何と「うしおととら」「からくりサーカス」で知られる藤田和日郎のコミック。「黒博物館」という連作シリーズの第2作として発表された作品です。アニメ化も映画化もすっ飛ばしてあの藤田和日郎作品が舞台化!という事態に普段観劇に興味の薄い私もさすがに気になり劇団四季の会員になっている家族にもし観る機会があるなら誘って欲しいと以前から声をかけていて先日ついにその機会が巡って来ました。
いやびっくりですよ、何だこの面白い芝居!
劇団四季で公演するだけあってマスに訴えかけられる洗練さを持たせている一方で泥臭くも熱い藤田和日郎イズムがちゃんと反映されていて両立できているのにはいくら何でも驚異です。
少年や若者と超常の存在とがバディとなるのは「うしおととら」などでも見られる藤田和日郎作品お得意のシチュエーションですが、今作では若者に当たるのがあのナイチンゲールであり彼女も含めて実在した人物が多数登場して史実を大胆に織り交ぜながら展開します。原作では「黒博物館」シリーズ全体の狂言回しとして「学芸員(キュレーター)」と呼ばれる女性が登場しますが、舞台版では登場せずグレイにその役回りを担わせているほか、物語の発端となる発射された銃弾同士がぶつかった「かち合い弾」は登場せず別の道具に置き換えられていたりと舞台劇として上演するためのアレンジはいくつも施されていますが、作品としての核は見失っていません。
実のところ「黒博物館」は今まで読んだことが無く、今回の舞台を鑑賞した後から原作を手に取ったのですが、「これは舞台用に盛っただろう」と思ったところが原作通りだったり「これは藤田っぽいので原作にあるだろう」と思ったらオリジナル要素だったりしてどちらから行っても楽しいです。
史実を織り交ぜながらも基本としてはダークファンタジーな物語の作品世界を表現する演出も非常に凝っており、「グレイは見える人にしか見えないし声も聞こえない」のを「見える人以外は視線も合わさない」というハイレベルなことをさり気なくやっているのにも驚きますが、早着替えと照明や舞台装置を駆使しての「死者の魂が天へ召される」様や剣戟やワイヤーアクション、果てはイリュージョンまでも使ってみせての死闘など高さも奥行きも使えるだけ使うクリエイティブなダイナミズムにも感服します。何より四季ファンの家族に言わせると「エース級しかいない」というキャスト陣の渾身の歌唱と演技が乗ってまさに圧倒的。
あの濃いビジュアルとアクの強い世界観をどうやって舞台にするのさ!?という興味だけで観に行ったらここまで原作のイズムと劇団四季のテイストをがっぷり組ませて昇華させてくるとは思わず、終幕に至る頃にはついうっかりマジ涙。珠玉の鑑賞体験になりました。
開演以来大好評らしく平日でも席が取りづらいのと、やはり映画観るよりはだいぶ張るのでハードルは高いですがこれは本気でお薦めしたい。そしてびっくりして欲しい。
こんばんは、小島@監督です。
いよいよ最終回は明日深夜!!
さて、先日は珍しくミュージカルを観に行って来ました。四季劇場名古屋で現在公演中、劇団四季の「ゴーストアンドレディ」です。
1854年ロンドン、ドルーリー・レーン劇場。そこには「灰色の幽霊(グレイ)」(萩原隆匡)の噂があった。彼の姿が現れた芝居にはその後興行の成功が約束されるという。そのグレイに会うために劇場を1人の令嬢が訪れた。彼女はグレイに自身を殺してくれと懇願する。令嬢の名はフローレンス・ナイチンゲール(谷原志音)、やがて従軍看護婦として苛烈な戦場に身を投じることになる女性である。
(註・出演者は私が鑑賞した回のものになります。メインキャラクターはダブルもしくはトリプルキャストのため日や上演回によって異なります)
劇団四季の演目というとブロードウェイの邦訳版かディズニーのイメージが強いのですが、今作は違います。原作者は何と「うしおととら」「からくりサーカス」で知られる藤田和日郎のコミック。「黒博物館」という連作シリーズの第2作として発表された作品です。アニメ化も映画化もすっ飛ばしてあの藤田和日郎作品が舞台化!という事態に普段観劇に興味の薄い私もさすがに気になり劇団四季の会員になっている家族にもし観る機会があるなら誘って欲しいと以前から声をかけていて先日ついにその機会が巡って来ました。
いやびっくりですよ、何だこの面白い芝居!
劇団四季で公演するだけあってマスに訴えかけられる洗練さを持たせている一方で泥臭くも熱い藤田和日郎イズムがちゃんと反映されていて両立できているのにはいくら何でも驚異です。
少年や若者と超常の存在とがバディとなるのは「うしおととら」などでも見られる藤田和日郎作品お得意のシチュエーションですが、今作では若者に当たるのがあのナイチンゲールであり彼女も含めて実在した人物が多数登場して史実を大胆に織り交ぜながら展開します。原作では「黒博物館」シリーズ全体の狂言回しとして「学芸員(キュレーター)」と呼ばれる女性が登場しますが、舞台版では登場せずグレイにその役回りを担わせているほか、物語の発端となる発射された銃弾同士がぶつかった「かち合い弾」は登場せず別の道具に置き換えられていたりと舞台劇として上演するためのアレンジはいくつも施されていますが、作品としての核は見失っていません。
実のところ「黒博物館」は今まで読んだことが無く、今回の舞台を鑑賞した後から原作を手に取ったのですが、「これは舞台用に盛っただろう」と思ったところが原作通りだったり「これは藤田っぽいので原作にあるだろう」と思ったらオリジナル要素だったりしてどちらから行っても楽しいです。
史実を織り交ぜながらも基本としてはダークファンタジーな物語の作品世界を表現する演出も非常に凝っており、「グレイは見える人にしか見えないし声も聞こえない」のを「見える人以外は視線も合わさない」というハイレベルなことをさり気なくやっているのにも驚きますが、早着替えと照明や舞台装置を駆使しての「死者の魂が天へ召される」様や剣戟やワイヤーアクション、果てはイリュージョンまでも使ってみせての死闘など高さも奥行きも使えるだけ使うクリエイティブなダイナミズムにも感服します。何より四季ファンの家族に言わせると「エース級しかいない」というキャスト陣の渾身の歌唱と演技が乗ってまさに圧倒的。
あの濃いビジュアルとアクの強い世界観をどうやって舞台にするのさ!?という興味だけで観に行ったらここまで原作のイズムと劇団四季のテイストをがっぷり組ませて昇華させてくるとは思わず、終幕に至る頃にはついうっかりマジ涙。珠玉の鑑賞体験になりました。
開演以来大好評らしく平日でも席が取りづらいのと、やはり映画観るよりはだいぶ張るのでハードルは高いですがこれは本気でお薦めしたい。そしてびっくりして欲しい。
昨日は歌会をお休みし東京まで出張って「TIF2025メインステージ争奪LIVE〜前哨戦〜」というのを観に行って来ました。毎年8月に開催される日本最大のアイドルフェスという「TOKYO IDOL FESTIVAL」、「アイドルマスター」や「ウマ娘」も出演経験のあるフェスですがAKB48やももクロのような知名度の高いところが出演する傍らで気鋭のアイドルユニットに単に出演するだけでなくメインステージで歌う機会を作る企画を例年やっているようで、私が推してる「THE ENCORE」がその候補8ユニットの1つに選ばれ、「前哨戦」では候補者たちが出演をかけて全2部各4ユニットずつでパフォーマンスを競いそれぞれ観客投票で出演ユニットを決める、というイベントです。「アイマス」ではゲームの仕様としてこんな感じのイベントがあったりするのですが実際にやっているところを観るのは初めてです。
普段目にする対バンライブが本気じゃない、とは思いませんが大舞台への出演を懸けての勝ち抜き、となるとどのユニットもコンディションのピークをここに持ってきてギアを一段上げて来ていて観ていてビリビリするほどでした。投票結果で明確に勝者と敗者が分けられ歓喜と落胆がステージ上で同居します。場の空気に当てられてしまったようで、THE ENCOREが勝ち残りを決めた瞬間には私も絶叫(笑)。推しが躍進する姿を見るのは嬉しいものです。
こんばんは、小島@監督です。
正直言ってここまで来たらTIF初日にある決勝戦も観たいのですが、何せ同じ週にアイマスライブがあって既にそっちのチケット持ってるので無理なのが残念でなりません…
さて、今回の映画は「国宝」です。
任侠の一門に生まれた立花喜久雄(吉沢亮)は、抗争により父親を失った後、その才を認めた上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎(渡辺謙)に引き取られ、歌舞伎の世界に足を踏み入れる。半二郎の息子・花井半弥(横浜流星)と共に歌舞伎の芸を磨き高め合って行く。しかし数多くの出会いと別れ、そして時代の流れが2人の運命を大きく揺るがせて行く。
圧巻!まさにその言葉が相応しい。
歌舞伎の世界を舞台に重厚な人間ドラマが展開します。監督の李相日は「悪人」「怒り」に引き続き3度目の吉田修一原作の映画化になります。脚本に「サマーウォーズ」の奥寺佐渡子を、撮影に「アデル、ブルーは熱い色」のソフィアン・エル・ファニを迎えるなど超一流のスタッフが集結し、贅沢で格調高くありつつも美麗かつ繊細な映像世界を見せてくれます。175分という長尺ですが脚本は緻密に練り上げられており、時代や境遇が変わっても芸の道を突き進む喜久雄と半弥に物語の焦点を合わせ梨園の外をほとんど描かないことで集中を途切れさせません。とは言え50年という時間を3時間で駆け抜ける、極限まで凝縮させた密度なので喜久雄も半弥も揃って状況のアップダウンが激し過ぎない?みたいなところはあるものの(笑)、その乱高下ぶりが映画の面白さをスポイルすることはありません。
歌舞伎を扱った映画なのにメインどころに本職の歌舞伎俳優がいないのも特徴的ですが(無論監修は入っており監修を務めた中村鴈治郎は今作に出演もしている)、どれほどの稽古を積んだのか吉沢亮、横浜流星、渡辺謙らの舞台上の佇まいは歌舞伎役者そのもの。特に吉沢亮はクローズアップにも負けない女形の美しさを体現しています。そして出番はそれほど多くはないが喜久雄、半弥のともに大きな影響を与える人間国宝・小野川万菊を演じる田中泯の凄みが出色。登場すると画面に一本線が走ります。
また、そんな舞台のシーンを見せるのに様々な映画的技法を駆使して迫力を演出しており、そのカメラワークの妙からして特に終盤のシーンは、あれは劇場を借りたのではなく劇場まるごとセットで作り上げたもののように思えます。
難点があるとすれば歌舞伎の用語や演目に対する解説がほぼ無いところにありますが、ただでさえストーリーが面白いところに出演者の演技が尋常じゃないので観ている間はまず気になりません。むしろこれを機にいろいろ調べたりして歌舞伎の入口にしても楽しいですね。
いずれにしても今年を代表する一本に違いありません。来年の日本アカデミー賞を席巻する可能性すらあるでしょう。特撮オタク的な話をすると「仮面ライダーフォーゼ」で互いに親友という役どころで出演した吉沢亮と横浜流星が共に大河ドラマで主演を張り、日本を代表する役者に成長してこの規模の作品で2度目の共演を果たしたというのも何だか嬉しくなります。
スクリーンで観る楽しさに満ち溢れた一本であり、日本映画はまだやれるということを見せてくれる作品でもあるので、上映時間の長さに臆することなく是非劇場で味わっていただきたいですね。
普段目にする対バンライブが本気じゃない、とは思いませんが大舞台への出演を懸けての勝ち抜き、となるとどのユニットもコンディションのピークをここに持ってきてギアを一段上げて来ていて観ていてビリビリするほどでした。投票結果で明確に勝者と敗者が分けられ歓喜と落胆がステージ上で同居します。場の空気に当てられてしまったようで、THE ENCOREが勝ち残りを決めた瞬間には私も絶叫(笑)。推しが躍進する姿を見るのは嬉しいものです。
こんばんは、小島@監督です。
正直言ってここまで来たらTIF初日にある決勝戦も観たいのですが、何せ同じ週にアイマスライブがあって既にそっちのチケット持ってるので無理なのが残念でなりません…
さて、今回の映画は「国宝」です。
任侠の一門に生まれた立花喜久雄(吉沢亮)は、抗争により父親を失った後、その才を認めた上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎(渡辺謙)に引き取られ、歌舞伎の世界に足を踏み入れる。半二郎の息子・花井半弥(横浜流星)と共に歌舞伎の芸を磨き高め合って行く。しかし数多くの出会いと別れ、そして時代の流れが2人の運命を大きく揺るがせて行く。
圧巻!まさにその言葉が相応しい。
歌舞伎の世界を舞台に重厚な人間ドラマが展開します。監督の李相日は「悪人」「怒り」に引き続き3度目の吉田修一原作の映画化になります。脚本に「サマーウォーズ」の奥寺佐渡子を、撮影に「アデル、ブルーは熱い色」のソフィアン・エル・ファニを迎えるなど超一流のスタッフが集結し、贅沢で格調高くありつつも美麗かつ繊細な映像世界を見せてくれます。175分という長尺ですが脚本は緻密に練り上げられており、時代や境遇が変わっても芸の道を突き進む喜久雄と半弥に物語の焦点を合わせ梨園の外をほとんど描かないことで集中を途切れさせません。とは言え50年という時間を3時間で駆け抜ける、極限まで凝縮させた密度なので喜久雄も半弥も揃って状況のアップダウンが激し過ぎない?みたいなところはあるものの(笑)、その乱高下ぶりが映画の面白さをスポイルすることはありません。
歌舞伎を扱った映画なのにメインどころに本職の歌舞伎俳優がいないのも特徴的ですが(無論監修は入っており監修を務めた中村鴈治郎は今作に出演もしている)、どれほどの稽古を積んだのか吉沢亮、横浜流星、渡辺謙らの舞台上の佇まいは歌舞伎役者そのもの。特に吉沢亮はクローズアップにも負けない女形の美しさを体現しています。そして出番はそれほど多くはないが喜久雄、半弥のともに大きな影響を与える人間国宝・小野川万菊を演じる田中泯の凄みが出色。登場すると画面に一本線が走ります。
また、そんな舞台のシーンを見せるのに様々な映画的技法を駆使して迫力を演出しており、そのカメラワークの妙からして特に終盤のシーンは、あれは劇場を借りたのではなく劇場まるごとセットで作り上げたもののように思えます。
難点があるとすれば歌舞伎の用語や演目に対する解説がほぼ無いところにありますが、ただでさえストーリーが面白いところに出演者の演技が尋常じゃないので観ている間はまず気になりません。むしろこれを機にいろいろ調べたりして歌舞伎の入口にしても楽しいですね。
いずれにしても今年を代表する一本に違いありません。来年の日本アカデミー賞を席巻する可能性すらあるでしょう。特撮オタク的な話をすると「仮面ライダーフォーゼ」で互いに親友という役どころで出演した吉沢亮と横浜流星が共に大河ドラマで主演を張り、日本を代表する役者に成長してこの規模の作品で2度目の共演を果たしたというのも何だか嬉しくなります。
スクリーンで観る楽しさに満ち溢れた一本であり、日本映画はまだやれるということを見せてくれる作品でもあるので、上映時間の長さに臆することなく是非劇場で味わっていただきたいですね。
時代を作ったのか、それとも時代に求められたのか、ただ間違い無く「昭和」という時代を語る時に欠かせない一人であった長嶋茂雄さんの訃報が先週流れました。
自分はさすがに監督になってからの活躍しか知りませんが、高度経済成長期の輝かしさとセットで語られる選手時代から生涯をかけてプロ野球の発展に尽力し「ミスタープロ野球」と異名を取るほどにプロ野球の象徴として、文字通り「偶像」という意味でのアイドルであり続けた存在であったろうと思います。その業績についてはこれから総括されていくことでしょう。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
こんばんは、小島@監督です。
さて、今回の映画は「無名の人生」です。
端正な顔立ちだが寡黙で何を考えているか分からない性格故にいじめられている少年「せーちゃん」(声・ACE COOL)は、かつて両親を自己で失い今は養父ひろし(声・宇野祥平)と共に暮らしている。ある時、転校生「キン」(声・田中偉登)との出会いをきっかけにアイドルを志すようになる。
コロナ禍をきっかけに独学でアニメを学び制作した短編作品「MAHOROBA」と「無法の愛」が自主映画祭で高く評価された気鋭の映像作家・鈴木竜也。その鈴木監督が1年半の時間をかけて一人で作り上げたという初の長編作品です。プロデューサーとして同じくインディーズアニメとして高く評価された「音楽」を手掛けた岩井澤健治がクレジットされていますが、作品を劇場公開へ向けての道筋を付けるために参加した、ということらしくアニメ製作そのものは鈴木監督が全てを一人で担ったそうです。
商業ベースの作品からはまず出てくることは無い、強烈な個性を感じさせる作品です。画質は決して高い方ではなく、この辺りは個人製作故の限界でもあるでしょう。しかし異様なまでの作家の自我の発露がほとばしっています。あとダンスのシーンがわずかにあるのですがカクカクした妙にシュールな動きをしているのがちょっとクセになります。
物語はチャプター形式で展開し、時間の流れと共に主人公を指す名称も変わっていきます。あらすじで書いた「せーちゃん」というのもあくまで親友となるキンがそう呼んでいたに過ぎず、愛称・敬称・蔑称、便宜的な呼称まで含めて多様な呼び名で彼は呼ばれ、作中に本名で呼ばれることは一度しかありません。「無名の人生」というタイトルから名も無き市井の人の一生を追う物語かと予想しましたが、観るとそうではないことに気づきます。とは言え物語を牽引するのは伏線を張って綺麗に収束していくような見事さではなく、予測不可能な人生が如くどこまでもアナーキーかつアクロバティックな無軌道さです。アイドルを目指している前半はいざともかくそこからどんどんととんでもない方向へ転がっていくので完全に置いてけぼりになる人も少なくないでしょう。
チャプターごとでは画面のアスペクト比までも切り替わるフリーダムなスタイルはどこかグザヴィエ・ドランを思い起こさせます。シンプルな描線ビジュアルは表情に乏しいものの、出演陣の演技がそれを補ってくれています。いますが、やっぱりそれでも相当に分かりにくいです(笑)
作品の締めくくりに流れるエンドクレジットにも驚かされました。制作資金をクラウドファンディングで調達し、エンディングで出資者の名をクレジットする作品も珍しくなくなりましたが、この作品のエンディングでは何と300人を超える出資者全員の似顔絵が流れてくるのです。こんなの見たことありません。
歪なこともお構いなし、この狂気のような独創性。インディーズでしか成し得ない作品世界です。相当はっきり好き嫌いが分かれる作品ですがこういうのは途中で止められる配信やBlu-rayなどでは味わいきれない「何か」があるのでスクリーンで観た方が多分楽しい。映画の裾野には、時にこんなユニークな力作が潜んでいます。
自分はさすがに監督になってからの活躍しか知りませんが、高度経済成長期の輝かしさとセットで語られる選手時代から生涯をかけてプロ野球の発展に尽力し「ミスタープロ野球」と異名を取るほどにプロ野球の象徴として、文字通り「偶像」という意味でのアイドルであり続けた存在であったろうと思います。その業績についてはこれから総括されていくことでしょう。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
こんばんは、小島@監督です。
さて、今回の映画は「無名の人生」です。
端正な顔立ちだが寡黙で何を考えているか分からない性格故にいじめられている少年「せーちゃん」(声・ACE COOL)は、かつて両親を自己で失い今は養父ひろし(声・宇野祥平)と共に暮らしている。ある時、転校生「キン」(声・田中偉登)との出会いをきっかけにアイドルを志すようになる。
コロナ禍をきっかけに独学でアニメを学び制作した短編作品「MAHOROBA」と「無法の愛」が自主映画祭で高く評価された気鋭の映像作家・鈴木竜也。その鈴木監督が1年半の時間をかけて一人で作り上げたという初の長編作品です。プロデューサーとして同じくインディーズアニメとして高く評価された「音楽」を手掛けた岩井澤健治がクレジットされていますが、作品を劇場公開へ向けての道筋を付けるために参加した、ということらしくアニメ製作そのものは鈴木監督が全てを一人で担ったそうです。
商業ベースの作品からはまず出てくることは無い、強烈な個性を感じさせる作品です。画質は決して高い方ではなく、この辺りは個人製作故の限界でもあるでしょう。しかし異様なまでの作家の自我の発露がほとばしっています。あとダンスのシーンがわずかにあるのですがカクカクした妙にシュールな動きをしているのがちょっとクセになります。
物語はチャプター形式で展開し、時間の流れと共に主人公を指す名称も変わっていきます。あらすじで書いた「せーちゃん」というのもあくまで親友となるキンがそう呼んでいたに過ぎず、愛称・敬称・蔑称、便宜的な呼称まで含めて多様な呼び名で彼は呼ばれ、作中に本名で呼ばれることは一度しかありません。「無名の人生」というタイトルから名も無き市井の人の一生を追う物語かと予想しましたが、観るとそうではないことに気づきます。とは言え物語を牽引するのは伏線を張って綺麗に収束していくような見事さではなく、予測不可能な人生が如くどこまでもアナーキーかつアクロバティックな無軌道さです。アイドルを目指している前半はいざともかくそこからどんどんととんでもない方向へ転がっていくので完全に置いてけぼりになる人も少なくないでしょう。
チャプターごとでは画面のアスペクト比までも切り替わるフリーダムなスタイルはどこかグザヴィエ・ドランを思い起こさせます。シンプルな描線ビジュアルは表情に乏しいものの、出演陣の演技がそれを補ってくれています。いますが、やっぱりそれでも相当に分かりにくいです(笑)
作品の締めくくりに流れるエンドクレジットにも驚かされました。制作資金をクラウドファンディングで調達し、エンディングで出資者の名をクレジットする作品も珍しくなくなりましたが、この作品のエンディングでは何と300人を超える出資者全員の似顔絵が流れてくるのです。こんなの見たことありません。
歪なこともお構いなし、この狂気のような独創性。インディーズでしか成し得ない作品世界です。相当はっきり好き嫌いが分かれる作品ですがこういうのは途中で止められる配信やBlu-rayなどでは味わいきれない「何か」があるのでスクリーンで観た方が多分楽しい。映画の裾野には、時にこんなユニークな力作が潜んでいます。
競走馬にとって生涯で一度しか挑戦できないダービーというのはやはり特別なもので、騎手や調教師、厩務員たちの物語と相まって深い感動を呼びます。クロワデュノールが制した昨日のダービー、北村友一騎手が骨折からの復帰後初めてのG1制覇というのも重なってか、NHKの放送では解説の方が最後は涙声になってて上手く喋れない一幕が。あれはさすがにちょっと笑ってしまいました。
こんばんは、小島@監督です。
なお馬券は外してしまった模様。今年は全然当たりません(苦笑)
さて、今回の映画は「ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング」です。
イーサン・ハント(トム・クルーズ)がオリエント急行でソースコードに至る「鍵」を奪取してから数ヶ月、サイバースペースで自我を持ち成長し続けるAI「エンティティ」の影響は拡大の一途を辿り、核保有国の兵器ネットワークさえもその手中に収めようとしていた。その「エンティティ」を私物化し支配することで世界を掌握しようとイーサンの旧敵ガブリエル(イーサイ・モラレス)は行動を起こす。イーサンは刑務所に収監されていたパリス(ポム・クレメンティエフ)を救出し、彼女と共にガブリエルを追い始める。
「エンティティ」は人類世界の全てを終わらせようとしている。イーサンは世界の終焉を止められるのか。
トム・クルーズが凄腕のエージェント・イーサン・ハントを演じるシリーズの8作目にして、恐らくは最終作になるであろう一本です。前作「デッド・レコニング」から直接続く2部作の後編であると同時に1996年の第1作から続く時間の流れとここに至る7作を少々強引とは言えアーカイブ的に網羅させており、まさに集大成と呼べる作品になっています。
第3作でいわゆる「マクガフィン」として登場していた「ラビット・フット」の正体が明らかにされたのもびっくりですが、何より全く予想だにしない人物が再登場を果たして物語に深く関わって来たのには流石に驚きました。全体の情報量が非常に多く、過去のシリーズを知っておいた方がより面白いとは言え、これ単体で観てもじゅうぶんに楽しめるものになっています。脚本が完成しないままにクランクインしたという前作は物語が破綻している箇所もあったのですが、ご都合主義が目立つものの物語にちゃんと筋が通っているのも良いですね。
169分という長尺を、やはりトム・クルーズのアクションが牽引します。沈没した潜水艦の中で展開する水中アクション、2機の複葉機が展開する空中チェイスなど今回も異様な物量で見せてきます。そのほとんどをCGに頼らない生身の、それも本人が挑んでいるスタントだからこそ可能な映像の迫力は尋常ではありません。何もかもが別格のスケールを持っているが故に破格のバジェットがかかっているだろうことが一見にして分かる映像の贅沢さはまさに「ハリウッド映画」そのものですが、今これを作品として成立させられるのはトム・クルーズだからに他なりません。
バスター・キートンという映画俳優をご存知でしょうか。1920年代サイレント映画全盛期に活躍したコメディ俳優ですが、高い身体能力をもってカーチェイスや蒸気機関車を使ったスタントを取り入れていた人物です。どこまでも限界を越えようとするトム・クルーズはまるで「娯楽映画」の源泉を突き詰めようとしているかのよう。時代も映画製作の潮流も変わりムービースターというものも廃れつつある中で、トム・クルーズは恐らくは最高最後のムービースターなのでしょう。いずれはその時も尽きる。だがそれは今じゃない。
その眩しいほどの輝きを、どうかスクリーンで目に焼き付けて欲しいですね。
こんばんは、小島@監督です。
なお馬券は外してしまった模様。今年は全然当たりません(苦笑)
さて、今回の映画は「ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング」です。
イーサン・ハント(トム・クルーズ)がオリエント急行でソースコードに至る「鍵」を奪取してから数ヶ月、サイバースペースで自我を持ち成長し続けるAI「エンティティ」の影響は拡大の一途を辿り、核保有国の兵器ネットワークさえもその手中に収めようとしていた。その「エンティティ」を私物化し支配することで世界を掌握しようとイーサンの旧敵ガブリエル(イーサイ・モラレス)は行動を起こす。イーサンは刑務所に収監されていたパリス(ポム・クレメンティエフ)を救出し、彼女と共にガブリエルを追い始める。
「エンティティ」は人類世界の全てを終わらせようとしている。イーサンは世界の終焉を止められるのか。
トム・クルーズが凄腕のエージェント・イーサン・ハントを演じるシリーズの8作目にして、恐らくは最終作になるであろう一本です。前作「デッド・レコニング」から直接続く2部作の後編であると同時に1996年の第1作から続く時間の流れとここに至る7作を少々強引とは言えアーカイブ的に網羅させており、まさに集大成と呼べる作品になっています。
第3作でいわゆる「マクガフィン」として登場していた「ラビット・フット」の正体が明らかにされたのもびっくりですが、何より全く予想だにしない人物が再登場を果たして物語に深く関わって来たのには流石に驚きました。全体の情報量が非常に多く、過去のシリーズを知っておいた方がより面白いとは言え、これ単体で観てもじゅうぶんに楽しめるものになっています。脚本が完成しないままにクランクインしたという前作は物語が破綻している箇所もあったのですが、ご都合主義が目立つものの物語にちゃんと筋が通っているのも良いですね。
169分という長尺を、やはりトム・クルーズのアクションが牽引します。沈没した潜水艦の中で展開する水中アクション、2機の複葉機が展開する空中チェイスなど今回も異様な物量で見せてきます。そのほとんどをCGに頼らない生身の、それも本人が挑んでいるスタントだからこそ可能な映像の迫力は尋常ではありません。何もかもが別格のスケールを持っているが故に破格のバジェットがかかっているだろうことが一見にして分かる映像の贅沢さはまさに「ハリウッド映画」そのものですが、今これを作品として成立させられるのはトム・クルーズだからに他なりません。
バスター・キートンという映画俳優をご存知でしょうか。1920年代サイレント映画全盛期に活躍したコメディ俳優ですが、高い身体能力をもってカーチェイスや蒸気機関車を使ったスタントを取り入れていた人物です。どこまでも限界を越えようとするトム・クルーズはまるで「娯楽映画」の源泉を突き詰めようとしているかのよう。時代も映画製作の潮流も変わりムービースターというものも廃れつつある中で、トム・クルーズは恐らくは最高最後のムービースターなのでしょう。いずれはその時も尽きる。だがそれは今じゃない。
その眩しいほどの輝きを、どうかスクリーンで目に焼き付けて欲しいですね。
こんばんは、小島@監督です。
二日経ってもまだ余韻が残ってるので今回は前置き無しで本題に入ります。
さて、7月に本格開業を予定しているIGアリーナのプレオープンイベント「HANS ZIMMER LIVE IN JAPAN」の名古屋公演を観に行って来ました。映画音楽の巨匠ハンス・ジマーの初来日公演です。
ハンス・ジマーは映画音楽の第一人者で1980年代後半から活躍しており製作本数は軽く100本を超え、これまでに10回を超えるアカデミー賞とゴールデングローブ賞のノミネート経験があります。特に2000年代以降のハリウッド映画の音楽の潮流を作ったと言っても過言ではなく、その名前を知らなくても「パイレーツ・オブ・カリビアン」や「ワンダーウーマン」の音楽を担当した人と言えば分かる方も多いでしょう。
映画音楽のレジェンドとして名が上がるジョン・ウィリアムズがクラシックの文法を取り入れつつ現代的にモダナイズさせ、映画音楽としては一度は主流派ではなくなった交響楽を復権させ荘厳な旋律で映画を盛り上げるのに対し、ハンス・ジマーはオーケストラとシンセサイザーを融合し、オルタナティブ・ロックやジャズ、アンビエント、時にはアフリカンミュージックの要素も取り入れジャンルを横断しながら映画に最適なスコアを探し出し映像に呼応した緻密な編曲を可能にし、単なる「劇伴」として以上演出効果を音楽に担わせることに成功した人物です。
ステージはまず「DUNE/砂の惑星」から始まり「マン・オブ・スティール」「ワンダーウーマン」「グラディエーター」「パイレーツ・オブ・カリビアン」と続き、インターバルを挟んで第二部は「ダークナイト」「ラストサムライ」「デューン砂の惑星part2」「ダンケルク」「X-MEN:ダークフェニックス」「インターステラー」「ライオンキング」「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」で畳み掛け「インセプション」で締めくくります。ステージには大きなスクリーンが用意されていましたが楽曲で中心となるパフォーマーをクローズアップして映し出すか演出効果の一環としてイメージ映像を流すにとどめて映画の本編映像をクリップとして使っていないのがポイントで、音楽を映画から解き放とうとする意思が感じられます。
音楽を解放しようとする試みは演奏面でも表れており、原曲をそのまま演奏するようなことはせず、主旋律だけを残して大胆にアレンジされたものもあり、文脈から自由になった楽曲を映画の思い出と共に楽しむも良し、スコアそのもののパワーを堪能するも良しとなっていました。私個人としてはクリストファー・ノーラン監督作品が好きなので「インターステラー」と「インセプション」が聴けたのが嬉しかったですね。ロックのテイストも強いハンス・ジマーなのでショーアップされたステージとも相性が良く、中でも「インターステラー」でのスポットライトの光線の交差で5次元空間を表現するセンスが出色。映画と音楽の強さが相まって最高に興奮する3時間でした。
結構MCパートが多く、数ヶ所ではバンドメンバーのチェロ奏者である村中麻里子さんが通訳してくれてましたが基本的には英語オンリー。でも意外と分かりやすくてありがたい。「曲自体は良いのが出来たと思っているけど、映画自体は正直イマイチでしたね〜」と言いながら「X-MEN:ダークフェニックス」の演奏始めたのには笑ってしまいました。披露された中で唯一観ていなかったタイトルなのですが、気になって来たじゃないか(笑)。もちろんそれだけではなくこれまで観て来た作品も改めて再訪したくなりました。
ハンス・ジマー、近作では6月公開予定の「F1/エフワン」が待機していますし、未だ製作中で公開時期も決まっていませんが「DUNE3」が控えています。トップランナーに勢いは未だ留まるところを知りません。そして願わくば新たな楽曲を引っ提げてまた来日公演を行って欲しいですね。
ところでIGアリーナ、できたばかりだけあってやはり音が良い。アクセスも名城線名城公園駅降りてすぐととても良いので先々アイドルマスターでも使って欲しい。割と帰りの時間を心配しなくて良い会場は貴重!
二日経ってもまだ余韻が残ってるので今回は前置き無しで本題に入ります。
さて、7月に本格開業を予定しているIGアリーナのプレオープンイベント「HANS ZIMMER LIVE IN JAPAN」の名古屋公演を観に行って来ました。映画音楽の巨匠ハンス・ジマーの初来日公演です。
ハンス・ジマーは映画音楽の第一人者で1980年代後半から活躍しており製作本数は軽く100本を超え、これまでに10回を超えるアカデミー賞とゴールデングローブ賞のノミネート経験があります。特に2000年代以降のハリウッド映画の音楽の潮流を作ったと言っても過言ではなく、その名前を知らなくても「パイレーツ・オブ・カリビアン」や「ワンダーウーマン」の音楽を担当した人と言えば分かる方も多いでしょう。
映画音楽のレジェンドとして名が上がるジョン・ウィリアムズがクラシックの文法を取り入れつつ現代的にモダナイズさせ、映画音楽としては一度は主流派ではなくなった交響楽を復権させ荘厳な旋律で映画を盛り上げるのに対し、ハンス・ジマーはオーケストラとシンセサイザーを融合し、オルタナティブ・ロックやジャズ、アンビエント、時にはアフリカンミュージックの要素も取り入れジャンルを横断しながら映画に最適なスコアを探し出し映像に呼応した緻密な編曲を可能にし、単なる「劇伴」として以上演出効果を音楽に担わせることに成功した人物です。
ステージはまず「DUNE/砂の惑星」から始まり「マン・オブ・スティール」「ワンダーウーマン」「グラディエーター」「パイレーツ・オブ・カリビアン」と続き、インターバルを挟んで第二部は「ダークナイト」「ラストサムライ」「デューン砂の惑星part2」「ダンケルク」「X-MEN:ダークフェニックス」「インターステラー」「ライオンキング」「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」で畳み掛け「インセプション」で締めくくります。ステージには大きなスクリーンが用意されていましたが楽曲で中心となるパフォーマーをクローズアップして映し出すか演出効果の一環としてイメージ映像を流すにとどめて映画の本編映像をクリップとして使っていないのがポイントで、音楽を映画から解き放とうとする意思が感じられます。
音楽を解放しようとする試みは演奏面でも表れており、原曲をそのまま演奏するようなことはせず、主旋律だけを残して大胆にアレンジされたものもあり、文脈から自由になった楽曲を映画の思い出と共に楽しむも良し、スコアそのもののパワーを堪能するも良しとなっていました。私個人としてはクリストファー・ノーラン監督作品が好きなので「インターステラー」と「インセプション」が聴けたのが嬉しかったですね。ロックのテイストも強いハンス・ジマーなのでショーアップされたステージとも相性が良く、中でも「インターステラー」でのスポットライトの光線の交差で5次元空間を表現するセンスが出色。映画と音楽の強さが相まって最高に興奮する3時間でした。
結構MCパートが多く、数ヶ所ではバンドメンバーのチェロ奏者である村中麻里子さんが通訳してくれてましたが基本的には英語オンリー。でも意外と分かりやすくてありがたい。「曲自体は良いのが出来たと思っているけど、映画自体は正直イマイチでしたね〜」と言いながら「X-MEN:ダークフェニックス」の演奏始めたのには笑ってしまいました。披露された中で唯一観ていなかったタイトルなのですが、気になって来たじゃないか(笑)。もちろんそれだけではなくこれまで観て来た作品も改めて再訪したくなりました。
ハンス・ジマー、近作では6月公開予定の「F1/エフワン」が待機していますし、未だ製作中で公開時期も決まっていませんが「DUNE3」が控えています。トップランナーに勢いは未だ留まるところを知りません。そして願わくば新たな楽曲を引っ提げてまた来日公演を行って欲しいですね。
ところでIGアリーナ、できたばかりだけあってやはり音が良い。アクセスも名城線名城公園駅降りてすぐととても良いので先々アイドルマスターでも使って欲しい。割と帰りの時間を心配しなくて良い会場は貴重!
こんばんは、小島@監督です。
今回は前置き無しで本題に入ります。
さて、ミッドランドスクエアシネマにて16日から22日まで、「第2回どまんなかアニメ映画祭」が開催されています。昨年全上映回でトークイベント付きという破格の構成で開催され好評を得たようで、今年も開催してくれました。昨年は期間が3日間のみでしたが今年は会期が1週間に。さすがにトークイベント付き上映は土日のみですが、上映作品を鑑賞できる機会が増えました。
その中の1本、「ファイブスター物語」のトークイベント付き上映を観てきました。
星団歴2988年、レディオ・ソープ(声・堀川りょう)はドクター・バランシェ(声・田中秀幸)から領主ユーバー・バラダ(声・永井一郎)に連行された人造人間「ファティマ」であるラキシス(声・川村万梨阿)の救出を依頼され、惑星アドラーに降り立つ。
原作は永野護がアニメ誌「ニュータイプ」にて1986年より度々長期休載を挟みながらも現在に至るもなお連載が続いている作品で、映画は1989年に製作・公開されました。初公開時には「宇宙皇子地上編」と二本立てで上映されており、「ファイブスター物語」は上映時間65分と中編規模の作品になっています。永野護の繊細な描線をキャラクターデザインと作画監督を務めた結城信輝が最大限に活かし切ってアニメートしており、全編に渡って流麗な作画を楽しませてくれます。結城信輝は後年「ロードス島戦記」や「天空のエスカフローネ」などで称賛を受け90年代を代表するアニメーターの1人になっていき、現在でも「宇宙戦艦ヤマト2199」シリーズなどで第一線で活躍しています。
上映時間が短いため世界観を示すワードに対しほぼ説明がなされないのですが、テンポが良いので流れに乗るように観ていられるのも良いですね。
実はこの機会を捕まえるまで全く観たことが無かったのですが、作画の美しさと緻密さは今観ても特筆ものです。力のある若いクリエイター達が作り上げているので勢いもあり、その根底にバブル期の力強さみたいなものも感じられます。
トークイベントにはプロデューサー植田益朗さんと主演した堀川りょうさんが登壇。本編上映前に行われ、当然のように内容に深入りした話が展開されるので今回が初見の私はプロデューサーと主演から盛大にネタバレを頂くという極めて稀有な鑑賞体験になりました(笑)
植田さんは角川書店のアニメを何故サンライズが製作することになったかという経緯や、自分のところに話が来た時点で公開まであまり時間が無い中で座組をしないと行けなかった苦労などを語ってくれました。そもそも「銀河漂流バイファム」のゲストメカデザインでデビューした永野護を同作で抜擢したのが植田さんだそうで、付き合いが長いせいか強い信頼と共に色々と思うところもあるらしく言葉の端々にちょっと毒が混ざっているのがおかしい。
堀川さんはソープ役を演じる際、本編の台本をもらう前にキャラクター像を掴む間も無くCM用のセリフを収録することになったらしくそこだけ全く違う演技になってしまったことや作中で
ソープが言い放つ第一声が驚くほどに今の自分には出せない声をしていること、長い付き合いになる役が来たのかと思ったら意外とこれっきりだった(苦笑)、という話などが出てきました。また、植田・堀川両氏に加えて「ファイブスター物語」で演出を務めた今西隆志は後に「機動戦士ガンダム0083」でも組むことになるため、「0083」についての言及もありました。
「ファイブスター物語」、まず配信にも乗らない上にBlu-rayもほぼ絶版状態で観てみたくても観られないでいたところに今回の企画はまさに渡りに船。付け加えれば関連作品である「ゴティックメード花の詩女」に至っては未だソフト化もされておらず現在では観ようとするなら散発的な企画上映を捕まえるしかない状況で、いずれももっと気軽に観られる機会が増えると良いのですが。
「どまんなかアニメ映画祭」、前回今回と80年代を中心にした作品のチョイスが素晴らしく、当時直撃できなかった作品が多い自分としてはとてもありがたい企画で是非来年以降も続けて行って欲しいですね。
今回は前置き無しで本題に入ります。
さて、ミッドランドスクエアシネマにて16日から22日まで、「第2回どまんなかアニメ映画祭」が開催されています。昨年全上映回でトークイベント付きという破格の構成で開催され好評を得たようで、今年も開催してくれました。昨年は期間が3日間のみでしたが今年は会期が1週間に。さすがにトークイベント付き上映は土日のみですが、上映作品を鑑賞できる機会が増えました。
その中の1本、「ファイブスター物語」のトークイベント付き上映を観てきました。
星団歴2988年、レディオ・ソープ(声・堀川りょう)はドクター・バランシェ(声・田中秀幸)から領主ユーバー・バラダ(声・永井一郎)に連行された人造人間「ファティマ」であるラキシス(声・川村万梨阿)の救出を依頼され、惑星アドラーに降り立つ。
原作は永野護がアニメ誌「ニュータイプ」にて1986年より度々長期休載を挟みながらも現在に至るもなお連載が続いている作品で、映画は1989年に製作・公開されました。初公開時には「宇宙皇子地上編」と二本立てで上映されており、「ファイブスター物語」は上映時間65分と中編規模の作品になっています。永野護の繊細な描線をキャラクターデザインと作画監督を務めた結城信輝が最大限に活かし切ってアニメートしており、全編に渡って流麗な作画を楽しませてくれます。結城信輝は後年「ロードス島戦記」や「天空のエスカフローネ」などで称賛を受け90年代を代表するアニメーターの1人になっていき、現在でも「宇宙戦艦ヤマト2199」シリーズなどで第一線で活躍しています。
上映時間が短いため世界観を示すワードに対しほぼ説明がなされないのですが、テンポが良いので流れに乗るように観ていられるのも良いですね。
実はこの機会を捕まえるまで全く観たことが無かったのですが、作画の美しさと緻密さは今観ても特筆ものです。力のある若いクリエイター達が作り上げているので勢いもあり、その根底にバブル期の力強さみたいなものも感じられます。
トークイベントにはプロデューサー植田益朗さんと主演した堀川りょうさんが登壇。本編上映前に行われ、当然のように内容に深入りした話が展開されるので今回が初見の私はプロデューサーと主演から盛大にネタバレを頂くという極めて稀有な鑑賞体験になりました(笑)
植田さんは角川書店のアニメを何故サンライズが製作することになったかという経緯や、自分のところに話が来た時点で公開まであまり時間が無い中で座組をしないと行けなかった苦労などを語ってくれました。そもそも「銀河漂流バイファム」のゲストメカデザインでデビューした永野護を同作で抜擢したのが植田さんだそうで、付き合いが長いせいか強い信頼と共に色々と思うところもあるらしく言葉の端々にちょっと毒が混ざっているのがおかしい。
堀川さんはソープ役を演じる際、本編の台本をもらう前にキャラクター像を掴む間も無くCM用のセリフを収録することになったらしくそこだけ全く違う演技になってしまったことや作中で
ソープが言い放つ第一声が驚くほどに今の自分には出せない声をしていること、長い付き合いになる役が来たのかと思ったら意外とこれっきりだった(苦笑)、という話などが出てきました。また、植田・堀川両氏に加えて「ファイブスター物語」で演出を務めた今西隆志は後に「機動戦士ガンダム0083」でも組むことになるため、「0083」についての言及もありました。
「ファイブスター物語」、まず配信にも乗らない上にBlu-rayもほぼ絶版状態で観てみたくても観られないでいたところに今回の企画はまさに渡りに船。付け加えれば関連作品である「ゴティックメード花の詩女」に至っては未だソフト化もされておらず現在では観ようとするなら散発的な企画上映を捕まえるしかない状況で、いずれももっと気軽に観られる機会が増えると良いのですが。
「どまんなかアニメ映画祭」、前回今回と80年代を中心にした作品のチョイスが素晴らしく、当時直撃できなかった作品が多い自分としてはとてもありがたい企画で是非来年以降も続けて行って欲しいですね。