ちゅうカラぶろぐ


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先日、仕事を終えて最寄り駅から自宅までの夜道を歩いていたら、自分の少し前から聞こえてくる人間のものではない足音と気配。走る緊張感。周囲に注意を払いつつ身構えながら出来るだけ音を立てずに歩いていたら、エンカウントしました。
 カモシカと。
 大人しい性格というのは知っていて、不用意に刺激しなければ問題無いと知ってはいても夜道かつ至近距離で出くわすとさすがにビビります。カモシカの方は私に気づいた途端に走り去って行きましたがしばらく心拍数が上がりっぱなしでした。

 こんばんは、小島@監督です。
 ところで今回の歌会に参加出来なくてすいません。次回は参加する予定。

 さて、今回の映画は「オーメン:ザ・ファースト」です。

 1971年、ローレンス枢機卿(ビル・ナイ)に導かれ、見習い修道女のマーガレット(ネル・タイガー・フリー)はアメリカからローマへやってきた。正式な修道服を纏う着衣式に向け、孤児院の教師として赴任するためだ。折しもローマでは左翼活動が活発化し教会の権威が失墜しつつあった。そんな中、マーガレットは不安定な情動で他の子どもたちから孤立している少女カルリータ(ニコール・ソラス)と出会う。

 心なしか赤みがかった質感の色調と、古風なカメラワーク。新作であるにも関わらず非常にクラシックな雰囲気で、この映画は始まります。1976年に製作された伝説的ホラー映画「オーメン」、その後シリーズ化されリメイクも含めて5本の映画と1本のTVドラマが製作されました。2006年製作のリメイク版依頼18年ぶりとなる新作は、第1作へと繋がる前日譚。オリジナルへ多大なリスペクトを捧げた、極めて正統派のオカルトホラーです。

 特に前半はじっくりとスローな語り口で物語、特に教会にまつわる世界観の描写に費やしています。主要場面の大半が荘厳な教会の中で展開し、悪魔的なモチーフをアクセントとして落とし込むゴシックな雰囲気の映像とこの語り口が良くマッチしているほか、ビル・ナイ、ソニア・ブラガ、チャールズ・ダンスと言った名優たちが脇を固めて重厚な演技を見せてくれ、グロテスクな描写もそれほど多くはないのが特徴です。ショッキングな映像よりもむしろ雰囲気で観客に恐怖を見せる手腕は近年のフランチャイズなホラー映画のスタイルとしては少し珍しいように思います。
 この映画を手掛けたのはアルカシャ・スティーブンソン。なんとこれが長編デビュー作になります。今後が楽しみな監督がまた1人誕生しました。
 
 それにしても興味深いのは劇中の背景やそして後半に明かされるある謎と言い、映画の向こうに本当に教会への信頼が揺らいでいるのが伺えるところで、敬虔な方にとってはいささか眉をひそめてしまうかも。この辺り、世界中の教会で神父や牧師による性的なスキャンダルが相次いでいる現状を踏まえたものかもしれません。

 派手さに少し欠けるところがあるものの、プロが堅実にプロの仕事をしている作品で、個人的には結構お薦めの一本です。実のところ批評家筋の評価も高い出来栄えの良さとは裏腹に興行的には今ひとつらしく、続編を匂わせる描写があるものの実現するかどうかは不透明。なかなかままならないものですね。

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今くらいの時期は恵那峡まで車を動かしてそこで散歩して帰る、というのが大抵の休日の行動パターン。で、昨日も行ってみたらクラシックカーのイベントやってました。

どこからやって来たのかポルシェやらGTRやらアルピーヌなど、数十台が集まっていて壮観。ほとんどの車にナンバープレートが付いていて、今でも現役なのに驚きます。

 こんばんは、小島@監督です。
 恵那峡はちょうど桜が散り際で、舞い散る花びらとクラシックカーというコントラストも美しかったですね。

 さて、今回の映画は「青春ジャック 止められるか、俺たちを2」です。

 1980年代初頭、名古屋でビデオカメラのセールスをしていた木全純治(東出昌大)の元に伝手を頼って映画監督若松孝二(井浦新)が尋ねてくる。若松は名古屋に映画館を作ろうとしており、木全にその館長になってもらいたいとオファーに来たのだ。映画への情熱が消えない木全はこの勧誘を受け館長に就任。映画館は「シネマスコーレ」と名付けられた。
 開館後、スコーレに熱心に通い詰める青年・井上(杉田雷麟)がいた。若松に弟子入りしたい井上は、若松に会える可能性に賭けて通っていたのだ。ある日、たまたま来館した若松が木全に促され舞台挨拶することになる。そして客席には井上がいた…

 ミニシアターから始まる、青春のドラマ。
 名古屋の映画文化で大きな役割を担うミニシアター、シネマスコーレ。その黎明期の姿と共に映画に懸ける青年の痛い青春劇を描きます。脚本と監督を務めるのは故・若松孝二の弟子の一人であり、コロナ禍で苦しむミニシアターの応援団体「勝手にしゃべりやがれ!」の結成メンバーである井上淳一。前半こそシネマスコーレ館長の木全を中心に展開しますが次第に物語は井上の方へフォーカスしていき、この映画は井上監督自身の自伝的性格を持ち合わせていくことになります。
 シネマスコーレが主舞台だけありスコーレで撮影も行われていて、良く知っている場所が良く知らないアングルと共にバンバン出てくるので何だか不思議な気分になります。余談ですが、木全純治さん本人と、スコーレの現支配人坪井篤史さんとスタッフ大浦奈都子さんが作中にカメオ出演しています。
 私がシネマスコーレに行くようになった時には既に若松孝二監督は故人だったのでお見かけしたことは無く、井浦新が演じるその居住まいが本人と比べてどうかは良く分かりませんが、東出昌大演じる木全さんはさすが役者というか、仕草や雰囲気が本人と良く似ていて驚きます。腰は低いのに意志は強い、そして名古屋でインディペンデント映画の下地を築く一翼を担っていくことになる、そんな人物を好演しています。

 映画を作りたい衝動に突き動かされる井上と対照的なのが芋生悠演じる金本法子。この方は実在の人物ではないようですが、映画を作りたいのに今一歩動けずにいる金本の存在が井上の青春をより重層的に描き出し映画に深みを与えます。

 映画の中で語られるトピックとして少し説明が必要と思われるのは、作中で度々名前だけ登場する足立正生の存在。若松孝二の元でピンク映画などの制作に携わっていた人物ですが、その後パレスチナ解放人民戦線のゲリラ部隊に加わったあと日本赤軍に合流し、国際手配された人物です。1990年代終わりにレバノンで逮捕され、刑務所に収監。刑期満了後日本へ強制送還されました。帰国後は再び映画の世界へ戻っており、日本映画大学で非常勤講師を務めたりしています。2022年、安倍晋三襲撃事件の実行犯の半生を描いた映画「REVOLUTION +1」を監督し、大きなニュースとなりました。その「REVOLUTION+1」の脚本とプロデュースを手掛けたのが誰あろう井上淳一氏です。同映画は短期ながらシネマスコーレでもロードショーされました。

 地元志向の強い映画、というだけでなく決して光溢れる場所ではないアングルから描かれる日本映画史の一幕としても興味深いものを見せてくれる作品です。大手メジャーのシネコンだけでは、この映画は生まれなかった。
 ミニシアターだってまだ負けてない。

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本当に行ってきました、「タイトル未定」のフリーライブ。タイトル未定がメインアクトで他にもいくつかのアイドルユニットが登場する、そんなタイプのイベントでぶっちゃけこの手のライブイベントは初めてだから何もかも新鮮。どうせ観に来たのだしせっかくならばと終演後の特典会にまで参加してチェキ撮ったりサインもらったりしてました。参加してみて、とても妙な表現ですが「アイドルマスターシャイニーカラーズ」への解像度が上がったような気がします。なるほど、ノクチルやアンティーカたちはきっとこんな風に活動してるんですね。

 こんばんは、小島@監督です。
 驚いたことに、その日出演していたユニットの中には16時過ぎまでそこで特典会をやりながら夜に別の場所でもう1本ライブやった上に翌日も1ステージこなしていたり、タイトル未定も主催ライブの翌日には昼は名古屋でリリースイベント、夜は東京でライブみたいなスケジュールしていてそのタフさには頭が下がります。アイドルって体力勝負。

 さて、今回の映画は「オッペンハイマー」です。

 1950年代、ソ連との冷戦と赤狩りの風吹き荒ぶ中ロバート・オッペンハイマー(キリアン・マーフィー)はソ連へのスパイ行為の容疑をかけられアメリカ原子力委員会の聴聞に臨んでいた。
 一方、原子力委員会の委員長を務めるルイス・ストローズ(ロバート・ダウニー・Jr)は公聴会に召喚される。そしてロスアラモスでのオッペンハイマーの「トリニティ実験」の詳細が明らかにされようとしていた。

 巨匠クリストファー・ノーランの新作は、第二次大戦下において原爆開発の立役者となり一度は国の英雄となるもその後冷戦下ではスパイ容疑をかけられ公職を追放されたオッペンハイマーの半生を描く伝記映画。アメリカでは昨年7月に公開され大絶賛されたものの、日本にとっては非常にセンシティブなモチーフ故に公開は難航、本国に半年以上遅れてようやく公開となりました。
 実際のところ、この映画は確かに広島や長崎を直接的に描きはしないものの、当初懸念されたようなアメリカの立場を強調し原爆投下を肯定するような内容ではありません。むしろ極めて優れたバランス感覚のもとに作られた映画です。そして激烈なまでに情報量の多い映画です。180分という上映時間ですが、最近のハリウッド大作が陥りがちな過剰な饒舌さは無いに等しく、1秒も余さず必要なシーンしかないと言っても過言ではありません。

 次々に出てくる膨大な登場人物に対し説明などは全く無いのも特徴で、オッペンハイマーを筆頭に物理学者だけでもアインシュタイン、ハイゼンベルグ、ニールス・ボーア、エンリコ・フェルミ、デヴィッド・L・ヒルら当時の知の巨人たちが続々と登場。大半がノーベル賞受賞者だわ当人の名を冠した賞が設立されている人までいるわの軽くアベンジャーズ状態。そこに加えて彼らの家族、軍や政府の関係者が登場してきます。歴史的事実についても原子力開発史と同じくらい赤狩りやマッカーシズムについて知っておいた方がいい事は多く、濃密なダイアログとテリングで引き込んでくるタイプの作品故に予備知識が絶対に必要というわけではありませんが、見終わった後に「調べる」というアクションを起こすことはお薦めします。

 IMAXやDolby cinemaなどラージフォーマットでも公開されている作品ですが、他のハリウッド映画やアニメと違い映像のスケール感で押すタイプではありません。むしろ重要視したいのは音響。この映画、オッペンハイマーの心象風景を音で表すようなシーンもあるほどかなり異様な音響デザインをしており、その迫力を十二分に味わえるかどうかが映画の印象に直結します。選べる範囲で良い音響のスクリーンを選びましょう。

 あくまでもオッペンハイマーの半生とその意識と苦悩の変遷にフォーカスし続けるこの映画は、原爆投下の是非を問うような意識も赤狩りの不当さを告発するようなイデオロギーもありません。人類を滅ぼせる力を形にした男が、その存在に目の色を変える人々に恐怖する物語であり、むしろ極めてパーソナルであるが故に核の火を手にした人類のその後の不誠実さを浮き彫りにして見せていると言えましょう。
 知識を持って楽しむというよりこの映画はむしろ知るためのきっかけ。この映画が何を見せて、何を見せないで語っているかは自身の手で調べてみてください。世界が均衡を崩しかけ、今また原子力政策や核抑止を意識せざるを得ない情勢だからこそ、観る価値のある作品と言えますね。他のクリストファー・ノーラン作品にも同様の傾向がありますが、後々自宅で観られるようになっても恐らく劇場鑑賞ほどに鮮烈な印象は残さないタイプなので、長いからと言わず気になっているならスクリーンで鑑賞することをお薦めします。

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先日、ロングラン上映中の「機動戦士ガンダムSEED FREEDOM」の応援上映に行って来ました。ちょっとお祭り感のある映画だったので初見でも応援上映とかと相性良いだろうな〜と思って臨んでみましたが、思った以上に好相性で滅茶苦茶楽しい。ズゴッグに歓声上げられる機会なぞそうそうありませんて(笑)

 こんばんは、小島@監督です。
 FREEDOMの応援上映、今のところ今週4日にも予定されています。たまには映画館で声を張り上げるスタイルで観るのも一興。居合わせた観客との運もあるので若干ギャンブルみもありますが。

 さて、今回の映画は「荒野の用心棒」です。

 アメリカ・メキシコ国境付近の小さな町に1人の名無しのガンマン(クリント・イーストウッド)がふらりと流れ着いた。その町ではドン・ミゲル(アントニオ・プリエート)らロホ兄弟と悪徳保安官バクスター(ウォルフガング・ルスキー)が抗争を繰り広げて死者が続出しており、儲かるのは棺桶屋だけと言われるほどの事態となっていた。名無しの男はバクスターの手下を早撃ちで倒すと自身をロホ兄弟に売り込むのだった。

 1960〜70年代前半にかけて量産されたイタリア製西部劇、映画評論家淀川長治氏によって「マカロニ・ウェスタン」と名付けられたそのジャンルは、基本的にはアメリカ西部劇を踏襲しながらもアウトロー的な主人公像やハードなバイオレンス描写で、よりエンターテインメント色が強い作風が特徴です。マカロニ・ウェスタンが世界的に知られるようになったきっかけと言われているのが1964年に製作されアメリカでも大ヒットを博した「荒野の用心棒」です。黒澤明の「用心棒」を西部劇に仕立て直したこの作品は東宝や黒澤明の許可を得ないで作られたため、後年東宝と裁判にまでなった逸話もあります。この映画と後に製作されたクリント・イーストウッド主演の「夕陽のガンマン」「続・夕陽のガンマン」の2作品を合わせて「ドル箱三部作」と呼ばれています(多額の興行収益を叩き出した、ということではなく最初の2作の原題に「dollar」が入ってるから)。最近三部作揃って4Kリマスター版が製作され現在一挙上映が始まっています。TV放送やレンタルなどで観たことはあるものの劇場鑑賞はしたことなかったこの三部作の1作を先日観てきました。

 冒頭いきなり観客を鷲掴みする口笛のテーマ曲を手掛けたのは映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネ。からりとしたドライなテイストと激しいガンファイトで物語に引き込む手腕を見せつけるのは監督セルジオ・レオーネ。いずれも後に世界的名声を得ることになる彼らの、その知名度を上げるきっかけとなった作品です。
 ずっと昔にTVで観ているので内容は知っていたものの、ちゃんとスクリーンで観るとその凄みに震えます。以前に観てるからというだけでなくそこらじゅうで他作品からの既視感を覚えるのでついパロディだらけに錯覚してしまうくらいですが、でも出元はこっち。予備知識も無いままこれを直撃した方たちの衝撃はいかばかりか。後続に与えた影響の計り知れない大きさを実感します。

 一つのジャンルを確立してみせた作品のパワーは数十年の時を経ても色褪せない。
「午前10時の映画祭」に限らずとも近年シネコンでも旧作の上映が増えたのはコロナ禍がもたらした影響の一つでしょうか。口笛一つに痺れる経験もなかなか無いので是非この機会を捕まえて欲しいですね。
 なお、三部作とは言うけれど監督・主演・音楽が同じと言うだけで作品自体は全く連続していないので、どこから観てもOKですよ。

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昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
 ま、今回1番のトピックはX(Twitter)で「タイトル未定」というアイドルユニットがちょっと気になってます、ということを呟いたらCDを5枚も頂いてしまったことですね(笑)。ありがとう、こすけ君!取り敢えず新譜の「群青」聴きましたよ!短編映画みたいなMVも良い感じ。

 こんばんは、小島@監督です。
 タイトル未定、4月6日7日に名古屋でフリーライブやるらしく、せっかくなので観に行ってみようか思案中。率直に言って「オッペンハイマー」のタイムテーブル次第。

 さて、今回の映画は「漫才協会 the movie 〜舞台の上の懲りない面々〜」です。

 漫才協会、浅草フランス座演芸場東洋館にて毎月1〜19日までの上席中席の興行を受け持つ一般社団法人である。そこに所属する芸人たちはどんな思いで舞台に立っているのか。芸人たちの悲喜交々に寄り添い綴るドキュメンタリー。

 もっとあるものと思っていたのですが、東京で常設でお笑いの舞台がある劇場は1館だけだそうです。2023年に漫才協会7代目会長に就任したナイツ塙宣之は、大阪に人気で大きく水を空けられている状況に強い危機感を抱いているようで普及のために様々な施策を仕掛けており、恐らくはその一環としてドキュメンタリー映画が製作されました。ナイツ塙宣之は企画だけでなく監督・インタビュアーもこなし、相方である土屋伸之もナレーションを務めています。インタビューの聞き手が同じ分野の人、と言うのも良し悪しあるのですが、ことこの映画に限って言えばそれが上手く機能しているように見受けられました。

 目的意識が非常にはっきりしている作品で、観るまではもっとバラエティー番組じみているのかと思いましたが至って真面目に作られています。どこかハンドメイドのような素朴さがあるのも映像製作をメインフィールドにしていない人物が監督を務めているから、というだけでなく目的に対する誠実さの現れとも言えます。数多くの芸人たちが映画に登場しますが、彼らの人となりに焦点を当てているのでネタの映像はごく少ないのも特徴です。

 青空球児・好児、爆笑問題、サンドウィッチマンら著名な芸人も登場しますが、むしろ映画でしっかり時間を取って紹介しているのは、結成3年の若手コンビや相方が急死して1人になってしまった人、事故で片腕を失ったピン芸人、離婚したのに何故か今も同じ家で暮らし同じ部屋で寝ている夫婦漫才コンビ、数十年会費だけ払って一度も舞台に立たない芸人(?)と多士済々。個人的にはかつてTVで一世を風靡したX-GUN、BOOMER、金谷ヒデユキらが今は浅草東洋館に出演していると知れたのも収穫でした。

 ところで浅草の演芸場出身と言えば忘れてはならない世界的なビッグネームとなった人物が1人おり、その人物がどこで出てくるかなと思ったら、ちゃんと言及はするし関係者も出てくるけど名前も顔も出てこないと言うのには笑ってしまいました。恐らくは権利関係の問題でしょうが、これを笑って流せるかどうかがこの映画を面白いと思えるかどうかの分水嶺のような気もします。

 いささか饒舌で総花的ではあるものの最近ちょっと漫才も気になって来ていて、一度どこかでお笑いライブを観てみたいと考えている中では実に興味深い逸品でした。やっぱりあれこれ考えずに一度大須の演芸場とかにも行ってみた方が良いかな。

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先日の鳥山明さんの訃報の衝撃も醒めやらぬうちに、声優のTARAKOさん、そして今日はイラストレーターのいのまたむつみさんと相次ぐ訃報に、多感な時期に作品に触れてきた身としてはやるせなさばかりが募ります。少しずつその頃に鮮烈な印象を刻みつけた方々を見送る時期に、自分が差し掛かっていると言うことかもしれません。
 TARAKOさんは「ちびまる子ちゃん」という金字塔でその存在を知り、実は「風の谷のナウシカ」や「天空の城ラピュタ」に端役で出演しているのを後から知るという感じでした。2001年に放送された「ノワール」では慈愛と非情さを併せ持つ超然とした女性アルテナを演じ、従前のイメージを大きく覆す演技に唸った覚えがあります。
 いのまたむつみさんは、自分にとって最初に触れたのは「小説ドラゴンクエスト」の挿絵ではなかったかと思います。その後は「宇宙皇子」「新世紀GPXサイバーフォーミュラ」「ブレンパワード」あたりの印象が強いですね。代表作の一つと言われる「幻夢戦記レダ」を観たのはほんの数年前ですし、長年藤島康介氏と二本柱で手掛けていた「テイルズ」シリーズは恥ずかしながらほとんどプレイしたことが無いため近年の実績はほぼ素通りに近く、いずれはちゃんと触れておきたいですね。

 こんばんは、小島@監督です。
 謹んでご冥福をお祈りいたします。

 さて、今回の映画は「落下の解剖学」です。

 人里離れた雪山の山荘で、1人の男が転落死した。事故とも自殺ともつかぬ状況だったが、次第に殺人の線が浮上し男の妻であるベストセラー作家のサンドラ(サンドラ・ヒュラー)に容疑がかかる。現場に居合わせたのは2人の息子であり視覚障害を持つ少年ダニエル(ミロ・マシャド・グラネール)ただひとり。警察はサンドラによる殺害と断定しサンドラを起訴。裁判が始まった。証人や検事により、夫婦の嘘や秘密が少しずつ明らかになってゆく。

 冒頭、サンドラは学生からのインタビューを受けるシーンから始まります。しかしサンドラは質問の回答をはぐらかし曖昧な会話が繰り返されるうち、突然大音量で音楽が流れ出しその音に邪魔されてインタビューは中止する羽目になってしまいます。
 この違和感を抱かせずにおかないイントロは、しかし物語が進むにつれて理路整然と象られていくどころか次第に増幅していき観客を幻惑の迷宮に誘います。今年の米国アカデミー賞脚本賞を獲得した一作は、男の転落死をきっかけに、裁判の中でまるで緻密なパズルが組み上がっていくかのように家族が抱える嘘や秘密が解き明かされていくのを見届ける法廷劇です。「落下の解剖学」というユニークなタイトルは実に言い得て妙で、少しずつ、しかし着実にメスが入れられていくのです。主要人物はごく少数に絞り込まれ、冷静で透徹したテリングはどこかドキュメンタリー的ですらあります。

 物語の鍵を握るのがダニエル。サンドラに主眼が置かれている序盤から折に触れ印象付けられるようなシーンが挟まれるほか、冒頭に流れる曲を除けば本編中に流れる音楽はダニエルが作中でレッスンのために弾くピアノの音だけ、というのも象徴的です。
 目が見えないために両親のことで知らないままでいることも多いものの、公判の行方を時に証人として立ち時に傍聴人として耳を傾け、11歳という年齢で知るにはキツいことまで知ってしまい傷つきもするものの、その日々の中で誰知らず成長していきます。そして最後にある決断をするのです。

 どうやっても割り切れず、何を選んでも後悔せずにはいられないことに直面することも人生にはあり、しかしその割り切れない気持ちを抱いて歩いて行くしかない。伏線が回収され物語が収束するカタルシスとはいささか異なりますが、人間の機微を見事に描いてみせた逸品。
 傍聴人になったような気持ちで、見届けてください。


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こんばんは、小島@監督です。

 各社がトップで報じただけでなくワールドニュースのヘッドラインにもなったのでご存じの方も多いと思います。先週8日に漫画家・鳥山明さん逝去が報じられました。ちょうど昼休み中にそのニュースを知ってしまい、午後の仕事に臨むのに結構お腹に力入れないとならないくらいショックでふわふわしていました。

 自分にとって初めて触れた作品は幼稚園から小学校上がったくらいの頃にアニメで見ていた「Dr.スランプ」。と言っても「見てた」ことくらいしか覚えていないのですが母に言わせると忙しい夕食時にコレを見ている間は大人しかったそうで、母にとっては遠い日の夕食の記憶に結びついているようです。原作を読んだのはもっとずっと後、ある程度漫画についての変遷を知ってからだったのでジャンプが劇画寄りの作品が主体だった時期にコレを連載してムーブメントを起こしたことの凄みに驚かされました。

 その後「ドラゴンボール」が始まるに至り、直撃世代として全身で浴びることになりました。月曜日の少年ジャンプの最新号発売日と水曜日のTVアニメ放送を毎週心待ちにしたり、かめはめ波や魔貫光殺砲のマネしたりお小遣いやりくりして駄菓子屋やスーパーの店先にあったカードダスを買ったり、多分同世代の男子の大抵が多かれ少なかれ通ったんじゃないかと思われる道を私も通っていました。TVゲームに目を向ければ同氏がキャラクターデザインを務めた「ドラゴンクエスト」や「クロノ・トリガー」を何度となくプレイして、文字通りアニメや漫画、ゲームの原体験の一つとして私の血肉になっていると言っても良いくらいです。

 鳥山明が世界的な存在たる所以はこの「原体験」を世界中の人に届けてみせたことにあるでしょう。世界中のプロスポーツ選手たちがおどけてかめはめ波やフュージョンのポーズを取って撮影した写真を見たことのある方も多いでしょう。シルエットだけで伝わるキャラクターたち、ポップな色彩のイラストレーション、緻密に描き込まれながら同時に暖かみもありつつそれでいて立体が容易に想像できるメカニックなど例示すればキリがないくらいです。「ドラゴンボール」が「MANGA」を世界市場へ引き上げた一助となったと同時に、後続のクリエイティブに与えた影響も計り知れるものではありません。「ONE PIECE」の尾田栄一郎や「NARUTO」の岸本斉史らいずれも現在世界的名声を勝ち得た漫画家が影響を公言していますし、現在の多くのファンタジーものに見られる「スライムは最弱」という恐らくドラクエがもたらした共通イメージも堀井雄二の卓抜したゲームデザインと同じくらい鳥山明のあのタマネギ型の図柄が寄与した部分も大きいでしょう。「葬送のフリーレン」でコメディ要素の一つとして登場する妙に愛嬌のあるミミックも、もともとは「ダンジョンズ&ドラゴンズ」からとは言え特に日本においてはドラクエ3で初登場したモンスターに源流を見ることができるように思います。

 「ドラゴンボール」以後は長期連載を手掛けることは無くなり、「COWA!」「ネコマジン」など短期連載で軽やかな作品を不定期に発表するようになりました。中でも「SANDLAND」は個性的なキャラクターたちと観察眼と批評精神が感じられる堅実なストーリーのバランスが非常に良く、隠れた名作状態だったところがコミックス刊行から20年を経て昨年映画化され、更に今年続編が準備中という再発見ぶりに鳥山明の非凡さが伺えます。

 「ドラゴンボール」も鳥山明監修の下で新シリーズが準備されていた中であり、今後更なる躍進も期待できていた中での訃報は慙愧に堪えませんが、蒔かれた種は数限りなく、それらが芽吹き大樹にすらなろうとしているところを見ると私たちはこれから先も「鳥山明以後の世界」でその遺伝子が感じられる作品たちと出会うことになるのでしょう。

 今までありがとうございました。きっとこれからも時々読み返します。
 謹んでご冥福をお祈りいたします。

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