ちゅうカラぶろぐ


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先日の鳥山明さんの訃報の衝撃も醒めやらぬうちに、声優のTARAKOさん、そして今日はイラストレーターのいのまたむつみさんと相次ぐ訃報に、多感な時期に作品に触れてきた身としてはやるせなさばかりが募ります。少しずつその頃に鮮烈な印象を刻みつけた方々を見送る時期に、自分が差し掛かっていると言うことかもしれません。
 TARAKOさんは「ちびまる子ちゃん」という金字塔でその存在を知り、実は「風の谷のナウシカ」や「天空の城ラピュタ」に端役で出演しているのを後から知るという感じでした。2001年に放送された「ノワール」では慈愛と非情さを併せ持つ超然とした女性アルテナを演じ、従前のイメージを大きく覆す演技に唸った覚えがあります。
 いのまたむつみさんは、自分にとって最初に触れたのは「小説ドラゴンクエスト」の挿絵ではなかったかと思います。その後は「宇宙皇子」「新世紀GPXサイバーフォーミュラ」「ブレンパワード」あたりの印象が強いですね。代表作の一つと言われる「幻夢戦記レダ」を観たのはほんの数年前ですし、長年藤島康介氏と二本柱で手掛けていた「テイルズ」シリーズは恥ずかしながらほとんどプレイしたことが無いため近年の実績はほぼ素通りに近く、いずれはちゃんと触れておきたいですね。

 こんばんは、小島@監督です。
 謹んでご冥福をお祈りいたします。

 さて、今回の映画は「落下の解剖学」です。

 人里離れた雪山の山荘で、1人の男が転落死した。事故とも自殺ともつかぬ状況だったが、次第に殺人の線が浮上し男の妻であるベストセラー作家のサンドラ(サンドラ・ヒュラー)に容疑がかかる。現場に居合わせたのは2人の息子であり視覚障害を持つ少年ダニエル(ミロ・マシャド・グラネール)ただひとり。警察はサンドラによる殺害と断定しサンドラを起訴。裁判が始まった。証人や検事により、夫婦の嘘や秘密が少しずつ明らかになってゆく。

 冒頭、サンドラは学生からのインタビューを受けるシーンから始まります。しかしサンドラは質問の回答をはぐらかし曖昧な会話が繰り返されるうち、突然大音量で音楽が流れ出しその音に邪魔されてインタビューは中止する羽目になってしまいます。
 この違和感を抱かせずにおかないイントロは、しかし物語が進むにつれて理路整然と象られていくどころか次第に増幅していき観客を幻惑の迷宮に誘います。今年の米国アカデミー賞脚本賞を獲得した一作は、男の転落死をきっかけに、裁判の中でまるで緻密なパズルが組み上がっていくかのように家族が抱える嘘や秘密が解き明かされていくのを見届ける法廷劇です。「落下の解剖学」というユニークなタイトルは実に言い得て妙で、少しずつ、しかし着実にメスが入れられていくのです。主要人物はごく少数に絞り込まれ、冷静で透徹したテリングはどこかドキュメンタリー的ですらあります。

 物語の鍵を握るのがダニエル。サンドラに主眼が置かれている序盤から折に触れ印象付けられるようなシーンが挟まれるほか、冒頭に流れる曲を除けば本編中に流れる音楽はダニエルが作中でレッスンのために弾くピアノの音だけ、というのも象徴的です。
 目が見えないために両親のことで知らないままでいることも多いものの、公判の行方を時に証人として立ち時に傍聴人として耳を傾け、11歳という年齢で知るにはキツいことまで知ってしまい傷つきもするものの、その日々の中で誰知らず成長していきます。そして最後にある決断をするのです。

 どうやっても割り切れず、何を選んでも後悔せずにはいられないことに直面することも人生にはあり、しかしその割り切れない気持ちを抱いて歩いて行くしかない。伏線が回収され物語が収束するカタルシスとはいささか異なりますが、人間の機微を見事に描いてみせた逸品。
 傍聴人になったような気持ちで、見届けてください。


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こんばんは、小島@監督です。

 各社がトップで報じただけでなくワールドニュースのヘッドラインにもなったのでご存じの方も多いと思います。先週8日に漫画家・鳥山明さん逝去が報じられました。ちょうど昼休み中にそのニュースを知ってしまい、午後の仕事に臨むのに結構お腹に力入れないとならないくらいショックでふわふわしていました。

 自分にとって初めて触れた作品は幼稚園から小学校上がったくらいの頃にアニメで見ていた「Dr.スランプ」。と言っても「見てた」ことくらいしか覚えていないのですが母に言わせると忙しい夕食時にコレを見ている間は大人しかったそうで、母にとっては遠い日の夕食の記憶に結びついているようです。原作を読んだのはもっとずっと後、ある程度漫画についての変遷を知ってからだったのでジャンプが劇画寄りの作品が主体だった時期にコレを連載してムーブメントを起こしたことの凄みに驚かされました。

 その後「ドラゴンボール」が始まるに至り、直撃世代として全身で浴びることになりました。月曜日の少年ジャンプの最新号発売日と水曜日のTVアニメ放送を毎週心待ちにしたり、かめはめ波や魔貫光殺砲のマネしたりお小遣いやりくりして駄菓子屋やスーパーの店先にあったカードダスを買ったり、多分同世代の男子の大抵が多かれ少なかれ通ったんじゃないかと思われる道を私も通っていました。TVゲームに目を向ければ同氏がキャラクターデザインを務めた「ドラゴンクエスト」や「クロノ・トリガー」を何度となくプレイして、文字通りアニメや漫画、ゲームの原体験の一つとして私の血肉になっていると言っても良いくらいです。

 鳥山明が世界的な存在たる所以はこの「原体験」を世界中の人に届けてみせたことにあるでしょう。世界中のプロスポーツ選手たちがおどけてかめはめ波やフュージョンのポーズを取って撮影した写真を見たことのある方も多いでしょう。シルエットだけで伝わるキャラクターたち、ポップな色彩のイラストレーション、緻密に描き込まれながら同時に暖かみもありつつそれでいて立体が容易に想像できるメカニックなど例示すればキリがないくらいです。「ドラゴンボール」が「MANGA」を世界市場へ引き上げた一助となったと同時に、後続のクリエイティブに与えた影響も計り知れるものではありません。「ONE PIECE」の尾田栄一郎や「NARUTO」の岸本斉史らいずれも現在世界的名声を勝ち得た漫画家が影響を公言していますし、現在の多くのファンタジーものに見られる「スライムは最弱」という恐らくドラクエがもたらした共通イメージも堀井雄二の卓抜したゲームデザインと同じくらい鳥山明のあのタマネギ型の図柄が寄与した部分も大きいでしょう。「葬送のフリーレン」でコメディ要素の一つとして登場する妙に愛嬌のあるミミックも、もともとは「ダンジョンズ&ドラゴンズ」からとは言え特に日本においてはドラクエ3で初登場したモンスターに源流を見ることができるように思います。

 「ドラゴンボール」以後は長期連載を手掛けることは無くなり、「COWA!」「ネコマジン」など短期連載で軽やかな作品を不定期に発表するようになりました。中でも「SANDLAND」は個性的なキャラクターたちと観察眼と批評精神が感じられる堅実なストーリーのバランスが非常に良く、隠れた名作状態だったところがコミックス刊行から20年を経て昨年映画化され、更に今年続編が準備中という再発見ぶりに鳥山明の非凡さが伺えます。

 「ドラゴンボール」も鳥山明監修の下で新シリーズが準備されていた中であり、今後更なる躍進も期待できていた中での訃報は慙愧に堪えませんが、蒔かれた種は数限りなく、それらが芽吹き大樹にすらなろうとしているところを見ると私たちはこれから先も「鳥山明以後の世界」でその遺伝子が感じられる作品たちと出会うことになるのでしょう。

 今までありがとうございました。きっとこれからも時々読み返します。
 謹んでご冥福をお祈りいたします。

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今年は特にそういうシーズンにしちゃったのか、実は先々週のミリオンライブから4月上旬まで毎週のようにアイドルマスターのイベントが開催。さすがに全部付き合えるような時間やお財布の余裕は無いのでミリオンライブの10thファイナル以外はスルーしようと思っていたのに、初日の評判の良さとX(Twitter)に上がってくる出演者の写真が素敵でついシャイニーカラーズ6th大阪day2の配信チケットを買って昨日がっつり観てしまいました。う〜む、意志が弱い(苦笑)

 こんばんは、小島@監督です。
 ライブは最高に楽しゅうございました(笑)。できれば現地で観たかった…

 さて、今回の映画は「ハイキュー‼︎ゴミ捨て場の決戦」です。

 春の高校バレー3回戦、日向翔陽(声・村瀬歩)が所属し、影山飛雄(声・石川界人)が正セッターを務める宮城県代表烏野高校は黒尾鉄朗(声・中村悠一)が率い弧爪研磨(声・梶裕貴)が正セッターを務める東京都代表音駒高校と相対することになった。合宿などで幾度となく対戦しながら公式戦では一度もぶつかったことの無い両校が雌雄を決する時が来た。カラスとネコというそれぞれの校名になぞらえ「ゴミ捨て場の決戦」と呼ばれる因縁の対決が今始まる…!

 2012〜2020年まで週刊少年ジャンプで連載された「ハイキュー‼︎」、2014年からはTVアニメも放送が開始し更なるファン層を開拓しました。アニメは4シーズンに渡って製作・放送され、概ねシーズン毎に総集編も作られ限定的ながら劇場上映も行われて来た同作が初めて完全新作の劇場版が製作、先月より上映が始まっています。製作にはキャストはもちろんスタッフも満仲勧監督やキャラクターデザイン岸田隆宏以下TVシリーズの中核メンバーが再結集しています。

 「ハイキュー‼︎」という作品の主人公は日向と影山ですが、今作では事実上研磨を主人公に設定しているのが大きな特徴です。最初からバレーボールが好きで楽しくて堪らない日向ではなく、バレーボールの楽しさを実はちゃんと味わっていながら自覚できずにいる研磨が物語の主軸になることで作品の主題を明確にする手腕と、試合運びがどこか俯瞰的でドライなところなど先年ヒットした「THE FIRST SLAM DUNK」と相似したところも感じられます。
 
 この作品の出来栄えを下支えするのは実際のスポーツ中継ではなし得ないアニメならではのカメラワーク。TVシリーズからアニメ「ハイキュー‼︎」の際立った特徴の一つでしたが、劇場版となって更にダイナミズムを増しています。その極め付きと言えるのが終盤での、ある人物の主観で展開する長回しのワンショット。この映画の凄みがここに集約されていると言っても過言ではないシーンで、是非スクリーンでその迫力を味わって欲しいところですね。そこ以外でも全体を通してTVシリーズをそのまま底上げしたような端正な作画が展開するのである意味かなりゴージャスな作品です。

 高密度ながら上映時間85分というスマートさで、凝縮された疾走感で最後まで駆け抜けます。ハッタリの境界線スレスレを行きながらスポーツのリアリティと研ぎ澄まされた緊張感を演出していく、「THE FIRST SLAM DUNK」と並び、現代スポーツアニメの一つの到達点と言って良いのではないでしょうか。文字通りバレーボールを観戦するような気持ちで鑑賞して欲しい1本ですね。

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昨日の歌会をお休みして、私は今回横浜へライブ遠征して来ました。
 土曜日も月曜日もいい天気だったのに日曜日の昨日だけ雨だわ寒いわでちょいと思惑通りの動きはできませんでしたが、ライブは最高に熱い時間でした。

 こんばんは、小島@監督です。
 
 というわけで、この週末24、25日に開催された「THE IDOLM@STER MILLION LIVE! 10thLIVE TOUR Act-4 MILLION THE@TER!!!! 」を、今回珍しく両日現地で観てきました。「アイドルマスターミリオンライブ!」10周年を記念して昨年4月から約1年間かけて行われた大型ツアーもいよいよファイナル。特にday2はミリオンライブ始まって以来初めての39名全員出演がするとあって、メモリアルイヤーを締め括る集大成の予感に始まる前からかなりの期待度の高さをもって迎えられました。
 ところでact4の会場となった横浜Kアリーナは、昨年9月にオープンしたばかりの約20,000人動員可能なライブイベント特化型のハコで、今回初めて行きましたが音質の良さが出色。響き方の綺麗さもかなりのものです。アイマスライブは基本的に出演者の歌唱以外は事前に製作した音源を流すスタイルですが、こけら落としのゆずのように生音を聴かせるバンドサウンドならより一層違いが鮮明になるように思います。

 ミリオンライブの楽曲群の中でも名曲の誉れ高いものの一つに今回も披露された「UNION‼︎」と言う曲があります。曲中の歌詞に「ひとりじゃ届かない ひとりも手離さない」という印象的なフレーズがあるのですが、今回のact4はまさにそれを象徴するかのように初めて39名全員に個別の衣装が用意され、更に2日間かけて全員ソロ曲披露の見せ場を用意してみせます。ゲーム「ミリオンライブシアターデイズ」(略称ミリシタ)で使われるショートバージョンを基調に、全てフルコーラスでの歌唱ではなかったのですが、短いからと言って軽やかに流すのではなく短いからこそ全員が一切力を抜かない全力投球。特に舞浜歩役戸田めぐみさんは腰部神経根症を患い一時は足がまともに動かないほどの状態から3年越しにようやく復帰しての今回のステージで、まだ完全復活には至っていないと言うのにソロ曲「ユニゾンビート」やユニット曲「Dance in the light」で見事なダンスを踊ってみせ、震えるほど感動してしまったのは恐らく私だけではないはずです。

 ユニット曲の方もこれまでの10年間の中でお馴染みとなった曲だけでなく出演者が揃わずにいわゆるオリメンでの披露が叶わなかった曲やそもそも機会すら作れずにいた曲が次々に登場。そんなライブを展開するなら演出に奇をてらったものは何も必要は無く、ある1曲のためだけに衣装を替えてくるというのがあったくらいで、真っ向勝負の王道が持つ強さを全編に渡り叩きつけてきます。
 長い間に置き去りにして来た忘れ物を一つ一つ拾い上げて行くかのようなセットリスト、その多くが実は演出や運営側が用意したものではなく出演者の意向が強く事前アンケートを取って全員が納得できるように組み直したものだとMCで語られていたのも驚きです。送り手たる出演者たちの情熱を、受け手であるプロデューサー(観客)が全力で応えることで生まれる奇跡のようなグルーヴは、ちょっと筆舌に尽くし難いものがあります。

 一方でMCが何だかとんちんかんだったり、突如珍妙な動きをする人がいたり、打ち合わせも無しに面白い方向へ転がって上手い具合に締まらなかったりするグダグダっぷりもやっぱりミリオンライブ。集大成たる10thを締め括った後の去就をどうするのかと思ったら「いや普通に11thをやるだけですよ?」と言うのもらしくて良い。更に2017年以来となる765ASとの合同イベント「HOTCH POTCH FESTIV@L 2」の開催も発表されて、まだまだミリオンライブは止まらないようです。と言うかこっちもいっぱい忘れ物がある状態だからね!期待するよ!!

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いよいよ今週最終回を迎える「王様戦隊キングオージャー」、実のところニチアサをだいぶ溜め込んでいて、「仮面ライダーギーツ」も最終回を観たのが今年に入ってからみたいなザマだったのですが、キングオージャーはそうやって追っかけで観ているウチにハマってしまい、これは最後はリアタイしたいぞとこの1ヶ月くらいの間に出遅れていた20数話ぶんを一気見。48話からの最終章に間に合わせた上に初めてファイナルライブツアーにまで応募してしまいました(笑)。その最終章も48、49話ともこれまでの全ての蓄積が昇華した素晴らしい出来映えでX(Twitter)ではラスト3話を劇場版で観たいという声がトレンド入りするほど。大抵録画で観てるニチアサですが、今度ばかりは最高最後のクライマックスをリアルタイム視聴したいところ。

 こんばんは、小島@監督です。
 一方で「仮面ライダーガッチャード」の方はまだ8話。先は長い(苦笑)。

 さて、今回は配信作品から一つご紹介。「ポップスが最高に輝いた夜」です。

 1985年1月28日夜、40名を超すハリウッドのA&Mスタジオにトップアーティスト達が集結した。目的はチャリティ・ソング「We are the world」のレコーディング。用意された時間は一晩だけ。アメリカ音楽史上に残る名曲はいかにして生まれたか。伝説の一夜が幕を開ける。

 その事件性ともたらした影響の大きさは1960年代末のウッドストック・フェスティバルに匹敵するのではないでしょうか。1984年、イギリスでボブ・ゲルドフが発起人となり当時深刻化の一途を辿っていたアフリカの飢餓救済のためにスーパースター達が一堂に会したプロジェクト「バンド・エイド」。それに呼応する形でアメリカでハリー・ベラフォンテが提唱したのが「USAフォー・アフリカ」、そのチャリティ・プロジェクトのためにマイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーが共作し、クインシー・ジョーンズとマイケル・オマーティアンの共同プロデュースという形で誕生した曲が「ウィ・アー・ザ・ワールド」です。
 この曲を巡る経緯を描いたドキュメンタリーについては「STARS/ウィ・アー・ワールド」(1985年)や「We are the world the story behind the song」(2004年)などがあり、あるいはもっと断片的な物ならYouTubeで観られるものもあったりしますが、当時の撮影素材で未公開だったものや新たに収録した当時の関係者のインタビューで構成し、改めてこの曲の意義を語ったドキュメンタリーです。今年1月に開催されたサンダンス映画祭で特別上映が実施され、その後Netflixにて配信が開始されました。

 マイケル・ジャクソン、ライオネル・リッチー、クインシー・ジョーンズ、レイ・チャールズ、スティービー・ワンダー、ブルース・スプリングスティーン、ボブ・ディラン、ダイアナ・ロス、シンディ・ローパー…名だたるスター達が一晩だけとは言え同じスタジオに集まりレコーディングなんて実現したことが奇跡のよう。映画は特に奇を衒ったところは無い極めてオーソドックスな作りをしているのですが、そもそも大元のアーカイブ映像自体があまりにパワフルなのでそれで充分と言えるでしょう。
 個性が強すぎるメンバーを相手にカリスマティックに陣頭指揮を執るクインシー・ジョーンズ、アイディアを出しながらメンバー間の緩衝材にもなるライオネル・リッチー、多人数での同時収録という環境に戸惑いながらどうにか馴染もうと奮闘するボブ・ディラン、自身のミスすらユーモアに変えるスティービー・ワンダー、何故か歌う度にノイズが走るシンディ・ローパー、そして並々ならぬ情熱でプロジェクトに臨み準備段階からエネルギッシュに奔走するマイケル・ジャクソン、居並ぶ天才たちがそれぞれがピースとなって1つの曲が組み上がって行く様にゾクゾクします。繰り出される逸話と映像の数々が見せるのは、マーケティング的な思惑を超えて音楽やエンターテインメントが持つ「力」を極限まで具象化させようとしたエネルギーと、それが放つ煌めきそのもの。天才たちがシンプルな動機に突き動かされ伝説となるに至る様は、浮世の複雑さに翻弄される日々を送る身としては非常に眩しく映ります。

 1980年代のポップカルチャーが残した偉大なレガシーの記録。混迷深める現代で改めて語り直す意義は決して少なくないはず。ただ、Netflixで気軽に自宅で観られるのはありがたいですが、欲を言えばこれはミニシアターのスクリーンで観たかったかな(笑)

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毎年のことながら本当に面倒な確定申告をこの連休中に終わらせました。ふるさと納税だけでなくここ数年は何だかんだ医療費も掛かってるのでいくらかでも返ってくるならやらないとね。ただ気合いを入れないとやる気すら起きないので毎年2月の休日を1日一切予定を入れないようにしています。良いことと言えば医療費絡みの領収書を雑に扱わなくなったことでしょうか。

 こんばんは、小島@監督です。
 年末調整してるサラリーマンな私ですらこの面倒臭さなので自営業の方の労力はいかばかりかと敬意すら覚えてしまいます。

 さて、今回の映画は「ストップ・メイキング・センス」です。

 この映画は1983年、当時絶頂期にあったトーキング・ヘッズが同年6月にリリースしたアルバム「スピーキング・イン・タングス」を引っ提げてのライブツアーを敢行。12月にハリウッド・パンテージ・シアターで3公演が開催され、その模様を撮影・編集し翌1984年に公開された作品です。音楽ドキュメンタリー映画の傑作としてマーティン・スコセッシ監督の「ラスト・ワルツ」と並び称される伝説的作品で、2021年、米国議会図書館により本作は保存のためにナショナル・フィルム・レジストリに登録され、公開40周年に合わせて2023年に4Kレストア版が製作。アメリカ本国に引き続いて日本でも公開。一部のシネコンではIMAXでも上映されています。監督は後に「羊たちの沈黙」を手掛けることになるジョナサン・デミ。デミ監督は意外とフィルモグラフィーにドキュメンタリー映画が多い方で、これ以外にもフォーク・ロック・シンガーのニール・ヤングを追ったドキュメンタリーなど10本以上手掛けています。

 開幕、ステージに立つのはアコースティック・ギターとラジカセを携えたデヴィッド・バーンただ一人。そこから1曲進むごとにステージにメンバーが一人ずつ増えていくユニークな構成。メンバーに増えるにつれトーキング・ヘッズの世界観が強く広がって行くのが見えるようです。全員出揃ってからも批評的精神と神経質な趣のパフォーマンスは留まるところを知らず、中でも電気スタンド1本を時に家に、時に恋人に見立ててチークダンスまで踊ってみせたりする中盤のパフォーマンスが圧巻。「ストップ・メイキング・センス(センスなんて関係ないさ)」と言いながら照明デザイン、衣装のコーディネート、演劇的な手法を取り入れた演出まで含めて隅々までセンスの塊のようなステージです。デヴィッド・バーンが2019年に発表したブロードウェイ・ミュージカル「アメリカン・ユートピア」の原型をここに見ることも可能でしょう。

 撮影監督を務めたジョーダン・クローネンウェスは、同内容の3公演にそれぞれ6台のカメラを毎回違う場所に配置しました。それらの映像をジョナサン・デミ監督はシームレスに編集しトーキング・ヘッズの唯一無二の世界観を余すこと無く映画の中に凝縮しています。MCもほとんど無く89分間ノンストップで駆け抜け、文字通り観客は音楽を全身で浴びるような体験を味わえます。4Kレストア版と言えど極端にクリーンにすることはせず、原盤の風合いを活かした形にしているのも良い方向に働いています。
 ライブ映像を主体とした音楽ドキュメンタリーとして後続に与えた影響が計り知れない1本。極端に言えばそれ以後にリリースされたライブ映像作品はほぼ全てこれの影響下にあると言っても過言ではないと言われている作品です。出来るだけ大きなスクリーンで味わって欲しい逸品。ぜひこの機会に。

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そんなことがあるのかとちょっと驚いたのが帝国劇場で上演予定だったミュージカル「ジョジョの奇妙な冒険」が「準備不足」を理由に直前で初日を延期したそうです。出演者の病気や怪我による休演はたまに目にしますし、最近では人手不足から設営が出来なくてイベント中止というやるせないものも聞こえて来るようになりましたが、大手の東宝で、それも帝国劇場の演目でそれをやってしまっては今後の演劇界そのものへの信頼度に影響しそう。

 こんばんは、小島@監督です。
 ジョジョミュージカル、普段観劇はしない私でも行けるなら行きたいと思っていたのですがこのニュースを聞いてモチベーションだだ下がり。

 さて、今回の映画は「機動戦士ガンダムSEED FREEDOM」です。

 C.E.(コズミック・イラ)75、ギルバート・デュランダル(声・池田秀一)がキラ・ヤマト(声・保志総一朗)により討たれたことにより、彼が提唱した「デスティニープラン」は潰えた。しかしその後の混乱は一向に収まる気配を見せず世界には紛争が溢れていた。反コーディネーター思想団体「ブルーコスモス」の先鋭化や新興国の台頭がもたらす激化する戦闘を憂いた者たちによりラクス・クライン(声・田中理恵)を初代総帥とした世界平和監視機構「コンパス」が設立され、キラ達はそのメンバーとして世界各地の紛争調停のために奔走する日々を送っていた。
 そんな折、目覚ましい発展を遂げる新興国「ファウンデーション」からコンパスへ、ブルーコスモス本拠地への合同作戦を提案される。

 「機動戦士ガンダムSEED」とその続編「SEED DESTINY」は21世紀に入ってからのガンダムブランドを牽引して来たと言って過言ではない作品です。この大ヒットが無ければその後の「00」や「UC」「鉄血のオルフェンズ」などの作品群が生まれていたかどうか定かではありません。その「SEED」の劇場版製作の第一報があったのは2006年。しかしその後は特別総集編「スペシャルエディション」やHDリマスター版の製作、「スーパーロボット大戦」や「G-GENERATIONS」「EXVS」などのゲーム作品への登場などで作品世界が広がる一方でようとして劇場版の続報が無く、2016年にメインライターであった両澤千晶の病没もあり、もう企画自体が凍結されてしまったのではないかと思っていました。そこから実に18年の時を経て今になって遂に公開まで漕ぎ着けようとは。もう何かの奇跡でも見ているかのよう。両澤千晶没後は夫である監督福田己津央と「SEED」「SEED DESTINY」のノベライズを担当した後藤リウが共同でシナリオを書き継ぎ完成させたそうです。

 最早待ちくたびれたという言葉すら生温いほど待っただけの甲斐はあった、素晴らしい出来栄えの快作です。観たかったものがほぼ全部詰まってる逸品に仕上がっていました。
 物語は前半じっくりとした語り口で状況を作り上げ、後半大きくギアチェンジして一気呵成に畳み掛けてくる構成をしています。前作と言うべき「SEED DESTINY」では混迷と迷走を極め作り手すら落とし所を見失っているかのようでしたが今作ではキラとラクスのラブストーリーを主軸とし迷いの無い足取りで大団円まで疾走します。

 タイトルの「FREEDOM」は、主人公キラが駆るガンダムの名がフリーダムであると言うことのほかに文字通りの「自由」を意味しているのでしょう。今作のキラは世界を背負い数々の規範に束縛された状態からの旅路を辿ることになります。更に言えばシン・アスカ(声・鈴村健一)も過去の自分から少し自由になって明るさを取り戻していますし、後半に差し掛かったあたりから登場するアスラン・ザラ(声・石田彰)に至ってはもう色んな意味でフレームインしてるだけで面白くなるレベルの自由そのものの振る舞いを見せます。
 
 そんな彼らがまさに縦横無尽に躍動するクライマックスは、アイディアも作画のカロリーも圧倒的。1stガンダムのオマージュを随所に散りばめアクセントとしつつ、恐らく見せたいビジュアルから逆算して組み上げいるであろう絵コンテとキャラクターのドラマが相乗効果を生み、ボルテージが天井知らずに上がって行きます。このアッパーテンションはほとんどお祭り映画のノリ。続編であり完結編であると同時に20年越しの同窓会でもあるこの作品を最高の形でエモーションを醸成してくれます。

 作り手の見せたいものと受け手である観客が見たいものがこれほど噛み合うのも意外と少ないのではないでしょうか。そもそもその機会自体が無いだろうと諦めていただけになおさら喜びに満ち溢れています。かつて「SEED」にハマった人も不満を持っていた人も、そしてこれから触れるであろう人も受け止めるだけの度量を持った極上のエンターテインメント。こういうのはもう上映期間中にスクリーンで観て何ぼです。特に当時ハマっていた方は何としても観に行きましょう。この祭りを素通りするなど勿体無い。

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