「学園アイドルマスター」が間も無く1周年を記念して様々な施策を行っている中で「#美鈴みつけた」というちょっぴり大掛かりなものが始まりました。キャラクターの秦谷美鈴がフラッと散歩に行ってそこで昼寝してる、という体で各都道府県1ヶ所ずつ、場所はシークレットで駅貼りポスターを掲出していると言うものです。聞けば岐阜県は岐阜駅に掲示されているとのことで、愛知県はまあ名古屋駅だろ、と思っていたらまさかの職場の最寄り駅!いやあの公園で昼寝してるかと思うと胸熱。
こんばんは、小島@監督です。
「学園アイドルマスター」、そんなに熱心にプレイしているワケでもないのですが1週間身近にアイマスの企画広告があるのは、何となく嬉しい。
さて、今回の映画は「サンダーボルツ*」です。
CIA長官ヴァレンティーナ・デ・フォンテーヌ(ジュリア・ルイス=ドレイファス)からの依頼で軍事会社OXE社の研究施設の破壊を命じられ、エレーナ(フローレンス・ピュー)は潜入工作を行っていた。ヴァレンティーナは弾劾裁判の危地にあり、かつて自身がCEOを務めていたOXE社では非人道的な人体実験が行われており、その証拠の隠滅を図ろうとしていたのだ。エレーナは仕事を成功させるがこう言った裏稼業に幻滅し始めていた。
これが最後の仕事とヴァレンティーナからの任務を引き受けたエレーナは、僻地に立つOXE社の地下施設に赴いた。そこでエレーナは何故かジョン・ウォーカー/U.S.エージェント(ワイアット・ラッセル)、エイヴァ・スター/ゴースト(ハナ・ジョン=カーメン)、アントニア・ドレイコフ/タスクマスター(オルガ・キュリレンコ)らと鉢合わせ戦闘になる。更に彼らも知らないボブ(ルイス・プルマン)と名乗る青年まで現れ、事態は更に混乱してゆく。
長く高い人気を誇りクオリティにも定評があったマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)ですが、到達点と言って良い「アベンジャーズ/エンド・ゲーム」以降はシリーズの肥大化と共にかつての勢いを緩やかに失っていきます。「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」のように興行的にも批評的にも大成功を収めた作品はその後も登場しますが、映画だけでなくドラマシリーズまで網羅する必要が生じ、「マーベルズ」のように映画1本観るための宿題があまりに多過ぎる作品まで現れました。また、明らかに持て余していたマルチバースの概念、更に作品の乱発がクオリティの乱高下を引き起こし私もそうですが食傷気味になっていたファンも多いのではないでしょうか。
コロナ禍の影響下にあったとは言え「アントマン&ワスプ:クアントマニア」が興行的に大失敗したことでさすがに危機感を覚えたのか、近作では軌道修正が図られ、「キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニューワールド」では過去作と深めのリンクが用意されていたものの一人のヒーローの葛藤と出発の物語としてごくスマートに作られていました。
今作「サンダーボルツ*」では更にリンクも少なくなり、予習が必要なのは「ブラック・ウィドウ」くらいで何ならそれも観てなくても何とかなるくらいに1本の映画として独立した輝きを放っています。
特殊能力持ちが少なく単にちょっぴり普通の人より強いだけの集まりなので「アベンジャーズ」どころかDCの「スーサイド・スクワッド」のような存在にもなれないB級なエレーナたちは皆簡単には癒せない傷と孤独を抱えています。映画はそんなエレーナたちの孤独に寄り添いその心を癒すように物語を紡いでいきます。核となる人物描写も良くできていて、そもそも主人公エレーナの心境がまあまあブラック企業勤めですり減ってる人のそれなので仕事で疲れてる人にはなおさらに「自分の映画」のように思えるのではないでしょうか。そんなエレーナを演じるフローレンス・ピューの演技がことのほか素晴らしく、「ミッドサマー」以上に彼女の代表作となりそうです。
宇宙の存亡に関わるようなスケールの大きさは無く、ごくパーソナルなところで終始し、それ故に余分な説明も少なくそのぶん分かりやすい物語になっています。「孤独」だけれど「ひとりぼっち」じゃない。登場人物だけでなく観客にもそっと寄り添うような優しさを持った1本。ついでに言うと撮影監督や編集など主要スタッフにA24作品に関わった者が多いからか、どこかA24的な作家性の強さも感じさせます。
惜しいのは最近ちょっと勢いを失っているところに「名探偵コナン」が席巻している真っ只中とあって公開初週から上映回数が少ないということでしょうか。何も予備知識が無くても軽率に観に行ってもいい気軽さがある今作、この1本がMCU再起の1作になると嬉しいですね。
こんばんは、小島@監督です。
「学園アイドルマスター」、そんなに熱心にプレイしているワケでもないのですが1週間身近にアイマスの企画広告があるのは、何となく嬉しい。
さて、今回の映画は「サンダーボルツ*」です。
CIA長官ヴァレンティーナ・デ・フォンテーヌ(ジュリア・ルイス=ドレイファス)からの依頼で軍事会社OXE社の研究施設の破壊を命じられ、エレーナ(フローレンス・ピュー)は潜入工作を行っていた。ヴァレンティーナは弾劾裁判の危地にあり、かつて自身がCEOを務めていたOXE社では非人道的な人体実験が行われており、その証拠の隠滅を図ろうとしていたのだ。エレーナは仕事を成功させるがこう言った裏稼業に幻滅し始めていた。
これが最後の仕事とヴァレンティーナからの任務を引き受けたエレーナは、僻地に立つOXE社の地下施設に赴いた。そこでエレーナは何故かジョン・ウォーカー/U.S.エージェント(ワイアット・ラッセル)、エイヴァ・スター/ゴースト(ハナ・ジョン=カーメン)、アントニア・ドレイコフ/タスクマスター(オルガ・キュリレンコ)らと鉢合わせ戦闘になる。更に彼らも知らないボブ(ルイス・プルマン)と名乗る青年まで現れ、事態は更に混乱してゆく。
長く高い人気を誇りクオリティにも定評があったマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)ですが、到達点と言って良い「アベンジャーズ/エンド・ゲーム」以降はシリーズの肥大化と共にかつての勢いを緩やかに失っていきます。「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」のように興行的にも批評的にも大成功を収めた作品はその後も登場しますが、映画だけでなくドラマシリーズまで網羅する必要が生じ、「マーベルズ」のように映画1本観るための宿題があまりに多過ぎる作品まで現れました。また、明らかに持て余していたマルチバースの概念、更に作品の乱発がクオリティの乱高下を引き起こし私もそうですが食傷気味になっていたファンも多いのではないでしょうか。
コロナ禍の影響下にあったとは言え「アントマン&ワスプ:クアントマニア」が興行的に大失敗したことでさすがに危機感を覚えたのか、近作では軌道修正が図られ、「キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニューワールド」では過去作と深めのリンクが用意されていたものの一人のヒーローの葛藤と出発の物語としてごくスマートに作られていました。
今作「サンダーボルツ*」では更にリンクも少なくなり、予習が必要なのは「ブラック・ウィドウ」くらいで何ならそれも観てなくても何とかなるくらいに1本の映画として独立した輝きを放っています。
特殊能力持ちが少なく単にちょっぴり普通の人より強いだけの集まりなので「アベンジャーズ」どころかDCの「スーサイド・スクワッド」のような存在にもなれないB級なエレーナたちは皆簡単には癒せない傷と孤独を抱えています。映画はそんなエレーナたちの孤独に寄り添いその心を癒すように物語を紡いでいきます。核となる人物描写も良くできていて、そもそも主人公エレーナの心境がまあまあブラック企業勤めですり減ってる人のそれなので仕事で疲れてる人にはなおさらに「自分の映画」のように思えるのではないでしょうか。そんなエレーナを演じるフローレンス・ピューの演技がことのほか素晴らしく、「ミッドサマー」以上に彼女の代表作となりそうです。
宇宙の存亡に関わるようなスケールの大きさは無く、ごくパーソナルなところで終始し、それ故に余分な説明も少なくそのぶん分かりやすい物語になっています。「孤独」だけれど「ひとりぼっち」じゃない。登場人物だけでなく観客にもそっと寄り添うような優しさを持った1本。ついでに言うと撮影監督や編集など主要スタッフにA24作品に関わった者が多いからか、どこかA24的な作家性の強さも感じさせます。
惜しいのは最近ちょっと勢いを失っているところに「名探偵コナン」が席巻している真っ只中とあって公開初週から上映回数が少ないということでしょうか。何も予備知識が無くても軽率に観に行ってもいい気軽さがある今作、この1本がMCU再起の1作になると嬉しいですね。
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なかなか普段の自分のパターンには無い行動ですが、ゴールデンウィークも終盤の今日は気心の知れた仲間たちとバーベキューを楽しんでました。中には数年ぶりに会う人もいたのですが、多少近況を話せばもう以前のままのノリで会話が弾んで行くのはやっぱり嬉しいし楽しいですね。
こんばんは、小島@監督です。
いよいよ私も後半に差し掛かって来た身なので、会える内に会っておきたいものです。
さて、今回の映画は配信作品から一つ。Netflix版「新幹線大爆破」です。
新青森発東京行き新幹線「はやぶさ60号」は定刻通りに出発した。車掌の高市(草彅剛)はいつもと変わらぬ思いで乗客を迎え、乗務に向き合っている。そんな折JR東日本に一本の電話が入った。はやぶさ60号に爆弾を仕掛け、時速100kmを下回ると爆発するという。いたずら電話かと思われたがデモンストレーションとして貨物列車が一編成本当に爆破されてしまう。新幹線総合司令長・笠置(斎藤工)は直ちにはやぶさ60号に時速120kmでの走行と全駅の通過を命じ、少しでも時間を稼ごうとするが。
新幹線というのは現代日本の建造物やインフラとして極めて象徴的な存在と言えるでしょう。それ故に数え切れないほど様々な作品の舞台にもなって来ました。1975年に佐藤純弥監督が高倉健や千葉真一ら豪華キャストで作り上げた「新幹線大爆破」は、オイルショックにより高度経済成長が止まり、更には東アジア反日武装戦線が三菱重工や鹿島建設など旧財閥系や大手ゼネコンを次々に爆破した、いわゆる連続企業爆破事件が勃発し極左勢力が急速に支持うるさい失っていった時期に製作され、当時の世相を色濃く映した作品になっていました。今観るとガバガバな部分も多いもののそう言った時代の後ろ暗い空気感は読み取れるはずです。「一定のスピード以下になると爆発する列車」というアイディア自体も秀逸で後に与えた影響も大きく、キアヌ・リーブスが主演した「スピード」や名探偵コナンの劇場版第1作「時計じかけの摩天楼」などのフォロワーも生まれました。
そんな作品を半世紀越しに蘇らせるこの企画、一体どんなアプローチで来るのかと思ったら、単純なリメイクではなく1975年版が実際に起きた事件として半世紀を経た今になって模倣犯が現れた、という筋立てになっており、1975年版が思いもかけぬ形で物語に作用してくるところが大きな見どころになっています。
正直言うと、監督が樋口真嗣で主演が草彅剛と聞いた時、この2人がタッグを組んだ2006年の「日本沈没」のイマイチにも程がある出来を思い出してちょっぴり不安だったのですが、そんな杞憂を振り払う見事な作品に仕上がっていました。1975年版に負けず劣らずの大味な脚本ではあるものの、それを補って余りある魅力が炸裂しています。
サスペンスとしては中盤当たりで犯人や構図がほぼ固まり切ってしまうため、いささか拍子抜けする部分もあるのですが、むしろ「止められない新幹線から乗員乗客をどう救うか」に焦点が絞られてから映画としてはより強く一本線が走るようになります。序盤はちょっといけ好かない人物として描かれる者まで含めて官民あげてできる最善を尽くし、変に無能な存在が足を引っ張ったりしない最強お仕事映画として熱い展開が待っています。雰囲気としては樋口真嗣も参加していた「シン・ゴジラ」が近いですね。1975年版が企業体や国家権力に対する不信感を強く滲ませた作りになっているのとは対照的です。何より1975年版では当時の国鉄から協力を取り付けられず、駅舎などは隠し撮りで撮影した映像を使ったりしていたそうですが、今回はこんな内容であるにも関わらずJR東日本の全面協力を取り付け、ディテールを確かなものにしているあたりにエンターテインメントに対する企業側の姿勢の変化も作風に如実に表れています。
主演草彅剛を始め斎藤工、尾野真千子らの演技も素晴らしく、特に運転士役ののんさんは出色です。また個人的には映画監督でドキュメンタリー作家の森達也さんが出演していたのにも驚き。正直こう言ったエンタメ色の強いタイプの作品には興味を示さない方だと思っていました。
この映画、ほとんどの製作大手から企画を断られ最終的にNetflixが拾い上げたことで実現したとか。その経緯故に配信映画として製作されましたが結果的にそれが唯一最大の欠点ともなりました。いや、こういうのこそ映画館の大画面と大音響で観たい。今からでも遅くないからどこかで上映して欲しいものですね。
こんばんは、小島@監督です。
いよいよ私も後半に差し掛かって来た身なので、会える内に会っておきたいものです。
さて、今回の映画は配信作品から一つ。Netflix版「新幹線大爆破」です。
新青森発東京行き新幹線「はやぶさ60号」は定刻通りに出発した。車掌の高市(草彅剛)はいつもと変わらぬ思いで乗客を迎え、乗務に向き合っている。そんな折JR東日本に一本の電話が入った。はやぶさ60号に爆弾を仕掛け、時速100kmを下回ると爆発するという。いたずら電話かと思われたがデモンストレーションとして貨物列車が一編成本当に爆破されてしまう。新幹線総合司令長・笠置(斎藤工)は直ちにはやぶさ60号に時速120kmでの走行と全駅の通過を命じ、少しでも時間を稼ごうとするが。
新幹線というのは現代日本の建造物やインフラとして極めて象徴的な存在と言えるでしょう。それ故に数え切れないほど様々な作品の舞台にもなって来ました。1975年に佐藤純弥監督が高倉健や千葉真一ら豪華キャストで作り上げた「新幹線大爆破」は、オイルショックにより高度経済成長が止まり、更には東アジア反日武装戦線が三菱重工や鹿島建設など旧財閥系や大手ゼネコンを次々に爆破した、いわゆる連続企業爆破事件が勃発し極左勢力が急速に支持うるさい失っていった時期に製作され、当時の世相を色濃く映した作品になっていました。今観るとガバガバな部分も多いもののそう言った時代の後ろ暗い空気感は読み取れるはずです。「一定のスピード以下になると爆発する列車」というアイディア自体も秀逸で後に与えた影響も大きく、キアヌ・リーブスが主演した「スピード」や名探偵コナンの劇場版第1作「時計じかけの摩天楼」などのフォロワーも生まれました。
そんな作品を半世紀越しに蘇らせるこの企画、一体どんなアプローチで来るのかと思ったら、単純なリメイクではなく1975年版が実際に起きた事件として半世紀を経た今になって模倣犯が現れた、という筋立てになっており、1975年版が思いもかけぬ形で物語に作用してくるところが大きな見どころになっています。
正直言うと、監督が樋口真嗣で主演が草彅剛と聞いた時、この2人がタッグを組んだ2006年の「日本沈没」のイマイチにも程がある出来を思い出してちょっぴり不安だったのですが、そんな杞憂を振り払う見事な作品に仕上がっていました。1975年版に負けず劣らずの大味な脚本ではあるものの、それを補って余りある魅力が炸裂しています。
サスペンスとしては中盤当たりで犯人や構図がほぼ固まり切ってしまうため、いささか拍子抜けする部分もあるのですが、むしろ「止められない新幹線から乗員乗客をどう救うか」に焦点が絞られてから映画としてはより強く一本線が走るようになります。序盤はちょっといけ好かない人物として描かれる者まで含めて官民あげてできる最善を尽くし、変に無能な存在が足を引っ張ったりしない最強お仕事映画として熱い展開が待っています。雰囲気としては樋口真嗣も参加していた「シン・ゴジラ」が近いですね。1975年版が企業体や国家権力に対する不信感を強く滲ませた作りになっているのとは対照的です。何より1975年版では当時の国鉄から協力を取り付けられず、駅舎などは隠し撮りで撮影した映像を使ったりしていたそうですが、今回はこんな内容であるにも関わらずJR東日本の全面協力を取り付け、ディテールを確かなものにしているあたりにエンターテインメントに対する企業側の姿勢の変化も作風に如実に表れています。
主演草彅剛を始め斎藤工、尾野真千子らの演技も素晴らしく、特に運転士役ののんさんは出色です。また個人的には映画監督でドキュメンタリー作家の森達也さんが出演していたのにも驚き。正直こう言ったエンタメ色の強いタイプの作品には興味を示さない方だと思っていました。
この映画、ほとんどの製作大手から企画を断られ最終的にNetflixが拾い上げたことで実現したとか。その経緯故に配信映画として製作されましたが結果的にそれが唯一最大の欠点ともなりました。いや、こういうのこそ映画館の大画面と大音響で観たい。今からでも遅くないからどこかで上映して欲しいものですね。
昨日閉館を迎えた大須シネマの最終上映を観ようと当地へ行ったら、結構な人数が早朝から並んでいたらしく、自分が劇場に着いた頃には既に完売。ただその前の上映回がまだ辛うじて席が残っており、せめてそれくらいはとその回を観てきました。特色のあるミニシアターは得てしてそうなるものですが、作品ではなく映画館自体にファンが付きます。僅か6年半ほどの短い営業期間だったとは言え大須シネマもそんな映画館でした。街に定着し切らないままに閉館となってしまったことが本当に残念でなりません。
こんばんは、小島@監督です。
しかし最狂サメ映画フェスみたいなエッジの効いた企画を受け継げるような映画館、名古屋どころか日本にあるのかな…
さて、今回の映画は「名探偵コナン隻眼の残像」です。
長野県、国立天文台野辺山で何者かが施設内に侵入し、居合わせた職員が襲撃され負傷する事件が起きた。捜査に向かった大和勘助(声・高田裕司)と上原由衣(声・小清水亜美)だったが突如勘助の左目の傷が疼き苦しみ始めた。
その頃、毛利小五郎(声・小山力也)の元に警察時代の同僚・鮫谷浩二(声・平田広明)から連絡が入った。10ヶ月前に起きた八ヶ岳連峰雪崩事故とそれに巻き込まれた大和勘助について調べていた鮫谷は小五郎の言葉に何かを気づき、小五郎と会う約束を取り付けた。当日、蘭(声・山崎和佳奈)、コナン(声・高山みなみ)と共に小五郎は約束の場所へ向かうが、会う直前に鮫谷は何者かに射殺されてしまった…
長年ゴールデンウィークの顔にして近年は興行収入上位の常連でもある「名探偵コナン」、今年は隻眼の刑事大和勘助を始めとした長野県警の面々をフィーチャーしつつ、陰謀と絶望が渦巻く事件が展開します。序盤で旧友が殺されてしまう毛利小五郎もいつものコメディリリーフぶりをかなぐり捨ててひたすらに本気スイッチが入っているのも大きな特徴で、結果的にいつも以上にヘビーな雰囲気を持った作品になっています。
コナンにしてはいつに無く深い悲哀を携えた登場人物が多い今作の脚本をものにしたのは櫻井武晴。2013年の「絶海の探偵」以降2〜3年おきにコナン映画の脚本を手がけており、今回で7作目になります。2023年の「黒鉄の魚影」と言い彼が脚本を書くと割とシリアス寄りの作風になりますね。
鮫谷の射殺事件に加えて天文台の侵入事件、勘助が巻き込まれた雪崩事故、更には8年前に起きたというある事件まで絡んでくるという非常に重層的で複雑な構成をしており、まずミステリとしての出来が良く、なかなか先を読ませず伏線も練られています。関係者も数多い中、ほぼ全員に何かしら見せ場が用意されている匙加減も大したもの。珍しく大人が慟哭するシーンが多い今作は観客の感情の揺さぶり方もひと味違う印象で、特に小五郎役小山力也の演技が変わり画面の空気感が変化する瞬間は出色です。
一方でコナン映画と言えば定番とも言えるクライマックスのカタストロフですが、今回は実在する国立の研究施設相手ではさすがに気が引けたのかちょっと控えめ。そのぶん作品としては引き締まっています。いや、実在の施設と言っても「紺青の拳」でシンガポールのマリーナベイ・サンズは派手にブッ壊されてましたが(笑)。ただ惜しい点としてはこのテーマと流れであるなら最後の「詰め」も毛利小五郎に任せてやって欲しかったというところでしょうか。
約30年に渡り日本のエンターテインメントを牽引して来たタイトルの底力の強さと懐の深さを存分に味わえる一本。個人的にはシリーズの中でも結構上位に食い込む出来映えに思います。連作障害をものともしないコナン映画の楽しさを是非スクリーンで味わってください。
こんばんは、小島@監督です。
しかし最狂サメ映画フェスみたいなエッジの効いた企画を受け継げるような映画館、名古屋どころか日本にあるのかな…
さて、今回の映画は「名探偵コナン隻眼の残像」です。
長野県、国立天文台野辺山で何者かが施設内に侵入し、居合わせた職員が襲撃され負傷する事件が起きた。捜査に向かった大和勘助(声・高田裕司)と上原由衣(声・小清水亜美)だったが突如勘助の左目の傷が疼き苦しみ始めた。
その頃、毛利小五郎(声・小山力也)の元に警察時代の同僚・鮫谷浩二(声・平田広明)から連絡が入った。10ヶ月前に起きた八ヶ岳連峰雪崩事故とそれに巻き込まれた大和勘助について調べていた鮫谷は小五郎の言葉に何かを気づき、小五郎と会う約束を取り付けた。当日、蘭(声・山崎和佳奈)、コナン(声・高山みなみ)と共に小五郎は約束の場所へ向かうが、会う直前に鮫谷は何者かに射殺されてしまった…
長年ゴールデンウィークの顔にして近年は興行収入上位の常連でもある「名探偵コナン」、今年は隻眼の刑事大和勘助を始めとした長野県警の面々をフィーチャーしつつ、陰謀と絶望が渦巻く事件が展開します。序盤で旧友が殺されてしまう毛利小五郎もいつものコメディリリーフぶりをかなぐり捨ててひたすらに本気スイッチが入っているのも大きな特徴で、結果的にいつも以上にヘビーな雰囲気を持った作品になっています。
コナンにしてはいつに無く深い悲哀を携えた登場人物が多い今作の脚本をものにしたのは櫻井武晴。2013年の「絶海の探偵」以降2〜3年おきにコナン映画の脚本を手がけており、今回で7作目になります。2023年の「黒鉄の魚影」と言い彼が脚本を書くと割とシリアス寄りの作風になりますね。
鮫谷の射殺事件に加えて天文台の侵入事件、勘助が巻き込まれた雪崩事故、更には8年前に起きたというある事件まで絡んでくるという非常に重層的で複雑な構成をしており、まずミステリとしての出来が良く、なかなか先を読ませず伏線も練られています。関係者も数多い中、ほぼ全員に何かしら見せ場が用意されている匙加減も大したもの。珍しく大人が慟哭するシーンが多い今作は観客の感情の揺さぶり方もひと味違う印象で、特に小五郎役小山力也の演技が変わり画面の空気感が変化する瞬間は出色です。
一方でコナン映画と言えば定番とも言えるクライマックスのカタストロフですが、今回は実在する国立の研究施設相手ではさすがに気が引けたのかちょっと控えめ。そのぶん作品としては引き締まっています。いや、実在の施設と言っても「紺青の拳」でシンガポールのマリーナベイ・サンズは派手にブッ壊されてましたが(笑)。ただ惜しい点としてはこのテーマと流れであるなら最後の「詰め」も毛利小五郎に任せてやって欲しかったというところでしょうか。
約30年に渡り日本のエンターテインメントを牽引して来たタイトルの底力の強さと懐の深さを存分に味わえる一本。個人的にはシリーズの中でも結構上位に食い込む出来映えに思います。連作障害をものともしないコナン映画の楽しさを是非スクリーンで味わってください。
昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
今回前日に大学の同期の集まりがあって東京まで行ってました。カジュアルで良いとは言え雑な格好をしていくワケにもいくまいととジャケット着て行ったら、まあ暑かったですね(笑)。着る服を間違えたとちょいと後悔しましたよ、ええ。
こんばんは、小島@監督です。
十数年ぶりの再会でしたが、次は皆が健康な内に早めに集まろうぜと約束を交わしたあたり、やっぱり歳を重ねてしまいました(苦笑)
さて、今回の映画は「教皇選挙」です。
カトリック教会の最高指導者ローマ教皇が亡くなった。
バチカンの首席枢機卿トーマス・ローレンス(レイフ・ファインズ)は次期教皇を決める選挙「コンクラーベ」を取り仕切ることになった。
世界中から108人の枢機卿団がシスティーナ礼拝堂に集結する。その中から誰かが2/3の票を獲得し新教皇として選出されるまで何日も投票を繰り返し、その間枢機卿団は礼拝堂の外へ出ることは許されない。
果たして新たな教皇は誰になるのか。長い数日間が始まる。
2013年に職を辞したベネディクト16世のように生前辞任する方もごく稀に出ますがローマ教皇というのは基本的に終身制です。カトリック教会の信徒の数は14億人に及ぶとか。選任者の寿命が尽きるまで、それほどの数を擁した教会の方向性を決めることになるコンクラーベは、恐らく私のように信者でない者には想像しがたいほどに熾烈でしょう。キリスト教世界の行く末を決めると同時に閉ざされた礼拝堂の中で行われる密室劇。不謹慎な言い方をすれば極めて魅力的な題材とも言えるコンクラーベをスキャンダラスかつサスペンスフルに描きます。ロバート・ハリスの原作小説を「裏切りのサーカス」で知られるピーター・ストローハンが脚色し、「西部戦線異状無し」で高い評価を得たエドワード・ベルガーが監督を務めています。あまり大手シネコンの配給には乗らなかった作品ながら期待以上のヒットとなり、上映館ではロングランになりそうな勢いです。
徹頭徹尾計算され尽くされたカメラワークで痺れるような緊張感を持続させてくるサスペンスです。かなり複雑な構図をしていますが、主要な枢機卿たちが割と皆アクの濃いキャラクターしているのである程度メインどころを押さえてしまえば物語の流れを追うこと自体はそれほど難しくはないでしょう。舞台が舞台な上に要所要所で宗教画を思わせる構図が登場するので荘厳な雰囲気を持っているのも特徴です。
むしろそうであるが故にこの映画を難しくしているのは、かなりの予備知識を必要としている点でカトリックに馴染みが無いとどうしても表層を追うだけになってしまうところでしょうか。正直なところ私もどこまで読み取れたものか。
例えば現教皇フランシスコはアルゼンチン出身で、ヨーロッパ以外からの教皇選出は実に1272年ぶりだったと聞きます。そうなった背景にはカトリックの司祭が信徒の子供たちを性的虐待していたというスキャンダルに端を発してカトリックの権威が低下していることへの危機感もあったようです。カトリックは司祭の威光が強く、妻帯を禁じられている傍ら女性の地位を非常に低く見ていることでいわゆるミソジニーを生みやすく、故に性加害が起こりやすい土壌をしていました。2002年ボストン・グローブ紙が司祭の長期間の性的虐待をスクープ報道してそれが露見しました。しかし当時教皇の座に就いたベネディクト16世は非常に保守的なスタンスを堅持し、謝罪はすれども改革に着手しなかったことが一層権威を失墜させる結果を招きました。
こう言ったところを踏まえて鑑賞すれば、挑戦的と言って良い最後のシークエンスの凄みにも思い至れるかと思います。他にも様々なトピックを内包しているようで、配給側も必要性を感じているのかパンフレットだけでなくオフィシャルサイトでも結構な文章量で解説してくれています。さすがに事前に見てしまうと結末の楽しさが半減してしまうので鑑賞後の閲覧をお薦めします。
と、ここまで書いていたらローマ教皇フランシスコの訃報が。ちょっと待っていくら何でもタイムリー過ぎる。数週間後にはフィクションではない現実のコンクラーベが始まります。激動する世界の中でカトリック教会はどんな道を指し示すことになるのでしょうか。
今回前日に大学の同期の集まりがあって東京まで行ってました。カジュアルで良いとは言え雑な格好をしていくワケにもいくまいととジャケット着て行ったら、まあ暑かったですね(笑)。着る服を間違えたとちょいと後悔しましたよ、ええ。
こんばんは、小島@監督です。
十数年ぶりの再会でしたが、次は皆が健康な内に早めに集まろうぜと約束を交わしたあたり、やっぱり歳を重ねてしまいました(苦笑)
さて、今回の映画は「教皇選挙」です。
カトリック教会の最高指導者ローマ教皇が亡くなった。
バチカンの首席枢機卿トーマス・ローレンス(レイフ・ファインズ)は次期教皇を決める選挙「コンクラーベ」を取り仕切ることになった。
世界中から108人の枢機卿団がシスティーナ礼拝堂に集結する。その中から誰かが2/3の票を獲得し新教皇として選出されるまで何日も投票を繰り返し、その間枢機卿団は礼拝堂の外へ出ることは許されない。
果たして新たな教皇は誰になるのか。長い数日間が始まる。
2013年に職を辞したベネディクト16世のように生前辞任する方もごく稀に出ますがローマ教皇というのは基本的に終身制です。カトリック教会の信徒の数は14億人に及ぶとか。選任者の寿命が尽きるまで、それほどの数を擁した教会の方向性を決めることになるコンクラーベは、恐らく私のように信者でない者には想像しがたいほどに熾烈でしょう。キリスト教世界の行く末を決めると同時に閉ざされた礼拝堂の中で行われる密室劇。不謹慎な言い方をすれば極めて魅力的な題材とも言えるコンクラーベをスキャンダラスかつサスペンスフルに描きます。ロバート・ハリスの原作小説を「裏切りのサーカス」で知られるピーター・ストローハンが脚色し、「西部戦線異状無し」で高い評価を得たエドワード・ベルガーが監督を務めています。あまり大手シネコンの配給には乗らなかった作品ながら期待以上のヒットとなり、上映館ではロングランになりそうな勢いです。
徹頭徹尾計算され尽くされたカメラワークで痺れるような緊張感を持続させてくるサスペンスです。かなり複雑な構図をしていますが、主要な枢機卿たちが割と皆アクの濃いキャラクターしているのである程度メインどころを押さえてしまえば物語の流れを追うこと自体はそれほど難しくはないでしょう。舞台が舞台な上に要所要所で宗教画を思わせる構図が登場するので荘厳な雰囲気を持っているのも特徴です。
むしろそうであるが故にこの映画を難しくしているのは、かなりの予備知識を必要としている点でカトリックに馴染みが無いとどうしても表層を追うだけになってしまうところでしょうか。正直なところ私もどこまで読み取れたものか。
例えば現教皇フランシスコはアルゼンチン出身で、ヨーロッパ以外からの教皇選出は実に1272年ぶりだったと聞きます。そうなった背景にはカトリックの司祭が信徒の子供たちを性的虐待していたというスキャンダルに端を発してカトリックの権威が低下していることへの危機感もあったようです。カトリックは司祭の威光が強く、妻帯を禁じられている傍ら女性の地位を非常に低く見ていることでいわゆるミソジニーを生みやすく、故に性加害が起こりやすい土壌をしていました。2002年ボストン・グローブ紙が司祭の長期間の性的虐待をスクープ報道してそれが露見しました。しかし当時教皇の座に就いたベネディクト16世は非常に保守的なスタンスを堅持し、謝罪はすれども改革に着手しなかったことが一層権威を失墜させる結果を招きました。
こう言ったところを踏まえて鑑賞すれば、挑戦的と言って良い最後のシークエンスの凄みにも思い至れるかと思います。他にも様々なトピックを内包しているようで、配給側も必要性を感じているのかパンフレットだけでなくオフィシャルサイトでも結構な文章量で解説してくれています。さすがに事前に見てしまうと結末の楽しさが半減してしまうので鑑賞後の閲覧をお薦めします。
と、ここまで書いていたらローマ教皇フランシスコの訃報が。ちょっと待っていくら何でもタイムリー過ぎる。数週間後にはフィクションではない現実のコンクラーベが始まります。激動する世界の中でカトリック教会はどんな道を指し示すことになるのでしょうか。
珍しくライブ以外の要件で今週末東京へ行くことになり、当初東京で宿泊するつもりで宿を探していたのですが、何か大きなイベントでもあるのか軒並みホテルの値段が普段の倍以上で何なら東京ー名古屋間をもう一往復できるじゃないかくらいに上がっていたので山手線沿線での宿泊を断念。横浜や熱海の線も考えたのですが最終的に「もういっそ名古屋で泊まれば良いんじゃね?」と思い立ち、早い話が今度の歌会は名古屋で前泊して参加します(笑)
こんばんは、小島@監督です。
それにしても最近週末の東京はヤバいと聞いていましたがほんとなかなか(苦笑)
さて、今回の映画は「Love Letter」です。
神戸、渡辺博子(中山美穂)は婚約者だった藤井樹の三回忌法要に参列した日、樹の母・安代(加賀まりこ)から樹の中学時代の卒業アルバムを見せてもらう。そこに書かれていた樹の昔の住所へ博子は「お元気ですか?」と一通の手紙を書いた。
小樽、博子が書いた手紙は図書館職員をしている同姓同名の藤井樹(中山美穂/二役)の元へ届いた。樹は不審に思いながらも返事を出すとまた博子から返事が来た。そうして2人の奇妙な文通が始まった。
一通の手紙をきっかけに同じ顔をした2人の人物に繋がりが生まれ、2つの恋が描かれていく、1995年に製作された恋愛映画の名作です。今年公開30周年を記念し4Kリマスター版がリバイバル上映されています。「スワロウテイル」「リリィ・シュシュのすべて」などで日本映画に独自の地歩を築く岩井俊二監督の長編デビュー作であり、助監督には後年「GO」や「北の零年」などを手掛けることになる行定勲が務めています。日本アカデミー賞で優秀作品賞を受賞したほか同年のキネマ旬報ベストテンに選出されるなど高い評価を得て岩井俊二監督の名を世に知らしめる結果になりました。1999年に公開された韓国では140万人を超える観客動員を記録し1998年に解除された日本大衆文化の流入制限以後最初に大ヒットした日本映画となりました。
と、まあそういう情報は良く知っていたのですが実は今まで一度も観たことが無く、今回たまたま時間が合った折に思い立ち、30年越しに初鑑賞して来ました。
冒頭、主演中山美穂が雪の斜面を駆け降りる映像をバックにタイトルやメインキャスト・スタッフが流れる長回しのワンカットから詩的な画が鮮烈に冴え渡る作品です。ここに限らず随所に痺れるほどに綺麗なショットが多いのは岩井俊二監督のディレクションもさることながら「映画番長」と呼ばれたほどの名カメラマン・篠田昇の技量によるところも大きいでしょう。それはまるで当時の空気ごとフィルムに焼き付けたかのようですらあるほどです。
何よりそのカメラワークが捉える中山美穂の美しさと言ったら!アイドルとして活躍していた頃からある意味で自分にとっては「世代のひと」だったので見た目の良さは知ってるつもりではいたのですが、「ああ、中山美穂ってこんなにも美しい人だったのか」と思わずにはいられませんでした。
手紙が恋人と同姓同名で顔が自分と瓜二つの人物の元に届く、というあり得ないシチュエーションを、しかしオーバーにはなり過ぎずある種の説得力を持たせながらリリカルに語り切っている手腕もかなりのもので、岩井俊二監督と言えばこれが原点にして頂点という方がいるのも頷けます。
唯一の難点としては、これがリマスターした原版のそもそもの劣化が要因なのか、あるいはたまたま自分が観た回で偶然そうなってしまったのか判然としないのですが本編の主に序盤で数ヶ所音声が曇っていた箇所があった点です。会話が壁一つ隔てたようなトーンになってしまっていて、あれはさすがにちょっぴり勿体なかった。
もともと30周年に向けて準備されていた企画だったのではと思われますが、昨年の中山美穂の急逝を受けて、映画のラストには故人を偲ぶメッセージが付け加えられています。
彼女の在りし日の輝きを刻み込みながら、不思議な魔法にかけられたような、どこか胸を締め付けられるような、そんな映像体験でした。
30年の時を経てなお放つきらめきは衰えることなく、きっとこれからも観る者を魅了し続けてくれることでしょう。
こんばんは、小島@監督です。
それにしても最近週末の東京はヤバいと聞いていましたがほんとなかなか(苦笑)
さて、今回の映画は「Love Letter」です。
神戸、渡辺博子(中山美穂)は婚約者だった藤井樹の三回忌法要に参列した日、樹の母・安代(加賀まりこ)から樹の中学時代の卒業アルバムを見せてもらう。そこに書かれていた樹の昔の住所へ博子は「お元気ですか?」と一通の手紙を書いた。
小樽、博子が書いた手紙は図書館職員をしている同姓同名の藤井樹(中山美穂/二役)の元へ届いた。樹は不審に思いながらも返事を出すとまた博子から返事が来た。そうして2人の奇妙な文通が始まった。
一通の手紙をきっかけに同じ顔をした2人の人物に繋がりが生まれ、2つの恋が描かれていく、1995年に製作された恋愛映画の名作です。今年公開30周年を記念し4Kリマスター版がリバイバル上映されています。「スワロウテイル」「リリィ・シュシュのすべて」などで日本映画に独自の地歩を築く岩井俊二監督の長編デビュー作であり、助監督には後年「GO」や「北の零年」などを手掛けることになる行定勲が務めています。日本アカデミー賞で優秀作品賞を受賞したほか同年のキネマ旬報ベストテンに選出されるなど高い評価を得て岩井俊二監督の名を世に知らしめる結果になりました。1999年に公開された韓国では140万人を超える観客動員を記録し1998年に解除された日本大衆文化の流入制限以後最初に大ヒットした日本映画となりました。
と、まあそういう情報は良く知っていたのですが実は今まで一度も観たことが無く、今回たまたま時間が合った折に思い立ち、30年越しに初鑑賞して来ました。
冒頭、主演中山美穂が雪の斜面を駆け降りる映像をバックにタイトルやメインキャスト・スタッフが流れる長回しのワンカットから詩的な画が鮮烈に冴え渡る作品です。ここに限らず随所に痺れるほどに綺麗なショットが多いのは岩井俊二監督のディレクションもさることながら「映画番長」と呼ばれたほどの名カメラマン・篠田昇の技量によるところも大きいでしょう。それはまるで当時の空気ごとフィルムに焼き付けたかのようですらあるほどです。
何よりそのカメラワークが捉える中山美穂の美しさと言ったら!アイドルとして活躍していた頃からある意味で自分にとっては「世代のひと」だったので見た目の良さは知ってるつもりではいたのですが、「ああ、中山美穂ってこんなにも美しい人だったのか」と思わずにはいられませんでした。
手紙が恋人と同姓同名で顔が自分と瓜二つの人物の元に届く、というあり得ないシチュエーションを、しかしオーバーにはなり過ぎずある種の説得力を持たせながらリリカルに語り切っている手腕もかなりのもので、岩井俊二監督と言えばこれが原点にして頂点という方がいるのも頷けます。
唯一の難点としては、これがリマスターした原版のそもそもの劣化が要因なのか、あるいはたまたま自分が観た回で偶然そうなってしまったのか判然としないのですが本編の主に序盤で数ヶ所音声が曇っていた箇所があった点です。会話が壁一つ隔てたようなトーンになってしまっていて、あれはさすがにちょっぴり勿体なかった。
もともと30周年に向けて準備されていた企画だったのではと思われますが、昨年の中山美穂の急逝を受けて、映画のラストには故人を偲ぶメッセージが付け加えられています。
彼女の在りし日の輝きを刻み込みながら、不思議な魔法にかけられたような、どこか胸を締め付けられるような、そんな映像体験でした。
30年の時を経てなお放つきらめきは衰えることなく、きっとこれからも観る者を魅了し続けてくれることでしょう。
Z級サメ映画祭を始めとしてひと癖もふた癖もあるこだわりのラインナップで独特の存在感を放ったミニシアター「大須シネマ」が今月いっぱいで閉館となってしまうそうです。
ほとんど幻になっていた作品やインディーズアニメなども上映していて、正直なところ行けるなら毎週行きたいくらいだったんですが閉館は本当に残念です。僅か5年ほどの営業期間でしたが名古屋の映画館の歴史に確実に足跡を刻んだシアターだったと言えるでしょう。
こんばんは、小島@監督です。
閉館前にどうにかもう一度くらい行っておきたい。
さて、今回の映画は「Flow」です。
森の中の一軒家で暮らす一匹の黒猫。あるとき森を大洪水が襲い、すみかにしていた家が水没してしまった。黒猫は辛うじて難を逃れたもののじわじわと上がっていく水位に逃げ場を失っていく。そこに一艘の船が漂流して来た。どうにか飛び乗った黒猫だが、そこにはカピバラが一匹先客として乗り込んでいるのを見る。その後もキツネザルやヘビクイワシ、レトリバーらが船に乗り込み動物たちの奇妙な旅が始まる。彼らの旅はどこに行き着くのだろうか。
執拗に命を刈り取ろうとする巨人からバイクにまたがり逃避行する青年の旅路を描いた「Away」でアヌシー国際アニメーション映画祭でコントルシャン賞を受賞したラトビアの奇才ギンツ・ジロバルディスの長編第二作となる今作は、大水害から難を逃れ偶然一艘の船に乗り合わせることになった黒猫ら動物たちの冒険を描きます。「Away」同様に今作もセリフは一切無く、幻想的な世界観に浸りながら観客各々の中で想像を巡らして湧き上がって来た感慨や考察をもって完成する作品です。
冒頭で黒猫が居着いている家や、まるで何かに導かれるように彼らが訪れることになる場所にはつい最近まで人間がいた痕跡が残っているものの作中に全く人間は登場せず、人類は何故いなくなったのか、本当に誰もいないのか、そして世界を覆い尽くさんばかりに襲う大津波も、一体何故起きたのかと言ったことはヒントすら与えられないレベルで何も説明はされません。ただ作中で度々登場する鯨に似た巨大水棲生物の存在が、どうやら私たちの知る地球ではないらしいことを僅かに示唆するのみです。
一見するとワケが分からないのに繊細に設計された水の表現や手持ちカメラのように微妙に揺らしているカメラワークがもたらす臨場感の強さで気づけば黒猫たちの旅路に目が離せなくなっており、詩的かつ哲学的である共に、画と動きだけで見せるというアニメーションの根源に触れさせてくれる感激に震えさせてくれる逸品です。
ギンツ・ジルパロディス監督はこの作品をもってラトビアに初めてアカデミー長編アニメーション映画賞をもたらしました。唯一無二の世界観を生み出せるフィルムメーカーの、今後の活躍が楽しみですね。
ほとんど幻になっていた作品やインディーズアニメなども上映していて、正直なところ行けるなら毎週行きたいくらいだったんですが閉館は本当に残念です。僅か5年ほどの営業期間でしたが名古屋の映画館の歴史に確実に足跡を刻んだシアターだったと言えるでしょう。
こんばんは、小島@監督です。
閉館前にどうにかもう一度くらい行っておきたい。
さて、今回の映画は「Flow」です。
森の中の一軒家で暮らす一匹の黒猫。あるとき森を大洪水が襲い、すみかにしていた家が水没してしまった。黒猫は辛うじて難を逃れたもののじわじわと上がっていく水位に逃げ場を失っていく。そこに一艘の船が漂流して来た。どうにか飛び乗った黒猫だが、そこにはカピバラが一匹先客として乗り込んでいるのを見る。その後もキツネザルやヘビクイワシ、レトリバーらが船に乗り込み動物たちの奇妙な旅が始まる。彼らの旅はどこに行き着くのだろうか。
執拗に命を刈り取ろうとする巨人からバイクにまたがり逃避行する青年の旅路を描いた「Away」でアヌシー国際アニメーション映画祭でコントルシャン賞を受賞したラトビアの奇才ギンツ・ジロバルディスの長編第二作となる今作は、大水害から難を逃れ偶然一艘の船に乗り合わせることになった黒猫ら動物たちの冒険を描きます。「Away」同様に今作もセリフは一切無く、幻想的な世界観に浸りながら観客各々の中で想像を巡らして湧き上がって来た感慨や考察をもって完成する作品です。
冒頭で黒猫が居着いている家や、まるで何かに導かれるように彼らが訪れることになる場所にはつい最近まで人間がいた痕跡が残っているものの作中に全く人間は登場せず、人類は何故いなくなったのか、本当に誰もいないのか、そして世界を覆い尽くさんばかりに襲う大津波も、一体何故起きたのかと言ったことはヒントすら与えられないレベルで何も説明はされません。ただ作中で度々登場する鯨に似た巨大水棲生物の存在が、どうやら私たちの知る地球ではないらしいことを僅かに示唆するのみです。
一見するとワケが分からないのに繊細に設計された水の表現や手持ちカメラのように微妙に揺らしているカメラワークがもたらす臨場感の強さで気づけば黒猫たちの旅路に目が離せなくなっており、詩的かつ哲学的である共に、画と動きだけで見せるというアニメーションの根源に触れさせてくれる感激に震えさせてくれる逸品です。
ギンツ・ジルパロディス監督はこの作品をもってラトビアに初めてアカデミー長編アニメーション映画賞をもたらしました。唯一無二の世界観を生み出せるフィルムメーカーの、今後の活躍が楽しみですね。
こんばんは、小島@監督です。
年度末でまあまあ忙しく、今回は前置き無しで本題に入ります。
とまあ年度末進行の只中に強引にスケジュールを組み込み、この週末にさいたまスーパーアリーナで開催された「THE IDOLM@STER 765 MILLIONSTARS HOTCHPOTCH FESTIV@L!! 2 」を観に行って来ました。とは言えさすがに両日参加はできずday1のみの鑑賞ですが。
「ハッチポッチフェスティバル」は「アイドルマスター」の765プロオールスターズと「ミリオンライブ!」のミリオンスターズ、同じ事務所の先輩後輩という間柄の出演者たちによる合同ライブイベントです。2017年10月以来実に7年半ぶりとなる開催となった今回は、その7年半の間に着実にキャリアを積んで来たミリオンスターズと、それでもその一歩先を走り続ける765プロオールスターズのパフォーマンスがぶつかり合う極めて熱いステージになっていました。
もともとベースとなるゲームやアニメでは天海春香ら765プロオールスターズも普通に登場し、共演する楽曲やドラマCDなども当たり前のように数多く製作されて来たのですが、ことライブとなるとCDのリリースイベントのような小規模なもの以外は基本的に区分けされてきたので7年半ぶりとなる今回は、そもそもまず「やり残したままのものが多すぎる」という「場」に対する「飢え」がファンの間に共通認識に近いものがあり、遂にその「時」が来たという印象です。また2023年に放送されたTVアニメの記憶もまだ新しく、新規参入してきた方が多いタイミングでの開催というのも実に嬉しい采配ですね。そこも考慮されてか、イベント全体として昨年4ヶ所8公演開催されたミリオンライブ10thツアーの番外編、言わば「act5」のような性格も包含していたようにも見えました。
ライブはTVアニメ版「ミリオンライブ」のOP曲「Rat a tat!」で開幕。そこから選曲と歌唱メンバーの妙、そしてパフォーマンスの質の高さと熱さで圧倒する全26曲。正直言ってセットリストはもっと遊び倒して来るかもとも思っていたのですが、披露される機会の少なかったものや長くライブでは歌われてこなかったナンバーを多く織り交ぜていてとてもエモーショナル。個人的には最推しの水瀬伊織役釘宮理恵さんが今回よほどコンディションが良かったのか、どの曲もパフォーマンスがノッていて可愛らしかったのがとても目と耳に心地良かった(笑)。それにしても765プロオールスターズの皆さんは年齢的に私と同じくらいの人もいるというのに年々最高を更新し続ける凄みには敬服せざるを得ません。ライブへの熱狂とは別に襟を正すような思いを抱くこともしばしば。
そしてやはり驚かされるのは天海春香役中村繪里子さんの大黒柱ぶり。MCでどれだけとっ散らかったノリになろうが(何なら本人もそれに乗っていようが)最後にはビシッと締めて「アイドルマスターのステージを完遂させる」、その居住まいは見事というほかありません。20年間1人のキャラクターと共に作品の中心で歩き続けて来て、今もなお最前線で立っている人の持つ輝きは違います。行けるところまで天海春香と共に歩んで頂けたら嬉しいですね。
しかし悔やまれるのはこの日程…!職種によりけりなのでしょうが社会人に年度末は辛い…スケジュールが1週前か後だったら、あるいは日曜日の開演時間が17時30分ではなく15時30分スタートだったならと思わずにはいられません。特に開演時間はアンケートに書いておこう。ぐぬぬ。
年度末でまあまあ忙しく、今回は前置き無しで本題に入ります。
とまあ年度末進行の只中に強引にスケジュールを組み込み、この週末にさいたまスーパーアリーナで開催された「THE IDOLM@STER 765 MILLIONSTARS HOTCHPOTCH FESTIV@L!! 2 」を観に行って来ました。とは言えさすがに両日参加はできずday1のみの鑑賞ですが。
「ハッチポッチフェスティバル」は「アイドルマスター」の765プロオールスターズと「ミリオンライブ!」のミリオンスターズ、同じ事務所の先輩後輩という間柄の出演者たちによる合同ライブイベントです。2017年10月以来実に7年半ぶりとなる開催となった今回は、その7年半の間に着実にキャリアを積んで来たミリオンスターズと、それでもその一歩先を走り続ける765プロオールスターズのパフォーマンスがぶつかり合う極めて熱いステージになっていました。
もともとベースとなるゲームやアニメでは天海春香ら765プロオールスターズも普通に登場し、共演する楽曲やドラマCDなども当たり前のように数多く製作されて来たのですが、ことライブとなるとCDのリリースイベントのような小規模なもの以外は基本的に区分けされてきたので7年半ぶりとなる今回は、そもそもまず「やり残したままのものが多すぎる」という「場」に対する「飢え」がファンの間に共通認識に近いものがあり、遂にその「時」が来たという印象です。また2023年に放送されたTVアニメの記憶もまだ新しく、新規参入してきた方が多いタイミングでの開催というのも実に嬉しい采配ですね。そこも考慮されてか、イベント全体として昨年4ヶ所8公演開催されたミリオンライブ10thツアーの番外編、言わば「act5」のような性格も包含していたようにも見えました。
ライブはTVアニメ版「ミリオンライブ」のOP曲「Rat a tat!」で開幕。そこから選曲と歌唱メンバーの妙、そしてパフォーマンスの質の高さと熱さで圧倒する全26曲。正直言ってセットリストはもっと遊び倒して来るかもとも思っていたのですが、披露される機会の少なかったものや長くライブでは歌われてこなかったナンバーを多く織り交ぜていてとてもエモーショナル。個人的には最推しの水瀬伊織役釘宮理恵さんが今回よほどコンディションが良かったのか、どの曲もパフォーマンスがノッていて可愛らしかったのがとても目と耳に心地良かった(笑)。それにしても765プロオールスターズの皆さんは年齢的に私と同じくらいの人もいるというのに年々最高を更新し続ける凄みには敬服せざるを得ません。ライブへの熱狂とは別に襟を正すような思いを抱くこともしばしば。
そしてやはり驚かされるのは天海春香役中村繪里子さんの大黒柱ぶり。MCでどれだけとっ散らかったノリになろうが(何なら本人もそれに乗っていようが)最後にはビシッと締めて「アイドルマスターのステージを完遂させる」、その居住まいは見事というほかありません。20年間1人のキャラクターと共に作品の中心で歩き続けて来て、今もなお最前線で立っている人の持つ輝きは違います。行けるところまで天海春香と共に歩んで頂けたら嬉しいですね。
しかし悔やまれるのはこの日程…!職種によりけりなのでしょうが社会人に年度末は辛い…スケジュールが1週前か後だったら、あるいは日曜日の開演時間が17時30分ではなく15時30分スタートだったならと思わずにはいられません。特に開演時間はアンケートに書いておこう。ぐぬぬ。