ちゅうカラぶろぐ


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昨日の放送で「機動戦士ガンダム水星の魔女」が最終回に。何だかんだ言ってもガンダムブランドは強いというか、毎週極力リアタイで視聴したいほど楽しみにできるアニメというのもなかなか久しぶりで、ドライブ感溢れる物語を満喫しました。尺がカツカツで本編で語られていないエピソードが多々ありそうなのでその内スピンオフとかもやって欲しいところ。

 こんばんは、小島@監督です。
 という余韻も冷めやらぬ内にブン投げられる「ガンダムSEED」劇場版の告知!とっくにポシャったものだと思っていたけど生きていたのか!!

 さて、先週大須シネマさんでは「最狂サメ映画フェス2023」と題し1週間B級(またはそれ以下の)サメ映画しか上映しない最高にロックな企画が催されていました。この手のジャンル映画は何気に日本は無視できないマーケットだそうですが、そうは言ってもほとんどDVDや配信スルーのタイトルばかりを10本も引っ提げて1週間特集上映するというのは前代未聞だと思われます。

今回はそのラインナップの中の1つ「シャークネードカテゴリー2」をご紹介。

 ロサンゼルスでの惨劇を経て家族とのよりを戻したフィン・シェパード(アイアン・ジーリング)。元妻エイプリル(タラ・リード)と共にニューヨークへ向かう途中、飛行機が嵐に突入する。乱気流の中でフィンは嵐がまたしてもサメを巻き上げる姿を目にする。空高く舞い上がったサメたちは飛行機を襲い機長の命を奪ってしまう。パイロット不在となった機をフィンはどうにか胴体着陸することに成功するが、サメを伴う嵐「シャークネード」が勢力を増しながらニューヨークへ迫りつつあった。

 嵐に乗ってサメが空から降ってくるパニックを描いた「シャークネード」は2013年にアメリカのSyfyチャンネルで放送されるやぶっ飛んだ設定と大袈裟な芝居でカルト的な人気を勝ち得、その後5本の続編が製作されました。「シャークネードカテゴリー2」は2014年に製作された2作目で、前作に負けない評判を獲得したことでシリーズ化を決定付けた1本です。
 「シャークネード」を製作したスタジオ「アサイラム」は低予算のB級映画を大量に作り続けるスタジオで、サメ映画やゾンビ映画のほか「トランスモーファー」やら「パイレーツ・オブ・トレジャーアイランド」などどこかで聞いたような名前の作品(これを大作映画を意味する「ブロックバスター」と模倣という意味の「モック」を合わせて「モックバスター」と呼びます)をポンポン世に送り出すことでも知られています。何ならワーナー・ブラザースと訴訟沙汰になったこともあるくらいです。基本どれも作品としては酷評されるものばかりですが、「シャークネード」はその中にあってオリジナリティ溢れる企画として高い評価を集め、主人公フィンのフィギュアが作られたり作中に登場する書籍が実際に売られたりしたこともあります。

 1作目ではアサイラムの本拠地であるロサンゼルスが舞台でしたが、今作では予算規模が大きくなった(と言っても低予算な事に変わりは無いが)ことで舞台をニューヨークに移して全編に渡りかなりがっつりとしたロケが行われています。
 その他ジャド・ハーシュやロバート・ヘイズと言った名優の起用やアメリカNBCの朝のニュース番組「Today」の司会者やお天気キャスターが本人役で登場したりと端々でゴージャスになっています。
 まあ物語はノリの軽いB級映画なのであらすじ以上のことは起きませんし何だかんだ適当な箇所も多いのですが、ワンアイディアを突き詰めて気楽に観られるエンターテインメントとしては悪くない1本です。

 なお上映後にはサメンテーター中野ダンキチ氏によるトークショー付き。大量に仕込まれた小ネタの解説などしてくれました。

 今回大須シネマで上映されたサメ映画の10本のラインナップではコレが一番のビッグバジェット。懐の深さも一番で、普段サメ映画を観ないライト層でも耐えられるのはせいぜいこの「シャークネード」1と2くらい。あとは「エイリアンVSジョーズ」「エクソシストシャーク」「シャーケンシュタイン」など地獄の釜の底にこびりついたかのような代物ばかり。ただ世間の潮流を一切無視してそもそも上映機会のまずない作品を取り上げ上映するこういう企画はまさにミニシアターだからこそ出来ることです。その甲斐あってどこで聞きつけて来たのかサメ映画を観るためにわざわざ四国や山陰から足を運んだ方もいるようです。年1くらいで良いのでまたこういうクレイジーなイベントをやってほしいですね。次回があるなら「シャーコーン」と「ウィジャ・シャーク」を是非とも(笑)。
 
 

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放送時は最序盤の数話だけ観たっきりになっていた「ドラゴンクエストダイの大冒険」を最近ようやく観始めました。きっかけはと言えば原作者・三条陸の業績を当人のロングインタビューで紐解く書籍「三条陸HERO WORKS」を読んだから、なのでまあまあチョロいですが、こういう勢いはやっぱり大事。

 こんばんは、小島@監督です。
 既に全体の4分の1ほどは消化して、いよいよ旧TVシリーズでは描かれていない領域が始まろうとしています。原作コミックは何度も読んでいて先の場面どころかセリフも知ってるくらいなのに楽しみで仕方ない。

 さて、今回の映画は「ぼくたちの哲学教室」です。

 北アイルランド、ベルファストにあるホーリークロス男子小学校。ここでは「哲学」が授業に取り入れられている。エルヴィス・プレスリーをこよなく愛する校長ケヴィン・マッカリーヴィー自ら行うその授業では「どんな意見でも価値がある」という信条のもと子ども達は異なる立場の意見に耳を傾けながら自らの思考を整理し、言葉にしていく。

 北アイルランドと言えばプロテスタントとカトリックによる宗教的・政治的対立が長く続き1960年代には武力衝突にまで発展した過去を持つ土地です。1998年4月にベルファスト合意が締結されたものの、全てが解決するには至らず今なお残火が燻っているような状況です。故にベルファスト市街には各所に「平和の壁」と呼ばれる分離壁によってプロテスタント地区とカトリック地区が隔てられ、その周辺では度々衝突が繰り返されています。
 この映画の舞台となる小学校も対立が色濃く残り発展が遅れ衰退しつつある地域にあるそうです。犯罪や薬物乱用が蔓延り、壁には物騒な落書きが。映画序盤には学校に爆破予告がもたらされ通報により生徒が緊急避難するシーンがあるほど。見ると分かりますが学校を囲む壁もかなり高く設られ鉄条網まで仕掛けられています。ケヴィン校長が哲学の授業を取り入れている小学校は、こんな背景の中に存在しています。

 思考し、対話する。そこで取り上げられる命題は決して安易に答えが出るものではありません。むしろ人生とは答えの無い問いの連続。大人でも時に向き合うには難しいことにケヴィン校長は敢えて子ども達に問いかけます。
 大人でさえ簡単には止められない対立や衝突が、生活のすぐそばにあることを子ども達は見ているが故に、授業で分かったつもりになっても思わぬところで喧嘩になり、感情に任せて暴力を振るってしまうこともしばしばです。ちゃんと実践できるようになるには遠いという現実に晒されながらもケヴィン校長は暴力を許さないというスタンスを崩さない一方で喧嘩の当事者たちに何度でも哲学対話を試みます。

 長期間に渡り取材が行われた事が伺える作品で、映画の後半にはコロナ禍によるロックダウンやネットに触れる時間が増えたことでトラブルに巻き込まれるなど子どもを取り巻く環境の変化に翻弄される姿も活写。しかし厳しい現実に何度も直面しながらもケヴィン校長はプレスリーを口ずさみながら子ども達に問い掛け続けます。そうまでしても卒業後にトラブルに巻き込まれ、時には自ら命を絶ち、親に弔われる者もいます。荒れた時期が長い土地にはそれだけ子どもを食い物にする悪意も存在している事を陰に陽に映画は語っており、その不条理とも向き合いながら日々授業に臨むケヴィン校長の姿を捉えて行きます。
 
 題材が題材だけに寸鉄人を刺すような言葉が続くかと思いきやそうでもなく、むしろ穏やかな雨が大地に沁み込んで行くかのような印象を与える作品です。憎悪の連鎖を断つために長い長い戦いを自らに課し、しかし堅苦しくも無く悲壮感も無い。お茶目でユーモアたっぷりな振る舞いの向こうに熱い魂を感じる校長先生の哲学教室、どうぞ難しく考えずに、先ずは観てみてはいかがでしょうか。

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昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
 昨日はちょいとやっておきたかった事があったので途中からの参加でしたが、人が少ないとLINEで嘆いていた部屋に救援に入ったら後半だけの参加の割に結構歌えました。曲数が少なくなる分ノーブレーキでやれましたしね。
 
 こんばんは、小島@監督です。
 次回はまだ予定が定まってないのが難ですが、行くとなったら最初から入ります。

 さて、今回の映画は「岸辺露伴ルーブルへ行く」です。

 人の記憶を本の様にして読む能力「ヘブンズドアー」を持つ漫画家・岸辺露伴(高橋一生)。彼は新作を執筆する過程で、かつてデビューしたばかりの頃祖母の家で出逢った女性・奈々瀬(木村文乃)から聞いた「この世で最も黒い絵」のことを思い出した。取材を兼ねて赴いたオークションで落札した作品を手掛かりに、その絵が現在ルーブル美術館に保管されていることを知り、担当編集である泉京香(飯豊まりえ)と共にフランスへ向かう。

 漫画家・荒木飛呂彦の代表作「ジョジョの奇妙な冒険」、その第4部「ダイヤモンドは砕けない」に登場した岸辺露伴。荒木飛呂彦の漫画へのイズムが凝縮されたとも言われている彼を主人公にしたスピンオフ「岸辺露伴は動かない」が1997年の第1作「懺悔室」から雑誌を変えながら不定期に作品が発表されてきました。2020年末にNHKで実写ドラマ化されるや原作のユニークな世界観を見事に映像化したと支持を集め、2022年までに計8エピソードが製作されました。
 今回映画化されたのは2009年にルーブル美術館の「バンド・デシネ・プロジェクト」のために描き下ろされた作品です。またこの企画展によって荒木飛呂彦は日本人漫画家として初めてルーブル美術館に作品が展示された人物となりました。その原作をTVドラマのスタッフ・キャストが再結集し今回映画化されました。

 実際にルーブル美術館で撮影が行われるなど映画らしいスケールアップを見せる今作、しかし面白いのは媒体がTVから映画へ変わったと言っても変に大きな画を作ろうとしていない点にあります。むしろ画作りの肝は「最も黒い絵」を中心とした色調の深化とルーブル美術館や露伴の自宅、祖母の家として登場する邸宅のロケーション選定の妙に集約されていて、それ故にTVドラマと同じような雰囲気を持ちながらTV以上の画をしているというのは最早定番となりつつあるドラマから映画への流れへの一つの模範解答と言えるでしょう。

 小林靖子の手による脚本もボリューム的には1時間程度で収まりそうな原作を2時間の映画として膨らませる方向性と密度が絶妙で中だるみの無いものになっていて唸ります。と言うかTVドラマの時点からそうなのですが、原作では1エピソードだけの登場だった泉京香を岸辺露伴のバディとしてレギュラーキャラクターにしたアレンジは見事だったというほかありません。今作でも彼女の存在が良いアクセントになっています。

 荒木飛呂彦作品はアニメだけでなく「ジョジョの奇妙な冒険」第1部「ファントムブラッド」が帝国劇場でミュージカルになる事が報じられるなど、ここに来て様々な媒体で楽しめるようになって来ています。原作コミックも第9部「The JOJOLands」がスタートしました。まだまだ世界が広がりを見せる中、まずはせっかくの劇場公開作品をスクリーンで楽しんでみてはいかがでしょう。

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先日松坂屋美術館まで「アニメージュとジブリ展」を観てきました。

今年創刊45周年を迎えた雑誌「アニメージュ」、その創刊前夜からスタジオジブリの設立を経て鈴木敏夫氏がジブリへ移籍する頃までの約15年間を当時の記事や付録、関連作品のセル画や絵コンテ、映像で紐解いていきます。劇場版「機動戦士ガンダム」誕生のきっかけとなったと言われているインタビューやまだ実績が余りない時期に宮崎駿や高畑勲の特集を組んでいたりなど、当時の記事をそのまま大量にパネル展示しているのでただでさえ情報量が多い上に、声優・島本須美さんと三鷹の森ジブリ美術館でシニアアドバイザーを務める高橋望氏の対談形式で進行する音声ガイドの充実ぶりが素晴らしく、非常に楽しめる企画展でした。
 自分がアニメージュを購読していたのは「新世紀エヴァンゲリオン」がムーブメントを起こした1995年頃からの約10年くらいなので展示対象の時期とはあまり重ならないのですが、それでも日本アニメ史の重要な時代の熱量の一端を垣間見ることができました。

 こんばんは、小島@監督です。
 時代の変遷とともに雑誌の在り方も変わって来ていますが、長く続いて欲しいですね。

 さて、昨日大阪城ホールまで「THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS 燿城夜祭 -かがやきよまつり- 」Day2を観てきました。しかも日帰りの弾丸行で。
 シンデレラガールズ3年ぶりとなる声出し解禁最初のライブが、最後のライブとなったのと同じ大阪での開催というのは何とも奇妙な縁を感じます。

 「夜祭」をテーマにした今回のイベント、櫓を模したセンターステージを設えているのはなるほどという感じでしたが、セットの一部だと思っていたたこ焼き機やかき氷機がガチの本物で開演前にライブ演出のJUNGO氏やシンデレラガールズの音楽を担当する中川浩二氏など中核スタッフが登壇して実際に作り始めるのには驚きました。いや確かに祭って言うてますけれども(笑)。多田李衣菜役青木瑠璃子さんもサプライズで登場し、観客を煽ったり話しかけたりして、これまでに無い形で開演前の場を温めます。

 和太鼓のアレンジが加わった「Yes!party time」で幕を開けたライブは、夏の夜祭らしいアッパーな曲だけでなく梅雨時を思わせるセンチメンタルな曲や涼風のような曲も織り交ぜ、コンセプトに合わせてセットリストを組めるシンデレラガールズの楽曲の豊富さを存分に活かしたものになっていました。

 印象的なところでは現在放送中のTVアニメ「U149」で挿入歌として登場し今回が初披露となった桐生つかさ役河瀬茉希さんのソロ曲「アタシガルール」、スクリーンにノイズを走らせたりモノクロになったりとホラー調の演出を展開する「廻談詣り」、開催地大阪をフィーチャーした遊び心全開で最早原曲「あんきら!?狂騒曲」の原型も止めていなかった「おおさか!?狂騒曲」など、どれも聴き入ったり笑わせてもらったりと興趣に富んでいました。

 圧巻は依田芳乃役高田憂希さんの「Sunshine See May」と小日向美穂役津田美波さんの「Isosceles」。どちらもこの日出演見合わせとなった藤原肇役鈴木みのりさんと組んでのデュオ曲で、もしかしたら曲自体セットリストから外れるかもと思われましたが不在は不在としたまま代打を立てずにやり切ってみせる力技には正直感服しました。どちらも不在の人に寄り添うと同時に「居ないから物足りないなんて言わせない」という気迫に満ちていました。

 ライブの終わりにはデレステ8周年を記念したイベントが9月に愛知で開催されることが告知。出演者の中には昨年CVが付いた我が担当の1人望月聖が初登場する事も発表されて、私としては行かないワケにはいかないようです。何としてもチケットをゲットしたいぜ。何なら法被着て臨んでも良いかもしれない。

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週末に襲った台風がらみの豪雨、皆さんは大事無かったでしょうか。
 私は出社早々に電車が運行中止の報を知り、簡単な引き継ぎだけ済ませて速攻とんぼ返りキメてあとは在宅勤務という軽くエクストリームな1日でした。あと少し判断が遅ければ宿泊場所を探さないといけないところでしたが、自宅の方もレベル4の避難指示が出る有様でなかなか際どい状況でしたね。

 こんばんは、小島@監督です。
 まだ6月に入ったばかりだというのにもうコレ。今年の夏も集中豪雨に悩むことになりそう。

 さて、今回の映画は「アラーニェの虫籠」「アムリタの饗宴」です。

 「アラーニェの虫籠」…女子大生のりん(声・花澤香菜)は、自宅である巨大集合住宅にまつわる不気味な噂に不安を抱いていた。ある日りんは救急搬送される老婆の腕から虫が飛び出る光景を目撃する。虫のことが気になって仕方ないりんは虫についての調査を開始する。
 「アムリタの饗宴」…女子高生のたまひ(声・内田真礼)、陽(声・能登麻美子)、由宇(声・MoeMi)の3人は学校帰りに巨大集合住宅の屋上から人が飛び降りる姿を目撃する。集合住宅に駆け込んだ3人は、そこで人ならざる「何か」と遭遇する。

 映画は基本的に1人でできるものではないですが、アニメだとキャスト以外のほとんどを1人で製作したという作品が稀に登場します。有名どころでは新海誠の出世作となった「ほしのこえ」や堀貴秀が手掛けたストップモーションアニメの「JUNK HEAD」あたりになるでしょうか。海外に目を向ければフレデリック・バックの「木を植えた男」などがありますね。1人で製作しているが故にダイレクトに作風が現れ必然的に作家性が強くなるためか、エンターテインメントよりもアートの系譜で語られることが多いように思います。
 そんな個人製作アニメの系譜に連なる作品が新たに登場しました。手掛けたのは押井守監督の「イノセンス」でデジタルエフェクトを担当したりL'Arc〜en〜CielのMVや、ドラマ「MOZU」の作中イラストを製作した経験を持つアニメーター・坂本サク。脚本・監督・アニメーション製作に音楽までも一手に手掛け、文字通りキャスト以外はほぼ1人で作り上げたと言っていい作品です。「アムリタの饗宴」で主演した内田真礼はアフレコでスタッフが監督1人しかいない上にコロナ禍の只中で個別収録だったために監督と1対1で収録に臨む現場に初めて遭遇した驚きをインタビューで語っていました。
 「アラーニェの虫籠」の方が2018年に製作され、アヌシー国際アニメーション映画祭などで上映された実績を持っています。世界観を共有した新作である「アムリタの饗宴」公開に合わせてカットに手を加えたリファイン版が作られ、今回2本立てとして上映されています。

 2作品ともジャンルとしてはホラーになりますが、手触りは結構違います。共通しているのは巨大な集合住宅が重要な舞台装置であることと「虫」がモチーフであること。「アラーニェの虫籠」はイントロにしても語り口にしてもJホラーの王道を行くような展開を見せます。不穏な空気感の描写と終盤のツイストもなかなか。主観的なカットも度々登場しますがそのカメラワークがどことなく「エコーナイト」などPS1〜2時代の一人称視点のホラーゲームを思い起こさせます。
 一方で「アムリタの饗宴」ではSF色がグッと強くなります。集合住宅に踏み込んだことでたまひたちは時間の迷宮に囚われてしまい、そこからの脱出を試みます。「アラーニェの虫籠」よりもアニメの表現と世界観との親和性が増していて、こちらの方がいくらか洗練された雰囲気を放っています。両作とも主演を務めた花澤香菜・内田真礼があまり他では見ないタイプの演技をしているのも特徴と言えるでしょう。

 ただやはり個人製作の限界というべきか、クオリティ面でどうしても一般的な商業アニメと見劣りがしてしまう箇所があるのは否めません。ちょっと変なというか不自然な動きをしているカットも散見されます。また虫が重要なキーであるために多足動物がわんさと出るカットもあるのでそういうのが苦手な人も注意が必要です。

 作家性が強すぎるので合わなければただ作り手の自慰的な映像を延々と見せられているように感じる方もいるかもしれません。かなり観る人を選んでしまう作品であるのは間違いありませんが、こういう挑戦的な作品が小規模といえど全国公開されるところに日本アニメの強さがあるように思います。まだまだ、可能性の芽は色んなところにあるものです。「羽ばたき出す寸前」の作品を観てみたい方は是非どうぞ。

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昨日開催のダービーはご覧になりましたでしょうか。
 私が応援していた内の1頭がスタート直後についでに騎手まで振り落とし悠々と走って行ったのには笑ってしまいましたが、そんなアクシデントすら吹き飛ぶほどの事態が。2番人気だったスキルヴィングがレース中に急性心不全を起こし、ゴール後に倒れ込んでそのまま逝去してしまったのです。倒れ方が只事ではなかったためせめて無事であってくれと思いましたが運命とは時に残酷なもの。競走馬の脆さ、儚さを観衆に刻みつけるレースとなりました。

 こんばんは、小島@監督です。
 それでもレースは続いていく。全てのレースで人馬ともに無事に帰還してほしいものです。

 さて、今回の映画は「帰れない山」です。

 1984年、イタリア。トリノでエンジニアを務めるジョヴァンニ(フィリッポ・ティーミ)の息子ピエトロ(少年期アンドレア・パルマ、成年ルカ・マリネッリ)は両親に連れられ夏の休暇をモンテ・ローザ山麓のグラーノ村で過ごすことになった。グラーノ村はかつて賑わっていたものの今は寂れてしまい十数人しか住民がいない。そこでピエトロは牛飼いの少年ブルーノ(少年期フランチェスコ・パロンペッリ、成年アレッサンドロ・ボルギ)と出会う。都会育ちで繊細なピエトロと山育ちのブルーノは対照的な性格だが山で過ごす日々の中で親交を深めていく。
 しかし、思わぬ形で2人は引き裂かれる。そのことが大きな傷となりやがて思春期を迎えたピエトロはジョヴァンニに反目するようになりグラーノ村からも遠ざかっていく。だが一度は離れたグラーノ村に、ピエトロはもう一度導かれる。そこでブルーノとの15年ぶりの再会が待っているのだった。

 自分のルーツとなる土地、帰るべき場所、そこへ「帰れない」とはどういうことか。
 山岳映画の系譜に新たな傑作がまた一つ。敢えてスタンダードサイズに切り詰められた画面が映し出すのは、峻険で荘厳な北イタリアの山並みと普遍的な人間模様。世界各国で高い評価を得たパオロ・コニェッティの小説を原作として製作されたこの映画は、沁み入るような深い余韻とともに「生きる」ことの意味の根源を問うドラマです。

 映画は、数十年という時間を通して描かれます。その語り口は一見地味とすら思えるほどに細やか。けれどそれらが連綿と連なることで物語はどこまでも壮大になっていきます。人生には特別なことと特別でないことがいくつにも折り重なり続くもの。その中でつまるところ「立ち止まる」か「動く」かの選択を迫られながら進んでいく。そうして生きる人間を見下ろすように山がそびえている。その対比が全編を貫き、気付けば引き込まれていました。147分と結構な長尺なのにそれも気になりません。

 子どもの頃から対照的なピエトロとブルーノは大人になっても対照的な生き方を選びます。どちらもがある意味で満ち足りていてある意味では欠乏しており、片方だけが幸せではない。恐らくどちらの生き方にも共鳴できる部分や憧憬を抱く部分があるはずです。そして2人の友情は各々の境遇はどうあれ絶対的に確かなものですが、そうであるが故に最後にはその山へ「帰れなく」なります。それもまた「選択」の果てのことであり、何か強烈なサスペンスがそこに待ってるわけではありませんが、人が生きることの難しさと尊さを観るものに再確認させます。
 きっと誰しもがちょっぴりだけ自分の人生と重ねて観てしまう、そんな映画。決して華々しい作品ではないけれど、人生のどこかで立ち寄って欲しい一本というのはあるもの。迷い道の中、力強い激励や叱咤では眩し過ぎるときに、この映画は静かに寄り添ってくれることでしょう。

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昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
 再開してからこっち、馴染みの人たちと固まることが多かったので今回はあまり組んだことの無い方がいる部屋に行こうと決めて臨んだら、思いのほか居心地の良い部屋で(笑)、最近にしては叫び倒してしまいました。こういうその場のグルーヴ感も楽しかったりするもの。

 こんばんは、小島@監督です。
 まだまだ以前ほどには歌えていないので次回までに腹筋とか鍛えておかなきゃ。レパートリーも増やしたいですし。って思えるようになってきたあたり「戻って来たなぁ」と感じます。

 さて、今回の映画は「独裁者たちのとき」です。

 深い霞が立ち込める煉獄。その廃墟の一室でヨシフ・スターリン(映像・本人、声・ヴァフタング・クチャワ)は目を覚ました。天国の門へ向かい歩き出すスターリンに、アドルフ・ヒトラー、ウィンストン・チャーチル、べニート・ムッソリーニ(いずれも映像・本人、声はヒトラー役から順にロタール・ディーグ/ティム・エッテルト(2人1役)、アレクサンドル・サガバシ、ファビオ・マストランジェロ)が合流し、互いに悪態を吐きながらの旅が始まる。

 さながらダンテの「神曲」を思わせる煉獄を舞台にした幻想世界。そこを歩き天国の門を目指すのは第二次世界大戦において世界に名を轟かせた独裁者たちだ。互いに互いを嘲笑し、揶揄し、己の業績に酔いしれている。そんな彼等に天国の門は開くのか。
 ロシアが生んだ孤高の巨匠アレクサンドル・ソクーロフ。マッカーサーとの会見に臨む昭和天皇の姿を描いた「太陽」、エルミタージュ美術館で繰り広げられるロシア近代史をワンカットで綴った「エルミタージュ幻想」などで知られるソクーロフは、ソ連時代に全ての監督作が国内で上映禁止処分を受けたことでも知られています。早くからウクライナ侵攻の予兆をかぎ取っていたらしく、2021年にプーチンへ向けて意見陳述を突きつけるなど気骨のある活動を続けています。そんなソクーロフが2022年に発表した新作はシュールでアイロニーに満ちた幻想譚です。
 作中登場する4人の独裁者たちは全て生前実際に撮影されたアーカイブ映像を加工、コラージュしたものを使用し、彼等の放つセリフも回顧録などで本人が言ったとされる言葉から引用されているという非常にユニークな作りをしています。ディープフェイクで作られた映像ではないか?と言及されたこともあってか、本編冒頭にそれを否定するコメントが表示されています。

 冥界での対話、と言う主題は西洋文学では極めて伝統的な部類に入るものですが、対話というには自分以外を見下し続ける4人の姿は実に卑小で滑稽にすら映ります。他者に対してマウント取って自分のことだけ饒舌になるとか悪いオタクが集まって会話にならない会話してる様にも思えて変な笑いが出てしまいます。実のところ激論を交わすでもなく淡々と、と言うかかなりのスローテンポで物語が紡がれていくので途中いささか退屈に感じてしまったのは内緒です(苦笑)。
 しかしこの映画が2022年のロシアから世に問われたというのは大きな意味を持ちます。ロシアは今、映画製作の補助金をプロパガンダへ優先的に回すように政策の舵を切り、製作環境が一変しただけでなく欧米諸国の経済制裁により外国映画がほとんど入らなくなり、映画産業は甚大なダメージを受けていると聞きます。自由に映画が作れる環境を求めてアメリカなどへ逃亡する者も続出しているとか。今作もまたウクライナ侵攻の煽りを受けてカンヌ映画祭で上映数時間前に中止措置が取られたりと逆風吹きすさぶ中にあって真っ向から権力への問い掛けを行うこの映画には、今向き合うべき熱を持ち得た作品に思えます。ソクーロフ監督、肝の据わり方が尋常じゃありません。
 折しも世界の首脳が集うG7サミットの只中ウクライナのゼレンスキー大統領も電撃的に来日し、歴史の転換点のような様相を呈しつつある中でタイムリーと言えるこの作品に触れることは、これから先の世界を見据える上でも良きよすがとなるのではないでしょうか。

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