ちゅうカラぶろぐ


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昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。再開からこちらようやく体が習慣づいて来たような。やはり月1でも3ヶ月続けると違って来ますね。
 それはそれとしてまさか生のハマグリを頂けるとは予想外どころではなかったですが(笑)

 こんばんは、小島@監督です。
 何の巡り合わせか帰宅したらオカンがご近所さんから生わかめを頂いており、二つ合わせて潮汁にしました。出汁がもう実に美味。

 さて、今回は映画館の話。
 先週、一旦その歴史に幕を下ろした1軒の映画館。その休館直前にそこを訪ねて来ました。名古屋市営地下鉄東山線の新栄町駅を降り錦通を歩いて数分、あるいはJR中央線千種駅から錦通を15分ほど歩いたところにそれはあります。


「名演小劇場」です。
 開館は1972年。名古屋の自主的演劇鑑賞組織(いわゆる労演)であった「名古屋演劇同好会(略称・名演)」所有の劇場として、つまり映画館ではなく文字通りの劇場としてオープンしました。演劇鑑賞組織が運営する劇場としては当時全国初だったそうです。演劇だけでなく落語なども上演されていたとか。

 写真ではちょっと分かりにくいかもしれませんが今でも舞台は残っており、スクリーンは舞台奥の壁に設られています。なお写真の左側に映り込んでいるのはテレビカメラ。休館前の様子を取材に来ていたようです
 2003年に大規模な改装が行われて常設の映画館としてリニューアル。ですがその後も不定期に舞台公演が行われていたようです。翌2004年にはもう一面スクリーンが増設されて以後スクリーン2面を有するミニシアターとして営業が続けられていました。柳楽優弥がカンヌ映画祭で最優秀主演男優賞を受賞した「誰も知らない」(2004年製作)や、内容の重さや配給権の高騰により公開が見送られていた「ホテル・ルワンダ」(2004年製作。日本での公開は2006年)など高く評価されながらも公開に難渋した作品を上映した実績があります。

 こちらは屋外ロビーの様子。今までに上映された作品のチラシが隙間無く貼られています。

 
 休館前の最後のプログラムとして上映されたのは「ジェラール・フィリップ生誕100年映画祭」、夭折の俳優ジェラール・フィリップの主演作全てと彼の生涯を追ったドキュメンタリー「ジェラール・フィリップ最後の冬」を上映する特集企画になります。
 この日私が観たのは「モンパルナスの灯」。1958年に製作された作品で、画家アメデオ・モディリアーニの晩年を描いた物語です。芸術家として高いプライドを持ちながら世間の無理解に苦しみ、貧困とアルコール中毒、そして結核に苛まれます。モディリアーニに新しい恋人ができても何くれとなく世話を焼く元カノのベアトリスや「あいつは才能はあるが運が無い。だから死んだら絵を全部買ってやる」と言い切る画商のモレルなどフランス映画らしいキャラクターが何人も登場する、フランス映画の古典としても楽しめる逸品です。監督はジャック・ベッケル。フランソワ・トリュフォーらヌーヴェルヴァーグの旗手たちの敬意を集めた人物です。この映画の翌年、ジェラール・フィリップは肝臓がんを患いモディリアーニと同じ36歳で亡くなり、またジャック・ベッケル監督も翌1960年に没するなど曰くつきの作品でもあります。

 名古屋という都市は、意外に小さなエリアの中に特色の強いミニシアターが点在し映画に対し独自の文化圏を築いたと言って良い土地柄で、その一翼を担った映画館の休館に寂しさを拭えません。いつの日か再開することを願っています。

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週末に代々木競技場第一体育館で開催された「THE IDOLM@STER SHINY COLORS 5thLIVE If I_wings.」を配信で鑑賞しました。
 ストーリー性の強いステージングをすることもあるシャニマスですが、今回は極め付きだったと言って間違いないでしょう。挫折と終焉が色濃く漂うDay1の異様な雰囲気、まるで世界線が変わったかの様な歓喜と祝福に包まれるDay2、2つで1つの前後編の物語を観ているようなステージに、見事なまでに翻弄される2日間でした。Day1が持つただならぬ不穏な気配への考察と不安と期待をないまぜにしながらDay2の開演を待つ時間までも含めて1つの大きなイベントでした。
 ただほとんど禁じ手に近いやり方なのでこんな大技は何度も繰り返して欲しくないですね(苦笑)

 こんばんは、小島@監督です。
 ライブの最後にはアニメ化の告知も。アイマスの中でもシナリオの完成度が頭一つ抜けているタイトルだけに期待も大きいです。

 さて、今回の映画は「シン・仮面ライダー」です。
 公開直後ですしネタバレは極力避ける方向で行きます。

 山道を1台のバイクが疾走している。バイクには2人の男女が乗っていた。1人は緑川ルリ子(浜辺美波)、もう1人は本郷猛(池松壮亮)。2人は「ショッカー」と呼ばれる秘密結社に追われていた。人並外れた力を持つショッカーの構成員たち。一度は彼らの手に落ちるルリ子だったが本郷は自身の力を開放し瞬く間に構成員たちを打ち倒していく。彼もまたその身を改造・強化された人間であった。

 稀代のクリエイター・庵野秀明が日本特撮に残す爪痕がまた一つ。
 「仮面ライダー」シリーズ50周年を冠してのビッグプロジェクトとなった今作は、庵野秀明が監督・脚本を担い昭和の「仮面ライダー」を全面的に踏襲しながら石ノ森章太郎の描いた漫画を物語の基軸として、これまでのどれとも違う新たな仮面ライダーを作り上げてきました。毎週のTVシリーズと並行してスピード感重視で製作されているニチアサの劇場版とは全く違う、時間もお金も十分に投入され独特の世界観を余す事なく表現したどっしりした映像作品になっています。
 もう当然のように電柱と線路が映り込むのを筆頭に、物語、作劇、映像表現の随所に庵野秀明がこれまで手掛けた「新世紀エヴァンゲリオン」「シン・ゴジラ」「式日」「キューティーハニー」などの諸作品の要素が散りばめられており、大作であると同時に二次創作的な雰囲気を持つプライベートフィルムのようなテイストになっています。かなり強烈な癖であるためそれこそ「エヴァ」を四半世紀リアルタイムで付き合って鍛えられたのでスッと入ってきた私のような人間がいる一方で、拒否反応を示す方も少なくないでしょう。

 今作を象徴する何よりの存在が「仮面」そのものにあります。ここでの仮面は「変身」することで勝手に装着されるものではなく自身の手で被るものだからです。能楽における面が、見た目が変わらないはずなのに演者の僅かな所作で喜怒哀楽を表現するように、一見奇怪にも映る仮面が時に哭き、時に怒りを、時に決意を表現しています。と同時に本郷猛役池松壮亮、一文字隼人役柄本佑の2人は自身で変身後のバトルシーンも多く演じており、洗練されていない泥臭さが生々しい身体性を持っているのは現行の「仮面ライダーギーツ」との大きな対比とも言えますね。

 あと個人的なポイントとしてはルリ子役浜辺美波がマジで可愛い。これはもう声を大にして言っておきたい。2.5次元的な緑川ルリ子役を見事なまでに演じ切って見せていて、これをスクリーンで堪能できるだけでもある意味元が取れます。

 原典を存分に活かしながら自身の映像世界をこれでもかと展開してみせる、これぞ庵野秀明ワールド。なかなか今こういう映画を大作規模で作らせてもらえる監督はいません。こういうのはある意味「祭り」と同じなのでネタバレとファンアートが溢れ返る前にサクッと観ておきましょう。

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先日、アニメーター木村貴宏さんの訃報が。
 「勇者王ガオガイガー」「コードギアス反逆のルルーシュ」のキャラクターデザインや作画監督が特に有名ですが80年代からアニメ製作に参加したほか、艶やかなボディラインを描ける画風を活かして90年代には「スチームハーツ」「VIPER」「ヴァリアブル・ジオ」などPCのアダルトゲームでも手腕を発揮しており、こちらで名前を覚えた方も少なくないのではないでしょうか。全体的にアニメらしい強調されたシルエットとビジュアルをしているのにフィギュアとして立体化した時に映えるデザインをしていたのも特徴で、2000年代に美少女フィギュアが活況を見せた事がありましたがその一翼を彼の生み出したキャラクターが担っていたようにも思います。
 「コードギアス」がロングシリーズとなったためにあまりそうは見えませんでしたが2010年代前半を最後にキャラクターデザインなどを手掛けることは無くなり、近年は原画での参加を主舞台としていましたが長く闘病されていたようですね。また彼の描くキャラクターが躍動するところを観たかった…

 こんばんは、小島@監督です。
 それにしても今年はまだ始まって3か月も経っていないのに訃報が多すぎる…

 さて、今回の映画は「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」です。

 アメリカでコインランドリーを営む中国系移民のエヴリン(ミシェル・ヨー)とウェイモンド(キー・ホイ・クァン)の夫婦。しかし店は赤字続きで国税庁から監査を受けている真っ最中。そんな中で故郷の中国から認知症を患う父親ゴン(ジェームズ・ホン)が来訪してくる上、「彼女」のいる娘ジョイ(ステファニー・スー)とも折り合いが悪くエヴリンの心労はピークに達していた。
 ある日領収書の束を抱えて国税庁を訪れたエヴリンは、同行したウェイモンドが突然「私は別の宇宙から来た。全宇宙を破壊しようとするジョブ・トゥパキが迫っている」と言い出す。混乱するエヴリンに、ウェイモンドは並行宇宙に存在する別の自分が持つスキルを取得する方法を教えるのだが。

 毎年このくらいの時期になると色々な洋画のポスターに躍る「アカデミー賞最有力」の文字。皆さんこのコピーを持つ映画にどんな印象を抱きますか?重厚な史劇でしょうか、あるいは感動的なヒューマンドラマでしょうか。しかし今年は一味も二味も違います。○○を△△に××するとかそれはもうちょいとここではダイレクトに書けないような下ネタも盛大に飛び出すジャンル無用の珍品が、作品賞を始め実に7冠を獲得し賞レースを席巻しました。
 マーベル映画でもおなじみの「マルチバース」を題材に、ひょんなことから宇宙存亡の危機と戦う羽目になった初老の主婦の活躍を描きます。

 ここでのマルチバースとは「あの時自分はこの道を選んだがあっちを選んだらこうなっていた」という無限のIFと可能性の世界。思いがけずその「可能性」にアクセスできるようになったエヴリンは、生活に追われて家庭崩壊の危機に直面している現実から飛び出していきます。エヴリンの混乱同様に観客も唐突にマルチバースの戦いに放り込まれ、状況も理屈も良く分からぬまま未見性の塊のような映像と展開に翻弄されることになります。IFの世界の中にはウォン・カーウァイの「花様年華」やピクサーの「レミーのおいしいレストラン」のパロディみたいなものもあり、更には画面のアスペクト比までちょいちょい切り替わるフリーダムぶり。
 しかもやたらガチャガチャしているのに謎の疾走感があり、中だるみも尻すぼみもしないまま走り切った挙句に最後は何だか感動させられてしまう不思議。私は一体何を観ていたのだろう。実写化された「セクシーコマンドー外伝すごいよ!マサルさん」だろうか。

 無茶苦茶な映画だけれどそれをやり切って見せる主演2人の演技も尋常じゃありません。キャリアの集大成と言って良いエヴリン役ミシェル・ヨーはもちろんですが、子役時代に「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」や「グーニーズ」で脚光を浴びるもその後は映画製作の方にシフトし長く俳優業から離れていたウェイモンド役キー・ホイ・クアンは本格的な復帰後第一作となる今作で見事どころじゃないカムバックを果たしました。しかもミシェル・ヨーは主演女優賞を、キー・ホイ・クァンは助演男優賞をそれぞれ獲得する栄誉に浴しています。

 コレが作品賞まで獲ってしまうとは保守的と思われたアカデミー賞も結構ロック。こういうのは熱いうちに押さえておくに限るので上映中にスクリーンで観ておきましょう。かなりトガってるので合わない方も多いかとは思いますがそれはそれ!

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昨年の健康診断の結果が今ひとつだったので、特定保健指導を受けることに。抑うつ状態と診断される直前の時期に行ったものですが、今見るとなるほど前年比であれこれ悪くなっててメンタルの悪化がこういうところにも数字に現れていたのかと妙に感心してしまうくらい。

 こんばんは、小島@監督です。
 まあ取り敢えずは減量しろって話ですよ(笑)。せめて去年よりは良い状態に持って行かないとね。

 さて、今回の映画は「BLUE GIANT」です。

 ジャズに魅了され、テナーサックスを始めた宮本大(声・山田裕貴)は世界一のジャズプレイヤーになることを夢見て仙台から上京した。大学入学を機に上京した高校の同級生・玉田俊二(声・岡山天音)のもとに転がり込んだ大は、ある日訪れたライブハウスでピアニスト・沢辺雪祈(声・間宮祥太朗)と出会う。大は雪祈にバンドを組もうと持ち掛けるのだった。

 ジャズをモチーフにした映画の歴史は古く、世界最初の音声映画のタイトルが「ジャズ・シンガー」(1927年)だったりするほどです。発祥の地がアメリカ南部のニューオリンズである故にジャズ映画はアメリカの独壇場のように思われがちですが、日本にも「さらばモスクワ愚連隊」(1968年)「ジャズ大名」(1986年)「スウィングガールズ」(2004年)のような例があり、独自の系譜を形成しています。その日本ジャズ映画の新たな系譜であると同時にアニメ映画・青春映画としても傑作の部類に入る作品が登場しました。
 石塚真一のコミックを原作に、「モブサイコ」「名探偵コナン ゼロの執行人」などを手掛けた立川譲が監督を務めました。音楽を担ったのは日本ジャズのフロントランナーの一人であるピアニスト・上原ひろみ。面白いのは脚本を書いたNUMBER8という方、なんと「BLUE GIANT」の担当編集者だそうです。作者に引けを取らないほどのクリエイティブな人物が編集に居たりするものなのですね。

 強い音楽があり、映像があるなら、ストーリーを語るのにセリフは決して前に出る必要は無い、という映像作品としてはある意味当然のことを真っ直ぐに叩き付けてくる作品です。原作の単行本10巻分を120分にまとめているとのことでいささか駆け足気味ではありますが、特に大たちのライブに足を運ぶ観客たちにも相応の想いやドラマがあることを僅かな点描で示唆してみせる手腕は大したもの。
 思いの全てをサックスにこめるパワースタイルの大、華麗なテクニックを見せつける雪祈、キャリアが浅い故に必死になって叩く俊二のドラム、これらが重なり合うセッション、上映時間の30%近くを占めるライブシーンは音だけでなくそれを視覚化した映像も見事でそれらが織りなすエモーションはまさに比類が無い。上原ひろみら日本のトップジャズアーティストらの名演と言って良いこのライブシーンの迫力は自宅のTVじゃどうしたって格落ちするので劇場での鑑賞は必須。選べるならなるたけ音響の良いところを選んで欲しいくらいです。

 欠点があるとすればライブシーンにおいてCGも多用されているのですが、手書きのシーンに対して質感が浮いているシーンが散見されることでしょうか。「けいおん!」などが軽々とやっているように見えるので一見忘れがちですが楽器演奏をアニメートするというのは実は相当に難しい代物である故、致し方ないのかもしれませんがもう少し質感のすり合わせをして欲しかったカットがあります。
 とは言えそんなのは些細な欠点。圧巻の音楽と映像を是非ともスクリーンで体感して欲しいですね。
 なお、エンドクレジット後にもうワンシーンあります。おまけどころかそれが無いとちゃんと映画がオチないので場内が明るくなるまで席をお立ちになりませんよう。あと、LP盤を模したパンフレットが最高にカッコいいのですが、非常にデカいので購入を検討している方はトートバッグもご持参ください。


 

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昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
 初参加の方が多く集まっている部屋を訪ねてみたら、世代の違いを痛感してしまうなど(苦笑)。でも知っているところだけでまとまるようにするより果敢に新しいのにも挑んで行った方が楽しいかも。「次はどうしようかな」と考えられるのは良いですね。

 こんばんは、小島@監督です。
 まあ言うて私、今回はライブ明けの勢いでアイマスで固め込んだんですけれども(笑)

 さて、今回の映画は「アントマン&ワスプ:クアントマニア」です。

 かつてサノスとの戦いにおいて重要な役割を果たしたアントマンことスコット・ラング(ポール・ラッド)。今は家族と共に穏やかな時間を過ごし、アベンジャーズの一員として自叙伝を出版するなど順風満帆な日々を送っていた。しかしある時、娘キャシー(キャスリン・ニュートン)が作った装置が起こしたトラブルによりスコットとその家族は量子世界に引きずり込まれてしまう。原子よりも小さな世界で、彼等を待っていたのは時空を超えて全てを支配しようとする征服者・カーン(ジョナサン・メジャース)との遭遇だった。

 昨年11月公開の「ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー」でフェーズ4の幕を下ろした「マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)」。新たなフェーズのキックオフを担ったのはしがない中年でありながらヒーローになったスコット・ラングことアントマンとその一家。量子世界でサノス後のシリーズを横断する事になるスーパーヴィラン・カーンと出会うことになります。フェーズ4ではサノスとの戦いを経たヒーローたちのその後を描く物語か、新ヒーローの誕生を描く物語が中心となり、個々で輝く作品は多かったもののシリーズを横断する様な展開は薄めでしたが、新アベンジャーズの誕生も示唆される今作からはまた数々の作品を巻き込む大きな流れを作り出して行くようです。

 原子よりも小さな量子世界という舞台に、マルチバース全てを支配しようとするカーンと、最小のコミュニティとも言うべき家族で挑むアントマンたち。この極端な大と小の混在が今作の魅力と言えるでしょう。カーン以外にも続々と登場する新キャラクター達といい個性的な登場人物群がわちゃわちゃしてる感じはいかにもコミックらしい楽しさと言えますね。世界規模の戦いに巻き込まれることになってもスコットの家族第一なスタンスは変わらないところが物語の大きな軸にもなっていますし、才能はあるけど空回りしがちで何となくポンコツなキャシーを演じるキャスリン・ニュートンの可愛らしさもポイントですね。

 一方で、説明の必要のある設定や新要素を語ることを変に後回しにしてしまっていたり、「世界規模」あるいは「宇宙規模」の戦いというとどうしても「アレ」(直接タイトル名を挙げるとネタバレになりそうなのでここでは伏せます)を意識せざるを得ないのだろうか、というくらい既視感に満ちた展開と映像が続く後半などイマイチ乗り切れない箇所も多く見受けられました。こちらの期待が大き過ぎた可能性も無くは無いですが、なかなか面白いアイディアを映像化したシーンもあっただけに少し残念な気もします。コロナ禍で一旦は足踏みしたものの、映画だけでも年に4〜5本、更にドラマシリーズもあるというハイペースな製作体制、VFXを手掛けるスタッフの過重労働が取り沙汰される程の状況が作品のクオリティに影響を及ぼし始めているのかもしれません。あるいはタイトルが増えすぎて作品世界のクオリティコントロールが難しくなりつつあるのかも。極端なレベルダウンを来しているわけではないのですが、先々に一抹の不安を覚えました。
 今のところ2025年に「アベンジャーズ:カーン・ダイナスティ」と題された新たなアベンジャーズの映画が準備されています。そこまでにMCUが「インフィニティ・ウォー」や「エンド・ゲーム」の様な盛り上がりを獲得できるのか。ここからの爆発を期待したいですね。

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本日の昼ごろ、漫画家・松本零士さんの訃報が。
 SFというものを、初めて意識したのはもしかしたら「銀河鉄道999」だったかもしれません。漆黒の宇宙を汽笛を響かせながら駆ける蒸気機関車の姿、永遠に生きられる機械の体を求めながら、有限の中で眩しく輝く生命と感情の煌めきを描き上げたドラマに少年の日の自分は釘付けになりました。

 こんばんは、小島@監督です。
 その命は尽きて遠く時の輪の接するところまで旅立ってしまっても、魂は尽きる事なく作品の中で輝き続けることでしょう。
 ご冥福をお祈りいたします。

 さて、今回の映画は「仕掛人・藤枝梅安 第一作」です。

 品川台町で鍼医者を営み町民から慕われる藤枝梅安(豊川悦司)には、「蔓」と呼ばれる元締めから報酬をもらい、生かしてはおけない者を闇に葬る「仕掛人」としてのもう一つの顔があった。その日も「仕掛」を終えた梅安は、同じ仕掛人仲間であり、楊枝作りの職人でもある彦次郎(片岡愛之助)の家に泊まったその帰り道、浪人・石川友五郎(早乙女太一)が刺客に襲撃されるも返り討ちにする場を目撃した。
 後刻、梅安は蔓である羽沢の嘉兵衛(柳葉敏郎)から料理屋・万七の女将・おみの(天海祐希)を葬ってほしいという新たな仕掛を依頼される。おみのの素性の調査を始めた梅安は、やがて思いがけない事実を知ることになる。

 かつては隆盛を誇りながらめっきり製作本数が減ってしまった時代劇。CSの時代劇専門チャンネルはそれに抗うように気骨のある作品を発表し続けていましたが、池波正太郎生誕100周年という今年に「剣客商売」「鬼平犯科帳」と並ぶ彼の代表作の一つである「仕掛人・藤枝梅安」を世界へ発信すべく二部作を連続公開という形で映画化。その第一作が現在公開中です。なお、タイトルの「第一作」はあくまで便宜上の呼称のようで画面に表示されるタイトルはただ「仕掛人・藤枝梅安」となっています。
 また、終盤に第二作への引きとなるシーンがあるものの、ほぼ第一作単体で作品として成立しており、例えば今作を観ないままに第二作(4月公開予定)だけを鑑賞しても恐らく問題は無いのではと思います。

 重厚な出演陣のアンサンブル、暗めの色調がもたらすハードで劇画的な雰囲気、川井憲次の手掛ける音楽、全てが一体となって非常に魅力的な映像が展開します。特に主演・豊川悦司の匂い立つような苦み走った色気がこの彩度を落とした映像にベストマッチ。その居住まいだけで映画の格を一段階上げるパワーを放っています。
 登場人物の業が絡み合った、かなり凝ったシナリオをしているためかところどころテンポの悪い箇所が見受けられるものの、この欠点を補って余りある面白さがあります。

 鍼医者として人を救う一方で、その鍼で人の命を奪う梅安。善と悪、生と死が紙一重で併存する矛盾を最も良く表現しているのが池波正太郎作品ではお馴染みともいえる食事のシーン。この映画でも劇中に何度も登場します。単純で素朴な料理ほど美味しそうに見えるのもポイントですが、梅安と彦次郎が口にするそれらの食事たちの多くがさながら「最後の晩餐」のように仕掛人の業を強調しているのが見事です。

 このご時世に敢えて攻めた時代劇を世に送り出す矜持を存分に見せてくれる、熱い逸品。こういうのが観たい、観てみたいと思っている方も結構いるのでは。スクリーンで時代劇を観る楽しさを多くの方に味わって欲しいですね。

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こんばんは、小島@監督です。
 週末、本当に夢のような2日間を過ごして来ました。やたらと重い腕と足、そして迂闊に寝落ちすると終点まで寝込んだしまいそうだからカフェイン強めのお茶を飲みつつ新幹線の中でこの文章を書いているこの状況が、その時間が夢ではなかったことの証明です。

 そう、この11日12日と東京ドームで開催された「 THE IDOLM@STER M@STERS OF IDOL WORLD!!!!! 2023」 を観てきました。アイドルマスター5ブランドが一堂に介しての合同ライブです。今回はもう私としても久しぶりにがっつり両日現地参戦。
 配信コンテンツやバンナムフェスでブランド合同は過去にもあったものの、アイドルマスターの単独イベントでは初めて。そして今回は開催1週間前に声出しでの応援が解禁となり、3年ぶりにコールを入れられるライブとなりました。出演者の中にはこの3年の間にアイマスに加わった者もおり、というか声優としてのデビューがこの期間中という方もいましたのでその方にとってはもしかして初めて浴びる歓声だったのではないかという気もします。

 ライブは「THE IDOLM@STER」「Glow map」など各ブランドを代表する全体曲をショートメドレーで繋ぐことから始まりました。で、長くライブを観てきていても、今まで流石にそれは無かった「開幕1曲目から落涙」という経験を、今回初めてやってしまいました。いや〜声出せるって良いですね(笑)!声援を受けて明らかにハイになっている出演者もおり、声援がパフォーマンスを一段上に引き上げる様を久しぶりに観れました。
 
 ライブの開催が発表された際に、作中のユニット主体で出演者が紹介されていたので一種の対バン形式でのライブイベントになるのかと当初思っていたのですが、序盤からコラボレーションをこれでもかと突っ込んでくるアベンジャーズかスパロボみたいなストロングスタイル。今やキャラクターが300人以上いるアイマスですので「この曲をこの人とその人が組んで歌ったら面白いだろうな」とは多くの方が一度は思ったに違い無いのですが、それをとにかく大量投入してきて、その様はさながら総火演か何かのよう。選曲もそれを歌う人選もキャラクターや演じる声優の特性、ストーリー性なども良く吟味されていて、こんなに隙の無いライブはあまりお目に掛かったことがありません。イケボな女性声優集めて「MOONNIGHTのせいにして」とか青い歌姫揃えて「DYE THE SKY」とかツンデレだけ並べて「ラ♡ブ♡リ」とか観たかったに決まっとろうが!ありがとう!!

 ライブの方向性を端的に示してくれたのがDay1序盤に披露された「ミリオンライブ」のユニット「Clearsky」と「シャイニーカラーズ」のユニット「ノクチル」がコラボしての「Shihy smile」。どちらも青春の淡さを備えたユニットを組ませて、駆け出すような思春期の心情を歌うこの曲をあてがうセンスの妙に唸りました。
 新曲や鉄板な定番曲よりむしろその日出演していない人やユニットの持ち歌が多く投入されているのも特徴で、予想外と予想以上がバンバン来る心地良さもありましたね。

 今回マジで1曲1曲噛み砕いて語りたいくらいなのですが、それをやるといくら何でも文字数がおかしな事になるのでまたの機会に。
 コロナ禍が始まり、ライブそのものができなくなった2020年に15周年を迎えたアイドルマスター。その際に企画されていたことの多くは中止・延期を余儀なくされ、運営側もファンの側も試行錯誤を繰り返し、ようやく不自由さと折り合いをつけながら進む道を見つけた。皆が皆いつか来る「その日」を思いながら。その果てにこの2日間が待っていました。遠回りした時間はきっと無駄では無かった。そしてここはまだ終わりではなく通過点だと言えるのも嬉しい。
 きっと、ここからまた始まるのです。ただ今はまだこの余韻を噛み締めていよう。腕もまだ重いしね。

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