ちゅうカラぶろぐ


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休職1日目、かなりがっつり引継ぎはしたのですが、朝からバンバン電話がかかってくるのに苦笑しています。まあ私としても想定外のイレギュラーな話だったりしたので仕方ないところではあるのですが。

 こんばんは、小島@監督です。
 静かな日々がやってくるのはいつの日やら。

 さて、今回の映画は「王立宇宙軍 オネアミスの翼」です。

 「何もしない軍隊」と揶揄され、落第物の集まりと見下されているオネアミス王国の宇宙軍。そこに所属する士官のシロツグ(声・森本レオ)は、かつては水軍のジェット戦闘機乗りに憧れていたがそこに行けるほどの優秀な成績を修められず、仕方なく入った王立宇宙軍で気の抜けた日々を送っていた。
 ある夜、同僚たちと繰り出した歓楽街でシロツグは布教活動を行う少女リイクニ(声・弥生みつき)と出会う。休日に下心を秘めてリイクニの下に話を聞きに行ったシロツグは、「戦争をしない軍隊」である宇宙軍を褒められ、やる気を起こしカイデン将軍(声・内田稔)が推進する有人宇宙飛行計画に志願するのだった。

 のちに「新世紀エヴァンゲリオン」で日本アニメ史に不動の名を刻むことになるアニメスタジオ・GAINAX。その第1回作品として1987年に製作された劇場用アニメ映画です。企画そのものはGAINAXの前身とも言うべきアマチュア映像集団「DAICON FILM」の時期に既にあり、本作を製作するためにDAICON FILMを解散し、GAINAXが設立された経緯があります。そんな作品が製作35周年を記念し4Kリマスター版によるリバイバル上映が現在行われています。昔レンタルビデオで観たコレをスクリーンで観られる日が来るとは正直予想外でした。

 端的に言えば軍のはみ出し者だったメンバーたちが力を合わせてロケットを飛ばす、それだけの物語です。正直に言えば119分というがっつりとした上映時間をしている割には内容は薄く起伏にも乏しく、いささか退屈を禁じ得ない部分はあります。
 しかしその大きすぎる欠点を差し置いてなお魅力的に映るのは、ひとえに異常なまでの濃度と密度を誇る作画にあります。なんてことない動作の一つ一つが緻密に描写され、クライマックスのシャトルの発射シーンなどは実写と比較しても遜色ない境地にまで達しており、しかもすべて手描きというのがもう驚異としか言いようがないレベルです。

 DAICON FILM結成時にはまだ学生であった山賀博之、庵野秀明、貞本義行、前田真宏と言った主要メンバーたちは大学在学中から「超時空要塞マクロス」や「風の谷のナウシカ」などにアニメーターとして参加しており、そんな彼らの新たなステップとしての意味合いも強かったこの作品は、映画が作品としてまとまるバランスを逸脱したのと引き換えに参加したアニメーターたちのセンスを見事なまでに発露させる結果となりました。このアンバランスさは監督の山賀博之を筆頭に平均年齢24歳という若いスタッフで主要メンバーが固められていたことも大きいでしょう。同人レベルでは注目を集めていたとはいえ商業的には全く実績の無いスタッフにいきなり全国ロードショークラスの劇場用アニメをしかもオリジナル作品で任せたところに1980年代半ばの時代性が垣間見える面白さがあります。今でこそ映像製作としても大手となったバンダイも、当時はまだ映像事業に参入して日も浅い時期で、ある種の「攻め」をしたい意図もあったかもしれませんね。

 どうにも保守的になりがちな昨今とは違う、「野心」と「若さ」がそのまま形になったかのようなこの作品を時を経て再見すると言うのはただノスタルジーとは一線を画す何かを観る者に与えてくれるような気がします。この道の先に「エヴァンゲリオン」がある、というのも面白い。90年代のクリエイティブに繋がる礎ともいえる逸品、どうぞスクリーンでご堪能あれ。

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少し前から気分がふさぎがちになり、仕事でもミスが増えたというか思考がクリアにならない時間が増えてきて、これはさすがに何かがおかしいと心療内科への受診を始めたところ、「軽度のうつ病」と診断されました。
 職場にも説明して上司と面談した結果、来週から約1か月間休職することに。今までが過労気味だった影響が遂に出てしまったのかも。しばらくゆっくりしますよ。
 
 こんばんは、小島@監督です。
 職場でストレスチェックとかやるところも多いかと思います。あの結果が芳しくない時はマジでカウンセリングとか心療内科とか行った方が良い。1年放置したらここまで悪化した私からのアドバイスです。 

 さて、今回の映画は「線は、僕を描く」です。

 家族を亡くし深い哀しみに沈んでいた大学生の青山霜介(横浜流星)は、友人から紹介された絵画展設営のアルバイトで水墨画との出会いを果たす。
 巨匠・篠田湖山(三浦友和)に声を掛けられ水墨画を学び始めた霜介は、白と黒の濃淡だけで表現する水墨画の玄妙な世界へ魅せられていく。

 競技かるたに青春をかけた高校生たちを描いた青春映画の金字塔「ちはやふる」、監督小泉徳宏を筆頭にその製作陣が再結集し、今度は「水墨画」をモチーフに新たな青春映画を送り出しました。

 全てが必要十分に整い、音楽も過剰に盛られたりすることも無く実に端正に作り上げられた映画です。作中何度か登場する書家たちによる揮毫会のシーンも殺陣のようなダイナミズムに満ち、一見静的な要素の多いモチーフに思えるこの作品に躍動感をもたらしています。
 何より主人公の青年・霜介を演じる横浜流星が素晴らしい。傷心の只中にあり、恐らく世界がきっとモノクロームに見えていたであろうところから水墨画を知り、色彩を取り戻していく様を繊細に演じています。
 
 一見単純に過ぎる物語の構図に一つの変化球として存在するのが、ヒロインともいえる湖山の孫娘、清原果耶演じる篠田千瑛です。師匠である湖山は、霜介に「何か」を見出し弟子にスカウトするも教えるのが下手過ぎるため、湖山に代わって水墨画の基礎を教えることになります。霜介にとって水墨画への世界の扉を用意したのは湖山ですが、扉を開いた霜介の手を取る導き手となるのは千瑛、しかしその千瑛の方は新進気鋭の美人水墨画家として注目を集めるも彼女自身はスランプに陥っています。師であり祖父である湖山に複雑な感情を向ける千瑛と、喪失の哀しみに折り合いを付けられずにいる霜介、2人の葛藤が交差し物語を牽引します。

 そんな2人を見守るのは湖山だけではありません。特に江口洋介演じる西濱湖峯は年長者として2人を支えると同時に、ある意味で一番おいしいところをさらっていきます。いやもうズルいすよアレは(笑)

 正直非の打ち所がない作品ですが、逆を言えばあまりに端正に過ぎて全てが予想の範囲に収まり突き抜けては行かないのが欠点と言えば欠点です。さらりと気分良く観られると言うのも重要な要素なのでコレは一概に悪いこととは言えません。水墨画というこれまであまり映画では用いられてこなかったモチーフに挑む俳優たちの演技の相乗効果だけでも十二分に楽しい作品です。薫風のような爽やかな作品を観たくなった時に、是非どうぞ。
 

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前々から「そろそろ買い替えなきゃな〜」と思っていた自宅のTVがいよいよ瀕死。遂に映像がほぼ映らなくなる時が出始めました。思えば「メタルギアソリッド4」を良い画面でプレイしたいからと買ったTVを今まで使って来たのでもう15年近くになります。良くここまで使い込めたものよ。

 こんばんは、小島@監督です。
 自然と次に買うのは4K対応になるのでしょうが、液晶で行こうかいっそ有機ELにしようかで思案中。でもこの1ヶ月くらいの間には決めないと。

 さて、今回の映画は「RRR」です。

 1920年代、英国統治下のインド。森に暮らすゴーンド族のビーム(NTR JR.)はイギリス人に連れ去られた村の少女を救うべく仲間と共にデリーを訪れ、イスラム教徒の整備工一家に匿われながら少女がいると思われる総督の公邸に入り込む手段を探していた。
 一方、警察官として勤めるラーマ(ラーム・チャラン)は目覚ましい活躍をしながらもインド人であるが故に昇進できないことに忸怩たる思いを抱いていた。そんな折、総督府の下にゴーンド族がさらわれた娘の奪還のために襲撃を目論んでいるとの情報がもたらされる。成功すれば昇進できるという総督夫人の宣言を受け、ラーマは捜査責任者に立候補。反英活動家の集会に潜入し、ゴーンド族の動向を調べ始める。
 ある時、鉄道事故の現場に2人は偶然に出会う。巻き込まれた少年を救うために力を合わせた2人は互いの素性も知らぬままに運命的なものを感じ、これをきっかけに親友になっていく。しかし2人はまだ知らない。やがて互いに命をかけて戦いあうことになることを。

 3時間、最高濃度のエネルギーを放ち続けたまま駆け抜けるような映画を作る。そんなことをやってのけられる国と言えば?
 そう、インド。
 「バーフバリ」2部作で世界にその名を轟かせたS.S.ラージャマウリ監督がまたとてつもない作品を世に送り出してきました。
 英国統治下のインドを舞台に2人の男の友情と戦いを異様なまでの熱量と濃度で描き上げて観客を圧倒します。熱血という言葉がこれほど似合う映画もそうはありません。実はラーマとビームという主人公2人は舞台となった時代に実在した解放運動の闘士なのですが、2人は実際には1度も顔を合わせていないそうなので多分作中に登場するエピソードはほぼ創作と思われます。というか史実だったら嫌すぎる(笑)どちらかと言えば史上実在した人物を借りて「ラーマーヤナ」を思わせる神話的世界を創出したというイメージが近く、ある意味ではFGOなどとも近いノリとも言えるでしょう。

 全編見せ場しかないような映画で、このメガ盛ぶりこそがインド映画の真骨頂とも言えますが、ただ勢い任せに作っているのではなく「知性」を感じさせるところに凄みがあります。一見してCGと分かるショットやエフェクトも多いですが、リアリティの補強としてCGが使われるのではなく「画面を派手に彩りたい」「映画を極限まで盛り上げたい」がために計算ずくで大嘘上等のCGを盛ってくるのでそもそもVFXの映像に対するアプローチが根底から違います。
 今作を手がけたラージャマウリ監督、「バーフバリ」でもMCUシリーズや「スターウォーズ」などの映画的記憶を感じさせるシーンが登場しましたが、この作品でも例えば「モーターサイクル・ダイアリーズ」や「ランボー」を思わせるシーンが登場するものの、重要なのは単純なパロディとして映画に採り入れているのではなく映画の純度を高めるための最適解としてそれを見出し、血肉としているところにあります。

 また、もう一方である種の「怒り」を感じさせる映画でもあります。それは恐らくこの世の不条理や理不尽に対しての怒り。奇しくも、と言わざるを得ないのですがこの映画の前半のクライマックスの一つである「ナートゥ・ダンス」、その撮影は2021年のウクライナ・キーウで行われました。明るく華やかであると同時に抑圧下でも自国の文化への誇りを失わない矜持を描いたエネルギッシュなこのシーンを支えた風景も今は戦禍に見舞われている理不尽。そういった理不尽への怒りをエンターテインメントへと昇華させているのです。

 実は多分に「国民映画」としての色彩も強く、ある種のプロパガンダくささを感じさせる箇所もあるのですが、「映画」としての風格も純度も桁違いなのでそんなことは構わずこの強烈なビッグウェーブを全力で浴びて欲しいと思いますね。カロリーが高過ぎるので観ると体感で何㎏か痩せたような気分になれます。あるいは観るエナドリ。暗い話が多いご時世に一時全てを忘れさせてくれます。
 これは映画館で観ないともったいない!

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昨日と一昨日、2年前に大阪京セラドームで開催されたシンデレラガールズのライブが無料配信されていました。実のところBlu-rayは持っているのに無料配信となるとつい観てしまう不思議。
 これが開催された翌週にPerfumeが東京ドームライブを当日に中止してニュースになり、以降一気に自粛の波が広がって、今ようやくライブはまたやれるようになったものの以前のように声援を送ることはできなくなっています。コロナ禍によって激変する直前の、思うがままに声援を送りコール&レスポンスを楽しんだ最後の輝きとなったこのライブは、今観ると僅か2年半前のことなのに言い知れぬ懐かしさを覚えます。

 こんばんは、小島@監督です。
 いつかまた、こんな風に声援を送れるようになる日が来ると良いのですが。

 さて、今回の映画は「渇きと偽り」です。

 メルボルンで連邦捜査官として働くアーロン・フォーク(エリック・バナ)は、旧友であるルーク・ハドラー(マーティン・ディングル・ウォール)の葬儀に参列するため、20年ぶりに故郷のキエワラに帰ってきた。そこでは1年近くも雨が降っておらず、人々は時に飲み水にも事欠くありさまだった。一家の無理心中と目される事件だったが、ルークの両親ジェリー(ブルース・スペンス)とバーブ(ジュリア・ブレイク)は息子が心中したと言うのが納得いかず、アーロンに調査を求める。熱意に押され地元警官のグレッグ・レイコー(キーア・オドネル)と共に捜査に当たるアーロンだったが、やがてこの事件が自身が故郷を追われるきっかけともなった20年前の幼馴染エリー(ベベ・ベッテンコート)の変死事件と関りがあるのではないかと疑い始める。

 観光大国のイメージもあるであろうオーストラリアという国は、実は気候温暖化の影響を如実に受けている国でもあります。干ばつで苦しむ街や人々は国のいたるところに存在します。この映画の主舞台であるキエワラという街、実在しない架空の街ではありますがそこで描かれる様はオーストラリアが直面する現実でもあるのでしょう。そんな街を故郷とする刑事が、旧友の死を聞きつけ葬儀に駆け付けるところから物語は始まります。
 そこでアーロンを待っているのは現在と過去の2つの事件。そのどちらでもアーロンは幼馴染を喪っており、ルークの死の謎を追う現在の事件は、一方で過去にエリーが変死した事件の際にアーロンが付いてしまった「嘘」が記憶の底からアーロンを苛みます。
 王道ともいえる
ミステリーに、「嘘」で塗り固めた人の心のひだを繊細に描き出すドラマをものにしてみせたのは監督ロバート・コノリーらオーストラリアの俊英たち。主演のエリック・バナはハリウッドを中心に活躍する俳優ですが、今作のシナリオに惚れこみ製作としても名を連ね、実に13年ぶりに母国の映画で主演しています。

 この映画、特筆すべきはセリフ以上に風景が見せる現在と過去の対比です。かつて友と遊び、そして喪った川や湖も今は干上がりそこが水をたたえていたことすら忘れたかのように地面がむき出しになっています。それに呼応させられているかのように人々の心も渇き、やせてしまっている。始めは小さな小石程度だったかもしれない「嘘」も今は何重にも積み重ねてアスファルトで舗装したかのように塗り固められ本音との境界線さえ見えなくなっているものすらある。そんな汚れを洗い落としたくとも雨の降らないキエワラではシャワーからは僅かな泥水のみ。洗い落とすこともできずに自身と街に潜む陰に向き合うしかなくなるのです。

 「フーダニット」と「ホワイダニット」というミステリーの定石を踏まえながら人の心の傷が複雑に絡み合う様を描き出す、まるで濃く淹れたコーヒーのように苦みと渋みに酔いしれる1本です。
 実は数日前まで全くノーマークというか存在も知らないままにいた映画だったのですが、たまたま粗筋を知って直感に促されるままに観た1本。予想以上に自分好みでした。こういう直感には従った方が良い。

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今月から始まった「機動戦士ガンダム水星の魔女」、まだ何もかも断片しか見せていないのにキャラクターとストーリーのフックが巧く序盤から引き込まれるよう。ちょっと「少女革命ウテナ」や「新機動戦記ガンダムW」を彷彿とさせるノリも楽しい。

 こんばんは、小島@監督です。
 シリーズ構成とメインライターが「コードギアス」の大河内一楼なので先々油断できないですが、その先読みのできなさも含めて楽しませてもらえそうです。

 さて、今回の映画は「LAMB/ラム」です。

 アイスランドの人里離れた山間の土地に暮らすマリア(ノオミ・ラパス)とイングヴァル(ヒルミル・スナイル・グドゥナソン)の羊飼いの夫婦。2人は子供を亡くして悲しみに暮れていた。
 ある日、2人は1頭の羊の出産に立ち会うが、生まれてきた子羊の異様な姿に驚愕する。しかしその容貌に愛らしさを覚えた2人は「それ」を「アダ」と名付け自分たちの子供のように育てることに決めるのだった。

 尖った作風の映画を製作・配給する会社として着実に知名度を上げているインディペンデント系企業「A24」が、北欧からまたユニークな映画を発信してきました。今年も様々なタイプの映画が公開されていますが、その中でもかなり特異な部類に入る一本です。

 白夜に彩られた荒涼とした山間の風景はさながらルネ・マグリットの抽象画のようでどこまでも広いのにどこか閉鎖的に映りそこから場所を移すことは無く、登場人物も数えるほど。極めて限定的な物語空間で展開するのはホラーともファンタジーともつかないどこか寓話性の強いストーリーです。
 説明的なセリフもほとんどないままに淡々と物語が進むため、展開する事象の多くは観客の想像性に委ねられており、知らず知らずのうちに観客は「檻」とも「澱」ともつかぬ物語の様相に絡めとられ、先読みのできない不穏な空気感に煽られていくのです。

 物語がいくらかなりともその輪郭を確かなものにし始めるのは、中盤イングヴァルの弟ペートゥル(ビョルン・フリーヌル・ハラルドソン)がふらりと二人の農場にやってきてから。ペートゥルはマリアとイングヴァル、そしてアダで完結していた空間に波紋と亀裂をもたらす存在であり、それに対してマリアとイングヴァルがどう対したかが物語の行く末を決定づけます。
 登場人物の人名や物語のキーである存在が「羊」であることなどにキリスト教的モチーフを見出すことはたやすく、物語に内在する不純物の少なさが寓話というよりむしろ神話性さえ内包していると言える1本です。

 この映画を手掛けたのは「ローグ・ワン」の特殊効果などを担当したヴァルディマル・ヨハンソン。なんとこれが長編映画デビュー作。初作品からこのオリジナリティ。いきなり監督自身の名刺にできる映画を作り上げたと言って間違いなく、今後のフィルモグラフィーが楽しみです。

 観客に羊のごとく反芻を促さずにはおかず、癖が強すぎて合わない人も多いでしょうがそれ故に虜になる人もきっといるであろう怪作です。これは悪夢なのか福音なのか。
 しかし「ミッドサマー」と言い「スイスアーミー・マン」と言いA24のエッジの効いたセンスは面白い。「ノマドランド」や「スリービルボード」を発信したサーチライト・ピクチャーズのように会社の名前で選べるところが一つ増えたようです。

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昨日のかときちさんのブログでも触れられていましたが、三遊亭円楽さん、アントニオ猪木さんの相次ぐ訃報に私も驚きが隠せません。
 三遊亭円楽さんは、落語好きだった亡き父が「笑点」を好きで幼い頃一緒に観ていたので、大喜利の顔の一人、からりとした口調で毒舌を吐く人という印象が強い方でした。良く見ていた頃はまだ円楽の名跡を継ぐ前だったので「三遊亭楽太郎」の名の方が自分にとっては通りが良かったりします。
 アントニオ猪木さんは、実は一度職場を訪問してくれたことがあり、その際に一緒に写真撮ってもらった思い出があります。晩年、病でやつれた姿も敢えてさらして「アントニオ猪木」であり続ける姿には奮えるものがあり、プロレスというカルチャーを飛び越えたところにいた方だったように思います。

 こんばんは、小島@監督です。
 謹んでお悔やみ申し上げます。それにしても今年は訃報が多い…

 さて、今回の映画は「デリシャスパーティ♡プリキュア 夢みる♡お子さまランチ!」です。

 和実ゆい(声・菱川花菜)たちは街に新たにできたお子様ランチのテーマパーク「ドリーミア」にみんなで訪れることに。子供たちは遊び放題、食べ放題というテーマパークをゆいたちは満喫する。しかしローズマリー(声・前野智昭)はドリーミアにただならぬ気配を感じ取っていた。調査のためにドリーミアへ潜入しようとするが大人を拒絶するドリーミアのセキュリティによってぬいぐるみに変えられてしまう。ローズマリーを救出しようとするゆいたちに、園長のケットシー(声・花江夏樹)が迫る。

 春と秋の年2作体制から秋の年1作体制へと舵を切った映画プリキュア。「ごはんは笑顔!」をキーワードに「食事」の楽しさや大切さを前面に打ち出す「デリシャスパーティ♡プリキュア」では、「お子さまランチ」という実に「らしい」モチーフを持ってきています。
 映画は開幕、レストランを訪れた客がゆいことキュアプレシャスに手を引かれてテーブルに着くところから始まります。キュアプレシャスが手渡すメニューブックにはお品書きが。プリキュア映画お決まりの上映前の諸注意、映画本編、キュアサマー(声・ファイルーズあい)ら過去のプリキュアとクロスオーバーする短編の3本構成で展開する今回の劇場版を、それぞれ前菜・メイン・デザートというコース料理に見立てる趣向が見事です。

 そうして始まる本編もなかなかに味わい深い。特に後悔と罪悪感に苛まれながらも自身の目的完遂のためにもう止まれないところまで来てしまっているケットシーの苦悩をCV花江夏樹が実に繊細に演じていて強い説得力を持たせているのが大きいです。今回コメコメ(声・高森奈津美)たちいわゆる妖精たちもプリキュアに変身するのが映画ならではのスペシャルとして登場しますが、コメコメたちが変身するきっかけを作るのもケットシーなのです。頑なに大人を拒絶しながら自身もそんな大人に足を踏み入れてしまったケットシーと、自分に芽生えた夢のために1日も早く大人になりたいコメコメ。その交差点で物語が紡がれます。ケットシーの傷だらけの心にゆいとコメコメはどのように接するのか。それは是非ご覧になって確かめて頂きたいですね。

 ところで今作は、ある世代の方は確実に「キン肉マン」の2000万パワーズかウォーズマンのベアークロー二刀流を思い出させずにはおかないシーンが登場します。分かってやっているのかついやっちゃったのかは判然としませんが(笑)、きっと少年ハートが疼くこと請け合いの渾身の大ネタ。どうぞご堪能頂きたい。

 長く10〜11月に上映されてきた映画プリキュアですが、今年は公開日をシルバーウィークに持ってきた事も功を奏して前年を大きく超える初動を記録したそうです。コロナ禍に翻弄されながらもシリーズの歩みを止めないプリキュア。どこまで行けるか、楽しみです。

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コロナ禍でも度々会えてた方もいますが、多くはTwitterなどを介してやり取りはあったものの実際に顔を合わせるとなるともう数年会えてない方ばかり。そんな中で先日数名ではありますが久しぶりに食事する機会に恵まれました。酒を交えつつ近況に耳を傾けたり駄話したりしながら過ごすひと時。実に楽しい時間でした。

 こんばんは、小島@監督です。
 割とひとりでも平気なタチではあるとは思うものの、結構人に会うことに飢えていたかなと思いましたね。また追々こんな時間が作れると良いのですが。

 さて、今回の映画は「ロード・オブ・ザ・リング」です。

 その物語はホビット庄から始まる。その日ホビット庄はビルボ・バキンズ(イアン・ホルム)111歳の誕生祝いで大騒ぎだった。ビルボの旧友である魔法使いガンダルフ(イアン・マッケラン)も来訪し、再会を喜ぶ。しかしビルボはこの日を境に旅に出る決意を固めていた。宴もたけなわ、スピーチを求められたビルボは「今日でお別れです」と皆に告げ、ポケットに忍ばせた指輪をはめると姿を消した。
 懸念を抱いたガンダルフはビルボの自宅で彼を待ち構え、旅立ちの前に指輪を手放すよう説得する。かくて指輪はビルボから養子のフロド(イライジャ・ウッド)へ託された。それは冥王サウロンの魂とも言うべき指輪。サウロンは再び復活し世界を闇の支配下へと置くため指輪を血眼になって探していた。フロドはサウロン復活を阻止するため指輪を封印する宿命を背負う事になる。

 J・R・R・トールキンの小説「指輪物語」を原作に、2002〜2004年に公開された(本国アメリカでは前年の2001〜2003年に公開)ファンタジー映画の金字塔「ロード・オブ・ザ・リング」、公開20周年を記念して4KリマスターかつIMAXフォーマット版が製作され三部作の連続上映が始まっています。
 正直なところBlu-rayも所持していますし何ならAmazonプライム・ビデオでも観られるタイトルではあるのですが、やはり他には代えられないと実に20年ぶりにスクリーン鑑賞して来ました。

 監督ピーター・ジャクソンの演出、撮影アンドリュー・レスニーのカメラワーク、音楽ハワード・ショアのスコア、エルフやゴブリン、オークと言ったファンタジーものでお馴染みの存在を見せる衣装や特殊メイクの見事さ、そこにイライジャ・ウッド、ショーン・アスティン、イアン・マッケラン、クリストファー・リー、ヴィゴ・モーテンセン、ケイト・ブランシェットら名優たちの演技が渾然となって展開する一大叙事詩は、今観てもその凄みに目を奪われるよう。
 大掛かりなロケだけでなくミニチュアワークも多様して世界観をビジュアル化した映像は圧倒的で、IMAXフォーマットでもってようやく上映方式が作品の迫力に追いついた印象です。
 もともとキャリアの初期にはホラー映画も手掛けていたピーター・ジャクソン監督、ところどころでホラー映画的な手法で緊張感を醸成しているのも今観ると良く分かります。

 最初から三部作を想定して製作がスタートし、全て撮了してからポストプロダクションが始まったそうで、撮影期間は実に1年以上掛けたとか。出演者がインタビューで「撮っても撮っても終わらない、まさに果てしない旅のようだった」とぼやいていたくらいなので劇中の登場人物たち同様に製作陣にとっても長い旅路だったことでしょう。その甲斐あって20年という時を経ても劣化しない確固たるものを備えた名作に結実しています。

 今作だけでも178分、三部作全てが上映時間3時間クラスとガチの大作ですが、「ハリー・ポッター」ともども21世紀のファンタジー映画の方向性を決定づけたと言っても過言ではないこの三部作、滅多に無い機会ですので昔観た方もそうでない方にも是非この旅を味わって頂きたいですね。
 なお余談ですが、Blu-ray用に再編集されたエクステンデッド版ではこの1作目の上映時間は更に伸びて228分に。一度映画館で企画上映されたことがあるのですが、その際は途中休憩が入りました。今回上映されているのは途中休憩の無い178分の通常上映版。ご鑑賞の際には事前にお手洗いに立ち寄っておくことをおすすめします(笑)

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