ちゅうカラぶろぐ


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本来なら休みやすい閑散期なのに色々とワケありで実質2週間休み無しというエグい期間をどうにか脱したら昨日は約半日眠り込んでました。実は無休3週目に突入する可能性も生じていたのですが、何とか回避できてホッとしています。

 こんばんは、小島@監督です。
 次に似たような事態になった時は絶対に1日だけでも休みを確保しようと心に決めました。

 さて、そんなワケでしばらく映画を観に行くどころではなかったので今週は自宅で鑑賞した中から1本。今回の映画は「千年女優」です。

 戦前から戦後にかけて長く使われてきた映画会社「銀映」のスタジオが老朽化のために取り壊されることになった。若い頃に銀映に所属し、今は映像制作会社「LOTUS」の社長を務める立花(声・飯塚昭三、佐藤政道(青年期))は、銀映のドキュメンタリー制作のために伝説の大女優・藤原千代子(声・荘司美代子、小山茉美(20~40代)、折笠富美子(10~20代))へのインタビューを企画する。約30年間表舞台に立たず、取材も一切受けなかった千代子に、立花はインタビュー前にある小箱を渡す。その小箱には古い鍵が入っていた。

 2010年に46歳の若さで没したアニメーション監督今敏、生涯で手掛けた4本の劇場用長編は全てが代表作と言っていい唯一無二の存在感を放ったクリエイターです。その今敏監督が2001年に発表した長編が「千年女優」です。当時設立されてまだ日の浅かった文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞に「千と千尋の神隠し」と同時受賞したほか、国内外で高い評価を得た作品です。ソフト化はもちろんされているものの案外サブスク系の配信からは縁遠かった1本ですが、今月からNetflixでの視聴が可能になり鑑賞のハードルがグッと下がりました。私もかなり長い間遠ざかっていたのですが今回を機に久しぶりの鑑賞です。

 手掛けた4本の長編全てがオリジナル作品であった今敏監督、全てに通底して使われていたモチーフが「虚構と現実の混濁」です。次第に現実と虚構の境界が曖昧になっていく中で登場人物だけでなく観る者も翻弄していくのが特徴で、それはこの「千年女優」でも変わりません。立花の千代子へのインタビューが進むにつれ、現在と過去、そして千代子が出演した映画と言う虚構がシームレスに混じりあっていきます。「千年女優」の面白いところは、そういった虚実混交がただ観客を惑わす叙述トリックのように使われるのではなくユーモラスな冒険活劇として描き出し、その幻惑的な奔流に飲まれること自体を楽しませる作風をしている点です。

 時代も虚構も行き来しながら描かれるのは幼い日に千代子が出会った「鍵の君」(声・山寺宏一)への恋心とそれに突き動かされる情熱的な姿です。故に、千代子は全編を通して良く走ります。駆け抜けていると言っても良い。恋しい人を追い求め走り続ける千代子の姿、ただそれだけに見事なまでの映画的快感が宿っているところにこの映画の凄みがあります。

 また、「千年女優」は今敏監督作品と切り離して語れない要素の一つである平沢進の音楽が初めて使われた作品でもあります。作中のエピソードは時代も場所も変えながらも基本的には「追い、走り、時に転ぶ」を繰り返す物語であるものの、そのリフレインは平沢進のプログレッシブ・サウンドが彩ることでただの繰り返しではなくなり、前述の「ただ走るだけのシーンに映画的快感が宿る」ことをより確かなものにしています。

 ラストシーンで千代子が言い放つセリフが小粋でありながらも衝撃的で、不思議な爽やかさと同時に「転ばされた」感覚を観客に残す見事な大団円。しかもそれでいて上映時間が87分というコンパクトさ。最初から最後まで高密度に楽しませてくれます。
 アニメならではの表現と映画ならではの味わいが詰め込まれた、稀代のクリエイターであった今敏監督のテイストを存分に味わえるこの1本、Netflixでの配信を機により多くの方の目に触れて再確認と再評価が進むと嬉しいですね。

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今日の昼ごろ突如流れてきた、湯川英一元SEGA専務の訃報がなかなかショック。それも昨年の内に亡くなられたと言うではないですか。「SEGAなんてダセーよな」という自虐的なCMに出演して反響を呼びドリームキャストの販促を担った来歴は、クリエイターではなかったにしろゲーム史の1ページに刻まれて然るべき方ではないかと思います。
 謹んでお悔やみ申し上げます。

 こんばんは、小島@監督です。
 ドリームキャストはちょうど学生から社会人になろうかという頃にこれでもかとばかりに遊んだハードなので結構思い入れが深いです。SEGAは今年秋にメガドライブmini2の発売を予定していますが、いずれサターンminiとドリームキャストminiも製作して欲しいなとかなりマジに願っています。

 さて、今回の映画は「トップガン マーヴェリック」です。

 ピート・”マーヴェリック”・ミッチェル大佐(トム・クルーズ)は華々しい戦績を持つ伝説的なパイロットだったが、今は超音速実験機「ダークスター」のテストパイロットの任に就いていた。しかし、AIによるドローン戦闘機の開発を推し進めたいケイン少将(エド・ハリス)によりプログラムは中止させられようとしていることを知り、マーヴェリックはケインの前でダークスターを目標速度のマッハ10に到達させることに成功するが、ダークスターは空中分解してしまった。
 懲罰を覚悟していたマーヴェリックだったが、思わぬ辞令が下る。高難度のミッションのために召集された「トップガン」たちに任務成功のための訓練教官を務めて欲しいと言うのだ。そうして集められたパイロットたちの中には、かつてマーヴェリックの相棒だったグースの息子ブラッドリー・“ルースター”・ブラッドショウ(マイルズ・テラー)もいた…

 コロナ禍によって多くの映画が延期や上映中止の憂き目に遭いました。あるものは公開規模が大幅に縮小され、あるものはスクリーンでの上映を断念し配信に発表のフォーマットを移しました。そもそも映画館が営業できないという状況すら発生し、結果的に配信による収益が製作会社にとっても無視できないものになり、「映画館で映画を観る」行為そのものの存在意義すら揺らぎ始めたこの数年にあって、何度も延期を重ねながらも頑なに映画館での上映にこだわり続けた「トップガン マーヴェリック」が遂に公開されました。

 1986年に製作され80年代カルチャーのアイコンの一つともいえる「トップガン」、実に36年越しの続編です。当時から既に人気の高かった作品であったにもかかわらずここまで続編が製作されなかったのは、安易な続編が製作されることを嫌ったトム・クルーズが続編製作権を自分で買い取ってしまったからです。その後2010年ごろに一度企画が立ち上がり、製作を担ったジェリー・ブラッカイマーとトニー・スコット監督、トム・クルーズの3人でシナリオハンティングが行われていたそうですが、2012年のトニー・スコット死去により頓挫。改めて仕切り直しとなったところに「ミッション・インポッシブル/フォールアウト」などでトム・クルーズと組んだ脚本家クリストファー・マッカリーと同じくトム・クルーズが主演した「オブリビオン」で監督を務めたジョセフ・コシンスキーが招聘されて本格的に製作が開始されました。

 物語の大きな特徴として、前作からの30数年という時間が常に横たわっている所にあります。マーヴェリックは現役にこだわり頑なに昇進も引退も拒んでいますが、同期の仲間は将官に出世するか退官していたり、当時主力だったF-14トムキャットも空母エンタープライズも既に退役、80年代にはいなかった女性パイロットの台頭、AIと無人戦闘機がパイロットという存在自体を過去へと押しやろうとする気配すら現れます。マーヴェリック自身にもどこか「老い」の兆しが見え始めています。そういう中にあって戦闘機パイロットとしての「矜持」を描き出し、マーヴェリックとルースターの確執が軸として貫かれています。
 
 そして何よりこの映画最大のポイントはもちろんスカイアクション。そこら辺のアクション映画のカーチェイスを超える激烈なボリュームで空戦が展開。CG全盛の世にあってガチで実機を飛ばし俳優たちがハイGの中で顔をゆがめながら演技をするというとんでもないシーンが頻発します。何なら「単座型の航空機に乗っているシーンなのにヘルメットのバイザーに前部座席が映り込んでて複座型の後部座席に乗り込んでるのが分かる」ショットもあったりするのですが結果的にマジで飛んでいることの証明になっているという、えげつない逆説がフィルムに焼き付けられています。
 こんな無茶が通ってしまうのもトム・クルーズならではでしょう。彼以外ではありえない、そんな凄味が作品内に満ち溢れています。

 映像と音響、全てが一体となり、観客が経験するのは映画を鑑賞することではなく「映画を体感する」こと。トム・クルーズが映画館での上映にこだわった理由がここにあります。作中パイロットが過去の遺物とされようとしているように、CGやAIが発達していつかこんな危険なスタイルで映画を作る必要が無くなるかもしれない。事実こんな80年代スタイルを突き詰めたような製作体制はある意味で時代遅れでしょう。配信というフォーマットの定着によってカリスマ的なムービースターという存在も過去のものとなってしまうかもしれない。時代の潮流は止められない。けれどまだ「映画を映画館で観る」という経験には何物にも代えがたい意味がある。この映画を観る事は、その「意味」を真正面で受け止める事に他なりません。まさに自身の存在全てを懸けて「映画を観る喜び」を追求するトム・クルーズの姿は最早「孤高」と呼べる存在感です。

 観る者に忘れ得ぬ2時間の「非日常」をもたらすこの作品、10年後、20年後にこの映画を懐かしく思い返す日がきっと来る。時代の流れをものともせず屹立する誇り高きラスト・ボーイスカウトが魅せる輝きをどうかその目に焼き付けて欲しい。
 「映画」が、ここにあります。

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職場で私と組んで仕事している方が今週の半ばから10日間ほど入院する事になり、その影響で今来週は休み無しというちょいとハードスケジュールに突入。その前にやれるだけやっておこうと一昨日の土曜日は病院行ってカラオケ行って映画2本観るというちょっとやり過ぎた感のある予定の詰めっぷりで1日過ごしてました。

 こんばんは、小島@監督です。
 充実感も半端無かったけれど、もう少しゆったり日程組みたいかな、出来れば(笑)

 さて、今109シネマズ名古屋にて「109シネマズ名古屋映画祭」と題してライブ向けの音響機材をセッティングして通常とは違う音響環境で映画を鑑賞する「ライブ音響上映」が31日まで実施されています。今回はその上映作品の中から一つ、「アイの歌声を聴かせて」です。

 母一人子一人の家庭で暮らす高校生のサトミ(声・福原遥)は、ある事件から校内で「告げ口姫」と揶揄され疎外されていた。
 AIの開発責任者を務める母のミツコ(声・大原さやか)は新型AIを搭載した人型アンドロイド・シオン(声・土屋太鳳)を開発し、その実地試験としてシオンをサトミの通うクラスに転校生として送り込んだ。期限は5日間、その間にシオンがアンドロイドと他の人間にバレなければ成功だ。
 しかしシオンは何故かサトミを知っていて、サトミを見るなり駆け寄って歌い出してしまった。その後もおかしな行動を繰り返すシオンに振り回されるサトミは、ひょんなことからシオンがアンドロイドであることを知ってしまう。母ミツコのためにサトミはどうにかシオンの正体を隠し通そうとするが…

 「イヴの時間」「サカサマのパテマ」など独創的な世界観のオリジナル・アニメーションを作り上げる吉浦康裕監督の最新作です。昨年10月に公開され、観客の口コミによって評判が広まり、既にレンタル配信なども始まりBlu-rayの発売も目前に迫っている状況にもかかわらず小規模ながら現在も上映が続いている作品です。伝え聞いた評判に、気になっていた作品だったのですが思いもかけない形で鑑賞の機会を掴みました。
 
 牧歌的な田園都市の風景の中に目立つAIのための開発研究所であるツインタワーが建っていたり水田のように見える場所が実はメガソーラーだったりという実験都市的な性格を持つ地方都市を舞台に展開する青春SFミュージカル活劇です。
 クラスに疎外されるサトミをはじめ、機械オタクで人づきあいが苦手なトウマ(声・工藤阿須加)、柔道部員で腕前は良いのだが本番に弱いサンダー(声・日野聡)、恋人同士だが現在喧嘩中で気まずい雰囲気が流れるゴっちゃん(声・興津和幸)とアヤ(声・小松未可子)ら青春の悩みを抱える高校生たちがシオンの登場と突拍子もない行動に振り回されながら次第に葛藤から解きほぐされていきます。

 ミュージカルのお約束である「登場人物が前触れなく突然歌い出す」という振る舞いを「AIがずれた行動取ってるから」で説明づけるアイディアが秀逸。しかもシオン役土屋太鳳の歌声が絶品です。そしてその「突然歌い出す」ことも物語の主舞台である実験都市というロケーションも全てちゃんとクライマックスに活きてくる作劇の妙が素晴らしい。変にハードな方向に転がり込むことなくある種の楽天的な雰囲気を持たせながらの語り口が心地よく、「何故シオンは最初からサトミを知っていたのか?」「何故唐突に歌いたがるのか?」「そして何故サトミの幸せをひたすらに希求するのか?」これらの謎が明かされる頃には観る者の心に涼やかな風が吹いているはずです。その涼風に力強さも加わって突き進む終盤と、その後にたどり着く結末の余韻も実に爽やかです。

 青春映画の新たな傑作の誕生と言って良く、現時点における吉浦康裕監督のキャリア・ベストじゃないでしょうか。長く支持を集める理由も観て分かるというものです。是非多くの方にご鑑賞いただきたい逸品ですね。

 ところで109シネマズ名古屋などで不定期に開催される、音響機材をシアター内に設えての特別上映、敢えてやってみて分かりましたが通常の映画鑑賞では決して良い位置とは言えない最前列中央が恐らく一番醍醐味を堪能できるポジションです。いやもう音圧が凄いのなんの。没入度が半端じゃないです。機会を捕まえたら是非トライして頂きたい。

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昔からアトピー持ちなので季節の変わり目に湿疹ができるのは良くあることだったのですが、春先に発疹ができた時には何故かいつもと違う気がしてかかりつけの皮膚科に相談したのが事の発端。
 その時「これが効いたか効かなかったか次来た時に教えてください」と抗生剤を処方され、実際のところ薬は効いて発疹が治まったのでそのことを報告したら「鼻を悪くしている可能性がありますね。知り合いに腕のいい耳鼻科の先生がいます。紹介状を書きますのでそこに行ってみてください」と紹介状を渡されたので先日その耳鼻科へ行ってみたら「副鼻腔炎」と診断されました。それも昨日今日どころではなく子供の頃から数十年単位でやってるものが今また悪化してきているという可能性があるそうです。湿疹から副鼻腔炎が割り出されたのも驚きましたが、その耳鼻科で「今、鼻が詰まっているような感覚はありますか?」と聞かれたので「取り立てて不自由さは感じていませんけど」と答えたら「ろくに鼻が使えない状態に体が慣れてしまっていますね。治療が上手くいけばもっと通るようになりますよ」とサラッと言われたのが衝撃。ということはもうずっと、それこそソムリエ試験受けた時でさえ嗅覚にハンデを抱えた状態だったということか!?

 こんばんは、小島@監督です。
 まさか40代も半ばに差し掛かってから五感がパワーアップ(?)する可能性が出てくるとは。治療は面倒だけどちょっとワクワクして来てる自分がいます。

 さて、今回の映画は「シン・ウルトラマン」です。

 ある時を境に、謎の巨大不明生物「禍威獣(カイジュウ)」が頻出するようになった日本。政府は5名の専門家による特別機関・禍威獣特設対策室、通称「禍特対(カトクタイ)」を設置し、その対策に当たらせていた。
 ある日、首都圏郊外にて自身を透明化できる禍威獣「ネロンガ」が出現し猛威を振るっていた。禍特対による対応が難航する中、禍特対の神永(斎藤工)は指定地域に怪獣の進路上で子供が逃げ遅れているのを確認する。子供の保護に急行する神永だったがまさにその時大気圏外から謎の光球が降着。神永は舞い上がる土砂から子供を庇うが、頭に岩石が衝突し意識を失った。その粉塵と土煙の中から銀色の巨人が姿を現し人々を驚愕させる。さらに巨人はネロンガを驚異的な強さで圧倒し、空に消えていった…

 1966年に登場し、「巨大ヒーローアクション」という地平を切り拓いて以後半世紀を超えて支持を集め現在もシリーズが重ねられる「ウルトラマン」、「シン・ゴジラ」「シン・エヴァンゲリオン」を手掛けた庵野秀明が総監修・製作・脚本・編集(何ならモーションアクターも)を担い、盟友・樋口真嗣が監督を務め初代ウルトラマンへの多大なリスペクトを捧げた1本が誕生しました。

 庵野秀明にしろ樋口真嗣にしろ、稀代のクリエイターであると同時に年季と気合の入ったオタクであることを存分に見せつける1本です。冒頭のタイトルの見せ方からこだわり全開。畳み掛けるような速度で世界観を紹介し、そのままネロンガとウルトラマンが次々と登場する序盤はそのスピード感も相まってまさに最初からクライマックスというノリです。CGを敢えて着ぐるみっぽく見せて昭和特撮の雰囲気を再現しつつも60年代当時の技術では為しえないショットも存分に織り込むカメラワークが堪りません。
 物語が一旦落ち着く中盤にはザラブ星人や、山本耕史演じるメフィラス星人が登場し、ウルトラマンのもう一つの味わいであった日常の延長線上のSF感覚が作中に組み込まれ、当時のセンス・オブ・ワンダーを現代に復活・アップデートさせようとする試みがなされるのも興味深いところです。
 
 「シン・ゴジラ」と同じく非常に多くの人物が出演する映画ですが、ウルトラマン=神永役斎藤工とメフィラス役山本耕史の二人の演技が取り分け絶品。どちらも姿形は人間と同じでも感覚と思考が地球人のそれとは決定的に違うという役柄を見事に演じ切っています。

 一方でこの映画は欠点も多々目につきます。ウルトラマンや異星人(作中の表現では外星人)が魅力的に描かれている一方で登場人物の多くは類型的なキャラクターに終始してしまっていること、「シン・ゴジラ」ほどには強くスクラップ&ビルドしておらず、レガシーへの模倣以上にはなりえていないこと、ネタバレ無しでは具体的にどれとは言えないのですが、長澤まさみの描写に奇妙に下品なオヤジ臭さが漂うのもマイナスに作用しています。また、恐らくはアングルの面白さを優先していて撮影機材の雑多さには敢えて頓着しなかったのか、ショット単位で画面の質感に結構バラつきがあります。IMAXなどハイスペックな上映形態よりも一般のスクリーンで観た方がコレに限っては没入度は高くなるかもしれません。

 作り手がオタク過ぎるということが良い方向にも悪い方向にも強固に作用したような1本。個人的にはとてもテンションがアガると同時にひどく冷静になって観てしまう二律背反じみた不思議な感覚が終始やってきました。とはいえ懐かしさと新しさが同居する、無邪気に観る分にはとても楽しいヒーローアクション映画です。ここからウルトラマンの世界に踏み込んでみたいと思う方もきっと出てくるはず。せっかくなら新鮮なうちに映画館で観てしまいましょう。多分「私の好きな言葉です」が癖になります(笑)

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先日久しぶりにレイトショーで映画鑑賞からの終電帰りをしたのですが、遅い時間なのにかなりの混雑ぶりに驚きました。もうすっかり往時の自粛ムードはかき消えたという印象ですね。だいぶ減って来てるとは言えまだ少なくない数が毎日報じられているのですが(苦笑)

 こんばんは、小島@監督です。
 と言いつつ今日はその時観た映画の話ではないんですけどね!それはまた後日に(笑)

 さて、今回の映画は「ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス」です。

 ドクター・ストレンジ(ベネディクト・カンバーバッチ)は奇妙な悪夢に悩まされていた。怪物に追われる少女を護りながら戦うのだが、護り切れずに命を落としてしまい、そこで目を覚ますのだ。
 ある日、医師時代の同僚で元恋人のクリスティーン・パーマー(レイチェル・マクアダムス)の結婚式に参加したストレンジは自身が魔術師を選ばなかった道をつい考えてしまう。その時、夢で見た少女アメリカ・チャベス(ソーチー・ゴメス)が、同じく夢で観た怪物ガルガントスに襲撃されている姿を現実の街で目撃するのだった。

 ハリウッド映画では珍しくない監督の交代劇。それは時に思いも寄らない輝きを映画にもたらします。最近のMCUに度々を顔を見せるのであまりそんな気はしませんが実は6年ぶりとなる「ドクター・ストレンジ」の続編、当初は前作を手掛けたスコット・デリクソンが続投する予定でしたが降板してしまい、ピッチ・ヒッターとして立ったのはサム・ライミ。トビー・マグワイア主演の「スパイダーマン」三部作を手掛け、現在のアメコミ映画隆盛の基礎を築いた人物です。近年は映画の監督業から離れ製作や脚本として参加することの多い同氏、2013年の「オズ はじまりの戦い」以来9年ぶりとなる監督作ですが、その健在ぶりを存分に見せつけてくれる1本になっています。

 「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」で見せたマルチバース、それを更にフィーチャーした今作では縦横無尽なビジュアルで「可能性」というものを見せてくれます。それぞれの世界にはそれぞれのドクター・ストレンジがおり、ただ一人アメリカ・チャベスだけがマルチバースから外れた存在である、という今作、ドクター・ストレンジ同様にもう一人ワンダ(エリザベス・オルセン)が抱える後悔が物語の推進力となっています。

 この映画、MCU初のホラーと歌ってみせた通り、後半に差し掛かって来た辺りからホラー色が強くなっていきます。が、それと同時にサム・ライミ独自のテイストが強烈に前面に出てくるのが最大の特徴です。もともと同氏は「死霊のはらわた」というホラー映画でデビューした人物で、西部劇「クイック&デッド」やサスペンス「シンプル・プラン」など多彩なジャンルを手掛けてきていますが、彼のホームグラウンドはやはりホラー。一応レーティング的には全年齢なのですが時に悪趣味スレスレのギリギリを攻めていきます。サム・ライミ初期作品からの盟友であるブルース・キャンベルがカメオ出演しているのも楽しく、ファンとしては嬉しくなってくるくらいです。
 マルチバースで訪れた先で次々とサプライズゲストが登場し、要求される構成要素は非常に多いにもかかわらず、その情報量過多に溺れることなく主軸であるストレンジとワンダ、アメリカ・チャベスのドラマをキチっと描き切って見せた上に上映時間を126分という長さに入れ込めてしまう歯切れの良さも見事。「最初は160分くらいあったが追加撮影してる内に短くなった」とインタビューでしれっと答えていますが、それは並大抵の技ではありません。練達の域に達したサム・ライミの手腕をこれでもかと堪能できます。

 「マルチバース」という概念に踏み込んだことでMCUは本当に「何でもあり」の様相を呈してきました。扱いは難しいでしょうが、アトラクション的なエンターテインメントとしては様々な可能性を期待できます。これからどのように展開していくのでしょうか。楽しみは尽きません。

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AmazonプライムやNetflixなどのお陰で古今を問わず初放送では全くスルーしていた、あるいはそもそも観られる環境になかったものも観られる様になり、割と意識的に1980年代のアニメを観ています。何気に当時あまり好き放題にアニメを観られなかった反動というのもありますし、歌会で人が歌ってるのを聞いたりして「主題歌だけは知ってるけど観たことは無い」作品がかなり多いというのも動機の一つです。今は「J9シリーズ」を視聴中。「銀河旋風ブライガー」「銀河烈風バクシンガー」を完走し、あとは「銀河疾風サスライガー」を残すのみ。アイディアが今より尖っていたり、今では大ベテランと呼べるような人たちの若い時期の画風・作風に触れられたり、なかなか新鮮な発見があります。

 こんばんは、小島@監督です。
 あと何故か地元ローカルのぎふチャンで「めぞん一刻」の放送が始まったのでこれも結構観ています。今じゃコンプライアンス的にアウトな表現がホイホイ出てくる大らかさも実に興味深い。

 さて、今回の映画は「ハッチングー孵化ー」です。

 12歳の体操選手ティンヤ(シーリ・ソラリンナ)は、完璧な家庭生活のイメージをSNSを通じて発信することに躍起になっている母(ソフィア・ヘイッキラ)の期待に応えようと懸命になるあまり、自身をすり減らす日々を送っていた。
 ある夜、ティンヤは奇妙な卵を見つけ、それを自室に隠し温め始めた。急速に大きくなっていく卵はやがて孵化の時を迎えた…

 ホラー映画の定型の一つに少女が怪異や怪奇の中心にいるものがあります。古いところでは「キャリー」(1976年)に代表されるもので、思春期特有の心身の変容と不安定さによって引き起こされる「何か」によって自身や周囲に破局的な顛末をもたらす筋立てとなるものが多いです。洋の東西を問わず作られるこの題材に、フィンランドからユニークで奇妙な、そして忘れ難い作品が登場しました。
 非常に難しい役柄の主人公ティンヤを演じたシーリ・ソラリンナはオーディションで選ばれた、これが映画初出演。オリジナリティ溢れる物語を撮り上げたハンナ・ベルイホルムも短編での実績はあるものの長編映画はこれが初めてというまさに新星の誕生を目の当たりにできる作品です。

 実際のところこの映画、そもそもその「卵」が孵る前から不穏さが尋常じゃありません。「物質的に満足し、理解のある夫、聡明な息子、夢に向かって努力する娘、そしてそれらを支え応援する母親」という理想像を築き上げ世界へ発信することに躍起になる母、その「理想像」にティンヤは序盤から既に潰されかかっています。それが虚飾に過ぎないこと、ティンヤが抑制と抑圧の中で窒息しかかっているということを序盤、窓から飛び込んでくる1羽の鳥が浮き彫りにします。
 ティンヤは卵を拾い温め、やがてそれが孵ると現れた奇妙な「生物」を庇護しようと奮闘します。必然その行為はティンヤの母に対しての関係性の合わせ鏡になっています。この対称性は映画全体で随所に見られます。ティンヤの自室にあるクローゼットの扉が鏡になっておりその鏡像が度々フォーカスされるショットが登場しますがそれなどはこの映画の在り方を最も象徴しているものと言えますね。

 卵から孵った「生物」はある意味で母ともいえるティンヤの内に秘めた激情と共鳴し、破壊的な行動を取るようになります。それがティンヤの母の「理想像」と正面から相対する終盤、物語は意外な結末を迎えます。ここでもいくつもの「合わせ鏡」が突き付けられ、終局は重い余韻と共にいくつもの解釈を観る者にもたらすことでしょう。
 どう見ても一番ヤバいのは卵から孵った生物ではなくて母親の方であり、精神的にキリキリするような展開が続くことに加え、主人公ティンヤが作中何度も吐瀉するシーンがあるなどPG12区分の割にエグい画面が多いためなかなかにキツいところがありますが観る者の感情を揺さぶる見事な逸品です。ユニークな作品を観たい方にこそお薦めしたいですね。

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減少傾向とは言えまだ連日決して少なくはない人数の陽性者が報じられるものの、特に何か制限の掛かっていない3年ぶりのゴールデンウィークの到来に、ここ数日久しぶりのアッパーな忙しさに追われていました。ただ久しぶり過ぎて需要予測がまるで立てられない様に陥り右往左往する羽目にもなりましたが(苦笑)

 こんばんは、小島@監督です。
 このまま平穏な時間が戻って来ると良いのですが。まだまだいろいろと予断を許しませんね。

 さて、今回の映画は「名探偵コナン ハロウィンの花嫁」です。

 ハロウィンを前に賑やかさが増す渋谷、その一角で結婚式が執り行われようとしていた。江戸川コナン(声・高山みなみ)ら少年探偵団や毛利小五郎(声・小山力也)、警察関係者たちが見守る中、タキシード姿の高木渉(声・高木渉)とウェディングドレスを身にまとった佐藤美和子(声・湯屋敦子)が入場してきた。
 同じ頃、安室透(声・古谷徹)と風見裕也(声・飛田展男)が逮捕後脱走した犯人に関するタレコミを受け、とある立体駐車場で張り込んでいた。果たしてタレコミ通りに犯人が現れた。しかし様子がおかしい。2人は犯人を確保しようとするが…

 ゴールデンウイークの目玉として製作された作品でハロウィンとは季節外れな感じもしますが、それがコナン映画。遂にシリーズ25作目を数える「名探偵コナン」の新作が現在公開中です。近年の劇場版コナンはサブキャラクターにスポットを当てたエピソードが続きますが、今作ではTVシリーズで長くラブストーリーが綴られた高木・佐藤両刑事を中心に、屈指の人気キャラクター安室透と、彼と警察学校で動機であった4人のメンバーのエピソードが絡む構図となっています。
 息の長いシリーズだからこそとも言いますが、今作の前段となっているエピソード「揺れる警視庁 1200万人の人質」が放送されたのは2003年。実に19年前!さすがに仕込みが長すぎるのを自覚しているのか、昨年製作の第24作「緋色の弾丸」公開に合わせて製作された総集編「緋色の不在証明」同様の総集編が今年も製作されました。先日「金曜ロードショー」枠内で放送された「本庁の刑事恋物語~結婚前夜」がそれで、高木・佐藤両刑事のラブストーリーを採録し構成されています。また、それだけでなくTVスペシャルだった「揺れる警視庁」も再編集されて通常の放送枠で4回にわたって再放送するなどかなり力の入った準備ぶりです。

 そんな今作、ある爆破事件と脅迫事件を軸に高木&佐藤、安室透と警察学校の同期たち、中盤から登場するエレニカ(声・白石麻衣)を中心とするロシア人グループ、現在と過去に渡りいくつもの点が混在し、それらをコナンが結び付けるなかなか見事な構成をしています。容疑者の線上に上がる人物が非常に少なく、「フーダニット」よりもそこに至るまでの物語の積み上げ方に主眼を置いているあたりに第1作「時計仕掛けの摩天楼」を彷彿とさせる部分もありますね。物語の主要メンバーの大半が刑事だからか、70年代の刑事ドラマのような風合いも感じられます。

 もう一つ、今作の重要なポイントに音楽があります。メインテーマを残してこれまでの「名探偵コナン」を彩ってきた大野克夫が製作から離れ、菅野祐悟が担当しています。これが思いのほか高い効果を上げています。「PSYCHO-PASS」や「祈りの幕が下りる時」などアニメや実写を問わずサスペンス・ミステリー系の作品も多く手掛けた菅野祐悟、名探偵コナンとも抜群の相性を見せます。この新鮮なマリアージュは今作の意外な拾い物と言えますね。

 コナン映画お約束ともいえるクライマックスの盛大な爆発と破壊が今作では少々大人しいのでちょいと物足りなく感じる部分もありますが(笑)、総じて満足度は高いです。
 もともと昨年の「緋色の弾丸」が1年延期となったことで実質2年以上の製作期間を得た今作、劇場版コナンの地力を感じられる1本となっています。今作では初めてIMAX版やDolby Cinema版も製作されていますし、20年以上ゴールデンウイークの看板をしている作品をスクリーンで味わってみてはいかがでしょう。

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