ちゅうカラぶろぐ


[1]  [2]  [3]  [4]  [5]  [6]  [7]  [8]  [9
昨日開催されたジャパンカップには実に85,000人の観客が集まったとか。昨年東京競馬場で観覧する機会に恵まれましたが、その時で60,000人くらいだったと聞いています。それでも結構な人出でしたが、昨日は映像見てるともうぎっちり埋まっていて人気の程というか人出の戻り具合が一見して分かるくらい。いや壮観壮観。

 こんばんは、小島@監督です。
 レースはイクイノックスの最強ぶりと全力で逃げを打つパンサラッサに心躍らせる最高の2分20秒でした。国内に敵のいなくなったイクイノックスはそのまま引退してしまうんだろうか。世界に挑む姿を見てみたい気もしますが。

 さて、今回の映画は「駒田蒸留所へようこそ」です。

 ニュースサイトでライターをする高橋光太郎(声・小野賢章)は、仕事に馴染めないままうだつの上がらない日々を送っていた。あるとき上司の安元(声・細谷佳正)からクラフトウィスキー蒸留所を訪ねる連載を任される。嫌々ながら引き受けたその仕事で光太郎は、駒田蒸留所を引き継ぎかつて失われたウィスキー「KOMA」を復活させようと奮闘する駒田琉生(声・早見沙織)と出会う。

 ウィスキーが登場する映画は数あれど、ウィスキー蒸留所を舞台にした映像作品は非常に少ないです。パッと思いつくところですとケン・ローチ監督の「天使の分け前」(2012年)とNHKで放送していた朝の連続テレビ小説「マッサン」(2014年)くらいでしょうか。更にアニメとなると恐らく前例が無いんじゃないかと思います。自分としても仕事に直結する内容のアニメ映画なんて滅多にないですし、もうほとんど力づくで時間を作って観に行きました。
 今作を製作したのは「花咲くいろは」「SHIROBAKO」など特定の職業をフィーチャーした「お仕事シリーズ」を度々世に送り出しているP.A.WORKS。監督はそのP.A.WORKS設立時からのメンバーである吉原正行。90年代初頭からのキャリアがあり原画や絵コンテでの参加作品は多いですが監督作は意外なほど少なく「有頂天家族」くらいで劇場用映画としてはこれが初監督作品だそうです。

 ウィスキーという酒が完成までに非常に長い時間を必要とするように、さすがとしか言いようがないほど丹念なリサーチと主題へのリスペクト、丁寧な仕事の結実を感じさせる作品です。エンドクレジットで協力としてもの凄い数のクラフトウィスキー蒸留所の名前が出てきた時には驚きました。舞台となる駒田蒸留所のディテールの見事さ、地に足の着いた登場人物たち、どれもとても心地良い。「継承」をテーマとした物語に気を衒うようなところは全く無く、あまりに真面目過ぎてむしろ薄味に感じてしまう方もいるでしょうが、題材自体が極めて珍しいものである以上余計なフックは却って不純物になってしまうことを思えばコレで充分と言えます。

 主演である小野賢章、早見沙織を筆頭に変にアニメっぽくないフラットで自然体な演技を出演者たちがしているのも特徴で実写映画的な雰囲気を持っているのも面白いところ。早見沙織はこの映画の主題歌も歌っているのですが、正直最初は誰が歌っているのか分かりませんでした(苦笑)。いや、あんな歌い方もできる方だったとは。

 主舞台である駒田蒸留所は、長野県佐久市あたりに所在するメーカーとして登場しますが、モデルとなっているのは富山県砺波市にある三郎丸蒸留所。マスターブレンダーでありCEOでもある稲垣貴彦さんはこの映画のウィスキー監修も務めています。外観や内装、「ZEMON」というポットスチル(お酒の素とも言えるもろみを蒸留するための銅製の釜のこと)を導入していることなどがほぼそのままであるほか、作中言及される「再建資金の一部をクラウドファンディングで確保した」「他の蒸留所と原酒の交換をした」などのトピックは時系列こそ不動であれ三郎丸蒸留所の来歴で実際にあったことが採用されているようです。この辺り、「true tears」「クロムクロ」「花咲くいろは」などに代表されるように積極的に地場を取り込むP.A.WORKSらしい一面であると言えますね。余談ですがこの「ZEMON」というのは三郎丸蒸留所が高岡銅器を用いた梵鐘製作の老舗である老子(おいご)製作所と共同開発したポットスチルです。

 作中、ウィスキーにかなり長い冬の時代があったことが語られています。大手メーカーも率先して販売促進策を打ちますがなかなか芽が出ず、今のようにウィスキーが人気を獲得するようになるにはハイボールが人気を獲得してその後定着したこともそうですが、ドラマ「マッサン」のヒットが一役買いました。私もあそこで急にウィスキーの売り上げが伸びたのを良く覚えています。さすがに映画では「マッサン」について触れることはなく「ある時期を境に冬が明けてきた」くらいの描写に留まっていますが、この映画が日本ウィスキーの更なる飛躍のきっかけになると良いですね。
 
 作品自体があまり身近では知らないだろうことを平易に語り見せるような作りをしてくれていますが、背景やモチーフに対する知識を得てから観るとまた味わいも深くなる、そう言ったところもウィスキーとの共通項。映画を楽しんで興味が湧いたら、是非一歩踏み込んで調べてみたり、あるいはレストランやバーでウィスキーをオーダーしてみてください。きっと新しい楽しさが待っています。

 

拍手[1回]

1日乗車券を片手に地下鉄を乗り回し謎解きを街歩きを楽しむ、「地下迷宮に眠る謎2023」友人と連れ立って挑戦して来ました。街の観光とのタイアップなので難易度はそんなに高くないだろうと思っていたら甘かった(苦笑)。昼過ぎから始めたのですが、日没までに解き切れず最後の部分は解散後に自宅に持ち帰って解く始末。割とガチめのヤツなのでこれからトライする方はだんだん日も短くなりますし午前中から始めることをお薦めします。それと結構歩くので歩きやすい履き物で。あと、途中で一つでもピースを失くすと詰むので都度都度ご確認をお忘れなく。

 こんばんは、小島@監督です。
 とは言え久しぶりの謎解きゲームは楽しかった。次は屋内でやれるヤツにしたいかな(笑)

 さて、今回の映画は「ちびねこトムの大冒険 地球を救え!なかまたち」です。

 夏休み最初の日、トム(声・藤田淑子)と仲間たちは最近山頂で謎の発光が目撃されたり奇妙な音が聞こえたりと怪現象が相次いだピント山へ探検に向かう事にした。山頂にたどり着いたトム達は、そこで突如発光した巨石に飲み込まれてしまう。そこには地球の精霊チキ(声・坂本千夏)がいた。チキが言うには分裂した自身のかけらと一つにならなければ地球が滅びてしまうと言うのだが。

 2013年に58歳で死去したアニメ作家、中村隆太郎。出崎統監督作品の原画や佐藤順一監督作品の絵コンテなどを手掛け、1994年に宮沢賢治の小説をアニメ化した「グスコーブドリの伝記」で監督デビュー。「serial experiment lain」(1996年)で国内外で高い評価を集めました。先鋭的な映像表現の担い手で、作家色の強い作品を生み出すアニメーターだったと言えるでしょう。その同氏が「グスコーブドリの伝記」より前の1992年に完成させながらお蔵入りとなった本当の意味での初監督作品、それが「ちびねこトムの大冒険」です。「アニメ関係者ですら観た者は少ない」と言われるほどの幻の1本で、ミニシアターでの限定上映とは言え劇場公開にまで漕ぎ着けたのは中村隆太郎没後の2014年。その後もソフト化や配信にも乗ることはなく、鑑賞するには散発的なTV放送かミニシアターなどでの単独上映を期待するしかないという代物です。今回、大須シネマにて2週間ロードショーされる事になり、それを利用してこの幻の作品を観てきました。

 飯野真澄の手による児童文学を原作にしたこのアニメは、80分とそれほど長くない上映時間ですが、実に60,000枚という作画枚数を投入して作られました。キャラクターデザインは後年中村と共にPSソフト「ポポロクロイス物語」のアニメシーンにも参加した大橋学、作画に参加したアニメーターの中には後に「人狼」を手掛けた沖浦啓之などもいます。音楽に川井憲次、音響監督に斯波重治、美術監督に小倉宏昌と「機動警察パトレイバー」の主要スタッフが並び、キャストも藤田淑子、坂本千夏以下は野沢雅子、高山みなみ、かないみか、中尾隆聖、大塚明夫、飛田展男ら錚々たるメンバーです。これでもお蔵入りとなって20年以上日の目を見ることなく埋もれていたあたりに時の運の難しさを感じさせます。

 子供向けファンタジーらしい穏やかな語り口のイントロから、突如地球の命運を懸けた冒険へ出ることになるトムたち。作画の妙は前半は細かなキャラクターの芝居に、後半はダイナミックなアクションに、それぞれふんだんに投入された枚数でもって画面の迫力を支えます。後に「lain」で見せるアバンギャルドな映像表現の片鱗も既に現れているほか、終盤にはまるで「名探偵コナン」を先取りしたようなスケボーアクションまで登場します。どのシーンもそれほど主張は強くないのですが、少し注意して観るだけで実に贅沢な作りをしていることが分かるはず。
 メッセージ性が強すぎて今観るには少し気恥ずかしさもありますが、声優陣の見事な演技も手伝って重厚さすら漂う余韻を残す一本です。

 この出来栄えでも埋もれることがある、という時の不思議さを噛み締めてしまう一本。これを逃すと次はいつになるか分からないのでお時間のある方は是非どうぞ。
 


 

拍手[0回]

昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
 今回は数年ぶりに会えて話せた人たちが何人もいて何だか嬉しくなりました。こういう時間は良いですね。
 後はお笑いユニットの「東京03」を熱心に薦められました。お笑い、興味はあるもののイマイチ取っ掛かりを掴めずにいたのでまずはそこから行ってみましょうか(笑)

 こんばんは、小島@監督です。
 とかやってたら今期イチオシの「16bitセンセーション」をあまり布教できずに終わってしまったのが若干の心残り(苦笑)。

 さて、今回の映画は「SISU/不死身の男」です。

 第二次世界大戦末期、ソ連やナチス・ドイツの侵攻により国中が焦土と化しつつあったフィンランド。そこに愛犬と共に旅する1人の老人がいた。掘り当てた金塊を抱えて旅する老人はその道中でナチスの戦車隊と遭遇してしまう。老人が金塊を持っていることを知ったナチスたちは老人を殺して金塊を手にしようとする。しかし老人の予想外の反撃により兵士たちは次々と葬り去られて行った。やがて戦車隊の者たちは知る。その老人がかつてたった1人で300人以上のソ連兵を抹殺した伝説の兵士アアタミ・コルピ(ヨルマ・トンミラ)であることを。

 アクションだったりホラーだったり料理の仕方次第でジャンルとしては分けられるものの、ストーリーの基本骨子が「絶対に怒らせちゃいけない人をキレさせた」系映画は洋の東西を問わず広く作られています。最近では「ジョン・ウィック」や「イコライザー」もこの部類に入るでしょう。北欧の雄フィンランドから、そんな映画の新たな傑作が登場しました。

 「荒野・金塊・軍隊・アウトロー」と西部劇のようなキーワードが並ぶプロットはあくまでシンプル、唸ったり叫んだりはあれど主人公アアタミの本編中のセリフは僅か二言という切り詰められた脚本、過ぎるくらいに単純明快な物語です。
 この映画がひと味違うのはその単純明快さに迷いが無いこと、映画としての味わいをバイオレンス描写に振り切ったことにあります。地雷を食らっても火あぶりになっても首を吊られても死なない老人アアタミの超人ぶりと一緒にいるのにこちらもやっぱり何だかんだ死なない愛犬ウッコ、しかもアアタミは武器をその場その場で調達したりはするもののメインに使うのはツルハシ1本。そんなアアタミが軍隊相手に無双する姿を激烈なほどスピーディーに見せる異様なドライブ感こそこの映画の最大の魅力です。振り返る暇などありません。良く思いついたなコレ!?と言いたくなるアクションとシチュエーションの数々を全く出し惜しみする気の無いボリュームで畳みかけ、それは最早高度なギャグの領域。興奮と笑いが同時波状攻撃で襲い掛かってくる90分を観客は目撃する事になります。

 アアタミの問答無用の殺戮ぶりにちょっと快感すら覚えてしまう、このアドレナリン全開ぶりはもう観てもらわないと伝わりそうにありません。気になっている方は何とか時間捕まえて観に行ってしまいましょう。
 コイツはヤバい。
 あとせっかくなら応援上映もプリーズ。

拍手[0回]

昨日一昨日と福岡で開催されていた「THE IDOLM@STER MILLION LIVE! 10thLIVE TOUR Act-3 R@ISE THE DREAM!!!」をDay2のみ配信で観ていました。現在放送中のアニメでクライマックスに展開する1stライブと同じタイトルを冠したこのイベントでは、アニメをコンセプトに文字通り「このシアターでこのアイドル達が1stライブをするならこんな感じ」という印象で、セットリストの半分は先輩達である765ASのカバーという、もう良い加減古参になって来た私を一直線で狙い撃ちにくる並びに見事に撃沈されておりました。

 こんばんは、小島@監督です。
 10周年を締め括る来年2月のツアーファイナルでは遂に39人全員が出演することが発表され、これは何としても観に行かねばなるまいて。

 さて、今回の映画は「ゴジラ-1.0」です。

 1945年、大戸島の守備隊基地に敷島(神木隆之介)が駆る零戦が着陸した。機体の不調を訴えてのものだったが、整備士長の橘(青木崇高)は機体にどこも不具合を見つけられず、敷島が何かを隠していることを勘付く。
 その日の夜、基地が突如恐竜に似た怪獣「呉爾羅」の襲撃を受け敷島と橘を残して全滅してしまった。
 戦後、心に傷を負った敷島は給料は良いが危険度の高い残存機雷掃海の仕事に就いていた。その頃、太平洋上で米国の船舶が正体不明の巨大な生物に襲撃される事故が相次いで発生していた…

 圧巻。まさにその言葉が相応しい。
 来年シリーズ70周年というメモリアルイヤーを迎える「ゴジラ」、更に国内製作30本目のアニバーサリーとなる作品が遂に公開です。これまでゴジラシリーズは第1作が製作された1954年を起点にしていることがほとんどでしたが、今作ではそれより前の時代を舞台に描かれる初めての作品となります。監督はVFXを駆使した映画を第一線で作り続けてきた山崎貴。「ALWAYS三丁目の夕日」「永遠の0」などで度々昭和の時代を舞台として来たこと、「DESTINY鎌倉ものがたり」「ゴーストブックおばけずかん」などで超自然的なものを描いて来たこと、そして「ゴジラTHE RIDE」で短編ながらゴジラを描いた経験、それらフィルモグラフィーの全てを注ぎ込んだかのような一本となっています。

 何を置いても映像の迫力が尋常じゃない1本です。
 予算規模で行ったら1/10にも満たないでしょうがハリウッドの大作映画にもタメを張れる画が全編に渡り展開します。中でもゴジラ登場シーンの大半を占める海洋でのシークエンスの数々はちょっとどうかしている出来の良さで、CGが変に浮いたようなところなど微塵も無くVFXの技術の進歩と熟練のスタッフがそれを扱うことの凄みを如実に見せてくれます。

 「シン・ゴジラ」では東日本大震災に代表される天災の象徴であり、それ故に生存本能以外の意思を感じない無機質さでやって来てただ街に踏み入りただ破壊して行く恐ろしさがありましたが、今作のゴジラは戦争の呪いの化身そのもので、人間に対し憎悪や殺意を感じさせる存在です。人間を遥かに超越した存在が明確な殺意を持って破壊の限りを尽くし街を蹂躙する。「シン・ゴジラ」とは別種の恐怖を描いています。これが、トラウマとサバイバーズギルトに苦しむ青年・敷島を軸とする人間ドラマと絶妙に噛み合うことで物語をダイナミックなものにしています。
 その人間ドラマ、一見するとベタでもあり陳腐に映ってしまう瞬間もあったり、変なところで穴というかツッコミどころみたいなものも多いのですが、主演神木隆之介の演技がとにかく素晴らしいの一言で、強い説得力でもって映画の魅力を底上げしてくれていて、決して怪獣のただの添え物になっていません。物語やセリフへの解釈、演技プランを含め、監督の予想を超えて来た部分もあったのではないでしょうか。浜辺美波、佐々木蔵之介、吉岡秀隆、安藤サクラ、山田裕貴ら共演陣の演技も見事で、ゴジラが出てきていない部分は良くできた王道の日本映画という印象です。現代日本を舞台にしたポリティカルフィクションで「官」が戦う物語でもあった「シン・ゴジラ」とここでも好対照で、国家が機能不全状態に陥り軍も力を失っていた戦後すぐを舞台に、心も体も傷を負ったボロボロの「個」がそれでも奮起し「生」を希求する物語が、ゴジラという絶対的な絶望を前に輝きを放つのです。

 伏線の張り方も分かりやすく、容易に結末が予想できてしまうのも難点とは言えますが、王道とは裏を返せばそれだけ観るためのハードルが低い証拠です。予想を裏切るのではなく予想の先を行く。最も難しい道をこの映画は選び、そして最高の場所へ辿り着きました。何よりこの圧倒的なスペクタクルはスクリーンで味わなければ勿体無い。
 これは怪獣映画の一つの到達点だ。

拍手[0回]

ある意味これも「ウマ娘」の影響と言って間違い無いのですが、G1レースだけたまに馬券を買って観るようになりました。毎回じゃないのは単に土日がスケジュール的に買いに行く暇が無いことも多いからで、買ってもせいぜい500円くらいの本当に気楽な遊びという程度。
 買うようになって日が浅いのでどこら辺を見て予想立てるべきかまだ分かるような分からないような感じで大抵は当たりませんが、昨日の天皇賞(秋)では初めて3連複を当てることができてこれがなかなか嬉しい。倍率は20倍ちょっとなので大したことはないのですけれど。

 こんばんは、小島@監督です。
 しかし昨日のイクイノックスのあまりの強さにはさすがに観てて震えました。しかも2,000mレースのワールドレコードだとか。とんでもない馬がいたものです。

 さて、今回の映画は「シン・ゴジラ:オルソ」です。
 今回は粗筋については割愛します。

 「色彩」がもたらす情報量は自分たちが思っているより遥かに多い。それを削ぎ落とした時、見えるものが大きく変わります。
 2016年に公開された庵野秀明監督の傑作「シン・ゴジラ」、11月3日に「ゴジラー⒈0」が公開されるのに合わせてモノクロ版が製作され全国で僅か7館、それも3日間だけのごく限定的なものながらスクリーン上映されました。
 タイトルの「オルソ」とはオルソクロマチックフィルム(青と緑の色調にのみ反応し赤色に対して感度を持たないフィルム)のことだそうです。映像を観た感覚では単に色彩を落としただけではなく陰影を強調しているような印象でした。「オルソ」はモノクロ化に当たっての方針のようなものでしょう。また今年11月30日を以て事業終了を決定している東京現像所がDCP(デジタルシネマパッケージ)を手掛けた最後の作品となりました。

 もともとカラーだった映像をモノクロにする、というのがどの映画にもハマるものではありませんが、こと「シン・ゴジラ」に至っては驚くほどにマッチし作品が「何を見せたいか」が鮮明に浮き彫りになりました。
 まずゴジラ第二形態(いわゆる「蒲田くん」と俗称されるアレ)や終盤の「在来線爆弾」などCG臭さが抜けなかった箇所で画面に統一感が生まれている上、どことなくスーツアクトやミニチュアワークを見ているような質感になり往年の「東宝特撮映画」的テイストが割増になっています。何よりゴジラが熱線を吐き首都を焼き払うあのシーンの恐ろしさの際立ちは特筆もの。
 人物についても陰影を強調した画面は特にクローズアップでの緊張感を増幅させていて、会議の場面が多い本編と絶妙な親和性を生み出しています。雰囲気としては岡本喜八監督の名作「日本のいちばん長い日」に近い印象。観ていて思った以上にセリフを集中して聴いている自分に気付いたのも発見でした。色彩が無くなったぶん、脳のリソースに余裕ができたんでしょうか。

 映像が全体的にクラシックな風格を持ち得たことは音声面でも好影響を与えており、劇中で使われている伊福部昭の音楽やもともと最近の映画にしては3.1chとチャンネルが少なく、外に広がるというより内に閉じていくような音響設計とも相性が良くなっていて、総じて作品そのものの純度が上がった格好です。
 何度も観ていて慣れているはずの映画を実に新鮮な気分で楽しむことができました。

 2016年当時、封切りから少し遅れてIMAX版も公開されていてそれも観に行っているのですが、正直なところ画面も音響もIMAXのハイスペックさを持て余しているような印象でこう言っては何ですが「ただ追加料金を払って普段より大きなスクリーンで観た」以外の付加価値を感じられなかったのですが、今回のモノクロ版はむしろこの映画に必要なのは引き算だったと実感させてくれる稀有な映像体験でした。

 せっかくの代物なのに公開規模が小さ過ぎるのがホント勿体無い。いずれBlu-rayや配信で観られる機会もできると思いますが、その時は是非その目で確かめていただきたいですね。

拍手[0回]

秋のアニメの中で、全く思いがけず楽しんでしまっている作品があります。「16bitセンセーション」、弱小美少女ゲームメーカーでイラストレーターをしている女性がひょんなことから1990年代にタイムスリップし当時の美少女ソフトメーカーでバイトする、という話なのですが、アダルトゲームというアングルから90年代サブカルチャーを振り返るなどという題材のエンタメが登場するとはよもや思わず、その切り口に興味深く観ています。第3話で物語は1996年に移り、いよいよ自分が秋葉原に入り浸り始めた時期に近付いて来ていて、技術や製作環境だけでなく世情も目まぐるしく変遷して行ったあの頃をどうストーリーの中で表現してくれるのかホント楽しみ。
 作中に当時発売されたタイトルが実名でパッケージデザインごと登場したり、エンドカードのイラストに当時の名作を手掛けたイラストレーターが寄稿していたりするのも良いですね。

 こんばんは、小島@監督です。
 まあある意味自分の黒歴史的引き出しを開けられてるようでもあるのでたまに変な汗出ますがね(笑)

 さて、今回の映画は「旅するローマ教皇」です。

 第266代ローマ教皇フランシスコ。史上初のラテンアメリカ、そしてイエズス会出身の教皇である。2013年に就任して以降2022年までの9年間で53カ国37回の海外訪問を行なった。学究の徒然としていた前教皇ベネディクト16世と異なる路線を打ち出し、明るく飾らない人柄で信者達に留まらない人気と支持を集め、2013年のブラジル訪問時には歓迎イベントに100万人が集まったという。その人気故に「ロックスター教皇」と呼ぶ者もいるフランシスコ。その旅先で彼はどんな表情を見せ、どんな言葉を発したのか。

 ドキュメンタリーの名手ジャンフランコ・ロージ。「ローマ環状線、めぐりゆく人生たち」「海は燃えている〜イタリア最南端の小さな島〜」などで国際的評価を得た同氏が今作でその眼差しを向けるのは、第266代ローマ教皇フランシスコ。積極的に世界中を歴訪する教皇に密着し、その姿の向こうに世界のありようを浮かび上がらせようとします。
 これまでのロージ監督作品と大きく違う点は、映画製作のほとんどは膨大な量のアーカイブ映像からの採録と編集に費やされ、実際に同行撮影を行なったのは2022年のカナダとマルタのみだそうです。

 歴訪した先々で歓待を受け、演説を行う教皇。映画はその姿が繰り返し映し出されます。多くがアーカイブ映像で構成されたそれは、一見ただニュース映像が流れているだけのように思えますが、世俗に生きる市井の人々をこそ見つめて来たロージ監督はある意味で世界最高峰のアイドルに対し絶妙な距離感を保った映画に仕上げています。教皇としての近寄り難さと本人の人柄がなせる親しみやすさを見せつつ、重圧に沈み懊悩する一介の老人の姿を確かに捉えてみせます。映画のために撮られた映像ではないものを解体し紡ぎ直して作り上げた、という作品の性格上、この映画の肝は映像が捉えたトピックそのものよりも「編集」に見る必要があるでしょう。
 興味深いのはロージ監督がそれを見出しているのは軽妙でいて熱のこもる演説の中、ではなく沈黙の中である点です。映画冒頭、最善の言葉を尽くそうとする教皇が沈思する姿を捉えます。本編中にはアルメニア人虐殺の歴史について批判した後の、トルコのエルドアン大統領との間に流れる沈黙も映し出します。政治と宗教が火花散らす瞬間はむしろ言葉の出ない時であるかのよう。
 
 また、旅先での姿ばかりではなく移動中の映像も映画を構成する重要な要素です。機内の窓から外を覗くフランシスコ。VIP故にチャーター機には護衛の戦闘機が付くこともしばしば。パレードの際も見回せば武装した護衛兵が必ずいます。宗教的指導者として戦争を否定しながら、バチカン市国の元首でもあるが故に武力は否定できない。その矛盾。それを抱えながらもしかし困難の中にある人々に手を差し伸べる行き方をやめないフランシスコの在り方の向こうに、断絶が増していく世界の姿を映画を通して見せて行くのです。

 2019年には日本へも訪れ東京ドームで大規模ミサを行ったニュースをご記憶の方もいるはず。その際には広島や長崎も歴訪しています。映画には日本訪問時の映像も使われていますが、残念ながらミサの様子は収められていません。
 武力紛争への嗅覚と教皇としての使命感がそうさせるのか、フランシスコは度々緊張度の高い地域へも訪問しており、それこそイラクやイスラエルにも赴いています。苦悩し疲れ果てながらも諦めない。世界にはこういう戦いをしている人がいる。もう80代後半に差し掛かっていながらフランシスコの旅はまだ終わりません。その祈りで彼は世界に相対し続けるのです。旅路の果てで彼はどんな言葉を残すのでしょうか。

拍手[0回]

昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
 朝方は雨模様だったので厚手の格好で行ったらJOYSOUND金山に着く頃には結構暑くなっててちょっぴり服装を後悔したことと、久しぶりに名乗り出たじゃんけん大会で勝ち抜いてしまい缶チューハイとお漬物を頂いてしまったのが私の昨日のハイライト。おいおいご飯のお供にして楽しませてもらいますぞ〜。

 こんばんは、小島@監督です。
 カラオケの方もいろいろと歌えたので何のかのと満足でございました。

 さて、今回の映画は「イコライザーTHE FINAL」です。

 イタリア・シチリア。ある仕事を終えたロバート・マッコール(デンゼル・ワシントン)は、そこで図らずも瀕死の重傷を負ってしまう。マッコールの命を救ったのは医師のエンゾ(レモ・ジローネ)だった。自身の素性も聞かずに治療を施してくれたエンゾの計らいで、イタリアの小さな田舎町でのマッコールの療養生活が始まった。
 一方、匿名を装ったマッコールからの通報を受け、CIAからエマ・コリンズ(ダコタ・ファニング)たちがイタリアへ派遣された。そこでエマらはテロリストへ流れていると目される薬物と資金を発見し、その大元を探るためエマは更なる捜査を開始する。
 傷を癒しながらの街での生活を気に入り、そのまま静かに隠棲しようとするマッコール。しかし強硬にリゾート開発を推し進めるマフィアの手が街に迫ってきていた。

 勤勉なホームセンターの職員が、実は元特殊工作員。そして最短最速で悪人を葬る暗殺者「イコライザー」、そんな男ロバート・マッコールをデンゼル・ワシントンが演じる人気シリーズの3作目が公開中です。監督はもちろんシリーズを通して手掛けてきたアントワン・フークア。デンゼル・ワシントンがアカデミー主演男優賞を獲得した「トレーニング・デイ」(2001年)からの二十年来に渡るタッグで今回も燻し銀の味わい深い作品に仕上げています。
 「THE FINAL」と銘打っており、確かに完結を思わせるラストをしていますがこれはあくまで邦題で原題は単に「THE EQUALIZER 3」。「THE FINAL」という邦題が早とちりに終わらないと良いのですが。

 「イコライザー」という作品、ジャンルとしてはアクションやスリラーの部類に入るのは間違い無いのですがそのボリュームはむしろかなり少ないのが大きな特色です。前半は名も無き市井の人達の生活や悩みに寄り添い助言をする心優しい男の姿を描いて行きます。気さくで人当たりも良いが強過ぎるくらいの正義感の持ち主。ウザいようなクサいようなこんなキャラクターもデンゼル・ワシントンが演じるとそこに「深み」が宿ります。その深みと、終盤悪人たちに容赦の無い鉄槌を下す姿の、オンオフの振り幅の極端な大きさがこのシリーズの醍醐味です。
 同じ暗殺者を主人公にして奇しくも同時期に新作が公開されている「ジョン・ウィック」がクール&スタイリッシュなアクションとスタントのボリュームの中に作品の核と哲学を盛り込み、上映時間が長大化して行ったのと対照的に「イコライザー」ではアクションの過程の大半を省略することでロバート・マッコールの強さを表現してみせるので作を重ねる度に上映時間が短くなっているのもポイントです。主演のデンゼル・ワシントンが年齢の割に動きが機敏とは言え1作目の時点で既に59歳だったという事もあったかもしれませんが、この「省略」が作品をユニークなものにしています。

 ジョン・ウィックのように多様な武器を使いこなすのではなく、ガラス瓶やコルク抜き、フォークなど身近なものを武器にして最短かつ全力で敵を抹殺するスタイルは、経過を省略し結果だけを見せるようになった作劇とシリーズで初めてR15+のレーティングとなったことが相まって「THE FINAL」のマッコールのバイオレンスは最早ホラーの領域。マフィアの視点から見たら無表情かつハイライトの無い瞳で鉛筆1本で頭をブチ抜くわマッチ棒でも折るかのように容易く腕をへし折るわするマッコールは「13日の金曜日」のジェイソンもかくやというシリアルキラーにしか見えないに違いない、というか最後の方はむしろマフィアたちに「超逃げて」と思わされてしまうこと必至。

 そんなバイオレンスが映えるのも、ひとえに「名も無き普通の人たち」を描いているから。実は前2作まででマッコールは多くのものを失っています。それ故に心のどこかで安息の地を求めていたのでしょう。遠くイタリアの片田舎でささやかに生きる普通の人たちの喜びや優しさの中にそれを見出したからこそそれを踏みにじる者をマッコールは許さない。しかしその容赦の無さには哀愁も漂い復讐に安易なカタルシスを否定します。シンプルなプロットに宿る情感の複雑さとデンゼル・ワシントンの重厚な佇まいによって、この3作目にして「イコライザー」は文芸映画のような風格すら獲得しました。
 現実は混沌としていて善悪の境界も曖昧。勧善懲悪はB級映画くらいのものと理解はしていてもせめてフィクションでくらいはそう言うのがあっても良いしあって欲しい。マッコールに討ち果たして欲しい「悪」はまだまだある、そう思う方も多いのでは。とは言えシリーズはこれで一区切り。ある意味で「親愛なる隣人」であるマッコールの最後の戦いとその行き着く先をどうぞ見届けてください。

 

 



 

拍手[0回]

/