ちゅうカラぶろぐ


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何故か梅雨明けしてから連日のように強い夕立が降るのでここ1か月近く毎週1~2回は電車が止まって帰宅するのが遅くなる、最悪ホテルで1泊するという日々が続いています。良いか悪いかこちらも段々慣れてきてしまい「夕食どこで食べよう」とか「多分これくらいの時間までには帰れるだろうからあとどれくらい時間的余裕がある」とか考えていたりします。何の気無しに職場の同僚にそんな話をしたら「いや、それはたくまし過ぎる」と突っ込まれました(苦笑)

 こんばんは、小島@監督です。
 とは言え、こういうのは一番疲れない方法を取るか待ち時間をいかに楽しく過ごすかしかないのですよ。

 で、今日のネタもそうやって電車待ちの間に観た1本。今回の映画は「ファンタスティック・プラネット」です。

 地球ではないどこかの惑星・イガム、そこでは真っ青な肌に赤い目をした巨人・ドラーグ族が文明社会を築き、小さな人類・オム族は原始的な生活を強いられ、ドラーグ族によってある者は虫けらのように踏み潰され、ある者はペットとして飼育されていた。ドラーグ族はオム族の持つ知性に脅威を感じており、議会ではオム族絶滅を図る強硬派と共存を図る穏健派とで意見が対立していた。
 ある日、オム族の母子がドラーグ族の子供たちの悪戯の対象になり、その結果母親は死んでしまい、赤ん坊だけが取り残された。その様を見ていたドラーグ族の少女ティバは残された赤ん坊を拾い、「テール」と名付けペットとして飼うことを決める。ティバは「学習器」という、脳に直接知識を取り込む機械で教育を受ける際、いつもテールを手のひらに乗せていた。その結果、テールも驚異的なスピードで言語や知識を習得していった…

 1973年にフランスとチェコスロヴァキアの合作で製作されたアニメーション映画です。幻想的な画風のアーティスト・ローラン・トポールが4年間かけて原画デッサンを描き、それを映像作家ルネ・ラルーが切り絵アニメーションでもって映像化した作品です。当時から高い評価を得、アニメーション映画としては初めてカンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞しました。後続のクリエイターに多大な影響を与えたと言われ、日本でも宮崎駿が特に「風の谷のナウシカ」でその影響が見受けられると言われています。最近になってデジタルリマスター化され、それを受けて現在各地のミニシアターで巡回上映がされています。前から一度観てみたいと思ってましたが、ようやくそれを実現できました。

 正直言ってどう説明したらいいものか、うまい言葉が見つからないくらい独創性の塊のような映像です。1日の大半を瞑想して過ごし、瞑想中は体の形が自由に変わっていくドラーグ族の生態を始め、生物もメカもどれもがシュール。ジャズピアニストであるアラン・ゴラゲールの手掛けた電子音主体の音楽も相まって唯一無二の世界観が展開します。

 物語の方も一見して相当にブッ飛んでいますが、2つの生物と社会の対立と闘争とそれがもたらす変化のありさまは実にSFらしい風刺と批評精神に富んでいます。オム族をおもちゃのように扱い虐げながら一方で脅威を感じてもいるドラーグ族と、そのドラーグ族に怯えて暮らしながら同時に憎悪を募らせてもいるオム族、その狭間にドラーグ族の知識を得たテールがおり、彼の存在が恐らく長く変わらなかったであろう両者の関係に大きな変化をもたらすことになります。作中では明確な結末が用意されている対立の構図ですが、本来は簡単な答えの出ない類のものでしょう。これをどう見るかは、観客の想像力に委ねられています。

 半世紀の時を経てなお「斬新」と思わせられるその世界観、「比類無い」とはまさにこのこと。普段目にする日本のアニメとは根本的に作りが違うのとヒエロニムス・ボスやサルバドール・ダリを思い起こさせるシュールレアリスム全開のビジュアルで抵抗感を覚える人も多そうですが、絶対的に他の何とも似ていない映像体験となる1本でしょう。
 名古屋ではシネマテークで8月13日までの上映。百聞は一見に如かず、この機会に是非ご体験あれ。

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