ちゅうカラぶろぐ


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体に合わないお酒って有りますよね。

体調とか、精神的に参っているときなどのお酒はめちゃめちゃ効きすぎて、体がパンクしてしまいます。

ええ、自分は今日も二日酔いです。

昨日は部下が退職するのでその送別会だったわけですが、退職する部下の人気がないせいか「役員は参加するのに部署の中間上席が全員参加ではない」「役員がお店に口出ししてくる」「退職する部下がADHDだと笑顔で告白し、変な意味で場がざわつく」などのイベント盛りだくさんで、もう幹事の俺の立つ瀬が全然なし。

いつものちゅうから食事会がどれだけ楽しいかよくわかりました。

こんばんは。二日酔いで手汗が止まらなくて気持ち悪いショーグンです。
自分の二日酔いは四肢の末端から汗が止まらなくなりますww

さて、自分はアイマス歴11年、ちゅうカラ歴も11年とだいぶ古参の域に達してきたところ。入ったばかりの頃はまだ…若かったですね。
しかし10年以上前からいると、長い歴史の中で知ったことやわかったこと、またその期間に手に入れたことでだいぶ知識が膨らんでくるわけです。

最近、この知識量が問題だと色々思う時があるのですよ。

例えば、新しく入った人に接するとき。
新しく入った人は「知識量0」です。何にも知りません。ここで、「面白い」ことに巻き込もうとしていろいろなことを教える人の知識量が「10年」とした場合、その知識の差は圧倒的です。

この圧倒的な知識量の差は新しく入った人にとっては脅威となり、人は「上から目線」に感じてしまいます。
知識レベルに格差がありすぎると、「普通に話しているだけ」なのに相手にとっては「バカにされている」ように感じることが多々あるのです。

もちろん全てではありません。
最初からそこに有る「知識量の差」など簡単にぶっ飛ばして雰囲気に馴染み、あっという間に成長する人もいますし「知識量0」をうまく利用し自分の雰囲気と居場所を作り出し、新しい歴史を作る人もいます。

でも、多くの人は慣れない場所でどのようにしていいかもわからず、仲間になるハードルを超えられず、馴染もうと努力するけれども、あらぬ方向に突っ走ってしまう。なんてことをしてしまいます。それもキャラクターとして認められる場合はいいですが、認められなかったときは悲惨なことになってしまいます。

そんな知識量に差がある人で話をする時、知識をもつ側の人は「知識量0」に近い目線まで落として話をしてあげるべきだと思うのです。そこで「勉強しない人が悪い」と思ったり、「知識がないからバカにされて当然」と言った態度であっては絶対にならない。ましてや過去のことを引き合いに出して、専門家仲間と話ができれば十分であるなどとするのは、野卑な傲慢でしかありません。

相手は自分の頭の中を除くことはできません。「相手の考えていること」を想像はしますが「知識量0」では正しい想像など出来はしません。
付き合いの短い中で「それができる」という人は超能力者です。考えを読まれるので、近づいたら自分の妄想や願望が垂れ流されて「社会的な死」を迎えてしまいます。

知識は捨てられるものではありませんし、どうやったって会話の中ににじみ出てくるものは有るはずです。
私たちは過ごしてきた年月で見つけた「楽しいこと」を平易にわかりやすく入り口を大きくしてあとから来たものに伝えていくのか。

年を食えば食うほどに、こんなことばかり思ってしまいます。
あーー、どうやっったら自分の「楽しい」や「好き」をひとにつたえられるんだろう!


で、この文章も自分の思いを伝えたいがばかりに野卑な傲慢になっている気がしますww

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