ちゅうカラぶろぐ


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昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
今回は同室になったメンバーが皆アッパーだったというか、約5時間ほぼノーブレーキで歌ったり叫んだりコール入れたりで最高に楽しく、終わった後翌日の喉がちょっと心配になるくらいでした(笑)

こんばんは、小島@監督です。
そしてじゃんけん大会で頂いた馬肉の炭火焼きは近日中に美味しく頂きます(笑)

さて、今回の映画は「MERU/メルー」です。

インド、ヒマラヤ山脈ガンゴドリ山群、ガンジス河源流域の一つでもある場所にそれは聳えている。「メルー中央峰」標高6,250m。「シャークスフィン(サメのひれ)」とも呼ばれるその山頂へのダイレクトルートは雪と氷に覆われた1,200mの山肌とその先に待つ450mのほぼ垂直な花崗岩の岩壁によってこれまで多くのクライマーたちの挑戦を退けてきた。
2008年10月、コンラッド・アンカー、ジミー・チン、レナン・オズタークの3人はシャークスフィンに挑むも猛吹雪に足止めされ、20日間に及ぶアタックの末、山頂まで残り100mというところで撤退を余儀なくされる。
肉体的にも精神的にも多大な傷を負った3人は、1度は全てを捨てようとするものの、心の内に湧き上がるメルーへの想いに突き動かされ、2011年9月、3人は再びシャークスフィンへと挑戦する。極限への挑戦は、3人に何をもたらすのか。

3人のクライマーが2度にわたり未踏峰の山へトライし登攀する様子と共に、そこに至る数々の葛藤と冒険心を当事者たちのインタビューやプライベートフィルムで綴ったドキュメンタリーです。
監督はこの時トライしたメンバーの一人でありトップクライマーであると同時に映像作家でもあるというジミー・チンとその妻であるエリザベス・チャイ・バサリヒィ。つまりこの映画は登山家自身が未踏峰の登攀ルートへ挑む姿を収めた映画、ということになります。撮影も主観的なアングルを含め近影をジミー・チンが、ロングショットをエリザベス・チャイ・バサリヒィが撮影していたそうで、登攀中の映像は最少の人数で撮られたものなのでしょう。

恐らくこれほど直接的な映像に溢れた山岳映画はまず滅多にお目にかかれないんじゃないでしょうか。そういう意味では極めて珍しい映画です。何せ登った本人が撮っているのです。スケールというより五感に直接響いてきそうな映像が次々と出てきます。映画館にいるのに吐く息すら凍り付きそうなほどの冷たい風が今にも吹いてきそうな臨場感を味わえます。

一度失敗した3人は半月以上も濡れた足で冬山にいたため凍傷と感染症を併発した「塹壕足」という状態になってしまい車椅子生活を余儀なくされます。身体にそこまでのダメージを負いながらそれでも数年後にその山へリトライしてしまうのはある意味でドMと言うか、ダメ人間も良いところなのですが(笑)、同時に「高み」を目指さずにはいられない衝動に突き動かされ不可能に挑み続ける姿にはどこか憧れのようなものを覚えます。

遠い過去の話ではなく数年前の話でしかも主要人物が全員存命、かつ当事者自身が撮影した素材がふんだんに使われているとあって主観的で生々しい映像と言葉が頻発しますが、そこに客観的なアングルを加えてくれるのが「荒野へ」「空へ-悪夢のエヴェレスト」などで知られるノンフィクション作家ジョン・クラカワーのインタビューとナレーションです。クラカワーの第三者的な視点を交えて語られることで、「不可能」に敢然と挑む3人の心情をより多角的に捉えることができるようになっており、作品に厚みを加えています。

正直なところ、観る前はちょっと興味がありたまたま空き時間とタイムテーブルが嚙み合ったから観てみた、という程度でそれほど期待してなかった映画だったのですが、予想の遥か上行く新鮮な驚きに満ちた作品でした。
公開自体は既に終盤に差し掛かっているため、なかなか機会も無いでしょうがフィクションとして山岳を取り扱う映画とは大きく違う生々しい迫力に満ちたこの作品、ご興味のある方はぜひスクリーンで。圧倒的な映像と共に「不可能」とされたことに挑み続け切り拓いてゆく人間の「可能性」の姿をその目に焼き付けてみてください。


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