ちょっとお誘いを受けまして、先日ヴォーカリストTRUEさんのライブツアー「乱舞」の名古屋公演に行って来ました。TRUEさんのライブに行くのは実に9年ぶり。国内のホールやライブハウスだけでなく海外公演も予定されているこのツアー、名古屋公演では「響け!ユーフォニアム」「アイカツ!」現在放送中の「MAO」に加えて、ツアーらしい企画として「ご当地アニソンカバー」と題し「メダリスト」や「負けヒロインが多すぎる!」のエンディングをカバーしてくれたりとバラエティに富んだ充実のセットリスト。衰え知らずのパワーに円熟味が増したヴォーカルは情熱的でいて心地良く、終始ぶちアガれる素晴らしいライブでした。
こんばんは、小島@監督です。
やはり生音は良い。それなりにアイドルライブには足を運んでいたりするけれど、音に浸れるライブはまた格別。
さて、今回の映画は「シラート」です。
スペイン人のルイス(セルジ・ロペス)と息子のエステバン(ブルーノ・ヌニェス・アルホナ)は、レイブパーティーの後に消息を絶った娘を探すためモロッコにやって来た。砂漠で行われるレイブパーティー会場にたどり着き方々で娘の行方を聞いて回るがなかなか成果は上げられない。
そんな中、突如軍隊が現れレイブは中止になり、会場から客たちを追い出し始めた。客たちの中に軍隊の誘導を振り切り次のレイブ会場へ向かう者たちがいた。ルイスは彼らの後をつけ同行させて欲しいと願い出るのだが。
「シラート」、それは道。天国へ到る道。心清き者には通れる幅があるが不信心者には髪の毛よりも細く剣よりも鋭くなるという。
砂漠にスピーカーが設置されていき、大音響でハードコアテクノが流れる、やがてどこからか人が集まって来る。映画冒頭の数分間、セリフ無く展開するこれらの映像はどこかプリミティブな宗教儀式を捉えたドキュメンタリーのよう。そこにルイスとエステバン親子が登場し、物語が動き始める。のですが、この映画、「親子2人が娘を探している」以外の情報はほぼ提示されないに等しく、物語を追うものとして観ることは実質無意味に等しいです。「地獄の黙示録」「恐怖の報酬」(ウィリアム・フリードキン監督の方)「マッドマックス:怒りのデス・ロード」、類似性を感じさせるタイトルが思い浮かぶ方も多いでしょうがそのどれとも似ているようで似ていません。ある意味で確かに唯一無二の映画です。
ハードコアテクノやトランスミュージックが全編に渡りスクリーンのスピーカーを震わせており、音にほとんど空白が無い一方で物語の進行は至ってスローペースで全てが断片的、余白が多くその歪な感覚が奇妙な不安を見る者にもたらします。
そしてその不安は唐突に顕在化します。それこそ段取りも伏線も予兆すらも無く。
そこからはまさに「シラート」というタイトルが示す通りにか細い道を辿って行くかのごとく、異様な緊張感がトランスミュージックと共に襲ってきます。それはクレタ島のラビリントスに赴くテセウスがアリアドネから託された玉糸のようでもあり、「神曲」においてベアトリーチェを探し求めるダンテが地獄から煉獄、天国への旅路のようでもあり。宗教的なイメージを喚起させられる方も多いでしょう。
映画を映画館で観るということ、それを体感すること、その「体験」そのものに意味がある、面白いつまらないを超えた先にそれがある、「シラート」はそういうタイプの作品です。たとえ観てる途中で睡魔に負けてしまったとしてもちゃんと「意味」は残ります。言い換えましょう、ちょっとでも興味が湧いたなら絶対に映画館へ観に行ってください。はっきり言って数ヶ月後か一年後かに配信に乗るようになったとして、自宅で観ても1mmも面白くないです。一度観たことのある人が追体験として観る以外にそこには何の「意味」も残っていません。スクリーンで観たところで必ずしも「面白かった」と言える作品でもありませんが、本気で何かを突き刺して来る意思は感じられるはず。これは現代のストーリーへの哲学と主義の真逆を行く価値観、映画が持つ可能性の一つの提示です。
こんばんは、小島@監督です。
やはり生音は良い。それなりにアイドルライブには足を運んでいたりするけれど、音に浸れるライブはまた格別。
さて、今回の映画は「シラート」です。
スペイン人のルイス(セルジ・ロペス)と息子のエステバン(ブルーノ・ヌニェス・アルホナ)は、レイブパーティーの後に消息を絶った娘を探すためモロッコにやって来た。砂漠で行われるレイブパーティー会場にたどり着き方々で娘の行方を聞いて回るがなかなか成果は上げられない。
そんな中、突如軍隊が現れレイブは中止になり、会場から客たちを追い出し始めた。客たちの中に軍隊の誘導を振り切り次のレイブ会場へ向かう者たちがいた。ルイスは彼らの後をつけ同行させて欲しいと願い出るのだが。
「シラート」、それは道。天国へ到る道。心清き者には通れる幅があるが不信心者には髪の毛よりも細く剣よりも鋭くなるという。
砂漠にスピーカーが設置されていき、大音響でハードコアテクノが流れる、やがてどこからか人が集まって来る。映画冒頭の数分間、セリフ無く展開するこれらの映像はどこかプリミティブな宗教儀式を捉えたドキュメンタリーのよう。そこにルイスとエステバン親子が登場し、物語が動き始める。のですが、この映画、「親子2人が娘を探している」以外の情報はほぼ提示されないに等しく、物語を追うものとして観ることは実質無意味に等しいです。「地獄の黙示録」「恐怖の報酬」(ウィリアム・フリードキン監督の方)「マッドマックス:怒りのデス・ロード」、類似性を感じさせるタイトルが思い浮かぶ方も多いでしょうがそのどれとも似ているようで似ていません。ある意味で確かに唯一無二の映画です。
ハードコアテクノやトランスミュージックが全編に渡りスクリーンのスピーカーを震わせており、音にほとんど空白が無い一方で物語の進行は至ってスローペースで全てが断片的、余白が多くその歪な感覚が奇妙な不安を見る者にもたらします。
そしてその不安は唐突に顕在化します。それこそ段取りも伏線も予兆すらも無く。
そこからはまさに「シラート」というタイトルが示す通りにか細い道を辿って行くかのごとく、異様な緊張感がトランスミュージックと共に襲ってきます。それはクレタ島のラビリントスに赴くテセウスがアリアドネから託された玉糸のようでもあり、「神曲」においてベアトリーチェを探し求めるダンテが地獄から煉獄、天国への旅路のようでもあり。宗教的なイメージを喚起させられる方も多いでしょう。
映画を映画館で観るということ、それを体感すること、その「体験」そのものに意味がある、面白いつまらないを超えた先にそれがある、「シラート」はそういうタイプの作品です。たとえ観てる途中で睡魔に負けてしまったとしてもちゃんと「意味」は残ります。言い換えましょう、ちょっとでも興味が湧いたなら絶対に映画館へ観に行ってください。はっきり言って数ヶ月後か一年後かに配信に乗るようになったとして、自宅で観ても1mmも面白くないです。一度観たことのある人が追体験として観る以外にそこには何の「意味」も残っていません。スクリーンで観たところで必ずしも「面白かった」と言える作品でもありませんが、本気で何かを突き刺して来る意思は感じられるはず。これは現代のストーリーへの哲学と主義の真逆を行く価値観、映画が持つ可能性の一つの提示です。
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