ちゅうカラぶろぐ


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ふと思い立ち今日は「いきいき今池お祭りウィーク」行ってました。
 今池が街を上げて行うお祭りで、そこら中にいくつも特設ステージが立ちフォークやロックやソウルやブルースが聞こえ、屋台も立ち並びますが普段は夜だけ営業している呑み屋もこの日ばかりは昼からやっていて街全体で人々が飲んだくれているような、そんな祭りです。
 人に迷惑をかけない、以外のルールがほとんど無いような猥雑さは好き嫌いが分かれるでしょうが、私は結構気に入っています。祭の空気に当てられて、名も知らぬ人と談笑しながら鰻の蒲焼きやハーブソーセージを肴に呑むハイボールが実に美味。
 きっと祭りがはけてもそこかしこの居酒屋やバーで、朝まで盛り上がる人たちもいるのでしょうね。

 こんばんは、小島@監督です。
 普段は引きこもり気味だけど、たまにはこんな休日も良いさ。

 さて、今回の映画は「オデュッセイア」です。

 ギリシャ連合軍は10年に渡る長い戦いの末に、トロイア軍を討ち果たした。
 トロイア滅亡後、戦勝の英雄となったオデュッセウス(マット・デイモン)が故郷イタケを目指し帰郷の途に着いてから更に8年の時が過ぎる。
 未だオデュッセウスは戻らず、既に亡き者としてイタケの王宮には王妃ペネロペ(アン・ハサウェイ)との再婚を求める求婚者たちが押しかけ宴と無法を繰り返す日々が続いていた。顔すら覚えていない父オデュッセウスの生存を信じる息子テレマコス(トム・ホランド)は、父の消息の手がかりを求めてスパルタ王メネラオス(ジョン・バーンサル)の元へ向かう。

 これぞ英雄叙事詩。映画だからこそなし得る高み。
 古典中の古典であるホメロスの「オデュッセイア」をクリストファー・ノーランが2億5,000万ドルの巨額を投じ製作した、まさに超大作です。
 主演マット・デイモンを筆頭にアン・ハサウェイ、シャーリーズ・セロン、ロバート・パティンソン、ジョン・レグイザモと言った実力派に加えてトム・ホランド、ゼンデイヤ、ジョン・バーンサルと「スパイダーマン/ブランド・ニュー・デイ」の主演陣も何故か揃った豪華なキャスト陣が目を引きます。
 ノーラン作品なので例によって173分と3時間近い長尺ながら「トロイの木馬」や「キルケーの魔女」と言った有名なエピソードを網羅し高い密度を維持つつも滑らかなストーリーテリングで非常に見やすいものになっています。
 ただやっぱりノーラン作品なので説明的な描写も少なく、ある程度の予備知識は入れておいた方が鑑賞しやすくなるでしょう。さすがに公式も自覚があるのか、鑑賞の助けになるような解説記事や動画をアップしており、いくつか目を通しておくと良いかも。

 極めて巧みな構成で組み上げられたストーリーが語るのは英雄の「罪と罰」。映画はカリュプソ(シャーリーズ・セロン)との対話の中でトロイア以後の漂流を追憶するオデュッセウス、王不在で荒廃してゆくイタケを奪還すべく父オデュッセウスの消息を求め彷徨うテレマコス、という二つを柱として展開。重要なのはオデュッセウスの追憶は「神話」であると同時に一種の「幻視」であり、テレマコスが辿る旅路は「歴史」の物語である、としている点です。2本の柱というよりは「物語が2層構造になっている」と捉えた方が把握しやすいかと思います。
 それ故にオデュッセウスの物語は華々しい英雄の神話ではなく、「時代を一つ終わらせてしまった者」の苦渋に満ちています。思えばノーラン監督は前作「オッペンハイマー」でも時代を一つ進めてしまった男の苦悩と絶望を描いていました。遥か神話の時代から現代に至るまで、人間は時に踏み越えてはならない一線を踏み越えて来たのです。しかしそれこそが人間を進歩させても来た。
 人間の持つ「業」を神話を借りて語る試みは同時に神話を人間の手に引き寄せる試みでもあります。そこに「神罰」などは無い。起こした行動が因果となって帰って来るのみ。

 CGを好まないノーラン監督のこだわりが生きた、巨大なセットとアナログギミックと撮影トリック満載の画面が放つ存在感とスケールはやはり桁違いで、物語に追いつけなくてもこのためだけに映画館に行く価値はある、と言い切れるほどに唯一無二。あまりにも凄いので今後50年くらいギリシャ神話を映画化しようとする人は出てこないんじゃないかと思ってしまうほどの迫力です。
 「映画を大きなスクリーンで観る」ことの意味と意義をその画面で全力で叩きつけて来る強烈な説得力。ならばこちらも真正面から受けるしかない。
 「映画」に、浸りましょう。

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