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ちゅうカラぶろぐ


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何年ぶりかで資格試験受けて来ました。今回受けたのは「ウィスキーエキスパート」、名前の通りウィスキーのプロフェッショナルになる為の最初の関門のような試験です。取れれば今持っている「ソムリエ」と合わせて洋酒関係をある程度専門的にカバー出来る様になります。春頃に職場で受験を勧められ、気軽に「YES」と答えてしまったのが運の尽き。まさか年間で1、2を争うほど仕事がピーキーな時に実施される試験だと思わずここ数週間はかなりキツい時間過ごしてました。
 この苦労が報われると良いのですが。

 こんばんは、小島@監督です。
 ようやく解放されたからしばらく楽したいところですが仕事が減ったワケではないので全然気が休まらない(苦笑)

 さて、そんなような理由でここ数週間映画館で鑑賞できていないので今回は自宅で観た中からご紹介。今回の映画は「Mank/マンク」です。

 1940年、交通事故で骨折し静養していた脚本家・ハーマン・J・マンキウィッツ(ゲイリー・オールドマン)通称「マンク」の元に映画会社RKOより若き天才オーソン・ウェルズ(トム・バーク)を主演にした映画の執筆依頼が舞い込んでくる。
 与えられた時間は60日。郊外の一軒家に缶詰めにされ、アルコール依存症に苦しみながら構想を練るマンクの脳裏に浮かんだのはハリウッドで絶大な権力を誇っていた新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハースト(チャールズ・ダンス)とその愛人マリオン・デイヴィス(アマンダ・サイフレッド)のことであった。ハーストはマリオンを売り出すためにわざわざ映画会社を設立してまで大々的にプロモーションを行ったがその評価は惨憺たるものだったのだ。2人と親交のあるマンクは彼らとの友誼を交わした日々を思い出しながら執筆に当たる。
 しかしマンクにはそれ以上に構想の動機となる事件があった。それは1934年カリフォルニア州知事選挙で起こった…

 今夏から遂にNetflixを導入しましたがAmazonプライム以上のオリジナルコンテンツの量に目を見張ります。しばらくは勉強のBGVとしても邪魔しない(※個人の見解です)B級のホラーやアクションなどを楽しんでいましたが、そういえば去年の公開時に観れずじまいだった「Mank/マンク」が独占配信だわと思い出しました。

 1941年に製作された、映画史上に残る傑作と言われる「市民ケーン」、そのシナリオを手掛けた脚本家ハーマン・J・マンキウィッツを主人公に傑作が完成に至るまでの舞台裏を虚実ないまぜにして描き出した一本です。監督は「セブン」「ソーシャル・ネットワーク」などで知られるデヴィッド・フィンチャー。2003年に没した彼の父である脚本家ジャック・フィンチャーが1990年代に書き上げながら映像化に至らなかった遺稿を完成させた作品です。

 「市民ケーン」の物語をかいつまんで話すと、オーソン・ウェルズ演じる孤独な新聞王ケーンが死の間際に「Rose bud(薔薇のつぼみ)」という謎めいた言葉を残すところから始まります。ケーンの生涯を綴るニュース映画を作ろうとした記者トンプソンは愛人のスーザンなどケーンの関係者を取材して回りますが誰も「Rose bud」が何を意味する者なのかは分からない。実は「Rose bud」が指し示すものはケーンの子供時代の思い出の品、より正確には大人になってから買ったまがい物。望むものすべてを手に入れたはずの大富豪は、実は全てをまがい物で満たすしかなかった孤独の中で果てたのだ、という寓話です。
 時系列が度々前後する物語構成や、パンフォーカス(被写界深度を深くすることで近くの物から遠くのものまでピントが合っているようにする撮影手法)や穴を開けた床にカメラを構えて撮影された極端なローアングルなど当時としては斬新な手法が数多く盛り込まれ、後の作品に多大な影響を及ぼしました。
 しかしこの作品が自身をモデルにしたものだと知ったウィリアム・ランドルフ・ハーストは上映に対する妨害工作を行い、その圧力によって上映館数は減らされ批評家たちの評価は高い一方で興行は失敗に終わり、アカデミー賞では9部門にノミネートされるも受賞したのは脚本賞のみ。授賞式では作品名が読み上げられる度にブーイングが起こったと聞きます。この映画に作品賞を与えなかったことは後に「アカデミー賞最大の汚点」とまで言われています。

 「Mank/マンク」はそんな「市民ケーン」同様に1940年を「現在」として度々過去を回想しつつマンクがいかに「市民ケーン」を書き上げたかを辿っていきます。作中重要な事件として描かれているのが1934年のカリフォルニア州知事選。当時のルーズベルト大統領が推進したニューディール政策を推す民主党候補アプトン・シンクレアに反発するハリウッドの権力者たちはこぞって対立候補である共和党のフランク・メリアムを応援し大々的な反シンクレアのキャンペーンを展開しました。その中には俳優を使って有権者の声を捏造したいわゆる「フェイクニュース」まで作られていた、というのです。この、約90年前の時代を描きながら現代をも風刺しているところがポイント。更に言えばこの映画のシナリオが書かれたのが先述の通り1990年代なので本質は時代が変わってもまるで変わらないのね、とシニカルな気持ちになります。

 敢えてモノクロの映像でレトロ感を出しつつデヴィッド・フィンチャー作品らしい捻りを利かせた非常にスリリングな歴史劇ですが、この映画の難点を挙げるならば「とにかく異様に情報量が多い」点に尽きるでしょう。「市民ケーン」を観ておいた方が良いのはもちろんですが、ある程度映画史と現代アメリカ史を知っておかないと次々入れ替わる登場人物を把握できないままに置いてきぼりを食らってしまうに違いありません。観客にかなりの素養を求める類の作品なのであまり強くお薦めもできませんが、逆に言えばこの分野に興味がある人にはこれほど楽しめる作品もそうはないはず。我こそはと思う人は是非挑戦して欲しい一本ですね。

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私の車が残念ながらリコールとなってしまったのですが、
当日では修理が完了しないとのことで、代車となりました。

代車でさあ帰ろうと颯爽と車に乗りこんでみるのですが、

・・・??何をすればいいんだ??

いや、走り出すためにやることはわかってるんですけど、
なんで初めて乗る車って、こんな感じになるんですかね。

ブレーキを踏んでエンジンをかけて〜と同じ操作なのに、
なぜか何をやればいいかわからなくなる初めての車の運転席。

こうなるのって私だけなんでしょうか?



さて、新型コロナウイルスの新規感染者数の著しい増加から、
昨年11月より約1年間に渡り歌会を休止していました。

何度か再開は試みるも安心して開催できるかというと、
それほどの感染者数減少もなく1年も経ったのですね。

そして最近になり感染者数も目立って減少してきましたし、
12月12日(日)より歌会を再開することとしました。

感染者数ゼロとはならず、絶対安心とは言い切れませんが、
このタイミングを逃すともう再開はできないと思います。

またこの決断をするに当たってこだわってみたのは、
歌会の無い年を作りたくなかったというのがあります。

1997年に歌会を始めてから続けてきたサークルですが、
現在までに私のケガなどで休止したことはあれども、
まったく歌会をやらなかった年はありませんでした。

そして今回の約1年間の歌会の休止はあったとはいえ、
この2021年に1回でも歌会の開催をしたいと思いました。
本当はこだわる必要はない意地なのかもしれませんけどね。

歌会開催に当たり、約1年という長期に渡る休止となり、
メンバーのみなさんも生活に変化などあるかと思いますが、
再開に当たり通常通りの参加確認をさせていただきます。

そのため参加確認の不備や煩わしいこともあると思います。
それに伴う各種変更は、随時連絡を頂ければ対応いたします。

近日中にイベントのお知らせハガキを郵送いたしますので、
到着次第、内容の確認をお願いしたいと思います。

多くのメンバー顔を見られるのを楽しみにしています!

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10月入っても冷房が必要なくらい暑い日が続いたと思ったら急転直下で寒さがやってきて慌てて衣替えを実行。いやマジで秋どこ?ってくらいの感じですね。油断すると風邪を引いてしまいそう。

 こんばんは、小島@監督です。
 このまま冬に突入するんじゃなくて、もうちょっとこう秋を堪能させていただけまいか。

 さて、今回の映画は「キャッシュトラック」です。

 ロサンゼルスにある現金輸送専門の警備会社。日々現金輸送車を運転、警護するため厳しい試験を潜り抜けた腕に覚えのある者たちが働いている。そこにパトリック・ヒル(ジェイソン・ステイサム)、通称「H」と呼ばれる男が雇われた。試験をギリギリで辛うじて合格した程度だったため当初は周囲から特に気に留められる存在でもなかったが、彼の乗る輸送車が襲撃に遭った時、高い戦闘力で襲撃犯を制圧し同僚を驚かせた。更に別の日にはHの姿を見ただけで襲撃犯は怯え逃げ出すことまで起こった。「Hは何者なのか?」、周囲が疑心暗鬼に陥る中、全米で最も現金が動く日「ブラック・フライデー」が迫る。その売上金を狙い、水面下で強奪計画を進行させている者たちがいた…

 「シャーロック・ホームズ」(2009年)や「アラジン」(2019年)など大作を製作する一方で「ジェントルメン」(2019年)などインディペンデント映画も手掛ける映画監督ガイ・リッチー。そんな彼のフィルモグラフィーの初期に度々タッグを組んでいた俳優がいます。それがジェイソン・ステイサム。「エクスペンダブルズ」や「ワイルド・スピード」などを例に取らずとも、今や押しも押されもせぬ一線級のアクションスターです。実はガイ・リッチーの長編デビュー作である「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」(1998年)はジェイソン・ステイサムのスクリーンデビュー作でもあります。今作「キャッシュトラック」で2005年製作の「リボルバー」以来16年ぶりに2人が組んでクライム・アクションが製作されました。
 
 この映画の原典となるのは2004年にフランスで製作されたノワール映画「ブルーレクイエム」。原典では主人公は銀行員でしたが、今作では大胆にアレンジされています。ガイ・リッチー監督が手掛けた映画はハリウッド大作と言えどもどこかストリート的な感覚が盛り込まれているのが特徴です。頭脳明晰な一方で地下ファイトにも顔を出す武闘派だった「シャーロック・ホームズ」、「アラジン」では猥雑な都市の一角でコソ泥として生きる姿を活写したり、それは今作「キャッシュトラック」でも発揮され、洗練されていない猥雑な空気感が漂っています。
 映画はオープニングのあと、それぞれにタイトルを付された4章構成で展開します。章が進むごとにオープニングで描かれた現金輸送車襲撃事件の別の輪郭が見え、また主人公Hを始めとした登場人物の思惑も浮かび上がってくるという形になっています。章が変わるにつれ時制も前後するのが曲者ですが、その独特な語り口にも慣れた終盤に展開する襲撃シーンでは頻繁に過去と現在を交互させ緊張感を生む相乗効果をもたらしています。

 ガイ・リッチー監督は今作の脚本を執筆するにあたり最初からジェイソン・ステイサムに演じてもらうつもりで当て書きしたとインタビューで語っており、共にキャリアも年も重ねながら気心の知れた2人が息の合ったコンビを見せるいぶし銀の逸品。長かった自粛期間を取り戻そうと秋口にしては珍しいくらいに大作映画がひしめき合っている中ではどうしても地味な印象が拭えず脇に追いやられ気味ではありますがインディペンデント映画ならではの味わいが光る作品です。
 ちょっと一癖ある映画を楽しみたい時には是非どうぞ。

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新型コロナウイルス感染者も、現状かなりの縮小となり、
緊急事態宣言を始めとした制限も、一斉に解除されました。

昨日土曜日も名古屋市内などにも出かけたりしましたが、
かなりの人が出歩き、賑わっていたような感想でした。

この状態が続き、収束するものと期待をしながらですが、
せめて年内には歌会を一回できたらと思っています。

正直、このまま収束と思っている人はいないでしょうし、
私もやっぱりまたどこかで感染者増加を疑っていますが、
それを言ってたら、いつまで経っても始められませんしね。

もし開催ができた時は、多くの参加者を期待しています。



さて、先日はテレピアホールで開催されている展示会で、
『Mozuアートワーク-ちいさなひみつのせかい-』
というのに、ふらっと行ってきました。

テレビなどのメディアでも多く取り上げられていて、
日常の風景をミニチュアで再現したものの展示会です。



会社の同僚に突然「ここに行こう!」と誘われたのですが、
特に何の用事もない日だったので「まあ、いいか」と。

もともと最近はプラモデルを趣味にしていたりするので、
展示されたミニチュアはそれにちょっと通じるとこがあり、
趣味の勉強みたいなところもあったりしますからね。

実際、会場に来て展示を見てみると本当にジオラマで、
模型紙で紹介されているようなミニチュアでした。

今回の紹介でやっぱりクローズアップされているのは、
コンセント周りにレイアウトされたミニチュアですが、
これはリアルのコンセントとミニチュアのサイズ対比と、
そんな小さな家の生活感が面白い展示だと思います。

展示を見ての感想として、ミニチュアの出来自体は、
正直言って、それほど目を見張るものでないですが、
やっぱり、コンセントでメリハリがついて面白いですね。

その普通は思いつかないセンスが注目されると思います。
このセンスがちょっと羨ましいと思ってしまいますね。

ただ今回1番思ったのは、その展示を見続けていたら、
やたらとプラモデルを作りたくなってしまうという、
変な方向に欲望が芽生えてしまう結果となりました。

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コロナ禍で歌会が休止になってこっちカラオケからだいぶ遠ざかってしまっていたのですが、昨日久しぶりに歌ってきました。いや~思った以上に歌唱力落ちててびっくりしました(苦笑)喋ると歌うでは使う筋肉って結構違うというか、月一ペースだったとしてもお腹から声出す時間作ってたのは割と大きかったのねと実感します。

 こんばんは、小島@監督です。
 ちょっと状況も落ち着いてきたし、また気軽にカラオケできるようになると良いなぁ。

 さて、今回の映画は「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」です。

 スペクターとの死闘の後、ジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)はマドレーヌ・スワン(レア・セドゥ)と共にイタリアを訪れていた。かつて愛した女性・ヴェスパーの墓参りに来たボンドは、そこでスペクターの残党たちの襲撃を受ける。どうにか敵を退けることに成功したもののマドレーヌの関与を疑ったボンドは彼女を信じられなくなり、2人は別れてしまった。
 それから5年後、MI6を退官したボンドはジャマイカで隠棲していた。
 ある時、ボンドの元を旧友であり元CIAエージェントのフェリックス・ライター(ジェフリー・ライト)が訪ねてくる。フェリックスはボンドにロンドンでスペクターに誘拐された細菌学者オブルチェフ(デヴィッド・デンシック)の救出を依頼するのだった。

 散々待たせやがって…!と言いたくなるくらい度重なる延期を乗り越え遂に007の新作が公開されました。そして15年間ジェームズ・ボンドを演じ続けたダニエル・クレイグの卒業となる作品です。

 半世紀以上に渡り続く「007」シリーズは、主人公ジェームズ・ボンドを誰が演じたかで作品の雰囲気を変えつつも骨格の部分では同じスタイルを貫いて作を重ねてきました。ですが6代目となるダニエル・クレイグが演じるに至り、「007」はその基本骨子を踏襲しながらもよりダイナミックかつエモーショナルに「ジェームズ・ボンド」というキャラクターを掘り下げて来るようになりました。何より5作品を通し物語に連続性を持たせたことが大きいです。「カジノ・ロワイヤル」(2006年)ではジェームズ・ボンドは00ナンバーを与えられたばかりの新米エージェントに過ぎず、まだ青臭さを残していました。続く「慰めの報酬」(2009年)では前作のラストシーン直後から始まる文字通りの続編であり、前作で為しえなかった復讐を遂げる物語でもありました。そして「スカイフォール」(2012年)では通過儀礼とも言うべきある事件を以て遂に1人前のエージェントに足る存在となったボンドは「スペクター」(2015年)でようやくこれまでのシリーズのようなワールドワイドなスケールと荒唐無稽さと共に宿敵となる存在と死闘を繰り広げます。
 そしてこれまでの4作を受けてダニエル・クレイグ・ボンドの最終作となる「ノー・タイム・トゥ・ダイ」ではこれまでの成長譚の総決算を行い万感込み上げる中で驚くような場所に物語が着地します。

 ボンド同様、物語の主線上にいるのが前作から引き続いてヒロインとなるマドレーヌ。今作のヴィランであるサフィン(ラミ・マレック)がボンドよりもむしろマドレーヌの方に因縁を宿したキャラクターとして登場し、そこにボンドとマドレーヌの因縁、更に前作でボンドの手により捕えられ獄中生活を送るブロフェルド(クリストフ・ヴァルツ)が絡んでくるなかなか複雑な構図をしています。それにより特に前半はかなり先読みのできない展開を見せてきます。しかも面白いことにその前半で一番目立つのはこの4人ではなく別の人物。ボンドをサポートすべくフェリックスが派遣した新人エージェント・パロマ(アナ・デ・アルマス)です。「007」の王道を行くようなセクシーなドレスで登場し、新人だからとイマイチ頼りなさげに見えていざ戦闘になったら尋常じゃなく強いというそのギャップが萌える。しかもやる事やりきったら颯爽と去っていきそのまま全く登場しなくなる潔さ。思いがけない牽引力を秘めたキャラクターが前半を彩ります。

 ただ勿体無いなと思うのは、MI6を退官したボンドの前に新たな00エージェント・ノーミ(ラシャーナ・リンチ)が現れたり、もう一人かなり意外な人物が登場したりするのですが、それが終盤のクライマックスでどことなく持て余し気味になっているように見受けられるところです。全部が上手く噛み合えばクライマックスの感動は二乗にも三乗にもなったかもしれませんが、そうはならずどこか段取り優先に見えてしまうので少しもどかしく感じます。ついでにいうとこの終盤はロケーションと空間設計とアクションの構成も奇妙に噛み合わないので正直ちょっと弾みが足りません。

 それでも物語の最後の着地点はダニエル・クレイグが演じたジェームズ・ボンドのまさに有終の美とも言えるでしょう。その区切りの見事さと共に作中で描かれた「多様性」への萌芽は「007」というシリーズの今後の可能性を予感させます。時代が移り行く中で変わりゆくものと変えないもの、変えてはいけないものとどうバランスを取っていくのか。「007」が見せる未来が楽しみです。


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自動車部品の製造業に勤めている私だったりしますが、
今は半導体不足のために、仕事量が少なく休業続きです。

先月9月は週末以外に5日、今月10月は6日の日数を、
計画休業ということで、休まされてしまっています。

もちろん休み自体は、それはそれで満喫していますが、
あまりにも休みが多すぎて、休みに身体が慣れてしまい、
もう4連勤程度で、仕事がしんどくなってきちゃいます。

それこそ昔は残業100時間近くが当たり前の時期があり、
その時はそんな勤務に慣れてしまっていましたが、
こんか休みボケした私には絶対にできないですね。

そろそろ仕事量も戻ってくるなんて話も聞きますが、
身体がそれに慣れるまで時間がかかりそうです。



さて、仕事の休憩中、すぐ外にある山に続く土手に、
なんとなく気分転換に登ったりしていた時のことです。


上がその場所の写真。

左側の木が茂ったあたりの深くに入らない程度のところで、
山の木々の奥に何かいるかな?とを覗いて出てくると、
掃除をするアルバイトのおばさんから声を掛けられました。

「奥に入りすぎると、悪いのが憑くからやめたほうがいいと」


・・・え?

会社に長く勤めていますが、そんなこと初めて聞きました。

興味が沸いていろいろ話をきくと、その境目があるそうで、
写真の中央に映っている側溝より奥あたりとのこと。
これより奥に行くのは、絶対に良くないと言い張ります。

もちろん全然知りませんでしたが、このおばさんが言うには、
この側溝の両端にいつも盛り塩をしてあるのだそうです。

それを聞いて、実際に白い物が溶けかかったような物を、
確かに見た記憶があったので、ナルホドと納得した次第。

そのおばさんの事を後日会社で聞き込みをしてみると、
どうやら霊感が強いらしく、それは本物らしいとのこと。

社内でも歯が痛いと悩んでいる人に突然話しかけ、
「歯医者じゃなくお祓いに行ったほうがいい」とアドバイスし、
そのおばさんに紹介してもらってお祓いをしたところ、
本当に歯の痛みが無くなった人がいるみたいな事例も。

でもね、そんなリアルな話が積みあがってくると、
恐くて仕事にならなくなっちゃうからホントやめてほしいです。

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先週ハイルさんのブログでも触れられていましたが、作曲家のすぎやまこういちさんの訃報が先日流れました。
 何より「ドラゴンクエスト」が金字塔で、ゲームミュージックの新たな地平を拓いた方と言っても過言ではないでしょう。それ以外でも「伝説巨神イデオン」「サイボーグ009」「帰ってきたウルトラマン」などのアニメ・特撮番組の劇判や主題歌、映画「ゴジラVSビオランテ」のBGM、「アイドルマスター」でもカバーされたこともある「亜麻色の髪の乙女」など特に1960年代後半に隆盛したグループ・サウンズ系への楽曲提供や東京競馬場で使用されるファンファーレ、更には議員への応援曲の提供などその活躍は実に多岐に渡りました。
 また右派の論客としても精力的に活動を行い、意見広告などを出したりしていたのでゲームミュージックに馴染みの薄い方の中にはこちらの方で印象の強い方もいらっしゃるのではないでしょうか。
 時期はまだ発表されていませんが発売を控えている「ドラゴンクエストⅫ」が遺作となるようですね。

 こんばんは、小島@監督です。
 謹んでお悔やみ申し上げます。今はちょっといろいろ忙しいので何ですが、落ち着いたら久しぶりにドラクエをプレイしようかな。

 さて、今回の映画は「レミニセンス」です。

 地球温暖化による海面上昇が深刻化し、世界各地の沿岸都市が海に沈みつつある近未来。ニック・バニスター(ヒュー・ジャックマン)は相棒のワッツ(タンディ・ニュートン)と共に「記憶潜入(レミニセンス)エージェント」として心に傷を抱えた顧客に過去の思い出を追体験させるサービスを提供していた。
 ある日、その日の営業を終了しようとしていたニックの前に一人の女性が駆け込んでくる。メイ(レベッカ・ファーガソン)と名乗る女性は「失くした家の鍵を探して欲しい」とニックに仕事を依頼する。ニックはメイの謎めいた佇まいに強く惹かれ、やがて二人は恋人同士となるが、ある時突然メイはニックの前から姿を消してしまった…

 「ダークナイト」や「インターステラー」で兄クリストファー・ノーランと共に共同で脚本を執筆したジョナサン・ノーラン、そしてそのジョナサン・ノーランと共にSFドラマ「ウエストワールド」を手掛けるリサ・ジョイ、そのタッグによる「記憶」をテーマにしたSFサスペンスです。
 海面上昇と共に減りゆく土地を巡って世界各地で紛争が起き、その戦争にも疲れ果てた人々が諦めにも似た感傷と共にかつての幸せな記憶に救いを求める、という世界観の中である日突然消えた女性の行方を追い求め、同時に彼女が関わっているかもしれない事件に巻き込まれていく男の姿が描かれます。

 「記憶潜入装置」というガジェットとその見せ方、少しずつ海に侵食されゆく中で麻薬と犯罪が跳梁する都市、画面全体で醸し出され全編を貫く澱むような頽廃的な空気感が絶品の1本です。ヒュー・ジャックマンの渋いモノローグと共に見せる水没都市のビジュアルイメージに酔わされたら後は物語の波に身を任せればいい逸品です。少々トリッキーに見えますが、大掛かりに観客を騙しにかかるというよりは主人公ニックの心情描写をより掘り下げるために使っているのが特徴で、水没都市というビジュアルも非常に抒情的に使われています。作中にギリシャ神話のオルフェウスのエピソードが象徴的に語られているのもまたその抒情性に一役買っていますね。 

 ユニークな舞台設定をしている一方で、語り口はとてもエモーショナル。また「ファム・ファタール(運命の女)」を追い事件に飛び込む男、という構図はレイモンド・チャンドラーやウィリアム・アイリッシュのようなオールディーズのハードボイルド小説そのもので、一見先鋭的に思わせて実はかなりクラシックです。言い方を変えれば古風で落ち着いた語り口をしており、予告編ではトリッキーかつスタイリッシュなSFサスペンスの様な雰囲気でしたがこの辺り少々予告編詐欺感がありますね(苦笑)

 監督を担ったリサ・ジョイはドラマ製作では実績があるものの長編映画はこれが初めてだとか。既に円熟の領域に達している手腕で、今後どんな作品を発表してくるのか楽しみな人が登場しました。
 モダンとクラシックが同居したかのような、それでいて思いのほかウェットなところに着地するフィルムノワール。「記憶」というものの甘さと苦さを見事に描き上げた一本です。腰を落ち着けて映画を1本楽しみたい向きにはぴったり。諦観に彩られ、郷愁に人々が身を委ねる街で男が最後にどんな決断を下すのか。どうぞスクリーンで確かめてみてください。

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