最近はなんでもパソコンという風潮にちょっと呆れる。
確かに、絵を見る・描く、音楽を聴く・作曲する等、
単純に身体を動かす事に依存しないことならば、
プログラムによって大抵の事はできてしまう。
それこそヘルスメーターとパソコンを接続し、
きめ細かい体調管理までできてしまったりするのは、
まさにパソコンならではであることに違いない。
もっと言えば、著作権物のコピーなどにかけては、
(あえてここではコピーをいう言い方をする)
ほんの少し勉強するだけで、ほとんどお金をかけずに、
新譜であったり、新作ゲームなどが手に入ったりする。
もうこれは、ホントに「パソコンありがとう」である。
ただ便利である反面、ちょっと不具合が多すぎる。
単純に「なんでもできるから」といって万人にお勧めできない。
またその不具合を黙認している部分があるところも納得できない。
操作が難しいとか、勉強が必要とかはこれは仕方がない。
ただ商品としてはあまりに不具合が多すぎるのではないか?
パソコンでなにかを創作していたとして(Excel等含)、
突然パソコンがフリーズ(操作不能)になったとする。
さあ、これは誰が悪い?
パソコンのスペックに見合わない創作を行った自分が悪いのか、
それとも運が悪かったと片付けられるのか?
これは明らかにパソコンが悪いし、フリーズするようなプログラムが悪い。
しかしこのフリーズによって「訴えてやる」なんてケースは少ない。
商品は予期せぬトラブルがあるから仕方がないかもしれない。
では車を運転していて、突然ブレーキが効かなくなったら、
予期せぬトラブルは仕方がないとあきらめられるのか?
これは当然、訴えていくだろうし、修理を行う。
パソコンのフリーズも、ブレーキトラブルも、
商品としては欠陥であるのに、この扱いの差に不満がある。
そんな商品としてあきらかに欠陥を抱えたパソコンを、
やたらと他の家電などが連携を推進する姿がいただけないです。
ファミコンの『ドラゴンクエスト』で、
保存していた『冒険の書(セーブデータ)』が消えてしまった際、
呪われた音楽とともに「冒険の書2が消えてしまいました」という、
コメントがでました。
サークル内でもこの経験者は多いと思います。
ただ、消えてしまったことがソフトで分かっているなら、
消えないように努力しろよ、と思ったのは私だけですかね?
確かに、絵を見る・描く、音楽を聴く・作曲する等、
単純に身体を動かす事に依存しないことならば、
プログラムによって大抵の事はできてしまう。
それこそヘルスメーターとパソコンを接続し、
きめ細かい体調管理までできてしまったりするのは、
まさにパソコンならではであることに違いない。
もっと言えば、著作権物のコピーなどにかけては、
(あえてここではコピーをいう言い方をする)
ほんの少し勉強するだけで、ほとんどお金をかけずに、
新譜であったり、新作ゲームなどが手に入ったりする。
もうこれは、ホントに「パソコンありがとう」である。
ただ便利である反面、ちょっと不具合が多すぎる。
単純に「なんでもできるから」といって万人にお勧めできない。
またその不具合を黙認している部分があるところも納得できない。
操作が難しいとか、勉強が必要とかはこれは仕方がない。
ただ商品としてはあまりに不具合が多すぎるのではないか?
パソコンでなにかを創作していたとして(Excel等含)、
突然パソコンがフリーズ(操作不能)になったとする。
さあ、これは誰が悪い?
パソコンのスペックに見合わない創作を行った自分が悪いのか、
それとも運が悪かったと片付けられるのか?
これは明らかにパソコンが悪いし、フリーズするようなプログラムが悪い。
しかしこのフリーズによって「訴えてやる」なんてケースは少ない。
商品は予期せぬトラブルがあるから仕方がないかもしれない。
では車を運転していて、突然ブレーキが効かなくなったら、
予期せぬトラブルは仕方がないとあきらめられるのか?
これは当然、訴えていくだろうし、修理を行う。
パソコンのフリーズも、ブレーキトラブルも、
商品としては欠陥であるのに、この扱いの差に不満がある。
そんな商品としてあきらかに欠陥を抱えたパソコンを、
やたらと他の家電などが連携を推進する姿がいただけないです。
ファミコンの『ドラゴンクエスト』で、
保存していた『冒険の書(セーブデータ)』が消えてしまった際、
呪われた音楽とともに「冒険の書2が消えてしまいました」という、
コメントがでました。
サークル内でもこの経験者は多いと思います。
ただ、消えてしまったことがソフトで分かっているなら、
消えないように努力しろよ、と思ったのは私だけですかね?
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