ちゅうカラぶろぐ


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昨日の歌会に参加された皆さんお疲れ様でした。
久しぶりの8耐でたくさん歌えてたくさん人の歌が聴けて大満足でした。
ここ最近ハードワークが続いていたので良いストレス解消にもなりました(笑)

こんばんは、小島@監督です。
こんだけ歌うと「しばらくカラオケはいいや」とか思うのですが、その内また行きたくなる(笑)

さて、今回の映画は「GODZILLA」です。

1999年、フィリピンの炭鉱で大規模な崩落事故が発生した。現場を調査に来た芹沢猪四郎(渡辺謙)はそこで繭のような物が付着した巨大な生物の化石を発見する。
しばらく後、日本の原発ではジョー・ブロディ(ブライアン・クランストン)が数日前から発生している異常震動と電磁波の関連性に懸念を抱いていた。ジョーの妻であり技術者のサンドラ(ジュリエット・ビノシュ)がジョーの進言に従い原子炉の調査に向かった時、炉で爆発が発生。ジョーはサンドラを残したまま防護隔壁を閉鎖せざるを得なかった。
時は過ぎ2014年、サンフランシスコ。ジョーとサンドラの息子フォード(アーロン・テイラー=ジョンソン)は16か月に及ぶ軍務を終え妻子の待つ自宅に帰ってきたが、ひと時のだんらんを楽しむ間もなく領事館から父が逮捕されたとの知らせを受け急きょ日本へと向かう。
15年間ひたすら事故の真相を追い続けたジョーは久々に再会したフォードに告げる。
「かつての原発跡地に何かが隠蔽されている」

ゴジラシリーズ生誕60周年を迎えた今年、ハリウッドから2度目のゴジラ映画が上陸しました。
1998年に公開されたローランド・エメリッヒ監督(「インデペンデンス・デイ」「ホワイトハウス・ダウン」など)の手による1度目のリメイクは、実は個人的にはかなりお気に入りの作品なのですが、従来のゴジラとは似ても似つかぬデザインでファンから大ブーイングを喰らった経緯があります。
2度目のリメイクである今作は、監督ギャレス・エドワーズ自身がゴジラの大ファンでもあった事からそのデザインは元より全てにおいて原典へのリスペクトが感じられる一作になりました。
エドワーズ監督の意向ではなく演じる渡辺謙のアイディアらしいのですが芹沢博士がゴジラを呼称する際「GODZILLA」の英語の発音である「ガッズィラ」ではなく日本語読みの「ゴジラ」と言ってくれる辺りもちょっと嬉しくなりますね。

何と言っても驚いたのはこのゴジラには単なる「怪生物」ではなく原典で感じられる「神性」、それは宗教的な意味合いではなく「自然に対する畏怖」という意味での「神性」が感じられた点です。
アメリカ映画としてみた場合ゴジラを単に「打倒し得るもの」ではなく「人間にはどうしようもできないもの」として描いてみせたのは監督の原典への多大なリスペクトを考慮してもなかなか興味深いところです。

作中ゴジラとは別に「ムートー」と呼称される巨大怪獣が登場し、アメリカの地でゴジラと大バトルを繰り広げるワケですが、それぞれのシーンでの演出には日本の怪獣映画とアメリカのパニック映画の技法や特色が融合して素晴らしい迫力です。ゴジラに対する愛着が無くても単純にパニック映画として楽しめますが、長らく怪獣映画に飢えてきた私のような人間にはどうしようもなくワクワクする珠玉のシーンが目白押しです。

この映画の短所は、残念ながら物語そのものの弱さです。「ゴジラは核の申し子である」という原典の設定を活かし、1954年のビキニ環礁の水爆実験だけでなくヒロシマやフクシマをも取り込んで見せたその意気は買うのですが、それが要素以上の物になっていないのが残念です。せめてもう一歩踏み込んで昇華できていれば「核エネルギー」というものに関心が高まっている現代へのアイロニーにも成り得たかもしれませんが。
また科学者のポジションにジョーと芹沢2人の男がいるのですが、かえって視点が散漫になってしまって物語を阻害してしまっているのもマイナスです。
もっとも大抵の場合物語が粗いのも怪獣映画の伝統と言えばそうなので、そう言う意味では正統な後継者と言えるかもしれません(苦笑)

そのような欠点があるにしろこの映画は非常に魅力的な映画です。何より久しぶりに「怪獣を見上げ」「劇場全体を震わせる咆哮に身を覆われる」感覚を味わえるのはそれだけで堪りません。
間違い無くスクリーンで観てこそ意味のある映画です。出来る限り大きなスクリーンのある映画館で、是非この感覚を堪能してください。



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