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ちゅうカラぶろぐ


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パリ・オリンピックが始まりました。
 私の場合日本勢のメダルがどうこうより、こう言う時でないとTV中継がほとんどされない種目を観るのが好きだったりするので軽くにわか上等で観れるタイミングで放送しているものはつい観てしまいます。スケートボードとかダラっと眺めてるだけでも結構楽しい。

 こんばんは、小島@監督です。
 ほか、個人的には乗馬の経験があるので馬術もなかなか。分からなくてもトップアスリートたちの人馬一体の美しさはそれだけで観てしまえるパワーありますよ。こちらは日本勢が今回結構健闘していますね。

 さて、今回の映画は「デッドプール&ウルヴァリン」です。

 何やかやあってウェイド・ウィルソンことデッドプール(ライアン・レイノルズ)は窮地に陥っていた。かつて壮絶な最期を遂げたローガン/ウルヴァリン(ヒュー・ジャックマン)を連れて来れなければ自分も自分のいた時間軸もろとも消滅してしまうというのだ。数は少ないが大切な友人たちを消させたくないウェイドは時空を渡り歩きローガンを探すことにするのだが。

 マーベルの異端児、俺ちゃんヒーローが帰って来ました。しかも今回は「デッドプール」過去作でもさんざん擦り続け、ある意味待ちに待ったと言っていいデッドプールとウルヴァリンが遂にタッグ結成。プライベートでも親交の深いライアン・レイノルズとヒュー・ジャックマンの2大スターが文字通り躍動します。ヒュー・ジャックマンのウルヴァリン再登板、「ローガン」の万感の終焉を知っているだけに安易な復活劇を持って来ないで欲しいファン心理でしたが、デッドプールと組むんじゃしょうがない(笑)
 
 物語は正直プロットからしてだいぶ無茶苦茶。なのに滅茶苦茶面白い。
 不死身な上に「第四の壁」を軽々と乗り越える、更に「架空のヒーローである自覚がある」デッドプールのキャラクターを最大限に活かしてこの無茶苦茶な話を切り回します。この絶妙な匙加減は今作を手がけたショーン・レヴィがライアン・レイノルズと組んで製作した「フリー・ガイ」に近い趣き。観客に向けて語ろうが、メタ的な発言を繰り返そうが「そういうキャラなので」で押し切れてしまうデッドプールを通して語られるのがどうもマーベルの中の人たちの心の声っぽいのも笑いを誘います。確かに「スパイダーマン/ノー・ウェイ・ホーム」のような幸せな実りもありましたが、今のMCUはマルチバースを持て余し、行く先を見失っています。

 「デッドプール」過去2作もそうでしたが今作でも大量の小ネタと、そしてサプライズが仕込まれています。中には相当驚いてしまうものもあるでしょう。興味深いのはそれらのサプライズから見えてくるのはお祭り的な楽しさや興奮だけでない点です。先述の「ノー・ウェイ・ホーム」ではそれらの向こうに少年が大人になる青春のほろ苦さをまとわせドラマに深みを与えていましたが、ここで感じるのはむしろMCUが始まる以前のアメコミヒーロー映画への敬愛と郷愁が見え隠れします。作品世界が肥大化の一途を辿るにつれさまざまなものが呪縛のようにまとわりついてしまったMCUに対してのある種の後悔も混ざっているかもしれません。

 コメディ一辺倒に見えて要所を力強く締めてくれる作品で、クライマックスのあるシーンでは長く観て来たファンにとっては最高の驚きと喜びを持って迎えられるカットが登場します。あれには私も目玉ひん剥き。そしてちょっぴり落涙。
 大量にリンクはあるけれど、それを説明するとネタバレになる上に映画を初めて観る楽しみが半分どころじゃなく削られてしまうので予習は基本的に無理。「デッドプール2」と「ローガン」だけ事前に押さえておけば予習としては充分です。軽率に行ってびっくりして元ネタを拾うのが多分一番の楽しみ方。
 血飛沫上等の容赦無いバイオレンスと過激なセリフてんこ盛りで徹頭徹尾笑わせて来ながらも、失敗も含めたこれまでの全てを黒歴史にしない矜持と遠き日への鎮魂を込めた怪作。祭りとは、同時に祀りでもあるとこの映画は思い出させてくれます。一見悪ふざけしかしていないようでその実とても真摯で優しい心根が感じられる作品でした。
 なお、今作エンドクレジットが非常に素晴らしい上に終了後にもワンシーンあるので場内が明るくなるまでお席を立ちませんよう。

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昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
 今回は家の事情で前半のみの参加でしたが、初参加の方も満喫していってくださったようで何よりです。ちょいとした思いつきで「最近リメイクされた、あるいはこれからされる作品」縛りで歌ってみましたが気づいて付き合ってくれた同室の皆さんもありがとうございます。

 こんばんは、小島@監督です。
 ちゅうカラが20周年の時に配布していたノベルティの測量野帳を3冊も頂いてしまいました。実はもらった時から測量野帳を映画の鑑賞記録に使っていて、今5代目。1冊あたり1年半前後のペースで使っているのでこれであと5年は戦えます(笑)

 さて、今回は配信で観られる作品の中からご紹介。今回の映画は「サタンタンゴ」です。

 集団農場が崩壊し、活気を失い寂れつつあるハンガリーのある田舎町。
 農夫のシュミット(ルゴシ・ラースロー)は友人のクラーネル(デルジ・ヤーノシュ)と共に村人たちの貯金を持ち逃げする計画を進めていた。そんな折、数年前に死んだはずの男イリミアーシュ(ヴォーグ・ミハーイ)が生きていて、そして村に帰ってくることを聞かされる。にわかに信じがたい話に驚くシュミットたちだったが、しかし本当にイリミアーシュは帰って来た。
 イリミアーシュは村人たちに集団農場の再建を持ちかけてくるのだが…

 映画を鑑賞するに当たってのハードルはさまざまです。権利関係の都合で配信やソフト化がされず上映の機会も限られているとか、映像がグロテスクかつショッキングで耐性が無いとキツいとか。ごく古い映画ですと上映素材が散逸していて完全な状態での鑑賞が事実上不可能、という作品もあります。今回の「サタンタンゴ」はもっとシンプルな理由で非常にハードルの高い映画です。
 それは上映時間。
 なんと7時間18分!「スターウォーズ」のエピソード1〜3がすっぽり収まるほどの長さ。劇場公開時には途中で2回の休憩が差し挟まれ、12時30分スタート20時30分終わりというフルタイムの勤務時間かな?みたいなタイムテーブルに戦慄した記憶があります。ロードショーの期間が短く、結局機会を捕まえられなかったこの作品が、気づけばAmazonプライムでの配信が始まっていました。

 この大作はハンガリーの巨匠タル・ベーラ監督が1994年に発表、日本では東京国際映画祭で1度上映されたのち長く幻の作品でしたが2019年にようやく4Kリマスター版での劇場公開が実現した作品です。
 タル・ベーラ監督は決して多作の人ではありませんが、世界の映画人に与えた影響が計り知れない人物です。9本の長編映画を製作し、2011年発表の「ニーチェの馬」を最後に映画製作からの引退を表明しましたが、その後は後進の育成に尽力し映画学校を設立したり世界各地でワークショップを開いたりしており、日本でも福島でワークショップが開かれたことがあります。
 その映像の特徴はモノクロによる強調された深い陰影と、長回しによる撮影。「サタンタンゴ」でも1カットで10分を超えるシーンが度々登場し、映画全体のカット数はなんと150。これは一般的な2時間の映画のカット数が邦画で600〜700、ハリウッド映画なら700〜1,000と言われていることを思うと驚異的な少なさです。例えば放牧されている牛ののんびりした足取りや、酒場での乱痴気騒ぎをたっぷりとした時間をかけて見せることで唯一無二の映像世界を作り上げています。また、意外に感じるかもしれませんが、登場人物が歩く姿を背中から捉えて追う、という映像の手法はタル・ベーラによって確立されたとも言われています。
 恐らく物語の主要な構成要素だけを切り出して編集すれば2時間ちょっとに抑え込むことは可能でしょう。しかしそれでは「タル・ベーラの映画」ではなくなってしまう。7時間もあって余分なものも多いように思うのに削れるところは無い。秩序に縛られながらも自由を希求し、未来に希望を抱きながら世界に幻滅しそれでも歩き出さずにはいられない人間の業を凝視する、そんな凄みを感じます。

 こんな言い方もなんですが観たことをちょっと自慢できる映画です。配信で観るなら一気に完走するも良し、12に章分けされているので細かく刻んでいくも良し、好きなペースで観れども観れどもなかなか終わりに辿り着かないユニークな映像体験を楽しんでみてください。AmazonプライムやU-NEXTで鑑賞が可能です。

 余談ですが、記録にある中で世界で最も長い映画の上映時間はどれくらいだと思いますか?
 それはスウェーデンのアンデシュ・ヴェドベリが2020年に発表した実験映画「アンビアンス」。なんと720時間!!72分と7時間20分と72時間の3パターンの予告編があるというちょっと何を言ってるのか良くわからない映画が世の中には存在します。7時間20分バージョンの予告編に挑んでみたことがありますが、ま、1時間もたずにめげましたね(笑)

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たまたま先日「本を6冊以上積読している人は年間どれくらい金銭的損失をしている?」みたいな記事が回ってきたのですが、積読を金銭的損失で語ってしまうセンスがどうとかいうのもあるのですが、それより何よりたかだか6冊程度で積読とかいう?みたいなところが引っかかってしまいどうしたものか(笑)
 特にコスパとかタイパとかを重視する記事になると、時折全く自分とは感覚も感性も交わらない物を見かける時がありますね。

 こんばんは、小島@監督です。
 で?私は今どれくらい積んでいるのかって?HAHAHA!それは言いっこ無しさ!

 さて、今回の映画は「フェラーリ」です。

 1957年、イタリアの自動車メーカー・フェラーリの創始者エンツォ・フェラーリ(アダム・ドライバー)は窮地に立たされていた。オートレースの世界で好成績を残し名声を上げるも、自動車製造は小規模での手工業ゆえに販売数は伸びず経営は火の車。前年に最愛の息子アルフレードが病没したことで妻ラウラ(ペネロペ・クルス)との仲も冷え切り、愛人リナ(シャイリーン・ウッドリィ)と隠し子であるピエロと過ごす時間だけが僅かな慰めだったが、関係を隠している以上ピエロを認知することも叶わずにいた。大手企業による買収の噂も囁かれる中、エンツォは再起を懸けてイタリア全土を駆ける公道レース「ミッレミリア」への挑戦を決意する。

 それは、モータースポーツが今より遥かに危険だった時代。
 「ヒート」「コラテラル」などで知られるハードボイルド・ドラマの名手マイケル・マン監督。80歳を過ぎてもその手腕は衰えない彼の最新作は、自動車産業のレジェンド・エンツォ・フェラーリの伝記映画です。1980年代に同氏が手掛けたドラマ「特捜刑事マイアミ・バイス」で主人公ソニー・クロケット刑事の愛車としてフェラーリ365デイトナ・スパイダーをチョイスしたり、自身も複数台のフェラーリを所有するなど生粋のファンとも言えるマイケル・マンがエンツォ・フェラーリを主人公にした映画を監督するのはまさに適材適所と言えるでしょう。しかし骨太なドラマを描くマン監督が描くのは栄光に輝く瞬間ではなく、ある意味でフェラーリで最も「何もかもが上手く行ってなかった時期」とも言える1957年の、更にその内の数ヶ月間です。付け加えるとマイケル・マンが製作総指揮を務めジェームズ・マンゴールドが監督を担った2019年製作の「フォードvsフェラーリ」の時代背景は1963〜64年。今作からはもう少し先の話になります。
 
 マイケル・マン監督のいぶし銀で重厚なテリングの妙が全編で熾火のように光り続けるこの作品、ただその熱量に身を任せて楽しむだけでもじゅうぶん面白い作品ですが、やはりある程度の予備知識はあった方が良いでしょう。エンツォとラウラ夫婦、映画冒頭から2人に陰を落とす前年に病没した息子アルフレード、彼はエンジニアとして確かな資質を持っており病床で残したアイディアを元にして作られたと言われているのがアルフレードの愛称ディーノの名を冠した名車「ディーノ206/246」です。それほどに愛した息子が死んだ翌年、失意を隠せぬままに危機に陥る公と私に向き合うことになります。

 個としての苦悩が滲み出る家庭人としてのドラマと、レーサーが事故死しても眉ひとつ動かさない公人としてのドラマを二本軸にして進む今作、一見では誰か分からないくらいの老けメイクでエンツォを演じるアダム・ドライバーと、ちょっとヒステリックに見えながら冷徹な計算のもとに動くラウラを演じるペネロペ・クルス両者の火花散るような演技がひたすらに素晴らしいです。
 そしてもちろんモータースポーツを描く物語ですし、レースシーンの迫力も見事です。さすがに動態保存されてるものは一台で何億もするので大半はレプリカだそうですがそれでもクラシックカーが疾駆躍動する映像は観てて結構アガります。

 創造の情熱と狂騒に取り憑かれ今なお続く栄華の礎を築くことになる男の苦悩と前進、刹那的でギラついたドラマを全身で浴びたい人には打ってつけの一本。真夏に敢えて辛いものを食べに行くような心持ちで、どうぞ。

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「うる星やつら」に続いて「らんま1/2」の再アニメ化が発表されたり「魔法騎士レイアース」の再アニメ化が発表されたり「キン肉マン」の新作が放送開始したり「あぶない刑事」の新作映画が公開されたり今は一体何時代なのか良く分からなくなって来ている中、今日目に飛び込んで来た「魔法少女リリカルなのは20周年」に謎の大ダメージ。マジか。

 こんばんは、小島@監督です。
 このブログ書き始めた頃に劇場版なのは1作目の感想を書いたりした思い出。思えば遠くへ来たものです。

 さて、今回の映画は「クワイエット・プレイス:DAY1」です。

 末期癌を患いホスピスで暮らすサミラ(ルピタ・ニョンゴ)は、人生の最期を前に厭世的な日々を送っていた。セラピーの誘いでマンハッタンの劇場までやって来た日、サミラは空から多数の隕石が降り注ぐのを目撃する。間を置かず「何か」が人々を襲い始め、辺りは阿鼻叫喚の地獄と化した。「何か」は音に敏感に反応して襲うことを知ったサミラは愛猫フロドと共に息を潜め「何か」を避けながら、破壊された日常と尽きようとする自身の生命を前にある決意をする。

 やはりもふもふ。もふもふは全てを解決する。
 「音」に反応して人間を襲う外宇宙からの生物の襲撃により文明が崩壊した世界での、とある家族のサバイバルを描いたパニックホラー「クワイエット・プレイス」、そのシリーズ第3作は舞台をこれまでの田舎街からニューヨークへ移し、生物が襲来した「その日」を描きます。2作目「破られた沈黙」でも冒頭でDAY1の様子が描かれていましたが、その部分を1本の長編へとスケールアップさせた作品と言った趣きです。1名、前作からの人物が登場しますがほぼ独立した物語と言って差し支えありません。前2作で監督を務めたジョン・クラシンスキーは今回はプロデューサーとして参加し、監督は「PIG」で知られるマイケル・サルノスキにバトンタッチ。これまでよりひと味違った叙情的な雰囲気の作品に仕上げています。

 まず末期癌を患う詩人、という主人公の造形が異色です。そもそも死期が近いサミラは、怪物のファーストアタックをどうにかかいくぐったところで未来が無いことを自覚しています。だからサミラは他の人物のように生を希求して脱出ルートを探すのではなく自身の生を全うするための道を選びます。物語がパニックホラーの定型を取らないことと特殊な人物像が相まって主人公に不思議と感情移入しにくいのがポイントです。そしてそんな観客の視線を集めることになるのがサミラの相棒であるフロドという名の1匹の猫。この映画を実に味わい深いものにしているのはこのフロドの存在です。というかこの猫が事実上主役。
 監督はモンスターと猫のどっちを見せたいんだと思うくらいに猫の佇まいが魅力的。介助用に訓練されてもいるらしく不用意に鳴いたりしないし足音も静かと、真っ先に状況に順応するのもフロドですし、極限の緊張状態の中で猫を吸って落ち着けることのアドバンテージが強い(笑)。何ならホラー映画としての緩急もフロドがフレームインしてるかどうかにかかっているくらい。
 
 映画の最初から最後まで猫の可愛らしさ、気高さ、強さ、奔放さが全部盛り。曲がりなりにもホラーにカテゴライズされる映画の薦め方としてこういうのは正直どうかと思いますが、間違い無く現時点での今年最猫映画です。スリルを味わいたい向きより、猫を全力で堪能したい方にこそどうぞ。このもふもふにやられちゃってください(笑)。

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いよいよアニメも最終局面に向かおうとしている「鬼滅の刃」、無限城編は劇場版3部作での公開となることが発表されました。いやそれ自体は良いのですが、原作のボリュームと密度的に3部作で足りるのか?という疑問が。ひょっとすると無限城編の後に最終章が前後編で劇場公開くらいはやるかもしれない。

 こんばんは、小島@監督です。
 ま、もちろんここまで来たら全部観に行きますけどね!何部作になろうがどんとこいだ!

 さて、今回の映画は「ルックバック」です。

 東北の小学校で、藤野(声・河合優実)は学年新聞に4コマ漫画を描いて生徒たちから人気を博していた。ある時担任から不登校の京本(声・吉田美月喜)も漫画を描いているので4コマの枠を一つ分けても良いかと提案される。二つ返事で了承する藤野だったが後日学年新聞に掲載された京本の作品に愕然とする。自分よりも絵の上手い者がいることが許せない藤野は猛然と絵の勉強を始めるようになるが、一向に埋まらない京本との差の前に6年生の時に遂に筆を折ってしまう。卒業式の日、担任の頼みを断り切れず藤野は京本の家へ卒業証書を届けに行く。そこで2人は初めて顔を合わせることになるのだった。

 原作に向き合うとは、決して寄り添うことだけではない。強くリスペクトするが故に正面切って対峙する道もある。原作は「チェンソーマン」で知られる藤本タツキ氏が2021年に発表されるやSNSでトレンド入りした中編読切。それを「電脳コイル」の中核アニメーターでもあった押山清高が監督・脚本・キャラクターデザインに絵コンテ・作画監督・原画までをこなし、作品と真っ向勝負してアニメでしか成し得ない映像でもって映画を作り上げました。
 出会いをきっかけにライバルから唯一無二のソウルメイトとなる藤野と京本の、漫画に懸けた青春と、絶望の先にある希望が描かれます。名前からして2人とも作者の一部分が投影された人物でもあるのでしょう。登場人物が抱く複雑な感情の源泉には作者の原体験があるのかもしれません。

 とにかく目を引くのが徹底して手書きの描線を活かした映像です。描く人の物語である原作を、生半可なことでは映像化はできないと腹をくくったのかただひたすらに描き上げることで応えています。基本的には原作を大きく追加も省略もしていない忠実な作りで、やっていることは一コマ一コマの解像度を極限まで上げ動きをつけ声や音を乗せて映画として紡ぐ、最も地味で最も難しい道を決然と進んでいることにこの映画の凄みがあります。
 動きに感情が乗った時の所作、停滞している時の手癖、走り出すような大きなアクションだけでなく些細な動きの中でさえアニメーションのダイナミズムが宿り、そこに河合優実、吉田美月喜主演2人の誠実な演技とharuka nakamuraの手によるリリカルな音楽が加わり映画の格を一段も二段も上げています。

 終盤に差し掛かり、恐らくは幾重にも意味を包含した「ルックバック」というタイトルに託されたものに気づく頃にはこの映画は観る者にとって忘れ得ぬ映像体験になっていることでしょう。ここには創作に携わる者の喜び、痛み、悲しみ、全てが凝縮されています。今もクリエイティブに身を置く人だけでなく、かつて挫折したことがある人にもきっと届くことでしょう。そして藤野と京本のように、あるいはこの原作をアニメ化しようとした押山監督ら製作陣のように、この映画もまた、きっとこれから先にこれを観た誰かが追いかける背中になるはずです。
 上映時間の中編に対してどこで観ても割引不可の1,700円固定という完全にコアなファン向けの強気の価格設定をしていますが、作品の持つ密度の高さは2時間の映画にいささかも引けを取りません。間違い無く今年を代表する一本足り得る作品です。
 それにしても「ウマ娘新時代の扉」と言い手書きのダイナミズムを堪能できるアニメーション映画の秀作が同時期に複数公開されている驚きと喜びよ。日本のアニメはまだまだやれそうです。

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昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
 残念ながら私は今母が入院していたりと少々立て込んでいて欠席せざるを得ない状況でして、今回は参加を見送らせてもらいました。皆とマッドマックストークとか宝塚記念トークとかしたかったのですが(苦笑)。

 こんばんは、小島@監督です。
 次回は参加できると良いのですが。歌いたい曲もあるし。

 さて、今回の映画は「ぼっち・ざ・ろっく!Re:」です。

 極度の人見知りの少女・後藤ひとり(声・青山吉能)は、そんな自分でも輝きたいとバンド活動に憧れギターを練習し始めるものの、結局友達はできずじまいで中学時代は1人で毎日6時間練習し続ける日々を過ごすに留まってしまった。ひとりは練習の成果を動画に撮影して「ギターヒーロー」の名でネットにアップするようになり、ファンも付くようになるが自身の性格を変えるまでには至らずそのまま高校生になってしまう。
 高校生になってもぼっちのままのひとりだったが、ある日脱退したバンドメンバーの代わりを探す伊知地虹夏(声・鈴代紗弓)と出会い、日常が少しずつ変わっていく。

 確か前評判自体はそれほどではなかったように記憶していますが、放送開始とともに評価が上がっていき2022年のアニメを代表するタイトルとなった「ぼっち・ざ・ろっく!」、そのTVシリーズ全12話を再構築した総集編が現在公開中です。実のところ放送時全くもってノーチェックでタイトルだけしか知らないままに、先日電車が一時運転見合わせになり足止め食らった時に時間潰しに観てきました。こんな形で機会が降って湧いて来なければスルーするつもりでいました。これもまた一つの縁。主人公を始め結束バンドのメンバーの苗字が後藤・伊知地・山田・喜多ということはASIAN KUNG-FU GENERATIONへのリスペクトでしょうか。と、勝手に想像して今回のブログのタイトルもアジカンの曲から引用して付けてみました。

 観るまでは映画のフォーマットを活かしてスピード感のある構成でライブシーンを積極的に組み込んで来るのかなと思っていたらそうではなく、思いのほかじっくりとした足取りで物語を紡いでいきます。本編開始前に上映に当たっての諸注意を伝えるショートムービーが流れ、ここだけはかなりファン向けに作られていたため初見には辛いヤツを掴んじゃったかとちょっと不安になりましたがそれも杞憂でした。エピソードの選択の確かさと掘り下げるべきところはきっちり掘り下げる過不足の無さに驚きます。この辺りは現在放送中の「虎に翼」でも高い評価を得る脚本・シリーズ構成を務めた吉田恵梨香の手腕によるものでしょう。

 もう一山この後にあるんじゃないかな?というところで終わるのでもしやと思えば、これ前後編2部作での公開なんですね。それすら知らずに観てました。この前編ではTVシリーズの8話までを再構成しているようなので後編の方は残りのエピソードをほぼノーカットで組み上げて来るか、大胆にボリュームアップする感じになるのでは。既存のファンをも驚かせるような映像に仕上がっていると良いですね。せっかくなので私も後編公開されたら観に行こうと思っていますよ。

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先週、何をもらってしまったのか高熱が出るわまるで飲んだくれが喧嘩した後みたいに顔が赤く腫れるわで散々な1週間でした。まるっとほぼ1週間出社もできずに寝込んでしまうとか数年ぶりのザマでようやく腫れがほぼ消えたとは言えホント冴えない感じです。

 こんばんは、小島@監督です。
 しかも今のところ原因不明。明日受けた検査の所感が聞けるので何か分かると良いのですが。

 さて、今回の映画は「マッドマックス:フュリオサ」です。

 文明が崩壊し、荒廃しつつある大地。辛うじて水と森が残る「緑の地」で暮らすフュリオサ(アニャ・テイラー=ジョイ)は、バイカー軍団の緑の地への侵入を妨害しようとして逆に拉致され軍団のリーダー・ディメンタス(クリス・ヘムズワース)の元に連れて来られ、更にフュリオサを救出しようと単身乗り込んで来た母親メアリー(チャーリー・フレイザー)も拷問され殺されてしまう。
 ディメンタスは砦を支配するイモータン・ジョー(ラッキー・ヒューム)と交易を持ちかけ、フュリオサをジョーの花嫁として差し出した。

 2015年に公開されアクション映画の傑作として映画史にその名を刻む「マッドマックス:怒りのデス・ロード」、そのスピンオフにして前日譚となる作品です。前作ではシャーリーズ・セロンが演じ強烈な印象を残した孤高の女戦士フュリオサの若き日の復讐を、今作ではアニャ・テイラー=ジョイが引き継ぎ体当たりで演じています。フュリオサの復讐の相手となるディメンタスの、狂おうとして狂い切れず壊れていくユニークなキャラクター像をクリス・ヘムズワースが怪演しています。監督はマッドマックスシリーズ全作を手掛けたジョージ・ミラーが今作でも監督を務め、80歳を目前にしているとは思えない熱量で物語を紡いでいます。

 前作のようなアッパーテンションなノンストップアクションを期待していると、多くの点で対照的な作品です。温度感は確かに高いものの思いのほか語り口がどっしりしていて硬質なことに人によっては違和感を覚えるのではないでしょうか。前作が作中の経過時間が3日だったのに比して今作では15年という時間の中でフュリオサの戦士としての成長と復讐の行方を追います。「ヒストリー・マン」という全身に歴史を書き記して語り伝える老人の語りで進む今作は、より英雄叙事詩的な性格の強い作品となっています。
 見た目からしてエッジの効いたキャラクターたちは相変わらず多いものの、容赦の無いゴア描写でR15+だったレーティングは今作では直接的な人体破壊描写は避ける方向で作られているためかPG12設定となり、事実上年齢を問わず観られる作品となっていることも大きなポイントと言えるでしょう。

 ただ、レーティングが下がったからと言ってアクションがヌルくなったかと言うとそんなことありません。前作には無かった地対空のバトルシーンが盛り込まれるなどアイディアも手数も豊富。映像言語としての見せ方が圧倒的で、ほぼ砂漠ばかりの基本茶色っぽい画面で繰り広げられるアクションにはどこか宗教画の趣きがあります。しかもアクションシーンではセリフがほとんど介されないため実は作品全体の単語数は少ないのではないでしょうか。
 ちょっと匂わせて来る程度かなと思えば意外なほど「怒りのデス・ロード」へ直結するラストシーンしてるので前作も観たくなること必至。これぞ正しく前日譚。80歳を前にしても全く衰えを見せないジョージ・ミラーのエネルギッシュなファンキーぶりを、どうぞスクリーンでご堪能ください。

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