ちゅうカラぶろぐ


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たまたま観たテレビで流れてきた、風邪薬『ルル』のCM。

すっかり風邪薬と言えばお馴染みの『ルル』なのですが、
そういえば、昔の我が家の風邪薬はルルばかりでした。

そのCMで観たルルの名前は『新ルルAゴールドDXα』。

は?
『新』しくて『A』で『ゴールド』で『DX』で『α』なの?

もうありったけのバージョンアップが詰め込まれてますが、
命名時に会議で止める冷静な人はいなかったのでしょうか?

とは言え、このまま名前が付与されるのも見守りたいですね。



さて、カップ焼きそば『UFO』、突然食べたくなりませんか。

ノーマルサイズだとちょっと小さくて物足りないですので、
食べるならやっぱり四角いパッケージの大盛りですよね。

小学校くらいからお世話になっているUFOは今も現役です。
当時のパッケージも未だになんとなく覚えていたりします。

そんなUFO、食べている最中はもちろん美味しいのですが、
食べた後の容器は部屋に放置すると、これがなぜか臭い!

カップ麺とかってやっぱり手軽で持ち運びやすいせいか、
食べる時になんとなく自分の部屋に持ち込みがちですよね。

そして食べた後のカップは洗わなくていいこともあって、
食べ終わった後は、なんとなくそのまま部屋に放置しがち。
そしてその放置したカップからは悪臭を放ち始めます。

これ、UFOの1番のウリであるソースの匂いなんですが、
なんで食べている最中は香ばしい食欲をそそる匂いなのに、
放置した容器単体では、こんなに悪臭になるんですかね?

正直、この瞬間だけは「こんな臭いもん食べてたのか?」と、
なんか変な感じに冷静になってしまう自分がいたりします。

これってUFOに限らずあることで、最もコーヒーなんかも、
飲んでいる時はいい香りと思っているはずなのに、
こぼした後のコーヒーとかはやっぱりなぜか悪臭なのです。

なぜ、好んでいた匂いが悪臭になってしまうのでしょうね。

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昨日一昨日と福岡で開催されていた「THE IDOLM@STER MILLION LIVE! 10thLIVE TOUR Act-3 R@ISE THE DREAM!!!」をDay2のみ配信で観ていました。現在放送中のアニメでクライマックスに展開する1stライブと同じタイトルを冠したこのイベントでは、アニメをコンセプトに文字通り「このシアターでこのアイドル達が1stライブをするならこんな感じ」という印象で、セットリストの半分は先輩達である765ASのカバーという、もう良い加減古参になって来た私を一直線で狙い撃ちにくる並びに見事に撃沈されておりました。

 こんばんは、小島@監督です。
 10周年を締め括る来年2月のツアーファイナルでは遂に39人全員が出演することが発表され、これは何としても観に行かねばなるまいて。

 さて、今回の映画は「ゴジラ-1.0」です。

 1945年、大戸島の守備隊基地に敷島(神木隆之介)が駆る零戦が着陸した。機体の不調を訴えてのものだったが、整備士長の橘(青木崇高)は機体にどこも不具合を見つけられず、敷島が何かを隠していることを勘付く。
 その日の夜、基地が突如恐竜に似た怪獣「呉爾羅」の襲撃を受け敷島と橘を残して全滅してしまった。
 戦後、心に傷を負った敷島は給料は良いが危険度の高い残存機雷掃海の仕事に就いていた。その頃、太平洋上で米国の船舶が正体不明の巨大な生物に襲撃される事故が相次いで発生していた…

 圧巻。まさにその言葉が相応しい。
 来年シリーズ70周年というメモリアルイヤーを迎える「ゴジラ」、更に国内製作30本目のアニバーサリーとなる作品が遂に公開です。これまでゴジラシリーズは第1作が製作された1954年を起点にしていることがほとんどでしたが、今作ではそれより前の時代を舞台に描かれる初めての作品となります。監督はVFXを駆使した映画を第一線で作り続けてきた山崎貴。「ALWAYS三丁目の夕日」「永遠の0」などで度々昭和の時代を舞台として来たこと、「DESTINY鎌倉ものがたり」「ゴーストブックおばけずかん」などで超自然的なものを描いて来たこと、そして「ゴジラTHE RIDE」で短編ながらゴジラを描いた経験、それらフィルモグラフィーの全てを注ぎ込んだかのような一本となっています。

 何を置いても映像の迫力が尋常じゃない1本です。
 予算規模で行ったら1/10にも満たないでしょうがハリウッドの大作映画にもタメを張れる画が全編に渡り展開します。中でもゴジラ登場シーンの大半を占める海洋でのシークエンスの数々はちょっとどうかしている出来の良さで、CGが変に浮いたようなところなど微塵も無くVFXの技術の進歩と熟練のスタッフがそれを扱うことの凄みを如実に見せてくれます。

 「シン・ゴジラ」では東日本大震災に代表される天災の象徴であり、それ故に生存本能以外の意思を感じない無機質さでやって来てただ街に踏み入りただ破壊して行く恐ろしさがありましたが、今作のゴジラは戦争の呪いの化身そのもので、人間に対し憎悪や殺意を感じさせる存在です。人間を遥かに超越した存在が明確な殺意を持って破壊の限りを尽くし街を蹂躙する。「シン・ゴジラ」とは別種の恐怖を描いています。これが、トラウマとサバイバーズギルトに苦しむ青年・敷島を軸とする人間ドラマと絶妙に噛み合うことで物語をダイナミックなものにしています。
 その人間ドラマ、一見するとベタでもあり陳腐に映ってしまう瞬間もあったり、変なところで穴というかツッコミどころみたいなものも多いのですが、主演神木隆之介の演技がとにかく素晴らしいの一言で、強い説得力でもって映画の魅力を底上げしてくれていて、決して怪獣のただの添え物になっていません。物語やセリフへの解釈、演技プランを含め、監督の予想を超えて来た部分もあったのではないでしょうか。浜辺美波、佐々木蔵之介、吉岡秀隆、安藤サクラ、山田裕貴ら共演陣の演技も見事で、ゴジラが出てきていない部分は良くできた王道の日本映画という印象です。現代日本を舞台にしたポリティカルフィクションで「官」が戦う物語でもあった「シン・ゴジラ」とここでも好対照で、国家が機能不全状態に陥り軍も力を失っていた戦後すぐを舞台に、心も体も傷を負ったボロボロの「個」がそれでも奮起し「生」を希求する物語が、ゴジラという絶対的な絶望を前に輝きを放つのです。

 伏線の張り方も分かりやすく、容易に結末が予想できてしまうのも難点とは言えますが、王道とは裏を返せばそれだけ観るためのハードルが低い証拠です。予想を裏切るのではなく予想の先を行く。最も難しい道をこの映画は選び、そして最高の場所へ辿り着きました。何よりこの圧倒的なスペクタクルはスクリーンで味わなければ勿体無い。
 これは怪獣映画の一つの到達点だ。

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やっと土曜日になり「ヘイ!連休だぜ!」と思うのも束の間、
なんか喉がいがらっぽい気がする・・・となんか不安な感じ。

日曜日になると、気がするどころか、なんか寒気を感じて、
いがらっぽいだけではなく、しっかり咳が出てしまう始末。

いよいよもって熱でも出してしまったかと体温計を脇に挟み、
「ピーッ!ピーッ!」となるそれを恐る恐る見てみると・・・

『37度8分』

あー、またも発熱症状です、測らなきゃ分からなかったのに。

コロナなのか、インフルエンザなのか、まだわからないですが、
月頭に私がやらないと会社がうるさい仕事が残っているので、
月曜日は無理やり出勤して、終わったら帰ろうと思います。

しかし、熱を出すと節々が痛かったり、寒気が酷かったりと、
若かったころってこんなにも、苦しんだりしましたっけ??



さて、ゲーム『ストリートファイター6』のオンライン対戦で、
かなり精度の高いチート(不正行為)が出てきました。

この精度が高いというのは、人間が操作しているような、
かなり自然な動き(プレイ)に見えてしまうようなのです。

プロゲーマーが何度もそのチートキャラと戦って検証し、
人間がプレイする部分が僅かしかないと判断したようです。

その発覚したチート、世界ランク1位となっていましたが
すでにそのチートに対する処分はされてはいますが、
個人的には今回の騒動って怖いなと思うところがあります。

しっかり検証したからこそチートと判断された感じですが、
ただ対戦をしていたら気が付かなかったかもしれません。

そう思うと、これからのゲームのオンライン対戦などは、
知らない間に人間と思っていた相手がAIなのかも知れません。

相手が、同じ人間だからこそ夢中で取り組んでいたのに、
実はオンライン対戦と勘違いしているのかもしれません。

AIの技術などが進んでくると、自分の技量に合わせた強さの、
適当に負けたり勝ったりしてくれるようになったりし、
このゲーム、賑わってると思って夢中でやっていると、
実はものすごく過疎っていたりするのかもしれません。

オンラインゲームで人気が無くなってきてしまうと、
対戦相手や協力するプレイヤーがマッチングしなくなります。

それなのにAIが人間っぽい動きをしてしまうようになると、
「私は人間とプレイしている」と勘違いをしていまいます。

メーカー自らこのような優秀なAIを実装していくことで、
このゲームは賑わっていると錯覚させることもできます。
するとプレイヤーも戻ってくるかもしれないですからね。

そのうちチャットなどの会話などもやってくれそうですし、
本当にゲーム上にAIが席巻する日が来るかもしれませんね。



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ある意味これも「ウマ娘」の影響と言って間違い無いのですが、G1レースだけたまに馬券を買って観るようになりました。毎回じゃないのは単に土日がスケジュール的に買いに行く暇が無いことも多いからで、買ってもせいぜい500円くらいの本当に気楽な遊びという程度。
 買うようになって日が浅いのでどこら辺を見て予想立てるべきかまだ分かるような分からないような感じで大抵は当たりませんが、昨日の天皇賞(秋)では初めて3連複を当てることができてこれがなかなか嬉しい。倍率は20倍ちょっとなので大したことはないのですけれど。

 こんばんは、小島@監督です。
 しかし昨日のイクイノックスのあまりの強さにはさすがに観てて震えました。しかも2,000mレースのワールドレコードだとか。とんでもない馬がいたものです。

 さて、今回の映画は「シン・ゴジラ:オルソ」です。
 今回は粗筋については割愛します。

 「色彩」がもたらす情報量は自分たちが思っているより遥かに多い。それを削ぎ落とした時、見えるものが大きく変わります。
 2016年に公開された庵野秀明監督の傑作「シン・ゴジラ」、11月3日に「ゴジラー⒈0」が公開されるのに合わせてモノクロ版が製作され全国で僅か7館、それも3日間だけのごく限定的なものながらスクリーン上映されました。
 タイトルの「オルソ」とはオルソクロマチックフィルム(青と緑の色調にのみ反応し赤色に対して感度を持たないフィルム)のことだそうです。映像を観た感覚では単に色彩を落としただけではなく陰影を強調しているような印象でした。「オルソ」はモノクロ化に当たっての方針のようなものでしょう。また今年11月30日を以て事業終了を決定している東京現像所がDCP(デジタルシネマパッケージ)を手掛けた最後の作品となりました。

 もともとカラーだった映像をモノクロにする、というのがどの映画にもハマるものではありませんが、こと「シン・ゴジラ」に至っては驚くほどにマッチし作品が「何を見せたいか」が鮮明に浮き彫りになりました。
 まずゴジラ第二形態(いわゆる「蒲田くん」と俗称されるアレ)や終盤の「在来線爆弾」などCG臭さが抜けなかった箇所で画面に統一感が生まれている上、どことなくスーツアクトやミニチュアワークを見ているような質感になり往年の「東宝特撮映画」的テイストが割増になっています。何よりゴジラが熱線を吐き首都を焼き払うあのシーンの恐ろしさの際立ちは特筆もの。
 人物についても陰影を強調した画面は特にクローズアップでの緊張感を増幅させていて、会議の場面が多い本編と絶妙な親和性を生み出しています。雰囲気としては岡本喜八監督の名作「日本のいちばん長い日」に近い印象。観ていて思った以上にセリフを集中して聴いている自分に気付いたのも発見でした。色彩が無くなったぶん、脳のリソースに余裕ができたんでしょうか。

 映像が全体的にクラシックな風格を持ち得たことは音声面でも好影響を与えており、劇中で使われている伊福部昭の音楽やもともと最近の映画にしては3.1chとチャンネルが少なく、外に広がるというより内に閉じていくような音響設計とも相性が良くなっていて、総じて作品そのものの純度が上がった格好です。
 何度も観ていて慣れているはずの映画を実に新鮮な気分で楽しむことができました。

 2016年当時、封切りから少し遅れてIMAX版も公開されていてそれも観に行っているのですが、正直なところ画面も音響もIMAXのハイスペックさを持て余しているような印象でこう言っては何ですが「ただ追加料金を払って普段より大きなスクリーンで観た」以外の付加価値を感じられなかったのですが、今回のモノクロ版はむしろこの映画に必要なのは引き算だったと実感させてくれる稀有な映像体験でした。

 せっかくの代物なのに公開規模が小さ過ぎるのがホント勿体無い。いずれBlu-rayや配信で観られる機会もできると思いますが、その時は是非その目で確かめていただきたいですね。

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秋のアニメの中で、全く思いがけず楽しんでしまっている作品があります。「16bitセンセーション」、弱小美少女ゲームメーカーでイラストレーターをしている女性がひょんなことから1990年代にタイムスリップし当時の美少女ソフトメーカーでバイトする、という話なのですが、アダルトゲームというアングルから90年代サブカルチャーを振り返るなどという題材のエンタメが登場するとはよもや思わず、その切り口に興味深く観ています。第3話で物語は1996年に移り、いよいよ自分が秋葉原に入り浸り始めた時期に近付いて来ていて、技術や製作環境だけでなく世情も目まぐるしく変遷して行ったあの頃をどうストーリーの中で表現してくれるのかホント楽しみ。
 作中に当時発売されたタイトルが実名でパッケージデザインごと登場したり、エンドカードのイラストに当時の名作を手掛けたイラストレーターが寄稿していたりするのも良いですね。

 こんばんは、小島@監督です。
 まあある意味自分の黒歴史的引き出しを開けられてるようでもあるのでたまに変な汗出ますがね(笑)

 さて、今回の映画は「旅するローマ教皇」です。

 第266代ローマ教皇フランシスコ。史上初のラテンアメリカ、そしてイエズス会出身の教皇である。2013年に就任して以降2022年までの9年間で53カ国37回の海外訪問を行なった。学究の徒然としていた前教皇ベネディクト16世と異なる路線を打ち出し、明るく飾らない人柄で信者達に留まらない人気と支持を集め、2013年のブラジル訪問時には歓迎イベントに100万人が集まったという。その人気故に「ロックスター教皇」と呼ぶ者もいるフランシスコ。その旅先で彼はどんな表情を見せ、どんな言葉を発したのか。

 ドキュメンタリーの名手ジャンフランコ・ロージ。「ローマ環状線、めぐりゆく人生たち」「海は燃えている〜イタリア最南端の小さな島〜」などで国際的評価を得た同氏が今作でその眼差しを向けるのは、第266代ローマ教皇フランシスコ。積極的に世界中を歴訪する教皇に密着し、その姿の向こうに世界のありようを浮かび上がらせようとします。
 これまでのロージ監督作品と大きく違う点は、映画製作のほとんどは膨大な量のアーカイブ映像からの採録と編集に費やされ、実際に同行撮影を行なったのは2022年のカナダとマルタのみだそうです。

 歴訪した先々で歓待を受け、演説を行う教皇。映画はその姿が繰り返し映し出されます。多くがアーカイブ映像で構成されたそれは、一見ただニュース映像が流れているだけのように思えますが、世俗に生きる市井の人々をこそ見つめて来たロージ監督はある意味で世界最高峰のアイドルに対し絶妙な距離感を保った映画に仕上げています。教皇としての近寄り難さと本人の人柄がなせる親しみやすさを見せつつ、重圧に沈み懊悩する一介の老人の姿を確かに捉えてみせます。映画のために撮られた映像ではないものを解体し紡ぎ直して作り上げた、という作品の性格上、この映画の肝は映像が捉えたトピックそのものよりも「編集」に見る必要があるでしょう。
 興味深いのはロージ監督がそれを見出しているのは軽妙でいて熱のこもる演説の中、ではなく沈黙の中である点です。映画冒頭、最善の言葉を尽くそうとする教皇が沈思する姿を捉えます。本編中にはアルメニア人虐殺の歴史について批判した後の、トルコのエルドアン大統領との間に流れる沈黙も映し出します。政治と宗教が火花散らす瞬間はむしろ言葉の出ない時であるかのよう。
 
 また、旅先での姿ばかりではなく移動中の映像も映画を構成する重要な要素です。機内の窓から外を覗くフランシスコ。VIP故にチャーター機には護衛の戦闘機が付くこともしばしば。パレードの際も見回せば武装した護衛兵が必ずいます。宗教的指導者として戦争を否定しながら、バチカン市国の元首でもあるが故に武力は否定できない。その矛盾。それを抱えながらもしかし困難の中にある人々に手を差し伸べる行き方をやめないフランシスコの在り方の向こうに、断絶が増していく世界の姿を映画を通して見せて行くのです。

 2019年には日本へも訪れ東京ドームで大規模ミサを行ったニュースをご記憶の方もいるはず。その際には広島や長崎も歴訪しています。映画には日本訪問時の映像も使われていますが、残念ながらミサの様子は収められていません。
 武力紛争への嗅覚と教皇としての使命感がそうさせるのか、フランシスコは度々緊張度の高い地域へも訪問しており、それこそイラクやイスラエルにも赴いています。苦悩し疲れ果てながらも諦めない。世界にはこういう戦いをしている人がいる。もう80代後半に差し掛かっていながらフランシスコの旅はまだ終わりません。その祈りで彼は世界に相対し続けるのです。旅路の果てで彼はどんな言葉を残すのでしょうか。

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昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
 朝方は雨模様だったので厚手の格好で行ったらJOYSOUND金山に着く頃には結構暑くなっててちょっぴり服装を後悔したことと、久しぶりに名乗り出たじゃんけん大会で勝ち抜いてしまい缶チューハイとお漬物を頂いてしまったのが私の昨日のハイライト。おいおいご飯のお供にして楽しませてもらいますぞ〜。

 こんばんは、小島@監督です。
 カラオケの方もいろいろと歌えたので何のかのと満足でございました。

 さて、今回の映画は「イコライザーTHE FINAL」です。

 イタリア・シチリア。ある仕事を終えたロバート・マッコール(デンゼル・ワシントン)は、そこで図らずも瀕死の重傷を負ってしまう。マッコールの命を救ったのは医師のエンゾ(レモ・ジローネ)だった。自身の素性も聞かずに治療を施してくれたエンゾの計らいで、イタリアの小さな田舎町でのマッコールの療養生活が始まった。
 一方、匿名を装ったマッコールからの通報を受け、CIAからエマ・コリンズ(ダコタ・ファニング)たちがイタリアへ派遣された。そこでエマらはテロリストへ流れていると目される薬物と資金を発見し、その大元を探るためエマは更なる捜査を開始する。
 傷を癒しながらの街での生活を気に入り、そのまま静かに隠棲しようとするマッコール。しかし強硬にリゾート開発を推し進めるマフィアの手が街に迫ってきていた。

 勤勉なホームセンターの職員が、実は元特殊工作員。そして最短最速で悪人を葬る暗殺者「イコライザー」、そんな男ロバート・マッコールをデンゼル・ワシントンが演じる人気シリーズの3作目が公開中です。監督はもちろんシリーズを通して手掛けてきたアントワン・フークア。デンゼル・ワシントンがアカデミー主演男優賞を獲得した「トレーニング・デイ」(2001年)からの二十年来に渡るタッグで今回も燻し銀の味わい深い作品に仕上げています。
 「THE FINAL」と銘打っており、確かに完結を思わせるラストをしていますがこれはあくまで邦題で原題は単に「THE EQUALIZER 3」。「THE FINAL」という邦題が早とちりに終わらないと良いのですが。

 「イコライザー」という作品、ジャンルとしてはアクションやスリラーの部類に入るのは間違い無いのですがそのボリュームはむしろかなり少ないのが大きな特色です。前半は名も無き市井の人達の生活や悩みに寄り添い助言をする心優しい男の姿を描いて行きます。気さくで人当たりも良いが強過ぎるくらいの正義感の持ち主。ウザいようなクサいようなこんなキャラクターもデンゼル・ワシントンが演じるとそこに「深み」が宿ります。その深みと、終盤悪人たちに容赦の無い鉄槌を下す姿の、オンオフの振り幅の極端な大きさがこのシリーズの醍醐味です。
 同じ暗殺者を主人公にして奇しくも同時期に新作が公開されている「ジョン・ウィック」がクール&スタイリッシュなアクションとスタントのボリュームの中に作品の核と哲学を盛り込み、上映時間が長大化して行ったのと対照的に「イコライザー」ではアクションの過程の大半を省略することでロバート・マッコールの強さを表現してみせるので作を重ねる度に上映時間が短くなっているのもポイントです。主演のデンゼル・ワシントンが年齢の割に動きが機敏とは言え1作目の時点で既に59歳だったという事もあったかもしれませんが、この「省略」が作品をユニークなものにしています。

 ジョン・ウィックのように多様な武器を使いこなすのではなく、ガラス瓶やコルク抜き、フォークなど身近なものを武器にして最短かつ全力で敵を抹殺するスタイルは、経過を省略し結果だけを見せるようになった作劇とシリーズで初めてR15+のレーティングとなったことが相まって「THE FINAL」のマッコールのバイオレンスは最早ホラーの領域。マフィアの視点から見たら無表情かつハイライトの無い瞳で鉛筆1本で頭をブチ抜くわマッチ棒でも折るかのように容易く腕をへし折るわするマッコールは「13日の金曜日」のジェイソンもかくやというシリアルキラーにしか見えないに違いない、というか最後の方はむしろマフィアたちに「超逃げて」と思わされてしまうこと必至。

 そんなバイオレンスが映えるのも、ひとえに「名も無き普通の人たち」を描いているから。実は前2作まででマッコールは多くのものを失っています。それ故に心のどこかで安息の地を求めていたのでしょう。遠くイタリアの片田舎でささやかに生きる普通の人たちの喜びや優しさの中にそれを見出したからこそそれを踏みにじる者をマッコールは許さない。しかしその容赦の無さには哀愁も漂い復讐に安易なカタルシスを否定します。シンプルなプロットに宿る情感の複雑さとデンゼル・ワシントンの重厚な佇まいによって、この3作目にして「イコライザー」は文芸映画のような風格すら獲得しました。
 現実は混沌としていて善悪の境界も曖昧。勧善懲悪はB級映画くらいのものと理解はしていてもせめてフィクションでくらいはそう言うのがあっても良いしあって欲しい。マッコールに討ち果たして欲しい「悪」はまだまだある、そう思う方も多いのでは。とは言えシリーズはこれで一区切り。ある意味で「親愛なる隣人」であるマッコールの最後の戦いとその行き着く先をどうぞ見届けてください。

 

 



 

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秋のアニメが色々とスタート。私としてはマストの「アイドルマスターミリオンライブ!」はもちろんですが、「葬送のフリーレン」「アンデッド・アンラック」あたりも好印象。あとはeスポーツをモチーフにした「僕らの雨いろプロトコル」が題材の新鮮さも相まってちょっと気になる感じでしたね。
 
 こんばんは、小島@監督です。
 たくさん観れる時間的余裕があるわけではないから初回だけチェックして、とか思っていたのに意外と面白いのが多いのが困りもの。

 さて、今回の映画は「ジョン・ウィック:コンセクエンス」です。

 ニューヨーク地下組織の王バワリー・キング(ローレンス・フィッシュバーン)のもとで傷を癒し、準備を整えたジョン・ウィック(キアヌ・リーブス)は主席連合との戦いへ向け行動を開始する。
 一方、ニューヨーク・コンチネンタルホテルには主席連合から全権を委ねられた侯爵(ビル・スカルスガルド)により告知人(クランシー・ブラウン)が派遣された。ジョン・ウィックが主席連合へ叛旗を翻したことの責任を取らされホテルは廃棄、支配人ウィンストン(イアン・マクシェーン)は追放処分となる。
 侯爵はジョン・ウィックへの刺客として白羽の矢を立てたのは、ジョンの旧友である盲目の男ケイン(ドニー・イェン)であった。

 ユニークな世界観と殺意むき出しのアクション「ガン・フー」で唯一無二の存在感を放ち、「マトリックス」に匹敵するキアヌ・リーブスの代表作となった「ジョン・ウィック」シリーズ。その4作目にして完結編となる作品が公開されました。全作を通じて監督を手掛けたチャド・スタエルスキが今作でもキアヌ・リーブスとタッグを組み、シリーズを締めくくります。3作目「ジョン・ウィック:パラベラム」までで徹底的に追い詰められたジョンは今作で遂に反撃に転じ、その長い戦いの旅路に遂に終止符を打つことになります。
 副題の「コンセクエンス」は「報い」という意味を持ちますが、実はこれ原題には無く邦題のみのもの。原題は単に「John Wick:Chapter4」。観ると分かるのですが、ストーリーでも重要な意味を持つ単語を持って来ていてかなり技ありのタイトルです。

 凝りに凝った世界観は今作も健在。フランスのルーブル美術館やドイツのボーデ美術館をロケ地に使った映像は、詳細を語らずとも殺し屋たちの世界に横たわる重厚な歴史を感じさせることに一役買っています。また、殺し屋とその関係者しかフォーカスしないので一般人は登場しても無関係というのも相変わらずで、今作では特にドイツのクラブでのファイトやパリの凱旋門周辺でのアクションシークエンスに特に顕著に表れています。この、現実と地続きにしないスタイルが凄惨な復讐の連鎖に他には無い奇妙な清廉さをもたらし、作品世界のユニークさを獲得しました。

 シリーズ最長の169分の大半はアクションに注ぎ込まれ、比喩ではなく満腹感を覚えるほどの尋常じゃないボリュームと驚異のバリエーションで展開されるそれは最早アートの領域です。アクションが物語を牽引する、同種の傾向を持つ作品としてはトム・クルーズ主演の「ミッション・インポッシブル/デッド・レコニングpart1」が挙げられますが、物語の着地点が定まっているというところに大きな違いがあると言えるでしょう。もう一つ違いがあるとすれば「ジョン・ウィック」の方には「殺意」をより強く感じられる、と言うところでしょうか。共演者にドニー・イェン、真田広之を迎えた今作では両者への多大なリスペクトと共に香港のカンフー、日本の殺陣を基調としたアクションも存分に盛り込まれ、映画を更に華やかにしています。

 圧倒的な熱量をもって大団円へ向け爆走する、比類なき一本。これぞ圧巻。ジョン・ウィックの旅路の果てをどうぞ見届けてください。
 なお、エンドクレジット後にエピローグがあります。場内が明るくなるまでお席をお立ちになりませんよう。

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