ちゅうカラぶろぐ


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今年のお盆休みは珍しく4連休になったのですが、資格試験直前ということもありひたすら家にこもって勉強してました。そうでなければ夏コミとかなーなライブとか行きたい所やりたいことたくさん!来年は、来年は遊んでやる…!というか何とか一発合格して遊べる状況を作ってやる…!

こんばんは、小島@監督です。
ま、そうは言っても1日だけは映画観に出掛けたりしたんですけどね!何ぼ試験直前と言っても4日も家に閉じこもってられなかった、というのもありますがどうしても観ておきたかった映画があったもので。

さて、今回の映画はそのどうしても観たかった一本、「野火」です。

大戦末期、フィリピン・レイテ島戦線に送られた田村(塚本晋也)は、肺を病んでしまった事から野戦病院に送られた。しかし野戦病院は負傷した兵で一杯で食料も足りないため病人の入る余地は無かった。
病院の外には田村と同じように行き場を失くした傷病兵たちがたむろしていた。その中で田村に声をかけてきたのは足を負傷した安田(リリー・フランキー)とその子分とも言える永松(森優作)だった。僅かな芋を巡って殺伐とする空気に辟易しながらも、人と群れる事で安心して眠りについた田村だったが、その夜病院が空爆される。辛うじて生き延びた田村達だったが、散り散りとなってジャングルをさまようことになる。

戦後70年という今年、太平洋戦争を回顧するプログラムが非常に多く作られています。映画にしても現在「日本のいちばん長い日」「ソ満国境15歳の夏」が公開中ですし、今後も「氷川丸ものがたり」などが公開を控えています。
そんな中にあってもひときわ異彩を放っていると言えるのがこの「野火」です。

原作は「俘虜記」「将門記」などで知られる大岡昇平が1952年に発表した小説です。
作者のフィリピンでの戦争体験をベースに書かれた「野火」は、部隊からも野戦病院からも追い出され、ジャングルをさまよい、極限とも言える孤独と飢えの中で自身の内に湧き起こる人肉食への欲求と狂気に苛まれる男の姿を描きます。
1959年には監督市川崑、船越英二、ミッキー・カーチスらの出演で映画化もされていますが、今回の映画がそのリメイクかというとそういうワケではないようです。

この映画のどの辺りが異彩を放っているかと言えば公開に至るまでの経緯から異色です。この作品で監督・脚本・主演・撮影・編集を一手に引き受ける塚本晋也は、10年以上前からこの映画の企画を各所に売り込むも全く買い手がつかず最終的に全て本人の実費と熱意に賛同したボランティアたちの手でようやく完成に漕ぎ着けたそうです。全く身も蓋も無い表現で言えばインディーズ映画なのです、この作品。それ故この映画にはどうしてもチープに感じられるショットがいくつか散見されますが、それは決してこの映画の欠点ではありません。

経緯が経緯だけあり、この映画、その熱量が尋常じゃありません。
カメラはほとんど主人公の田村から目を離さず、ジャングルをさまよって理性を擦り減らし飢餓のあまり人間の肉にすら手を付けようとするほどに追い込まれていく様をまざまざと見せつけられることになります。
それを徹底的に生々しく描き出していく映画ですが、その熱量故に目を逸らす事が出来ません。

作品のタイトルである「野火」とは春の初めに枯草を焼く焚火の事をいうのですが、作中密林から何度か火が上がる描写があり、それは現地に暮らす人たちの生活の火であると同時に恐怖に駆られた田村達日本兵の目にとって敵の攻撃や狼煙と映る恐怖の対象として存在し、更にその正気を削り取って行く事になるのです。

もう一つ印象的なのは、そうやって田村達がそうやって磨滅していく中でも木々はどこまでも緑鮮やかに茂り、花は美しく咲き、空はどこまでも高く青い、この対比が状況の不条理さをより一層際立たせます。

戦後70年という時間を経て、当時の記憶を抱く人も少なくなってきた今、身体感覚を喚起させそうなほどに生々しく描き切るこの作品は恐らく現代の日本人が「戦争を描く」ということの一つの極点に立っているように思えます。これから先何度も企画上映などで上映されるに違いないであろう作品ですが、できることなら今多くの方に観て欲しい作品だと本気で思います。いろいろなことを考えてみる一つのきっかけにこういう映画はいかがでしょうか。

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