昨年の秋からこっち、10か月くらいかけて昨日アニメ「銀河英雄伝説」全110話を完走しました。いつかちゃんと観たいと思いながらなかなか実現できずにいましたがようやく達成できました。ありがとうAmazonプライム(笑)完走してようやくこの物語が放つ普遍的な魅力に気づけたという一方、やっぱり10代から大学生くらいの内に履修しておけば良かったとも思ったり。
こんばんは、小島@監督です。
まだ余韻に浸り気味とは言え「外伝」全52話も残ってますし原作も未読なのでいろいろ道半ば。もうしばらく堪能できそうです。
さて、今回の映画は「トゥルーノース」です。
非営利団体「TED」のスタッフに促され、一人のアジア人男性が緊張の面持ちでステージに立ち、講演会が始まる。
男は語り始めた。「政治の話はしませんよ、代わりに物語をお伝えします。私の、家族の物語です…」
1995年、北朝鮮。パク一家はある日突然父が失踪し当局による家宅捜索を受けたのち、母ユリ、長男ヨハン、妹ミヒの3人はトラックで政治犯強制収容所へと連行された。冷徹なハン所長が支配する収容所で過酷な労働を強いられるヨハンたち。ある日ヨハンは、看守にレイプされ妊娠させられた母を理不尽に処刑され孤児となった少年・インスと出会う。
突然平穏な生活が終わりを告げ、理由もわからぬまま強制収容所へ送られ自由を奪われ、明日をも知れぬ状況へと追いやられる。しかもそれはホラーやサスペンスの導入部というわけではなく海を隔てたすぐ近くの国で今も実際に起こっている。一説には北朝鮮でそうやって政治犯として収容されている人は12万人にも上るそうです。そんなテーマを主軸に描かれたドキュメンタリータッチのアニメーションです。世界を見渡せば、ポル・ポト時代のカンボジアの強制収容所を舞台にした「FUNAN/フナン」や、タリバン政権下のアフガニスタンで抑圧された家族の姿を描く「ブレッドウィナー」など、近現代の破壊や抑圧の歴史を戯画化しアニメ化する試みが近年相次いでいます。こういうことは時として実写よりアニメの方がより多くの人に伝わりやすくなることがあります。
映画が始まると、恐らく多くの方がそのビジュアルにちょっと驚くのではないでしょうか。実写と見紛う程のリアルな映像もCGアニメで作れるご時世に、妙にパキパキしたというか2000年代初頭くらいのPS2ソフトみたいなローポリゴン調のビジュアルをしているのです。始めは「予算や製作体制の問題なのか?」と思いましたがすぐにそうではないことに気づきます。リアルに近づけてしまえば、あるいは実写でやってしまうと正視に耐え難い状況が次々と描かれるから、敢えて強めのデフォルメをかけたことが分かります。
物語の中心となるのはパク一家の長男・ヨハン。過酷な状況下でも機転で切り抜けようとするヨハンは看守の手足として囚人を監視する立場を得、同時に食料などに便宜を図ってもらえる地位に着きます。が、そのことによる代償も受けることになります。人間の持つ最も善き面と最も悪しき面の狭間でヨハンの人格は形成されていくことになります。それは収容された政治犯たちだけではなくそれを監視する看守ら体制側にも逃れ得ぬ命題であり、作中にはこの狭間で均衡を失っていく青年看守も登場します。
興味深いことにパク一家は帰還事業(1950~80年代に行われた在日朝鮮人とその家族を北朝鮮へと移住させた事業)によって北朝鮮へ移り住んだ一家であることが示されます。また、作中には日本から誘拐されてきて用済みとなった拉致被害者も登場します。哀しいかな、日本から縁遠い話ではないことを突き付けられてしまうのです。
北朝鮮という国家自体はその存在を否定している政治犯強制収容所、監督である清水ハン栄治氏は、脱北者たちのインタビューやリサーチを重ね作り上げたこの映画を「告発のための作品」としてではなく「抑止のための作品」として製作したそうです。かつて敗戦間近のナチスドイツで収容所で大虐殺が起きたように、もしも北朝鮮という国から独裁体制が消えた時、あるいは北朝鮮が世界に開かれた時に「無かったこと」にさせないため。だからこそ「政治の話はしませんよ、代わりに物語をお伝えします」という冒頭のセリフが活きてきます。ここまでの想いで作られた映画というのもなかなか無いのではないかと思います。しかも「物語をお伝えします」の言葉通りに、これほどヘビーな題材を扱う作品でありながらエンターテインメントとしても極めて優れた出来栄えをしており、はっきり言って凄まじいエネルギーを感じる映画になっています。
これぞまさに「今観るべき映画」でしょう。一人でも多くの方に観て欲しいと願うと同時にせめてこの作品が今も収容されている12万人という人たちの希望の光となって欲しいと祈って止みません。
こんばんは、小島@監督です。
まだ余韻に浸り気味とは言え「外伝」全52話も残ってますし原作も未読なのでいろいろ道半ば。もうしばらく堪能できそうです。
さて、今回の映画は「トゥルーノース」です。
非営利団体「TED」のスタッフに促され、一人のアジア人男性が緊張の面持ちでステージに立ち、講演会が始まる。
男は語り始めた。「政治の話はしませんよ、代わりに物語をお伝えします。私の、家族の物語です…」
1995年、北朝鮮。パク一家はある日突然父が失踪し当局による家宅捜索を受けたのち、母ユリ、長男ヨハン、妹ミヒの3人はトラックで政治犯強制収容所へと連行された。冷徹なハン所長が支配する収容所で過酷な労働を強いられるヨハンたち。ある日ヨハンは、看守にレイプされ妊娠させられた母を理不尽に処刑され孤児となった少年・インスと出会う。
突然平穏な生活が終わりを告げ、理由もわからぬまま強制収容所へ送られ自由を奪われ、明日をも知れぬ状況へと追いやられる。しかもそれはホラーやサスペンスの導入部というわけではなく海を隔てたすぐ近くの国で今も実際に起こっている。一説には北朝鮮でそうやって政治犯として収容されている人は12万人にも上るそうです。そんなテーマを主軸に描かれたドキュメンタリータッチのアニメーションです。世界を見渡せば、ポル・ポト時代のカンボジアの強制収容所を舞台にした「FUNAN/フナン」や、タリバン政権下のアフガニスタンで抑圧された家族の姿を描く「ブレッドウィナー」など、近現代の破壊や抑圧の歴史を戯画化しアニメ化する試みが近年相次いでいます。こういうことは時として実写よりアニメの方がより多くの人に伝わりやすくなることがあります。
映画が始まると、恐らく多くの方がそのビジュアルにちょっと驚くのではないでしょうか。実写と見紛う程のリアルな映像もCGアニメで作れるご時世に、妙にパキパキしたというか2000年代初頭くらいのPS2ソフトみたいなローポリゴン調のビジュアルをしているのです。始めは「予算や製作体制の問題なのか?」と思いましたがすぐにそうではないことに気づきます。リアルに近づけてしまえば、あるいは実写でやってしまうと正視に耐え難い状況が次々と描かれるから、敢えて強めのデフォルメをかけたことが分かります。
物語の中心となるのはパク一家の長男・ヨハン。過酷な状況下でも機転で切り抜けようとするヨハンは看守の手足として囚人を監視する立場を得、同時に食料などに便宜を図ってもらえる地位に着きます。が、そのことによる代償も受けることになります。人間の持つ最も善き面と最も悪しき面の狭間でヨハンの人格は形成されていくことになります。それは収容された政治犯たちだけではなくそれを監視する看守ら体制側にも逃れ得ぬ命題であり、作中にはこの狭間で均衡を失っていく青年看守も登場します。
興味深いことにパク一家は帰還事業(1950~80年代に行われた在日朝鮮人とその家族を北朝鮮へと移住させた事業)によって北朝鮮へ移り住んだ一家であることが示されます。また、作中には日本から誘拐されてきて用済みとなった拉致被害者も登場します。哀しいかな、日本から縁遠い話ではないことを突き付けられてしまうのです。
北朝鮮という国家自体はその存在を否定している政治犯強制収容所、監督である清水ハン栄治氏は、脱北者たちのインタビューやリサーチを重ね作り上げたこの映画を「告発のための作品」としてではなく「抑止のための作品」として製作したそうです。かつて敗戦間近のナチスドイツで収容所で大虐殺が起きたように、もしも北朝鮮という国から独裁体制が消えた時、あるいは北朝鮮が世界に開かれた時に「無かったこと」にさせないため。だからこそ「政治の話はしませんよ、代わりに物語をお伝えします」という冒頭のセリフが活きてきます。ここまでの想いで作られた映画というのもなかなか無いのではないかと思います。しかも「物語をお伝えします」の言葉通りに、これほどヘビーな題材を扱う作品でありながらエンターテインメントとしても極めて優れた出来栄えをしており、はっきり言って凄まじいエネルギーを感じる映画になっています。
これぞまさに「今観るべき映画」でしょう。一人でも多くの方に観て欲しいと願うと同時にせめてこの作品が今も収容されている12万人という人たちの希望の光となって欲しいと祈って止みません。
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先週、関東が梅雨入りというニュースを聞いた時は、
一体どこの世界線の話なのかと耳を疑ってしまいました。
本当に東海地方よりひと月遅れの梅雨入りだそうですが、
そこまで緯度が違う気もしないのにそんな事あるのですね。
かといってどうやら色々な情報を聞いたりしていると、
東海地方でひと月早く始まった梅雨入りだったりしますが、
関東よりも早く梅雨明けかといえばそうでもないようで。
なんだかんだと梅雨明けは関東とほぼ同じくらいの時期と、
なんかそのヘンに不公平感を感じてしまった、私でした。
梅雨明けも待ち遠しいですが、まずはコロナ明けですね。
さて、いつも引き籠り推奨ことばかり書いちゃってますが、
ここらで一旦、ちょっと出かけてみましたな内容を綴ります。
本日は、名古屋市博物館で6月から開催されている、
『ゲーセンミュージアム』なるものに行ってまいりました。
ゲーセンミュージアムHP
ゲームセンター、喫茶店、ボウリング場、デパートの屋上と、
その時々や場所に設置されてきたゲームなどが展示され、
実際にそれを触れるというなんともオタクな展示となります。
カラオケサークルなんぞの主催をやっている私ですが、
サークルを始める前まではゲームセンターが主戦場でした。
そんな私ですから、もちろん行ってみたくなりますよね。
そして博物館に行ってみると、やはり私には懐かしい展示。
やっぱり私の一番ゲーセンに人生を捧げていたと言える、
『バーチャファイター2』が当時の筐体で展示は嬉しいです。
とそんな数々の展示物でプレイできるのはいいのですが、
ちょっと驚いたのは、その客層だったりしたのです。
私みたいなゲーセンと共に育ったようなオジサンよりも、
小さなお子様のほうが圧倒的に多いといった感じでした。
そして今時のゲームに慣れた子供が楽しそうにしています。
ゲーセンを懐かしむお父さんが連れてきているのかと言えば、
そういう感じでもなく、単純に子供を遊ばせに来た感じ。
今回の展示の趣旨は当時を懐かしむ企画の気がしますが、
それよりも今時のお子様が見たことのない古いレトロ感が、
むしろ新鮮に、魅力的に見えて面白いのかもしれません。
結局、ほとんどゲームに触ることなく帰ったのですが、
昔のゲーム機が動いているのを見るのは楽しかったです。
レトロなゲームがプレイできるゲーセンでも行ってみようかな。
一体どこの世界線の話なのかと耳を疑ってしまいました。
本当に東海地方よりひと月遅れの梅雨入りだそうですが、
そこまで緯度が違う気もしないのにそんな事あるのですね。
かといってどうやら色々な情報を聞いたりしていると、
東海地方でひと月早く始まった梅雨入りだったりしますが、
関東よりも早く梅雨明けかといえばそうでもないようで。
なんだかんだと梅雨明けは関東とほぼ同じくらいの時期と、
なんかそのヘンに不公平感を感じてしまった、私でした。
梅雨明けも待ち遠しいですが、まずはコロナ明けですね。
さて、いつも引き籠り推奨ことばかり書いちゃってますが、
ここらで一旦、ちょっと出かけてみましたな内容を綴ります。
本日は、名古屋市博物館で6月から開催されている、
『ゲーセンミュージアム』なるものに行ってまいりました。
ゲーセンミュージアムHP
ゲームセンター、喫茶店、ボウリング場、デパートの屋上と、
その時々や場所に設置されてきたゲームなどが展示され、
実際にそれを触れるというなんともオタクな展示となります。
カラオケサークルなんぞの主催をやっている私ですが、
サークルを始める前まではゲームセンターが主戦場でした。
そんな私ですから、もちろん行ってみたくなりますよね。
そして博物館に行ってみると、やはり私には懐かしい展示。
やっぱり私の一番ゲーセンに人生を捧げていたと言える、
『バーチャファイター2』が当時の筐体で展示は嬉しいです。
とそんな数々の展示物でプレイできるのはいいのですが、
ちょっと驚いたのは、その客層だったりしたのです。
私みたいなゲーセンと共に育ったようなオジサンよりも、
小さなお子様のほうが圧倒的に多いといった感じでした。
そして今時のゲームに慣れた子供が楽しそうにしています。
ゲーセンを懐かしむお父さんが連れてきているのかと言えば、
そういう感じでもなく、単純に子供を遊ばせに来た感じ。
今回の展示の趣旨は当時を懐かしむ企画の気がしますが、
それよりも今時のお子様が見たことのない古いレトロ感が、
むしろ新鮮に、魅力的に見えて面白いのかもしれません。
結局、ほとんどゲームに触ることなく帰ったのですが、
昔のゲーム機が動いているのを見るのは楽しかったです。
レトロなゲームがプレイできるゲーセンでも行ってみようかな。
先週皮切りとなった『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』を観てきました!
…ってレビューは月曜日にやってしまっているので、特に書きませんが、『閃光のハサウェイ』を含めた展開中の作品群「UC NexT 0100」について。
月曜日のブログに書かれてたように『閃光のハサウェイ』は『逆襲のシャア』からのお話となりますが、「UC NexT 0100」はその『逆襲のシャア』以降100年についての作品展開となります。
ちなみに
UC=ユニバーサルセンチュリー=宇宙世紀
は『機動戦士ガンダム』シリーズの年号でして、『Gガンダム』とか『SEED』とかは含みません。この辺は説明してくとキリがないので割愛。
『逆襲のシャア』はUC0093。『閃光のハサウェイ』はUC0105。つまり12年後のお話です。
でもその間にも映像作品はあります。
露出が多いし、お台場に1/1立像もあるから知っている人は多いと思いますが、
『UC(ユニコーン)』です。これは『逆襲のシャア』から3年後。UC0096のお話です。
パッと見、繋がりがないように見えますが、わかりやすいところで、連邦側のMSに「グフタフカール」が先行配備として登場。
「クシャトリア」の改修版「リペアード」には、通常のファンネルに弾頭を取り付けた初のファンネルミサイルが搭載されています。
他にも特殊部隊エコーズの別名は「マンハンター」と呼ばれていました。
『閃光のハサウェイ』の劇中にも同名が出てきましたが、繋がりはあるのでしょうか?
『逆襲のシャア』からは映画版ではなく、小説版からのお話ではありますが、『UC』は映画版からっぽいので、この辺の辻褄は?とか考えてしまいます。
さらには『UC2』という作品の企画も進んでいます。こちらはまんま『UC』の続編。海外ドラマみたいな展開になるようですが、今から楽しみです。
UCは『閃光のハサウェイ』からも『F91』『クロスボーン』『V』と続いていきます。
それはまた区切りのついた別の展開となりますが、全体を知り、間のピースを埋めていくのは、楽しい考察ですよね。
まずは現在公開中の『閃光のハサウェイ』全部で3部作となるので、そちらを楽しみにしたいと思います。
あー、ガンダム談義やりたいなぁ…
…ってレビューは月曜日にやってしまっているので、特に書きませんが、『閃光のハサウェイ』を含めた展開中の作品群「UC NexT 0100」について。
月曜日のブログに書かれてたように『閃光のハサウェイ』は『逆襲のシャア』からのお話となりますが、「UC NexT 0100」はその『逆襲のシャア』以降100年についての作品展開となります。
ちなみに
UC=ユニバーサルセンチュリー=宇宙世紀
は『機動戦士ガンダム』シリーズの年号でして、『Gガンダム』とか『SEED』とかは含みません。この辺は説明してくとキリがないので割愛。
『逆襲のシャア』はUC0093。『閃光のハサウェイ』はUC0105。つまり12年後のお話です。
でもその間にも映像作品はあります。
露出が多いし、お台場に1/1立像もあるから知っている人は多いと思いますが、
『UC(ユニコーン)』です。これは『逆襲のシャア』から3年後。UC0096のお話です。
パッと見、繋がりがないように見えますが、わかりやすいところで、連邦側のMSに「グフタフカール」が先行配備として登場。
「クシャトリア」の改修版「リペアード」には、通常のファンネルに弾頭を取り付けた初のファンネルミサイルが搭載されています。
他にも特殊部隊エコーズの別名は「マンハンター」と呼ばれていました。
『閃光のハサウェイ』の劇中にも同名が出てきましたが、繋がりはあるのでしょうか?
『逆襲のシャア』からは映画版ではなく、小説版からのお話ではありますが、『UC』は映画版からっぽいので、この辺の辻褄は?とか考えてしまいます。
さらには『UC2』という作品の企画も進んでいます。こちらはまんま『UC』の続編。海外ドラマみたいな展開になるようですが、今から楽しみです。
UCは『閃光のハサウェイ』からも『F91』『クロスボーン』『V』と続いていきます。
それはまた区切りのついた別の展開となりますが、全体を知り、間のピースを埋めていくのは、楽しい考察ですよね。
まずは現在公開中の『閃光のハサウェイ』全部で3部作となるので、そちらを楽しみにしたいと思います。
あー、ガンダム談義やりたいなぁ…
職場では何度か使ったことがあるのですが、プライベートではほぼ使ったことが無いに等しいZoomで先日初オンライントーク参加してました。Discordなら時折使ってるのですが、ツールが変わると勝手も変わるのでそもそも始めるまでに戸惑ってしまったり。でも使えるものが増えるのは楽しいですね。
こんばんは、小島@監督です。
だいぶ長いこと会えてない人たちだけど、いずれオンラインじゃなく酒を酌み交わしたいものですね。
さて、今回の映画は「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」です。
宇宙世紀0105年、シャア・アズナブルがアクシズ落としを敢行した第二次ネオ・ジオン戦争が終結してより12年後、地球連邦政府の腐敗は更に進み、増え過ぎた人口を強制的に宇宙へ連行する「人狩り」まで行われるようになっていた。その連邦政府に対し、政府高官を暗殺する手段で抵抗を開始する組織が誕生した。それが「マフティー」である。
地球圏の重要な政策が話し合われる「アデレード会議」、その参加者たちを乗せた往還シャトル「ハウンゼン365便」、ハサウェイ・ノア(声・小野賢章)はそこに乗っていた。同じ便にはダバオ空軍基地司令に赴任するため地球に向かう連邦軍将校ケネス・スレッグ大佐(声・諏訪部順一)と予知に近い洞察力を持つ謎めいた美少女ギギ・アンダルシア(声・上田麗奈)も同乗していた。そこに、「マフティー」を名乗るハイジャック犯たちが急襲、シャトルを占拠したのだった…
「逆襲のシャア」から12年後の世界を舞台にした「機動戦士ガンダム」を手掛けた富野由悠季監督自身の手による小説「閃光のハサウェイ」を原作とし三部作の予定で映像化するプロジェクト、今作はその1作目に当たる映画です。「Gジェネレーションズ」などゲームでは何度か登場していますが長くアニメ化が熱望されてきました。当初は昨年公開予定でしたがコロナ禍により延期を余儀なくされ、その後も度々再延期となったため無期延期となりはすまいかとちょっと心配しましたが無事公開されて少しホッとしています。
もう少し作品の沿革を語ると、原作小説「閃光のハサウェイ」は厳密には映画「逆襲のシャア」の続編ではありません。「逆襲のシャア」のシナリオ第1稿をベースにした小説「ベルトーチカ・チルドレン」の続編になります。更に言えば富野由悠季監督、映画の方の「逆襲のシャア」に沿ったストーリーラインに前日譚などのエピソードを大幅に追加した「ハイ・ストリーマー」という小説も書いています。このややこしい辺りをちゃんと意識しているというか、今回の映画では「小説の映像化」という体を取りながらもアニメの続編としても観られるように上手くセリフが工夫されています。
また、富野由悠季監督作品というのは独特のリズム感のダイアローグをしているのですが、今作のシナリオはこの癖みたいなものを原作のテイストを残しつつも上手く匂いを消しているような印象を受け、新しい観客も取り入れたい作り手の意識みたいなものが感じ取れます。
映画の方は期待値の高さを裏切らない、実にハイカロリーな映像を楽しめる1本です。キャラクターはどこまでも端正に、モビルスーツのバトルシーンはダイナミックに。イメージビジュアルや撮影ボードをフル活用し細部に至るまで綿密に設計された画面が全編に渡って展開します。「ウィッチハンターロビン」や「虐殺器官」など洋画的な雰囲気を持ったスタイリッシュな作風で知られる村瀬修功監督の手腕が遺憾なく発揮された映像と言えるでしょう。
テロリズムとの戦い(というか主役がテロリスト側)を主軸にしているからかモビルスーツの戦闘シーンが夜間戦闘が主体となっているのですが、高精細な背景美術に支えられたハイスピードなバトルシークエンスは「初見ではちょっと目で追いきれなかった」という自分のダメさ加減はさておき(苦笑)、この夜間戦闘の画のキレは今後のガンダムシリーズ、引いてはロボットアニメの一つの指針となるのではないでしょうか。そう思わせられてしまうくらいのパワフルなシーンが展開します。30年以上前に書かれた小説ながら国家間の戦闘の次にはテロリズムとの戦いに移行していく様を看破しているあたり、むしろ現在でこそ物語に入りやすい骨格をしているのではないでしょうか。
もう一つ、これは個人的にツボだった箇所なのですが、ヒロイン・ギギ・アンダルシア役上田麗奈の演技が絶品です。近年は多彩な役をこなしその演技力に定評のある彼女ですが、今作の天然でハサウェイやケネスを振り回すギギ役はそんな彼女の代表作になりそうな雰囲気です。もちろん上田麗奈だけではなくハサウェイ役小野賢章、ケネス役諏訪部順一のほか津田健次郎、種崎敦美、早見沙織、山寺宏一など鉄板のキャスト陣をしており、また「逆襲のシャア」でハサウェイを演じた佐々木望も刑事警察機構調査部長ゲイス・H・ヒューゲスト役で出演しています。声優の顔の見えない演技ができる人たちが勢揃いしているのも手伝って、音の面でも没入度の高い作品となっています。
三部作の序章ということで、物語は本格的にエンジンがかかるところで終わってしまいますし第2作についてもまだ何の告知も無いのが現状ですが、それでも新たな誕生を告げるこの作品を、スクリーン全体を使い切る躍動感と共に是非堪能していただきたいですね。
こんばんは、小島@監督です。
だいぶ長いこと会えてない人たちだけど、いずれオンラインじゃなく酒を酌み交わしたいものですね。
さて、今回の映画は「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」です。
宇宙世紀0105年、シャア・アズナブルがアクシズ落としを敢行した第二次ネオ・ジオン戦争が終結してより12年後、地球連邦政府の腐敗は更に進み、増え過ぎた人口を強制的に宇宙へ連行する「人狩り」まで行われるようになっていた。その連邦政府に対し、政府高官を暗殺する手段で抵抗を開始する組織が誕生した。それが「マフティー」である。
地球圏の重要な政策が話し合われる「アデレード会議」、その参加者たちを乗せた往還シャトル「ハウンゼン365便」、ハサウェイ・ノア(声・小野賢章)はそこに乗っていた。同じ便にはダバオ空軍基地司令に赴任するため地球に向かう連邦軍将校ケネス・スレッグ大佐(声・諏訪部順一)と予知に近い洞察力を持つ謎めいた美少女ギギ・アンダルシア(声・上田麗奈)も同乗していた。そこに、「マフティー」を名乗るハイジャック犯たちが急襲、シャトルを占拠したのだった…
「逆襲のシャア」から12年後の世界を舞台にした「機動戦士ガンダム」を手掛けた富野由悠季監督自身の手による小説「閃光のハサウェイ」を原作とし三部作の予定で映像化するプロジェクト、今作はその1作目に当たる映画です。「Gジェネレーションズ」などゲームでは何度か登場していますが長くアニメ化が熱望されてきました。当初は昨年公開予定でしたがコロナ禍により延期を余儀なくされ、その後も度々再延期となったため無期延期となりはすまいかとちょっと心配しましたが無事公開されて少しホッとしています。
もう少し作品の沿革を語ると、原作小説「閃光のハサウェイ」は厳密には映画「逆襲のシャア」の続編ではありません。「逆襲のシャア」のシナリオ第1稿をベースにした小説「ベルトーチカ・チルドレン」の続編になります。更に言えば富野由悠季監督、映画の方の「逆襲のシャア」に沿ったストーリーラインに前日譚などのエピソードを大幅に追加した「ハイ・ストリーマー」という小説も書いています。このややこしい辺りをちゃんと意識しているというか、今回の映画では「小説の映像化」という体を取りながらもアニメの続編としても観られるように上手くセリフが工夫されています。
また、富野由悠季監督作品というのは独特のリズム感のダイアローグをしているのですが、今作のシナリオはこの癖みたいなものを原作のテイストを残しつつも上手く匂いを消しているような印象を受け、新しい観客も取り入れたい作り手の意識みたいなものが感じ取れます。
映画の方は期待値の高さを裏切らない、実にハイカロリーな映像を楽しめる1本です。キャラクターはどこまでも端正に、モビルスーツのバトルシーンはダイナミックに。イメージビジュアルや撮影ボードをフル活用し細部に至るまで綿密に設計された画面が全編に渡って展開します。「ウィッチハンターロビン」や「虐殺器官」など洋画的な雰囲気を持ったスタイリッシュな作風で知られる村瀬修功監督の手腕が遺憾なく発揮された映像と言えるでしょう。
テロリズムとの戦い(というか主役がテロリスト側)を主軸にしているからかモビルスーツの戦闘シーンが夜間戦闘が主体となっているのですが、高精細な背景美術に支えられたハイスピードなバトルシークエンスは「初見ではちょっと目で追いきれなかった」という自分のダメさ加減はさておき(苦笑)、この夜間戦闘の画のキレは今後のガンダムシリーズ、引いてはロボットアニメの一つの指針となるのではないでしょうか。そう思わせられてしまうくらいのパワフルなシーンが展開します。30年以上前に書かれた小説ながら国家間の戦闘の次にはテロリズムとの戦いに移行していく様を看破しているあたり、むしろ現在でこそ物語に入りやすい骨格をしているのではないでしょうか。
もう一つ、これは個人的にツボだった箇所なのですが、ヒロイン・ギギ・アンダルシア役上田麗奈の演技が絶品です。近年は多彩な役をこなしその演技力に定評のある彼女ですが、今作の天然でハサウェイやケネスを振り回すギギ役はそんな彼女の代表作になりそうな雰囲気です。もちろん上田麗奈だけではなくハサウェイ役小野賢章、ケネス役諏訪部順一のほか津田健次郎、種崎敦美、早見沙織、山寺宏一など鉄板のキャスト陣をしており、また「逆襲のシャア」でハサウェイを演じた佐々木望も刑事警察機構調査部長ゲイス・H・ヒューゲスト役で出演しています。声優の顔の見えない演技ができる人たちが勢揃いしているのも手伝って、音の面でも没入度の高い作品となっています。
三部作の序章ということで、物語は本格的にエンジンがかかるところで終わってしまいますし第2作についてもまだ何の告知も無いのが現状ですが、それでも新たな誕生を告げるこの作品を、スクリーン全体を使い切る躍動感と共に是非堪能していただきたいですね。
歌会はいつになったらできるのかなぁと思いつつ過ごし、
もう6月も半ばとなりすっかり暑くなってきましたね。
最近は新型コロナウイルス感染者数は減少傾向ですが、
それでもなかなか「歌会やれます!」には程遠い感じで、
最後に開催した昨年10月から丸1年が経ってしまいそうです。
カラオケは定期的にクラスター発生の場となっているので、
やっぱりなんとなく現状は目の敵にされている感じです。
JOYSOUND金山も緊急事態宣言で長期のお休みに入り、
このコロナ騒動が続くと閉店してしまわないかと、
最近はそちらも不安になってきているのですよね。
現状の減少傾向が続き、またワクチンで不安が無くなり、
少しでも早く歌会がやれる日が来る事を期待しています。
さて、昔私が購入した古い液晶テレビがそろそろ限界です。
わざわざ液晶テレビとしたのは、ブラウン菅現役の頃で、
まだ液晶テレビが1インチ1万円と言われた古い物だから。
そのテレビは32インチなので30万円以上もしました。
今時、32インチのテレビはそこそこのメーカー便でも、
3万円くらいで買えてしまったりするので感心します。
購入したころはまだ地上デジタル放送がまだ計画の時期で、
限界のテレビはすでに先取りして地デジチューナー内蔵、
地デジ放送が始まるのを待つのみで期待がありました。
地デジ放送が映った時はその綺麗さに感動しましたね。
そんな古いテレビですが液晶の宿命というのでしょうか、
モニターのド真ん中にシミのようなものができたのです。
凄く綺麗に線対象で、ドズル死際に出てきた死神の様。
(画像もアップしたかったけど上手に写らない)
明るい映像になっているとシミは見えにくくなるので、
番組を見る分にはあまり気にしてはいませんでしたが、
それも日に日に大きくなってきたのでここらが潮時です。
そろそろ買い換えるかと思いつつすでに数ヶ月経ち、
また買いたいテレビも決めているのですが決断できず。
初めての液晶テレビで、相当高額な買い物だったし、
なんか自分の中でヘンな愛着があるのかもしれません。
地デジが映っても左右が少し切れるし、HDMIも無いし、
液晶といっても今となってはメチャクチャ重いこのテレビ。
こういのって買い替えちゃえばすぐ忘れるんだけどね。
もう6月も半ばとなりすっかり暑くなってきましたね。
最近は新型コロナウイルス感染者数は減少傾向ですが、
それでもなかなか「歌会やれます!」には程遠い感じで、
最後に開催した昨年10月から丸1年が経ってしまいそうです。
カラオケは定期的にクラスター発生の場となっているので、
やっぱりなんとなく現状は目の敵にされている感じです。
JOYSOUND金山も緊急事態宣言で長期のお休みに入り、
このコロナ騒動が続くと閉店してしまわないかと、
最近はそちらも不安になってきているのですよね。
現状の減少傾向が続き、またワクチンで不安が無くなり、
少しでも早く歌会がやれる日が来る事を期待しています。
さて、昔私が購入した古い液晶テレビがそろそろ限界です。
わざわざ液晶テレビとしたのは、ブラウン菅現役の頃で、
まだ液晶テレビが1インチ1万円と言われた古い物だから。
そのテレビは32インチなので30万円以上もしました。
今時、32インチのテレビはそこそこのメーカー便でも、
3万円くらいで買えてしまったりするので感心します。
購入したころはまだ地上デジタル放送がまだ計画の時期で、
限界のテレビはすでに先取りして地デジチューナー内蔵、
地デジ放送が始まるのを待つのみで期待がありました。
地デジ放送が映った時はその綺麗さに感動しましたね。
そんな古いテレビですが液晶の宿命というのでしょうか、
モニターのド真ん中にシミのようなものができたのです。
凄く綺麗に線対象で、ドズル死際に出てきた死神の様。
(画像もアップしたかったけど上手に写らない)
明るい映像になっているとシミは見えにくくなるので、
番組を見る分にはあまり気にしてはいませんでしたが、
それも日に日に大きくなってきたのでここらが潮時です。
そろそろ買い換えるかと思いつつすでに数ヶ月経ち、
また買いたいテレビも決めているのですが決断できず。
初めての液晶テレビで、相当高額な買い物だったし、
なんか自分の中でヘンな愛着があるのかもしれません。
地デジが映っても左右が少し切れるし、HDMIも無いし、
液晶といっても今となってはメチャクチャ重いこのテレビ。
こういのって買い替えちゃえばすぐ忘れるんだけどね。
Q:最近見て面白かったアニメはなんですか?
A:賭ケグルイ
映画2作目の公開に合わせて、マンガアップで本編、「双」「(仮)」が配信されたのを読んだのがキッカケです。
アニメの1期は見てましたが、Netflixで2期も含めて配信されていたので、一気見しましたわ。
ドラマや映画も配信されていますが、個人的には、主役の蛇喰夢子のキャラ性や演出もそうなんですが、CVの早見沙織さんの演技が凄すぎるので、アニメ版をオススメします。
まぁ濃いキャラが多くて、顔芸(笑)を含めて、全話見てて飽きないです。
志向をこらした多彩なギャンブルやその駆け引きも面白いですよ。
「ギャンブルなんて」って毛嫌いする人もいるかとは思いますが、スケールが大きすぎて、かえって現実味がなかったりする。
まぁ騙されたと思って見てくださいなー
マンガは期間限定配信だったので、「本編」「双」は終了となりましたが、「(仮)」は現在もマンガアップで配信されてます。
こちらはゆる~いギャグマンガです。殺伐とした本編と違い、めっちゃ平和です。
マンガ3種類とも面白いので、こちらもオススメですよ。
ドラマは、演出としては現実的になったものの、これはこれでリアリティがあり、見応えはあると思います。
こっちは、まだ完走してないので、なんとも。
明日は運よく休みなので、明日から封切りのガンダム新作映画『閃光のハサウェイ』を観に行くつもりです。
果たして、どうなってるか楽しみです。
A:賭ケグルイ
映画2作目の公開に合わせて、マンガアップで本編、「双」「(仮)」が配信されたのを読んだのがキッカケです。
アニメの1期は見てましたが、Netflixで2期も含めて配信されていたので、一気見しましたわ。
ドラマや映画も配信されていますが、個人的には、主役の蛇喰夢子のキャラ性や演出もそうなんですが、CVの早見沙織さんの演技が凄すぎるので、アニメ版をオススメします。
まぁ濃いキャラが多くて、顔芸(笑)を含めて、全話見てて飽きないです。
志向をこらした多彩なギャンブルやその駆け引きも面白いですよ。
「ギャンブルなんて」って毛嫌いする人もいるかとは思いますが、スケールが大きすぎて、かえって現実味がなかったりする。
まぁ騙されたと思って見てくださいなー
マンガは期間限定配信だったので、「本編」「双」は終了となりましたが、「(仮)」は現在もマンガアップで配信されてます。
こちらはゆる~いギャグマンガです。殺伐とした本編と違い、めっちゃ平和です。
マンガ3種類とも面白いので、こちらもオススメですよ。
ドラマは、演出としては現実的になったものの、これはこれでリアリティがあり、見応えはあると思います。
こっちは、まだ完走してないので、なんとも。
明日は運よく休みなので、明日から封切りのガンダム新作映画『閃光のハサウェイ』を観に行くつもりです。
果たして、どうなってるか楽しみです。
春アニメもそろそろ佳境を迎えつつあるところですが、今期個人的にとても新鮮な気持ちで楽しんでる作品があります。主舞台が岐阜県多治見市である「やくならマグカップも」です。多治見市は単純に自分の通勤途上であり、また亡父が闘病生活を送っていた頃、多治見市の病院に入院しており一時期毎日のように見舞いなどで通っていたため結構馴染みがある場所です。良く知ってる場所がアニメの「聖地」として全国放送されている、という状況がこれほど楽しいものだとは思ってもいず、何だか毎回ウキウキしながら観ています。
こんばんは、小島@監督です。
その内ブラブラ散歩しに行こう、何たって定期券の範囲で行けるしね(笑)!
さて、今回の映画は「緑の牢獄」です。
沖縄、西表島。沖縄県で第二の大きさを誇るその島にはかつて炭鉱があった。今は廃鉱となりそこは無秩序な緑に覆われている。そこからほど近いところに老婆が暮らしている。その老婆・橋間良子さんは台湾で生まれ、10歳で父と共に西表島に連れてこられた彼女は、それからの80年のほとんどをこの島で過ごし、今はたった一人で家を守っている。眠れない夜には炭鉱での暗い過去、忘れたくても消えない記憶が彼女を襲う。人生の晩年に、彼女がカメラに向けて語る想いとは。
筑豊炭田や三池炭鉱など九州には名高い炭鉱が多く存在していましたが、西表島にあったという炭鉱はそれほど深く知られてはいないように思います。私もそれがあったことくらいしか知りませんでしたし、この映画を観ようとしたきっかけもそもそも「期限が近い無料券があったから休みの日に時間が合うものを観てきた」だけで特に直前までマークもしていなかった作品です。でもそう言ったところにこそ思わぬ出会いもあったりするもの。
1930年代に最盛期を迎えていたという西表炭鉱は、しかし離島という土地柄から労働者の大半は島外から集められました。日本各地からだけでなく台湾や中国などから実情も知らされずに連れてこられた人々も多くいました。いわゆる「タコ部屋労働」を強いられた者も多くおり、中には薬物中毒にされた者もいたようです。離島という逃げ場の無いロケーションも手伝い、そこはまさに「牢獄」とも呼べる状況だったことは想像に難くありません。戦前・戦中史の中においても忘却の彼方へ追いやられようとしている歴史を、一人の老婆を通してフィルムに刻み付ける試み、それがこの映画「緑の牢獄」です。
監督は台湾出身の映画人・黄インイク。これがまだ長編2作目ですが丹念なフィールドワークの成果とも言えるこの作品は企画段階から注目され、ベルリン国際映画祭などで入選を果たしています。
うるさいくらいのセミの声やマングローブの深緑に覆われた廃校、亜熱帯の暑さをダイレクトに伝えるような画の中に佇む良子さんの姿を、映画は丁寧に綴っていきます。その顔に深く刻まれたシワやシミに長い島暮らしの哀歓が見て取れ、どこか取り留めないように見える語りの内容もさることながら、流暢な台湾語と沖縄なまりの日本語が垣根無く入り混じるその口調それ自体に、その向こうに重い歴史が横たわっているのがくみ取れます。島民の誰かと語っている時はともかく何がしか独白する時は2つの言葉が境目なく出てくるためか、良子さんの言葉には全て字幕を用意してくれているのが助かります。
この映画に対する感想をより複雑なものにしている要素が2つあります。一つは撮影開始後に良子さんの家の離れに下宿を始めたというアメリカ人青年・ルイスの存在です。ルイスは良子さんと独特の距離感を保っていますが映画も後半に入るとこの関係性、というよりルイスと集落の住民との関係性に変化が訪れます。その変化の様に「離島」という閉塞的な空間の狭隘さを見て取ることができますが、敢えてこういうものをオミットしなかった監督のセンスが見事です。
もう一つは映画後半から登場するフィクションの映像です。それは不意に現れます。良子さんの語る記憶をより「記憶」として刻み付けようというものでしょうか。ドキュメンタリー映画ながらユニークなアプローチです。とは言え人によっては感情を誘導されているようで反目を覚える箇所かもしれません。また、黄インイク監督はこの際に撮影したフィクションパートで構成した「草原の焔」という短編映画を「緑の牢獄」と同時に発表しています。
時の流れの中に埋もれようとしている歴史に、それに真摯に向き合った者にだけなしうる方法で映像として刻み込まれた、そういう「熱さ」を宿した映画です。全くノーマークで観に行った作品でしたが思いもかけず心を揺さぶられました。ミニシアターだからこそ出会える作品ともいえるでしょう。映画への逆風が止まない昨今ですが、こういうのが上映される素地と体力は残り続けていて欲しいですね。
こんばんは、小島@監督です。
その内ブラブラ散歩しに行こう、何たって定期券の範囲で行けるしね(笑)!
さて、今回の映画は「緑の牢獄」です。
沖縄、西表島。沖縄県で第二の大きさを誇るその島にはかつて炭鉱があった。今は廃鉱となりそこは無秩序な緑に覆われている。そこからほど近いところに老婆が暮らしている。その老婆・橋間良子さんは台湾で生まれ、10歳で父と共に西表島に連れてこられた彼女は、それからの80年のほとんどをこの島で過ごし、今はたった一人で家を守っている。眠れない夜には炭鉱での暗い過去、忘れたくても消えない記憶が彼女を襲う。人生の晩年に、彼女がカメラに向けて語る想いとは。
筑豊炭田や三池炭鉱など九州には名高い炭鉱が多く存在していましたが、西表島にあったという炭鉱はそれほど深く知られてはいないように思います。私もそれがあったことくらいしか知りませんでしたし、この映画を観ようとしたきっかけもそもそも「期限が近い無料券があったから休みの日に時間が合うものを観てきた」だけで特に直前までマークもしていなかった作品です。でもそう言ったところにこそ思わぬ出会いもあったりするもの。
1930年代に最盛期を迎えていたという西表炭鉱は、しかし離島という土地柄から労働者の大半は島外から集められました。日本各地からだけでなく台湾や中国などから実情も知らされずに連れてこられた人々も多くいました。いわゆる「タコ部屋労働」を強いられた者も多くおり、中には薬物中毒にされた者もいたようです。離島という逃げ場の無いロケーションも手伝い、そこはまさに「牢獄」とも呼べる状況だったことは想像に難くありません。戦前・戦中史の中においても忘却の彼方へ追いやられようとしている歴史を、一人の老婆を通してフィルムに刻み付ける試み、それがこの映画「緑の牢獄」です。
監督は台湾出身の映画人・黄インイク。これがまだ長編2作目ですが丹念なフィールドワークの成果とも言えるこの作品は企画段階から注目され、ベルリン国際映画祭などで入選を果たしています。
うるさいくらいのセミの声やマングローブの深緑に覆われた廃校、亜熱帯の暑さをダイレクトに伝えるような画の中に佇む良子さんの姿を、映画は丁寧に綴っていきます。その顔に深く刻まれたシワやシミに長い島暮らしの哀歓が見て取れ、どこか取り留めないように見える語りの内容もさることながら、流暢な台湾語と沖縄なまりの日本語が垣根無く入り混じるその口調それ自体に、その向こうに重い歴史が横たわっているのがくみ取れます。島民の誰かと語っている時はともかく何がしか独白する時は2つの言葉が境目なく出てくるためか、良子さんの言葉には全て字幕を用意してくれているのが助かります。
この映画に対する感想をより複雑なものにしている要素が2つあります。一つは撮影開始後に良子さんの家の離れに下宿を始めたというアメリカ人青年・ルイスの存在です。ルイスは良子さんと独特の距離感を保っていますが映画も後半に入るとこの関係性、というよりルイスと集落の住民との関係性に変化が訪れます。その変化の様に「離島」という閉塞的な空間の狭隘さを見て取ることができますが、敢えてこういうものをオミットしなかった監督のセンスが見事です。
もう一つは映画後半から登場するフィクションの映像です。それは不意に現れます。良子さんの語る記憶をより「記憶」として刻み付けようというものでしょうか。ドキュメンタリー映画ながらユニークなアプローチです。とは言え人によっては感情を誘導されているようで反目を覚える箇所かもしれません。また、黄インイク監督はこの際に撮影したフィクションパートで構成した「草原の焔」という短編映画を「緑の牢獄」と同時に発表しています。
時の流れの中に埋もれようとしている歴史に、それに真摯に向き合った者にだけなしうる方法で映像として刻み込まれた、そういう「熱さ」を宿した映画です。全くノーマークで観に行った作品でしたが思いもかけず心を揺さぶられました。ミニシアターだからこそ出会える作品ともいえるでしょう。映画への逆風が止まない昨今ですが、こういうのが上映される素地と体力は残り続けていて欲しいですね。