土曜日曜と社員旅行で伊勢に行ってきました。
ただでさえここ最近忙しいというのに貴重な休日をコレで持ってかれるとかマジ勘弁して欲しい流れで只今だいぶ疲労がピークでございます。
こんばんは、小島@監督です。
ただ、たまたま行った日が新嘗祭で、凄い人出ではありましたが斎服着た神官たちが祭礼を執り行う貴重な物が観れたのはラッキーでした。
さて、今回の映画は高畑勲監督の新作アニメーション映画「かぐや姫の物語」です。
高畑勲監督が「ホーホケキョとなりの山田くん」以来14年ぶりに監督した新作は、誰もが良く知る「かぐや姫(竹取物語)」を題材に、というより物語自体はあまり変えずに、それでいて竹取物語のラストでかぐや姫が竹取の翁と媼(おうな)に語る「罪」と「罰」の実相を描いていきます。
この映画の感想を一言で言うなら「とんでもない物を観た」の一言に尽きます。
今年78歳の巨匠が物凄い映画を作ってみせました。
先述したとおり物語そのものの基本的な流れは広く知られた「かぐや姫」とあまり変わりません。大きく違う点はかぐや姫が竹取の翁と媼に拾われてから都へ行くまでの間の時期をよりクローズアップしている点です。里山で知り合った青年・捨丸や子供たちと楽しげに山野を駆け回るシーンの数々が、その後の都での貴族たちの欲望や煩悩に晒される生活との対比として絶妙に活きています。
物語の展開における繊細にしてどこか透徹した人物描写の数々は、かつてTVシリーズ「アルプスの少女ハイジ」「赤毛のアン」「じゃりん子チエ」、劇場映画「火垂るの墓」「おもひでぽろぽろ」などを手掛け、名も無き市井の人々の悲喜を描き続けてきた高畑勲の類い稀な観察眼と研ぎ澄まされた手腕が存分に発揮されていると言えます。
予告編をご覧になった方ならお分かりかと思いますが、この映画、非常に特徴的なビジュアルをしています。筆や鉛筆の描線をそのまま活かしたような時に柔らかく時に荒々しい輪郭線に淡い水彩の様な彩色。通常のアニメとはかけ離れたそのビジュアルは、しかし画面の隅々まで非常に躍動感に満ちています。いや、躍動感というより最早「生命感」と呼んだ方が近いでしょう。そう、この映画に登場する者たちは、人はもちろん鳥や虫や草花に至るまで「生きている」のです。それは最早「リアリティ」という言葉すら足りない程です。その映像は観る者に新鮮さと同時に「絵が動く」という事への始原的な驚きを与えてくれる事でしょう。
そもそも「アニメーション」という言葉は元来「魂」を意味するラテン語の「anima」に由来し、「命無き無機物に魂を宿らせ動きを与える行為」という意味合いを持ちます。そしてそれを観る者がそこに本来は持ち得ないはずの魂(霊的人格)を感じ取るというこの流れは、森羅万象全てに魂が宿るとする「八百万の神」、すなわち「アニミズム」とも繋がります。
高畑勲監督は「日本最古の漫画」とも言われる「鳥獣戯画」に強いインスピレーションを感じ、研究していた時期があるそうで、その成果が活かされているのかもしれません。
もちろん何ぼ私でも普段アニメ観ててこんな小難しい事は考えないのですが、今回はその溢れ出る生命感についそんなことを思い起こされてしまいました。
同じスタジオジブリ作品である宮崎駿監督の「風立ちぬ」もある意味宮崎駿の集大成のような部分がありましたが、この「かぐや姫の物語」は紛れも無く高畑勲監督の半世紀以上の長きにわたりアニメーションの製作に携わってきたクリエイターとしての業績の集大成です。と同時にアニメーションという表現方法の可能性を追求し続けたアーティストとしての研鑽の到達点でもあり、同時にその高畑勲の高すぎる要求に応えてみせた一流の匠たちの技芸が集結した、稀に見る本物の傑作です。
これほど凄い作品は10年に1つ登場するかしないかでしょう。本気でお薦め出来る1本です。
もしもあの予告編を観て少しでも気になったのならBlu-ray・DVDのリリースやTV放送など待たずに是非ともスクリーンでこの凄みを多くの人に味わってもらいたいと、心から思います。
ただでさえここ最近忙しいというのに貴重な休日をコレで持ってかれるとかマジ勘弁して欲しい流れで只今だいぶ疲労がピークでございます。
こんばんは、小島@監督です。
ただ、たまたま行った日が新嘗祭で、凄い人出ではありましたが斎服着た神官たちが祭礼を執り行う貴重な物が観れたのはラッキーでした。
さて、今回の映画は高畑勲監督の新作アニメーション映画「かぐや姫の物語」です。
高畑勲監督が「ホーホケキョとなりの山田くん」以来14年ぶりに監督した新作は、誰もが良く知る「かぐや姫(竹取物語)」を題材に、というより物語自体はあまり変えずに、それでいて竹取物語のラストでかぐや姫が竹取の翁と媼(おうな)に語る「罪」と「罰」の実相を描いていきます。
この映画の感想を一言で言うなら「とんでもない物を観た」の一言に尽きます。
今年78歳の巨匠が物凄い映画を作ってみせました。
先述したとおり物語そのものの基本的な流れは広く知られた「かぐや姫」とあまり変わりません。大きく違う点はかぐや姫が竹取の翁と媼に拾われてから都へ行くまでの間の時期をよりクローズアップしている点です。里山で知り合った青年・捨丸や子供たちと楽しげに山野を駆け回るシーンの数々が、その後の都での貴族たちの欲望や煩悩に晒される生活との対比として絶妙に活きています。
物語の展開における繊細にしてどこか透徹した人物描写の数々は、かつてTVシリーズ「アルプスの少女ハイジ」「赤毛のアン」「じゃりん子チエ」、劇場映画「火垂るの墓」「おもひでぽろぽろ」などを手掛け、名も無き市井の人々の悲喜を描き続けてきた高畑勲の類い稀な観察眼と研ぎ澄まされた手腕が存分に発揮されていると言えます。
予告編をご覧になった方ならお分かりかと思いますが、この映画、非常に特徴的なビジュアルをしています。筆や鉛筆の描線をそのまま活かしたような時に柔らかく時に荒々しい輪郭線に淡い水彩の様な彩色。通常のアニメとはかけ離れたそのビジュアルは、しかし画面の隅々まで非常に躍動感に満ちています。いや、躍動感というより最早「生命感」と呼んだ方が近いでしょう。そう、この映画に登場する者たちは、人はもちろん鳥や虫や草花に至るまで「生きている」のです。それは最早「リアリティ」という言葉すら足りない程です。その映像は観る者に新鮮さと同時に「絵が動く」という事への始原的な驚きを与えてくれる事でしょう。
そもそも「アニメーション」という言葉は元来「魂」を意味するラテン語の「anima」に由来し、「命無き無機物に魂を宿らせ動きを与える行為」という意味合いを持ちます。そしてそれを観る者がそこに本来は持ち得ないはずの魂(霊的人格)を感じ取るというこの流れは、森羅万象全てに魂が宿るとする「八百万の神」、すなわち「アニミズム」とも繋がります。
高畑勲監督は「日本最古の漫画」とも言われる「鳥獣戯画」に強いインスピレーションを感じ、研究していた時期があるそうで、その成果が活かされているのかもしれません。
もちろん何ぼ私でも普段アニメ観ててこんな小難しい事は考えないのですが、今回はその溢れ出る生命感についそんなことを思い起こされてしまいました。
同じスタジオジブリ作品である宮崎駿監督の「風立ちぬ」もある意味宮崎駿の集大成のような部分がありましたが、この「かぐや姫の物語」は紛れも無く高畑勲監督の半世紀以上の長きにわたりアニメーションの製作に携わってきたクリエイターとしての業績の集大成です。と同時にアニメーションという表現方法の可能性を追求し続けたアーティストとしての研鑽の到達点でもあり、同時にその高畑勲の高すぎる要求に応えてみせた一流の匠たちの技芸が集結した、稀に見る本物の傑作です。
これほど凄い作品は10年に1つ登場するかしないかでしょう。本気でお薦め出来る1本です。
もしもあの予告編を観て少しでも気になったのならBlu-ray・DVDのリリースやTV放送など待たずに是非ともスクリーンでこの凄みを多くの人に味わってもらいたいと、心から思います。
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