ちゅうカラぶろぐ


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このブログを書くようになって8年近く経ちますが、まさか初めて休んでしまった理由が「サーバーダウンで書き込むことができなかった」になろうとは予想だにしませんでした。日頃何気なく使ってるものも結構不安定なものの上に成り立っていたりしますね。

 こんばんは、小島@監督です。
 ま、とにかくまた書けるようになったので、いろいろと綴っていきますよ!

 さて、今回の映画は「キャッツ」です。

 満月の夜、捨てられた若い白猫のヴィクトリア(フランチェスカ・ヘイワード)が迷い込んだのはロンドンの路地裏。そこでヴィクトリアが出会ったのは個性豊かな「ジェリクルキャッツ」たち。彼らの心は皆さざめいている。その夜はたった一匹だけ新たな生き方を選ぶことが許される特別な夜。ヴィクトリアはそこで何を見て何を思うのか、一夜限りの宴が始まる。

 映画が世に誕生した頃から舞台劇と映画は密接な関係にあり、現在でも洋の東西を問わず年に何本も映画化されています。
 1981年に初演されて以来世界中で上演され、日本でも劇団四季の定番の演目の一つであり通算公演回数は1万回を超える「キャッツ」。私自身はまだ観たことがありませんが非常にファンの多いタイトルです。それを「英国王のスピーチ」や「レ・ミゼラブル」などを手掛けたトム・フーパーの手で初めて映画化されました。
 日本公開の前からアメリカでの酷評が伝わってきており、世界市場では既に惨憺たる結果となっていることが報じられている中での封切りとなりました。そうなるとむしろ気になってしまうのが映画ファンの性(サガ)。ということで、ホイホイ観に行ってしまいました。

 はっきり言って酷評されたのも良く分かる、相当に変な映画です、コレ。観る前はジェリクルキャッツたちの擬人化のビジュアライズのセンスが理由の一つかとも思われましたが実際観てみるとそうではないことが分かります。何でも擬人化してしまう日本的な感性の前ではこのくらいなら特に問題ではないといえるでしょう。むしろ問題は別のところ。脚色の方向性がおかしいというか、音楽は良いのにそれぞれがぶつ切りになってしまいクライマックスへ向けて物語や感情が積み上がっていかないのです。役者と観客が同じ空間の中にいる舞台劇であれば乗り越えられたであろう「壁」が大きく立ちはだかっている印象です。
 もう一つ、なまじ出演者の方々が一人残らずできる俳優が揃っているからこその妙な弊害が起きている作品でもあります。
 実はミュージカルではつきもののアンサンブル、いわゆるガヤとかバックコーラスとかそういう人たちですが、それがネズミだったりゴキブリに扮していて、早い話がそれらも擬人化されている上に度々猫たちがそれらを食べるシーンが登場したりするのですが、これらが身体能力の高い俳優たちにかかると妙に艶めかしいのです。極め付きはマタタビを浴びせられた猫たちがトリップして海老反ったりするシーンもあるのですが、どこか乱交パーティーのように見えてしまいレーティング指定はかかっていないのにちょっとお子様に見せられる感じになっていません(笑)
 一方で最早スタンダードナンバーの一つと言える「メモリー」を始め音楽の外れはほとんどなく、だからこそ感情の持って行き場に困るという不協和音が全編を貫く逸品です。
 
 超大作クラスの予算をかけてこれ以上ない珍品が出来上がる現象に対して「バトルフィールド・アース」(2000年製作)が長らく引き合いに出されてきましたが、どうやらそれに匹敵する代物が誕生してしまったかもしれません。張り切って薦められるものではないですが、ここまでの珍品は今後カルト的な人気を勝ち得る可能性もあり、そういう意味では特にボンクラ映画を愛する向きには先物買い的な鑑賞をお薦めしたい逸品です。あと私自身キャッツという作品に思い入れが無いので何ですが、ミュージカルファンやキャッツファンにはどのように映るのかちょっと聞いてみたい(笑)

 

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