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ちゅうカラぶろぐ


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先週職場で2月恒例の健康診断が。
職場での健診は胸部だけでなく胃部レントゲン撮影もできるバスを派遣してもらってクリニックなどに行く事無く社内で全てを済ますように手配してくれるのはありがたいのですが、バリウム飲むから朝食抜かなきゃいけないのに「会社の業務は止めない」という無茶振り。結果、食事抜きで2時間ほど力仕事をこなしてからの健診になるので大抵血圧が妙に高い数字になります(苦笑)
あと、できればバリウム飲むまでは水も飲むなとか言われているのですが、無理。空腹はともかく渇きは我慢できません。

こんばんは、小島@監督です。
まあ取り敢えず体重が昨対比4㎏マイナスだったのでとりあえずオッケー!これは「誤差」とは言わせないぞ(笑)!

さて、今回の映画は「エクソダス:神と王」です。

紀元前1,300年頃のエジプト。セティ1世(ジョン・タトゥーロ)の下で兄弟同然に育ったラムセス(ジョエル・エドガートン)とモーゼ(クリスチャン・ベール)は、ヒッタイト族との戦いで活躍し国内での名声を確かな物にしつつあった。そんなある日、ヘブライ人奴隷たちが働く街ピトムへの視察に向かったモーゼはそこで奴隷たちの長ヌン(ベン・キングスレー)と出会う。そのヌンによりモーゼは驚くべき自身の出生の秘密がもたらされる。

「エイリアン」や「グラディエーター」などの数々の大作をものしたリドリー・スコットの新作は、まさに絢爛という言葉が相応しい、大きなスケールの映像を楽しめる作品です。

題材は紅海を割っての脱出劇で有名な旧約聖書の「出エジプト記」。
舞台でも定番の題材ですし、映画でも黎明期より度々映画化されています。特に有名なのはチャールトン・ヘストンが主演した「十戒」(1956年製作)でしょう。預言者であり絶対的な武勇を誇るモーゼを「ローマ彫刻のような」と謳われたマッチョな肉体でダイナミックに演じてみせ、ヘストンの代表作の一つになりました。監督したセシル・B・デミルは1923年にも同じ題材を撮っていて(この時の邦題は「十誡」)、サイレント映画ながら「テクニカラー二色法(モノクロフィルムに赤・緑の2色のフィルターを通した映像を1本のフィルムに交互に記録して上映しカラー映像を再現する手法)」によるカラー映像が楽しめる最初期の作品として映画史にその名を残しています。

先述の「十戒」を含め、モーゼというと大抵杖を持ったビジュアルで登場するのですが「エクソダス」では武人としての一面がひときわ強調され、杖より剣を握る事の方が多い造形です。面白いのは映像化される「出エジプト記」は大抵モーゼが「英雄」でラムセスが「絶対悪」と善悪の2色がはっきり分かれている事が多いのですが、「エクソダス」ではモーゼもラムセスも弱さも醜さも隠さない人物として描かれます。「地に足が着いた」とでも言いましょうか。
この辺りの感覚は物語の方にも現れ、いわゆる「十の奇跡」ではかなり生々しい疫病の発生過程が描かれると同時に作中でその論理的な解説が施されるなど、類似作品との明確な差別化が図られています。
しかしそうは言っても監督がリドリー・スコットなので全てがセリフで語られる事など無く、人物の表情や仕草、映像の編集などである程度観客に「読む」事を求め、決してわかりやすい作りはしてないので観る人によってはその辺りで好き嫌いが分かれるかもしれませんね。

「出エジプト記」の解釈としてこういうものがどうなのか?というのももちろん、そもそも昨今の世界情勢からして今この題材をチョイスするのはどうなのよ?と疑問を抱く方もいらっしゃるでしょうが、きらびやかな衣装、巨大なセット、大勢のエキストラを擁したこのゴージャスそのものの映像はいかなハリウッドと言えどもそうそう実現できるものではなく、物語の解釈に対する賛否はさておきこの映像を楽しむためだけでも映画館に足を運ぶ価値は充分にある作品です。
既に公開も後半に差し掛かってはいますが、せっかくのこの機会にまさに「大作」と呼ぶに相応しいこの映画を楽しんでみて欲しいですね。

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