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ちゅうカラぶろぐ


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昨日開催のダービーはご覧になりましたでしょうか。
 私が応援していた内の1頭がスタート直後についでに騎手まで振り落とし悠々と走って行ったのには笑ってしまいましたが、そんなアクシデントすら吹き飛ぶほどの事態が。2番人気だったスキルヴィングがレース中に急性心不全を起こし、ゴール後に倒れ込んでそのまま逝去してしまったのです。倒れ方が只事ではなかったためせめて無事であってくれと思いましたが運命とは時に残酷なもの。競走馬の脆さ、儚さを観衆に刻みつけるレースとなりました。

 こんばんは、小島@監督です。
 それでもレースは続いていく。全てのレースで人馬ともに無事に帰還してほしいものです。

 さて、今回の映画は「帰れない山」です。

 1984年、イタリア。トリノでエンジニアを務めるジョヴァンニ(フィリッポ・ティーミ)の息子ピエトロ(少年期アンドレア・パルマ、成年ルカ・マリネッリ)は両親に連れられ夏の休暇をモンテ・ローザ山麓のグラーノ村で過ごすことになった。グラーノ村はかつて賑わっていたものの今は寂れてしまい十数人しか住民がいない。そこでピエトロは牛飼いの少年ブルーノ(少年期フランチェスコ・パロンペッリ、成年アレッサンドロ・ボルギ)と出会う。都会育ちで繊細なピエトロと山育ちのブルーノは対照的な性格だが山で過ごす日々の中で親交を深めていく。
 しかし、思わぬ形で2人は引き裂かれる。そのことが大きな傷となりやがて思春期を迎えたピエトロはジョヴァンニに反目するようになりグラーノ村からも遠ざかっていく。だが一度は離れたグラーノ村に、ピエトロはもう一度導かれる。そこでブルーノとの15年ぶりの再会が待っているのだった。

 自分のルーツとなる土地、帰るべき場所、そこへ「帰れない」とはどういうことか。
 山岳映画の系譜に新たな傑作がまた一つ。敢えてスタンダードサイズに切り詰められた画面が映し出すのは、峻険で荘厳な北イタリアの山並みと普遍的な人間模様。世界各国で高い評価を得たパオロ・コニェッティの小説を原作として製作されたこの映画は、沁み入るような深い余韻とともに「生きる」ことの意味の根源を問うドラマです。

 映画は、数十年という時間を通して描かれます。その語り口は一見地味とすら思えるほどに細やか。けれどそれらが連綿と連なることで物語はどこまでも壮大になっていきます。人生には特別なことと特別でないことがいくつにも折り重なり続くもの。その中でつまるところ「立ち止まる」か「動く」かの選択を迫られながら進んでいく。そうして生きる人間を見下ろすように山がそびえている。その対比が全編を貫き、気付けば引き込まれていました。147分と結構な長尺なのにそれも気になりません。

 子どもの頃から対照的なピエトロとブルーノは大人になっても対照的な生き方を選びます。どちらもがある意味で満ち足りていてある意味では欠乏しており、片方だけが幸せではない。恐らくどちらの生き方にも共鳴できる部分や憧憬を抱く部分があるはずです。そして2人の友情は各々の境遇はどうあれ絶対的に確かなものですが、そうであるが故に最後にはその山へ「帰れなく」なります。それもまた「選択」の果てのことであり、何か強烈なサスペンスがそこに待ってるわけではありませんが、人が生きることの難しさと尊さを観るものに再確認させます。
 きっと誰しもがちょっぴりだけ自分の人生と重ねて観てしまう、そんな映画。決して華々しい作品ではないけれど、人生のどこかで立ち寄って欲しい一本というのはあるもの。迷い道の中、力強い激励や叱咤では眩し過ぎるときに、この映画は静かに寄り添ってくれることでしょう。

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昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
 再開してからこっち、馴染みの人たちと固まることが多かったので今回はあまり組んだことの無い方がいる部屋に行こうと決めて臨んだら、思いのほか居心地の良い部屋で(笑)、最近にしては叫び倒してしまいました。こういうその場のグルーヴ感も楽しかったりするもの。

 こんばんは、小島@監督です。
 まだまだ以前ほどには歌えていないので次回までに腹筋とか鍛えておかなきゃ。レパートリーも増やしたいですし。って思えるようになってきたあたり「戻って来たなぁ」と感じます。

 さて、今回の映画は「独裁者たちのとき」です。

 深い霞が立ち込める煉獄。その廃墟の一室でヨシフ・スターリン(映像・本人、声・ヴァフタング・クチャワ)は目を覚ました。天国の門へ向かい歩き出すスターリンに、アドルフ・ヒトラー、ウィンストン・チャーチル、べニート・ムッソリーニ(いずれも映像・本人、声はヒトラー役から順にロタール・ディーグ/ティム・エッテルト(2人1役)、アレクサンドル・サガバシ、ファビオ・マストランジェロ)が合流し、互いに悪態を吐きながらの旅が始まる。

 さながらダンテの「神曲」を思わせる煉獄を舞台にした幻想世界。そこを歩き天国の門を目指すのは第二次世界大戦において世界に名を轟かせた独裁者たちだ。互いに互いを嘲笑し、揶揄し、己の業績に酔いしれている。そんな彼等に天国の門は開くのか。
 ロシアが生んだ孤高の巨匠アレクサンドル・ソクーロフ。マッカーサーとの会見に臨む昭和天皇の姿を描いた「太陽」、エルミタージュ美術館で繰り広げられるロシア近代史をワンカットで綴った「エルミタージュ幻想」などで知られるソクーロフは、ソ連時代に全ての監督作が国内で上映禁止処分を受けたことでも知られています。早くからウクライナ侵攻の予兆をかぎ取っていたらしく、2021年にプーチンへ向けて意見陳述を突きつけるなど気骨のある活動を続けています。そんなソクーロフが2022年に発表した新作はシュールでアイロニーに満ちた幻想譚です。
 作中登場する4人の独裁者たちは全て生前実際に撮影されたアーカイブ映像を加工、コラージュしたものを使用し、彼等の放つセリフも回顧録などで本人が言ったとされる言葉から引用されているという非常にユニークな作りをしています。ディープフェイクで作られた映像ではないか?と言及されたこともあってか、本編冒頭にそれを否定するコメントが表示されています。

 冥界での対話、と言う主題は西洋文学では極めて伝統的な部類に入るものですが、対話というには自分以外を見下し続ける4人の姿は実に卑小で滑稽にすら映ります。他者に対してマウント取って自分のことだけ饒舌になるとか悪いオタクが集まって会話にならない会話してる様にも思えて変な笑いが出てしまいます。実のところ激論を交わすでもなく淡々と、と言うかかなりのスローテンポで物語が紡がれていくので途中いささか退屈に感じてしまったのは内緒です(苦笑)。
 しかしこの映画が2022年のロシアから世に問われたというのは大きな意味を持ちます。ロシアは今、映画製作の補助金をプロパガンダへ優先的に回すように政策の舵を切り、製作環境が一変しただけでなく欧米諸国の経済制裁により外国映画がほとんど入らなくなり、映画産業は甚大なダメージを受けていると聞きます。自由に映画が作れる環境を求めてアメリカなどへ逃亡する者も続出しているとか。今作もまたウクライナ侵攻の煽りを受けてカンヌ映画祭で上映数時間前に中止措置が取られたりと逆風吹きすさぶ中にあって真っ向から権力への問い掛けを行うこの映画には、今向き合うべき熱を持ち得た作品に思えます。ソクーロフ監督、肝の据わり方が尋常じゃありません。
 折しも世界の首脳が集うG7サミットの只中ウクライナのゼレンスキー大統領も電撃的に来日し、歴史の転換点のような様相を呈しつつある中でタイムリーと言えるこの作品に触れることは、これから先の世界を見据える上でも良きよすがとなるのではないでしょうか。

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職場の飲み会は基本面倒なので行きたくないタイプの私ですが、さすがに3年ぶりのとなるとそう言うワケにもいくまいと参加。焼肉店なのは事前に聞いていたのですが行ってみたら最近主流の無煙ロースターを入れていないタイプの店で、早い話が燻製にでもされてるのかくらいの勢いで煙を浴び、帰る頃にはファブリーズでもごまかし切れそうにないほどの臭いが自身から発されていて、同じ電車の車両に乗ってる人たちに何だか申し訳無い気分に。
 いや、味はとても美味しかったんですけれども。

 こんばんは、小島@監督です。
 そんな飲み会の最中、何故か私は社長と肉を焼きながら「水星の魔女」やらPCエンジンのゲームの話をひたすら繰り広げて周囲から若干引かれ気味に(苦笑)。「釣りバカ日誌」のハマちゃんとスーさんってこんなノリなんかしら。

 さて、今回の映画は「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーVOLUME.3」です。

 スター・ロードことピーター・クイル(クリス・プラット)は、サノスとの戦いの中で最愛のガモーラ(ゾーイ・サルダナ)が記憶を失い自身の元を去って行ったことに傷付きヤケ酒をあおる日々を送っていた。心配する仲間たちの声もクイルの慰めにはならない。
 そんなある日、ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーのアジトであるノーウェアが超人アダム・ウォーロック(ウィル・ポールター)の急襲を受け、その最中にロケット(声・ブラッドリー・クーパー)が瀕死の重傷を負った。クイル達は必死にロケットを救おうとするが、ロケットの体内には治療を受け付けないキル・スイッチが仕込まれている事を知る。クイル達はロケットを救うため手掛かりとなる企業オルゴ・コープ社への侵入を計画する。

 もともとはマーベルの中でもマイナーなキャラクターばかりの集まりだった「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」、ジェームズ・ガン監督の卓抜した手腕によって、一癖も二癖もあるコメディであると同時に傷を抱えた者たちの繊細な群像劇でもある物語が評価され、アベンジャーズの中でも屈指の人気を勝ち得たスペースオペラの3作目にして完結編となる作品が公開されました。
 完結編の名は伊達じゃない。見事なまでの大団円へ向けて圧巻の盛り上がりを見せる傑作の登場です。

 ロケットがいかにして人間を超える知性を獲得してしまったかが主軸となりますが、序盤で瀕死になってしまい動けないため回想シーンとして描かれる一方でクイル達の冒険が並行して語られる二段構えの構成として映画は展開します。ここで描かれるロケットの過去もそれだけでスピンオフの題材になりそうなほどの質量ですし、実質2本の映画を同時に観ているようと言って過言ではありません。
 この過程の中でクイル達が心に抱えていた傷や問題にも少しずつ決着や成長がもたらされ次の旅立ちへの準備が整っていく。ここに狂気と狂信に満ちた今作のヴィランであるハイ・エボリューショナリー(チュクーディ・イウジ)のもたらす危機的状況へのアタックが重なりドラマが重層的に盛り上がって行きます。

 もちろんシリーズのお約束というかジェームズ・ガン監督の持ち味でもある不謹慎ギリギリのユーモアや抜群のセンスを誇る選曲の妙は今作でも冴え渡り、150分という長尺を物ともしない高いカロリーの作品に仕上がっています。
 一気呵成にアゲて行きながら、それでいて最後にはじんわり噛み締めたい余韻も残してくれる、これを最高と言わずして何とする。
 長期シリーズとなった弊害か、いささか迷走が目立ち始めたMCUですが、ここぞというところではしっかり決めてくれました。彼等の勇姿をどうぞスクリーンで見届けてください。

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連休の最後に「全プリキュア展」観てきました。しかも1人で。

 正直なところ、おっさんがソロで行くにはハードル高すぎるのは百も承知。だが観たかったんや〜仕方なかったんや〜。
 可愛いとカッコいいの洪水をこれでもかと浴びて来ました。

 こんばんは、小島@監督です。
 さすがの人の多さにゆっくり観ることが叶わなかった箇所もありますが、それでも大満足でございました。

 さて、今回の映画は「聖闘士星矢 the beginning」です。

 幼い頃に姉と生き別れた青年・星矢(新田真剣佑)は、今はカシオス(ニック・スタール)が運営する地下闘技場でファイトマネーを得て暮らす日々を送っていた。ある日、ファイトの最中に自身の内から不思議な力が発した事を感じた星矢は、その直後に謎の集団の襲撃を受ける。星矢の窮地に手を差し伸べたアルマン・キド(ショーン・ビーン)と名乗る男は、星矢が目覚めた力は「小宇宙(コスモ)」と呼ばれるものであり、星矢は女神アテナの生まれ変わりたる女性・シエナ(マディソン・アイズマン)を守る戦士「聖闘士(セイント)」になる運命を背負っていると告げた。

 1985〜90年まで少年ジャンプで連載され、漫画家・車田正美の名をワールドクラスに押し上げた一作である「聖闘士星矢」は、1986年に初のTVアニメ化以降、スピンオフ作品も含めて今日に至るまで度々アニメ化されて来たタイトルです。そんな星矢の初のハリウッド版実写映画が製作されました。監督はNetflixのドラマ「ウィッチャー」を手掛けたトメック・バギンスキー。
 コナンやマリオと言ったゴールデンウィークの大型タイトルと比して、興行的には厳しい声も聞かれますが、直撃世代のガチ勢としては観ない手はありません。ええ、しっかり観てきました。

 「聖闘士星矢」というコミックはギリシャ神話をモチーフにした壮大な世界観や、オブジェのような姿が分解されるとプロテクターへと変わるギミックの楽しさという一方で溜めとハッタリの外連味で押し切る勢いが同居する作品で、その魅力をどこに見出すかは意外と人それぞれなんじゃないでしょうか。最初のTVアニメではロングシリーズだったことも手伝い、設定の緩さも勢いと端正なビジュアルで押してくる原作に近い楽しみ方を提供していたように思いますが、今回のハリウッド版ではその神話的世界観を徹底して掘り下げる形でリビルドしていること、また「the beginning」というタイトル通りに星矢とアテナのオリジンを描き上げているのが最大の特徴です。
 キービジュアルなどが原作の持つ泥臭さを排していますし、登場する聖闘士も数人に絞り込まれていて派手さに欠けるところもあり、一見するとコミックの実写化に良くある原作に対して不誠実に作られたもののように思われますが実際はそうではありません。実は勢いだけで押すには説明の必要な事柄が多いという原作に対し、生真面目なくらいに向き合い映像化しているのが端々から見て取れます。星矢の師であるマリン(ケイトリン・ハトソン)が語る「破壊の根本」のくだりやオブジェから展開される聖衣の装着シーンなど原作やアニメを意識したシーンも数多く、またそれらがただ点として散在するわけでなく物語の中で有機的に機能しています。

 原作から大きく変更しているように見える点として、城戸光政のポジションに当たる役割をアルマン・キドとヴァンダー・グラード(ファムケ・ヤンセン)の2人の人物に割り振っている点や、原作では聖闘士の恥部・暗部という存在だった暗黒聖闘士が、テクノロジーを駆使して生み出されたTVアニメ版でいう鋼鉄聖闘士のような存在として登場する点がありますが、いずれもNetflix版アニメ「聖闘士星矢:Knights of the Zodiac」で取り入れられた要素であり、双方に東映アニメーションが製作に入っている事から鑑みて新たに展開する上で共有したい箇所なのかもしれません。
 一方で完全に予想外だったのが原作で城戸沙織の執事だった辰巳徳丸に当たるマイロックの存在です。演じるマーク・ダカスコス渾身の役作りとガン=カタのようなアクションのキレがシビれる程にカッコよく、原作のイメージ皆無なのにこの改変はアリと言わざるを得ない迫力があります。

 この映画、ホントにマズいのは映画そのものではなくむしろプロモーションがイマイチ上手くないことでしょうか。300館クラスの公開規模でゴールデンウィークに上映するならもっとハイボリュームにPRして来場者特典を用意するくらいのことはして欲しかったところ。
 アクションファンタジーとしても見どころは多く、コミックを実写化するに当たっての方法論としても面白く、決して駄作などではありません。むしろかなり秀作の部類に入る一本です。この解釈での十二宮編やポセイドン編と言った続きを観てみたいくらいでした。
 周囲の声に惑う事なくご自身の目で確かめていただきたいですね。

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これも時代の流れかTOHOシネマズの鑑賞料金が2,000円に。遂に大台に乗ってしまった印象です。私は今のところ自分の行動圏内にTOHOシネマズが無いので影響は少ないですがいずれ他のシネコンも追従する事でしょう。とは言え普段あまり映画を観ないライト層の方たちにとってはたまに観る分IMAXや4DXなど追加料金を必要とするスクリーンへの抵抗も少ないようで、実際コレで影響を被るのは私みたいに毎週のように映画館に行くヘビーユーザーの方だろうなぁ、という印象です。

 こんばんは、小島@監督です。
 実はミッドランドに限って言うと会員特典が強力で、今ほとんど1,300円で観れているから何気に安上がり。あのアドバンテージは維持してもらいたいところですが。

 さて、今回の映画は「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」です。

 ブルックリンで配管工を営む兄弟、マリオ(声・クリス・プラット/宮野真守)とルイージ(声・チャーリー・デイ/畠中祐)は排水管が破損して洪水状態となった街を救うべく地下へ乗り込んだところ、奇妙な土管に吸い込まれてしまう。
 ルイージともはぐれてしまったマリオが迷い込んだ先は「キノコ王国」と呼ばれるところだった。そこでマリオはキノコ王国が暗黒の国ダークランドの大魔王クッパ(声・ジャック・ブラック/三宅健太)に侵攻されつつあること、そして恐らくルイージも捕まっているらしいと知る。マリオはキノコ王国のピーチ姫(声・アニャ・テイラー=ジョイ/志田有彩)と共に冒険の旅に乗り出すことになる。

 1981年にアーケードゲーム「ドンキーコング」でデビューして以降ゲームの歴史の最前線に常に居続けると共に任天堂の代名詞とも呼べるキャラクターともなったちょび髭の配管工兄弟マリオとルイージ。アメリカを中心に何度かアニメ化もされたほか1993年には実写映画「スーパーマリオ/魔界帝国の女神」が製作されました。当時はまだTVゲームの映画化そのものが少なく、また原作への理解度も低かったため未だに「クソ映画」の代名詞の一つ扱いされるほど出来栄えとしてはイマイチでした。それから30年の時を経てのアニメ映画化は、マリオを取り巻く環境、取り分け世界的知名度を勝ち得た今だからこそ可能となったと言える、「原体験」を徹底的に活かした作品になっていました。

 マリオの名を世界に轟かせた「スーパーマリオブラザーズ」ではクッパに攫われたピーチ姫を助けに行くのが目的でしたが、はぐれてしまったルイージを見つけ出すためにピーチ姫とバディを組む、という形になっているなど物語が自然に流れになるような工夫はされているものの正直なところストーリーとしては類型的かつ薄味と言わざるを得ません。批評家筋からそっぽ向かれたというのも頷けます。
 しかしこの映画の魅力はその弱いストーリーを補って余りある映像にあります。「スーパーマリオブラザーズ」「ドンキーコング」「マリオカート」などゲームの要素が極彩色のカラフルな映像の中で躍動します。作中ただ横に流れて行くだけの直線的な映像が長く続くカットがありますが、本来危なっかしいこんなカットも観客にゲームをプレイした「原体験」があれば意味のある映像に変わります。このような映像が全編に渡って登場します。更に言えば劇中のBGMも大半が原作のゲームからアレンジしたものを使っていますし、作中にはマリオに限らず「レッキングクルー」「パルテナの鏡」「パンチアウト」などのNintendoタイトルがイースターエッグのように仕込んであるのもポイントです。
 ゲームをプレイした事のある方に向けた内輪受けの映画のようにも思えますが、今の世の中マリオに全く触れた事の無い人がどれだけいるのでしょう。そういう「自信」が作品全体にみなぎり高いアトラクション性を勝ち得ました。

 昨今の大作クラスの映画ですと150分を超えることも少なくないですが、今作は93分という弛みも退屈もしない上映時間も絶妙です。4DXやIMAX3Dのような上映形式での鑑賞が可能ならそちらを選んだ方がより楽しい体験になること必至。こう言っては何ですが、自宅のTVで観ると却って物足りないと言うかこの楽しさは味わいきれない類の作品だと思います。せっかくならこのビッグウェーブに乗ってしまいましょう。

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昨日開催の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
 と言いつつ私は今回都合が付かず欠席。この土日アイマスライブもあったので私はそっちに行ったか?と思われた方もいるかもですが、悲しいかなそっちにも行けず。巡りの悪い時というのはあるものです。
ま、配信では観ましたが。

 こんばんは、小島@監督です。
 次回の歌会は参加したい所存。

 さて、今回の映画は「名探偵コナン/黒鉄の魚影(くろがねのサブマリン)」です。

 ドイツ・フランクフルトでユーロポールの捜査官が「黒の組織」と思しき者に射殺される事件が発生した。一方、日本では八丈島近海にインターポールの海洋施設「パシフィック・ブイ」が開業しようとしていた。
 鈴木園子(声・松井菜桜子)の計らいで八丈島へホエール・ウォッチングに行くことになった江戸川コナン(声・高山みなみ)は島に白鳥刑事(声・井上和彦)がパシフィック・ブイ視察に来ていることを知りパシフィック・ブイへ向かう船に密かに乗り込むのだった。

 四半世紀にわたりゴールデンウィークの顔であり続ける劇場版名探偵コナン、シリーズ26作目(劇場公開された総集編は除く)となる今作は、ふとしたきっかけでジン(声・堀川仁)やウォッカ(声・立木文彦)ら「黒の組織」に「灰原哀=シェリー」(声・林原めぐみ)であることが気付かれ、コナンたちが窮地に陥ります。脚本はドラマ「相棒」「科捜研の女」シリーズのほか劇場版コナンでは第17作「絶海の探偵」第22作「ゼロの執行人」など5本を手掛けた櫻井武晴、監督には現在「BLUE GIANT」がロングラン上映中の立川譲が務め、まさに喉元に刃が突き付けられたような緊張感が全編にわたり展開する快作になっています。

 劇場版コナンはここ何年か特定のキャラクターにスポットを当てそれを大きく掘り下げるテイストを多彩な作風で展開して来ましたが、満を持して今回は灰原哀をメインヒロインに据え、少々大人向けのテイストとなっています。
 さすが櫻井武晴脚本というべきか、かなり複雑に入り組んだ物語を立川譲がハイテンポなテリングで仕上げ、更に前作「ハロウィンの花嫁」から引き続いて当番の菅野祐悟の音楽がそれを彩ります。

 ところどころかなり強引で無理筋な展開もあるのですが、ほとんど本筋と言って差し支えない内容を劇場版スケールの映像で楽しめる贅沢さはそれだけで魅力。あと個人的に灰原哀というキャラクターがお気に入りというのも手伝い、彼女の強さも弱さも徹底して掘り下げてくれるので今回は何かもうキュンキュンするレベル。彼女のファンは何をおいても観た方が良い。解釈違いで頭に来る可能性も無くは無いですがそれはそれ。
 粗筋が粗筋だけに今作は最終局面への足掛かりになるのかと思いきやラストの展開からするとそれはもう少し先になりそう。毎年興行収入のTOP10に食い込む常連のドル箱なのでなかなか手放してもらえないのでしょうか。まあこうなったら最後まで付き合いますけどね。

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先月末にサービスが終了したニンテンドー3DSのeショップで、終了前に大規模なセールが行われ、私もその際結構色々買い込みました。買うだけ買って手を付けないのもアレだなと、今更3DSを起動しまずは500円でダウンロードした「ファイナルファンタジー」からトライ。何気に1作目は今まで全く触れて来なかったので新鮮な気持ちでプレイしています。本当に広大な最近の作品に比べるとどこか世界が小ぢんまりとしてるのもクラシックタイトルっぽくて良いですね。序盤の早い段階で、それもかなりの勢いで船が手に入っちゃうのにちょっと笑いましたが。

 こんばんは、小島@監督です。
 ファイナルファンタジーは良いけど最終セールは破格の安さに釣られて勢いで買っちゃったのがいっぱいあるのでやってみたら自分には全く合わない、というのも結構ありそう。まあ、それはそれで良いか。今更どうしようもないし(笑)

 さて、今回の映画は「ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り」です。

 フォーゴットン・レルム、そこは様々な種族やモンスターたちが生きる世界。収監されている牢獄から脱獄した盗賊のエドガン(クリス・パイン)と戦士のホルガ(ミシェル・ロドリゲス)は、娘キーラ(クロエ・コールマン)の再会と、ある目的を胸に秘め旅に出た。しかし再会したキーラはかつて自身らを罠にかけた男フォージ(ヒュー・グラント)の元に身を寄せていた。さらにその背後では赤き魔女ソフィーナ(デイジー・ヘッド)が何かの陰謀を巡らせている。エドガンとホルガはフォージとソフィーナを阻止しキーラを救い出すため仲間を探すことになる。

 主人公を操作して敵を倒したり事件や依頼を解決しながらシナリオを進める「ロールプレイングゲーム」、TVゲームのジャンルとして隆盛したRPGは本来その名の通り「役割を演じる」ことを楽しむ遊びで、その始まりこそがゲームデザイナー・ゲイリー・ガイギャックスとデイヴ・アンダーソンにより1974年に生み出されたテーブルトークRPG「ダンジョンズ&ドラゴンズ」とされています。原点にして頂点とも言えるこのタイトルはその後のゲームのあり方に多大な影響を及ぼしました。映像化もこれが初めてではなく2001年〜2012年までに3本の映画が作られているほか、1983年にはTVアニメも製作されています。
 2001年の映画は後年続編が製作されたとは言え出来栄えとしては平凡なものと言わざるを得ませんでしたが、今作はかなりの快作です。

 個性的なキャラクターのアンサンブル、小気味良いテンポの語り口、それだけでもファンタジーアドベンチャーロマンとして充分なくらいですが、何となく「アライメント」(キャラクターの倫理的な属性とでも言うべきもの)を感じさせる人物造形、ゲームマスターが干渉したような気にさせる瞬間やダイスロールが成功または失敗したかな?と思わせてしまう瞬間がある展開に、原作へのリスペクトも感じさせます。
 ついでに言えばコメディ映画としてのギャグの打率の異様な高さもポイントの一つ。中盤に登場して謎にセクシーを振りまく聖騎士ゼンク(レゲ=ジャン・ペイジ)と言った、出てるだけで面白い人物もいますし、このコメディとしての楽しさにどこか「インディ・ジョーンズ」や「グーニーズ」のような1980年代のアドベンチャー映画を観るような懐かしさも覚えます。吹替版では森川智之や津田健次郎、諏訪部順一と言ったベテラン陣を盛大に無駄遣いしてるのが余計に楽しい。

 欠点と言えばバランスが良すぎて総合点が高すぎるが故にむしろ取っ掛かりが見えにくいという点でしょうか。お世辞にも上手いとはいえないプロモーションにその辺りが見え隠れしています。
 興行成績も苦心しているようですが、これはスクリーンで観ておいた方が後でドヤ顔出来る可能性のあるタイプの作品のように思うので、気になってる方は何とか上映期間中に時間を作って観ておきましょう。

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