昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
昨日はちょいとやっておきたかった事があったので途中からの参加でしたが、人が少ないとLINEで嘆いていた部屋に救援に入ったら後半だけの参加の割に結構歌えました。曲数が少なくなる分ノーブレーキでやれましたしね。
こんばんは、小島@監督です。
次回はまだ予定が定まってないのが難ですが、行くとなったら最初から入ります。
さて、今回の映画は「岸辺露伴ルーブルへ行く」です。
人の記憶を本の様にして読む能力「ヘブンズドアー」を持つ漫画家・岸辺露伴(高橋一生)。彼は新作を執筆する過程で、かつてデビューしたばかりの頃祖母の家で出逢った女性・奈々瀬(木村文乃)から聞いた「この世で最も黒い絵」のことを思い出した。取材を兼ねて赴いたオークションで落札した作品を手掛かりに、その絵が現在ルーブル美術館に保管されていることを知り、担当編集である泉京香(飯豊まりえ)と共にフランスへ向かう。
漫画家・荒木飛呂彦の代表作「ジョジョの奇妙な冒険」、その第4部「ダイヤモンドは砕けない」に登場した岸辺露伴。荒木飛呂彦の漫画へのイズムが凝縮されたとも言われている彼を主人公にしたスピンオフ「岸辺露伴は動かない」が1997年の第1作「懺悔室」から雑誌を変えながら不定期に作品が発表されてきました。2020年末にNHKで実写ドラマ化されるや原作のユニークな世界観を見事に映像化したと支持を集め、2022年までに計8エピソードが製作されました。
今回映画化されたのは2009年にルーブル美術館の「バンド・デシネ・プロジェクト」のために描き下ろされた作品です。またこの企画展によって荒木飛呂彦は日本人漫画家として初めてルーブル美術館に作品が展示された人物となりました。その原作をTVドラマのスタッフ・キャストが再結集し今回映画化されました。
実際にルーブル美術館で撮影が行われるなど映画らしいスケールアップを見せる今作、しかし面白いのは媒体がTVから映画へ変わったと言っても変に大きな画を作ろうとしていない点にあります。むしろ画作りの肝は「最も黒い絵」を中心とした色調の深化とルーブル美術館や露伴の自宅、祖母の家として登場する邸宅のロケーション選定の妙に集約されていて、それ故にTVドラマと同じような雰囲気を持ちながらTV以上の画をしているというのは最早定番となりつつあるドラマから映画への流れへの一つの模範解答と言えるでしょう。
小林靖子の手による脚本もボリューム的には1時間程度で収まりそうな原作を2時間の映画として膨らませる方向性と密度が絶妙で中だるみの無いものになっていて唸ります。と言うかTVドラマの時点からそうなのですが、原作では1エピソードだけの登場だった泉京香を岸辺露伴のバディとしてレギュラーキャラクターにしたアレンジは見事だったというほかありません。今作でも彼女の存在が良いアクセントになっています。
荒木飛呂彦作品はアニメだけでなく「ジョジョの奇妙な冒険」第1部「ファントムブラッド」が帝国劇場でミュージカルになる事が報じられるなど、ここに来て様々な媒体で楽しめるようになって来ています。原作コミックも第9部「The JOJOLands」がスタートしました。まだまだ世界が広がりを見せる中、まずはせっかくの劇場公開作品をスクリーンで楽しんでみてはいかがでしょう。
昨日はちょいとやっておきたかった事があったので途中からの参加でしたが、人が少ないとLINEで嘆いていた部屋に救援に入ったら後半だけの参加の割に結構歌えました。曲数が少なくなる分ノーブレーキでやれましたしね。
こんばんは、小島@監督です。
次回はまだ予定が定まってないのが難ですが、行くとなったら最初から入ります。
さて、今回の映画は「岸辺露伴ルーブルへ行く」です。
人の記憶を本の様にして読む能力「ヘブンズドアー」を持つ漫画家・岸辺露伴(高橋一生)。彼は新作を執筆する過程で、かつてデビューしたばかりの頃祖母の家で出逢った女性・奈々瀬(木村文乃)から聞いた「この世で最も黒い絵」のことを思い出した。取材を兼ねて赴いたオークションで落札した作品を手掛かりに、その絵が現在ルーブル美術館に保管されていることを知り、担当編集である泉京香(飯豊まりえ)と共にフランスへ向かう。
漫画家・荒木飛呂彦の代表作「ジョジョの奇妙な冒険」、その第4部「ダイヤモンドは砕けない」に登場した岸辺露伴。荒木飛呂彦の漫画へのイズムが凝縮されたとも言われている彼を主人公にしたスピンオフ「岸辺露伴は動かない」が1997年の第1作「懺悔室」から雑誌を変えながら不定期に作品が発表されてきました。2020年末にNHKで実写ドラマ化されるや原作のユニークな世界観を見事に映像化したと支持を集め、2022年までに計8エピソードが製作されました。
今回映画化されたのは2009年にルーブル美術館の「バンド・デシネ・プロジェクト」のために描き下ろされた作品です。またこの企画展によって荒木飛呂彦は日本人漫画家として初めてルーブル美術館に作品が展示された人物となりました。その原作をTVドラマのスタッフ・キャストが再結集し今回映画化されました。
実際にルーブル美術館で撮影が行われるなど映画らしいスケールアップを見せる今作、しかし面白いのは媒体がTVから映画へ変わったと言っても変に大きな画を作ろうとしていない点にあります。むしろ画作りの肝は「最も黒い絵」を中心とした色調の深化とルーブル美術館や露伴の自宅、祖母の家として登場する邸宅のロケーション選定の妙に集約されていて、それ故にTVドラマと同じような雰囲気を持ちながらTV以上の画をしているというのは最早定番となりつつあるドラマから映画への流れへの一つの模範解答と言えるでしょう。
小林靖子の手による脚本もボリューム的には1時間程度で収まりそうな原作を2時間の映画として膨らませる方向性と密度が絶妙で中だるみの無いものになっていて唸ります。と言うかTVドラマの時点からそうなのですが、原作では1エピソードだけの登場だった泉京香を岸辺露伴のバディとしてレギュラーキャラクターにしたアレンジは見事だったというほかありません。今作でも彼女の存在が良いアクセントになっています。
荒木飛呂彦作品はアニメだけでなく「ジョジョの奇妙な冒険」第1部「ファントムブラッド」が帝国劇場でミュージカルになる事が報じられるなど、ここに来て様々な媒体で楽しめるようになって来ています。原作コミックも第9部「The JOJOLands」がスタートしました。まだまだ世界が広がりを見せる中、まずはせっかくの劇場公開作品をスクリーンで楽しんでみてはいかがでしょう。
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YouTubeの動画を漁っていて不意に飛び込んできたのは、
もうすぐ初代『PlayStation(PS1)』が発売30年という内容。
発売は1994年12月なのでまだ1年以上もありますが、
30年の中での1年なんて誤差みたいなものですよね。
なんにしても、世間ではすっかりレトロゲームのようです。
ファミコン世代の私からしてみれば、PS1と言えば、
今では画像がイマイチと言えど、レトロとは認識できませんが、
それでも、発売から30年も経つんだなあとしみじみ思います。
発売直後は『リッジレーサー』や『極上パロディウス』を、
もう延々とやっていた記憶は、今でもしっかり覚えています。
サークルは現在26年目。その記憶はすっかり覚えていません。
さて、先日久しぶりに定時で帰ろうと会社をすぐに出ました。
すると、会社近くにある中学校の下校時間に重なったようで、
多くの中学生が歩道を歩いているのが見られます。
その歩道から私の走る道に信号の無い横断歩道があり、
そこを中学生が横断中だったので、私は停車しました。
大勢の中学生がキャッキャと渡る姿を微笑ましいですね。
そんな中学生を見ながら、横断が途切れるのを待ちます。
・・・待ちます。
・・・・・・待ちます。
・・・・・・・・・待ちます。
いつになったら渡れるんじゃあぁぁぁぁぁっっっっっっ!
私は歩行者が横断するのを待つのは大賛成な人です。
まして中学生が横断するのを待ってあげるのは全然平気。
むしろ将来にその中学生が車の免許を取ったときに、
歩行者のために待ってあげられる人になってもらえるなら、
今、ここで横断するのを待つのは大変意義があると思います。
ですが・・・いつまでたっても列が途切れてくれません。
私の車の後ろはもちろん、対抗車線の向こう側に続く渋滞。
さすがにこれは、ずっと待っているのはいたたまれません。
よく、登校時は交通整理の方が、横断者と車を交互に、
通しているのを見かけますが、あれって結構大切ですね。
結局、列が途切れるまで待ち続けることになったのですが、
先頭で待っていた私はなんとなく、ちょい早で走ったのでした。
もうすぐ初代『PlayStation(PS1)』が発売30年という内容。
発売は1994年12月なのでまだ1年以上もありますが、
30年の中での1年なんて誤差みたいなものですよね。
なんにしても、世間ではすっかりレトロゲームのようです。
ファミコン世代の私からしてみれば、PS1と言えば、
今では画像がイマイチと言えど、レトロとは認識できませんが、
それでも、発売から30年も経つんだなあとしみじみ思います。
発売直後は『リッジレーサー』や『極上パロディウス』を、
もう延々とやっていた記憶は、今でもしっかり覚えています。
サークルは現在26年目。その記憶はすっかり覚えていません。
さて、先日久しぶりに定時で帰ろうと会社をすぐに出ました。
すると、会社近くにある中学校の下校時間に重なったようで、
多くの中学生が歩道を歩いているのが見られます。
その歩道から私の走る道に信号の無い横断歩道があり、
そこを中学生が横断中だったので、私は停車しました。
大勢の中学生がキャッキャと渡る姿を微笑ましいですね。
そんな中学生を見ながら、横断が途切れるのを待ちます。
・・・待ちます。
・・・・・・待ちます。
・・・・・・・・・待ちます。
いつになったら渡れるんじゃあぁぁぁぁぁっっっっっっ!
私は歩行者が横断するのを待つのは大賛成な人です。
まして中学生が横断するのを待ってあげるのは全然平気。
むしろ将来にその中学生が車の免許を取ったときに、
歩行者のために待ってあげられる人になってもらえるなら、
今、ここで横断するのを待つのは大変意義があると思います。
ですが・・・いつまでたっても列が途切れてくれません。
私の車の後ろはもちろん、対抗車線の向こう側に続く渋滞。
さすがにこれは、ずっと待っているのはいたたまれません。
よく、登校時は交通整理の方が、横断者と車を交互に、
通しているのを見かけますが、あれって結構大切ですね。
結局、列が途切れるまで待ち続けることになったのですが、
先頭で待っていた私はなんとなく、ちょい早で走ったのでした。
先日松坂屋美術館まで「アニメージュとジブリ展」を観てきました。
今年創刊45周年を迎えた雑誌「アニメージュ」、その創刊前夜からスタジオジブリの設立を経て鈴木敏夫氏がジブリへ移籍する頃までの約15年間を当時の記事や付録、関連作品のセル画や絵コンテ、映像で紐解いていきます。劇場版「機動戦士ガンダム」誕生のきっかけとなったと言われているインタビューやまだ実績が余りない時期に宮崎駿や高畑勲の特集を組んでいたりなど、当時の記事をそのまま大量にパネル展示しているのでただでさえ情報量が多い上に、声優・島本須美さんと三鷹の森ジブリ美術館でシニアアドバイザーを務める高橋望氏の対談形式で進行する音声ガイドの充実ぶりが素晴らしく、非常に楽しめる企画展でした。
自分がアニメージュを購読していたのは「新世紀エヴァンゲリオン」がムーブメントを起こした1995年頃からの約10年くらいなので展示対象の時期とはあまり重ならないのですが、それでも日本アニメ史の重要な時代の熱量の一端を垣間見ることができました。
こんばんは、小島@監督です。
時代の変遷とともに雑誌の在り方も変わって来ていますが、長く続いて欲しいですね。
さて、昨日大阪城ホールまで「THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS 燿城夜祭 -かがやきよまつり- 」Day2を観てきました。しかも日帰りの弾丸行で。
シンデレラガールズ3年ぶりとなる声出し解禁最初のライブが、最後のライブとなったのと同じ大阪での開催というのは何とも奇妙な縁を感じます。
「夜祭」をテーマにした今回のイベント、櫓を模したセンターステージを設えているのはなるほどという感じでしたが、セットの一部だと思っていたたこ焼き機やかき氷機がガチの本物で開演前にライブ演出のJUNGO氏やシンデレラガールズの音楽を担当する中川浩二氏など中核スタッフが登壇して実際に作り始めるのには驚きました。いや確かに祭って言うてますけれども(笑)。多田李衣菜役青木瑠璃子さんもサプライズで登場し、観客を煽ったり話しかけたりして、これまでに無い形で開演前の場を温めます。
和太鼓のアレンジが加わった「Yes!party time」で幕を開けたライブは、夏の夜祭らしいアッパーな曲だけでなく梅雨時を思わせるセンチメンタルな曲や涼風のような曲も織り交ぜ、コンセプトに合わせてセットリストを組めるシンデレラガールズの楽曲の豊富さを存分に活かしたものになっていました。
印象的なところでは現在放送中のTVアニメ「U149」で挿入歌として登場し今回が初披露となった桐生つかさ役河瀬茉希さんのソロ曲「アタシガルール」、スクリーンにノイズを走らせたりモノクロになったりとホラー調の演出を展開する「廻談詣り」、開催地大阪をフィーチャーした遊び心全開で最早原曲「あんきら!?狂騒曲」の原型も止めていなかった「おおさか!?狂騒曲」など、どれも聴き入ったり笑わせてもらったりと興趣に富んでいました。
圧巻は依田芳乃役高田憂希さんの「Sunshine See May」と小日向美穂役津田美波さんの「Isosceles」。どちらもこの日出演見合わせとなった藤原肇役鈴木みのりさんと組んでのデュオ曲で、もしかしたら曲自体セットリストから外れるかもと思われましたが不在は不在としたまま代打を立てずにやり切ってみせる力技には正直感服しました。どちらも不在の人に寄り添うと同時に「居ないから物足りないなんて言わせない」という気迫に満ちていました。
ライブの終わりにはデレステ8周年を記念したイベントが9月に愛知で開催されることが告知。出演者の中には昨年CVが付いた我が担当の1人望月聖が初登場する事も発表されて、私としては行かないワケにはいかないようです。何としてもチケットをゲットしたいぜ。何なら法被着て臨んでも良いかもしれない。
今年創刊45周年を迎えた雑誌「アニメージュ」、その創刊前夜からスタジオジブリの設立を経て鈴木敏夫氏がジブリへ移籍する頃までの約15年間を当時の記事や付録、関連作品のセル画や絵コンテ、映像で紐解いていきます。劇場版「機動戦士ガンダム」誕生のきっかけとなったと言われているインタビューやまだ実績が余りない時期に宮崎駿や高畑勲の特集を組んでいたりなど、当時の記事をそのまま大量にパネル展示しているのでただでさえ情報量が多い上に、声優・島本須美さんと三鷹の森ジブリ美術館でシニアアドバイザーを務める高橋望氏の対談形式で進行する音声ガイドの充実ぶりが素晴らしく、非常に楽しめる企画展でした。
自分がアニメージュを購読していたのは「新世紀エヴァンゲリオン」がムーブメントを起こした1995年頃からの約10年くらいなので展示対象の時期とはあまり重ならないのですが、それでも日本アニメ史の重要な時代の熱量の一端を垣間見ることができました。
こんばんは、小島@監督です。
時代の変遷とともに雑誌の在り方も変わって来ていますが、長く続いて欲しいですね。
さて、昨日大阪城ホールまで「THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS 燿城夜祭 -かがやきよまつり- 」Day2を観てきました。しかも日帰りの弾丸行で。
シンデレラガールズ3年ぶりとなる声出し解禁最初のライブが、最後のライブとなったのと同じ大阪での開催というのは何とも奇妙な縁を感じます。
「夜祭」をテーマにした今回のイベント、櫓を模したセンターステージを設えているのはなるほどという感じでしたが、セットの一部だと思っていたたこ焼き機やかき氷機がガチの本物で開演前にライブ演出のJUNGO氏やシンデレラガールズの音楽を担当する中川浩二氏など中核スタッフが登壇して実際に作り始めるのには驚きました。いや確かに祭って言うてますけれども(笑)。多田李衣菜役青木瑠璃子さんもサプライズで登場し、観客を煽ったり話しかけたりして、これまでに無い形で開演前の場を温めます。
和太鼓のアレンジが加わった「Yes!party time」で幕を開けたライブは、夏の夜祭らしいアッパーな曲だけでなく梅雨時を思わせるセンチメンタルな曲や涼風のような曲も織り交ぜ、コンセプトに合わせてセットリストを組めるシンデレラガールズの楽曲の豊富さを存分に活かしたものになっていました。
印象的なところでは現在放送中のTVアニメ「U149」で挿入歌として登場し今回が初披露となった桐生つかさ役河瀬茉希さんのソロ曲「アタシガルール」、スクリーンにノイズを走らせたりモノクロになったりとホラー調の演出を展開する「廻談詣り」、開催地大阪をフィーチャーした遊び心全開で最早原曲「あんきら!?狂騒曲」の原型も止めていなかった「おおさか!?狂騒曲」など、どれも聴き入ったり笑わせてもらったりと興趣に富んでいました。
圧巻は依田芳乃役高田憂希さんの「Sunshine See May」と小日向美穂役津田美波さんの「Isosceles」。どちらもこの日出演見合わせとなった藤原肇役鈴木みのりさんと組んでのデュオ曲で、もしかしたら曲自体セットリストから外れるかもと思われましたが不在は不在としたまま代打を立てずにやり切ってみせる力技には正直感服しました。どちらも不在の人に寄り添うと同時に「居ないから物足りないなんて言わせない」という気迫に満ちていました。
ライブの終わりにはデレステ8周年を記念したイベントが9月に愛知で開催されることが告知。出演者の中には昨年CVが付いた我が担当の1人望月聖が初登場する事も発表されて、私としては行かないワケにはいかないようです。何としてもチケットをゲットしたいぜ。何なら法被着て臨んでも良いかもしれない。
スマホでネットを見ると「広告ウゼェ!」と思いますよね。
しかし自分達が見るウェブサイトも無料で見られるのは、
広告を出す側がお金を払っているからというのもあります。
でも、自分の見たい記事の上に乗っかって遮ってきたり、
それを消そうにも針の先でしかタッチ出来なさそうな『×』、
大きいスマホ画面の無駄にする画面上下のバナー広告。
さすがにここまでされると、ブチ切れそうになります。
私は結構ヘビーにスマホでネットを見るので思うのですが、
世間の皆さん、こんな広告はどう思っているのでしょうね。
さて、友人が私にある映画を見なさいとオススメしてきます。
そのオススメの映画のタイトルは『トップガン マーヴェリック』。
過去に大ヒットした映画『トップガン』の続編になります。
『トップガン』と言えば、もうかなり昔の作品になりますし、
私も観ましたが、それも確か中学生頃だったと思います。
かなりのススメっぷりだったので、観てはみたいのですが、
前作の内容なんか、これっぽっちも覚えちゃいません。
でもせっかく観るなら、前作を予習しておきたいですよね。
ただ、オススメする本人は、別に前作は観なくていいと言い、
とにかくすぐ観ろという感じなので、そこまで言うならと、
AmazonPrimeで観れないかと探してみますが残念ながら有料。
有料なら手元に残ってくれないのも悔しかったりするので、
それならばとBlu-rayをポチってしまおうと決断しますが、
ここでいろんなバージョンがあることで迷ってしまいました。
私はとりあえずBlu-rayがあれば特典はいらないので、
よく言われる通常版ってのを買おうと思っていたのですが、
なぜかどれも本編ディスクがいちいち2枚ついてくるのです。
Blu-rayとDVDとか、4KUltraHDとBlu-rayという感じで、
どうしても本編ディスクを2枚付けたくてしょうがないようです。
本編ディスク1枚を自分の環境に合わせて買えれば良いのに
なぜフォーマット違いで2枚をセットにしようとするのでしょう。
もっとも、昔からこの2枚セットって洋画などに多く見られて、
ディズニーでは2枚セット+オンライン視聴コードなどあります。
本編をどんな環境でもといった強い意志を感じます。
そんな感じで結局どれをポチるか決められずに今に至り、
このままではまた友人に会ったときに罵られそうです。
しかし自分達が見るウェブサイトも無料で見られるのは、
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さすがにここまでされると、ブチ切れそうになります。
私は結構ヘビーにスマホでネットを見るので思うのですが、
世間の皆さん、こんな広告はどう思っているのでしょうね。
さて、友人が私にある映画を見なさいとオススメしてきます。
そのオススメの映画のタイトルは『トップガン マーヴェリック』。
過去に大ヒットした映画『トップガン』の続編になります。
『トップガン』と言えば、もうかなり昔の作品になりますし、
私も観ましたが、それも確か中学生頃だったと思います。
かなりのススメっぷりだったので、観てはみたいのですが、
前作の内容なんか、これっぽっちも覚えちゃいません。
でもせっかく観るなら、前作を予習しておきたいですよね。
ただ、オススメする本人は、別に前作は観なくていいと言い、
とにかくすぐ観ろという感じなので、そこまで言うならと、
AmazonPrimeで観れないかと探してみますが残念ながら有料。
有料なら手元に残ってくれないのも悔しかったりするので、
それならばとBlu-rayをポチってしまおうと決断しますが、
ここでいろんなバージョンがあることで迷ってしまいました。
私はとりあえずBlu-rayがあれば特典はいらないので、
よく言われる通常版ってのを買おうと思っていたのですが、
なぜかどれも本編ディスクがいちいち2枚ついてくるのです。
Blu-rayとDVDとか、4KUltraHDとBlu-rayという感じで、
どうしても本編ディスクを2枚付けたくてしょうがないようです。
本編ディスク1枚を自分の環境に合わせて買えれば良いのに
なぜフォーマット違いで2枚をセットにしようとするのでしょう。
もっとも、昔からこの2枚セットって洋画などに多く見られて、
ディズニーでは2枚セット+オンライン視聴コードなどあります。
本編をどんな環境でもといった強い意志を感じます。
そんな感じで結局どれをポチるか決められずに今に至り、
このままではまた友人に会ったときに罵られそうです。
週末に襲った台風がらみの豪雨、皆さんは大事無かったでしょうか。
私は出社早々に電車が運行中止の報を知り、簡単な引き継ぎだけ済ませて速攻とんぼ返りキメてあとは在宅勤務という軽くエクストリームな1日でした。あと少し判断が遅ければ宿泊場所を探さないといけないところでしたが、自宅の方もレベル4の避難指示が出る有様でなかなか際どい状況でしたね。
こんばんは、小島@監督です。
まだ6月に入ったばかりだというのにもうコレ。今年の夏も集中豪雨に悩むことになりそう。
さて、今回の映画は「アラーニェの虫籠」と「アムリタの饗宴」です。
「アラーニェの虫籠」…女子大生のりん(声・花澤香菜)は、自宅である巨大集合住宅にまつわる不気味な噂に不安を抱いていた。ある日りんは救急搬送される老婆の腕から虫が飛び出る光景を目撃する。虫のことが気になって仕方ないりんは虫についての調査を開始する。
「アムリタの饗宴」…女子高生のたまひ(声・内田真礼)、陽(声・能登麻美子)、由宇(声・MoeMi)の3人は学校帰りに巨大集合住宅の屋上から人が飛び降りる姿を目撃する。集合住宅に駆け込んだ3人は、そこで人ならざる「何か」と遭遇する。
映画は基本的に1人でできるものではないですが、アニメだとキャスト以外のほとんどを1人で製作したという作品が稀に登場します。有名どころでは新海誠の出世作となった「ほしのこえ」や堀貴秀が手掛けたストップモーションアニメの「JUNK HEAD」あたりになるでしょうか。海外に目を向ければフレデリック・バックの「木を植えた男」などがありますね。1人で製作しているが故にダイレクトに作風が現れ必然的に作家性が強くなるためか、エンターテインメントよりもアートの系譜で語られることが多いように思います。
そんな個人製作アニメの系譜に連なる作品が新たに登場しました。手掛けたのは押井守監督の「イノセンス」でデジタルエフェクトを担当したりL'Arc〜en〜CielのMVや、ドラマ「MOZU」の作中イラストを製作した経験を持つアニメーター・坂本サク。脚本・監督・アニメーション製作に音楽までも一手に手掛け、文字通りキャスト以外はほぼ1人で作り上げたと言っていい作品です。「アムリタの饗宴」で主演した内田真礼はアフレコでスタッフが監督1人しかいない上にコロナ禍の只中で個別収録だったために監督と1対1で収録に臨む現場に初めて遭遇した驚きをインタビューで語っていました。
「アラーニェの虫籠」の方が2018年に製作され、アヌシー国際アニメーション映画祭などで上映された実績を持っています。世界観を共有した新作である「アムリタの饗宴」公開に合わせてカットに手を加えたリファイン版が作られ、今回2本立てとして上映されています。
2作品ともジャンルとしてはホラーになりますが、手触りは結構違います。共通しているのは巨大な集合住宅が重要な舞台装置であることと「虫」がモチーフであること。「アラーニェの虫籠」はイントロにしても語り口にしてもJホラーの王道を行くような展開を見せます。不穏な空気感の描写と終盤のツイストもなかなか。主観的なカットも度々登場しますがそのカメラワークがどことなく「エコーナイト」などPS1〜2時代の一人称視点のホラーゲームを思い起こさせます。
一方で「アムリタの饗宴」ではSF色がグッと強くなります。集合住宅に踏み込んだことでたまひたちは時間の迷宮に囚われてしまい、そこからの脱出を試みます。「アラーニェの虫籠」よりもアニメの表現と世界観との親和性が増していて、こちらの方がいくらか洗練された雰囲気を放っています。両作とも主演を務めた花澤香菜・内田真礼があまり他では見ないタイプの演技をしているのも特徴と言えるでしょう。
ただやはり個人製作の限界というべきか、クオリティ面でどうしても一般的な商業アニメと見劣りがしてしまう箇所があるのは否めません。ちょっと変なというか不自然な動きをしているカットも散見されます。また虫が重要なキーであるために多足動物がわんさと出るカットもあるのでそういうのが苦手な人も注意が必要です。
作家性が強すぎるので合わなければただ作り手の自慰的な映像を延々と見せられているように感じる方もいるかもしれません。かなり観る人を選んでしまう作品であるのは間違いありませんが、こういう挑戦的な作品が小規模といえど全国公開されるところに日本アニメの強さがあるように思います。まだまだ、可能性の芽は色んなところにあるものです。「羽ばたき出す寸前」の作品を観てみたい方は是非どうぞ。
私は出社早々に電車が運行中止の報を知り、簡単な引き継ぎだけ済ませて速攻とんぼ返りキメてあとは在宅勤務という軽くエクストリームな1日でした。あと少し判断が遅ければ宿泊場所を探さないといけないところでしたが、自宅の方もレベル4の避難指示が出る有様でなかなか際どい状況でしたね。
こんばんは、小島@監督です。
まだ6月に入ったばかりだというのにもうコレ。今年の夏も集中豪雨に悩むことになりそう。
さて、今回の映画は「アラーニェの虫籠」と「アムリタの饗宴」です。
「アラーニェの虫籠」…女子大生のりん(声・花澤香菜)は、自宅である巨大集合住宅にまつわる不気味な噂に不安を抱いていた。ある日りんは救急搬送される老婆の腕から虫が飛び出る光景を目撃する。虫のことが気になって仕方ないりんは虫についての調査を開始する。
「アムリタの饗宴」…女子高生のたまひ(声・内田真礼)、陽(声・能登麻美子)、由宇(声・MoeMi)の3人は学校帰りに巨大集合住宅の屋上から人が飛び降りる姿を目撃する。集合住宅に駆け込んだ3人は、そこで人ならざる「何か」と遭遇する。
映画は基本的に1人でできるものではないですが、アニメだとキャスト以外のほとんどを1人で製作したという作品が稀に登場します。有名どころでは新海誠の出世作となった「ほしのこえ」や堀貴秀が手掛けたストップモーションアニメの「JUNK HEAD」あたりになるでしょうか。海外に目を向ければフレデリック・バックの「木を植えた男」などがありますね。1人で製作しているが故にダイレクトに作風が現れ必然的に作家性が強くなるためか、エンターテインメントよりもアートの系譜で語られることが多いように思います。
そんな個人製作アニメの系譜に連なる作品が新たに登場しました。手掛けたのは押井守監督の「イノセンス」でデジタルエフェクトを担当したりL'Arc〜en〜CielのMVや、ドラマ「MOZU」の作中イラストを製作した経験を持つアニメーター・坂本サク。脚本・監督・アニメーション製作に音楽までも一手に手掛け、文字通りキャスト以外はほぼ1人で作り上げたと言っていい作品です。「アムリタの饗宴」で主演した内田真礼はアフレコでスタッフが監督1人しかいない上にコロナ禍の只中で個別収録だったために監督と1対1で収録に臨む現場に初めて遭遇した驚きをインタビューで語っていました。
「アラーニェの虫籠」の方が2018年に製作され、アヌシー国際アニメーション映画祭などで上映された実績を持っています。世界観を共有した新作である「アムリタの饗宴」公開に合わせてカットに手を加えたリファイン版が作られ、今回2本立てとして上映されています。
2作品ともジャンルとしてはホラーになりますが、手触りは結構違います。共通しているのは巨大な集合住宅が重要な舞台装置であることと「虫」がモチーフであること。「アラーニェの虫籠」はイントロにしても語り口にしてもJホラーの王道を行くような展開を見せます。不穏な空気感の描写と終盤のツイストもなかなか。主観的なカットも度々登場しますがそのカメラワークがどことなく「エコーナイト」などPS1〜2時代の一人称視点のホラーゲームを思い起こさせます。
一方で「アムリタの饗宴」ではSF色がグッと強くなります。集合住宅に踏み込んだことでたまひたちは時間の迷宮に囚われてしまい、そこからの脱出を試みます。「アラーニェの虫籠」よりもアニメの表現と世界観との親和性が増していて、こちらの方がいくらか洗練された雰囲気を放っています。両作とも主演を務めた花澤香菜・内田真礼があまり他では見ないタイプの演技をしているのも特徴と言えるでしょう。
ただやはり個人製作の限界というべきか、クオリティ面でどうしても一般的な商業アニメと見劣りがしてしまう箇所があるのは否めません。ちょっと変なというか不自然な動きをしているカットも散見されます。また虫が重要なキーであるために多足動物がわんさと出るカットもあるのでそういうのが苦手な人も注意が必要です。
作家性が強すぎるので合わなければただ作り手の自慰的な映像を延々と見せられているように感じる方もいるかもしれません。かなり観る人を選んでしまう作品であるのは間違いありませんが、こういう挑戦的な作品が小規模といえど全国公開されるところに日本アニメの強さがあるように思います。まだまだ、可能性の芽は色んなところにあるものです。「羽ばたき出す寸前」の作品を観てみたい方は是非どうぞ。
割と思い立つと、一気に断捨離を始めたりする私だったり。
しかしそれもひと段落ついてしまうと、捨てたり売ったものが、
突然にもったいなかったような気がして欲しくなったりします。
もうやらないから売っちゃえと思ったゲームやその本体を、
今になって買い戻そうかと、最近ウジウジと絶賛後悔中。
世間ではミニマリストという持ち物をできるだけ減らして、
自分にとって必要最小限な物だけを持つということで、
かえって豊かに生きられるという考え方があるようです。
豊かになるどころか、後悔するような私にしてみれば、
向いていない考え方なのだと断捨離後にいつも思います。
さて、週末に降りく雨が止んで、その後はかなりの強い風。
そんな強い風のせいか、近所に駐車した車のセキュリティが、
その強い風に反応してサイレンを鳴らしまくっています。
その車の持ち主は出かけてしまって家にはいないようで、
そのセキュリティを解除する人が誰もいない様子でした。
強い風が吹くたびにサイレンが鳴っては止まりを繰り返し、
さすがに、いい加減にしてくれんものかと思いだします
私も昔は厳重なセキュリティを車に設置したことがあり、
その時は車に人が接近したり、車が傾いたり、揺れたりで、
すぐにサイレンが鳴るようにしていたこともありました。
しかしそこまですると、本当に少しのことで反応してしまい、
サイレンがすぐに鳴り、結構じれったかったものでした。
セキュリティよりもまわりに迷惑がかかるのが気になり、
結局、セキュリティの反応するレベルを下げまくって、
セキュリティが本当にされているのかという感じでしたね。
特に暇だった私は散歩がてらその車を見に行ってみようと、
サイレンの音を頼りにその車を探しに行くことにしました。
特に文句言ってやろうと言うわけではなかったのですが、
うるさいのもそれを目的にしてしまえば気になりません。
サイレンを頼りに車を見つけるのも、サイレンが止まると、
手がかりが無くなってしまい、意外と手こずっていると、
道の角を曲がったところに人だかりができているのを発見。
どうやらその人だかりのところにその車があるようです。
その人だかりに近づいていくと、私が何も言わないでも、
その中の1人が私に「この車だよ」と話しかけてきます。
やっぱり家には誰もいないようで、どうすることもできず、
ただ近所の人が集まっているだけで無念の様子でした。
私は車を発見したことで、なんとなく満足してしまいました。
しかしその車の持ち主、しばらく居心地が悪いだろうな。
しかしそれもひと段落ついてしまうと、捨てたり売ったものが、
突然にもったいなかったような気がして欲しくなったりします。
もうやらないから売っちゃえと思ったゲームやその本体を、
今になって買い戻そうかと、最近ウジウジと絶賛後悔中。
世間ではミニマリストという持ち物をできるだけ減らして、
自分にとって必要最小限な物だけを持つということで、
かえって豊かに生きられるという考え方があるようです。
豊かになるどころか、後悔するような私にしてみれば、
向いていない考え方なのだと断捨離後にいつも思います。
さて、週末に降りく雨が止んで、その後はかなりの強い風。
そんな強い風のせいか、近所に駐車した車のセキュリティが、
その強い風に反応してサイレンを鳴らしまくっています。
その車の持ち主は出かけてしまって家にはいないようで、
そのセキュリティを解除する人が誰もいない様子でした。
強い風が吹くたびにサイレンが鳴っては止まりを繰り返し、
さすがに、いい加減にしてくれんものかと思いだします
私も昔は厳重なセキュリティを車に設置したことがあり、
その時は車に人が接近したり、車が傾いたり、揺れたりで、
すぐにサイレンが鳴るようにしていたこともありました。
しかしそこまですると、本当に少しのことで反応してしまい、
サイレンがすぐに鳴り、結構じれったかったものでした。
セキュリティよりもまわりに迷惑がかかるのが気になり、
結局、セキュリティの反応するレベルを下げまくって、
セキュリティが本当にされているのかという感じでしたね。
特に暇だった私は散歩がてらその車を見に行ってみようと、
サイレンの音を頼りにその車を探しに行くことにしました。
特に文句言ってやろうと言うわけではなかったのですが、
うるさいのもそれを目的にしてしまえば気になりません。
サイレンを頼りに車を見つけるのも、サイレンが止まると、
手がかりが無くなってしまい、意外と手こずっていると、
道の角を曲がったところに人だかりができているのを発見。
どうやらその人だかりのところにその車があるようです。
その人だかりに近づいていくと、私が何も言わないでも、
その中の1人が私に「この車だよ」と話しかけてきます。
やっぱり家には誰もいないようで、どうすることもできず、
ただ近所の人が集まっているだけで無念の様子でした。
私は車を発見したことで、なんとなく満足してしまいました。
しかしその車の持ち主、しばらく居心地が悪いだろうな。
昨日開催のダービーはご覧になりましたでしょうか。
私が応援していた内の1頭がスタート直後についでに騎手まで振り落とし悠々と走って行ったのには笑ってしまいましたが、そんなアクシデントすら吹き飛ぶほどの事態が。2番人気だったスキルヴィングがレース中に急性心不全を起こし、ゴール後に倒れ込んでそのまま逝去してしまったのです。倒れ方が只事ではなかったためせめて無事であってくれと思いましたが運命とは時に残酷なもの。競走馬の脆さ、儚さを観衆に刻みつけるレースとなりました。
こんばんは、小島@監督です。
それでもレースは続いていく。全てのレースで人馬ともに無事に帰還してほしいものです。
さて、今回の映画は「帰れない山」です。
1984年、イタリア。トリノでエンジニアを務めるジョヴァンニ(フィリッポ・ティーミ)の息子ピエトロ(少年期アンドレア・パルマ、成年ルカ・マリネッリ)は両親に連れられ夏の休暇をモンテ・ローザ山麓のグラーノ村で過ごすことになった。グラーノ村はかつて賑わっていたものの今は寂れてしまい十数人しか住民がいない。そこでピエトロは牛飼いの少年ブルーノ(少年期フランチェスコ・パロンペッリ、成年アレッサンドロ・ボルギ)と出会う。都会育ちで繊細なピエトロと山育ちのブルーノは対照的な性格だが山で過ごす日々の中で親交を深めていく。
しかし、思わぬ形で2人は引き裂かれる。そのことが大きな傷となりやがて思春期を迎えたピエトロはジョヴァンニに反目するようになりグラーノ村からも遠ざかっていく。だが一度は離れたグラーノ村に、ピエトロはもう一度導かれる。そこでブルーノとの15年ぶりの再会が待っているのだった。
自分のルーツとなる土地、帰るべき場所、そこへ「帰れない」とはどういうことか。
山岳映画の系譜に新たな傑作がまた一つ。敢えてスタンダードサイズに切り詰められた画面が映し出すのは、峻険で荘厳な北イタリアの山並みと普遍的な人間模様。世界各国で高い評価を得たパオロ・コニェッティの小説を原作として製作されたこの映画は、沁み入るような深い余韻とともに「生きる」ことの意味の根源を問うドラマです。
映画は、数十年という時間を通して描かれます。その語り口は一見地味とすら思えるほどに細やか。けれどそれらが連綿と連なることで物語はどこまでも壮大になっていきます。人生には特別なことと特別でないことがいくつにも折り重なり続くもの。その中でつまるところ「立ち止まる」か「動く」かの選択を迫られながら進んでいく。そうして生きる人間を見下ろすように山がそびえている。その対比が全編を貫き、気付けば引き込まれていました。147分と結構な長尺なのにそれも気になりません。
子どもの頃から対照的なピエトロとブルーノは大人になっても対照的な生き方を選びます。どちらもがある意味で満ち足りていてある意味では欠乏しており、片方だけが幸せではない。恐らくどちらの生き方にも共鳴できる部分や憧憬を抱く部分があるはずです。そして2人の友情は各々の境遇はどうあれ絶対的に確かなものですが、そうであるが故に最後にはその山へ「帰れなく」なります。それもまた「選択」の果てのことであり、何か強烈なサスペンスがそこに待ってるわけではありませんが、人が生きることの難しさと尊さを観るものに再確認させます。
きっと誰しもがちょっぴりだけ自分の人生と重ねて観てしまう、そんな映画。決して華々しい作品ではないけれど、人生のどこかで立ち寄って欲しい一本というのはあるもの。迷い道の中、力強い激励や叱咤では眩し過ぎるときに、この映画は静かに寄り添ってくれることでしょう。
私が応援していた内の1頭がスタート直後についでに騎手まで振り落とし悠々と走って行ったのには笑ってしまいましたが、そんなアクシデントすら吹き飛ぶほどの事態が。2番人気だったスキルヴィングがレース中に急性心不全を起こし、ゴール後に倒れ込んでそのまま逝去してしまったのです。倒れ方が只事ではなかったためせめて無事であってくれと思いましたが運命とは時に残酷なもの。競走馬の脆さ、儚さを観衆に刻みつけるレースとなりました。
こんばんは、小島@監督です。
それでもレースは続いていく。全てのレースで人馬ともに無事に帰還してほしいものです。
さて、今回の映画は「帰れない山」です。
1984年、イタリア。トリノでエンジニアを務めるジョヴァンニ(フィリッポ・ティーミ)の息子ピエトロ(少年期アンドレア・パルマ、成年ルカ・マリネッリ)は両親に連れられ夏の休暇をモンテ・ローザ山麓のグラーノ村で過ごすことになった。グラーノ村はかつて賑わっていたものの今は寂れてしまい十数人しか住民がいない。そこでピエトロは牛飼いの少年ブルーノ(少年期フランチェスコ・パロンペッリ、成年アレッサンドロ・ボルギ)と出会う。都会育ちで繊細なピエトロと山育ちのブルーノは対照的な性格だが山で過ごす日々の中で親交を深めていく。
しかし、思わぬ形で2人は引き裂かれる。そのことが大きな傷となりやがて思春期を迎えたピエトロはジョヴァンニに反目するようになりグラーノ村からも遠ざかっていく。だが一度は離れたグラーノ村に、ピエトロはもう一度導かれる。そこでブルーノとの15年ぶりの再会が待っているのだった。
自分のルーツとなる土地、帰るべき場所、そこへ「帰れない」とはどういうことか。
山岳映画の系譜に新たな傑作がまた一つ。敢えてスタンダードサイズに切り詰められた画面が映し出すのは、峻険で荘厳な北イタリアの山並みと普遍的な人間模様。世界各国で高い評価を得たパオロ・コニェッティの小説を原作として製作されたこの映画は、沁み入るような深い余韻とともに「生きる」ことの意味の根源を問うドラマです。
映画は、数十年という時間を通して描かれます。その語り口は一見地味とすら思えるほどに細やか。けれどそれらが連綿と連なることで物語はどこまでも壮大になっていきます。人生には特別なことと特別でないことがいくつにも折り重なり続くもの。その中でつまるところ「立ち止まる」か「動く」かの選択を迫られながら進んでいく。そうして生きる人間を見下ろすように山がそびえている。その対比が全編を貫き、気付けば引き込まれていました。147分と結構な長尺なのにそれも気になりません。
子どもの頃から対照的なピエトロとブルーノは大人になっても対照的な生き方を選びます。どちらもがある意味で満ち足りていてある意味では欠乏しており、片方だけが幸せではない。恐らくどちらの生き方にも共鳴できる部分や憧憬を抱く部分があるはずです。そして2人の友情は各々の境遇はどうあれ絶対的に確かなものですが、そうであるが故に最後にはその山へ「帰れなく」なります。それもまた「選択」の果てのことであり、何か強烈なサスペンスがそこに待ってるわけではありませんが、人が生きることの難しさと尊さを観るものに再確認させます。
きっと誰しもがちょっぴりだけ自分の人生と重ねて観てしまう、そんな映画。決して華々しい作品ではないけれど、人生のどこかで立ち寄って欲しい一本というのはあるもの。迷い道の中、力強い激励や叱咤では眩し過ぎるときに、この映画は静かに寄り添ってくれることでしょう。