先日、「ストリーマー」という韓国のB級ホラーを観ていたら(正直出来はイマイチなのであまりお薦めはしません(笑))、主人公たちが廃墟の中で古いカレンダーを見つけて盛り上がるシーンがあったのですが、それが1988年というところに私の中のナニかが大ダメージ。そうね!20代の人にとっては生まれる前よね!!でもソウルオリンピックをリアルタイムで見てたクチにはまあまあショックよ!
こんばんは、小島@監督です。
20世紀も気づけばだいぶ遠くに。おぅふ。
さて、今回の映画は「スーパーマン」です。
崩壊した惑星クリプトンから地球に送り込まれたカル=エルは心優しいケント夫妻に育てられ、今はクラーク・ケント(デイビッド・コレンスエット)として大手新聞社「デイリープラネット」で記者として暮らす一方で地球の平和と人々を守る超人「スーパーマン」として日々戦い続けていた。
だが、スーパーマンを敵視する天才科学者にして億万長者のレックス・ルーサー(ニコラス・ホルト)によりスーパーマンを破滅させるための陰謀が静かに進行していた。
2013年製作の「マン・オブ・スティール」から始まった「DCエクステンデッド・ユニバース」が一旦幕を閉じ、「ガーディアン・オブ・ギャラクシー」を手掛けたジェームズ・ガンがトップに就任して新たなユニバースを展開させることになり、その第一弾になります。ジェームズ・ガンらしい陽性で明るい大活劇でユニバースの門出を華々しく飾ります。
冒頭からして意表を突いてくる作品です。スーパーマンはその知名度からしてもう改めてオリジンのエピソードを語り直さなくても良いという判断なのか、最初のカットの字幕でスーパーマンが3年前にヒーローデビューしたことがシンプルに語られ、何ならヒロインであるロイス・レイン(レイチェル・ブロスナハン)とももう恋仲になっていてほぼ説明無しで舞台が整っている状態で、かつスーパーマンがレックス・ルーサーの策にハマってヴィランにボコボコにされたところから始まります(笑)。いわゆる「マーベル・シネマティック・ユニバース」以降ヒーロー映画が量産されたことで「文法」のようなものが浸透してきたことや「スターウォーズ」のように最初にあらすじを見せた先達もいるからこそ可能になった手段と言えますね。
「マン・オブ・スティール」や続編の「バットマンvsスーパーマン」ではザック・スナイダー監督はスーパーマンをキリストのメタファーとして描き、ダークでシリアスな作風の中でキリスト教的精神を体現する崇高な雰囲気を持ったものとなっていましたが、ジェームズ・ガンの描く新たなスーパーマンは人間臭く不完全で、それ故に自身の手で抱えきれない時は他に助力を求められる柔軟さを持っています。
そのため「スーパーマン」というタイトルながらワンマン映画ではなくミスター・テリフィック(エディ・ガテギ)、グリーン・ランタン(ネイサン・フィリオン)、ホークガール(イザベラ・メルセド)らヒーロー仲間が次々と登場し、初っ端からチーム戦が展開します。特にミスター・テリフィックは主役顔負けの大活躍。そしてこの「無敵のスーパーマン」でないことが終盤の展開に生きてきてヒーロー映画らしい熱さをたたえたクライマックスが待っています。
そしてこの映画のもう一つの大きなポイントが超パワーを持つスーパードッグ・クリプト。やんちゃな性格の飼い犬のあるあるがこれでもかとばかりに詰め込まれたマスコットキャラクターで犬を飼ったことが無くても「何かこんな動きしてる犬見たことある!」と思ってしまう人も多いのでは。その奔放さでスーパーマンどころかレックス・ルーサーさえも翻弄されてしまうクリプトの可愛らしさが今作の絶妙なアクセントになっています。
極めて出来の良い作品なのですが「鬼滅の刃」大旋風の煽りを受けて公開から半月しか経過していないのにもう隅に追いやられてしまっているのが正直もったいないくらい。「ファンタスティック4」も封切られて「ジュラシック・ワールド」の新作も控えている手前割りを食いっぱなしになりそうなので鑑賞を検討している方はお早めに。
こんばんは、小島@監督です。
20世紀も気づけばだいぶ遠くに。おぅふ。
さて、今回の映画は「スーパーマン」です。
崩壊した惑星クリプトンから地球に送り込まれたカル=エルは心優しいケント夫妻に育てられ、今はクラーク・ケント(デイビッド・コレンスエット)として大手新聞社「デイリープラネット」で記者として暮らす一方で地球の平和と人々を守る超人「スーパーマン」として日々戦い続けていた。
だが、スーパーマンを敵視する天才科学者にして億万長者のレックス・ルーサー(ニコラス・ホルト)によりスーパーマンを破滅させるための陰謀が静かに進行していた。
2013年製作の「マン・オブ・スティール」から始まった「DCエクステンデッド・ユニバース」が一旦幕を閉じ、「ガーディアン・オブ・ギャラクシー」を手掛けたジェームズ・ガンがトップに就任して新たなユニバースを展開させることになり、その第一弾になります。ジェームズ・ガンらしい陽性で明るい大活劇でユニバースの門出を華々しく飾ります。
冒頭からして意表を突いてくる作品です。スーパーマンはその知名度からしてもう改めてオリジンのエピソードを語り直さなくても良いという判断なのか、最初のカットの字幕でスーパーマンが3年前にヒーローデビューしたことがシンプルに語られ、何ならヒロインであるロイス・レイン(レイチェル・ブロスナハン)とももう恋仲になっていてほぼ説明無しで舞台が整っている状態で、かつスーパーマンがレックス・ルーサーの策にハマってヴィランにボコボコにされたところから始まります(笑)。いわゆる「マーベル・シネマティック・ユニバース」以降ヒーロー映画が量産されたことで「文法」のようなものが浸透してきたことや「スターウォーズ」のように最初にあらすじを見せた先達もいるからこそ可能になった手段と言えますね。
「マン・オブ・スティール」や続編の「バットマンvsスーパーマン」ではザック・スナイダー監督はスーパーマンをキリストのメタファーとして描き、ダークでシリアスな作風の中でキリスト教的精神を体現する崇高な雰囲気を持ったものとなっていましたが、ジェームズ・ガンの描く新たなスーパーマンは人間臭く不完全で、それ故に自身の手で抱えきれない時は他に助力を求められる柔軟さを持っています。
そのため「スーパーマン」というタイトルながらワンマン映画ではなくミスター・テリフィック(エディ・ガテギ)、グリーン・ランタン(ネイサン・フィリオン)、ホークガール(イザベラ・メルセド)らヒーロー仲間が次々と登場し、初っ端からチーム戦が展開します。特にミスター・テリフィックは主役顔負けの大活躍。そしてこの「無敵のスーパーマン」でないことが終盤の展開に生きてきてヒーロー映画らしい熱さをたたえたクライマックスが待っています。
そしてこの映画のもう一つの大きなポイントが超パワーを持つスーパードッグ・クリプト。やんちゃな性格の飼い犬のあるあるがこれでもかとばかりに詰め込まれたマスコットキャラクターで犬を飼ったことが無くても「何かこんな動きしてる犬見たことある!」と思ってしまう人も多いのでは。その奔放さでスーパーマンどころかレックス・ルーサーさえも翻弄されてしまうクリプトの可愛らしさが今作の絶妙なアクセントになっています。
極めて出来の良い作品なのですが「鬼滅の刃」大旋風の煽りを受けて公開から半月しか経過していないのにもう隅に追いやられてしまっているのが正直もったいないくらい。「ファンタスティック4」も封切られて「ジュラシック・ワールド」の新作も控えている手前割りを食いっぱなしになりそうなので鑑賞を検討している方はお早めに。
蓋を開ければ与党の大敗と既存のスタイルの限界が見えたような今回の参院選。皆さま投票には行かれましたでしょうか。こういう祭りは参加してこそです。旧来からの政党が伸び悩む一方で新興勢力も台頭する多党体制の兆しが見え、先行きがなかなか見えないですね。
こんばんは、小島@監督です。
いやでもホント取り敢えず手取りをもう少し増やしておくれ。
さて、今回の映画は「鬼滅の刃無限城編第一章猗窩座再来」です。
決戦の時は来た。産屋敷耀哉(声・森川智之)の策略により一度は鬼舞辻無惨(声・関俊彦)を追い詰めるに至るが、無惨は逆に鬼殺隊を無限城に追い込み全滅を図る。無数の鬼たちの襲来をかわしながら胡蝶しのぶ(声・早見沙織)は上弦の弐・童磨(声・宮野真守)と、我妻善逸(声・下野紘)は上弦の陸・獪岳(声・細谷佳正)と対峙する。そして竈門炭治郎(声・花江夏樹)と冨岡義勇(声・櫻井孝宏)は上弦の参・猗窩座(声・石田彰)と因縁の再会を果たす。
2020年、コロナ禍に喘いだ日本映画界を救い史上最高興収を叩き出した「鬼滅の刃無限列車編」、そこからTVシリーズにフィールドを戻して「遊郭編」「刀鍛冶の里編」「柱稽古編」と進みいよいよ最終章となる「無限城編」が三部作の劇場版として公開が始まりました。封切り後の初週は全国のシネコンで軒並み1日20回以上、中には40回に達する破格の上映体制が組まれ3連休というカレンダーも手伝ってその多くで満席かそれに近い集客を獲得し僅か3日で興収50億(!)を突破する勢いを見せています。
異様なほどの期待を背負っての公開となった今作ですが、さすがはufo table。軽々と超えて来ます。というか期待したものが最高純度でお出しされてくる時間がみっちり続く驚異の映像体験が待っています。
原作の主題と描写を吟味し整理できるところは整理しながらアニメでしかやれないカメラワークと表現に昇華させる映像、精緻な音響設計とフィルムに合わせて書き上げられた椎名豪・梶浦由紀コンビによる音楽のダイナミズム、「こんな演技できるの!?」と言いたくなるくらいに次から次へと飛び出す実力派声優たちの名演、これらが混然となり観客を圧倒する時間が155分間1秒も余さず続きます。
物語は「無限列車編」の終盤で突如登場し煉獄杏寿郎と死闘を繰り広げ、炭治郎たちにとってもターニングポイントとなった猗窩座との対決が中心となり、ちょうど「無限列車編」と対になっている構図です。「無限列車編」では単に強さに固執している面だけが強調されていた猗窩座の背景が明らかになります。「鬼滅の刃」という作品は鬼となった者のバックボーンが物語にがっちり組み込まれる時とそうでない時とあって、ハイボリュームなアクションで押す仕様はどれも変わらないものの「遊郭編」のように強く組み込まれてる時の方がドラマとしてより面白くなる傾向にあり、今作はまさにそのパターン。ドラマとアクションの高次元で充実しているだけでなく密度も恐ろしく高く、上映中何気無く腕時計を見たら「こんなにがっつり見せてもらえているのにまだ1時間ちょっとしか経ってない!?」という時間感覚がおかしくなるような密度をしています。
これ単体で既に尋常じゃない面白さながらこれでまだ第一章。まだいくつも山場が控えています。取り敢えず早く続きが観たい!という渇望を胸に劇場へ再度足へ運んでしまいたくなるので完全にチョロい(笑)現代日本における商業アニメーションの極致かつ最高峰、ネタバレに怯えるタイプの作品ではないので初動の過熱が落ち着いてからでも充分ですが是非スクリーンで味わっていただきたいですね。
こんばんは、小島@監督です。
いやでもホント取り敢えず手取りをもう少し増やしておくれ。
さて、今回の映画は「鬼滅の刃無限城編第一章猗窩座再来」です。
決戦の時は来た。産屋敷耀哉(声・森川智之)の策略により一度は鬼舞辻無惨(声・関俊彦)を追い詰めるに至るが、無惨は逆に鬼殺隊を無限城に追い込み全滅を図る。無数の鬼たちの襲来をかわしながら胡蝶しのぶ(声・早見沙織)は上弦の弐・童磨(声・宮野真守)と、我妻善逸(声・下野紘)は上弦の陸・獪岳(声・細谷佳正)と対峙する。そして竈門炭治郎(声・花江夏樹)と冨岡義勇(声・櫻井孝宏)は上弦の参・猗窩座(声・石田彰)と因縁の再会を果たす。
2020年、コロナ禍に喘いだ日本映画界を救い史上最高興収を叩き出した「鬼滅の刃無限列車編」、そこからTVシリーズにフィールドを戻して「遊郭編」「刀鍛冶の里編」「柱稽古編」と進みいよいよ最終章となる「無限城編」が三部作の劇場版として公開が始まりました。封切り後の初週は全国のシネコンで軒並み1日20回以上、中には40回に達する破格の上映体制が組まれ3連休というカレンダーも手伝ってその多くで満席かそれに近い集客を獲得し僅か3日で興収50億(!)を突破する勢いを見せています。
異様なほどの期待を背負っての公開となった今作ですが、さすがはufo table。軽々と超えて来ます。というか期待したものが最高純度でお出しされてくる時間がみっちり続く驚異の映像体験が待っています。
原作の主題と描写を吟味し整理できるところは整理しながらアニメでしかやれないカメラワークと表現に昇華させる映像、精緻な音響設計とフィルムに合わせて書き上げられた椎名豪・梶浦由紀コンビによる音楽のダイナミズム、「こんな演技できるの!?」と言いたくなるくらいに次から次へと飛び出す実力派声優たちの名演、これらが混然となり観客を圧倒する時間が155分間1秒も余さず続きます。
物語は「無限列車編」の終盤で突如登場し煉獄杏寿郎と死闘を繰り広げ、炭治郎たちにとってもターニングポイントとなった猗窩座との対決が中心となり、ちょうど「無限列車編」と対になっている構図です。「無限列車編」では単に強さに固執している面だけが強調されていた猗窩座の背景が明らかになります。「鬼滅の刃」という作品は鬼となった者のバックボーンが物語にがっちり組み込まれる時とそうでない時とあって、ハイボリュームなアクションで押す仕様はどれも変わらないものの「遊郭編」のように強く組み込まれてる時の方がドラマとしてより面白くなる傾向にあり、今作はまさにそのパターン。ドラマとアクションの高次元で充実しているだけでなく密度も恐ろしく高く、上映中何気無く腕時計を見たら「こんなにがっつり見せてもらえているのにまだ1時間ちょっとしか経ってない!?」という時間感覚がおかしくなるような密度をしています。
これ単体で既に尋常じゃない面白さながらこれでまだ第一章。まだいくつも山場が控えています。取り敢えず早く続きが観たい!という渇望を胸に劇場へ再度足へ運んでしまいたくなるので完全にチョロい(笑)現代日本における商業アニメーションの極致かつ最高峰、ネタバレに怯えるタイプの作品ではないので初動の過熱が落ち着いてからでも充分ですが是非スクリーンで味わっていただきたいですね。
昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
いや〜三大シリーズ封印特撮部屋、ちょっと覗いてみたのですがハードルが高い(笑)。歌ってみようと思って聞いていた曲が少ないと言いますか。最初から部屋にいたとして最後までやり切れる気がしない(苦笑)。まだまだレパートリー拡大の余地がありそうです。
こんばんは、小島@監督です。
それはそれとして前回前々回と不参加だったぶん聴き込んだ曲がそこそこあったのをいくつか初挑戦できたので結構充実。でもまだ歌い足りない(笑)
さて、今回の映画は「LUPIN THE ⅢRD THE MOVIE 不死身の血族」です。
度々ルパン3世(声・栗田貫一)らに刺客を送り込み、窮地に追い詰めた謎の存在。その黒幕を突き止め、隠された莫大な財宝を盗み取るべくルパンたちはバミューダ海域へ向かっていた。そこには地図に書かれていない島があるという。しかし目的地に近付いたと思われた瞬間ルパンたちが乗る飛行機が狙撃され撃墜された。辛くも難を逃れたもののルパンたちを更なる敵が襲いかかる。
半世紀を超えてシリーズが続く「ルパン3世」、数多くのアニメが作られてきましたがその中でもスタイリッシュな映像とハードボイルドなテイストで国内外で支持されている「LUPIN THE ⅢRD」というシリーズがあります。2012年放送の「峰不二子という女」を出発点に、その後TVシリーズから劇場での限定公開も視野に入れたOVAへとフォーマットを移し2014年製作の「次元大介の墓標」以降「血煙の石川五ェ門」(2017年)「峰不二子の嘘」(2019年)「銭形と2人のルパン」(2025年。配信のみ)と不定期にシリーズが続けられて来ました。その集大成とも言える劇場用新作の登場です。
「ルパン3世」が割と間断なく新作が登場するのと旧作のリバイバル上映などもあったりしたおかげでであまりそんな印象は無かったですが、2Dアニメーションの劇場用作品としては1996年に原作者モンキー・パンチ自らが監督した「DEAD OR ALIVE」以来実に29年ぶりだそうです。「次元大介の墓標」以降のシリーズを手がける小池健が監督を務め、ジェイムス下地のクールな音楽が作品を引き締めてくれます。
このシリーズの醍醐味とも言えるエッジの効いたビジュアルとともにダイナミックなアクションを全編に渡り楽しめる作品です。コミカルさは極力排され高い緊張感を保ち続けているのも特色。アクションの手数も多く作画も非常に流麗でスクリーンで観る迫力は充分です。
物語は実質最初から決戦地に入り込んで行く格好なので「起」と「承」をすっ飛ばして「転」から始まるような印象。冒頭にここまでのあらすじが語られるのでこの映画だけ観ても概ね支障が無いように作られてはいますが、ヴィランたるムオム(声・片岡愛之助)はともかくとしてそれに匹敵するくらいにストーリーに絡んで再登場してくるサブキャラが複数いるので可能ならシリーズは予習しておく方が置いてけぼりは食わないように思います。あるいは鑑賞後に追いかける楽しみがあるという捉え方もできますね。
「全てのルパンに繋がる」という大仰なコピーがついた本作ですが、実質のところ直結しているエピソードは一つだけである点と、過去のルパン作品にゲスト出演した声優陣が数名カメオ出演しているくらいです。このリンクの見せ方が個人的にちょっぴり不満で、本編の結構早い段階でサラッと明かされてしまうのです。どうせならもっと勿体つけて「満を持して」感を出して欲しかった気がします。何せムオムのキャラクターデザインがアレなので恐らくそうだろうとは思っていてもやっぱりそういう美味しいところはもっと溜めて欲しかった。
アクションで押しつつも知略を巡らし強者を上回っていくルパンのキャラクター性やB'zの歌うテーマ曲のカッコ良さなど作品として光るところは多いのですが、大ネタの使い方のもったいなさがどうしようもなくのしかかって来ている印象でどこか消化不良が拭えない印象でした。
ただ1番困るのは「ここまでやったんならこれを集大成として終わりにせずにあと一本作って欲しい。何ならアレをリメイクして欲しい」という期待もある自分(笑)。何だかんだ気に入ってるんじゃないか。「ルパン3世」を最初にアニメにした大隅正秋氏のテイストを現代に甦らせようとするこのシリーズ、ユーモアとカリスマ性で語る軽妙洒脱なルパンとは一線を画す面白さはやはり捨てがたいですね。
いや〜三大シリーズ封印特撮部屋、ちょっと覗いてみたのですがハードルが高い(笑)。歌ってみようと思って聞いていた曲が少ないと言いますか。最初から部屋にいたとして最後までやり切れる気がしない(苦笑)。まだまだレパートリー拡大の余地がありそうです。
こんばんは、小島@監督です。
それはそれとして前回前々回と不参加だったぶん聴き込んだ曲がそこそこあったのをいくつか初挑戦できたので結構充実。でもまだ歌い足りない(笑)
さて、今回の映画は「LUPIN THE ⅢRD THE MOVIE 不死身の血族」です。
度々ルパン3世(声・栗田貫一)らに刺客を送り込み、窮地に追い詰めた謎の存在。その黒幕を突き止め、隠された莫大な財宝を盗み取るべくルパンたちはバミューダ海域へ向かっていた。そこには地図に書かれていない島があるという。しかし目的地に近付いたと思われた瞬間ルパンたちが乗る飛行機が狙撃され撃墜された。辛くも難を逃れたもののルパンたちを更なる敵が襲いかかる。
半世紀を超えてシリーズが続く「ルパン3世」、数多くのアニメが作られてきましたがその中でもスタイリッシュな映像とハードボイルドなテイストで国内外で支持されている「LUPIN THE ⅢRD」というシリーズがあります。2012年放送の「峰不二子という女」を出発点に、その後TVシリーズから劇場での限定公開も視野に入れたOVAへとフォーマットを移し2014年製作の「次元大介の墓標」以降「血煙の石川五ェ門」(2017年)「峰不二子の嘘」(2019年)「銭形と2人のルパン」(2025年。配信のみ)と不定期にシリーズが続けられて来ました。その集大成とも言える劇場用新作の登場です。
「ルパン3世」が割と間断なく新作が登場するのと旧作のリバイバル上映などもあったりしたおかげでであまりそんな印象は無かったですが、2Dアニメーションの劇場用作品としては1996年に原作者モンキー・パンチ自らが監督した「DEAD OR ALIVE」以来実に29年ぶりだそうです。「次元大介の墓標」以降のシリーズを手がける小池健が監督を務め、ジェイムス下地のクールな音楽が作品を引き締めてくれます。
このシリーズの醍醐味とも言えるエッジの効いたビジュアルとともにダイナミックなアクションを全編に渡り楽しめる作品です。コミカルさは極力排され高い緊張感を保ち続けているのも特色。アクションの手数も多く作画も非常に流麗でスクリーンで観る迫力は充分です。
物語は実質最初から決戦地に入り込んで行く格好なので「起」と「承」をすっ飛ばして「転」から始まるような印象。冒頭にここまでのあらすじが語られるのでこの映画だけ観ても概ね支障が無いように作られてはいますが、ヴィランたるムオム(声・片岡愛之助)はともかくとしてそれに匹敵するくらいにストーリーに絡んで再登場してくるサブキャラが複数いるので可能ならシリーズは予習しておく方が置いてけぼりは食わないように思います。あるいは鑑賞後に追いかける楽しみがあるという捉え方もできますね。
「全てのルパンに繋がる」という大仰なコピーがついた本作ですが、実質のところ直結しているエピソードは一つだけである点と、過去のルパン作品にゲスト出演した声優陣が数名カメオ出演しているくらいです。このリンクの見せ方が個人的にちょっぴり不満で、本編の結構早い段階でサラッと明かされてしまうのです。どうせならもっと勿体つけて「満を持して」感を出して欲しかった気がします。何せムオムのキャラクターデザインがアレなので恐らくそうだろうとは思っていてもやっぱりそういう美味しいところはもっと溜めて欲しかった。
アクションで押しつつも知略を巡らし強者を上回っていくルパンのキャラクター性やB'zの歌うテーマ曲のカッコ良さなど作品として光るところは多いのですが、大ネタの使い方のもったいなさがどうしようもなくのしかかって来ている印象でどこか消化不良が拭えない印象でした。
ただ1番困るのは「ここまでやったんならこれを集大成として終わりにせずにあと一本作って欲しい。何ならアレをリメイクして欲しい」という期待もある自分(笑)。何だかんだ気に入ってるんじゃないか。「ルパン3世」を最初にアニメにした大隅正秋氏のテイストを現代に甦らせようとするこのシリーズ、ユーモアとカリスマ性で語る軽妙洒脱なルパンとは一線を画す面白さはやはり捨てがたいですね。
先日弟夫婦が1歳半になる姪っ子を連れて自宅を来訪。歩き出して行動範囲も広くなり始めた可愛い盛り。それは良いのですが、迂闊に触ったりして怪我したり危ないものがないように事前に結構真面目に片付けて掃除したはずなのに何故そこに目を付けるのだ姪っ子。今日イチ興味を示すのがモップというのはどうなのだ姪っ子。まさかデラウェアを一房完食するとは思わなかったぞ姪っ子。
こんばんは、小島@監督です。
幼児の体力と好奇心油断できねえ!たった1日だけでぐったりでございましたよ。
さて、今回の映画は「F1/エフワン」です。
かつてF1レーサーとして将来を嘱望されていたソニー・ヘイズ(ブラッド・ピット)はあるクラッシュ事故をきっかけにF1の世界から離れ、今は様々なレースとチームを渡り歩く漂泊のレーサーとして古びたバンで寝泊まりする生活を送っていた。ある日、かつてのチームメイトであるルーベン・セルバンテス(ハビエル・バルデム)と再会したソニーは、ルーベンから彼がオーナーを務めるF1チーム「APX」のドライバーのオファーされる。APXは低迷を続けており残り9戦で結果を出せなければ売却される可能性があるという。複雑な思いを抱きながら、ソニーはサーキットへと向かっていた。
なんとF1主催のリバティメディア全面協力、現役レーサーのルイス・ハミルトンがプロデューサーとしてクレジットされた破格のレース映画の登場です。主人公が所属するチーム以外の全てのチームとサーキットが実在のものが登場し、実際のレース中にも撮影が行われたという代物です。同じくF1レースをモチーフにした映画としては2013年に「ラッシュ/プライドと友情」という実在のレーサー・ジェームス・ハントとニキ・ラウダの活躍を描いた秀作がありましたが、史実映画の側面も強かった同作と違ってこちらはとことんエンタメ志向。
監督ジョセフ・コシンスキー以下「トップガン・マーヴェリック」の主力スタッフが再結集。機材も労力も惜しまない贅沢さで映像と音響を作り上げ、観客をハイスピードの世界へ誘います。
物語は身も蓋も無い言い方をすれば「トップガン・マーヴェリック」の地上版です。かつて天才を欲しいままにしたロートルが若者のメンターとなり、相互に影響し合ってやがてはロートルの中でも変化が生じていきクライマックスへと突入していく流れまでほぼそのまま。
だからと言って観てて萎えると言うことはありません。レーサーのドライビングテクニックだけをクローズアップせず戦略技巧とピットワークにも重きを置いたストーリー展開は、結構ダーティーな手段をホイホイ使うソニーのスタイルと相まって未見性が高く、レースを魅力的に見せてくれます。
ソニーとタッグを組む事になる若手レーサー・ジョシュア(ダムソン・イドリス)とのドラマもなかなかで、ソニーとジョシュア2人のキャラクターを存分に描けていることがクライマックスの面白さに繋がっていて終盤は最高にアガリます。
まあソニーが30年以上一線離れていて根本から往時とは変わっているはずのF1マシンをサラッと使えていることが一番リアリティ無いのですがそこをツッコむのは野暮ってものでしょう(笑)
その映像と音響の迫力から可能ならIMAXやDolby cinemaなどのラージフォーマットで味わって欲しい一本。なのですが、あと2週間で超大物「鬼滅の刃」が公開されるとそちらに全部持って行かれてしまいそうなので興味のある方はお早めに。
こんばんは、小島@監督です。
幼児の体力と好奇心油断できねえ!たった1日だけでぐったりでございましたよ。
さて、今回の映画は「F1/エフワン」です。
かつてF1レーサーとして将来を嘱望されていたソニー・ヘイズ(ブラッド・ピット)はあるクラッシュ事故をきっかけにF1の世界から離れ、今は様々なレースとチームを渡り歩く漂泊のレーサーとして古びたバンで寝泊まりする生活を送っていた。ある日、かつてのチームメイトであるルーベン・セルバンテス(ハビエル・バルデム)と再会したソニーは、ルーベンから彼がオーナーを務めるF1チーム「APX」のドライバーのオファーされる。APXは低迷を続けており残り9戦で結果を出せなければ売却される可能性があるという。複雑な思いを抱きながら、ソニーはサーキットへと向かっていた。
なんとF1主催のリバティメディア全面協力、現役レーサーのルイス・ハミルトンがプロデューサーとしてクレジットされた破格のレース映画の登場です。主人公が所属するチーム以外の全てのチームとサーキットが実在のものが登場し、実際のレース中にも撮影が行われたという代物です。同じくF1レースをモチーフにした映画としては2013年に「ラッシュ/プライドと友情」という実在のレーサー・ジェームス・ハントとニキ・ラウダの活躍を描いた秀作がありましたが、史実映画の側面も強かった同作と違ってこちらはとことんエンタメ志向。
監督ジョセフ・コシンスキー以下「トップガン・マーヴェリック」の主力スタッフが再結集。機材も労力も惜しまない贅沢さで映像と音響を作り上げ、観客をハイスピードの世界へ誘います。
物語は身も蓋も無い言い方をすれば「トップガン・マーヴェリック」の地上版です。かつて天才を欲しいままにしたロートルが若者のメンターとなり、相互に影響し合ってやがてはロートルの中でも変化が生じていきクライマックスへと突入していく流れまでほぼそのまま。
だからと言って観てて萎えると言うことはありません。レーサーのドライビングテクニックだけをクローズアップせず戦略技巧とピットワークにも重きを置いたストーリー展開は、結構ダーティーな手段をホイホイ使うソニーのスタイルと相まって未見性が高く、レースを魅力的に見せてくれます。
ソニーとタッグを組む事になる若手レーサー・ジョシュア(ダムソン・イドリス)とのドラマもなかなかで、ソニーとジョシュア2人のキャラクターを存分に描けていることがクライマックスの面白さに繋がっていて終盤は最高にアガリます。
まあソニーが30年以上一線離れていて根本から往時とは変わっているはずのF1マシンをサラッと使えていることが一番リアリティ無いのですがそこをツッコむのは野暮ってものでしょう(笑)
その映像と音響の迫力から可能ならIMAXやDolby cinemaなどのラージフォーマットで味わって欲しい一本。なのですが、あと2週間で超大物「鬼滅の刃」が公開されるとそちらに全部持って行かれてしまいそうなので興味のある方はお早めに。
先週最終回を迎えた「機動戦士ガンダムGQuuuuuuX」を振り返るなら、ひとえに「祭り」であったように思えます。サンライズ×カラーのコラボレーションがもたらしたのは富野由悠季監督の「機動戦士ガンダム」を正史とした「本歌取り」の物語によってもはや古典の領域になりつつある1st〜逆襲のシャアまでの作品群を「再発見」する導線を作ってみせ、平日深夜という不利な放送時間も意外なほどライブ感の醸成に一役買って古参どころかご新規さんも巻き込み、先行上映「Beginning」も入れると約半年間ファンを楽しませてくれました。マチュやニャアンらのキャラクターも個性的で、もうちょっと彼女たちの活躍を観ていたかったような気も。
こんばんは、小島@監督です。
さすがに古びていく一方であった旧作群を再発見できた功績は大きく、「ガンダム」というコンテンツはこれで更に10年は戦えるようになったと思えます。ここからガンダムに入ってきた人たちが後年更なる傑作を生み出して来たら嬉しいですね。
さて、今回の映画は「罪人たち」です。
1932年アメリカ南部。大金を得た双子の兄弟スモークとスタック(マイケル・B・ジョーダン/2役)は閉鎖された製材所を買い取り客に音楽と酒を提供するジューク・ジョイントをオープンしようとする。酒を手配しミュージシャンを雇いいよいよ店はオープンの時を迎えた。酒、音楽、ギャンブルまでも始まり狂騒の夜が幕を開ける。それはやがて人ならざる者さえも呼び寄せる事になる。
「フルートベール駅で」や「ブラックパンサー」などアメリカにおける黒人の悲喜とカルチャーを作品に落とし込みながら高いエンターテインメントを見せるフィルムメイカー・ライアン・クーグラー監督。その最新作は黒人差別も強く残る1932年の南部でブルースの音楽と共に人外の存在、ぶっちゃけて言えばヴァンパイアと死闘を繰り広げることになった者たちの一夜を描きます。
吸血鬼ものも数あれど、まだこんなアプローチがあるのかと驚かされる一本です。
前半は意外なほどゆったりとしたテンポで南部の片田舎での濃密な人間模様を描いていきます。結構な数の人物が登場しますが、きちんと把握しやすく配置され人物描写が積み重ねられている手腕はなかなかのもの。
物語の中心はスモークとスタックの双子ですが、彼等の従兄弟である少年「プリーチャー・ボーイ」サミー(マイルズ・ケイトン)も非常に重要な存在です。神父の息子であるサミーは天才的なブルースの才能を持っていますが聖歌たるゴスペルに傾倒している父とは対立しており、それはそのままブラックミュージックの対立軸とも言えるでしょう。ミュージカルというわけでもないのですが、この映画は非常に音楽の比重が高いことが重要なファクターになっています。
サミーの奏でるブルースは客たちをトランス状態へと導いていきますが、その音色にヴァンパイアも誘われてしまいます。ここで吸血鬼ものの定番「招かれないと家に入れない」という設定が活かされているのが特徴的。これに匹敵するのは小野不由美の「屍鬼」くらいではなかろうかというくらいに前面に出て機能しています。また登場する吸血鬼たちがアイルランド系というのもポイント。彼らもまたアメリカの主流から外れた遅れて来た移民たちである点は、この映画を読み解くのに重要でしょう。
緊張感と恐怖が沸点に達し狂騒が惨劇と死闘に変わる頃には、物語はそれまでのゆったりしたテンポをかなぐり捨てて爆発し、ブルースとケルティックミュージックが交錯するクライマックスに突入します。
全編にわたるブルースの哀愁を帯びた旋律は一方で非常にクールで、観ているとサントラが欲しくなってくるくらい。正直当初は別の映画を観ようとしたら満席だったので代わりに、という程度で観た一本でしたが想定外の面白さに大満足。
なお本当のクライマックスはエンドクレジットの最中に語られる上にクレジットの終わりにももうワンシーンあるのでご鑑賞の際は明るくなるまで席をお立ちになりませんよう。
こんばんは、小島@監督です。
さすがに古びていく一方であった旧作群を再発見できた功績は大きく、「ガンダム」というコンテンツはこれで更に10年は戦えるようになったと思えます。ここからガンダムに入ってきた人たちが後年更なる傑作を生み出して来たら嬉しいですね。
さて、今回の映画は「罪人たち」です。
1932年アメリカ南部。大金を得た双子の兄弟スモークとスタック(マイケル・B・ジョーダン/2役)は閉鎖された製材所を買い取り客に音楽と酒を提供するジューク・ジョイントをオープンしようとする。酒を手配しミュージシャンを雇いいよいよ店はオープンの時を迎えた。酒、音楽、ギャンブルまでも始まり狂騒の夜が幕を開ける。それはやがて人ならざる者さえも呼び寄せる事になる。
「フルートベール駅で」や「ブラックパンサー」などアメリカにおける黒人の悲喜とカルチャーを作品に落とし込みながら高いエンターテインメントを見せるフィルムメイカー・ライアン・クーグラー監督。その最新作は黒人差別も強く残る1932年の南部でブルースの音楽と共に人外の存在、ぶっちゃけて言えばヴァンパイアと死闘を繰り広げることになった者たちの一夜を描きます。
吸血鬼ものも数あれど、まだこんなアプローチがあるのかと驚かされる一本です。
前半は意外なほどゆったりとしたテンポで南部の片田舎での濃密な人間模様を描いていきます。結構な数の人物が登場しますが、きちんと把握しやすく配置され人物描写が積み重ねられている手腕はなかなかのもの。
物語の中心はスモークとスタックの双子ですが、彼等の従兄弟である少年「プリーチャー・ボーイ」サミー(マイルズ・ケイトン)も非常に重要な存在です。神父の息子であるサミーは天才的なブルースの才能を持っていますが聖歌たるゴスペルに傾倒している父とは対立しており、それはそのままブラックミュージックの対立軸とも言えるでしょう。ミュージカルというわけでもないのですが、この映画は非常に音楽の比重が高いことが重要なファクターになっています。
サミーの奏でるブルースは客たちをトランス状態へと導いていきますが、その音色にヴァンパイアも誘われてしまいます。ここで吸血鬼ものの定番「招かれないと家に入れない」という設定が活かされているのが特徴的。これに匹敵するのは小野不由美の「屍鬼」くらいではなかろうかというくらいに前面に出て機能しています。また登場する吸血鬼たちがアイルランド系というのもポイント。彼らもまたアメリカの主流から外れた遅れて来た移民たちである点は、この映画を読み解くのに重要でしょう。
緊張感と恐怖が沸点に達し狂騒が惨劇と死闘に変わる頃には、物語はそれまでのゆったりしたテンポをかなぐり捨てて爆発し、ブルースとケルティックミュージックが交錯するクライマックスに突入します。
全編にわたるブルースの哀愁を帯びた旋律は一方で非常にクールで、観ているとサントラが欲しくなってくるくらい。正直当初は別の映画を観ようとしたら満席だったので代わりに、という程度で観た一本でしたが想定外の面白さに大満足。
なお本当のクライマックスはエンドクレジットの最中に語られる上にクレジットの終わりにももうワンシーンあるのでご鑑賞の際は明るくなるまで席をお立ちになりませんよう。
最終回を目前に再上映が始まった「機動戦士ガンダムジークアクスBeginning」、せっかくの祭りだ!乗っかるか!と何か妙な勢いで観に行ったら私と同類項と特典が欲しい方がわんさといたのか映像的には取り立てて何のサプライズも用意されていない正真正銘の再上映がほぼ満席。ええいどいつもこいつも!言うて私もですが(笑)!
こんばんは、小島@監督です。
いよいよ最終回は明日深夜!!
さて、先日は珍しくミュージカルを観に行って来ました。四季劇場名古屋で現在公演中、劇団四季の「ゴーストアンドレディ」です。
1854年ロンドン、ドルーリー・レーン劇場。そこには「灰色の幽霊(グレイ)」(萩原隆匡)の噂があった。彼の姿が現れた芝居にはその後興行の成功が約束されるという。そのグレイに会うために劇場を1人の令嬢が訪れた。彼女はグレイに自身を殺してくれと懇願する。令嬢の名はフローレンス・ナイチンゲール(谷原志音)、やがて従軍看護婦として苛烈な戦場に身を投じることになる女性である。
(註・出演者は私が鑑賞した回のものになります。メインキャラクターはダブルもしくはトリプルキャストのため日や上演回によって異なります)
劇団四季の演目というとブロードウェイの邦訳版かディズニーのイメージが強いのですが、今作は違います。原作者は何と「うしおととら」「からくりサーカス」で知られる藤田和日郎のコミック。「黒博物館」という連作シリーズの第2作として発表された作品です。アニメ化も映画化もすっ飛ばしてあの藤田和日郎作品が舞台化!という事態に普段観劇に興味の薄い私もさすがに気になり劇団四季の会員になっている家族にもし観る機会があるなら誘って欲しいと以前から声をかけていて先日ついにその機会が巡って来ました。
いやびっくりですよ、何だこの面白い芝居!
劇団四季で公演するだけあってマスに訴えかけられる洗練さを持たせている一方で泥臭くも熱い藤田和日郎イズムがちゃんと反映されていて両立できているのにはいくら何でも驚異です。
少年や若者と超常の存在とがバディとなるのは「うしおととら」などでも見られる藤田和日郎作品お得意のシチュエーションですが、今作では若者に当たるのがあのナイチンゲールであり彼女も含めて実在した人物が多数登場して史実を大胆に織り交ぜながら展開します。原作では「黒博物館」シリーズ全体の狂言回しとして「学芸員(キュレーター)」と呼ばれる女性が登場しますが、舞台版では登場せずグレイにその役回りを担わせているほか、物語の発端となる発射された銃弾同士がぶつかった「かち合い弾」は登場せず別の道具に置き換えられていたりと舞台劇として上演するためのアレンジはいくつも施されていますが、作品としての核は見失っていません。
実のところ「黒博物館」は今まで読んだことが無く、今回の舞台を鑑賞した後から原作を手に取ったのですが、「これは舞台用に盛っただろう」と思ったところが原作通りだったり「これは藤田っぽいので原作にあるだろう」と思ったらオリジナル要素だったりしてどちらから行っても楽しいです。
史実を織り交ぜながらも基本としてはダークファンタジーな物語の作品世界を表現する演出も非常に凝っており、「グレイは見える人にしか見えないし声も聞こえない」のを「見える人以外は視線も合わさない」というハイレベルなことをさり気なくやっているのにも驚きますが、早着替えと照明や舞台装置を駆使しての「死者の魂が天へ召される」様や剣戟やワイヤーアクション、果てはイリュージョンまでも使ってみせての死闘など高さも奥行きも使えるだけ使うクリエイティブなダイナミズムにも感服します。何より四季ファンの家族に言わせると「エース級しかいない」というキャスト陣の渾身の歌唱と演技が乗ってまさに圧倒的。
あの濃いビジュアルとアクの強い世界観をどうやって舞台にするのさ!?という興味だけで観に行ったらここまで原作のイズムと劇団四季のテイストをがっぷり組ませて昇華させてくるとは思わず、終幕に至る頃にはついうっかりマジ涙。珠玉の鑑賞体験になりました。
開演以来大好評らしく平日でも席が取りづらいのと、やはり映画観るよりはだいぶ張るのでハードルは高いですがこれは本気でお薦めしたい。そしてびっくりして欲しい。
こんばんは、小島@監督です。
いよいよ最終回は明日深夜!!
さて、先日は珍しくミュージカルを観に行って来ました。四季劇場名古屋で現在公演中、劇団四季の「ゴーストアンドレディ」です。
1854年ロンドン、ドルーリー・レーン劇場。そこには「灰色の幽霊(グレイ)」(萩原隆匡)の噂があった。彼の姿が現れた芝居にはその後興行の成功が約束されるという。そのグレイに会うために劇場を1人の令嬢が訪れた。彼女はグレイに自身を殺してくれと懇願する。令嬢の名はフローレンス・ナイチンゲール(谷原志音)、やがて従軍看護婦として苛烈な戦場に身を投じることになる女性である。
(註・出演者は私が鑑賞した回のものになります。メインキャラクターはダブルもしくはトリプルキャストのため日や上演回によって異なります)
劇団四季の演目というとブロードウェイの邦訳版かディズニーのイメージが強いのですが、今作は違います。原作者は何と「うしおととら」「からくりサーカス」で知られる藤田和日郎のコミック。「黒博物館」という連作シリーズの第2作として発表された作品です。アニメ化も映画化もすっ飛ばしてあの藤田和日郎作品が舞台化!という事態に普段観劇に興味の薄い私もさすがに気になり劇団四季の会員になっている家族にもし観る機会があるなら誘って欲しいと以前から声をかけていて先日ついにその機会が巡って来ました。
いやびっくりですよ、何だこの面白い芝居!
劇団四季で公演するだけあってマスに訴えかけられる洗練さを持たせている一方で泥臭くも熱い藤田和日郎イズムがちゃんと反映されていて両立できているのにはいくら何でも驚異です。
少年や若者と超常の存在とがバディとなるのは「うしおととら」などでも見られる藤田和日郎作品お得意のシチュエーションですが、今作では若者に当たるのがあのナイチンゲールであり彼女も含めて実在した人物が多数登場して史実を大胆に織り交ぜながら展開します。原作では「黒博物館」シリーズ全体の狂言回しとして「学芸員(キュレーター)」と呼ばれる女性が登場しますが、舞台版では登場せずグレイにその役回りを担わせているほか、物語の発端となる発射された銃弾同士がぶつかった「かち合い弾」は登場せず別の道具に置き換えられていたりと舞台劇として上演するためのアレンジはいくつも施されていますが、作品としての核は見失っていません。
実のところ「黒博物館」は今まで読んだことが無く、今回の舞台を鑑賞した後から原作を手に取ったのですが、「これは舞台用に盛っただろう」と思ったところが原作通りだったり「これは藤田っぽいので原作にあるだろう」と思ったらオリジナル要素だったりしてどちらから行っても楽しいです。
史実を織り交ぜながらも基本としてはダークファンタジーな物語の作品世界を表現する演出も非常に凝っており、「グレイは見える人にしか見えないし声も聞こえない」のを「見える人以外は視線も合わさない」というハイレベルなことをさり気なくやっているのにも驚きますが、早着替えと照明や舞台装置を駆使しての「死者の魂が天へ召される」様や剣戟やワイヤーアクション、果てはイリュージョンまでも使ってみせての死闘など高さも奥行きも使えるだけ使うクリエイティブなダイナミズムにも感服します。何より四季ファンの家族に言わせると「エース級しかいない」というキャスト陣の渾身の歌唱と演技が乗ってまさに圧倒的。
あの濃いビジュアルとアクの強い世界観をどうやって舞台にするのさ!?という興味だけで観に行ったらここまで原作のイズムと劇団四季のテイストをがっぷり組ませて昇華させてくるとは思わず、終幕に至る頃にはついうっかりマジ涙。珠玉の鑑賞体験になりました。
開演以来大好評らしく平日でも席が取りづらいのと、やはり映画観るよりはだいぶ張るのでハードルは高いですがこれは本気でお薦めしたい。そしてびっくりして欲しい。
昨日は歌会をお休みし東京まで出張って「TIF2025メインステージ争奪LIVE〜前哨戦〜」というのを観に行って来ました。毎年8月に開催される日本最大のアイドルフェスという「TOKYO IDOL FESTIVAL」、「アイドルマスター」や「ウマ娘」も出演経験のあるフェスですがAKB48やももクロのような知名度の高いところが出演する傍らで気鋭のアイドルユニットに単に出演するだけでなくメインステージで歌う機会を作る企画を例年やっているようで、私が推してる「THE ENCORE」がその候補8ユニットの1つに選ばれ、「前哨戦」では候補者たちが出演をかけて全2部各4ユニットずつでパフォーマンスを競いそれぞれ観客投票で出演ユニットを決める、というイベントです。「アイマス」ではゲームの仕様としてこんな感じのイベントがあったりするのですが実際にやっているところを観るのは初めてです。
普段目にする対バンライブが本気じゃない、とは思いませんが大舞台への出演を懸けての勝ち抜き、となるとどのユニットもコンディションのピークをここに持ってきてギアを一段上げて来ていて観ていてビリビリするほどでした。投票結果で明確に勝者と敗者が分けられ歓喜と落胆がステージ上で同居します。場の空気に当てられてしまったようで、THE ENCOREが勝ち残りを決めた瞬間には私も絶叫(笑)。推しが躍進する姿を見るのは嬉しいものです。
こんばんは、小島@監督です。
正直言ってここまで来たらTIF初日にある決勝戦も観たいのですが、何せ同じ週にアイマスライブがあって既にそっちのチケット持ってるので無理なのが残念でなりません…
さて、今回の映画は「国宝」です。
任侠の一門に生まれた立花喜久雄(吉沢亮)は、抗争により父親を失った後、その才を認めた上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎(渡辺謙)に引き取られ、歌舞伎の世界に足を踏み入れる。半二郎の息子・花井半弥(横浜流星)と共に歌舞伎の芸を磨き高め合って行く。しかし数多くの出会いと別れ、そして時代の流れが2人の運命を大きく揺るがせて行く。
圧巻!まさにその言葉が相応しい。
歌舞伎の世界を舞台に重厚な人間ドラマが展開します。監督の李相日は「悪人」「怒り」に引き続き3度目の吉田修一原作の映画化になります。脚本に「サマーウォーズ」の奥寺佐渡子を、撮影に「アデル、ブルーは熱い色」のソフィアン・エル・ファニを迎えるなど超一流のスタッフが集結し、贅沢で格調高くありつつも美麗かつ繊細な映像世界を見せてくれます。175分という長尺ですが脚本は緻密に練り上げられており、時代や境遇が変わっても芸の道を突き進む喜久雄と半弥に物語の焦点を合わせ梨園の外をほとんど描かないことで集中を途切れさせません。とは言え50年という時間を3時間で駆け抜ける、極限まで凝縮させた密度なので喜久雄も半弥も揃って状況のアップダウンが激し過ぎない?みたいなところはあるものの(笑)、その乱高下ぶりが映画の面白さをスポイルすることはありません。
歌舞伎を扱った映画なのにメインどころに本職の歌舞伎俳優がいないのも特徴的ですが(無論監修は入っており監修を務めた中村鴈治郎は今作に出演もしている)、どれほどの稽古を積んだのか吉沢亮、横浜流星、渡辺謙らの舞台上の佇まいは歌舞伎役者そのもの。特に吉沢亮はクローズアップにも負けない女形の美しさを体現しています。そして出番はそれほど多くはないが喜久雄、半弥のともに大きな影響を与える人間国宝・小野川万菊を演じる田中泯の凄みが出色。登場すると画面に一本線が走ります。
また、そんな舞台のシーンを見せるのに様々な映画的技法を駆使して迫力を演出しており、そのカメラワークの妙からして特に終盤のシーンは、あれは劇場を借りたのではなく劇場まるごとセットで作り上げたもののように思えます。
難点があるとすれば歌舞伎の用語や演目に対する解説がほぼ無いところにありますが、ただでさえストーリーが面白いところに出演者の演技が尋常じゃないので観ている間はまず気になりません。むしろこれを機にいろいろ調べたりして歌舞伎の入口にしても楽しいですね。
いずれにしても今年を代表する一本に違いありません。来年の日本アカデミー賞を席巻する可能性すらあるでしょう。特撮オタク的な話をすると「仮面ライダーフォーゼ」で互いに親友という役どころで出演した吉沢亮と横浜流星が共に大河ドラマで主演を張り、日本を代表する役者に成長してこの規模の作品で2度目の共演を果たしたというのも何だか嬉しくなります。
スクリーンで観る楽しさに満ち溢れた一本であり、日本映画はまだやれるということを見せてくれる作品でもあるので、上映時間の長さに臆することなく是非劇場で味わっていただきたいですね。
普段目にする対バンライブが本気じゃない、とは思いませんが大舞台への出演を懸けての勝ち抜き、となるとどのユニットもコンディションのピークをここに持ってきてギアを一段上げて来ていて観ていてビリビリするほどでした。投票結果で明確に勝者と敗者が分けられ歓喜と落胆がステージ上で同居します。場の空気に当てられてしまったようで、THE ENCOREが勝ち残りを決めた瞬間には私も絶叫(笑)。推しが躍進する姿を見るのは嬉しいものです。
こんばんは、小島@監督です。
正直言ってここまで来たらTIF初日にある決勝戦も観たいのですが、何せ同じ週にアイマスライブがあって既にそっちのチケット持ってるので無理なのが残念でなりません…
さて、今回の映画は「国宝」です。
任侠の一門に生まれた立花喜久雄(吉沢亮)は、抗争により父親を失った後、その才を認めた上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎(渡辺謙)に引き取られ、歌舞伎の世界に足を踏み入れる。半二郎の息子・花井半弥(横浜流星)と共に歌舞伎の芸を磨き高め合って行く。しかし数多くの出会いと別れ、そして時代の流れが2人の運命を大きく揺るがせて行く。
圧巻!まさにその言葉が相応しい。
歌舞伎の世界を舞台に重厚な人間ドラマが展開します。監督の李相日は「悪人」「怒り」に引き続き3度目の吉田修一原作の映画化になります。脚本に「サマーウォーズ」の奥寺佐渡子を、撮影に「アデル、ブルーは熱い色」のソフィアン・エル・ファニを迎えるなど超一流のスタッフが集結し、贅沢で格調高くありつつも美麗かつ繊細な映像世界を見せてくれます。175分という長尺ですが脚本は緻密に練り上げられており、時代や境遇が変わっても芸の道を突き進む喜久雄と半弥に物語の焦点を合わせ梨園の外をほとんど描かないことで集中を途切れさせません。とは言え50年という時間を3時間で駆け抜ける、極限まで凝縮させた密度なので喜久雄も半弥も揃って状況のアップダウンが激し過ぎない?みたいなところはあるものの(笑)、その乱高下ぶりが映画の面白さをスポイルすることはありません。
歌舞伎を扱った映画なのにメインどころに本職の歌舞伎俳優がいないのも特徴的ですが(無論監修は入っており監修を務めた中村鴈治郎は今作に出演もしている)、どれほどの稽古を積んだのか吉沢亮、横浜流星、渡辺謙らの舞台上の佇まいは歌舞伎役者そのもの。特に吉沢亮はクローズアップにも負けない女形の美しさを体現しています。そして出番はそれほど多くはないが喜久雄、半弥のともに大きな影響を与える人間国宝・小野川万菊を演じる田中泯の凄みが出色。登場すると画面に一本線が走ります。
また、そんな舞台のシーンを見せるのに様々な映画的技法を駆使して迫力を演出しており、そのカメラワークの妙からして特に終盤のシーンは、あれは劇場を借りたのではなく劇場まるごとセットで作り上げたもののように思えます。
難点があるとすれば歌舞伎の用語や演目に対する解説がほぼ無いところにありますが、ただでさえストーリーが面白いところに出演者の演技が尋常じゃないので観ている間はまず気になりません。むしろこれを機にいろいろ調べたりして歌舞伎の入口にしても楽しいですね。
いずれにしても今年を代表する一本に違いありません。来年の日本アカデミー賞を席巻する可能性すらあるでしょう。特撮オタク的な話をすると「仮面ライダーフォーゼ」で互いに親友という役どころで出演した吉沢亮と横浜流星が共に大河ドラマで主演を張り、日本を代表する役者に成長してこの規模の作品で2度目の共演を果たしたというのも何だか嬉しくなります。
スクリーンで観る楽しさに満ち溢れた一本であり、日本映画はまだやれるということを見せてくれる作品でもあるので、上映時間の長さに臆することなく是非劇場で味わっていただきたいですね。