先日、友人との約束を忘れて見事なまでにすっぽかして普通に出勤して仕事してたという稀に見る凡ミスをしでかしてしまいました。何故かその一件だけスケジュール帳に入れていなかったのにも驚き。こんなポンコツな真似ここ10年した覚えが無い。仕事してただけギリまだ格好がつくものの、コレで他の予定入れてたら洒落になりません。
こんばんは、小島@監督です。
二度とこんなアホなことしないように今年のスケジュールを再確認中。
さて、今夏はどういうわけか恐竜映画が目白押し。嚆矢とも言える「ジュラシック・パーク」が昨年公開した「復活の大地」までの7作全てがサマーシーズンに公開されているのが要因としては大きいのではないかと思いますが、ある意味でホラー以上に夏のイメージがある恐竜もの。そこで今回は今月相次いで公開された「プリミティブ・ウォー恐竜戦争」と「オークストリートの異変」を2本まとめてご紹介。
8月7日に公開された「プリミティブ・ウォー恐竜戦争」は1960年代末ベトナム戦争のさなか、任務を受けて密林に入った部隊が何故か恐竜と遭遇し熾烈な死闘を繰り広げることになります。監督ルーク・スパークはハリウッドに持ち込んだもののボツにされた企画を実現するために会社を立ち上げ映画化に漕ぎ着けました。ルークは監督どころか脚本・美術・編集まで一手に引き受けており、そういう出自だからか作品のスケールと比して実は思いのほか低予算だそうです。
戦争映画に恐竜をプラス!という作り手の「観たい!」「魅せたい!」が非常にはっきりしている映画で、B級と言われようと何かこうアレとかコレとかに似てるとか思われようが気にしない!俺はコレが撮りたかったんや!!という熱が全編から溢れています。溢れ過ぎてて映画としてはちょっともっさりしてるのが玉に瑕。133分という上映時間ですが、もう20分ぐらい刈り込んでくれればパーフェクト。こういうのは2時間切っていて欲しい。
8月14日公開の「オークストリートの異変」は1980年代前半のアメリカ郊外の街を舞台に、何らかの影響で街ごと恐竜時代に時空転移してしまい、決死のサバイバルをする羽目になった一家を描きます。監督は「イット・フォローズ」「アンダー・ザ・シルバーレイク」と言った個性的なホラーやスリラーで知られるデビッド・ロバート・ミッチェル。主演の2人アン・ハサウェイとユアン・マクレガーはあまりこう言ったジャンルに出演しているイメージが無く、ちょっぴり新鮮な感じがしますね。
1982年という時代背景を物語の構造としても意識的に取り込んでおり、恐竜時代でのサバイバルを縦軸にしつつ亀裂の入った家族の修復の物語を横軸としたストーリーラインなど往年のスティーブン・スピルバーグやジョー・ダンテ作品のイメージ。個々のシーンやショット単位でもそれらを思わせる箇所が点在し、全体的に自分が子供のころ「金曜ロードショー」などで観ていた1980年代の名作の数々を思い出します。そこはかとなく大味なのですが、こう言うのはそれで良い。一方で、登場する恐竜たちが当時ではなく現代の学説に則ったビジュアルをしていて羽毛フサフサなのにそれに対して誰も驚かないのはご愛嬌。
ロケーションの規模としては控えめに見えますがこちらも「恐竜戦争」と負けず劣らず盛大に人が喰われて行くのでスペクタクル的にも充分です。
2作品ともそれぞれのシチュエーションを最大限に活かして発想の自由な羽ばたきを感じ、現代の恐竜映画の元祖とも言うべき「ジュラシック・パーク」が作を重ねるごとにどうしてもがんじがらめになって行ってしまう中、恐竜映画がジャンルとしてまだまだ鉱脈が眠っていることを教えてくれます。
まだまだ暑い日が続く中、あの頃のワクワク感に満ちた作品に触れてみてはいかがでしょうか。
こんばんは、小島@監督です。
二度とこんなアホなことしないように今年のスケジュールを再確認中。
さて、今夏はどういうわけか恐竜映画が目白押し。嚆矢とも言える「ジュラシック・パーク」が昨年公開した「復活の大地」までの7作全てがサマーシーズンに公開されているのが要因としては大きいのではないかと思いますが、ある意味でホラー以上に夏のイメージがある恐竜もの。そこで今回は今月相次いで公開された「プリミティブ・ウォー恐竜戦争」と「オークストリートの異変」を2本まとめてご紹介。
8月7日に公開された「プリミティブ・ウォー恐竜戦争」は1960年代末ベトナム戦争のさなか、任務を受けて密林に入った部隊が何故か恐竜と遭遇し熾烈な死闘を繰り広げることになります。監督ルーク・スパークはハリウッドに持ち込んだもののボツにされた企画を実現するために会社を立ち上げ映画化に漕ぎ着けました。ルークは監督どころか脚本・美術・編集まで一手に引き受けており、そういう出自だからか作品のスケールと比して実は思いのほか低予算だそうです。
戦争映画に恐竜をプラス!という作り手の「観たい!」「魅せたい!」が非常にはっきりしている映画で、B級と言われようと何かこうアレとかコレとかに似てるとか思われようが気にしない!俺はコレが撮りたかったんや!!という熱が全編から溢れています。溢れ過ぎてて映画としてはちょっともっさりしてるのが玉に瑕。133分という上映時間ですが、もう20分ぐらい刈り込んでくれればパーフェクト。こういうのは2時間切っていて欲しい。
8月14日公開の「オークストリートの異変」は1980年代前半のアメリカ郊外の街を舞台に、何らかの影響で街ごと恐竜時代に時空転移してしまい、決死のサバイバルをする羽目になった一家を描きます。監督は「イット・フォローズ」「アンダー・ザ・シルバーレイク」と言った個性的なホラーやスリラーで知られるデビッド・ロバート・ミッチェル。主演の2人アン・ハサウェイとユアン・マクレガーはあまりこう言ったジャンルに出演しているイメージが無く、ちょっぴり新鮮な感じがしますね。
1982年という時代背景を物語の構造としても意識的に取り込んでおり、恐竜時代でのサバイバルを縦軸にしつつ亀裂の入った家族の修復の物語を横軸としたストーリーラインなど往年のスティーブン・スピルバーグやジョー・ダンテ作品のイメージ。個々のシーンやショット単位でもそれらを思わせる箇所が点在し、全体的に自分が子供のころ「金曜ロードショー」などで観ていた1980年代の名作の数々を思い出します。そこはかとなく大味なのですが、こう言うのはそれで良い。一方で、登場する恐竜たちが当時ではなく現代の学説に則ったビジュアルをしていて羽毛フサフサなのにそれに対して誰も驚かないのはご愛嬌。
ロケーションの規模としては控えめに見えますがこちらも「恐竜戦争」と負けず劣らず盛大に人が喰われて行くのでスペクタクル的にも充分です。
2作品ともそれぞれのシチュエーションを最大限に活かして発想の自由な羽ばたきを感じ、現代の恐竜映画の元祖とも言うべき「ジュラシック・パーク」が作を重ねるごとにどうしてもがんじがらめになって行ってしまう中、恐竜映画がジャンルとしてまだまだ鉱脈が眠っていることを教えてくれます。
まだまだ暑い日が続く中、あの頃のワクワク感に満ちた作品に触れてみてはいかがでしょうか。
昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
今回用事があって参加が遅れましたが、行ってみたらAqoursの大スタンドポップが置いてあるインパクト。あれが15年前なら欲しがったんだろうなぁ…それなりに年を重ねたせいか、今はもうああいう大きな物は最後の処分の仕方をどうしたものか考えてしまって(苦笑)
こんばんは、小島@監督です。
それを抜きにしても今回のじゃんけん大会の景品の数!さすがお盆休み!皆さんアクティブ!
さて、世間的にはお盆休みの中、Zepp Nagoyaで開催された「THE IDOLM@STER dual twin live tour 三浦 あずさ・秋月 律子 twin live “ つみまつよるまち ” 」を観てきました。
演じる声優ではなくアイドルたちがそのままオンステージする、「アイドルマスター」が展開するxRライブ、2024年3月に開催された「はんげつであえたら」を皮切りに765プロのアイドルたちが2〜3人の少人数で出演するコンセプトライブを不定期に開催しています。例外的に如月千早が日本武道館で単独公演を行なっていますがだいたいはキャパ1,000〜2,000程度の比較的コンパクトな会場で開催されているのも特徴で、今回私が鑑賞した「つみまつよるまち」と双海亜美・真美出演の「ふたごぼしのつばさ」の2プログラム体制で東名阪のZeppで公演を行うツアーを開催しています。
余談ですが、ここ2年くらいライブハウスでアイドルライブを定期的に観ていてそっちに体が慣れてしまって約10年ぶりのアイマスライブのスタンディング鑑賞で開演直前まで身の置きどころが良く分からなくなってたのは内緒(笑)
このコンセプトライブシリーズ、ライブ全体で一つの物語を貫き通し、その世界観に沿ったセットリストを組むことで聴き慣れた楽曲に新しい一面を見せてくれるのが特色。今回の「つみまつよるまち」では「恋人を亡くし傷ついた女性が雨降る夜の街を彷徨う中で同じ痛みを抱える女性と、まるで交差点で行き違うように刹那の出会いを果たす」という筋立てのもと、エモーショナルにセットリストが構成されていました。
曲調以上にフレーズの持つ意味合いが変化するようなナンバーを持って来ていて、「こう来たか!」が連続する驚きと共に楽曲が見せる新しい横顔に酔いしれました。
その世界観に加えて三浦あずさと秋月律子という765プロのアイドルたちの中でも比較的成熟した考え方をしているメンバーが出演しているとあってMCも軽快な中にも落ち着きがあり、どこかディナーショーでも観ているような趣です。三浦あずさ役のたかはし智秋さんが過去にアイマスでディナーショーをやりたい」とインタビューで答えていて、それも踏まえてのものかもしれません。
曲の構成にしろアイドルとの距離感にしろ何気なくやっていることの一つ一つにアイマス20年の蓄積が成せる業とその結実が見えて、なかなかに心震える時間でした。しかしアイマスライブの中でも取り分けライブで盛り上がる「いっぱいいっぱい」があんな激重ナレーションからブン投げられる日を目撃しようとは。
それにしてもここ一ヵ月ライブにリアル脱出ゲームに企業コラボにとアイマスにどっぷり。いや〜毎日が楽しいぜ(笑)
今回用事があって参加が遅れましたが、行ってみたらAqoursの大スタンドポップが置いてあるインパクト。あれが15年前なら欲しがったんだろうなぁ…それなりに年を重ねたせいか、今はもうああいう大きな物は最後の処分の仕方をどうしたものか考えてしまって(苦笑)
こんばんは、小島@監督です。
それを抜きにしても今回のじゃんけん大会の景品の数!さすがお盆休み!皆さんアクティブ!
さて、世間的にはお盆休みの中、Zepp Nagoyaで開催された「THE IDOLM@STER dual twin live tour 三浦 あずさ・秋月 律子 twin live “ つみまつよるまち ” 」を観てきました。
演じる声優ではなくアイドルたちがそのままオンステージする、「アイドルマスター」が展開するxRライブ、2024年3月に開催された「はんげつであえたら」を皮切りに765プロのアイドルたちが2〜3人の少人数で出演するコンセプトライブを不定期に開催しています。例外的に如月千早が日本武道館で単独公演を行なっていますがだいたいはキャパ1,000〜2,000程度の比較的コンパクトな会場で開催されているのも特徴で、今回私が鑑賞した「つみまつよるまち」と双海亜美・真美出演の「ふたごぼしのつばさ」の2プログラム体制で東名阪のZeppで公演を行うツアーを開催しています。
余談ですが、ここ2年くらいライブハウスでアイドルライブを定期的に観ていてそっちに体が慣れてしまって約10年ぶりのアイマスライブのスタンディング鑑賞で開演直前まで身の置きどころが良く分からなくなってたのは内緒(笑)
このコンセプトライブシリーズ、ライブ全体で一つの物語を貫き通し、その世界観に沿ったセットリストを組むことで聴き慣れた楽曲に新しい一面を見せてくれるのが特色。今回の「つみまつよるまち」では「恋人を亡くし傷ついた女性が雨降る夜の街を彷徨う中で同じ痛みを抱える女性と、まるで交差点で行き違うように刹那の出会いを果たす」という筋立てのもと、エモーショナルにセットリストが構成されていました。
曲調以上にフレーズの持つ意味合いが変化するようなナンバーを持って来ていて、「こう来たか!」が連続する驚きと共に楽曲が見せる新しい横顔に酔いしれました。
その世界観に加えて三浦あずさと秋月律子という765プロのアイドルたちの中でも比較的成熟した考え方をしているメンバーが出演しているとあってMCも軽快な中にも落ち着きがあり、どこかディナーショーでも観ているような趣です。三浦あずさ役のたかはし智秋さんが過去にアイマスでディナーショーをやりたい」とインタビューで答えていて、それも踏まえてのものかもしれません。
曲の構成にしろアイドルとの距離感にしろ何気なくやっていることの一つ一つにアイマス20年の蓄積が成せる業とその結実が見えて、なかなかに心震える時間でした。しかしアイマスライブの中でも取り分けライブで盛り上がる「いっぱいいっぱい」があんな激重ナレーションからブン投げられる日を目撃しようとは。
それにしてもここ一ヵ月ライブにリアル脱出ゲームに企業コラボにとアイマスにどっぷり。いや〜毎日が楽しいぜ(笑)
先日数年ぶりに脱出ゲームを楽しみました。「学園アイドルマスター」とのコラボレーションプログラム「人狼潜む文化祭からの脱出」です。てっきり連番者とのチームプレイだと思っていたらシングルプレイだったのがまず驚き。同行者とはヒントのやり取りはしても良い、とのことでしたが割とそんな余裕も無く(苦笑)、時間との戦いに。タイムアップ15秒前に脱出成功できた瞬間にはアドレナリン全開ですよ、デュフフ。
こんばんは、小島@監督です。
脱出ゲーム、普段あまり使わない思考回路にスイッチが入る感覚はやっぱり楽しいですね。
さて、今回の映画は「スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ」です。
世界的な危機を救うためにドクターストレンジの魔法によって全世界の人々から自分の存在に関する記憶を消し去ったピーター・パーカー(トム・ホランド)は、自分のことを誰も知らないニューヨークで犯罪と戦い街の人々を守る日々を送っていた。市井に寄り添うスパイダーマンの名声が高まって行くにつれ、ピーターはMJ(ゼンデイヤ)やネッド(ジェイコブ・バタロン)らが遠い存在となってしまった日々に孤独を募らせていく。その孤独感が引き金となってピーターの身体には異変が起こり始めた。時を同じくしてニューヨークでは不可解な犯罪が続発。
かつてない脅威がスパイダーマンに迫ろうとしていた。
前作「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」は紛れもない傑作でした。これまで報われなかった魂たちを救い、ピーターは大きな代償とともに青春の終わりを告げる、驚きのサプライズがもたらす高揚感とほろ苦い余韻が残る珠玉の物語でした。MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)の系譜に連なる作品の中では「アベンジャーズ/エンドゲーム」に匹敵する一本だったと今でも思っています。それの後を描くとなると当然期待も不安も大きくなりますが、ちゃんとその期待に応えてくれる作品に仕上がっていました。
高校生だった前作までは事態が割と深刻であってもどこかティーンのわちゃわちゃした感じが出ていましたが、今作のピーターはスパイダーマンとして知名度が上がれば上がるほど孤独から逃れられなくなっており、冒頭から陰が色濃く出ているのがポイントです。サブタイトルから前作までは入っていた「ホーム」の単語も無くなり、住む家はあっても拠り所となる「ホーム」を失ったピーターの物語であることが示されます。
今作のヴィランとして登場する人物(それ自体がサプライズの一つなのでここでは伏せます)の動機と行動も寂しさからの焦燥に起因しており、ピーターと合わせ鏡のような趣となっています。このヴィラン、何というかちょっと思いがけないところを持って来ていて長くマーベル映画を観て来た身としては独特の感慨が湧きます。絶対に今回だけのワンスポットではないはず。この先に控えている「アベンジャーズ」にももしかしたら顔を出すんじゃないでしょうか。
ところで、ヒーローの責任といやます孤独感からピーターは丹念なトレーニングを重ねていたようで、今回めちゃくちゃバルクアップしていて物語の内容とは別なところでびっくりします。もうあのピーター坊やの面影は消えて、すっかりピーターさんに。何を言ってるんだと思いますがこれは観ればすぐに分かります、ええ。
あと何故かいつの間にやらパニッシャーことフランク・キャッスル(ジョン・バーンサル)と仲良くなっていますが、全く何の説明も無いのを勢いで押し切ってしまう感じも嫌いじゃない(笑)
大人として踏み出したピーターの複雑な内面と葛藤を掘り下げながら、孤独と傷に優しく寄り添い救いをもたらす今作、ヒーローアクション以上にその優しさにこそカタルシスがあり観終わる頃には少し、心が暖かくなっていました。
年末公開予定の「アベンジャーズ/ドゥームズデイ」の序章としての弾みも上々。作品の出来にバラツキがあったりして最近浮き沈みの激しいMCUを救うのも、どうやら「親愛なる隣人」だったようです。
こんばんは、小島@監督です。
脱出ゲーム、普段あまり使わない思考回路にスイッチが入る感覚はやっぱり楽しいですね。
さて、今回の映画は「スパイダーマン:ブランド・ニュー・デイ」です。
世界的な危機を救うためにドクターストレンジの魔法によって全世界の人々から自分の存在に関する記憶を消し去ったピーター・パーカー(トム・ホランド)は、自分のことを誰も知らないニューヨークで犯罪と戦い街の人々を守る日々を送っていた。市井に寄り添うスパイダーマンの名声が高まって行くにつれ、ピーターはMJ(ゼンデイヤ)やネッド(ジェイコブ・バタロン)らが遠い存在となってしまった日々に孤独を募らせていく。その孤独感が引き金となってピーターの身体には異変が起こり始めた。時を同じくしてニューヨークでは不可解な犯罪が続発。
かつてない脅威がスパイダーマンに迫ろうとしていた。
前作「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」は紛れもない傑作でした。これまで報われなかった魂たちを救い、ピーターは大きな代償とともに青春の終わりを告げる、驚きのサプライズがもたらす高揚感とほろ苦い余韻が残る珠玉の物語でした。MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)の系譜に連なる作品の中では「アベンジャーズ/エンドゲーム」に匹敵する一本だったと今でも思っています。それの後を描くとなると当然期待も不安も大きくなりますが、ちゃんとその期待に応えてくれる作品に仕上がっていました。
高校生だった前作までは事態が割と深刻であってもどこかティーンのわちゃわちゃした感じが出ていましたが、今作のピーターはスパイダーマンとして知名度が上がれば上がるほど孤独から逃れられなくなっており、冒頭から陰が色濃く出ているのがポイントです。サブタイトルから前作までは入っていた「ホーム」の単語も無くなり、住む家はあっても拠り所となる「ホーム」を失ったピーターの物語であることが示されます。
今作のヴィランとして登場する人物(それ自体がサプライズの一つなのでここでは伏せます)の動機と行動も寂しさからの焦燥に起因しており、ピーターと合わせ鏡のような趣となっています。このヴィラン、何というかちょっと思いがけないところを持って来ていて長くマーベル映画を観て来た身としては独特の感慨が湧きます。絶対に今回だけのワンスポットではないはず。この先に控えている「アベンジャーズ」にももしかしたら顔を出すんじゃないでしょうか。
ところで、ヒーローの責任といやます孤独感からピーターは丹念なトレーニングを重ねていたようで、今回めちゃくちゃバルクアップしていて物語の内容とは別なところでびっくりします。もうあのピーター坊やの面影は消えて、すっかりピーターさんに。何を言ってるんだと思いますがこれは観ればすぐに分かります、ええ。
あと何故かいつの間にやらパニッシャーことフランク・キャッスル(ジョン・バーンサル)と仲良くなっていますが、全く何の説明も無いのを勢いで押し切ってしまう感じも嫌いじゃない(笑)
大人として踏み出したピーターの複雑な内面と葛藤を掘り下げながら、孤独と傷に優しく寄り添い救いをもたらす今作、ヒーローアクション以上にその優しさにこそカタルシスがあり観終わる頃には少し、心が暖かくなっていました。
年末公開予定の「アベンジャーズ/ドゥームズデイ」の序章としての弾みも上々。作品の出来にバラツキがあったりして最近浮き沈みの激しいMCUを救うのも、どうやら「親愛なる隣人」だったようです。
自宅の辺りでは昨日の昼下がりから雨が降り始め、夕方には大雨に。その降り始めの頃に様子を見ようと窓を開けたら庭先に佇むカモシカとエンカウント。以前にウチに現れたヤツより小さい!さては代替わりしたな!サイズ的に一瞬イノシシかと思ってマジでビビったぞ!
…という私の声に出ないビビりを意に介さず、カモシカは何処かへと悠々と歩き去って行きました。
こんばんは、小島@監督です。
次代のカモシカよ、大きく育てよ〜。しかし彼らのテリトリー内にウチがあるということか?
さて、今回の映画は「ちいかわ人魚の島のひみつ」です。
ちいかわ(声・青木遥)とハチワレ(声・田中誠人)がくつろいでいるとうさぎ(声・小澤亜季)がチラシを顔に貼り付けて駆け込んで来た。それは「島」への特別な招待状だった。「カンタンな討伐で100倍の報酬をもらおう」「限定島ラーメンにスイーツ」、魅力的な言葉が並ぶチラシに釣られてちいかわたちは島合宿を実行する。
島で楽しい時間を過ごすちいかわたち。しかし島に住み着いた巨大な「セイレーン」(声・鈴木みのり)が島民たちを次々と襲っていることを知らされ、ちいかわはセイレーン討伐計画に巻き込まれて行く。
先日名古屋をゲリラ豪雨が襲った日、落雷で職場のサーバーがダウンし仕事が全く何もできなくなり、復旧にも時間を要すと判明し、上から早上がり指示が出る始末。しかし電車も止まっていて帰る足も無かったため、時間潰しに映画館へ。上映開始時間がちょうどドンピシャだったのが「ちいかわ」。
実は「ちいかわ」ほぼミリしら。原作はもちろんアニメも観たことありません。ただ職場の同僚から薦められました。「予備知識無くても大丈夫!アレはガチのホラーだから!」という何が大丈夫なのか良くわからない薦められ方で。そんな物言いで釣れるのは私みたいなのだけですぞ。
ざっと作品概要に触れると、原作者であるナガノが脚本を務め、原作でいうところの「島編」を完全映画化。監督は「やはり俺の青春ラブコメは間違っている」「ウマ娘プリティダービー」の及川啓。1990年代後半から活躍している同氏ですが意外なことに長編映画はこれが初監督です。あまりこういうファンシー系なビジュアルの作品を手掛けるイメージも無かったのでその辺も意外。
実際観てみると、予想以上に凄い。キッズムービーの体裁でやるには意外なほど高度で深い哲学的思索に満ちた秀作です。
可愛いキャラでエグいことをやる作品の前例自体は少なくないですが、斜に構えた露悪的な方面に行く方が多い中、「ちいかわ」のそれは神話あるいは民話のような趣を感じさせます。小さく無力なちいかわたちが巨大で神性を持つセイレーンに挑むという構図はギリシア神話の「オデュッセウスの受難」を彷彿とさせますし、島でちいかわたちが知る「人魚の肉を食べると永遠の命を得る」という伝承も、多くの創作の源泉となった日本の八百比丘尼伝説のイメージでしょう。
ある時期まではセイレーンに食べ物を捧げることで島では豊穣が約束されていたのもどこか日本の神話めいています。そしてセイレーンと島民の共栄関係を分つに至ったある事件、それが呼び水となって厄災と化したセイレーンと、ちいかわ達はなし崩し的に戦うことになるのです。
そこで描かれるのは罪と罰、復讐の連鎖。そして劇中何度も登場人物たち究極の選択が突きつけられます。味わい深いのは多くの場合において決断を下した時点で他に選択肢が無く、では「どこで間違えたのか?」「どうすればこの結末を回避できたのか?」を考えさせずにはおかないところ。それもどこに視点を置くかで変わってくる奥深さ。
何気に音楽もレベルが高く、中毒性の高いうさぎラップもさることながら「エヴァンゲリオン」と双璧をなすレベルで心をえぐる「今日の日はさようなら」に至ってはトラウマ級の代物です。
物語も非常に恐ろしく、エンドクレジット後のエピローグはヘタなホラーを軽く凌駕する怖さですが、それ以上にいろいろ考えさせてくることこそがこの映画の一番のポイントです。
小さなお子様も多くこの物語に触れているであろう今作、トラウマ級とは言いましたが、情操が育つ時期にこういう物語に触れ考えを巡らせる意味は非常に大きい。老若男女問わず、この独特の死生観を持った神話的世界、触れてみる価値はありますよ。
…という私の声に出ないビビりを意に介さず、カモシカは何処かへと悠々と歩き去って行きました。
こんばんは、小島@監督です。
次代のカモシカよ、大きく育てよ〜。しかし彼らのテリトリー内にウチがあるということか?
さて、今回の映画は「ちいかわ人魚の島のひみつ」です。
ちいかわ(声・青木遥)とハチワレ(声・田中誠人)がくつろいでいるとうさぎ(声・小澤亜季)がチラシを顔に貼り付けて駆け込んで来た。それは「島」への特別な招待状だった。「カンタンな討伐で100倍の報酬をもらおう」「限定島ラーメンにスイーツ」、魅力的な言葉が並ぶチラシに釣られてちいかわたちは島合宿を実行する。
島で楽しい時間を過ごすちいかわたち。しかし島に住み着いた巨大な「セイレーン」(声・鈴木みのり)が島民たちを次々と襲っていることを知らされ、ちいかわはセイレーン討伐計画に巻き込まれて行く。
先日名古屋をゲリラ豪雨が襲った日、落雷で職場のサーバーがダウンし仕事が全く何もできなくなり、復旧にも時間を要すと判明し、上から早上がり指示が出る始末。しかし電車も止まっていて帰る足も無かったため、時間潰しに映画館へ。上映開始時間がちょうどドンピシャだったのが「ちいかわ」。
実は「ちいかわ」ほぼミリしら。原作はもちろんアニメも観たことありません。ただ職場の同僚から薦められました。「予備知識無くても大丈夫!アレはガチのホラーだから!」という何が大丈夫なのか良くわからない薦められ方で。そんな物言いで釣れるのは私みたいなのだけですぞ。
ざっと作品概要に触れると、原作者であるナガノが脚本を務め、原作でいうところの「島編」を完全映画化。監督は「やはり俺の青春ラブコメは間違っている」「ウマ娘プリティダービー」の及川啓。1990年代後半から活躍している同氏ですが意外なことに長編映画はこれが初監督です。あまりこういうファンシー系なビジュアルの作品を手掛けるイメージも無かったのでその辺も意外。
実際観てみると、予想以上に凄い。キッズムービーの体裁でやるには意外なほど高度で深い哲学的思索に満ちた秀作です。
可愛いキャラでエグいことをやる作品の前例自体は少なくないですが、斜に構えた露悪的な方面に行く方が多い中、「ちいかわ」のそれは神話あるいは民話のような趣を感じさせます。小さく無力なちいかわたちが巨大で神性を持つセイレーンに挑むという構図はギリシア神話の「オデュッセウスの受難」を彷彿とさせますし、島でちいかわたちが知る「人魚の肉を食べると永遠の命を得る」という伝承も、多くの創作の源泉となった日本の八百比丘尼伝説のイメージでしょう。
ある時期まではセイレーンに食べ物を捧げることで島では豊穣が約束されていたのもどこか日本の神話めいています。そしてセイレーンと島民の共栄関係を分つに至ったある事件、それが呼び水となって厄災と化したセイレーンと、ちいかわ達はなし崩し的に戦うことになるのです。
そこで描かれるのは罪と罰、復讐の連鎖。そして劇中何度も登場人物たち究極の選択が突きつけられます。味わい深いのは多くの場合において決断を下した時点で他に選択肢が無く、では「どこで間違えたのか?」「どうすればこの結末を回避できたのか?」を考えさせずにはおかないところ。それもどこに視点を置くかで変わってくる奥深さ。
何気に音楽もレベルが高く、中毒性の高いうさぎラップもさることながら「エヴァンゲリオン」と双璧をなすレベルで心をえぐる「今日の日はさようなら」に至ってはトラウマ級の代物です。
物語も非常に恐ろしく、エンドクレジット後のエピローグはヘタなホラーを軽く凌駕する怖さですが、それ以上にいろいろ考えさせてくることこそがこの映画の一番のポイントです。
小さなお子様も多くこの物語に触れているであろう今作、トラウマ級とは言いましたが、情操が育つ時期にこういう物語に触れ考えを巡らせる意味は非常に大きい。老若男女問わず、この独特の死生観を持った神話的世界、触れてみる価値はありますよ。
思うところあって今年は遠征を控えていたのですが、この週末は約半年ぶりに東京遠征。
そして暑さで汗かきすぎて足がつるという残念ぶり(苦笑)。いろいろ対策はしていたんだけどなぁ…病院行きにならないだけ良かった。
こんばんは、小島@監督です。
とは言えライブは最高だったし良いバーも見つけられたしで悪い旅ではなかった。
というわけで、週末京王アリーナで開催された「THE IDOLM@STER 20th Anniversary MORE RE@LITY LIVE IDOL WORLD SUPER FESTIVAL 2026」 観に行って来ました。シリーズ20周年を記念して2024年から多彩なプログラムやイベントを展開してきた「アイドルマスター」、その締めくくりとして3日間に渡る大型XRライブが開催されました。全ブランドから選りすぐりのアイドルたちが出演する越境ライブです。
3公演それぞれにコンセプトと出演者がガラリと変わる今回のイベント、できれば私も3公演全て鑑賞したかったのですがさすがにスケジュールが取れず、day2を現地会場で、また今回は久しぶりに大規模なライブビューイングも実施され、day3は名古屋まで戻ってミッドランドスクエアでライブビューイングで鑑賞しました。ライブビューイングなんてもしかしたらコロナ禍前以来かもしれない。ちょっと懐かしい感覚。
day1では「YAKUDOU」と題しセットリストをダンサブルなナンバーで固めてアイドルたちとバックダンサーが競演、超現実と現実のコラボレーションを展開しました。
そしてday2は「ZESSYOU」と題してストリングスも含めたバンドユニットが登場しての生演奏とアイドルとのセッションが繰り広げられました。開幕のオーバーチュアからいきなり三浦あずさの「隣に…」と如月千早の「細氷」を持って来る、ヴォーカルに全振りのセットリストがバンドの生演奏に乗ってエモーショナルに観る者に迫ります。中でもCVが付いたのが2022年と日が浅く今回のような越境合同ライブに初参加となったシンデレラガールズの望月聖が当人のソロ曲「メサイア」だけでなくシャイニーカラーズの「Dye the sky」、961の「アライアンス・スターダスト」と言った名曲たちに、オリジナルに負けない歌声を聴かせて観客に強く存在を焼き付けさせたのが印象的。
day3では「KYOUMEI」と題しセットリストの全てをコール&レスポンスできる、観客に積極的にライブに加わってもらうセットリストで構成。全曲ブッ続けで「アガる」曲を持って来るドライブ感を満喫しました。
またこの日は特別な趣向としてMCが事前収録ではなく、スタッフブースに各アイドルの担当声優が入っての生MCを取り入れており「実在感」を演出するXRライブの真骨頂というような面白さを提示して来ていたのもポイント高いです。かつてコレに近いことをしていたアイマスイベントがあります。2019〜2020年に開催された「THE IDOLM@STER MR ST@GE!! 」というイベントで、765プロのアイドルたちが日替わりで出演し、MCでは来場者たちと実際に会話する(つまりバックに声優が控えてトークしていた)というものでした。コロナ禍の到来により全公演をやり切ることなく途絶えてしまい、会場であったDMMシアターも今はもう建物自体が無い、まるで記憶の中だけに刻まれた夢か幻のようになってしまいましたが、それをもっと大きな規模でやってくれたようにも見えました。中でも松田亜利沙はCVを務める村上梨衣が、天海春香は中村繪里子がオーバーラップする瞬間がいくつもあり、声優たちが実際にパフォーマンスするリアルライブで見せる逆の現象が起こっていたのも不思議な感覚です。
結局のところ、どれだけ時間を経てもやはり自分はアイドルマスターが好きで堪らないのだなと、そんなことを再認識できるような、そんな素敵なライブ体験でした。来年には765vs961という、理想を違えた2つのプロダクションの対バンライブも発表されました。
これはまだブッ倒れるわけにはいかない。
見届けなくてはならない光景がまだ残っている。
そして暑さで汗かきすぎて足がつるという残念ぶり(苦笑)。いろいろ対策はしていたんだけどなぁ…病院行きにならないだけ良かった。
こんばんは、小島@監督です。
とは言えライブは最高だったし良いバーも見つけられたしで悪い旅ではなかった。
というわけで、週末京王アリーナで開催された「THE IDOLM@STER 20th Anniversary MORE RE@LITY LIVE IDOL WORLD SUPER FESTIVAL 2026」 観に行って来ました。シリーズ20周年を記念して2024年から多彩なプログラムやイベントを展開してきた「アイドルマスター」、その締めくくりとして3日間に渡る大型XRライブが開催されました。全ブランドから選りすぐりのアイドルたちが出演する越境ライブです。
3公演それぞれにコンセプトと出演者がガラリと変わる今回のイベント、できれば私も3公演全て鑑賞したかったのですがさすがにスケジュールが取れず、day2を現地会場で、また今回は久しぶりに大規模なライブビューイングも実施され、day3は名古屋まで戻ってミッドランドスクエアでライブビューイングで鑑賞しました。ライブビューイングなんてもしかしたらコロナ禍前以来かもしれない。ちょっと懐かしい感覚。
day1では「YAKUDOU」と題しセットリストをダンサブルなナンバーで固めてアイドルたちとバックダンサーが競演、超現実と現実のコラボレーションを展開しました。
そしてday2は「ZESSYOU」と題してストリングスも含めたバンドユニットが登場しての生演奏とアイドルとのセッションが繰り広げられました。開幕のオーバーチュアからいきなり三浦あずさの「隣に…」と如月千早の「細氷」を持って来る、ヴォーカルに全振りのセットリストがバンドの生演奏に乗ってエモーショナルに観る者に迫ります。中でもCVが付いたのが2022年と日が浅く今回のような越境合同ライブに初参加となったシンデレラガールズの望月聖が当人のソロ曲「メサイア」だけでなくシャイニーカラーズの「Dye the sky」、961の「アライアンス・スターダスト」と言った名曲たちに、オリジナルに負けない歌声を聴かせて観客に強く存在を焼き付けさせたのが印象的。
day3では「KYOUMEI」と題しセットリストの全てをコール&レスポンスできる、観客に積極的にライブに加わってもらうセットリストで構成。全曲ブッ続けで「アガる」曲を持って来るドライブ感を満喫しました。
またこの日は特別な趣向としてMCが事前収録ではなく、スタッフブースに各アイドルの担当声優が入っての生MCを取り入れており「実在感」を演出するXRライブの真骨頂というような面白さを提示して来ていたのもポイント高いです。かつてコレに近いことをしていたアイマスイベントがあります。2019〜2020年に開催された「THE IDOLM@STER MR ST@GE!! 」というイベントで、765プロのアイドルたちが日替わりで出演し、MCでは来場者たちと実際に会話する(つまりバックに声優が控えてトークしていた)というものでした。コロナ禍の到来により全公演をやり切ることなく途絶えてしまい、会場であったDMMシアターも今はもう建物自体が無い、まるで記憶の中だけに刻まれた夢か幻のようになってしまいましたが、それをもっと大きな規模でやってくれたようにも見えました。中でも松田亜利沙はCVを務める村上梨衣が、天海春香は中村繪里子がオーバーラップする瞬間がいくつもあり、声優たちが実際にパフォーマンスするリアルライブで見せる逆の現象が起こっていたのも不思議な感覚です。
結局のところ、どれだけ時間を経てもやはり自分はアイドルマスターが好きで堪らないのだなと、そんなことを再認識できるような、そんな素敵なライブ体験でした。来年には765vs961という、理想を違えた2つのプロダクションの対バンライブも発表されました。
これはまだブッ倒れるわけにはいかない。
見届けなくてはならない光景がまだ残っている。
どういうわけか今年の夏は歴史もののアニメが花盛り。北条氏の滅亡から足利氏の勃興期、「中先代」と呼ばれた北条時行の戦いを描く「逃げ上手の若君」第二期、後に世阿弥と名乗ることになる少年・鬼夜叉が芸能の道を切り拓いていく「ワールド・イズ・ダンシング」、現代の女子高生が古代ヒッタイト帝国へとタイムスリップする「天は赤い河のほとり」、そしてチンギス・カンの西征により拠り所を失った少女ファティマがモンゴルの地で復讐を誓う「天幕のジャードゥーガル」と、いずれ劣らぬ代物で日本の漫画文化の奥深さや分厚さを堪能できる顔触れ。長すぎるタイトルのファンタジーものに少々倦み疲れていた身にとって1本だけでも「勝ち」のタイトルが何本も同時期に出て来た今期のラインナップにはなかなかエキサイティングです。
こんばんは、小島@監督です。
何なら最近ようやく「チ。地球の運動について」も見始めたのでにわかに歴史づいております。
さて、今回の映画は「オブセッション災愛」です。
楽器店でアルバイトしている青年ベア(マイケル・ジョンストン)は、同じバイト仲間のニッキー(インディ・ナバエレッテ)に片想いしているが、気弱で内向的な性格が災いして一向に想いを伝えられないでいる。
ある時ベアは、ネックレスを失くして気を落とすニッキーにアクセサリーを贈ろうと立ち寄った雑貨店で「ワン・ウィッシュ・ウィロー(願いの柳)」という名のアイテムを見つける。それは2つに折るとその者の願いを1つだけ叶えてくれると言う。ベアはニッキーを射止める願いをかけて柳を折った。すると願い通りにニッキーはベアを愛し始めるが、やがてその愛は執着へと変わって行く。
「猿の手」、というのをご存知でしょうか。イギリスの小説家ウィリアム・ジェイコブスが1902年に発表した短編で、3つの願いを叶える魔力が宿っているが運命を捻じ曲げようとする者には災厄をもたらすという呪物「猿の手のミイラ」を手にした老夫婦の顛末を描く物語で、いわゆる「3つの願い」のお伽話をベースにしたホラー小説です。後世に与えた影響がことのほか大きい作品の一つで、スティーブン・キングの「ペット・セマタリー」「神々のワード・プロセッサ」、西尾維新の「するがモンキー」、光原伸の「アウターゾーン」の一編「魔神の手」など洋の東西を問わず多くのフォロワーが生まれました。「願いが叶う」ことに対する危険性への認識も覚悟も無い者に対して超自然的な「何か」は容姿しないのです。
そしてここに新たな「猿の手」ものの傑作が登場しました。YouTubeでの動画製作を主戦場にしていたクリエイター・カリー・バーカーの劇場長編映画デビュー作であり、予算規模も75万ドルという低予算ながら4億ドルを超える興行収入を叩き出し、オリジナルのホラー映画としては史上最高興収を記録しました。そんな新星が遂に日本公開です。
正直言ってちょっとヤバいくらいに怖い。それはもう笑ってしまうくらいに。ただの添い寝なのに緊張感がただならない。一緒にいようといまいとどの角度から恐怖が襲ってくるか分からない。悪霊も裸足で逃げ出すほどの恐怖をもたらすもの、それは愛です。時に愛で人間は絶体絶命に陥ります。洋画にセンスの無い邦題が付けられてげんなりすることも少なくないですが、「災愛」とは言い得て妙な、実際観るとこれしか考えられないような邦題を良く付けたものです。
そして確かに一見「ドラッグがキマってるように見えるが実際はそれどころじゃない」、まさに「オブセッション(執着)」と呼ぶに相応しい愛が止まらないニッキーを演じるインディ・ナバエレッテの怪演はもう必見のひと言です。
また主人公ベアはその気弱さ故にずっと優柔不断で成長しない、という人物像も妙なところでリアルです。そしてそれ故に事態はさらに悪化の一途を辿って行き、より混沌としていきます。
ストーリー的な妙もさることながら、それを見せるカリー・バーカー監督の手腕も見事。どこまでを説明してどこまでを説明しないか、どれくらいを直接画面に出すか出さないか、その足し引きの加減が絶妙。初監督、そして20代の若さでここまでできるとは末恐ろしい新星が現れたものです。
ラブストーリーホラーとコメディが渾然一体となり、ジェットコースターのような乱高下を伴って観る者に襲いかかってくるので、終わる頃には謎にテンションが上がっていることでしょう。
ベースとなったものは古典的なものでもアイディアと見せ方一つでどこまでも斬新なものを作り上げられる、クリエイティブの真骨頂が観られる一本です。もしかしたら今作の監督や主演陣は今後トップに躍り出るかもしれない、そういう先物買い的な楽しみもあるかもしれません。いずれにしても「旬」を感じられる作品であるに違いなく、気になっているなら配信など待たずにどうぞスクリーンで味わってみてください。
こんばんは、小島@監督です。
何なら最近ようやく「チ。地球の運動について」も見始めたのでにわかに歴史づいております。
さて、今回の映画は「オブセッション災愛」です。
楽器店でアルバイトしている青年ベア(マイケル・ジョンストン)は、同じバイト仲間のニッキー(インディ・ナバエレッテ)に片想いしているが、気弱で内向的な性格が災いして一向に想いを伝えられないでいる。
ある時ベアは、ネックレスを失くして気を落とすニッキーにアクセサリーを贈ろうと立ち寄った雑貨店で「ワン・ウィッシュ・ウィロー(願いの柳)」という名のアイテムを見つける。それは2つに折るとその者の願いを1つだけ叶えてくれると言う。ベアはニッキーを射止める願いをかけて柳を折った。すると願い通りにニッキーはベアを愛し始めるが、やがてその愛は執着へと変わって行く。
「猿の手」、というのをご存知でしょうか。イギリスの小説家ウィリアム・ジェイコブスが1902年に発表した短編で、3つの願いを叶える魔力が宿っているが運命を捻じ曲げようとする者には災厄をもたらすという呪物「猿の手のミイラ」を手にした老夫婦の顛末を描く物語で、いわゆる「3つの願い」のお伽話をベースにしたホラー小説です。後世に与えた影響がことのほか大きい作品の一つで、スティーブン・キングの「ペット・セマタリー」「神々のワード・プロセッサ」、西尾維新の「するがモンキー」、光原伸の「アウターゾーン」の一編「魔神の手」など洋の東西を問わず多くのフォロワーが生まれました。「願いが叶う」ことに対する危険性への認識も覚悟も無い者に対して超自然的な「何か」は容姿しないのです。
そしてここに新たな「猿の手」ものの傑作が登場しました。YouTubeでの動画製作を主戦場にしていたクリエイター・カリー・バーカーの劇場長編映画デビュー作であり、予算規模も75万ドルという低予算ながら4億ドルを超える興行収入を叩き出し、オリジナルのホラー映画としては史上最高興収を記録しました。そんな新星が遂に日本公開です。
正直言ってちょっとヤバいくらいに怖い。それはもう笑ってしまうくらいに。ただの添い寝なのに緊張感がただならない。一緒にいようといまいとどの角度から恐怖が襲ってくるか分からない。悪霊も裸足で逃げ出すほどの恐怖をもたらすもの、それは愛です。時に愛で人間は絶体絶命に陥ります。洋画にセンスの無い邦題が付けられてげんなりすることも少なくないですが、「災愛」とは言い得て妙な、実際観るとこれしか考えられないような邦題を良く付けたものです。
そして確かに一見「ドラッグがキマってるように見えるが実際はそれどころじゃない」、まさに「オブセッション(執着)」と呼ぶに相応しい愛が止まらないニッキーを演じるインディ・ナバエレッテの怪演はもう必見のひと言です。
また主人公ベアはその気弱さ故にずっと優柔不断で成長しない、という人物像も妙なところでリアルです。そしてそれ故に事態はさらに悪化の一途を辿って行き、より混沌としていきます。
ストーリー的な妙もさることながら、それを見せるカリー・バーカー監督の手腕も見事。どこまでを説明してどこまでを説明しないか、どれくらいを直接画面に出すか出さないか、その足し引きの加減が絶妙。初監督、そして20代の若さでここまでできるとは末恐ろしい新星が現れたものです。
ラブストーリーホラーとコメディが渾然一体となり、ジェットコースターのような乱高下を伴って観る者に襲いかかってくるので、終わる頃には謎にテンションが上がっていることでしょう。
ベースとなったものは古典的なものでもアイディアと見せ方一つでどこまでも斬新なものを作り上げられる、クリエイティブの真骨頂が観られる一本です。もしかしたら今作の監督や主演陣は今後トップに躍り出るかもしれない、そういう先物買い的な楽しみもあるかもしれません。いずれにしても「旬」を感じられる作品であるに違いなく、気になっているなら配信など待たずにどうぞスクリーンで味わってみてください。
昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
訪れてみたどの部屋も活気があって、良い会であったと思えます。私もがっつり歌えましたしね!あとスイカデカかったですね!夏って感じだ!
こんばんは、小島@監督です。
初参加の方たちも楽しんで頂けたなら幸い。また来て下さると嬉しいですね。
さて、今回の映画は「急に具合が悪くなる」です。
フランス・パリ。高齢者介護施設「自由の庭」で施設長を務めるマリー=ルー(ヴィルジニー・エフィラ)は、理想とする介護体制と現実のギャップに葛藤し不眠に悩む日々が続いていた。
そんなある日、マリー=ルーは街を徘徊する自閉症の青年・智樹(黒崎煌代)を助ける。やがて智樹を探しGPSの反応を追って来た祖父・清宮吾郎(長塚京三)と黒崎真理(岡本多緒)と出会う。真理は演出家、吾郎は俳優で、演劇公演のためにパリへ来たと言う。マリー=ルーは真理と吾郎の舞台を観に行くことにした。そこでマリー=ルーは真理が末期癌を患い余命が決して長くはないことを知る。
アカデミー賞とカンヌ、ベルリン、ヴェネツィアの世界三大映画祭全てで受賞という日本人としては黒澤明以来の快挙を成し遂げた映画監督・濱口竜介。現在最も世界的な注目を集めていると言っても良い同氏の最新作は日本・フランス・ドイツ・ベルギーの4ヶ国合作で製作され、本編のほとんどはフランスで撮影、言語もフランス語と日本語が行き交うような作品となりました。実のところ前から気にはなっていたものの濱口竜介作品は今まで観たことが無く、今回ようやくその機会を掴みました。
癌を患いながら活動した哲学者宮野真生子と人類学者磯野真穂の往復書簡を採録した同名の書籍を原作としており、そもそもそんな書籍を良く原作に選んだなという選別眼と、それをこういう風に作劇して映像化するのかというセンスに感心します。介護施設が主舞台となっており、それにまつわるトピックが盛り込まれていることも見逃せません。認知ケアの技法として「ユマニチュード」というのが作中登場するのですが、恥ずかしながらそう言ったものがあるというか単語すら知りませんでした。調べてみたらまだ新しい概念のようです。
196分という長尺を、物語の密度や展開というよりは登場人物の感情に寄り添うように作られており、場面転換のリズムとしてはいささかアンバランス、しかし穏やかなトーンのダイアログに心地良さを感じる方も多いでしょう。
フランス語と日本語がシームレスに行き交う作品ですが、マリー=ルーは日本に、真理はフランスにそれぞれ留学した経験があり、それぞれ相手の言語を理解し会話をします。マリー=ルーと真理はある意味で言語という最初の壁が無いことがこの2人の距離を縮めるのです。
また、作中全く説明は無いものの吾郎もフランス語が話せます。演じる長塚京三はパリ大学に留学していた時期がありフランス語を話せるため、それも見越してのキャスティングでしょう。劇中劇とも言える吾郎の一人芝居はこの映画の白眉と言えます。ほぼ全編が通して登場し、作品のテーマとも直結する内容であるだけでなく、マリー=ルーと真理のドラマの起点と終着点としても意味を持ち、極めて重要なシーンです。
マリー=ルーと真理、中盤の2人の会話はもう一つの白眉と言えます。ゆっくりと場所を変えながら続くそれはパーソナルでミクロなところからやがてマクロな世界の理へと移っていきます。この辺りの哲学談義は2人の教養の深さが良く表れるシーンでもありますが、物語の流れすら断ち切って続くので異質な雰囲気を放ちます。しかも思いのほか長いのでちょっとウトウトしてしまいましたが(苦笑)、ただここの会話こそがこの映画の基礎と言えるものでしょう。今作で主演したヴィルジニー・エフィラと岡本多緒は2人でカンヌ国際映画祭で主演女優賞を獲得しましたがそれも納得です。この2人を別々には考えられません。
撮影監督アラン・ギシャウアの手腕によるものか草木の緑が映える画面も心地良く、ゆったりとした会話に身を委ねているとそこに何かのヒントが得られるような、そんな気分になります。一見すると良くある難病もののように見えますがメロドラマとは大きく一線を画す、まるでベクトルの違う物語が展開します。
196分は確かに長く、観るにはハードルの高い作品ではありますが、どこか観る者を豊かにさせてくれる、そんな時間をどうぞ味わってみてください。
訪れてみたどの部屋も活気があって、良い会であったと思えます。私もがっつり歌えましたしね!あとスイカデカかったですね!夏って感じだ!
こんばんは、小島@監督です。
初参加の方たちも楽しんで頂けたなら幸い。また来て下さると嬉しいですね。
さて、今回の映画は「急に具合が悪くなる」です。
フランス・パリ。高齢者介護施設「自由の庭」で施設長を務めるマリー=ルー(ヴィルジニー・エフィラ)は、理想とする介護体制と現実のギャップに葛藤し不眠に悩む日々が続いていた。
そんなある日、マリー=ルーは街を徘徊する自閉症の青年・智樹(黒崎煌代)を助ける。やがて智樹を探しGPSの反応を追って来た祖父・清宮吾郎(長塚京三)と黒崎真理(岡本多緒)と出会う。真理は演出家、吾郎は俳優で、演劇公演のためにパリへ来たと言う。マリー=ルーは真理と吾郎の舞台を観に行くことにした。そこでマリー=ルーは真理が末期癌を患い余命が決して長くはないことを知る。
アカデミー賞とカンヌ、ベルリン、ヴェネツィアの世界三大映画祭全てで受賞という日本人としては黒澤明以来の快挙を成し遂げた映画監督・濱口竜介。現在最も世界的な注目を集めていると言っても良い同氏の最新作は日本・フランス・ドイツ・ベルギーの4ヶ国合作で製作され、本編のほとんどはフランスで撮影、言語もフランス語と日本語が行き交うような作品となりました。実のところ前から気にはなっていたものの濱口竜介作品は今まで観たことが無く、今回ようやくその機会を掴みました。
癌を患いながら活動した哲学者宮野真生子と人類学者磯野真穂の往復書簡を採録した同名の書籍を原作としており、そもそもそんな書籍を良く原作に選んだなという選別眼と、それをこういう風に作劇して映像化するのかというセンスに感心します。介護施設が主舞台となっており、それにまつわるトピックが盛り込まれていることも見逃せません。認知ケアの技法として「ユマニチュード」というのが作中登場するのですが、恥ずかしながらそう言ったものがあるというか単語すら知りませんでした。調べてみたらまだ新しい概念のようです。
196分という長尺を、物語の密度や展開というよりは登場人物の感情に寄り添うように作られており、場面転換のリズムとしてはいささかアンバランス、しかし穏やかなトーンのダイアログに心地良さを感じる方も多いでしょう。
フランス語と日本語がシームレスに行き交う作品ですが、マリー=ルーは日本に、真理はフランスにそれぞれ留学した経験があり、それぞれ相手の言語を理解し会話をします。マリー=ルーと真理はある意味で言語という最初の壁が無いことがこの2人の距離を縮めるのです。
また、作中全く説明は無いものの吾郎もフランス語が話せます。演じる長塚京三はパリ大学に留学していた時期がありフランス語を話せるため、それも見越してのキャスティングでしょう。劇中劇とも言える吾郎の一人芝居はこの映画の白眉と言えます。ほぼ全編が通して登場し、作品のテーマとも直結する内容であるだけでなく、マリー=ルーと真理のドラマの起点と終着点としても意味を持ち、極めて重要なシーンです。
マリー=ルーと真理、中盤の2人の会話はもう一つの白眉と言えます。ゆっくりと場所を変えながら続くそれはパーソナルでミクロなところからやがてマクロな世界の理へと移っていきます。この辺りの哲学談義は2人の教養の深さが良く表れるシーンでもありますが、物語の流れすら断ち切って続くので異質な雰囲気を放ちます。しかも思いのほか長いのでちょっとウトウトしてしまいましたが(苦笑)、ただここの会話こそがこの映画の基礎と言えるものでしょう。今作で主演したヴィルジニー・エフィラと岡本多緒は2人でカンヌ国際映画祭で主演女優賞を獲得しましたがそれも納得です。この2人を別々には考えられません。
撮影監督アラン・ギシャウアの手腕によるものか草木の緑が映える画面も心地良く、ゆったりとした会話に身を委ねているとそこに何かのヒントが得られるような、そんな気分になります。一見すると良くある難病もののように見えますがメロドラマとは大きく一線を画す、まるでベクトルの違う物語が展開します。
196分は確かに長く、観るにはハードルの高い作品ではありますが、どこか観る者を豊かにさせてくれる、そんな時間をどうぞ味わってみてください。
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