実は1960年代末から半世紀以上に渡りTVアニメを自社製作している歴史があるメーテレ。その1980年代の代表作の一つ「重戦機エルガイム」がなんと10月から再放送されます。「Zガンダム」以前に富野由悠季が手掛けた作品の一つで、後に「ファイブスター物語」で知られる永野護が当時23歳の若さで大抜擢されキャラクターデザインとメカデザインの両方を一手に引き受けています。中京圏の地上波放送は実に42年ぶりだとか。このくらいの時期の作品には「主題歌は知っているけど観たことない」というタイトルが結構あって「エルガイム」もその一つ。ここぞとばかりに完走するぜ。
こんばんは、小島@監督です。
配信で観ようと思えば観られますし、色々と制約もあるのでしょうが、もっと気楽に1980〜90年代のアニメも地上波で放送して欲しい。
さて、今回の映画は「名探偵プリキュア!不思議な庭と2人の秘密」です。
ある日、街中に「バツ印」が付けられる事件が発生した。そのバツ印を付けられたものは動けなくなったり使えなくなったりして街には混乱がもたらされていた。「バツ印事件」の真相を追う明智あんな(声・千賀光莉)ら「名探偵プリキュア」のメンバーたちは街にバツ印を付けて回る「ダメダメ」という存在と遭遇。その場は撃退に成功するものの、事件解決とまでは行かなかった。
そんな折、キュアット探偵事務所に妖精のレイン(声・内山昂輝)が尋ねて来る。レインは名探偵プリキュアにダメダメたちからかりん(声・鬼頭明里)という少女を守って欲しいと依頼しに来たのだ。あんなたちはレインに不思議な庭へと案内される。そこには少女かりんと、かりんを守るもう1人の妖精・アラン(声・島崎信長)がいた。
初秋、それはプリキュアの季節。今年もそんな時期がやって参りました。
劇場版としてはシリーズ通算35作目となる今作、実は私ブログを書き始めてすぐの2012年製作の第12作「プリキュアオールスターズNewStage」以降の全作の感想を網羅していて、とうとう15年目に突入しました。自分もプリキュアもそれだけの時間続いていることにびっくりです。
ここ数年のプリキュア映画は過去作とのクロスオーバーが恒例となっていますが、今作でも「キミとアイドルプリキュア♪」と「わんだふるぷりきゅあ!」のメンバーがゲスト出演しています。本筋に関わりの無いゲスト出演かと思いきや意外と作品のテーマに沿わせた活躍をしているのはさすがの一言。
今作を鑑賞して何よりも唸ったのはゲストヒロインであるかりんの人物像です。かりんはある挫折から引きこもり気味になっており、そのことに強いコンプレックスを抱いています。レインの依頼を受けてかりんに会いに来たあんなたちに、最初はにこやかに応対するもののすぐにそのコンプレックスが表に出始めてくるのです。かりんが抱く「前を向いて頑張っている人の眩しさを見るのがもう辛い、そしてそう思ってしまう自分も嫌い」というコンプレックスの生々しさが作品を深いものにしています。あんなたちは事件の構造を看破するだけでは解決と言えず、かりんの心をも救うために奔走しますが、そこにそびえる大きな壁に直面することになるのです。
プリキュアであると同時に探偵ものでもある今作、ライトなものとは言えちゃんと謎解きが用意されています。メインになるゲストキャラクターは3人なのにサブタイトルが「2人の」となっているところにも意味があります。物語もクライマックスは二段構えになっているのも見事。さしてトリッキーには作っていないので大人には容易く真相にたどり着けてしまうでしょうが、こういう構造の物語にまだあまり触れたことの無い小さなお子様たちには新鮮な驚きを味わえるのではないでしょうか。
クロスオーバー以外にも映画ならではのサプライズも用意されていて、特別感も満点です。
この映画、刺さる人にはかなり刺さるハズです。自分の弱さの深いところに寄り添ってくれるような、そんな感覚を味わう方もいらっしゃるでしょう。さすがにこういう挫折はまだ未経験であろうメインターゲットであるお子様方には理解しづらい感覚かもしれませんが、いつかそんな日が来た時、この映画を観た思い出が背中を押してくれることがあったら嬉しいですね。
こんばんは、小島@監督です。
配信で観ようと思えば観られますし、色々と制約もあるのでしょうが、もっと気楽に1980〜90年代のアニメも地上波で放送して欲しい。
さて、今回の映画は「名探偵プリキュア!不思議な庭と2人の秘密」です。
ある日、街中に「バツ印」が付けられる事件が発生した。そのバツ印を付けられたものは動けなくなったり使えなくなったりして街には混乱がもたらされていた。「バツ印事件」の真相を追う明智あんな(声・千賀光莉)ら「名探偵プリキュア」のメンバーたちは街にバツ印を付けて回る「ダメダメ」という存在と遭遇。その場は撃退に成功するものの、事件解決とまでは行かなかった。
そんな折、キュアット探偵事務所に妖精のレイン(声・内山昂輝)が尋ねて来る。レインは名探偵プリキュアにダメダメたちからかりん(声・鬼頭明里)という少女を守って欲しいと依頼しに来たのだ。あんなたちはレインに不思議な庭へと案内される。そこには少女かりんと、かりんを守るもう1人の妖精・アラン(声・島崎信長)がいた。
初秋、それはプリキュアの季節。今年もそんな時期がやって参りました。
劇場版としてはシリーズ通算35作目となる今作、実は私ブログを書き始めてすぐの2012年製作の第12作「プリキュアオールスターズNewStage」以降の全作の感想を網羅していて、とうとう15年目に突入しました。自分もプリキュアもそれだけの時間続いていることにびっくりです。
ここ数年のプリキュア映画は過去作とのクロスオーバーが恒例となっていますが、今作でも「キミとアイドルプリキュア♪」と「わんだふるぷりきゅあ!」のメンバーがゲスト出演しています。本筋に関わりの無いゲスト出演かと思いきや意外と作品のテーマに沿わせた活躍をしているのはさすがの一言。
今作を鑑賞して何よりも唸ったのはゲストヒロインであるかりんの人物像です。かりんはある挫折から引きこもり気味になっており、そのことに強いコンプレックスを抱いています。レインの依頼を受けてかりんに会いに来たあんなたちに、最初はにこやかに応対するもののすぐにそのコンプレックスが表に出始めてくるのです。かりんが抱く「前を向いて頑張っている人の眩しさを見るのがもう辛い、そしてそう思ってしまう自分も嫌い」というコンプレックスの生々しさが作品を深いものにしています。あんなたちは事件の構造を看破するだけでは解決と言えず、かりんの心をも救うために奔走しますが、そこにそびえる大きな壁に直面することになるのです。
プリキュアであると同時に探偵ものでもある今作、ライトなものとは言えちゃんと謎解きが用意されています。メインになるゲストキャラクターは3人なのにサブタイトルが「2人の」となっているところにも意味があります。物語もクライマックスは二段構えになっているのも見事。さしてトリッキーには作っていないので大人には容易く真相にたどり着けてしまうでしょうが、こういう構造の物語にまだあまり触れたことの無い小さなお子様たちには新鮮な驚きを味わえるのではないでしょうか。
クロスオーバー以外にも映画ならではのサプライズも用意されていて、特別感も満点です。
この映画、刺さる人にはかなり刺さるハズです。自分の弱さの深いところに寄り添ってくれるような、そんな感覚を味わう方もいらっしゃるでしょう。さすがにこういう挫折はまだ未経験であろうメインターゲットであるお子様方には理解しづらい感覚かもしれませんが、いつかそんな日が来た時、この映画を観た思い出が背中を押してくれることがあったら嬉しいですね。
ふと思い立ち今日は「いきいき今池お祭りウィーク」行ってました。
今池が街を上げて行うお祭りで、そこら中にいくつも特設ステージが立ちフォークやロックやソウルやブルースが聞こえ、屋台も立ち並びますが普段は夜だけ営業している呑み屋もこの日ばかりは昼からやっていて街全体で人々が飲んだくれているような、そんな祭りです。
人に迷惑をかけない、以外のルールがほとんど無いような猥雑さは好き嫌いが分かれるでしょうが、私は結構気に入っています。祭の空気に当てられて、名も知らぬ人と談笑しながら鰻の蒲焼きやハーブソーセージを肴に呑むハイボールが実に美味。
きっと祭りがはけてもそこかしこの居酒屋やバーで、朝まで盛り上がる人たちもいるのでしょうね。
こんばんは、小島@監督です。
普段は引きこもり気味だけど、たまにはこんな休日も良いさ。
さて、今回の映画は「オデュッセイア」です。
ギリシャ連合軍は10年に渡る長い戦いの末に、トロイア軍を討ち果たした。
トロイア滅亡後、戦勝の英雄となったオデュッセウス(マット・デイモン)が故郷イタケを目指し帰郷の途に着いてから更に8年の時が過ぎる。
未だオデュッセウスは戻らず、既に亡き者としてイタケの王宮には王妃ペネロペ(アン・ハサウェイ)との再婚を求める求婚者たちが押しかけ宴と無法を繰り返す日々が続いていた。顔すら覚えていない父オデュッセウスの生存を信じる息子テレマコス(トム・ホランド)は、父の消息の手がかりを求めてスパルタ王メネラオス(ジョン・バーンサル)の元へ向かう。
これぞ英雄叙事詩。映画だからこそなし得る高み。
古典中の古典であるホメロスの「オデュッセイア」をクリストファー・ノーランが2億5,000万ドルの巨額を投じ製作した、まさに超大作です。
主演マット・デイモンを筆頭にアン・ハサウェイ、シャーリーズ・セロン、ロバート・パティンソン、ジョン・レグイザモと言った実力派に加えてトム・ホランド、ゼンデイヤ、ジョン・バーンサルと「スパイダーマン/ブランド・ニュー・デイ」の主演陣も何故か揃った豪華なキャスト陣が目を引きます。
ノーラン作品なので例によって173分と3時間近い長尺ながら「トロイの木馬」や「キルケーの魔女」と言った有名なエピソードを網羅し高い密度を維持つつも滑らかなストーリーテリングで非常に見やすいものになっています。
ただやっぱりノーラン作品なので説明的な描写も少なく、ある程度の予備知識は入れておいた方が鑑賞しやすくなるでしょう。さすがに公式も自覚があるのか、鑑賞の助けになるような解説記事や動画をアップしており、いくつか目を通しておくと良いかも。
極めて巧みな構成で組み上げられたストーリーが語るのは英雄の「罪と罰」。映画はカリュプソ(シャーリーズ・セロン)との対話の中でトロイア以後の漂流を追憶するオデュッセウス、王不在で荒廃してゆくイタケを奪還すべく父オデュッセウスの消息を求め彷徨うテレマコス、という二つを柱として展開。重要なのはオデュッセウスの追憶は「神話」であると同時に一種の「幻視」であり、テレマコスが辿る旅路は「歴史」の物語である、としている点です。2本の柱というよりは「物語が2層構造になっている」と捉えた方が把握しやすいかと思います。
それ故にオデュッセウスの物語は華々しい英雄の神話ではなく、「時代を一つ終わらせてしまった者」の苦渋に満ちています。思えばノーラン監督は前作「オッペンハイマー」でも時代を一つ進めてしまった男の苦悩と絶望を描いていました。遥か神話の時代から現代に至るまで、人間は時に踏み越えてはならない一線を踏み越えて来たのです。しかしそれこそが人間を進歩させても来た。
人間の持つ「業」を神話を借りて語る試みは同時に神話を人間の手に引き寄せる試みでもあります。そこに「神罰」などは無い。起こした行動が因果となって帰って来るのみ。
CGを好まないノーラン監督のこだわりが生きた、巨大なセットとアナログギミックと撮影トリック満載の画面が放つ存在感とスケールはやはり桁違いで、物語に追いつけなくてもこのためだけに映画館に行く価値はある、と言い切れるほどに唯一無二。あまりにも凄いので今後50年くらいギリシャ神話を映画化しようとする人は出てこないんじゃないかと思ってしまうほどの迫力です。
「映画を大きなスクリーンで観る」ことの意味と意義をその画面で全力で叩きつけて来る強烈な説得力。ならばこちらも真正面から受けるしかない。
「映画」に、浸りましょう。
今池が街を上げて行うお祭りで、そこら中にいくつも特設ステージが立ちフォークやロックやソウルやブルースが聞こえ、屋台も立ち並びますが普段は夜だけ営業している呑み屋もこの日ばかりは昼からやっていて街全体で人々が飲んだくれているような、そんな祭りです。
人に迷惑をかけない、以外のルールがほとんど無いような猥雑さは好き嫌いが分かれるでしょうが、私は結構気に入っています。祭の空気に当てられて、名も知らぬ人と談笑しながら鰻の蒲焼きやハーブソーセージを肴に呑むハイボールが実に美味。
きっと祭りがはけてもそこかしこの居酒屋やバーで、朝まで盛り上がる人たちもいるのでしょうね。
こんばんは、小島@監督です。
普段は引きこもり気味だけど、たまにはこんな休日も良いさ。
さて、今回の映画は「オデュッセイア」です。
ギリシャ連合軍は10年に渡る長い戦いの末に、トロイア軍を討ち果たした。
トロイア滅亡後、戦勝の英雄となったオデュッセウス(マット・デイモン)が故郷イタケを目指し帰郷の途に着いてから更に8年の時が過ぎる。
未だオデュッセウスは戻らず、既に亡き者としてイタケの王宮には王妃ペネロペ(アン・ハサウェイ)との再婚を求める求婚者たちが押しかけ宴と無法を繰り返す日々が続いていた。顔すら覚えていない父オデュッセウスの生存を信じる息子テレマコス(トム・ホランド)は、父の消息の手がかりを求めてスパルタ王メネラオス(ジョン・バーンサル)の元へ向かう。
これぞ英雄叙事詩。映画だからこそなし得る高み。
古典中の古典であるホメロスの「オデュッセイア」をクリストファー・ノーランが2億5,000万ドルの巨額を投じ製作した、まさに超大作です。
主演マット・デイモンを筆頭にアン・ハサウェイ、シャーリーズ・セロン、ロバート・パティンソン、ジョン・レグイザモと言った実力派に加えてトム・ホランド、ゼンデイヤ、ジョン・バーンサルと「スパイダーマン/ブランド・ニュー・デイ」の主演陣も何故か揃った豪華なキャスト陣が目を引きます。
ノーラン作品なので例によって173分と3時間近い長尺ながら「トロイの木馬」や「キルケーの魔女」と言った有名なエピソードを網羅し高い密度を維持つつも滑らかなストーリーテリングで非常に見やすいものになっています。
ただやっぱりノーラン作品なので説明的な描写も少なく、ある程度の予備知識は入れておいた方が鑑賞しやすくなるでしょう。さすがに公式も自覚があるのか、鑑賞の助けになるような解説記事や動画をアップしており、いくつか目を通しておくと良いかも。
極めて巧みな構成で組み上げられたストーリーが語るのは英雄の「罪と罰」。映画はカリュプソ(シャーリーズ・セロン)との対話の中でトロイア以後の漂流を追憶するオデュッセウス、王不在で荒廃してゆくイタケを奪還すべく父オデュッセウスの消息を求め彷徨うテレマコス、という二つを柱として展開。重要なのはオデュッセウスの追憶は「神話」であると同時に一種の「幻視」であり、テレマコスが辿る旅路は「歴史」の物語である、としている点です。2本の柱というよりは「物語が2層構造になっている」と捉えた方が把握しやすいかと思います。
それ故にオデュッセウスの物語は華々しい英雄の神話ではなく、「時代を一つ終わらせてしまった者」の苦渋に満ちています。思えばノーラン監督は前作「オッペンハイマー」でも時代を一つ進めてしまった男の苦悩と絶望を描いていました。遥か神話の時代から現代に至るまで、人間は時に踏み越えてはならない一線を踏み越えて来たのです。しかしそれこそが人間を進歩させても来た。
人間の持つ「業」を神話を借りて語る試みは同時に神話を人間の手に引き寄せる試みでもあります。そこに「神罰」などは無い。起こした行動が因果となって帰って来るのみ。
CGを好まないノーラン監督のこだわりが生きた、巨大なセットとアナログギミックと撮影トリック満載の画面が放つ存在感とスケールはやはり桁違いで、物語に追いつけなくてもこのためだけに映画館に行く価値はある、と言い切れるほどに唯一無二。あまりにも凄いので今後50年くらいギリシャ神話を映画化しようとする人は出てこないんじゃないかと思ってしまうほどの迫力です。
「映画を大きなスクリーンで観る」ことの意味と意義をその画面で全力で叩きつけて来る強烈な説得力。ならばこちらも真正面から受けるしかない。
「映画」に、浸りましょう。
昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
というか無事行ける天候で良かった。先週半ばの豪雨で家に帰れなかった身としてはなおさら。また今週も雨続きのようでなかなか落ち着きませんね。
こんばんは、小島@監督です。
それはそれとしてXLサイズのウマ娘Tシャツと来ては全力で取りに行かざるを得ない。Tシャツはどれだけあっても良いのだ。勝ち取れませんでしたが(笑)
さて、今回の映画は「ヒンド・ラジャブの声」です。
2024年1月29日、人道支援組織「赤新月社」のコールセンターにドイツ在住のパレスチナ人から緊急電話が入る。イスラエル軍がガザ北部へ侵攻し、親戚が戦地からの脱出を試みるも軍の攻撃を受け一家が死亡。しかしただ1人ヒンド・ラジャブ(声・本人)という6歳の少女だけはまだ生存しているというのだ。
携帯電話の番号を聞き出したオペレーターのアミール(モタズ・マルヒース)と上司のラナ(サジャ・キラミ)はヒンドと連絡を取ることに成功。助けを懇願するヒンドをどうにか救出しようとするが、現場は戦場。救急隊員の安全が確保できないと関係各省の許可が下りない。アミールとラナは必死でヒンドを励ましながら、調整役であるマフディ(アメル・ヘレル)の交渉の行方を見守るが。
それは今、ガザで起きていることの1ページ。
赤新月社(主にイスラム教圏で活動する、赤十字社と似た役割を持つ人道支援組織)に入った一本の緊急電話。それが始まりだった。
カンヌ国際映画祭での受賞経験やアカデミー賞ノミネートなど国際的にも高く評価されるチュニジアの俊英カウテール・ベン・ハニア監督。ドキュメンタリーとドラマの中間を行くようなユニークなスタイルを得意とする彼女の新作は、言わばガザで起きている虐殺の告発とも言える内容です。舞台は赤新月社のコールセンターからほぼ動かず、ヒンド・ラジャブの声は残された音声記録をそのまま採用しており、これが録音されていた時、コールセンターではどのような動きがあったかをドラマとして組み上げています。それ故にこの映画は「事実を元にしたフィクション」ではなく手触りとしては再現ドラマが近いです。当時この模様を赤新月社のスタッフ敢えてSNS上に公開したことで世界的なニュースにもなった事件でもあり、顛末をご存知の方もいらっしゃるでしょう。
この映画、実のところ状況の持つ緊張感とは裏腹にドラマとしての起伏は乏しいです。しかしその乏しさこそが今ガザで横たわる物事のおぞましさを浮き彫りにします。ラナとアミールはひたすらにヒンドを励まし続けますが事態は一向に改善せず、その苛立ちを一見悠長に構える調整役のマフディにぶつけるものの、マフディとてただ鷹揚としているわけではありません。しかし手の打ちようのない状況に徐々にすり減って行きます。この映画、上映時間は89分と短めですが、実際の事件は数時間に渡って展開していたそうで、それは心痛も尋常じゃなかったはずです。それほどにこの状況は過酷。
恐らくこんな事件が数え切れないほど起こっているのでしょう。何万と起きていることの一つに過ぎない、しかし数字でしか見えなかったものの意味を教えてくれます。この映画が告発するのはガザで起きているは「戦闘」だけではない、ジェノサイドという理不尽、戦争犯罪を生む暴力装置がいかにして人の命を奪うのかという事。そして喪われた命たちへの鎮魂の祈りです。
映画というものが一度は埋もれた声をすくい上げフィルムに刻み込み世界に届ける役割もあるのだとすれば、この映画には本物の「叫び」が刻まれています。救おうとすれば救い無き世界の現実に身がすくみ心が傷つく、しかし目と耳を塞ぎ知らないふりを通してしまえば人間として大事なものを捨ててしまう。
「面白いから観て!」と薦められるものではない、しかし観られる機会があるのならどうか観て欲しい。どれほど苦しくとも目を逸らさず、耳も塞がずに、最後まで。
というか無事行ける天候で良かった。先週半ばの豪雨で家に帰れなかった身としてはなおさら。また今週も雨続きのようでなかなか落ち着きませんね。
こんばんは、小島@監督です。
それはそれとしてXLサイズのウマ娘Tシャツと来ては全力で取りに行かざるを得ない。Tシャツはどれだけあっても良いのだ。勝ち取れませんでしたが(笑)
さて、今回の映画は「ヒンド・ラジャブの声」です。
2024年1月29日、人道支援組織「赤新月社」のコールセンターにドイツ在住のパレスチナ人から緊急電話が入る。イスラエル軍がガザ北部へ侵攻し、親戚が戦地からの脱出を試みるも軍の攻撃を受け一家が死亡。しかしただ1人ヒンド・ラジャブ(声・本人)という6歳の少女だけはまだ生存しているというのだ。
携帯電話の番号を聞き出したオペレーターのアミール(モタズ・マルヒース)と上司のラナ(サジャ・キラミ)はヒンドと連絡を取ることに成功。助けを懇願するヒンドをどうにか救出しようとするが、現場は戦場。救急隊員の安全が確保できないと関係各省の許可が下りない。アミールとラナは必死でヒンドを励ましながら、調整役であるマフディ(アメル・ヘレル)の交渉の行方を見守るが。
それは今、ガザで起きていることの1ページ。
赤新月社(主にイスラム教圏で活動する、赤十字社と似た役割を持つ人道支援組織)に入った一本の緊急電話。それが始まりだった。
カンヌ国際映画祭での受賞経験やアカデミー賞ノミネートなど国際的にも高く評価されるチュニジアの俊英カウテール・ベン・ハニア監督。ドキュメンタリーとドラマの中間を行くようなユニークなスタイルを得意とする彼女の新作は、言わばガザで起きている虐殺の告発とも言える内容です。舞台は赤新月社のコールセンターからほぼ動かず、ヒンド・ラジャブの声は残された音声記録をそのまま採用しており、これが録音されていた時、コールセンターではどのような動きがあったかをドラマとして組み上げています。それ故にこの映画は「事実を元にしたフィクション」ではなく手触りとしては再現ドラマが近いです。当時この模様を赤新月社のスタッフ敢えてSNS上に公開したことで世界的なニュースにもなった事件でもあり、顛末をご存知の方もいらっしゃるでしょう。
この映画、実のところ状況の持つ緊張感とは裏腹にドラマとしての起伏は乏しいです。しかしその乏しさこそが今ガザで横たわる物事のおぞましさを浮き彫りにします。ラナとアミールはひたすらにヒンドを励まし続けますが事態は一向に改善せず、その苛立ちを一見悠長に構える調整役のマフディにぶつけるものの、マフディとてただ鷹揚としているわけではありません。しかし手の打ちようのない状況に徐々にすり減って行きます。この映画、上映時間は89分と短めですが、実際の事件は数時間に渡って展開していたそうで、それは心痛も尋常じゃなかったはずです。それほどにこの状況は過酷。
恐らくこんな事件が数え切れないほど起こっているのでしょう。何万と起きていることの一つに過ぎない、しかし数字でしか見えなかったものの意味を教えてくれます。この映画が告発するのはガザで起きているは「戦闘」だけではない、ジェノサイドという理不尽、戦争犯罪を生む暴力装置がいかにして人の命を奪うのかという事。そして喪われた命たちへの鎮魂の祈りです。
映画というものが一度は埋もれた声をすくい上げフィルムに刻み込み世界に届ける役割もあるのだとすれば、この映画には本物の「叫び」が刻まれています。救おうとすれば救い無き世界の現実に身がすくみ心が傷つく、しかし目と耳を塞ぎ知らないふりを通してしまえば人間として大事なものを捨ててしまう。
「面白いから観て!」と薦められるものではない、しかし観られる機会があるのならどうか観て欲しい。どれほど苦しくとも目を逸らさず、耳も塞がずに、最後まで。
先日、現在イベント上映中の「王様戦隊キングオージャーフィルムコンサートinシネマ」を観てきました。2023年に放送されたキングオージャーの根強い人気を受け、昨年スーパー戦隊シリーズとしては初めてのオーケストラコンサートが開催。そのイベントの模様を収めた映像を劇場公開用に再編集したものです。メインプログラムは今なお語り草となっている最終3話の東映特撮ファンクラブ特別編集版を劇伴をオーケストラの生演奏で楽しむというもので、TVシリーズを超越したスケール感はできるならスクリーンで観てみたいという念願が叶いました。
こんばんは、小島@監督です。
鑑賞後の高揚感任せにもう一度キングオージャーを頭から観ようと思ったらAmazonプライムにもNetflixにも無いのが残念でならない…東映特撮ファンクラブを導入すれば良いのですがさすがにこれ以上サブスク増やしたくない…
さて、今回の映画は「魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉」です。
今回はあらすじは省略させていただきます。
少女たちが願いと引き換えに過酷な運命へと向き合うことになる「魔法少女まどか☆マギカ」は2011年にTV放送され、可憐さとグロテスクさが共存するダークな世界観とストーリーに、観る者を衝撃と熱狂の渦に巻き込みました。「物語」シリーズの新房昭之が監督を、「Fate/zero」「仮面ライダー鎧武」の虚淵玄が脚本を、「ひだまりスケッチ」の蒼樹うめがキャラクター原案を務めた「まどか☆マギカ」は気鋭のクリエイターたちの極めて野心的な挑戦の結実と言え、2010年代を代表するアニメとなりました。翌2012年にはTV版を再構築した劇場版2部作が製作・公開され、更に2013年には続編となる「[新編]叛逆の物語」が公開し、ファンに新たな衝撃を刻むことになります。
その後ソーシャルゲームとそれを原作としたアニメ「マギアレコード」やスピンオフも含めた各種コミカライズ、ノベライズなど世界観を広げる作品が続いたものの主要スタッフ・キャストが再結集しての正統な続編としては13年ぶりの新作が登場です。
凝った映像と過剰気味なセリフ、箱庭のようなロケーションにごく閉じられた少人数での葛藤と闘争が「社会」を通り越して世界の存亡に直結する、いわゆる「セカイ系」の極致を味わえる作品です。そう言う系統の作品に求められるものが濃密に詰まっており、その点において実に満足度が高いです。ただ物語の特性上やはり一見さんに薦められるものではないことはある意味では枷でしょう。何なら今作「廻天」が気になるので旧作を初見で一気見しました、という方がいたらドライブ感も手伝って一番楽しめるかもしれません。
…という、通り一遍の総評は置いて私個人の感想を率直に述べるなら、この映画「10年前に出会いたかった」ですね。13年前「叛逆」で味わった驚きと余韻が消えぬ内にこの「廻天」が世に出ていれば自分はもっと喝采を上げていただろうなと思います。13年も間が空いたにしてはあまり映像や物語に未見性と言うか「先」が感じられなかったのも要因かもしれません。この13年で自分も歳を重ね自分の身の回りも大きく変わっており、こう言った物語が自分の感性のストライクゾーンから外れてしまったような、そんなもの寂しさを覚えます。
ところで「まどか☆マギカ」絡みで映画以上に驚いてしまったのがアラサーでOLしてる巴マミがグダグダと日常を過ごすスピンオフコメディ「巴マミの平凡な日常」が10年以上の時を経てなお連載中と知ってしまったこと。出オチみたいな漫画なのでてっきり3巻くらいで終わったものとばかり。これを機に読んでみようかしら(笑)
こんばんは、小島@監督です。
鑑賞後の高揚感任せにもう一度キングオージャーを頭から観ようと思ったらAmazonプライムにもNetflixにも無いのが残念でならない…東映特撮ファンクラブを導入すれば良いのですがさすがにこれ以上サブスク増やしたくない…
さて、今回の映画は「魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉」です。
今回はあらすじは省略させていただきます。
少女たちが願いと引き換えに過酷な運命へと向き合うことになる「魔法少女まどか☆マギカ」は2011年にTV放送され、可憐さとグロテスクさが共存するダークな世界観とストーリーに、観る者を衝撃と熱狂の渦に巻き込みました。「物語」シリーズの新房昭之が監督を、「Fate/zero」「仮面ライダー鎧武」の虚淵玄が脚本を、「ひだまりスケッチ」の蒼樹うめがキャラクター原案を務めた「まどか☆マギカ」は気鋭のクリエイターたちの極めて野心的な挑戦の結実と言え、2010年代を代表するアニメとなりました。翌2012年にはTV版を再構築した劇場版2部作が製作・公開され、更に2013年には続編となる「[新編]叛逆の物語」が公開し、ファンに新たな衝撃を刻むことになります。
その後ソーシャルゲームとそれを原作としたアニメ「マギアレコード」やスピンオフも含めた各種コミカライズ、ノベライズなど世界観を広げる作品が続いたものの主要スタッフ・キャストが再結集しての正統な続編としては13年ぶりの新作が登場です。
凝った映像と過剰気味なセリフ、箱庭のようなロケーションにごく閉じられた少人数での葛藤と闘争が「社会」を通り越して世界の存亡に直結する、いわゆる「セカイ系」の極致を味わえる作品です。そう言う系統の作品に求められるものが濃密に詰まっており、その点において実に満足度が高いです。ただ物語の特性上やはり一見さんに薦められるものではないことはある意味では枷でしょう。何なら今作「廻天」が気になるので旧作を初見で一気見しました、という方がいたらドライブ感も手伝って一番楽しめるかもしれません。
…という、通り一遍の総評は置いて私個人の感想を率直に述べるなら、この映画「10年前に出会いたかった」ですね。13年前「叛逆」で味わった驚きと余韻が消えぬ内にこの「廻天」が世に出ていれば自分はもっと喝采を上げていただろうなと思います。13年も間が空いたにしてはあまり映像や物語に未見性と言うか「先」が感じられなかったのも要因かもしれません。この13年で自分も歳を重ね自分の身の回りも大きく変わっており、こう言った物語が自分の感性のストライクゾーンから外れてしまったような、そんなもの寂しさを覚えます。
ところで「まどか☆マギカ」絡みで映画以上に驚いてしまったのがアラサーでOLしてる巴マミがグダグダと日常を過ごすスピンオフコメディ「巴マミの平凡な日常」が10年以上の時を経てなお連載中と知ってしまったこと。出オチみたいな漫画なのでてっきり3巻くらいで終わったものとばかり。これを機に読んでみようかしら(笑)
自宅の近所でここ最近ちょっと珍しい工事が行われています。端的に言えば住宅の移築工事なのですが、一旦解体して組み直すのではなく、なんと躯体をそのまま30〜40mほど先の目的地へスライド!工法としてそういうものがある、というのはどこかで聞いて漠然と知っていたのですが実際目にする日が来るとは。しかも何日もかけてちょっとずつずらして行くのかと思いきや準備自体には何日もかけていたものの移動そのものは僅か1日で完了。朝出勤した時と夜帰ってきた時で二階建て木造住宅1棟の位置が動いていたらそりゃ驚きます。レールのように並べられていた材木の使い道ってこれかー!と思いましたね。
こんばんは、小島@監督です。
こういう工事でもちゃんと移動先の土地の地鎮祭やってたのも興味深い。
さて、今回の映画は「シェルター」です。
マイケル・メイソン(ジェイソン・ステイサム)は、スコットランド沖の孤島の灯台で愛犬と共に世捨て人のように暮らしている。外界との接点は週に一度アーサー(ダニエル・メイズ)とジェシー(ボディ・レイ・ブレスナック)が届ける生活物資のみ。しかし、嵐が迫り2人の乗る船が転覆。アーサーは命を落としてしまう。ジェシーはメイソンにより救出されたが事故で受けた傷が悪化。メイソンは薬を調達するために本土へ買い出しに向かう。
それが合図となってしまった。島は突如謎の集団の襲撃を受ける。メイソンはかつて諜報員だったが元MI6長官であるマナフォート(ビル・ナイ)に背いたことにより抹殺リストに名を刻まれていたのだ。
アクション映画で確かな地歩を築いたスター、ジェイソン・ステイサム。近年は似たようなプロットの作品が多いので「いつもの」なんて言われたりもしていますが、プロフェッショナルの美学と矜持に裏打ちされた抜群の安定感で水準以上の作品を届けてくれています。昨年の「ビーキーパー」、今年の「ワーキングマン」が共に正月に公開され正月番組の定番にしようとしてるのかと思いきや夏もステイサム。残暑を吹き飛ばしにヤツが来る。
確かに手垢のついたプロットながら実に味わい深く感じるのはひとえに主演陣の演技に付きます。特に今作のヒロインである、行きがかり上メイソンとほぼ常時行動を共にすることになる少女・ジェシーを演じるボディ・レイ・ブレスナックが素晴らしい。近年「ハムネット」の出演などで注目を集める弱冠15歳の新鋭ですが、今後の活躍を期待させずにはおかない逸材です。他にも「パイレーツ・オブ・カリビアン」や「生きるLIVING」などで知られる名優ビル・ナイや「レディ・マクベス」などのナオミ・アッキーなどイギリス映画界の顔が揃っていて作品が底上げされています。
フィルモグラフィーを見ればアクションエンターテインメントばかりなので気付きにくいですが、実は結構演技巧者のステイサム。名優達が脇を固める今作ではそんな彼の演技力の底深さも垣間見えます。主人公メイソンはだいぶ口数が少ない寡黙な男で、そのぶん表情や視線の変化が感情を物語るのですが、これがまた良い。今作の配給がステイサム主演作を多く手掛けるクロックワークスではなくアート系作品が多いキノフィルムズなのも興味深いですね。
また個人的にツボだったのが物語前半の主舞台である孤島がアウター・ヘブリディーズ諸島の一つ、というロケーション。アウター・ヘブリディーズ諸島とはスコットランド北西部の群島のことを言うのですが、スコットランドが舞台の映画は数あれど、ここが舞台となると「ウイスキー・ガロア!」とそのリメイクである「ウイスキーと2人の花嫁」というコメディくらいしか記憶に無く、映画の舞台としては極めて珍しいロケーションでその辺りも面白い。多くのシーンで天気が曇り空なので、画面がザラついたモノトーンのような質感をしているところもこのハードボイルドな物語と好相性です。
思いのほかゆったりと進む前半から一転、一気にギアの上がる後半は待ってましたとばかりに次々繰り出されるステイサムアクションを満喫。敵方にもかなり強いキャラクターを配しており、いつもの無双アクションのようでいて結構緊張感高めなのも良いですね。ほんの僅かな苦味を残しながらも暖かい余韻を残す結末も沁みる、「ジェイソン・ステイサム主演」という看板に求められる全てが詰まっている快作です。
ジェイソン・ステイサム、来年正月にも「ビーキーパー2」公開が控えており、さらにそれ以外にも「MUTINY」(邦題未定)が待機しているなどコンスタントに主演作が続いています。何だかんだ言っても時には深く考えなくていいオヤジアクションが欲しくなるもの。マンネリと言われても長く続けていって欲しいですね。
こんばんは、小島@監督です。
こういう工事でもちゃんと移動先の土地の地鎮祭やってたのも興味深い。
さて、今回の映画は「シェルター」です。
マイケル・メイソン(ジェイソン・ステイサム)は、スコットランド沖の孤島の灯台で愛犬と共に世捨て人のように暮らしている。外界との接点は週に一度アーサー(ダニエル・メイズ)とジェシー(ボディ・レイ・ブレスナック)が届ける生活物資のみ。しかし、嵐が迫り2人の乗る船が転覆。アーサーは命を落としてしまう。ジェシーはメイソンにより救出されたが事故で受けた傷が悪化。メイソンは薬を調達するために本土へ買い出しに向かう。
それが合図となってしまった。島は突如謎の集団の襲撃を受ける。メイソンはかつて諜報員だったが元MI6長官であるマナフォート(ビル・ナイ)に背いたことにより抹殺リストに名を刻まれていたのだ。
アクション映画で確かな地歩を築いたスター、ジェイソン・ステイサム。近年は似たようなプロットの作品が多いので「いつもの」なんて言われたりもしていますが、プロフェッショナルの美学と矜持に裏打ちされた抜群の安定感で水準以上の作品を届けてくれています。昨年の「ビーキーパー」、今年の「ワーキングマン」が共に正月に公開され正月番組の定番にしようとしてるのかと思いきや夏もステイサム。残暑を吹き飛ばしにヤツが来る。
確かに手垢のついたプロットながら実に味わい深く感じるのはひとえに主演陣の演技に付きます。特に今作のヒロインである、行きがかり上メイソンとほぼ常時行動を共にすることになる少女・ジェシーを演じるボディ・レイ・ブレスナックが素晴らしい。近年「ハムネット」の出演などで注目を集める弱冠15歳の新鋭ですが、今後の活躍を期待させずにはおかない逸材です。他にも「パイレーツ・オブ・カリビアン」や「生きるLIVING」などで知られる名優ビル・ナイや「レディ・マクベス」などのナオミ・アッキーなどイギリス映画界の顔が揃っていて作品が底上げされています。
フィルモグラフィーを見ればアクションエンターテインメントばかりなので気付きにくいですが、実は結構演技巧者のステイサム。名優達が脇を固める今作ではそんな彼の演技力の底深さも垣間見えます。主人公メイソンはだいぶ口数が少ない寡黙な男で、そのぶん表情や視線の変化が感情を物語るのですが、これがまた良い。今作の配給がステイサム主演作を多く手掛けるクロックワークスではなくアート系作品が多いキノフィルムズなのも興味深いですね。
また個人的にツボだったのが物語前半の主舞台である孤島がアウター・ヘブリディーズ諸島の一つ、というロケーション。アウター・ヘブリディーズ諸島とはスコットランド北西部の群島のことを言うのですが、スコットランドが舞台の映画は数あれど、ここが舞台となると「ウイスキー・ガロア!」とそのリメイクである「ウイスキーと2人の花嫁」というコメディくらいしか記憶に無く、映画の舞台としては極めて珍しいロケーションでその辺りも面白い。多くのシーンで天気が曇り空なので、画面がザラついたモノトーンのような質感をしているところもこのハードボイルドな物語と好相性です。
思いのほかゆったりと進む前半から一転、一気にギアの上がる後半は待ってましたとばかりに次々繰り出されるステイサムアクションを満喫。敵方にもかなり強いキャラクターを配しており、いつもの無双アクションのようでいて結構緊張感高めなのも良いですね。ほんの僅かな苦味を残しながらも暖かい余韻を残す結末も沁みる、「ジェイソン・ステイサム主演」という看板に求められる全てが詰まっている快作です。
ジェイソン・ステイサム、来年正月にも「ビーキーパー2」公開が控えており、さらにそれ以外にも「MUTINY」(邦題未定)が待機しているなどコンスタントに主演作が続いています。何だかんだ言っても時には深く考えなくていいオヤジアクションが欲しくなるもの。マンネリと言われても長く続けていって欲しいですね。
先日、友人との約束を忘れて見事なまでにすっぽかして普通に出勤して仕事してたという稀に見る凡ミスをしでかしてしまいました。何故かその一件だけスケジュール帳に入れていなかったのにも驚き。こんなポンコツな真似ここ10年した覚えが無い。仕事してただけギリまだ格好がつくものの、コレで他の予定入れてたら洒落になりません。
こんばんは、小島@監督です。
二度とこんなアホなことしないように今年のスケジュールを再確認中。
さて、今夏はどういうわけか恐竜映画が目白押し。嚆矢とも言える「ジュラシック・パーク」が昨年公開した「復活の大地」までの7作全てがサマーシーズンに公開されているのが要因としては大きいのではないかと思いますが、ある意味でホラー以上に夏のイメージがある恐竜もの。そこで今回は今月相次いで公開された「プリミティブ・ウォー恐竜戦争」と「オークストリートの異変」を2本まとめてご紹介。
8月7日に公開された「プリミティブ・ウォー恐竜戦争」は1960年代末ベトナム戦争のさなか、任務を受けて密林に入った部隊が何故か恐竜と遭遇し熾烈な死闘を繰り広げることになります。監督ルーク・スパークはハリウッドに持ち込んだもののボツにされた企画を実現するために会社を立ち上げ映画化に漕ぎ着けました。ルークは監督どころか脚本・美術・編集まで一手に引き受けており、そういう出自だからか作品のスケールと比して実は思いのほか低予算だそうです。
戦争映画に恐竜をプラス!という作り手の「観たい!」「魅せたい!」が非常にはっきりしている映画で、B級と言われようと何かこうアレとかコレとかに似てるとか思われようが気にしない!俺はコレが撮りたかったんや!!という熱が全編から溢れています。溢れ過ぎてて映画としてはちょっともっさりしてるのが玉に瑕。133分という上映時間ですが、もう20分ぐらい刈り込んでくれればパーフェクト。こういうのは2時間切っていて欲しい。
8月14日公開の「オークストリートの異変」は1980年代前半のアメリカ郊外の街を舞台に、何らかの影響で街ごと恐竜時代に時空転移してしまい、決死のサバイバルをする羽目になった一家を描きます。監督は「イット・フォローズ」「アンダー・ザ・シルバーレイク」と言った個性的なホラーやスリラーで知られるデビッド・ロバート・ミッチェル。主演の2人アン・ハサウェイとユアン・マクレガーはあまりこう言ったジャンルに出演しているイメージが無く、ちょっぴり新鮮な感じがしますね。
1982年という時代背景を物語の構造としても意識的に取り込んでおり、恐竜時代でのサバイバルを縦軸にしつつ亀裂の入った家族の修復の物語を横軸としたストーリーラインなど往年のスティーブン・スピルバーグやジョー・ダンテ作品のイメージ。個々のシーンやショット単位でもそれらを思わせる箇所が点在し、全体的に自分が子供のころ「金曜ロードショー」などで観ていた1980年代の名作の数々を思い出します。そこはかとなく大味なのですが、こう言うのはそれで良い。一方で、登場する恐竜たちが当時ではなく現代の学説に則ったビジュアルをしていて羽毛フサフサなのにそれに対して誰も驚かないのはご愛嬌。
ロケーションの規模としては控えめに見えますがこちらも「恐竜戦争」と負けず劣らず盛大に人が喰われて行くのでスペクタクル的にも充分です。
2作品ともそれぞれのシチュエーションを最大限に活かして発想の自由な羽ばたきを感じ、現代の恐竜映画の元祖とも言うべき「ジュラシック・パーク」が作を重ねるごとにどうしてもがんじがらめになって行ってしまう中、恐竜映画がジャンルとしてまだまだ鉱脈が眠っていることを教えてくれます。
まだまだ暑い日が続く中、あの頃のワクワク感に満ちた作品に触れてみてはいかがでしょうか。
こんばんは、小島@監督です。
二度とこんなアホなことしないように今年のスケジュールを再確認中。
さて、今夏はどういうわけか恐竜映画が目白押し。嚆矢とも言える「ジュラシック・パーク」が昨年公開した「復活の大地」までの7作全てがサマーシーズンに公開されているのが要因としては大きいのではないかと思いますが、ある意味でホラー以上に夏のイメージがある恐竜もの。そこで今回は今月相次いで公開された「プリミティブ・ウォー恐竜戦争」と「オークストリートの異変」を2本まとめてご紹介。
8月7日に公開された「プリミティブ・ウォー恐竜戦争」は1960年代末ベトナム戦争のさなか、任務を受けて密林に入った部隊が何故か恐竜と遭遇し熾烈な死闘を繰り広げることになります。監督ルーク・スパークはハリウッドに持ち込んだもののボツにされた企画を実現するために会社を立ち上げ映画化に漕ぎ着けました。ルークは監督どころか脚本・美術・編集まで一手に引き受けており、そういう出自だからか作品のスケールと比して実は思いのほか低予算だそうです。
戦争映画に恐竜をプラス!という作り手の「観たい!」「魅せたい!」が非常にはっきりしている映画で、B級と言われようと何かこうアレとかコレとかに似てるとか思われようが気にしない!俺はコレが撮りたかったんや!!という熱が全編から溢れています。溢れ過ぎてて映画としてはちょっともっさりしてるのが玉に瑕。133分という上映時間ですが、もう20分ぐらい刈り込んでくれればパーフェクト。こういうのは2時間切っていて欲しい。
8月14日公開の「オークストリートの異変」は1980年代前半のアメリカ郊外の街を舞台に、何らかの影響で街ごと恐竜時代に時空転移してしまい、決死のサバイバルをする羽目になった一家を描きます。監督は「イット・フォローズ」「アンダー・ザ・シルバーレイク」と言った個性的なホラーやスリラーで知られるデビッド・ロバート・ミッチェル。主演の2人アン・ハサウェイとユアン・マクレガーはあまりこう言ったジャンルに出演しているイメージが無く、ちょっぴり新鮮な感じがしますね。
1982年という時代背景を物語の構造としても意識的に取り込んでおり、恐竜時代でのサバイバルを縦軸にしつつ亀裂の入った家族の修復の物語を横軸としたストーリーラインなど往年のスティーブン・スピルバーグやジョー・ダンテ作品のイメージ。個々のシーンやショット単位でもそれらを思わせる箇所が点在し、全体的に自分が子供のころ「金曜ロードショー」などで観ていた1980年代の名作の数々を思い出します。そこはかとなく大味なのですが、こう言うのはそれで良い。一方で、登場する恐竜たちが当時ではなく現代の学説に則ったビジュアルをしていて羽毛フサフサなのにそれに対して誰も驚かないのはご愛嬌。
ロケーションの規模としては控えめに見えますがこちらも「恐竜戦争」と負けず劣らず盛大に人が喰われて行くのでスペクタクル的にも充分です。
2作品ともそれぞれのシチュエーションを最大限に活かして発想の自由な羽ばたきを感じ、現代の恐竜映画の元祖とも言うべき「ジュラシック・パーク」が作を重ねるごとにどうしてもがんじがらめになって行ってしまう中、恐竜映画がジャンルとしてまだまだ鉱脈が眠っていることを教えてくれます。
まだまだ暑い日が続く中、あの頃のワクワク感に満ちた作品に触れてみてはいかがでしょうか。
昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
今回用事があって参加が遅れましたが、行ってみたらAqoursの大スタンドポップが置いてあるインパクト。あれが15年前なら欲しがったんだろうなぁ…それなりに年を重ねたせいか、今はもうああいう大きな物は最後の処分の仕方をどうしたものか考えてしまって(苦笑)
こんばんは、小島@監督です。
それを抜きにしても今回のじゃんけん大会の景品の数!さすがお盆休み!皆さんアクティブ!
さて、世間的にはお盆休みの中、Zepp Nagoyaで開催された「THE IDOLM@STER dual twin live tour 三浦 あずさ・秋月 律子 twin live “ つみまつよるまち ” 」を観てきました。
演じる声優ではなくアイドルたちがそのままオンステージする、「アイドルマスター」が展開するxRライブ、2024年3月に開催された「はんげつであえたら」を皮切りに765プロのアイドルたちが2〜3人の少人数で出演するコンセプトライブを不定期に開催しています。例外的に如月千早が日本武道館で単独公演を行なっていますがだいたいはキャパ1,000〜2,000程度の比較的コンパクトな会場で開催されているのも特徴で、今回私が鑑賞した「つみまつよるまち」と双海亜美・真美出演の「ふたごぼしのつばさ」の2プログラム体制で東名阪のZeppで公演を行うツアーを開催しています。
余談ですが、ここ2年くらいライブハウスでアイドルライブを定期的に観ていてそっちに体が慣れてしまって約10年ぶりのアイマスライブのスタンディング鑑賞で開演直前まで身の置きどころが良く分からなくなってたのは内緒(笑)
このコンセプトライブシリーズ、ライブ全体で一つの物語を貫き通し、その世界観に沿ったセットリストを組むことで聴き慣れた楽曲に新しい一面を見せてくれるのが特色。今回の「つみまつよるまち」では「恋人を亡くし傷ついた女性が雨降る夜の街を彷徨う中で同じ痛みを抱える女性と、まるで交差点で行き違うように刹那の出会いを果たす」という筋立てのもと、エモーショナルにセットリストが構成されていました。
曲調以上にフレーズの持つ意味合いが変化するようなナンバーを持って来ていて、「こう来たか!」が連続する驚きと共に楽曲が見せる新しい横顔に酔いしれました。
その世界観に加えて三浦あずさと秋月律子という765プロのアイドルたちの中でも比較的成熟した考え方をしているメンバーが出演しているとあってMCも軽快な中にも落ち着きがあり、どこかディナーショーでも観ているような趣です。三浦あずさ役のたかはし智秋さんが過去にアイマスでディナーショーをやりたい」とインタビューで答えていて、それも踏まえてのものかもしれません。
曲の構成にしろアイドルとの距離感にしろ何気なくやっていることの一つ一つにアイマス20年の蓄積が成せる業とその結実が見えて、なかなかに心震える時間でした。しかしアイマスライブの中でも取り分けライブで盛り上がる「いっぱいいっぱい」があんな激重ナレーションからブン投げられる日を目撃しようとは。
それにしてもここ一ヵ月ライブにリアル脱出ゲームに企業コラボにとアイマスにどっぷり。いや〜毎日が楽しいぜ(笑)
今回用事があって参加が遅れましたが、行ってみたらAqoursの大スタンドポップが置いてあるインパクト。あれが15年前なら欲しがったんだろうなぁ…それなりに年を重ねたせいか、今はもうああいう大きな物は最後の処分の仕方をどうしたものか考えてしまって(苦笑)
こんばんは、小島@監督です。
それを抜きにしても今回のじゃんけん大会の景品の数!さすがお盆休み!皆さんアクティブ!
さて、世間的にはお盆休みの中、Zepp Nagoyaで開催された「THE IDOLM@STER dual twin live tour 三浦 あずさ・秋月 律子 twin live “ つみまつよるまち ” 」を観てきました。
演じる声優ではなくアイドルたちがそのままオンステージする、「アイドルマスター」が展開するxRライブ、2024年3月に開催された「はんげつであえたら」を皮切りに765プロのアイドルたちが2〜3人の少人数で出演するコンセプトライブを不定期に開催しています。例外的に如月千早が日本武道館で単独公演を行なっていますがだいたいはキャパ1,000〜2,000程度の比較的コンパクトな会場で開催されているのも特徴で、今回私が鑑賞した「つみまつよるまち」と双海亜美・真美出演の「ふたごぼしのつばさ」の2プログラム体制で東名阪のZeppで公演を行うツアーを開催しています。
余談ですが、ここ2年くらいライブハウスでアイドルライブを定期的に観ていてそっちに体が慣れてしまって約10年ぶりのアイマスライブのスタンディング鑑賞で開演直前まで身の置きどころが良く分からなくなってたのは内緒(笑)
このコンセプトライブシリーズ、ライブ全体で一つの物語を貫き通し、その世界観に沿ったセットリストを組むことで聴き慣れた楽曲に新しい一面を見せてくれるのが特色。今回の「つみまつよるまち」では「恋人を亡くし傷ついた女性が雨降る夜の街を彷徨う中で同じ痛みを抱える女性と、まるで交差点で行き違うように刹那の出会いを果たす」という筋立てのもと、エモーショナルにセットリストが構成されていました。
曲調以上にフレーズの持つ意味合いが変化するようなナンバーを持って来ていて、「こう来たか!」が連続する驚きと共に楽曲が見せる新しい横顔に酔いしれました。
その世界観に加えて三浦あずさと秋月律子という765プロのアイドルたちの中でも比較的成熟した考え方をしているメンバーが出演しているとあってMCも軽快な中にも落ち着きがあり、どこかディナーショーでも観ているような趣です。三浦あずさ役のたかはし智秋さんが過去にアイマスでディナーショーをやりたい」とインタビューで答えていて、それも踏まえてのものかもしれません。
曲の構成にしろアイドルとの距離感にしろ何気なくやっていることの一つ一つにアイマス20年の蓄積が成せる業とその結実が見えて、なかなかに心震える時間でした。しかしアイマスライブの中でも取り分けライブで盛り上がる「いっぱいいっぱい」があんな激重ナレーションからブン投げられる日を目撃しようとは。
それにしてもここ一ヵ月ライブにリアル脱出ゲームに企業コラボにとアイマスにどっぷり。いや〜毎日が楽しいぜ(笑)
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