ちゅうカラぶろぐ


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思うところあって今年は遠征を控えていたのですが、この週末は約半年ぶりに東京遠征。
 そして暑さで汗かきすぎて足がつるという残念ぶり(苦笑)。いろいろ対策はしていたんだけどなぁ…病院行きにならないだけ良かった。

 こんばんは、小島@監督です。
 とは言えライブは最高だったし良いバーも見つけられたしで悪い旅ではなかった。

 というわけで、週末京王アリーナで開催された「THE IDOLM@STER 20th Anniversary MORE RE@LITY LIVE IDOL WORLD SUPER FESTIVAL 2026」 観に行って来ました。シリーズ20周年を記念して2024年から多彩なプログラムやイベントを展開してきた「アイドルマスター」、その締めくくりとして3日間に渡る大型XRライブが開催されました。全ブランドから選りすぐりのアイドルたちが出演する越境ライブです。
 3公演それぞれにコンセプトと出演者がガラリと変わる今回のイベント、できれば私も3公演全て鑑賞したかったのですがさすがにスケジュールが取れず、day2を現地会場で、また今回は久しぶりに大規模なライブビューイングも実施され、day3は名古屋まで戻ってミッドランドスクエアでライブビューイングで鑑賞しました。ライブビューイングなんてもしかしたらコロナ禍前以来かもしれない。ちょっと懐かしい感覚。

 day1では「YAKUDOU」と題しセットリストをダンサブルなナンバーで固めてアイドルたちとバックダンサーが競演、超現実と現実のコラボレーションを展開しました。
 そしてday2は「ZESSYOU」と題してストリングスも含めたバンドユニットが登場しての生演奏とアイドルとのセッションが繰り広げられました。開幕のオーバーチュアからいきなり三浦あずさの「隣に…」と如月千早の「細氷」を持って来る、ヴォーカルに全振りのセットリストがバンドの生演奏に乗ってエモーショナルに観る者に迫ります。中でもCVが付いたのが2022年と日が浅く今回のような越境合同ライブに初参加となったシンデレラガールズの望月聖が当人のソロ曲「メサイア」だけでなくシャイニーカラーズの「Dye the sky」、961の「アライアンス・スターダスト」と言った名曲たちに、オリジナルに負けない歌声を聴かせて観客に強く存在を焼き付けさせたのが印象的。

 day3では「KYOUMEI」と題しセットリストの全てをコール&レスポンスできる、観客に積極的にライブに加わってもらうセットリストで構成。全曲ブッ続けで「アガる」曲を持って来るドライブ感を満喫しました。
 またこの日は特別な趣向としてMCが事前収録ではなく、スタッフブースに各アイドルの担当声優が入っての生MCを取り入れており「実在感」を演出するXRライブの真骨頂というような面白さを提示して来ていたのもポイント高いです。かつてコレに近いことをしていたアイマスイベントがあります。2019〜2020年に開催された「THE IDOLM@STER MR ST@GE!! 」というイベントで、765プロのアイドルたちが日替わりで出演し、MCでは来場者たちと実際に会話する(つまりバックに声優が控えてトークしていた)というものでした。コロナ禍の到来により全公演をやり切ることなく途絶えてしまい、会場であったDMMシアターも今はもう建物自体が無い、まるで記憶の中だけに刻まれた夢か幻のようになってしまいましたが、それをもっと大きな規模でやってくれたようにも見えました。中でも松田亜利沙はCVを務める村上梨衣が、天海春香は中村繪里子がオーバーラップする瞬間がいくつもあり、声優たちが実際にパフォーマンスするリアルライブで見せる逆の現象が起こっていたのも不思議な感覚です。

 結局のところ、どれだけ時間を経てもやはり自分はアイドルマスターが好きで堪らないのだなと、そんなことを再認識できるような、そんな素敵なライブ体験でした。来年には765vs961という、理想を違えた2つのプロダクションの対バンライブも発表されました。
 これはまだブッ倒れるわけにはいかない。
 見届けなくてはならない光景がまだ残っている。

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どういうわけか今年の夏は歴史もののアニメが花盛り。北条氏の滅亡から足利氏の勃興期、「中先代」と呼ばれた北条時行の戦いを描く「逃げ上手の若君」第二期、後に世阿弥と名乗ることになる少年・鬼夜叉が芸能の道を切り拓いていく「ワールド・イズ・ダンシング」、現代の女子高生が古代ヒッタイト帝国へとタイムスリップする「天は赤い河のほとり」、そしてチンギス・カンの西征により拠り所を失った少女ファティマがモンゴルの地で復讐を誓う「天幕のジャードゥーガル」と、いずれ劣らぬ代物で日本の漫画文化の奥深さや分厚さを堪能できる顔触れ。長すぎるタイトルのファンタジーものに少々倦み疲れていた身にとって1本だけでも「勝ち」のタイトルが何本も同時期に出て来た今期のラインナップにはなかなかエキサイティングです。

 こんばんは、小島@監督です。
 何なら最近ようやく「チ。地球の運動について」も見始めたのでにわかに歴史づいております。

 さて、今回の映画は「オブセッション災愛」です。

 楽器店でアルバイトしている青年ベア(マイケル・ジョンストン)は、同じバイト仲間のニッキー(インディ・ナバエレッテ)に片想いしているが、気弱で内向的な性格が災いして一向に想いを伝えられないでいる。
 ある時ベアは、ネックレスを失くして気を落とすニッキーにアクセサリーを贈ろうと立ち寄った雑貨店で「ワン・ウィッシュ・ウィロー(願いの柳)」という名のアイテムを見つける。それは2つに折るとその者の願いを1つだけ叶えてくれると言う。ベアはニッキーを射止める願いをかけて柳を折った。すると願い通りにニッキーはベアを愛し始めるが、やがてその愛は執着へと変わって行く。

 「猿の手」、というのをご存知でしょうか。イギリスの小説家ウィリアム・ジェイコブスが1902年に発表した短編で、3つの願いを叶える魔力が宿っているが運命を捻じ曲げようとする者には災厄をもたらすという呪物「猿の手のミイラ」を手にした老夫婦の顛末を描く物語で、いわゆる「3つの願い」のお伽話をベースにしたホラー小説です。後世に与えた影響がことのほか大きい作品の一つで、スティーブン・キングの「ペット・セマタリー」「神々のワード・プロセッサ」、西尾維新の「するがモンキー」、光原伸の「アウターゾーン」の一編「魔神の手」など洋の東西を問わず多くのフォロワーが生まれました。「願いが叶う」ことに対する危険性への認識も覚悟も無い者に対して超自然的な「何か」は容姿しないのです。
 そしてここに新たな「猿の手」ものの傑作が登場しました。YouTubeでの動画製作を主戦場にしていたクリエイター・カリー・バーカーの劇場長編映画デビュー作であり、予算規模も75万ドルという低予算ながら4億ドルを超える興行収入を叩き出し、オリジナルのホラー映画としては史上最高興収を記録しました。そんな新星が遂に日本公開です。

 正直言ってちょっとヤバいくらいに怖い。それはもう笑ってしまうくらいに。ただの添い寝なのに緊張感がただならない。一緒にいようといまいとどの角度から恐怖が襲ってくるか分からない。悪霊も裸足で逃げ出すほどの恐怖をもたらすもの、それは愛です。時に愛で人間は絶体絶命に陥ります。洋画にセンスの無い邦題が付けられてげんなりすることも少なくないですが、「災愛」とは言い得て妙な、実際観るとこれしか考えられないような邦題を良く付けたものです。
 そして確かに一見「ドラッグがキマってるように見えるが実際はそれどころじゃない」、まさに「オブセッション(執着)」と呼ぶに相応しい愛が止まらないニッキーを演じるインディ・ナバエレッテの怪演はもう必見のひと言です。
 また主人公ベアはその気弱さ故にずっと優柔不断で成長しない、という人物像も妙なところでリアルです。そしてそれ故に事態はさらに悪化の一途を辿って行き、より混沌としていきます。

 ストーリー的な妙もさることながら、それを見せるカリー・バーカー監督の手腕も見事。どこまでを説明してどこまでを説明しないか、どれくらいを直接画面に出すか出さないか、その足し引きの加減が絶妙。初監督、そして20代の若さでここまでできるとは末恐ろしい新星が現れたものです。
 ラブストーリーホラーとコメディが渾然一体となり、ジェットコースターのような乱高下を伴って観る者に襲いかかってくるので、終わる頃には謎にテンションが上がっていることでしょう。

 ベースとなったものは古典的なものでもアイディアと見せ方一つでどこまでも斬新なものを作り上げられる、クリエイティブの真骨頂が観られる一本です。もしかしたら今作の監督や主演陣は今後トップに躍り出るかもしれない、そういう先物買い的な楽しみもあるかもしれません。いずれにしても「旬」を感じられる作品であるに違いなく、気になっているなら配信など待たずにどうぞスクリーンで味わってみてください。

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昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
 訪れてみたどの部屋も活気があって、良い会であったと思えます。私もがっつり歌えましたしね!あとスイカデカかったですね!夏って感じだ!

 こんばんは、小島@監督です。
 初参加の方たちも楽しんで頂けたなら幸い。また来て下さると嬉しいですね。

 さて、今回の映画は「急に具合が悪くなる」です。

 フランス・パリ。高齢者介護施設「自由の庭」で施設長を務めるマリー=ルー(ヴィルジニー・エフィラ)は、理想とする介護体制と現実のギャップに葛藤し不眠に悩む日々が続いていた。
 そんなある日、マリー=ルーは街を徘徊する自閉症の青年・智樹(黒崎煌代)を助ける。やがて智樹を探しGPSの反応を追って来た祖父・清宮吾郎(長塚京三)と黒崎真理(岡本多緒)と出会う。真理は演出家、吾郎は俳優で、演劇公演のためにパリへ来たと言う。マリー=ルーは真理と吾郎の舞台を観に行くことにした。そこでマリー=ルーは真理が末期癌を患い余命が決して長くはないことを知る。

 アカデミー賞とカンヌ、ベルリン、ヴェネツィアの世界三大映画祭全てで受賞という日本人としては黒澤明以来の快挙を成し遂げた映画監督・濱口竜介。現在最も世界的な注目を集めていると言っても良い同氏の最新作は日本・フランス・ドイツ・ベルギーの4ヶ国合作で製作され、本編のほとんどはフランスで撮影、言語もフランス語と日本語が行き交うような作品となりました。実のところ前から気にはなっていたものの濱口竜介作品は今まで観たことが無く、今回ようやくその機会を掴みました。
 癌を患いながら活動した哲学者宮野真生子と人類学者磯野真穂の往復書簡を採録した同名の書籍を原作としており、そもそもそんな書籍を良く原作に選んだなという選別眼と、それをこういう風に作劇して映像化するのかというセンスに感心します。介護施設が主舞台となっており、それにまつわるトピックが盛り込まれていることも見逃せません。認知ケアの技法として「ユマニチュード」というのが作中登場するのですが、恥ずかしながらそう言ったものがあるというか単語すら知りませんでした。調べてみたらまだ新しい概念のようです。

 196分という長尺を、物語の密度や展開というよりは登場人物の感情に寄り添うように作られており、場面転換のリズムとしてはいささかアンバランス、しかし穏やかなトーンのダイアログに心地良さを感じる方も多いでしょう。
 フランス語と日本語がシームレスに行き交う作品ですが、マリー=ルーは日本に、真理はフランスにそれぞれ留学した経験があり、それぞれ相手の言語を理解し会話をします。マリー=ルーと真理はある意味で言語という最初の壁が無いことがこの2人の距離を縮めるのです。
 また、作中全く説明は無いものの吾郎もフランス語が話せます。演じる長塚京三はパリ大学に留学していた時期がありフランス語を話せるため、それも見越してのキャスティングでしょう。劇中劇とも言える吾郎の一人芝居はこの映画の白眉と言えます。ほぼ全編が通して登場し、作品のテーマとも直結する内容であるだけでなく、マリー=ルーと真理のドラマの起点と終着点としても意味を持ち、極めて重要なシーンです。

 マリー=ルーと真理、中盤の2人の会話はもう一つの白眉と言えます。ゆっくりと場所を変えながら続くそれはパーソナルでミクロなところからやがてマクロな世界の理へと移っていきます。この辺りの哲学談義は2人の教養の深さが良く表れるシーンでもありますが、物語の流れすら断ち切って続くので異質な雰囲気を放ちます。しかも思いのほか長いのでちょっとウトウトしてしまいましたが(苦笑)、ただここの会話こそがこの映画の基礎と言えるものでしょう。今作で主演したヴィルジニー・エフィラと岡本多緒は2人でカンヌ国際映画祭で主演女優賞を獲得しましたがそれも納得です。この2人を別々には考えられません。

 撮影監督アラン・ギシャウアの手腕によるものか草木の緑が映える画面も心地良く、ゆったりとした会話に身を委ねているとそこに何かのヒントが得られるような、そんな気分になります。一見すると良くある難病もののように見えますがメロドラマとは大きく一線を画す、まるでベクトルの違う物語が展開します。
 196分は確かに長く、観るにはハードルの高い作品ではありますが、どこか観る者を豊かにさせてくれる、そんな時間をどうぞ味わってみてください。

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現在も熱戦が続くワールドカップ北中米大会、アルゼンチンVSカーボベルデ戦はご覧になりましたでしょうか。連覇を目指す王者アルゼンチンと今大会初出場でFIFAランク的にもずっと格下であるカーボベルデ、しかし格上相手に真っ向勝負を仕掛け点を取られても取り返し挑み続けるカーボベルデ、その姿勢がアルゼンチンをも本気にさせ(あのメッシが全力でディフェンスに回る局面もあったほど!)、双方が死力を尽くす姿には清々しさが漂いサッカーというスポーツが持つ素晴らしさが詰まった心震える名勝負でした。

 こんばんは、小島@監督です。
 そんな試合の後にラフプレー続発のサッカーの悪いところが煮詰まったようなフランスVSパラグアイみたいな試合があったりするのもまたワールドカップ(笑)

 さて、今回の映画は「ロングウォーク」です。

 近未来、激しい内戦の末にアメリカは軍事独裁政権下にあった。人々は経済破綻による深刻な不況にあえぎ、政府は国民に愛国心と勤労意欲を喚起するために各州の代表である若者たち50人による「ロングウォーク」と呼ばれるゲームを主催している。足を止めた者は3回の警告の内に再び歩き出さねば射殺され、最後の1人になるまで歩き続けるのだ。その過酷なゲームの優勝者には莫大な報奨金と、願いを一つ叶えられる権利を得る。
 今回の開催地メイン州出身のレイ(クーパー・ホフマン)は、母ジニー(ジュディ・グレア)に別れを告げロングウォークに参加する。
 “少佐”(マーク・ハミル)の号令の下、参加者たちが歩き出した。レイは顔に傷のある青年ピーター・マクブリーズ(デヴィッド・ジョンソン)、アジア系で口達者なハンク・オルソン(ベン・ウォン)らと意気投合するが、徐々に蓄積していく疲労が彼らを追い詰めて行く。

 モダン・ホラーの帝王と言われる作家スティーブン・キング、彼は「リチャード・バックマン」というペンネームで発表した7本の作品があります。キングが小説家としてのキャリア私スタートさせた当初、アメリカの出版業界には「1人の作家が1年に出せる本は1冊まで」という風潮がありました。キングのようにハイペースで作品を書き続けられる作家は年に複数冊発表するためにペンネームを用意して小説を出版しており、キングもそれに倣ったと聞きます。またせっかく別名義で発表するなら自分名義の作品と比べてどれくらい売れるのか試してみたかった、と語ったりもしています。リチャード・バックマン=スティーブン・キングということも広く知られるようになった現在では映像化の際は「原作スティーブン・キング」とクレジットされるようにもなっています。
 そんなバックマン作品が今年相次いで映画化されました。それが「ランニング・マン」と今回の「ロングウォーク」です。ともに近未来ディストピアを舞台にデス・ゲームに身を投じる者たちを描いた作品であるというのも共通していて、作品の方向性こそ違えど閉塞感漂う時代の空気を感じさせてくれます。

 いわゆる「デス・ゲームもの」の先駆的作品として後続に大きな影響を与えたとされる「ロングウォーク」ですが、後続の「バトルロワイヤル」や「ハンガー・ゲーム」などのように参加者たちが殺し合うわけではないという点が大きく違います。ただひたすらに歩くだけ。策を弄して他を追い詰めるような余地がほとんど無く、歩みが止まった者が最終警告前に歩き出せなければ射殺されるという厳然たるルールがあるのみ。なので一見地味に思えるかもしれませんが、全くもってそんなことはありません。高い緊張感を保ちつつ珠玉のドラマが展開します。

 歩くだけでは手持ち無沙汰なのでやがて参加者たちは互いに語り合い始め意気投合し、やがて友情が生まれていきます。困窮と抑圧で皆何がしかの絶望を抱えており、ロングウォークが持つ僅かな希望にすがるしかない若者たち。数時間後か遅くとも数日後には永訣の刻を迎える彼らの儚く熱い友情に気づけば観客は「誰一人として死んで欲しくない」とすら思うでしょう。しかしそんな甘さは用意されていません。観客にとってもなかなかにキツい映画です。
 そして「ずっと歩いてばかりということは食事とか排泄とかどうするのさ?」という当然の疑問に、この作品は直球で見せてきます。生理現象をここまでサスペンスフルに描いた映画もそうそうありません。

 アイロニカルな舞台設定にスティーブン・キング一流のキャラクター造形とダイアログが乗っかった今作は、特にレイとピートの関係性において極上のブロマンス映画でもあります。そういうのが好きな方には確実に刺さります。
 先が見通せないというこの時代に誰もがうっすら感じているであろう感覚、これが絵空事ではなく、どこか地続きのように感じられてしまうところに「ロングウォーク」の凄みはあります。そしてそれは人生そのものでもあるのでしょう。
 どこまでも歩いて行くしかない。倒れるまで。

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ちょっとした勢いも手伝って、お酒に関わる資格が一つ増えました。今回取得したのはテキーラ・マエストロ。業界団体が発行するもので、その名の通りテキーラの資格です。と言っても所定の回数の講座の受講と最後のテストで規定の点数(合否ラインもかなり低め)を取れれば良いので難易度としてはかなり低めです。職場の意向で費用を会社持ちで30人ほどが一斉に受講できることになり、ならば是非と手を挙げました。万が一落第したら費用は実費と脅されていたのでちょっとホッとしています。

 こんばんは、小島@監督です。
 実は今夏もう一つ資格試験を受験予定。私としてはこっちが本命。上手く弾みをつけられると良いのですが。

 さて、今回の映画は「Micheal/マイケル」です。

 1966年、ジョセフ・ジャクソン(コールマン・ドミンゴ)は5人の息子たちにバンドを組ませ最年少のマイケル(少年期ジュリアーノ・バルディ、青年期ジャファー・ジャクソン)をヴォーカルとして体罰も辞さない厳しい特訓を施し「ジャクソン5」としてステージに立たせる。
 マイケルの歌声は注目を集め、1968年にはモータウンと契約に至った。ジャクソン5のアルバムは全米チャート1位を記録し一家はスターダムを駆け上がって行く。しかしそれと共にマイケルジョセフの間には軋轢が生じ始めていた。

 その存在はまさに伝説。1980〜90年代にかけてポップミュージックのあり方そのものを再定義したと言っても良いほど、現在に至るまで多大な影響を及ぼし続けるアイコン、マイケル・ジャクソン。2009年に自身最後のツアーと事前に宣言していた「THIS IS IT」開幕のロンドン公演を直前に急逝した折の衝撃を良く覚えています。没後すぐに公開された「THIS IS IT」は、このツアーのメイキング・ドキュメンタリー用に撮影された素材を中心に構成し、最大限の手間と費用をかけて最高のものを作り上げようとするマイケル・ジャクソンの真摯な姿を活写し、エネルギッシュなリハーサルに幻となったツアーに想いを馳せる、まさしく追悼のための映画でした。
 それから17年の時が経ち、マイケル・ジャクソンが放った輝きも遠くなりそうになる中で遂に時が満ちたというべきでしょうか、彼の半生を描く伝記映画が製作されました。監督を務めたのはアントワン・フークア。デンゼル・ワシントン主演の「トレーニング・デイ」「イコライザー」シリーズ、マーク・ウォールバーグ主演の「ザ・シューター/極大射程」などスリラーやアクション映画印象が強い同氏ですが、南北戦争中の逃亡奴隷の姿を描いた「自由への道」と言った伝記映画を手掛けた実績もあります。

 映画は1966年から1988年の「BAD」ワールドツアーまでの22年間、マイケル・ジャクソンがKING OF POPと呼ばれるに至る前半生を描きます。人物やトピックを掘り込んでいく伝記映画とは少々趣が異なり、ジャクソン5時代以降のマイケルのヒットナンバーを大量に盛り込み歌とダンスでマイケル・ジャクソンが生み出した熱狂と時代を追体験する音楽映画となっています。実はBADワールドツアーの折、兵庫県西宮市にかつて存在していた阪急西宮球場がアジア公演の会場の一つになり、当時西宮市に住んでいた私たち一家はチケットを入手出来なかったのに雰囲気だけでも味わいたいと球場前まで行ってスタジアムから漏れ聞こえてくる音に耳を澄ませていた思い出があります。そんな記憶も蘇って来ました。
 少年期のジュリアーノ・バルディ、青年期のジャファー・ジャクソン、マイケルを演じた2人のパフォーマンスが圧巻のひと言。当人の歌声がかなり特徴的であるためか、さすがに歌はアーカイブの歌声を当てはめているようですが、ダンスのキレの凄みに一瞬マイケル・ジャクソンの姿を幻視してしまうほど。ジャファー・ジャクソン、マイケルの甥っ子だけあってもともと似てはいたのでしょうが、それにしても何度もダブって見えるパフォーマンスは賞賛に値します。

 アメリカ本国では興行成績で成功を収めている一方で批評家筋の反応がイマイチだったと聞きますが、ある意味ではそれ納得。音楽の力にかける比重が高すぎて伝記映画としては少々薄味です。
ただ批評家筋の言う「マイケルの影の部分が描かれていない」は、個人的にはちょっと違うと思っていてマイケル・ジャクソンという人物に裏表はほとんど無く、純粋であるが故に、また家族と音楽以外に無かったが故に世界とのギャップに苦しんでいたのではないかと見ています。映画の中でもそれとなくそう言った要素が盛り込まれています。そしてそれに直面して苦しむことになるのが1990年代以降のマイケルでしょうが、そこに至る前に映画は終わります。
 ですのでむしろ難点としては、伝記映画でこう言うのも何ですが「良いところで終わってしまう」のが一番残念です。好調な興行成績を受けて続編が準備段階にあるとか。後半生はもちろん今回ですら描き切れていない数々のエピソードが語られるのを楽しみに待っていたい。

 とにかくパフォーマンスの質量にこだわった作りのお陰で一種ミュージカル的な高揚感に満ちた一本、楽しむならやはり音響の良いスクリーンで観たいところ。IMAX、Dolby cinemaなどの選択肢があるなら是非そちらで観ることをお薦めします。
 そして観終わった後にはマイケルの曲が聴きたくなること必至。という人に向けて来場者プレゼントのカードにはマイケルの曲をすぐに再生できるQRコードが印刷されている完璧な動線。私も見事に釣られました(笑)。
 暑くなって来た夏の一時、至上の音楽に身を委ねてみてください。

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ちょっとお誘いを受けまして、先日ヴォーカリストTRUEさんのライブツアー「乱舞」の名古屋公演に行って来ました。TRUEさんのライブに行くのは実に9年ぶり。国内のホールやライブハウスだけでなく海外公演も予定されているこのツアー、名古屋公演では「響け!ユーフォニアム」「アイカツ!」現在放送中の「MAO」に加えて、ツアーらしい企画として「ご当地アニソンカバー」と題し「メダリスト」や「負けヒロインが多すぎる!」のエンディングをカバーしてくれたりとバラエティに富んだ充実のセットリスト。衰え知らずのパワーに円熟味が増したヴォーカルは情熱的でいて心地良く、終始ぶちアガれる素晴らしいライブでした。

 こんばんは、小島@監督です。
 やはり生音は良い。それなりにアイドルライブには足を運んでいたりするけれど、音に浸れるライブはまた格別。

 さて、今回の映画は「シラート」です。

 スペイン人のルイス(セルジ・ロペス)と息子のエステバン(ブルーノ・ヌニェス・アルホナ)は、レイブパーティーの後に消息を絶った娘を探すためモロッコにやって来た。砂漠で行われるレイブパーティー会場にたどり着き方々で娘の行方を聞いて回るがなかなか成果は上げられない。
 そんな中、突如軍隊が現れレイブは中止になり、会場から客たちを追い出し始めた。客たちの中に軍隊の誘導を振り切り次のレイブ会場へ向かう者たちがいた。ルイスは彼らの後をつけ同行させて欲しいと願い出るのだが。

 「シラート」、それは道。天国へ到る道。心清き者には通れる幅があるが不信心者には髪の毛よりも細く剣よりも鋭くなるという。
 砂漠にスピーカーが設置されていき、大音響でハードコアテクノが流れる、やがてどこからか人が集まって来る。映画冒頭の数分間、セリフ無く展開するこれらの映像はどこかプリミティブな宗教儀式を捉えたドキュメンタリーのよう。そこにルイスとエステバン親子が登場し、物語が動き始める。のですが、この映画、「親子2人が娘を探している」以外の情報はほぼ提示されないに等しく、物語を追うものとして観ることは実質無意味に等しいです。「地獄の黙示録」「恐怖の報酬」(ウィリアム・フリードキン監督の方)「マッドマックス:怒りのデス・ロード」、類似性を感じさせるタイトルが思い浮かぶ方も多いでしょうがそのどれとも似ているようで似ていません。ある意味で確かに唯一無二の映画です。

 ハードコアテクノやトランスミュージックが全編に渡りスクリーンのスピーカーを震わせており、音にほとんど空白が無い一方で物語の進行は至ってスローペースで全てが断片的、余白が多くその歪な感覚が奇妙な不安を見る者にもたらします。
 そしてその不安は唐突に顕在化します。それこそ段取りも伏線も予兆すらも無く。
 そこからはまさに「シラート」というタイトルが示す通りにか細い道を辿って行くかのごとく、異様な緊張感がトランスミュージックと共に襲ってきます。それはクレタ島のラビリントスに赴くテセウスがアリアドネから託された玉糸のようでもあり、「神曲」においてベアトリーチェを探し求めるダンテが地獄から煉獄、天国への旅路のようでもあり。宗教的なイメージを喚起させられる方も多いでしょう。

 映画を映画館で観るということ、それを体感すること、その「体験」そのものに意味がある、面白いつまらないを超えた先にそれがある、「シラート」はそういうタイプの作品です。たとえ観てる途中で睡魔に負けてしまったとしてもちゃんと「意味」は残ります。言い換えましょう、ちょっとでも興味が湧いたなら絶対に映画館へ観に行ってください。はっきり言って数ヶ月後か一年後かに配信に乗るようになったとして、自宅で観ても1mmも面白くないです。一度観たことのある人が追体験として観る以外にそこには何の「意味」も残っていません。スクリーンで観たところで必ずしも「面白かった」と言える作品でもありませんが、本気で何かを突き刺して来る意思は感じられるはず。これは現代のストーリーへの哲学と主義の真逆を行く価値観、映画が持つ可能性の一つの提示です。

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昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
 多数の初参加の方々、思いのほかヒートアップしたじゃんけん大会と良い盛り上がりを見せて非常に楽しい1日でした。私も人数少なめな部屋にいたので文字通りしこたま歌えましたし、宝塚記念ビューイングも素晴らしいレースを共有できて最高でした。馬券はハズレましたが(苦笑)
 じゃんけん大会に私が提供したワイン、ル・ミリュウのワインは以前から注目していて一度どこかで味を確かめてみないとな〜と思っていましたが、身近な人が関わっているという理由で購入する日が来るとは。獲得した方は楽しんで頂けると嬉しいです。

 こんばんは、小島@監督です。
 それにしても今更ながらにJOYSOUNDに「機甲警察メタルジャック」のテーマ曲が入ってないのを知ってしまったのが残念だ。リクエストしようかな。

 さて、今回の映画は「モータル・コンバット/ネクストラウンド」です。

 人間界と魔界の命運を賭け選ばれた者たちが戦う武闘大会「モータル・コンバット」、人間界は既に9度の敗退を喫し、あと1度敗れれば魔界の支配下に堕ちてしまうところまで来ていた。人間界の守護神ライデン(浅野忠信)は新たな戦士としてかつてハリウッドで一世を風靡したアクションスター・ジョニー・ケイジ(カール・アーバン)を召喚し、魔界の王シャオ・カーン(マーティン・フォード)との最終決戦に挑む。

 飛び散る血飛沫吹っ飛ぶ腕、時には脊髄ごと首を引き抜いちゃったりするゴア描写満載の格闘ゲーム「モータルコンバット」、特に北米ではゲームソフトのレーティング審査機関「ESRB」設立の契機になったとも言われゲーム史にその名を刻むタイトルでもあります。1995年に一度ポール・W・S・アンダーソンを監督として映画が製作され2年後の1997年に続編も製作されました。その後2021年にストーリーや世界観を一新した実写映画が製作・公開され好評を得て、スタッフ・キャスト陣が続投する形で第2作が製作されました。興味深いのは前作今作共に監督を務めたサイモン・マッコイドという人物、オーストラリア出身で数本の短編を手掛けた以外のフィルモグラフィは「モータル・コンバット」2本のみという経歴で、現状ほぼ「モータル・コンバット」を撮るためだけに発掘されたような人材です。いやホントどういう経緯で見出されたのか。こういう人物に製作費数千万ドル規模の作品が任されることがあるのもハリウッドというところの面白さというべきでしょう。

 前作の長所を伸ばし短所をカバーしつつ作品としての勢いを増す、正しく「続編」として在る作品です。一方で前作には登場しなかったジョニー・ケイジを主役に据え、更に前作で死んだキャラクターがポンポン蘇ってくるので前作観ててもちょっぴり置いてけぼりになるから逆に前作を観なくても問題無い、という手法で一見さんもOKにしてくる豪腕にはさすがに脱帽。登場人物が意外に多く、それぞれに何がしかの見せ場が用意されている割に前作のように物語の焦点がぼやけず主軸をジョニー・ケイジとヒロイン格のキタナ(アデライン・ルドルフ)からずらさないのでだいぶ見やすく取り回しが上手くなっています。

 ラスボスであるシャオ・カーンが最初から最後まで出ずっぱりで最前線で戦っているのもこの手のアクション映画としては珍しく、見どころの一つと言えるほか、ドラマ「SHOGUN」でエミー賞とゴールデングローブ賞を受賞し世界的にも評価の高い真田広之が前作に引き続いてスコーピオン役で出演し重厚な演技から速攻でニンジャスレイヤー化してノリノリで火を吹いているところが見られるのも楽しい。
 そしてもちろん「モータル・コンバット」なので景気良く血飛沫がブシャーと行きます。苦手な人もいるでしょうがこれこそ「モータル・コンバット」の味。

 一見バカっぽくて勢いで押すだけに思えますが、原作ゲームへの理解度と愛情が作品に昇華され、ちゃんとイズムを感じる楽しさに満ちています。近い雰囲気で言えば「バトルシップ」を思わせる味わいがする逸品。実は好き、という方結構多そうです。「マイケル」等パワーのある作品の公開が相次ぐ時期で、スクリーンから駆逐されてしまう日も遠くなさそうなので気になっている方はお早めに。

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