かときちさんのブログにも登場したメガドライブミニ、私も買いました。
私はSEGAのハードやゲームはアーケードはともかく家庭用はセガサターンからの方が縁が深く思い入れも大きいのですが、収録タイトルのあまりの本気ぶりに「買わない」という選択肢は消えてました。ある意味で商売っ気が無さすぎるというか熱量が凄すぎるというか、良くぞここまでと感心するラインナップです。何なら今すぐ長期休暇取って引きこもりたいレベルです。
こんばんは、小島@監督です。
幸い売れ行きも評価も好調なようで、これに気を良くしたSEGAがサターンミニとかドリームキャストミニとかうっかり作ってくれないかなと淡い期待も抱いたり(笑)
さて、今回の映画は「薄暮」です。
福島県いわき市に住む女子高生・小山佐智(声・桜田ひより)は、音楽部に所属し間近に控える文化祭に向けて松本先輩(声・花澤香菜)、同級生のリナ(声・雨宮天)、ひぃちゃん(声・佐倉綾音)と共に披露する四重奏の練習に日々励んでいた。しかし一方で佐智は東日本大震災に罹災した影響で人に深い関心を持つことができずにいた。
ある日、佐智は帰り道のバス停でキャンバスを抱えた少年・雉子波祐介(声・加藤清史郎)と出会う。夕暮れ時の風景を描こうとしている祐介に興味を持った佐智は帰りのバスで祐介に会えるのが楽しみになってきていた。夕映えの中、2人の淡い恋が花開こうとしていた。
古くから災害の多い日本は、良くも悪くもそれを乗り越えるために「忘れる」ということを自然のうちにこなしてきた国柄と言えます。広範囲にわたり多大な被害をもたらした東日本大震災から8年、その後も日本各地で地震や台風などが相次ぎ今年もつい先日千葉の方で台風が大きな爪痕を残したばかりです。それでも自身が罹災したのでなければいずれ静かに風化していくことでしょう。
ブログなどでの攻撃的な言動で炎上する姿が度々槍玉に上げられるアニメーション作家、山本寛。彼は東日本大震災の翌年から「blossom」「Wake Up,Girls!」と東北を舞台にした作品を発表し続けてきました。その山本寛監督自身が「東北三部作の最終章」と銘打った作品がこの中編アニメーション映画「薄暮」です。製作に当たりクラウドファンディングを募ったことや製作が難航し公開日を順延したことなど度々ネットニュースなどで報じられたりしたのである程度の経緯はご存じの方もいらっしゃるのではと思います。
その新作「薄暮」は震災から数年後のいわき市を舞台に、少しずつ震災が過去になりつつある日々の中で、当たり前と思っていたものが唐突に崩れ去りもう永遠に元に戻らないことに向き合う少女と少年の交流の物語です。
単純にアニメーション映画として評価しようとすると、正直に言ってかなり辛辣にならざるを得ない作品です。人物の作画は安定せず、本来は動きを見せたかったであろうシーンで静止画を見せるなど苦しいシーンが散見されます。いわき市の風景が美しく描き出されている一方で実景ではない登場人物の住宅の室内などは無機質で平板な印象が拭えません。まるでラジオドラマであるかのように主人公・佐智のモノローグが多用される作品ですが、作品のスタイルや上映時間50分という尺から鑑みるにあまりに能弁すぎる印象です。多弁な割に尺の関係で敢えて語っていない部分が多いため却って心情描写が平板に感じられ、そこに微かな不快感をもたらします。もう15~20分長い尺ならそれでも良いでしょうが、この尺ではむしろモノローグはバッサリカットして沈黙の中にこそ雄弁に語らせれば良かったのではと思います。
観ていてもどかしくなるくらいアニメ作品としてはあまりに欠点が多く、山本寛監督の言動に反感を抱いている人の印象を覆せるまでには至らないでしょう。
ただそれでも、この作品が世に出た事には価値があると考えます。「震災後」の福島の現在の暮らしと、災害が過去のものになりつつある中での十代の少年少女の感性を描き出そうとし、それをアニメーションとして作品の中に焼き付けようとした試みはエンターテインメントの世界の中で誰かがいつかやらねばならないことであり、意義深い行いであるからです。忘れる事で乗り越えて行けるものがある一方で忘れまいとする想いをすくい上げ、次代に伝えるために何かに刻み付けるのもまた芸術が持てる役目の一つです。
すくうべき「想い」を拾い上げ映画として昇華させるには不完全、だが駄作と吐き捨てるには惜しい、そんな複雑な思いを抱かせるちょっぴりほろ苦い作品です。山本寛監督はこの作品を最後に廃業すると宣言していましたが最近それを撤回。どうせならずっと作り続けていてほしいものです。そしてできればもっと整った形でこの作品を観てみたい。
私はSEGAのハードやゲームはアーケードはともかく家庭用はセガサターンからの方が縁が深く思い入れも大きいのですが、収録タイトルのあまりの本気ぶりに「買わない」という選択肢は消えてました。ある意味で商売っ気が無さすぎるというか熱量が凄すぎるというか、良くぞここまでと感心するラインナップです。何なら今すぐ長期休暇取って引きこもりたいレベルです。
こんばんは、小島@監督です。
幸い売れ行きも評価も好調なようで、これに気を良くしたSEGAがサターンミニとかドリームキャストミニとかうっかり作ってくれないかなと淡い期待も抱いたり(笑)
さて、今回の映画は「薄暮」です。
福島県いわき市に住む女子高生・小山佐智(声・桜田ひより)は、音楽部に所属し間近に控える文化祭に向けて松本先輩(声・花澤香菜)、同級生のリナ(声・雨宮天)、ひぃちゃん(声・佐倉綾音)と共に披露する四重奏の練習に日々励んでいた。しかし一方で佐智は東日本大震災に罹災した影響で人に深い関心を持つことができずにいた。
ある日、佐智は帰り道のバス停でキャンバスを抱えた少年・雉子波祐介(声・加藤清史郎)と出会う。夕暮れ時の風景を描こうとしている祐介に興味を持った佐智は帰りのバスで祐介に会えるのが楽しみになってきていた。夕映えの中、2人の淡い恋が花開こうとしていた。
古くから災害の多い日本は、良くも悪くもそれを乗り越えるために「忘れる」ということを自然のうちにこなしてきた国柄と言えます。広範囲にわたり多大な被害をもたらした東日本大震災から8年、その後も日本各地で地震や台風などが相次ぎ今年もつい先日千葉の方で台風が大きな爪痕を残したばかりです。それでも自身が罹災したのでなければいずれ静かに風化していくことでしょう。
ブログなどでの攻撃的な言動で炎上する姿が度々槍玉に上げられるアニメーション作家、山本寛。彼は東日本大震災の翌年から「blossom」「Wake Up,Girls!」と東北を舞台にした作品を発表し続けてきました。その山本寛監督自身が「東北三部作の最終章」と銘打った作品がこの中編アニメーション映画「薄暮」です。製作に当たりクラウドファンディングを募ったことや製作が難航し公開日を順延したことなど度々ネットニュースなどで報じられたりしたのである程度の経緯はご存じの方もいらっしゃるのではと思います。
その新作「薄暮」は震災から数年後のいわき市を舞台に、少しずつ震災が過去になりつつある日々の中で、当たり前と思っていたものが唐突に崩れ去りもう永遠に元に戻らないことに向き合う少女と少年の交流の物語です。
単純にアニメーション映画として評価しようとすると、正直に言ってかなり辛辣にならざるを得ない作品です。人物の作画は安定せず、本来は動きを見せたかったであろうシーンで静止画を見せるなど苦しいシーンが散見されます。いわき市の風景が美しく描き出されている一方で実景ではない登場人物の住宅の室内などは無機質で平板な印象が拭えません。まるでラジオドラマであるかのように主人公・佐智のモノローグが多用される作品ですが、作品のスタイルや上映時間50分という尺から鑑みるにあまりに能弁すぎる印象です。多弁な割に尺の関係で敢えて語っていない部分が多いため却って心情描写が平板に感じられ、そこに微かな不快感をもたらします。もう15~20分長い尺ならそれでも良いでしょうが、この尺ではむしろモノローグはバッサリカットして沈黙の中にこそ雄弁に語らせれば良かったのではと思います。
観ていてもどかしくなるくらいアニメ作品としてはあまりに欠点が多く、山本寛監督の言動に反感を抱いている人の印象を覆せるまでには至らないでしょう。
ただそれでも、この作品が世に出た事には価値があると考えます。「震災後」の福島の現在の暮らしと、災害が過去のものになりつつある中での十代の少年少女の感性を描き出そうとし、それをアニメーションとして作品の中に焼き付けようとした試みはエンターテインメントの世界の中で誰かがいつかやらねばならないことであり、意義深い行いであるからです。忘れる事で乗り越えて行けるものがある一方で忘れまいとする想いをすくい上げ、次代に伝えるために何かに刻み付けるのもまた芸術が持てる役目の一つです。
すくうべき「想い」を拾い上げ映画として昇華させるには不完全、だが駄作と吐き捨てるには惜しい、そんな複雑な思いを抱かせるちょっぴりほろ苦い作品です。山本寛監督はこの作品を最後に廃業すると宣言していましたが最近それを撤回。どうせならずっと作り続けていてほしいものです。そしてできればもっと整った形でこの作品を観てみたい。
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