土曜日思いのほか仕事がサクサク進んで定時上りが出来たので、パッと思い立って当日券を利用して「THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS 1stLIVE WONDERFUL M@GIC!!」のライブビューイングに行ってきました。
会場の一つであるセンチュリーシネマが職場から歩いて10分くらいの所にあるからできた荒業。それでも当日の4時頃まで行ける可能性すら考慮に入れてなかったので楽曲の聴きこみなどを事前にしてるワケでもなくサイリウムなどの持ち合わせも一切無いスネークスタイルで行きました。いくらライブビューイングとは言えアイマスライブをこんなに手ぶらで行ってみたのは初めてです。
アイマスとは言ってもシンデレラガールズは大して触れてないため知らない曲も多かったのですが、SSAでのイベントの際に初めて聴いてもう一度聴きたいと思っていた曲や「波打ち際のむろみさん」OPや「鬼灯の冷徹」EDなどで既に実績のある上坂すみれのパフォーマンスなどが観れて結構満足でした。
また、会場となった舞浜アンフィシアターはステージがちょうどΩを上から見たような半円形をしていて、そのためかステージ後方のカメラからのバックショットがスポットを浴びた出演者とサイリウムを振る観客を絶妙に俯瞰していて非常に印象的。特にこのアングルの映像はライブビューイングならではの味わいでした。
こんばんは、小島@監督です。
今回は行けたこと自体がトピック過ぎてこれだけでブログにするほど文章をまとめられそうな気がしない(笑)
さて、今回の映画は「フルートベール駅で」です。
2009年元日。サンフランシスコ・ベイエリア。新年に沸く人々であふれる電車内で乱闘騒ぎが発生。出動した鉄道警察はフルートベール駅で騒ぎを起こしたと思しき黒人青年たちを電車内から引きずりだした。その騒ぎの中で白人警官は一人の青年を組み伏せ銃撃。翌朝青年は死亡した。
青年の名はオスカー・グラント(マイケル・B・ジョーダン)。
物語はオスカーが大晦日の朝目覚めるところから始まる。
2009年に実際に起きた発砲事件、その犠牲者となったオスカー・グラントの「最期の一日」を描いた作品、それがこの「フルートベール駅で」です。
しかしこの映画は事件自体に重きを置いていません。描かれるのは「どこにでもいる平凡な青年のありふれた一日」そのものです。
薬物売買の罪で収監された過去のある前科者ではありますが決して悪人というワケではありません。家族を愛し恋人を愛し、娘に対し良き父親であろうとし、将来に希望も不安も抱くどこにでもいる普通の青年です。
そこで描かれる一日も言ってしまえば他愛の無い事ばかりです。
娘を幼稚園へ送り迎えし、母親の誕生日を祝い、定職が見つからない事に悶々とし、友人たちと新年を祝いバカ騒ぎをする。そんなありふれた事が並ぶ一日です。
唯一違うのはそこで描かれる希望や葛藤に対しオスカーは前進も後退も許されなくなってしまう事。その理不尽な断絶に観客は悲しみと怒りと、そしてその断絶に見舞われるのが自分でない事にほんの僅かの安堵を余韻として抱く事になるのです。
事件の後、アメリカでは多くの抗議行動や暴動が発生し、その流れの中でオスカー・グラントは次第に「アイコン」と化していきました。
この映画の監督であるライアン・クーグラーはその流れからも身を置きオスカーがあくまでも一人の「人間」である事を淡々とした静謐な描写の中に表現していきます。オスカーと同じベイエリア出身であるというライアンも事件には衝撃を受け、大きな怒りや悲しみを感じたに違いありませんが、それらを極力表には出しません。
そして報道の中で埋没して行く一人の人間の生命がいかに掛け替えが無いかをただ静かに語りかけます。
この物語はきっと自分にも身近な誰かにも起こり得る物語です。
「命」の重さを観る者に沁み入るように感じさせるこの作品、出来得るなら一人でも多くの方に観て欲しいと思います。
会場の一つであるセンチュリーシネマが職場から歩いて10分くらいの所にあるからできた荒業。それでも当日の4時頃まで行ける可能性すら考慮に入れてなかったので楽曲の聴きこみなどを事前にしてるワケでもなくサイリウムなどの持ち合わせも一切無いスネークスタイルで行きました。いくらライブビューイングとは言えアイマスライブをこんなに手ぶらで行ってみたのは初めてです。
アイマスとは言ってもシンデレラガールズは大して触れてないため知らない曲も多かったのですが、SSAでのイベントの際に初めて聴いてもう一度聴きたいと思っていた曲や「波打ち際のむろみさん」OPや「鬼灯の冷徹」EDなどで既に実績のある上坂すみれのパフォーマンスなどが観れて結構満足でした。
また、会場となった舞浜アンフィシアターはステージがちょうどΩを上から見たような半円形をしていて、そのためかステージ後方のカメラからのバックショットがスポットを浴びた出演者とサイリウムを振る観客を絶妙に俯瞰していて非常に印象的。特にこのアングルの映像はライブビューイングならではの味わいでした。
こんばんは、小島@監督です。
今回は行けたこと自体がトピック過ぎてこれだけでブログにするほど文章をまとめられそうな気がしない(笑)
さて、今回の映画は「フルートベール駅で」です。
2009年元日。サンフランシスコ・ベイエリア。新年に沸く人々であふれる電車内で乱闘騒ぎが発生。出動した鉄道警察はフルートベール駅で騒ぎを起こしたと思しき黒人青年たちを電車内から引きずりだした。その騒ぎの中で白人警官は一人の青年を組み伏せ銃撃。翌朝青年は死亡した。
青年の名はオスカー・グラント(マイケル・B・ジョーダン)。
物語はオスカーが大晦日の朝目覚めるところから始まる。
2009年に実際に起きた発砲事件、その犠牲者となったオスカー・グラントの「最期の一日」を描いた作品、それがこの「フルートベール駅で」です。
しかしこの映画は事件自体に重きを置いていません。描かれるのは「どこにでもいる平凡な青年のありふれた一日」そのものです。
薬物売買の罪で収監された過去のある前科者ではありますが決して悪人というワケではありません。家族を愛し恋人を愛し、娘に対し良き父親であろうとし、将来に希望も不安も抱くどこにでもいる普通の青年です。
そこで描かれる一日も言ってしまえば他愛の無い事ばかりです。
娘を幼稚園へ送り迎えし、母親の誕生日を祝い、定職が見つからない事に悶々とし、友人たちと新年を祝いバカ騒ぎをする。そんなありふれた事が並ぶ一日です。
唯一違うのはそこで描かれる希望や葛藤に対しオスカーは前進も後退も許されなくなってしまう事。その理不尽な断絶に観客は悲しみと怒りと、そしてその断絶に見舞われるのが自分でない事にほんの僅かの安堵を余韻として抱く事になるのです。
事件の後、アメリカでは多くの抗議行動や暴動が発生し、その流れの中でオスカー・グラントは次第に「アイコン」と化していきました。
この映画の監督であるライアン・クーグラーはその流れからも身を置きオスカーがあくまでも一人の「人間」である事を淡々とした静謐な描写の中に表現していきます。オスカーと同じベイエリア出身であるというライアンも事件には衝撃を受け、大きな怒りや悲しみを感じたに違いありませんが、それらを極力表には出しません。
そして報道の中で埋没して行く一人の人間の生命がいかに掛け替えが無いかをただ静かに語りかけます。
この物語はきっと自分にも身近な誰かにも起こり得る物語です。
「命」の重さを観る者に沁み入るように感じさせるこの作品、出来得るなら一人でも多くの方に観て欲しいと思います。
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