昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
今回5人の初参加の方に加え、普段遠方住まいでなかなか顔を出せない方も参加して実に賑やかに。
新しい方が増えるのも嬉しいですが、しばらくぶりに仲間と再会できるのも良いですね。
こんばんは、小島@監督です。
それにしても今回のお題は難しかった…率直に問われると意外になかなか出てこない。そのカテゴリに収まりそうなネタは多分山ほど抱えているような気はしますけれども(笑)
さて、今回の映画は「ムーミン谷の彗星」です。
ある朝ムーミン(声・アレクサンダー・スカルスガルド)が目を覚ますと、森の木々や川と言ったムーミン谷の全てが灰で覆われていた。物知りのジャコウネズミ(声・テレンス・スキャンメル)に聞いてみると「空から恐ろしい彗星が地球にやってくる前触れ」なのだという。それを聞いて不安を覚えるムーミンと友達のスニフ(声・マッツ・ミケルセン)。
ムーミンパパ(声・ステラン・スカルスガルド)とムーミンママ(声・キャスリーン・フィー)は彗星について調べるために2人をおさびし山の天文台へと向かわせることにした。
昨年が原作者トーベ・ヤンソンの生誕100周年だった、というのもあるのでしょうか、近年再評価の機運が高まっているムーミン。今年に入ってこの作品で既に2本目の劇場用長編作品の公開です。
もっとも、3月に公開された「南の島で、楽しいバカンス」と違い今回取り上げる「ムーミン谷の彗星」は完全な新作というワケではありません。この映画は1978年にフィンランドとポーランドの共作で製作され、トーベ・ヤンソン自身も深く関わったというパペットアニメーションのTVシリーズの該当エピソードのフィルムをレストア、再編集したものです。またパンフレットによると本放送時はナレーションだけだったところを原作をベースに脚本が新たに書き起こされ各キャラクターにセリフを加えたのだそうです。
作品としては30年以上前のものですがいわゆるセルアニメに慣れた目にはコマ撮りのパペットアニメーション(パペットの素材は発泡スチロールだったとか)は結構新鮮。次第次第に近づいてくる彗星もこれがなかなかどうして禍々しくて驚きます。
灰に覆われた森に始まり、干上がって行く海や大発生するイナゴなど立て続くカタストロフの描写はムーミンの緩いビジュアルにもかかわらずジワジワと怖くなってきます。原作となったエピソードが出版されたのは1946年だったそうで、彗星はそれ自体が戦禍の暗喩、ひょっとしたらニュースや噂で広島や長崎の原爆投下を伝え聞いてそこからイメージを膨らませたのかもしれませんね。迫りくる彗星やそれに伴って現れる天災の数々に翻弄されながらひたすら家を目指すというのもどこか寓話的です。
それからこのエピソードは友人となるスナフキンやガールフレンド・スノークとの出会いも描かれます。特にスナフキンは良く知られたイメージからするとこんな言動するんだというか、キャラがまだ据わっていないような印象を受けるのも興味深いです。
もっとも再構築されているとはいえベースが30年以上前の作品なのでどうしても近年の作品と比べると語り口のテンポが違うように感じられるのは致し方ないところですね。
ところでこの作品、劇場公開の真っ最中ですが実は既にDVDがリリースされています。劇場上映されているのは字幕のみですが、DVDの方では吹き替えも収録されていて1990年から2年間にわたり放送されていたアニメシリーズ「楽しいムーミン一家」のキャストが再結集しています。愛着のある方はこちらで観てみるのも一興でしょう。
何となく勢いで久しぶりに観た「ムーミン」でしたが、大人になったらなったで大人ならではの見方・読み方ができるようになってそれはそれで新しい発見があって楽しめました。時にはこういう物に触れてみるのも良いですね。
今回5人の初参加の方に加え、普段遠方住まいでなかなか顔を出せない方も参加して実に賑やかに。
新しい方が増えるのも嬉しいですが、しばらくぶりに仲間と再会できるのも良いですね。
こんばんは、小島@監督です。
それにしても今回のお題は難しかった…率直に問われると意外になかなか出てこない。そのカテゴリに収まりそうなネタは多分山ほど抱えているような気はしますけれども(笑)
さて、今回の映画は「ムーミン谷の彗星」です。
ある朝ムーミン(声・アレクサンダー・スカルスガルド)が目を覚ますと、森の木々や川と言ったムーミン谷の全てが灰で覆われていた。物知りのジャコウネズミ(声・テレンス・スキャンメル)に聞いてみると「空から恐ろしい彗星が地球にやってくる前触れ」なのだという。それを聞いて不安を覚えるムーミンと友達のスニフ(声・マッツ・ミケルセン)。
ムーミンパパ(声・ステラン・スカルスガルド)とムーミンママ(声・キャスリーン・フィー)は彗星について調べるために2人をおさびし山の天文台へと向かわせることにした。
昨年が原作者トーベ・ヤンソンの生誕100周年だった、というのもあるのでしょうか、近年再評価の機運が高まっているムーミン。今年に入ってこの作品で既に2本目の劇場用長編作品の公開です。
もっとも、3月に公開された「南の島で、楽しいバカンス」と違い今回取り上げる「ムーミン谷の彗星」は完全な新作というワケではありません。この映画は1978年にフィンランドとポーランドの共作で製作され、トーベ・ヤンソン自身も深く関わったというパペットアニメーションのTVシリーズの該当エピソードのフィルムをレストア、再編集したものです。またパンフレットによると本放送時はナレーションだけだったところを原作をベースに脚本が新たに書き起こされ各キャラクターにセリフを加えたのだそうです。
作品としては30年以上前のものですがいわゆるセルアニメに慣れた目にはコマ撮りのパペットアニメーション(パペットの素材は発泡スチロールだったとか)は結構新鮮。次第次第に近づいてくる彗星もこれがなかなかどうして禍々しくて驚きます。
灰に覆われた森に始まり、干上がって行く海や大発生するイナゴなど立て続くカタストロフの描写はムーミンの緩いビジュアルにもかかわらずジワジワと怖くなってきます。原作となったエピソードが出版されたのは1946年だったそうで、彗星はそれ自体が戦禍の暗喩、ひょっとしたらニュースや噂で広島や長崎の原爆投下を伝え聞いてそこからイメージを膨らませたのかもしれませんね。迫りくる彗星やそれに伴って現れる天災の数々に翻弄されながらひたすら家を目指すというのもどこか寓話的です。
それからこのエピソードは友人となるスナフキンやガールフレンド・スノークとの出会いも描かれます。特にスナフキンは良く知られたイメージからするとこんな言動するんだというか、キャラがまだ据わっていないような印象を受けるのも興味深いです。
もっとも再構築されているとはいえベースが30年以上前の作品なのでどうしても近年の作品と比べると語り口のテンポが違うように感じられるのは致し方ないところですね。
ところでこの作品、劇場公開の真っ最中ですが実は既にDVDがリリースされています。劇場上映されているのは字幕のみですが、DVDの方では吹き替えも収録されていて1990年から2年間にわたり放送されていたアニメシリーズ「楽しいムーミン一家」のキャストが再結集しています。愛着のある方はこちらで観てみるのも一興でしょう。
何となく勢いで久しぶりに観た「ムーミン」でしたが、大人になったらなったで大人ならではの見方・読み方ができるようになってそれはそれで新しい発見があって楽しめました。時にはこういう物に触れてみるのも良いですね。
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仕事柄ワインのカタログを見る事が多いのですが、たまに面白いものに出くわします。
大抵「スミレの花のようなアロマ」や「イチゴジャムを思わせる味わい」等の定型句のような言葉がコメント文に書かれていますが、そのワインはそれらの言葉に加えてもう一言書かれていました。
「今後さらに約100年間の熟成が可能」
……!!!?
ワインの中には一番の飲み頃が商品として売り出されてから数十年後、なんていう物が稀にありますが、にしたって100年は凄い。っていうか誰に向けて買わせるつもりでこんな表現が(笑)!?
こんばんは、小島@監督です。
でも気にはなる。どんな味がするんだろう、その100年後。「マスター・キートン」の「シャトー・ラジョンシュ1944」を彷彿とするような話ですね。
さて、今回の映画は「セッション」です。
偉大なドラマーになる夢を抱いてシェイファー音楽院に入学したニーマン(マイルズ・テラー)は、一人で練習していた晩にフレッチャー教授(J・K・シモンズ)の目に留まる。その時はほんの数秒ニーマンの音を聴いていただけで立ち去ったフレッチャーだったが後日ニーマンが所属するバンドのレッスンに顔を出したフレッチャーは、バンド全員の音を確かめた後、ドラム主奏者コノリー(オースティン・ストウェル)を差し置いてニーマンをスカウトした。
フレッチャーのバンドに参加出来ればコンテストへの出場回数も増え、それだけスカウトの目に留まる事も多くなる。将来への希望に胸を膨らませるニーマンだったが、そこで待っていたのは狂気すら感じさせる一切の妥協を許さないフレッチャーの非情で過酷なレッスンだった。
昨年のサンダンス映画祭を熱狂させたというまだ28歳の若手監督ディミアン・チャゼルが手掛けた音楽映画「セッション」、前評判が異様に高いだけに期待と不安が半々な気持ちで観に行きましたが、そんな不安を軽々とブチ抜いてくれました。これはとんでもなく凄い映画です。
将来を夢見る若者と万に一つの才能を発掘する事に人生を懸ける教師、と言えば聞こえはいいですが、この映画はそんな生易しいものではありません。何せこのフレッチャー教授、その万に一つの才能を発掘するためならば罵詈雑言を飛ばし物を投げつけ、挙句は他の生徒を当て馬にすることも厭わない、つまり「そこそこの才能」を育てようという気など一切無いというとんでもない男です。
またそのレッスンを受けるニーマンも温厚な顔に見えて底に狂気じみた野心と歪んだ承認欲求を抱くかなりの曲者。フレッチャーの指導に悔し涙を流しながらそれに飲まれまいと手を血塗れにしながら練習を重ね、やがてそれは強烈な自信とフレッチャーへの対抗心へと育って行きます。
チャゼル監督自身、ドラマーとして厳しいレッスンを積み教授に恐怖さえ覚えた経験があるそうで、そういった実体験から来たものなのでしょう。恐らく世界でこの人しか撮り得ないであろう迫力がこの映画には満ち満ちています。
このエゴイスティック極まりない2人が最後にぶつかり合うクライマックスは、最早弾丸が飛び交わないだけで本気の殺し合いと言って良いレベルで、宣伝などで「ラスト9分19秒の衝撃」などと歌われていますが珍しく誇大広告ではないアドレナリン全開の映像と展開で観る者を圧倒します。
滾るほどの気迫と異様なまでのエネルギーに溢れたこの作品は小品ながらビッグバジェットの大作にも劣らない迫力を持ち合わせています。このダイナミズムは音に包まれる映画館のスクリーンでこそ真価を発揮するタイプ。是非、公開中に足を運んでこの凄みを堪能していただきたいですね。
大抵「スミレの花のようなアロマ」や「イチゴジャムを思わせる味わい」等の定型句のような言葉がコメント文に書かれていますが、そのワインはそれらの言葉に加えてもう一言書かれていました。
「今後さらに約100年間の熟成が可能」
……!!!?
ワインの中には一番の飲み頃が商品として売り出されてから数十年後、なんていう物が稀にありますが、にしたって100年は凄い。っていうか誰に向けて買わせるつもりでこんな表現が(笑)!?
こんばんは、小島@監督です。
でも気にはなる。どんな味がするんだろう、その100年後。「マスター・キートン」の「シャトー・ラジョンシュ1944」を彷彿とするような話ですね。
さて、今回の映画は「セッション」です。
偉大なドラマーになる夢を抱いてシェイファー音楽院に入学したニーマン(マイルズ・テラー)は、一人で練習していた晩にフレッチャー教授(J・K・シモンズ)の目に留まる。その時はほんの数秒ニーマンの音を聴いていただけで立ち去ったフレッチャーだったが後日ニーマンが所属するバンドのレッスンに顔を出したフレッチャーは、バンド全員の音を確かめた後、ドラム主奏者コノリー(オースティン・ストウェル)を差し置いてニーマンをスカウトした。
フレッチャーのバンドに参加出来ればコンテストへの出場回数も増え、それだけスカウトの目に留まる事も多くなる。将来への希望に胸を膨らませるニーマンだったが、そこで待っていたのは狂気すら感じさせる一切の妥協を許さないフレッチャーの非情で過酷なレッスンだった。
昨年のサンダンス映画祭を熱狂させたというまだ28歳の若手監督ディミアン・チャゼルが手掛けた音楽映画「セッション」、前評判が異様に高いだけに期待と不安が半々な気持ちで観に行きましたが、そんな不安を軽々とブチ抜いてくれました。これはとんでもなく凄い映画です。
将来を夢見る若者と万に一つの才能を発掘する事に人生を懸ける教師、と言えば聞こえはいいですが、この映画はそんな生易しいものではありません。何せこのフレッチャー教授、その万に一つの才能を発掘するためならば罵詈雑言を飛ばし物を投げつけ、挙句は他の生徒を当て馬にすることも厭わない、つまり「そこそこの才能」を育てようという気など一切無いというとんでもない男です。
またそのレッスンを受けるニーマンも温厚な顔に見えて底に狂気じみた野心と歪んだ承認欲求を抱くかなりの曲者。フレッチャーの指導に悔し涙を流しながらそれに飲まれまいと手を血塗れにしながら練習を重ね、やがてそれは強烈な自信とフレッチャーへの対抗心へと育って行きます。
チャゼル監督自身、ドラマーとして厳しいレッスンを積み教授に恐怖さえ覚えた経験があるそうで、そういった実体験から来たものなのでしょう。恐らく世界でこの人しか撮り得ないであろう迫力がこの映画には満ち満ちています。
このエゴイスティック極まりない2人が最後にぶつかり合うクライマックスは、最早弾丸が飛び交わないだけで本気の殺し合いと言って良いレベルで、宣伝などで「ラスト9分19秒の衝撃」などと歌われていますが珍しく誇大広告ではないアドレナリン全開の映像と展開で観る者を圧倒します。
滾るほどの気迫と異様なまでのエネルギーに溢れたこの作品は小品ながらビッグバジェットの大作にも劣らない迫力を持ち合わせています。このダイナミズムは音に包まれる映画館のスクリーンでこそ真価を発揮するタイプ。是非、公開中に足を運んでこの凄みを堪能していただきたいですね。
4月も終わりに差し掛かり、春の新番組も出揃った感じです。
今期は仕事が忙しくあまり観られずにいるのが残念ですが、個人的には何ぼスピンオフとは言えまさか今になってこのキャスト陣で新作が観られるとは思わなかった「長門有希ちゃんの消失」、異様に尖った作りが目を引く「ニンジャスレイヤー」、前期と同じ曲ながら素晴らしく迫力とキレを増した映像が堪らなくカッコいい「ベイビーステップ」2ndシーズンが印象に残りましたね。
しかし今期一番インパクトが大きかったのはコレ!「英国一家、日本を食べる」!イギリス人フードライターとその一家が日本中を尋ねて食べ歩く、同名のエッセイを原作にしたアニメで初回いきなり家族で新宿の思い出横丁の小さな居酒屋で焼きそばと焼き鳥を堪能する展開に度肝を抜かれすっかりハマってしまいました。カートゥーンテイストの強い絵柄ながら食事に関する事柄は非常に真面目に作られてるのも好印象。先々彼らがどんな食に出会うのか楽しみです。
こんばんは、小島@監督です。
だがたとえ時間が無かろうとBlu-ray持っていようとアイマスの再放送はちゃんと観る。外す理由が無い。
さて、昨日Zepp NAGOYAで開催された「寿美菜子3rd LIVE TOUR Tick Tick Tick」に行ってきました。
彼女のライブを鑑賞するのは昨年のツアーに続きこれで2回目。非常に楽しかったのでもう一度観たいなと思っていたら存外早くその機会が巡ってきました。昨年は座席指定のホールでのステージでしたが、今回はオールスタンディング。距離感もぐっと近くなりました。結果前回よりもさらにダイレクトに寿美菜子のサウンドを全身で味わうことができました。
セットリストは昨年9月に発売されたアルバムと今月リリースされたばかりのシングルを中心に構成されて、実はどちらもまだ聴いてなかったりするのですが、そんなこと関係無いくらいのパワフルなパフォーマンスで観客を魅了してくれます。
オールスタンディングという事もあってか、原曲は比較的緩やかなテンポのものでもより速く、よりラウドにアレンジされ、最早声優アイドルのステージというには語弊がありそうなレベルです。
寿美菜子自身もガンガンハンドクラップやジャンプを観客に煽りまくるので、一応サイリウムは持って行ってたのですが、途中でそれを振るのが煩わしくなり、スイッチをオフにして素直にリズムに身を任せるように。場内全体どんどん上がって行くボルテージに、アレもう少ししたら「リフト」ってヤツをする人も出てくるんじゃなかろうかって勢いでした。どうやら彼女の真価はオールスタンディングでこそ発揮されるタイプのようです。
また、昨年のツアーと比べてダンスによる身体的パフォーマンスのグレードが上がっていた事も特筆すべき所でしょう。衣装の早替えやフラッグを使ったパフォーマンス、バックダンサーとのアンサンブルなど、アイディアにしろその実現度にしろショーアップのレベルが飛躍的に向上し、昨年と今回2つのステージを観覧できたことで期せずしてアーティスト寿美菜子のエンターテイナーとしての進化を目の当たりに出来た感じです。しかもここがピークではなくまだまだ上昇しそうな伸び代を感じさせます。
約2時間半ひたすら両腕を振り上げ跳びまくり声を張り上げさせてもらったので、終わってみれば結構体に来てました(苦笑)
しかし、こういう疲労感は心地良い。
正直全てが期待以上のステージでした。寿美菜子がアーティストとしてどのような、そしてどこまで進化するのかこの先楽しみです。どうやらまた追っかけたくなる人を見つけてしまったようだ(笑)
今期は仕事が忙しくあまり観られずにいるのが残念ですが、個人的には何ぼスピンオフとは言えまさか今になってこのキャスト陣で新作が観られるとは思わなかった「長門有希ちゃんの消失」、異様に尖った作りが目を引く「ニンジャスレイヤー」、前期と同じ曲ながら素晴らしく迫力とキレを増した映像が堪らなくカッコいい「ベイビーステップ」2ndシーズンが印象に残りましたね。
しかし今期一番インパクトが大きかったのはコレ!「英国一家、日本を食べる」!イギリス人フードライターとその一家が日本中を尋ねて食べ歩く、同名のエッセイを原作にしたアニメで初回いきなり家族で新宿の思い出横丁の小さな居酒屋で焼きそばと焼き鳥を堪能する展開に度肝を抜かれすっかりハマってしまいました。カートゥーンテイストの強い絵柄ながら食事に関する事柄は非常に真面目に作られてるのも好印象。先々彼らがどんな食に出会うのか楽しみです。
こんばんは、小島@監督です。
だがたとえ時間が無かろうとBlu-ray持っていようとアイマスの再放送はちゃんと観る。外す理由が無い。
さて、昨日Zepp NAGOYAで開催された「寿美菜子3rd LIVE TOUR Tick Tick Tick」に行ってきました。
彼女のライブを鑑賞するのは昨年のツアーに続きこれで2回目。非常に楽しかったのでもう一度観たいなと思っていたら存外早くその機会が巡ってきました。昨年は座席指定のホールでのステージでしたが、今回はオールスタンディング。距離感もぐっと近くなりました。結果前回よりもさらにダイレクトに寿美菜子のサウンドを全身で味わうことができました。
セットリストは昨年9月に発売されたアルバムと今月リリースされたばかりのシングルを中心に構成されて、実はどちらもまだ聴いてなかったりするのですが、そんなこと関係無いくらいのパワフルなパフォーマンスで観客を魅了してくれます。
オールスタンディングという事もあってか、原曲は比較的緩やかなテンポのものでもより速く、よりラウドにアレンジされ、最早声優アイドルのステージというには語弊がありそうなレベルです。
寿美菜子自身もガンガンハンドクラップやジャンプを観客に煽りまくるので、一応サイリウムは持って行ってたのですが、途中でそれを振るのが煩わしくなり、スイッチをオフにして素直にリズムに身を任せるように。場内全体どんどん上がって行くボルテージに、アレもう少ししたら「リフト」ってヤツをする人も出てくるんじゃなかろうかって勢いでした。どうやら彼女の真価はオールスタンディングでこそ発揮されるタイプのようです。
また、昨年のツアーと比べてダンスによる身体的パフォーマンスのグレードが上がっていた事も特筆すべき所でしょう。衣装の早替えやフラッグを使ったパフォーマンス、バックダンサーとのアンサンブルなど、アイディアにしろその実現度にしろショーアップのレベルが飛躍的に向上し、昨年と今回2つのステージを観覧できたことで期せずしてアーティスト寿美菜子のエンターテイナーとしての進化を目の当たりに出来た感じです。しかもここがピークではなくまだまだ上昇しそうな伸び代を感じさせます。
約2時間半ひたすら両腕を振り上げ跳びまくり声を張り上げさせてもらったので、終わってみれば結構体に来てました(苦笑)
しかし、こういう疲労感は心地良い。
正直全てが期待以上のステージでした。寿美菜子がアーティストとしてどのような、そしてどこまで進化するのかこの先楽しみです。どうやらまた追っかけたくなる人を見つけてしまったようだ(笑)
今月の終わりに栄に丸善本店ビルが完成・オープンするとか。
3年前に建物の老朽化で一旦閉店し、丸栄の6・7階に規模を縮小して移転していましたが遂に自社ビルで路面店が復活。
地上7階地下1階、全部書店!
やっぱり各地方の基幹都市には1軒くらいそういうデカい書店が無いとね!
こんばんは、小島@監督です。
丸栄の中の店は商品ラインナップを変えてそのまま営業を続けるとか。栄の書店の密度が一気に上がる気がする(苦笑)
さて、今回はしばらくぶりに映画館の話。
先日の休みにちょっと勢いで足を伸ばして刈谷まで行ってきました。
刈谷駅から名鉄三河線で更にもう一駅の刈谷市駅へ。駅降りてすぐ、パチンコ屋を1階に要するビルの5階が今回の目的地の「刈谷日劇」です。
公式HPはこちら
2つのスクリーンを有する映画館で、スクリーン1では新作や準新作を上映し、スクリーン2では旧作を基本2本立てで上映する名画座にしています。料金もスクリーン1は1,700円と通常の映画館とさして変わりませんがスクリーン2の方は800円(さらに割引あり)で入退場自由とかなり低廉に設定されています。
ロビー内ではコーヒーと紅茶がセルフサービスで無料提供されているのにも驚きます。ただでさえ他より安いのに良くそれで維持できるものだと感心します。
上映希望のリクエストを書いて留めておくコルクボードもあり、びっしりリクエストの紙が貼られていました。せっかくなので私も一筆。「ゴジラが観たい」
すいません、リクエストボード画像ありません。写真を撮るのを忘れてた事を帰宅して気付きました(苦笑)
中の様子はこんな感じ。スクリーン1は76席、スクリーン2は55席。どちらもそれほど大きくはありませんが、非常に丁寧に手入れされてて清潔感を感じます。スタッフのモチベーションが高いのでしょうか。トイレもえらくぴかぴかでした。
この日上映されていたのは「秒速5センチメートル」
2007年に製作された「星を追う子ども」「言の葉の庭」などの新海誠の手による中編アニメです。3つの短編による連作という構成で、初恋の女性への想いを抱き続ける男の魂の彷徨いを描きます。もし2010年の「ちゅう通」をお持ちならボカロさんがこの映画を紹介なさっているのでそちらも参照してください。
実写と見紛うばかりの精細さを持ちながらアニメならではの色彩で表現する繊細で誌的な映像が素晴らしく、クライマックスでテーマ曲ともなっている山崎まさよしの「One more time,one more chance」と共に展開される数分間の映像は新海誠の真骨頂ともいえる迫力に満ちています。
かなりはっきり好みの分かれる映画で、初恋の想いがいつしかある種の強烈な自己愛へと変容する主人公の言動にイラッとする人と古傷をえぐられた様な気持ちになる人がいらっしゃることでしょう。私は見事なまでに後者でした(苦笑)正直かなり痛いのですがその「痛さ」が理解できてしまうのが余計にキツイというか。基本的に男の子の方がロマンチストなのですよ。
たまたま私が観た上映回が客が私独りだったというのもあり余計来た、というのもありますが(笑)
さて、当初はコレだけ観たら退館しようと思っていたのですが、スタッフのおっちゃんの「せっかくだからもう1本観ていったらどうだい?」という言葉に乗っかりそのまま居座って2本目も観る事に。
2本立ての2本目は「櫻の園」です。
「秒速5センチメートル」と言い4月なので桜が重要な意味を持つ作品を揃えたんですね。
1990年に製作されたこの映画は吉田秋生のコミックを原作に、創立記念祭でチェーホフの「櫻の園」を演じるある女子校演劇部の上演直前の2時間に起こる舞台裏の騒動とそれに翻弄される少女たちの感情の揺れを描いた群像劇です。
BGMの少ない静かな映画で、異性関係や結婚への憧れ、将来への不安やプラトニックな同性愛など様々な感情が繊細かつ瑞々しく描き出され行きます。正直言って演技が拙い人も何人かいるのですがそれが却って少女の時間の儚さを表現するのに一役買っていて何だかアリに思えてしまう、不思議な雰囲気を宿しています。
エンドクレジットで気付いて驚いたのですが、この映画に「うたわれるもの」のエルルゥ役や「武装錬金」津村斗貴子役、「キルラキル」鬼龍院皐月役などで現在声優として活躍している柚木涼香(当時の名義は永椎あゆみ)が演劇部員の美術係の一人として出演しています。後で調べたらコレが彼女のデビュー作のよう。柚ねえファンはチェックしてみてはいかがでしょうか(笑)
余談ですが、2008年には監督中原俊自身の手によるリメイクが製作されており、こちらには「ハピネスチャージプリキュア」でキュアプリンセスこと白雪ひめを演じた潘めぐみが出演していたりします。
結局3時間以上ガッツリ居着いて映画を楽しんでしまいました。不思議な雰囲気の良さのある映画館でしたし、ちょっと距離はあるけれど気になるタイトルが上映したらまた行ってみたいかも。
スタンプカードも貰ったしね(笑)!
3年前に建物の老朽化で一旦閉店し、丸栄の6・7階に規模を縮小して移転していましたが遂に自社ビルで路面店が復活。
地上7階地下1階、全部書店!
やっぱり各地方の基幹都市には1軒くらいそういうデカい書店が無いとね!
こんばんは、小島@監督です。
丸栄の中の店は商品ラインナップを変えてそのまま営業を続けるとか。栄の書店の密度が一気に上がる気がする(苦笑)
さて、今回はしばらくぶりに映画館の話。
先日の休みにちょっと勢いで足を伸ばして刈谷まで行ってきました。
刈谷駅から名鉄三河線で更にもう一駅の刈谷市駅へ。駅降りてすぐ、パチンコ屋を1階に要するビルの5階が今回の目的地の「刈谷日劇」です。
公式HPはこちら
2つのスクリーンを有する映画館で、スクリーン1では新作や準新作を上映し、スクリーン2では旧作を基本2本立てで上映する名画座にしています。料金もスクリーン1は1,700円と通常の映画館とさして変わりませんがスクリーン2の方は800円(さらに割引あり)で入退場自由とかなり低廉に設定されています。
ロビー内ではコーヒーと紅茶がセルフサービスで無料提供されているのにも驚きます。ただでさえ他より安いのに良くそれで維持できるものだと感心します。
上映希望のリクエストを書いて留めておくコルクボードもあり、びっしりリクエストの紙が貼られていました。せっかくなので私も一筆。「ゴジラが観たい」
すいません、リクエストボード画像ありません。写真を撮るのを忘れてた事を帰宅して気付きました(苦笑)
中の様子はこんな感じ。スクリーン1は76席、スクリーン2は55席。どちらもそれほど大きくはありませんが、非常に丁寧に手入れされてて清潔感を感じます。スタッフのモチベーションが高いのでしょうか。トイレもえらくぴかぴかでした。
この日上映されていたのは「秒速5センチメートル」
2007年に製作された「星を追う子ども」「言の葉の庭」などの新海誠の手による中編アニメです。3つの短編による連作という構成で、初恋の女性への想いを抱き続ける男の魂の彷徨いを描きます。もし2010年の「ちゅう通」をお持ちならボカロさんがこの映画を紹介なさっているのでそちらも参照してください。
実写と見紛うばかりの精細さを持ちながらアニメならではの色彩で表現する繊細で誌的な映像が素晴らしく、クライマックスでテーマ曲ともなっている山崎まさよしの「One more time,one more chance」と共に展開される数分間の映像は新海誠の真骨頂ともいえる迫力に満ちています。
かなりはっきり好みの分かれる映画で、初恋の想いがいつしかある種の強烈な自己愛へと変容する主人公の言動にイラッとする人と古傷をえぐられた様な気持ちになる人がいらっしゃることでしょう。私は見事なまでに後者でした(苦笑)正直かなり痛いのですがその「痛さ」が理解できてしまうのが余計にキツイというか。基本的に男の子の方がロマンチストなのですよ。
たまたま私が観た上映回が客が私独りだったというのもあり余計来た、というのもありますが(笑)
さて、当初はコレだけ観たら退館しようと思っていたのですが、スタッフのおっちゃんの「せっかくだからもう1本観ていったらどうだい?」という言葉に乗っかりそのまま居座って2本目も観る事に。
2本立ての2本目は「櫻の園」です。
「秒速5センチメートル」と言い4月なので桜が重要な意味を持つ作品を揃えたんですね。
1990年に製作されたこの映画は吉田秋生のコミックを原作に、創立記念祭でチェーホフの「櫻の園」を演じるある女子校演劇部の上演直前の2時間に起こる舞台裏の騒動とそれに翻弄される少女たちの感情の揺れを描いた群像劇です。
BGMの少ない静かな映画で、異性関係や結婚への憧れ、将来への不安やプラトニックな同性愛など様々な感情が繊細かつ瑞々しく描き出され行きます。正直言って演技が拙い人も何人かいるのですがそれが却って少女の時間の儚さを表現するのに一役買っていて何だかアリに思えてしまう、不思議な雰囲気を宿しています。
エンドクレジットで気付いて驚いたのですが、この映画に「うたわれるもの」のエルルゥ役や「武装錬金」津村斗貴子役、「キルラキル」鬼龍院皐月役などで現在声優として活躍している柚木涼香(当時の名義は永椎あゆみ)が演劇部員の美術係の一人として出演しています。後で調べたらコレが彼女のデビュー作のよう。柚ねえファンはチェックしてみてはいかがでしょうか(笑)
余談ですが、2008年には監督中原俊自身の手によるリメイクが製作されており、こちらには「ハピネスチャージプリキュア」でキュアプリンセスこと白雪ひめを演じた潘めぐみが出演していたりします。
結局3時間以上ガッツリ居着いて映画を楽しんでしまいました。不思議な雰囲気の良さのある映画館でしたし、ちょっと距離はあるけれど気になるタイトルが上映したらまた行ってみたいかも。
スタンプカードも貰ったしね(笑)!
昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
今回も8人とまた大勢の初参加の方が。中には将来有望なアイマスPの方も見えたようで(笑)また次回以降も参加してくださるとうれしいですね。
また、今回開催された有志によるコミック交換会ではゴトウユキコの「水色の部屋」というのを頂きました。自分には全く知らない作家の全く知らない作品という、ある意味これぞ交換会の醍醐味みたいな物を頂きました。ありがとう!13番の方!後日ゆっくり読んでみます!
こんばんは、小島@監督です。
私は今回「アイドルマスターミリオンライブ(CD付特装版)」をチョイスしました。25番のがそれです。どなたの手に渡ったのか分からずじまいでしたが楽しんでいただけたら何よりです。
さて、今回の映画は「唐山大地震」です。
1976年7月28日深夜、河北省唐山市をM7.8の地震が襲った。
4人家族の父親ファン・ダーチアン(チャン・グォチァン)は一度は脱出するものの取り残された子供を救おうと建物へ戻り、倒壊に巻き込まれ命を落としてしまう。
翌朝一人絶望の淵にいた母親リー・ユェンニー(シュイ・ファン)のもとに2人の子供が瓦礫の下で奇跡的に生存している事が告げられる。喜びも束の間、ユェンニーに過酷な選択が突きつけられる。瓦礫の崩壊が間近に迫り姉か弟のどちらかしか救えないというのだ。泣き崩れながら決断をするユェンニー。その声は選ばれなかったもう一方にも届いていた。
夫と子供の死を確認したユェンニーは救い出された子と共に避難場所へと移動。しかし死んだはずの子は死体遺棄場で奇跡的に息を吹き返した。茫然と佇む子供は孤児として救援され人民軍の夫婦に引き取られる事になる。
そして時が流れた。
中国で2010年に製作され、唐山大地震によって引き裂かれた家族が長い時を経て再会するまでを描いた物語です。
日本での公開も曲折あり、当初は2011年3月の公開予定で当時既に数回の試写会も催されていましたが東日本大震災により公開が無期延期となり、それから4年の時を経てようやく公開の時を迎えました。状況が状況だけにDVDスルーで終わってしまっても致し方ないところですが、館数が少ないながらも全国公開に漕ぎ着けた辺り、配給元によほどこの作品に思い入れのある方がいたのでしょう。しかしそうしたくなる気持ちも分かるほどエネルギッシュでパワフルな作品です。
先ず何より冒頭からの震災の描写に圧倒されます。単にVFXが凄い、というだけでなく建物の柱や瓦、電柱が凶器となって人々に襲い掛かる様や生存者たちの埃や泥や血の臭いが漂ってきそうなほどに生々しく汚れた様は凄まじいの一言です。
これからするとハリウッドや日本のパニックサスペンスは少し画が綺麗すぎるような気がしてしまうレベルで、人によってはトラウマが喚起されてしまうかもしれない程なので地震に対し何か傷をお抱えの方は敢えて観る事を避けるのも良いと思います。
物語は1976年からおよそ10年刻みに2008年までの時を描いていきます。
1976年の唐山大地震から僅か1ヶ月半後には毛沢東が死去し(作中にもそのくだりがある)、中国は政治的にも経済的にも大転換期を迎えます。1976年はいわゆる文化大革命の最後の時期で、中国政府は外国からの援助をほぼ全て断り、結果多大な二次災害を引き起こした経緯があります。作中ではもちろんその事にはほとんど触れていませんが(苦笑)、姉弟が引き裂かれた背後にはそのような事も要因の一つであったに違いないでしょう。映画終盤の舞台となる2008年では四川大地震の様子が描かれますが、そこでの国際色豊かなボランティアたちの描写は上手い具合に序盤の被災の様子と対になっています。
姉弟は約30年という時代の流れの中で時に接近する事はあれど交わる事は無いままにそれぞれの人生を生きていきます。2人のそれぞれの道のりは、言ってみれば平凡で人並みな生き方ではありますが、方や身体に、方や心に傷を抱えているので決して平坦ではありません。天災はそれを生き延びた人にしかし生涯消えない傷を植え付け、しかしそれでも人は生きていく。この辺りの描写が実に巧みで、中盤のこのドラマこそ実はこの映画の骨子なのだと気付きます。
また製作者がどこまで意図的なものかどうかは分かりませんが、年代が移りゆくごとに人物の衣服や身の回りの物などに加速度的な経済成長を遂げる現代中国の姿が反映されているのが面白いです。映画の本筋に直接関係はありませんがこの辺の描写も割と見どころに思えます。
ところどころあざといというか仰々しく感じられるシーンがあったり、終盤の展開が少々ご都合主義が過ぎる気がしなくもなかったりと欠点も無くは無いですが、震災直後ではなく4年経った今だからこそ観て意味を持ちそうな力強い作品です。名古屋での上映は既に終わってしまいましたが、どこかで触れる機会があれば是非観ていただきたい作品ですね。
今回も8人とまた大勢の初参加の方が。中には将来有望なアイマスPの方も見えたようで(笑)また次回以降も参加してくださるとうれしいですね。
また、今回開催された有志によるコミック交換会ではゴトウユキコの「水色の部屋」というのを頂きました。自分には全く知らない作家の全く知らない作品という、ある意味これぞ交換会の醍醐味みたいな物を頂きました。ありがとう!13番の方!後日ゆっくり読んでみます!
こんばんは、小島@監督です。
私は今回「アイドルマスターミリオンライブ(CD付特装版)」をチョイスしました。25番のがそれです。どなたの手に渡ったのか分からずじまいでしたが楽しんでいただけたら何よりです。
さて、今回の映画は「唐山大地震」です。
1976年7月28日深夜、河北省唐山市をM7.8の地震が襲った。
4人家族の父親ファン・ダーチアン(チャン・グォチァン)は一度は脱出するものの取り残された子供を救おうと建物へ戻り、倒壊に巻き込まれ命を落としてしまう。
翌朝一人絶望の淵にいた母親リー・ユェンニー(シュイ・ファン)のもとに2人の子供が瓦礫の下で奇跡的に生存している事が告げられる。喜びも束の間、ユェンニーに過酷な選択が突きつけられる。瓦礫の崩壊が間近に迫り姉か弟のどちらかしか救えないというのだ。泣き崩れながら決断をするユェンニー。その声は選ばれなかったもう一方にも届いていた。
夫と子供の死を確認したユェンニーは救い出された子と共に避難場所へと移動。しかし死んだはずの子は死体遺棄場で奇跡的に息を吹き返した。茫然と佇む子供は孤児として救援され人民軍の夫婦に引き取られる事になる。
そして時が流れた。
中国で2010年に製作され、唐山大地震によって引き裂かれた家族が長い時を経て再会するまでを描いた物語です。
日本での公開も曲折あり、当初は2011年3月の公開予定で当時既に数回の試写会も催されていましたが東日本大震災により公開が無期延期となり、それから4年の時を経てようやく公開の時を迎えました。状況が状況だけにDVDスルーで終わってしまっても致し方ないところですが、館数が少ないながらも全国公開に漕ぎ着けた辺り、配給元によほどこの作品に思い入れのある方がいたのでしょう。しかしそうしたくなる気持ちも分かるほどエネルギッシュでパワフルな作品です。
先ず何より冒頭からの震災の描写に圧倒されます。単にVFXが凄い、というだけでなく建物の柱や瓦、電柱が凶器となって人々に襲い掛かる様や生存者たちの埃や泥や血の臭いが漂ってきそうなほどに生々しく汚れた様は凄まじいの一言です。
これからするとハリウッドや日本のパニックサスペンスは少し画が綺麗すぎるような気がしてしまうレベルで、人によってはトラウマが喚起されてしまうかもしれない程なので地震に対し何か傷をお抱えの方は敢えて観る事を避けるのも良いと思います。
物語は1976年からおよそ10年刻みに2008年までの時を描いていきます。
1976年の唐山大地震から僅か1ヶ月半後には毛沢東が死去し(作中にもそのくだりがある)、中国は政治的にも経済的にも大転換期を迎えます。1976年はいわゆる文化大革命の最後の時期で、中国政府は外国からの援助をほぼ全て断り、結果多大な二次災害を引き起こした経緯があります。作中ではもちろんその事にはほとんど触れていませんが(苦笑)、姉弟が引き裂かれた背後にはそのような事も要因の一つであったに違いないでしょう。映画終盤の舞台となる2008年では四川大地震の様子が描かれますが、そこでの国際色豊かなボランティアたちの描写は上手い具合に序盤の被災の様子と対になっています。
姉弟は約30年という時代の流れの中で時に接近する事はあれど交わる事は無いままにそれぞれの人生を生きていきます。2人のそれぞれの道のりは、言ってみれば平凡で人並みな生き方ではありますが、方や身体に、方や心に傷を抱えているので決して平坦ではありません。天災はそれを生き延びた人にしかし生涯消えない傷を植え付け、しかしそれでも人は生きていく。この辺りの描写が実に巧みで、中盤のこのドラマこそ実はこの映画の骨子なのだと気付きます。
また製作者がどこまで意図的なものかどうかは分かりませんが、年代が移りゆくごとに人物の衣服や身の回りの物などに加速度的な経済成長を遂げる現代中国の姿が反映されているのが面白いです。映画の本筋に直接関係はありませんがこの辺の描写も割と見どころに思えます。
ところどころあざといというか仰々しく感じられるシーンがあったり、終盤の展開が少々ご都合主義が過ぎる気がしなくもなかったりと欠点も無くは無いですが、震災直後ではなく4年経った今だからこそ観て意味を持ちそうな力強い作品です。名古屋での上映は既に終わってしまいましたが、どこかで触れる機会があれば是非観ていただきたい作品ですね。
様々な事情が重なってここ2週間ほど超過勤務だけで40時間以上というバカみたいに過密なスケジュールをこなす羽目に。
そんな中「予定は全く無いけど何が何でも休ませてもらう!」とこの土日、2か月半ぶりの連休をもぎ取り土曜日はひたすら眠り日曜日は映画を観に行って好き勝手に過ごし、弱り気味の心身の回復に努めました。
こんばんは、小島@監督です。
働きすぎはいけません。あんなのがあと1か月も続いたらぶっ倒れてしまう。やっぱり「働いたら負け」かもしれない(笑)
さて、今回の映画は「映画プリキュアオールスターズ春のカーニバル」です。
春野はるか(声・島村侑)たちは歌とダンスの国ハルモニアで開かれる春のカーニバルに招待された。ハルモニアへ向かってみるとそこには先輩のプリキュア達も訪れていた。
カーニバルが開幕し、プリキュア達もステージに立って歌とダンスを披露する。しかしその陰でオドレン(声・中田敦彦)とウタエン(声・藤森慎吾)による奸計が進行しつつあった。
春の定番となってきたプリキュアオールスターズも7作目。単純に作品の垣根を越えたクロスオーバーを楽しむ「DX」3部作、そこから一歩踏み込んでドラマ性に深みを加えて展開した「NewStage」3部作に続いて製作された「春のカーニバル」では、さらに新たな試みにトライしています。
それは「ミュージカル」です。
前半はカーニバルのステージで披露するという体で各作品のテーマ曲が新たに制作されたCGアニメと共に展開し、後半も要所に歌を盛り込ませながら物語が進みます。
「フレッシュプリキュア」のエンディングで使われて以降ダンスにアクションに年々進化を続けるプリキュアのCGワークによる豊かな表現をこれでもかとばかりに大スクリーンで堪能できるのがこの映画の魅力です。
……それは良いのですが、この趣向がうまく機能していないように思えるのが正直な感想です。
確かにどの歌曲もCGと手描きアニメをダイナミックに融合させた迫力ある映像を楽しめるのですが、それはあくまでも映像だけの物であり、1本の劇映画としては非常にシナリオの弱い作品だと言わざるを得ない程今回物語が軽いです。ま、悪役を演じるのがオリエンタルラジオの2人というところがさもありなん、という感じもしなくはないですが。
楽曲のPVとも言うべき映像のキレは良いので一種のサービスのみで構成されたファンムービーと割り切って楽しむ方が良さそうです。
そうは言ってもその中に前シリーズであるハピネスチャージプリキュアと現在のGo!プリンセスプリキュアとのバトンタッチ的シーンを入れたり、キュアマリンが相変わらずのコメディエンヌぶりを見せてくれたり、過去のシリーズを観てた人なら分かる小ネタを差し挟んだりといろいろやってきている辺りはさすがという所でしょうか。
そうそう、オリエンタルラジオが悪役としてゲスト出演する今回、妙な所で笑いのツボにハマったのところが一カ所あります。それがどこかはナイショ。ただ、私の眼にはあのシーンは凄く「グラップラー刃牙」に見えた事だけ言っておきましょう(笑)
どちらかと言えば実験的意味合いの方が強く感じられる今回のプリキュアオールスターズ、賛否両論が今まで以上に強く出そうです。ただ「何をやりたいか」というコンセプトは非常に良く理解できましたし、試行錯誤の道のりとしてはこういった一本も必要なマイルストーンと言えるでしょう。
一作毎に映画作りの難易度が増していくシリーズではありますが、今回の長所短所を活かしてここから次はグレードアップさせた一本を見せて欲しいところですね。
そんな中「予定は全く無いけど何が何でも休ませてもらう!」とこの土日、2か月半ぶりの連休をもぎ取り土曜日はひたすら眠り日曜日は映画を観に行って好き勝手に過ごし、弱り気味の心身の回復に努めました。
こんばんは、小島@監督です。
働きすぎはいけません。あんなのがあと1か月も続いたらぶっ倒れてしまう。やっぱり「働いたら負け」かもしれない(笑)
さて、今回の映画は「映画プリキュアオールスターズ春のカーニバル」です。
春野はるか(声・島村侑)たちは歌とダンスの国ハルモニアで開かれる春のカーニバルに招待された。ハルモニアへ向かってみるとそこには先輩のプリキュア達も訪れていた。
カーニバルが開幕し、プリキュア達もステージに立って歌とダンスを披露する。しかしその陰でオドレン(声・中田敦彦)とウタエン(声・藤森慎吾)による奸計が進行しつつあった。
春の定番となってきたプリキュアオールスターズも7作目。単純に作品の垣根を越えたクロスオーバーを楽しむ「DX」3部作、そこから一歩踏み込んでドラマ性に深みを加えて展開した「NewStage」3部作に続いて製作された「春のカーニバル」では、さらに新たな試みにトライしています。
それは「ミュージカル」です。
前半はカーニバルのステージで披露するという体で各作品のテーマ曲が新たに制作されたCGアニメと共に展開し、後半も要所に歌を盛り込ませながら物語が進みます。
「フレッシュプリキュア」のエンディングで使われて以降ダンスにアクションに年々進化を続けるプリキュアのCGワークによる豊かな表現をこれでもかとばかりに大スクリーンで堪能できるのがこの映画の魅力です。
……それは良いのですが、この趣向がうまく機能していないように思えるのが正直な感想です。
確かにどの歌曲もCGと手描きアニメをダイナミックに融合させた迫力ある映像を楽しめるのですが、それはあくまでも映像だけの物であり、1本の劇映画としては非常にシナリオの弱い作品だと言わざるを得ない程今回物語が軽いです。ま、悪役を演じるのがオリエンタルラジオの2人というところがさもありなん、という感じもしなくはないですが。
楽曲のPVとも言うべき映像のキレは良いので一種のサービスのみで構成されたファンムービーと割り切って楽しむ方が良さそうです。
そうは言ってもその中に前シリーズであるハピネスチャージプリキュアと現在のGo!プリンセスプリキュアとのバトンタッチ的シーンを入れたり、キュアマリンが相変わらずのコメディエンヌぶりを見せてくれたり、過去のシリーズを観てた人なら分かる小ネタを差し挟んだりといろいろやってきている辺りはさすがという所でしょうか。
そうそう、オリエンタルラジオが悪役としてゲスト出演する今回、妙な所で笑いのツボにハマったのところが一カ所あります。それがどこかはナイショ。ただ、私の眼にはあのシーンは凄く「グラップラー刃牙」に見えた事だけ言っておきましょう(笑)
どちらかと言えば実験的意味合いの方が強く感じられる今回のプリキュアオールスターズ、賛否両論が今まで以上に強く出そうです。ただ「何をやりたいか」というコンセプトは非常に良く理解できましたし、試行錯誤の道のりとしてはこういった一本も必要なマイルストーンと言えるでしょう。
一作毎に映画作りの難易度が増していくシリーズではありますが、今回の長所短所を活かしてここから次はグレードアップさせた一本を見せて欲しいところですね。
先週の土曜日で「マッサン」が全150話の放送を終了。
仕事に直結する内容なので観始めましたが、ニッカウィスキーの創立者である竹鶴政孝とその妻リタをモデルに当時珍しかった国際結婚のドタバタと国産初のウイスキーを造り出そうとする職人の物語の兼ね合いが面白く、気づけば結構ハマって観てました。
朝ドラという事でどちらかと言えばマッサンとエリーの夫婦の絆を物語の中心にし、敢えて専門的なフレーズを少なめにしながらも、150回という長尺を活かして時代や技術の変遷に絡んだ多くのエピソードを盛り込んで来て、中にはかなり興味深いものもありそう言った意味でも半年間ガッツリ楽しみました。
あと個人的にはシリーズ序盤の「変にプライド高くてデカい事言うけど実際はただの無職」というマッサン像が強烈で今でも思い出すと何か変に胃が痛くなります(笑)
こんばんは、小島@監督です。
しかし楽しかったとは言っても朝の連続テレビ小説を半年間毎日追うのは正直とてもめんどくさいのでもう2度とやる事は無いだろうな~(苦笑)
さて、今回の映画は「イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密」です。
1951年、盗難事件の通報を受けノック刑事(ロニー・キリア)は数学者アラン・チューリング(ベネディクト・カンバーバッチ)宅に赴くが、「何も盗まれていない」と捜査を固辞される。その態度に不審を抱いたノックはソ連のスパイではないかと疑い捜査を開始する。
時は遡り1939年、イギリスはヒトラー率いるナチスドイツと開戦。
その最中、アランは海軍中佐デニストン(チャールズ・ダンス)の招聘を受けブレッチリー・パークで最高機密の作戦に参加することになる。それはドイツが誇る暗号機「エニグマ」の解読であった。その設定159×10の18乗通り!全設定を試すには2000万年という時間を必要とし、しかも毎晩0時にはその設定が更新されてしまう、そんな難攻不落の暗号機への挑戦が始まった。
暗号機エニグマの解読はもちろん現在「コンピューター」と呼ばれる全ての機器の基礎を築いた天才数学者アラン・チューリングの人物像に迫る物語です。タイトルの「イミテーション・ゲーム」とは1950年にアランが発表した論文のタイトルでもあります。
エニグマを主題とした物語は数多く、マイケル・バー=ゾウハーの「エニグマ奇襲指令」など数々のスパイ小説がありますし、アランの評伝を基にした戯曲「ブレイキング・ザ・コード」は日本でも邦訳版が上演されました。また、サイモン・シンのドキュメンタリー「暗号解読」では一つの章を丸々使ってエニグマ解読の道のりを取り上げています。
この映画、無論主題のひとつはエニグマの解読に至るまでのドラマですが、それだけではなく歴史物戦争物でありスパイ・ミステリーでもあり、また二つの恋を描く物語でもありそれでいてマイノリティの不遇を描く物語でもある、と非常に多くの要素を内包した作品です。
第2次大戦中の話でありながら前線の様子がほとんど登場しないというのもなかなかユニーク。ある意味裏方とも言うべき技術者や学者の奮闘を描く所などは宮崎駿監督の「風立ちぬ」と相似点を感じさせますね。
物語に複雑かつ芳醇な奥行きを与えるのはアランの人物像です。アランはゲイであり、そんなアランの10代での最初で最後の恋(10代のアランを演じるのはアレックス・ローザ―)と婚約するものの後に破談になる女性ジョーン・クラーク(キーラ・ナイトレイ)との交流が描かれ、そうであったがゆえに破滅の道を静かに歩いて行く(イギリスでは1967年に同性婚が認められるまでゲイは実刑の対象だった)アランの姿が更に映画を味わい深いものにしています。
そんなアランを演じるベネディクト・カンバーバッチの演技にも注目です。現代で言えば恐らくアスペルガー症候群か何かではなかろうと思われるアランの偏屈で傲慢でそれでいて絶対的な孤独と寂しさを抱くキャラクターを見事に表現…というか最早「体現」しています。さすがカンバーバッチ、偏屈な天才やらせたら右に出る者はいません(笑)。この圧倒的な存在感は絶対的なまでに観客に強い印象を残す事でしょう。
もちろん彼だけでなく他の人物も全てが一面的でないキャラクターばかりで実際の所印象に残らない人物の方が少ない、というのもこの映画の凄い所でもあります。
映画は1951年と1939~45年、1928年という3つの時間をかなり頻繁に行き来するのですが、字幕表示は出たり出なかったりなので人によっては展開を把握しづらく感じる瞬間があるかもしれません。が、せいぜい瑕疵などそれくらいのハイレベルな映画です。
大戦の影で人知れず戦い続けた数学者の物語、是非、多くの方に楽しんでほしい作品ですね。
仕事に直結する内容なので観始めましたが、ニッカウィスキーの創立者である竹鶴政孝とその妻リタをモデルに当時珍しかった国際結婚のドタバタと国産初のウイスキーを造り出そうとする職人の物語の兼ね合いが面白く、気づけば結構ハマって観てました。
朝ドラという事でどちらかと言えばマッサンとエリーの夫婦の絆を物語の中心にし、敢えて専門的なフレーズを少なめにしながらも、150回という長尺を活かして時代や技術の変遷に絡んだ多くのエピソードを盛り込んで来て、中にはかなり興味深いものもありそう言った意味でも半年間ガッツリ楽しみました。
あと個人的にはシリーズ序盤の「変にプライド高くてデカい事言うけど実際はただの無職」というマッサン像が強烈で今でも思い出すと何か変に胃が痛くなります(笑)
こんばんは、小島@監督です。
しかし楽しかったとは言っても朝の連続テレビ小説を半年間毎日追うのは正直とてもめんどくさいのでもう2度とやる事は無いだろうな~(苦笑)
さて、今回の映画は「イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密」です。
1951年、盗難事件の通報を受けノック刑事(ロニー・キリア)は数学者アラン・チューリング(ベネディクト・カンバーバッチ)宅に赴くが、「何も盗まれていない」と捜査を固辞される。その態度に不審を抱いたノックはソ連のスパイではないかと疑い捜査を開始する。
時は遡り1939年、イギリスはヒトラー率いるナチスドイツと開戦。
その最中、アランは海軍中佐デニストン(チャールズ・ダンス)の招聘を受けブレッチリー・パークで最高機密の作戦に参加することになる。それはドイツが誇る暗号機「エニグマ」の解読であった。その設定159×10の18乗通り!全設定を試すには2000万年という時間を必要とし、しかも毎晩0時にはその設定が更新されてしまう、そんな難攻不落の暗号機への挑戦が始まった。
暗号機エニグマの解読はもちろん現在「コンピューター」と呼ばれる全ての機器の基礎を築いた天才数学者アラン・チューリングの人物像に迫る物語です。タイトルの「イミテーション・ゲーム」とは1950年にアランが発表した論文のタイトルでもあります。
エニグマを主題とした物語は数多く、マイケル・バー=ゾウハーの「エニグマ奇襲指令」など数々のスパイ小説がありますし、アランの評伝を基にした戯曲「ブレイキング・ザ・コード」は日本でも邦訳版が上演されました。また、サイモン・シンのドキュメンタリー「暗号解読」では一つの章を丸々使ってエニグマ解読の道のりを取り上げています。
この映画、無論主題のひとつはエニグマの解読に至るまでのドラマですが、それだけではなく歴史物戦争物でありスパイ・ミステリーでもあり、また二つの恋を描く物語でもありそれでいてマイノリティの不遇を描く物語でもある、と非常に多くの要素を内包した作品です。
第2次大戦中の話でありながら前線の様子がほとんど登場しないというのもなかなかユニーク。ある意味裏方とも言うべき技術者や学者の奮闘を描く所などは宮崎駿監督の「風立ちぬ」と相似点を感じさせますね。
物語に複雑かつ芳醇な奥行きを与えるのはアランの人物像です。アランはゲイであり、そんなアランの10代での最初で最後の恋(10代のアランを演じるのはアレックス・ローザ―)と婚約するものの後に破談になる女性ジョーン・クラーク(キーラ・ナイトレイ)との交流が描かれ、そうであったがゆえに破滅の道を静かに歩いて行く(イギリスでは1967年に同性婚が認められるまでゲイは実刑の対象だった)アランの姿が更に映画を味わい深いものにしています。
そんなアランを演じるベネディクト・カンバーバッチの演技にも注目です。現代で言えば恐らくアスペルガー症候群か何かではなかろうと思われるアランの偏屈で傲慢でそれでいて絶対的な孤独と寂しさを抱くキャラクターを見事に表現…というか最早「体現」しています。さすがカンバーバッチ、偏屈な天才やらせたら右に出る者はいません(笑)。この圧倒的な存在感は絶対的なまでに観客に強い印象を残す事でしょう。
もちろん彼だけでなく他の人物も全てが一面的でないキャラクターばかりで実際の所印象に残らない人物の方が少ない、というのもこの映画の凄い所でもあります。
映画は1951年と1939~45年、1928年という3つの時間をかなり頻繁に行き来するのですが、字幕表示は出たり出なかったりなので人によっては展開を把握しづらく感じる瞬間があるかもしれません。が、せいぜい瑕疵などそれくらいのハイレベルな映画です。
大戦の影で人知れず戦い続けた数学者の物語、是非、多くの方に楽しんでほしい作品ですね。