昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
今回前日に大学の同期の集まりがあって東京まで行ってました。カジュアルで良いとは言え雑な格好をしていくワケにもいくまいととジャケット着て行ったら、まあ暑かったですね(笑)。着る服を間違えたとちょいと後悔しましたよ、ええ。
こんばんは、小島@監督です。
十数年ぶりの再会でしたが、次は皆が健康な内に早めに集まろうぜと約束を交わしたあたり、やっぱり歳を重ねてしまいました(苦笑)
さて、今回の映画は「教皇選挙」です。
カトリック教会の最高指導者ローマ教皇が亡くなった。
バチカンの首席枢機卿トーマス・ローレンス(レイフ・ファインズ)は次期教皇を決める選挙「コンクラーベ」を取り仕切ることになった。
世界中から108人の枢機卿団がシスティーナ礼拝堂に集結する。その中から誰かが2/3の票を獲得し新教皇として選出されるまで何日も投票を繰り返し、その間枢機卿団は礼拝堂の外へ出ることは許されない。
果たして新たな教皇は誰になるのか。長い数日間が始まる。
2013年に職を辞したベネディクト16世のように生前辞任する方もごく稀に出ますがローマ教皇というのは基本的に終身制です。カトリック教会の信徒の数は14億人に及ぶとか。選任者の寿命が尽きるまで、それほどの数を擁した教会の方向性を決めることになるコンクラーベは、恐らく私のように信者でない者には想像しがたいほどに熾烈でしょう。キリスト教世界の行く末を決めると同時に閉ざされた礼拝堂の中で行われる密室劇。不謹慎な言い方をすれば極めて魅力的な題材とも言えるコンクラーベをスキャンダラスかつサスペンスフルに描きます。ロバート・ハリスの原作小説を「裏切りのサーカス」で知られるピーター・ストローハンが脚色し、「西部戦線異状無し」で高い評価を得たエドワード・ベルガーが監督を務めています。あまり大手シネコンの配給には乗らなかった作品ながら期待以上のヒットとなり、上映館ではロングランになりそうな勢いです。
徹頭徹尾計算され尽くされたカメラワークで痺れるような緊張感を持続させてくるサスペンスです。かなり複雑な構図をしていますが、主要な枢機卿たちが割と皆アクの濃いキャラクターしているのである程度メインどころを押さえてしまえば物語の流れを追うこと自体はそれほど難しくはないでしょう。舞台が舞台な上に要所要所で宗教画を思わせる構図が登場するので荘厳な雰囲気を持っているのも特徴です。
むしろそうであるが故にこの映画を難しくしているのは、かなりの予備知識を必要としている点でカトリックに馴染みが無いとどうしても表層を追うだけになってしまうところでしょうか。正直なところ私もどこまで読み取れたものか。
例えば現教皇フランシスコはアルゼンチン出身で、ヨーロッパ以外からの教皇選出は実に1272年ぶりだったと聞きます。そうなった背景にはカトリックの司祭が信徒の子供たちを性的虐待していたというスキャンダルに端を発してカトリックの権威が低下していることへの危機感もあったようです。カトリックは司祭の威光が強く、妻帯を禁じられている傍ら女性の地位を非常に低く見ていることでいわゆるミソジニーを生みやすく、故に性加害が起こりやすい土壌をしていました。2002年ボストン・グローブ紙が司祭の長期間の性的虐待をスクープ報道してそれが露見しました。しかし当時教皇の座に就いたベネディクト16世は非常に保守的なスタンスを堅持し、謝罪はすれども改革に着手しなかったことが一層権威を失墜させる結果を招きました。
こう言ったところを踏まえて鑑賞すれば、挑戦的と言って良い最後のシークエンスの凄みにも思い至れるかと思います。他にも様々なトピックを内包しているようで、配給側も必要性を感じているのかパンフレットだけでなくオフィシャルサイトでも結構な文章量で解説してくれています。さすがに事前に見てしまうと結末の楽しさが半減してしまうので鑑賞後の閲覧をお薦めします。
と、ここまで書いていたらローマ教皇フランシスコの訃報が。ちょっと待っていくら何でもタイムリー過ぎる。数週間後にはフィクションではない現実のコンクラーベが始まります。激動する世界の中でカトリック教会はどんな道を指し示すことになるのでしょうか。
今回前日に大学の同期の集まりがあって東京まで行ってました。カジュアルで良いとは言え雑な格好をしていくワケにもいくまいととジャケット着て行ったら、まあ暑かったですね(笑)。着る服を間違えたとちょいと後悔しましたよ、ええ。
こんばんは、小島@監督です。
十数年ぶりの再会でしたが、次は皆が健康な内に早めに集まろうぜと約束を交わしたあたり、やっぱり歳を重ねてしまいました(苦笑)
さて、今回の映画は「教皇選挙」です。
カトリック教会の最高指導者ローマ教皇が亡くなった。
バチカンの首席枢機卿トーマス・ローレンス(レイフ・ファインズ)は次期教皇を決める選挙「コンクラーベ」を取り仕切ることになった。
世界中から108人の枢機卿団がシスティーナ礼拝堂に集結する。その中から誰かが2/3の票を獲得し新教皇として選出されるまで何日も投票を繰り返し、その間枢機卿団は礼拝堂の外へ出ることは許されない。
果たして新たな教皇は誰になるのか。長い数日間が始まる。
2013年に職を辞したベネディクト16世のように生前辞任する方もごく稀に出ますがローマ教皇というのは基本的に終身制です。カトリック教会の信徒の数は14億人に及ぶとか。選任者の寿命が尽きるまで、それほどの数を擁した教会の方向性を決めることになるコンクラーベは、恐らく私のように信者でない者には想像しがたいほどに熾烈でしょう。キリスト教世界の行く末を決めると同時に閉ざされた礼拝堂の中で行われる密室劇。不謹慎な言い方をすれば極めて魅力的な題材とも言えるコンクラーベをスキャンダラスかつサスペンスフルに描きます。ロバート・ハリスの原作小説を「裏切りのサーカス」で知られるピーター・ストローハンが脚色し、「西部戦線異状無し」で高い評価を得たエドワード・ベルガーが監督を務めています。あまり大手シネコンの配給には乗らなかった作品ながら期待以上のヒットとなり、上映館ではロングランになりそうな勢いです。
徹頭徹尾計算され尽くされたカメラワークで痺れるような緊張感を持続させてくるサスペンスです。かなり複雑な構図をしていますが、主要な枢機卿たちが割と皆アクの濃いキャラクターしているのである程度メインどころを押さえてしまえば物語の流れを追うこと自体はそれほど難しくはないでしょう。舞台が舞台な上に要所要所で宗教画を思わせる構図が登場するので荘厳な雰囲気を持っているのも特徴です。
むしろそうであるが故にこの映画を難しくしているのは、かなりの予備知識を必要としている点でカトリックに馴染みが無いとどうしても表層を追うだけになってしまうところでしょうか。正直なところ私もどこまで読み取れたものか。
例えば現教皇フランシスコはアルゼンチン出身で、ヨーロッパ以外からの教皇選出は実に1272年ぶりだったと聞きます。そうなった背景にはカトリックの司祭が信徒の子供たちを性的虐待していたというスキャンダルに端を発してカトリックの権威が低下していることへの危機感もあったようです。カトリックは司祭の威光が強く、妻帯を禁じられている傍ら女性の地位を非常に低く見ていることでいわゆるミソジニーを生みやすく、故に性加害が起こりやすい土壌をしていました。2002年ボストン・グローブ紙が司祭の長期間の性的虐待をスクープ報道してそれが露見しました。しかし当時教皇の座に就いたベネディクト16世は非常に保守的なスタンスを堅持し、謝罪はすれども改革に着手しなかったことが一層権威を失墜させる結果を招きました。
こう言ったところを踏まえて鑑賞すれば、挑戦的と言って良い最後のシークエンスの凄みにも思い至れるかと思います。他にも様々なトピックを内包しているようで、配給側も必要性を感じているのかパンフレットだけでなくオフィシャルサイトでも結構な文章量で解説してくれています。さすがに事前に見てしまうと結末の楽しさが半減してしまうので鑑賞後の閲覧をお薦めします。
と、ここまで書いていたらローマ教皇フランシスコの訃報が。ちょっと待っていくら何でもタイムリー過ぎる。数週間後にはフィクションではない現実のコンクラーベが始まります。激動する世界の中でカトリック教会はどんな道を指し示すことになるのでしょうか。
PR
珍しくライブ以外の要件で今週末東京へ行くことになり、当初東京で宿泊するつもりで宿を探していたのですが、何か大きなイベントでもあるのか軒並みホテルの値段が普段の倍以上で何なら東京ー名古屋間をもう一往復できるじゃないかくらいに上がっていたので山手線沿線での宿泊を断念。横浜や熱海の線も考えたのですが最終的に「もういっそ名古屋で泊まれば良いんじゃね?」と思い立ち、早い話が今度の歌会は名古屋で前泊して参加します(笑)
こんばんは、小島@監督です。
それにしても最近週末の東京はヤバいと聞いていましたがほんとなかなか(苦笑)
さて、今回の映画は「Love Letter」です。
神戸、渡辺博子(中山美穂)は婚約者だった藤井樹の三回忌法要に参列した日、樹の母・安代(加賀まりこ)から樹の中学時代の卒業アルバムを見せてもらう。そこに書かれていた樹の昔の住所へ博子は「お元気ですか?」と一通の手紙を書いた。
小樽、博子が書いた手紙は図書館職員をしている同姓同名の藤井樹(中山美穂/二役)の元へ届いた。樹は不審に思いながらも返事を出すとまた博子から返事が来た。そうして2人の奇妙な文通が始まった。
一通の手紙をきっかけに同じ顔をした2人の人物に繋がりが生まれ、2つの恋が描かれていく、1995年に製作された恋愛映画の名作です。今年公開30周年を記念し4Kリマスター版がリバイバル上映されています。「スワロウテイル」「リリィ・シュシュのすべて」などで日本映画に独自の地歩を築く岩井俊二監督の長編デビュー作であり、助監督には後年「GO」や「北の零年」などを手掛けることになる行定勲が務めています。日本アカデミー賞で優秀作品賞を受賞したほか同年のキネマ旬報ベストテンに選出されるなど高い評価を得て岩井俊二監督の名を世に知らしめる結果になりました。1999年に公開された韓国では140万人を超える観客動員を記録し1998年に解除された日本大衆文化の流入制限以後最初に大ヒットした日本映画となりました。
と、まあそういう情報は良く知っていたのですが実は今まで一度も観たことが無く、今回たまたま時間が合った折に思い立ち、30年越しに初鑑賞して来ました。
冒頭、主演中山美穂が雪の斜面を駆け降りる映像をバックにタイトルやメインキャスト・スタッフが流れる長回しのワンカットから詩的な画が鮮烈に冴え渡る作品です。ここに限らず随所に痺れるほどに綺麗なショットが多いのは岩井俊二監督のディレクションもさることながら「映画番長」と呼ばれたほどの名カメラマン・篠田昇の技量によるところも大きいでしょう。それはまるで当時の空気ごとフィルムに焼き付けたかのようですらあるほどです。
何よりそのカメラワークが捉える中山美穂の美しさと言ったら!アイドルとして活躍していた頃からある意味で自分にとっては「世代のひと」だったので見た目の良さは知ってるつもりではいたのですが、「ああ、中山美穂ってこんなにも美しい人だったのか」と思わずにはいられませんでした。
手紙が恋人と同姓同名で顔が自分と瓜二つの人物の元に届く、というあり得ないシチュエーションを、しかしオーバーにはなり過ぎずある種の説得力を持たせながらリリカルに語り切っている手腕もかなりのもので、岩井俊二監督と言えばこれが原点にして頂点という方がいるのも頷けます。
唯一の難点としては、これがリマスターした原版のそもそもの劣化が要因なのか、あるいはたまたま自分が観た回で偶然そうなってしまったのか判然としないのですが本編の主に序盤で数ヶ所音声が曇っていた箇所があった点です。会話が壁一つ隔てたようなトーンになってしまっていて、あれはさすがにちょっぴり勿体なかった。
もともと30周年に向けて準備されていた企画だったのではと思われますが、昨年の中山美穂の急逝を受けて、映画のラストには故人を偲ぶメッセージが付け加えられています。
彼女の在りし日の輝きを刻み込みながら、不思議な魔法にかけられたような、どこか胸を締め付けられるような、そんな映像体験でした。
30年の時を経てなお放つきらめきは衰えることなく、きっとこれからも観る者を魅了し続けてくれることでしょう。
こんばんは、小島@監督です。
それにしても最近週末の東京はヤバいと聞いていましたがほんとなかなか(苦笑)
さて、今回の映画は「Love Letter」です。
神戸、渡辺博子(中山美穂)は婚約者だった藤井樹の三回忌法要に参列した日、樹の母・安代(加賀まりこ)から樹の中学時代の卒業アルバムを見せてもらう。そこに書かれていた樹の昔の住所へ博子は「お元気ですか?」と一通の手紙を書いた。
小樽、博子が書いた手紙は図書館職員をしている同姓同名の藤井樹(中山美穂/二役)の元へ届いた。樹は不審に思いながらも返事を出すとまた博子から返事が来た。そうして2人の奇妙な文通が始まった。
一通の手紙をきっかけに同じ顔をした2人の人物に繋がりが生まれ、2つの恋が描かれていく、1995年に製作された恋愛映画の名作です。今年公開30周年を記念し4Kリマスター版がリバイバル上映されています。「スワロウテイル」「リリィ・シュシュのすべて」などで日本映画に独自の地歩を築く岩井俊二監督の長編デビュー作であり、助監督には後年「GO」や「北の零年」などを手掛けることになる行定勲が務めています。日本アカデミー賞で優秀作品賞を受賞したほか同年のキネマ旬報ベストテンに選出されるなど高い評価を得て岩井俊二監督の名を世に知らしめる結果になりました。1999年に公開された韓国では140万人を超える観客動員を記録し1998年に解除された日本大衆文化の流入制限以後最初に大ヒットした日本映画となりました。
と、まあそういう情報は良く知っていたのですが実は今まで一度も観たことが無く、今回たまたま時間が合った折に思い立ち、30年越しに初鑑賞して来ました。
冒頭、主演中山美穂が雪の斜面を駆け降りる映像をバックにタイトルやメインキャスト・スタッフが流れる長回しのワンカットから詩的な画が鮮烈に冴え渡る作品です。ここに限らず随所に痺れるほどに綺麗なショットが多いのは岩井俊二監督のディレクションもさることながら「映画番長」と呼ばれたほどの名カメラマン・篠田昇の技量によるところも大きいでしょう。それはまるで当時の空気ごとフィルムに焼き付けたかのようですらあるほどです。
何よりそのカメラワークが捉える中山美穂の美しさと言ったら!アイドルとして活躍していた頃からある意味で自分にとっては「世代のひと」だったので見た目の良さは知ってるつもりではいたのですが、「ああ、中山美穂ってこんなにも美しい人だったのか」と思わずにはいられませんでした。
手紙が恋人と同姓同名で顔が自分と瓜二つの人物の元に届く、というあり得ないシチュエーションを、しかしオーバーにはなり過ぎずある種の説得力を持たせながらリリカルに語り切っている手腕もかなりのもので、岩井俊二監督と言えばこれが原点にして頂点という方がいるのも頷けます。
唯一の難点としては、これがリマスターした原版のそもそもの劣化が要因なのか、あるいはたまたま自分が観た回で偶然そうなってしまったのか判然としないのですが本編の主に序盤で数ヶ所音声が曇っていた箇所があった点です。会話が壁一つ隔てたようなトーンになってしまっていて、あれはさすがにちょっぴり勿体なかった。
もともと30周年に向けて準備されていた企画だったのではと思われますが、昨年の中山美穂の急逝を受けて、映画のラストには故人を偲ぶメッセージが付け加えられています。
彼女の在りし日の輝きを刻み込みながら、不思議な魔法にかけられたような、どこか胸を締め付けられるような、そんな映像体験でした。
30年の時を経てなお放つきらめきは衰えることなく、きっとこれからも観る者を魅了し続けてくれることでしょう。
Z級サメ映画祭を始めとしてひと癖もふた癖もあるこだわりのラインナップで独特の存在感を放ったミニシアター「大須シネマ」が今月いっぱいで閉館となってしまうそうです。
ほとんど幻になっていた作品やインディーズアニメなども上映していて、正直なところ行けるなら毎週行きたいくらいだったんですが閉館は本当に残念です。僅か5年ほどの営業期間でしたが名古屋の映画館の歴史に確実に足跡を刻んだシアターだったと言えるでしょう。
こんばんは、小島@監督です。
閉館前にどうにかもう一度くらい行っておきたい。
さて、今回の映画は「Flow」です。
森の中の一軒家で暮らす一匹の黒猫。あるとき森を大洪水が襲い、すみかにしていた家が水没してしまった。黒猫は辛うじて難を逃れたもののじわじわと上がっていく水位に逃げ場を失っていく。そこに一艘の船が漂流して来た。どうにか飛び乗った黒猫だが、そこにはカピバラが一匹先客として乗り込んでいるのを見る。その後もキツネザルやヘビクイワシ、レトリバーらが船に乗り込み動物たちの奇妙な旅が始まる。彼らの旅はどこに行き着くのだろうか。
執拗に命を刈り取ろうとする巨人からバイクにまたがり逃避行する青年の旅路を描いた「Away」でアヌシー国際アニメーション映画祭でコントルシャン賞を受賞したラトビアの奇才ギンツ・ジロバルディスの長編第二作となる今作は、大水害から難を逃れ偶然一艘の船に乗り合わせることになった黒猫ら動物たちの冒険を描きます。「Away」同様に今作もセリフは一切無く、幻想的な世界観に浸りながら観客各々の中で想像を巡らして湧き上がって来た感慨や考察をもって完成する作品です。
冒頭で黒猫が居着いている家や、まるで何かに導かれるように彼らが訪れることになる場所にはつい最近まで人間がいた痕跡が残っているものの作中に全く人間は登場せず、人類は何故いなくなったのか、本当に誰もいないのか、そして世界を覆い尽くさんばかりに襲う大津波も、一体何故起きたのかと言ったことはヒントすら与えられないレベルで何も説明はされません。ただ作中で度々登場する鯨に似た巨大水棲生物の存在が、どうやら私たちの知る地球ではないらしいことを僅かに示唆するのみです。
一見するとワケが分からないのに繊細に設計された水の表現や手持ちカメラのように微妙に揺らしているカメラワークがもたらす臨場感の強さで気づけば黒猫たちの旅路に目が離せなくなっており、詩的かつ哲学的である共に、画と動きだけで見せるというアニメーションの根源に触れさせてくれる感激に震えさせてくれる逸品です。
ギンツ・ジルパロディス監督はこの作品をもってラトビアに初めてアカデミー長編アニメーション映画賞をもたらしました。唯一無二の世界観を生み出せるフィルムメーカーの、今後の活躍が楽しみですね。
ほとんど幻になっていた作品やインディーズアニメなども上映していて、正直なところ行けるなら毎週行きたいくらいだったんですが閉館は本当に残念です。僅か5年ほどの営業期間でしたが名古屋の映画館の歴史に確実に足跡を刻んだシアターだったと言えるでしょう。
こんばんは、小島@監督です。
閉館前にどうにかもう一度くらい行っておきたい。
さて、今回の映画は「Flow」です。
森の中の一軒家で暮らす一匹の黒猫。あるとき森を大洪水が襲い、すみかにしていた家が水没してしまった。黒猫は辛うじて難を逃れたもののじわじわと上がっていく水位に逃げ場を失っていく。そこに一艘の船が漂流して来た。どうにか飛び乗った黒猫だが、そこにはカピバラが一匹先客として乗り込んでいるのを見る。その後もキツネザルやヘビクイワシ、レトリバーらが船に乗り込み動物たちの奇妙な旅が始まる。彼らの旅はどこに行き着くのだろうか。
執拗に命を刈り取ろうとする巨人からバイクにまたがり逃避行する青年の旅路を描いた「Away」でアヌシー国際アニメーション映画祭でコントルシャン賞を受賞したラトビアの奇才ギンツ・ジロバルディスの長編第二作となる今作は、大水害から難を逃れ偶然一艘の船に乗り合わせることになった黒猫ら動物たちの冒険を描きます。「Away」同様に今作もセリフは一切無く、幻想的な世界観に浸りながら観客各々の中で想像を巡らして湧き上がって来た感慨や考察をもって完成する作品です。
冒頭で黒猫が居着いている家や、まるで何かに導かれるように彼らが訪れることになる場所にはつい最近まで人間がいた痕跡が残っているものの作中に全く人間は登場せず、人類は何故いなくなったのか、本当に誰もいないのか、そして世界を覆い尽くさんばかりに襲う大津波も、一体何故起きたのかと言ったことはヒントすら与えられないレベルで何も説明はされません。ただ作中で度々登場する鯨に似た巨大水棲生物の存在が、どうやら私たちの知る地球ではないらしいことを僅かに示唆するのみです。
一見するとワケが分からないのに繊細に設計された水の表現や手持ちカメラのように微妙に揺らしているカメラワークがもたらす臨場感の強さで気づけば黒猫たちの旅路に目が離せなくなっており、詩的かつ哲学的である共に、画と動きだけで見せるというアニメーションの根源に触れさせてくれる感激に震えさせてくれる逸品です。
ギンツ・ジルパロディス監督はこの作品をもってラトビアに初めてアカデミー長編アニメーション映画賞をもたらしました。唯一無二の世界観を生み出せるフィルムメーカーの、今後の活躍が楽しみですね。
こんばんは、小島@監督です。
年度末でまあまあ忙しく、今回は前置き無しで本題に入ります。
とまあ年度末進行の只中に強引にスケジュールを組み込み、この週末にさいたまスーパーアリーナで開催された「THE IDOLM@STER 765 MILLIONSTARS HOTCHPOTCH FESTIV@L!! 2 」を観に行って来ました。とは言えさすがに両日参加はできずday1のみの鑑賞ですが。
「ハッチポッチフェスティバル」は「アイドルマスター」の765プロオールスターズと「ミリオンライブ!」のミリオンスターズ、同じ事務所の先輩後輩という間柄の出演者たちによる合同ライブイベントです。2017年10月以来実に7年半ぶりとなる開催となった今回は、その7年半の間に着実にキャリアを積んで来たミリオンスターズと、それでもその一歩先を走り続ける765プロオールスターズのパフォーマンスがぶつかり合う極めて熱いステージになっていました。
もともとベースとなるゲームやアニメでは天海春香ら765プロオールスターズも普通に登場し、共演する楽曲やドラマCDなども当たり前のように数多く製作されて来たのですが、ことライブとなるとCDのリリースイベントのような小規模なもの以外は基本的に区分けされてきたので7年半ぶりとなる今回は、そもそもまず「やり残したままのものが多すぎる」という「場」に対する「飢え」がファンの間に共通認識に近いものがあり、遂にその「時」が来たという印象です。また2023年に放送されたTVアニメの記憶もまだ新しく、新規参入してきた方が多いタイミングでの開催というのも実に嬉しい采配ですね。そこも考慮されてか、イベント全体として昨年4ヶ所8公演開催されたミリオンライブ10thツアーの番外編、言わば「act5」のような性格も包含していたようにも見えました。
ライブはTVアニメ版「ミリオンライブ」のOP曲「Rat a tat!」で開幕。そこから選曲と歌唱メンバーの妙、そしてパフォーマンスの質の高さと熱さで圧倒する全26曲。正直言ってセットリストはもっと遊び倒して来るかもとも思っていたのですが、披露される機会の少なかったものや長くライブでは歌われてこなかったナンバーを多く織り交ぜていてとてもエモーショナル。個人的には最推しの水瀬伊織役釘宮理恵さんが今回よほどコンディションが良かったのか、どの曲もパフォーマンスがノッていて可愛らしかったのがとても目と耳に心地良かった(笑)。それにしても765プロオールスターズの皆さんは年齢的に私と同じくらいの人もいるというのに年々最高を更新し続ける凄みには敬服せざるを得ません。ライブへの熱狂とは別に襟を正すような思いを抱くこともしばしば。
そしてやはり驚かされるのは天海春香役中村繪里子さんの大黒柱ぶり。MCでどれだけとっ散らかったノリになろうが(何なら本人もそれに乗っていようが)最後にはビシッと締めて「アイドルマスターのステージを完遂させる」、その居住まいは見事というほかありません。20年間1人のキャラクターと共に作品の中心で歩き続けて来て、今もなお最前線で立っている人の持つ輝きは違います。行けるところまで天海春香と共に歩んで頂けたら嬉しいですね。
しかし悔やまれるのはこの日程…!職種によりけりなのでしょうが社会人に年度末は辛い…スケジュールが1週前か後だったら、あるいは日曜日の開演時間が17時30分ではなく15時30分スタートだったならと思わずにはいられません。特に開演時間はアンケートに書いておこう。ぐぬぬ。
年度末でまあまあ忙しく、今回は前置き無しで本題に入ります。
とまあ年度末進行の只中に強引にスケジュールを組み込み、この週末にさいたまスーパーアリーナで開催された「THE IDOLM@STER 765 MILLIONSTARS HOTCHPOTCH FESTIV@L!! 2 」を観に行って来ました。とは言えさすがに両日参加はできずday1のみの鑑賞ですが。
「ハッチポッチフェスティバル」は「アイドルマスター」の765プロオールスターズと「ミリオンライブ!」のミリオンスターズ、同じ事務所の先輩後輩という間柄の出演者たちによる合同ライブイベントです。2017年10月以来実に7年半ぶりとなる開催となった今回は、その7年半の間に着実にキャリアを積んで来たミリオンスターズと、それでもその一歩先を走り続ける765プロオールスターズのパフォーマンスがぶつかり合う極めて熱いステージになっていました。
もともとベースとなるゲームやアニメでは天海春香ら765プロオールスターズも普通に登場し、共演する楽曲やドラマCDなども当たり前のように数多く製作されて来たのですが、ことライブとなるとCDのリリースイベントのような小規模なもの以外は基本的に区分けされてきたので7年半ぶりとなる今回は、そもそもまず「やり残したままのものが多すぎる」という「場」に対する「飢え」がファンの間に共通認識に近いものがあり、遂にその「時」が来たという印象です。また2023年に放送されたTVアニメの記憶もまだ新しく、新規参入してきた方が多いタイミングでの開催というのも実に嬉しい采配ですね。そこも考慮されてか、イベント全体として昨年4ヶ所8公演開催されたミリオンライブ10thツアーの番外編、言わば「act5」のような性格も包含していたようにも見えました。
ライブはTVアニメ版「ミリオンライブ」のOP曲「Rat a tat!」で開幕。そこから選曲と歌唱メンバーの妙、そしてパフォーマンスの質の高さと熱さで圧倒する全26曲。正直言ってセットリストはもっと遊び倒して来るかもとも思っていたのですが、披露される機会の少なかったものや長くライブでは歌われてこなかったナンバーを多く織り交ぜていてとてもエモーショナル。個人的には最推しの水瀬伊織役釘宮理恵さんが今回よほどコンディションが良かったのか、どの曲もパフォーマンスがノッていて可愛らしかったのがとても目と耳に心地良かった(笑)。それにしても765プロオールスターズの皆さんは年齢的に私と同じくらいの人もいるというのに年々最高を更新し続ける凄みには敬服せざるを得ません。ライブへの熱狂とは別に襟を正すような思いを抱くこともしばしば。
そしてやはり驚かされるのは天海春香役中村繪里子さんの大黒柱ぶり。MCでどれだけとっ散らかったノリになろうが(何なら本人もそれに乗っていようが)最後にはビシッと締めて「アイドルマスターのステージを完遂させる」、その居住まいは見事というほかありません。20年間1人のキャラクターと共に作品の中心で歩き続けて来て、今もなお最前線で立っている人の持つ輝きは違います。行けるところまで天海春香と共に歩んで頂けたら嬉しいですね。
しかし悔やまれるのはこの日程…!職種によりけりなのでしょうが社会人に年度末は辛い…スケジュールが1週前か後だったら、あるいは日曜日の開演時間が17時30分ではなく15時30分スタートだったならと思わずにはいられません。特に開演時間はアンケートに書いておこう。ぐぬぬ。
まさについ先ほど、Zepp Nagoyaで私が最近推してるアイドル「THE ENCORE」の4thワンマンライブ「超戦」を観てきました。こういうライブステージ主体で活動しているグループにとってZeppは恐らく目標とすべき舞台の一つではないかと思います。アイドルたち自身もコンディションのピークをここに合わせて来てますし、運営もいつも以上に力が入っており、演出・パフォーマンスともにエネルギッシュ。つられてこちらもめっちゃ声を張り上げたり腕を振ったりですよ(笑)
反面さすがにソールドアウトとまではいかなかったようで、MCではそこにわずかな悔しさを滲ませており、目標と言えど到達点にはしていないところが見えたのも応援している身としてはちょっと嬉しかったり。
こんばんは、小島@監督です。
アイドルたちは大抵ライブ後にファンとチェキ撮ったりする「特典会」というのまでがワンセットなのですが、こういうワンマンライブの時はがっつり時間を取っており、何なら今もまだ続いています。渾身のパフォーマンスの後だし終わったらじっくりと休んで欲しいところ。
さて、今回の映画は「逮捕しちゃうぞthe MOVIE」です。
1年間に渡る警視庁での研修プログラムを終え、辻本夏実(声・玉川砂記子)と小早川美幸(声・平松晶子)が墨東署に帰って来た。懐かしい顔ぶれの帰還に浮かれた空気が漂う署内。しかし葵双葉(声・松本梨香)と二階堂頼子(声・小桜エツ子)が警邏中に放置車両から大量の銃器を発見した。折しも墨東署管内各地で信号機の一斉故障が発生。更には隅田川で銃器の密輸取引が行われるというタレコミが入った。緊張が走る中、警視庁の蟻塚警視正(声・渡部猛)が課長(声・政宗一成)を訪ねてくる。蟻塚は事件の首謀者が課長に接触を試みると考えていた。課長が口を閉ざす中、墨東署に桜橋の爆破予告が入った。
藤島康介のコミックを原作に1994年にOVA化された後、1996〜2007年までの間に実に4度のTVアニメが放送された「逮捕しちゃうぞ」。1999年には劇場版が製作されました。今年アニメ化30周年記念として限定的ながらその劇場版がリバイバル上映されました。公開後に一度だけ地上波放送されたことがあり、その時に観たきりの作品で実に二十数年ぶりの再会になりました。
徹底したロケハンを行い、実在の東京のスポットがリアルに描き込まれストーリーに組み込まれているのが特徴です。リアリティを突き詰めながらどこまで「嘘」をつけるかに主眼が置かれており、シリアスに物語を運びつつもコミカルかつライトな描写が随所に差し挟まれて絶妙なアクセントとなっています。
都心のインフラに対してテロ攻撃を仕掛けるという着想で緊張感の高いシナリオをものにしたのは十川誠志。「BLEACH」や「戦闘妖精雪風」などの脚本を手掛け、現在でも「デジモンゴーストゲーム」など第一線で活躍しています。1999年ごろはまさに気鋭と言った時期で、2005年には首都の地下鉄網が混乱に陥れられる実写映画「交渉人真下正義」のシナリオも執筆しており、当時興味を引かれていたモチーフだったかもしれませんね。
1990年代末の東京を克明に描写したこの作品を今観るとまた別の感慨が湧いて来ます。同じく東京下町の情景を深掘りし物語に落とし込んだ「機動警察パトレイバーthe movie」が1989年の作品なのでこの10年間の差異を見比べてみるのも一興でしょう。また何より2012年に開業した東京スカイツリーが建設前であり、現在の情景に至る都内各所の再開発もまだ未着手だったりするので意外と現在とは同じようで違うはずです。物語とは別に1999年からのこの四半世紀の風景の相違を見い出す面白さがあります。
更にもう一点、この映画の主題歌「CALLING」を歌っている「NITRO」というユニット、この曲のためだけの限定ユニットで優香など当時売り出し中だったアイドルがメンバーになっているのですが、中に現在「TRUE」としてアニソンシンガーとしても活躍しまた作詞家として数多くの楽曲提供も行なっている唐沢美帆がいます。改めてこの映画を観てエンドクレジットで一番驚いたのがそこでした(笑)
映像作品とは、できた時点である意味でタイムカプセルのようなものです。痺れるような作劇の面白さは25年経っても色褪せることはなく、それでいて描かれた在りし日の風景に思いを馳せる。そして現在との違いの中に横たわるのは郷愁だけとは限りません。近年、舞台となった土地を詳細に描写することで「聖地」として訪問する流れを生むことも常態化してきました。そんな作品たちも10年20年後に再会した時には、描かれた風景に懐かしさだけではないものを見出せるかもしれませんね。
反面さすがにソールドアウトとまではいかなかったようで、MCではそこにわずかな悔しさを滲ませており、目標と言えど到達点にはしていないところが見えたのも応援している身としてはちょっと嬉しかったり。
こんばんは、小島@監督です。
アイドルたちは大抵ライブ後にファンとチェキ撮ったりする「特典会」というのまでがワンセットなのですが、こういうワンマンライブの時はがっつり時間を取っており、何なら今もまだ続いています。渾身のパフォーマンスの後だし終わったらじっくりと休んで欲しいところ。
さて、今回の映画は「逮捕しちゃうぞthe MOVIE」です。
1年間に渡る警視庁での研修プログラムを終え、辻本夏実(声・玉川砂記子)と小早川美幸(声・平松晶子)が墨東署に帰って来た。懐かしい顔ぶれの帰還に浮かれた空気が漂う署内。しかし葵双葉(声・松本梨香)と二階堂頼子(声・小桜エツ子)が警邏中に放置車両から大量の銃器を発見した。折しも墨東署管内各地で信号機の一斉故障が発生。更には隅田川で銃器の密輸取引が行われるというタレコミが入った。緊張が走る中、警視庁の蟻塚警視正(声・渡部猛)が課長(声・政宗一成)を訪ねてくる。蟻塚は事件の首謀者が課長に接触を試みると考えていた。課長が口を閉ざす中、墨東署に桜橋の爆破予告が入った。
藤島康介のコミックを原作に1994年にOVA化された後、1996〜2007年までの間に実に4度のTVアニメが放送された「逮捕しちゃうぞ」。1999年には劇場版が製作されました。今年アニメ化30周年記念として限定的ながらその劇場版がリバイバル上映されました。公開後に一度だけ地上波放送されたことがあり、その時に観たきりの作品で実に二十数年ぶりの再会になりました。
徹底したロケハンを行い、実在の東京のスポットがリアルに描き込まれストーリーに組み込まれているのが特徴です。リアリティを突き詰めながらどこまで「嘘」をつけるかに主眼が置かれており、シリアスに物語を運びつつもコミカルかつライトな描写が随所に差し挟まれて絶妙なアクセントとなっています。
都心のインフラに対してテロ攻撃を仕掛けるという着想で緊張感の高いシナリオをものにしたのは十川誠志。「BLEACH」や「戦闘妖精雪風」などの脚本を手掛け、現在でも「デジモンゴーストゲーム」など第一線で活躍しています。1999年ごろはまさに気鋭と言った時期で、2005年には首都の地下鉄網が混乱に陥れられる実写映画「交渉人真下正義」のシナリオも執筆しており、当時興味を引かれていたモチーフだったかもしれませんね。
1990年代末の東京を克明に描写したこの作品を今観るとまた別の感慨が湧いて来ます。同じく東京下町の情景を深掘りし物語に落とし込んだ「機動警察パトレイバーthe movie」が1989年の作品なのでこの10年間の差異を見比べてみるのも一興でしょう。また何より2012年に開業した東京スカイツリーが建設前であり、現在の情景に至る都内各所の再開発もまだ未着手だったりするので意外と現在とは同じようで違うはずです。物語とは別に1999年からのこの四半世紀の風景の相違を見い出す面白さがあります。
更にもう一点、この映画の主題歌「CALLING」を歌っている「NITRO」というユニット、この曲のためだけの限定ユニットで優香など当時売り出し中だったアイドルがメンバーになっているのですが、中に現在「TRUE」としてアニソンシンガーとしても活躍しまた作詞家として数多くの楽曲提供も行なっている唐沢美帆がいます。改めてこの映画を観てエンドクレジットで一番驚いたのがそこでした(笑)
映像作品とは、できた時点である意味でタイムカプセルのようなものです。痺れるような作劇の面白さは25年経っても色褪せることはなく、それでいて描かれた在りし日の風景に思いを馳せる。そして現在との違いの中に横たわるのは郷愁だけとは限りません。近年、舞台となった土地を詳細に描写することで「聖地」として訪問する流れを生むことも常態化してきました。そんな作品たちも10年20年後に再会した時には、描かれた風景に懐かしさだけではないものを見出せるかもしれませんね。
昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
いや今回めっちゃ歌いました。部屋全体で73曲やったらしいです。今まで歌ったことない、普段滅多に歌わない曲までバカスカ投入。前回参加できなかった分まで借りを返すかのような勢いで歌い倒しました。何ならついでにスポーツ部屋にもちょっぴりお邪魔できたりして大満足でした。
こんばんは、小島@監督です。
今回やれたら良いなくらいに思ってたカードまで全ツッパしちゃったのでまたあれこれ準備しなきゃ(笑)
さて、今回の映画は「ヒプノシスマイクdivision rap battle」です。
武力による争いが根絶し女性が覇権を握るようになった世界、しかしそれでも争いは絶えず闘争は銃火器ではなく人の精神に干渉する「ヒプノシスマイク」を通したリリックをぶつけ合うバトルによって行われるようになった。
数々のライバルを打倒し勝ち残った6つのディビジョンの戦士たち。政権の中枢・中王区で国を統べる3人の女性首脳への挑戦権を勝ち取り、栄光を掴むための最後のディビジョン・ラップ・バトルに挑む。
映画はいつどこで観ても同じもの、不文律のような原則への挑戦。
元を辿ればキングレコードの内部レーベルEVIL LINE RECORDSが手掛ける声優によるラップミュージックプロジェクト、それを原作に様々な広がりを見せる「ヒプノシスマイク」、2度のTVアニメを経て初めての劇場用長編アニメ映画が公開中です。
その最大の特徴は何と言っても劇場公開用映画としては日本で初めてとなる観客の投票によって途中の展開と結末が変わる観客参加型のインタラクティブムービーである点です。観客は事前にアプリをダウンロードし、本編開始前にスクリーンに表示されるQRコードを読み取ることでエントリー。本編が始まると所定の箇所でスマホに投票画面が表示され、その結果によって映画の展開が変わります。その展開は48パターン、そして7パターンの結末が用意されています。展開により上映時間も変動し最大で7分程度変わるとか。ものの例えではなく本当に「観る度に変わる」映画です。鑑賞料金も通常より高めの2,500円に設定されている作品ですが、かかる手間暇を思えば妥当なところでしょう。
凝った趣向ゆえにプロット自体はとてもシンプル。
冒頭に中王区も含めた7つのディビジョンのチームのあり様を見せるエピソードをイントロダクションとして展開した後は、最後までひたすらにラップバトル。トーナメントを勝ち上がったチームが王者たる中王区とファイナルマッチを戦い勝者を決します。上映時間の大半をラップバトルに注ぎ込んでいる点や、場内の雰囲気も含めてその日その回を観た人たちだけが共有できる即時性を有しているため実質的に映画というよりライブを観ている感覚が近いです。
投票結果はアプリの画面で表示される以外にオフィシャルサイトでも閲覧できるようになっているのもポイント。しかも各劇場の全上映回の結果が確認でき、それぞれの劇場の傾向が見えるのが面白い。例えば名古屋市内では5箇所で上映されていますが、多くは満遍なく結果が散らばっているのに対して唯一ミッドランドスクエアだけは地元志向が強固で90%を超える勝率でナゴヤ・ディビジョン「Bad ass temple」の圧勝です。ナゴヤ・ディビジョンエンド以外を観たいなら他の映画館へ行くべき、なんて事が読み取れます。
コロナ禍によって配信で映画を観ることが浸透してしまった結果、映画は「映画を映画館で観る」という根底そのものが問い直される時期に来ています。それは自宅では不可能な映像と音響のスペックでゴージャスな体験を味わってもらうことであったり、あるいは今まで名前しか聞いたことの無かった古い作品を掘り起こして紹介することであったり、様々な試みがなされていますが「時を改めれば違うものが見える」という形態もまた製作の手間を思えば主流には決してならないだろうとは言え、一つのあり方の提示となっていると言えるでしょう。映画を観に行くということは2時間非日常に身を預けること。そんなことを思い出させてくれる鑑賞体験でした。
何ならもう一度くらい観てもいい。というか中王区のお姉さまたちが勝利するところはちょっと観たい(笑)。
いや今回めっちゃ歌いました。部屋全体で73曲やったらしいです。今まで歌ったことない、普段滅多に歌わない曲までバカスカ投入。前回参加できなかった分まで借りを返すかのような勢いで歌い倒しました。何ならついでにスポーツ部屋にもちょっぴりお邪魔できたりして大満足でした。
こんばんは、小島@監督です。
今回やれたら良いなくらいに思ってたカードまで全ツッパしちゃったのでまたあれこれ準備しなきゃ(笑)
さて、今回の映画は「ヒプノシスマイクdivision rap battle」です。
武力による争いが根絶し女性が覇権を握るようになった世界、しかしそれでも争いは絶えず闘争は銃火器ではなく人の精神に干渉する「ヒプノシスマイク」を通したリリックをぶつけ合うバトルによって行われるようになった。
数々のライバルを打倒し勝ち残った6つのディビジョンの戦士たち。政権の中枢・中王区で国を統べる3人の女性首脳への挑戦権を勝ち取り、栄光を掴むための最後のディビジョン・ラップ・バトルに挑む。
映画はいつどこで観ても同じもの、不文律のような原則への挑戦。
元を辿ればキングレコードの内部レーベルEVIL LINE RECORDSが手掛ける声優によるラップミュージックプロジェクト、それを原作に様々な広がりを見せる「ヒプノシスマイク」、2度のTVアニメを経て初めての劇場用長編アニメ映画が公開中です。
その最大の特徴は何と言っても劇場公開用映画としては日本で初めてとなる観客の投票によって途中の展開と結末が変わる観客参加型のインタラクティブムービーである点です。観客は事前にアプリをダウンロードし、本編開始前にスクリーンに表示されるQRコードを読み取ることでエントリー。本編が始まると所定の箇所でスマホに投票画面が表示され、その結果によって映画の展開が変わります。その展開は48パターン、そして7パターンの結末が用意されています。展開により上映時間も変動し最大で7分程度変わるとか。ものの例えではなく本当に「観る度に変わる」映画です。鑑賞料金も通常より高めの2,500円に設定されている作品ですが、かかる手間暇を思えば妥当なところでしょう。
凝った趣向ゆえにプロット自体はとてもシンプル。
冒頭に中王区も含めた7つのディビジョンのチームのあり様を見せるエピソードをイントロダクションとして展開した後は、最後までひたすらにラップバトル。トーナメントを勝ち上がったチームが王者たる中王区とファイナルマッチを戦い勝者を決します。上映時間の大半をラップバトルに注ぎ込んでいる点や、場内の雰囲気も含めてその日その回を観た人たちだけが共有できる即時性を有しているため実質的に映画というよりライブを観ている感覚が近いです。
投票結果はアプリの画面で表示される以外にオフィシャルサイトでも閲覧できるようになっているのもポイント。しかも各劇場の全上映回の結果が確認でき、それぞれの劇場の傾向が見えるのが面白い。例えば名古屋市内では5箇所で上映されていますが、多くは満遍なく結果が散らばっているのに対して唯一ミッドランドスクエアだけは地元志向が強固で90%を超える勝率でナゴヤ・ディビジョン「Bad ass temple」の圧勝です。ナゴヤ・ディビジョンエンド以外を観たいなら他の映画館へ行くべき、なんて事が読み取れます。
コロナ禍によって配信で映画を観ることが浸透してしまった結果、映画は「映画を映画館で観る」という根底そのものが問い直される時期に来ています。それは自宅では不可能な映像と音響のスペックでゴージャスな体験を味わってもらうことであったり、あるいは今まで名前しか聞いたことの無かった古い作品を掘り起こして紹介することであったり、様々な試みがなされていますが「時を改めれば違うものが見える」という形態もまた製作の手間を思えば主流には決してならないだろうとは言え、一つのあり方の提示となっていると言えるでしょう。映画を観に行くということは2時間非日常に身を預けること。そんなことを思い出させてくれる鑑賞体験でした。
何ならもう一度くらい観てもいい。というか中王区のお姉さまたちが勝利するところはちょっと観たい(笑)。
先月「宇宙よりも遠い場所」を完走した後、次に観たのが「僕の心のヤバイやつ」。ちょっと厨二病こじらせた少年とクラスメイトの少女との不器用な初恋を描くラブコメアニメです。主人公市川の心象描写や図書室や保健室など学校のロケーション、年中行事を使ったエピソードの組み立て方がとても上手く、とっくに錆びついて忘れ去ったと思っていた遠い昔の記憶の引き出しが開くような感覚に身悶えしたり締め付けられたり。こんな感覚に捉われるアニメも久しく無く、観ている時間もまた宝物のようでした。
こんばんは、小島@監督です。
「僕ヤバ」は新規カットを交えた劇場用の総集編を準備中だとか。アレを?スクリーンで?とても観たいが耐えられるかしら。
さて、今回の映画は「ノー・アザー・ランド/故郷は他にない」です。
ヨルダン川西岸のマサーフェル・ヤッタで暮らすパレスチナ人の青年バーセルはイスラエル軍の占領が進み隣人たちの家が取り壊されていく様をカメラで撮影し続け、世界へ発信していた。そんな彼の元へイスラエル人ジャーナリスト・ユヴァルが訪れる。自国政府の暴力的な行いに忸怩たるものを感じていたユヴァルは危険を承知でマサーフェル・ヤッタへ赴いて来たのだ。同じ思いで行動する2人はやがて友となるが、軍の破壊行為は日に日に過激さを増していく。
イスラエルとパレスチナ、現代史においてあまりに深く憎悪と悲哀の爆心地であり続けた地で今何が起きているのか、それこそ当事者の目線で語られるドキュメンタリーです。マサーフェル・ヤッタは1967年からイスラエル占領下にある地域でありイスラエル政府は軍の訓練場の建設を決定し、また最高裁判所もその姿勢を支持したことで住民の強制移住が推し進められています。まるで真綿で首を絞めるかのように日ごと週ごとに1軒ずつ取り壊されていく家屋。時には学校のような公共の場さえ破壊されていきます。その様をパレスチナ人ジャーナリストでこの映画の共同監督の1人であるパーセル・アドラーはひたすらに撮影し続け発信を繰り返して来ました。
井戸さえ埋められ生活を断たれていく住民たち、しかも軍の訓練場と言いながら何故かイスラエルから入植者たちが現れ住宅が建築されていく。さらには入植者たちが暴徒化して住民を襲い死者まで出る事件も発生。重大な人権侵害と侵略行為を観客は目の当たりにします。アクション映画のようにヒーローが駆けつけることは無く、ただただ理不尽に晒される姿が捉えられています。
当事者が撮影しているが故に主観的な視線を獲得したこの映画は、破壊行為に対し決然と立ち向かう一方で呆然としながらただカメラを回すしかない無力感すらも浮き彫りにして行きます。この映画が強いのは、ギリギリのところで折れてはいないという点でしょう。この映画が誕生したこと自体が国境を超えた連帯の結実とも言え、そこに一筋の希望が見出せます。
まさにジャーナリズムの矜持を感じさせるこの映画は各地で絶賛され、ベルリン国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞と観客賞をW受賞しただけでなく、先日アメリカでアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を獲得しました。特にアカデミー賞での受賞は私としては正直意外で、トランプ政権発足後パレスチナへの人道支援の中止を決定するなどイスラエルへの支持を打ち出した政府の方針に異を唱えるような姿勢を見せる気骨が今のハリウッドにあるとはちょっと思っていなかったからです。
観ていて苦しくなるような作品ですが、それでも向き合うべきものがある力作。
当のイスラエルでは政府主導の上映中止運動が起こるほど、今渦中にいる一本です。これが普通に観られるということはまだそれに触れられる自由があるという事。祈りと決死の覚悟が宿ったこの映画が、1人でも多くの方の目に留まりますように。
こんばんは、小島@監督です。
「僕ヤバ」は新規カットを交えた劇場用の総集編を準備中だとか。アレを?スクリーンで?とても観たいが耐えられるかしら。
さて、今回の映画は「ノー・アザー・ランド/故郷は他にない」です。
ヨルダン川西岸のマサーフェル・ヤッタで暮らすパレスチナ人の青年バーセルはイスラエル軍の占領が進み隣人たちの家が取り壊されていく様をカメラで撮影し続け、世界へ発信していた。そんな彼の元へイスラエル人ジャーナリスト・ユヴァルが訪れる。自国政府の暴力的な行いに忸怩たるものを感じていたユヴァルは危険を承知でマサーフェル・ヤッタへ赴いて来たのだ。同じ思いで行動する2人はやがて友となるが、軍の破壊行為は日に日に過激さを増していく。
イスラエルとパレスチナ、現代史においてあまりに深く憎悪と悲哀の爆心地であり続けた地で今何が起きているのか、それこそ当事者の目線で語られるドキュメンタリーです。マサーフェル・ヤッタは1967年からイスラエル占領下にある地域でありイスラエル政府は軍の訓練場の建設を決定し、また最高裁判所もその姿勢を支持したことで住民の強制移住が推し進められています。まるで真綿で首を絞めるかのように日ごと週ごとに1軒ずつ取り壊されていく家屋。時には学校のような公共の場さえ破壊されていきます。その様をパレスチナ人ジャーナリストでこの映画の共同監督の1人であるパーセル・アドラーはひたすらに撮影し続け発信を繰り返して来ました。
井戸さえ埋められ生活を断たれていく住民たち、しかも軍の訓練場と言いながら何故かイスラエルから入植者たちが現れ住宅が建築されていく。さらには入植者たちが暴徒化して住民を襲い死者まで出る事件も発生。重大な人権侵害と侵略行為を観客は目の当たりにします。アクション映画のようにヒーローが駆けつけることは無く、ただただ理不尽に晒される姿が捉えられています。
当事者が撮影しているが故に主観的な視線を獲得したこの映画は、破壊行為に対し決然と立ち向かう一方で呆然としながらただカメラを回すしかない無力感すらも浮き彫りにして行きます。この映画が強いのは、ギリギリのところで折れてはいないという点でしょう。この映画が誕生したこと自体が国境を超えた連帯の結実とも言え、そこに一筋の希望が見出せます。
まさにジャーナリズムの矜持を感じさせるこの映画は各地で絶賛され、ベルリン国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞と観客賞をW受賞しただけでなく、先日アメリカでアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を獲得しました。特にアカデミー賞での受賞は私としては正直意外で、トランプ政権発足後パレスチナへの人道支援の中止を決定するなどイスラエルへの支持を打ち出した政府の方針に異を唱えるような姿勢を見せる気骨が今のハリウッドにあるとはちょっと思っていなかったからです。
観ていて苦しくなるような作品ですが、それでも向き合うべきものがある力作。
当のイスラエルでは政府主導の上映中止運動が起こるほど、今渦中にいる一本です。これが普通に観られるということはまだそれに触れられる自由があるという事。祈りと決死の覚悟が宿ったこの映画が、1人でも多くの方の目に留まりますように。