昨日放送された「M-1グランプリ」、ご覧になった方も多いでしょう。優勝したたくろうも見事でしたが、私的にストライクだったのはドンデコルテ。報われずにいる中年の機微と不平不満をすくい上げ的確に言語化して笑いに昇華させる凄みに痺れました。選んでいた言葉からして恐らく社会学にも造詣がある上に異様なほど巧みな話術。長年埋もれたこんな才能がフッと輝き出す瞬間を見られるのが「M-1」の面白さですね。
こんばんは、小島@監督です。
ドンデコルテ、しばらく注目していよう。
さて、今回の映画は「WEAPONS/ウェポンズ」です。
その夜、午前2時17分。メイブルック小学校のジャスティン・ギャンディ(ジュリア・ガーナー)が担任を受け持つクラスの生徒たちが1人を残して同時にベッドから起き上がり闇夜へ駆け出してそのまま失踪した。警察はジャスティンと唯一残った生徒アレックス・リリーを聴取するが手掛かりは得られず1ヶ月が経過した。生徒は戻らず事件の犯人と疑われ休職を余儀無くされたジャスティンは、アレックスと接触を試みるが。
一方で息子が失踪したアーチャー・グラフ(ジョシュ・ブローリン)も遅々として進まない捜査に業を煮やし自身でも調査を開始。すると監視カメラの映像からある異様な状況に気付くのだが。
ホラー小説の大家スティーブン・キング、あるいはスティーブン・スピルバーグ監督の映画では郊外を舞台にした作品が度々登場します。1970年代に州間高速道路(インターステイト・ハイウェイ)が整備され、過密化した都市部からいわゆる中流層が離れて新興住宅街が全米各地に造成され、都市へのアクセスも容易なそれらの街は通勤のベッドタウンとしての機能も果たしつつそれぞれが「アメリカ」の縮図となりました。キングやスピルバーグはそう言った「郊外」が持つ舞台の可能性にいち早く着眼し一時代を築いたと言って良いでしょう。それから半世紀近くを経て物語の舞台として定着した「郊外」は、近年でも「ゴーストバスターズ/アフターライフ」などの秀作が登場しています。今作「WEAPONS/ウェポンズ」も間違い無くその系譜に名を連ねるモダンホラーの逸品です。
「これはある街で起きた、本当の話」という少女の声の語り出しで映画は始まります。郊外の小学校の生徒が1クラスぶんまるごと失踪し、大人たちは慌てふためき、警察の捜査も難航、自分たちでは解決できぬまま多くの者が亡くなったという。もうこのイントロだけで掴みはバッチリ、この手のジャンル映画にしては長い128分という上映時間も何のその、謎多き前半から怒涛の後半まで観客を強力に牽引します。
映画は少々特殊な構造をしており、キャラクターの名を冠した6つの章で構成されています。各章はジャスティンやアーチャーなど章題となった人物の視点で展開、いわゆる「羅生門」的構造です。それぞれのエピソードは時系列では部分的に重なっており、章が進むにつれて全体像が見えていきます。観客は1章2章ではそもそもの行方すら掴ませない展開に、後半全貌が見えた後も「コレどうやって落とすの!?」という状況に翻弄されます。その翻弄のされ方がとても楽しい、というのがこの映画の面白さです。最後の一発逆転ぶりはもう「ジョジョの奇妙な冒険」でも読んでいるかのよう。提示されている粗筋と全く結び付かない「WEAPONS/ウェポンズ」というタイトルも、最後まで観ればなるほどというほかありません。
フイっとこういうのが登場して来るから映画を観るのはやめられません。
この作品も当初配信スルーになる予定だったと聞きます。本国での好評を受けて劇場公開へと舵を切った今作はワーナー・ブラザース・ジャパンの最後の洋画配給作品となりました。最後に挙げるにはクセの強い花火ですが、それもまたらしいというところでしょうか。
公開ももう終盤に差し掛かっていますが、ブッ飛んだユニークな映画が欲しい方は是非どうぞ。
こんばんは、小島@監督です。
ドンデコルテ、しばらく注目していよう。
さて、今回の映画は「WEAPONS/ウェポンズ」です。
その夜、午前2時17分。メイブルック小学校のジャスティン・ギャンディ(ジュリア・ガーナー)が担任を受け持つクラスの生徒たちが1人を残して同時にベッドから起き上がり闇夜へ駆け出してそのまま失踪した。警察はジャスティンと唯一残った生徒アレックス・リリーを聴取するが手掛かりは得られず1ヶ月が経過した。生徒は戻らず事件の犯人と疑われ休職を余儀無くされたジャスティンは、アレックスと接触を試みるが。
一方で息子が失踪したアーチャー・グラフ(ジョシュ・ブローリン)も遅々として進まない捜査に業を煮やし自身でも調査を開始。すると監視カメラの映像からある異様な状況に気付くのだが。
ホラー小説の大家スティーブン・キング、あるいはスティーブン・スピルバーグ監督の映画では郊外を舞台にした作品が度々登場します。1970年代に州間高速道路(インターステイト・ハイウェイ)が整備され、過密化した都市部からいわゆる中流層が離れて新興住宅街が全米各地に造成され、都市へのアクセスも容易なそれらの街は通勤のベッドタウンとしての機能も果たしつつそれぞれが「アメリカ」の縮図となりました。キングやスピルバーグはそう言った「郊外」が持つ舞台の可能性にいち早く着眼し一時代を築いたと言って良いでしょう。それから半世紀近くを経て物語の舞台として定着した「郊外」は、近年でも「ゴーストバスターズ/アフターライフ」などの秀作が登場しています。今作「WEAPONS/ウェポンズ」も間違い無くその系譜に名を連ねるモダンホラーの逸品です。
「これはある街で起きた、本当の話」という少女の声の語り出しで映画は始まります。郊外の小学校の生徒が1クラスぶんまるごと失踪し、大人たちは慌てふためき、警察の捜査も難航、自分たちでは解決できぬまま多くの者が亡くなったという。もうこのイントロだけで掴みはバッチリ、この手のジャンル映画にしては長い128分という上映時間も何のその、謎多き前半から怒涛の後半まで観客を強力に牽引します。
映画は少々特殊な構造をしており、キャラクターの名を冠した6つの章で構成されています。各章はジャスティンやアーチャーなど章題となった人物の視点で展開、いわゆる「羅生門」的構造です。それぞれのエピソードは時系列では部分的に重なっており、章が進むにつれて全体像が見えていきます。観客は1章2章ではそもそもの行方すら掴ませない展開に、後半全貌が見えた後も「コレどうやって落とすの!?」という状況に翻弄されます。その翻弄のされ方がとても楽しい、というのがこの映画の面白さです。最後の一発逆転ぶりはもう「ジョジョの奇妙な冒険」でも読んでいるかのよう。提示されている粗筋と全く結び付かない「WEAPONS/ウェポンズ」というタイトルも、最後まで観ればなるほどというほかありません。
フイっとこういうのが登場して来るから映画を観るのはやめられません。
この作品も当初配信スルーになる予定だったと聞きます。本国での好評を受けて劇場公開へと舵を切った今作はワーナー・ブラザース・ジャパンの最後の洋画配給作品となりました。最後に挙げるにはクセの強い花火ですが、それもまたらしいというところでしょうか。
公開ももう終盤に差し掛かっていますが、ブッ飛んだユニークな映画が欲しい方は是非どうぞ。
いや〜近鉄特急「ひのとり」、想像以上に快適ですね!新幹線より安いし!
大阪行く機会があればまた使おう。
こんばんは、小島@監督です。
なお行きは先に病院へ寄ったら思いのほか待ち時間が長くて予約した新幹線に間に合わなかった模様。
さて、そんなわけでこの土日京セラドーム大阪まで「THE IDOLM@STER M@STERS OF IDOL WORLD 2025 」を観に行って来ました。「アイドルマスター」シリーズ20周年を記念し、「765プロオールスターズ」「シンデレラガールズ」「ミリオンライブ」「SideM」「シャイニーカラーズ」「学園アイドルマスター」の6ブランドに加えてvtuberプロジェクト「vα-liv(ヴイアライヴ)」もゲスト枠で登場、Day1とDay2で出演者は総入れ替えし、2日間の総出演者数は118人にも上るという破格の規模でのライブイベントです。こんなお祭りはそれはもう観に行くしかない。
そんなDay1、私なんとチケットの席番がアリーナ席最前列。
ドームライブでアリーナ最前列。そんなチケット引ける日が人生にあるとは。しかもDay1は自担の水瀬伊織役釘宮理恵さんと北条加蓮役渕上舞さんが両方出演。最早ただの本気では足りない。出ましたよ、過去イチの声が。自分はまだこんな声出せるんだ。
開幕全員登場したところで自分の席位置がちょうど箱崎星梨花役麻倉ももさんの立ち位置の真正面で「もちょカワイイ…」と思いながらオープニングMC観てたり、最後の曲「アイNEED YOU」で三峰結華役希水しおさんがもうニコニコしながらウッキウキで踊ってるのが可愛らしくてその動きを真似してたら指差しながら満面の笑みで返してくれて何かちょっとファンになりそうだったり、何より荷物になるから持って行くのを最後まで迷いながら結局持って行った伊織ジャンボうちわに釘宮理恵さんがリアクションくれたのが最高に嬉しかった。
けれどDay1は夢心地過ぎてところどころのポイントでしか覚えていることが無くてあの曲のどこがどうとか何も言えません(笑)
さすがにDay2はスタンド席。心穏やかに観ていられました(笑)。
両日ともセットリストの大半で他ブランドの誰かが混じってくる、ものの表現で「越境する」と言い回したりする歌唱メンバー構成でゴージャスなお祭り感を演出しています。そのメンバーも何かしら作品の文脈をベースに人選しているのでそれが分かるとなお楽しいのがミソ。中でも技アリはSideMの元教師トリオ「S.E.M」の楽曲「From teacher to future!」に2番から「学園アイドルマスター」のメンバーが入ってくる演出が胸熱。教師から生徒へ、またアイドルとしての先輩から後輩へのエールとして歌詞の持つ力を最大限に活かすステージでした。
欲を言えば多くの曲数を聴かせたい意図は充分に分かるしお祭りとしては確かに面白いもののメドレーパートがせっかくならフルコーラスで聴きたかったものが多かったことと、特にDay2は歌唱力の高いメンバーが多かったので何曲かバラードも聴いてみたかったこと、後はブロック毎のMCが非常に短く約4時間中あまり休憩と呼べる時間が少なかったのが難点というところでしょうか。
Day1では最後に天海春香役中村繪里子さんが花海咲季役長月あおいさんに演出用の銀テープを首に巻いて共に踊る場面があったり、Day2の最後には如月千早役今井麻美さんが「学マス」の花海佑芽役松田彩音さんを呼び止め挨拶とハグする一幕も。「それぞれの時間、それぞれの歩幅でアイマスに関わってくれたらそれが嬉しい」と客席だけでなくキャストに向けても伝える今井麻美さんの姿に救われる気分でいた人も多かったのでは無いでしょうか。きっとこうやって繋がって行くのでしょう。20年は終わりではなく通過点。自分としても否応無く段々とこれまでのような密度の濃い付き合い方はできなくなって行くのでしょうが、ふと見た時に、まだそこで輝いていてくれたら嬉しいですね。
大阪行く機会があればまた使おう。
こんばんは、小島@監督です。
なお行きは先に病院へ寄ったら思いのほか待ち時間が長くて予約した新幹線に間に合わなかった模様。
さて、そんなわけでこの土日京セラドーム大阪まで「THE IDOLM@STER M@STERS OF IDOL WORLD 2025 」を観に行って来ました。「アイドルマスター」シリーズ20周年を記念し、「765プロオールスターズ」「シンデレラガールズ」「ミリオンライブ」「SideM」「シャイニーカラーズ」「学園アイドルマスター」の6ブランドに加えてvtuberプロジェクト「vα-liv(ヴイアライヴ)」もゲスト枠で登場、Day1とDay2で出演者は総入れ替えし、2日間の総出演者数は118人にも上るという破格の規模でのライブイベントです。こんなお祭りはそれはもう観に行くしかない。
そんなDay1、私なんとチケットの席番がアリーナ席最前列。
ドームライブでアリーナ最前列。そんなチケット引ける日が人生にあるとは。しかもDay1は自担の水瀬伊織役釘宮理恵さんと北条加蓮役渕上舞さんが両方出演。最早ただの本気では足りない。出ましたよ、過去イチの声が。自分はまだこんな声出せるんだ。
開幕全員登場したところで自分の席位置がちょうど箱崎星梨花役麻倉ももさんの立ち位置の真正面で「もちょカワイイ…」と思いながらオープニングMC観てたり、最後の曲「アイNEED YOU」で三峰結華役希水しおさんがもうニコニコしながらウッキウキで踊ってるのが可愛らしくてその動きを真似してたら指差しながら満面の笑みで返してくれて何かちょっとファンになりそうだったり、何より荷物になるから持って行くのを最後まで迷いながら結局持って行った伊織ジャンボうちわに釘宮理恵さんがリアクションくれたのが最高に嬉しかった。
けれどDay1は夢心地過ぎてところどころのポイントでしか覚えていることが無くてあの曲のどこがどうとか何も言えません(笑)
さすがにDay2はスタンド席。心穏やかに観ていられました(笑)。
両日ともセットリストの大半で他ブランドの誰かが混じってくる、ものの表現で「越境する」と言い回したりする歌唱メンバー構成でゴージャスなお祭り感を演出しています。そのメンバーも何かしら作品の文脈をベースに人選しているのでそれが分かるとなお楽しいのがミソ。中でも技アリはSideMの元教師トリオ「S.E.M」の楽曲「From teacher to future!」に2番から「学園アイドルマスター」のメンバーが入ってくる演出が胸熱。教師から生徒へ、またアイドルとしての先輩から後輩へのエールとして歌詞の持つ力を最大限に活かすステージでした。
欲を言えば多くの曲数を聴かせたい意図は充分に分かるしお祭りとしては確かに面白いもののメドレーパートがせっかくならフルコーラスで聴きたかったものが多かったことと、特にDay2は歌唱力の高いメンバーが多かったので何曲かバラードも聴いてみたかったこと、後はブロック毎のMCが非常に短く約4時間中あまり休憩と呼べる時間が少なかったのが難点というところでしょうか。
Day1では最後に天海春香役中村繪里子さんが花海咲季役長月あおいさんに演出用の銀テープを首に巻いて共に踊る場面があったり、Day2の最後には如月千早役今井麻美さんが「学マス」の花海佑芽役松田彩音さんを呼び止め挨拶とハグする一幕も。「それぞれの時間、それぞれの歩幅でアイマスに関わってくれたらそれが嬉しい」と客席だけでなくキャストに向けても伝える今井麻美さんの姿に救われる気分でいた人も多かったのでは無いでしょうか。きっとこうやって繋がって行くのでしょう。20年は終わりではなく通過点。自分としても否応無く段々とこれまでのような密度の濃い付き合い方はできなくなって行くのでしょうが、ふと見た時に、まだそこで輝いていてくれたら嬉しいですね。
約10年間楽しませてもらって来た「僕のヒーローアカデミア」がいよいよ今週で最終回。これまでの積み重ねの全てが収束して行った最終決戦の昂揚とは打って変わって、1人1人の痛みと後悔、そして踏み出す一歩をじっくりと描くエピローグはまさに万感の極み。最後に緑谷出久たちはどこへたどり着くのか、放送が待ち遠しいような、彼らとの別れを迎えたくないようなそんな複雑な気分です。
こんばんは、小島@監督です。
最終回放送に合わせてFINAL SEASON全話を一挙上映するイベントも。先約が無ければ行きたかった…ッ!
さて、今回の映画は「果てしなきスカーレット」です。
16世紀デンマーク、王弟クローディアス(声・役所広司)と王妃ガートルード(声・斉藤由貴)の謀略により国王アムレット(声・市村正親)は処刑された。父の復讐を誓った王女スカーレット(声・芦田愛菜)だったが、果たすことなくクローディアスにより毒を盛られ気付いたときには「死者の国」にいた。現世で死んだ者が堕とされる場所だという死者の国だが、何故かクローディアスもまたこの世界にいることを知り、改めて復讐を果たすことを誓った。
そんな中、スカーレットは現代の日本から死者の国にやって来た看護師・聖(声・岡田将生)と出会う。成り行きで共に死者の国を旅することになった2人。この出会いはスカーレットの復讐に何をもたらすのか。
「時をかける少女」「竜とそばかすの姫」などで現代日本アニメーションのトップクリエイターの1人である細田守監督、大きな規模で公開されるのが常の監督なので万人向けの映画を作れる方のように思えますがその実かなり思想が強い方です。「バケモノの子」(2015年)以降原作・脚本も一手に手掛けているのもフィルムメーカーとしての我の強さ故でしょう。そんな細田守監督、今は古典に興味があるのでしょうか、「竜とそばかすの姫」では「美女と野獣」が大きくフィーチャーされていましたが、今作ではシェイクスピアの「ハムレット」をベースにダンテの「神曲」の要素などを織り交ぜたダークファンタジーを作り上げて来ました。
蓋を開けたらあまりの不入りに驚きましたが、では愚にもつかない程の駄作かと言えばそんなことはありません。生者の世界と死者の世界を手描きの2Dとセルルックの3DCGとで描き分けたビジュアルはその色彩感覚、カット単位の情報量の多さも相まって迫力充分です。エフェクトを多用して迫力を醸成する昨今の主流とは一線を画し、映像の面白さで言ったら間違いなく今年トップクラスでしょう。
問題とされるシナリオですが、破綻していると言われてもいますが実は意外とロジカル。言っては何ですが「ハウルの動く城」以降の宮崎駿監督作品の方がよほど破綻しています。
恐らくはハムレットとオフィーリアの要素を両方入れ込ませたであろうスカーレットは変に人物像がブレたキャラクターとして描かれていますが、少女期に父を謀殺され復讐を誓った時にある意味で成長が止まっており、肉体的な成熟とは裏腹に精神面では未成熟という歪つさを宿していると言えば理解できます。
映像の力が強い割にはセリフで語っている比率が高いのはシェイクスピアを意識しているからでしょうか。シェイクスピア劇というのはまずセリフやダイアログを意識して組み上げるものと聞きます。ただそれ故に例えば「鬼滅の刃」のような多弁さとは別種の、アニメにしては珍しい過剰さが付いて回るのでその辺が気になる人には気になってしまうでしょう。
何より、出演者の皆さんとても良い演技をしてくれているものの、芦田愛菜、岡田将生を筆頭に役所広司、市村正親、斉藤由貴、吉田鋼太郎、松重豊、染谷将太らというそうそうたるメンバーでシェイクスピア劇の翻案をやるならそれはもう舞台で観たくないかい?という欲求を越えるイメージを提供し切れていないのが一番の問題のように思えます。
400館規模で公開されるにしては「商品」としての性格より作家の我が前面に出た「作品」としての個性が強すぎるためストライクゾーンが異様に狭く、正直ちょっと薦めづらいのも確かです(苦笑)。しかし否定が強めの賛否両論になるのは頷けますが、初動からつまずいたのにはやはり驚きを隠せません。TV局主導やタイアップ攻勢を含めた宣伝戦略の在り方など映画興行も時代が変わりつつあるのかもしれませんね。それでも配信で流れるようになったり地上波放送が繰り返されたりする内に評価がちょっとずつ変わっていくような、そんな予感もあるような無いような。ただ今更来場者特典付けるのはさすがに遅いとしか(苦笑)
こんばんは、小島@監督です。
最終回放送に合わせてFINAL SEASON全話を一挙上映するイベントも。先約が無ければ行きたかった…ッ!
さて、今回の映画は「果てしなきスカーレット」です。
16世紀デンマーク、王弟クローディアス(声・役所広司)と王妃ガートルード(声・斉藤由貴)の謀略により国王アムレット(声・市村正親)は処刑された。父の復讐を誓った王女スカーレット(声・芦田愛菜)だったが、果たすことなくクローディアスにより毒を盛られ気付いたときには「死者の国」にいた。現世で死んだ者が堕とされる場所だという死者の国だが、何故かクローディアスもまたこの世界にいることを知り、改めて復讐を果たすことを誓った。
そんな中、スカーレットは現代の日本から死者の国にやって来た看護師・聖(声・岡田将生)と出会う。成り行きで共に死者の国を旅することになった2人。この出会いはスカーレットの復讐に何をもたらすのか。
「時をかける少女」「竜とそばかすの姫」などで現代日本アニメーションのトップクリエイターの1人である細田守監督、大きな規模で公開されるのが常の監督なので万人向けの映画を作れる方のように思えますがその実かなり思想が強い方です。「バケモノの子」(2015年)以降原作・脚本も一手に手掛けているのもフィルムメーカーとしての我の強さ故でしょう。そんな細田守監督、今は古典に興味があるのでしょうか、「竜とそばかすの姫」では「美女と野獣」が大きくフィーチャーされていましたが、今作ではシェイクスピアの「ハムレット」をベースにダンテの「神曲」の要素などを織り交ぜたダークファンタジーを作り上げて来ました。
蓋を開けたらあまりの不入りに驚きましたが、では愚にもつかない程の駄作かと言えばそんなことはありません。生者の世界と死者の世界を手描きの2Dとセルルックの3DCGとで描き分けたビジュアルはその色彩感覚、カット単位の情報量の多さも相まって迫力充分です。エフェクトを多用して迫力を醸成する昨今の主流とは一線を画し、映像の面白さで言ったら間違いなく今年トップクラスでしょう。
問題とされるシナリオですが、破綻していると言われてもいますが実は意外とロジカル。言っては何ですが「ハウルの動く城」以降の宮崎駿監督作品の方がよほど破綻しています。
恐らくはハムレットとオフィーリアの要素を両方入れ込ませたであろうスカーレットは変に人物像がブレたキャラクターとして描かれていますが、少女期に父を謀殺され復讐を誓った時にある意味で成長が止まっており、肉体的な成熟とは裏腹に精神面では未成熟という歪つさを宿していると言えば理解できます。
映像の力が強い割にはセリフで語っている比率が高いのはシェイクスピアを意識しているからでしょうか。シェイクスピア劇というのはまずセリフやダイアログを意識して組み上げるものと聞きます。ただそれ故に例えば「鬼滅の刃」のような多弁さとは別種の、アニメにしては珍しい過剰さが付いて回るのでその辺が気になる人には気になってしまうでしょう。
何より、出演者の皆さんとても良い演技をしてくれているものの、芦田愛菜、岡田将生を筆頭に役所広司、市村正親、斉藤由貴、吉田鋼太郎、松重豊、染谷将太らというそうそうたるメンバーでシェイクスピア劇の翻案をやるならそれはもう舞台で観たくないかい?という欲求を越えるイメージを提供し切れていないのが一番の問題のように思えます。
400館規模で公開されるにしては「商品」としての性格より作家の我が前面に出た「作品」としての個性が強すぎるためストライクゾーンが異様に狭く、正直ちょっと薦めづらいのも確かです(苦笑)。しかし否定が強めの賛否両論になるのは頷けますが、初動からつまずいたのにはやはり驚きを隠せません。TV局主導やタイアップ攻勢を含めた宣伝戦略の在り方など映画興行も時代が変わりつつあるのかもしれませんね。それでも配信で流れるようになったり地上波放送が繰り返されたりする内に評価がちょっとずつ変わっていくような、そんな予感もあるような無いような。ただ今更来場者特典付けるのはさすがに遅いとしか(苦笑)
先日解禁日を迎えたボジョレー・ヌーヴォー、「11月第3木曜日」が世界共通の解禁日で日本では時差の関係で本国フランスより早めに飲むことができます、というのが売り文句の一つだったりするのですが、実はこの11月第3木曜日解禁が制定されたのが1985年。今年はちょうど40周年の節目に当たります。そんな今年、ボジョレー地域は夏場に気温高めで乾燥した日が続いたようでブドウの出来が良く、「思ったよりも美味しいぞ」というのが正直な印象。軽やかなのは当然ながら結構余韻が長く芯のある味わいしてました。
こんばんは、小島@監督です。
ショップでセール対象になる今月中旬あたりから空輸のストレスも消えて味が落ち着いて来るので飲み頃ですよフフフ。
さて、今回の映画は「ネタニヤフ調書 汚職と戦争」です。
終わりの見えないガザ・イスラエル紛争。そのキーマンたる首相ベンヤミン・ネタニヤフは汚職疑惑で在任中に刑事起訴され現在に至るも係争中の人物でもある。汚職捜査での当人や関係者への警察尋問の映像が何者かの手によりリークされた。その映像を元にジャーナリストのチームは取材を開始。権力に固執するネタニヤフの実像に切り込んでいく。
長期にわたる権力の座は、かくも人を堕落させるものなのか。
ただの露悪趣味に堕することも少なくないジャーナリズム、しかしそれでも本質は勇気にあるのではないか、そう思わせてくれるほど矜持と怒りに満ちた告発のドキュメンタリーです。イスラエルとアメリカのチームによる合作ですが、イスラエルでは圧力により上映禁止、親イスラエルの立場を取る現トランプ政権下のアメリカでも公開の目処が立っていないという作品です。極めて危険なそんな作品を観ることができるのは、地政学的にも文化的にもそこまでイスラエルにおもねる必要の無い日本だから、というのもあるでしょうか。
取調室の生々しいやり取りが見せるのは権力に固執し、収監に怯え、浮気がバレたことで妻に弱みを握られその増長を止められない、醜悪と言っても良い男の姿。類稀な記憶力を誇りながら平気で「知らない」と嘘をつき続ける太々しさ。ニュース映像で見ることのできる姿とは明らかに違うネタニヤフの姿を捉えます。利益供与した相手のために税法改正まで目論んだ(しかも実現した)という話だけでもまあまあヤバいのですが、後半になるといよいよ汚職の話だけでは済まなくなって来ます。
権力の座から下ろされたくないネタニヤフはある時期からたがが外れていったとジャーナリストたちは分析しています。そのために極右勢力と手を組み、彼らの増長を許してしまいました。またカタールを経由してハマスに資金供与していたこともあぶり出し、現在に至るジェノサイドの道行を丹念に示してくれます。数万人を犠牲にしてなお止まらない虐殺の根源のおぞましさにただただ戦慄します。それでも国家元首を相手に果敢な捜査を行う警官、取調映像をリークした誰か、自身にも身の危険があろう中で映画を製作するジャーナリストたち、さすがに我慢の限界に達して声を上げる市民たち、そんな彼らの姿に微かな希望を見い出すのみです。
リーク映像の持つ強さを最大限に活かしたかったのでしょうが、それが却って映画の語り口をくどくさせてしまっていて前半ちょっぴり眠気に襲われたりもしましたが(苦笑)、権力に溺れた者が欲望で国を破壊していく様に震え、しかしそれを克明に描き出した勇気に奮える作品です。これは決して対岸の火事ではない。
こんばんは、小島@監督です。
ショップでセール対象になる今月中旬あたりから空輸のストレスも消えて味が落ち着いて来るので飲み頃ですよフフフ。
さて、今回の映画は「ネタニヤフ調書 汚職と戦争」です。
終わりの見えないガザ・イスラエル紛争。そのキーマンたる首相ベンヤミン・ネタニヤフは汚職疑惑で在任中に刑事起訴され現在に至るも係争中の人物でもある。汚職捜査での当人や関係者への警察尋問の映像が何者かの手によりリークされた。その映像を元にジャーナリストのチームは取材を開始。権力に固執するネタニヤフの実像に切り込んでいく。
長期にわたる権力の座は、かくも人を堕落させるものなのか。
ただの露悪趣味に堕することも少なくないジャーナリズム、しかしそれでも本質は勇気にあるのではないか、そう思わせてくれるほど矜持と怒りに満ちた告発のドキュメンタリーです。イスラエルとアメリカのチームによる合作ですが、イスラエルでは圧力により上映禁止、親イスラエルの立場を取る現トランプ政権下のアメリカでも公開の目処が立っていないという作品です。極めて危険なそんな作品を観ることができるのは、地政学的にも文化的にもそこまでイスラエルにおもねる必要の無い日本だから、というのもあるでしょうか。
取調室の生々しいやり取りが見せるのは権力に固執し、収監に怯え、浮気がバレたことで妻に弱みを握られその増長を止められない、醜悪と言っても良い男の姿。類稀な記憶力を誇りながら平気で「知らない」と嘘をつき続ける太々しさ。ニュース映像で見ることのできる姿とは明らかに違うネタニヤフの姿を捉えます。利益供与した相手のために税法改正まで目論んだ(しかも実現した)という話だけでもまあまあヤバいのですが、後半になるといよいよ汚職の話だけでは済まなくなって来ます。
権力の座から下ろされたくないネタニヤフはある時期からたがが外れていったとジャーナリストたちは分析しています。そのために極右勢力と手を組み、彼らの増長を許してしまいました。またカタールを経由してハマスに資金供与していたこともあぶり出し、現在に至るジェノサイドの道行を丹念に示してくれます。数万人を犠牲にしてなお止まらない虐殺の根源のおぞましさにただただ戦慄します。それでも国家元首を相手に果敢な捜査を行う警官、取調映像をリークした誰か、自身にも身の危険があろう中で映画を製作するジャーナリストたち、さすがに我慢の限界に達して声を上げる市民たち、そんな彼らの姿に微かな希望を見い出すのみです。
リーク映像の持つ強さを最大限に活かしたかったのでしょうが、それが却って映画の語り口をくどくさせてしまっていて前半ちょっぴり眠気に襲われたりもしましたが(苦笑)、権力に溺れた者が欲望で国を破壊していく様に震え、しかしそれを克明に描き出した勇気に奮える作品です。これは決して対岸の火事ではない。
この連休中は胃腸を悪くしてしまいどこにも出かけられず家でぐったりしてました。だいぶ復調してきたもののまだ本調子とまでは行かず、明日からの出勤もちょっぴり心配。唯一のメリットはここ数日で体重が4kg落ちて血圧も上が130台だったのが110台まで下がって数字だけ見たらむしろ健康体に近づきつつあるところですね(笑)。余分な水分と塩分が体から一気に抜け落ちたようです。
こんばんは、小島@監督です。
快癒した後もこれを維持できるかどうかが問題。
さて、今回の映画は「爆弾」です。
警視庁野方署に酔っ払って暴れた1人の男が連行されて来た。スズキタゴサク(佐藤二郎)と名乗った男は、しかし自身の記憶も身分を証明できるものも持っていないという。スズキは取り調べを担当した等々力(染谷将太)に、自分は霊感があるので事件解決のための協力をさせて欲しいと申し出、「10時に秋葉原で何か起きる」と告げた。
果たして本当に秋葉原で爆発事件が発生する。スズキは更なる爆弾の存在を示唆。この異常事態に野方署には特別捜査本部が設置され、本庁から取調官として清宮(渡部篤郎)と類家(山田裕貴)が派遣され、スズキと対峙することになるのだが。
名優たちによる火花散る演技対決。劇映画や舞台劇を観るまさに醍醐味と言えるものでしょう。それを存分に味わえる珠玉のサスペンス映画です。監督は「帝一の國」「恋は雨上がりのように」などを手掛けた永井聡。CM製作でも定評のある同氏のキャリアベストと言って良い出来映えに仕上がっています。
何と言っても高い知能を持ちながら奇妙に無邪気で全体像を容易に掴ませないスズキタゴサクを演じる佐藤二郎が圧巻です。いやもうマジで何であんな死んだ魚みたいな目したまま無邪気に喋れるんだ。特徴的な10円ハゲもかつらではなく地毛をその形に剃ったとか。対する染谷将太、渡部篤郎、山田裕貴もそれに呼応するように力強い演技で映画を牽引、更に言えば現場を駆けずり回っているので直接的にはほとんどスズキと関わらない役どころを演じる伊藤沙莉や坂東龍太まで良い演技しています。
ストーリーテリングも実に巧みで、取調室の中という密室劇に近いパートが大半を占める構成ながら、微かな情報をもとに現場を駆け回る(ついでに言うと染谷将太も途中から外へ出るようになる)動的なパートを随所に入れ込ませて緩急を付けつつ、取調室でのパートも取調官の心情に合わせてカメラアングルや手ブレ、照明の強度などを繊細に微調整して撮影されており先の読ませないシナリオと共に高い緊迫感を維持し、観客を引き込みます。
また今作、ちょっと思い切りが良いと言いますか、このジャンルとこの規模の作品でほぼ社会的テーマ性ゼロのエンタメに振り切った作りになっているのもポイント高いです。娯楽に社会性など無い方が良いなんてもちろん言いませんが、変にそういう方面への色気を見せてしまうと却って興醒めになってしまうことも少なくない中では見事です。
正直なところ、中盤までの引きの強さから考えると動機や発端のあたりが弱いかなという気もしますが、登場人物に感情移入しにくいタイプの作品なのでこれはこれで良いのでしょう。娯楽映画としての完成度は極めて高いです。
公開から間も無く1ヶ月を経ようとしていますが、まだかなりの集客力を維持しているようでこの連休には満席となった映画館もあるとか。今年は特に日本映画が快進撃を続けていますが、そこに新たにもう一本加わったようですね。
こんばんは、小島@監督です。
快癒した後もこれを維持できるかどうかが問題。
さて、今回の映画は「爆弾」です。
警視庁野方署に酔っ払って暴れた1人の男が連行されて来た。スズキタゴサク(佐藤二郎)と名乗った男は、しかし自身の記憶も身分を証明できるものも持っていないという。スズキは取り調べを担当した等々力(染谷将太)に、自分は霊感があるので事件解決のための協力をさせて欲しいと申し出、「10時に秋葉原で何か起きる」と告げた。
果たして本当に秋葉原で爆発事件が発生する。スズキは更なる爆弾の存在を示唆。この異常事態に野方署には特別捜査本部が設置され、本庁から取調官として清宮(渡部篤郎)と類家(山田裕貴)が派遣され、スズキと対峙することになるのだが。
名優たちによる火花散る演技対決。劇映画や舞台劇を観るまさに醍醐味と言えるものでしょう。それを存分に味わえる珠玉のサスペンス映画です。監督は「帝一の國」「恋は雨上がりのように」などを手掛けた永井聡。CM製作でも定評のある同氏のキャリアベストと言って良い出来映えに仕上がっています。
何と言っても高い知能を持ちながら奇妙に無邪気で全体像を容易に掴ませないスズキタゴサクを演じる佐藤二郎が圧巻です。いやもうマジで何であんな死んだ魚みたいな目したまま無邪気に喋れるんだ。特徴的な10円ハゲもかつらではなく地毛をその形に剃ったとか。対する染谷将太、渡部篤郎、山田裕貴もそれに呼応するように力強い演技で映画を牽引、更に言えば現場を駆けずり回っているので直接的にはほとんどスズキと関わらない役どころを演じる伊藤沙莉や坂東龍太まで良い演技しています。
ストーリーテリングも実に巧みで、取調室の中という密室劇に近いパートが大半を占める構成ながら、微かな情報をもとに現場を駆け回る(ついでに言うと染谷将太も途中から外へ出るようになる)動的なパートを随所に入れ込ませて緩急を付けつつ、取調室でのパートも取調官の心情に合わせてカメラアングルや手ブレ、照明の強度などを繊細に微調整して撮影されており先の読ませないシナリオと共に高い緊迫感を維持し、観客を引き込みます。
また今作、ちょっと思い切りが良いと言いますか、このジャンルとこの規模の作品でほぼ社会的テーマ性ゼロのエンタメに振り切った作りになっているのもポイント高いです。娯楽に社会性など無い方が良いなんてもちろん言いませんが、変にそういう方面への色気を見せてしまうと却って興醒めになってしまうことも少なくない中では見事です。
正直なところ、中盤までの引きの強さから考えると動機や発端のあたりが弱いかなという気もしますが、登場人物に感情移入しにくいタイプの作品なのでこれはこれで良いのでしょう。娯楽映画としての完成度は極めて高いです。
公開から間も無く1ヶ月を経ようとしていますが、まだかなりの集客力を維持しているようでこの連休には満席となった映画館もあるとか。今年は特に日本映画が快進撃を続けていますが、そこに新たにもう一本加わったようですね。
NHK Eテレで深夜にひっそり放送されたのでご存知ない方が多いのではないかと思いますが、先日「駅が語れば」というドキュメンタリー番組が放送されました。JR北海道の宗谷本線、最北の無人駅と言われた抜海駅、今年3月に100年の歴史に幕を下ろした駅の最後の数ヶ月と、駅と鉄道と共に生きた人々の姿を綴った作品です。意にそまぬ結婚で鉄道に乗って駅に降り立ち、しかし献身的な夫に支えられて暮らした女性、鉄道でやって来た流れ者に家族を殺され悔恨の日々を過ごした男性、国鉄民営化の波に翻弄された駅員、そんな人々を静かに見守り続けた小さな駅。イッセー尾形と吉岡里帆の抑制の効いたナレーションに乗せて、映像も音声も降り積もる雪の如く静か。しかし余韻はどこまでも深い。油断すると泣いてしまいそうでした。あまりにも渋くて地味な作品ですが、これこそNHKの真骨頂。できればミニシアターのスクリーンで観たかった。
こんばんは、小島@監督です。
「駅が語れば」は今月20日に再放送を予定しているそうで、気になった方は是非!
さて、今回の映画は「羅小黒戦記2ぼくらが望む未来」です。
シャオヘイ(声・花澤香菜)は、師である執行人ムゲン(声・宮野真守)のもとで自身の強い力をコントロールする修業に励んでいた。
そんな折、妖精たちが暮らす集落「会館」の一つが人間の軍隊に襲撃され、妖精を殺す力を秘めた霊木「ルオムー」が強奪された。襲撃の際の映像にはムゲンの姿が捉えられており、長老たちに呼び出されたムゲンはナタ(声・水瀬いのり)の家に軟禁されることになってしまう。
シャオヘイは姉弟子であるルーイエ(声・悠木碧)と共にムゲンの嫌疑を晴らすべく行動を開始する。
「鬼滅の刃」や「チェンソーマン」が日本だけでなく世界市場でもメインストリームに躍り出て活況を呈しているように見える日本アニメ市場。しかし単純に経済規模の話だけで言えば、日本を凌ぐ大きさとなっているのが中国です。既に製作本数も日本を凌駕し、今年公開された「ナタ 魔童の大暴れ」(日本では12月26日公開予定)はアニメ映画の歴代世界興行収入を塗り替え第1位となりました。中国経済自体は失速傾向にあると聞きますが、それでも世界のエンターテインメントにおいて中国の存在は極めて大きなものになっています。
「羅小黒戦記」はもともとは2011年に小規模なWEBアニメからスタート、10年かけて中国を代表するアニメへと成長した作品です。2019年に劇場版が製作され日本では同年に字幕版が、翌年に吹替版が公開、コロナ禍に見舞われながらも口コミで評判を呼びロングランを記録、「鬼滅の刃無限列車編」が日本映画界の救世主となっていた一方で中国アニメの新潮流を印象付けました。5年ぶりの続編となった今作では、前作ではまだ残っていたインディーズっぽさも無くなりビジュアル、ストーリー両面においてスケールアップした堂々の大作です。
主人公のシャオヘイはまず前作でムゲンとの出会いを通して人間を知り、今作では姉弟子であるルーイエとの冒険の中で価値観の相違と相克を知ることになります。一方でルーイエもまたシャオヘイを通して自身の過去と再び向き合うことに。シャオヘイとルーイエの価値観の相違は技術は教えるけれど心の領域には何も押し付けないムゲンの自然体な薫陶を受け自身の眼で世界を見つめたが故に生まれているものだというところが実に味わい深い。この2人の関係性を縦糸にしつつ、襲撃事件をきっかけに緊張状態が一触即発のところまで行く妖精と人間の相互不信とその陰にうごめく陰謀を横軸に、非常にドラマ性が高くなっています。
実のところ先述の「ナタ 魔童の大暴れ」を筆頭に「白蛇:縁起」「ナタ転生」「TO BE HERO」など最近の中国アニメの主流は恐らく3DCGの方にあると思うのですが、「羅小黒戦記」はシンプルなデザインに手描きの描線を活かした2Dスタイル。キャラクター人気は主流だけれどアニメの表現としては傍流なのでちょっと独特な立ち位置なのではないかと思います。しかしそのぶん「DRAGON BALL」や「NARUTO」の遺伝子を強く感じられる映像表現は日本人には馴染みやすいのではないでしょうか。しかも超ハイクオリティ。カメラワークの見事さも加わってアクションシークエンスの迫力はこの作品の白眉です。
正しく洗練と進化を遂げた今作は、台頭する中国アニメのパワーをまざまざと見せつけてくれます。エンターテインメントとしての深みもキャラクターの魅力も増した「羅小黒戦記」、続編も期待したくなっちゃいますね。
こんばんは、小島@監督です。
「駅が語れば」は今月20日に再放送を予定しているそうで、気になった方は是非!
さて、今回の映画は「羅小黒戦記2ぼくらが望む未来」です。
シャオヘイ(声・花澤香菜)は、師である執行人ムゲン(声・宮野真守)のもとで自身の強い力をコントロールする修業に励んでいた。
そんな折、妖精たちが暮らす集落「会館」の一つが人間の軍隊に襲撃され、妖精を殺す力を秘めた霊木「ルオムー」が強奪された。襲撃の際の映像にはムゲンの姿が捉えられており、長老たちに呼び出されたムゲンはナタ(声・水瀬いのり)の家に軟禁されることになってしまう。
シャオヘイは姉弟子であるルーイエ(声・悠木碧)と共にムゲンの嫌疑を晴らすべく行動を開始する。
「鬼滅の刃」や「チェンソーマン」が日本だけでなく世界市場でもメインストリームに躍り出て活況を呈しているように見える日本アニメ市場。しかし単純に経済規模の話だけで言えば、日本を凌ぐ大きさとなっているのが中国です。既に製作本数も日本を凌駕し、今年公開された「ナタ 魔童の大暴れ」(日本では12月26日公開予定)はアニメ映画の歴代世界興行収入を塗り替え第1位となりました。中国経済自体は失速傾向にあると聞きますが、それでも世界のエンターテインメントにおいて中国の存在は極めて大きなものになっています。
「羅小黒戦記」はもともとは2011年に小規模なWEBアニメからスタート、10年かけて中国を代表するアニメへと成長した作品です。2019年に劇場版が製作され日本では同年に字幕版が、翌年に吹替版が公開、コロナ禍に見舞われながらも口コミで評判を呼びロングランを記録、「鬼滅の刃無限列車編」が日本映画界の救世主となっていた一方で中国アニメの新潮流を印象付けました。5年ぶりの続編となった今作では、前作ではまだ残っていたインディーズっぽさも無くなりビジュアル、ストーリー両面においてスケールアップした堂々の大作です。
主人公のシャオヘイはまず前作でムゲンとの出会いを通して人間を知り、今作では姉弟子であるルーイエとの冒険の中で価値観の相違と相克を知ることになります。一方でルーイエもまたシャオヘイを通して自身の過去と再び向き合うことに。シャオヘイとルーイエの価値観の相違は技術は教えるけれど心の領域には何も押し付けないムゲンの自然体な薫陶を受け自身の眼で世界を見つめたが故に生まれているものだというところが実に味わい深い。この2人の関係性を縦糸にしつつ、襲撃事件をきっかけに緊張状態が一触即発のところまで行く妖精と人間の相互不信とその陰にうごめく陰謀を横軸に、非常にドラマ性が高くなっています。
実のところ先述の「ナタ 魔童の大暴れ」を筆頭に「白蛇:縁起」「ナタ転生」「TO BE HERO」など最近の中国アニメの主流は恐らく3DCGの方にあると思うのですが、「羅小黒戦記」はシンプルなデザインに手描きの描線を活かした2Dスタイル。キャラクター人気は主流だけれどアニメの表現としては傍流なのでちょっと独特な立ち位置なのではないかと思います。しかしそのぶん「DRAGON BALL」や「NARUTO」の遺伝子を強く感じられる映像表現は日本人には馴染みやすいのではないでしょうか。しかも超ハイクオリティ。カメラワークの見事さも加わってアクションシークエンスの迫力はこの作品の白眉です。
正しく洗練と進化を遂げた今作は、台頭する中国アニメのパワーをまざまざと見せつけてくれます。エンターテインメントとしての深みもキャラクターの魅力も増した「羅小黒戦記」、続編も期待したくなっちゃいますね。
昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
といって私は今回欠席。久屋大通公園で土日開催されていた「ANYTIME WHISKY」というウィスキーのイベントにスタッフとして参加しておりました。よもや年に一度あるかどうかの休日出勤と歌会が被ってしまうとは。昨日は一日雨模様だったにも関わらず持ち込んだ商品の中には完売したものもあったりで成功と言っていい印象で歌会を諦めた甲斐もあったというもの。ただ普段デスクワーカーの身で二日間休憩時間以外は立ちっぱなしというのはさすがにきつくて一夜明けてもまだ足が重い。今日を代休にしておいて良かったぜ(笑)
こんばんは、小島@監督です。
「ANYTIME WHISKY」は来年も11月に開催が決定しています。良かったら来てくださいねー!
さて、今回の映画は「もののけ姫」です。
室町時代、貴族も将軍家の力も弱体化しつつあった頃。北の果てに暮らすエミシ一族の青年アシタカ(声・松田洋治)は、村を襲ったタタリ神と対峙した際に体に呪いを受けてしまう。呪いを絶つ手段を探るためアシタカは西方へと旅立ち、その道中で山犬に育てられた少女・サン(声・石田ゆり子)と出会う。人間を嫌うサンから森から去るように警告されるアシタカだったが、その歩みを止めること無くやがてエボシ御前(声・田中裕子)が治める「タタラ場」と呼ばれる鉄の精錬所に辿り着く。森を切り拓きながら発展を進め力を付けるタタラ場によって森に棲む者たちの生きる場が失われつつあることを知るアシタカ。その夜、タタラ場の住民たちから「もののけ姫」と呼ばれ恐れられる少女・サンがエボシ御前の命を奪うためにタタラ場を急襲した。
今年の秋はどういうわけだか私の青春時代が大挙して帰ってきています。それも特に1997~98年がピンポイントで。先週このブログでも取り上げた「劇場版新世紀エヴァンゲリオン」もそうですし、「新機動戦記ガンダムW Endless Waltz特別編」「少女革命ウテナ/アドゥレセンス黙示録」がリバイバル上映されています。配給会社に言わせても単なる偶然の産物らしいのですが。思いっきりモラトリアムな大学生していたとはいえ全てが良い時期でもなかったので観ていて何もかもを「昔は良かった」と浸れるものでもないのですが、それでもやはり10代~20代初めの時間を生きた90年代は自分の中で特別です。そんなリバイバルのビッグウェーブに最大級の大物がやってきました。
28年前に「もののけ姫」を初めて観たとき、「アニメーションが一段上に行った」と本気で震えた事を覚えています。あまりの感激に日を置かずもう一度観に行きました。重厚な物語構造と徹底した時代考証とが見事にビジュアライズされ、言葉として語るべきところと画として見せるべきところの配分も神がかり的なバランスです。冒頭から完結まで全てのカットが画面の隅まで神経が行き届いて尋常じゃない迫力を放っています。宮崎駿監督は次作「千と千尋の神隠し」をピークに良きにつけ悪しきにつけ作品の傾向がどんどん内的になっていって絵コンテのキレは増しているものの物語としては分かりにくくなっているのが特徴ですが、「もののけ姫」はシナリオのレベルも高く今現在改めて観ても作品の「格」が桁違いです。
リバイバル上映にあたり4Kリマスターが施され映像と音響がクリアになったところに更にIMAXフォーマットにアップグレードされ、恐らくこの破格の作品を最高純度で味わえる環境が提供されています。久石譲による壮大なBGMの凄みを追体験できるのももちろんですが、ほとんど記憶になかったところで結構繊細に環境音が入っているのに驚かされました。リバイバルとは言え上映館では度々満席になるほどの人気で作品の力を改めて認識できる良い機会となったのではないでしょうか。あまりの好調ぶりに先週からDolby cinema版も上映が始まりました。色彩表現が豊かなDolby cinemaでどう見えるかも興味ありますね。
様々な意向から宮崎駿作品はサブスクでの配信に乗らないためTV離れが進む昨今では浸透度が弱くなっていると聞きますが、だからこそこれをIMAXやDolby cinemaで初見できる方たちが私にはちょっとうらやましい。
「生きろ。」というキャッチコピーだった「もののけ姫」と「みんな死んでしまえばいいのに」だった「エヴァンゲリオン」、更に言えば翌年にTV放送された富野由悠季監督の「ブレンパワード」のキャッチコピーは「頼まれなくたって生きてやる」でした。「ブレンパワード」はある程度意識的だったでしょうが「もののけ姫」と「エヴァ」は偶然に対になったと聞きます。1990年代の終わりは「生きる」ことはどういうことか、どこかで問われているような時期でもありました。その時代の熱を今の方たちが微かでも感じ取ってもらえたら、嬉しいですね。
といって私は今回欠席。久屋大通公園で土日開催されていた「ANYTIME WHISKY」というウィスキーのイベントにスタッフとして参加しておりました。よもや年に一度あるかどうかの休日出勤と歌会が被ってしまうとは。昨日は一日雨模様だったにも関わらず持ち込んだ商品の中には完売したものもあったりで成功と言っていい印象で歌会を諦めた甲斐もあったというもの。ただ普段デスクワーカーの身で二日間休憩時間以外は立ちっぱなしというのはさすがにきつくて一夜明けてもまだ足が重い。今日を代休にしておいて良かったぜ(笑)
こんばんは、小島@監督です。
「ANYTIME WHISKY」は来年も11月に開催が決定しています。良かったら来てくださいねー!
さて、今回の映画は「もののけ姫」です。
室町時代、貴族も将軍家の力も弱体化しつつあった頃。北の果てに暮らすエミシ一族の青年アシタカ(声・松田洋治)は、村を襲ったタタリ神と対峙した際に体に呪いを受けてしまう。呪いを絶つ手段を探るためアシタカは西方へと旅立ち、その道中で山犬に育てられた少女・サン(声・石田ゆり子)と出会う。人間を嫌うサンから森から去るように警告されるアシタカだったが、その歩みを止めること無くやがてエボシ御前(声・田中裕子)が治める「タタラ場」と呼ばれる鉄の精錬所に辿り着く。森を切り拓きながら発展を進め力を付けるタタラ場によって森に棲む者たちの生きる場が失われつつあることを知るアシタカ。その夜、タタラ場の住民たちから「もののけ姫」と呼ばれ恐れられる少女・サンがエボシ御前の命を奪うためにタタラ場を急襲した。
今年の秋はどういうわけだか私の青春時代が大挙して帰ってきています。それも特に1997~98年がピンポイントで。先週このブログでも取り上げた「劇場版新世紀エヴァンゲリオン」もそうですし、「新機動戦記ガンダムW Endless Waltz特別編」「少女革命ウテナ/アドゥレセンス黙示録」がリバイバル上映されています。配給会社に言わせても単なる偶然の産物らしいのですが。思いっきりモラトリアムな大学生していたとはいえ全てが良い時期でもなかったので観ていて何もかもを「昔は良かった」と浸れるものでもないのですが、それでもやはり10代~20代初めの時間を生きた90年代は自分の中で特別です。そんなリバイバルのビッグウェーブに最大級の大物がやってきました。
28年前に「もののけ姫」を初めて観たとき、「アニメーションが一段上に行った」と本気で震えた事を覚えています。あまりの感激に日を置かずもう一度観に行きました。重厚な物語構造と徹底した時代考証とが見事にビジュアライズされ、言葉として語るべきところと画として見せるべきところの配分も神がかり的なバランスです。冒頭から完結まで全てのカットが画面の隅まで神経が行き届いて尋常じゃない迫力を放っています。宮崎駿監督は次作「千と千尋の神隠し」をピークに良きにつけ悪しきにつけ作品の傾向がどんどん内的になっていって絵コンテのキレは増しているものの物語としては分かりにくくなっているのが特徴ですが、「もののけ姫」はシナリオのレベルも高く今現在改めて観ても作品の「格」が桁違いです。
リバイバル上映にあたり4Kリマスターが施され映像と音響がクリアになったところに更にIMAXフォーマットにアップグレードされ、恐らくこの破格の作品を最高純度で味わえる環境が提供されています。久石譲による壮大なBGMの凄みを追体験できるのももちろんですが、ほとんど記憶になかったところで結構繊細に環境音が入っているのに驚かされました。リバイバルとは言え上映館では度々満席になるほどの人気で作品の力を改めて認識できる良い機会となったのではないでしょうか。あまりの好調ぶりに先週からDolby cinema版も上映が始まりました。色彩表現が豊かなDolby cinemaでどう見えるかも興味ありますね。
様々な意向から宮崎駿作品はサブスクでの配信に乗らないためTV離れが進む昨今では浸透度が弱くなっていると聞きますが、だからこそこれをIMAXやDolby cinemaで初見できる方たちが私にはちょっとうらやましい。
「生きろ。」というキャッチコピーだった「もののけ姫」と「みんな死んでしまえばいいのに」だった「エヴァンゲリオン」、更に言えば翌年にTV放送された富野由悠季監督の「ブレンパワード」のキャッチコピーは「頼まれなくたって生きてやる」でした。「ブレンパワード」はある程度意識的だったでしょうが「もののけ姫」と「エヴァ」は偶然に対になったと聞きます。1990年代の終わりは「生きる」ことはどういうことか、どこかで問われているような時期でもありました。その時代の熱を今の方たちが微かでも感じ取ってもらえたら、嬉しいですね。

