ちゅうカラぶろぐ


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年度末決算セールで安くなっているこの機会にと、冷蔵庫を買い替えました。今使ってるものがまだまだ使えるとは言えだいぶ古くなってガタも来始めていましたし。というか本当に長く使って来たよなと型番から製造年を調べてみたら2000年製。四半世紀も使ってました。ウチの物持ちが良いのか昔の家電が頑丈なのか。

 こんばんは、小島@監督です。
 そう言えばかつて使ってた洗濯機はほぼ30年使い込んでたっけな…

 さて、今回の映画は「パリに咲くエトワール」です。

 1912年パリ。画商を始めた叔父・若林忠(声・尾上松也)を頼りに家族の反対を押し切り絵の勉強のためにやって来た継田フジコ(声・當真あみ)。ある日、若林共々トラブルに巻き込まれたフジコを助けたのは、パリで薙刀道場を開く園井家の娘・千鶴(声・嵐莉奈)だった。家族には内緒で千鶴がバレエを夢見ていることを知ったフジコは、同じアパルトマンに住むルスラン(声・早乙女太一)の母オルガ(声・門脇麦)が元プロのバレエダンサーであることを聞きつけ、千鶴とオルガを引き合わせることにするが。

 素晴らしい作品です。まだ春先ですが、アニメーション映画としては今年を代表する作品になるかもしれません。脚本に「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の吉田玲子、キャラクターデザインに「コクリコ坂から」の近藤勝也、監督に「コードギアス」の谷口悟朗と言った錚々たる顔触れで1910年代のパリに生きる少女達を生き生きと描き上げます。実は企画が立ち上がったのは2017年、谷口悟朗監督にとっては「ONE PIECE FILM RED」よりも前、もっと言えばコロナ禍よりも前だそうで9年という時間を費やした労作です。
 時代考証、バレエ監修だけでなく殺陣やメカの作監までいる作画陣が類稀な情熱と技量を注ぎ込んでおり、全編に渡り丁寧な芝居をしていることに加えて薙刀VSフランスの棒術ラ・キャンという極めて稀な殺陣が見られるなど充実の映像が楽しめます。

 1912年のパリと言えば、1900年に開催されたパリ万国博覧会を一つの頂点として都市の繁栄と共に様々な文化が華開いていた時期で、「ベル・エポック(美しい時代)」と呼ばれています。絵画に目を向ければ19世紀末に勃興した印象主義がひと段落し「キュビスム(立体派)」や「フォービスム(野獣派)」と言った新たなアート・ムーブメントが起きていました。当時キュビスムに傾倒していた20世紀を代表する画家の1人であるパブロ・ピカソがモンパルナスに移って来たのもこの時期です。恐らく主人公フジコのモデルになった人物であろう画家・藤田嗣治(レオナール・フジタ)が渡仏したのもほぼ同じ頃。藤田嗣治は2つの世界大戦に翻弄されながらも画家として大成し、幅広い交友関係と共に愛多き人生を歩むことになります。
 バレエの方はと言えば実のところ千鶴が憧れているパリ・オペラ座バレエはこの頃は衰退期。帝政ロシアで総合芸術プロデューサーを務めていたセルゲイ・ディアギレフがパリに常設のバレエ団「バレエ・リュス」を立ち上げ「牧神の午後」「春の祭典」と言った演目でスキャンダラスな騒ぎを起こしたりしつつも最先端を走っていました。このバレエ・リュス出身であったバレリーナ、アンナ・パヴロワが自前のバレエ団「パヴロワ・カンパニー」を立ち上げたのがこの時期です。アンナ・パヴロワは1922年に全国8都市を回る訪日ツアー公演を行い日本にバレエを普及させるきっかけを作りました。
 また、「バレエ」「絵画」「ジャポニズム」「パリ」と言えば忘れてはならない画家エドガー・ドガもこの時まだ存命中。もっとも最晩年を迎えてかつての従軍経験による病気で視力が衰えつつあり、絵筆の代わりに塑像や彫刻などを製作していたとされています。
 一方でヨーロッパを不穏な影が覆いつつあり、1914年にいわゆる「サラエボ事件」をきっかけに第一次世界大戦へと突入していきます。その余波はフランスにも届き、男たちが徴兵されて少なくなってしまった結果、皮肉にも女性の社会進出が進んだ時代でもあります。フジコと千鶴がパリを駆け巡っていたのはこういう時代です。

 時代背景を非常に良くリサーチしていますが舞台装置以上には前面に出てこないのがポイント。歴史大河ロマンではなくあくまで夢と自由の街パリでのフジコと千鶴の挑戦という主軸からは外れません。リサーチした情報を画面に反映させるに当たり極めて精密に取捨選択されており、そうしているが故に観る者が観れば密やかでありながらも強烈な情報量を持っているのが分かるのが特徴です。

 物語は前半はポジティブかつアクティブなフジコが主体となって動かしているように見えるものの、やがて千鶴の方が前面に出て来ます。千鶴の方が目に見えて分かりやすいハードルとそれに対する葛藤と挑戦が描かれ、一見するとフジコは次第に主線から一歩引いたような状態になります。ここにこの映画の面白さと凄みがあります。この状態から後半明らかになるフジコの葛藤の正体には、共感できてしまう人も多いのではないでしょうか。
 更に言えばフジコと千鶴を取り巻く登場人物たちも実に魅力的で僅かな登場でもその奥に眠る「ドラマ」を感じさせてくれる造形をしており、豊かなディテールと合わせて言うなれば「無限に味がする」映画です。

 エンドクレジットまでぎっしりとアニメを観る楽しさに満ちた珠玉の逸品。これをスクリーンで味わえることの何と幸福なことでしょう。パリの街角が、あなたの訪れを待っています。

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昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
 今回入った部屋がモニターが無くてスクリーンだけだったのがちょっとツボでした。部屋には両側にソファがあるのにメンバーが全員片側に並んで座ってる図が特に。

 こんばんは、小島@監督です。
 土足厳禁の部屋が設られていたり、JOYSOUND金山はちょいちょい妙なマイナーチェンジしますね。いや今回のは単にモニターが故障してただけかもしれませんが(笑)。

 さて、今回の映画は「人狼JIN-ROH」です。

 第二次大戦敗戦後の日本、占領統治下の混迷からようやく脱し国際社会への復帰と経済成長を急ぐ中でそこからこぼれた者たちによる「セクト」と呼ばれる反体制過激派の形成を招いた。自治体警察の対応能力を超えた武力闘争が巻き起こるまでに至り深刻な社会問題となったセクトに対し、自衛隊の治安出動を回避したい政府は準軍事組織として「首都圏治安警察機構」を組織した。
 首都警とセクトとの武力衝突が勃発。地下水路を巧みに利用し爆発物を運ぶセクトに自治警も首都警も翻弄されるが首都警攻撃部隊「特機隊」はセクトを先回りして追い詰める。そんな中、特機隊伏一貴巡査(声・藤木義勝)はセクトが「赤ずきん」と呼ぶ物質運搬係の少女阿川七生(声仙台エリ)と鉢合わせる。伏は投降を呼びかけるも七生は自爆を敢行し、その衝撃の混乱に乗じてセクトのゲリラたちは逃走した。
 事態の責任を問われ伏は養成学校へ逆戻りとなった。再訓練の日々の最中、伏は七生の姉という女性雨宮圭(声・武藤寿美)と出会う。

 シネコンのプログラムに旧作のリバイバルが加わることが常態化した昨今、ありがたいと言うべきか私にとって青春時代である1990年代後半から2000年代初頭のアニメ映画がデジタルリマスターされて再上映されるという機会が増えました。そんなムーブメントに乗って名作がまた一つスクリーンに帰ってきています。
 押井守監督が映画やコミックなど様々な媒体で作品を発表してきた架空戦記シリーズ「ケルベロス・サーガ」に連なる作品で1999年製作されました(公開は翌年)。監督はリアル系作画のトップランナーである沖浦啓之。後年「NARUTO」のキャラクターデザインで世界的な知名度を獲得する西尾鉄也がキャラクターデザインと作画監督を務めています。当時アナログからデジタルへの過渡期にあったことを体現する作品で、Production I.Gが製作した長編アニメーション映画としては最後のセル撮影作品であり、同時にバンダイビジュアルが発売した最後のレーザーディスクのタイトルです。

 手描きアニメの極致と言っても良い、圧倒的なリアリズムを強烈なレベルの作画で魅せる映画です。戦闘シーン以上に人物の表情や仕草の芝居付けが際立って巧みでその技量と熱量に引き込まれます。「架空の」とは言っても高度経済成長期である1950年代末〜60年代の東京をモチーフとした背景美術も巧みで、まるで曇り空の下で撮影したかのようなくすんだ色調の背景がシビアな物語を彩り、全共闘や左派闘争を彷彿というか更に過激化した武力衝突の只中で描かれる男女の機微は、その結末と共に重い余韻を観客に残します。

 1990年代中盤から2000年代初頭のアニメーションは、製作ツールがデジタルへの移行など製作環境の激変しつつある中でアナログの技術が絶頂期に立っておりそれらがもたらした映像は今となっては特異点とも言うべきものになっています。今回4Kリマスター版となったことで薄暗いシーンでのニュアンスもより精彩に伝わるようになり、作品の魅力も割り増しに。「人狼JIN-ROH」はその到達点を感じさせてくれる作品の一つと言ってよく、「チェンソーマン」の藤本タツキが「レゼ篇」のベースにしたと公言し改めて注目が集まっているこの機会に触れてみてはいかがでしょうか。

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ソフトメーカーの老舗・日本ファルコムが創業45周年を記念して「ドラゴンスレイヤー」の新作の製作を発表したとか。「ザナドゥ」とか良くプレイしてました。「ドラゴンスレイヤー」は木屋善夫氏というプログラマーの看板のように思っていたので同氏がファルコムを去った後は遺伝子的な作品はあっても「ドラゴンスレイヤー」を名乗る作品はもう登場しないと思っていました。正直ちょっとびっくり。素敵な作品が登場すると良いですね。

 こんばんは、小島@監督です。
 それはそれとしてEggコンソール等でクラシックタイトルをプレイできる環境はあるのですが体系的に網羅したコレクションタイトルとかも出ると嬉しい。「風の伝説ザナドゥ」とか特にもう一度プレイしたい。

 さて、今回映画は「木挽町のあだ討ち」です。

 文化7年江戸・木挽町にある芝居小屋「森田座」では「仮名手本忠臣蔵」が大入満員で千穐楽を迎えていた。舞台がはねて観客が芝居小屋から出てきた頃にそれは起こった。
 美濃遠山藩士・伊納菊之助(長尾謙杜)が父・清左衛門(山口馬木也)を殺害し逃亡していた男・作兵衛(北村一輝)の首を討ち取ったのである。衆人環視の中で行われたこの事件は「木挽町の仇討ち」として江戸の語り草となっていた。
 それから一年半の時が過ぎた頃、美濃から江戸に1人の男がやって来る。菊之助の縁者を名乗る加瀬総一郎(柄本佑)は森田座を訪れ、仇討ち事件の顛末を調べ始めるのだった。

 昨年日本映画の興行記録を塗り替えた「国宝」に続き、芝居小屋を舞台とした新たな秀作の登場です。時代劇でもあると同時にミステリーでも人情劇でもある今作は2時間たっぷり観客を楽しませてくれる珠玉のエンターテインメントになっています。
 主演の柄本佑を筆頭に渡辺謙、北村一輝、瀬戸康史、滝藤賢一、正名僕蔵、山口馬木也、沢口靖子など「芝居」が分かっているメンバーが顔を揃えており、そのアンサンブルを観ているだけでも楽しい。主要人物の中では1人だけ若手である「なにわ男子」の長尾謙杜も菊之助を好演。長尾謙杜は「どうする家康」や「室町無頼」に続いての時代劇出演で、意外とこのフィールドが合っているのかもしれません。

 予告編を観た印象ではもう少し重厚感を出して来るのかと思いきや、柄本佑が実に飄々としていてかなり軽妙洒脱なテイストになっているのが特徴です。そして存外テンポが良い。実はあだ討ちの真相そのものは比較的早い段階で明らかにされますが、映画はむしろその先、加瀬総一郎は何者であるかを含めてそもそもそうなるに至った経緯をこそ主眼として物語を組み上げています。
 その一方でもう一つの主役と言えるのが芝居小屋・森田座。「小屋」と言いながらも実際は数百人の人間が戯作者、衣装方、殺陣師、髪結、小道具方など様々な役割を担って働いており、作中でも「城」に例えられているように一つの社会を形成しています。様々な出自を経て集ったはぐれ者たちと芝居を完成させるために使われた多彩な舞台装置が物語を活かす欠かせないファクターとなっています。

 メンツに支配される武家社会に対して一芸の矜持に生きるプロフェッショナルたちがせめてものカウンターを決めようとするこの物語がもたらすカタルシスは見事なまでに痛快。これぞ時代劇。こういうので良いのよこう言うので!江戸時代に歌舞伎小屋にあった「八枚看板」を思わせるエンドクレジットも粋で、万人が楽しめる作品とはこういうものを言うのでしょう。窮屈な憂世を一時忘れさせてくれる「娯楽」の醍醐味をどうぞスクリーンで味わってください。

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イランへの攻撃を起点とした中東の異変、ここ数日トップで報道されているのでご存知の方も多いと思います。世界地図が急激な勢いで書き換えられていく様にちょっと追いつける気がしません。しかし大国がしゃにむに覇道を突き進む先に何があると言うのでしょう。

 こんばんは、小島@監督です。
 それはそれとしてドバイに滞在しているフォーエバーヤングも心配でござる。

 さて、今回の映画は「僕の心のヤバイやつ」です。

 重度の中二病をこじらせた男子・市川京太郎(声・堀江瞬)、静かな世界を生きる彼の心を騒がせるのはクラスの人気者でモデルとしても活躍している山田杏奈(声・羊宮妃那)だった。図書室でおもむろにお菓子を食べる杏奈の予測不能な言動に戸惑いながら、気づけば京太郎の心は杏奈のことでいっぱいになっていく。一方で杏奈の方も図書室での何気ない日々の中、少しずつ京太郎の存在が気になっていく。

 この恋はいったいいつから始まっていたのだろう。
 桜井のりおのコミックを原作としてTVアニメが2023年に第1期、翌2024年に第2期が製作・放送された「僕の心のヤバイやつ」。TVアニメのスタッフ・キャストが再結集し、その1期2期を再編集し新作パートを追加した総集編が劇場版として公開されました。枝葉が省かれ主軸が凝縮されたことで京太郎と杏奈、2人の恋の軌跡を追走するような印象の作品です。

 ま〜観てるとニヤニヤしてしまいますよ、ええ(笑)
 物語冒頭、自己肯定感の低い京太郎はクラスの中で浮いている自分を「殻を作って閉じ籠っている」という姿すら装っています。その痛さ。それは杏奈との関わりの中で少しずつ変化が生じていき世界が広がりと色づきを見せ始めます。そんな京太郎に影響されて杏奈にも変化が現れ始めます。2人がそれぞれに恋心を抱く瞬間とそれを自覚する瞬間に時間のズレがあるのがいかにも思春期にいる者たちらしい。
 この心の機微に満ちる独特のリアリティこそがこの作品の最大の味わいで、数々のエピソードでの2人の心の揺らぎを見ていると不思議な懐かしさというか、あの頃自分はああだったなこんなだったなと、とっくの昔に忘れ去って思い出すことも無く錆びついた古い記憶の引き出しが開くような感覚があります。というか私はもう京太郎の4倍近く生きているのにまだ京太郎の気持ちが分かってしまう(苦笑)

 2期全25話ある物語を105分に凝縮されるに当たり、主線を鮮明にして構成されているので大変見やすくなっているのが特徴で、反面物語を彩ってきた数々のイベントの多くは僅かなショットで流れて行ってしまうのがちょっぴり残念。ただこれらのショットをあたらよやこはならむらの楽曲が繋いで行くのですがそれらがどれも珠玉。音楽の話をするならば、劇場版としてスクリーンで観ていると劇伴を担った牛尾憲輔の手腕の見事さ、アニメでの貢献度の高さに改めて気付かされます。

 これから先、2人には中学の卒業、高校や大学の進学など大きなライフイベントがいくつも待っています。その関係性はいやがおうにも変化させずにはおかないでしょう。そうした中で結局は疎遠になった恋人たちも数限りなくいて、京太郎と杏奈も先々どうなるかは分かりません。でもだからこそ10代前半の時期を生きる2人が今恋を華咲かせているのはとても尊いのです。
 原作はまだ続いていて、ここで終わりにはしないでできれば第3期も製作して欲しいところ。もう少し2人の軌跡を見守っていたいですね。

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久しぶりに仲間内で卓を囲んで麻雀をプレイしました。今ひとつ芳しくない戦績でしたが、普段はソフトやアプリでシングルプレイばかりなのでやっぱり楽しいですね。何故か麻雀なのに「詰み」がある状況が発生したのには笑いました。あんなことが起きようとは。

 こんばんは、小島@監督です。
 対人戦、それは変数の塊。だからこそ面白い。

 さて、今回の映画は「クライム101」です。

 アメリカ西海岸のハイウェイ「101号線」で数百万ドルの宝石が強奪される事件が相次いだ。白昼堂々犯行に及びながら痕跡を残さず宝石を奪って行くデーヴィス(クリス・ヘムズワース)。人生最大の大金を獲得するため保険会社に勤めるシャロン(ハル・ベリー)に共謀を持ちかける。
 一方、101号線上でのみ犯行に及ぶ凄腕の連続強盗犯の存在に気付いた市警のルー(マーク・ラファロ)は執念でデーヴィスに肉迫してゆく。またデーヴィスの戦果を横取りし彼を出し抜こうとオーマン(バリー・コーガン)も動き出す。それぞれの思惑が絡む中でデーヴィスは計画を実行しようとしていた。

 天と地が反転している。海に浮かぶかのような夜の街で、車の灯りが川のように流れてゆくハイウェイを浮かび上がらせる。印象的なショットと共にこの物語は始まります。ドン・ウィンズロウの犯罪小説を原作に、1本のハイウェイと犯罪計画の中で交差する人間模様が濃密に描かれます。いわゆる「フィルムノワール」に属する映画ですが、決して冷徹ではなくバート・レイトン監督の目線はどこか温かく登場人物を見つめているのが特徴です。
 
 映画は孤高の連続強盗犯であるデーヴィスを縦糸に、シャロンとルーが横糸となって織り交ざり、そこにオーマンが変数として関わってくるような構図です。完全無欠に計画を遂行しながらも人と目を合わせられないほどシャイなデーヴィスは、大きな計画を成功させて引退を目論むもののオーマンの急進により暗雲が立ち込めます。そんなデーヴィスのドラマもさることながらシャロンとルーの2人の人物像が素晴らしい。恐らくは自身の美貌と才覚で仕事を勝ち得て来たであろうシャロンは50代に差し掛かり言わば「期限切れ」の人として社内からも顧客からも軽んじられて行き、かつての自身のように若さと美貌を持って入って来た新人に成果をさらわれるあり様。ルーの方も有能であるのに「101号線の強盗」に固執するあまりに署内で孤立し家庭でも夫婦生活が破綻しています。どちらも懸命に生きてきたのに報われず出世のハシゴはとうに外され崖っぷち。それでも微かに燻る意地が、2人に挑む力を与えています。

 デーヴィス、シャロン、ルー、3人は事件を通して覚悟を決め新たな道へ踏み出す決意を固めます。そんな3人を映画は突き放したりはしません。この映画の宣伝文句には名作「ヒート」を引き合いにしていますが、そこまでハードボイルドではなく暖かく爽やかな余韻を残します。
 派手なカーアクションも映画の緊張感を維持するアクセントとして上手く機能し、主演陣の重厚な演技も相まって、骨太でいてちょっぴり懐かしさも漂う作品です。まさしく「映画らしい映画」とはこういうことを言うのだろうという一本。こういう映画を観たい人、実は結構いるんじゃないでしょうか。

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昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
 行ってみたらポップコーンマシンがあったのがハイライト。所持品の懐が深いぞ。塩味もキャラメル味も美味しく頂きました。ありがとうございます。

 こんばんは、小島@監督です。
 ポップコーン、しょっちゅう映画館に行く割に滅多に買わないので何だか久しぶりに食べた気がします。

 さて、今回の映画は「ほどなく、お別れです」です。

 就職活動が上手くいかず鬱屈した日々を過ごす大学生・清水美空(浜辺美波)には、「死んだ者の姿が見え、会話もできる」という秘密があった。ひょんなことから美空の秘密を知った葬祭プランナーの漆原礼二(目黒蓮)は、その能力を活かして欲しいと美空をスカウトする。漆原に師事する形で葬祭プランナーの道を歩むことになった美空。漆原の厳しい指導に挫けそうになりながらも彼の目指す葬儀への姿勢に憧れを抱くようになる。

 人が誰しも最後に通る「死」、それにまつわる仕事はそれ故に忌みごとのように思われることもしばしばです。しかしそこには確かに真摯に仕事に向き合う人々がいます。
 葬儀に関わる仕事を扱った映画と言えば世界的にも高い評価を得た滝田洋二郎監督・本木雅弘主演の「おくりびと」(2008年)を連想する方も多いでしょう。しかし失職した中年男性が紆余曲折の末に納棺師として生きる道を選ぶまでを描いた同作と、美空の「死者と対話できる」というファンタジーな要素と「僕等がいた」「君の瞳が問いかけている」などで青春映画の名手として知られる三木孝浩監督の手腕が相まって味わいは大きく異なります。

 非常に端正に作り上げられた映画です。物語は4つのエピソードで構成され、それぞれが独立して機能しながらも映画の起承転結として美空の成長や葛藤、漆原の変化が描かれて行きます。前半3つのエピソードで描かれた美空の成長が最後のエピソードで活きるようになっており、構成だけで言えば実に王道の青春成長譚です。そこに死者と対話できる美空の特殊性と葬祭プランナーという職業の矜持が乗り、逝く人から残された人々へと繋がる心のドラマが合わせて紡がれることで大きな感動をもたらします。
 浜辺美波と目黒蓮、主演2人の演技も素晴らしく、特に目黒蓮は言動も所作も研ぎ澄まされていて現時点でのキャリアベストと言って良いのではないでしょうか。納棺の所作などは痺れるほどです。また、4つのエピソードそれぞれに主役級の俳優を配置しているのもポイントでキャスティングの隙の無さが重厚な見応えに繋がっています。何なら私もファーストエピソードからもう涙腺がガバ。自分が観た上映回の印象で言えば2時間ずっとすすり泣きしちゃう人も少なくないようで、こういうのに弱い自覚のある方はハンカチよりもタオルを持参しましょう。

 故人を見送る葬儀の場が決して綺麗な感情だけで包まれるものでないことは多くの方が実感として味わっていることでしょう。時に凄絶な愁嘆場になってしまうこともしばしばです。しかし誰にでもいつかは訪れるものだからこそ美しい感情の中で終わりたいと思うのもまた当然の希求です。
 この映画に触れることで遠く離れた誰かや自分自身の終わり方に想いを馳せたりする方もいることでしょう。優しい感情に溢れる珠玉の一本。いつかこの作品が名画と呼ばれる日も来るかもしれません。どうぞ劇場でひたってください。

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いや流石に勝ち過ぎでは?と言いたくなってしまう衆院選。これほど勢力図が激変してしまうと少々不安になってしまいます。与党が単独過半数を取った一方で旧態化した左派勢力がほぼ壊滅状態。急進的な新進勢力が台頭しつつある中では、与党と政策議論をじっくりとかつガチンコで戦わせられるリベラル勢力の再編が急務でしょう。それにリベラル派が気付けると良いのですが。

 こんばんは、小島@監督です。
 この国の未来が明るいものであることを祈ります。

 さて、今回の映画は「HELP/復讐島」です。

 金融コンサルティング会社の戦略チームに勤めるリンダ(レイチェル・マクアダムズ)は、数字に強い能力を買われ先代CEOから次期副社長へとオファーがかかっていた。しかし先代の没後会社を引き継いだ新CEOブラッドリー(ディラン・オブライエン)はリンダの功績を一顧だにせず、大学の同期ドノヴァン(ゼイヴィア・サミュエル)を副社長に据え、リンダを左遷しようとする。しかしリンダでなければ対応できない案件がありブラッドリーはやむなくドノヴァンだけでなくリンダも同行させバンコクへ向かった。
 ところが事故に遭い飛行機が墜落。辛うじて生き残ったリンダとブラッドリーは無人島に漂着。2人だけのサバイバルが始まった。無人島においても会社と同じように横柄に命令するブラッドリーに対し、リンダは今の状況を分からせようとするが。

 サム・ライミ監督と言えば「スパイダーマン」や「ドクターストレンジ」と言ったアメコミヒーロー映画の印象が強い方も多いでしょう。しかしフィルモグラフィを振り返ればデビュー作「死霊のはらわた」に代表されるようにB級ホラーやスリラーが多く、私などもそちらの方の印象が強いです。近年は「ドント・ブリーズ」や「クロール/凶暴領域」などホラー・スリラー映画のプロデュースに回ることが多くなり監督を手掛けることが少なくなったライミ監督ですが、久しぶりに主戦場と言ってもジャンルでの監督作が登場です。

 予告編あたりを一見するとパワハラに苦しむ真面目な女性社員が事故とサバイバル生活をきっかけに上司との主従が逆転する話、言ってみればミソジニーに対するリベンジという印象で実際のところそれに間違いは無いのですが、「あれ?リンダもまあまあヤバいヤツじゃね?」と思うのにそう時間はかかりません。無人島生活を満喫しブラッドリーを支配しにかかるリンダ、リンダはさっさと切り捨てたい部下でしかないブラッドリー、無人島生活は次第にどちらもお近づきになりたくない者同士のえげつない死闘へと変わって行きます。
 人間の奥底に秘められた闇を露悪的に、かつ少々悪趣味に描くことに長けたサム・ライミ監督の手腕が本領発揮されていて舞台が整ってからは終盤間際まで実質2人芝居状態だと言うのに飽きさせる事がありません。血飛沫がブシャーと言ったりゲ○が盛大にスプラッシュしたりちょいちょいグロテスクな画が出て来るあたりに大ベテランになっても隠し切れない性(サガ)が垣間見えて面白い(笑)。
 主演レイチェル・マクアダムズも「君に読む物語」「アバウト・タイム」「シャーロック・ホームズ」など幅広い役柄を演じてきたキャリアを遺憾無く発揮してリンダを演じきり映画を牽引します。

 どこか1980〜90年代のプログラムピクチャー的な楽しさを醸す逸品。もう巨匠と呼べる領域にいながらこう言った下世話な作品を軽やかに作ってしまえるサム・ライミ監督。やっぱり彼にはB級が良く似合う。

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