前々から「そろそろ買い替えなきゃな〜」と思っていた自宅のTVがいよいよ瀕死。遂に映像がほぼ映らなくなる時が出始めました。思えば「メタルギアソリッド4」を良い画面でプレイしたいからと買ったTVを今まで使って来たのでもう15年近くになります。良くここまで使い込めたものよ。
こんばんは、小島@監督です。
自然と次に買うのは4K対応になるのでしょうが、液晶で行こうかいっそ有機ELにしようかで思案中。でもこの1ヶ月くらいの間には決めないと。
さて、今回の映画は「RRR」です。
1920年代、英国統治下のインド。森に暮らすゴーンド族のビーム(NTR JR.)はイギリス人に連れ去られた村の少女を救うべく仲間と共にデリーを訪れ、イスラム教徒の整備工一家に匿われながら少女がいると思われる総督の公邸に入り込む手段を探していた。
一方、警察官として勤めるラーマ(ラーム・チャラン)は目覚ましい活躍をしながらもインド人であるが故に昇進できないことに忸怩たる思いを抱いていた。そんな折、総督府の下にゴーンド族がさらわれた娘の奪還のために襲撃を目論んでいるとの情報がもたらされる。成功すれば昇進できるという総督夫人の宣言を受け、ラーマは捜査責任者に立候補。反英活動家の集会に潜入し、ゴーンド族の動向を調べ始める。
ある時、鉄道事故の現場に2人は偶然に出会う。巻き込まれた少年を救うために力を合わせた2人は互いの素性も知らぬままに運命的なものを感じ、これをきっかけに親友になっていく。しかし2人はまだ知らない。やがて互いに命をかけて戦いあうことになることを。
3時間、最高濃度のエネルギーを放ち続けたまま駆け抜けるような映画を作る。そんなことをやってのけられる国と言えば?
そう、インド。
「バーフバリ」2部作で世界にその名を轟かせたS.S.ラージャマウリ監督がまたとてつもない作品を世に送り出してきました。
英国統治下のインドを舞台に2人の男の友情と戦いを異様なまでの熱量と濃度で描き上げて観客を圧倒します。熱血という言葉がこれほど似合う映画もそうはありません。実はラーマとビームという主人公2人は舞台となった時代に実在した解放運動の闘士なのですが、2人は実際には1度も顔を合わせていないそうなので多分作中に登場するエピソードはほぼ創作と思われます。というか史実だったら嫌すぎる(笑)どちらかと言えば史上実在した人物を借りて「ラーマーヤナ」を思わせる神話的世界を創出したというイメージが近く、ある意味ではFGOなどとも近いノリとも言えるでしょう。
全編見せ場しかないような映画で、このメガ盛ぶりこそがインド映画の真骨頂とも言えますが、ただ勢い任せに作っているのではなく「知性」を感じさせるところに凄みがあります。一見してCGと分かるショットやエフェクトも多いですが、リアリティの補強としてCGが使われるのではなく「画面を派手に彩りたい」「映画を極限まで盛り上げたい」がために計算ずくで大嘘上等のCGを盛ってくるのでそもそもVFXの映像に対するアプローチが根底から違います。
今作を手がけたラージャマウリ監督、「バーフバリ」でもMCUシリーズや「スターウォーズ」などの映画的記憶を感じさせるシーンが登場しましたが、この作品でも例えば「モーターサイクル・ダイアリーズ」や「ランボー」を思わせるシーンが登場するものの、重要なのは単純なパロディとして映画に採り入れているのではなく映画の純度を高めるための最適解としてそれを見出し、血肉としているところにあります。
また、もう一方である種の「怒り」を感じさせる映画でもあります。それは恐らくこの世の不条理や理不尽に対しての怒り。奇しくも、と言わざるを得ないのですがこの映画の前半のクライマックスの一つである「ナートゥ・ダンス」、その撮影は2021年のウクライナ・キーウで行われました。明るく華やかであると同時に抑圧下でも自国の文化への誇りを失わない矜持を描いたエネルギッシュなこのシーンを支えた風景も今は戦禍に見舞われている理不尽。そういった理不尽への怒りをエンターテインメントへと昇華させているのです。
実は多分に「国民映画」としての色彩も強く、ある種のプロパガンダくささを感じさせる箇所もあるのですが、「映画」としての風格も純度も桁違いなのでそんなことは構わずこの強烈なビッグウェーブを全力で浴びて欲しいと思いますね。カロリーが高過ぎるので観ると体感で何㎏か痩せたような気分になれます。あるいは観るエナドリ。暗い話が多いご時世に一時全てを忘れさせてくれます。
これは映画館で観ないともったいない!
こんばんは、小島@監督です。
自然と次に買うのは4K対応になるのでしょうが、液晶で行こうかいっそ有機ELにしようかで思案中。でもこの1ヶ月くらいの間には決めないと。
さて、今回の映画は「RRR」です。
1920年代、英国統治下のインド。森に暮らすゴーンド族のビーム(NTR JR.)はイギリス人に連れ去られた村の少女を救うべく仲間と共にデリーを訪れ、イスラム教徒の整備工一家に匿われながら少女がいると思われる総督の公邸に入り込む手段を探していた。
一方、警察官として勤めるラーマ(ラーム・チャラン)は目覚ましい活躍をしながらもインド人であるが故に昇進できないことに忸怩たる思いを抱いていた。そんな折、総督府の下にゴーンド族がさらわれた娘の奪還のために襲撃を目論んでいるとの情報がもたらされる。成功すれば昇進できるという総督夫人の宣言を受け、ラーマは捜査責任者に立候補。反英活動家の集会に潜入し、ゴーンド族の動向を調べ始める。
ある時、鉄道事故の現場に2人は偶然に出会う。巻き込まれた少年を救うために力を合わせた2人は互いの素性も知らぬままに運命的なものを感じ、これをきっかけに親友になっていく。しかし2人はまだ知らない。やがて互いに命をかけて戦いあうことになることを。
3時間、最高濃度のエネルギーを放ち続けたまま駆け抜けるような映画を作る。そんなことをやってのけられる国と言えば?
そう、インド。
「バーフバリ」2部作で世界にその名を轟かせたS.S.ラージャマウリ監督がまたとてつもない作品を世に送り出してきました。
英国統治下のインドを舞台に2人の男の友情と戦いを異様なまでの熱量と濃度で描き上げて観客を圧倒します。熱血という言葉がこれほど似合う映画もそうはありません。実はラーマとビームという主人公2人は舞台となった時代に実在した解放運動の闘士なのですが、2人は実際には1度も顔を合わせていないそうなので多分作中に登場するエピソードはほぼ創作と思われます。というか史実だったら嫌すぎる(笑)どちらかと言えば史上実在した人物を借りて「ラーマーヤナ」を思わせる神話的世界を創出したというイメージが近く、ある意味ではFGOなどとも近いノリとも言えるでしょう。
全編見せ場しかないような映画で、このメガ盛ぶりこそがインド映画の真骨頂とも言えますが、ただ勢い任せに作っているのではなく「知性」を感じさせるところに凄みがあります。一見してCGと分かるショットやエフェクトも多いですが、リアリティの補強としてCGが使われるのではなく「画面を派手に彩りたい」「映画を極限まで盛り上げたい」がために計算ずくで大嘘上等のCGを盛ってくるのでそもそもVFXの映像に対するアプローチが根底から違います。
今作を手がけたラージャマウリ監督、「バーフバリ」でもMCUシリーズや「スターウォーズ」などの映画的記憶を感じさせるシーンが登場しましたが、この作品でも例えば「モーターサイクル・ダイアリーズ」や「ランボー」を思わせるシーンが登場するものの、重要なのは単純なパロディとして映画に採り入れているのではなく映画の純度を高めるための最適解としてそれを見出し、血肉としているところにあります。
また、もう一方である種の「怒り」を感じさせる映画でもあります。それは恐らくこの世の不条理や理不尽に対しての怒り。奇しくも、と言わざるを得ないのですがこの映画の前半のクライマックスの一つである「ナートゥ・ダンス」、その撮影は2021年のウクライナ・キーウで行われました。明るく華やかであると同時に抑圧下でも自国の文化への誇りを失わない矜持を描いたエネルギッシュなこのシーンを支えた風景も今は戦禍に見舞われている理不尽。そういった理不尽への怒りをエンターテインメントへと昇華させているのです。
実は多分に「国民映画」としての色彩も強く、ある種のプロパガンダくささを感じさせる箇所もあるのですが、「映画」としての風格も純度も桁違いなのでそんなことは構わずこの強烈なビッグウェーブを全力で浴びて欲しいと思いますね。カロリーが高過ぎるので観ると体感で何㎏か痩せたような気分になれます。あるいは観るエナドリ。暗い話が多いご時世に一時全てを忘れさせてくれます。
これは映画館で観ないともったいない!
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