先週とあるアメリカンウイスキー醸造所に勤務している日本人の方とお話しする機会があったのですが、偶然にも私と同じ苗字だったことで思いがけず話が盛り上がりなかなか楽しい時間を過ごせました。
その際に試飲させていただいたその醸造所のウイスキーも期待以上に美味しく、その時間も込みで鮮烈な印象を残しました。
こんばんは、小島@監督です。
せっかくだし自分用に1本仕入れてみてもいいかもしれない。
さて、今回の映画は「シェイプ・オブ・ウォーター」です。
1962年、アメリカ。1階で映画館が営業しているアパートで生活しているイライザ(サリー・ホーキンス)は、政府の研究機関で清掃員として勤務していた。声が出せないイライザにとって友人と呼べる人物は手話で会話のできる同僚のゼルダ(オクタヴィア・スペンサー)と隣人で画家を営むジャイルズ(リチャード・ジェンキンズ)くらいであった。
ある日、イライザは厳重な警備のもと運び込まれたカプセルを目撃する。カプセルの中には異形の姿をした「彼」(ダグ・ジョーンズ)が捕らえられていた。奇妙だがどこか魅惑的な姿に心惹かれたイライザは翌日から密かに周囲の目を盗んで「彼」に会いに行くようになる。
昨年ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を、今年のアカデミー賞で作品賞を獲得など賞レースを席巻したギレルモ・デル・トロ監督の新作が現在公開中です。
筋立てだけ追えば世界のどこにでも転がっていそうなありふれた題材が、無類のクリエイターの手腕によって料理されればこれほどの未見性に満ちた作品が産まれるのかと驚かされる1本です。製作を行ったのが「FOX SEARCHLIGHT PICTURES」という20世紀FOXの中でも低予算ながら自由度の高い作品を製作するスタジオで、直近ではこのブログでも取り上げました「スリー・ビルボード」もここで製作されています。
映画冒頭、その時代設定を「ハンサムな王子の時代が終わりを告げようとしている頃」(1962年はジョン・F・ケネディ大統領暗殺の前年であり、それを示唆しているのではと思われる)という表現で幕を上げるこの寓話は、一見「美女と野獣」を思わせる構図ではありますが、美女というには生活に疲れた中年女性と野獣と呼ぶには繊細な心の異形の半魚人が織りなす交流を中心にしながらも根底には寛容と不寛容の激突を骨太に描き出します。
「彼」と心を通わせるイライザとその友人たちは皆マイノリティーであり、研究機関において「彼」を虐待し続けるストリックランド(マイケル・シャノン)は、反対に不寛容の象徴というところでしょう。しかし組織の中で成功する生き方しか選べないストリックランドは、単なる悪役と呼ぶにはどこか哀しい存在に映るあたりにデル・トロ監督の手腕が伺えます。
これぞデル・トロというべきでしょう、醜く歪な中に「美」を感じさせる「彼」のデザインやレトロフューチャーな舞台美術、その色彩に独特のセンスが活かされ隅々に神経の行き届いた画面が全編に渡り展開し、この独特な世界観をビジュアル面でも支えます。時代設定が現代でないところもテーマが変に生々しくならない効果を生んでおり、そういう所にもセンスを感じさせますね。
物語は様々な要素をはらみながらやがては結末へと収束していきますが、仕込まれた伏線をきっちり回収して畳み込む語り口は見事としか言いようがありません。
しかしアカデミー賞作品賞を受賞するにはいささか「個性」が強すぎるのでないかい?という気もしますが、メキシコ出身であるギレルモ・デル・トロ監督の作品が受賞しているところ、また、メキシコを舞台とした「リメンバー・ミー」が長編アニメーション映画賞を受賞しているところも合わせて非常に政治的なメッセージを感じざるを得ない部分がありますね。深読み始めるときな臭さを感じる話ですが、単純に映画を楽しみたい場合にはこの話は忘れてください(笑)
この映画はちょっぴりグロテスクなビジュアルの向こうに愛と寛容をエモーショナルにうたい上げるまさに「おとぎ話」です。パッと見は癖が強そうですが普遍的なテーマを宿したこの傑作を、どうぞ劇場で味わってみてください。
その際に試飲させていただいたその醸造所のウイスキーも期待以上に美味しく、その時間も込みで鮮烈な印象を残しました。
こんばんは、小島@監督です。
せっかくだし自分用に1本仕入れてみてもいいかもしれない。
さて、今回の映画は「シェイプ・オブ・ウォーター」です。
1962年、アメリカ。1階で映画館が営業しているアパートで生活しているイライザ(サリー・ホーキンス)は、政府の研究機関で清掃員として勤務していた。声が出せないイライザにとって友人と呼べる人物は手話で会話のできる同僚のゼルダ(オクタヴィア・スペンサー)と隣人で画家を営むジャイルズ(リチャード・ジェンキンズ)くらいであった。
ある日、イライザは厳重な警備のもと運び込まれたカプセルを目撃する。カプセルの中には異形の姿をした「彼」(ダグ・ジョーンズ)が捕らえられていた。奇妙だがどこか魅惑的な姿に心惹かれたイライザは翌日から密かに周囲の目を盗んで「彼」に会いに行くようになる。
昨年ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を、今年のアカデミー賞で作品賞を獲得など賞レースを席巻したギレルモ・デル・トロ監督の新作が現在公開中です。
筋立てだけ追えば世界のどこにでも転がっていそうなありふれた題材が、無類のクリエイターの手腕によって料理されればこれほどの未見性に満ちた作品が産まれるのかと驚かされる1本です。製作を行ったのが「FOX SEARCHLIGHT PICTURES」という20世紀FOXの中でも低予算ながら自由度の高い作品を製作するスタジオで、直近ではこのブログでも取り上げました「スリー・ビルボード」もここで製作されています。
映画冒頭、その時代設定を「ハンサムな王子の時代が終わりを告げようとしている頃」(1962年はジョン・F・ケネディ大統領暗殺の前年であり、それを示唆しているのではと思われる)という表現で幕を上げるこの寓話は、一見「美女と野獣」を思わせる構図ではありますが、美女というには生活に疲れた中年女性と野獣と呼ぶには繊細な心の異形の半魚人が織りなす交流を中心にしながらも根底には寛容と不寛容の激突を骨太に描き出します。
「彼」と心を通わせるイライザとその友人たちは皆マイノリティーであり、研究機関において「彼」を虐待し続けるストリックランド(マイケル・シャノン)は、反対に不寛容の象徴というところでしょう。しかし組織の中で成功する生き方しか選べないストリックランドは、単なる悪役と呼ぶにはどこか哀しい存在に映るあたりにデル・トロ監督の手腕が伺えます。
これぞデル・トロというべきでしょう、醜く歪な中に「美」を感じさせる「彼」のデザインやレトロフューチャーな舞台美術、その色彩に独特のセンスが活かされ隅々に神経の行き届いた画面が全編に渡り展開し、この独特な世界観をビジュアル面でも支えます。時代設定が現代でないところもテーマが変に生々しくならない効果を生んでおり、そういう所にもセンスを感じさせますね。
物語は様々な要素をはらみながらやがては結末へと収束していきますが、仕込まれた伏線をきっちり回収して畳み込む語り口は見事としか言いようがありません。
しかしアカデミー賞作品賞を受賞するにはいささか「個性」が強すぎるのでないかい?という気もしますが、メキシコ出身であるギレルモ・デル・トロ監督の作品が受賞しているところ、また、メキシコを舞台とした「リメンバー・ミー」が長編アニメーション映画賞を受賞しているところも合わせて非常に政治的なメッセージを感じざるを得ない部分がありますね。深読み始めるときな臭さを感じる話ですが、単純に映画を楽しみたい場合にはこの話は忘れてください(笑)
この映画はちょっぴりグロテスクなビジュアルの向こうに愛と寛容をエモーショナルにうたい上げるまさに「おとぎ話」です。パッと見は癖が強そうですが普遍的なテーマを宿したこの傑作を、どうぞ劇場で味わってみてください。
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