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ちゅうカラぶろぐ


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昨日今日と東京行ってきました。
ライブイベント目当てで行ってきたのですが、それ以外の予定をほとんど決めないかなりのんびりした旅程でまったりと余暇を堪能。最近忙しなかった…というか、休み明けからきっとまた大変になるだろうというのもあって良い気分転換ができました。

こんばんは、小島@監督です。
今回宿泊先に初めて品川プリンスホテルを選んでみたけれど、規模が大きすぎて笑う。

さて、今回はその東京まで足を運んだライブ「中村繪里子Thank you LIVE ら・ら・ら・なかむランド~Love Laugh LIVE」のライブレポートです。

「アイドルマスター」の天海春香役や「宇宙戦艦ヤマト2199」の桐生美影役などで知られる中村繪里子さんは、文化放送超A+Gにて「ら・ら・ら・なかむランド~Love Laugh LIVE」というラジオ番組のパーソナリティーも務めており、その活動の一環としてCDリリースやイベントなども行っています。
…というのは知っていたんですが、ラジオは聴いた事無い、CDも持ってないという予備知識皆無のまま勢いでライブに飛び込んでみました。最近こういうの増えてる気がする、自分(笑)

アイマスガールズきってのエンターテイナーの繪里子さんがどんなステージを展開するのか楽しみでしたが、これがまたなかなか。
「なかむランド」としてイベントを行うのは今回で一区切りだそうで、その締めくくりを意識してか次々と繰り出される趣向の数々に唸ります。

まずライブのタイトルに「Thank you」とあるのはファンへの感謝の意味だけではなくこれまでにリリースしたCDの総収録曲数が39曲であるという事とも掛けており、ライブはメドレーでのアレンジを含むものの39曲全てを披露するという大盤振る舞い。
また、ライブ中に度々衣装チェンジのためのインターバルがあったのですが、その間にかつて開催されたライブの映像をスクリーンに上映してファンのテンションの流れを絶えさせないようにしている上に再びステージに現れた時にはその映像で着ていた衣装(つまり以前のライブで着ていた衣装)で登場する、という実にファンには心憎い演出が。スクリーンを積極的に演出に活用し、楽曲によってはそこに歌詞を表示して観客と一緒に歌うことを促したり、以前のライブで同じ曲を披露した時の映像をステージ上のパフォーマンスとシンクロさせて流したりしていました。
もちろんステージ中のMCも真面目な話でしんみりさせたかと思えばその直後に笑いを取ったり、やおら観客とじゃんけんを始めたり。思った以上にジャンルの広い楽曲と相まってまさに緩急自在といったライブでした。
ステージに花道を特設して観客との距離感をより近いものにしようという工夫が施してあるのもいいですね。

たまたまそのイベントの存在を知って何となく勢いで参加してみたライブでしたが中村繪里子さんの会場の隅にいる人まで一人残らず楽しませようとする気概のようなものが溢れているのがステージの最初から最後まで感じられ、今更こういう言い方するのもなんですが、惚れ惚れするような「カッコよさ」を感じるライブでした。
「なかむランド」は今回で一区切りのようですが、きっと形を変えてまた開催してくれるとおもいますし、その時が来たら再び足を運んでみたいですね。

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10月から放送が始まった「仮面ライダーゴースト」、主人公が寺の住職の息子という設定なのですが、その寺の住職代理として主人公タケルのサポートをする青年、御成さんが最近の大ヒット。

彼がその御成さん。見てくださいこのドヤ顔。
自身を「拙僧」と呼ぶほか「~ですぞ」や「~なり」といささか古風な口調で喋り、しかも超ハイテンション。ノリノリで怪事件に首を突っ込み仮面ライダーゴーストとなったタケルが戦ってる後ろで騒々しいリアクションを絶やさない面白坊主に見事にハートキャッチされ、今やゴーストは彼を観たくて観てると言っても過言ではありません。

こんばんは、小島@監督です。
御成さんをスクリーンで堪能できるなら長らく観に行っていないライダー映画に久しぶりに足を運んでもいいかもしれない。

さて、今回の映画は「ジョン・ウィック」です。

最愛の妻ヘレン(ブリジット・モイナハン)を病気で亡くした男ジョン・ウィック(キアヌ・リーブス)は悲しみの底に沈んでいた。そんな彼のもとに一匹の犬・デイジーが届けられる。それは病で余命僅かと知ったヘレンが自身の亡き後孤独となるジョンを慰めるためにと手配したものであった。
デイジーのおかげで安らぎを取り戻したかに見えたジョンの生活だが、ガソリンスタンドでロシアンマフィアの一団と遭遇したことで終わりを告げる。ジョンの乗る車に目を付けたマフィアのヨセフ・タラソフ(アルフィー・アレン)はその夜手下とともにジョンの家に押し入り、ジョンに暴行を加えデイジーを殺し車を奪っていった。
何もかも失ったジョンは復讐を決意する。ジョン・ウィックはかつて裏社会で名を馳せた暗殺者であった。封印した力と技を解き放ち、ジョンは夜の街へと降り立つのだった。

かつて「スピード」や「マトリックス」などスタイリッシュなアクションで一世を風靡したキアヌ・リーブスの、久しぶりの快作が登場です。監督は「エクスペンダブルズ」でアクション・コーディネーターを務めたチャド・スタエルスキ。これが初監督作品だそうです。

なんといってもこの映画の見どころは空手をベースとした近接戦闘と超至近距離から相手を射撃するガンアクションを組み合わせた「ガン・フー」というアクションのスタイルです。
ジョン・ウー監督の「男たちの挽歌」(1986年製作)やクリスチャン・ベールが主演した「リベリオン」(2002年製作)を思わせる、リアリティより映画的なハッタリを重視したアクションスタイルですが、銃のリロードすらアクションの中に組み込んでくるなど細かな工夫が見られ、これまであまり見たことのないアクションを見せてくれます。

無論みどころはそれだけではありません。主人公ジョン・ウィックをはじめその親友マーカス(ウィレム・デフォー)やロシアンマフィアのヨセフ・タラソフとその父にしてマフィアのボス・ヴィゴ・タラソフ(ミカエル・ニクヴェスト)など、キャラクターも細かな脇役に至るまでどこかコミック的ではあるものの皆際立っていますし、ジョンが滞在することになるコンチネンタルホテルの「あらゆる裏勢力から独立した中立地帯」という設定もある種コミックやゲーム的で面白いです。

また、ジョンが悲しみに暮れている間はほぼグレーで統一されたモノトーンに近い寒々しい色調で、復讐を決意し漆黒のスーツに身を包んで以降はそのスーツの色とは裏腹にバックグラウンドには原色に近い煌びやかな色合いが次々と現れる、ジョンが「ホームグラウンドに帰ってきた」事を色彩でも表現するその色調の変化や、スマートフォンなどの小道具の使い方などに細やかな気配りが見え、そこにキアヌ・リーブスの繊細な演技が加わる事によって、筋立てだけで言ったらボンクラ・アクション映画といっても差し支えないにも関わらずどこか深い味わいを持たせることに成功しています。

「新しいアクションを見せたい」という気概が作品全体から感じられる映画ではありますが、まだ様々な箇所に粗があるのは確かで、特にアクションの組み立てはさらに洗練させる余地もありそうです。幸いにして本国でも大ヒットしたようで既に続編の製作も決定したとかで、次はぜひさらにスマートなアクションを観てみたいですね。

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先週先々週の各週末に職場命令でフォークリフト技能講習行ってきました。
自動車の運転免許と違ってたった4日間でカリキュラムが終了するのですが、「その4日間すべて出席できなければまた改めて初日からやり直し」なのと「試験のハードルが非常に低い代わりに一度「不可」になると二度と再受講できない」という点が大きく違います。
ぶっちゃけ「不可」と断ぜられる心配はほとんどしてなかったのでむしろ心配は「4日間出席する」ことの方。今回社命で行ってるので費用は全て会社負担だったからなおのこと外せないため妙なプレッシャーが(苦笑)
カリキュラムを無事こなせてホッとしています。

こんばんは、小島@監督です。
一生使える資格が手に入ったのはいいけれど、それはそれとしてハロウィン歌会行きたかったなぁ…

さて、今回の映画は「GAMBA ガンバと仲間たち」です。

街ネズミのガンバ(声・梶裕貴)とマンプク(声・高木渉)は海の絵を見つけたことから海を目指す旅に出た。二人は港で開かれていた船乗りネズミたちの宴会に参加するが、そこに忠太(声・矢島晶子)と名乗る島ネズミが衰弱しきった姿で現れる。
忠太の暮らす夢見が島はある日イタチの襲撃を受け全滅寸前にまで追い込まれており、船乗りネズミに救けを求めてきたのだ。張り切る船乗りネズミたちだったが、イタチのリーダーが白イタチの「ノロイ(声・野村萬斎)」だと知った途端、ほとんどの船乗りネズミは尻込みして逃げてしまう。その姿に怒りを覚えたガンバは自分たちだけでもとマンプクが止めるのも聞かず忠太とともに夢見が島へ行くことを決意。
出発の日、島へ向かうのはガンバと忠太だけかと思われたが、ガンバの心意気に打たれた船乗りネズミのヨイショ(声・大塚明夫)、ガクシャ(声・池田秀一)、イカサマ(声・藤原啓治)、ボーボ(声・高戸靖広)、そしてマンプクも同行を決意。7人は夢見が島へと向かうことになる。

児童文学作家斎藤惇夫が1972年に発表した「冒険者たちガンバと十五ひきの仲間」が約40年ぶりの映像化。1975年の出崎統監督の手によるTVアニメは特に故・大塚周夫が演じたノロイの凄まじい悪役ぶりが今なお語り草になっているほどの迫力でした。

40年の時を経て再びアニメ化された「ガンバ」は、「アイアンマン」や「スパイダーマン」を手掛けたアヴィ・アラッドのプロデュースのもと、最初から世界市場を見据えて全編フルCGで製作されました。ビジュアルやキャラクターの動きがピクサー作品のようなカートゥーン調のものになっているのもおそらくこの辺りが影響しているのでしょう。CGというツールを得たことでガンバたちの躍動感がまさに「縦横無尽」といった様相になりました。3Dで上映しているところもあり、抵抗がなければそれで観てみるのも楽しいと思います。

物語の方は、95分ほどにまとめ上げている事もあり特に前半ダイジェスト的に感じられる箇所もありますが、要素を凝縮してある結果、原作がモチーフにしたという「七人の侍」(1954年製作・監督黒澤明。野武士の略奪で困窮した百姓たちがなけなしの金で侍を雇い協力して野武士と戦う物語。世界の映画作品に多大な影響を与えた)のテイストがより強調されています。アヴィ・アラッドがこの作品に着眼したのももしかしたらこの部分に共鳴したからかもしれませんね。
意外といえば意外なのがキャスティング。近年この手の作品は主要キャストが声優経験の少ない芸能人で固められることが常態化しつつありますが、その流れに抗うかのように「ガンバ」はベテラン声優がズラリの骨太なキャスティングしています。一応芸能人からノロイ役野村萬斎とヒロインともいえる忠太の姉・潮路に神田沙也加が出演していますが2人とも非常に上手いので全く気になりません。この声の部分の強みは全力で推したいところ。
余談ですが、作中池田秀一声のガクシャがノロイを「白い悪魔」と評するシーンと、大塚明夫声のヨイショにガンバが「待たせたな!」と叫ぶシーンがあり、シリアスなシーンにも関わらず思わず笑ってしまいました。分かる人は分かるネタですが、パロディで楽しませる類の作品ではないため多分天然です、アレ。

どの要素をとっても高いレベルを誇っていて、取り立てて欠点の無い作品ではありますが、敢えて欠点を挙げるとすれば「綺麗にできすぎている」点でしょうか。いささか優等生的すぎるようなところがあり、形容しがたい物足りなさのようなものをかすかに感じます。ひょっとしたら最近アクの強い作品が多く放送されている弊害みたいなものかもしれません(苦笑)
とはいえそのあたりは僅かな瑕疵なので興味のある方はぜひご覧になってみてください。

そうそう、NHK朝の連続テレビ小説「てっぱん」(2010年製作)のOPなどを手掛けた森本千絵氏の手による手描きとミニチュアや実写をコラージュした本編とは全く違うアプローチで作られたエンドロールも必見。まるで2本立てのアニメ映画を観たような気分になりますよ!最後まで席をお立ちになりませんよう。


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「アイドルマスターシンデレラガールズ」が遂に最終回に。
アイドルものというカテゴリーながら、少女たちの等身大の悩みや葛藤を描き切ってみせたシリーズとしてアイマスPとして以上に一映像作品ファンとして毎週楽しみに観ていました。
決してセリフだけに頼らない演出や、回を重ねるごとに技量が増していく声優陣の演技力にも驚かされましたし、全25話の物語の中、例えば新田美波(声・洲崎綾)とアナスタシア(声・上坂すみれ)の2人のユニット「LOVE LAIKA」のデビューが描かれたのが6話で、その転機を描いたのが20話であるというような、折り返しである13話を中心線に対応するエピソードがシンメトリー的な位置づけで登場する構成に唸りました。
前作ともいえる「アイドルマスター」でも見られた構成ではあったのですが、今作ではそれが非常に進化したように見受けられ、最終話ではライブイベント「シンデレラの舞踏会」の中でこれまでのエピソードを踏まえた描写を畳みかけるように次々と盛り込みながら、最終的に1話冒頭と対になるシーンで幕を閉じ、まさに大団円といえる結末に感無量というような思いでした。

こんばんは、小島@監督です。
来月開催されるシンデレラガールズの3rdイベントも期待値が高まる…!

さて、今回の映画は「顔のないヒトラーたち」です。

1958年フランクフルト。ドイツは戦後復興の波に乗り人々は大戦の記憶を忘れつつあった。
野心的な若き検事ヨハン・ラドマン(アレクサンダー・フェーリング)は、ジャーナリストのトーマス・グルニカ(アンドレ・シマンスキ)から元ナチス親衛隊の男が違法に教師をしていることを聞かされる。ヨハンは調査に乗り出しやがてそれが真実だと突き止めるが、検事正ウォルター・フリードベルク(ロベルト・フンガー・ビューラー)の態度は冷たい。ウォルターはしぶしぶ文部省への報告と免職の要求を行うことをヨハンに約束するが、後日グルニカからそのような処分は行われていないことを知らされる。
グルニカは言う。ヨハンと同世代の人間がアウシュビッツを知らないように「史上最悪の残虐行為は忘れ去られつつある」と。
ある日ヨハンは検事総長フリッツ・バウアー(ゲルト・フォス)に召喚された。フリッツは語る。政府機関内には未だに数多くのナチ党員がいると。そして暗い過去の蓋をこじ開ける証拠を探していると。それはヨハンにとって長い戦いの幕開けでもあった。

1963年にドイツ(旧西ドイツ)のフランクフルトで開かれた「アウシュビッツ裁判」、その裁判の開廷への道程をそれに携わった若き検事の視点で描く物語です。と言っても物語のキーマンでもあるジャーナリスト・グルニカと検事総長フリッツ・バウアーは実在の人物ですが主人公ヨハンは実に携わった検事たちの人物像を集約した架空の人物だそうです。
アウシュビッツ裁判は、ニュルンベルク裁判やアイヒマン裁判と比べると多少知名度は落ちますが、ドイツ現代史において欠く事のできない点では変わりません。この裁判がなければ悪名高いヨーゼフ・メンゲレもそこまで知れ渡ったりはしなかったかもしれませんし何よりドイツの歴史認識も現在とは異なったものになっていたでしょう。

映画序盤に描かれるエピソードにまず驚かされます。1950年代末のドイツで既に「アウシュビッツ知らない世代がいる」というのです。昨今のドイツの歴史認識の真逆を行っています。ドイツがその国内法で元ナチ党員を裁いたアウシュビッツ裁判、私はてっきり敗戦後の内省的な空気の中で必然的に行われたものだとばかり思っていました。しかしそうではなくドイツも一度は暗い過去に口を閉ざし忘れる道を選んでいたことに少なからず衝撃を受けました。そしてヨハンやフリッツたちの戦う相手とは決して犯罪者たちなどではなく忘却を選んだ「時代」そのものであることが示されます。
「時代」によって罪を犯した者たち消せない傷を負った者たちは、「時代」によってそれを忘れ去ろうとした、「何でもない普通の人たちが命令によって残虐な行為に手を染めていく」ことの恐ろしさは同じドイツ映画で一昨年に日本でも公開されヒットした「ハンナ・アーレント」でも描かれていましたが、また違うアプローチでその恐ろしさに立ち向かっていきます。

過去と真摯に向き合い、自分たちの力で清算してこそ未来への道は切り開ける。どこか祈りのような想いに突き動かされる者たちの姿を描いたこの映画は、それ故に普遍的なメッセージを宿しています。
それでいて時にユーモアを忘れず、またサスペンス的要素もありエンターテインメントとしても十分に骨太としてある、非常に稀有な作品として重厚なまでの完成度を誇っています。ドイツ映画だからと言って固い作品ばかりではないということを見事に見せつけてくれます。

まさに血のにじむような道のりの果てに堂々と負の歴史を語れる未来を獲得したドイツのその原点ともいえる史実を紡いだこの物語は、今なお過去の扱いに右往左往し隣国との関係に溝を作る私たちにも深い示唆をもたらしてくれるはず。フィクションは時に事実だけでは伝わりにくい「想い」を伝えてくれる。そんな「パワー」を宿したこの映画を、私は全力でお薦めします!

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昨日から明日にかけて、半ば降って湧いたような状況で私、只今3連休の真っ最中です。
ここ何年かお盆や正月などを除いて3連休と言えば大抵アイマス遠征絡みで力尽くで取ってきたものばかりだったので、予定の特に無い連休は久しぶり。録り溜めた映画を消化したり乗馬に行ったりかなり好きに使っています。明日はビデオではなく映画館に行って映画を観よう。

こんばんは、小島@監督です。
ま~たっぷり休めた分、次の週末辺りからまたいろいろ大変そうになるんですけどね…(苦笑)

さて、今回の映画は「ミッション・インポッシブル ローグ・ネイション」です。
公開も終盤になってようやく観に行く事が出来ました。限定上映されたIMAX版を観に行ったのですが、本編上映前のIMAXロゴの映像も「M:I」仕様になっていたのがちょっと嬉しかった(笑)

IMFのエージェント、イーサン・ハント(トム・クルーズ)とそのチームは大量の化学兵器の密売を寸前で阻止、任務完了の報告のためハントはロンドンに向かう。
しかしそこでハントは自身が追い続けた謎の組織「シンジケート」の罠にハマり拉致されてしまう。気づくとハントは拘束され、3年前に死んだはずの男が目の前にいた。拷問が今まさに始まろうとしていた時、その場に立ち会っていた謎の女イルサ(レベッカ・ファーガソン)の機転によりハントは窮地を脱することに成功する。
しかし、そんなハントを待っていたのはシンジケートの存在を信じないCIA長官との対立によるIMFの解散であった。ハントは孤立無援のまま独力でシンジケートとの戦いに飛び込むことになっていくのだった。

主演だけでなくトム・クルーズ自身が製作も務めるこのシリーズ、1996年の1作目からおよそ4,5年ごとに作られ今回で5作目になります。
シリーズの大きな特徴は毎回作品ごとに監督が変わる事ですね。1作目のブライアン・デ・パルマ以降ジョン・ウー、J・J・エイブラムス、ブラッド・バードとアクの強い個性的な作家たちとタッグを組んで作り上げてきたことがシリーズに独特のカラーを与えてきました。特にそれまでドラマ畑で活躍していたエイブラムスを抜擢した3作目はその後同氏が「スター・トレック」や「スターウォーズ」等の大作を続々手がけるようになったことを思うとその功績は計り知れないと言えるでしょう。
そして今回タッグを組んだのはクリストファー・マッカリー。「ユージュアル・サスペクツ」(1995年製作)の監督・脚本で大きな注目を浴びた人物です。トム・クルーズとは既に「ワルキューレ」(2008年)、「アウトロー」(2012年)、「オール・ユー・ニード・イズ・キル」(2014年)と、既に3度も組んだ実績があり、ある意味では「満を持して」というところなのでしょうか。

そんな今回の「M:I」は、予告編等々で散々紹介していた軍用機にしがみつくスタントがクライマックスではなく開幕いきなり登場するという大胆さに端を発し、とにかく全編サービス精神に貫かれた1本になっています。全体的にキャラクター重視の作劇で、前作の「ゴースト・プロトコル」がケレン味もたっぷりながらシナリオ自体はかなりロジカルに作られていた事を考えると好対照になっていると言えるでしょう。
また、あっけらかんとした底抜けのエンターテインメントになってるという点ではダニエル・クレイグが6代目ボンドになってからシリアスでヘビーな作風になっている「007」とも対照的と言えますね。
キャラ重視と言っても作中ウィーン・オペラハウスでのシーンで上演されているプッチーニの「トゥーランドット」がそのまま作品内でのモチーフになっていたり重要なシーンで「トゥーランドット」のアレンジがBGMとして使用されていたりと、何気に物語も結構凝った作りになっています。このあたり、分からなくても全然問題無い要素ではありますが気付くとより楽しいポイントですね。

キャラクターに比重を置いた事でアクションやスタントの重要性がより増した形になりましたが冒頭の軍用機スタントと言いアイディア・演出共に秀逸なシークエンスが続出。相変わらずスタントマンを使わずトム・クルーズ自身でほぼ全てこなしてしまおうという気概はまさに敬服の一言で、年齢的には充分に「オヤジ・アクション」になっていてもおかしくないはずなのに実にスタイリッシュです。

観客の期待を、「期待通り」でもなく、別方向に「裏切る」でもなく、期待した方向の「その上」を行こうとする、トム・クルーズのエンターテイナーとしてのスピリットが隅々にまで行き渡ったこの作品はハリウッドでも昨今クラシカルになりつつありますが、それでもこういった「王道」こそ真に人を惹きつける映画であるとも言えるでしょう。本当に楽しい映画とはこういうもの。
ラストシーンの雰囲気からしてもしかしたらトム・クルーズはもう1本くらい「M:I」をやってくれるんじゃないか感もあるので、まだまだ「不可能」を超えて行ってほしいですね。

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昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
今回初参加された方々がいらっしゃった部屋にちょいちょいお邪魔して歌聴いてみたりしましたが、皆さん歌が上手い!
次回以降もまた来てくれると嬉しいですね。

こんばんは、小島@監督です。
それにしてもいつき君はラブライブ!コラボメニューに一体いくら注ぎ込んだんだ…(笑)

さて、今回の映画は「蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ-Cadenza」です。

近未来、温暖化の影響で大地を極度に失った人類の前に霧と共に超科学的兵器を有し第2次大戦期の戦艦の姿を模した謎の艦隊が出現。「メンタルモデル」という独自の意思を持ち船員を必要とする事無く単独で行動できるその艦隊の前に人類は窮地に陥っていた。
潜水艦イ401号の艦長を務める千早群像(声・興津和幸)は、人類側に着いたメンタルモデル・イオナ(声・渕上舞)と共に霧の艦隊に戦いを挑む。
ある時、大戦艦ヒエイ(声・M・A・O)との戦いの最中、突如超戦艦ムサシ(声・釘宮理恵)が出現した。その艦上に群像は戦死したとされる父・千早翔像(声・中田譲治)の姿を発見し愕然とする。そしてその場で翔像は全世界へ向けて霧の艦隊への降伏勧告を発するのだった。

2013年秋にTVシリーズが製作され、その後TVシリーズの再編集と新作パートを織り交ぜた「DC」が今年1月に公開、原作とはストーリーを異にするアニメシリーズの完結編となる2本目の劇場版が公開されました。「アルペジオ(分散和音の一種)」がそうだからか、「アルス・ノヴァ(14世紀フランスで栄えた音楽様式)」も「DC(ダ・カーポ(曲の始めから))」も今回の「カデンツァ(独奏の即興)」も全て音楽用語でまとめられてますね。

…なんですが、実は私ひょんな事から一昨日の舞台挨拶付上映に誘われて行くまでこのシリーズ全く観た事も原作読んだ事もありませんでした。全く予備知識ゼロの状態でいきなり完結篇からの鑑賞…という作品との出会いも時には悪くないかなと誘いに乗っかって観に行った次第。
因みに舞台挨拶はタカオ役沼倉愛美さん、ヒュウガ役藤田咲さん、ミョウコウ役福原綾香さん、ナチ役佐藤聡美さんの4人が登壇されました。登壇者の名前を聞いてうっすら察した方もいらっしゃるでしょう。そうです、登壇者の半数がアイマス声優です。だから行ったようなものです。
ぬーぬーカワイイ。何度でも言う(笑)

話を映画の方に戻しましょう。
この作品を大きく特徴づけるのはその表現技法。戦艦や潜水艦のようなメカだけでなく登場人物を含めほぼ全てを3DCGで描いていますが、キャラクターは極力セルアニメに近づけてモデル化する「セルルック3D」という方法で作られTVシリーズ放送時に大きな話題になりました。
評判だけは聞いていたので一度観てみなきゃなとは思っていたのですが、まさかいきなりスクリーンで観る機会が来ようとは。
舞台挨拶の壇上でナチ役佐藤聡美さんが「どうかしている(褒め言葉)」と評していましたが、そう言いたくなる気持ちも分かるほどの迫力です。「シドニアの騎士」や「楽園追放」など、同種のスタイルで作られた作品も出てきていますが、断続的に2年以上も製作されているだけあり、キャラクターと画面の一体感などに一日の長を感じさせます。
また、アニメという媒体を最大限に活かした戦艦戦の迫力も見事です。単に艦砲射撃の撃ち合いというだけでなく文字通りの「格闘戦」が展開されるシーンもあったりするなどハッタリが効いたシーンが目白押しで、さまざまなアイディアが盛り込まれ決して単調なバトルシーンにさせないようになっているのが良いですね。

物語の方に話を移すと、まぁさすがに全くの初見なのでところどころ置いてきぼりを食らうのは致し方ない所ではありましたが、ここに至るまでにどんな事があったかセリフの端々に匂わせてくれるので全く付いて行けないという事はなく、基本骨子自体はかなりシンプルなストーリーなので結構ガッツリ楽しませてもらいました。

ピクサー作品のようなカートゥーン系でもなく、ファイナルファンタジー等のリアル系でもないまさに日本ならではの独自進化を遂げたCGアニメのこのスタイルがこれからメインストリームになって行くかどうかは分かりませんが、間違い無く表現技法のひとつの「選択肢」を得た事は確かでしょう。
まだご覧になった事の無い方はストーリーにハマるかどうかはさておき一度観ておく価値はあると思いますよ。
…私?昨日鰻太さんからTVシリーズと劇場版前作のBlu-rayお借りしたのでまったり追っかける事にします(笑)

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昨日ちゅうカラメンバーも出演した「Freedom Festival」へ行ってきました。
アマチュアユニットの対バンだけではなくDJのプレイやスペシャルゲストとして谷本貴義・高取ヒデアキ・松本梨香を招いてのライブもあるイベントです。
voda☆poneさんがヴォーカルを務めるバンド「おいでやすおこしやす」とちゅうカラの混成ユニットを始めアマチュアユニットのブロックでは様々なスタイルのパフォーマンスを楽しみ、DJのブロックではストレートに曲にノリ、スペシャルゲストのステージでは本物の凄みを体感しと非常に充実したイベントでした。
個人的に高取ヒデアキさんと松本梨香さんの生歌聴くのは初めてだったのでキョウリュウジャーやらポケモンやらもうイチイチテンション上がりっぱなしでした。
特に谷本貴義さんが療養中のために出演をキャンセルした和田光司さんの代わりにとカバーした「Butter-fly」は会場のボルテージの高まりを含め昨日のイベントの白眉とも言えるパフォーマンスでした。
3人とも観客との近い距離感をとても楽しんでいたようで、「アンコールを用意してなかったけど谷本さんのHDDにたまたまカラオケトラックが入っていた」のと「たまたまアマチュアの方が歌詞カードを用意してパフォーマンスしてた」ことで、ゲスト3人と観客全員で「ペガサス幻想Ω」を歌うというステージの締め括りは結果的に昨日のイベントらしい幕引きだったなと思います。

イベント全体を通した印象として、「曲にノる」「自分で歌う」「プロのパフォーマンスを堪能する」「居合わせた方々と交流する」と、アニソンへの「好き」を率直かつ素朴に表現できる場で楽しく面白いイベントでした。開場が30分ほど遅れて特にイベント序盤が押せ押せになってしまった事など改善点は多々あるでしょうが、あの素朴さは失わないで欲しいですね。

こんばんは、小島@監督です。
何気にアイマスのコピーユニットやそれ目当てに来た方と名刺交換も出来てアイマスP的にも充実した時間でした(笑)

さて、今回の映画は「僕たちの家に帰ろう」です。

中国北西部、「河西回廊」と呼ばれる地域でその家族は暮らしていた。
両親が放牧する土地を求め奥地の草原に移住しているため、兄バーテル(グオ・ソンタオ)は祖父(バイ・ウェンシン)の元で暮らし、弟アディカー(タン・ロン)は学校の寄宿舎で生活していた。
バーテルはアディカーが母の愛情を独占してると思い込み、アディカーはバーテルばかりが両親の期待を一身に浴びていると感じ、互いの仲は良くない。
ある夏の始め、祖父は病死した。そして夏休みが始まっても父が迎えに来なかった事からアディカーは拗ねるバーテルを何とか説得し父母の元へと帰るため、2人きりの旅に出た。

中国北西部の河西回廊で現在約14,000人ほどしかいないと言われる少数民族ユグル族。そのユグル族の2人の兄弟が両親の元へ帰るまでの旅路を描いた作品がこの「僕たちの家に帰ろう」です。
丹霞地形や馬蹄寺石窟などの北西部の峻嶮で荘厳な風景が物語をより奥深く彩って行きます。

嫉妬心や八つ当たりなど、どこにでもある等身大の兄弟間のいさかいが軽く命に関わるトラブルにもなりうるほど険しい2人の旅の途中で描き出されるのは決して兄弟の心の機微だけではありません。
人々が全て移住してしまって廃村になった集落、今はもう読める者すらほとんど絶えてしまった文字や原語で綴られた壁画など、移りゆく時代の中で滅んでいったユグル族の消え入りそうな足跡も同時に映し出していくのです。
この映画を観た後ユグル族について少し調べてみましたが、現在の甘粛省あたりにかつて王国を築き唐王朝すらも脅かすほどの実力を誇っていました。しかし11世紀半ばに西夏タングート族に撃滅され以降は衰退の一途をたどる事になってしまったそうです。

今はもう滅びを待つばかりになってしまった民族や文化への哀惜、大地への素朴な敬慕を蹂躙する事を代償に発展していく現状への憤り、その潮流は容易く止められるものではない事への諦念、その狭間でこのような生き方をしている者たちがいるのだということを知って欲しいという祈り、それら全てが複雑に織り込まれたような印象を持つ作品です。
淡々とした作品ではありますが、観る価値のある映画です。もし機会ができたら是非ご覧になってみて下さい。

それにしても最近今池と縁が深くなってきたなぁ…(笑)

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