ちゅうカラぶろぐ


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日本を始めアジア圏ではまだ劇場公開の余地が残されているそうですが、再三の公開延期を受けてディズニーの「ムーラン」が遂に劇場上映を取りやめ公式配信サービス「Disney+」での独占配信に切り替えた、という報を先日聞きました。ディズニーからのコメントでは言及はされていませんでしたが最近の米中関係の急速な悪化も無視できない要因ではあったでしょう。しかしこれで配信での収益がそれなりの数字を出してしまう(またその可能性は十分にある)と、これまで以上にハリウッドメジャーは配信重視の方針に追従してしまいそうな懸念があります。既に今、ハリウッド大作の新作映画がここ数か月まるで入ってきていない状態ですし、映画の在り方そのものが変わりつつあるような気がします。

 こんばんは、小島@監督です。
 でもできれば大作映画は映画館の大きなスクリーンで観たい。迫力が段違いですし。

 さて、今回の映画は「ドラえもん のび太の新恐竜」です。

 のび太(声・大原めぐみ)は恐竜博の化石発掘体験で卵型の化石を見つけた。それを恐竜の卵と信じるのび太はドラえもん(声・水田わさび)に頼み込んで「タイムふろしき」を出してもらい化石の時間を戻しにかかる。翌朝その化石はのび太の期待通りに卵となり、中から双子の恐竜が誕生した。前肢に羽毛を持つその恐竜はドラえもんが持つ22世紀の百科事典にも記載が無く新種の恐竜である可能性を秘めていた。のび太は双子の恐竜にキュー(声・遠藤綾)とミュー(声・釘宮理恵)と名付け育てることにする。
 育て始めてからしばらくしたある日、のび太はミューが滑空するところを目撃する。この恐竜は空を飛べる!しかも体格も日に日に大きくなってきている。2匹を現代で育てることに限界が来たことを悟ったのび太はドラえもんやジャイアン(声・木村昴)たちの協力を得て、2匹を白亜紀の世界へ帰すことを決心するのだった。

 ドラえもん誕生50周年と劇場映画通算40作目を記念して作られたのは、第1作目「のび太の恐竜」を発展的にリメイクした1本です。「のび太の恐竜」は声優陣やスタッフが刷新されてすぐの2006年にも一度リメイクされていますが、基本原作に忠実なスタンスで作られていた2006年版と違い今回の「新恐竜」は「卵の化石から恐竜が孵ってしまい白亜紀の世界へ戻しに行く」という基本プロットのみを踏襲し新しい物語を作り上げています。その土台となるものは「のび太の恐竜」が作られた1980年からのこの40年間で進められてきた恐竜や古生物学の新たな知見と、原作者藤子・F・不二雄への多大なリスペクトです。
 登場する恐竜はフタバスズキリュウのピー助から滑空できる新種の羽毛恐竜へ。さらにミューと比較してキューの方は体格も小さく尻尾も短い、飛べないというハンディキャップを有しておりその成長がのび太の成長ともシンクロする構成となっています。
 中盤から登場するタイムパトロール隊が藤子・F・不二雄のコミック「T・Pぼん」で登場するチェックカードを使うシーンが出てきたり、思いもかけないキャラクターをカメオ出演させたりするギミックも楽しいですね。

 原作ではのび太たちの行く手を遮る敵として恐竜ハンターが中盤から登場していましたが今作ではその存在が匂わされる程度で登場はせず、代わってクライマックスを盛り上げるのは近年発見が相次ぎ研究が進められるアズダルコ科と思しき肉食の巨大翼竜(シルエットが一瞬現れるだけの初登場シーンがモンスター映画を思わせて実に秀逸)襲来と、恐竜を絶滅させるに至るカタストロフ「巨大隕石衝突」です。ここでキューの持つハンディキャップが大きな意味を持つ構成も見事と言えるでしょう。

 のび太が昭和的な根性論に走りすぎのきらいがあるのが難点ではありますが、「のび太の新恐竜」は物語を構成する様々な要素が巧く絡み合い、藤子・F・不二雄のいう「SF(すこしふしぎ)」マインドを存分に楽しめる快作に仕上がっています。
 本来なら例年通り3月に公開され春休みを彩るタイトルの一つになるはずでしたが、延期となりようやく先日8月7日(実はのび太の誕生日でもある)に封切られました。サマーシーズンにドラえもん映画が公開されるのは「STAND BY MEドラえもん」以来5年ぶり。これを系譜に含めないとするなら1981年に公開された「ぼく桃太郎のなんなのさ」以来39年ぶりになります。コロナ禍による際どい状況が続きハリウッドメジャーの新作も続々延期されて公開の目途も立たない作品が相次ぐ、映画産業にかつてない逆風が吹く中で、恐らくこの「のび太の新恐竜」が背負うものもこれまでにない重さであることでしょう。ファミリー層を中心としたメインストリームへ訴求する映画の今後を占う作品として切実に売れてほしいと願っています。

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先週このブログで熱中症にかかってしまったと書きましたが、実はその後が大変でした。一旦は引いた熱が再発した上に顔の一部が赤く腫れあがって一度は左目が半分ほどしか開かないほどに。医師の診察を受けたら、皮膚表面の傷に溶連菌や連鎖球菌が入り込んで高熱と共に患部に腫れが出る「丹毒」という病気と診断されました。
 で、今もなお抗生剤を処方されてる真っ只中でございます。見事に効いてくれたのでありがたい限り。週の後半から出勤できるようにもなりました。

 こんばんは、小島@監督です。
 いや~何にしてもえらい目に遭いましたわ…(苦笑)

 さて、今回の映画は「遊星からの物体X」です。

 南極、アメリカ南極観測隊第4基地。そこへ1匹の犬を追ってノルウェー観測隊のヘリが現れた。執拗に犬を狙うが失敗し、手違いからヘリも爆発。それでも攻撃を止めようとしないノルウェー観測隊の銃がアメリカ基地の隊員を負傷させたため隊長ギャリー(ドナルド・モファット)が射殺した。
 ノルウェー観測隊に何が起きたのか探るためヘリ操縦士のマクレディ(カート・ラッセル)らはノルウェー基地へ向かう。そこで彼らが見たのは焼失した建物や何かを取り出したと思しき氷塊、そしておぞましいまでに異様な形に変形し固まった焼死体であった。 
 異変はアメリカ基地でも起き始めていた。収容された犬の体が変形しグロテスクな姿へ変異して犬小屋の他の犬を襲い始めたのだ…

 ジョン・W・キャンベルの短編小説「影が行く」を原作に1982年に製作されたSFホラーです。1951年にもこの小説を原作にした「遊星よりの物体X」という映画がありましたがそれのリメイクというより原作小説のより忠実な映像化というのが近いようです。監督は「ハロウィン」シリーズや「エスケープ・フロム・LA」などを手掛けたジョン・カーペンター。音楽は「ニュー・シネマ・パラダイス」「海の上のピアニスト」などで知られるエンニオ・モリコーネが担っています。人や犬など一部はそのままなのにそれとは似ても似つかないグロテスクな姿になる「物体」は数人の手によりデザインされたものですが、中でもロブ・ボッティン(「ハウリング」で役者を狼男に全身変装させる特殊メイクで高い評価を得たメイクアップアーティスト)の功績が大きく、後のSFXやクリーチャーデザインに多大な影響を与えました。

 ぶっちゃけこの映画、私とても大好きで今までに何回も観ていますし何ならDVDも持ってるくらいです。好き過ぎるけど人に薦めるとなるとどうもありきたりの言葉になってしまうのがもどかしいくらいです。
 公開時は「E.T.」と同時期だったらしく興行的には苦戦したと聞きますが、閉鎖空間で人間に擬態したエイリアンとの死闘や、メンバー間での疑心暗鬼を描き出すこの映画は筋立てからして魅力的。南極というロケーション、そこに数万年の昔から眠りについていた異星生物というシチュエーションなどにどこかラブクラフトの「狂気の山脈にて」を思い起こさせるところもありますね。思いもかけないタイミングで姿を現す「物体」のおぞましさと恐ろしさ、それと知恵と死力を尽くして戦う人間の勇気や意地、今観ても色褪せない凄みがあります。
 女性が全く登場しないドライさ加減も昨今にはない部分と言えるでしょう。2011年にこの映画の続編にして前日譚となる「遊星からの物体X ファーストコンタクト」が製作されましたがこちらでは数人の女性が出演しています。

 この映画、2018年に4Kデジタルリマスター版が製作され、以来各地のシネコンやミニシアターで断続的に上映が行われてきましたが、ライセンスの終了に伴う最終上映が先週8日より名古屋シネマスコーレにて始まっています。ここを逃すともう滅多にスクリーン鑑賞できる機会はなさそうですし、興味のある方はどうぞお見逃しなく。

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8月に入ってようやく長い雨が明けて夏らしい気候になってきました。で、出かけてみたら体が暑さと日光に慣れてなくて熱中症に。気を付けていたけどやってしまったわ…マスクしながらの外出は思いのほかヤバいです。皆さんもお気をつけて。

 こんばんは、小島@監督です。
 結局今日になっても熱が引かなかったので仕事は休みにしてもらいました。症状が発熱だけで咳ものどの痛みも無いし食欲も残っていることから保健所に相談しても「PCR検査は受けなくていい」とのことでひたすらに自宅で静養。皆さん、マジで気を付けてください。
 
 さて、今回の映画は「ハニーランド 永遠の谷」です。

 北マケドニア。一人の中年女性が崖の上を歩いていく。際どい道も構わず進んでいく。崖の岩の狭間にはミツバチの巣があった。手袋もつけずに巣から蜂蜜を採集していく姿に、女にとっては慣れた仕事であることが見て取れる。
「半分は私に、半分はあなたに」女はそう言った。それが何世代にも渡って絶え間なく続いてきた営みのように。
 ある日、女の家の隣にトルコ人の一家が移住してくる。女の静かな暮らしが突如賑やかになった。移住を繰り返しながら酪農を営む一家だったが、蜂蜜が金になるのを知ると見様見真似で養蜂を始めた…

 その国名からして論争のある北マケドニア共和国、ギリシャの北に隣接するその国の映画が日本に入ってくるのはもしかしたら初めてなんじゃないでしょうか。アメリカのアカデミー賞で初めて長編ドキュメンタリー賞と国際映画賞(旧外国語映画賞)にダブルノミネートされたことも報じられたこの映画、観てみるとその映像のスケールに圧倒されます。
 養蜂家の女性とその母親、トルコ人一家の二つに密着取材すること3年、400時間というフッテージを90分ちょっとに編集し凝縮されて作られています。

 その膨大な映像量とナレーションを排した構成ががなし得たというか、「脚本があるんじゃないのこれ?」と言いたくなるほどドキュメンタリーというよりは劇映画のようにあまりに綺麗に、あまりに見事に物事が展開します。
 自然とのバランスを崩さない生き方を貫く女性と、資本主義の誘惑に負けて無謀な養蜂をやり始めるトルコ人一家、そういう対比が明確になっていき人間の欲望が美しい風景に傷を残すさまを目撃していくことになります。

 寓話的なエピソードを美しい映像に乗せて展開する、フィルムメーカーの労力が活きた佳作です。名古屋での上映は終盤に差し掛かっていますが、厳しい暑さを一時忘れる助けに、こんな映画はいかがでしょうか。

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昨日一昨日と「アイドルマスター」が15周年を迎えて両日「だいたい15時間生配信」と称してアニメシリーズや過去のライブ映像を15時間(実際のところは17時間くらい)、それこそ早朝から深夜までブチ抜きで配信するイベントをやっていました。一昨日は仕事だったので大して観れませんでしたが昨日は食事と家事に当ててた時間以外はほぼずっと鑑賞。10周年記念ライブの映像は今改めて見返すと当時は全く気付かなかったような発見も結構あって面白かったですね。

 こんばんは、小島@監督です。
 とは言え本来なら今年は15周年のメモリアルイヤーでビッグイベントがいくつも開催されていたはず。そう思うとおのれコロナ。ライブ、また観たいですね…

 さて、今回の映画は「ドヴラートフ レニングラードの作家たち」です。

 1971年、ソ連・レニングラード。小説家セルゲイ・ドヴラートフ(ミラン・マリッチ)は厳しさを増す政府の統制下において自身の作品を発表できないでいた。元妻のエレーナ(ヘレナ・スエツカヤ)と別れ、娘ともたまにしか会えない日々。新聞や雑誌の小さな記事で糊口をしのぎ、詩人のヨシフ・ブロツキー(アルトゥール・ベスチャスヌイ)と共に発表の場を得るために闘うがなかなかその機会は訪れない。そんな中、友人で画家のダヴィッド(ダニーラ・コズロフスキー)に闇取引の容疑で捜査の手が伸びようとしていた。

 1970年代初頭のソ連と言えばフルシチョフが亡くなりブレジネフ第一書記とコスイギン首相が政府のトップにいた時期で、冷戦下ではありましたがアメリカとの間に戦略兵器制限交渉、いわゆる「SALT」締結に向けて動いていた時期でもあります。映画で言えばこの頃アンドレイ・タルコフスキー監督が「惑星ソラリス」を発表したりしていますが正直文学方面についてはあまり明るくはなく、それゆえ今回観たこの映画の題材は新鮮で興味を惹かれるものでした。
 監督は「フルスタリョフ、車を!」(1998年製作)などで知られるアレクセイ・ゲルマンの息子で、製作半ばで亡くなった父の遺作である「神々のたそがれ」(2013年製作)を作品を引き継ぎ完成させたアレクセイ・ゲルマン・ジュニア。

 作品を発表できずに彷徨と葛藤を重ねるドヴラートフたち作家や芸術家の姿を描くこの物語は、時にユーモアを交えはしますが基本的にはかなり淡々としています。そうであるが故に却って息苦しさが伝わってきます。鈍色が覆うような色調の映像も印象的で、この辺りは撮影を担ったウカシュ・ジャル(「ゴッホ~最期の手紙」でゴールデングローブ賞など世界で評価された)の功績も大きいでしょう。反面、ある程度の知識を観客が持っていることが前提で作られているようなところもあり、私のようにこの分野に明るくないと少々置いてきぼりを食らう場面もあります。そして淡々としてる分、置いて行かれると眠くなるのでご注意ください。私!?いやぁ~HAHAHA(そっと目をそらす)

 なかなか興味深いのはドヴラートフは別に反体制派を標榜しているわけではない点です。この頃ソ連にはソルジェニーツィンという公然と体制に戦いを挑んだ作家もいましたが、ドヴラートフは決してそうではなく「書きたいものが時の政府の求めるものに合わない」だけ、でありだからこそ時代の空気が重くのしかかってくる、というのは現代日本でも共通しそうな感覚とも言えるでしょう。「表現の自由」とは、自分とは相容れない類の表現を「自分は気に入らなくてもそういうのがあって良い」と容認するところにあるからです。他者への許容量が低くなる昨今と相まって、半世紀前のレニングラード(現・サンクトペテルブルク)の姿を克明に描写しようという姿勢の向こうに現代へのテーゼが見えます。

 もう一つこの映画を特徴的にしているものに音楽があります。使われている音楽の基本が何とジャズ。パンフレットの解説を読むまでほとんど知りませんでしたが、60年代後半にソ連や隣国ポーランドではジャズがムーブメントを起こしフェスイベントも開催されていたようです。ブレジネフ政権下ではこれも抑圧されていたようですが、カフェなどで秘かに演奏され続けていたそうです。ジャズは時代を象徴する音楽だったようですね。
 作りそのものよりも題材がかなり人を選ぶタイプの映画ですが、描き上げるテーマは今でこそ伝わるものと言えます。ご興味のある方は是非。

 ところで余談ですが今回のこの映画を観る際、クラウドファンディング「ミニシアター・エイド」の返礼品の一つである「未来チケット」を受け取ってきました。

これはあらかじめ自分で指定した映画館でのみ使えるチケットで、有効期限は再来年まで。私は6枚もらえるコースを選んでいてシネマテークとシネマスコーレで3枚ずつを割り振っています。期限まで結構時間はありますけど、できれば今年のうちに使い切ってしまえるくらいに足を運びたいですね。

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野球やサッカーなどのプロスポーツにも少しずつ観客を入れた試合が戻りつつある一方で、ライブイベントなどはまだまだ難しい状況。ちゅうカラも再来週に予定されていた歌会が中止になってしまいました。どこにどう折り合いをつけていくか、まだ全ては手探りの途中。でも以前のような日々が一日でも早く戻ってほしいですね。

 こんばんは、小島@監督です。
 これでまた映画館が休館にでもなったりしたらかなり辛い。観れる時にできるだけ観に行こう。

 さて、今回の映画は「風の谷のナウシカ」です。

 千年前に起きた「火の七日間」と呼ばれる最終戦争により巨大産業文明は崩壊した。錆とセラミックに覆われ荒廃した大地には「腐海」と呼ばれる有毒の瘴気を発する菌類が森を形成し、更に森には巨大な蟲たちが森を守るように棲息し始め、人類は広がりつつある腐海にその生息圏を脅かされながら生きることを余儀なくされた。
 辺境の小国・風の谷の族長の娘・ナウシカ(声・島本須美)は腐海に生きる蟲たちとも心通わせる不思議な力を持ち、また心優しい性格故に風の谷の住民たちから敬愛されていた。ある日、いつものように腐海探索のさなか、ナウシカは怒った王蟲が人を追っている光景を目撃する。何とか王蟲を鎮めたナウシカはその人物が武芸の師でもあるユパ(声・納谷悟朗)であると知り一年半ぶりの再会を喜んだ。谷の住民たちをユパの再訪を喜び、病床に伏せるナウシカの父・ジル(声・辻村真人)も久闊を叙した。
 しかしその翌朝夜明け前、谷に異変が訪れる。東の大国トルメキアの輸送船が谷の近くに墜落したのだ…

 新作映画公開のリズムも未だ立ち戻らない中、配給大手も様々な手を講じています。そして東宝がここに来て強力なカードを切ってきました。6月末より「一生に一度は、映画館でジブリを」と題しこの「風の谷のナウシカ」を始め「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」「ゲド戦記」の4作品が全国ロードショーされています。もっと言えば先週先々週と「ゲド戦記」以外の3作品が週末の観客動員数と興行収入でトップ3を独占しました。

 実は「風の谷のナウシカ」が製作された1984年はまだスタジオジブリは設立されておらず、製作スタジオはその前身であるトップクラフトが担っています。トップクラフトは東映動画で製作管理を行っていた原徹が1972年に東映動画から独立する形で設立したスタジオで、日本アニメの下請け製作も行う一方でアメリカのアニメスタジオ「ランキン・バス・プロダクション」と共にコンスタントに日米合作のアニメを製作していました。ナウシカ公開後、「天空の城ラピュタ」(1986年)製作のために徳間書店が出資する形でスタジオジブリが1985年に設立。原徹はその取締役に就任、スタッフもそのまま移籍する形で改組されトップクラフトは解散しています。観ている側としてはほとんど気にすることのない部分ではありますが、今ナウシカと共にリバイバルされている「もののけ姫」製作時期には出資者であった徳間書店の経営悪化を受け収益確保の一環として徳間書店に吸収合併され、社名が変わったりしています。スタジオジブリの沿革も調べてみると結構波乱万丈。
 余談になりますが「ナウシカ」は公開当時作品への評価の割に興行は振るわず、現在のような知名度を獲得するには翌年のTV初放送まで待たねばなりませんでした。これはその後の「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」も同様で、特にトトロの観客動員数は「千と千尋」の初日の観客数にすら及ばない程です。作品の評価と集客が両立するのはヤマト運輸とのタイアップを成功させるなど広告戦略が上手くハマった「魔女の宅急便」まで待つ事になります。

 映画の方に話を戻しましょう。
 面白いもので、TV放送などでもう数十回は観ている、何なら次のセリフも浮かぶくらいに観てるのに初めてスクリーンで観てみると何もかもが新鮮に映ります。さすがに自分でもちょっと驚きました。
 映像的な話で言うと「風立ちぬ」(2013年)まで宮崎駿監督作品の色彩設計を一手に引き受けていた保田道世、アクロバティックな表現で日本アニメに一つの変革を起こしたとまで言われる名アニメーター金田伊功(宮崎作品では「もののけ姫」まで参加している)などアニメのマエストロ達の手腕を存分に堪能することができます。自宅のTVで観ていたのではその迫力の10分の1も把握していなかったのだと実感します。

 更にこの作品が描く終末的世界観の見事さ。人類が腐海の跋扈によりその生存圏を脅かされ緩やかに、しかし確実に滅びへと進んでいきながら特に中盤ナウシカが目撃する、腐海最深部で起きている「人間の尺度を超えた形で起きる再生」の姿は今観ても特筆に値します。

 またナウシカという少女の人物像も改めて観るとずっと「哀しさ」をまとっているように見えるのが印象的です。多くの人に敬愛されながら自身の見る「世界」を共有できないことや母性溢れるキャラクターでありながらその「母」への言及が極めて断片的であることなどもあるのでしょうか。
 それはまたもう一人のヒロインともいうべきトルメキアの王女・クシャナ(声・榊原良子)もまた然りで強い言葉で軍を鼓舞する一方で時折弱さが垣間見えます。そのクシャナを武装させた「弱さ」をナウシカは看破しますが、それによりナウシカの哀しみを更に色濃くさせるにすぎません。

 ほかの3作品ももちろんですが、特にこの「風の谷のナウシカ」こそ映画館で観た事のある方は少ないはず。金ローで何度も観ているから良い、ではなく何度も放送されて観ているからこそ再上映されているこの機会に是非スクリーンで観て頂きたいですね。きっと何か発見がありますよ。

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先週はもうひたすらに天候に振り回される一週間でした。
 水曜日は大雨特別警報と避難指示が出た上に電車も止まって出勤できず、翌日木曜日はもともと休みにしていたのは良いものの天候がなお予断を許さない状況だったので人と会う約束があったのですがキャンセルせざるを得ず、土曜日は出勤したらしたで仕事終えてみたらまたしても大雨で電車がストップ(結局運転は翌朝まで再開されなかった)。
 ただ思いがけない幸運というのもあるもので、帰る手段を失くして半ばヤケクソ気味に太陽さんへ飲みに行ったら、奇遇にもちゅうカラプラモ部の皆さんがそこで食事していた上にハイルさんが「車で送ろうか?」と提案してくれ宿泊場所を探さなきゃならない状況で自宅まで帰り着くことができました。

 こんばんは、小島@監督です。
 ハイルさんにはマジで感謝。今度何かお礼をしなければなりませんな。

 さて、今回の映画は、そんな雨がクライマックスを彩る1本、「機動警察パトレイバー the Movie」です。

 1999年東京、一人の男が周囲が止めるのも聞かず顔には笑みすら浮かべてその身を投げた。時を同じくして風洞実験中だった自衛隊の試作レイバーが暴走する。空挺部隊までを投入してようやく停止させたそれにはコックピットに人が乗っていなかった。
 近く配備が予定されている新型パトレイバー「零式」の研修のため不在にしている特車二課第1小隊に変わり留守を預かる第2小隊の篠原遊馬(声・古川登志夫)は、多発するレイバー暴走事件への対応に追われる中でその異常性に気づき独自に調査を開始。原因がレイバー用の最新OS「HOS」にあるのではと推測する。同様の疑念を抱いていた第2小隊長後藤喜一(声・大林隆介)は本庁の松井刑事(声・西村知道)に「HOS」開発主任だった帆場暎一の捜査を依頼するのだった。

 1988年に始まり現在もなお断続的に関連作品が製作されるシリーズ「機動警察パトレイバー」はOVAリリースと漫画連載が同時期にスタートするなど複数のメディアで作品を同時展開した、いわゆるメディアミックスを行った先駆的な作品です。「the Movie」はその初めての劇場版として1989年に製作・公開されました。監督は後年「攻殻機動隊」でその名を世界的なものにする押井守、脚本は平成版「ガメラ」三部作や「.hack」シリーズで知られる伊藤和典が手掛けています。
 パトレイバーという作品はTVシリーズあたりを見てみると割と当時のアニメらしい頭身と顔つきをしているのですが、この劇場版では非常にハードボイルドな内容に合わせるように顔つきにしろ頭身にしろリアリティ重視のビジュアルにアレンジされています。作画監督を務めた黄瀬和也の手腕によるところが大きいらしいですが、これが見事に功を奏し作品の重厚感がより増しになったと言えるでしょう。後年2本の劇場用長編が製作されることになりますが、どちらもこの路線を踏襲しリアリズム重視の画風で製作されています。

 この映画、恐らくサイバーアタックをテーマに描いた最初期の作品です。同時期の作品で言うと「ルパン三世 バイバイ・リバティー危機一髪!」で自身の犯罪記録データを奪取すべくICPOに潜入するルパン三世の姿が描かれたりしていますが、「OSにウィルスを仕掛ける」というのをこの時期にやってみせた先見性は特筆に値します。約30年前というとPCの普及率が上がりつつあったとは言え、今では子供でも知っている「AI」や「ハッカー」がまだ専門用語の部類に入る時期でもありました。さすがに今観ると登場人物たちが使っているガジェットに古めかしさは拭えませんが、作中で展開している事象はむしろ現在の方がスッと入ってくるのではないでしょうか。同様に作中登場する、東京湾洋上に巨大な人工島を建造する「バビロン・プロジェクト」も90年代になって開業した東京湾アクアラインや海ほたるパーキングエリア、関西国際空港を先取りしたようなものと見ることもできるでしょう。古い町並みを解体し高層ビルを建築する様を綿密なロケハンでもって描出する様子はそれ自体が当時絶頂期にあったバブル経済への風刺でもあり、またスクラップ&ビルドを繰り返し現在に至るもなお各所で再開発が行われる東京を始めとした各都市部へのありようを俯瞰したアイロニーとも取れます。
 
 経年と共に古びた部分を差し引いてもなお優れた普遍性を獲得した、ロボットアニメとしてもSF映画としても傑作といえる一本です。今週金曜の17日より4DXバージョンでの上映が開始しますし、この機会に日本のSFが持つ魅力や底の深さを味わってみて頂きたいですね。


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昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
 5か月ぶりの開催に加え今までのスタイルと大きく変えて自治体やお店の出すガイドラインに沿う形での実施、かときちさん始めスタッフの方たちにはいろいろと気苦労も多かったかと思います。まだ全てが手探り。前のように大勢で騒げる日が早く来て欲しいものです。

 こんばんは、小島@監督です。
 ところで、歌会以外でカラオケできる機会が作れなかったのでマジで約半年ぶりのカラオケだったわけですが、やはりブランク長すぎた。まさか途中で力尽きてしまうとは(苦笑)まぁそれでも16曲も歌えれば充分とも言いますが。次はもう少し体力付けなくちゃ。

 さて、今回の映画は「ランボー ラストブラッド」です。

 長い戦いの果て、アメリカに帰国し今は故郷アリゾナで牧場を営むジョン・ランボー(シルベスター・スタローン)。古い友人のマリア(アドリアナ・バラーサ)とその孫娘ガブリエラ(イヴェット・モンレアル)と共に穏やかな日々を生きていた。
 しかし戦場を離れて10年が経つが、ベトナム戦争から数十年に渡り戦場で生きてきたランボーの心身には今も仲間を助けられなかった傷が刻まれ、牧場の地下に掘り進めたトンネルに身を置くことで自身を保っていた。
 ある日、ガブリエラの元にかつて出奔した父の消息を知らせる報が届く。父が自分を捨て出ていった理由を知りたいというガブリエラをランボーは反対する。しかしガブリエラは黙ってメキシコへ向かってしまった…

 PTSDを抱えたベトナム帰還兵の苦闘を描いた第1作「ランボー」は1982年に製作されました。ベトナム戦争後に退役した軍人たちの窮状がようやく汲まれつつある状況の中で生まれたジョン・ランボーというキャラクターは戦争の傷を抱えた地に足の着いた人物として高い評価を得ます。その後、ベトナム戦争未帰還兵の救出を描いた2作目「怒りの脱出」(1985年)、ソ連侵略下のアフガニスタンで上官トラウトマン大佐の救出任務を描いた3作目「怒りのアフガン」(1988年)と、ランボーは皮肉にも「アメリカ国家と大衆の敵と戦うマッチョ・ヒーロー」のポジションとしての続編が作られることになります。3作目から20年の時を経て作られた4作目「最後の戦場」では老境に差し掛かり更に深い傷を抱えながらなお戦場で独り戦う姿が描かれました。
 その「最後の戦場」のラストでようやくランボーは安息の地を得、その家へ帰るべく足を進めます。しかしそれから10年、闘争と暴力の連鎖は再びランボーを血生臭い世界へ呼び戻されるのです。

 第1作目の原題である「FIRST BLOOD」と対となる「LAST BLOOD」と題された今作では、2作目以降「国家の敵」と戦い続けてきたランボーが1作目以来ともいえるパーソナルな戦いに身を投じます。あまりに絶望を知りすぎ怒りと哀しみに囚われ生きてきた男が晩年に差し掛かりながらなお戦わねばならないその姿は、あまりに重く切なく、そして壮絶です。
 クライマックスとなるアクションシークエンスは、昨今主流のVFXを多用したスタイリッシュなものでもなくまた一部で復権しつつあるマッチョアクションとも一線を画し、これまでの技術と経験を総動員し、かつ怒りと殺意をむき出しにして独りで多数の敵を相手に戦います。それはある意味でランボーの「集大成」であり、また同時にランボーに限らず愚直な男を演じ続けてきた俳優シルベスター・スタローンが辿り着いたある種の「境地」ともいえます。

 単に殴る蹴るが可愛く見えてくるくらいにバイオレンス描写がかなりえげつないのでそういうのが苦手な方には向かない作品ですが、半世紀近く一線で活躍してきたハリウッドスターの凄みを感じられる一本です。孤独の戦士ランボーが最後にどんな場所に辿り着くのか、どうぞスクリーンで確かめてみてください。

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