昨日、「THE IDOLM@STER SHINY COLORS 3rdLIVE TOUR PIECE ON PLANET / FUKUOKA」Day2を配信で観ていました。先月名古屋から始まったシャイニーカラーズ3rdツアーの千秋楽です。初日からわずか2か月でレベルが大きく上がっている者が何人もいるだけでも驚くのに、この福岡公演が事実上の初登場になる「SHHis(シーズ)」が既に他のメンバーとタメを張れるパフォーマンスを見せたのに驚異を覚えます。また、ライブ終盤にはアイマス15周年記念曲「なんどでも笑おう」が。先日のミリオンライブでのイベントでも歌われたこの曲、これからシンデレラガールズやSideMのイベントも控えているので一つ一つこの曲を繋いでいってくれるのではという期待も生まれます。何よりとんでもなく熱量の高いステージに、自宅でPCの小さな画面で観ていただけなのに心底昂揚しました。
こんばんは、小島@監督です。
制約が多い中でも「強い」ものを魅せてくれる人たちを観ていると、こちらとしても元気をもらえますね。
さて、今回の映画は「ガメラ3 邪神覚醒」ドルビーシネマ版です。
1999年、鳥類学者・長峰真弓(中山忍)は赤道直下の村で発見されたギャオスの死体を調査していた。一方、沖ノ鳥島近海を調査していた深海探査船「かいこう」は、深海で「ガメラの墓場」とでも言うべき夥しいほどのガメラの骨を発見する。
奈良県に住む少女・比良坂綾奈(前田愛)と弟の悟(伊藤隆大)は4年前に発生したガメラとギャオスの戦いに巻き込まれ両親を喪い親戚の家に引き取られていた。内心にガメラへの憎悪を募らせる綾奈は、ある日、同級生から度胸試しとして古くから「柳星張」という存在がが眠るとされる洞窟でそれを封印する石を持ってくるようにそそのかされる。
1999年に製作・公開された「平成ガメラ三部作」の完結編となる作品です。ガメラシリーズ55周年を記念して昨秋から三部作がドルビーシネマ版にアップグレードされ順次劇場公開されています。
人間が怪獣を見上げるショットの多い平成ガメラ三部作は、全作を通して怪獣をいわば「厄災」として描いてきたシリーズですがこの3作目に至り「ガメラに家族を殺された少女」という存在が登場します。憎悪が物語の原動力の一つとなり、怪獣がもたらす破壊が文字通りのカタストロフィとして描かれます。また、前作「レギオン襲来」からあった黙示録的世界観がより強調されているのも特徴です。興味深いことにこの破局的な終末と向き合う人々の姿を描く物語は何もこの作品に限ったことではなくまさに世紀末かつ千年紀の終わりであった1990年代後半に、「新世紀エヴァンゲリオン」を筆頭にサブカルチャー関連では散見されていました。日本だけでなく洋画でも「アルマゲドン」(1998年)「エンド・オブ・デイズ」(1999年)やドラマ「ミレニアム」(1996~99年)などが製作されているので日本だけの現象ではなかったように思います。
ところで、この「邪神覚醒」では二十八宿や巫女の血統など東洋的というか伝奇的要素も加味されているのですが、正直ちょっと嚙み合わせが悪いというか上手く作用していないのが残念なところ。特に思わせぶりに登場する内閣官房・朝倉美都(山咲千里)とプログラマー・倉田真也(手塚とおる)の2人はやたらと悪目立ちする割には物語をちゃんと牽引できておらず、据わりの悪さを覚えます。
一方、怪獣映画としてのスペクタクルはシリーズ最高と言って過言ではないでしょう。前半の渋谷を壊滅状態に追い込むガメラとギャオスの死闘、クライマックスの当時改築されたばかりの京都駅を舞台に展開する怪獣映画史上初の屋内戦の迫力はその白眉ともいえます。昔観た時はもう少し画面が暗かったような記憶があるのですが、この辺りはドルビーシネマ版ならではなのか、より色調が豊かになったように思います。記憶違いでなければこの精彩は昔観た事のある方も結構新鮮に映るのではないでしょうか。
まさかこの半年の間に1990年代を代表するこの怪獣映画を全作スクリーンで立て続けに鑑賞できる日が来るとは思いも寄りませんでした。相変わらず新作映画が上映されにくい日々が続き、緊急事態宣言の延長によって映画館自体も休業を迫られたりと苦しい時期が続く中ですが、旧作を再発見できる機会が増えているのは決して悪いことばかりではないと信じたいですね。でも土日休業を強いられるのは正直あんまりでござる。
こんばんは、小島@監督です。
制約が多い中でも「強い」ものを魅せてくれる人たちを観ていると、こちらとしても元気をもらえますね。
さて、今回の映画は「ガメラ3 邪神覚醒」ドルビーシネマ版です。
1999年、鳥類学者・長峰真弓(中山忍)は赤道直下の村で発見されたギャオスの死体を調査していた。一方、沖ノ鳥島近海を調査していた深海探査船「かいこう」は、深海で「ガメラの墓場」とでも言うべき夥しいほどのガメラの骨を発見する。
奈良県に住む少女・比良坂綾奈(前田愛)と弟の悟(伊藤隆大)は4年前に発生したガメラとギャオスの戦いに巻き込まれ両親を喪い親戚の家に引き取られていた。内心にガメラへの憎悪を募らせる綾奈は、ある日、同級生から度胸試しとして古くから「柳星張」という存在がが眠るとされる洞窟でそれを封印する石を持ってくるようにそそのかされる。
1999年に製作・公開された「平成ガメラ三部作」の完結編となる作品です。ガメラシリーズ55周年を記念して昨秋から三部作がドルビーシネマ版にアップグレードされ順次劇場公開されています。
人間が怪獣を見上げるショットの多い平成ガメラ三部作は、全作を通して怪獣をいわば「厄災」として描いてきたシリーズですがこの3作目に至り「ガメラに家族を殺された少女」という存在が登場します。憎悪が物語の原動力の一つとなり、怪獣がもたらす破壊が文字通りのカタストロフィとして描かれます。また、前作「レギオン襲来」からあった黙示録的世界観がより強調されているのも特徴です。興味深いことにこの破局的な終末と向き合う人々の姿を描く物語は何もこの作品に限ったことではなくまさに世紀末かつ千年紀の終わりであった1990年代後半に、「新世紀エヴァンゲリオン」を筆頭にサブカルチャー関連では散見されていました。日本だけでなく洋画でも「アルマゲドン」(1998年)「エンド・オブ・デイズ」(1999年)やドラマ「ミレニアム」(1996~99年)などが製作されているので日本だけの現象ではなかったように思います。
ところで、この「邪神覚醒」では二十八宿や巫女の血統など東洋的というか伝奇的要素も加味されているのですが、正直ちょっと嚙み合わせが悪いというか上手く作用していないのが残念なところ。特に思わせぶりに登場する内閣官房・朝倉美都(山咲千里)とプログラマー・倉田真也(手塚とおる)の2人はやたらと悪目立ちする割には物語をちゃんと牽引できておらず、据わりの悪さを覚えます。
一方、怪獣映画としてのスペクタクルはシリーズ最高と言って過言ではないでしょう。前半の渋谷を壊滅状態に追い込むガメラとギャオスの死闘、クライマックスの当時改築されたばかりの京都駅を舞台に展開する怪獣映画史上初の屋内戦の迫力はその白眉ともいえます。昔観た時はもう少し画面が暗かったような記憶があるのですが、この辺りはドルビーシネマ版ならではなのか、より色調が豊かになったように思います。記憶違いでなければこの精彩は昔観た事のある方も結構新鮮に映るのではないでしょうか。
まさかこの半年の間に1990年代を代表するこの怪獣映画を全作スクリーンで立て続けに鑑賞できる日が来るとは思いも寄りませんでした。相変わらず新作映画が上映されにくい日々が続き、緊急事態宣言の延長によって映画館自体も休業を迫られたりと苦しい時期が続く中ですが、旧作を再発見できる機会が増えているのは決して悪いことばかりではないと信じたいですね。でも土日休業を強いられるのは正直あんまりでござる。
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