だいたい自分の仕事の最繁忙期に重なるのでもう何年も行ってはいませんが、お盆休みの前半となるこの連休にコミックマーケットが開催されました。行けないのは残念ですがTwitter見てると毎度趣向を凝らしすぎた面白コスプレの写真が続々とアップされてくるのでそれはそれで楽しみだったり。アイドルマスターの事務所(キャラじゃなくて建物の方)のコスプレ合わせとか金曜ロードショーのタイトルロゴのコスプレとかどういう流れで思いついたのか良く分からないものがバンバン上がってきます。皆さん暑い中ホントご苦労様です(笑)
こんばんは、小島@監督です。
また、エロスいのはとらのあななどで委託販売されているものを購入することもできるのですが、ニッチなものを掘り下げた同人誌となるとやはり現地で買うしかないものも多いのでまたどこかで足を運んでみたいものよ。
さて、今回の映画は「天気の子」です。
「ねえ、今から晴れるよ」
ーーその少女はそう言った。
それまで暮らしていた離島を家出し、高1の少年・森嶋帆高(声・醍醐虎汰朗)は東京にやってきた。しかし当然のように生活は瞬く間に困窮し、帆高は東京へ向かう船中で出会った縁を頼りに須賀圭介(声・小栗旬)のもとを訪ねた帆高は、圭介の助手としてオカルト雑誌のライターとして働き始める。
東京は連日雨が降りやまず、陽光の射さない日々が続いていた。しかしどこからかその人物が祈れば必ず晴れ間が差すという「100%の晴れ女」の噂が囁かれていた。そんなある日、雑踏の中で帆高は一人の少女と出会う。天野陽菜(声・森七菜)と名乗るその少女には不思議な能力があった。
「ねえ、今から晴れるよ」
ーーその少女はそう言った。そして厚く垂れこめた雲の切れ間に光が差し始めるーー
「新世紀エヴァンゲリオン」が大きなムーブメントを起こした1990年代後半から2000年代前半にかけて、個人の情動や葛藤、ごく数人のミニマルな関係性が世界の現象と直結する「セカイ系」と呼ばれる物語構造を持つ作品が数多く登場しました。またそれと時を同じくして「Kanon」(1999年)「AIR」(2000年。共にゲームブランド「Key」)などに代表される感動的なシナリオでプレイヤーの涙を誘う「泣きゲー」と呼ばれる作品がアダルトPCゲームの分野で開花しその後コンシューマーへの移植やアニメ化などで一般市場へも波及していきました。「突然何を言い出すんだ?」と思われた方もいらっしゃるでしょうが、「天気の子」を観ていたらそんな時期の作品たちと同じ、自分にとってはどこか懐かしい匂いをかぎ取ったからです。
「君の名は。」の大ヒットから3年、新海誠監督の最新作は天候が調和を崩し雨が降り続く東京を舞台に、運命に翻弄される少年と少女の姿を描く物語です。新海誠のお家芸ともいえる精緻にして繊細な背景美術は、一瞬たりとて同じ姿をしない「天候」の変化がもたらすダイナミズムまでも表現し、ただ観てるだけでも引き込まれるようなカットがいくつも登場する美しいビジュアルを楽しませてくれます。音楽の使い方も相変わらず絶妙で、ここぞというタイミングで使われるRADWIMPSの手による歌曲が時には三浦透子のクリアなボイスと相まって感情のうねりをより高めてくれます。
この作品で注目すべき点は、主人公である帆高も陽菜もアウトローであるところでしょう。家出少年である帆高はホームレス同然の生活を送っており、陽菜は両親がおらず小学生の弟・凪(声・吉柳咲良)と共に2人暮らしをしているが児童相談所にマークされています。それが能動的か受動的な結果であるかは作中最低限にしか語られませんが、社会の規範から弾き出された彼らは閉塞した手の届く範囲の「セカイ」の中で必死にあがくしかないのです。作中重要なキースポットである廃ビルのモデルとなった代々木会館が1970年代半ばに大ヒットしたアンチヒーロー・ドラマ「傷だらけの天使」の主舞台であったことも決して偶然ではなく意図的なものでしょう。
社会の枠組みの中で助けを求められない少年少女に依って立てるものなど「感情」しかなくその儚いもののために暴走ともいえる行動を取り始める彼らにはどこかアメリカン・ニュー・シネマ的な香りも漂います。
なかなか思いがけないところに到達する結末といいある意味でかなりトリッキーな作りの物語であり、サマーシーズンの目玉に持ってくるような作品なのに花澤香菜と佐倉綾音の2人の人気声優に妙なネタを仕込んで演じさせるといった異様にマニアックなことを仕掛けていたりかなりやりたい放題の全開新海誠テイストを堪能できる1本です。
これを懐かしいと思うか新鮮に映るかは人それぞれでしょうが、この繊細で純粋な暴走はやはり映画ならではのマジックです。画面の情報量が多いタイプの作品ですのでなるたけ大きなスクリーンで堪能してほしい一本ですね。
こんばんは、小島@監督です。
また、エロスいのはとらのあななどで委託販売されているものを購入することもできるのですが、ニッチなものを掘り下げた同人誌となるとやはり現地で買うしかないものも多いのでまたどこかで足を運んでみたいものよ。
さて、今回の映画は「天気の子」です。
「ねえ、今から晴れるよ」
ーーその少女はそう言った。
それまで暮らしていた離島を家出し、高1の少年・森嶋帆高(声・醍醐虎汰朗)は東京にやってきた。しかし当然のように生活は瞬く間に困窮し、帆高は東京へ向かう船中で出会った縁を頼りに須賀圭介(声・小栗旬)のもとを訪ねた帆高は、圭介の助手としてオカルト雑誌のライターとして働き始める。
東京は連日雨が降りやまず、陽光の射さない日々が続いていた。しかしどこからかその人物が祈れば必ず晴れ間が差すという「100%の晴れ女」の噂が囁かれていた。そんなある日、雑踏の中で帆高は一人の少女と出会う。天野陽菜(声・森七菜)と名乗るその少女には不思議な能力があった。
「ねえ、今から晴れるよ」
ーーその少女はそう言った。そして厚く垂れこめた雲の切れ間に光が差し始めるーー
「新世紀エヴァンゲリオン」が大きなムーブメントを起こした1990年代後半から2000年代前半にかけて、個人の情動や葛藤、ごく数人のミニマルな関係性が世界の現象と直結する「セカイ系」と呼ばれる物語構造を持つ作品が数多く登場しました。またそれと時を同じくして「Kanon」(1999年)「AIR」(2000年。共にゲームブランド「Key」)などに代表される感動的なシナリオでプレイヤーの涙を誘う「泣きゲー」と呼ばれる作品がアダルトPCゲームの分野で開花しその後コンシューマーへの移植やアニメ化などで一般市場へも波及していきました。「突然何を言い出すんだ?」と思われた方もいらっしゃるでしょうが、「天気の子」を観ていたらそんな時期の作品たちと同じ、自分にとってはどこか懐かしい匂いをかぎ取ったからです。
「君の名は。」の大ヒットから3年、新海誠監督の最新作は天候が調和を崩し雨が降り続く東京を舞台に、運命に翻弄される少年と少女の姿を描く物語です。新海誠のお家芸ともいえる精緻にして繊細な背景美術は、一瞬たりとて同じ姿をしない「天候」の変化がもたらすダイナミズムまでも表現し、ただ観てるだけでも引き込まれるようなカットがいくつも登場する美しいビジュアルを楽しませてくれます。音楽の使い方も相変わらず絶妙で、ここぞというタイミングで使われるRADWIMPSの手による歌曲が時には三浦透子のクリアなボイスと相まって感情のうねりをより高めてくれます。
この作品で注目すべき点は、主人公である帆高も陽菜もアウトローであるところでしょう。家出少年である帆高はホームレス同然の生活を送っており、陽菜は両親がおらず小学生の弟・凪(声・吉柳咲良)と共に2人暮らしをしているが児童相談所にマークされています。それが能動的か受動的な結果であるかは作中最低限にしか語られませんが、社会の規範から弾き出された彼らは閉塞した手の届く範囲の「セカイ」の中で必死にあがくしかないのです。作中重要なキースポットである廃ビルのモデルとなった代々木会館が1970年代半ばに大ヒットしたアンチヒーロー・ドラマ「傷だらけの天使」の主舞台であったことも決して偶然ではなく意図的なものでしょう。
社会の枠組みの中で助けを求められない少年少女に依って立てるものなど「感情」しかなくその儚いもののために暴走ともいえる行動を取り始める彼らにはどこかアメリカン・ニュー・シネマ的な香りも漂います。
なかなか思いがけないところに到達する結末といいある意味でかなりトリッキーな作りの物語であり、サマーシーズンの目玉に持ってくるような作品なのに花澤香菜と佐倉綾音の2人の人気声優に妙なネタを仕込んで演じさせるといった異様にマニアックなことを仕掛けていたりかなりやりたい放題の全開新海誠テイストを堪能できる1本です。
これを懐かしいと思うか新鮮に映るかは人それぞれでしょうが、この繊細で純粋な暴走はやはり映画ならではのマジックです。画面の情報量が多いタイプの作品ですのでなるたけ大きなスクリーンで堪能してほしい一本ですね。
PR
この記事にコメントする