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ちゅうカラぶろぐ


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定年まであと数年を残して今月退職する職場の先輩に離職後の身の振り方を尋ねたところ、
「「飲」は知り尽くした。あとは「食」だ」
と調理師の専門学校に入学する事にしたとか。何という転身。生き様がロック!
最終的には自分の店を持ちたいそうです。

こんばんは、小島@監督です。
ただ既に4月からの学園生活に心躍ってしまっているようで、ここ最近ショボいミスを連発してるのがどうにも。気持ちは分かるけど在籍している間はしっかりして欲しいものです(苦笑)

さて、昨日鰻太さん、ショーグンさん骨無しちきん君と共に「凛として時雨Hyper Tornade Tour2015」の名古屋公演を観に行ってきました。
アニメ「PSYCHO-PASS」のテーマ曲などのタイアップ曲はあるものの、基本的にアニソンメインではなく、また声優のステージでもないライブに行くのはだいぶ久しぶり。

正直言います。初めて聴いた時は女声ソロだと思ってました。だって男声の方もずっと裏声で歌ってんですもの(苦笑)
男女のツインヴォーカルであると同時にバンド構成がギター、ベース、ドラムのトリオというのもちょっと異色な感じがします。

時雨の楽曲は歌詞を読んでみると冷めたような印象を受けるリリックが結構多いのですが、それに反してギターもベースも激情的でその2人のプレイを支えるドラムも非常にパワフル。この辺りが魅力と言えますね。ライブになるとそれがダイレクトに体の芯に響いてきます。ロックのライブはこうでなくては!

ライブはインターミッションでドラム担当のピエール中野がトークしていた事とステージ終盤でベース&女性ヴォーカルの345がライブグッズの解説を行った以外はMCもほとんど無くほぼノンストップで次々と楽曲が繰り出される恐ろしくタイトかつソリッドな構成。
「PSYCHO-PASS劇場版」のテーマ曲でもあったシングル「Who What Who What」と同時にリリースされたベスト盤を引っ提げてのツアーという体でしたが、ほぼその収録曲のみの披露で演奏時間も2時間弱、アンコールも無いという実にシステマチックで短いステージでしたが、だからと言って「物足りない」というワケではなく濃密な時間を過ごせたような印象です。
観客のボルテージも加速度的に上昇してライブ後半では…腕ではなく脚が見えた方がいたので…あれはダイブした…のでしょうか(苦笑)?ああいう光景初めて見ました。
初参加だった事もあり会場全体の雰囲気も観たかったので私は比較的後方から観ていたのですが、それでも結構終わった後には汗かいてました。ほぼ最前に近い位置で観ていた鰻太さんはちょっと意識飛び掛けたらしいですし、ちきん君も水被ったような大汗かいていたのでステージに近いブロックでは戦場のような激しさだった事でしょう(苦笑)

普段はあまり行かないようなジャンルでもたまに行ってみると楽しいですね。体の芯まで震わすような音圧に身を任せて腕を振り上げ体を動かすのもまたライブの楽しさ。機会があれば今度はもうちょっと近いポジションで聴いてみたい気もしますね(笑)

しかし、ハードっちゃハードでしたが2時間くらいのライブでは体力的にほとんど問題無かったあたり、私も鍛えられたものよ。…主にアイマスで(笑)最近5時間クラスがスタンダードになってきたしなぁ……

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先日放送された「アイドルマスターシンデレラガールズSpecial Program」にてプロデューサー役を演じる武内駿輔氏が顔出しで出演。良く響く低音ボイスなのに本人はまだ高校生という異色のニュービー。前作とも言える「アイマス」でプロデューサー役を演じた赤羽根健治氏に倣ってかスーツ姿での出演でしたが、もう高校生感ゼロ(笑)。自分が17歳の頃なんてスーツは「着られてる感」の方が強くてまるで似合わなかったぞ…

こんばんは、小島@監督です。
それはそれとしてアイマスPでなくとも武内駿輔の名前は覚えておいて損は無いと思うレベルで
あの声は逸材です。良く見つけてきたなぁ…

さて、今回は非常にユニークな映画をご紹介。「6才のボクが、大人になるまで。」です。

原題は「Boyhood」、「少年期」という意味です。6歳の少年メイソン(エラ・コルトレーン)が両親の離婚や再婚、転校や進学を経験しながら18歳になるまでの12年間が描かれます。
この映画の何がとんでもないってそれを本当に12年かけて撮影していること自体にあります。映画の進行と共にメイソンの背が少しずつ伸びていき、顔にはえらが張り、ひげが生え、声が低くなっていく様を目の当たりにすることになります。見た目だけではありません。メイソンは周囲の環境の変化に時に耐え時に抗いながらふとしたきっかけで自らの夢を見つけ、また恋を知り精神的にも少しずつ少年を卒業して大人になって行きます。
そうは言ってもコレはドキュメンタリーではありません。れっきとした劇映画です。メイソンを演じたエラ・コルトレーンが夏休みの時期を利用し、その3,4日間主要スタッフとキャストが毎年集結して撮影していたとか。1人でも欠けたらどうするつもりだったんだ?とかそれだけの予算をよく確保できたな、とか想像すると怖くなってくるくらいの大胆で贅沢な手法です。

物語は何気ない日常を重ねていく形で語られ、とりわけ派手な事件が起こるというワケではありません。少年にとって「大事件」になりそうなものはいくつも発生しますが客観的にドラマチックな事は何も起こりません。ラストシーンですら、他愛の無い少年のある日の一コマで幕を閉じます。そんな何気ない日々の中、一人の少年が確固たるパーソナリティを確立していく過程こそがこの言ってしまえば平坦な物語をダイナミックなものにしています。

メイソンだけでなく両親を演じたイーサン・ホーク、パトリシア・アークエットも見た目に少しずつ変化が生じていきます。特にパトリシア・アークエットは見た目はもちろん離婚によってシングルマザーになり、子育てと労働に疲れながらも猛勉強して大学で教鞭をとれるようになるまでを演じ切り、アカデミー賞主演女優賞などの数々の賞を獲得しました。

実際に12年かけて撮影してるので主観だけでなく客観的な時間も過ぎていきます。
それはイラク戦争やオバマ大統領選出と言った社会的なニュースももちろんですが、「ハリー・ポッター」の新作であったり、「スター・ウォーズ」「ダークナイト」等の映画、Xbox、コールド・プレイの楽曲など21世紀に入ってからのサブカルチャーの変遷が同時代性を持って登場するのが物語の良いアクセントになっています。野球ファンにとってはアストロズのユニフォームを着た当時43歳のロジャー・クレメンスが登板したゲームが登場するのに胸熱になる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

平坦と言えば平坦な物語が2時間45分続くので人を選んでしまう映画ではありますが、今後滅多な事では同様の作品は出ないであろうこの映画を「昔こういうのがあった」ではなく新作として楽しめる幸運は何物にも代えがたい。紛れも無く21世紀の映画史に名を刻む一作です。
幸い根強い支持を得ているようで、封切は昨年11月ですが公開から3か月経っても上映が続くロングランになっています。まだまだ機会はあるので興味のある方は是非映画館へ足を運んでいただきたいですね。

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先週職場で2月恒例の健康診断が。
職場での健診は胸部だけでなく胃部レントゲン撮影もできるバスを派遣してもらってクリニックなどに行く事無く社内で全てを済ますように手配してくれるのはありがたいのですが、バリウム飲むから朝食抜かなきゃいけないのに「会社の業務は止めない」という無茶振り。結果、食事抜きで2時間ほど力仕事をこなしてからの健診になるので大抵血圧が妙に高い数字になります(苦笑)
あと、できればバリウム飲むまでは水も飲むなとか言われているのですが、無理。空腹はともかく渇きは我慢できません。

こんばんは、小島@監督です。
まあ取り敢えず体重が昨対比4㎏マイナスだったのでとりあえずオッケー!これは「誤差」とは言わせないぞ(笑)!

さて、今回の映画は「エクソダス:神と王」です。

紀元前1,300年頃のエジプト。セティ1世(ジョン・タトゥーロ)の下で兄弟同然に育ったラムセス(ジョエル・エドガートン)とモーゼ(クリスチャン・ベール)は、ヒッタイト族との戦いで活躍し国内での名声を確かな物にしつつあった。そんなある日、ヘブライ人奴隷たちが働く街ピトムへの視察に向かったモーゼはそこで奴隷たちの長ヌン(ベン・キングスレー)と出会う。そのヌンによりモーゼは驚くべき自身の出生の秘密がもたらされる。

「エイリアン」や「グラディエーター」などの数々の大作をものしたリドリー・スコットの新作は、まさに絢爛という言葉が相応しい、大きなスケールの映像を楽しめる作品です。

題材は紅海を割っての脱出劇で有名な旧約聖書の「出エジプト記」。
舞台でも定番の題材ですし、映画でも黎明期より度々映画化されています。特に有名なのはチャールトン・ヘストンが主演した「十戒」(1956年製作)でしょう。預言者であり絶対的な武勇を誇るモーゼを「ローマ彫刻のような」と謳われたマッチョな肉体でダイナミックに演じてみせ、ヘストンの代表作の一つになりました。監督したセシル・B・デミルは1923年にも同じ題材を撮っていて(この時の邦題は「十誡」)、サイレント映画ながら「テクニカラー二色法(モノクロフィルムに赤・緑の2色のフィルターを通した映像を1本のフィルムに交互に記録して上映しカラー映像を再現する手法)」によるカラー映像が楽しめる最初期の作品として映画史にその名を残しています。

先述の「十戒」を含め、モーゼというと大抵杖を持ったビジュアルで登場するのですが「エクソダス」では武人としての一面がひときわ強調され、杖より剣を握る事の方が多い造形です。面白いのは映像化される「出エジプト記」は大抵モーゼが「英雄」でラムセスが「絶対悪」と善悪の2色がはっきり分かれている事が多いのですが、「エクソダス」ではモーゼもラムセスも弱さも醜さも隠さない人物として描かれます。「地に足が着いた」とでも言いましょうか。
この辺りの感覚は物語の方にも現れ、いわゆる「十の奇跡」ではかなり生々しい疫病の発生過程が描かれると同時に作中でその論理的な解説が施されるなど、類似作品との明確な差別化が図られています。
しかしそうは言っても監督がリドリー・スコットなので全てがセリフで語られる事など無く、人物の表情や仕草、映像の編集などである程度観客に「読む」事を求め、決してわかりやすい作りはしてないので観る人によってはその辺りで好き嫌いが分かれるかもしれませんね。

「出エジプト記」の解釈としてこういうものがどうなのか?というのももちろん、そもそも昨今の世界情勢からして今この題材をチョイスするのはどうなのよ?と疑問を抱く方もいらっしゃるでしょうが、きらびやかな衣装、巨大なセット、大勢のエキストラを擁したこのゴージャスそのものの映像はいかなハリウッドと言えどもそうそう実現できるものではなく、物語の解釈に対する賛否はさておきこの映像を楽しむためだけでも映画館に足を運ぶ価値は充分にある作品です。
既に公開も後半に差し掛かってはいますが、せっかくのこの機会にまさに「大作」と呼ぶに相応しいこの映画を楽しんでみて欲しいですね。

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昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
バレンタインSPということで、チョコレートの交換が行われました。私は今回「ポケモンチョコパイ オメガルビー・アルファサファイア」を頂きました。64番の方、ありがとー!入れ物の缶が丈夫いのでいろいろ使いでがありそうです!

こんばんは、小島@監督です。
そう言えば昨年のクリスマスSPの時はポケモンのエネコのぬいぐるみでした。もしかしたら同じ方かも。て言うかコレは何の啓示(笑)?遂に私もポケモンに手を出せと?やめて、私はアイマスとプリキュアで手一杯よ!

さて、今回は映画ではなくイベントの話、私とショーグンさん、いつきさんの3人は歌会を中座して昨日開催された「THE IDOLM@STER MOVIE Completion Party」のライブビューイングに行ってきました。
「Completion Party」とは即ち「打ち上げ」、昨年公開された劇場版を締めくくるためのイベントです。正直言って昨年のそれも1月に公開された映画の「打ち上げ」と称するイベントを1年以上も経ってから開催するのはどうなの?という気も無くは無いですが、まあそこはそれ!それだけ愛されてる証拠って事で(笑)!


写真は当日配布された「式次第」、「乾杯」に「祝電披露」まであってなかなか本格的なプログラムです。古参のファンにとっては高木順一郎(演じていたのは故・徳丸完氏)、順二郎の2人が連名表記されているのに胸が熱くなります。
ちなみに本会場ではわざわざ客席に乾杯用のドリンクまで用意されていたとか。
面白いのは「打ち上げ」を前面に打ち出したイベントだけあって、この手のライブイベントで定石のグッズ販売が行われなかったことでしょうか。敢えて興行収益の一翼を担う部分をオミットしてみせた辺りに、主催者の心意気が窺えます。その分赤字が凄そうですが(苦笑)
なお、「祝電披露」はアニメアイマスを監督した錦織敦史氏の手紙と今回のイベントに出演できなかった765プロメンバーのビデオメッセージ上映でした。

出演したキャストの方々は私服での登壇で、また楽曲の披露も全体で3曲と少なめ。プログラムで「余興」と称された部分は、イベント開始前はライブパートだろうと思っていましたが、実際はもっとバラエティに富んでいました。
劇場版製作スタッフも交えてのトークあり、劇場版の内容にちなんだ(かなり難易度の高い)クイズバトルありとこれまでのアイマスイベントからするとかなり異色の内容。あまり他のアニメやゲームのイベントには参加しないので比較対象がほとんど無いのですが、一般的なアニメのイベントってもしかしたらこういうものなのかもしれませんね。
中でも出色はキャスト達による舞台朗読劇でしょう。劇場版の後日譚としてクライマックスのアリーナライブの後、765プロのメンバーとゲスト出演したミリオンスターズのメンバー達が打ち上げパーティーに出席する、と言った内容なんですが、もう5年近くアイマスのライブイベントを観てきたものの、出演者がそのキャラクターをガッチリ演じてる所を観るのは実は初めてで、何か物凄い新鮮で結構ボルテージ上がりました(笑)
出演者の表情が良くクローズアップされるライブビューイングではそれぞれが台本にどのような書き込みをしてるのかもチラッと垣間見えてその辺も新鮮でした。

トーク中心の緩い構成だったり正味3時間弱と最近4時間半~5時間が一般化しつつあるアイマスライブイベントにしては短い上演時間でしたが、実に充実した時間を過ごせた気分です。
先述の朗読劇の終わりにはVTRが上映され、アニメ「アイドルマスター」の軌跡とともに、7月に開催されるライブの第1報が!
遂にドームですよ、ドーム!しかも既に仕事だなんだでスケジュールが埋まりつつある今夏の僅かな空隙にドンピシャ!今こそ自分に忠を尽くす時!10周年、全力で行きますよ!

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先週突如告知されたキングレコード初のアニソンフェス、「KING SUPER LIVE2015」、水樹奈々や田村ゆかり、宮野真守、angela、陰陽座と言ったメンバーも然る事ながら出演者の中に何と林原めぐみが!
90年代の林原めぐみ全盛期直撃世代としてはさすがにスイッチ入らざるを得ないですよ。何とかしてチケットをゲットしてステージを観に行きたいところ。

こんばんは、小島@監督です。
でも会場がさいたまスーパーアリーナと言えどこれは倍率高そうだな…

さて、今回の映画は「マエストロ!」です。

解散したオーケストラで第1バイオリンを務めていた香坂(松坂桃李)は、しかし次の就職先がなかなか見つからずにいた。そんな中香坂の下にオーケストラ再結成と復活コンサート開催の知らせがもたらされる。
指定された練習場は廃工場、集まったのは楽団員の中でも再就職先が決まらない「負け組」たち。試しに音を合わせてみても音色はとてもプロと呼べるものではない。
そこに現れたのが再結成を企画した天道(西田敏行)だった。経歴も素性も一切不明、指揮棒の代わりに大工道具を振り回し、自分勝手で強引な方法で練習を進めていく。果たしてオーケストラは復活コンサートを成功されられるまでに持って行けるのか!?

破天荒な指揮者のもとで復活を果たそうとする楽団員の奮闘を時にコミカルに時に感動的に描く作品です。原作は「神童」「ピアノの森」など音楽をモチーフにした作品を数多く描いているさそうあきらのコミックで、監督は「毎日かあさん」の小林聖太郎、脚本は「サマーウォーズ」のシナリオを手掛けた奥寺佐渡子が担当しています。

この映画、とにもかくにも西田敏行の怪演が眩いばかりの光を放ちます。小汚い格好で大工道具を振り回し、強引かつ思いつきのような練習方法で楽団員を翻弄していく指揮者天道をものの見事に演じ切ります。指揮演技の指導と監修を佐渡裕が担当しているのですが、素人目にはダブって見えてしまう位に佐渡裕の動きを再現してみせて西田敏行の技量の深さに驚かされます。
他にもこの映画は斎藤暁、濱田マリ、嶋田久作、松重豊と脇役の顔触れも個性的。個性的、というかアクが濃すぎて主役の松坂桃李が少々霞み気味です。別に松坂桃李が大根だとか華が無いとかいうワケではないのですが、これはさすがに相手が悪すぎたと言わざる得ません(苦笑)

物語の方は原作が単行本3巻分と比較的分量が短いこともあってコミック原作の映画化にありがちなぶつ切り感が少ないのがポイントです。ただそれでも個々のキャラクターの掘り下げを俳優の技量と解釈に頼ってしまっている傾向があり、エピソードとしてもう一歩踏み込んだ描写があったらな、と感じられる部分がいくつかあったので、できれば2時間の映画というよりはショートシリーズの連続ドラマとかで観てみたかった気もします。

こまごまと粗が見受けられる作品ではありますが、音楽をモチーフにした映画だけあってBGMも良く、クライマックスのコンサートなどスケールを感じさせる映像が楽しめるシーンもあり、総じて満足度は高い作品です。落ち着いて楽しめる作品を観たい気分の時には適した1本、
興味の方はスクリーンへ足を運んでみて下さい。

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この週末はラブライブ、うたのプリンスさま、アイマスとなぜか全国各地でアニメ関係のイベントが開催され、会場まで遠征を行った方やライブビューイングに足を運んだ方も多いのではないでしょうか。
とは言え全体を観れば活気があって素晴らしいと思うのですが、どうして何もかも同じ日に開催されるのでしょう?あれもこれも観たい方には取捨選択を迫られる週末でもあったでしょうね。

こんばんは、小島@監督です。
私ですか?私はもちろん仕事です(泣)
せいぜい仕事上がりに「ストライクウィッチーズ」を観に行くのが精一杯でしたさ。

さて、今回はちょっとユニークなアニメ映画をご紹介。「TATSUMI マンガに革命を起こした男」です。

彼の名は漫画家辰巳ヨシヒロ。
1950年代後半、いわゆる「貸本漫画」の隆盛に伴い従来の子供向けとは一線を画す、生々しい人間の感情をぶつける大人向けの作品を描く作家たちが登場し始める。その最中、新聞各紙は「俗悪マンガの氾濫」として貸本漫画を糾弾するキャンペーンを展開。それに憤慨した辰巳ヨシヒロは子供向け漫画とは違う大人向けの漫画を指し示すものとして「劇画」という言葉を生み出した。
そして時代は高度経済成長期へと移って行き、「少年サンデー」「少年マガジン」と言った週刊誌の創刊も追い風となり、「劇画」は手塚治虫すら嫉妬するほどのムーブメントを巻き起こすようになる。
これは手塚とも「トキワ荘」の面々ともまた一味違うマンガの昭和史である。

辰巳ヨシヒロという漫画家については正直あまりよく知りません。知ってる事と言えば「劇画」という言葉を生み出した事と、彼の自伝的作品であり、この映画の原作とも言える「劇画漂流」が2009年の手塚治虫文化賞大賞を受賞した事、くらいでしょうか。作品は読んだ事が無いですね。
後になって知りましたが「劇画漂流」は1990年代半ばから約10年間に渡って「まんだらけ」の季刊カタログに連載されていたものを単行本化したものだとか。もしかしたらそちらの方で目にした事のある方はいらっしゃるかも。
余談ですが辰巳が「劇画」という言葉と共に立ち上げた漫画家グループ「劇画工房」のメンバーの中には後に「ゴルゴ13」で国民的人気を獲得することになるさいとう・たかをがいたりします。

映画はその「劇画漂流」をベースに、辰巳ヨシヒロが1970年代に発表した短編5編を挿入する形で構成されています。ナレーションを辰巳ヨシヒロ本人が担当しており、さながらドキュメンタリーを観ているかのようです。

本編に挿入する形で登場する5つの短編も従軍カメラマンが原爆直後の広島で撮影した1枚の写真を巡って数奇な運命をたどる「地獄」や、落ち目の漫画家がたまたま駆け込んだ公衆トイレの壁に描かれた卑猥な落書きにのめり込んでいく「はいってます」など、時にハードに時にユーモラスに人間の業や生々しい感情を叩きつける作品が並び、観る者の心を揺さぶります。
作中のナレーションではない辰巳のセリフと短編の主人公は全て別所哲也が演じており、その演じ分けの見事さはある種落語的のようにも思えました。
原作の描線を極力活かすような形で映像化されているようで、その素朴ですらあるビジュアルも最近のアニメとは一線を画しますね。

この映画を最もユニークにしている点は、日本の漫画を原作にし、作中の言語もすべて日本語であるにもかかわらずこの映画は邦画ではなく洋画であるところでしょう。監督はシンガポールを中心に活動するエリック・クー、アニメートはカナダのクリエイター・フィル・ミッチェルの指揮のもと、インドネシアのスタジオで製作されたそうです。
近年ようやく再評価の機運が生じているとは言え日本では既に忘れられた作家といえる辰巳ヨシヒロは実は海外での評価が非常に高く、「劇画漂流」の英訳版が発売された際にはニューヨーク・タイムズが一面で取り上げたりしたそうで、書店のコミックコーナーでは手塚の隣に並んでいる事も珍しくないとか。
映画の原作への多大なリスペクトを観ればそれも納得と言ったところでしょう。

この映画について非常に残念に感じてしまう点は、一人の漫画家から見た昭和史としてこれほど深い洞察を兼ね備えた映画が日本では成し得なかった、その一点に尽きるでしょう。同時に日本の漫画が思った以上に世界で読まれてる事にも驚きましたが、ジャパン・カルチャーとして持て囃される昨今ですが、手塚治虫の没後から既に四半世紀を経ながらまだ漫画は真に「文化」としてはまだ緒に就いたばかりなのだ、と思わざるを得ません。逆に「マンガ」にはまだそれだけ広い裾野があるのだ、という考え方もできるでしょうか。

決してメインストリームに立つことは無い映画ですが、観る者に様々な感情と感慨を喚起させずにはおかないこの作品、機会があれば是非触れてみて欲しい1本ですね。マンガ勃興期のエネルギーをそのまま伝える熱気を宿したこの作品、味わっておいて損は無いと思いますよ。

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昨日の歌会に参加された皆さんお疲れ様でした。
今回はしばらくぶりにじゃんけん大会に参戦して水樹奈々ライブポストカードをゲット。帰宅後自室で一人ニヤニヤしておりました。

こんばんは、小島@監督です。
先日のMAAさんのブログを読むとさいたまスーパーアリーナのなーなライブも良かったんだろうな~、Blu-ray化を楽しみにしていよう。

さて、今回の映画は「劇場版PSYCHO-PASS」です。

人間の犯罪傾向を数値化し「犯罪係数」を測定する事で治安を守る「シビュラシステム」が敷かれた近未来の日本。
その日本への密入国を図ろうとした外国人テロリストを鎮圧した常守朱(声・花澤香奈)ら公安局刑事課一係のメンバー達。テロリストへの取調の結果、かつて公安局刑事課一係の執行官であった狡噛慎也(声・関智一)の関与が疑われる。その真相を確かめるため、朱は単身テロリストたちの出身地である「SEAUh(東南アジア連合/シーアン)」へと渡るのだった。

2度のテレビシリーズを経て「サイコパス」が遂に劇場版に。シーズン2のラストから更に1年半後の世界を舞台に新たな物語が紡がれます。
先々週のショーグンさんのブログにも登場している作品ですが、今回は私なりの観点で語ってみようかなと思います。いや、観ちゃうと語りたくなるんだって、この映画(笑)

先ずは桁違いに情報量の上がった画面や、オーケストレーションとコーラスをふんだんに使用してより重層的になった音楽が支える音響面など全てがテレビシリーズより格段にスケールアップしています。年間通して絶えず何がしかアニメ映画の新作が公開される昨今ですが全編に亘りスクリーンの大画面と大音響での鑑賞に堪えるアニメ映画、というのはさすがになかなか無いのでそれだけでもこの映画を楽しむ価値はありますね。

この映画、物語の構成も他のアニメ映画ではなかなか見ない要素が多いのも特徴です。
最たるものが「英語は基本的に英語のまま喋って字幕が表示される」ところで、吹替えとかではなく演じてる声優がそのまま英語のセリフを喋っています。
主要人物に子供がいないというのもアニメでは意外に珍しいですね(子供っぽい考え方してる人はいますが)
また、シーズン1の頃から様々な小説などからの引用がセリフに組み込まれる作品でしたが劇場版でもそれは変わりません。むしろさらに洗練されている感じです。
因みに今回のブログのタイトルは個人的に作中最もツボにハマったセリフから拝借させてもらいました。こんな気の利いた(?)罵倒が飛ぶなんてアニメそうそう無いですよ(笑)
既にご覧になってる方の為にちょっぴり説明すると「ポストコロニアル」とは「独立を果たした植民地がその後も植民地主義的な遺産や関係性が持続しているような状況、またはその文化的な研究」とでもいうような意味合いの言葉です。その発端と確立はエドワード・サイードの「オリエンタリズム」からと言われています(さすがにまだ読んだ事無い)学生時代にサラッと触れた事がある程度の言葉をまさかここで聞くことになろうとは。どんな勉強もやっておく価値があるってもんです(笑)
このシーンに限らず作中のセリフや掛け合いからその含意を深読みしてみるのも楽しい作品です。
フィリップ・K・ディックの「マイノリティ・リポート」を彷彿とするシビュラシステムはどうもインテリをアウトローにしてしまう様で、テレビシリーズの頃からインテリマッチョが多い作品です。彼らが引き合いに出すセリフやタイトルをきっかけに様々な作品に触れてみるのもまた一興。
実はもう一つ物凄くツボにハマった箇所があるのですがさすがにネタバレがヒドイのでここでは黙っておきます(笑)

そうそう、「キャラ萌え」的な面で観ると、この映画ぶっちぎりで宜野座伸元(声・野島健児)の独壇場です。シーズン2ではイマイチの扱いでしたが今作では大活躍。彼のファンでまだご覧になっていない方は是非観に行っておきましょう。

1980年代に黎明期を迎えた「サイバーパンクSF」というジャンルは一時衰退したものの種々のテクノロジーの進化によってイメージを喚起しやすくなり、「近未来」という言葉により「現実味」が増して近年再び活気づいてきている印象です(無論「ニンジャスレイヤー」のヒットも要因の一つでしょう)。日本でその旗手足りえたであろう伊藤計劃氏が既に故人になっているのは残念ですが、それでも「サイコパス」のような作品が生まれ、そこから新たなファンが増えると嬉しいですね。その故・伊藤計劃の作品のアニメ映画化も控え、まだまだ目が離せそうにありません。

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