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ちゅうカラぶろぐ


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ニコ生で今週の終わりまで「サメコレ」と題し、近年製作されたサメ映画を日替わりで配信するというステキボンクラ企画が進行しています。
B級パニック映画の中でゾンビ映画と双璧をなすサメ映画、単にホラーというだけでなく時にコメディ、時にラブストーリー、時に哲学的な人間ドラマと物語に幅の広さを見せるゾンビ映画と違って基本的には何を観ても「何かいろんなサメが人間を襲う」だけ!のため、既にジャンルとしては飽和状態。それでも妙に生き残ってるので遺伝子改造されて砂浜も泳げるようになったりタコと合体したり幽霊になったりメカになったりどんどんアイディアが先鋭化されていき、そこが変に愛されてる魅力とも言えます。

こんばんは、小島@監督です。
「サメコレ」のラインナップの中には低気圧で吸い上げられ上昇気流に乗って上空からサメが襲い掛かってくるという無茶苦茶なネタで一躍サメ映画界のスターになり続編まで作られた「シャークネード」なんていう逸品も。ニコ生にて連日21時10分から!

さて、今回の映画は「シチズンフォー スノーデンの暴露」です。

2013年初頭、気鋭のドキュメンタリー作家ローラ・ポイトラスの元に「シチズンフォー」と名乗る何者かから「NSA(国家安全保障局)が国民の膨大な通信データを秘密裏かつ無制限に収集している」という衝撃的な情報と共にコンタクトを求められる。
ローラは「シチズンフォー」とのインタビューを敢行するため旧知のジャーナリスト・グレン・グリーンウォルドと共に香港へと向かった。香港で待っていたのは元CIA職員エドワード・スノーデン。ローラがカメラを回し、グレンがインタビュアーを務める中、スノーデンは驚くべき事実を次々と明かし始める。

2013年6月に起こりアメリカが個人情報を極秘裏かつ無制限に収集していることを暴露し世界に衝撃を与えた「スノーデン事件」、その内幕を語るドキュメンタリーです。
この映画を、極めて特異かつ印象的なものにしているのは映画の中でも最もウェイトを占めるスノーデンへのインタビュー、その取材時期それ自体にあります。
スノーデンへのインタビューを元にグレン・グリーンウォルドが英国紙ガーディアンに掲載した記事、それが「スノーデン事件」の口火であり、つまりこの映画は何と「事件を回顧する」のではなく「事件が起きたその場その瞬間」を収めたドキュメンタリーです。更にこの映画はスノーデンが自身が告発者であると名乗り出るところまで密着し続けます。
事件後の世界情勢の変化はニュースで多分に語られたのでご存知の方も多い事でしょう。NSAがドイツのメルケル首相の携帯電話を盗聴していたことが発覚し、オバマ大統領が謝罪するに至ったり、日本でも安倍首相の電話が盗聴されている事が発覚したりしました(こちらは正式な抗議をせずじまいなようですが)

ちなみにスノーデンが名乗る「シチズンフォー(Citizen Four)」という名前の意味は、「自分が最初ではなく、また最後でもない」という理由からだそうで、確かにかつて世に知られている限り3人、NSAを内部告発した人物がいますし、その辺りも意識したネーミングなのでしょう。
インタビューを通してみる限りスノーデンはいわゆる自由至上主義者(リバタリアン(他者の身体・財産を侵害しない限り個人の望む行動は基本的に自由であるとする、個人的自由と経済的自由の双方を重視する政治思想))であるようで、そこがともすれば恣意的に個人をパブリック・エネミー仕立てることを可能としてしまったNSAの方針と反駁した結果の行動のように思えます。

さながらジョージ・オーウェルのSF小説とジョン・ル・カレのスパイ小説をミックスしたような極めてエキサイティングなスリラーを観ているようなこの映画が、「フィクションではない」という事実、そして現在進行形のトピックであること、そこに最も戦慄を覚えます。この衝撃的な内容でこの映画は世界各地の映画祭で実に40もの賞を獲得しました。

正直観る者に相応のリテラシーと素養を求めるのでかなりハードルの高い映画であることがある意味欠点ではありますが、この事件や世界情勢に興味のある方には得るものの多い作品になる事でしょう。是非、鮮度の高い内にどうぞ。




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昨日の歌会に参加された皆さんお疲れ様でした。
初参加の方々は楽しんで頂けましたでしょうか?次回以降も続けて参加してくださると嬉しいですね。
今回有志によるコミック交換会も行われ、私も参加してどなたのチョイスかは分かりませんが「くまみこ」を頂きました。帰りの車中で読みましたが、良いねもふもふ!あとまちさんぽんこつカワイイ。
私は今回「りゅうおうのおしごと!」をご用意しました。ラノベ原作のコミカライズなので原作小説も一緒にしました。
「りゅうおうのおしごと!」は10代にして竜王に昇り詰めながらもその後スランプに悩む主人公・九頭竜八一のもとに小学生の女の子・雛鶴あいが押し掛け弟子入り志願するところから始まる将棋を題材にしたライトノベルで、いかにもな可愛いキャラクター達が見せる徹底的に媚び媚びな部分と「盤上の殺し合い」とでもいうべきプロ棋士のシビアな世界が絶妙に同居する物語です。原作者白鳥士郎の丹念な取材が活かされ、「女子小学生が内弟子として住み込む」ことを始め作中で語られるエピソードの多くが将棋界で実際にあった話、というのも面白く、今現在私が唯一次巻を楽しみにしているライトノベルです。コミカライズの方は漫画なぶん更にもう少し媚び気味ですがコレもこれでなかなか。

こんばんは、小島@監督です。
まさかかときちさんの手に渡るとは意外でしたが、楽しんでもらえると嬉しいですね。

さて、今回の映画は「マンガをはみ出した男 赤塚不二夫」です。

「おそ松くん」「天才バカボン」など数々の名作を生み出し、現在に至るも後進に強い影響力を与え続ける「ギャグマンガの王様」として戦後漫画史の一翼を担った漫画家赤塚不二夫。その破天荒でアナーキーでそれでいて繊細な生涯を、アニメーションとドキュメンタリー、双方の手法を用いて迫っていく。

戦後昭和史という観点において、避けて通れない作家のひとりと言って過言ではない漫画家・赤塚不二夫。
バカボンのパパやニャロメ、イヤミなど一度見たら忘れ難いキャラクター達を次々と生み出したその着想の原点、あるいは漫画だけに限らずテレビ出演やステージアクトにも積極的に進出し、ナンセンスというものを生涯にわたり追求し続けたその破天荒な天才の実像に迫っていきます。

この映画を監督したのは太宰治の小説を原作にした「パンドラの匣」(2009年製作)や「パビリオン山椒魚」(2006年製作)などを手掛けた冨永昌敬。基本的に劇映画の方ですが、「アトムの足音が聞こえる」(2011年製作)などドキュメンタリー映画も数本手掛けています。

赤塚不二夫の生涯をその時系列に沿って赤塚が生み出したキャラクター達が演じるアニメーションパートと家族を始め当時を知る関係者たちのインタビューを中心にしたドキュメンタリーパートで構成していきます。

アニメーションパートでは、ポップなビジュアルとシンガーソングライター青葉市子によるリズミカルなナレーションが時に結構ヘビーなこともサラリと軽やかに表現し、独特の味わいを観る者にもたらします。
ドキュメンタリーパートで面白いのは赤塚不二夫はテレビを始めとしたメディアへの露出も非常に多かった人物のため、当人が出演した当時のテレビ番組や肉声を収録した素材がふんだんに使われている事でしょうか。特に70年代頃と思しきバラエティー番組のフッテージなどはこんな無茶苦茶なもの放送してたのかと変に感心してしまうほどアナーキーなものが登場します。無論芸能界との関わりという点で外すことのできないタモリとの親交も重点を置いて語られ、赤塚不二夫の葬儀の場でタモリが「私もあなたの作品の一つです」と弔辞を贈った理由もある程度読み取れるようになっています。
ちなみにタモリはこの映画のエンディングテーマも歌っています。

個人的に強く印象に残ったのは本編で数十秒ほど使われた80年代頃と思われるあるプライベートフィルム。「天才バカボン」や「もーれつア太郎」などでムーブメントを巻き起こし時代の寵児に昇り詰めた60年代を過ぎたのち、70年代後半から赤塚不二夫は長いスランプと深刻なアルコール中毒に悩まされることになるのですが、そこから立ち直ろうと足掻く姿がそこには収められています。
「ギャグ」とは常識を破壊したところ、逸脱したところにこそ存在する。ギャグ・ナンセンスというものを極めようとすること、それは「自由」を縛るものを徹底して解体する作業であり、その深淵を覗き見て後もなおそうあり続けようとするのなら、それは「自由」と引き換えに心や体を壊していくことを意味するような領域だったのでしょう。

関係者から語られるエピソードがあまりに面白すぎたのか、次々と逸話が繰り出される割にはそこから深く分け入っていくような印象を与えてくれる箇所は少なく、いちドキュメンタリー映画として観た時、いささか食い足りない印象は否めません。しかし「天才・赤塚不二夫」の源流に対する監督なりの考察は提示されていますし、観る側がそれ以上に深入りするための材料も十二分に見せてくれています。赤塚不二夫の世界観に踏み入って行くための道標としての機能は充分果たしていると言えるでしょう。
普段観るアニメともドキュメンタリーとも違う味わいを放つこの作品、多くの方にお薦めできる1本ですが、「おそ松さん」や「天才バカヴォン」など直近のアニメで赤塚作品に触れた方にこそ是非観ていただきたいですね。正直赤塚不二夫は当人の生涯が一番面白い「作品」ですから。


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前回の歌会で既にご存知の方もいらっしゃいますが、実は先月から遂にスマートフォンに変えまして、今はどんな機能が付いているのかをいろいろ試している真っ最中。
その中に歩数計があって、買った日からの日々の歩数が記録されてるのですが、私出勤日は毎日20,000~25,000歩歩いてました。概算距離は20~25km。通勤で徒歩の距離は全部足しても3kmあるかどうか位のはずなので、実に20km前後を職場内で歩いてる計算に。道理で足腰鍛えられてる気がするわけだ。

こんばんは、小島@監督です。
つまりあとは腹回りを何とかすれば…!

さて、今回の映画は「デッドプール」です。

トラブルシューターをして日銭を稼ぐウェイド・ウィルソン(ライアン・レイノルズ)は、ある時娼婦のヴァネッサ(モリーナ・バッカリン)と出会い、やがて2人は愛し合うようになり婚約するに至るが、その日にウェイドは意識を失い倒れてしまう。
病院で末期ガンと診断されたウェイドは、自身が朽ちていく様をヴァネッサに見せたくないと一方的に別れを切り出し、塞ぎ込んでいた。そんなウェイドに謎の男が接触を図る。「ガンを治癒できる」という男の誘いに乗り人体実験の被験者になる事を決めたウェイドだったが、謎の薬品を投与され、その結果細胞が変異し超人的な治癒力を持つようになるが同時に全身火傷を負ったような姿に変貌してしまった。
醜い姿になってしまった自分を受け入れられないウェイドは、マスクを被り復讐人「デッドプール」と名乗り、自身を変えた男たちの手がかりを追い始める。

マーベル・コミックが送り出す新たなヒーロー映画はオープニング・クレジットから全力で笑いを取りに行く異色の構成が目を引くまさに「コミカル」な作品です。
「デッドプール」というキャラクターはアメコミ・ヒーロー数あれど相当ユニークなキャラクターで、映画も原典同様にデッドプールが観客に幾度となく直接語り掛ける構成をしています。しかも大抵そういう時は何かしら自虐的なセリフを発しますし、それ以外にもカメラを意識した行動やBGMがかかっていることを自覚したセリフなど、いわゆる「第四の壁」をホイホイ破る演出が多用されています。
笑いの取り方の方向性としては80~90年代の香港映画や、あるいは日本のアニメで言えば水島努監督作品のそれと似ているように思います。この辺りを好む方にはこのテンポはかなり心地良く感じるのではないでしょうか。

一応作品としては「X-MEN」の系譜に当たる作品で、シリーズお馴染みの「恵まれし子らの学園」と、「ファイナル・ディシジョン」や「フューチャー&パスト」に登場したコロッサス(今作ではステファン・カピチッチが演じている)が登場しますが、基本的には単独の作品です。
デッドプールというキャラクター自体「ウルヴァリン X-MEN ZERO」(2009年製作。監督ギャヴィン・フッド)に登場し、ライアン・レイノルズはその時デッドプールを演じてもいますが、作品としてはほぼ全く関係ありません。もっとも「ウルヴァリン」の時のデッドプールのシリアスな人物造形にライアン・レイノルズがいささか不満で何とか原作のイメージに近いデッドプールを映像化したかったという熱意もあったようで、経緯としては無関係ではなさそうですが。
なので、「デッドプール」を観るにあたり何か「X-MEN」シリーズを予習しておいた方が良いのかと言えばそんな必要はありません。もしも何か予習を…とお考えの方はむしろ「127時間」(2010年製作。監督ダニー・ボイル、主演ジェームズ・フランコ。因みにこの映画のフランコの吹替えは奇しくもデッドプールのライアン・レイノルズと同じ加瀬康之である)をお薦めしておきます。それ以外にも多くの映画のパロディが盛り込まれているので、映画の素養が深いとそれだけ深く楽しめるようになっています。

基本的にはコメディ寄りの作品ではありますが、デッドプールがいかにデッドプールになっていったか、という「エピソード1」としての機能はしっかりと果たせていますし、セリフ回しが下品とは言えひたすらヴァネッサへの愛情を貫こうとする純愛映画的な一面も持ち合わせ、エンターテインメントとしての質は思いのほか高いです。
反面、R-15というレイティングも伊達ではなく、悪人たちが結構勢いよく手とか首とかすっ飛ばされたり爆散したりするため、こういうスラッシャー描写が苦手な方は注意が必要です。これでもいわゆるスプラッタ・ホラーに比べたら大したことないと言えばそうなのですが、苦手な人は苦手ですしね。

その辺が大丈夫ならデッドプールは期待以上の楽しさを観る者に約束してくれる映画です。近年複雑かつ長大化の一途をたどるアメコミ映画に反して登場人物も少なく108分と短めでテンポが良く見やすいのもポイント高いです。気になってる方は是非映画館で上質のボンクラ体験を!
もちろん他のマーベル映画同様にエンドクレジット後にもう1シーンあります。ただ他と違ってちょっと入り方が特殊なので場内が明るくなるまで席をお立ちになりませんよう。

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「鋼の錬金術師」が実写映画化されることが決定したとか。
また果敢に挑戦するなぁと思わざるもないですが、最近それでも漫画やアニメの実写化が絶えないのは「ネタが無い」とか「売れた原作でひと稼ぎしたい」とか以上に反発される声が大きいだろうことを承知の上で「そういう声を黙らせてみたい」という製作者の意地みたいなのでもあるんじゃないかと思うようになってきました。

こんばんは、小島@監督です。
何を題材にしようと誰が演じようと必要なのは「脚本」と「思い切りの良さ」。あとハガレンならアルフォンスの質感ですね。取り敢えずキャスティングは悪くない人選なのでちょっと期待はしています。

さて、今回の映画は「名探偵コナン 純黒の悪夢(ナイトメア)」です。
かなり早い段階で観ていたというのに何故今までほったらかしに?決して忘れていたワケではありません。後回しにしすぎただけです。

ある夜、警視庁内に何者かが忍び込み機密データを奪い取ろうとしていた。その動きを察知していた公安の安室透(声・古谷徹)らは、忍び込んでいた女を捕えようとするものの取り逃し、女は車で逃走を図る。追跡を開始した安室だが、そこにFBIの赤井秀一(声・池田秀一)も乱入し三つ巴のカーチェイスが繰り広げられる中、遂に女の乗った車は橋から転落してしまう。
翌日、江戸川コナン(声・高山みなみ)と少年探偵団一行はリニューアルオープンを迎えた東都水族館に赴いていた。そこでコナンたちは記憶を失ったオッドアイの女(声・天海祐希)と出会う。

シリーズ20作目の記念作品となる今作は、黒の組織とFBI、CIA、公安らが一人の女性を巡り暗闘を繰り広げるサスペンス・アクション。
安室透、水無怜奈(声・三石琴乃)が劇場版に初登場するほか、これまで回想シーン程度の僅かな出番だけだった赤井秀一も初めて本格的に物語に絡んできます。また、故・家弓家正氏に代わってジェイムズ・ブラック役を担うことになった土師孝也氏がTVシリーズに先んじてジェイムズ役を演じています。
黒の組織のメンバーを含め、言わば「メインストーリー」に絡むキャラクターが多数登場する中で物語の主線に絡む劇場版オリジナルのキャラクターは実質オッドアイの女ただ一人、という点が異色と言えますね。

脚本を担当したのは「相棒」や「科捜研の女」など刑事ドラマのシナリオを多く手掛けた櫻井武晴氏。コナン映画としては17作目「絶海の探偵」、19作目「業火の向日葵」に続いて3度目の登板になります。3度目にしてある種の「距離感」を掴んだのか、ドラマ畑で鍛えた経験をアニメに持ち込んだ事の強みを活かしながらアニメならではのハッタリを効かせたい部分は思い切って監督や作監などスタッフに任せるバランス感覚が巧い具合に作品に好影響を及ぼしているように感じました。

主要オリジナルキャラクターがほぼ1人のみ、ということでこれまでのような「犯人は誰か?」というミステリー的部分は大幅にオミットされ、推理という部分は「記憶喪失の女性は何者なのか」という部分に集約され、あとはいかに黒の組織の裏をかけるか、というサスペンス色が強い作品で、2011年以降の劇場版コナンを担当している静野孔文監督の得意とする派手で激しいアクション描写との相性も良く、特に終盤は安室と赤井も加わってのダイナミックなアクションはまさにアニメならではの楽しさに満ちていると言えるでしょう。
反面それ以前のミステリ色の強い作品に愛着のある方にとってはこのハリウッド映画のような味わいは却って反感を買うかもしれません。また「コナン」のメインストーリーに極めて近いセリフやシーンが頻出するので初見の方にはろくに話が分からないかもしれません。
私もミステリ色強い落ち着いた作品も大好きですが、せっかくスクリーンでアニメを観るのなら「動き」のもたらすカタルシスのある作品はやっぱり楽しいですね。

そうそうもう一つ。古谷徹演じる安室と池田秀一演じる赤井が揃って劇場版に登場するのは初めて、ということで、2人が登場するシーンやセリフの一部に「ガンダム」ネタが仕込んであるようです。気づくとちょっとニヤニヤできますよ。それとネタバレすれすれでもう一言。「ガールズ&パンツァー劇場版」をご覧になっている方はあるシーンで変な笑いが出ます。それがどこかは当然内緒です。

20作目にして未だに興収を伸ばし続けるモンスターなシリーズとなった「名探偵コナン」、今作も順調で公開から既に1か月以上が経過していますがもうしばらく上映が続きそうです。派手なシーンが多くスクリーン映えする作品ですし、何より「コナン」のこの後の物語に関わる大きな伏線も登場しますし、気になっている方はTV放送を待たずに劇場で堪能することをお薦めしますよ。

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。昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れさまでした。
今回も100人越えの参加者ということで、前回の歌会を頭から参加していたワケではなかった事もあり、いつもの集合場所が膨れ上がっている様に軽く驚きました(笑)
また今回みちさんの提案で設けられたJAM部屋も大盛況だったようですね。私も1曲参加させてもらいました。普段のカラオケと少々違う感覚に戸惑いましたが、6人がかりでパート分けして歌うのはなかなか無い経験なので楽しかったですね。

こんばんは、小島@監督です。
そうそう、今回じゃんけん大会で島根の地酒セットを頂きました。出雲はまだしも隠岐や石見の地酒は今まで縁が無かったのでどんな味わいなのか楽しみですよ。

さて、今回の映画は「ズートピア」です。

動物たちが暮らす大都会ズートピア。そこにウサギのジュディ・ホップス(声・ジェニファー・グッドウィン)が新任警察官として配属された。しかし、過去に例の無い体の小さなウサギの警察官など誰もその能力を信用せず、署長である水牛のボゴ(声・イドリス・エルバ)から与えられた仕事は駐禁の切符切り。
理想と現実のギャップに苦しみながらも仕事を続けるジュディは、ある日厭世的なキツネの詐欺師ニック(声・ジェイソン・ベイトマン)と出会う。
折しもズートピアでは肉食動物たちが謎の失踪事件を繰り返していた。ひょんなことからジュディはニックと共に失踪事件を追うことになるのだが。

ディズニーの新作アニメーション映画は、いかにもディズニーらしい動物を基調にした可愛らしいキャラクター達が躍動しながら、しかしその実相当に骨太で硬派な物語を展開します。

聡明で猪突猛進、そしてちょっぴり世間知らずなジュディと厭世的ながら世渡り上手なニックという対照的な2人が事件捜査に当たるという構図自体は決して珍しい物ではありませんが、方や草食動物、方や肉食動物という設定が後半思わぬ形で活かされてくる当たりが見事。それ以外にも数々の小道具や序盤の小さなエピソードが終盤活きてくる作劇が実に巧みです。

サイズも生息環境もまちまちな多くの動物たちが暮らすズートピアは、そのまま多様な人種が混在するニューヨークの戯画化と言えるでしょう。
その為ジュディとニック、それぞれが抱くコンプレックスはそのままマイノリティゆえの苦しみとも言えます。ケモナー大歓喜の可愛らしいビジュアルながら物語の根底には様々な形の「差別」が横たわっているのがこの作品の特徴です。
「差別」というテーマ、そこに目を向けると、例えばライオンの市長ライオンハートが市長という役職に付いているのも単に「百獣の王だから」という以上の意味付けが見て取れるようになり多くの物事、それが登場する動物たちに抱くステレオタイプなイメージを逆手に取るように作られている当たりも非常にクレバーで楽しいです。

もう一つ、この作品にはかなりマニアックな、というか大人向けの笑いが多々仕込まれているのも特徴です。同じディズニーの「アナと雪の女王」をオマージュしたセリフや映画「ゴッドファーザー」(1972年製作。監督フランシス・フォード・コッポラ、主演マーロン・ブランド)のハイレベルなパロディなど、とても子供には分からないであろうネタが多いです。これだけなら日本にも「妖怪ウォッチ」のような作品もあるのですが、そこに政治的な風刺劇も織り交ぜた高質な物語も展開してしまうところにディズニーアニメの恐るべき底力を感じずにはいられません。
しかもこんな映画を大統領選直前のタイミングで公開してしまうというアグレッシブさ!何だかんだ言ってアメリカのエンターテインメントは懐が深いと言わざるを得ませんね。

動物たちの生息環境に合わせ季節や天候をエリア毎に仕切り適した環境を人工的に作り出すズートピアの世界観をセリフにほとんど頼らずにビジュアルで見せ切るハイグレードな美術も楽しく、単に観てるだけでも十分に面白い映画ではありますが、観終わった後、あるいは2度目を観るなら、テーマに対し一歩踏み込んでみた方がもっと面白さを感じられる映画です。たっぷり楽しんでちょっと考えさせてくれるパワー溢れるエンターテインメント。是非、スクリーンでどうぞ。
個人的にはジュディとニックのコンビが予想を超えて良かったのでもう1本観てみたいくらい。いつか続編が製作されると嬉しいなぁ。

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Blu-ray発売を目前に控えた「ガールズ&パンツァー劇場版」がここに来て今週末から何と全国150館規模での再上映が決定しました。ちょうどゴールデンウィークの大作攻勢も一段落したタイミングの良さも手伝って、多くの上映館でエース級のスクリーンでの上映です。来場者特典もあるそうですが、「公開27週目入場者プレゼント」という響きはさすがにちょっとクレイジーです(笑)

こんばんは、小島@監督です。
ここまで来ると最終興収がどこまで行くか見てみたいですね。

さて、今回の映画は「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」です。

これまで数々の世界的危機を救ってきたアベンジャーズたち。しかし世界はその代償として多くの犠牲を生んでいた。やがて、アメリカの一民間組織が世界を飛び回り活動することに各国の目は厳しいものになっていく。
そんな折、あるテロ事件の捜査を行っていたアベンジャーズたちはその過程で犠牲者を出してしまう。それを契機に遂に彼らを国連の管理下に置くための協定「ソコヴィア議定書」が締結されるに至った。
強大過ぎる自分たちの力に何らかの「歯止め」の必要性を感じていたトニー・スターク(ロバート・ダウニーJr.)は協定に賛同するが、権力の監視下では不本意な戦闘を強要されかねない事を危惧するスティーブ・ロジャース(クリス・エヴァンス)は協定の調印を拒絶。アベンジャーズたちの対応は真っ二つに分かれ、2人の溝は深くなっていく…

2008年に製作された「アイアンマン」から続く「マーベル・シネマティック・ユニバース」、その最新作は、簡単には答えの出ない問題にアベンジャーズが二分され、遂には激突するまでに至る物語です。主役はあくまでもキャプテン・アメリカですが、ソーとハルク以外のほぼ全員が登場するので事実上の「アベンジャーズ3」と捉えても差し支えないかもしれません。
タイトルの「シビル・ウォー」とは直訳すれば「内戦」の事ですが、アメリカにとっては「南北戦争」を指す言葉でもあり、物語の内容を二重の意味で端的に示すものになっています。キャプテン・アメリカを主人公にした前作「ウィンター・ソルジャー」がベトナム戦争に絡んだ言葉でもあったため、南北戦争とベトナム戦争に因んだキーワードのもと、現代的なテロリズムとの戦いを描くキャプテン・アメリカの苦悩の旅路はアメリカ、アメリカ的正義の葛藤の道程の戯画化と捉えることもできそうです。

何年も何作もかけてドラマを積み上げてきただけあり、各キャラクターの苦悩や葛藤、そこから導き出される決断が実に地に足の着いたものになっているのが見事です。
キャプテン・アメリカとアイアンマン、双方の立場と葛藤は、言い換えれば「強大な力を大きな権力の判断に委ねるか、個人の意思に委ねるか」という事であり、その命題は、特に銃規制などに代表されるアメリカを長く苛ませる問題の姿ですし、「国境を越えて活動をすることで新たな憎悪を生んでしまう」のは現代アメリカのジレンマの姿そのものと言え、この暗喩といくつもの怨讐が織り交ざるドラマの構図が観る者を引き込みます。

何よりこの映画を優れたものにしているのはその葛藤や感情を一身に引き受けてくれるスーパーヴィランが「出てこない」という点に尽きます。それ故に登場人物同様に観客もこの重い苦悩から逃げることは出来ません。それ故、最後にこの対立を仕組んだ「犯人」が語る真相は重い余韻に満ちています。

またこの作品はヒーローアクションとしても実に優れています。ともすれば沈鬱に過ぎる物語を多彩なキャラクター達の能力を活かしたアクションを、ハッタリ効かせるところは徹底的に効かせ、生身の感じを残すべきところはちゃんと体重を感じさせるように組み立てられていて、非常にメリハリとテンポが良く、高揚感に溢れています。特に空港での乱戦シーンは物語的には相当深刻な状況なのにアクションの凄さにテンション上がる楽しいシーンになっています。

物語の性格上、最低でも前作「ウィンター・ソルジャー」の鑑賞は必須の作品ではありますが、あらゆる点で水準以上の文句ない傑作です。賑やかな内容なせいか入りも上々なようでもうしばらく上映も続きそうですし、予習してから臨むだけの価値はありますよ。



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2013年に公開された鈴木亮平主演の異色ヒーロー映画、「HK変態仮面」が続編の公開を前になんと地上波での放映が決まりました。
…という話を最初に聞いた時は何かのギャグかと思っていたのですがどうやらホントのようです。週間テレビ番組表に記載されてました。
まだご覧になったことの無い方はもちろん、既に観た方も実はDVDも持ってますなんて方も折角ですし、どこまで放送されるのかを確かめるためにもこの機会に是非!東海地区ではメ~テレにて13日深夜25時54分より放送予定です。

こんばんは、小島@監督です。
しかしあの映画は鈴木亮平より安田顕の方が地上波放送に耐えられるかどうか心配である。

さて、今回の映画は、リクエストを頂きまして「テラフォーマーズ」をご紹介です。

21世紀、爆発的な人口増加を迎えた人類は火星移住を計画。火星を人類が居住できる環境に改造するために苔と「ある昆虫」を送り込んだ。
それから500年後、日本政府は役目を果たした「昆虫」を駆除するために15人の人間を火星に送り込んだ。しかし、小町小吉(伊藤英明)ら火星に派遣された者たちを待っていたのは、予想をはるかに上回る驚異的な進化を遂げた「昆虫」たちの襲撃だった…!

「映画」というものが観る者にもたらす「魔法」、それは必ずしも名作や傑作と呼ばれる作品だけから感じ取れるわけではありません。時にはこういった作品からほろ苦い形で垣間見えてしまうこともあります。

この作品を手掛けたのは「クローズZERO」「ヤッターマン」などの三池崇史監督、脚本は劇団☆新感線の座付き作家にして「天元突破グレンラガン」「仮面ライダーフォーゼ」などのシリーズ構成も担った中島かずき、音楽は「十三人の刺客」や現在放送中の「とと姉ちゃん」の劇伴を手掛けた遠藤浩二とそうそうたるメンバーです。
キャストにしても主演の伊藤英明を始め山下智久、山田孝之、小栗旬、武井咲、小池栄子、ケイン・コスギと実力はもちろんこういうアクション映画には不可欠な「動ける」俳優陣が勢揃いしています。
「テラフォーマーズ」という原作コミックのテイストからして映像化するに当たって最適解に近いメンバーが揃ったと言って過言ではないように思えます。
…にも関わらずこの作品は「映画の神様」に見放されてしまったとしか思えない出来と言わざるを得ません。

決して原作を軽視してるワケでもなくむしろちゃんとリスペクトしてるように見えますし、SFアクション、しかも主要人物たちが「変身」する作品でありながらもガチンコのクロスファイト主体のアクションシークエンスの構成は悪くないですし、1本の作品としてはある程度まとまってはいます。しかし何故かこの映画には上質の素材を「面白い映画」へと化学変化させるための「熱」が決定的に欠けてしまっています。先日このブログで紹介した「仮面ライダー1号」が、作品としては不格好ながら高い「熱量」を放っていたのとは対照的です。
居並ぶ俳優陣が揃って顔だけでなくほぼ全身特殊メイクを施してアクションする絵面は何気に観ていて面白かったですが、それが映画自体の価値を高めるに至っていないのが残念でなりません。

邦画にしては高い予算規模でこれだけの人材が揃ってここまでの物しか作れなかった、ということの原因をどこかに求めるのなら、単に「コミックを実写にしようと思うのが間違い」というところで止まってはいけないでしょう。日本映画としては大作と言っていい規模ありながら「実力のある人たちがその力を十全に発揮できる環境を作り得なかった」ならば日本映画界が宿す構造的欠陥は私の想像をはるかに超えて根深いような気がします。

アクション寄りの作品との意外な相性の良さを見せつける小池栄子や池田秀一による無闇にカッコいいナレーションなど細々見どころもありますが、正直言って「B級」こそスクリーンで観たいのだ!という困った嗜好の方以外にはとてもお薦めできる作品ではありません。それでもご覧になりたいという方は、「たとえ人が揃っても面白い映画ができるとは限らない」という苦い真実を確かめるつもりで観るのなら、決して2時間が無益に過ぎるような事にはならないのではと思います。

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