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ちゅうカラぶろぐ


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昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
今回は昼過ぎまで仕事で途中から、それも後半に差し掛かってからの参加だったこともあり、一つの部屋に居つくことはせずにいろいろな部屋にお邪魔していろいろな人が歌ってるところを見たりコール入れたりしてました。
できれば自分で歌うか人が歌ってるところに加わるかしたいと思ってた「Raise your flag」(「機動戦士ガンダム鉄血のオルフェンズ」のオープニング)をテキトーに選んで入った部屋でまさにその時ひょっと斎氏が歌おうとしてたのには何かもう笑うしかなかったですが。
多少イレギュラーな形での参加でしたが、時にはこういうのも楽しいですね。でも次回は歌会の最初から参加してちゃんと歌います。

こんばんは、小島@監督です。
ところでなんと!今回で通算200回目のブログ更新になります!自分でもびっくりです!アイマスを筆頭にライブのレポートも少々書いていますがそれでも180本くらいは映画の感想を書き綴ってる計算に。チリも積もればでかなりの量になってきました。
そんな200回目ですが特別なことは特にしません。今回もいつも通りに映画の感想です。

そんな今回の映画は「エベレスト3D」です。

1996年春、ニュージーランドの登山ガイド会社「アドベンチャー・コンサルタンツ」社が募ったエベレスト登頂ツアーに8人の登山者が集まった。彼らのガイドを務めるのは社長でもあるロブ・ホール(ジェイソン・クラーク)。
ツアー参加客が薄い酸素状態に慣れるための訓練登高を数回繰り返し、いくつかのトラブルを経ながらもエベレストへのアタックの時は近づいていた。数日をかけ標高7,951mのキャンプ4までたどり着いたツアー一行だが、そこで嵐の接近を知る。天候は荒れる一方だったが、深夜風が吹きやみ、一行はエベレストへのアタックを開始する。

1953年に登山家エドモンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイにより初登頂が成功してのちも世界最高峰として多くの登山家や冒険家たちを魅了してやまないエベレスト。
そこに商機を見出した者たちにより商業登山のためのコンサルタント会社を設立する機運が起こり、1990年代には商業登山が勃興を始めました。公募により登山者を募る商業登山は、ネパール政府などへの折衝やシェルパの手配などの煩雑な作業をコンサルタント会社が済ませることでエベレストへのハードルを大きく下げた一方で、体力的にも技術的にも未熟な者たちを登山に容易に参加できるようになってしまい、一部ルートでは登山者で渋滞ができたりゴミ問題も発生し始めました。
この「エベレスト3D」はそんなさなかの1996年に起きた大量遭難事件を描いた物語です。
遭難から生還した者の複数が手記を著していますが、そのどれかに依拠してるわけではないようです。

この映画の見どころは実際にヒマラヤ高地まで行って撮影を行っているところです。ロケの手配とか大変だったに違いないのですが、この辺り共同製作として名を連ねている、エベレスト登頂を果たした経験を持つデヴィッド・ブリーシャーズ(1997年製作ブラッド・ピット主演の「セブン・イヤーズ・イン・チベット」撮影監督)の功績も大きいのでしょう。後で知ったのですが、作中に登場する「IMAX撮影隊(ドキュメンタリー映画撮影のために結成されていた)」の中にブリーシャーズはいたそうです。そういった人たちのこの事件を経験した「体感」のようなものもこの映画の中には織り込まれているように感じます。

この映画を「極限状況でのサバイバル」や「ディザスター・パニック」のようなものを期待して観に行く方も多いのではないか、と思うのですがこの映画は安易な迫力や興奮からは距離を置こうとしている点が窺え、人によってはその姿勢自体をマイナスに感じるかもしれません。
代わってこの映画が徹底して描き出すのは遭難した人たちのある種の「エゴイズム」です。生死を分かつ逡巡や決断、そもそも「なぜそうまでして登るのか」というところまで含めてなので「哲学」と言い換えてもいいかもしれません。その一つ一つに共感できるかできないか、突き詰めていくと映画を通して自分自身の(普段は意識していない)哲学と向き合っているような気分になります。
そしてそういう逡巡や決断から少しでも謙虚さが失われるとたちまちのうちに飲み込んでいく自然の大きさ厳しさに打ちのめされます。

3Dと銘打って、実際ほとんどの公開館では3D上映していますが撮り方がストイック過ぎてアトラクション性の強い3Dの利点をイマイチ活かせていないというな~んとなく致命的な気がしないでもない欠点はありますが骨太な厚みを持った観るだけの価値はある映画です。というかいろいろな意味で映画館で観ないと意味が激減してしまう作品でもあるので、ぜひスクリーンで「向き合って」みてください。

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今年もボジョレー・ヌーヴォーの時期がやってきました。
今回はよほど気候に恵まれたと見え、むしろ生産者の方が鼻息が荒くなっている印象です。どうやら今年こそ「100年に1度」というフレーズを使いたかったらしいのですが、今まで使いすぎてて使うと却って逆効果だからとこのフレーズを避けたのだとか。狼少年か(苦笑)

こんばんは、小島@監督です。
販売する側もまだ試飲できていないので何ともですが、どうやら自信あるようなので皆さん解禁の折は1本購入してみてはいかがでしょうか。

さて、今回は久しぶりに映画館の話。
中村繪里子さんのライブを観た翌日、今月のスケジュールを考えると観る機会はここしか無さそうだったので「映画Go!プリンセスプリキュア」を観るべく渋谷へ。立ち寄ったのは渋谷駅のハチ公口から出て高架をくぐってすぐの所にある「渋谷TOEI」です。

公式HPはこちら。

前身に当たる「渋谷東映劇場」が開業したのは1953年。東映の直営映画館第1号として開業しました。現在も新作を上映する映画館の中では最古の部類に入る、かなり歴史のある映画館です。
その後幾度かの改装やビル自体の改築、劇場の名称変更などを経て現在の形になったのは2004年です。スクリーンを2面有し、渋谷TOEI・1の方は席数272、2の方は191席です。館名の通り主に東映製作・配給作品を上映しています。実は銀座にも同様の直営館「丸の内TOEI」がありますが、そちらは時折洋画をロードショーしたりこともイベント上映を行うこともあるようです。


中の様子はこんな感じ。昨年座席のリニューアルを行ったとかで結構新しい雰囲気がありますが、シックな色遣いに重厚感がありますね。
また、シネコンではあまり見かけない中央に通路のある座席レイアウトがどこか垢抜けない感じもします。

その日観たのは前述の通り「Go!プリンセスプリキュア」
今年のプリキュア映画は「春のカーニバル」同様に実験的な意味合いも強そうな1本です。全体の上映時間は75分でこれまでと大差ありませんが、5分、20分、50分の3本の短中編で構成されている点が大きく違います。封切日が10月31日だったこともあってか、3本すべてがハロウィンにちなんだものになっているのも特徴です。

3本がそれぞれアニメーションの表現が違うのが今回最大の特徴。
開幕すぐに始まる5分の短編「キュアフローラといたずらかがみ」は可愛らしくデフォルメされたビジュアルが印象的なフルCGのセリフの無い作品で、どこかディズニーやルーニー・テューンズを思わせるカートゥーン調の動きが特徴です。
次に始まるのは一番長い50分の中編「パンプキン王国のたからもの」、こちらは通常のセルアニメ。ひょんなことからパンプキン王国でのトラブルに巻き込まれた春野はるか(声・島村侑)達が囚われのパンプルル姫(声・花澤香菜)を救うために謎の男ウォープ(声・諏訪部順一)との戦いに挑みます。
劇場版ならではのダイナミックな動きを楽しめることと、個人的には花澤香菜が劇中歌を1曲歌ってくれるのも嬉しいところ。そう凄く上手いわけではないのが逆に作品の雰囲気にハマっています。
最後に来るのは20分の短編「プリキュアとレフィのワンダーナイト!」、一番長い「パンプキン王国」を最後に持ってこない構成が意外でしたが、ビジュアルに対する驚きはこちらの方が上なのは確かです。「フレッシュプリキュア!」(2009年製作)以降エンディングでプリキュアたちがダンスするCGムービーを製作するのが通例になっていますが作を重ねるごとに表現のレベルが向上し、とうとうTVシリーズ1エピソード分の時間をフルCGで作り上げるまでになりました。フルCGなのに激しいアクションを展開するカットのいくつかで手描きのような荒々しい描線で表現してみせるのにも驚かされます。この躍動感はぜひその目で確かめてみていただきたいところ。

これまでと違い同じ時間を3つに区切ったことでどうしても1つ1つの物語が薄味になってしまっている感は否めません。特に「プリンセスプリキュア」はTVシリーズの方で非常に濃密な物語を展開してる分余計にそう感じてしまいますが、バラエティ豊かなビジュアルを次々に楽しめる賑やかさはなかなかのもの。いろいろな技巧を楽しむ、という観点でも興味深い作品になっているのでは、と思います。

余談ですが、劇場内の売店でパンフレットを買った時、手渡された袋に入っていたのは何故か「ガンバ」のパンフレットでした。いや~兄さん、旅先の一ネタとしてそのまま買ってしまっても良かったんだけど、私はスタンプ捺したかったんすよ…(苦笑)

まあちゃんと交換してもらって捺したんですけどね、スタンプ!

こういった各配給会社の新作をメインに上映する直営館はかつては日本全国に存在していましたが、都市部郊外問わずシネコンが普及したこと、東宝のTOHOシネマズや松竹傘下のMOVIX、東映のT・JOYと配給会社自体がシネコン運営に舵を切ったことにより都心を除いてほぼ淘汰されてしまいました。ですが少なくなった分基幹上映館としての性格が強くなったようです。せめて都心部でくらいはこれからも健在でいてほしいですね。

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昨日今日と東京行ってきました。
ライブイベント目当てで行ってきたのですが、それ以外の予定をほとんど決めないかなりのんびりした旅程でまったりと余暇を堪能。最近忙しなかった…というか、休み明けからきっとまた大変になるだろうというのもあって良い気分転換ができました。

こんばんは、小島@監督です。
今回宿泊先に初めて品川プリンスホテルを選んでみたけれど、規模が大きすぎて笑う。

さて、今回はその東京まで足を運んだライブ「中村繪里子Thank you LIVE ら・ら・ら・なかむランド~Love Laugh LIVE」のライブレポートです。

「アイドルマスター」の天海春香役や「宇宙戦艦ヤマト2199」の桐生美影役などで知られる中村繪里子さんは、文化放送超A+Gにて「ら・ら・ら・なかむランド~Love Laugh LIVE」というラジオ番組のパーソナリティーも務めており、その活動の一環としてCDリリースやイベントなども行っています。
…というのは知っていたんですが、ラジオは聴いた事無い、CDも持ってないという予備知識皆無のまま勢いでライブに飛び込んでみました。最近こういうの増えてる気がする、自分(笑)

アイマスガールズきってのエンターテイナーの繪里子さんがどんなステージを展開するのか楽しみでしたが、これがまたなかなか。
「なかむランド」としてイベントを行うのは今回で一区切りだそうで、その締めくくりを意識してか次々と繰り出される趣向の数々に唸ります。

まずライブのタイトルに「Thank you」とあるのはファンへの感謝の意味だけではなくこれまでにリリースしたCDの総収録曲数が39曲であるという事とも掛けており、ライブはメドレーでのアレンジを含むものの39曲全てを披露するという大盤振る舞い。
また、ライブ中に度々衣装チェンジのためのインターバルがあったのですが、その間にかつて開催されたライブの映像をスクリーンに上映してファンのテンションの流れを絶えさせないようにしている上に再びステージに現れた時にはその映像で着ていた衣装(つまり以前のライブで着ていた衣装)で登場する、という実にファンには心憎い演出が。スクリーンを積極的に演出に活用し、楽曲によってはそこに歌詞を表示して観客と一緒に歌うことを促したり、以前のライブで同じ曲を披露した時の映像をステージ上のパフォーマンスとシンクロさせて流したりしていました。
もちろんステージ中のMCも真面目な話でしんみりさせたかと思えばその直後に笑いを取ったり、やおら観客とじゃんけんを始めたり。思った以上にジャンルの広い楽曲と相まってまさに緩急自在といったライブでした。
ステージに花道を特設して観客との距離感をより近いものにしようという工夫が施してあるのもいいですね。

たまたまそのイベントの存在を知って何となく勢いで参加してみたライブでしたが中村繪里子さんの会場の隅にいる人まで一人残らず楽しませようとする気概のようなものが溢れているのがステージの最初から最後まで感じられ、今更こういう言い方するのもなんですが、惚れ惚れするような「カッコよさ」を感じるライブでした。
「なかむランド」は今回で一区切りのようですが、きっと形を変えてまた開催してくれるとおもいますし、その時が来たら再び足を運んでみたいですね。

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10月から放送が始まった「仮面ライダーゴースト」、主人公が寺の住職の息子という設定なのですが、その寺の住職代理として主人公タケルのサポートをする青年、御成さんが最近の大ヒット。

彼がその御成さん。見てくださいこのドヤ顔。
自身を「拙僧」と呼ぶほか「~ですぞ」や「~なり」といささか古風な口調で喋り、しかも超ハイテンション。ノリノリで怪事件に首を突っ込み仮面ライダーゴーストとなったタケルが戦ってる後ろで騒々しいリアクションを絶やさない面白坊主に見事にハートキャッチされ、今やゴーストは彼を観たくて観てると言っても過言ではありません。

こんばんは、小島@監督です。
御成さんをスクリーンで堪能できるなら長らく観に行っていないライダー映画に久しぶりに足を運んでもいいかもしれない。

さて、今回の映画は「ジョン・ウィック」です。

最愛の妻ヘレン(ブリジット・モイナハン)を病気で亡くした男ジョン・ウィック(キアヌ・リーブス)は悲しみの底に沈んでいた。そんな彼のもとに一匹の犬・デイジーが届けられる。それは病で余命僅かと知ったヘレンが自身の亡き後孤独となるジョンを慰めるためにと手配したものであった。
デイジーのおかげで安らぎを取り戻したかに見えたジョンの生活だが、ガソリンスタンドでロシアンマフィアの一団と遭遇したことで終わりを告げる。ジョンの乗る車に目を付けたマフィアのヨセフ・タラソフ(アルフィー・アレン)はその夜手下とともにジョンの家に押し入り、ジョンに暴行を加えデイジーを殺し車を奪っていった。
何もかも失ったジョンは復讐を決意する。ジョン・ウィックはかつて裏社会で名を馳せた暗殺者であった。封印した力と技を解き放ち、ジョンは夜の街へと降り立つのだった。

かつて「スピード」や「マトリックス」などスタイリッシュなアクションで一世を風靡したキアヌ・リーブスの、久しぶりの快作が登場です。監督は「エクスペンダブルズ」でアクション・コーディネーターを務めたチャド・スタエルスキ。これが初監督作品だそうです。

なんといってもこの映画の見どころは空手をベースとした近接戦闘と超至近距離から相手を射撃するガンアクションを組み合わせた「ガン・フー」というアクションのスタイルです。
ジョン・ウー監督の「男たちの挽歌」(1986年製作)やクリスチャン・ベールが主演した「リベリオン」(2002年製作)を思わせる、リアリティより映画的なハッタリを重視したアクションスタイルですが、銃のリロードすらアクションの中に組み込んでくるなど細かな工夫が見られ、これまであまり見たことのないアクションを見せてくれます。

無論みどころはそれだけではありません。主人公ジョン・ウィックをはじめその親友マーカス(ウィレム・デフォー)やロシアンマフィアのヨセフ・タラソフとその父にしてマフィアのボス・ヴィゴ・タラソフ(ミカエル・ニクヴェスト)など、キャラクターも細かな脇役に至るまでどこかコミック的ではあるものの皆際立っていますし、ジョンが滞在することになるコンチネンタルホテルの「あらゆる裏勢力から独立した中立地帯」という設定もある種コミックやゲーム的で面白いです。

また、ジョンが悲しみに暮れている間はほぼグレーで統一されたモノトーンに近い寒々しい色調で、復讐を決意し漆黒のスーツに身を包んで以降はそのスーツの色とは裏腹にバックグラウンドには原色に近い煌びやかな色合いが次々と現れる、ジョンが「ホームグラウンドに帰ってきた」事を色彩でも表現するその色調の変化や、スマートフォンなどの小道具の使い方などに細やかな気配りが見え、そこにキアヌ・リーブスの繊細な演技が加わる事によって、筋立てだけで言ったらボンクラ・アクション映画といっても差し支えないにも関わらずどこか深い味わいを持たせることに成功しています。

「新しいアクションを見せたい」という気概が作品全体から感じられる映画ではありますが、まだ様々な箇所に粗があるのは確かで、特にアクションの組み立てはさらに洗練させる余地もありそうです。幸いにして本国でも大ヒットしたようで既に続編の製作も決定したとかで、次はぜひさらにスマートなアクションを観てみたいですね。

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先週先々週の各週末に職場命令でフォークリフト技能講習行ってきました。
自動車の運転免許と違ってたった4日間でカリキュラムが終了するのですが、「その4日間すべて出席できなければまた改めて初日からやり直し」なのと「試験のハードルが非常に低い代わりに一度「不可」になると二度と再受講できない」という点が大きく違います。
ぶっちゃけ「不可」と断ぜられる心配はほとんどしてなかったのでむしろ心配は「4日間出席する」ことの方。今回社命で行ってるので費用は全て会社負担だったからなおのこと外せないため妙なプレッシャーが(苦笑)
カリキュラムを無事こなせてホッとしています。

こんばんは、小島@監督です。
一生使える資格が手に入ったのはいいけれど、それはそれとしてハロウィン歌会行きたかったなぁ…

さて、今回の映画は「GAMBA ガンバと仲間たち」です。

街ネズミのガンバ(声・梶裕貴)とマンプク(声・高木渉)は海の絵を見つけたことから海を目指す旅に出た。二人は港で開かれていた船乗りネズミたちの宴会に参加するが、そこに忠太(声・矢島晶子)と名乗る島ネズミが衰弱しきった姿で現れる。
忠太の暮らす夢見が島はある日イタチの襲撃を受け全滅寸前にまで追い込まれており、船乗りネズミに救けを求めてきたのだ。張り切る船乗りネズミたちだったが、イタチのリーダーが白イタチの「ノロイ(声・野村萬斎)」だと知った途端、ほとんどの船乗りネズミは尻込みして逃げてしまう。その姿に怒りを覚えたガンバは自分たちだけでもとマンプクが止めるのも聞かず忠太とともに夢見が島へ行くことを決意。
出発の日、島へ向かうのはガンバと忠太だけかと思われたが、ガンバの心意気に打たれた船乗りネズミのヨイショ(声・大塚明夫)、ガクシャ(声・池田秀一)、イカサマ(声・藤原啓治)、ボーボ(声・高戸靖広)、そしてマンプクも同行を決意。7人は夢見が島へと向かうことになる。

児童文学作家斎藤惇夫が1972年に発表した「冒険者たちガンバと十五ひきの仲間」が約40年ぶりの映像化。1975年の出崎統監督の手によるTVアニメは特に故・大塚周夫が演じたノロイの凄まじい悪役ぶりが今なお語り草になっているほどの迫力でした。

40年の時を経て再びアニメ化された「ガンバ」は、「アイアンマン」や「スパイダーマン」を手掛けたアヴィ・アラッドのプロデュースのもと、最初から世界市場を見据えて全編フルCGで製作されました。ビジュアルやキャラクターの動きがピクサー作品のようなカートゥーン調のものになっているのもおそらくこの辺りが影響しているのでしょう。CGというツールを得たことでガンバたちの躍動感がまさに「縦横無尽」といった様相になりました。3Dで上映しているところもあり、抵抗がなければそれで観てみるのも楽しいと思います。

物語の方は、95分ほどにまとめ上げている事もあり特に前半ダイジェスト的に感じられる箇所もありますが、要素を凝縮してある結果、原作がモチーフにしたという「七人の侍」(1954年製作・監督黒澤明。野武士の略奪で困窮した百姓たちがなけなしの金で侍を雇い協力して野武士と戦う物語。世界の映画作品に多大な影響を与えた)のテイストがより強調されています。アヴィ・アラッドがこの作品に着眼したのももしかしたらこの部分に共鳴したからかもしれませんね。
意外といえば意外なのがキャスティング。近年この手の作品は主要キャストが声優経験の少ない芸能人で固められることが常態化しつつありますが、その流れに抗うかのように「ガンバ」はベテラン声優がズラリの骨太なキャスティングしています。一応芸能人からノロイ役野村萬斎とヒロインともいえる忠太の姉・潮路に神田沙也加が出演していますが2人とも非常に上手いので全く気になりません。この声の部分の強みは全力で推したいところ。
余談ですが、作中池田秀一声のガクシャがノロイを「白い悪魔」と評するシーンと、大塚明夫声のヨイショにガンバが「待たせたな!」と叫ぶシーンがあり、シリアスなシーンにも関わらず思わず笑ってしまいました。分かる人は分かるネタですが、パロディで楽しませる類の作品ではないため多分天然です、アレ。

どの要素をとっても高いレベルを誇っていて、取り立てて欠点の無い作品ではありますが、敢えて欠点を挙げるとすれば「綺麗にできすぎている」点でしょうか。いささか優等生的すぎるようなところがあり、形容しがたい物足りなさのようなものをかすかに感じます。ひょっとしたら最近アクの強い作品が多く放送されている弊害みたいなものかもしれません(苦笑)
とはいえそのあたりは僅かな瑕疵なので興味のある方はぜひご覧になってみてください。

そうそう、NHK朝の連続テレビ小説「てっぱん」(2010年製作)のOPなどを手掛けた森本千絵氏の手による手描きとミニチュアや実写をコラージュした本編とは全く違うアプローチで作られたエンドロールも必見。まるで2本立てのアニメ映画を観たような気分になりますよ!最後まで席をお立ちになりませんよう。


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「アイドルマスターシンデレラガールズ」が遂に最終回に。
アイドルものというカテゴリーながら、少女たちの等身大の悩みや葛藤を描き切ってみせたシリーズとしてアイマスPとして以上に一映像作品ファンとして毎週楽しみに観ていました。
決してセリフだけに頼らない演出や、回を重ねるごとに技量が増していく声優陣の演技力にも驚かされましたし、全25話の物語の中、例えば新田美波(声・洲崎綾)とアナスタシア(声・上坂すみれ)の2人のユニット「LOVE LAIKA」のデビューが描かれたのが6話で、その転機を描いたのが20話であるというような、折り返しである13話を中心線に対応するエピソードがシンメトリー的な位置づけで登場する構成に唸りました。
前作ともいえる「アイドルマスター」でも見られた構成ではあったのですが、今作ではそれが非常に進化したように見受けられ、最終話ではライブイベント「シンデレラの舞踏会」の中でこれまでのエピソードを踏まえた描写を畳みかけるように次々と盛り込みながら、最終的に1話冒頭と対になるシーンで幕を閉じ、まさに大団円といえる結末に感無量というような思いでした。

こんばんは、小島@監督です。
来月開催されるシンデレラガールズの3rdイベントも期待値が高まる…!

さて、今回の映画は「顔のないヒトラーたち」です。

1958年フランクフルト。ドイツは戦後復興の波に乗り人々は大戦の記憶を忘れつつあった。
野心的な若き検事ヨハン・ラドマン(アレクサンダー・フェーリング)は、ジャーナリストのトーマス・グルニカ(アンドレ・シマンスキ)から元ナチス親衛隊の男が違法に教師をしていることを聞かされる。ヨハンは調査に乗り出しやがてそれが真実だと突き止めるが、検事正ウォルター・フリードベルク(ロベルト・フンガー・ビューラー)の態度は冷たい。ウォルターはしぶしぶ文部省への報告と免職の要求を行うことをヨハンに約束するが、後日グルニカからそのような処分は行われていないことを知らされる。
グルニカは言う。ヨハンと同世代の人間がアウシュビッツを知らないように「史上最悪の残虐行為は忘れ去られつつある」と。
ある日ヨハンは検事総長フリッツ・バウアー(ゲルト・フォス)に召喚された。フリッツは語る。政府機関内には未だに数多くのナチ党員がいると。そして暗い過去の蓋をこじ開ける証拠を探していると。それはヨハンにとって長い戦いの幕開けでもあった。

1963年にドイツ(旧西ドイツ)のフランクフルトで開かれた「アウシュビッツ裁判」、その裁判の開廷への道程をそれに携わった若き検事の視点で描く物語です。と言っても物語のキーマンでもあるジャーナリスト・グルニカと検事総長フリッツ・バウアーは実在の人物ですが主人公ヨハンは実に携わった検事たちの人物像を集約した架空の人物だそうです。
アウシュビッツ裁判は、ニュルンベルク裁判やアイヒマン裁判と比べると多少知名度は落ちますが、ドイツ現代史において欠く事のできない点では変わりません。この裁判がなければ悪名高いヨーゼフ・メンゲレもそこまで知れ渡ったりはしなかったかもしれませんし何よりドイツの歴史認識も現在とは異なったものになっていたでしょう。

映画序盤に描かれるエピソードにまず驚かされます。1950年代末のドイツで既に「アウシュビッツ知らない世代がいる」というのです。昨今のドイツの歴史認識の真逆を行っています。ドイツがその国内法で元ナチ党員を裁いたアウシュビッツ裁判、私はてっきり敗戦後の内省的な空気の中で必然的に行われたものだとばかり思っていました。しかしそうではなくドイツも一度は暗い過去に口を閉ざし忘れる道を選んでいたことに少なからず衝撃を受けました。そしてヨハンやフリッツたちの戦う相手とは決して犯罪者たちなどではなく忘却を選んだ「時代」そのものであることが示されます。
「時代」によって罪を犯した者たち消せない傷を負った者たちは、「時代」によってそれを忘れ去ろうとした、「何でもない普通の人たちが命令によって残虐な行為に手を染めていく」ことの恐ろしさは同じドイツ映画で一昨年に日本でも公開されヒットした「ハンナ・アーレント」でも描かれていましたが、また違うアプローチでその恐ろしさに立ち向かっていきます。

過去と真摯に向き合い、自分たちの力で清算してこそ未来への道は切り開ける。どこか祈りのような想いに突き動かされる者たちの姿を描いたこの映画は、それ故に普遍的なメッセージを宿しています。
それでいて時にユーモアを忘れず、またサスペンス的要素もありエンターテインメントとしても十分に骨太としてある、非常に稀有な作品として重厚なまでの完成度を誇っています。ドイツ映画だからと言って固い作品ばかりではないということを見事に見せつけてくれます。

まさに血のにじむような道のりの果てに堂々と負の歴史を語れる未来を獲得したドイツのその原点ともいえる史実を紡いだこの物語は、今なお過去の扱いに右往左往し隣国との関係に溝を作る私たちにも深い示唆をもたらしてくれるはず。フィクションは時に事実だけでは伝わりにくい「想い」を伝えてくれる。そんな「パワー」を宿したこの映画を、私は全力でお薦めします!

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昨日から明日にかけて、半ば降って湧いたような状況で私、只今3連休の真っ最中です。
ここ何年かお盆や正月などを除いて3連休と言えば大抵アイマス遠征絡みで力尽くで取ってきたものばかりだったので、予定の特に無い連休は久しぶり。録り溜めた映画を消化したり乗馬に行ったりかなり好きに使っています。明日はビデオではなく映画館に行って映画を観よう。

こんばんは、小島@監督です。
ま~たっぷり休めた分、次の週末辺りからまたいろいろ大変そうになるんですけどね…(苦笑)

さて、今回の映画は「ミッション・インポッシブル ローグ・ネイション」です。
公開も終盤になってようやく観に行く事が出来ました。限定上映されたIMAX版を観に行ったのですが、本編上映前のIMAXロゴの映像も「M:I」仕様になっていたのがちょっと嬉しかった(笑)

IMFのエージェント、イーサン・ハント(トム・クルーズ)とそのチームは大量の化学兵器の密売を寸前で阻止、任務完了の報告のためハントはロンドンに向かう。
しかしそこでハントは自身が追い続けた謎の組織「シンジケート」の罠にハマり拉致されてしまう。気づくとハントは拘束され、3年前に死んだはずの男が目の前にいた。拷問が今まさに始まろうとしていた時、その場に立ち会っていた謎の女イルサ(レベッカ・ファーガソン)の機転によりハントは窮地を脱することに成功する。
しかし、そんなハントを待っていたのはシンジケートの存在を信じないCIA長官との対立によるIMFの解散であった。ハントは孤立無援のまま独力でシンジケートとの戦いに飛び込むことになっていくのだった。

主演だけでなくトム・クルーズ自身が製作も務めるこのシリーズ、1996年の1作目からおよそ4,5年ごとに作られ今回で5作目になります。
シリーズの大きな特徴は毎回作品ごとに監督が変わる事ですね。1作目のブライアン・デ・パルマ以降ジョン・ウー、J・J・エイブラムス、ブラッド・バードとアクの強い個性的な作家たちとタッグを組んで作り上げてきたことがシリーズに独特のカラーを与えてきました。特にそれまでドラマ畑で活躍していたエイブラムスを抜擢した3作目はその後同氏が「スター・トレック」や「スターウォーズ」等の大作を続々手がけるようになったことを思うとその功績は計り知れないと言えるでしょう。
そして今回タッグを組んだのはクリストファー・マッカリー。「ユージュアル・サスペクツ」(1995年製作)の監督・脚本で大きな注目を浴びた人物です。トム・クルーズとは既に「ワルキューレ」(2008年)、「アウトロー」(2012年)、「オール・ユー・ニード・イズ・キル」(2014年)と、既に3度も組んだ実績があり、ある意味では「満を持して」というところなのでしょうか。

そんな今回の「M:I」は、予告編等々で散々紹介していた軍用機にしがみつくスタントがクライマックスではなく開幕いきなり登場するという大胆さに端を発し、とにかく全編サービス精神に貫かれた1本になっています。全体的にキャラクター重視の作劇で、前作の「ゴースト・プロトコル」がケレン味もたっぷりながらシナリオ自体はかなりロジカルに作られていた事を考えると好対照になっていると言えるでしょう。
また、あっけらかんとした底抜けのエンターテインメントになってるという点ではダニエル・クレイグが6代目ボンドになってからシリアスでヘビーな作風になっている「007」とも対照的と言えますね。
キャラ重視と言っても作中ウィーン・オペラハウスでのシーンで上演されているプッチーニの「トゥーランドット」がそのまま作品内でのモチーフになっていたり重要なシーンで「トゥーランドット」のアレンジがBGMとして使用されていたりと、何気に物語も結構凝った作りになっています。このあたり、分からなくても全然問題無い要素ではありますが気付くとより楽しいポイントですね。

キャラクターに比重を置いた事でアクションやスタントの重要性がより増した形になりましたが冒頭の軍用機スタントと言いアイディア・演出共に秀逸なシークエンスが続出。相変わらずスタントマンを使わずトム・クルーズ自身でほぼ全てこなしてしまおうという気概はまさに敬服の一言で、年齢的には充分に「オヤジ・アクション」になっていてもおかしくないはずなのに実にスタイリッシュです。

観客の期待を、「期待通り」でもなく、別方向に「裏切る」でもなく、期待した方向の「その上」を行こうとする、トム・クルーズのエンターテイナーとしてのスピリットが隅々にまで行き渡ったこの作品はハリウッドでも昨今クラシカルになりつつありますが、それでもこういった「王道」こそ真に人を惹きつける映画であるとも言えるでしょう。本当に楽しい映画とはこういうもの。
ラストシーンの雰囲気からしてもしかしたらトム・クルーズはもう1本くらい「M:I」をやってくれるんじゃないか感もあるので、まだまだ「不可能」を超えて行ってほしいですね。

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