忍者ブログ

ちゅうカラぶろぐ


[61]  [62]  [63]  [64]  [65]  [66]  [67]  [68]  [69]  [70]  [71
先日、私が保有している資格「ワインアドバイザー」が「ソムリエ」に統合される事になり、今秋にも名称変更の手続きを行う旨の通知が日本ソムリエ協会から届きました。
いろいろ理由はあるだろうけど一番は毎年2種類試験問題用意するのが面倒だったからじゃないかな~と邪推。まぁこちらとしても資格について人に説明するのが楽になる…かな。
ただ最大の問題は昨年まで資格審査が2段階だったのが3段階になって難易度が格段に上昇することでしょうか。今夏「シニアソムリエ」受験予定ですが、異様なハードルの上がりっぷりに今から戦慄しています。でも挑戦はする。むしろまだ半年残ってると考えよう。

こんばんは、小島@監督です。
それにしても4年に1度の2月29日に更新できるとは、なかなか悪い気はしませんね(笑)

さて、今回の映画は「ビル・カニンガム&ニューヨーク」です。

ニューヨーク・タイムズに2本のコラムを持つフォトグラファー・ビル・カニンガム。彼は50年以上毎日ニューヨークを自転車で駆り街角でファッショントレンドを撮影し続ける。どんなセレブであろうとお仕着せだけを身につける者に興味は無く、たとえしがないバイク便のライダーだろうと個性的なファッションを楽しむ者には喜び勇んでファインダーを向ける。
しかし彼と親しい業界人ですらそのプライベートを知る者はほとんどいないと言われている。そんなカニンガムを2年間にわたり取材したドキュメンタリー。

はた目には人懐っこい笑顔で写真をポンポン撮る陽気なお爺ちゃん、しかしその実その写真は業界の大物に「彼に黙殺されることほど最悪な事は無い」と言わしめるほどファッションの超一流、そんな写真家の生き様を追ったドキュメンタリーです。

そんなビル・カニンガムの生き方はあまりにも潔くて鮮やかです。「バスもトイレもキッチンも不要。だって掃除しなきゃならないから」としれっと無茶苦茶なことをのたまいます。そんなことしてる間に街を歩いて写真を撮っていたい、というのです。ファッションのフォトグラファーだというのに持っている服は作業着のような安いブルーのジャケットくらい、それも理由は「どのみちカメラのベルトで擦り切れて破れてしまうなら高い服を買う必要が無い」と言い切ります。
だからコラムに掲載する写真の選定やレイアウトにかける情熱も並大抵ではありません。助手を任されたタイムズの職員が次々音を上げるのも納得のレベルです。恐らく「妥協しない」のではなく好きすぎて「妥協できない」のでしょう。
更に言えば「金が絡むと自由になれない」からとギャラの小切手を即座に破り捨てたこともあるほどお金にも無頓着。ここまで行くと「オタク」を通り越して最早仙人の領域です。
「断捨離」なんて言葉がありますが、ここまで何もかも潔く捨て去って一つに打ち込める生き方ができる人などほどんどいません。
しかしそれ故に彼はファッションもまた「文化」の表現方法の一つであることを教えてくれます。

この映画がドキュメンタリーとして優れていると感じさせるのは終盤のビルとのインタビュー。ここで投げたある質問が、まるで仙人のようなビルの「人間」としての弱さを一瞬にして浮き彫りにします。この一瞬を切り取って見せたことでこの映画はドキュメンタリーとしての価値を飛躍的に向上させたと言っていいでしょう。この一瞬があったからこそ私の中でこの作品は「良い映画」から「極めて優れた映画」「忘れがたい映画」になりました。

「最高のファッション・ショーは常にストリートにある」「美を追求するものは必ずや美を見出す」「常に『目』を学ばせなければならない」など格言めいたクールな一言も続々。何かを得るために大きな何かを失うかもしれない決断を迫られている人には良きヒントをくれる1本かもしれません。

ところで実はこの映画、現在公開中のタイトルではありません。公開していたのは3年くらい前なのですが当時気にはなっていたものの結局機会を掴めず、メジャーなタイトルでもないためにレンタル店でも発見できずにいたのですが、先日たまたまGyaO!で配信されているのを知ってようやく観ることができました。GyaOはこれまでアニメかB級映画を観るくらいしか利用していなかったのですが、こんなの配信することもあるとはなかなか油断できんな(笑)

拍手[0回]

PR
先週から始まった新しいスーパー戦隊シリーズ「動物戦隊ジュウオウジャー」、始まったばかりで物語がどうのというのはまだ無いのですが、被り物するわ笑顔で踊るわの寺島進と変身時のチョーさんの朗々としたボイスが強烈なインパクト。またルービックキューブをイメージしたであろう合体ロボのソリッドなデザインとギミックが何気に観てて楽しいです。
それはそれとして、その名の通り動物をモチーフとしたヒーローに変身するのですが、赤がイーグル、青がシャークと来るなら黄色はパンサーと続いてほしかったな~とうっすら思ってしまいました(苦笑)

こんばんは、小島@監督です。
え?最後は何の事を話してるか分からない?そんな方は1981年に放送された主題歌を串田アキラが歌っているテレビ番組を調べてみよう。

さて、今回の映画は「残穢~住んではいけない部屋」です。

怪談雑誌に連載を持つ「私」(竹内結子)の元には出版社を通じ読者からの怪奇談が寄せられてくる。その中に女子大生・久保(橋本愛)からの手紙が「私」の目に留まった。
「今住んでいる部屋で、奇妙な音がするんです。畳の上を何かが擦るような音が」
始めは怪談には良くあるものと手紙を読み飛ばした「私」だったが、数か月後に久保から届いた2通目の手紙の内容に引っ掛かりを覚えた「私」は過去の手紙のファイルをひっくり返してみる。そこには久保と同じマンションの住人から寄せられた手紙があった。興味を抱いた「私」は久保と連絡を取り、マンションについて調べ始めるのだったが…

「十二国記」などで知られる小野不由美の小説を原作にしたホラー映画です。
「リング」(1998年製作・松嶋菜々子主演)を筆頭に「Jホラー」として海外でも評価の高かった日本のホラー映画ですが、近年ではどちらかといえばアイドル映画の1形態としての意味合いが強くなり、物語もシンプルに音や映像で「怖がらせる」より「驚かせる」方にシフトしていっていますが、そんな中にあって久々に快作が生まれました。
それと、予備知識無しでアニメシリーズの劇場版をホイホイ観に行くような私ですが、珍しく今回観るより先に原作を読んでいます。いや、たまたまなんですけどね(笑)

橋本愛演じる「久保」の設定が大幅に変えられているものの(原作では30代の女性ライター)、それ以外はほぼ原作に忠実な内容です。
心霊現象に否定的なスタンスと低いテンションという主人公「私」のユニークな造形を竹内結子が見事に体現しています。
竹内結子、橋本愛以外にも滝藤賢一、佐々木蔵ノ介、不破万作とかなり重厚な俳優陣していることも大きな特色といえるでしょう。特に中盤から登場する怪奇小説家平岡(モデルは実話怪談の大家である平山夢明)を演じる恐らくホラーに出演するのは初めてであろう佐々木蔵ノ介の実に胡散臭い演技が最高に面白く、ある意味見どころの一つになっています。

この作品を他の同ジャンルのものと大きく差別化しているのは物語の運び方そのものにあります。
「部屋から奇妙な音がする」を発端に、そうなった原因をひたすら探り当てようとします。「前に住んでいた人」が原因なのか?そうでないとしたら「その前の人」は?更に「その前」は?いや「マンション建設以前」はどうだったのか?どんどんと掘り下げていくその様はホラーよりミステリのテイストが強いとも言え、その展開に、どこまでも尽きない怨みの連鎖を恐ろしいと思うか、土地の記憶を何世代も掘り下げることにある種の民俗学的好奇心を見出すか、怪異が分かりやすく姿を現さないことをつまらないと感じるかでこの映画に対する評価は大きく変わってくることでしょう。

この映画を手掛けた中村義洋監督は、「ゴールデンスランバー」(2010年製作・堺雅人主演)「奇跡のリンゴ」(2013年製作・阿部サダヲ主演)など多彩なジャンルの作品を精力的に発表し続けていますが、そのキャリアの初期には「ほんとにあった!呪いのビデオ」(1999年以降。現在も演出や監督が代替わりしながらシリーズ継続中)という低予算のビデオシリーズを手掛けており、「私」の淡々としたモノローグでセミドキュメンタリーチックに進行していく「残穢」は当時からのファンの方には古巣に帰ってきたような感慨を与えてくれるかもしれません。

「音」を起点にする物語だけあって音響効果もなかなかのもの。公開館の選択が可能ならできるだけ音響の良い映画館でご覧になることをお勧めしたいですね。

この映画の中でもったいないな、と思うのは終盤の展開。原作とは一味違うエピローグが用意されているのですが、そこまで保ってきていた「距離感」がそこでだけ崩れてしまうのがいささか残念です。原作がかなり唐突かつ淡泊に結末を迎えるのでそのまま映像化したのでは映画として締まらないと考えてのアレンジなのでしょうが、結果的にそれまで築き上げてきた「怖さ」が薄らいでしまうあたりに映画作りの難しさを感じさせます。

それでもこの「残穢」は「穢れ」という土着的な恐怖の概念を表現してみせた、観てるその時よりむしろ観た後がちょっと怖くなる、邦画ホラーとしては久々と言ってもいい佳作です。興味のある方はせっかくなので是非逃げ場の無い映画館でどうぞ。
とは言っても、それで部屋の隅っこやカーテンの隙間に何か見えたり変な音が聞こえるようになっても当方は責任を負いかねますのであしからず(笑)

拍手[0回]

昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
昨日は午前中仕事だったので歌会に顔を出せるのは2時過ぎくらいだろうな~とか思っていたらありがたいことに12時前に仕事が完了しほぼフルで参加できる状況に。終わる頃には仕事との相乗効果で半端無い疲労感でしたが、充実した1日でした。

こんばんは、小島@監督です。
チョコレート交換では「進撃の巨人」のキャラ・リヴァイを象ったチョコレートを頂きました。まだ食してはいませんが、これはやはりアレかな。巨人よろしく頭からかぶりつくしかないかな(笑)
私自身は国立科学博物館で開催中の企画展「ワイン展」のオフィシャルグッズであるワイン・ボンボンをご用意しました。どなたに行ったのか分かりませんが、ご賞味いただけたなら幸いです。

さて、今回の映画は「オデッセイ」です。

有人火星探査計画「アレス3」は、しかし突如発生した猛烈な嵐のためにミッションの中断を余儀なくされる。地球へ帰還すべく宇宙船ヘルメス号を目指すクルーたちだったが、マーク・ワトニー(マット・デイモン)は飛ばされた通信アンテナに衝突し強風に飲み込まれてしまった。メリッサ船長(ジェシカ・チャスティン)以下5名のクルーは時間ギリギリまでマークの捜索に当たるが発見できず、やむなく地球への帰途につきNASAへマーク死亡の報告を行い、それを受けサンダース長官(ジェフ・ダニエルズ)も記者会見でマークの死を公表した。
しかし火星でマークは九死に一生を得ていた。辛うじてハブ(居住施設)へ戻るものの、マークに絶望的な状況が突きつけられる。食糧こそ1年分近い備蓄があるものの次の探査ミッションが火星を訪れるのは4年後。地球との通信手段も無く水も酸素も不足する中、マークの生還へのサバイバルが始まる。

原作は当時無名の小説家アンディ・ウィアーがブログで書き綴っていた小説、という異色のSFサバイバルの映画化です。
火星の過酷な環境下でのサバイバルを、一部で「火星DASH村」と評されるほどの大胆なアイディアと緻密な科学考証のもとで展開するユニークなストーリーは、しかしこういったサバイバル物の定石ともいうべき悲壮感を敢えて前面に出さないという点でも特徴的です。それでいてただノー天気なだけでなく危ういバランスの上でタイトに生きている事を忘れさせない演出のバランス感覚も見事。
いかなる状況下でも前向き思考とユーモアを忘れないマークの人物造形は、上映時間の実に半分以上を1人で演じ切るマット・デイモンの確かな演技と相まって強い印象を与えます。
サバイバル物にしては珍しい主人公の造形はもちろんですが、この映画を監督したリドリー・スコットは「ブレードランナー」や「エイリアン」といいSFだろうと重厚な印象を与える作品が多く、こういった軽やかな作品を撮れる方だとは思わず、そのあたりでも驚きました。というか80歳近くでこんな作品撮れてしまうその旺盛な意欲はさすが巨匠と言わざるを得ません。

マークが火星でのサバイバルに活かす数々のアイディアも秀逸。中でも地球への通信手段を確保すべく用いたガジェットは個人的に大ヒットで、ある意味あそこが一番エキサイトしました(笑)ほかにもトータルで観れば緻密というよりマニアックに見えるシーンも多々あります。
その中でも最たるものはガジェットではなくむしろ劇中使用されてる楽曲の方でしょうか。メリッサ船長が音源を持ち込んだ、という設定でデヴィッド・ボウイの「スターマン」やドナ・サマーの「ホット・スタッフ」などの80年代ミュージックが多用されているこの映画、マークは「最低の音楽センス」と評するのですが、結構品良く使われています。どのシーンでどんな楽曲が使用されたかを深読みしてみるのもまた一興のように思います。

シリアスで壮絶な作品を期待するとちょっとハズれるかもしれませんが、ポジティブでユーモラスな、観る者に元気をくれる作品です。2時間22分の最高に楽しい火星への旅を是非堪能してみてください。

拍手[0回]

年末年始も休みが少なかったので冬休みしてやろうとスケジュールを調整して土曜日から今日まで3連休してました。で土日東京へ行ってました。今回はその話。

こんばんは、小島@監督です。
ちなみに3日目の今日はひたすら寝て過ごす1日。こういうのも大事。

さて、6日の土曜日幕張メッセで開催された「ねんどろいど10thAniversary Live」観てきました。
2006年に発売開始され今年中にラインナップが600を超えるフィギュアシリーズ「ねんどろいど」、そのリリース10周年を記念するライブイベントです。
出演者はMay'n、Prizmmy&Prism Box(プリティーリズム)、七森中ごらく部(ゆるゆり)、Trident(蒼き鋼のアルペジオ)、Wake Up Girls、ミルキィホームズ、Triad Prims(アイドルマスターシンデレラガールズ)の7組(出演順)。全て「ねんどろいど」化されたキャラがいる作品や人物で構成されています(May'nは彼女自身がねんどろいど化されている)。
ライブ開始前には凛やイオナ、あかりなど作品の枠を超えたコラボレーションによる前説映像とこれまでに製作された599種の全てのねんどろいどが登場する特別映像が流れたほか、ライブ中や幕間もステージのセンタースクリーンにはねんどろいどを用いた映像が使われ、全面的にねんどろいどをフィーチャーした内容になっていました。

トップバッターはMay'n。「射手座午後九時Don't be late」「ヤマイダレDarling」など5曲を披露。彼女のパフォーマンスを観るのは6,7年くらい前のマクロスのイベントで観て以来。久しぶりに観るステージでしたが高い歌唱力とパワフルで伸びるハイトーンボイスが相変わらず素晴らしく、まだエンジンをどうかけていいか分からずにいた観客たちの一気に上げてくれます。May'nだけは唯一バックバンドの生演奏が導入されていたのも嬉しいところでした。

次はPrizmmy&Prism Box。恐らく出演者中では最年少のユニット。「プリティーリズム」を全く観ていなかったのでそのパフォーマンスを観るのはもちろん曲自体初めて聴きました。ここではバンドではなくDJユニットが設けられ、ダンサブルな楽曲をさらに盛り上げます。グループのダンスのキレも素晴らしく、May'nの成熟されつつある完成度とはまた違った粗削りな魅力を楽しめました。

3番目の七森中ごらく部からは各作品に出演した声優によるユニットが続きます。各ユニット単独だけでなくワンフェスや東京ゲームショーなどでも結構小イベントが開催されていたりするのですが、どれも全く観たことが無かったので全部新鮮。知ってる曲ももちろんありましたがやっぱりライブで聴けるとまた一味違うインパクトをくれますね。ああ、そうそう個人的にTridentで沼倉愛美を堪能できて大満足。ぬーぬーカワイイ(笑)

そしてトリはアイドルマスターシンデレラガールズ。ええ、今回私の目当てはココです。ええそうですとも!まさかトリとは予想外でしたが。気づけばアイマスって老舗ブランドになってました。作中登場するユニット「Triad Prims」のメンバーである福原綾香(渋谷凛役)・松井恵理子(神谷奈緒役)・渕上舞(北条加蓮役)の3人が登場。アニメ放送後の昨年11月末に開催された3rdライブでも実現しなかったこのユニットのステージパフォーマンスはコレが初披露になるのです。だからぶっちゃけた話自分の周囲の席にいた観客も多くがアイマスPでした(笑)
驚かされたのがセットリスト。唯一のユニット曲である「Trancing Palse」で始まるのは(というかそれが一番聴きたかったですし)予想の範疇でしたが、ライブがフェスの形をとり各ユニット持ち曲が3~5曲であるため基本的にどのユニットも「顔」になる曲を選曲してきている中、なんと「各キャラのソロ曲」を披露するという大胆さに驚愕と大歓喜でした。
スクリーンによる演出もねんどろいどというよりアニメの方を強く意識していてまるで3か月前の3rdLIVEの続きを観ているよう。特に加蓮のソロ曲「薄荷」は加蓮Pである私としてはちょっと泣きそうになるくらいでした。

楽しみにしてた曲を堪能し、初めて聴く曲に感心し、意外な曲に感激しと普段滅多に行かないフェスを目いっぱい楽しみました。時にはこういう1色だけではないライブイベントもいいですね。ねんどろいどもその内1体ちゃんと買わなくては(実は一つも持ってなかったり)

実は昨日は昨日で1本別のライブを観てたりするのですが、もう文字数が結構なことになってるのでその話はまた別の機会に。

拍手[0回]

昨日放送分で「Go!プリンセスプリキュア」が最終回に。
キャラクターの可愛らしさもさることながら、これまでに積み上げたエピソードの数々が高い熱量を保ちながらうねりを上げて収束していく様に驚きました。特に最終局面においてドラマの核を敢えて主人公たちではなく主人公の友人であるゆいに置いて展開し、築き上げたテーマ性を昇華するさまには深い感動を覚えずにはいられませんでした。
一年間本当に楽しい作品でした。ありがとうプリンセスプリキュア!

こんばんは、小島@監督です。
プリンセスプリキュアがあまりに良すぎたので来週からの「まほう使いプリキュア!」をどこまで期待していいものかちょっと決めかねてしまう(苦笑)

さて、今回の映画は最近仕事とそれ以上に天候に翻弄されて新作を観に行けていないので現在配信中の作品の中から少々ニッチなタイトルをご紹介。「未体験ゾーンの映画たち」より「特捜部Q 檻の中の女」です。

事件捜査中の判断ミスにより同僚を殉職させてしまったカール・マーク(ニコライ・リー・コス)は、停職明けに未解決事件ファイルの整理を命令される。あてがわれた部下はアラブ系ゆえにまともな仕事をさせてもらえずにいたアサド(ファレス・ファレス)一人のみ。
閑職であることよりも同僚を死なせた罪悪感から無気力気味に仕事を始めるカールだったが、一つのファイルが目に留まった。それは5年前の女性政治家失踪事件であった。ファイルから微かな引っ掛かりを感じたカールは、アサドとともに事件の再捜査を始めるのだった。

先ず始めに「未体験ゾーンの映画たち」って何ぞや?というところから説明を始めましょう。
実は都市部・郊外を問わず大型シネコンの普及等により国内のスクリーン数は増加しいてるものの上映タイトル数は減少しています。
大型シネコンは集客力の高いメジャー作品やアニメ映画などに注力しがちなため、必然どこも上映タイトルが似通ったものになりがちで、結果的に上映タイトルが減少している、というのが日本映画市場の現状で、その煽りを食って真っ先に上映機会を失っているのがB級映画だったりします。そんな潮流に抗おうとしてるのか、DVDスルーで済まされてしまいそうな佳作・秀作・珍作を積極的に掘り起こして上映している映画館があります。
それが「ヒューマントラストシネマ渋谷」と「シネ・リーブル梅田」です。
他とは一線を画すユニークな企画編成で様々なタイトルを上映する2館のその中でも最たるものが2012年から毎年1月~3月に開催している「未体験ゾーンの映画たち」で、実に50本もの作品が集められ特別に組まれたタイムテーブルの元で上映されています。

その「未体験ゾーンの映画たち」が開催5年目を迎えて過去4回で上映された作品の内29タイトルを1タイトルのみ無料で配信しています。
で、今回私がチョイスしたのが「特捜部Q」というワケで。

話を映画の方に戻しましょう。
デンマークの作家ユッシ・エーズラ・オールスンの小説の映像化であるこの作品は、閑職に追いやられたはみ出し者の警官コンビが職務権限を逸脱して事件捜査に当たる…という粗筋からさしずめデンマーク版「相棒」といったところでしょうか。
スウェーデンの「ミレニアム」シリーズ(スティーグ・ラーソン著)や「刑事ヴァランダー」シリーズ(ヘニング・マンケル著)など北欧発のミステリーは小説としては根強い人気を誇っていますが、映像化作品に触れられる機会は意外に少なかったりします。
雪がちらつく街の中、未解決事件の捜査に奔走するカールとアサドの2人の姿を追うこの作品は、モノトーンの冴えた色調と、過度に軽薄にならず、かといって暗くなりすぎない語り口も印象的で、いささかギミックがショッキングというか、不意にキツめのバイオレンス描写が登場するのにビビらされるのが難点でしたが、97分という尺ゆえちょっと駆け足に感じるところも無くはないのですが、それでも十分に完成度の高い骨太な逸品です。
本国でも好評だったのか、同じキャスト・スタッフで続編「特捜部Q キジ殺し」が作られ、今年の「未体験ゾーンの映画たち」の上映タイトルにラインナップされています。

「特捜部Q」のほかにも配信中の作品には自信を逃走犯と名乗る奇妙な男と出会った2人の少年の物語を描き高い評価を得た「MUD」や何故か魂の宿ったタイヤが人々を襲う「ラバー」のような手を出したら後悔しそうな危険球(さすがに1本しかない無料枠をコレで費やす時にはなれなかった(苦笑))まで、さまざまに揃ってます。

「未体験ゾーンの映画たち」オフィシャルサイトはこちら。
寒くて家から出たくない冬の一日、こんな時間の使い方はいかがでしょうか。



拍手[0回]

昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
週末天候が不安定な状況であったため、参加者数はイマイチなのでは…?と思いきや初参加の方も含めてかなりの数に。皆さん凄い。
ところでその歌会のさなかに妙にデカいトートバッグをやり取りしてる光景を目撃した方、多かろうと思います。その正体はコレ。

「一番くじアイドルマスターシンデレラガールズPart1」です。
ちゅうカラのアイマスP10人で共同出資し一番くじをロット買い(総額83,000円、景品数100点)しました。写真中央上部の赤いボックスは「ラストワン賞」の渋谷凛フィギュア(A賞の物と色違い)です。実は賞品で一番配分がデリケートだったのはフィギュアではなく写真左部の色紙。全部で10種あるのですが各種1点ずつしかない(フィギュアは2点あるものもある)ために「欲しい対象の各人の重要度を比較して配分」という状況。私の場合、特に2枚の内の下の「北条加蓮」は絶対に譲れない。346プロにおける私の担当は彼女なのだ。

こんばんは、小島@監督です。
それにしても「Part1」という表記がコワイ!Partいくつまであるんだ…⁉

さて、今回の映画は「白鯨との闘い」です。

1850年、気鋭の作家ハーマン・メルヴィル(ベン・ウィショー)は、自身に届けられた手紙を受けある男の元を訪ねていた。男の名はトム・ニカーソン(ブレンダン・グリーソン)。苦悩の末、トムは自身の体験を語り始めた…
1819年、船長ジョージ・ポラード(ベンジャミン・ウォーカー)、一等航海士オーウェン・チェイス(クリス・ヘムズワース)を擁する捕鯨船エセックス号はナンタケットを出港し、太平洋を目指した。そこで彼らを残酷な運命が待っているとも知らずに…

メルヴィルの傑作「白鯨」、そのベースになったといわれるエセックス号遭難事件を映画化した作品です。
事件の舞台となった19世紀前半は捕鯨の最盛期で、アメリカ沿岸部からそれこそ世界中の海へ出航していきました。1853年のペリーの浦賀来航など日本史にもその影響が及んだ時期でもあります。目的は鯨肉ではなく鯨油。19世紀前半当時鯨油はろうそくなどの灯火用、機械用潤滑油、マーガリン原料等多用途に用いられており捕鯨は一大産業でした。また同時に鯨骨も多くの家具や工芸品に利用されました。この流れは1859年にペンシルベニア州で機械掘削による油井が出現したこと、1863年にロックフェラーが石油精製業に乗り出し大量生産を可能にするまで続いていきます。また、19世紀半ばに発生したカリフォルニア・ゴールドラッシュにより労働者が鉱山へ大量流出したことも衰退の一因ともいわれています。

話を映画の方に戻しましょう。
エセックス号は鯨を求め世界中の海を旅し、そして「白鯨」に出会います。しかしタイトルに「闘い」とありますが、この映画の骨子はメルヴィルの小説のように狂気じみた白鯨への追跡行ではありません。むしろ白鯨との遭遇戦すら物語を構成する一要素に過ぎません。そこに至るまでの航海、そして白鯨と遭遇したその先こそが重要視されて作られています。怒りの「咆哮」とも悲痛な「絶叫」のようにも見える大自然からの痛烈な反撃を受けてその厳しさを真正面から受けざるを得なくなった男たちの全ての日々こそが「闘い」そのものとして描かれます。
それ故映画は主人公である一等航海士チェイスや船長ポラードの主観ではなく新米船乗りであった若き日のトム(演じるのはトム・ホランド)の昔語りとして語られる構成を取るほか全体的に冷静で俯瞰的な視座を取っているのもポイントです。

映像面でちょっと印象的だったのがカメラの位置。時折捕鯨用のヤスの先やマスト、ボトルシップの瓶口など妙なアングルでの映像が挿入されるのがユニーク。3D上映もあるためのちょっとした工夫なのかもしれませんが、映画の中で良いアクセントになっています。

タイトルから人智を超えた怪物とのバトルを中心にしたスペクタクルを期待すると肩透かしを食いますが、人間と大自然との関わり方を追求した重厚なエンターテインメントとして高いレベルを誇った重い印象を残す一本です。年末年始の超大作攻勢が一段落したこの時期、こういう作品はいかがでしょうか。




拍手[0回]

ひょんな流れから昨日現在も劇場版が公開中の「ガールズ&パンツァー」のTVシリーズ全12話を一気見することに。劇場版が面白かったのでその内観ようとは思っていたのですが思いもよらない形でその機会が巡ってきました。
マニアックに作るならいっそこれくらいやってくれた方が清々しい、半端無い戦車へのこだわりが楽しいですね。あんこうさんチームを筆頭に様々なキャラクター達への愛着も湧いてきたので、上映期間終わる前にもう一度劇場版を観てみたいかも。大洗にもいずれ足を運んでみなければな(笑)

こんばんは、小島@監督です。
そうそう前回歌会でのじゃんけん大会でゲットしたマンゴスチン・ワインも遂に飲んでみました。
甘口かと思ったらかなりの辛口!微かにマンゴスチンの香りが残っているものの果実保有の糖分をほぼ発酵させている上に樽熟成させた造りになっているようで、ちょっと癖の強い味でしたが、たまたまあったレアチーズケーキとの相性が抜群でした(笑)

さて、今回の映画は「完全なるチェックメイト」です。

アメリカ合衆国とソビエト連邦が世界を二つに分けていた冷戦時代。1972年夏、アイスランド首都レイキャビクで一つの「戦争」が勃発していた。アメリカ代表ボビー・フィッシャー(トビー・マグワイア)とソ連代表ボリス・スパスキー(リーヴ・シュレイバー)によるチェスの世界選手権である。全24局の勝敗を以て決する世界選手権、初戦はスパスキーの勝利に終わり、その2戦目、なんとフィッシャーは会場に現れず不戦敗となった。
ニュースキャスターは煽る「フィッシャーは次に何をしでかすのか?」と。果たしてフィッシャーは対局場という「戦場」に戻れるのだろうか。

冷戦期、それは武力による全面戦争が起きない代わりにスポーツやアートなど様々な分野で米ソの、いわば「代理戦争」が起きていた時期でもあります。そんな中で開催された1972年のチェス世界選手権での戦いを軸に、ボビー・フィッシャーという一人の天才の半生を追った物語がこの映画です。
映画はまず第2局でフィッシャーが対局をボイコットしたエピソードを見せた後過去へ遡り幼いフィッシャーがチェスの才能を開花させ、早熟の天才がチェスの世界で成功していく様を描き出していきます。ま~そこで描出されるフィッシャーのめんどくさい人物像と言ったら!
重要な試合でも気に入らなければ即座に棄権し、自身の望む対局環境や法外な報酬を要求、周囲やマスコミに対して無礼な暴言を吐く傍若無人な自信家。IQ187という頭脳を持ちながら荒唐無稽な陰謀論を頭から信じ込み「盗聴されてるに違いない」と片っ端から部屋の電話を壊してしまう妄想癖。それでいて純粋なまでに正直な努力家。長くチェスの世界に君臨していたソ連を打倒すべくフィッシャーをアメリカの兵士に育てようと野心的な弁護士も近づきますが結局はフィッシャーに振り回される羽目になります。このフィッシャーをトビー・マグワイアが「鬼気迫る」と表現してもいいほどの凄みで演じ上げています。

チェスについてはルールを知っておいた方がより楽しいのは確かでしょうが、全く知らなくても楽しむのに問題無いようにきめの細かな演出がなされ頭脳と神経を限界以上にまで酷使する頂上決戦を展開します。この辺り「グローリー」(1989年製作デンゼル・ワシントン主演)、「ラスト・サムライ」(2003年製作トム・クルーズ、渡辺謙主演)などの戦争ドラマで知られる監督エドワード・ズウィックの練達の手腕によるものでしょう。

チェスの世界で成功していくほどに神経を病んでいき言動が常軌を逸していくフィッシャーを観ていると、チェスが早い段階でコンピューターに凌がれてしまった理由が何となく分かるような気がします。「何千何万と選択肢があっても正解は一つだけ」で「いかに最短最速でその正解を掴むかが重要」で「ミスるとリカバリーが難しい」なんて極めようとするならまともな神経では耐えられようはずがありませんし、それは確かにコンピューターこそが得意とする分野でしょう。

実は日本とも縁浅からぬ人物であるボビー・フィッシャー。あまり映画でも取り上げられない題材ですし、この機会に盤上の「戦争」を味わってみてはいかがでしょうか。


拍手[0回]

忍者ブログ / [PR]