最近は気に入った曲をピンポイントでダウンロード購入できるようになったのですっかりそういう事が無くなったCDのジャケ買いというヤツを先日久しぶりにやってしまいました。
買っちゃったのはコレ。
「聖闘士星矢30周年記念SONG COLLECTION」、「Ω」まで含めたTVシリーズや劇場版、OVA等の主題歌やイメージソングをほぼ全て網羅している2枚組のアルバムで、全曲新たにリマスタリングしたそうです。「Legend of Sanctuary」で平田広明が朗々と歌った「デスマスクのテーマ」も収録されているのが結構嬉しい(笑)
こんばんは、小島@監督です。
しばらくヘビーローテーションすることになりそう。
さて、今回の映画は「君の名は。」です。
1000年ぶりの彗星の来訪を間近に控えた日本。
山深い田舎町・糸守町に暮らす女子高生・宮水三葉(声・上白石萌音)は毎日を憂鬱に過ごし、都会での生活に憧れを抱いていた。
そんなある日、三葉は自分が東京で暮らす高校生の少年になっている夢を見る。見慣れない部屋と見知らぬ友人に戸惑いながらも「これは夢だから」と念願の都会暮らしを満喫する三葉。
一方、東京で暮らす高校生・立花瀧(声・神木隆之介)も不思議な夢を見ていた。一度も訪れたことの無い山奥の田舎町で自分が女子高生として暮らしている夢だ。
しかも夢は一度では終わらない。繰り返される奇妙な夢、その度に記憶と時間が抜け落ちる感覚にやがて二人は気づいた。
「私/俺たち、入れ替わってる!!?」
「雲の向こう、約束の場所」「秒速5センチメートル」など、繊細な画面と詩的なセリフ回しで国内外で高い評価を得る新海誠の新作長編アニメ映画です。公開以来連日のようにヒットが報じられていてその熱狂をご存知の方も多いでしょう。私も休みを取って今日観てきたのですが、月曜日の昼間の回だというのに満席でした。正直こんな経験初めてです。
新海誠のこれまでの作品同様、繊細な背景美術にセリフ以上の説得力を持たせるビジュアルは健在ですが、驚いたのは、良くも悪くも詩的なセリフが多かったためエンタテイメント色よりアートアニメに近かった新海誠作品に強い娯楽性が加わっていたことです。早い話、変な「クセ」のようなものが抜けています。恐らくやりたいことをやりきっただけに違いないのですが。
「転校生」(1982年製作。監督大林宣彦)などを思わせる設定など、シチュエーションに既視感を覚える方も多いでしょうが、しかし物語は後半思いもかけない方向へとドライブがかかっていきます。
そこで重要なモチーフとなるのが「むすひ」と「たそかれ」です。日本の民俗学的色彩が強いこの言葉、新海誠の前監督作「言の葉の庭」でも万葉集が引用されていた当たり、古語に強い関心があるのかもしれません。
「むすひ」とは縁の繋がりを示す「結び」であると同時に「産霊・産魂(森羅万象を生み育む霊的なはたらき)」であり「掬び(水を掬って飲むこと。人間の体内に霊的な力を取り込む作法とされる)」を意味しています。
「たそかれ」とは夕暮れを示す「黄昏」の事ですが、「誰そ彼」とも書き、「かはたれ(彼は誰)」と言ったりもします。一般に「誰そ彼」は夕暮れ時、「彼は誰」は明け方の言葉とされていますが「すれ違う人の顔が良く見えず「あなたは誰ですか?」と問う頃合い」という点では共通しており、「君の名は。」のタイトルにもかかっているフレーズです。作中では意図的に本来誤用である「かたわれどき」という言葉も用いており、これも物語の中に巧く落とし込まれています。
知らずに観ていても楽しめる作品ですが、この辺りを知った上で観た方がより深く楽しめることでしょう。
三葉と瀧、お互いにすれ違いながら奇妙な交流を重ねていくことでやがて自身の本来の日々の暮らしにも変化をもたらしていく2人。その物語が紡がれる中で観客が目にするエモーショナルな「輝き」、それは率直に言えば「青春の輝き」でしょう。少年と少女が大人になる過程の中で出会う奇跡のような「輝き」、恐らくそれこそがこの作品が今強く支持される理由の一つではないでしょうか。
神木隆之介を筆頭に声優陣の演技も良く、爽やかな中に脆さを隠し持つRADWIMPSの手による音楽も素晴らしく、全てにおいて突出した出来栄えの傑作と言っていい映画です。
「シン・ゴジラ」から1か月ちょっとでもうこんな作品が現れようとは。邦画もまだまだ捨てたものではありませんね。
買っちゃったのはコレ。
「聖闘士星矢30周年記念SONG COLLECTION」、「Ω」まで含めたTVシリーズや劇場版、OVA等の主題歌やイメージソングをほぼ全て網羅している2枚組のアルバムで、全曲新たにリマスタリングしたそうです。「Legend of Sanctuary」で平田広明が朗々と歌った「デスマスクのテーマ」も収録されているのが結構嬉しい(笑)
こんばんは、小島@監督です。
しばらくヘビーローテーションすることになりそう。
さて、今回の映画は「君の名は。」です。
1000年ぶりの彗星の来訪を間近に控えた日本。
山深い田舎町・糸守町に暮らす女子高生・宮水三葉(声・上白石萌音)は毎日を憂鬱に過ごし、都会での生活に憧れを抱いていた。
そんなある日、三葉は自分が東京で暮らす高校生の少年になっている夢を見る。見慣れない部屋と見知らぬ友人に戸惑いながらも「これは夢だから」と念願の都会暮らしを満喫する三葉。
一方、東京で暮らす高校生・立花瀧(声・神木隆之介)も不思議な夢を見ていた。一度も訪れたことの無い山奥の田舎町で自分が女子高生として暮らしている夢だ。
しかも夢は一度では終わらない。繰り返される奇妙な夢、その度に記憶と時間が抜け落ちる感覚にやがて二人は気づいた。
「私/俺たち、入れ替わってる!!?」
「雲の向こう、約束の場所」「秒速5センチメートル」など、繊細な画面と詩的なセリフ回しで国内外で高い評価を得る新海誠の新作長編アニメ映画です。公開以来連日のようにヒットが報じられていてその熱狂をご存知の方も多いでしょう。私も休みを取って今日観てきたのですが、月曜日の昼間の回だというのに満席でした。正直こんな経験初めてです。
新海誠のこれまでの作品同様、繊細な背景美術にセリフ以上の説得力を持たせるビジュアルは健在ですが、驚いたのは、良くも悪くも詩的なセリフが多かったためエンタテイメント色よりアートアニメに近かった新海誠作品に強い娯楽性が加わっていたことです。早い話、変な「クセ」のようなものが抜けています。恐らくやりたいことをやりきっただけに違いないのですが。
「転校生」(1982年製作。監督大林宣彦)などを思わせる設定など、シチュエーションに既視感を覚える方も多いでしょうが、しかし物語は後半思いもかけない方向へとドライブがかかっていきます。
そこで重要なモチーフとなるのが「むすひ」と「たそかれ」です。日本の民俗学的色彩が強いこの言葉、新海誠の前監督作「言の葉の庭」でも万葉集が引用されていた当たり、古語に強い関心があるのかもしれません。
「むすひ」とは縁の繋がりを示す「結び」であると同時に「産霊・産魂(森羅万象を生み育む霊的なはたらき)」であり「掬び(水を掬って飲むこと。人間の体内に霊的な力を取り込む作法とされる)」を意味しています。
「たそかれ」とは夕暮れを示す「黄昏」の事ですが、「誰そ彼」とも書き、「かはたれ(彼は誰)」と言ったりもします。一般に「誰そ彼」は夕暮れ時、「彼は誰」は明け方の言葉とされていますが「すれ違う人の顔が良く見えず「あなたは誰ですか?」と問う頃合い」という点では共通しており、「君の名は。」のタイトルにもかかっているフレーズです。作中では意図的に本来誤用である「かたわれどき」という言葉も用いており、これも物語の中に巧く落とし込まれています。
知らずに観ていても楽しめる作品ですが、この辺りを知った上で観た方がより深く楽しめることでしょう。
三葉と瀧、お互いにすれ違いながら奇妙な交流を重ねていくことでやがて自身の本来の日々の暮らしにも変化をもたらしていく2人。その物語が紡がれる中で観客が目にするエモーショナルな「輝き」、それは率直に言えば「青春の輝き」でしょう。少年と少女が大人になる過程の中で出会う奇跡のような「輝き」、恐らくそれこそがこの作品が今強く支持される理由の一つではないでしょうか。
神木隆之介を筆頭に声優陣の演技も良く、爽やかな中に脆さを隠し持つRADWIMPSの手による音楽も素晴らしく、全てにおいて突出した出来栄えの傑作と言っていい映画です。
「シン・ゴジラ」から1か月ちょっとでもうこんな作品が現れようとは。邦画もまだまだ捨てたものではありませんね。
PR
週刊少年ジャンプで40年続いた「こち亀」が間もなく連載終了に。
自分がジャンプ毎週買って読んでいた頃はもちろん、そもそも生まれる前からずっと続いていた「当たり前にあったもの」が終わってしまうというのは、「惜しい」とか「寂しい」とも違う、何だか不思議な気分です。
今までありがとう、そしてお疲れさまでした。
こんばんは、小島@監督です。
そして皆さんすいません、昨日の歌会、さすがに半分くらいしかいなかったので大した所感は無いのです。次回はちゃんと最初から最後まで参加する予定です。
さて、昨日は歌会を中座して「THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS 4thLIVE TriCastle Story」神戸公演Day2のライブビューイングに行ってきました。
できればDay1も観たかったのですが、仕事の都合で叶わず。私はライブビューイングでの鑑賞でしたが、ちゅうカラアイマス部部長ことショーグンさんを初め数人のちゅうカラアイマス勢が現地参戦しています。現在ちゅうカラブログ水曜日担当のレイウォール君もその一人。現地の熱気はきっと彼が伝えてくださいます。私は昨日の感想を書くのが精一杯(笑)
Day1開催日である9月3日がリズムゲーム「スターライトステージ」(以下「デレステ」)の稼働からちょうど1周年とあって、2日間の神戸公演はデレステを強くフィーチャーしたステージになっていました。
セットリストは原則デレステでプレイできる楽曲で構成し(例外あり)、演出もステージ各所に設けられたスクリーンにゲームのキャラクターが映し出されて演者と共にダンスするという、まさに「2.5次元」な演出になっていました。出演者の中にはソロ曲の振り付けをデレステのそれに近いようにアレンジした方がいましたし、好きなキャラクターでユニットを組んでプレイするデレステに因み、「スターライトキャスティング」と称し、事前に告知された楽曲を誰が歌うかユーザーの投票によって決める、という企画も催されたのもその「2.5次元」的演出をより強調させていたような印象です。
プロジェクションマッピングを積極的に活用する演出自体は昨年11月に開催された3rdLIVEと変わりませんが、TVシリーズをベースにしながらもお祭りのような猥雑さを持たせた3rdと違い、一つのコンセプトに拘った今回はよりスマートな印象になっています。
Day2のパフォーマンスで強く印象に残ったのは星輝子役松田颯水さん。
特にソロ曲はDay2では比較的正統派アイドルソングを歌う出演者が多い中、一人「毒茸伝説」というタイトルからして凄いヘヴィロックナンバーを小柄な体格ながらダイナミックに熱唱して強いインパクトを与えてくれたほか、他の出演者とのユニット曲でもそのパワフルなボイスを響かせてくれていました。
先述の「スターライトキャスティング」では見事1位に選ばれ、「こんなことでも輝子を1位にしてあげられて嬉しかった」と感極まって涙ぐむ姿も印象的で、個人的に彼女が昨日のライブのMVPです。
他には既にシンガーとしてもかなりの実績がある牧野由依さん(デレマスでは佐久間まゆ役で出演している)のパフォーマンスを初めて観ることができたのも嬉しかったですね。
ライブ終盤には来月発売予定のPSVRローンチタイトルの一つである「ビューイングレボリューション」の新しいPVとその為に作られた新曲も披露されたほか、ライブ終了後にはデレステにてライブを踏まえたエピソードが配信されるというのも心憎いばかりの趣向で、イベントを全力で満喫できました。
来月にはさいたまスーパーアリーナにて2日間、今回とは趣を異にしたイベントが開催されます。どんなステージを見せてくれるのか、今から楽しみでなりません。
自分がジャンプ毎週買って読んでいた頃はもちろん、そもそも生まれる前からずっと続いていた「当たり前にあったもの」が終わってしまうというのは、「惜しい」とか「寂しい」とも違う、何だか不思議な気分です。
今までありがとう、そしてお疲れさまでした。
こんばんは、小島@監督です。
そして皆さんすいません、昨日の歌会、さすがに半分くらいしかいなかったので大した所感は無いのです。次回はちゃんと最初から最後まで参加する予定です。
さて、昨日は歌会を中座して「THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS 4thLIVE TriCastle Story」神戸公演Day2のライブビューイングに行ってきました。
できればDay1も観たかったのですが、仕事の都合で叶わず。私はライブビューイングでの鑑賞でしたが、ちゅうカラアイマス部部長ことショーグンさんを初め数人のちゅうカラアイマス勢が現地参戦しています。現在ちゅうカラブログ水曜日担当のレイウォール君もその一人。現地の熱気はきっと彼が伝えてくださいます。私は昨日の感想を書くのが精一杯(笑)
Day1開催日である9月3日がリズムゲーム「スターライトステージ」(以下「デレステ」)の稼働からちょうど1周年とあって、2日間の神戸公演はデレステを強くフィーチャーしたステージになっていました。
セットリストは原則デレステでプレイできる楽曲で構成し(例外あり)、演出もステージ各所に設けられたスクリーンにゲームのキャラクターが映し出されて演者と共にダンスするという、まさに「2.5次元」な演出になっていました。出演者の中にはソロ曲の振り付けをデレステのそれに近いようにアレンジした方がいましたし、好きなキャラクターでユニットを組んでプレイするデレステに因み、「スターライトキャスティング」と称し、事前に告知された楽曲を誰が歌うかユーザーの投票によって決める、という企画も催されたのもその「2.5次元」的演出をより強調させていたような印象です。
プロジェクションマッピングを積極的に活用する演出自体は昨年11月に開催された3rdLIVEと変わりませんが、TVシリーズをベースにしながらもお祭りのような猥雑さを持たせた3rdと違い、一つのコンセプトに拘った今回はよりスマートな印象になっています。
Day2のパフォーマンスで強く印象に残ったのは星輝子役松田颯水さん。
特にソロ曲はDay2では比較的正統派アイドルソングを歌う出演者が多い中、一人「毒茸伝説」というタイトルからして凄いヘヴィロックナンバーを小柄な体格ながらダイナミックに熱唱して強いインパクトを与えてくれたほか、他の出演者とのユニット曲でもそのパワフルなボイスを響かせてくれていました。
先述の「スターライトキャスティング」では見事1位に選ばれ、「こんなことでも輝子を1位にしてあげられて嬉しかった」と感極まって涙ぐむ姿も印象的で、個人的に彼女が昨日のライブのMVPです。
他には既にシンガーとしてもかなりの実績がある牧野由依さん(デレマスでは佐久間まゆ役で出演している)のパフォーマンスを初めて観ることができたのも嬉しかったですね。
ライブ終盤には来月発売予定のPSVRローンチタイトルの一つである「ビューイングレボリューション」の新しいPVとその為に作られた新曲も披露されたほか、ライブ終了後にはデレステにてライブを踏まえたエピソードが配信されるというのも心憎いばかりの趣向で、イベントを全力で満喫できました。
来月にはさいたまスーパーアリーナにて2日間、今回とは趣を異にしたイベントが開催されます。どんなステージを見せてくれるのか、今から楽しみでなりません。
理由は全く分からないのですが、ここ数日何故か急に「リアルバウト餓狼伝説」をプレイしたい衝動に駆られ、ゲームアーカイブスで即購入&PS vitaにダウンロード。
わ~バーンナックルが懐かしい!
↓↙←↙→の↙→が上手く入力できなくてパワーゲイザーがなかなか決まらねえ!
たたでさえ格ゲーは得意ジャンルではないのに何をやっているのだ私は(笑)
こんばんは、小島@監督です。
たとえヘタッピでもNEOGEOの格ゲーは我が青春の1ページさ。ちなみに不知火舞よりブルー・マリー派(笑)
さて、今回の映画は「桃太郎 海の神兵」です。
富士山の麓にある動物たちが暮らす里。そこに海軍に出征していた犬、猿、雉、熊たちが休暇で帰ってくる。猿は弟やその友達から軍での仕事について聞かれ航空兵であると答えるが、実は彼らは海軍が極秘裏に編成した陸戦落下傘部隊であった。
やがて彼らの休暇は終わり再び出征していった。任地の飛行場で桃太郎隊長のもと訓練を重ねる彼等だったが、やがてかつては平和な小国であったものの鬼たちの謀略により征服された「鬼ヶ島」への空挺作戦が発動される。
先週のブログで取り上げた「ちえりとチェリー」と言い、今夏はユニークなアニメ映画を鑑賞する機会に恵まれています。まさかコレをスクリーンで観られる日が来ようとは。
「桃太郎 海の神兵」は1944年に製作、翌45年に公開されたアニメ映画で、当時の日本の大義であった「八紘一宇」をテーマとし、1942年インドネシア・マナドでの落下傘奇襲攻撃をモデルに描かれた、いわゆる戦時下の国策映画です。日本で初めての60分を超える長尺のアニメ映画でもあります(長編アニメという点では1943年に「桃太郎の海鷲」という約40分ほどの映画が製作・公開されており、そちらが初)。スタッフには監督瀬尾光世を初め、政岡憲三など日本アニメの黎明期を支えた人物がほぼ総出で製作に当たっています。
ミュージカル調の作品になっており、作詞を童謡「小さい秋見つけた」などのサトウハチロー、作曲を阪神タイガース応援歌、いわゆる「六甲おろし」で知られる古関裕而が手掛けています。
今年のカンヌ国際映画祭においてクラシック部門に出品され、この作品を当時配給しフィルムを保管していた松竹によってデジタルレストア版が製作され、現在各地のミニシアターなどで順次上映しています。
海軍省の肝いりによって当時としては破格の予算を投じて作られた作品ですが、1944年は既に太平洋戦争としても末期に差し掛かっており、度々の空襲警報に悩まされ、作画に携わったスタッフも日に日に徴集されていくという環境で製作されました。物資も困窮し動画用紙は利用が終わると消して、彩色したセルは撮影が終われば水洗いして再使用していたと聞きます。
しかし映画はそんな状況で作られたとは思えないほど躍動感に満ち満ちています。当時アニメと言えばディズニーでしたしその影響下にあったからでしょう。「画面に映る動くべき者は全て動く。しかも全て滑らかに動く」という、ちょっと信じられない映像が上映時間の74分間ひたすら続きます。
落下傘部隊を描く話で、その訓練などが描かれるのですが、画面の端にちょっぴりだけ映る人物ですら手前に描かれる人物と違う動きをしていますし、飛行機が雨の中を行くシーンでは機体を叩き付ける雨粒一つ一つが違う飛沫を描きます。この映像の異様なエネルギーに圧倒されます。
このエネルギーの熱量は技法的な面でも活かされ、現在では窓を照らす陽光やビームなどを表現する際に一般的に用いられる「透過光」という特殊効果を恐らく世界で初めて採用したアニメではないかともいわれています。
余談ですが、1945年に「桃太郎海の神兵」が封切られたその日、大阪で一人の少年がこの映画を観ていました。中学を卒業したばかりで大阪帝大医学部への進学を控えたその少年はこの映画を観て涙を流すほどに感動し、いつか自分もアニメーションを製作したいと決意するようになります。
その少年こそ後に「マンガの神様」と呼ばれるようになる手塚治虫。
それ故、当時のアニメ技術の総結集であったこと以上に歴史的な接点という意味でこの映画は今日の日本アニメ隆盛へと繋がる原点とも呼べる作品です。
デジタルレストア版が製作されたことで、ほぼ公開時のままの姿での鑑賞が可能になったうえ、遂にBlu-rayもリリースされました。日本アニメ史を紐解く上で決して外すことのできない作品、今観てもかなり新鮮です。是非ご覧になってみてください。
わ~バーンナックルが懐かしい!
↓↙←↙→の↙→が上手く入力できなくてパワーゲイザーがなかなか決まらねえ!
たたでさえ格ゲーは得意ジャンルではないのに何をやっているのだ私は(笑)
こんばんは、小島@監督です。
たとえヘタッピでもNEOGEOの格ゲーは我が青春の1ページさ。ちなみに不知火舞よりブルー・マリー派(笑)
さて、今回の映画は「桃太郎 海の神兵」です。
富士山の麓にある動物たちが暮らす里。そこに海軍に出征していた犬、猿、雉、熊たちが休暇で帰ってくる。猿は弟やその友達から軍での仕事について聞かれ航空兵であると答えるが、実は彼らは海軍が極秘裏に編成した陸戦落下傘部隊であった。
やがて彼らの休暇は終わり再び出征していった。任地の飛行場で桃太郎隊長のもと訓練を重ねる彼等だったが、やがてかつては平和な小国であったものの鬼たちの謀略により征服された「鬼ヶ島」への空挺作戦が発動される。
先週のブログで取り上げた「ちえりとチェリー」と言い、今夏はユニークなアニメ映画を鑑賞する機会に恵まれています。まさかコレをスクリーンで観られる日が来ようとは。
「桃太郎 海の神兵」は1944年に製作、翌45年に公開されたアニメ映画で、当時の日本の大義であった「八紘一宇」をテーマとし、1942年インドネシア・マナドでの落下傘奇襲攻撃をモデルに描かれた、いわゆる戦時下の国策映画です。日本で初めての60分を超える長尺のアニメ映画でもあります(長編アニメという点では1943年に「桃太郎の海鷲」という約40分ほどの映画が製作・公開されており、そちらが初)。スタッフには監督瀬尾光世を初め、政岡憲三など日本アニメの黎明期を支えた人物がほぼ総出で製作に当たっています。
ミュージカル調の作品になっており、作詞を童謡「小さい秋見つけた」などのサトウハチロー、作曲を阪神タイガース応援歌、いわゆる「六甲おろし」で知られる古関裕而が手掛けています。
今年のカンヌ国際映画祭においてクラシック部門に出品され、この作品を当時配給しフィルムを保管していた松竹によってデジタルレストア版が製作され、現在各地のミニシアターなどで順次上映しています。
海軍省の肝いりによって当時としては破格の予算を投じて作られた作品ですが、1944年は既に太平洋戦争としても末期に差し掛かっており、度々の空襲警報に悩まされ、作画に携わったスタッフも日に日に徴集されていくという環境で製作されました。物資も困窮し動画用紙は利用が終わると消して、彩色したセルは撮影が終われば水洗いして再使用していたと聞きます。
しかし映画はそんな状況で作られたとは思えないほど躍動感に満ち満ちています。当時アニメと言えばディズニーでしたしその影響下にあったからでしょう。「画面に映る動くべき者は全て動く。しかも全て滑らかに動く」という、ちょっと信じられない映像が上映時間の74分間ひたすら続きます。
落下傘部隊を描く話で、その訓練などが描かれるのですが、画面の端にちょっぴりだけ映る人物ですら手前に描かれる人物と違う動きをしていますし、飛行機が雨の中を行くシーンでは機体を叩き付ける雨粒一つ一つが違う飛沫を描きます。この映像の異様なエネルギーに圧倒されます。
このエネルギーの熱量は技法的な面でも活かされ、現在では窓を照らす陽光やビームなどを表現する際に一般的に用いられる「透過光」という特殊効果を恐らく世界で初めて採用したアニメではないかともいわれています。
余談ですが、1945年に「桃太郎海の神兵」が封切られたその日、大阪で一人の少年がこの映画を観ていました。中学を卒業したばかりで大阪帝大医学部への進学を控えたその少年はこの映画を観て涙を流すほどに感動し、いつか自分もアニメーションを製作したいと決意するようになります。
その少年こそ後に「マンガの神様」と呼ばれるようになる手塚治虫。
それ故、当時のアニメ技術の総結集であったこと以上に歴史的な接点という意味でこの映画は今日の日本アニメ隆盛へと繋がる原点とも呼べる作品です。
デジタルレストア版が製作されたことで、ほぼ公開時のままの姿での鑑賞が可能になったうえ、遂にBlu-rayもリリースされました。日本アニメ史を紐解く上で決して外すことのできない作品、今観てもかなり新鮮です。是非ご覧になってみてください。
昨日の日曜日にシニアソムリエ試験受けて来ました。
それなりに勉強量こなした昨年でさえ手も足も出なかったというのに再挑戦。しかも受験を申し込んでから残業が増えてしまい昨年の3分の1程度しか勉強できず、せめて来年の糧にと半ばヤケクソ気味に受験。
そうしたらまさか難易度が昨年より下がっていようとは。やっぱり昨年のあの高難易度は何か偉い人から文句言われたな(笑)!?
多分昨年より高得点取れてる謎の実感。でも合格ラインは…超えてないだろうなぁ…昨年がこの問題であってほしかった…
こんばんは、小島@監督です。
でも自分の毎日の仕事や半ば趣味で観たり読んだりしたものが意外に活きたのは悪い気しませんでした。ここに試験用の知識を上乗せできれば良かったんですが(苦笑)
さて、今回の映画は「ちえりとチェリー」です。
幼い頃に父を亡くし母親・万里恵(声・尾野真千子)と2人暮らしの少女・ちえり(声・高森奈津美)。万里恵は仕事に忙しく、ちえりの話し相手になってくれず、ちえりは寂しさを隠せずにいた。
そんなちえりの唯一の友人がぬいぐるみのチェリー(声・星野源)。チェリーはちえりの空想の中でちえりと共に遊び、語り、見守ってきた。
ある日ちえりは父の法事のため、万里恵と共に久しぶりに祖母(声・谷育子)の家を訪ねることに。
そこでちえりは空想と現実の端境で、不思議な冒険を経験することになる。
撮影機材の進歩とデジタルツールの普及により特に英語圏では近年多数製作されながら、不思議と日本では滅多に作られないパペットアニメーション(人形を徐々に動かしながら1コマずつコマ撮りして撮影して製作する技法。ストップモーションともいう)を用いて製作されたユニークなアニメーション映画です。
パペットアニメーションは日本ではNHKの「プチプチ・アニメ」などで短編が散見される程度で長編はまずもって製作されず、まして原作の無いオリジナル脚本による長編ともなるとほぼ皆無と言っていい状況です。
土壌が育っているとは言えないというのもあって、海外作品でも「ひつじのショーン」「ウォレスとグルミット」のように著名なキャラクターやティム・バートン監督の「コープスブライド」などクリエイターが有名な作品でなければ映画祭で高評価を得た物でも日本に入ってきていないタイトルもあると聞きます。そんな状況で敢えてオリジナル脚本で長編パペットアニメーション映画を製作したのは英断と言えるでしょう。
「ちえりとチェリー」に話を戻しましょう。
この映画、冴えているのは常にちえりの主観で物語が進み、現実感が強調されるシーンとファンタジーが強調されるシーンが同じ空気感の下で展開する点です。チェリーよろしくあくまでもちえりの心情に寄り添い続けることでその精神的成長に説得力を持たせることに成功しています。
出番は決して多くないものの、忙しさにかまけちえりに対してどう接していいか分からなくなっている母・万里恵の複雑な心情描写も見事です。「母と子の絆」も物語の核の一つになっている辺り、同じパペットアニメーション映画で旧ソ連のアニメ作家ロマン・カチャーノフの傑作「ミトン」(1968年製作)を彷彿とさせますね。
技法的な面では光源を強調したハイコントラストなショットや強い入射光が差すショット、望遠レンズを利用し背景をぼかしてキャラクターをより強調させるシーンなど、どこか出崎統を思わせるショットが度々登場するのが特徴です。この映画を監督した中村誠氏は「劇場版AIR」(2005年)「劇場版CLANNAD」(2007年)「雪の女王」(2005年)で出崎氏と組んでおり、その影響を強く受けたのでしょう。結果的にパペットアニメの繊細で素朴な画面にエモーショナルな熱さが加わっています。
余談ですが中村誠は「うたのプリンスさまっ♪」や「ジュエルペットてぃんくる☆」などのシナリオをコンスタントに手掛ける傍らで、この「ちえりとチェリー」や併映作品である「チェブラーシカ動物園へ行く」などのパペットアニメーションの脚本・監督も度々務めており、商業作品とアート色の強い作品を並行して製作する、日本アニメ界でも稀有な人物の一人と言えるでしょう。
主人公ちえりを演じる高森奈津美の演技も注目すべき点の一つです。最初の周囲への心を閉ざした内向的な性格が困難を経て少しずつ外へ意識が向くまでを繊細に演じ切ってみせます。高森奈津美ファンの方は是非ご覧になっていただきたい逸品です。
高森奈津美が「アイドルマスターシンデレラガールズ」の前川みく役であることと、その前川みくファンを公言する結構ガチなアイマスPでもある星野源がW主演ということで期せずしてアイマスPに訴求力を発揮した結果、私が観に行った際には数人のアイマスPらしい方が。偶然にもその中にライブ会場で私と名刺交換した方がいて上映後少し話したのですが、こういうアート色の強いアニメを観るのは初めてとのことで新鮮な体験をしたようです。
きっかけは何でもこういう経験はきっとプラスになるのでキャスティングが気になっただけの方でもどんどん観に行っていただきたいですね。
なお、「ちえりとチェリー」を上映しているシネマテークでは最終日である26日の来場者の中から抽選で高森奈津美のサイン入りパンフレットのプレゼントを企画しているとか。平日のしかも午前なのでハードル高い時間帯ですが、なつ姉ファンで時間の取れる方は是非!
それなりに勉強量こなした昨年でさえ手も足も出なかったというのに再挑戦。しかも受験を申し込んでから残業が増えてしまい昨年の3分の1程度しか勉強できず、せめて来年の糧にと半ばヤケクソ気味に受験。
そうしたらまさか難易度が昨年より下がっていようとは。やっぱり昨年のあの高難易度は何か偉い人から文句言われたな(笑)!?
多分昨年より高得点取れてる謎の実感。でも合格ラインは…超えてないだろうなぁ…昨年がこの問題であってほしかった…
こんばんは、小島@監督です。
でも自分の毎日の仕事や半ば趣味で観たり読んだりしたものが意外に活きたのは悪い気しませんでした。ここに試験用の知識を上乗せできれば良かったんですが(苦笑)
さて、今回の映画は「ちえりとチェリー」です。
幼い頃に父を亡くし母親・万里恵(声・尾野真千子)と2人暮らしの少女・ちえり(声・高森奈津美)。万里恵は仕事に忙しく、ちえりの話し相手になってくれず、ちえりは寂しさを隠せずにいた。
そんなちえりの唯一の友人がぬいぐるみのチェリー(声・星野源)。チェリーはちえりの空想の中でちえりと共に遊び、語り、見守ってきた。
ある日ちえりは父の法事のため、万里恵と共に久しぶりに祖母(声・谷育子)の家を訪ねることに。
そこでちえりは空想と現実の端境で、不思議な冒険を経験することになる。
撮影機材の進歩とデジタルツールの普及により特に英語圏では近年多数製作されながら、不思議と日本では滅多に作られないパペットアニメーション(人形を徐々に動かしながら1コマずつコマ撮りして撮影して製作する技法。ストップモーションともいう)を用いて製作されたユニークなアニメーション映画です。
パペットアニメーションは日本ではNHKの「プチプチ・アニメ」などで短編が散見される程度で長編はまずもって製作されず、まして原作の無いオリジナル脚本による長編ともなるとほぼ皆無と言っていい状況です。
土壌が育っているとは言えないというのもあって、海外作品でも「ひつじのショーン」「ウォレスとグルミット」のように著名なキャラクターやティム・バートン監督の「コープスブライド」などクリエイターが有名な作品でなければ映画祭で高評価を得た物でも日本に入ってきていないタイトルもあると聞きます。そんな状況で敢えてオリジナル脚本で長編パペットアニメーション映画を製作したのは英断と言えるでしょう。
「ちえりとチェリー」に話を戻しましょう。
この映画、冴えているのは常にちえりの主観で物語が進み、現実感が強調されるシーンとファンタジーが強調されるシーンが同じ空気感の下で展開する点です。チェリーよろしくあくまでもちえりの心情に寄り添い続けることでその精神的成長に説得力を持たせることに成功しています。
出番は決して多くないものの、忙しさにかまけちえりに対してどう接していいか分からなくなっている母・万里恵の複雑な心情描写も見事です。「母と子の絆」も物語の核の一つになっている辺り、同じパペットアニメーション映画で旧ソ連のアニメ作家ロマン・カチャーノフの傑作「ミトン」(1968年製作)を彷彿とさせますね。
技法的な面では光源を強調したハイコントラストなショットや強い入射光が差すショット、望遠レンズを利用し背景をぼかしてキャラクターをより強調させるシーンなど、どこか出崎統を思わせるショットが度々登場するのが特徴です。この映画を監督した中村誠氏は「劇場版AIR」(2005年)「劇場版CLANNAD」(2007年)「雪の女王」(2005年)で出崎氏と組んでおり、その影響を強く受けたのでしょう。結果的にパペットアニメの繊細で素朴な画面にエモーショナルな熱さが加わっています。
余談ですが中村誠は「うたのプリンスさまっ♪」や「ジュエルペットてぃんくる☆」などのシナリオをコンスタントに手掛ける傍らで、この「ちえりとチェリー」や併映作品である「チェブラーシカ動物園へ行く」などのパペットアニメーションの脚本・監督も度々務めており、商業作品とアート色の強い作品を並行して製作する、日本アニメ界でも稀有な人物の一人と言えるでしょう。
主人公ちえりを演じる高森奈津美の演技も注目すべき点の一つです。最初の周囲への心を閉ざした内向的な性格が困難を経て少しずつ外へ意識が向くまでを繊細に演じ切ってみせます。高森奈津美ファンの方は是非ご覧になっていただきたい逸品です。
高森奈津美が「アイドルマスターシンデレラガールズ」の前川みく役であることと、その前川みくファンを公言する結構ガチなアイマスPでもある星野源がW主演ということで期せずしてアイマスPに訴求力を発揮した結果、私が観に行った際には数人のアイマスPらしい方が。偶然にもその中にライブ会場で私と名刺交換した方がいて上映後少し話したのですが、こういうアート色の強いアニメを観るのは初めてとのことで新鮮な体験をしたようです。
きっかけは何でもこういう経験はきっとプラスになるのでキャスティングが気になっただけの方でもどんどん観に行っていただきたいですね。
なお、「ちえりとチェリー」を上映しているシネマテークでは最終日である26日の来場者の中から抽選で高森奈津美のサイン入りパンフレットのプレゼントを企画しているとか。平日のしかも午前なのでハードル高い時間帯ですが、なつ姉ファンで時間の取れる方は是非!
お盆休みの真っ只中だったこの週末、オタクの祭典コミックマーケットを筆頭に各地で様々なイベントも催され、遠征した方々も多いのではないでしょうか。
私は連休そのものが短いため遠出するには至らず、しばらくぶりに乗馬クラブへ足を運んで乗馬を楽しむくらいが精一杯でしたが、ライブ1回分くらいの発汗はできたので良しとしよう(笑)
こんばんは、小島@監督です。
それにしても漫画家島本和彦が「シン・ゴジラ」を観て受けた衝撃をページにたたきつけたという同人誌、「ホノオ対アンノ」は読んでみたかったな~とらのあなとかで売ってないかな?
さて、今回の映画は「ロスト・バケーション」です。
サーファーであり医学生のナンシー(ブレイク・ライブリー)は、バケーションを利用してあるビーチを目指していた。
地元のサーファー以外ほとんど知られていない秘密のビーチ。その存在をナンシーに教えてくれた母親は数年前に世を去り、それがナンシーの医学の道への思いに迷いを生じさせていた。その迷いをひと時忘れるため、また母親との思い出を噛み締めるためにナンシーは波と戯れる。
そんなナンシーの前に、海面に浮かぶ巨大なクジラの死骸が現れた。直後ナンシーを衝撃が襲う!1匹のサメがナンシーを標的と定め猛然と迫ってきていたのだ!
ナンシーは何とか岩礁まで逃げ延びるもののサメは虎視眈々とナンシーを狙っていた…
先々月くらいのブログで「サメ映画はジャンルとしては飽和状態でもうトンデモ映画しかない」位の事を書きましたが、サーセン。お詫びします。ちゃんと作ればまだ面白い物ができるってことをこの映画が証明してみせました(笑)
まともに全国公開されたサメ映画と言えばもしかしたら「オープン・ウォーター」(2003年製作)以来じゃなかろうかと思いますがそれを実現させただけのパワーはある作品です。
メインとなる登場人物はブレイク・ライブリー(「デッドプール」で主役を演じたライアン・レイノルズの奥さんだったりする)演じるナンシーただ独り。場所も岩礁からほとんど動かないという海洋パニック物にしては珍しい限定的なシチュエーションで展開します。
岩礁は満潮になれば沈んでしまう、というタイムリミットもある状況の中、さらに海底にはサメだけでなく毒を持ったサンゴや急速に体力を奪う気象条件などサメ以外にもナンシーの脅威となる状況が続発するします。しかしナンシーは身に着けた僅かな品物を利用して危機的状況を脱しようと奮闘します。上手く行ったと思ったら期待通りの結果を得られなかったり更なる危機を招いてしまったり、この辺りのサスペンスの緩急が絶妙です。
この映画を手掛けたのはジャウマ・コレット=セラ。「アンノウン」「フライト・ゲーム」「ラン・オールナイト」とリーアム・ニーソン主演のアクション・サスペンス3作の他ホラー映画「エスター」などを手掛け、特にワン・シチュエーション・スリラーとの相性が良いようで、そんなジャウム氏の手腕が遺憾なく発揮されていると言えるでしょう。上映時間86分。その短い時間をわき目もふらずに全力でこのサバイバルを描き切ります。
翼を怪我しているとはいえ何故かナンシーから付かず離れず岩礁に居続けるカモメ(しかもコイツはCGではない)が妙に可愛らしい、そんな思いがけない「戦友」を用意してしまうあたり、映画的な嘘のつき方が巧い一作。現在大ヒット中の「シン・ゴジラ」と言い、こういう事が出来る作品は面白いですね。
既に公開も終盤に差し掛かっていますが、気軽に楽しめる作品として結構お薦めです。興味のある方は是非映画館でどうぞ。サメ映画をスクリーンで楽しめる機会もあまりありませんしね(笑)
私は連休そのものが短いため遠出するには至らず、しばらくぶりに乗馬クラブへ足を運んで乗馬を楽しむくらいが精一杯でしたが、ライブ1回分くらいの発汗はできたので良しとしよう(笑)
こんばんは、小島@監督です。
それにしても漫画家島本和彦が「シン・ゴジラ」を観て受けた衝撃をページにたたきつけたという同人誌、「ホノオ対アンノ」は読んでみたかったな~とらのあなとかで売ってないかな?
さて、今回の映画は「ロスト・バケーション」です。
サーファーであり医学生のナンシー(ブレイク・ライブリー)は、バケーションを利用してあるビーチを目指していた。
地元のサーファー以外ほとんど知られていない秘密のビーチ。その存在をナンシーに教えてくれた母親は数年前に世を去り、それがナンシーの医学の道への思いに迷いを生じさせていた。その迷いをひと時忘れるため、また母親との思い出を噛み締めるためにナンシーは波と戯れる。
そんなナンシーの前に、海面に浮かぶ巨大なクジラの死骸が現れた。直後ナンシーを衝撃が襲う!1匹のサメがナンシーを標的と定め猛然と迫ってきていたのだ!
ナンシーは何とか岩礁まで逃げ延びるもののサメは虎視眈々とナンシーを狙っていた…
先々月くらいのブログで「サメ映画はジャンルとしては飽和状態でもうトンデモ映画しかない」位の事を書きましたが、サーセン。お詫びします。ちゃんと作ればまだ面白い物ができるってことをこの映画が証明してみせました(笑)
まともに全国公開されたサメ映画と言えばもしかしたら「オープン・ウォーター」(2003年製作)以来じゃなかろうかと思いますがそれを実現させただけのパワーはある作品です。
メインとなる登場人物はブレイク・ライブリー(「デッドプール」で主役を演じたライアン・レイノルズの奥さんだったりする)演じるナンシーただ独り。場所も岩礁からほとんど動かないという海洋パニック物にしては珍しい限定的なシチュエーションで展開します。
岩礁は満潮になれば沈んでしまう、というタイムリミットもある状況の中、さらに海底にはサメだけでなく毒を持ったサンゴや急速に体力を奪う気象条件などサメ以外にもナンシーの脅威となる状況が続発するします。しかしナンシーは身に着けた僅かな品物を利用して危機的状況を脱しようと奮闘します。上手く行ったと思ったら期待通りの結果を得られなかったり更なる危機を招いてしまったり、この辺りのサスペンスの緩急が絶妙です。
この映画を手掛けたのはジャウマ・コレット=セラ。「アンノウン」「フライト・ゲーム」「ラン・オールナイト」とリーアム・ニーソン主演のアクション・サスペンス3作の他ホラー映画「エスター」などを手掛け、特にワン・シチュエーション・スリラーとの相性が良いようで、そんなジャウム氏の手腕が遺憾なく発揮されていると言えるでしょう。上映時間86分。その短い時間をわき目もふらずに全力でこのサバイバルを描き切ります。
翼を怪我しているとはいえ何故かナンシーから付かず離れず岩礁に居続けるカモメ(しかもコイツはCGではない)が妙に可愛らしい、そんな思いがけない「戦友」を用意してしまうあたり、映画的な嘘のつき方が巧い一作。現在大ヒット中の「シン・ゴジラ」と言い、こういう事が出来る作品は面白いですね。
既に公開も終盤に差し掛かっていますが、気軽に楽しめる作品として結構お薦めです。興味のある方は是非映画館でどうぞ。サメ映画をスクリーンで楽しめる機会もあまりありませんしね(笑)
昨日の歌会に参加された皆さんお疲れ様でした。
昨日は名古屋コスプレサミット他各所で様々なイベントが開催されていたこともありここ数か月の中でも少なめの参加人数。
それでも初参加の方もいらっしゃったり、ライブ明け間も無くで熱気の冷めない人たちがJAM部屋っぽいものを作って大熱唱するなど盛り上がりました。
また、今回は有志の方々で浴衣や甚平ほか和装で参加ということでいつもと違う雰囲気。実は今年こそ自分も乗っかってやろうと企んではいたのですが、「7月に浴衣か甚平見繕おう」と思っていたらその7月に購入しに行く暇無かった。6月に買わなかった時点で負けでした(苦笑)
こんばんは、小島@監督です。
来年は6月までに仕入れるようにしよう。
さて、今回の映画は「AMY」です。
その歌声にミック・ジャガーやトニー・ベネットらが絶賛し、レディー・ガガやアデルらにリスペクトされ、2008年にはグラミー賞に輝いた天才シンガー、エイミー・ワインハウス。
しかし度重なるスキャンダルに精神の均衡を崩し、アルコールとドラッグに溺れ、2011年7月にわずか27歳で急逝した。「孤高の歌姫」エイミーの、その波乱の生涯を綴るドキュメンタリー。
日本ではレコード会社が特に力を入れてPRしていなかった、というのもあって正直エイミー・ワインハウスはこの映画を観るまで良く知りませんでした。せいぜい2008年のグラミー賞獲得と、2011年にトニー・ベネットがリリースしたアルバム「DuetsⅡ」でジャズのスタンダード・ナンバー「Body and Soul」をデュエットしたのを聴いた事があるくらいです(実はこの曲がエイミーの最後のレコーディング曲となった)。
ですがたまたま観た予告編がビビっと来て観に行ってしまいました。
映画は10代前半のエイミーが友人の誕生日に1曲歌うプライベートフィルムから始まります。そこからエイミーの生涯を彼女のターニングポイントになった楽曲とパフォーマンスの映像を織り交ぜながら基本時系列に沿って綴っていきます。
丹念な取材の結実を感じさせる映画です。多くの関係者やミュージシャンたちのインタビューもさることながら、作中使用されたプライベートフィルムの多さがそれを如実に物語っています。あれがあるとないとでは映画の出来は大きく変わっていたことでしょう。またエイミーの「年相応の少女」の姿を最初に印象付けた事により、その先に待つ「望んだ以上の名声を手にしてしまって精神が均衡を失していく」様とのギャップが浮き彫りにされていくことになります。
決して良いとは言えない家庭環境や激情に身を任せたような恋愛関係など、人生経験を糧に、というか己の身を削って他には無い音楽を作り上げていく、関係者以外知り得なかったであろうエイミー・ワインハウスのパーソナルな部分を重要視したことで要所要所で聴かせてくれる歌曲にも物語的な厚みが加わります。
それにしてもこの映画観ていて一番胸が締め付けられるような思いをしたのはエイミーの周囲にいる男性たちが揃いも揃ってダメ人間なところです。似たような境遇故に愛しながらも互いに傷つけることしかできない夫、急速にスターダムを駆け上がるエイミーに遠慮なくたかり、休養中の時ですら取材のカメラマンを引き連れてやってきてしまう父親、エイミーの身を案じながらも親密であり過ぎたがゆえに逆にエイミーを制止できずにいた最初のマネージャー、良くこんなに揃ってしまったものと妙に感心すらしてしまうほどに破滅しかもたらさない人間関係に苦しくなってきます。
「才能」が時代に求められすぎた時、「時代」はいとも簡単に人を殺すということを、この作品は哀しいほどに優れた音楽と共に見せつけます。
「AMY」は必要以上に涙を誘うような過剰な演出を避け、対象への真摯なスタンスを貫き通す優れたドキュメンタリーです。今年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞したのも納得の出来栄え。盛夏の折、気軽に楽しめる超大作映画も良いですが、時にはこんな映画もどうですか?
昨日は名古屋コスプレサミット他各所で様々なイベントが開催されていたこともありここ数か月の中でも少なめの参加人数。
それでも初参加の方もいらっしゃったり、ライブ明け間も無くで熱気の冷めない人たちがJAM部屋っぽいものを作って大熱唱するなど盛り上がりました。
また、今回は有志の方々で浴衣や甚平ほか和装で参加ということでいつもと違う雰囲気。実は今年こそ自分も乗っかってやろうと企んではいたのですが、「7月に浴衣か甚平見繕おう」と思っていたらその7月に購入しに行く暇無かった。6月に買わなかった時点で負けでした(苦笑)
こんばんは、小島@監督です。
来年は6月までに仕入れるようにしよう。
さて、今回の映画は「AMY」です。
その歌声にミック・ジャガーやトニー・ベネットらが絶賛し、レディー・ガガやアデルらにリスペクトされ、2008年にはグラミー賞に輝いた天才シンガー、エイミー・ワインハウス。
しかし度重なるスキャンダルに精神の均衡を崩し、アルコールとドラッグに溺れ、2011年7月にわずか27歳で急逝した。「孤高の歌姫」エイミーの、その波乱の生涯を綴るドキュメンタリー。
日本ではレコード会社が特に力を入れてPRしていなかった、というのもあって正直エイミー・ワインハウスはこの映画を観るまで良く知りませんでした。せいぜい2008年のグラミー賞獲得と、2011年にトニー・ベネットがリリースしたアルバム「DuetsⅡ」でジャズのスタンダード・ナンバー「Body and Soul」をデュエットしたのを聴いた事があるくらいです(実はこの曲がエイミーの最後のレコーディング曲となった)。
ですがたまたま観た予告編がビビっと来て観に行ってしまいました。
映画は10代前半のエイミーが友人の誕生日に1曲歌うプライベートフィルムから始まります。そこからエイミーの生涯を彼女のターニングポイントになった楽曲とパフォーマンスの映像を織り交ぜながら基本時系列に沿って綴っていきます。
丹念な取材の結実を感じさせる映画です。多くの関係者やミュージシャンたちのインタビューもさることながら、作中使用されたプライベートフィルムの多さがそれを如実に物語っています。あれがあるとないとでは映画の出来は大きく変わっていたことでしょう。またエイミーの「年相応の少女」の姿を最初に印象付けた事により、その先に待つ「望んだ以上の名声を手にしてしまって精神が均衡を失していく」様とのギャップが浮き彫りにされていくことになります。
決して良いとは言えない家庭環境や激情に身を任せたような恋愛関係など、人生経験を糧に、というか己の身を削って他には無い音楽を作り上げていく、関係者以外知り得なかったであろうエイミー・ワインハウスのパーソナルな部分を重要視したことで要所要所で聴かせてくれる歌曲にも物語的な厚みが加わります。
それにしてもこの映画観ていて一番胸が締め付けられるような思いをしたのはエイミーの周囲にいる男性たちが揃いも揃ってダメ人間なところです。似たような境遇故に愛しながらも互いに傷つけることしかできない夫、急速にスターダムを駆け上がるエイミーに遠慮なくたかり、休養中の時ですら取材のカメラマンを引き連れてやってきてしまう父親、エイミーの身を案じながらも親密であり過ぎたがゆえに逆にエイミーを制止できずにいた最初のマネージャー、良くこんなに揃ってしまったものと妙に感心すらしてしまうほどに破滅しかもたらさない人間関係に苦しくなってきます。
「才能」が時代に求められすぎた時、「時代」はいとも簡単に人を殺すということを、この作品は哀しいほどに優れた音楽と共に見せつけます。
「AMY」は必要以上に涙を誘うような過剰な演出を避け、対象への真摯なスタンスを貫き通す優れたドキュメンタリーです。今年のアカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞したのも納得の出来栄え。盛夏の折、気軽に楽しめる超大作映画も良いですが、時にはこんな映画もどうですか?
昨夜突如飛び込んできた元横綱千代の富士こと九重親方の訃報に衝撃を隠せません。
幼い時分、初めて知った「横綱」が千代の富士で、他の力士とは明らかに違う筋肉質な体躯と土俵入りでの美しい所作の鮮烈な印象をよく覚えています。そのため自分にとっては長く「力士」ひいては「相撲」そのもののシンボルでした。
私だけに限った話ではなく、千代の富士は当時間違い無くスターで、「キン肉マン」には千代の富士をモデルにした「ウルフマン(千代の富士はその体格と精悍な顔立ち、するどい眼つきから「ウルフ」というニックネームが付いた。因みにアニメではリキシマン)」というキャラクターが登場していたこともそのスター性を裏付けるものと言えるでしょう。
こんばんは、小島@監督です。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
さて、今回の映画は「シン・ゴジラ」です。
「それ」は突如現れた。
海上保安庁職員が東京湾内で漂流中のプレジャーボートを捜索中、海面から大量の水蒸気が噴出。同時刻、東京湾横断道路アクアトンネル内では走行中の車が突然の浸水に巻き込まれた。
一報を受けた矢口蘭堂内閣官房副長官(長谷川博己)らは情報収集に奔走する。
首相・大河内清次(大杉漣)以下閣僚たちが対策協議を始める中、矢口は巨大生物の存在を示唆するも一笑に付されてしまう。しかし、直後海中から巨大な尻尾が姿を現した…!
2014年にハリウッド版公開や第1作のデジタルリマスター版上映などがありましたが、新作としては「ゴジラFINAL WARS」以来実に12年ぶりのゴジラ映画が公開です。もっと言えば「ゴジラ(1984)」以来32年ぶりにゴジラ一体のみが登場する怪獣映画です。監督は「エヴァ」シリーズを手掛けた庵野秀明。彼は脚本も兼任しています。
これまでのゴジラシリーズは基本的にどの作品も第1作を基準点に「1954年に初めてゴジラが出現した」ことが前提の設定が構築されていましたが、今作では初めてその前提から外れ、現実に即した日本に「初めて巨大生物が出現する」という設定になっています。そのため、映画前半はこの非常事態に政府がどう対応するかを徹底したリアリズムをまといながら濃密かつハイテンポに、しかもかなり慌ただしい短いカット割りで展開します。
この映画の大きな特徴は名前の付いたキャラクターだけで実に300人近く登場する異常なまでの登場人物の多さです。主要人物は画面にテロップが表示されますが、それとて瞬間的。はっきり言って初見ではとても把握しきれません。なのでどうしても役者の名前で認識せざるを得ません。しかし監督庵野秀明は恐らく確信的にそれを行っています。
一応主人公は長谷川博己演じる矢口蘭堂で、物語は彼の視点からそう大きくは外れませんが、実質は群像劇です。この映画は日本という「国」、日本人という「群」がゴジラと戦う物語になります。
余談ですが、何故かその大勢の俳優の中に結構な人数で「進撃の巨人」に出演していた方がいます。それも大体が割とカッコいいポジションで!脚本が良いと役者はこんなにも輝くぜ!とでも言いたいのか(笑)?
そして何よりこの映画の肝であるゴジラの圧倒的存在感!怖い!そして絶望的!そんな圧倒的存在を前にそれでも戦う人々!この熱量!私は「パシフィック・リム」も「GODZILLA(2014)」も大好きですが、多分本質的な所で好きなのは「シン・ゴジラ」の方です。コレだ。私が観たかった怪獣映画はこういうのですよ!
「シン・ゴジラ」は画面の迫力、絵面の面白さ、物語の楽しさ、音楽の見事さに加え時事的な問題をも凝縮した批評眼を持ち合わせた一級品のエンターテインメントに仕上がっています。正直期待の遥か上行く面白い映画でした。コレはマジで多くの方にお薦めしたい!
OK!こんな面白いの作ってくれたんだから「ヱヴァ完結編」もうしばらく待ってるよ(笑)!
幼い時分、初めて知った「横綱」が千代の富士で、他の力士とは明らかに違う筋肉質な体躯と土俵入りでの美しい所作の鮮烈な印象をよく覚えています。そのため自分にとっては長く「力士」ひいては「相撲」そのもののシンボルでした。
私だけに限った話ではなく、千代の富士は当時間違い無くスターで、「キン肉マン」には千代の富士をモデルにした「ウルフマン(千代の富士はその体格と精悍な顔立ち、するどい眼つきから「ウルフ」というニックネームが付いた。因みにアニメではリキシマン)」というキャラクターが登場していたこともそのスター性を裏付けるものと言えるでしょう。
こんばんは、小島@監督です。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
さて、今回の映画は「シン・ゴジラ」です。
「それ」は突如現れた。
海上保安庁職員が東京湾内で漂流中のプレジャーボートを捜索中、海面から大量の水蒸気が噴出。同時刻、東京湾横断道路アクアトンネル内では走行中の車が突然の浸水に巻き込まれた。
一報を受けた矢口蘭堂内閣官房副長官(長谷川博己)らは情報収集に奔走する。
首相・大河内清次(大杉漣)以下閣僚たちが対策協議を始める中、矢口は巨大生物の存在を示唆するも一笑に付されてしまう。しかし、直後海中から巨大な尻尾が姿を現した…!
2014年にハリウッド版公開や第1作のデジタルリマスター版上映などがありましたが、新作としては「ゴジラFINAL WARS」以来実に12年ぶりのゴジラ映画が公開です。もっと言えば「ゴジラ(1984)」以来32年ぶりにゴジラ一体のみが登場する怪獣映画です。監督は「エヴァ」シリーズを手掛けた庵野秀明。彼は脚本も兼任しています。
これまでのゴジラシリーズは基本的にどの作品も第1作を基準点に「1954年に初めてゴジラが出現した」ことが前提の設定が構築されていましたが、今作では初めてその前提から外れ、現実に即した日本に「初めて巨大生物が出現する」という設定になっています。そのため、映画前半はこの非常事態に政府がどう対応するかを徹底したリアリズムをまといながら濃密かつハイテンポに、しかもかなり慌ただしい短いカット割りで展開します。
この映画の大きな特徴は名前の付いたキャラクターだけで実に300人近く登場する異常なまでの登場人物の多さです。主要人物は画面にテロップが表示されますが、それとて瞬間的。はっきり言って初見ではとても把握しきれません。なのでどうしても役者の名前で認識せざるを得ません。しかし監督庵野秀明は恐らく確信的にそれを行っています。
一応主人公は長谷川博己演じる矢口蘭堂で、物語は彼の視点からそう大きくは外れませんが、実質は群像劇です。この映画は日本という「国」、日本人という「群」がゴジラと戦う物語になります。
余談ですが、何故かその大勢の俳優の中に結構な人数で「進撃の巨人」に出演していた方がいます。それも大体が割とカッコいいポジションで!脚本が良いと役者はこんなにも輝くぜ!とでも言いたいのか(笑)?
そして何よりこの映画の肝であるゴジラの圧倒的存在感!怖い!そして絶望的!そんな圧倒的存在を前にそれでも戦う人々!この熱量!私は「パシフィック・リム」も「GODZILLA(2014)」も大好きですが、多分本質的な所で好きなのは「シン・ゴジラ」の方です。コレだ。私が観たかった怪獣映画はこういうのですよ!
「シン・ゴジラ」は画面の迫力、絵面の面白さ、物語の楽しさ、音楽の見事さに加え時事的な問題をも凝縮した批評眼を持ち合わせた一級品のエンターテインメントに仕上がっています。正直期待の遥か上行く面白い映画でした。コレはマジで多くの方にお薦めしたい!
OK!こんな面白いの作ってくれたんだから「ヱヴァ完結編」もうしばらく待ってるよ(笑)!