名バイプレーヤーと呼ばれ現在放送中のものでも「バイプレーヤーズ」や「相棒」に出演するほか最近では「ぐるナイ!」などバラエティー番組にも活躍の場を広げていた俳優・大杉漣さんの訃報に文字通り言葉を失いました。
下積みが長かったこともあってか出演作品が非常に多かった方で、脚本が良かったり製作者の熱量に感じるところがあれば自主映画や学生の卒業制作にも出演することで知られ、その人柄をしのばせるエピソードの数々が没後連日のようにTVだけでなくTwitterやSNS上で紹介されています。
個人的に近年の作品で印象深かったのは「シン・ゴジラ」の大河内総理もそうですが、それ以上に「仮面ライダー1号」の地獄大使ですね。ラスト近く、ボロボロになった体でかつての宿敵である本郷猛に切実に最後の決着を望む姿に痺れるような感覚が走ったのを覚えています。
こんばんは、小島@監督です。
本当に、惜しい方を亡くしました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
さて、今回の映画は「マンハント」です。
大阪。製薬会社の顧問弁護士を務めるドゥ・チウ(チャン・ハンユー)は、会社主催のパーティーの翌朝、殺人事件に巻き込まれた。自宅のベッドで目覚めると、前夜に自身を誘惑した社長秘書・田中希子(TAO)が死体となって横たわっていたのだ。警察に通報するが、やってきた浅野警部(トクナガクニハル)に犯人と決めつけられ挙句に殺されかけるが間一髪で逃走に成功。しかし重要指名手配犯として追われることになってしまう。
浅野が大阪中に包囲網を敷いてドゥ・チウの捜索に当たる中、同じ捜査1課の警部である矢村(福山雅治)は、独自の推理でドゥ・チウの逃走先を探り当て、接触に成功するのだが…
ハードボイルドや社会派ミステリの名手として数多くの作品を発表した西村寿行。その小説を原作に1976年に監督佐藤純彌、高倉健主演で映画化され大ヒットを博した「君よ憤怒の河を渉れ」、それを香港映画の第一人者であるジョン・ウーの手で日中合作としてリメイクされたのがこの「マンハント」です。
「君よ憤怒の河を渉れ」は日本公開から3年後の1979年に中国で「追捕」のタイトルで公開されました。実はこれは1966年から約10年間に渡って中国を席巻した「プロレタリア文化大革命」、いわゆる「文革」の終結後初めて公開された外国映画であり、冤罪によって追われる高倉健演じる主人公・杜丘(読みはもりおか。ちなみにその中国読みがドゥ・チウである)の姿に自身を重ね多大な共感を呼び述べ観客動員数は8億人に達したとも言われるほどの大ヒットとなり、高倉健は中国にとっても神格視されるほどのスター俳優となりました。
「マンハント」の監督を務めたジョン・ウーも若き日に高倉健主演作を観て感銘を受けた一人で、高倉健に生前度々出演のオファーを行っていましたが遂に実現には至らず、高倉健の主演作を自身の手でリメイクする形でそのリスペクトを表現したのが今作になります。
さて、だいぶ前置きが長くなりましたがそんな今作の出来栄えはと言えば、ジョン・ウー監督、ノーブレーキが過ぎるというか、自身のテイストを前面に出し過ぎです(笑)
近年は「レッドクリフ」(2008年)や「太平輪」(2014年・日本未公開)など歴史大作が多いジョン・ウーですが、以前は「男たちの挽歌」(1986年)や「フェイス/オフ」(1997年)などアクション色の強いフィルムノワールが多く、その作品中では良く「2丁拳銃」と「互いに背中を預けながらガンファイトする2人の男」が登場するほか、作中どこかでほぼ必ず「白い鳩」が飛ぶことが一種のトレードマークとなっているのですが、今作では十数年ぶりにそれらが全部盛りになっています。開幕早々漁港の映像をバックに「君よ憤怒の河を渉れ」のテーマ曲であった「孤独の逃亡」が流れるそのショットから全編に渡り噴射されるくどいくらいに濃厚なジョン・ウーテイストは、初見の方にはかなりキツいんじゃないでしょうか(苦笑)
全編日本ロケを敢行し、堂島川での水上バイクチェイスなど大阪の街のど真ん中で良くこんな映像撮れたなと感心するようなアクションがバンバン登場する一方で物語は恐らく撮影中に度々シナリオを加筆改稿したのではと思えるほどに支離滅裂なので骨太なサスペンスを求めて観に行くと痛い目を見ます。ですがその辺何もかも織り込み済みで鑑賞するなら最高に熱くて楽しい2時間が待っています。
この映画、はっきり言って私のように2丁拳銃&白い鳩成分が枯渇したジョン・ウー作品ファンか、取り敢えず福山雅治の出演作は何だろうと全部観たい方か、ボンクラ映画スキーな方にしか全くもってお薦めできない作品です。どうせなら他の作品にした方が有意義な時間を過ごせます。ですがこれらに該当してしまう方はコレをスクリーンで堪能しないなどもったいない!どうぞこのフルスロットルなジョン・ウー・マジックに全身で浸って下さい。
下積みが長かったこともあってか出演作品が非常に多かった方で、脚本が良かったり製作者の熱量に感じるところがあれば自主映画や学生の卒業制作にも出演することで知られ、その人柄をしのばせるエピソードの数々が没後連日のようにTVだけでなくTwitterやSNS上で紹介されています。
個人的に近年の作品で印象深かったのは「シン・ゴジラ」の大河内総理もそうですが、それ以上に「仮面ライダー1号」の地獄大使ですね。ラスト近く、ボロボロになった体でかつての宿敵である本郷猛に切実に最後の決着を望む姿に痺れるような感覚が走ったのを覚えています。
こんばんは、小島@監督です。
本当に、惜しい方を亡くしました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
さて、今回の映画は「マンハント」です。
大阪。製薬会社の顧問弁護士を務めるドゥ・チウ(チャン・ハンユー)は、会社主催のパーティーの翌朝、殺人事件に巻き込まれた。自宅のベッドで目覚めると、前夜に自身を誘惑した社長秘書・田中希子(TAO)が死体となって横たわっていたのだ。警察に通報するが、やってきた浅野警部(トクナガクニハル)に犯人と決めつけられ挙句に殺されかけるが間一髪で逃走に成功。しかし重要指名手配犯として追われることになってしまう。
浅野が大阪中に包囲網を敷いてドゥ・チウの捜索に当たる中、同じ捜査1課の警部である矢村(福山雅治)は、独自の推理でドゥ・チウの逃走先を探り当て、接触に成功するのだが…
ハードボイルドや社会派ミステリの名手として数多くの作品を発表した西村寿行。その小説を原作に1976年に監督佐藤純彌、高倉健主演で映画化され大ヒットを博した「君よ憤怒の河を渉れ」、それを香港映画の第一人者であるジョン・ウーの手で日中合作としてリメイクされたのがこの「マンハント」です。
「君よ憤怒の河を渉れ」は日本公開から3年後の1979年に中国で「追捕」のタイトルで公開されました。実はこれは1966年から約10年間に渡って中国を席巻した「プロレタリア文化大革命」、いわゆる「文革」の終結後初めて公開された外国映画であり、冤罪によって追われる高倉健演じる主人公・杜丘(読みはもりおか。ちなみにその中国読みがドゥ・チウである)の姿に自身を重ね多大な共感を呼び述べ観客動員数は8億人に達したとも言われるほどの大ヒットとなり、高倉健は中国にとっても神格視されるほどのスター俳優となりました。
「マンハント」の監督を務めたジョン・ウーも若き日に高倉健主演作を観て感銘を受けた一人で、高倉健に生前度々出演のオファーを行っていましたが遂に実現には至らず、高倉健の主演作を自身の手でリメイクする形でそのリスペクトを表現したのが今作になります。
さて、だいぶ前置きが長くなりましたがそんな今作の出来栄えはと言えば、ジョン・ウー監督、ノーブレーキが過ぎるというか、自身のテイストを前面に出し過ぎです(笑)
近年は「レッドクリフ」(2008年)や「太平輪」(2014年・日本未公開)など歴史大作が多いジョン・ウーですが、以前は「男たちの挽歌」(1986年)や「フェイス/オフ」(1997年)などアクション色の強いフィルムノワールが多く、その作品中では良く「2丁拳銃」と「互いに背中を預けながらガンファイトする2人の男」が登場するほか、作中どこかでほぼ必ず「白い鳩」が飛ぶことが一種のトレードマークとなっているのですが、今作では十数年ぶりにそれらが全部盛りになっています。開幕早々漁港の映像をバックに「君よ憤怒の河を渉れ」のテーマ曲であった「孤独の逃亡」が流れるそのショットから全編に渡り噴射されるくどいくらいに濃厚なジョン・ウーテイストは、初見の方にはかなりキツいんじゃないでしょうか(苦笑)
全編日本ロケを敢行し、堂島川での水上バイクチェイスなど大阪の街のど真ん中で良くこんな映像撮れたなと感心するようなアクションがバンバン登場する一方で物語は恐らく撮影中に度々シナリオを加筆改稿したのではと思えるほどに支離滅裂なので骨太なサスペンスを求めて観に行くと痛い目を見ます。ですがその辺何もかも織り込み済みで鑑賞するなら最高に熱くて楽しい2時間が待っています。
この映画、はっきり言って私のように2丁拳銃&白い鳩成分が枯渇したジョン・ウー作品ファンか、取り敢えず福山雅治の出演作は何だろうと全部観たい方か、ボンクラ映画スキーな方にしか全くもってお薦めできない作品です。どうせなら他の作品にした方が有意義な時間を過ごせます。ですがこれらに該当してしまう方はコレをスクリーンで堪能しないなどもったいない!どうぞこのフルスロットルなジョン・ウー・マジックに全身で浸って下さい。
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間も無くサービスが開始される「ブレイブフロンティア2」というスマホゲーム、そのPRで「ブレイブ」繋がりということで「獣電戦隊キョウリュウジャー」(2013年放送)とコラボレーションする企画を展開、というところまでは良いのですが、それでまさか主要キャスト・スタッフ再集結の新作が作られようとは!しかも続編ではなく「33.5話」と称してTVシリーズの只中の物語を1本、まるっと30分というフル尺で!謎の本気ぶりに震えるぞハート。出演声優たちが結構フリーダムにアドリブを重ねるところもTVシリーズそのままのノリで、心底楽しい1本でした。こういうのがいきなり来たりするから油断できないわ~
こんばんは、小島@監督です。
「キョウリュウジャー」はここ10年くらいのスーパー戦隊の中でもグレードが高い作品なので普段戦隊ものは見ないという方にもお薦めしたい。
さて、今回の映画は「スリー・ビルボード」です。
ミズーリ州の田舎町エビング。そこで暮らすミルドレッド・ヘイズ(フランシス・マクドーマンド)は7か月前に娘を何者かにレイプされて殺された。一向に進展しない捜査に業を煮やしたミルドレッドは、「迷ったヤツかボンクラしか通らない」という町はずれの寂れた道に3枚の古ぼけた広告看板がある事に気づき、看板の所有者であるエビング広告社のレッド(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)と1年間の契約を交わし、ある広告を掲示した。
その広告はパトロール中にそれを発見したディクソン巡査(サム・ロックウェル)からウィロビー署長(ウディ・ハレルソン)へと伝えられ、翌日2人は広告社へ看板の取り外しを求めに行くがレッドは「法的には問題ない」と取り合わない。そしてTVの取材が入ったことで看板は街中にその存在が知られるようになり、住民に大きな波紋を投げかけることになるのだった。
舞台作家としてそのキャリアをスタートし、映画にそのフィールドを移して以降も「セブン・サイコパス」(2012年製作、主演ウディ・ハレルソン)などユニークな作品で高い評価を集める劇作家マーティン・マクドナー。その最新作は、3枚の広告看板を通して悲劇と喜劇の境界線で激情に突き動かされた人間たちの愚かさや哀しさを描き出すヒューマンドラマです。
物語の中心にいるのは、娘を殺された怒りを広告看板という形で表現し、更に街中の人間にも不敵な言葉を投げるミルドレッド、黒人やマイノリティを敵視し暴力をふるうなど問題行動の多いディクソン巡査、篤実な人柄で住民の信頼を集めるものの末期ガンに侵され余命僅かなウィロビー署長の3人。それぞれに陰影の深い人物造形をしていて類型的でないのが印象的です。特に他者に対して攻撃的なミルドレッドとディクソン巡査が抱える「弱さ」が物語にどのように作用しているかは注意して鑑賞してください。3人を演じるフランシス・マクドーマンド、サム・ロックウェル、ウディ・ハレルソンら名優の演技も注目です。
この作品は、物語が展開する「場所」もポイントです。主舞台であるエビングは架空の街ですが、「Three Billboards Outside Ebbing,Missouri」と原題にあるように映画冒頭でエビングがミズーリ州にあることが強調されます。
アメリカ中西部に位置するミズーリ州は人種構成が全米の比率と極めて近く、また保守派や中道派の有権者が多く、わずかな例外を除いて100年以上ここで選出された候補が大統領に選ばれているためにその趨勢を占うのにも重要な意味を持つ州で、いわば全てにおいて平均的であり、それは即ち現代アメリカの「縮図」とも言えるでしょう。2014年に黒人青年が白人警官に射殺され、その後非公開審理からの大陪審で警官が不起訴になったことから抗議行動が暴行や略奪へと発展した「マイケル・ブラウン射殺事件」が起きたのもこのミズーリ州であることも無関係ではないでしょう。この物語は「不寛容」と「怒り」が渦巻き始めた現代アメリカを俯瞰しつつ、その怒りが沸点に到達したときそこからいかに平穏を取り戻していくかを描く作品です。
結末の落としどころなどちょっと玄人好みではありますが示唆と寓意に富んだ優れたシナリオと名優たちの演技が織りなす力作。続編やシリーズ流行りと言われるハリウッドでもふと見渡せばこんな力のある作品が生み出せるのかとそのすそ野の広さと底の厚さに唸らされる映画です。
冷たく突き放すような厳しさの中に陽だまりのような優しさを持ったその味わいを、どうぞ堪能してみてください。
こんばんは、小島@監督です。
「キョウリュウジャー」はここ10年くらいのスーパー戦隊の中でもグレードが高い作品なので普段戦隊ものは見ないという方にもお薦めしたい。
さて、今回の映画は「スリー・ビルボード」です。
ミズーリ州の田舎町エビング。そこで暮らすミルドレッド・ヘイズ(フランシス・マクドーマンド)は7か月前に娘を何者かにレイプされて殺された。一向に進展しない捜査に業を煮やしたミルドレッドは、「迷ったヤツかボンクラしか通らない」という町はずれの寂れた道に3枚の古ぼけた広告看板がある事に気づき、看板の所有者であるエビング広告社のレッド(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)と1年間の契約を交わし、ある広告を掲示した。
その広告はパトロール中にそれを発見したディクソン巡査(サム・ロックウェル)からウィロビー署長(ウディ・ハレルソン)へと伝えられ、翌日2人は広告社へ看板の取り外しを求めに行くがレッドは「法的には問題ない」と取り合わない。そしてTVの取材が入ったことで看板は街中にその存在が知られるようになり、住民に大きな波紋を投げかけることになるのだった。
舞台作家としてそのキャリアをスタートし、映画にそのフィールドを移して以降も「セブン・サイコパス」(2012年製作、主演ウディ・ハレルソン)などユニークな作品で高い評価を集める劇作家マーティン・マクドナー。その最新作は、3枚の広告看板を通して悲劇と喜劇の境界線で激情に突き動かされた人間たちの愚かさや哀しさを描き出すヒューマンドラマです。
物語の中心にいるのは、娘を殺された怒りを広告看板という形で表現し、更に街中の人間にも不敵な言葉を投げるミルドレッド、黒人やマイノリティを敵視し暴力をふるうなど問題行動の多いディクソン巡査、篤実な人柄で住民の信頼を集めるものの末期ガンに侵され余命僅かなウィロビー署長の3人。それぞれに陰影の深い人物造形をしていて類型的でないのが印象的です。特に他者に対して攻撃的なミルドレッドとディクソン巡査が抱える「弱さ」が物語にどのように作用しているかは注意して鑑賞してください。3人を演じるフランシス・マクドーマンド、サム・ロックウェル、ウディ・ハレルソンら名優の演技も注目です。
この作品は、物語が展開する「場所」もポイントです。主舞台であるエビングは架空の街ですが、「Three Billboards Outside Ebbing,Missouri」と原題にあるように映画冒頭でエビングがミズーリ州にあることが強調されます。
アメリカ中西部に位置するミズーリ州は人種構成が全米の比率と極めて近く、また保守派や中道派の有権者が多く、わずかな例外を除いて100年以上ここで選出された候補が大統領に選ばれているためにその趨勢を占うのにも重要な意味を持つ州で、いわば全てにおいて平均的であり、それは即ち現代アメリカの「縮図」とも言えるでしょう。2014年に黒人青年が白人警官に射殺され、その後非公開審理からの大陪審で警官が不起訴になったことから抗議行動が暴行や略奪へと発展した「マイケル・ブラウン射殺事件」が起きたのもこのミズーリ州であることも無関係ではないでしょう。この物語は「不寛容」と「怒り」が渦巻き始めた現代アメリカを俯瞰しつつ、その怒りが沸点に到達したときそこからいかに平穏を取り戻していくかを描く作品です。
結末の落としどころなどちょっと玄人好みではありますが示唆と寓意に富んだ優れたシナリオと名優たちの演技が織りなす力作。続編やシリーズ流行りと言われるハリウッドでもふと見渡せばこんな力のある作品が生み出せるのかとそのすそ野の広さと底の厚さに唸らされる映画です。
冷たく突き放すような厳しさの中に陽だまりのような優しさを持ったその味わいを、どうぞ堪能してみてください。
先週連日のように報道されていた北陸での大雪、実はそのただ中の福井市に、私行ってました。
目的は職場での出張研修で2泊3日の予定だったのですが、高速道路は通行止めになり、国道に下りれば8号線は1,000台を超す立ち往生が発生するわで身動きが取れなくなる寸前まで行き、たまたま交差点に差し掛かったところで同行していた社長に(私を含め総勢7人で行ってました)「引き返しましょう」と提案。午前中は行く気満々だった社長も2時間で数百メートルしか進まない状況に中止を決断してくれ、その交差点で強引にUターン。何とかその日の内に家に帰りつくことが出来ました。あそこで引き返さなかったら恐らく丸3日間立ち往生してた数百台の一台になってた可能性も大きく、結構際どかったなぁと思い返すと冷や汗が出てきます。
こんばんは、小島@監督です。
でもできれば社長には出発前に中止を決断してほしかったかな~人間は自然には勝てませんて(苦笑)
さて、今回の映画は「ゴッホ~最期の手紙~」です。
投げやりな日々を過ごしていた青年アルマン・ルーラン(ダグラス・ブース)は、郵便配達人だった父ジョゼフ(クリス・オダウド)から1通の手紙を託される。それはジョゼフの友人で1年前に死んだオランダ人画家フィンセント・ファン・ゴッホ(ロベルト・グラチーク)が弟テオに宛てた生前最期の手紙であった。それをパリに住んでいるはずのテオに届けてやって欲しいという。
渋々引き受けるアルマンだったが、その旅はやがてアルマンの中で父の友情と画家の追悼というだけではない意味を持つようになっていく。果たして不遇の画家は何故自身に銃口を向けるに至ったのか。
大変な労力を以て製作された、非常にユニークな映像を見せるアニメーション映画が昨秋より全国順次公開中です。
1955年に製作されその後のゴッホのイメージを定着させたとも言われる「炎の人ゴッホ」(監督ヴィンセント・ミネリ、主演カーク・ダグラス)を始めとしてフィクションにしろドキュメンタリーにしろゴッホを題材とした作品は多く、1940年代以降現在に至るまで実に800本以上が製作されていますが、「ゴッホ~最期の手紙~」はその中でもかなり異色の作品と言えるでしょう。
ゴッホの死の真相を探る旅路を描き出すのは、何と油絵。まず俳優たちによる演技を撮影し(ショットによってグリーンバックだったりセットだったりしたそうだ)、その後その映像をベースに全ショットを油絵に描き起こしてそれを撮影しアニメ映画化するという手法を取っています。実に125人の油絵画家が描き出したその枚数1秒で12枚。総枚数62,450枚の油絵によるアニメーションです。構図にはゴッホが遺した絵画の内94点に極めて近い構図を意図的に作り出し、「ゴッホの絵が動く」という無二の映像体験を生み出しています。タイトルがパッと浮かばなくてもどこかで目にした事のある絵画たちが動いている、というのはまさに「アニメーション」の本来の意味するところである「anima(魂)」と「animate(無機物に魂が宿る)」をダイレクトに見せつけるようです。
強すぎる映像の力ばかりに目が行きがちですが、物語の方もなかなかです。1通の手紙を通してゴッホの死の真相に迫るこの物語は、アルマンがゴッホの足跡を辿りつつ関係者に話を聞いていくという形で展開し、さながらミステリーを観ているかのよう。接した人によって「天才」と呼ばれたり「狂人」と呼ばれたりと大きく印象が違いなかなか実相を容易に掴ませず、観る者を翻弄する巧みな構成をしています。「芸術的であると同時に文学的」というのがこの映画を観た後の私の率直な印象です。
「観る」と「読む」、感覚的な「心の旅」とも言えるアニメーションの凄みを存分に味わえる、非常に熱量の高い作品です。観る前と観た後で、きっとゴッホの作品を目にした時の印象が大きく変わる、そんな体験が待っています。是非、多くの方に味わっていただきたいですね。
目的は職場での出張研修で2泊3日の予定だったのですが、高速道路は通行止めになり、国道に下りれば8号線は1,000台を超す立ち往生が発生するわで身動きが取れなくなる寸前まで行き、たまたま交差点に差し掛かったところで同行していた社長に(私を含め総勢7人で行ってました)「引き返しましょう」と提案。午前中は行く気満々だった社長も2時間で数百メートルしか進まない状況に中止を決断してくれ、その交差点で強引にUターン。何とかその日の内に家に帰りつくことが出来ました。あそこで引き返さなかったら恐らく丸3日間立ち往生してた数百台の一台になってた可能性も大きく、結構際どかったなぁと思い返すと冷や汗が出てきます。
こんばんは、小島@監督です。
でもできれば社長には出発前に中止を決断してほしかったかな~人間は自然には勝てませんて(苦笑)
さて、今回の映画は「ゴッホ~最期の手紙~」です。
投げやりな日々を過ごしていた青年アルマン・ルーラン(ダグラス・ブース)は、郵便配達人だった父ジョゼフ(クリス・オダウド)から1通の手紙を託される。それはジョゼフの友人で1年前に死んだオランダ人画家フィンセント・ファン・ゴッホ(ロベルト・グラチーク)が弟テオに宛てた生前最期の手紙であった。それをパリに住んでいるはずのテオに届けてやって欲しいという。
渋々引き受けるアルマンだったが、その旅はやがてアルマンの中で父の友情と画家の追悼というだけではない意味を持つようになっていく。果たして不遇の画家は何故自身に銃口を向けるに至ったのか。
大変な労力を以て製作された、非常にユニークな映像を見せるアニメーション映画が昨秋より全国順次公開中です。
1955年に製作されその後のゴッホのイメージを定着させたとも言われる「炎の人ゴッホ」(監督ヴィンセント・ミネリ、主演カーク・ダグラス)を始めとしてフィクションにしろドキュメンタリーにしろゴッホを題材とした作品は多く、1940年代以降現在に至るまで実に800本以上が製作されていますが、「ゴッホ~最期の手紙~」はその中でもかなり異色の作品と言えるでしょう。
ゴッホの死の真相を探る旅路を描き出すのは、何と油絵。まず俳優たちによる演技を撮影し(ショットによってグリーンバックだったりセットだったりしたそうだ)、その後その映像をベースに全ショットを油絵に描き起こしてそれを撮影しアニメ映画化するという手法を取っています。実に125人の油絵画家が描き出したその枚数1秒で12枚。総枚数62,450枚の油絵によるアニメーションです。構図にはゴッホが遺した絵画の内94点に極めて近い構図を意図的に作り出し、「ゴッホの絵が動く」という無二の映像体験を生み出しています。タイトルがパッと浮かばなくてもどこかで目にした事のある絵画たちが動いている、というのはまさに「アニメーション」の本来の意味するところである「anima(魂)」と「animate(無機物に魂が宿る)」をダイレクトに見せつけるようです。
強すぎる映像の力ばかりに目が行きがちですが、物語の方もなかなかです。1通の手紙を通してゴッホの死の真相に迫るこの物語は、アルマンがゴッホの足跡を辿りつつ関係者に話を聞いていくという形で展開し、さながらミステリーを観ているかのよう。接した人によって「天才」と呼ばれたり「狂人」と呼ばれたりと大きく印象が違いなかなか実相を容易に掴ませず、観る者を翻弄する巧みな構成をしています。「芸術的であると同時に文学的」というのがこの映画を観た後の私の率直な印象です。
「観る」と「読む」、感覚的な「心の旅」とも言えるアニメーションの凄みを存分に味わえる、非常に熱量の高い作品です。観る前と観た後で、きっとゴッホの作品を目にした時の印象が大きく変わる、そんな体験が待っています。是非、多くの方に味わっていただきたいですね。
昨日の歌会に参加された皆さんお疲れ様でした。
今回は何だかとてもテンションの高い部屋になってしまい久しぶりに目いっぱい飛ばしました。初参加の方もいらっしゃったのですが初回からあんなノリで良かったんでしょうか。懲りずにまた参加していただけたら嬉しいのですが。
こんばんは、小島@監督です。
バレンタインSPということでチョコレートの交換もしましたが、それとは別に何人かの方からもチョコレートを頂きました。皆さんありがとー!
さて、一昨日の土曜日、「THE IDOLM@STER SideM 3rdLIVE TOUR GLORIOUS ST@GE!」千葉公演初日のライブビューイングを観てきました。
男性版アイドルマスターこと「SideM」、先月まで放送されていたアニメも好評の内に終了し勢いに乗るこのタイトルの3度目の周年ライブが4会場7公演のツアーとして開催されることとなり、その初日に当たる千葉公演が幕張メッセで行われました。
初日の最大の特徴はSideMキャスト46名全員出演!というスケールの大きさです。開幕その全員が登場して1曲目披露となるのですが、「幕張メッセイベントホールってこんなに狭かったっけ?」と思ってしまうくらいの数の暴力に圧倒されます(笑)なかなか観られるものじゃないのでググるなどして写真付きのレポートを上げてる記事をちょっと参照していただきたいくらいです。
私みたいにキャラをそこまでちゃんと全員把握できていない身としては「全ユニットのパフォーマンスが観られる」というのは大きな魅力で、各ユニットを満遍なく配したセットリストをしていた今回は、集大成であると同時にカタログ的とも言え、ソフト化された暁には「SideMに興味がある」という方には取り敢えずコレを投げてどれが気に入るかの入り口にすれば良いのでは?と思えてしまうくらいには現時点でのマスターピースと言って良いでしょう。
今回ユニット曲で特に印象に残ったのはCafé Parade(神谷幸広役狩野翔、東雲荘一郎役天崎滉平、アスラン役古川慎、卯月巻緒役児玉卓也、水嶋咲役小林大紀の5人ユニット)による「Reversed Masquerade」、夜中にモンスターたちが跋扈するようなちょっぴりホラー仕立てのミュージカルのようなナンバーで、5人の声質や声量の違いを活かしたハーモニーの面白さにキレの鋭いダンスが見事で、パフォーマンスの完成度が頭一つ抜けてました。
他にはスケールの大きな曲「Tone's Destiny」を高らかに歌い上げるAltessimo(神楽麗役永野由祐、都築圭役土岐隼一のデュオ)、間奏中に殺陣が入る(!)ことで知られるTHE 虎牙道(大河タケル役寺島惇太、牙崎漣役小松昌平、円城寺道流役濱野大輝のトリオ)のパフォーマンスを初めて観られたのも個人的には嬉しかったところ。ユニークでコミカルな振付の多いS.E.M(硲道夫役伊東健人、山下次郎役中島ヨシキ、舞田類役榎木淳弥のトリオ)は新曲でラインダンスを取り込んでいたりしてたのも楽しい。
ただ、何より今回最大の輝きはJupiter(天ケ瀬冬馬役寺島拓篤、伊集院北斗役神原大地、御手洗翔太役松岡禎丞のトリオ)です。
まさかの「Alice or Guilty」披露!実はこの曲は厳密には「SideM」の曲ではなくゲーム「アイドルマスター2」で765プロのライバルキャラだった頃の曲です。実に8年前からある曲なのですが、一度ライブで765プロのメンバーがカバーした事があるっきりでJupiterによる披露は今回が初めて。しかも会場は幕張。今でも「アイマス 9.18事件」とググれば当時のPたちの狂騒ぶりが伺える記事を読むことが出来るでしょう。その震源地でもあった幕張で、スクリーンには961プロの頃のJupiterのロゴまで映し出されたりして。ええ、イントロ聴いた時には吠えました(1か月ぶり今年2度目)。
しかもそれだけでは終わらずそのまま間髪入れずにスクリーンのロゴが現在の315プロのそれに変わったかと思えばJupiterのリスタートとしての楽曲「BRAND NEW FIELD」が始まるに至っては私の心も最高潮。軽く涙目でした。
出演者数が多いにもかかわらずきめの細かな演出をしていた反動か、客席に深刻なトラブルが発生しているようでもなかったのに開演時間が20分以上遅れるなど段取りの面でいくつかの難点が見受けられるステージでしたが今後のためにもこれは必要なステップだったでしょう。今後の改善に期待するとともに、この程度のマイナスでは揺らぎもしない出演者たちのパフォーマンスのハイレベルぶりも見事なステージでした。
初日からしてコレとは実に期待の膨らむこのツアー、全部は無理でも都合の付く日くらいは追いかけてみたいところですね。
今回は何だかとてもテンションの高い部屋になってしまい久しぶりに目いっぱい飛ばしました。初参加の方もいらっしゃったのですが初回からあんなノリで良かったんでしょうか。懲りずにまた参加していただけたら嬉しいのですが。
こんばんは、小島@監督です。
バレンタインSPということでチョコレートの交換もしましたが、それとは別に何人かの方からもチョコレートを頂きました。皆さんありがとー!
さて、一昨日の土曜日、「THE IDOLM@STER SideM 3rdLIVE TOUR GLORIOUS ST@GE!」千葉公演初日のライブビューイングを観てきました。
男性版アイドルマスターこと「SideM」、先月まで放送されていたアニメも好評の内に終了し勢いに乗るこのタイトルの3度目の周年ライブが4会場7公演のツアーとして開催されることとなり、その初日に当たる千葉公演が幕張メッセで行われました。
初日の最大の特徴はSideMキャスト46名全員出演!というスケールの大きさです。開幕その全員が登場して1曲目披露となるのですが、「幕張メッセイベントホールってこんなに狭かったっけ?」と思ってしまうくらいの数の暴力に圧倒されます(笑)なかなか観られるものじゃないのでググるなどして写真付きのレポートを上げてる記事をちょっと参照していただきたいくらいです。
私みたいにキャラをそこまでちゃんと全員把握できていない身としては「全ユニットのパフォーマンスが観られる」というのは大きな魅力で、各ユニットを満遍なく配したセットリストをしていた今回は、集大成であると同時にカタログ的とも言え、ソフト化された暁には「SideMに興味がある」という方には取り敢えずコレを投げてどれが気に入るかの入り口にすれば良いのでは?と思えてしまうくらいには現時点でのマスターピースと言って良いでしょう。
今回ユニット曲で特に印象に残ったのはCafé Parade(神谷幸広役狩野翔、東雲荘一郎役天崎滉平、アスラン役古川慎、卯月巻緒役児玉卓也、水嶋咲役小林大紀の5人ユニット)による「Reversed Masquerade」、夜中にモンスターたちが跋扈するようなちょっぴりホラー仕立てのミュージカルのようなナンバーで、5人の声質や声量の違いを活かしたハーモニーの面白さにキレの鋭いダンスが見事で、パフォーマンスの完成度が頭一つ抜けてました。
他にはスケールの大きな曲「Tone's Destiny」を高らかに歌い上げるAltessimo(神楽麗役永野由祐、都築圭役土岐隼一のデュオ)、間奏中に殺陣が入る(!)ことで知られるTHE 虎牙道(大河タケル役寺島惇太、牙崎漣役小松昌平、円城寺道流役濱野大輝のトリオ)のパフォーマンスを初めて観られたのも個人的には嬉しかったところ。ユニークでコミカルな振付の多いS.E.M(硲道夫役伊東健人、山下次郎役中島ヨシキ、舞田類役榎木淳弥のトリオ)は新曲でラインダンスを取り込んでいたりしてたのも楽しい。
ただ、何より今回最大の輝きはJupiter(天ケ瀬冬馬役寺島拓篤、伊集院北斗役神原大地、御手洗翔太役松岡禎丞のトリオ)です。
まさかの「Alice or Guilty」披露!実はこの曲は厳密には「SideM」の曲ではなくゲーム「アイドルマスター2」で765プロのライバルキャラだった頃の曲です。実に8年前からある曲なのですが、一度ライブで765プロのメンバーがカバーした事があるっきりでJupiterによる披露は今回が初めて。しかも会場は幕張。今でも「アイマス 9.18事件」とググれば当時のPたちの狂騒ぶりが伺える記事を読むことが出来るでしょう。その震源地でもあった幕張で、スクリーンには961プロの頃のJupiterのロゴまで映し出されたりして。ええ、イントロ聴いた時には吠えました(1か月ぶり今年2度目)。
しかもそれだけでは終わらずそのまま間髪入れずにスクリーンのロゴが現在の315プロのそれに変わったかと思えばJupiterのリスタートとしての楽曲「BRAND NEW FIELD」が始まるに至っては私の心も最高潮。軽く涙目でした。
出演者数が多いにもかかわらずきめの細かな演出をしていた反動か、客席に深刻なトラブルが発生しているようでもなかったのに開演時間が20分以上遅れるなど段取りの面でいくつかの難点が見受けられるステージでしたが今後のためにもこれは必要なステップだったでしょう。今後の改善に期待するとともに、この程度のマイナスでは揺らぎもしない出演者たちのパフォーマンスのハイレベルぶりも見事なステージでした。
初日からしてコレとは実に期待の膨らむこのツアー、全部は無理でも都合の付く日くらいは追いかけてみたいところですね。
先週の寒波の影響で、あろうことかウチの風呂の水道管が凍結する事態に。
幸いシャワーは普通に使えたので、その日はシャワーの温度を一番高い辺りにしてバスタブに入れて湯を張ってそれに浸かり、そのまま湯を抜かずに一晩置いておいたらどうやらその熱でゆっくり解けてくれたようで翌日は普通に使えるようになってホッと一息。
割と長いこと今のところに住んでいますが、いくら冬場は冷え込みが都市部より強いと言ってもこんなこと初めてでした。今年の寒波は想像以上に強いみたいです。
こんばんは、小島@監督です。
ところでこの寒さに何気なく使いだしてみた湯たんぽがかなりいい感じで最近寝るときはいつもこれを布団に突っ込んで温めておくようになりました(笑)
さて、今回の映画は「ジオストーム」です。
2019年、度重なる異常気象による災害を克服するため、人類は気象をコントロールする人工衛星ネットワーク「ダッチボーイ」を構築。これにより世界は大規模自然災害の脅威から解放されるに至った。
「ダッチボーイ」開発責任者であるジェイク・ローソン(ジェラルド・バトラー)は有能なスタッフたちと共に宇宙ステーションでダッチボーイの制御に当たっていた。人類を救った英雄と称えられるジェイクであったが、その性格からアメリカ政府上層部との軋轢が絶えなかったジェイクは合衆国上院の査問にかけられ、解任されてしまう。後任に選ばれたのは弟のマックス(ジム・スタージェス)であり、これにより元から溝のあった兄弟の確執がより深いものになってしまう。
2022年、アフガニスタンのある小村が丸ごと凍り付くという事件が発生。原因はダッチボーイの誤作動と目され、マックスはレナード・デッコム国務長官(エド・ハリス)の薦めによりジェイクをISSへ派遣することを決意するが。
ああ、何という事でしょう。2018年始まってまだ1か月も経っていないというのにもうこんな場外ホームラン級のボンクラ映画が登場してしまいました。
主に未曾有の大災害や大事故に見舞われる姿を描いたパニック映画は、スケールのある画作りが必要とされることからかつては大作映画の花形のモチーフでしたが、CGによるVFXが一般化し比較的低予算でもそれなりの画面が作れるようになった2000年代頃からはジャンル映画の一種という扱いになってしまいました。それでも数年に1本くらいは大作クラスの規模で製作され、スクリーンで堪能するに相応しいスペクタクルな映像を楽しませてくれるものです。予告編やCMのイメージからこの「ジオストーム」がその久しぶりの作品…かと思ったら違いました(苦笑)
気象コントロール衛星ネットワークがその制御を失い暴走してカタストロフを起こす、というのはSF的にもなかなか魅力的な設定をしてるのですが、この作品に知的な要素を一瞬でも期待するとバカを見ます。はっきり言いましょう、この映画、大体の事は腕力とマッチョ思考で解決する脳筋映画です(笑)
この映画を手掛けたのはディーン・デブリン。と言ってもピンと来ない方、多いかもしれません。この方、映画としてはコレが初監督作品ですが「スターゲイト」(1994年)「インデペンデンス・デイ」(1996年)「GODILLA」(1998年)と言ったローランド・エメリッヒ監督作品の共同脚本と製作を数多く手掛けていたと聞けば「おお!」と思える方もいらっしゃるでしょう。と同時にその作風も大体把握できるのでは。
映像は超一級、クライマックスに短いながらも登場するカーチェイスのキレ味もかなりのもので、一つ一つのスケールと妥協の無さはさすがハリウッドと言ったところ。ただ作品内に異様に「要素」が多いのは初監督ゆえにやりたいことを全部入れたくなってしまったからでしょうか。ディザスターパニックであると同時にSF映画でありアクション映画でもあるこの作品は、言い換えれば「どれでもない」作品ともいえ、パニック映画を期待して観に行くと「何かが違う」感じを強く味わうことになります。むしろジャンルを自分の中で括り付けることなく「こういうもの」としてこの盛り過ぎな作品を楽しむのが一番のスタンスです。
無茶苦茶も良い所で大味にもほどがあるこんな映画ですが、好きな人は意外といそう。変に愛されるタイプの作品に違いなく、数年後に地上波初放送される折にはTwitter実況が盛り上がりそうで、先物買い的に観てみるのも一興かもしれません。ご鑑賞の際には自身の知能指数がガンガン下がっていくような感覚を味わうかもしれませんので、用法・用量を守って堪能してください(笑)
幸いシャワーは普通に使えたので、その日はシャワーの温度を一番高い辺りにしてバスタブに入れて湯を張ってそれに浸かり、そのまま湯を抜かずに一晩置いておいたらどうやらその熱でゆっくり解けてくれたようで翌日は普通に使えるようになってホッと一息。
割と長いこと今のところに住んでいますが、いくら冬場は冷え込みが都市部より強いと言ってもこんなこと初めてでした。今年の寒波は想像以上に強いみたいです。
こんばんは、小島@監督です。
ところでこの寒さに何気なく使いだしてみた湯たんぽがかなりいい感じで最近寝るときはいつもこれを布団に突っ込んで温めておくようになりました(笑)
さて、今回の映画は「ジオストーム」です。
2019年、度重なる異常気象による災害を克服するため、人類は気象をコントロールする人工衛星ネットワーク「ダッチボーイ」を構築。これにより世界は大規模自然災害の脅威から解放されるに至った。
「ダッチボーイ」開発責任者であるジェイク・ローソン(ジェラルド・バトラー)は有能なスタッフたちと共に宇宙ステーションでダッチボーイの制御に当たっていた。人類を救った英雄と称えられるジェイクであったが、その性格からアメリカ政府上層部との軋轢が絶えなかったジェイクは合衆国上院の査問にかけられ、解任されてしまう。後任に選ばれたのは弟のマックス(ジム・スタージェス)であり、これにより元から溝のあった兄弟の確執がより深いものになってしまう。
2022年、アフガニスタンのある小村が丸ごと凍り付くという事件が発生。原因はダッチボーイの誤作動と目され、マックスはレナード・デッコム国務長官(エド・ハリス)の薦めによりジェイクをISSへ派遣することを決意するが。
ああ、何という事でしょう。2018年始まってまだ1か月も経っていないというのにもうこんな場外ホームラン級のボンクラ映画が登場してしまいました。
主に未曾有の大災害や大事故に見舞われる姿を描いたパニック映画は、スケールのある画作りが必要とされることからかつては大作映画の花形のモチーフでしたが、CGによるVFXが一般化し比較的低予算でもそれなりの画面が作れるようになった2000年代頃からはジャンル映画の一種という扱いになってしまいました。それでも数年に1本くらいは大作クラスの規模で製作され、スクリーンで堪能するに相応しいスペクタクルな映像を楽しませてくれるものです。予告編やCMのイメージからこの「ジオストーム」がその久しぶりの作品…かと思ったら違いました(苦笑)
気象コントロール衛星ネットワークがその制御を失い暴走してカタストロフを起こす、というのはSF的にもなかなか魅力的な設定をしてるのですが、この作品に知的な要素を一瞬でも期待するとバカを見ます。はっきり言いましょう、この映画、大体の事は腕力とマッチョ思考で解決する脳筋映画です(笑)
この映画を手掛けたのはディーン・デブリン。と言ってもピンと来ない方、多いかもしれません。この方、映画としてはコレが初監督作品ですが「スターゲイト」(1994年)「インデペンデンス・デイ」(1996年)「GODILLA」(1998年)と言ったローランド・エメリッヒ監督作品の共同脚本と製作を数多く手掛けていたと聞けば「おお!」と思える方もいらっしゃるでしょう。と同時にその作風も大体把握できるのでは。
映像は超一級、クライマックスに短いながらも登場するカーチェイスのキレ味もかなりのもので、一つ一つのスケールと妥協の無さはさすがハリウッドと言ったところ。ただ作品内に異様に「要素」が多いのは初監督ゆえにやりたいことを全部入れたくなってしまったからでしょうか。ディザスターパニックであると同時にSF映画でありアクション映画でもあるこの作品は、言い換えれば「どれでもない」作品ともいえ、パニック映画を期待して観に行くと「何かが違う」感じを強く味わうことになります。むしろジャンルを自分の中で括り付けることなく「こういうもの」としてこの盛り過ぎな作品を楽しむのが一番のスタンスです。
無茶苦茶も良い所で大味にもほどがあるこんな映画ですが、好きな人は意外といそう。変に愛されるタイプの作品に違いなく、数年後に地上波初放送される折にはTwitter実況が盛り上がりそうで、先物買い的に観てみるのも一興かもしれません。ご鑑賞の際には自身の知能指数がガンガン下がっていくような感覚を味わうかもしれませんので、用法・用量を守って堪能してください(笑)
冬のアニメがいろいろ始まり出しています。
TwitterなどではAパートとBパートでキャストを入れ替えて同じ内容を放送する(そして毎週キャストが一新する)という斬新とも前衛的ともいえる「ポプテピピック」が一強状態で話題を振りまいている格好ですが、他もなかなか。
個人的には待望のアニメ化となった「りゅうおうのおしごと!」がちょっと話の展開が早すぎるのがもったいない気がするものの丁寧な画作りで楽しませてくれるのが嬉しい。
あとは何気なく観てみた「アイドリッシュセブン」が意外に面白かったのが収穫。ヒロインとも言うべきマネージャーのひたむきで実直な姿が実にカワイイのですよ。昨今流行りのアイドル物なので曲も結構カッコいいし。
こんばんは、小島@監督です。
皆さんの今期のお気に入りは何ですか?
さて、今回の映画は「マジンガーZ INFINITY」です。
かつて世界征服を目論む者達によって滅亡の危機に瀕していた地球。しかしそれは兜甲児(声・森久保祥太郎)が駆るスーパーロボット「マジンガーZ」と仲間たちの活躍によって阻まれ、人類は平和を取り戻した。
それから10年の歳月が流れた。
突如アメリカの光子力プラントが滅びたはずの機械獣に襲撃された。グレートマジンガーを駆る剣鉄也(声・関俊彦)は奮戦するがその中で行方不明となってしまう。
一方、兜甲児はパイロットとして戦う道から離れ研究者として生きていた。今は光子力プラントの長官を務める弓さやか(声・茅野愛衣)に召喚された兜甲児は、富士山地中で発見された古代遺跡で巨大なマジン「インフィニティ」と、そこから現れた少女リサ(声・上坂すみれ)と遭遇する。
ある時、謎の復活を遂げたDr.ヘル(声・石塚運昇)により遺跡は戦場と化した。無限の可能性を秘める「インフィニティ」を巡り、再び兜甲児とDr.ヘルとの戦いの幕が上がる…!
原作者である永井豪の画業50周年を記念して、スーパーロボットアニメの元祖とも言うべき「マジンガーZ」が実に約40年ぶりに新作の劇場公開作品として製作。日本に先駆けイタリア・フランスで昨年11月に公開され、日本では今月13日から上映が始まっています。
先行公開されたフランス・イタリアは特に永井豪作品の人気が高く、イタリアでは2016年には「鋼鉄ジーグ」に多大なリスペクトを捧げたヒーロー映画「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」が製作されイタリアのアカデミー賞ともいえる「ダヴィンチ・ディ・ドナテッロ賞」を7部門で受賞するなど高い評価を得たりもしています。(翌2017年には日本でも公開された。)
製作はもちろんかつてのシリーズを手掛けた東映アニメーション。OPも水木一郎により「マジンガーZ」が新録され、記念作品ということもありTVアニメで兜甲児を演じた石丸博也と弓さやかを演じた松島みのりが特別出演として脇役で登場しています。
この映画を一言で評するなら「大人のための東映まんがまつり」と言ったところでしょう。
「ガンダム」の洗礼を受けて以降、ロボットアニメはその多くが「理」を優先して作られるように
なりましたが今やオールドスタイルと言っても良いエモーション重視のロボットアクションが高い熱量とボリュームで展開するのが何よりの魅力です。4DXやMX4D版もあるとの事で、そちらを選べばよりアクションの没入度が高くなることでしょう。
突如脈絡なく変な笑いを取りに行ったりお色気シーンが入ったりするのもいかにも永井豪作品らしい感じで「分かっている」私のような人間には楽しいのですが、そんなに触れてきていない方にとっては余りに無意味なシーンが突然挿し挟まれる事に違和感を覚えてしまうかもしれず(苦笑)、この辺りは良かったり悪かったりですね。
雑と言えば雑な、かなり大らかな作りをしていますが、物語が意外と骨太なのに驚かされます。
作中ではTVシリーズより10年の時間が経過しており、兜甲児たちは良くも悪くも「大人」になっています。
知識も増えより分別がついてきて物事を深く考えることが出来るようになった代わりに、気が付けば守るものや背負うものやしがらみも増えてしまってかつてのように感情のままに足を踏み出すことが出来なくなっています。さりとて次代に全てを託して後ろに下がれるほどに衰えてもいない彼らはその不自由さの中でもがきます。
だからこそ、そんな中で兜甲児がその不自由さを振り切り「マジン、ゴー!」を叫ぶ瞬間に大きなカタルシスがあるのです。
故にこの「不自由さ」に共感できるかどうかがこの物語の大きな肝とも言えるでしょう。
明らかに特定の世代の人をピンポイントで狙った作品ではありますが、作中ある人物に「昔は良かったなんて絶対に言うもんか」というセリフがあるように、決して懐古趣味だけで作られた映画ではありません。様々なままならなさを抱えながら今を懸命に生きる人にエールを送ってくれる映画です。
もちろん単に久しぶりのスパロボバトルをスクリーンで楽しみたい!というだけでもオーケー!
大人になったヒーローたちがどんな活躍を見せてくれるのか、どうぞその目で確かめてみてください。
TwitterなどではAパートとBパートでキャストを入れ替えて同じ内容を放送する(そして毎週キャストが一新する)という斬新とも前衛的ともいえる「ポプテピピック」が一強状態で話題を振りまいている格好ですが、他もなかなか。
個人的には待望のアニメ化となった「りゅうおうのおしごと!」がちょっと話の展開が早すぎるのがもったいない気がするものの丁寧な画作りで楽しませてくれるのが嬉しい。
あとは何気なく観てみた「アイドリッシュセブン」が意外に面白かったのが収穫。ヒロインとも言うべきマネージャーのひたむきで実直な姿が実にカワイイのですよ。昨今流行りのアイドル物なので曲も結構カッコいいし。
こんばんは、小島@監督です。
皆さんの今期のお気に入りは何ですか?
さて、今回の映画は「マジンガーZ INFINITY」です。
かつて世界征服を目論む者達によって滅亡の危機に瀕していた地球。しかしそれは兜甲児(声・森久保祥太郎)が駆るスーパーロボット「マジンガーZ」と仲間たちの活躍によって阻まれ、人類は平和を取り戻した。
それから10年の歳月が流れた。
突如アメリカの光子力プラントが滅びたはずの機械獣に襲撃された。グレートマジンガーを駆る剣鉄也(声・関俊彦)は奮戦するがその中で行方不明となってしまう。
一方、兜甲児はパイロットとして戦う道から離れ研究者として生きていた。今は光子力プラントの長官を務める弓さやか(声・茅野愛衣)に召喚された兜甲児は、富士山地中で発見された古代遺跡で巨大なマジン「インフィニティ」と、そこから現れた少女リサ(声・上坂すみれ)と遭遇する。
ある時、謎の復活を遂げたDr.ヘル(声・石塚運昇)により遺跡は戦場と化した。無限の可能性を秘める「インフィニティ」を巡り、再び兜甲児とDr.ヘルとの戦いの幕が上がる…!
原作者である永井豪の画業50周年を記念して、スーパーロボットアニメの元祖とも言うべき「マジンガーZ」が実に約40年ぶりに新作の劇場公開作品として製作。日本に先駆けイタリア・フランスで昨年11月に公開され、日本では今月13日から上映が始まっています。
先行公開されたフランス・イタリアは特に永井豪作品の人気が高く、イタリアでは2016年には「鋼鉄ジーグ」に多大なリスペクトを捧げたヒーロー映画「皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ」が製作されイタリアのアカデミー賞ともいえる「ダヴィンチ・ディ・ドナテッロ賞」を7部門で受賞するなど高い評価を得たりもしています。(翌2017年には日本でも公開された。)
製作はもちろんかつてのシリーズを手掛けた東映アニメーション。OPも水木一郎により「マジンガーZ」が新録され、記念作品ということもありTVアニメで兜甲児を演じた石丸博也と弓さやかを演じた松島みのりが特別出演として脇役で登場しています。
この映画を一言で評するなら「大人のための東映まんがまつり」と言ったところでしょう。
「ガンダム」の洗礼を受けて以降、ロボットアニメはその多くが「理」を優先して作られるように
なりましたが今やオールドスタイルと言っても良いエモーション重視のロボットアクションが高い熱量とボリュームで展開するのが何よりの魅力です。4DXやMX4D版もあるとの事で、そちらを選べばよりアクションの没入度が高くなることでしょう。
突如脈絡なく変な笑いを取りに行ったりお色気シーンが入ったりするのもいかにも永井豪作品らしい感じで「分かっている」私のような人間には楽しいのですが、そんなに触れてきていない方にとっては余りに無意味なシーンが突然挿し挟まれる事に違和感を覚えてしまうかもしれず(苦笑)、この辺りは良かったり悪かったりですね。
雑と言えば雑な、かなり大らかな作りをしていますが、物語が意外と骨太なのに驚かされます。
作中ではTVシリーズより10年の時間が経過しており、兜甲児たちは良くも悪くも「大人」になっています。
知識も増えより分別がついてきて物事を深く考えることが出来るようになった代わりに、気が付けば守るものや背負うものやしがらみも増えてしまってかつてのように感情のままに足を踏み出すことが出来なくなっています。さりとて次代に全てを託して後ろに下がれるほどに衰えてもいない彼らはその不自由さの中でもがきます。
だからこそ、そんな中で兜甲児がその不自由さを振り切り「マジン、ゴー!」を叫ぶ瞬間に大きなカタルシスがあるのです。
故にこの「不自由さ」に共感できるかどうかがこの物語の大きな肝とも言えるでしょう。
明らかに特定の世代の人をピンポイントで狙った作品ではありますが、作中ある人物に「昔は良かったなんて絶対に言うもんか」というセリフがあるように、決して懐古趣味だけで作られた映画ではありません。様々なままならなさを抱えながら今を懸命に生きる人にエールを送ってくれる映画です。
もちろん単に久しぶりのスパロボバトルをスクリーンで楽しみたい!というだけでもオーケー!
大人になったヒーローたちがどんな活躍を見せてくれるのか、どうぞその目で確かめてみてください。
昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
今回は久しぶりに参加した方がいたのでその方とごく親しいメンツで固まって、70~80年代中心の割と古めの歌を歌いまくる流れに。昔のアニソンは短い曲が多いので、部屋全体で67曲とかなりの量になりました。自分としても普段開けない外角低めの引き出しを遠慮なくオープンにして歌うのはなかなか久しぶりだったのでかなり楽しい時間を過ごせました。
こんばんは、小島@監督です。
たまにはこういうのも良い。
さて、今回の映画は「ブリムストーン」です。
開拓時代、アメリカ。
小さな村で助産師として働くリズ(ダコタ・ファニング)は、ある理由から口は聞けないが村では頼られる存在であり、年の離れた夫と二人の子供と共につましくも幸せに暮らしていた。
そんなある日、村に一人の牧師(ガイ・ピアース)が赴任してきたことでリズの暮らしは一変する。牧師は告げる、「私はお前の罪を罰するために来た」と。リズは家族に身の危険が迫っていることを伝えるのだが…
ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門に選出され、上映されるやその内容に批評家たちの間でも議論が起きたという刺激的な作品が現在公開中です。
開拓時代のアメリカを舞台とするいわゆる「西部劇」的な設定ではありますが、製作したのはアメリカではなく(アメリカ資本は入っていますが)、撮影も製作もオランダ・フランスを始めとしたヨーロッパ各国の合同体制で製作された異色の映画です。
偏執的で狂信的な牧師の執拗な攻撃に苦しみながらも抗い続けるリズの生き様を描くこの物語は4幕構成で展開し、第1章でリズの幸福をすり潰しにかかる牧師の姿を描いたのち、第2章と第3章では思いもかけぬ切り口で牧師が言うリズの「罪」の根源を語り、終章までをミステリアスかつサスペンスフルに描き出していきます。連続ドラマのように前の章で語られたことが後の章で伏線として活きる巧みな構成で、148分という長尺ながら全くだれることが無いところに今作の脚本と監督を手掛けたマルティン・コールホーヴェンの手腕がうかがえます。
また全編を通して生々しく時に残酷なバイオレンス描写が頻出しますが、暴力シーンを見せたくて入れているのではなくきちんと物語の中で意味のあるものとして入れこんでいる辺りもさすがです。
全体を通して描かれていくのは開拓時代の徹底した女性への抑圧。妻は夫とのセックスを拒むことを許されず、娼館に生きる女たちは男たちにどんな責め苦を味わわされてもそれを拒否する権利を与えられず、反抗して声を上げようとするのならそれこそ命を懸けなければならない。法律も信仰心も男性優位で女性を護りはしない。そんな身も心も焼き尽くされるような中でまさに命懸けでその宿命に抗い続ける一人の女性を描くこの映画は、長い準備期間を経て完成した作品であるにもかかわらず期せずして昨今Twitterを始めとしたSNSで旋風を巻き起こす「#MeToo」のムーブメントを思い起こさせます。宗教的な色彩も強いこの映画はフェミニズム論だけでなく社会学的な観点で見ても興味深い物語に映るのではと思います。
このパワフルな物語を演じる俳優の演技にも注目です。己の信仰心と支配欲に囚われリズに歪な感情をぶつけ続けその全てを破壊しようとする最狂最悪のストーカー牧師を演じるガイ・ピアース、どれほど汚辱にまみれようと凛とした眼差しを失くさず苛烈な運命と戦うリズを演じるダコタ・ファニングと、そしてその少女時代を念じるエミリア・ジョーンズ、全て忘れがたい名演技ばかりで、映画の印象をより重厚なものにしてくれます。それとにわかに信じ難いのですが「言葉を失くした2児の母」なんて難役を演じたダコタ・ファニング、まだ23歳!幼い頃から第一線で活躍してきた名優とは言えその歳でここまで成熟できるものなのかとビビります。チートが過ぎる。
観る者にうねるようなエネルギーを叩き付ける、非常に凄みのある映画です。と同時にとてもしんどい映画でもあります(苦笑)。
新年早々こんな重苦しいのは観たくないわー!という方も多い事でしょう、強くお薦めしたりは致しません。派手な大作よりもズシンと来る重みのある作品が観たい、という方のみ劇場へ足を運んでみてください。
今回は久しぶりに参加した方がいたのでその方とごく親しいメンツで固まって、70~80年代中心の割と古めの歌を歌いまくる流れに。昔のアニソンは短い曲が多いので、部屋全体で67曲とかなりの量になりました。自分としても普段開けない外角低めの引き出しを遠慮なくオープンにして歌うのはなかなか久しぶりだったのでかなり楽しい時間を過ごせました。
こんばんは、小島@監督です。
たまにはこういうのも良い。
さて、今回の映画は「ブリムストーン」です。
開拓時代、アメリカ。
小さな村で助産師として働くリズ(ダコタ・ファニング)は、ある理由から口は聞けないが村では頼られる存在であり、年の離れた夫と二人の子供と共につましくも幸せに暮らしていた。
そんなある日、村に一人の牧師(ガイ・ピアース)が赴任してきたことでリズの暮らしは一変する。牧師は告げる、「私はお前の罪を罰するために来た」と。リズは家族に身の危険が迫っていることを伝えるのだが…
ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門に選出され、上映されるやその内容に批評家たちの間でも議論が起きたという刺激的な作品が現在公開中です。
開拓時代のアメリカを舞台とするいわゆる「西部劇」的な設定ではありますが、製作したのはアメリカではなく(アメリカ資本は入っていますが)、撮影も製作もオランダ・フランスを始めとしたヨーロッパ各国の合同体制で製作された異色の映画です。
偏執的で狂信的な牧師の執拗な攻撃に苦しみながらも抗い続けるリズの生き様を描くこの物語は4幕構成で展開し、第1章でリズの幸福をすり潰しにかかる牧師の姿を描いたのち、第2章と第3章では思いもかけぬ切り口で牧師が言うリズの「罪」の根源を語り、終章までをミステリアスかつサスペンスフルに描き出していきます。連続ドラマのように前の章で語られたことが後の章で伏線として活きる巧みな構成で、148分という長尺ながら全くだれることが無いところに今作の脚本と監督を手掛けたマルティン・コールホーヴェンの手腕がうかがえます。
また全編を通して生々しく時に残酷なバイオレンス描写が頻出しますが、暴力シーンを見せたくて入れているのではなくきちんと物語の中で意味のあるものとして入れこんでいる辺りもさすがです。
全体を通して描かれていくのは開拓時代の徹底した女性への抑圧。妻は夫とのセックスを拒むことを許されず、娼館に生きる女たちは男たちにどんな責め苦を味わわされてもそれを拒否する権利を与えられず、反抗して声を上げようとするのならそれこそ命を懸けなければならない。法律も信仰心も男性優位で女性を護りはしない。そんな身も心も焼き尽くされるような中でまさに命懸けでその宿命に抗い続ける一人の女性を描くこの映画は、長い準備期間を経て完成した作品であるにもかかわらず期せずして昨今Twitterを始めとしたSNSで旋風を巻き起こす「#MeToo」のムーブメントを思い起こさせます。宗教的な色彩も強いこの映画はフェミニズム論だけでなく社会学的な観点で見ても興味深い物語に映るのではと思います。
このパワフルな物語を演じる俳優の演技にも注目です。己の信仰心と支配欲に囚われリズに歪な感情をぶつけ続けその全てを破壊しようとする最狂最悪のストーカー牧師を演じるガイ・ピアース、どれほど汚辱にまみれようと凛とした眼差しを失くさず苛烈な運命と戦うリズを演じるダコタ・ファニングと、そしてその少女時代を念じるエミリア・ジョーンズ、全て忘れがたい名演技ばかりで、映画の印象をより重厚なものにしてくれます。それとにわかに信じ難いのですが「言葉を失くした2児の母」なんて難役を演じたダコタ・ファニング、まだ23歳!幼い頃から第一線で活躍してきた名優とは言えその歳でここまで成熟できるものなのかとビビります。チートが過ぎる。
観る者にうねるようなエネルギーを叩き付ける、非常に凄みのある映画です。と同時にとてもしんどい映画でもあります(苦笑)。
新年早々こんな重苦しいのは観たくないわー!という方も多い事でしょう、強くお薦めしたりは致しません。派手な大作よりもズシンと来る重みのある作品が観たい、という方のみ劇場へ足を運んでみてください。