世の中にはいろんな研究をする方がいらっしゃるもので、「ハリウッド映画の悪役はお肌にトラブルを抱えがち」という研究論文が最近アメリカ医師会の専門誌に発表されました。
確かに有名どころで言えば「羊たちの沈黙」(1991年製作)でアンソニー・ホプキンスが演じたハンニバル・レクターは男性型脱毛症持ちでしたし、「スターウォーズ」のダース・ベイダーは灰色に変色し傷を抱えた素顔をしていました。
悪役がこうなのに主人公の方はどうかといえば、例えばジェームズ・ボンドは喫煙もするし酒量も多いのに肌ツヤが良かったりすることが大抵です。もっともブルース・ウィリス演じる「ダイ・ハード」のジョン・マクレーンの頭部は作を重ねる毎に後退していき最終的には丸坊主でしたが(笑)
なのでこういう描写が「皮膚病持ちの社会的偏見を助長する可能性がある」とその論文では警告していますが、ちょっと気にし過ぎのようにも思えますね。
こんばんは、小島@監督です。
翻って日本はどうかといえば「デス・ノート」の夜神月などのように端正な顔立ちをしていることもしばしばです。この辺りも突き詰めれば民俗的な考察ができるかもしれませんね。
さて、今回の映画は「悪魔祓い、聖なる儀式」です。
イタリア、シチリア。一人の神父が街の人々ともに空を見上げながら日食の光景を楽しんでいた。
鳥の囀りに耳を傾け、吹き抜ける風を肌で感じ束の間の休息を楽しんだ後、教会に戻り儀式を開き、教区の者に電話を掛ける。人々の心の中に広がる闇の世界と戦うために。神父の名は
カタルド。現代に生きる悪魔祓い師、すなわちエクソシストである。
昨年のヴェネツィア国際映画祭で上映され「オリゾンティ部門最優秀作品賞」(オリゾンティ部門とは革新的な映画を集めた部門)を獲得するなど高評価を受けたもののその内容に物議を巻き起こしたドキュメンタリー映画が現在公開中です。
1973年に製作され世界的なヒットとなった「エクソシスト」(監督ウィリアム・フリードキン、主演マックス・フォン・シドー)を始め数々のホラー、オカルト映画の題材となってきた悪魔祓い師、その実像に初めて密着したドキュメンタリーです。監督はスペインのTV局などでドキュメンタリーを製作してきたフェデリカ・ディ・ジャコモ。彼の作品が日本で上映されるのはこれが初めての事になります。ユニークな題材に好奇心が湧いて観に行ってしまいました。
カタルド神父の元に「悪魔の仕業」と信じて集う人々の多さに驚きますが、素行不良が過ぎて両親から締め出された少年や娘の不登校に悩む両親、雇い主が仕事のギャラを払わない事に憤る男性など「それ、悪魔の仕業なん?」と言いたくなるようなことも多く、さながら神父はよろず相談所のよう。
中には確かに「悪魔憑き」のようにも見える不可解な状況に悩む女性も登場しますが、この映画の特徴は、そういった説明の付きづらい現象に対して一様な解釈を観客に与えないようナレーションが排除されているのがポイントです。反面、それは私のようなカトリックではない者にはフィクションのように見えてしまう危険性も孕んでいますが、ジャコモ監督はこの辺りを絶妙なバランス感覚で克服しています。
悪魔祓いは神父なら誰でもできるというワケではなく一種の専門職としてヴァチカンに正式に認可された者だけが行使できる権限だそうです。長らくカトリックの秘儀とされて閉鎖的に秘匿されてきましたが、近年需要が増加しており各教区で悪魔祓いが増員されたり公的な養成機関が発足したりしているそうです。映画の作中にも本来的には非公認とされているらしい集団での解放儀式や電話越しでの悪魔祓いなどが登場して需要と供給のアンバランスさをうかがわせます。実はこの辺りの一連の描写にこの映画が物議を醸した一要因が存在しています。悪魔祓いはそもそも「秘儀」なので「公衆の面前で行ってはならない」というのがあるそうで、カメラの前で執り行う事自体に批判があったほか、私などには知る由も無いのですが、カタルド神父の悪魔祓いの作法は少々正統派ではないらしくその辺りにも批判が起こったとか。
宗教的な秘儀ゆえ慎重に扱いたいヴァチカン、需要に追いきれない現状に悩む神父たち、信者の癒されたい欲求、それらがないまぜになった狭間にこの映画は存在しているのでしょう。
実は想像していたのと内容が少々違っていたのですがそれでもかなり興味深くて面白かったのというのが正直な感想。センセーショナルな題材を単なる野次馬根性ではなくちゃんと観客の知的好奇心に訴求できるように真摯に作り上げられた映画です。一種のプロフェッショナルのあり方、宗教と人とのあり方、様々なあり方が観る者の「宗教観」を刺激して多くの示唆を与えてくれることでしょう。
このユニークな題材に好奇心が湧いたなら、是非観てみてください。
確かに有名どころで言えば「羊たちの沈黙」(1991年製作)でアンソニー・ホプキンスが演じたハンニバル・レクターは男性型脱毛症持ちでしたし、「スターウォーズ」のダース・ベイダーは灰色に変色し傷を抱えた素顔をしていました。
悪役がこうなのに主人公の方はどうかといえば、例えばジェームズ・ボンドは喫煙もするし酒量も多いのに肌ツヤが良かったりすることが大抵です。もっともブルース・ウィリス演じる「ダイ・ハード」のジョン・マクレーンの頭部は作を重ねる毎に後退していき最終的には丸坊主でしたが(笑)
なのでこういう描写が「皮膚病持ちの社会的偏見を助長する可能性がある」とその論文では警告していますが、ちょっと気にし過ぎのようにも思えますね。
こんばんは、小島@監督です。
翻って日本はどうかといえば「デス・ノート」の夜神月などのように端正な顔立ちをしていることもしばしばです。この辺りも突き詰めれば民俗的な考察ができるかもしれませんね。
さて、今回の映画は「悪魔祓い、聖なる儀式」です。
イタリア、シチリア。一人の神父が街の人々ともに空を見上げながら日食の光景を楽しんでいた。
鳥の囀りに耳を傾け、吹き抜ける風を肌で感じ束の間の休息を楽しんだ後、教会に戻り儀式を開き、教区の者に電話を掛ける。人々の心の中に広がる闇の世界と戦うために。神父の名は
カタルド。現代に生きる悪魔祓い師、すなわちエクソシストである。
昨年のヴェネツィア国際映画祭で上映され「オリゾンティ部門最優秀作品賞」(オリゾンティ部門とは革新的な映画を集めた部門)を獲得するなど高評価を受けたもののその内容に物議を巻き起こしたドキュメンタリー映画が現在公開中です。
1973年に製作され世界的なヒットとなった「エクソシスト」(監督ウィリアム・フリードキン、主演マックス・フォン・シドー)を始め数々のホラー、オカルト映画の題材となってきた悪魔祓い師、その実像に初めて密着したドキュメンタリーです。監督はスペインのTV局などでドキュメンタリーを製作してきたフェデリカ・ディ・ジャコモ。彼の作品が日本で上映されるのはこれが初めての事になります。ユニークな題材に好奇心が湧いて観に行ってしまいました。
カタルド神父の元に「悪魔の仕業」と信じて集う人々の多さに驚きますが、素行不良が過ぎて両親から締め出された少年や娘の不登校に悩む両親、雇い主が仕事のギャラを払わない事に憤る男性など「それ、悪魔の仕業なん?」と言いたくなるようなことも多く、さながら神父はよろず相談所のよう。
中には確かに「悪魔憑き」のようにも見える不可解な状況に悩む女性も登場しますが、この映画の特徴は、そういった説明の付きづらい現象に対して一様な解釈を観客に与えないようナレーションが排除されているのがポイントです。反面、それは私のようなカトリックではない者にはフィクションのように見えてしまう危険性も孕んでいますが、ジャコモ監督はこの辺りを絶妙なバランス感覚で克服しています。
悪魔祓いは神父なら誰でもできるというワケではなく一種の専門職としてヴァチカンに正式に認可された者だけが行使できる権限だそうです。長らくカトリックの秘儀とされて閉鎖的に秘匿されてきましたが、近年需要が増加しており各教区で悪魔祓いが増員されたり公的な養成機関が発足したりしているそうです。映画の作中にも本来的には非公認とされているらしい集団での解放儀式や電話越しでの悪魔祓いなどが登場して需要と供給のアンバランスさをうかがわせます。実はこの辺りの一連の描写にこの映画が物議を醸した一要因が存在しています。悪魔祓いはそもそも「秘儀」なので「公衆の面前で行ってはならない」というのがあるそうで、カメラの前で執り行う事自体に批判があったほか、私などには知る由も無いのですが、カタルド神父の悪魔祓いの作法は少々正統派ではないらしくその辺りにも批判が起こったとか。
宗教的な秘儀ゆえ慎重に扱いたいヴァチカン、需要に追いきれない現状に悩む神父たち、信者の癒されたい欲求、それらがないまぜになった狭間にこの映画は存在しているのでしょう。
実は想像していたのと内容が少々違っていたのですがそれでもかなり興味深くて面白かったのというのが正直な感想。センセーショナルな題材を単なる野次馬根性ではなくちゃんと観客の知的好奇心に訴求できるように真摯に作り上げられた映画です。一種のプロフェッショナルのあり方、宗教と人とのあり方、様々なあり方が観る者の「宗教観」を刺激して多くの示唆を与えてくれることでしょう。
このユニークな題材に好奇心が湧いたなら、是非観てみてください。
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先週末のニュースで流れた声優・鶴ひろみさん急死の報に衝撃を隠せません。本当に膝から崩れ落ちるような感覚を覚えました。
ニュースで主に紹介された「アンパンマン」のドキンちゃん役や「ドラゴンボール」のブルマ役が一般的に広く知られているところでしょうが、個人的には「GS美神」の見た目イケイケのお姉さんで金にがめつくプライドの高い性格ながら実は情に厚い主人公美神令子をどこかキュートさをまとわせて演じていたことや、「メタルギアソリッド」シリーズでのソリッド・スネークへ愛憎渦巻く複雑な感情を抱き数奇な運命に翻弄された女性ナオミ・ハンターが印象的でした。
他にも「TRIGUN」のメリル・ストライフや「サイレントメビウス」のキディ・フェニルなど印象に残るキャラクターは枚挙にいとまが無く、皆さんの中にも忘れられないキャラクターがいるのではないでしょうか。まだまだ活躍のできるお歳だっただけに残念でなりません。
謹んでご冥福をお祈りいたします
こんばんは、小島@監督です。
しかしブルマやドキンちゃんは誰が受け継ぐことになるんだろう…?
さて、今回の映画は「GODZILLA 怪獣惑星」です。
20世紀末、突如として人類は巨大生物「怪獣」の襲撃を受けた。世界各地で甚大な損害を被り遂には人類と怪獣との戦争状態に突入した。
そして2030年、「ゴジラ」が現れた。人類はおろか他の怪獣すらも圧倒するゴジラに人類はなすすべもなく蹂躙されていく。その威容は地球だけでなく宇宙にもその名が知られるところとなり、母星を失った異星人「エクシフ」や「ビルサルド」が地球への移住を条件に共闘を持ち掛け、人類の科学技術を飛躍的に向上させることに繋がったが、しかしその共闘も虚しく敗れ去り、人類は生存のために外宇宙へ移民船団を出航させた。
それから20年後、物資の困窮する移民船の日々に疲れた者達の進言により、船は地球へ帰ってきた。ゴジラによって奪われた故郷を取り戻すために。その中に、ゴジラに対し激しい憎悪を燃やす青年ハルオ・サカキ(声・宮野真守)はいた。
何故か近年新作映画の公開が相次いでファンとしては嬉しいけどちょっと戸惑いもするゴジラシリーズの、初めてのアニメ映画が現在公開中です。
実はゴジラのアニメ化自体はこれが初めてではありません。1978年にアメリカのアニメ制作会社ハンナ・バーべラ・プロダクションにより製作されたTVシリーズを始め何度かアニメになっているのですが、劇場用作品として、また3DCGアニメとしては今作が初めての物になります。
脚本に「PSYCHO-PASS」「楽園追放」の虚淵玄、監督に「シドニアの騎士」「劇場版名探偵コナン」の静野孔文と、静野と共に「シドニアの騎士」を手掛けたほか「亜人」「BLAME!」などの瀬下寛之が務めた今作は、恐らく実写で製作したらもっとチープに見えてしまうであろう設定と世界観をうまくCGアニメで表現し、1つのSF映画として優れた作品に仕上がっています。
パワードスーツを筆頭に多用に登場するガジェットを活用したアクションシークエンスなどアニメならではの画面がバンバン出てくるのも楽しいところ。
何よりこの作品の優れている点は絶望的ですらあるゴジラの圧倒的な威容です。ゴジラを単なる「巨大生物」ではなく一種の「神格化された具象」として威風堂々とした姿をしていて目を引きます。この存在感を醸しだせなければアニメというより「ゴジラ」を冠した作品として失敗の烙印を押されてしまうところですが、この難題を製作に携わったポリゴン・ピクチャーズは見事に乗り越えてみせました。これまでの特撮映画における着ぐるみの構造的必然から解放されて少し前傾気味の体勢をしているのも特徴的ですね。
これまでのシリーズとは一線を画す世界観をしている一方でオリジナルへのリスペクトも強く感じられるところが窺えるのもこの作品の特徴です。かなりマニアックな東宝特撮映画の怪獣たちがカメオ出演していることもそうですし、主人公の名前が「ハルオ」なのも恐らく初代ゴジラのスーツアクターだった故・中島春雄さんから取っているのだろうと思います。
作中登場するキャラクターの中で強烈な存在感を放つのは異星人エクシフの神官メトフィエス。柔らかな物腰と穏やかな口調で喋りハルオを導くような態度をとりながら、しかし真意をなかなか掴ませないキャラクターを演じるのは櫻井孝宏。脚本虚淵玄の作品に登場する櫻井孝宏。もうそれだけで胡散臭さ全開。メトフィエスという名前も「ファウスト」の「メフィスト・フェレス」を想起させる響きしてるところも油断なりません。色んな意味で必見のキャラクターです(笑)
なお、今一つ浸透していない事柄として、このアニメ映画版「ゴジラ」は3部作としての製作・公開が決定されています。なので、今作は結構いいところで終わってしまい知らずに観るとちょっと呆気に取られてしまうかもしれないため、その点だけは把握した上で鑑賞に臨むとよいでしょう。
いずれにしても昨年公開の「シン・ゴジラ」同様に既存のファンだけでなく新たなファンにも訴求できるパワーを持った作品です。ここに来てこんな作品が連投されるあたり「ゴジラ」のポテンシャルはまだなかなかのもの。まだ「ゴジラ」を観たことの無い方も出演する声優のファンというだけでも構わないのでコレを機に「ゴジラ」に触れてみていただきたいですね。
ニュースで主に紹介された「アンパンマン」のドキンちゃん役や「ドラゴンボール」のブルマ役が一般的に広く知られているところでしょうが、個人的には「GS美神」の見た目イケイケのお姉さんで金にがめつくプライドの高い性格ながら実は情に厚い主人公美神令子をどこかキュートさをまとわせて演じていたことや、「メタルギアソリッド」シリーズでのソリッド・スネークへ愛憎渦巻く複雑な感情を抱き数奇な運命に翻弄された女性ナオミ・ハンターが印象的でした。
他にも「TRIGUN」のメリル・ストライフや「サイレントメビウス」のキディ・フェニルなど印象に残るキャラクターは枚挙にいとまが無く、皆さんの中にも忘れられないキャラクターがいるのではないでしょうか。まだまだ活躍のできるお歳だっただけに残念でなりません。
謹んでご冥福をお祈りいたします
こんばんは、小島@監督です。
しかしブルマやドキンちゃんは誰が受け継ぐことになるんだろう…?
さて、今回の映画は「GODZILLA 怪獣惑星」です。
20世紀末、突如として人類は巨大生物「怪獣」の襲撃を受けた。世界各地で甚大な損害を被り遂には人類と怪獣との戦争状態に突入した。
そして2030年、「ゴジラ」が現れた。人類はおろか他の怪獣すらも圧倒するゴジラに人類はなすすべもなく蹂躙されていく。その威容は地球だけでなく宇宙にもその名が知られるところとなり、母星を失った異星人「エクシフ」や「ビルサルド」が地球への移住を条件に共闘を持ち掛け、人類の科学技術を飛躍的に向上させることに繋がったが、しかしその共闘も虚しく敗れ去り、人類は生存のために外宇宙へ移民船団を出航させた。
それから20年後、物資の困窮する移民船の日々に疲れた者達の進言により、船は地球へ帰ってきた。ゴジラによって奪われた故郷を取り戻すために。その中に、ゴジラに対し激しい憎悪を燃やす青年ハルオ・サカキ(声・宮野真守)はいた。
何故か近年新作映画の公開が相次いでファンとしては嬉しいけどちょっと戸惑いもするゴジラシリーズの、初めてのアニメ映画が現在公開中です。
実はゴジラのアニメ化自体はこれが初めてではありません。1978年にアメリカのアニメ制作会社ハンナ・バーべラ・プロダクションにより製作されたTVシリーズを始め何度かアニメになっているのですが、劇場用作品として、また3DCGアニメとしては今作が初めての物になります。
脚本に「PSYCHO-PASS」「楽園追放」の虚淵玄、監督に「シドニアの騎士」「劇場版名探偵コナン」の静野孔文と、静野と共に「シドニアの騎士」を手掛けたほか「亜人」「BLAME!」などの瀬下寛之が務めた今作は、恐らく実写で製作したらもっとチープに見えてしまうであろう設定と世界観をうまくCGアニメで表現し、1つのSF映画として優れた作品に仕上がっています。
パワードスーツを筆頭に多用に登場するガジェットを活用したアクションシークエンスなどアニメならではの画面がバンバン出てくるのも楽しいところ。
何よりこの作品の優れている点は絶望的ですらあるゴジラの圧倒的な威容です。ゴジラを単なる「巨大生物」ではなく一種の「神格化された具象」として威風堂々とした姿をしていて目を引きます。この存在感を醸しだせなければアニメというより「ゴジラ」を冠した作品として失敗の烙印を押されてしまうところですが、この難題を製作に携わったポリゴン・ピクチャーズは見事に乗り越えてみせました。これまでの特撮映画における着ぐるみの構造的必然から解放されて少し前傾気味の体勢をしているのも特徴的ですね。
これまでのシリーズとは一線を画す世界観をしている一方でオリジナルへのリスペクトも強く感じられるところが窺えるのもこの作品の特徴です。かなりマニアックな東宝特撮映画の怪獣たちがカメオ出演していることもそうですし、主人公の名前が「ハルオ」なのも恐らく初代ゴジラのスーツアクターだった故・中島春雄さんから取っているのだろうと思います。
作中登場するキャラクターの中で強烈な存在感を放つのは異星人エクシフの神官メトフィエス。柔らかな物腰と穏やかな口調で喋りハルオを導くような態度をとりながら、しかし真意をなかなか掴ませないキャラクターを演じるのは櫻井孝宏。脚本虚淵玄の作品に登場する櫻井孝宏。もうそれだけで胡散臭さ全開。メトフィエスという名前も「ファウスト」の「メフィスト・フェレス」を想起させる響きしてるところも油断なりません。色んな意味で必見のキャラクターです(笑)
なお、今一つ浸透していない事柄として、このアニメ映画版「ゴジラ」は3部作としての製作・公開が決定されています。なので、今作は結構いいところで終わってしまい知らずに観るとちょっと呆気に取られてしまうかもしれないため、その点だけは把握した上で鑑賞に臨むとよいでしょう。
いずれにしても昨年公開の「シン・ゴジラ」同様に既存のファンだけでなく新たなファンにも訴求できるパワーを持った作品です。ここに来てこんな作品が連投されるあたり「ゴジラ」のポテンシャルはまだなかなかのもの。まだ「ゴジラ」を観たことの無い方も出演する声優のファンというだけでも構わないのでコレを機に「ゴジラ」に触れてみていただきたいですね。
今年もボジョレー・ヌーヴォーの季節がやってまいりました。
今年は天候不順が響き乾燥した時期が長く続いたのですが、収穫時期の間近に良い雨が降ったそうで、収量は今一つで房も小ぶりなようなのですがワインの質自体は悪くなさそうです(果粒が大きかろうが小さかろうがワイン1本の醸造に必要なブドウの量は変わらないため、粒が小さい方がより果実の要素が凝縮される)。
ま、例によってコレを書いている時点ではまだ売る側としても味を見ていないので何ともなんですけどね(苦笑)
こんばんは、小島@監督です。
数年前から普段ワインを飲まない人でも手に取りやすいスクリューキャップやペットボトルのヌーヴォーも増えて来ました。時にはワインを味わってみるのはいかがでしょうか。
さて、今回の映画は「男はつらいよ 柴又慕情」です。
フーテンのテキヤとして全国を放浪する車寅次郎(渥美清)は、金沢で3人の女性と出会った。彼女たちと仲良くなった寅次郎だったが3人組の一人・高見歌子(吉永小百合)の寂しげなたたずまいに強く惹かれる。単身「とらや」に戻ってきた後も歌子の事が忘れられず塞ぎ込みさくら(倍賞千恵子)ら家族を心配させてしまうが、ある日その歌子が「とらや」を訪ねてきた。突然の事に寅次郎は色めき立つが…
それまで軒先を横目に見るだけで全く縁の無かった事に、ある時から不意に縁が出来るようになったりする事があります。
今まで何度もTV放送されていたりするのに一度も観たことなかった「男はつらいよ」シリーズを、ここ最近何本か観る機会に恵まれました。
1969年に第1作目が公開されて以降1996年まで全48作が製作された「男はつらいよ」、ドル箱シリーズとして長く松竹の看板としてあり続け、主演を務めた渥美清が死去した際にはその松竹の株価が大幅下落したという逸話も残っています。古くからの映画ファンにとってはこれもまた1つの「昭和」の象徴とも言えるでしょう。
余談ですが同時上映はザ・ドリフターズが総出演したコメディ「祭りだお化けだ全員集合!」、1970年代前半は「男はつらいよ」シリーズとドリフ映画の2本立ては割と定番のプログラムだったようです。ドリフ映画も何か一つくらいは一度観てみたい。
基本的な筋立ては概ね様式化されていて、毎回寅さんが「マドンナ」と呼ばれるヒロインと出会って恋心を抱いて(たまに逆に惚れられる)しまうものの最後にはマドンナに恋人が現れて失恋するのがお決まりで、その辺りのマンネリズムも含めて楽しむのがポイントで、言い換えれば特に1作目から続けて観る必要が全く無いのが特徴です。
今回取り上げた「柴又慕情」は1972年8月に公開されたシリーズ第9作目。マドンナ役に当時既にスター女優だった吉永小百合を起用した事で高い人気を博した作品です。当時の「キネマ旬報」ベストテンに選ばれたほか観客動員数もシリーズトップレベルだったらしく2年後の1974年8月には歌子がマドンナ役として再登場した「寅次郎恋やつれ」が製作されたあたりにもその評価の高さが伺えます。
シリーズ自体、路線が定まって脂が乗って来たところといえ、江戸落語を思わせる寅さんの小粋なセリフ回しや登場人物の掛け合いのテンポの良さは今見ても気持ちいいくらいです。巧者が揃った俳優陣の演技の妙が押し付けがましくなくサラリと観られるのが良いですね。
全国各地でロケを行ったシリーズで、この「柴又慕情」では石川県の兼六園に福井県の東尋坊や京福電鉄のほか、岐阜県多治見市が撮影に使われています。もしかしたら見覚えのある場所の45年前の風景が観られるかもしれません。
「古き良き」なんて言葉はこういう作品にこそ似合うのでしょう。時にはこんな映画を観てみるのも楽しいですよ。
また、名画座などで度々リバイバルされているシリーズですが、ミッドランドスクエアシネマで今月17日までこの「柴又慕情」が上映されています。せっかくならスクリーンで昭和気分を満喫してみるのも乙な映画体験だと思いますよ。
今年は天候不順が響き乾燥した時期が長く続いたのですが、収穫時期の間近に良い雨が降ったそうで、収量は今一つで房も小ぶりなようなのですがワインの質自体は悪くなさそうです(果粒が大きかろうが小さかろうがワイン1本の醸造に必要なブドウの量は変わらないため、粒が小さい方がより果実の要素が凝縮される)。
ま、例によってコレを書いている時点ではまだ売る側としても味を見ていないので何ともなんですけどね(苦笑)
こんばんは、小島@監督です。
数年前から普段ワインを飲まない人でも手に取りやすいスクリューキャップやペットボトルのヌーヴォーも増えて来ました。時にはワインを味わってみるのはいかがでしょうか。
さて、今回の映画は「男はつらいよ 柴又慕情」です。
フーテンのテキヤとして全国を放浪する車寅次郎(渥美清)は、金沢で3人の女性と出会った。彼女たちと仲良くなった寅次郎だったが3人組の一人・高見歌子(吉永小百合)の寂しげなたたずまいに強く惹かれる。単身「とらや」に戻ってきた後も歌子の事が忘れられず塞ぎ込みさくら(倍賞千恵子)ら家族を心配させてしまうが、ある日その歌子が「とらや」を訪ねてきた。突然の事に寅次郎は色めき立つが…
それまで軒先を横目に見るだけで全く縁の無かった事に、ある時から不意に縁が出来るようになったりする事があります。
今まで何度もTV放送されていたりするのに一度も観たことなかった「男はつらいよ」シリーズを、ここ最近何本か観る機会に恵まれました。
1969年に第1作目が公開されて以降1996年まで全48作が製作された「男はつらいよ」、ドル箱シリーズとして長く松竹の看板としてあり続け、主演を務めた渥美清が死去した際にはその松竹の株価が大幅下落したという逸話も残っています。古くからの映画ファンにとってはこれもまた1つの「昭和」の象徴とも言えるでしょう。
余談ですが同時上映はザ・ドリフターズが総出演したコメディ「祭りだお化けだ全員集合!」、1970年代前半は「男はつらいよ」シリーズとドリフ映画の2本立ては割と定番のプログラムだったようです。ドリフ映画も何か一つくらいは一度観てみたい。
基本的な筋立ては概ね様式化されていて、毎回寅さんが「マドンナ」と呼ばれるヒロインと出会って恋心を抱いて(たまに逆に惚れられる)しまうものの最後にはマドンナに恋人が現れて失恋するのがお決まりで、その辺りのマンネリズムも含めて楽しむのがポイントで、言い換えれば特に1作目から続けて観る必要が全く無いのが特徴です。
今回取り上げた「柴又慕情」は1972年8月に公開されたシリーズ第9作目。マドンナ役に当時既にスター女優だった吉永小百合を起用した事で高い人気を博した作品です。当時の「キネマ旬報」ベストテンに選ばれたほか観客動員数もシリーズトップレベルだったらしく2年後の1974年8月には歌子がマドンナ役として再登場した「寅次郎恋やつれ」が製作されたあたりにもその評価の高さが伺えます。
シリーズ自体、路線が定まって脂が乗って来たところといえ、江戸落語を思わせる寅さんの小粋なセリフ回しや登場人物の掛け合いのテンポの良さは今見ても気持ちいいくらいです。巧者が揃った俳優陣の演技の妙が押し付けがましくなくサラリと観られるのが良いですね。
全国各地でロケを行ったシリーズで、この「柴又慕情」では石川県の兼六園に福井県の東尋坊や京福電鉄のほか、岐阜県多治見市が撮影に使われています。もしかしたら見覚えのある場所の45年前の風景が観られるかもしれません。
「古き良き」なんて言葉はこういう作品にこそ似合うのでしょう。時にはこんな映画を観てみるのも楽しいですよ。
また、名画座などで度々リバイバルされているシリーズですが、ミッドランドスクエアシネマで今月17日までこの「柴又慕情」が上映されています。せっかくならスクリーンで昭和気分を満喫してみるのも乙な映画体験だと思いますよ。
公開が始まった「ブレードランナー2049」とのタイアップ…らしいのですが久しぶりに「インディ・ジョーンズ」シリーズ4作品が地上波放送されています。
ハリソン・フォードの代表作であり1980年代を代表するムービーキャラクターでもあるインディ・ジョーンズ、懐かしさを差し引いても今観ても褪せない楽しさに満ちています。こういう底抜けの娯楽作はやっぱりある意味で映画の醍醐味ですね。さすがに今日の地上波ではグロテスクなシーンは厳しいらしくいくつかカットされたシーンが散見されているのは少々残念でしたが。
こんばんは、小島@監督です。
今週末放送予定の「最後の聖戦」はレジェンド級の傑作。未見の方はこの機会に是非。
さて、今回の映画は「映画キラキラ☆プリキュアアラモード パリッと!想い出のミルフィーユ」です。
世界パティシエコンテストに出場することになったキラ星シエル(声・水瀬いのり)と共にパリへやってきた宇佐美いちか(声・美山加恋)たち。キラキラパティスリーのスイーツはパリでも好評でコンテストへの自信を覗かせるシエル。
そんな時、突如巨大な泡だて器の形をしたモンスターが襲い掛かってきた!その攻撃を受けた途端にキュアパルフェの変身が解けてしまった。モンスターは去ったがシエルはキュアパルフェに変身できないまま、スイーツ作りも絶不調に陥ってしまう。窮地のシエルの前に一人の男が姿を現す。男はかつてシエルがパリ留学をしていた時に身を寄せていたパティシエ、ジャン=ピエール(声・尾上松也)だった。
今年も秋の風物詩、プリキュア映画が登場です。
メインだけで6人も登場する今年のプリキュアはTVシリーズよりスケールアップした形でその個性的なキャラクターのアンサンブルを楽しめるようになっているほか、単独タイトルの映画としては初めて前作(「魔法つかいプリキュア!」)のメンバーがゲスト出演し、いちかたちのピンチに颯爽登場するなど賑やかな作りになっています。
キャラクター重視の象徴的ともいえるのがゲストキャラクターのジャン=ピエール。自身の求める「究極のスイーツ」を作り上げるためならば他のすべてはお構いなし、独善的にしてストイック、一旦調理を始めたなら煙が巻き起ころうが烏が飛んでこようが気にも留めず完成まではやりきってしまうエキセントリックなキャラクターを尾上松也が好演、観る者に強い印象を与えます。ジャン=ピエールと行動を共にする妖精クックも声を充てた悠木碧がさすがの演技の幅の広さを見せ、ジャン=ピエールと共に都合9人も登場するプリキュアたちの向こうを張れる存在感を放っています。
映画プリキュアはTVシリーズよりも割とヘビーな物語を展開することも多いのですが今作は豊富なアイディアをポップに見せることに注力し、かなりアッパー気味でノー天気に出来上がっておりカラッと楽しめるようになっています。例年のように強い感動を訴求してはいないため少々物足りなく感じる方もいるかもしれませんが、全編に渡りいちかたち主要キャラクターの可愛らしさが爆発しており、それをスクリーンで堪能する楽しさを追求したこういう作りも時にはありでしょう。
時間いっぱい楽しめる作品です。声優陣も熱いですし、興味のある方は是非どうぞ。
ハリソン・フォードの代表作であり1980年代を代表するムービーキャラクターでもあるインディ・ジョーンズ、懐かしさを差し引いても今観ても褪せない楽しさに満ちています。こういう底抜けの娯楽作はやっぱりある意味で映画の醍醐味ですね。さすがに今日の地上波ではグロテスクなシーンは厳しいらしくいくつかカットされたシーンが散見されているのは少々残念でしたが。
こんばんは、小島@監督です。
今週末放送予定の「最後の聖戦」はレジェンド級の傑作。未見の方はこの機会に是非。
さて、今回の映画は「映画キラキラ☆プリキュアアラモード パリッと!想い出のミルフィーユ」です。
世界パティシエコンテストに出場することになったキラ星シエル(声・水瀬いのり)と共にパリへやってきた宇佐美いちか(声・美山加恋)たち。キラキラパティスリーのスイーツはパリでも好評でコンテストへの自信を覗かせるシエル。
そんな時、突如巨大な泡だて器の形をしたモンスターが襲い掛かってきた!その攻撃を受けた途端にキュアパルフェの変身が解けてしまった。モンスターは去ったがシエルはキュアパルフェに変身できないまま、スイーツ作りも絶不調に陥ってしまう。窮地のシエルの前に一人の男が姿を現す。男はかつてシエルがパリ留学をしていた時に身を寄せていたパティシエ、ジャン=ピエール(声・尾上松也)だった。
今年も秋の風物詩、プリキュア映画が登場です。
メインだけで6人も登場する今年のプリキュアはTVシリーズよりスケールアップした形でその個性的なキャラクターのアンサンブルを楽しめるようになっているほか、単独タイトルの映画としては初めて前作(「魔法つかいプリキュア!」)のメンバーがゲスト出演し、いちかたちのピンチに颯爽登場するなど賑やかな作りになっています。
キャラクター重視の象徴的ともいえるのがゲストキャラクターのジャン=ピエール。自身の求める「究極のスイーツ」を作り上げるためならば他のすべてはお構いなし、独善的にしてストイック、一旦調理を始めたなら煙が巻き起ころうが烏が飛んでこようが気にも留めず完成まではやりきってしまうエキセントリックなキャラクターを尾上松也が好演、観る者に強い印象を与えます。ジャン=ピエールと行動を共にする妖精クックも声を充てた悠木碧がさすがの演技の幅の広さを見せ、ジャン=ピエールと共に都合9人も登場するプリキュアたちの向こうを張れる存在感を放っています。
映画プリキュアはTVシリーズよりも割とヘビーな物語を展開することも多いのですが今作は豊富なアイディアをポップに見せることに注力し、かなりアッパー気味でノー天気に出来上がっておりカラッと楽しめるようになっています。例年のように強い感動を訴求してはいないため少々物足りなく感じる方もいるかもしれませんが、全編に渡りいちかたち主要キャラクターの可愛らしさが爆発しており、それをスクリーンで堪能する楽しさを追求したこういう作りも時にはありでしょう。
時間いっぱい楽しめる作品です。声優陣も熱いですし、興味のある方は是非どうぞ。
来年から新シリーズが放送されるとの事でTVシリーズの再放送や年末には劇場版のリバイバル上映も予定されている「カードキャプターさくら」、90年代後半を代表するアニメの一つとあって20年近く前の作品にもかかわらず今観てもちゃんと面白いというか、よくできています。放送当時はほとんど気にしていませんでしたが、後に「この世界の片隅に」を手掛けることになる片渕須直が絵コンテ切ってる回があったりして今観返すなりの発見もあるのが楽しいですね。
今年初春に劇場版の1作目がリバイバル上映された際は観に行けずじまいでしたが、年末公開の2作目は何とか観に行けると嬉しいなぁ。
こんばんは、小島@監督です。
しかし今観てもこのアニメの人間関係は他の追随を許さないエッジの効きぶりですな(笑)
さて、今回の映画は「虐殺器官」です。
新作映画ではないのですが、実は劇場公開時に観ていたものの何のかのとブログに書く機会を逸してしまい勿体ないことしたな〜と思っていたところに来ましたよ、Blu-rayリリースが。これはもう今しかない!と敢えてここでこの作品の登場です。
9.11以降、先進諸国は自由と引き換えに徹底したセキュリティ管理体制を築きテロリズムの恐怖を一掃。一方で途上国では内戦や大量虐殺が急増し、世界は二極分化されつつあった。
要人暗殺という形で小国の武装勢力に干渉し世界の「平和」を維持するのを目的としたアメリカ情報軍特殊検索群i分遣隊に所属するクラヴィス・シェパード(声・中村悠一)は、内戦の首謀者を追う内に「ジョン・ポール」(声・櫻井孝宏)という男の存在を知る。
アメリカに帰国したクラヴィスはペンタゴンに呼び出され新たな任務を受ける。それはジョン・ポールの追跡行だった。彼が訪れる国では決まって虐殺の嵐が巻き起こる。彼を止めねば世界に「平和」はないという。ジョンの足跡を追ったクラヴィスは、チェコ・プラハでジョンの恋人だったという女性・ルツィア(声・小林沙苗)と出会う。
2009年に34歳の若さで夭逝したSF作家・伊藤計劃。彼が執筆した4本の長編の3本が「Project Itoh」と題したアニメ化プロジェクトにより「屍者の帝国」「ハーモニー」が2015年10月11月に相次いで公開。本来1本目に公開されるはずだったこの「虐殺器官」が製作体制の遅れからそれより大きく遅れる形で今年2月に公開されました。
製作の遅れについては公式サイトほか各所でも報じられていたためご記憶の方も多い事でしょう。請け負っていたスタジオ「マングローブ」が破産申請したため製作がストップしてしまい完成自体危うくなったところを新設の「ジェノスタジオ」(代表は「虐殺器官」のチーフプロデューサーである山本幸治)が引き受けようやく完成に至りました。
なお余談ですが映画化されていない長編1本とは「メタルギアソリッド4」のノベライゼーションだったりします。コレはコレでゲームのノベライズの枠を超えた傑作なので是非ご一読をお薦めしたい。
映画の方に話を戻しましょう。伊藤計劃の処女長編であり、「ゼロ年代SFベスト国内篇」第1位に輝くなど高い評価を得ている作品を、その哲学的な命題を薄めることなくリリカルな語り口で展開するとともにリアルな頭身のキャラクターによる硬質なビジュアルで描き出し洋画的な雰囲気に落とし込んでいるのが印象的です。
「言葉」が非常に重要な意味を持つため、必然的に台詞が多く多弁な作品になっているのが特徴で、原作を既に読んでいる身からすれば結構巧い具合に原作の台詞を抽出・アレンジしてるなと思えるのですが、そうでない方にはうっかり聞き漏らすと振り落とされてしまいかねません。Blu-rayなどのソフトで鑑賞するのなら巻き戻してリピートすれば良いだけではあるのですが、それでもそれなりに読解力を要しているのは確かでしょう。
先ほど「洋画的」と書きましたが、それは声優陣の演技についても同じで普段良く目にするアニメとは違う抑制のきいたトーンを貫いているのが特徴です。もっともこの作品のキーマンであるジョン・ポール役櫻井孝宏の演技がキャラクターの性質が似てるとは言え思いっきり「PSYCHO-PASS」の槙島聖護そのままなのは少々笑いを禁じ得ない所でしたが。
この映画、どうしても惜しいと思えるのは、今更言っても詮無い話ではあるもののやはりちゃんと1作目として「ハーモニー」の前に公開してほしかったな、ということでしょうか。「虐殺器官」と「ハーモニー」は実は表裏一体というか「問と答」のような作品であり、世界観を理解する上でも先に触れるべきは「虐殺器官」の方であろうからです。
とは言えコレでようやく3作全てがソフト化されました。秋の夜長に優れた現代批評精神に満ちた優れたSFに触れてみるのはいかがでしょうか。
今年初春に劇場版の1作目がリバイバル上映された際は観に行けずじまいでしたが、年末公開の2作目は何とか観に行けると嬉しいなぁ。
こんばんは、小島@監督です。
しかし今観てもこのアニメの人間関係は他の追随を許さないエッジの効きぶりですな(笑)
さて、今回の映画は「虐殺器官」です。
新作映画ではないのですが、実は劇場公開時に観ていたものの何のかのとブログに書く機会を逸してしまい勿体ないことしたな〜と思っていたところに来ましたよ、Blu-rayリリースが。これはもう今しかない!と敢えてここでこの作品の登場です。
9.11以降、先進諸国は自由と引き換えに徹底したセキュリティ管理体制を築きテロリズムの恐怖を一掃。一方で途上国では内戦や大量虐殺が急増し、世界は二極分化されつつあった。
要人暗殺という形で小国の武装勢力に干渉し世界の「平和」を維持するのを目的としたアメリカ情報軍特殊検索群i分遣隊に所属するクラヴィス・シェパード(声・中村悠一)は、内戦の首謀者を追う内に「ジョン・ポール」(声・櫻井孝宏)という男の存在を知る。
アメリカに帰国したクラヴィスはペンタゴンに呼び出され新たな任務を受ける。それはジョン・ポールの追跡行だった。彼が訪れる国では決まって虐殺の嵐が巻き起こる。彼を止めねば世界に「平和」はないという。ジョンの足跡を追ったクラヴィスは、チェコ・プラハでジョンの恋人だったという女性・ルツィア(声・小林沙苗)と出会う。
2009年に34歳の若さで夭逝したSF作家・伊藤計劃。彼が執筆した4本の長編の3本が「Project Itoh」と題したアニメ化プロジェクトにより「屍者の帝国」「ハーモニー」が2015年10月11月に相次いで公開。本来1本目に公開されるはずだったこの「虐殺器官」が製作体制の遅れからそれより大きく遅れる形で今年2月に公開されました。
製作の遅れについては公式サイトほか各所でも報じられていたためご記憶の方も多い事でしょう。請け負っていたスタジオ「マングローブ」が破産申請したため製作がストップしてしまい完成自体危うくなったところを新設の「ジェノスタジオ」(代表は「虐殺器官」のチーフプロデューサーである山本幸治)が引き受けようやく完成に至りました。
なお余談ですが映画化されていない長編1本とは「メタルギアソリッド4」のノベライゼーションだったりします。コレはコレでゲームのノベライズの枠を超えた傑作なので是非ご一読をお薦めしたい。
映画の方に話を戻しましょう。伊藤計劃の処女長編であり、「ゼロ年代SFベスト国内篇」第1位に輝くなど高い評価を得ている作品を、その哲学的な命題を薄めることなくリリカルな語り口で展開するとともにリアルな頭身のキャラクターによる硬質なビジュアルで描き出し洋画的な雰囲気に落とし込んでいるのが印象的です。
「言葉」が非常に重要な意味を持つため、必然的に台詞が多く多弁な作品になっているのが特徴で、原作を既に読んでいる身からすれば結構巧い具合に原作の台詞を抽出・アレンジしてるなと思えるのですが、そうでない方にはうっかり聞き漏らすと振り落とされてしまいかねません。Blu-rayなどのソフトで鑑賞するのなら巻き戻してリピートすれば良いだけではあるのですが、それでもそれなりに読解力を要しているのは確かでしょう。
先ほど「洋画的」と書きましたが、それは声優陣の演技についても同じで普段良く目にするアニメとは違う抑制のきいたトーンを貫いているのが特徴です。もっともこの作品のキーマンであるジョン・ポール役櫻井孝宏の演技がキャラクターの性質が似てるとは言え思いっきり「PSYCHO-PASS」の槙島聖護そのままなのは少々笑いを禁じ得ない所でしたが。
この映画、どうしても惜しいと思えるのは、今更言っても詮無い話ではあるもののやはりちゃんと1作目として「ハーモニー」の前に公開してほしかったな、ということでしょうか。「虐殺器官」と「ハーモニー」は実は表裏一体というか「問と答」のような作品であり、世界観を理解する上でも先に触れるべきは「虐殺器官」の方であろうからです。
とは言えコレでようやく3作全てがソフト化されました。秋の夜長に優れた現代批評精神に満ちた優れたSFに触れてみるのはいかがでしょうか。
なんと、今回で通算300回目の更新になります。
個人的な都合で更新日が前後した事が何度かありますが毎週の更新を欠かさずここまで来れた事にホント良く続いたなぁと感慨深くなってしまいます。
YGさんによってTwitterなどのSNSと連動させるようになってから閲覧してくださる方も増えたようで、映画の配給元や上映館のスタッフの方、更には手掛けた監督や出演者の方に読んで頂けたこともあったと聞き、何だか嬉しくなってしまいますね。
こんばんは、小島@監督です。
今後ともよろしくお願いいたします。
さて、そんな今回の映画は、「劇場版Fate/stay night [Heaven’s Feel] I.presage flower」です。先日の歌会に参加された皆さんならご記憶でしょう、ええ、じゃんけん大会でゲットしたあの前売券を早速使わせて頂きましたよ!
実は7年前に私がちゅうカラブログに初めて書かせて頂いたのが「劇場版Fate/stay night[UNLIMITED BLADE WORKS]」の感想だったりするので、不思議な縁と成長しない自分を実感します(笑)。いや、せめて文章のレベルが少しは向上してると思いたい。
10年前に起きた「災厄」の爪痕を残す街、冬木市に暮らす少年・衛宮士郎(声・杉山紀彰)。幼い頃からの縁で保護者を気取る藤村大河(声・伊藤美紀)や、士郎を慕い日々朝食と夕食を作りにやってくる少女・間桐桜(声・下屋則子)と共に優しい日々を過ごしていた。
しかしある時を境に冬木市に連日のように殺人や昏睡事件のニュースが流れ始め街に不穏な空気が漂うようになる。
そんな中、放課後に用事を済ませ遅い帰途に就こうとした士郎は校庭に異様なものを目撃する。2人の男が人智を越えた死闘を繰り広げていたのだ。
そして士郎は知ることになる。手にした者の願いを叶えるという願望機「聖杯」とそれを巡る戦い「聖杯戦争」の存在を。
ーーー「喜べ少年、君の『願い』はようやく叶う」
2004年のPC版リリース以降、絶大な支持を集めると共にその後数多くのシリーズ作品とスピンオフを生み出した「Fate/stay night」、2006年にTVシリーズが製作されて以降度々アニメ化されていますが、物語を構成する3つのルートの内最終章に当たる間桐桜ルート「Heaven's Feel」が3部作の劇場用アニメとして初めてアニメ化され、その第1章が現在公開中です。
製作スタジオはTVシリーズ「Fate/ZERO」、「Fate/stay night[Unlimited Blade Works]」を手掛けたufotable。監督須藤友徳以下ufotable版「Fate」に携わったスタッフが多数参加しています。
いくら3部構成とは言え原作が非常に長大なためどうしても駆け足な展開になるだろうなと思って臨んでみたら意外にもかなりゆったりとしたテンポで物語は紡がれ始めます。士郎と桜、大河、桜の兄・間桐慎二(声・神谷浩史)、遠坂凛(声・植田佳奈)ら主要人物たちの関係性をじっくりと掘り下げていく語り口はどこか日本映画的です。
序盤に限らず全編に渡り実に台詞が吟味されていたのが大きなポイントで、込み入った設定を説明するにしても観客に聞かせるように語るのではなく登場人物たちが「状況を確認したいから語ってる」形をきっちり作り上げているのに好感が持てます。単に「原作に忠実にアニメ化」するのではなく原作の雰囲気や語るべき物語をアニメとしてどう語っていくかをちゃんと意識して「翻案」している様が伺えます。
人物を語ることに注力している分「Fate」の骨子ともいえる「聖杯戦争」のイントロダクションについてはほぼ全カットという構成にも唸りました。不親切なようにも見えますが確かにもう何度も映像化されているのでファンなら承知の部分ですし、全く知らないなら知らないでもこの作品において「見せたい部分」というのはそこではないため問題ではないからでしょう。この取捨選択の大胆さが作品の質を上げる方向にちゃんと向いているのもポイントです。
無論劇場版らしく作画のレベルも極めて高いです。手数の多いアクションシークエンスもさることながら高精細な背景美術と計算された明暗のコントラスト、静的な情感の表現が素晴らしく、物語への高い没入度を約束します。
3部構成の第1章である性質上、物語が加速し始めたところで終わってしまうためどうしてもボルテージが上がりきらないという難点はありますが、1本の映画として既に満足度は高く、2章以降への期待も高めてくれるでしょう。
さあ、物語の幕は上がりました。桜の想いはどこに向かうのか、士郎の「正義」は最後に何を選択するのか。結末の形は原作通りになるかもしれなくてもアニメにはアニメだけの「過程」が用意されている事でしょう。この物語がアニメになる日を待ち望んでいた方も多いはず。見届けたい方は是非、スクリーンに足を運んでみてください。
個人的な都合で更新日が前後した事が何度かありますが毎週の更新を欠かさずここまで来れた事にホント良く続いたなぁと感慨深くなってしまいます。
YGさんによってTwitterなどのSNSと連動させるようになってから閲覧してくださる方も増えたようで、映画の配給元や上映館のスタッフの方、更には手掛けた監督や出演者の方に読んで頂けたこともあったと聞き、何だか嬉しくなってしまいますね。
こんばんは、小島@監督です。
今後ともよろしくお願いいたします。
さて、そんな今回の映画は、「劇場版Fate/stay night [Heaven’s Feel] I.presage flower」です。先日の歌会に参加された皆さんならご記憶でしょう、ええ、じゃんけん大会でゲットしたあの前売券を早速使わせて頂きましたよ!
実は7年前に私がちゅうカラブログに初めて書かせて頂いたのが「劇場版Fate/stay night[UNLIMITED BLADE WORKS]」の感想だったりするので、不思議な縁と成長しない自分を実感します(笑)。いや、せめて文章のレベルが少しは向上してると思いたい。
10年前に起きた「災厄」の爪痕を残す街、冬木市に暮らす少年・衛宮士郎(声・杉山紀彰)。幼い頃からの縁で保護者を気取る藤村大河(声・伊藤美紀)や、士郎を慕い日々朝食と夕食を作りにやってくる少女・間桐桜(声・下屋則子)と共に優しい日々を過ごしていた。
しかしある時を境に冬木市に連日のように殺人や昏睡事件のニュースが流れ始め街に不穏な空気が漂うようになる。
そんな中、放課後に用事を済ませ遅い帰途に就こうとした士郎は校庭に異様なものを目撃する。2人の男が人智を越えた死闘を繰り広げていたのだ。
そして士郎は知ることになる。手にした者の願いを叶えるという願望機「聖杯」とそれを巡る戦い「聖杯戦争」の存在を。
ーーー「喜べ少年、君の『願い』はようやく叶う」
2004年のPC版リリース以降、絶大な支持を集めると共にその後数多くのシリーズ作品とスピンオフを生み出した「Fate/stay night」、2006年にTVシリーズが製作されて以降度々アニメ化されていますが、物語を構成する3つのルートの内最終章に当たる間桐桜ルート「Heaven's Feel」が3部作の劇場用アニメとして初めてアニメ化され、その第1章が現在公開中です。
製作スタジオはTVシリーズ「Fate/ZERO」、「Fate/stay night[Unlimited Blade Works]」を手掛けたufotable。監督須藤友徳以下ufotable版「Fate」に携わったスタッフが多数参加しています。
いくら3部構成とは言え原作が非常に長大なためどうしても駆け足な展開になるだろうなと思って臨んでみたら意外にもかなりゆったりとしたテンポで物語は紡がれ始めます。士郎と桜、大河、桜の兄・間桐慎二(声・神谷浩史)、遠坂凛(声・植田佳奈)ら主要人物たちの関係性をじっくりと掘り下げていく語り口はどこか日本映画的です。
序盤に限らず全編に渡り実に台詞が吟味されていたのが大きなポイントで、込み入った設定を説明するにしても観客に聞かせるように語るのではなく登場人物たちが「状況を確認したいから語ってる」形をきっちり作り上げているのに好感が持てます。単に「原作に忠実にアニメ化」するのではなく原作の雰囲気や語るべき物語をアニメとしてどう語っていくかをちゃんと意識して「翻案」している様が伺えます。
人物を語ることに注力している分「Fate」の骨子ともいえる「聖杯戦争」のイントロダクションについてはほぼ全カットという構成にも唸りました。不親切なようにも見えますが確かにもう何度も映像化されているのでファンなら承知の部分ですし、全く知らないなら知らないでもこの作品において「見せたい部分」というのはそこではないため問題ではないからでしょう。この取捨選択の大胆さが作品の質を上げる方向にちゃんと向いているのもポイントです。
無論劇場版らしく作画のレベルも極めて高いです。手数の多いアクションシークエンスもさることながら高精細な背景美術と計算された明暗のコントラスト、静的な情感の表現が素晴らしく、物語への高い没入度を約束します。
3部構成の第1章である性質上、物語が加速し始めたところで終わってしまうためどうしてもボルテージが上がりきらないという難点はありますが、1本の映画として既に満足度は高く、2章以降への期待も高めてくれるでしょう。
さあ、物語の幕は上がりました。桜の想いはどこに向かうのか、士郎の「正義」は最後に何を選択するのか。結末の形は原作通りになるかもしれなくてもアニメにはアニメだけの「過程」が用意されている事でしょう。この物語がアニメになる日を待ち望んでいた方も多いはず。見届けたい方は是非、スクリーンに足を運んでみてください。
昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
今回は何と言ってもじゃんけん大会でfateの八ツ橋とチケットをゲットできてホクホクです。
早いうちに観に行って感想をブログにアップしなきゃ(笑)
こんばんは、小島@監督です。
歌会自体もふと思い立って手持ちのレパートリーの英語詩の曲を固めてみたり、久しぶりにお会いした方に挨拶できたり、立ち寄った部屋でコール入れたりデュオらせて頂いたりいろいろできて大満足でした。
さて、今回の映画は「ドリーム」です。
1961年、冷戦下の米ソは熾烈な宇宙開発競争を繰り広げていた。ヴァージニア州ハンプトンのNASAラングレー研究所では優秀な頭脳を持つ黒人女性たちが計算手として勤めていた。
リーダー格のドロシー(オクタヴィア・スペンサー)は管理職への昇進を希望しているが上司のミッチェル(キルスティン・ダンスト)にすげなく却下されてしまう。
技術部への転属が決まったメアリー(ジャネール・モネイ)はエンジニア志望だが白人のみしか通えない学校での単位取得の条件が壁になっている。
幼い頃から数学の才能を開花させていたキャサリン(タラジ・P・ハンソン)は、黒人女性として初めてハリソン(ケビン・コスナー)率いる宇宙特別研究本部に配属されるが、有色人種用のトイレすらない白人男性ばかりの環境の中でなかなか機会をもらえずにいる。
4月、ユーリ・ガガーリンを乗せたボストーク1号が史上初めて有人宇宙飛行を成功させた。ソ連に先を越されたNASAへのプレッシャーが高まる中、ハリソンはキャサリンの持つ類稀な数学の才能に気づき、重要な役割を任されるようになっていった…
今年初頭アメリカで公開されるや大ヒットとなった、黎明期のNASAを支えた3人の黒人女性を描いたヒューマンドラマ「ドリーム」が現在公開中です。肌の色と性別、二重の意味で低く見られた彼女たちはしかし、持ち前の才能と努力でその閉塞を打開していきます。
3人の女性はいずれもNASAでは伝説的人物であり、特にこの映画での主人公的立ち位置であるキャサリンのアメリカの宇宙開発における功績は計り知れないものがあります。
実は直接的に描写されてはいないものの、彼女が行った仕事の内の一つは既に映画として我々の目に触れています。1995年に製作・公開された「アポロ13」(監督ロン・ハワード、主演トム・ハンクス)において故障した宇宙船の正確な位置を算出し、安全な帰還を可能にするための軌道を計算するためのシステムの構築に尽力しているのは他でもないキャサリンです。
主舞台となるヴァージニア州は長く人種分離政策を取り続け、作中でもその波の一端が描かれています。描写されている全てが史実通りというワケではないようですが、どういう風潮の中にキャサリンたちが生きていたかを端的に示してみせていると言えるでしょう。作中でも度々トピックが挿し挟まれる、1960年代の南部アメリカでの公民権運動の緊迫ぶりは「夜の大捜査線」(1967年製作。監督ノーマン・ジュイソン、主演シドニー・ポワチエ)などでもよく表れているので合わせて観てみるのもいいかもしれません。
原題は「HIDDEN FIGURES」、直訳すれば「隠された人々」という所で長く日の目を見なかったキャサリンたちを指すのでしょうが、「Figure」には「数字」という意味もあり、複雑な軌道計算の中でキャサリンたちが探り当てねばならない数式のことを暗喩しているほか、「象徴・形象」という意味合いも持ち合わせ、トイレや水飲み場、図書館などの「色分け」されている事物たちをも指し示しているのでしょう。
キャサリンの上司であるハリソンは作中ではとにかく高い能力を持ち得るならば黒人だろうが女性だろうが構わない、という思考の持ち主でしたが、そんな彼ですら目の前にいくつも存在している「色分け」とそれによりキャサリンたちが被る不自由に彼女らが指摘しなければ気づけないほど「差別」とはその「意識」の中に入り込んでいたのだということも暗喩していた、非常に重層的な読み方を可能にするタイトルです。
にもかかわらず「ドリーム」といういささか凡庸な邦題はその魅力をまるで表現できていないことに少々苦言を呈したくなります。
せめてNASAの技術者ホーマー・ヒッカム・Jrの青春時代を描いた自伝的小説「Rocket Boys」を映画化した「遠い空の向こうに」(原題October Sky。1999年製作。監督ジョー・ジョンストン、主演ジェイク・ギレンホール。なお原題は原作小説のアナグラムでもある)くらいには気の利いた邦題を付けて欲しいものです。頑張れ、配給もっと頑張れ。
邦題という看板が今一つという少々致命的な欠陥がありはするものの、映画としては声高に差別を糾弾するのではなく知恵と努力で壁をブレイクスルーしていく女性たちを全編に渡りユーモアを忘れずに描き切ったハイレベルなエンターテインメントです。ちょっと肌寒くなってきた時期に心が暖かくなれる、観れば元気をもらえる一本ですよ。
今回は何と言ってもじゃんけん大会でfateの八ツ橋とチケットをゲットできてホクホクです。
早いうちに観に行って感想をブログにアップしなきゃ(笑)
こんばんは、小島@監督です。
歌会自体もふと思い立って手持ちのレパートリーの英語詩の曲を固めてみたり、久しぶりにお会いした方に挨拶できたり、立ち寄った部屋でコール入れたりデュオらせて頂いたりいろいろできて大満足でした。
さて、今回の映画は「ドリーム」です。
1961年、冷戦下の米ソは熾烈な宇宙開発競争を繰り広げていた。ヴァージニア州ハンプトンのNASAラングレー研究所では優秀な頭脳を持つ黒人女性たちが計算手として勤めていた。
リーダー格のドロシー(オクタヴィア・スペンサー)は管理職への昇進を希望しているが上司のミッチェル(キルスティン・ダンスト)にすげなく却下されてしまう。
技術部への転属が決まったメアリー(ジャネール・モネイ)はエンジニア志望だが白人のみしか通えない学校での単位取得の条件が壁になっている。
幼い頃から数学の才能を開花させていたキャサリン(タラジ・P・ハンソン)は、黒人女性として初めてハリソン(ケビン・コスナー)率いる宇宙特別研究本部に配属されるが、有色人種用のトイレすらない白人男性ばかりの環境の中でなかなか機会をもらえずにいる。
4月、ユーリ・ガガーリンを乗せたボストーク1号が史上初めて有人宇宙飛行を成功させた。ソ連に先を越されたNASAへのプレッシャーが高まる中、ハリソンはキャサリンの持つ類稀な数学の才能に気づき、重要な役割を任されるようになっていった…
今年初頭アメリカで公開されるや大ヒットとなった、黎明期のNASAを支えた3人の黒人女性を描いたヒューマンドラマ「ドリーム」が現在公開中です。肌の色と性別、二重の意味で低く見られた彼女たちはしかし、持ち前の才能と努力でその閉塞を打開していきます。
3人の女性はいずれもNASAでは伝説的人物であり、特にこの映画での主人公的立ち位置であるキャサリンのアメリカの宇宙開発における功績は計り知れないものがあります。
実は直接的に描写されてはいないものの、彼女が行った仕事の内の一つは既に映画として我々の目に触れています。1995年に製作・公開された「アポロ13」(監督ロン・ハワード、主演トム・ハンクス)において故障した宇宙船の正確な位置を算出し、安全な帰還を可能にするための軌道を計算するためのシステムの構築に尽力しているのは他でもないキャサリンです。
主舞台となるヴァージニア州は長く人種分離政策を取り続け、作中でもその波の一端が描かれています。描写されている全てが史実通りというワケではないようですが、どういう風潮の中にキャサリンたちが生きていたかを端的に示してみせていると言えるでしょう。作中でも度々トピックが挿し挟まれる、1960年代の南部アメリカでの公民権運動の緊迫ぶりは「夜の大捜査線」(1967年製作。監督ノーマン・ジュイソン、主演シドニー・ポワチエ)などでもよく表れているので合わせて観てみるのもいいかもしれません。
原題は「HIDDEN FIGURES」、直訳すれば「隠された人々」という所で長く日の目を見なかったキャサリンたちを指すのでしょうが、「Figure」には「数字」という意味もあり、複雑な軌道計算の中でキャサリンたちが探り当てねばならない数式のことを暗喩しているほか、「象徴・形象」という意味合いも持ち合わせ、トイレや水飲み場、図書館などの「色分け」されている事物たちをも指し示しているのでしょう。
キャサリンの上司であるハリソンは作中ではとにかく高い能力を持ち得るならば黒人だろうが女性だろうが構わない、という思考の持ち主でしたが、そんな彼ですら目の前にいくつも存在している「色分け」とそれによりキャサリンたちが被る不自由に彼女らが指摘しなければ気づけないほど「差別」とはその「意識」の中に入り込んでいたのだということも暗喩していた、非常に重層的な読み方を可能にするタイトルです。
にもかかわらず「ドリーム」といういささか凡庸な邦題はその魅力をまるで表現できていないことに少々苦言を呈したくなります。
せめてNASAの技術者ホーマー・ヒッカム・Jrの青春時代を描いた自伝的小説「Rocket Boys」を映画化した「遠い空の向こうに」(原題October Sky。1999年製作。監督ジョー・ジョンストン、主演ジェイク・ギレンホール。なお原題は原作小説のアナグラムでもある)くらいには気の利いた邦題を付けて欲しいものです。頑張れ、配給もっと頑張れ。
邦題という看板が今一つという少々致命的な欠陥がありはするものの、映画としては声高に差別を糾弾するのではなく知恵と努力で壁をブレイクスルーしていく女性たちを全編に渡りユーモアを忘れずに描き切ったハイレベルなエンターテインメントです。ちょっと肌寒くなってきた時期に心が暖かくなれる、観れば元気をもらえる一本ですよ。