8月に入ってようやく長い雨が明けて夏らしい気候になってきました。で、出かけてみたら体が暑さと日光に慣れてなくて熱中症に。気を付けていたけどやってしまったわ…マスクしながらの外出は思いのほかヤバいです。皆さんもお気をつけて。
こんばんは、小島@監督です。
結局今日になっても熱が引かなかったので仕事は休みにしてもらいました。症状が発熱だけで咳ものどの痛みも無いし食欲も残っていることから保健所に相談しても「PCR検査は受けなくていい」とのことでひたすらに自宅で静養。皆さん、マジで気を付けてください。
さて、今回の映画は「ハニーランド 永遠の谷」です。
北マケドニア。一人の中年女性が崖の上を歩いていく。際どい道も構わず進んでいく。崖の岩の狭間にはミツバチの巣があった。手袋もつけずに巣から蜂蜜を採集していく姿に、女にとっては慣れた仕事であることが見て取れる。
「半分は私に、半分はあなたに」女はそう言った。それが何世代にも渡って絶え間なく続いてきた営みのように。
ある日、女の家の隣にトルコ人の一家が移住してくる。女の静かな暮らしが突如賑やかになった。移住を繰り返しながら酪農を営む一家だったが、蜂蜜が金になるのを知ると見様見真似で養蜂を始めた…
その国名からして論争のある北マケドニア共和国、ギリシャの北に隣接するその国の映画が日本に入ってくるのはもしかしたら初めてなんじゃないでしょうか。アメリカのアカデミー賞で初めて長編ドキュメンタリー賞と国際映画賞(旧外国語映画賞)にダブルノミネートされたことも報じられたこの映画、観てみるとその映像のスケールに圧倒されます。
養蜂家の女性とその母親、トルコ人一家の二つに密着取材すること3年、400時間というフッテージを90分ちょっとに編集し凝縮されて作られています。
その膨大な映像量とナレーションを排した構成ががなし得たというか、「脚本があるんじゃないのこれ?」と言いたくなるほどドキュメンタリーというよりは劇映画のようにあまりに綺麗に、あまりに見事に物事が展開します。
自然とのバランスを崩さない生き方を貫く女性と、資本主義の誘惑に負けて無謀な養蜂をやり始めるトルコ人一家、そういう対比が明確になっていき人間の欲望が美しい風景に傷を残すさまを目撃していくことになります。
寓話的なエピソードを美しい映像に乗せて展開する、フィルムメーカーの労力が活きた佳作です。名古屋での上映は終盤に差し掛かっていますが、厳しい暑さを一時忘れる助けに、こんな映画はいかがでしょうか。
こんばんは、小島@監督です。
結局今日になっても熱が引かなかったので仕事は休みにしてもらいました。症状が発熱だけで咳ものどの痛みも無いし食欲も残っていることから保健所に相談しても「PCR検査は受けなくていい」とのことでひたすらに自宅で静養。皆さん、マジで気を付けてください。
さて、今回の映画は「ハニーランド 永遠の谷」です。
北マケドニア。一人の中年女性が崖の上を歩いていく。際どい道も構わず進んでいく。崖の岩の狭間にはミツバチの巣があった。手袋もつけずに巣から蜂蜜を採集していく姿に、女にとっては慣れた仕事であることが見て取れる。
「半分は私に、半分はあなたに」女はそう言った。それが何世代にも渡って絶え間なく続いてきた営みのように。
ある日、女の家の隣にトルコ人の一家が移住してくる。女の静かな暮らしが突如賑やかになった。移住を繰り返しながら酪農を営む一家だったが、蜂蜜が金になるのを知ると見様見真似で養蜂を始めた…
その国名からして論争のある北マケドニア共和国、ギリシャの北に隣接するその国の映画が日本に入ってくるのはもしかしたら初めてなんじゃないでしょうか。アメリカのアカデミー賞で初めて長編ドキュメンタリー賞と国際映画賞(旧外国語映画賞)にダブルノミネートされたことも報じられたこの映画、観てみるとその映像のスケールに圧倒されます。
養蜂家の女性とその母親、トルコ人一家の二つに密着取材すること3年、400時間というフッテージを90分ちょっとに編集し凝縮されて作られています。
その膨大な映像量とナレーションを排した構成ががなし得たというか、「脚本があるんじゃないのこれ?」と言いたくなるほどドキュメンタリーというよりは劇映画のようにあまりに綺麗に、あまりに見事に物事が展開します。
自然とのバランスを崩さない生き方を貫く女性と、資本主義の誘惑に負けて無謀な養蜂をやり始めるトルコ人一家、そういう対比が明確になっていき人間の欲望が美しい風景に傷を残すさまを目撃していくことになります。
寓話的なエピソードを美しい映像に乗せて展開する、フィルムメーカーの労力が活きた佳作です。名古屋での上映は終盤に差し掛かっていますが、厳しい暑さを一時忘れる助けに、こんな映画はいかがでしょうか。
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昨日一昨日と「アイドルマスター」が15周年を迎えて両日「だいたい15時間生配信」と称してアニメシリーズや過去のライブ映像を15時間(実際のところは17時間くらい)、それこそ早朝から深夜までブチ抜きで配信するイベントをやっていました。一昨日は仕事だったので大して観れませんでしたが昨日は食事と家事に当ててた時間以外はほぼずっと鑑賞。10周年記念ライブの映像は今改めて見返すと当時は全く気付かなかったような発見も結構あって面白かったですね。
こんばんは、小島@監督です。
とは言え本来なら今年は15周年のメモリアルイヤーでビッグイベントがいくつも開催されていたはず。そう思うとおのれコロナ。ライブ、また観たいですね…
さて、今回の映画は「ドヴラートフ レニングラードの作家たち」です。
1971年、ソ連・レニングラード。小説家セルゲイ・ドヴラートフ(ミラン・マリッチ)は厳しさを増す政府の統制下において自身の作品を発表できないでいた。元妻のエレーナ(ヘレナ・スエツカヤ)と別れ、娘ともたまにしか会えない日々。新聞や雑誌の小さな記事で糊口をしのぎ、詩人のヨシフ・ブロツキー(アルトゥール・ベスチャスヌイ)と共に発表の場を得るために闘うがなかなかその機会は訪れない。そんな中、友人で画家のダヴィッド(ダニーラ・コズロフスキー)に闇取引の容疑で捜査の手が伸びようとしていた。
1970年代初頭のソ連と言えばフルシチョフが亡くなりブレジネフ第一書記とコスイギン首相が政府のトップにいた時期で、冷戦下ではありましたがアメリカとの間に戦略兵器制限交渉、いわゆる「SALT」締結に向けて動いていた時期でもあります。映画で言えばこの頃アンドレイ・タルコフスキー監督が「惑星ソラリス」を発表したりしていますが正直文学方面についてはあまり明るくはなく、それゆえ今回観たこの映画の題材は新鮮で興味を惹かれるものでした。
監督は「フルスタリョフ、車を!」(1998年製作)などで知られるアレクセイ・ゲルマンの息子で、製作半ばで亡くなった父の遺作である「神々のたそがれ」(2013年製作)を作品を引き継ぎ完成させたアレクセイ・ゲルマン・ジュニア。
作品を発表できずに彷徨と葛藤を重ねるドヴラートフたち作家や芸術家の姿を描くこの物語は、時にユーモアを交えはしますが基本的にはかなり淡々としています。そうであるが故に却って息苦しさが伝わってきます。鈍色が覆うような色調の映像も印象的で、この辺りは撮影を担ったウカシュ・ジャル(「ゴッホ~最期の手紙」でゴールデングローブ賞など世界で評価された)の功績も大きいでしょう。反面、ある程度の知識を観客が持っていることが前提で作られているようなところもあり、私のようにこの分野に明るくないと少々置いてきぼりを食らう場面もあります。そして淡々としてる分、置いて行かれると眠くなるのでご注意ください。私!?いやぁ~HAHAHA(そっと目をそらす)
なかなか興味深いのはドヴラートフは別に反体制派を標榜しているわけではない点です。この頃ソ連にはソルジェニーツィンという公然と体制に戦いを挑んだ作家もいましたが、ドヴラートフは決してそうではなく「書きたいものが時の政府の求めるものに合わない」だけ、でありだからこそ時代の空気が重くのしかかってくる、というのは現代日本でも共通しそうな感覚とも言えるでしょう。「表現の自由」とは、自分とは相容れない類の表現を「自分は気に入らなくてもそういうのがあって良い」と容認するところにあるからです。他者への許容量が低くなる昨今と相まって、半世紀前のレニングラード(現・サンクトペテルブルク)の姿を克明に描写しようという姿勢の向こうに現代へのテーゼが見えます。
もう一つこの映画を特徴的にしているものに音楽があります。使われている音楽の基本が何とジャズ。パンフレットの解説を読むまでほとんど知りませんでしたが、60年代後半にソ連や隣国ポーランドではジャズがムーブメントを起こしフェスイベントも開催されていたようです。ブレジネフ政権下ではこれも抑圧されていたようですが、カフェなどで秘かに演奏され続けていたそうです。ジャズは時代を象徴する音楽だったようですね。
作りそのものよりも題材がかなり人を選ぶタイプの映画ですが、描き上げるテーマは今でこそ伝わるものと言えます。ご興味のある方は是非。
ところで余談ですが今回のこの映画を観る際、クラウドファンディング「ミニシアター・エイド」の返礼品の一つである「未来チケット」を受け取ってきました。
これはあらかじめ自分で指定した映画館でのみ使えるチケットで、有効期限は再来年まで。私は6枚もらえるコースを選んでいてシネマテークとシネマスコーレで3枚ずつを割り振っています。期限まで結構時間はありますけど、できれば今年のうちに使い切ってしまえるくらいに足を運びたいですね。
こんばんは、小島@監督です。
とは言え本来なら今年は15周年のメモリアルイヤーでビッグイベントがいくつも開催されていたはず。そう思うとおのれコロナ。ライブ、また観たいですね…
さて、今回の映画は「ドヴラートフ レニングラードの作家たち」です。
1971年、ソ連・レニングラード。小説家セルゲイ・ドヴラートフ(ミラン・マリッチ)は厳しさを増す政府の統制下において自身の作品を発表できないでいた。元妻のエレーナ(ヘレナ・スエツカヤ)と別れ、娘ともたまにしか会えない日々。新聞や雑誌の小さな記事で糊口をしのぎ、詩人のヨシフ・ブロツキー(アルトゥール・ベスチャスヌイ)と共に発表の場を得るために闘うがなかなかその機会は訪れない。そんな中、友人で画家のダヴィッド(ダニーラ・コズロフスキー)に闇取引の容疑で捜査の手が伸びようとしていた。
1970年代初頭のソ連と言えばフルシチョフが亡くなりブレジネフ第一書記とコスイギン首相が政府のトップにいた時期で、冷戦下ではありましたがアメリカとの間に戦略兵器制限交渉、いわゆる「SALT」締結に向けて動いていた時期でもあります。映画で言えばこの頃アンドレイ・タルコフスキー監督が「惑星ソラリス」を発表したりしていますが正直文学方面についてはあまり明るくはなく、それゆえ今回観たこの映画の題材は新鮮で興味を惹かれるものでした。
監督は「フルスタリョフ、車を!」(1998年製作)などで知られるアレクセイ・ゲルマンの息子で、製作半ばで亡くなった父の遺作である「神々のたそがれ」(2013年製作)を作品を引き継ぎ完成させたアレクセイ・ゲルマン・ジュニア。
作品を発表できずに彷徨と葛藤を重ねるドヴラートフたち作家や芸術家の姿を描くこの物語は、時にユーモアを交えはしますが基本的にはかなり淡々としています。そうであるが故に却って息苦しさが伝わってきます。鈍色が覆うような色調の映像も印象的で、この辺りは撮影を担ったウカシュ・ジャル(「ゴッホ~最期の手紙」でゴールデングローブ賞など世界で評価された)の功績も大きいでしょう。反面、ある程度の知識を観客が持っていることが前提で作られているようなところもあり、私のようにこの分野に明るくないと少々置いてきぼりを食らう場面もあります。そして淡々としてる分、置いて行かれると眠くなるのでご注意ください。私!?いやぁ~HAHAHA(そっと目をそらす)
なかなか興味深いのはドヴラートフは別に反体制派を標榜しているわけではない点です。この頃ソ連にはソルジェニーツィンという公然と体制に戦いを挑んだ作家もいましたが、ドヴラートフは決してそうではなく「書きたいものが時の政府の求めるものに合わない」だけ、でありだからこそ時代の空気が重くのしかかってくる、というのは現代日本でも共通しそうな感覚とも言えるでしょう。「表現の自由」とは、自分とは相容れない類の表現を「自分は気に入らなくてもそういうのがあって良い」と容認するところにあるからです。他者への許容量が低くなる昨今と相まって、半世紀前のレニングラード(現・サンクトペテルブルク)の姿を克明に描写しようという姿勢の向こうに現代へのテーゼが見えます。
もう一つこの映画を特徴的にしているものに音楽があります。使われている音楽の基本が何とジャズ。パンフレットの解説を読むまでほとんど知りませんでしたが、60年代後半にソ連や隣国ポーランドではジャズがムーブメントを起こしフェスイベントも開催されていたようです。ブレジネフ政権下ではこれも抑圧されていたようですが、カフェなどで秘かに演奏され続けていたそうです。ジャズは時代を象徴する音楽だったようですね。
作りそのものよりも題材がかなり人を選ぶタイプの映画ですが、描き上げるテーマは今でこそ伝わるものと言えます。ご興味のある方は是非。
ところで余談ですが今回のこの映画を観る際、クラウドファンディング「ミニシアター・エイド」の返礼品の一つである「未来チケット」を受け取ってきました。
これはあらかじめ自分で指定した映画館でのみ使えるチケットで、有効期限は再来年まで。私は6枚もらえるコースを選んでいてシネマテークとシネマスコーレで3枚ずつを割り振っています。期限まで結構時間はありますけど、できれば今年のうちに使い切ってしまえるくらいに足を運びたいですね。
野球やサッカーなどのプロスポーツにも少しずつ観客を入れた試合が戻りつつある一方で、ライブイベントなどはまだまだ難しい状況。ちゅうカラも再来週に予定されていた歌会が中止になってしまいました。どこにどう折り合いをつけていくか、まだ全ては手探りの途中。でも以前のような日々が一日でも早く戻ってほしいですね。
こんばんは、小島@監督です。
これでまた映画館が休館にでもなったりしたらかなり辛い。観れる時にできるだけ観に行こう。
さて、今回の映画は「風の谷のナウシカ」です。
千年前に起きた「火の七日間」と呼ばれる最終戦争により巨大産業文明は崩壊した。錆とセラミックに覆われ荒廃した大地には「腐海」と呼ばれる有毒の瘴気を発する菌類が森を形成し、更に森には巨大な蟲たちが森を守るように棲息し始め、人類は広がりつつある腐海にその生息圏を脅かされながら生きることを余儀なくされた。
辺境の小国・風の谷の族長の娘・ナウシカ(声・島本須美)は腐海に生きる蟲たちとも心通わせる不思議な力を持ち、また心優しい性格故に風の谷の住民たちから敬愛されていた。ある日、いつものように腐海探索のさなか、ナウシカは怒った王蟲が人を追っている光景を目撃する。何とか王蟲を鎮めたナウシカはその人物が武芸の師でもあるユパ(声・納谷悟朗)であると知り一年半ぶりの再会を喜んだ。谷の住民たちをユパの再訪を喜び、病床に伏せるナウシカの父・ジル(声・辻村真人)も久闊を叙した。
しかしその翌朝夜明け前、谷に異変が訪れる。東の大国トルメキアの輸送船が谷の近くに墜落したのだ…
新作映画公開のリズムも未だ立ち戻らない中、配給大手も様々な手を講じています。そして東宝がここに来て強力なカードを切ってきました。6月末より「一生に一度は、映画館でジブリを」と題しこの「風の谷のナウシカ」を始め「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」「ゲド戦記」の4作品が全国ロードショーされています。もっと言えば先週先々週と「ゲド戦記」以外の3作品が週末の観客動員数と興行収入でトップ3を独占しました。
実は「風の谷のナウシカ」が製作された1984年はまだスタジオジブリは設立されておらず、製作スタジオはその前身であるトップクラフトが担っています。トップクラフトは東映動画で製作管理を行っていた原徹が1972年に東映動画から独立する形で設立したスタジオで、日本アニメの下請け製作も行う一方でアメリカのアニメスタジオ「ランキン・バス・プロダクション」と共にコンスタントに日米合作のアニメを製作していました。ナウシカ公開後、「天空の城ラピュタ」(1986年)製作のために徳間書店が出資する形でスタジオジブリが1985年に設立。原徹はその取締役に就任、スタッフもそのまま移籍する形で改組されトップクラフトは解散しています。観ている側としてはほとんど気にすることのない部分ではありますが、今ナウシカと共にリバイバルされている「もののけ姫」製作時期には出資者であった徳間書店の経営悪化を受け収益確保の一環として徳間書店に吸収合併され、社名が変わったりしています。スタジオジブリの沿革も調べてみると結構波乱万丈。
余談になりますが「ナウシカ」は公開当時作品への評価の割に興行は振るわず、現在のような知名度を獲得するには翌年のTV初放送まで待たねばなりませんでした。これはその後の「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」も同様で、特にトトロの観客動員数は「千と千尋」の初日の観客数にすら及ばない程です。作品の評価と集客が両立するのはヤマト運輸とのタイアップを成功させるなど広告戦略が上手くハマった「魔女の宅急便」まで待つ事になります。
映画の方に話を戻しましょう。
面白いもので、TV放送などでもう数十回は観ている、何なら次のセリフも浮かぶくらいに観てるのに初めてスクリーンで観てみると何もかもが新鮮に映ります。さすがに自分でもちょっと驚きました。
映像的な話で言うと「風立ちぬ」(2013年)まで宮崎駿監督作品の色彩設計を一手に引き受けていた保田道世、アクロバティックな表現で日本アニメに一つの変革を起こしたとまで言われる名アニメーター金田伊功(宮崎作品では「もののけ姫」まで参加している)などアニメのマエストロ達の手腕を存分に堪能することができます。自宅のTVで観ていたのではその迫力の10分の1も把握していなかったのだと実感します。
更にこの作品が描く終末的世界観の見事さ。人類が腐海の跋扈によりその生存圏を脅かされ緩やかに、しかし確実に滅びへと進んでいきながら特に中盤ナウシカが目撃する、腐海最深部で起きている「人間の尺度を超えた形で起きる再生」の姿は今観ても特筆に値します。
またナウシカという少女の人物像も改めて観るとずっと「哀しさ」をまとっているように見えるのが印象的です。多くの人に敬愛されながら自身の見る「世界」を共有できないことや母性溢れるキャラクターでありながらその「母」への言及が極めて断片的であることなどもあるのでしょうか。
それはまたもう一人のヒロインともいうべきトルメキアの王女・クシャナ(声・榊原良子)もまた然りで強い言葉で軍を鼓舞する一方で時折弱さが垣間見えます。そのクシャナを武装させた「弱さ」をナウシカは看破しますが、それによりナウシカの哀しみを更に色濃くさせるにすぎません。
ほかの3作品ももちろんですが、特にこの「風の谷のナウシカ」こそ映画館で観た事のある方は少ないはず。金ローで何度も観ているから良い、ではなく何度も放送されて観ているからこそ再上映されているこの機会に是非スクリーンで観て頂きたいですね。きっと何か発見がありますよ。
こんばんは、小島@監督です。
これでまた映画館が休館にでもなったりしたらかなり辛い。観れる時にできるだけ観に行こう。
さて、今回の映画は「風の谷のナウシカ」です。
千年前に起きた「火の七日間」と呼ばれる最終戦争により巨大産業文明は崩壊した。錆とセラミックに覆われ荒廃した大地には「腐海」と呼ばれる有毒の瘴気を発する菌類が森を形成し、更に森には巨大な蟲たちが森を守るように棲息し始め、人類は広がりつつある腐海にその生息圏を脅かされながら生きることを余儀なくされた。
辺境の小国・風の谷の族長の娘・ナウシカ(声・島本須美)は腐海に生きる蟲たちとも心通わせる不思議な力を持ち、また心優しい性格故に風の谷の住民たちから敬愛されていた。ある日、いつものように腐海探索のさなか、ナウシカは怒った王蟲が人を追っている光景を目撃する。何とか王蟲を鎮めたナウシカはその人物が武芸の師でもあるユパ(声・納谷悟朗)であると知り一年半ぶりの再会を喜んだ。谷の住民たちをユパの再訪を喜び、病床に伏せるナウシカの父・ジル(声・辻村真人)も久闊を叙した。
しかしその翌朝夜明け前、谷に異変が訪れる。東の大国トルメキアの輸送船が谷の近くに墜落したのだ…
新作映画公開のリズムも未だ立ち戻らない中、配給大手も様々な手を講じています。そして東宝がここに来て強力なカードを切ってきました。6月末より「一生に一度は、映画館でジブリを」と題しこの「風の谷のナウシカ」を始め「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」「ゲド戦記」の4作品が全国ロードショーされています。もっと言えば先週先々週と「ゲド戦記」以外の3作品が週末の観客動員数と興行収入でトップ3を独占しました。
実は「風の谷のナウシカ」が製作された1984年はまだスタジオジブリは設立されておらず、製作スタジオはその前身であるトップクラフトが担っています。トップクラフトは東映動画で製作管理を行っていた原徹が1972年に東映動画から独立する形で設立したスタジオで、日本アニメの下請け製作も行う一方でアメリカのアニメスタジオ「ランキン・バス・プロダクション」と共にコンスタントに日米合作のアニメを製作していました。ナウシカ公開後、「天空の城ラピュタ」(1986年)製作のために徳間書店が出資する形でスタジオジブリが1985年に設立。原徹はその取締役に就任、スタッフもそのまま移籍する形で改組されトップクラフトは解散しています。観ている側としてはほとんど気にすることのない部分ではありますが、今ナウシカと共にリバイバルされている「もののけ姫」製作時期には出資者であった徳間書店の経営悪化を受け収益確保の一環として徳間書店に吸収合併され、社名が変わったりしています。スタジオジブリの沿革も調べてみると結構波乱万丈。
余談になりますが「ナウシカ」は公開当時作品への評価の割に興行は振るわず、現在のような知名度を獲得するには翌年のTV初放送まで待たねばなりませんでした。これはその後の「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」も同様で、特にトトロの観客動員数は「千と千尋」の初日の観客数にすら及ばない程です。作品の評価と集客が両立するのはヤマト運輸とのタイアップを成功させるなど広告戦略が上手くハマった「魔女の宅急便」まで待つ事になります。
映画の方に話を戻しましょう。
面白いもので、TV放送などでもう数十回は観ている、何なら次のセリフも浮かぶくらいに観てるのに初めてスクリーンで観てみると何もかもが新鮮に映ります。さすがに自分でもちょっと驚きました。
映像的な話で言うと「風立ちぬ」(2013年)まで宮崎駿監督作品の色彩設計を一手に引き受けていた保田道世、アクロバティックな表現で日本アニメに一つの変革を起こしたとまで言われる名アニメーター金田伊功(宮崎作品では「もののけ姫」まで参加している)などアニメのマエストロ達の手腕を存分に堪能することができます。自宅のTVで観ていたのではその迫力の10分の1も把握していなかったのだと実感します。
更にこの作品が描く終末的世界観の見事さ。人類が腐海の跋扈によりその生存圏を脅かされ緩やかに、しかし確実に滅びへと進んでいきながら特に中盤ナウシカが目撃する、腐海最深部で起きている「人間の尺度を超えた形で起きる再生」の姿は今観ても特筆に値します。
またナウシカという少女の人物像も改めて観るとずっと「哀しさ」をまとっているように見えるのが印象的です。多くの人に敬愛されながら自身の見る「世界」を共有できないことや母性溢れるキャラクターでありながらその「母」への言及が極めて断片的であることなどもあるのでしょうか。
それはまたもう一人のヒロインともいうべきトルメキアの王女・クシャナ(声・榊原良子)もまた然りで強い言葉で軍を鼓舞する一方で時折弱さが垣間見えます。そのクシャナを武装させた「弱さ」をナウシカは看破しますが、それによりナウシカの哀しみを更に色濃くさせるにすぎません。
ほかの3作品ももちろんですが、特にこの「風の谷のナウシカ」こそ映画館で観た事のある方は少ないはず。金ローで何度も観ているから良い、ではなく何度も放送されて観ているからこそ再上映されているこの機会に是非スクリーンで観て頂きたいですね。きっと何か発見がありますよ。
先週はもうひたすらに天候に振り回される一週間でした。
水曜日は大雨特別警報と避難指示が出た上に電車も止まって出勤できず、翌日木曜日はもともと休みにしていたのは良いものの天候がなお予断を許さない状況だったので人と会う約束があったのですがキャンセルせざるを得ず、土曜日は出勤したらしたで仕事終えてみたらまたしても大雨で電車がストップ(結局運転は翌朝まで再開されなかった)。
ただ思いがけない幸運というのもあるもので、帰る手段を失くして半ばヤケクソ気味に太陽さんへ飲みに行ったら、奇遇にもちゅうカラプラモ部の皆さんがそこで食事していた上にハイルさんが「車で送ろうか?」と提案してくれ宿泊場所を探さなきゃならない状況で自宅まで帰り着くことができました。
こんばんは、小島@監督です。
ハイルさんにはマジで感謝。今度何かお礼をしなければなりませんな。
さて、今回の映画は、そんな雨がクライマックスを彩る1本、「機動警察パトレイバー the Movie」です。
1999年東京、一人の男が周囲が止めるのも聞かず顔には笑みすら浮かべてその身を投げた。時を同じくして風洞実験中だった自衛隊の試作レイバーが暴走する。空挺部隊までを投入してようやく停止させたそれにはコックピットに人が乗っていなかった。
近く配備が予定されている新型パトレイバー「零式」の研修のため不在にしている特車二課第1小隊に変わり留守を預かる第2小隊の篠原遊馬(声・古川登志夫)は、多発するレイバー暴走事件への対応に追われる中でその異常性に気づき独自に調査を開始。原因がレイバー用の最新OS「HOS」にあるのではと推測する。同様の疑念を抱いていた第2小隊長後藤喜一(声・大林隆介)は本庁の松井刑事(声・西村知道)に「HOS」開発主任だった帆場暎一の捜査を依頼するのだった。
1988年に始まり現在もなお断続的に関連作品が製作されるシリーズ「機動警察パトレイバー」はOVAリリースと漫画連載が同時期にスタートするなど複数のメディアで作品を同時展開した、いわゆるメディアミックスを行った先駆的な作品です。「the Movie」はその初めての劇場版として1989年に製作・公開されました。監督は後年「攻殻機動隊」でその名を世界的なものにする押井守、脚本は平成版「ガメラ」三部作や「.hack」シリーズで知られる伊藤和典が手掛けています。
パトレイバーという作品はTVシリーズあたりを見てみると割と当時のアニメらしい頭身と顔つきをしているのですが、この劇場版では非常にハードボイルドな内容に合わせるように顔つきにしろ頭身にしろリアリティ重視のビジュアルにアレンジされています。作画監督を務めた黄瀬和也の手腕によるところが大きいらしいですが、これが見事に功を奏し作品の重厚感がより増しになったと言えるでしょう。後年2本の劇場用長編が製作されることになりますが、どちらもこの路線を踏襲しリアリズム重視の画風で製作されています。
この映画、恐らくサイバーアタックをテーマに描いた最初期の作品です。同時期の作品で言うと「ルパン三世 バイバイ・リバティー危機一髪!」で自身の犯罪記録データを奪取すべくICPOに潜入するルパン三世の姿が描かれたりしていますが、「OSにウィルスを仕掛ける」というのをこの時期にやってみせた先見性は特筆に値します。約30年前というとPCの普及率が上がりつつあったとは言え、今では子供でも知っている「AI」や「ハッカー」がまだ専門用語の部類に入る時期でもありました。さすがに今観ると登場人物たちが使っているガジェットに古めかしさは拭えませんが、作中で展開している事象はむしろ現在の方がスッと入ってくるのではないでしょうか。同様に作中登場する、東京湾洋上に巨大な人工島を建造する「バビロン・プロジェクト」も90年代になって開業した東京湾アクアラインや海ほたるパーキングエリア、関西国際空港を先取りしたようなものと見ることもできるでしょう。古い町並みを解体し高層ビルを建築する様を綿密なロケハンでもって描出する様子はそれ自体が当時絶頂期にあったバブル経済への風刺でもあり、またスクラップ&ビルドを繰り返し現在に至るもなお各所で再開発が行われる東京を始めとした各都市部へのありようを俯瞰したアイロニーとも取れます。
経年と共に古びた部分を差し引いてもなお優れた普遍性を獲得した、ロボットアニメとしてもSF映画としても傑作といえる一本です。今週金曜の17日より4DXバージョンでの上映が開始しますし、この機会に日本のSFが持つ魅力や底の深さを味わってみて頂きたいですね。
水曜日は大雨特別警報と避難指示が出た上に電車も止まって出勤できず、翌日木曜日はもともと休みにしていたのは良いものの天候がなお予断を許さない状況だったので人と会う約束があったのですがキャンセルせざるを得ず、土曜日は出勤したらしたで仕事終えてみたらまたしても大雨で電車がストップ(結局運転は翌朝まで再開されなかった)。
ただ思いがけない幸運というのもあるもので、帰る手段を失くして半ばヤケクソ気味に太陽さんへ飲みに行ったら、奇遇にもちゅうカラプラモ部の皆さんがそこで食事していた上にハイルさんが「車で送ろうか?」と提案してくれ宿泊場所を探さなきゃならない状況で自宅まで帰り着くことができました。
こんばんは、小島@監督です。
ハイルさんにはマジで感謝。今度何かお礼をしなければなりませんな。
さて、今回の映画は、そんな雨がクライマックスを彩る1本、「機動警察パトレイバー the Movie」です。
1999年東京、一人の男が周囲が止めるのも聞かず顔には笑みすら浮かべてその身を投げた。時を同じくして風洞実験中だった自衛隊の試作レイバーが暴走する。空挺部隊までを投入してようやく停止させたそれにはコックピットに人が乗っていなかった。
近く配備が予定されている新型パトレイバー「零式」の研修のため不在にしている特車二課第1小隊に変わり留守を預かる第2小隊の篠原遊馬(声・古川登志夫)は、多発するレイバー暴走事件への対応に追われる中でその異常性に気づき独自に調査を開始。原因がレイバー用の最新OS「HOS」にあるのではと推測する。同様の疑念を抱いていた第2小隊長後藤喜一(声・大林隆介)は本庁の松井刑事(声・西村知道)に「HOS」開発主任だった帆場暎一の捜査を依頼するのだった。
1988年に始まり現在もなお断続的に関連作品が製作されるシリーズ「機動警察パトレイバー」はOVAリリースと漫画連載が同時期にスタートするなど複数のメディアで作品を同時展開した、いわゆるメディアミックスを行った先駆的な作品です。「the Movie」はその初めての劇場版として1989年に製作・公開されました。監督は後年「攻殻機動隊」でその名を世界的なものにする押井守、脚本は平成版「ガメラ」三部作や「.hack」シリーズで知られる伊藤和典が手掛けています。
パトレイバーという作品はTVシリーズあたりを見てみると割と当時のアニメらしい頭身と顔つきをしているのですが、この劇場版では非常にハードボイルドな内容に合わせるように顔つきにしろ頭身にしろリアリティ重視のビジュアルにアレンジされています。作画監督を務めた黄瀬和也の手腕によるところが大きいらしいですが、これが見事に功を奏し作品の重厚感がより増しになったと言えるでしょう。後年2本の劇場用長編が製作されることになりますが、どちらもこの路線を踏襲しリアリズム重視の画風で製作されています。
この映画、恐らくサイバーアタックをテーマに描いた最初期の作品です。同時期の作品で言うと「ルパン三世 バイバイ・リバティー危機一髪!」で自身の犯罪記録データを奪取すべくICPOに潜入するルパン三世の姿が描かれたりしていますが、「OSにウィルスを仕掛ける」というのをこの時期にやってみせた先見性は特筆に値します。約30年前というとPCの普及率が上がりつつあったとは言え、今では子供でも知っている「AI」や「ハッカー」がまだ専門用語の部類に入る時期でもありました。さすがに今観ると登場人物たちが使っているガジェットに古めかしさは拭えませんが、作中で展開している事象はむしろ現在の方がスッと入ってくるのではないでしょうか。同様に作中登場する、東京湾洋上に巨大な人工島を建造する「バビロン・プロジェクト」も90年代になって開業した東京湾アクアラインや海ほたるパーキングエリア、関西国際空港を先取りしたようなものと見ることもできるでしょう。古い町並みを解体し高層ビルを建築する様を綿密なロケハンでもって描出する様子はそれ自体が当時絶頂期にあったバブル経済への風刺でもあり、またスクラップ&ビルドを繰り返し現在に至るもなお各所で再開発が行われる東京を始めとした各都市部へのありようを俯瞰したアイロニーとも取れます。
経年と共に古びた部分を差し引いてもなお優れた普遍性を獲得した、ロボットアニメとしてもSF映画としても傑作といえる一本です。今週金曜の17日より4DXバージョンでの上映が開始しますし、この機会に日本のSFが持つ魅力や底の深さを味わってみて頂きたいですね。
昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
5か月ぶりの開催に加え今までのスタイルと大きく変えて自治体やお店の出すガイドラインに沿う形での実施、かときちさん始めスタッフの方たちにはいろいろと気苦労も多かったかと思います。まだ全てが手探り。前のように大勢で騒げる日が早く来て欲しいものです。
こんばんは、小島@監督です。
ところで、歌会以外でカラオケできる機会が作れなかったのでマジで約半年ぶりのカラオケだったわけですが、やはりブランク長すぎた。まさか途中で力尽きてしまうとは(苦笑)まぁそれでも16曲も歌えれば充分とも言いますが。次はもう少し体力付けなくちゃ。
さて、今回の映画は「ランボー ラストブラッド」です。
長い戦いの果て、アメリカに帰国し今は故郷アリゾナで牧場を営むジョン・ランボー(シルベスター・スタローン)。古い友人のマリア(アドリアナ・バラーサ)とその孫娘ガブリエラ(イヴェット・モンレアル)と共に穏やかな日々を生きていた。
しかし戦場を離れて10年が経つが、ベトナム戦争から数十年に渡り戦場で生きてきたランボーの心身には今も仲間を助けられなかった傷が刻まれ、牧場の地下に掘り進めたトンネルに身を置くことで自身を保っていた。
ある日、ガブリエラの元にかつて出奔した父の消息を知らせる報が届く。父が自分を捨て出ていった理由を知りたいというガブリエラをランボーは反対する。しかしガブリエラは黙ってメキシコへ向かってしまった…
PTSDを抱えたベトナム帰還兵の苦闘を描いた第1作「ランボー」は1982年に製作されました。ベトナム戦争後に退役した軍人たちの窮状がようやく汲まれつつある状況の中で生まれたジョン・ランボーというキャラクターは戦争の傷を抱えた地に足の着いた人物として高い評価を得ます。その後、ベトナム戦争未帰還兵の救出を描いた2作目「怒りの脱出」(1985年)、ソ連侵略下のアフガニスタンで上官トラウトマン大佐の救出任務を描いた3作目「怒りのアフガン」(1988年)と、ランボーは皮肉にも「アメリカ国家と大衆の敵と戦うマッチョ・ヒーロー」のポジションとしての続編が作られることになります。3作目から20年の時を経て作られた4作目「最後の戦場」では老境に差し掛かり更に深い傷を抱えながらなお戦場で独り戦う姿が描かれました。
その「最後の戦場」のラストでようやくランボーは安息の地を得、その家へ帰るべく足を進めます。しかしそれから10年、闘争と暴力の連鎖は再びランボーを血生臭い世界へ呼び戻されるのです。
第1作目の原題である「FIRST BLOOD」と対となる「LAST BLOOD」と題された今作では、2作目以降「国家の敵」と戦い続けてきたランボーが1作目以来ともいえるパーソナルな戦いに身を投じます。あまりに絶望を知りすぎ怒りと哀しみに囚われ生きてきた男が晩年に差し掛かりながらなお戦わねばならないその姿は、あまりに重く切なく、そして壮絶です。
クライマックスとなるアクションシークエンスは、昨今主流のVFXを多用したスタイリッシュなものでもなくまた一部で復権しつつあるマッチョアクションとも一線を画し、これまでの技術と経験を総動員し、かつ怒りと殺意をむき出しにして独りで多数の敵を相手に戦います。それはある意味でランボーの「集大成」であり、また同時にランボーに限らず愚直な男を演じ続けてきた俳優シルベスター・スタローンが辿り着いたある種の「境地」ともいえます。
単に殴る蹴るが可愛く見えてくるくらいにバイオレンス描写がかなりえげつないのでそういうのが苦手な方には向かない作品ですが、半世紀近く一線で活躍してきたハリウッドスターの凄みを感じられる一本です。孤独の戦士ランボーが最後にどんな場所に辿り着くのか、どうぞスクリーンで確かめてみてください。
5か月ぶりの開催に加え今までのスタイルと大きく変えて自治体やお店の出すガイドラインに沿う形での実施、かときちさん始めスタッフの方たちにはいろいろと気苦労も多かったかと思います。まだ全てが手探り。前のように大勢で騒げる日が早く来て欲しいものです。
こんばんは、小島@監督です。
ところで、歌会以外でカラオケできる機会が作れなかったのでマジで約半年ぶりのカラオケだったわけですが、やはりブランク長すぎた。まさか途中で力尽きてしまうとは(苦笑)まぁそれでも16曲も歌えれば充分とも言いますが。次はもう少し体力付けなくちゃ。
さて、今回の映画は「ランボー ラストブラッド」です。
長い戦いの果て、アメリカに帰国し今は故郷アリゾナで牧場を営むジョン・ランボー(シルベスター・スタローン)。古い友人のマリア(アドリアナ・バラーサ)とその孫娘ガブリエラ(イヴェット・モンレアル)と共に穏やかな日々を生きていた。
しかし戦場を離れて10年が経つが、ベトナム戦争から数十年に渡り戦場で生きてきたランボーの心身には今も仲間を助けられなかった傷が刻まれ、牧場の地下に掘り進めたトンネルに身を置くことで自身を保っていた。
ある日、ガブリエラの元にかつて出奔した父の消息を知らせる報が届く。父が自分を捨て出ていった理由を知りたいというガブリエラをランボーは反対する。しかしガブリエラは黙ってメキシコへ向かってしまった…
PTSDを抱えたベトナム帰還兵の苦闘を描いた第1作「ランボー」は1982年に製作されました。ベトナム戦争後に退役した軍人たちの窮状がようやく汲まれつつある状況の中で生まれたジョン・ランボーというキャラクターは戦争の傷を抱えた地に足の着いた人物として高い評価を得ます。その後、ベトナム戦争未帰還兵の救出を描いた2作目「怒りの脱出」(1985年)、ソ連侵略下のアフガニスタンで上官トラウトマン大佐の救出任務を描いた3作目「怒りのアフガン」(1988年)と、ランボーは皮肉にも「アメリカ国家と大衆の敵と戦うマッチョ・ヒーロー」のポジションとしての続編が作られることになります。3作目から20年の時を経て作られた4作目「最後の戦場」では老境に差し掛かり更に深い傷を抱えながらなお戦場で独り戦う姿が描かれました。
その「最後の戦場」のラストでようやくランボーは安息の地を得、その家へ帰るべく足を進めます。しかしそれから10年、闘争と暴力の連鎖は再びランボーを血生臭い世界へ呼び戻されるのです。
第1作目の原題である「FIRST BLOOD」と対となる「LAST BLOOD」と題された今作では、2作目以降「国家の敵」と戦い続けてきたランボーが1作目以来ともいえるパーソナルな戦いに身を投じます。あまりに絶望を知りすぎ怒りと哀しみに囚われ生きてきた男が晩年に差し掛かりながらなお戦わねばならないその姿は、あまりに重く切なく、そして壮絶です。
クライマックスとなるアクションシークエンスは、昨今主流のVFXを多用したスタイリッシュなものでもなくまた一部で復権しつつあるマッチョアクションとも一線を画し、これまでの技術と経験を総動員し、かつ怒りと殺意をむき出しにして独りで多数の敵を相手に戦います。それはある意味でランボーの「集大成」であり、また同時にランボーに限らず愚直な男を演じ続けてきた俳優シルベスター・スタローンが辿り着いたある種の「境地」ともいえます。
単に殴る蹴るが可愛く見えてくるくらいにバイオレンス描写がかなりえげつないのでそういうのが苦手な方には向かない作品ですが、半世紀近く一線で活躍してきたハリウッドスターの凄みを感じられる一本です。孤独の戦士ランボーが最後にどんな場所に辿り着くのか、どうぞスクリーンで確かめてみてください。
先日名古屋某所を歩いていたらメイドカフェの客引きのおねーさんにチラシを手渡されました。それほど時間的余裕がなかったので店に立ち寄ったりはしなかったのですが、ああ、こういうのも戻ってきたのかと不思議な感慨。と、同時にこのコロナ禍のさなか居酒屋やレストランでは席数減や営業時間の短縮などで対応しているけれど、メイドカフェみたいに飲食だけでなく「サービス自体が売り物」みたいな店舗はどうしているのだろうかと職業的な興味もふと湧いてきたり。どこかで一度時間を作って足を運んでみるのも良いかも。
こんばんは、小島@監督です。
まだ皆いろいろが探り探り。今年いっぱいはこんな状況が続くのでしょうね。
さて、今回の映画は「金田一耕助の冒険」(1979)です。
これまで多くの事件を解決し、それを基にした小説も大ヒット。すっかりスターとなった探偵・金田一耕助(古谷一行)。今日も盟友・等々力警部(田中邦衛)と共にグラビア撮影の仕事をこなしていた。しかし忙殺される一方で金田一の心は満たされない。「おどろおどろしくも美しい事件」から長く遠ざかっていたからだ。
そんなある日、金田一はローラースケートで疾駆する一団に連れ去れられる。彼らは最近巷を騒がす窃盗集団だった。その首領・マリア(熊谷美由紀)は過去に金田一が関わりながら未解決に終わった「瞳の中の女」事件の再調査を持ち掛けるのだった。
延期作品の上映開始に元々今月予定だった作品の公開も始まりだいぶ新作の割合も増えてきましたが、まだまだ旧作のリバイバルの比率も多い昨今、営業再開したミニシアターではかなり尖ったところを持ってきて上映してくれたりしています。そんな中シネマスコーレが「怪作」と名高いコレを上映していると知り、つい観に行ってしまいました。
1979年に製作されたこの映画は、主演古谷一行、田中邦衛に加え熊谷美由紀、坂上二郎、樹木希林、佐藤蛾次郎などが脇を固め、さらに三橋達也や三船敏郎などがカメオ出演しているという錚々たる顔ぶれ。スタッフには監督大林宣彦、撮影に現在は映画監督としても活躍する木村大作などが顔を揃えています。また、当時日本初の試みとしてつかこうへいが「ダイアローグ・ライター」(脚本の会話をより滑らかにするために加筆改稿するスタッフ。ハリウッドでは一般的である。)を担いました。名前だけ見ればかなり重厚な布陣です。
が。はっきり言いましょう。この映画、とんでもなくつまらないです。「怪作」とはよく言いました。
定石ともいえる段取りとテンポを無視した話運び。異様なまでに溢れかえるパロディとギャグの応酬。偏執的ともいえるほど陰惨な事件をこいねがう金田一耕助の人物像とアバンギャルドな映像とシュールな展開の数々にこの映画に「物語」というものが存在するのかどうかさえ分からなくなってきます。パロディにしても少なくない物量が「元ネタそのものが死んでしまっている」ため、ただ滑っているだけのものが延々と続いたりします。もしも公開時ならまた違ったのかもしれませんが。何よりこれを前述の今観ても強すぎる出演陣がやっている上に極め付きはクライマックスに金田一シリーズの原作者・横溝正史が本人役で登場するまでしてくるので余計にクラクラします。
作品の方向性が最初から間違っているとしか言いようがないこの作品、脳がこの映画を理解しようとすることを拒んだのか、正直言って私は途中で寝落ちました(苦笑)
1979年と言えば洋画では「マッドマックス」「ゾンビ」「エイリアン」「ディア・ハンター」などが製作され、日本でも「蘇える金狼」「太陽を盗んだ男」など従来のものを壊すような作品が生まれた時期でもある一方で、「007/ムーンレイカー」のようなシリーズの中でも異色とされる作品がポンと登場してしまった時期でもあります。当時はイラン革命に端を発した第2次オイルショックの只中であり、中国とベトナムの間で中越戦争が勃発し、韓国では朴正煕大統領が暗殺され年末にはソ連によるアフガニスタン侵攻が始まりました。日本国内でも猟銃を持った男が客と行員を人質を取った強盗殺人事件「三菱銀行人質事件」が起きたり、いじめを苦にした中学生の自殺が社会問題となったり不穏なニュースが相次ぎました。方向性はどうあれ何かの閉塞感を打破したいエネルギーというのに当てられて突き動かされた時期だったのかもしれません。また大手主導でここまで挑戦的な企画にGOサインを出して製作していたところに現在にはない懐の深さのようなものを感じてしまいますね。
興味が湧いたなら止めはしませんが、お薦めも致しません(笑)。ご覧になるなら110分間アレ気な映像を叩き付けられるつもりで臨んでください。
こんばんは、小島@監督です。
まだ皆いろいろが探り探り。今年いっぱいはこんな状況が続くのでしょうね。
さて、今回の映画は「金田一耕助の冒険」(1979)です。
これまで多くの事件を解決し、それを基にした小説も大ヒット。すっかりスターとなった探偵・金田一耕助(古谷一行)。今日も盟友・等々力警部(田中邦衛)と共にグラビア撮影の仕事をこなしていた。しかし忙殺される一方で金田一の心は満たされない。「おどろおどろしくも美しい事件」から長く遠ざかっていたからだ。
そんなある日、金田一はローラースケートで疾駆する一団に連れ去れられる。彼らは最近巷を騒がす窃盗集団だった。その首領・マリア(熊谷美由紀)は過去に金田一が関わりながら未解決に終わった「瞳の中の女」事件の再調査を持ち掛けるのだった。
延期作品の上映開始に元々今月予定だった作品の公開も始まりだいぶ新作の割合も増えてきましたが、まだまだ旧作のリバイバルの比率も多い昨今、営業再開したミニシアターではかなり尖ったところを持ってきて上映してくれたりしています。そんな中シネマスコーレが「怪作」と名高いコレを上映していると知り、つい観に行ってしまいました。
1979年に製作されたこの映画は、主演古谷一行、田中邦衛に加え熊谷美由紀、坂上二郎、樹木希林、佐藤蛾次郎などが脇を固め、さらに三橋達也や三船敏郎などがカメオ出演しているという錚々たる顔ぶれ。スタッフには監督大林宣彦、撮影に現在は映画監督としても活躍する木村大作などが顔を揃えています。また、当時日本初の試みとしてつかこうへいが「ダイアローグ・ライター」(脚本の会話をより滑らかにするために加筆改稿するスタッフ。ハリウッドでは一般的である。)を担いました。名前だけ見ればかなり重厚な布陣です。
が。はっきり言いましょう。この映画、とんでもなくつまらないです。「怪作」とはよく言いました。
定石ともいえる段取りとテンポを無視した話運び。異様なまでに溢れかえるパロディとギャグの応酬。偏執的ともいえるほど陰惨な事件をこいねがう金田一耕助の人物像とアバンギャルドな映像とシュールな展開の数々にこの映画に「物語」というものが存在するのかどうかさえ分からなくなってきます。パロディにしても少なくない物量が「元ネタそのものが死んでしまっている」ため、ただ滑っているだけのものが延々と続いたりします。もしも公開時ならまた違ったのかもしれませんが。何よりこれを前述の今観ても強すぎる出演陣がやっている上に極め付きはクライマックスに金田一シリーズの原作者・横溝正史が本人役で登場するまでしてくるので余計にクラクラします。
作品の方向性が最初から間違っているとしか言いようがないこの作品、脳がこの映画を理解しようとすることを拒んだのか、正直言って私は途中で寝落ちました(苦笑)
1979年と言えば洋画では「マッドマックス」「ゾンビ」「エイリアン」「ディア・ハンター」などが製作され、日本でも「蘇える金狼」「太陽を盗んだ男」など従来のものを壊すような作品が生まれた時期でもある一方で、「007/ムーンレイカー」のようなシリーズの中でも異色とされる作品がポンと登場してしまった時期でもあります。当時はイラン革命に端を発した第2次オイルショックの只中であり、中国とベトナムの間で中越戦争が勃発し、韓国では朴正煕大統領が暗殺され年末にはソ連によるアフガニスタン侵攻が始まりました。日本国内でも猟銃を持った男が客と行員を人質を取った強盗殺人事件「三菱銀行人質事件」が起きたり、いじめを苦にした中学生の自殺が社会問題となったり不穏なニュースが相次ぎました。方向性はどうあれ何かの閉塞感を打破したいエネルギーというのに当てられて突き動かされた時期だったのかもしれません。また大手主導でここまで挑戦的な企画にGOサインを出して製作していたところに現在にはない懐の深さのようなものを感じてしまいますね。
興味が湧いたなら止めはしませんが、お薦めも致しません(笑)。ご覧になるなら110分間アレ気な映像を叩き付けられるつもりで臨んでください。
ここ数か月自宅にいる時間が長かったので、ここ10年くらいを思い返してもこんなにやってたことあったか?ってくらい久しぶりに結構な具合にゲームに時間注ぎ込んでました。そんな中でクリアしたものと言えばPS4で「バイオハザード4」「エースコンバット5」、あとはPS VITAで「戦場のヴァルキュリア2」とちょっと古めのタイトルがほとんど。「バイオ4」以外は今まで未プレイだったので懐かしさよりも新鮮な気分の方が先に来ましたね。ただどれもなかなかなボリューム感で思った以上にクリアまで時間かかりましたね(笑)
他にはまだエンディングまでは辿り着けていませんがSwitch版で「ファイナルファンタジー8 REMASTER」プレイ中。PS1の頃のソフトをかなり大胆にバージョンアップしてるらしいのですが、その割にセーブデータの表記にディスクナンバー入りのままなのがフフっとなります。
こんばんは、小島@監督です。
ただようやく勤務形態も従来通りに戻りつつあるので、こんなにがっつりプレイできる時間もそろそろ終わりかな。
さて、今回取り上げる映画は、映画館の営業も再開されて1か月近くになりますが配信の作品の中から一つ。
緊急事態宣言を受けて休業を余儀なくされたミニシアターを支援するために映画監督深田晃司と濱口竜介が発起人となって立ち上げたクラウドファンディング「ミニシアター・エイド基金」、最終的には支援額が3億円を突破し、全国のミニシアターへ相応に分配されることになりました。立地などによって差はあるでしょうが、例えば名古屋シネマスコーレ副支配人の坪井篤史氏によるとその賛助額は「約2か月分の経費」に匹敵するそうです。私もできる限りの支援をしました。その支援の返礼の一つとして「サンクス・シアター」という映画人たちの有志により提供された作品を支援したコースに応じた本数、配信で鑑賞できるというものがあります。今回はその中から一つをご紹介。今回の映画は「うつくしいひと」です。
繁華街の片隅にある書店兼カフェでバイトをしている大学生の透子(橋本愛)、その書店に見慣れない黒いコートの男(姜尚中)が訪ねてきた。紳士は透子にお薦めを尋ねる。悩む透子の横顔を見ながら男はホイットマンの詩の一説をそらんじた。
男が去った後、カフェへ戻ると友人の田上(米村亮太朗)から透子の母・鈴子(石田えり)を尾けている怪しい男がいたと聞かされる。不安を感じた透子はバイト帰りに鈴子が営む華道教室へ立ち寄った。透子はその庭先に鈴子を見る男の存在に気付いて後を追うが、見失ってしまった…
「GO」(2001年)「世界の中心で、愛をさけぶ」(2004年)などで知られ、今年も「劇場」「窮鼠はチーズの夢を見る」の2作品が公開待機となっている行定勲監督が郷里の熊本を舞台に、熊本出身の俳優が集結し2016年に製作された作品です。製作に当たっては県も一部を出資、熊本城や通潤橋など熊本の名所を随所に使って撮影され、セリフもそのほとんどが熊本弁という1本です。奇しくも完成から日を置かず熊本大地震により各所が多大な被害を受けたため、地震前の様子を写した作品となりその後復興支援の意味合いも兼ねつつ日本各地での映画祭やチャリティーイベントなどで度々上映される作品ともなりました。
上映時間39分と短いため、物語の構図にしろ人物描写にしろ余剰を省いたスマートな作品に仕上がっています。ふたを開ければありふれた男女の機微を描いていたにすぎないのですが、8mmフィルムや櫛と言った小道具に心情を集約させる手法が巧くハマっており、小気味良い作品に仕上がっています。全体的に必要最低限でまとまっている一方で会話のテンポはゆったりしており、かと思えば観光PR的な力学でも働いたのか、唐突にくまモンが登場したりするので不思議な印象を受けます。とは言えそれが不快というワケではなく何というか長所も短所も含めて「コレはコレで良い」と思える作品です。
「サンクス・シアター」、ラインナップは基本インディペンデント映画なのですが、思いの外短編・中編が充実しているのが特徴です。そもそもミニシアターでも上映機会が少ない上に、今回取り上げた「うつくしいひと」のような第一人者の作品だけでなく卒業制作とかワークショップで完成したものとかもあり、私にとって今までもほとんど触れてこなかった未知の領域が広がっています。時間いっぱい楽しませてもらいますよ(笑)
他にはまだエンディングまでは辿り着けていませんがSwitch版で「ファイナルファンタジー8 REMASTER」プレイ中。PS1の頃のソフトをかなり大胆にバージョンアップしてるらしいのですが、その割にセーブデータの表記にディスクナンバー入りのままなのがフフっとなります。
こんばんは、小島@監督です。
ただようやく勤務形態も従来通りに戻りつつあるので、こんなにがっつりプレイできる時間もそろそろ終わりかな。
さて、今回取り上げる映画は、映画館の営業も再開されて1か月近くになりますが配信の作品の中から一つ。
緊急事態宣言を受けて休業を余儀なくされたミニシアターを支援するために映画監督深田晃司と濱口竜介が発起人となって立ち上げたクラウドファンディング「ミニシアター・エイド基金」、最終的には支援額が3億円を突破し、全国のミニシアターへ相応に分配されることになりました。立地などによって差はあるでしょうが、例えば名古屋シネマスコーレ副支配人の坪井篤史氏によるとその賛助額は「約2か月分の経費」に匹敵するそうです。私もできる限りの支援をしました。その支援の返礼の一つとして「サンクス・シアター」という映画人たちの有志により提供された作品を支援したコースに応じた本数、配信で鑑賞できるというものがあります。今回はその中から一つをご紹介。今回の映画は「うつくしいひと」です。
繁華街の片隅にある書店兼カフェでバイトをしている大学生の透子(橋本愛)、その書店に見慣れない黒いコートの男(姜尚中)が訪ねてきた。紳士は透子にお薦めを尋ねる。悩む透子の横顔を見ながら男はホイットマンの詩の一説をそらんじた。
男が去った後、カフェへ戻ると友人の田上(米村亮太朗)から透子の母・鈴子(石田えり)を尾けている怪しい男がいたと聞かされる。不安を感じた透子はバイト帰りに鈴子が営む華道教室へ立ち寄った。透子はその庭先に鈴子を見る男の存在に気付いて後を追うが、見失ってしまった…
「GO」(2001年)「世界の中心で、愛をさけぶ」(2004年)などで知られ、今年も「劇場」「窮鼠はチーズの夢を見る」の2作品が公開待機となっている行定勲監督が郷里の熊本を舞台に、熊本出身の俳優が集結し2016年に製作された作品です。製作に当たっては県も一部を出資、熊本城や通潤橋など熊本の名所を随所に使って撮影され、セリフもそのほとんどが熊本弁という1本です。奇しくも完成から日を置かず熊本大地震により各所が多大な被害を受けたため、地震前の様子を写した作品となりその後復興支援の意味合いも兼ねつつ日本各地での映画祭やチャリティーイベントなどで度々上映される作品ともなりました。
上映時間39分と短いため、物語の構図にしろ人物描写にしろ余剰を省いたスマートな作品に仕上がっています。ふたを開ければありふれた男女の機微を描いていたにすぎないのですが、8mmフィルムや櫛と言った小道具に心情を集約させる手法が巧くハマっており、小気味良い作品に仕上がっています。全体的に必要最低限でまとまっている一方で会話のテンポはゆったりしており、かと思えば観光PR的な力学でも働いたのか、唐突にくまモンが登場したりするので不思議な印象を受けます。とは言えそれが不快というワケではなく何というか長所も短所も含めて「コレはコレで良い」と思える作品です。
「サンクス・シアター」、ラインナップは基本インディペンデント映画なのですが、思いの外短編・中編が充実しているのが特徴です。そもそもミニシアターでも上映機会が少ない上に、今回取り上げた「うつくしいひと」のような第一人者の作品だけでなく卒業制作とかワークショップで完成したものとかもあり、私にとって今までもほとんど触れてこなかった未知の領域が広がっています。時間いっぱい楽しませてもらいますよ(笑)