一昨日、先月開催しながら1か月の期間を置いてようやくアーカイブ配信が始まった「アイドルマスターミリオンライブ7thLIVE」の映像を肴に数人で酒や食べ物を持ち寄って酒盛りしてました。こういうことから長く遠ざかっていたのでとても久しぶりに感じます。ライブの方も2Daysの初日の方は仕事で観れずじまいで「ぐぬぬ…」となっていたところだったので観れて何よりでした。
こんばんは、小島@監督です。
気楽にこういうことをできる日々が戻ってくると良いのですが。
さて、今回の映画は「映画大好きポンポさん」です。
映画の都ニャリウッド。そこで敏腕プロデューサーであるジョエル・ダヴィドビッチ・ポンポネット、通称「ポンポさん」(声・小原好美)の下でジーン・フィニ(声・清水尋也)はアシスタントを務めていた。映画監督を夢見ているジーンだったが、根暗な自分の性格では無理と諦めていた。そんなジーンにある日ポンポさんは新作映画のCM製作を担当させる。突然のことに驚くジーンだったがジーンは次第に作業に没頭していく。完成したCMの出来栄えに満足したポンポさんは、今度はベテラン俳優マーティン・ブラドック(声・大塚明夫)10年ぶりの主演作の監督にジーンを抜擢するのだった。
映画自体を題材にした映画は古くからあり、早い物では1920年代には映写技師を主人公に据えた「キートンの探偵学入門」という作品が登場しています。1952年にはサイレントからトーキーに移行しつつあるハリウッドを舞台にしたミュージカル「雨に唄えば」や1989年にはシチリア島の映画館を舞台にした「ニュー・シネマ・パラダイス」と言った名作が誕生している一方で、撮影助手を務める青年の異常な性癖を描く「血を吸うカメラ」(1960年)や、近年でもゾンビ映画製作現場のドタバタを描く「カメラを止めるな!」が話題になったりと怪作にも事欠きません。
この映画の原作コミック「映画大好きポンポさん」は、原作者杉谷庄吾が2017年にWEBで無料公開したのをきっかけに、その後書籍化された経緯を持つ作品です。近年Twitterなどで公開しその反響を契機としてその後雑誌連載、書籍化、あるいは映像化という流れに至る作品が相次いでいますがこの「ポンポさん」もそういう系譜の中にある作品です。映画を題材にしている作品の映像化だけあって媒体を映画とするのは当然の帰結とも言えるでしょう。
この手の作品、特にアニメだと高校や専門学校などを舞台にしていることが多いのですがこの映画ではハリウッドを模した「ニャリウッド」を舞台に実写映画製作の内幕を描きますが、コレは案外かなり珍しい部類に入るのではと思います。
類まれな才能と豊富な人脈を持ちながら何故か手掛ける映画は90分以内のB級映画ばかりというポンポさんのキャラクターは、「B級映画の帝王」と呼ばれたロジャー・コーマンを彷彿とさせます。そのロジャー・コーマン、低予算で映画を作るためにスタッフや俳優に大学を出たばかりの若者を多数起用したことでも知られており、そうやってキャリアをスタートした人物の中にはジェームズ・キャメロンやマーティン・スコセッシ、ロバート・デ・ニーロやジャック・ニコルソンなど後に一線級で活躍することになる人物が数多くいます。作中のポンポさんもそれに倣ってか根暗な映画オタクのジーンを監督を抜擢したりオーディションに落ちてばかりのナタリー・ウッドワード(声・大谷凛香)を主演に抜擢したりと芽が出ずにいる才能を見出していきます。
もう一つ、この作品最大の特徴は、映画製作の中において「編集」という部分にかなりの重きを置いている点です。恐らくここをクローズアップしている作品は過去に類を見ないのではないでしょうか。それを象徴するところとして作中にジーンが「ニュー・シネマ・パラダイス」を観るくだりがあります。サラッと流しているシーンなのですがこの映画は編集が持つマジックを体感させてくれる作品で、完全版(173分)とインターナショナル版(123分)で上映時間が実に50分もの違いがあり、映画の構成も変わっているのでまるで印象が変わります。しかも世界的に評価が高いのは時間の短いインターナショナル版の方、というのも面白いところ。この「ポンポさん」を観て興味が湧いた方は是非両バージョンとも見て頂きたい逸品で、編集の奥深さを味わってみて欲しいところです。
至上命題とも言うべき(何故至上命題かは見てご確認のほどを)上映時間90分にもちゃんと収まっており、狂気にも似た創作のエネルギーをアッパーなテンポで畳み掛ける楽しい作品に仕上がっています。興行成績も好調なようで今週末から上映館が拡大されるとのこと、このピーキーな作品を是非スクリーンで味わって欲しいところ。そしてこれをきっかけに映画に興味を持って頂けるようになると嬉しいですね。
こんばんは、小島@監督です。
気楽にこういうことをできる日々が戻ってくると良いのですが。
さて、今回の映画は「映画大好きポンポさん」です。
映画の都ニャリウッド。そこで敏腕プロデューサーであるジョエル・ダヴィドビッチ・ポンポネット、通称「ポンポさん」(声・小原好美)の下でジーン・フィニ(声・清水尋也)はアシスタントを務めていた。映画監督を夢見ているジーンだったが、根暗な自分の性格では無理と諦めていた。そんなジーンにある日ポンポさんは新作映画のCM製作を担当させる。突然のことに驚くジーンだったがジーンは次第に作業に没頭していく。完成したCMの出来栄えに満足したポンポさんは、今度はベテラン俳優マーティン・ブラドック(声・大塚明夫)10年ぶりの主演作の監督にジーンを抜擢するのだった。
映画自体を題材にした映画は古くからあり、早い物では1920年代には映写技師を主人公に据えた「キートンの探偵学入門」という作品が登場しています。1952年にはサイレントからトーキーに移行しつつあるハリウッドを舞台にしたミュージカル「雨に唄えば」や1989年にはシチリア島の映画館を舞台にした「ニュー・シネマ・パラダイス」と言った名作が誕生している一方で、撮影助手を務める青年の異常な性癖を描く「血を吸うカメラ」(1960年)や、近年でもゾンビ映画製作現場のドタバタを描く「カメラを止めるな!」が話題になったりと怪作にも事欠きません。
この映画の原作コミック「映画大好きポンポさん」は、原作者杉谷庄吾が2017年にWEBで無料公開したのをきっかけに、その後書籍化された経緯を持つ作品です。近年Twitterなどで公開しその反響を契機としてその後雑誌連載、書籍化、あるいは映像化という流れに至る作品が相次いでいますがこの「ポンポさん」もそういう系譜の中にある作品です。映画を題材にしている作品の映像化だけあって媒体を映画とするのは当然の帰結とも言えるでしょう。
この手の作品、特にアニメだと高校や専門学校などを舞台にしていることが多いのですがこの映画ではハリウッドを模した「ニャリウッド」を舞台に実写映画製作の内幕を描きますが、コレは案外かなり珍しい部類に入るのではと思います。
類まれな才能と豊富な人脈を持ちながら何故か手掛ける映画は90分以内のB級映画ばかりというポンポさんのキャラクターは、「B級映画の帝王」と呼ばれたロジャー・コーマンを彷彿とさせます。そのロジャー・コーマン、低予算で映画を作るためにスタッフや俳優に大学を出たばかりの若者を多数起用したことでも知られており、そうやってキャリアをスタートした人物の中にはジェームズ・キャメロンやマーティン・スコセッシ、ロバート・デ・ニーロやジャック・ニコルソンなど後に一線級で活躍することになる人物が数多くいます。作中のポンポさんもそれに倣ってか根暗な映画オタクのジーンを監督を抜擢したりオーディションに落ちてばかりのナタリー・ウッドワード(声・大谷凛香)を主演に抜擢したりと芽が出ずにいる才能を見出していきます。
もう一つ、この作品最大の特徴は、映画製作の中において「編集」という部分にかなりの重きを置いている点です。恐らくここをクローズアップしている作品は過去に類を見ないのではないでしょうか。それを象徴するところとして作中にジーンが「ニュー・シネマ・パラダイス」を観るくだりがあります。サラッと流しているシーンなのですがこの映画は編集が持つマジックを体感させてくれる作品で、完全版(173分)とインターナショナル版(123分)で上映時間が実に50分もの違いがあり、映画の構成も変わっているのでまるで印象が変わります。しかも世界的に評価が高いのは時間の短いインターナショナル版の方、というのも面白いところ。この「ポンポさん」を観て興味が湧いた方は是非両バージョンとも見て頂きたい逸品で、編集の奥深さを味わってみて欲しいところです。
至上命題とも言うべき(何故至上命題かは見てご確認のほどを)上映時間90分にもちゃんと収まっており、狂気にも似た創作のエネルギーをアッパーなテンポで畳み掛ける楽しい作品に仕上がっています。興行成績も好調なようで今週末から上映館が拡大されるとのこと、このピーキーな作品を是非スクリーンで味わって欲しいところ。そしてこれをきっかけに映画に興味を持って頂けるようになると嬉しいですね。
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昨年の秋からこっち、10か月くらいかけて昨日アニメ「銀河英雄伝説」全110話を完走しました。いつかちゃんと観たいと思いながらなかなか実現できずにいましたがようやく達成できました。ありがとうAmazonプライム(笑)完走してようやくこの物語が放つ普遍的な魅力に気づけたという一方、やっぱり10代から大学生くらいの内に履修しておけば良かったとも思ったり。
こんばんは、小島@監督です。
まだ余韻に浸り気味とは言え「外伝」全52話も残ってますし原作も未読なのでいろいろ道半ば。もうしばらく堪能できそうです。
さて、今回の映画は「トゥルーノース」です。
非営利団体「TED」のスタッフに促され、一人のアジア人男性が緊張の面持ちでステージに立ち、講演会が始まる。
男は語り始めた。「政治の話はしませんよ、代わりに物語をお伝えします。私の、家族の物語です…」
1995年、北朝鮮。パク一家はある日突然父が失踪し当局による家宅捜索を受けたのち、母ユリ、長男ヨハン、妹ミヒの3人はトラックで政治犯強制収容所へと連行された。冷徹なハン所長が支配する収容所で過酷な労働を強いられるヨハンたち。ある日ヨハンは、看守にレイプされ妊娠させられた母を理不尽に処刑され孤児となった少年・インスと出会う。
突然平穏な生活が終わりを告げ、理由もわからぬまま強制収容所へ送られ自由を奪われ、明日をも知れぬ状況へと追いやられる。しかもそれはホラーやサスペンスの導入部というわけではなく海を隔てたすぐ近くの国で今も実際に起こっている。一説には北朝鮮でそうやって政治犯として収容されている人は12万人にも上るそうです。そんなテーマを主軸に描かれたドキュメンタリータッチのアニメーションです。世界を見渡せば、ポル・ポト時代のカンボジアの強制収容所を舞台にした「FUNAN/フナン」や、タリバン政権下のアフガニスタンで抑圧された家族の姿を描く「ブレッドウィナー」など、近現代の破壊や抑圧の歴史を戯画化しアニメ化する試みが近年相次いでいます。こういうことは時として実写よりアニメの方がより多くの人に伝わりやすくなることがあります。
映画が始まると、恐らく多くの方がそのビジュアルにちょっと驚くのではないでしょうか。実写と見紛う程のリアルな映像もCGアニメで作れるご時世に、妙にパキパキしたというか2000年代初頭くらいのPS2ソフトみたいなローポリゴン調のビジュアルをしているのです。始めは「予算や製作体制の問題なのか?」と思いましたがすぐにそうではないことに気づきます。リアルに近づけてしまえば、あるいは実写でやってしまうと正視に耐え難い状況が次々と描かれるから、敢えて強めのデフォルメをかけたことが分かります。
物語の中心となるのはパク一家の長男・ヨハン。過酷な状況下でも機転で切り抜けようとするヨハンは看守の手足として囚人を監視する立場を得、同時に食料などに便宜を図ってもらえる地位に着きます。が、そのことによる代償も受けることになります。人間の持つ最も善き面と最も悪しき面の狭間でヨハンの人格は形成されていくことになります。それは収容された政治犯たちだけではなくそれを監視する看守ら体制側にも逃れ得ぬ命題であり、作中にはこの狭間で均衡を失っていく青年看守も登場します。
興味深いことにパク一家は帰還事業(1950~80年代に行われた在日朝鮮人とその家族を北朝鮮へと移住させた事業)によって北朝鮮へ移り住んだ一家であることが示されます。また、作中には日本から誘拐されてきて用済みとなった拉致被害者も登場します。哀しいかな、日本から縁遠い話ではないことを突き付けられてしまうのです。
北朝鮮という国家自体はその存在を否定している政治犯強制収容所、監督である清水ハン栄治氏は、脱北者たちのインタビューやリサーチを重ね作り上げたこの映画を「告発のための作品」としてではなく「抑止のための作品」として製作したそうです。かつて敗戦間近のナチスドイツで収容所で大虐殺が起きたように、もしも北朝鮮という国から独裁体制が消えた時、あるいは北朝鮮が世界に開かれた時に「無かったこと」にさせないため。だからこそ「政治の話はしませんよ、代わりに物語をお伝えします」という冒頭のセリフが活きてきます。ここまでの想いで作られた映画というのもなかなか無いのではないかと思います。しかも「物語をお伝えします」の言葉通りに、これほどヘビーな題材を扱う作品でありながらエンターテインメントとしても極めて優れた出来栄えをしており、はっきり言って凄まじいエネルギーを感じる映画になっています。
これぞまさに「今観るべき映画」でしょう。一人でも多くの方に観て欲しいと願うと同時にせめてこの作品が今も収容されている12万人という人たちの希望の光となって欲しいと祈って止みません。
こんばんは、小島@監督です。
まだ余韻に浸り気味とは言え「外伝」全52話も残ってますし原作も未読なのでいろいろ道半ば。もうしばらく堪能できそうです。
さて、今回の映画は「トゥルーノース」です。
非営利団体「TED」のスタッフに促され、一人のアジア人男性が緊張の面持ちでステージに立ち、講演会が始まる。
男は語り始めた。「政治の話はしませんよ、代わりに物語をお伝えします。私の、家族の物語です…」
1995年、北朝鮮。パク一家はある日突然父が失踪し当局による家宅捜索を受けたのち、母ユリ、長男ヨハン、妹ミヒの3人はトラックで政治犯強制収容所へと連行された。冷徹なハン所長が支配する収容所で過酷な労働を強いられるヨハンたち。ある日ヨハンは、看守にレイプされ妊娠させられた母を理不尽に処刑され孤児となった少年・インスと出会う。
突然平穏な生活が終わりを告げ、理由もわからぬまま強制収容所へ送られ自由を奪われ、明日をも知れぬ状況へと追いやられる。しかもそれはホラーやサスペンスの導入部というわけではなく海を隔てたすぐ近くの国で今も実際に起こっている。一説には北朝鮮でそうやって政治犯として収容されている人は12万人にも上るそうです。そんなテーマを主軸に描かれたドキュメンタリータッチのアニメーションです。世界を見渡せば、ポル・ポト時代のカンボジアの強制収容所を舞台にした「FUNAN/フナン」や、タリバン政権下のアフガニスタンで抑圧された家族の姿を描く「ブレッドウィナー」など、近現代の破壊や抑圧の歴史を戯画化しアニメ化する試みが近年相次いでいます。こういうことは時として実写よりアニメの方がより多くの人に伝わりやすくなることがあります。
映画が始まると、恐らく多くの方がそのビジュアルにちょっと驚くのではないでしょうか。実写と見紛う程のリアルな映像もCGアニメで作れるご時世に、妙にパキパキしたというか2000年代初頭くらいのPS2ソフトみたいなローポリゴン調のビジュアルをしているのです。始めは「予算や製作体制の問題なのか?」と思いましたがすぐにそうではないことに気づきます。リアルに近づけてしまえば、あるいは実写でやってしまうと正視に耐え難い状況が次々と描かれるから、敢えて強めのデフォルメをかけたことが分かります。
物語の中心となるのはパク一家の長男・ヨハン。過酷な状況下でも機転で切り抜けようとするヨハンは看守の手足として囚人を監視する立場を得、同時に食料などに便宜を図ってもらえる地位に着きます。が、そのことによる代償も受けることになります。人間の持つ最も善き面と最も悪しき面の狭間でヨハンの人格は形成されていくことになります。それは収容された政治犯たちだけではなくそれを監視する看守ら体制側にも逃れ得ぬ命題であり、作中にはこの狭間で均衡を失っていく青年看守も登場します。
興味深いことにパク一家は帰還事業(1950~80年代に行われた在日朝鮮人とその家族を北朝鮮へと移住させた事業)によって北朝鮮へ移り住んだ一家であることが示されます。また、作中には日本から誘拐されてきて用済みとなった拉致被害者も登場します。哀しいかな、日本から縁遠い話ではないことを突き付けられてしまうのです。
北朝鮮という国家自体はその存在を否定している政治犯強制収容所、監督である清水ハン栄治氏は、脱北者たちのインタビューやリサーチを重ね作り上げたこの映画を「告発のための作品」としてではなく「抑止のための作品」として製作したそうです。かつて敗戦間近のナチスドイツで収容所で大虐殺が起きたように、もしも北朝鮮という国から独裁体制が消えた時、あるいは北朝鮮が世界に開かれた時に「無かったこと」にさせないため。だからこそ「政治の話はしませんよ、代わりに物語をお伝えします」という冒頭のセリフが活きてきます。ここまでの想いで作られた映画というのもなかなか無いのではないかと思います。しかも「物語をお伝えします」の言葉通りに、これほどヘビーな題材を扱う作品でありながらエンターテインメントとしても極めて優れた出来栄えをしており、はっきり言って凄まじいエネルギーを感じる映画になっています。
これぞまさに「今観るべき映画」でしょう。一人でも多くの方に観て欲しいと願うと同時にせめてこの作品が今も収容されている12万人という人たちの希望の光となって欲しいと祈って止みません。
職場では何度か使ったことがあるのですが、プライベートではほぼ使ったことが無いに等しいZoomで先日初オンライントーク参加してました。Discordなら時折使ってるのですが、ツールが変わると勝手も変わるのでそもそも始めるまでに戸惑ってしまったり。でも使えるものが増えるのは楽しいですね。
こんばんは、小島@監督です。
だいぶ長いこと会えてない人たちだけど、いずれオンラインじゃなく酒を酌み交わしたいものですね。
さて、今回の映画は「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」です。
宇宙世紀0105年、シャア・アズナブルがアクシズ落としを敢行した第二次ネオ・ジオン戦争が終結してより12年後、地球連邦政府の腐敗は更に進み、増え過ぎた人口を強制的に宇宙へ連行する「人狩り」まで行われるようになっていた。その連邦政府に対し、政府高官を暗殺する手段で抵抗を開始する組織が誕生した。それが「マフティー」である。
地球圏の重要な政策が話し合われる「アデレード会議」、その参加者たちを乗せた往還シャトル「ハウンゼン365便」、ハサウェイ・ノア(声・小野賢章)はそこに乗っていた。同じ便にはダバオ空軍基地司令に赴任するため地球に向かう連邦軍将校ケネス・スレッグ大佐(声・諏訪部順一)と予知に近い洞察力を持つ謎めいた美少女ギギ・アンダルシア(声・上田麗奈)も同乗していた。そこに、「マフティー」を名乗るハイジャック犯たちが急襲、シャトルを占拠したのだった…
「逆襲のシャア」から12年後の世界を舞台にした「機動戦士ガンダム」を手掛けた富野由悠季監督自身の手による小説「閃光のハサウェイ」を原作とし三部作の予定で映像化するプロジェクト、今作はその1作目に当たる映画です。「Gジェネレーションズ」などゲームでは何度か登場していますが長くアニメ化が熱望されてきました。当初は昨年公開予定でしたがコロナ禍により延期を余儀なくされ、その後も度々再延期となったため無期延期となりはすまいかとちょっと心配しましたが無事公開されて少しホッとしています。
もう少し作品の沿革を語ると、原作小説「閃光のハサウェイ」は厳密には映画「逆襲のシャア」の続編ではありません。「逆襲のシャア」のシナリオ第1稿をベースにした小説「ベルトーチカ・チルドレン」の続編になります。更に言えば富野由悠季監督、映画の方の「逆襲のシャア」に沿ったストーリーラインに前日譚などのエピソードを大幅に追加した「ハイ・ストリーマー」という小説も書いています。このややこしい辺りをちゃんと意識しているというか、今回の映画では「小説の映像化」という体を取りながらもアニメの続編としても観られるように上手くセリフが工夫されています。
また、富野由悠季監督作品というのは独特のリズム感のダイアローグをしているのですが、今作のシナリオはこの癖みたいなものを原作のテイストを残しつつも上手く匂いを消しているような印象を受け、新しい観客も取り入れたい作り手の意識みたいなものが感じ取れます。
映画の方は期待値の高さを裏切らない、実にハイカロリーな映像を楽しめる1本です。キャラクターはどこまでも端正に、モビルスーツのバトルシーンはダイナミックに。イメージビジュアルや撮影ボードをフル活用し細部に至るまで綿密に設計された画面が全編に渡って展開します。「ウィッチハンターロビン」や「虐殺器官」など洋画的な雰囲気を持ったスタイリッシュな作風で知られる村瀬修功監督の手腕が遺憾なく発揮された映像と言えるでしょう。
テロリズムとの戦い(というか主役がテロリスト側)を主軸にしているからかモビルスーツの戦闘シーンが夜間戦闘が主体となっているのですが、高精細な背景美術に支えられたハイスピードなバトルシークエンスは「初見ではちょっと目で追いきれなかった」という自分のダメさ加減はさておき(苦笑)、この夜間戦闘の画のキレは今後のガンダムシリーズ、引いてはロボットアニメの一つの指針となるのではないでしょうか。そう思わせられてしまうくらいのパワフルなシーンが展開します。30年以上前に書かれた小説ながら国家間の戦闘の次にはテロリズムとの戦いに移行していく様を看破しているあたり、むしろ現在でこそ物語に入りやすい骨格をしているのではないでしょうか。
もう一つ、これは個人的にツボだった箇所なのですが、ヒロイン・ギギ・アンダルシア役上田麗奈の演技が絶品です。近年は多彩な役をこなしその演技力に定評のある彼女ですが、今作の天然でハサウェイやケネスを振り回すギギ役はそんな彼女の代表作になりそうな雰囲気です。もちろん上田麗奈だけではなくハサウェイ役小野賢章、ケネス役諏訪部順一のほか津田健次郎、種崎敦美、早見沙織、山寺宏一など鉄板のキャスト陣をしており、また「逆襲のシャア」でハサウェイを演じた佐々木望も刑事警察機構調査部長ゲイス・H・ヒューゲスト役で出演しています。声優の顔の見えない演技ができる人たちが勢揃いしているのも手伝って、音の面でも没入度の高い作品となっています。
三部作の序章ということで、物語は本格的にエンジンがかかるところで終わってしまいますし第2作についてもまだ何の告知も無いのが現状ですが、それでも新たな誕生を告げるこの作品を、スクリーン全体を使い切る躍動感と共に是非堪能していただきたいですね。
こんばんは、小島@監督です。
だいぶ長いこと会えてない人たちだけど、いずれオンラインじゃなく酒を酌み交わしたいものですね。
さて、今回の映画は「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」です。
宇宙世紀0105年、シャア・アズナブルがアクシズ落としを敢行した第二次ネオ・ジオン戦争が終結してより12年後、地球連邦政府の腐敗は更に進み、増え過ぎた人口を強制的に宇宙へ連行する「人狩り」まで行われるようになっていた。その連邦政府に対し、政府高官を暗殺する手段で抵抗を開始する組織が誕生した。それが「マフティー」である。
地球圏の重要な政策が話し合われる「アデレード会議」、その参加者たちを乗せた往還シャトル「ハウンゼン365便」、ハサウェイ・ノア(声・小野賢章)はそこに乗っていた。同じ便にはダバオ空軍基地司令に赴任するため地球に向かう連邦軍将校ケネス・スレッグ大佐(声・諏訪部順一)と予知に近い洞察力を持つ謎めいた美少女ギギ・アンダルシア(声・上田麗奈)も同乗していた。そこに、「マフティー」を名乗るハイジャック犯たちが急襲、シャトルを占拠したのだった…
「逆襲のシャア」から12年後の世界を舞台にした「機動戦士ガンダム」を手掛けた富野由悠季監督自身の手による小説「閃光のハサウェイ」を原作とし三部作の予定で映像化するプロジェクト、今作はその1作目に当たる映画です。「Gジェネレーションズ」などゲームでは何度か登場していますが長くアニメ化が熱望されてきました。当初は昨年公開予定でしたがコロナ禍により延期を余儀なくされ、その後も度々再延期となったため無期延期となりはすまいかとちょっと心配しましたが無事公開されて少しホッとしています。
もう少し作品の沿革を語ると、原作小説「閃光のハサウェイ」は厳密には映画「逆襲のシャア」の続編ではありません。「逆襲のシャア」のシナリオ第1稿をベースにした小説「ベルトーチカ・チルドレン」の続編になります。更に言えば富野由悠季監督、映画の方の「逆襲のシャア」に沿ったストーリーラインに前日譚などのエピソードを大幅に追加した「ハイ・ストリーマー」という小説も書いています。このややこしい辺りをちゃんと意識しているというか、今回の映画では「小説の映像化」という体を取りながらもアニメの続編としても観られるように上手くセリフが工夫されています。
また、富野由悠季監督作品というのは独特のリズム感のダイアローグをしているのですが、今作のシナリオはこの癖みたいなものを原作のテイストを残しつつも上手く匂いを消しているような印象を受け、新しい観客も取り入れたい作り手の意識みたいなものが感じ取れます。
映画の方は期待値の高さを裏切らない、実にハイカロリーな映像を楽しめる1本です。キャラクターはどこまでも端正に、モビルスーツのバトルシーンはダイナミックに。イメージビジュアルや撮影ボードをフル活用し細部に至るまで綿密に設計された画面が全編に渡って展開します。「ウィッチハンターロビン」や「虐殺器官」など洋画的な雰囲気を持ったスタイリッシュな作風で知られる村瀬修功監督の手腕が遺憾なく発揮された映像と言えるでしょう。
テロリズムとの戦い(というか主役がテロリスト側)を主軸にしているからかモビルスーツの戦闘シーンが夜間戦闘が主体となっているのですが、高精細な背景美術に支えられたハイスピードなバトルシークエンスは「初見ではちょっと目で追いきれなかった」という自分のダメさ加減はさておき(苦笑)、この夜間戦闘の画のキレは今後のガンダムシリーズ、引いてはロボットアニメの一つの指針となるのではないでしょうか。そう思わせられてしまうくらいのパワフルなシーンが展開します。30年以上前に書かれた小説ながら国家間の戦闘の次にはテロリズムとの戦いに移行していく様を看破しているあたり、むしろ現在でこそ物語に入りやすい骨格をしているのではないでしょうか。
もう一つ、これは個人的にツボだった箇所なのですが、ヒロイン・ギギ・アンダルシア役上田麗奈の演技が絶品です。近年は多彩な役をこなしその演技力に定評のある彼女ですが、今作の天然でハサウェイやケネスを振り回すギギ役はそんな彼女の代表作になりそうな雰囲気です。もちろん上田麗奈だけではなくハサウェイ役小野賢章、ケネス役諏訪部順一のほか津田健次郎、種崎敦美、早見沙織、山寺宏一など鉄板のキャスト陣をしており、また「逆襲のシャア」でハサウェイを演じた佐々木望も刑事警察機構調査部長ゲイス・H・ヒューゲスト役で出演しています。声優の顔の見えない演技ができる人たちが勢揃いしているのも手伝って、音の面でも没入度の高い作品となっています。
三部作の序章ということで、物語は本格的にエンジンがかかるところで終わってしまいますし第2作についてもまだ何の告知も無いのが現状ですが、それでも新たな誕生を告げるこの作品を、スクリーン全体を使い切る躍動感と共に是非堪能していただきたいですね。
春アニメもそろそろ佳境を迎えつつあるところですが、今期個人的にとても新鮮な気持ちで楽しんでる作品があります。主舞台が岐阜県多治見市である「やくならマグカップも」です。多治見市は単純に自分の通勤途上であり、また亡父が闘病生活を送っていた頃、多治見市の病院に入院しており一時期毎日のように見舞いなどで通っていたため結構馴染みがある場所です。良く知ってる場所がアニメの「聖地」として全国放送されている、という状況がこれほど楽しいものだとは思ってもいず、何だか毎回ウキウキしながら観ています。
こんばんは、小島@監督です。
その内ブラブラ散歩しに行こう、何たって定期券の範囲で行けるしね(笑)!
さて、今回の映画は「緑の牢獄」です。
沖縄、西表島。沖縄県で第二の大きさを誇るその島にはかつて炭鉱があった。今は廃鉱となりそこは無秩序な緑に覆われている。そこからほど近いところに老婆が暮らしている。その老婆・橋間良子さんは台湾で生まれ、10歳で父と共に西表島に連れてこられた彼女は、それからの80年のほとんどをこの島で過ごし、今はたった一人で家を守っている。眠れない夜には炭鉱での暗い過去、忘れたくても消えない記憶が彼女を襲う。人生の晩年に、彼女がカメラに向けて語る想いとは。
筑豊炭田や三池炭鉱など九州には名高い炭鉱が多く存在していましたが、西表島にあったという炭鉱はそれほど深く知られてはいないように思います。私もそれがあったことくらいしか知りませんでしたし、この映画を観ようとしたきっかけもそもそも「期限が近い無料券があったから休みの日に時間が合うものを観てきた」だけで特に直前までマークもしていなかった作品です。でもそう言ったところにこそ思わぬ出会いもあったりするもの。
1930年代に最盛期を迎えていたという西表炭鉱は、しかし離島という土地柄から労働者の大半は島外から集められました。日本各地からだけでなく台湾や中国などから実情も知らされずに連れてこられた人々も多くいました。いわゆる「タコ部屋労働」を強いられた者も多くおり、中には薬物中毒にされた者もいたようです。離島という逃げ場の無いロケーションも手伝い、そこはまさに「牢獄」とも呼べる状況だったことは想像に難くありません。戦前・戦中史の中においても忘却の彼方へ追いやられようとしている歴史を、一人の老婆を通してフィルムに刻み付ける試み、それがこの映画「緑の牢獄」です。
監督は台湾出身の映画人・黄インイク。これがまだ長編2作目ですが丹念なフィールドワークの成果とも言えるこの作品は企画段階から注目され、ベルリン国際映画祭などで入選を果たしています。
うるさいくらいのセミの声やマングローブの深緑に覆われた廃校、亜熱帯の暑さをダイレクトに伝えるような画の中に佇む良子さんの姿を、映画は丁寧に綴っていきます。その顔に深く刻まれたシワやシミに長い島暮らしの哀歓が見て取れ、どこか取り留めないように見える語りの内容もさることながら、流暢な台湾語と沖縄なまりの日本語が垣根無く入り混じるその口調それ自体に、その向こうに重い歴史が横たわっているのがくみ取れます。島民の誰かと語っている時はともかく何がしか独白する時は2つの言葉が境目なく出てくるためか、良子さんの言葉には全て字幕を用意してくれているのが助かります。
この映画に対する感想をより複雑なものにしている要素が2つあります。一つは撮影開始後に良子さんの家の離れに下宿を始めたというアメリカ人青年・ルイスの存在です。ルイスは良子さんと独特の距離感を保っていますが映画も後半に入るとこの関係性、というよりルイスと集落の住民との関係性に変化が訪れます。その変化の様に「離島」という閉塞的な空間の狭隘さを見て取ることができますが、敢えてこういうものをオミットしなかった監督のセンスが見事です。
もう一つは映画後半から登場するフィクションの映像です。それは不意に現れます。良子さんの語る記憶をより「記憶」として刻み付けようというものでしょうか。ドキュメンタリー映画ながらユニークなアプローチです。とは言え人によっては感情を誘導されているようで反目を覚える箇所かもしれません。また、黄インイク監督はこの際に撮影したフィクションパートで構成した「草原の焔」という短編映画を「緑の牢獄」と同時に発表しています。
時の流れの中に埋もれようとしている歴史に、それに真摯に向き合った者にだけなしうる方法で映像として刻み込まれた、そういう「熱さ」を宿した映画です。全くノーマークで観に行った作品でしたが思いもかけず心を揺さぶられました。ミニシアターだからこそ出会える作品ともいえるでしょう。映画への逆風が止まない昨今ですが、こういうのが上映される素地と体力は残り続けていて欲しいですね。
こんばんは、小島@監督です。
その内ブラブラ散歩しに行こう、何たって定期券の範囲で行けるしね(笑)!
さて、今回の映画は「緑の牢獄」です。
沖縄、西表島。沖縄県で第二の大きさを誇るその島にはかつて炭鉱があった。今は廃鉱となりそこは無秩序な緑に覆われている。そこからほど近いところに老婆が暮らしている。その老婆・橋間良子さんは台湾で生まれ、10歳で父と共に西表島に連れてこられた彼女は、それからの80年のほとんどをこの島で過ごし、今はたった一人で家を守っている。眠れない夜には炭鉱での暗い過去、忘れたくても消えない記憶が彼女を襲う。人生の晩年に、彼女がカメラに向けて語る想いとは。
筑豊炭田や三池炭鉱など九州には名高い炭鉱が多く存在していましたが、西表島にあったという炭鉱はそれほど深く知られてはいないように思います。私もそれがあったことくらいしか知りませんでしたし、この映画を観ようとしたきっかけもそもそも「期限が近い無料券があったから休みの日に時間が合うものを観てきた」だけで特に直前までマークもしていなかった作品です。でもそう言ったところにこそ思わぬ出会いもあったりするもの。
1930年代に最盛期を迎えていたという西表炭鉱は、しかし離島という土地柄から労働者の大半は島外から集められました。日本各地からだけでなく台湾や中国などから実情も知らされずに連れてこられた人々も多くいました。いわゆる「タコ部屋労働」を強いられた者も多くおり、中には薬物中毒にされた者もいたようです。離島という逃げ場の無いロケーションも手伝い、そこはまさに「牢獄」とも呼べる状況だったことは想像に難くありません。戦前・戦中史の中においても忘却の彼方へ追いやられようとしている歴史を、一人の老婆を通してフィルムに刻み付ける試み、それがこの映画「緑の牢獄」です。
監督は台湾出身の映画人・黄インイク。これがまだ長編2作目ですが丹念なフィールドワークの成果とも言えるこの作品は企画段階から注目され、ベルリン国際映画祭などで入選を果たしています。
うるさいくらいのセミの声やマングローブの深緑に覆われた廃校、亜熱帯の暑さをダイレクトに伝えるような画の中に佇む良子さんの姿を、映画は丁寧に綴っていきます。その顔に深く刻まれたシワやシミに長い島暮らしの哀歓が見て取れ、どこか取り留めないように見える語りの内容もさることながら、流暢な台湾語と沖縄なまりの日本語が垣根無く入り混じるその口調それ自体に、その向こうに重い歴史が横たわっているのがくみ取れます。島民の誰かと語っている時はともかく何がしか独白する時は2つの言葉が境目なく出てくるためか、良子さんの言葉には全て字幕を用意してくれているのが助かります。
この映画に対する感想をより複雑なものにしている要素が2つあります。一つは撮影開始後に良子さんの家の離れに下宿を始めたというアメリカ人青年・ルイスの存在です。ルイスは良子さんと独特の距離感を保っていますが映画も後半に入るとこの関係性、というよりルイスと集落の住民との関係性に変化が訪れます。その変化の様に「離島」という閉塞的な空間の狭隘さを見て取ることができますが、敢えてこういうものをオミットしなかった監督のセンスが見事です。
もう一つは映画後半から登場するフィクションの映像です。それは不意に現れます。良子さんの語る記憶をより「記憶」として刻み付けようというものでしょうか。ドキュメンタリー映画ながらユニークなアプローチです。とは言え人によっては感情を誘導されているようで反目を覚える箇所かもしれません。また、黄インイク監督はこの際に撮影したフィクションパートで構成した「草原の焔」という短編映画を「緑の牢獄」と同時に発表しています。
時の流れの中に埋もれようとしている歴史に、それに真摯に向き合った者にだけなしうる方法で映像として刻み込まれた、そういう「熱さ」を宿した映画です。全くノーマークで観に行った作品でしたが思いもかけず心を揺さぶられました。ミニシアターだからこそ出会える作品ともいえるでしょう。映画への逆風が止まない昨今ですが、こういうのが上映される素地と体力は残り続けていて欲しいですね。
昨日、「THE IDOLM@STER SHINY COLORS 3rdLIVE TOUR PIECE ON PLANET / FUKUOKA」Day2を配信で観ていました。先月名古屋から始まったシャイニーカラーズ3rdツアーの千秋楽です。初日からわずか2か月でレベルが大きく上がっている者が何人もいるだけでも驚くのに、この福岡公演が事実上の初登場になる「SHHis(シーズ)」が既に他のメンバーとタメを張れるパフォーマンスを見せたのに驚異を覚えます。また、ライブ終盤にはアイマス15周年記念曲「なんどでも笑おう」が。先日のミリオンライブでのイベントでも歌われたこの曲、これからシンデレラガールズやSideMのイベントも控えているので一つ一つこの曲を繋いでいってくれるのではという期待も生まれます。何よりとんでもなく熱量の高いステージに、自宅でPCの小さな画面で観ていただけなのに心底昂揚しました。
こんばんは、小島@監督です。
制約が多い中でも「強い」ものを魅せてくれる人たちを観ていると、こちらとしても元気をもらえますね。
さて、今回の映画は「ガメラ3 邪神覚醒」ドルビーシネマ版です。
1999年、鳥類学者・長峰真弓(中山忍)は赤道直下の村で発見されたギャオスの死体を調査していた。一方、沖ノ鳥島近海を調査していた深海探査船「かいこう」は、深海で「ガメラの墓場」とでも言うべき夥しいほどのガメラの骨を発見する。
奈良県に住む少女・比良坂綾奈(前田愛)と弟の悟(伊藤隆大)は4年前に発生したガメラとギャオスの戦いに巻き込まれ両親を喪い親戚の家に引き取られていた。内心にガメラへの憎悪を募らせる綾奈は、ある日、同級生から度胸試しとして古くから「柳星張」という存在がが眠るとされる洞窟でそれを封印する石を持ってくるようにそそのかされる。
1999年に製作・公開された「平成ガメラ三部作」の完結編となる作品です。ガメラシリーズ55周年を記念して昨秋から三部作がドルビーシネマ版にアップグレードされ順次劇場公開されています。
人間が怪獣を見上げるショットの多い平成ガメラ三部作は、全作を通して怪獣をいわば「厄災」として描いてきたシリーズですがこの3作目に至り「ガメラに家族を殺された少女」という存在が登場します。憎悪が物語の原動力の一つとなり、怪獣がもたらす破壊が文字通りのカタストロフィとして描かれます。また、前作「レギオン襲来」からあった黙示録的世界観がより強調されているのも特徴です。興味深いことにこの破局的な終末と向き合う人々の姿を描く物語は何もこの作品に限ったことではなくまさに世紀末かつ千年紀の終わりであった1990年代後半に、「新世紀エヴァンゲリオン」を筆頭にサブカルチャー関連では散見されていました。日本だけでなく洋画でも「アルマゲドン」(1998年)「エンド・オブ・デイズ」(1999年)やドラマ「ミレニアム」(1996~99年)などが製作されているので日本だけの現象ではなかったように思います。
ところで、この「邪神覚醒」では二十八宿や巫女の血統など東洋的というか伝奇的要素も加味されているのですが、正直ちょっと嚙み合わせが悪いというか上手く作用していないのが残念なところ。特に思わせぶりに登場する内閣官房・朝倉美都(山咲千里)とプログラマー・倉田真也(手塚とおる)の2人はやたらと悪目立ちする割には物語をちゃんと牽引できておらず、据わりの悪さを覚えます。
一方、怪獣映画としてのスペクタクルはシリーズ最高と言って過言ではないでしょう。前半の渋谷を壊滅状態に追い込むガメラとギャオスの死闘、クライマックスの当時改築されたばかりの京都駅を舞台に展開する怪獣映画史上初の屋内戦の迫力はその白眉ともいえます。昔観た時はもう少し画面が暗かったような記憶があるのですが、この辺りはドルビーシネマ版ならではなのか、より色調が豊かになったように思います。記憶違いでなければこの精彩は昔観た事のある方も結構新鮮に映るのではないでしょうか。
まさかこの半年の間に1990年代を代表するこの怪獣映画を全作スクリーンで立て続けに鑑賞できる日が来るとは思いも寄りませんでした。相変わらず新作映画が上映されにくい日々が続き、緊急事態宣言の延長によって映画館自体も休業を迫られたりと苦しい時期が続く中ですが、旧作を再発見できる機会が増えているのは決して悪いことばかりではないと信じたいですね。でも土日休業を強いられるのは正直あんまりでござる。
こんばんは、小島@監督です。
制約が多い中でも「強い」ものを魅せてくれる人たちを観ていると、こちらとしても元気をもらえますね。
さて、今回の映画は「ガメラ3 邪神覚醒」ドルビーシネマ版です。
1999年、鳥類学者・長峰真弓(中山忍)は赤道直下の村で発見されたギャオスの死体を調査していた。一方、沖ノ鳥島近海を調査していた深海探査船「かいこう」は、深海で「ガメラの墓場」とでも言うべき夥しいほどのガメラの骨を発見する。
奈良県に住む少女・比良坂綾奈(前田愛)と弟の悟(伊藤隆大)は4年前に発生したガメラとギャオスの戦いに巻き込まれ両親を喪い親戚の家に引き取られていた。内心にガメラへの憎悪を募らせる綾奈は、ある日、同級生から度胸試しとして古くから「柳星張」という存在がが眠るとされる洞窟でそれを封印する石を持ってくるようにそそのかされる。
1999年に製作・公開された「平成ガメラ三部作」の完結編となる作品です。ガメラシリーズ55周年を記念して昨秋から三部作がドルビーシネマ版にアップグレードされ順次劇場公開されています。
人間が怪獣を見上げるショットの多い平成ガメラ三部作は、全作を通して怪獣をいわば「厄災」として描いてきたシリーズですがこの3作目に至り「ガメラに家族を殺された少女」という存在が登場します。憎悪が物語の原動力の一つとなり、怪獣がもたらす破壊が文字通りのカタストロフィとして描かれます。また、前作「レギオン襲来」からあった黙示録的世界観がより強調されているのも特徴です。興味深いことにこの破局的な終末と向き合う人々の姿を描く物語は何もこの作品に限ったことではなくまさに世紀末かつ千年紀の終わりであった1990年代後半に、「新世紀エヴァンゲリオン」を筆頭にサブカルチャー関連では散見されていました。日本だけでなく洋画でも「アルマゲドン」(1998年)「エンド・オブ・デイズ」(1999年)やドラマ「ミレニアム」(1996~99年)などが製作されているので日本だけの現象ではなかったように思います。
ところで、この「邪神覚醒」では二十八宿や巫女の血統など東洋的というか伝奇的要素も加味されているのですが、正直ちょっと嚙み合わせが悪いというか上手く作用していないのが残念なところ。特に思わせぶりに登場する内閣官房・朝倉美都(山咲千里)とプログラマー・倉田真也(手塚とおる)の2人はやたらと悪目立ちする割には物語をちゃんと牽引できておらず、据わりの悪さを覚えます。
一方、怪獣映画としてのスペクタクルはシリーズ最高と言って過言ではないでしょう。前半の渋谷を壊滅状態に追い込むガメラとギャオスの死闘、クライマックスの当時改築されたばかりの京都駅を舞台に展開する怪獣映画史上初の屋内戦の迫力はその白眉ともいえます。昔観た時はもう少し画面が暗かったような記憶があるのですが、この辺りはドルビーシネマ版ならではなのか、より色調が豊かになったように思います。記憶違いでなければこの精彩は昔観た事のある方も結構新鮮に映るのではないでしょうか。
まさかこの半年の間に1990年代を代表するこの怪獣映画を全作スクリーンで立て続けに鑑賞できる日が来るとは思いも寄りませんでした。相変わらず新作映画が上映されにくい日々が続き、緊急事態宣言の延長によって映画館自体も休業を迫られたりと苦しい時期が続く中ですが、旧作を再発見できる機会が増えているのは決して悪いことばかりではないと信じたいですね。でも土日休業を強いられるのは正直あんまりでござる。
昨日富士急ハイランドコニファーフォレストで開催された「THE IDOLM@STER MILLION LIVE! 7thLIVE Q@MP FLYER!!! Reburn」を配信で観ていました。本来なら昨年開催される予定でしたがコロナ禍で延期となったイベントです。ライブタイトルに「Reburn」という言葉が後から付されているのが象徴的です。初の野外ライブということで、野外ならではの演出がふんだんに盛り込まれており映像で観ても「強い」画が次々と出てくる様に、PCの小さなモニターで観ているのがもどかしくなるほど。できれば現地で観たかったとの思いが強くなりました。
こんばんは、小島@監督です。
まだまだ気軽に遠征してライブを観に行ける日々は先になりそうです。
さて、今回の映画はしばらくぶりに配信の作品から1本。「ヒトラーを殺し、その後ビッグフットを殺した男」です。
1987年、愛犬と共に平穏に暮らす老人・カルヴィン(サム・エリオット)には秘密があった。若き日の彼はエージェントとして歴史の陰でヒトラー暗殺に成功していたのだ。しかしその事実は公になることはなく世界を変えられなかった無力感と恋人と死別し添い遂げられなかった後悔を抱えて生きてきた。
そんな男の元にある日FBIが訪れる。山林地帯で多発している殺人事件、それは「ビッグフット」と呼ばれる得体のしれない存在の仕業というのだ。しかもそれに殺された遺体は未知のウィルスで汚染されていた。このままでは病原体の感染拡大までも引き起こされてしまう。FBIはエージェントであったカルヴィンにビッグフット殲滅を依頼しに来たのだ。
勉強とか部屋の掃除とかのBGMに、音楽ではなく何か映像を流す方もいらっしゃるかと思います。私の場合、「X-FILES」とか「HAWAII FIVE-O」とかの基本1話完結のスタイルを取る海外ドラマを吹替版で流すことが多いのですが、たまにB~C級のモンスター映画にすることがあります。ぶっちゃけ真面目に見る気が無いから面白い作品である必要が無いので「時間の無駄」とかレビューされている物でも何の問題無くむしろそういうのが見たい時もあったりします。今回の映画もそうやって流し見しようとしていた1本です。
「ヒトラーを殺し、その後ビッグフットを殺した男」なんてどう贔屓目に見ても頭が悪いとしか言いようがないこのタイトルで、しかし描かれているのは積年の後悔を抱きながら生き続けた男の晩節を描いた哀歌だと誰が想像できましょうか。ちょっとウキウキしながらアホ映画かけようとしてたんですよ、私。率直に言ってタイトルに「ビッグフット」が入ってる作品は基本クソ映画です。ええ、何ならAmazonプライムでもNETFLIXでも適当に検索をかけてみてください。きっと偏頭痛がします。だというのに、まさかこんなヘドロじみたところに一粒の金が眠っていようとは。
この主人公カルヴィンを演じたのはサム・エリオット。1960年代の終わりから現在に至るまで映画やドラマに出演を続ける名優で、2018年には「アリー/スター誕生」でアカデミー賞助演男優賞に初ノミネートされました。また、製作総指揮を担ったダグラス・トランブルは「2001年宇宙の旅」や「未知との遭遇」のVFXを手掛けデジタル・エフェクトのパイオニアとされるレジェンド的人物です。キャストもスタッフもこの珍奇なタイトルからは想像もつかない渋く重厚な布陣です。
表情一つ、所作一つに哀切が滲むサム・エリオットの演技を骨太なカメラワークとBGMが支えます。タイトル通りちゃんとヒトラーは出ます。ビッグフットも出ます。ですが、実は思いのほかアクションシーンは少ない映画です。70代後半のサム・エリオットに激しいアクションは難しい、というのもあったでしょうが描くべきは老いた男が自身の矜持を懸けて最後の戦いに臨む姿そのものであり、どう戦ったかは最小限で十分だからでしょう。ラストシーンが醸し出す余韻の深さにはちょっと胸にこみあげるものがありました。
ハリウッドメジャーな作品や文学映画だけを追っていては決して目に留まることの無い場所にありながら、ボンクラ映画を観たい向きには本気過ぎてそっぽを向かれてしまう、映画と言う広大な海の中でポツンと存在する孤島のような1本です。しかしそこで消えていってしまうにはあまりに惜しい魅力に満ちていて、映画が持つ魔法の不思議さに驚かされます。これぞ怪作。完全に油断していました。Amazonプライムなどで観ることができますので、この私のブログを読んでちょっとでも気になってくださった方は是非トライしてみて欲しいですね。
こんばんは、小島@監督です。
まだまだ気軽に遠征してライブを観に行ける日々は先になりそうです。
さて、今回の映画はしばらくぶりに配信の作品から1本。「ヒトラーを殺し、その後ビッグフットを殺した男」です。
1987年、愛犬と共に平穏に暮らす老人・カルヴィン(サム・エリオット)には秘密があった。若き日の彼はエージェントとして歴史の陰でヒトラー暗殺に成功していたのだ。しかしその事実は公になることはなく世界を変えられなかった無力感と恋人と死別し添い遂げられなかった後悔を抱えて生きてきた。
そんな男の元にある日FBIが訪れる。山林地帯で多発している殺人事件、それは「ビッグフット」と呼ばれる得体のしれない存在の仕業というのだ。しかもそれに殺された遺体は未知のウィルスで汚染されていた。このままでは病原体の感染拡大までも引き起こされてしまう。FBIはエージェントであったカルヴィンにビッグフット殲滅を依頼しに来たのだ。
勉強とか部屋の掃除とかのBGMに、音楽ではなく何か映像を流す方もいらっしゃるかと思います。私の場合、「X-FILES」とか「HAWAII FIVE-O」とかの基本1話完結のスタイルを取る海外ドラマを吹替版で流すことが多いのですが、たまにB~C級のモンスター映画にすることがあります。ぶっちゃけ真面目に見る気が無いから面白い作品である必要が無いので「時間の無駄」とかレビューされている物でも何の問題無くむしろそういうのが見たい時もあったりします。今回の映画もそうやって流し見しようとしていた1本です。
「ヒトラーを殺し、その後ビッグフットを殺した男」なんてどう贔屓目に見ても頭が悪いとしか言いようがないこのタイトルで、しかし描かれているのは積年の後悔を抱きながら生き続けた男の晩節を描いた哀歌だと誰が想像できましょうか。ちょっとウキウキしながらアホ映画かけようとしてたんですよ、私。率直に言ってタイトルに「ビッグフット」が入ってる作品は基本クソ映画です。ええ、何ならAmazonプライムでもNETFLIXでも適当に検索をかけてみてください。きっと偏頭痛がします。だというのに、まさかこんなヘドロじみたところに一粒の金が眠っていようとは。
この主人公カルヴィンを演じたのはサム・エリオット。1960年代の終わりから現在に至るまで映画やドラマに出演を続ける名優で、2018年には「アリー/スター誕生」でアカデミー賞助演男優賞に初ノミネートされました。また、製作総指揮を担ったダグラス・トランブルは「2001年宇宙の旅」や「未知との遭遇」のVFXを手掛けデジタル・エフェクトのパイオニアとされるレジェンド的人物です。キャストもスタッフもこの珍奇なタイトルからは想像もつかない渋く重厚な布陣です。
表情一つ、所作一つに哀切が滲むサム・エリオットの演技を骨太なカメラワークとBGMが支えます。タイトル通りちゃんとヒトラーは出ます。ビッグフットも出ます。ですが、実は思いのほかアクションシーンは少ない映画です。70代後半のサム・エリオットに激しいアクションは難しい、というのもあったでしょうが描くべきは老いた男が自身の矜持を懸けて最後の戦いに臨む姿そのものであり、どう戦ったかは最小限で十分だからでしょう。ラストシーンが醸し出す余韻の深さにはちょっと胸にこみあげるものがありました。
ハリウッドメジャーな作品や文学映画だけを追っていては決して目に留まることの無い場所にありながら、ボンクラ映画を観たい向きには本気過ぎてそっぽを向かれてしまう、映画と言う広大な海の中でポツンと存在する孤島のような1本です。しかしそこで消えていってしまうにはあまりに惜しい魅力に満ちていて、映画が持つ魔法の不思議さに驚かされます。これぞ怪作。完全に油断していました。Amazonプライムなどで観ることができますので、この私のブログを読んでちょっとでも気になってくださった方は是非トライしてみて欲しいですね。
先日の話になりますが、トランペット奏者・数原晋さんの訃報が流れてきました。
スタジオミュージシャンとして長く活躍されてきた方で、ジャンルを問わず、それこそクレジットされていないものまで含めると数え切れないほどの作品に関わってきた方です。有名な所だけでも「金曜ロードショー」の初代オープニングだった「フライデー・ナイト・ファンタジー」や「必殺仕事人」のテーマ、「ルパン三世のテーマ」、「天空の城ラピュタ」でのパズーの吹くトランペット「ハトと少年」、「ONE PIECE」や「さよなら絶望先生」などの劇判にも参加していたのでほとんどの方がそれと知らずともその音色を耳にしているはずです。
また一人、偉大な方が世を去っていきました。謹んでご冥福をお祈りします。
こんばんは、小島@監督です。
先週の「金曜ロードショー」では追悼と感謝の意味を込めて初代オープニングを復刻して放送されました。私としてはあれを聴いて育った、というか自分にとっての「映画」の原体験を象徴する曲でもあるのでやっぱり落ち着けるものがありますね。
さて、今回の映画は「るろうに剣心 最終章 The Final」です。
幕末の動乱の中で「人斬り抜刀斎」と呼ばれる志士がいた。新時代・明治を迎えその男・緋村剣心(佐藤健)は二度と人を斬らないことを誓い、刀を逆刃刀に持ち替え不殺の流浪人として市井の人々を護るために剣を振るう。
1879年、今は東京・神谷道場に身を寄せる剣心は日本転覆を目論む志々雄一派との死闘を終え、師範代・神谷薫(武井咲)や喧嘩屋・相楽左之助(青木崇高)らと共に穏やかな日々を過ごしていた。
元新撰組であり今は内務省警視局に勤める斎藤一(江口洋介)は志々雄一派に甲鉄艦を手配した武器商人の情報を得て横浜に来ていた。その男・雪代縁は斎藤を認めると不敵な笑みを浮かべて一つの質問を投げた。
「緋村抜刀斎の左頬に、十字傷はまだあるか?」
2012年に公開された実写映画版「るろうに剣心」は、興行的にも高い評価を収めその後2014年に原作の京都編に当たるエピソードを「京都大火編」「伝説の最期編」の二部作として製作、連続公開されました。それから7年、いよいよ原作の最終章に当たる「人誅編」と「追憶編」が映画化されます。本来は昨年の同時期に公開の予定でしたがコロナ禍を受けて1年延期に。時間ができたからなのか、映像と音声をアップグレードしたIMAX版も同時に公開となりました。
原作では「人誅編」の最中に「追憶編」が組み込まれ、その後「人誅編」の完結へと向かうのですが、映画版では「The Final」として人誅編を先に最後まで見せ、その後に「The Beginning」として追憶編を見せる構成を取っています。
その「The Final」は、物語の熱量とアクションのキレが高いレベルで融合した、見事なエンターテインメントに仕上がっています。アクション監督・谷垣健治が仕掛ける、いわゆる時代劇的なチャンバラとは大きく一線を画す剣戟アクションは更にアイディアとスケールが上がり、邦画でここまでの物が観られるのかという驚きがあります。
第1作を撮影した際はさすがにここまで製作できるようになるとは考えていなかったでしょう、原作では人誅編に登場する戌亥番神と外印が映画版では1作目に既に登場してしまっているため、登場人物にいくらかの変更が施されていますが、基本的なストーリーラインは原作と大きく離れてはいません。むしろ漫画でしかやれない部分を上手くオミットして構成したなという印象です。結果的にメインキャラでもモブみたいな扱いになってしまっている人もいて収まりが悪く感じる部分もありますが、「縁の剣心への復讐」という骨格がガッチリしているのでさほど不格好ということはありません。
また、コロナ禍が治まり切らない「今」観ているからこその感慨として、とにかくその「画」の強さが上げられます。明治の東京の街をセットで構築し多くのエキストラを動員して撮影するそのスケール、恐らく今はやりたくてもやれないことではないでしょうか。手間も人も惜しまずに作り上げた映画だけが為しうるダイナミズムをこの作品は持っています。本来であればこれは感慨など覚えなくても良いはずの箇所であり、またともすれば今後数年は断絶されてしまいそうな技術の結集でもある作り上げられた画の強さに、ある種の切なさのような感慨を覚えずにはいられません。
作中回想シーンで僅かに登場する剣心の妻・雪代巴を演じる有村架純の佇まいが実に美しく、彼女がヒロインとなる「The Beginning」への期待を否が応にも高めてくれます。結末を先に持ってきたことで最終作となる次作にも何かしらの「仕掛け」があるのではないか?という期待もありますね。
緊急事態宣言の発令区域が更に拡大されていく中で映画館への逆風もまた強くなりつつありますが、これからしばらくは難しくなりそうなスケール感を持って製作された「るろうに剣心 最終章」、上映されるエリアに居るファンたちには是非とも盛り上げてほしい1本ですね。
スタジオミュージシャンとして長く活躍されてきた方で、ジャンルを問わず、それこそクレジットされていないものまで含めると数え切れないほどの作品に関わってきた方です。有名な所だけでも「金曜ロードショー」の初代オープニングだった「フライデー・ナイト・ファンタジー」や「必殺仕事人」のテーマ、「ルパン三世のテーマ」、「天空の城ラピュタ」でのパズーの吹くトランペット「ハトと少年」、「ONE PIECE」や「さよなら絶望先生」などの劇判にも参加していたのでほとんどの方がそれと知らずともその音色を耳にしているはずです。
また一人、偉大な方が世を去っていきました。謹んでご冥福をお祈りします。
こんばんは、小島@監督です。
先週の「金曜ロードショー」では追悼と感謝の意味を込めて初代オープニングを復刻して放送されました。私としてはあれを聴いて育った、というか自分にとっての「映画」の原体験を象徴する曲でもあるのでやっぱり落ち着けるものがありますね。
さて、今回の映画は「るろうに剣心 最終章 The Final」です。
幕末の動乱の中で「人斬り抜刀斎」と呼ばれる志士がいた。新時代・明治を迎えその男・緋村剣心(佐藤健)は二度と人を斬らないことを誓い、刀を逆刃刀に持ち替え不殺の流浪人として市井の人々を護るために剣を振るう。
1879年、今は東京・神谷道場に身を寄せる剣心は日本転覆を目論む志々雄一派との死闘を終え、師範代・神谷薫(武井咲)や喧嘩屋・相楽左之助(青木崇高)らと共に穏やかな日々を過ごしていた。
元新撰組であり今は内務省警視局に勤める斎藤一(江口洋介)は志々雄一派に甲鉄艦を手配した武器商人の情報を得て横浜に来ていた。その男・雪代縁は斎藤を認めると不敵な笑みを浮かべて一つの質問を投げた。
「緋村抜刀斎の左頬に、十字傷はまだあるか?」
2012年に公開された実写映画版「るろうに剣心」は、興行的にも高い評価を収めその後2014年に原作の京都編に当たるエピソードを「京都大火編」「伝説の最期編」の二部作として製作、連続公開されました。それから7年、いよいよ原作の最終章に当たる「人誅編」と「追憶編」が映画化されます。本来は昨年の同時期に公開の予定でしたがコロナ禍を受けて1年延期に。時間ができたからなのか、映像と音声をアップグレードしたIMAX版も同時に公開となりました。
原作では「人誅編」の最中に「追憶編」が組み込まれ、その後「人誅編」の完結へと向かうのですが、映画版では「The Final」として人誅編を先に最後まで見せ、その後に「The Beginning」として追憶編を見せる構成を取っています。
その「The Final」は、物語の熱量とアクションのキレが高いレベルで融合した、見事なエンターテインメントに仕上がっています。アクション監督・谷垣健治が仕掛ける、いわゆる時代劇的なチャンバラとは大きく一線を画す剣戟アクションは更にアイディアとスケールが上がり、邦画でここまでの物が観られるのかという驚きがあります。
第1作を撮影した際はさすがにここまで製作できるようになるとは考えていなかったでしょう、原作では人誅編に登場する戌亥番神と外印が映画版では1作目に既に登場してしまっているため、登場人物にいくらかの変更が施されていますが、基本的なストーリーラインは原作と大きく離れてはいません。むしろ漫画でしかやれない部分を上手くオミットして構成したなという印象です。結果的にメインキャラでもモブみたいな扱いになってしまっている人もいて収まりが悪く感じる部分もありますが、「縁の剣心への復讐」という骨格がガッチリしているのでさほど不格好ということはありません。
また、コロナ禍が治まり切らない「今」観ているからこその感慨として、とにかくその「画」の強さが上げられます。明治の東京の街をセットで構築し多くのエキストラを動員して撮影するそのスケール、恐らく今はやりたくてもやれないことではないでしょうか。手間も人も惜しまずに作り上げた映画だけが為しうるダイナミズムをこの作品は持っています。本来であればこれは感慨など覚えなくても良いはずの箇所であり、またともすれば今後数年は断絶されてしまいそうな技術の結集でもある作り上げられた画の強さに、ある種の切なさのような感慨を覚えずにはいられません。
作中回想シーンで僅かに登場する剣心の妻・雪代巴を演じる有村架純の佇まいが実に美しく、彼女がヒロインとなる「The Beginning」への期待を否が応にも高めてくれます。結末を先に持ってきたことで最終作となる次作にも何かしらの「仕掛け」があるのではないか?という期待もありますね。
緊急事態宣言の発令区域が更に拡大されていく中で映画館への逆風もまた強くなりつつありますが、これからしばらくは難しくなりそうなスケール感を持って製作された「るろうに剣心 最終章」、上映されるエリアに居るファンたちには是非とも盛り上げてほしい1本ですね。