「ウマ娘」の影響か、せいぜいG1レースくらいとは言え時折競馬中継を観るようになりました。昨日もジャパンカップ観てたのですが、コントレイルの圧巻のラストランに鳥肌。レース後の福永騎手も厩務員の方もボロ泣きしてる様にこちらももらい泣き。いや~凄いものが観れました。
こんばんは、小島@監督です。
なお、馬券は買ってません。ただ観てただけです。
さて、昨日と一昨日開催された「THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS 10th ANNIVERSARY M@GICAL WONDERLAND TOUR!!! 千葉公演」両日を配信で観てました。ホントは現地で観たくて休みまで取ってたのですが哀しいかなチケット取れませんでしたよ(苦笑)悔しかったので腹いせもかねて初日は太陽さんで食事しながら観てました。
シンデレラガールズは丁度昨日で10周年。ということでライブタイトルも「Celebration Land」と銘打ち、アニバーサリーに相応しい祝祭ムードに満ちたセットリストになっていました。両日共に直近に発表された曲だけでなく作品の初期を彩った「とどけ!アイドル」や「あんずのうた」「花簪」と言った楽曲も配されていたのが初期から観てた身としては嬉しいところ。
出演者が各日で少しずつ入れ替わっており、それに合わせてセットリストも相当数変更してくる構成を採った今回のライブ。Day1では何より鷺沢文香役M・A・Oさんが出演してくれていたのが大きいです。かなり早い段階からキャスティングされていた方であり毎年の総選挙の常連でもある(何なら今年は遂に1位を獲得した)くらいに人気キャラクターなのですが、当人が売れっ子なのと様々な大人の事情も絡んで今まで全く大型イベントの出演が叶わなかった方で、満を持しての登場に自担でなくとも現地で目撃したい方でした。そしてその10年分の期待にしっかり応えてくれるパフォーマンスに痺れましたね。
Day2では今年キャストが発表された西園寺琴歌役安齋由香里さん、浅利七海役井上ほの花さん、八神マキノ役二ノ宮ゆいさんが登場。ある意味Day1とは対になっている出演者とも言えますね。3人ともデレマスとしてはこれが初ステージで何とも初々しい感じが良いですね。という反面、初っ端からかなり難しい曲をあてがわれる無茶ぶりにもちゃんと応える辺り、なかなか先が楽しみです。
両日共に、というかどうやらこの10thツアーの大きな特徴としてこれまでユニットの曲として歌うメンバーが固定されていた楽曲を一部あるいは全員入れ替えることで新しいハーモニーとグルーヴを生み出してみせた点です。ある種の温故知新とでも言いましょうか、良く知った楽曲達の新しい一面を存分に魅せてくれました。正直現地勢している方たちを心底羨ましいと思いましたね。
10周年を盛大に祝い新しい門出をイメージさせるセットリストが多く並ぶ中で、Day1では島村卯月役大橋彩香さんのソロによる「きみのそばでずっと」、Day2では最初期からのメンバー6人での「ススメ☆オトメ」が披露され、10年という時間に寄り添ってみせたのも心憎いばかり。初めてステージに立つ者だけが持ちうるもの、10年間演じて来た者だけが持ちうるもの、両者が共存するからこそなし得るシンデレラガールズならではの魅力を満喫できるステージになっていました。
ライブ終盤には10周年記念として190人のキャラクター全員(!)が登場するアニメの製作が発表され、まだまだこのタイトルには楽しませてもらえそうです。行けるところまでは私も付き合っちゃいますよ。
…しかしやっぱり今回は現地で観たかったなぁ……
こんばんは、小島@監督です。
なお、馬券は買ってません。ただ観てただけです。
さて、昨日と一昨日開催された「THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS 10th ANNIVERSARY M@GICAL WONDERLAND TOUR!!! 千葉公演」両日を配信で観てました。ホントは現地で観たくて休みまで取ってたのですが哀しいかなチケット取れませんでしたよ(苦笑)悔しかったので腹いせもかねて初日は太陽さんで食事しながら観てました。
シンデレラガールズは丁度昨日で10周年。ということでライブタイトルも「Celebration Land」と銘打ち、アニバーサリーに相応しい祝祭ムードに満ちたセットリストになっていました。両日共に直近に発表された曲だけでなく作品の初期を彩った「とどけ!アイドル」や「あんずのうた」「花簪」と言った楽曲も配されていたのが初期から観てた身としては嬉しいところ。
出演者が各日で少しずつ入れ替わっており、それに合わせてセットリストも相当数変更してくる構成を採った今回のライブ。Day1では何より鷺沢文香役M・A・Oさんが出演してくれていたのが大きいです。かなり早い段階からキャスティングされていた方であり毎年の総選挙の常連でもある(何なら今年は遂に1位を獲得した)くらいに人気キャラクターなのですが、当人が売れっ子なのと様々な大人の事情も絡んで今まで全く大型イベントの出演が叶わなかった方で、満を持しての登場に自担でなくとも現地で目撃したい方でした。そしてその10年分の期待にしっかり応えてくれるパフォーマンスに痺れましたね。
Day2では今年キャストが発表された西園寺琴歌役安齋由香里さん、浅利七海役井上ほの花さん、八神マキノ役二ノ宮ゆいさんが登場。ある意味Day1とは対になっている出演者とも言えますね。3人ともデレマスとしてはこれが初ステージで何とも初々しい感じが良いですね。という反面、初っ端からかなり難しい曲をあてがわれる無茶ぶりにもちゃんと応える辺り、なかなか先が楽しみです。
両日共に、というかどうやらこの10thツアーの大きな特徴としてこれまでユニットの曲として歌うメンバーが固定されていた楽曲を一部あるいは全員入れ替えることで新しいハーモニーとグルーヴを生み出してみせた点です。ある種の温故知新とでも言いましょうか、良く知った楽曲達の新しい一面を存分に魅せてくれました。正直現地勢している方たちを心底羨ましいと思いましたね。
10周年を盛大に祝い新しい門出をイメージさせるセットリストが多く並ぶ中で、Day1では島村卯月役大橋彩香さんのソロによる「きみのそばでずっと」、Day2では最初期からのメンバー6人での「ススメ☆オトメ」が披露され、10年という時間に寄り添ってみせたのも心憎いばかり。初めてステージに立つ者だけが持ちうるもの、10年間演じて来た者だけが持ちうるもの、両者が共存するからこそなし得るシンデレラガールズならではの魅力を満喫できるステージになっていました。
ライブ終盤には10周年記念として190人のキャラクター全員(!)が登場するアニメの製作が発表され、まだまだこのタイトルには楽しませてもらえそうです。行けるところまでは私も付き合っちゃいますよ。
…しかしやっぱり今回は現地で観たかったなぁ……
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先週木曜日に解禁となったボジョレー・ヌーヴォー、今年のフランス・ボジョレー地区は春先から遅霜、長雨、日照不足とずっと天候に悩まされ続けていました。収量減と収穫の遅れに加えてコロナ禍で引き続く航空輸送の減便が重なって、「そもそもちゃんと解禁日までに輸入できるのか?」という危惧との戦いになりました。どうにか無事に解禁を迎えられて心底ホッとしています。ようやくこれで激務の要因が一つ消えたわ!
こんばんは、小島@監督です。
面白いもので、生産者や醸造家たちはブドウの収穫に苦戦した時ほどワインの醸造を頑張ってしまうらしく、試飲してみたら去年よりどっしりと骨太な感じがして美味しいです。昨年の味を知っていると今年の味わいには結構驚かされるんじゃないでしょうか。
さて、今回の映画は「テン・ゴーカイジャー」です。
海賊戦隊ゴーカイジャーが宇宙帝国ザンギャックの野望を打ち砕いてから10年後、地球では残されたレンジャー・キーを利用しての公営ギャンブル「スーパー戦隊ダービーコロッセオ」が大流行していた。
地球を訪れたキャプテン・マーベラス(小澤亮太)は、かつて地球を救ったヒーローたちを賭けの対象にするダービーコロッセオに公然と反対、運営責任者である国防大臣(山崎潤)たちに挑戦状をたたきつける。レンジャー・キーの総取りを賭けたダービーコロッセオでの100人抜き勝負。変身もせぬまま次々とレンジャー・キーの戦士たちを討ち果たしていくマーベラス。99人を打倒した彼の前に現れた最後のひとりは、かつて共に戦った地球人・伊狩鎧(池田純矢)であった。
2011年2月から1年間にわたって放送された「海賊戦隊ゴーカイジャー」、その放送10周年を記念して製作されたVシネが期間限定で公開中です。キャストだけでなくスタッフも、どころかスーツアクターたちも当時の主要メンバーが再集結して製作されました。スーパー戦隊シリーズには「10YEARS AFTER」というヒーローたちの「その後」を描いた作品が数本製作されており、その系譜に連なる作品と言えるでしょう。余談ですが、その潮流のきっかけとなった「忍風戦隊カクレンジャー 10 YEARS AFTER」(2013年製作)は当時の出演者たちが主導となって企画を立ち上げた1本だそうです。
「海賊戦隊ゴーカイジャー」は、スーパー戦隊シリーズ35作目を記念した作品で、それまでの34作品全てとクロスオーバーする構成と個性的な性格付けのゴーカイジャーのメンバーたちが織りなすドラマが相まって高い評価を受け、関連商品の売り上げもシリーズ最高額(当時)を記録しました。今回の「テン・ゴーカイジャー」もそれほど大きくない公開規模ながら初週の興行成績で9位に躍り出るなど根強い支持を受けていることが伺えます。
「派手に行くぜ!」がキャッチコピーだった作品の続編だけあり、せっかくの同窓会的な作品を盛り上げようとするアイディアを60分という上映時間の中にこれでもかと盛り込まれた逸品です。基本が短期間・低予算で作られるVシネのためどうしても映像にスケール感に欠ける部分があるのは否めませんが、そこを工夫と手数でカバーして迫力を見せています。
レギュラー出演陣が皆この10年間の経験をちょっとずつ持ち寄ってるように見えるのも楽しいところ。特に今では大ブレイクを果たし「名優」の領域に足を踏み入れつつある山田裕貴が自身のデビュー作であり原点ともいえるゴーカイブルー/ジョー・ギブケン役を今のオーラをまとって演じてくれているのが嬉しいですね。
サブキャラクターにもゴーカイジャーでナレーションを務めた関智一が顔出しで出演していたり宿敵バスコ・ダ・ジョロキアを演じた細貝圭が似たような名前の人物で登場したりするほか、吉田メタル、松原剛志、坂田梨香子など東映特撮に縁のある俳優陣が出演しています。端役で登場している人も過去に何かしらの形でスーパー戦隊か仮面ライダーに出演している方がほとんどだそうなので、自信のある人は探してみるのも楽しいでしょう。
連日の残業で体に疲れが溜まっていたので短めの上映時間で深く考えなくていいエンタメが観たい、という自分の希望に上手い具合にハマりました。さっくり観られる映画が観たい時というのもあったりするもの。もちろんゴーカイジャーに思い入れのある方はこの同窓会に是非参加してあげてください。こういうのは最後はファンが観てこそ完成する1本です。間を置かずBlu-rayでもリリースされますが、せっかくなら劇場でどうぞ。
こんばんは、小島@監督です。
面白いもので、生産者や醸造家たちはブドウの収穫に苦戦した時ほどワインの醸造を頑張ってしまうらしく、試飲してみたら去年よりどっしりと骨太な感じがして美味しいです。昨年の味を知っていると今年の味わいには結構驚かされるんじゃないでしょうか。
さて、今回の映画は「テン・ゴーカイジャー」です。
海賊戦隊ゴーカイジャーが宇宙帝国ザンギャックの野望を打ち砕いてから10年後、地球では残されたレンジャー・キーを利用しての公営ギャンブル「スーパー戦隊ダービーコロッセオ」が大流行していた。
地球を訪れたキャプテン・マーベラス(小澤亮太)は、かつて地球を救ったヒーローたちを賭けの対象にするダービーコロッセオに公然と反対、運営責任者である国防大臣(山崎潤)たちに挑戦状をたたきつける。レンジャー・キーの総取りを賭けたダービーコロッセオでの100人抜き勝負。変身もせぬまま次々とレンジャー・キーの戦士たちを討ち果たしていくマーベラス。99人を打倒した彼の前に現れた最後のひとりは、かつて共に戦った地球人・伊狩鎧(池田純矢)であった。
2011年2月から1年間にわたって放送された「海賊戦隊ゴーカイジャー」、その放送10周年を記念して製作されたVシネが期間限定で公開中です。キャストだけでなくスタッフも、どころかスーツアクターたちも当時の主要メンバーが再集結して製作されました。スーパー戦隊シリーズには「10YEARS AFTER」というヒーローたちの「その後」を描いた作品が数本製作されており、その系譜に連なる作品と言えるでしょう。余談ですが、その潮流のきっかけとなった「忍風戦隊カクレンジャー 10 YEARS AFTER」(2013年製作)は当時の出演者たちが主導となって企画を立ち上げた1本だそうです。
「海賊戦隊ゴーカイジャー」は、スーパー戦隊シリーズ35作目を記念した作品で、それまでの34作品全てとクロスオーバーする構成と個性的な性格付けのゴーカイジャーのメンバーたちが織りなすドラマが相まって高い評価を受け、関連商品の売り上げもシリーズ最高額(当時)を記録しました。今回の「テン・ゴーカイジャー」もそれほど大きくない公開規模ながら初週の興行成績で9位に躍り出るなど根強い支持を受けていることが伺えます。
「派手に行くぜ!」がキャッチコピーだった作品の続編だけあり、せっかくの同窓会的な作品を盛り上げようとするアイディアを60分という上映時間の中にこれでもかと盛り込まれた逸品です。基本が短期間・低予算で作られるVシネのためどうしても映像にスケール感に欠ける部分があるのは否めませんが、そこを工夫と手数でカバーして迫力を見せています。
レギュラー出演陣が皆この10年間の経験をちょっとずつ持ち寄ってるように見えるのも楽しいところ。特に今では大ブレイクを果たし「名優」の領域に足を踏み入れつつある山田裕貴が自身のデビュー作であり原点ともいえるゴーカイブルー/ジョー・ギブケン役を今のオーラをまとって演じてくれているのが嬉しいですね。
サブキャラクターにもゴーカイジャーでナレーションを務めた関智一が顔出しで出演していたり宿敵バスコ・ダ・ジョロキアを演じた細貝圭が似たような名前の人物で登場したりするほか、吉田メタル、松原剛志、坂田梨香子など東映特撮に縁のある俳優陣が出演しています。端役で登場している人も過去に何かしらの形でスーパー戦隊か仮面ライダーに出演している方がほとんどだそうなので、自信のある人は探してみるのも楽しいでしょう。
連日の残業で体に疲れが溜まっていたので短めの上映時間で深く考えなくていいエンタメが観たい、という自分の希望に上手い具合にハマりました。さっくり観られる映画が観たい時というのもあったりするもの。もちろんゴーカイジャーに思い入れのある方はこの同窓会に是非参加してあげてください。こういうのは最後はファンが観てこそ完成する1本です。間を置かずBlu-rayでもリリースされますが、せっかくなら劇場でどうぞ。
職場から目と鼻の先にあるローソンが、何故か3週間ほど臨時休業に。最寄駅から通勤経路を外れずに行けるコンビニは唯一ここだけで、これが思った以上に私を含めた職場の人間のモチベーションにダメージ。ちょっと足を伸ばすか大回りすれば他に何か所もコンビニはあるのですが、便利さには勝てないものですね(苦笑)
こんばんは、小島@監督です。
とは言え残業が立て込んだ帰りがけにLチキやからあげクンを買い食いするのが常だったので、それができないとちょっと調子が狂います。
さて、今回の映画は「DUNE/デューン 砂の惑星」です。
人類が地球圏外にまで進出した西暦10190年。公爵家アトレイデスの息子ポール(ティモシー・シャラメ)は、奇妙な夢を見ていた。遠い砂漠の惑星で一人の少女と出会い、そして大きな戦いに巻き込まれるのだ。
その頃ポールの父レト(オスカー・アイザック)は宇宙帝国の皇帝から「デューン」と通称される惑星アラキスへの移住を命じられた。アラキスでは人間の思考能力を伸ばす物質「メランジ」が生産されていた。その管理権は長年ハルコンネン男爵(ステラン・スカルスガルド)が有していたが国替えが行われることになったのだ。しかしアラキスでは自由の民フレメン族が度々蜂起を繰り返し不安定な政情におかれていた。
それは民からの敬愛を集め勢力を伸ばしつつあるアトレイデス家を失墜させようと皇帝とハルコンネン男爵が仕組んだ罠だった。陰謀によってポールは全宇宙から命を狙われることになってしまう。
「スタートレック」や「スターウォーズ」など後進に与えた影響が計り知れず、「史上最も影響力のあるSF小説の一つ」と言われるフランク・ハーバートの大河SF小説シリーズ「デューン砂の惑星」は、同時に映像化が困難な作品として知られています。かつては1970年代にアレハンドロ・ホドロフスキーが映画化に挑むも製作費が高騰し続け中止に追い込まれ(この時の経緯や後進への影響は2013年に「ホドロフスキーのDUNE」としてドキュメンタリー映画としてまとめられた)、塩漬けになったプロジェクトを一度はリドリー・スコットが受け継ぐも頓挫し、最終的にデヴィッド・リンチが1984年に映画化するも大幅にスケールダウンされた出来栄えに惨憺たる評価を受けました。余談ですがホドロフスキーは結果的に自分の企画を取り上げられてひどく沈んだ気持ちでリンチ版を観に行ったそうですが、出来栄えのあまりのひどさに観ててだんだん元気になったそうです(笑)。それなりに高い評価を得たのは映像技術の進歩を受け2000年に製作されその後2003年に続編も作られたTVシリーズくらいでしょう。
そんな難攻不落に挑むのは、「メッセージ」や「ブレードランナー2049」を成功させた現代SF映画の旗手ドゥニ・ヴィルヌーヴ。彼ならではの深い造詣と洞察によって、遂にスクリーンに負けないスケールの映画が出来上がりました。
「異次元の映像体験」的なうたい文句が躍る映画ですが、ヴィルヌーヴ作品をそれなりに観ていると彼の映像センスの集大成という印象の方が強いです。銃弾以上に速い攻撃を無効化する武装「シールド」の発達により、再び日の目を見るようになった剣術による戦闘シーンや、羽ばたき飛行機械オーニソプターなど初めて観る方でもどこかで既視感を覚える映像やガジェットが散見されるのではないでしょうか。
しかしこの映画にもし未見性を求めるならそれは細かな部分よりも全体の語り口そのものにあるでしょう。実は筋立てそのものはいささか抑揚に欠ける部分があり、ちょっとのっぺりしているのですが、1カット1カットの画が強いのです。映像の力が強い分、語る言葉は少なめになっているため小説を読むようなつもりで行ったら絵画かあるいは難解な散文詩だったくらいのギャップがあります。受動的に物語を牽引してもらおうとすると簡単に振り落とされ155分の上映時間を長くつまらないものに感じてしまうでしょう。なるほど公開からこっち賛否両論あるのも分かる気がします。ですがこちらも「せっかくだから浴びるくらい満喫してやるわ! 」くらいのつもりで行けばこれほど没入度の高い作品もなかなか無いです。
観始めると分かりますが原題には小さく「part one」とあり、実は2部作として企画された作品です。ですので今作では結構いいところでいわゆる「俺たちの戦いはこれからだ」みたいなエンディングを迎えます。かと言って一気に2本分撮り上げたわけではなく続編の製作そのものは先頃ようやくGOサインが出てこれから始まるようで、少し間を置いて2023年の公開を予定しているそうです。ちょっと待ちぼうけを食らう格好になりますがこの出来栄えを観ると完結編となる次作の公開も期待出来ると言うものでしょう。
比類なきこの映像詩、観るならスクリーン一択です。公開も終盤に差し掛かっていますので、まだの方は是非映画館へ。
こんばんは、小島@監督です。
とは言え残業が立て込んだ帰りがけにLチキやからあげクンを買い食いするのが常だったので、それができないとちょっと調子が狂います。
さて、今回の映画は「DUNE/デューン 砂の惑星」です。
人類が地球圏外にまで進出した西暦10190年。公爵家アトレイデスの息子ポール(ティモシー・シャラメ)は、奇妙な夢を見ていた。遠い砂漠の惑星で一人の少女と出会い、そして大きな戦いに巻き込まれるのだ。
その頃ポールの父レト(オスカー・アイザック)は宇宙帝国の皇帝から「デューン」と通称される惑星アラキスへの移住を命じられた。アラキスでは人間の思考能力を伸ばす物質「メランジ」が生産されていた。その管理権は長年ハルコンネン男爵(ステラン・スカルスガルド)が有していたが国替えが行われることになったのだ。しかしアラキスでは自由の民フレメン族が度々蜂起を繰り返し不安定な政情におかれていた。
それは民からの敬愛を集め勢力を伸ばしつつあるアトレイデス家を失墜させようと皇帝とハルコンネン男爵が仕組んだ罠だった。陰謀によってポールは全宇宙から命を狙われることになってしまう。
「スタートレック」や「スターウォーズ」など後進に与えた影響が計り知れず、「史上最も影響力のあるSF小説の一つ」と言われるフランク・ハーバートの大河SF小説シリーズ「デューン砂の惑星」は、同時に映像化が困難な作品として知られています。かつては1970年代にアレハンドロ・ホドロフスキーが映画化に挑むも製作費が高騰し続け中止に追い込まれ(この時の経緯や後進への影響は2013年に「ホドロフスキーのDUNE」としてドキュメンタリー映画としてまとめられた)、塩漬けになったプロジェクトを一度はリドリー・スコットが受け継ぐも頓挫し、最終的にデヴィッド・リンチが1984年に映画化するも大幅にスケールダウンされた出来栄えに惨憺たる評価を受けました。余談ですがホドロフスキーは結果的に自分の企画を取り上げられてひどく沈んだ気持ちでリンチ版を観に行ったそうですが、出来栄えのあまりのひどさに観ててだんだん元気になったそうです(笑)。それなりに高い評価を得たのは映像技術の進歩を受け2000年に製作されその後2003年に続編も作られたTVシリーズくらいでしょう。
そんな難攻不落に挑むのは、「メッセージ」や「ブレードランナー2049」を成功させた現代SF映画の旗手ドゥニ・ヴィルヌーヴ。彼ならではの深い造詣と洞察によって、遂にスクリーンに負けないスケールの映画が出来上がりました。
「異次元の映像体験」的なうたい文句が躍る映画ですが、ヴィルヌーヴ作品をそれなりに観ていると彼の映像センスの集大成という印象の方が強いです。銃弾以上に速い攻撃を無効化する武装「シールド」の発達により、再び日の目を見るようになった剣術による戦闘シーンや、羽ばたき飛行機械オーニソプターなど初めて観る方でもどこかで既視感を覚える映像やガジェットが散見されるのではないでしょうか。
しかしこの映画にもし未見性を求めるならそれは細かな部分よりも全体の語り口そのものにあるでしょう。実は筋立てそのものはいささか抑揚に欠ける部分があり、ちょっとのっぺりしているのですが、1カット1カットの画が強いのです。映像の力が強い分、語る言葉は少なめになっているため小説を読むようなつもりで行ったら絵画かあるいは難解な散文詩だったくらいのギャップがあります。受動的に物語を牽引してもらおうとすると簡単に振り落とされ155分の上映時間を長くつまらないものに感じてしまうでしょう。なるほど公開からこっち賛否両論あるのも分かる気がします。ですがこちらも「せっかくだから浴びるくらい満喫してやるわ! 」くらいのつもりで行けばこれほど没入度の高い作品もなかなか無いです。
観始めると分かりますが原題には小さく「part one」とあり、実は2部作として企画された作品です。ですので今作では結構いいところでいわゆる「俺たちの戦いはこれからだ」みたいなエンディングを迎えます。かと言って一気に2本分撮り上げたわけではなく続編の製作そのものは先頃ようやくGOサインが出てこれから始まるようで、少し間を置いて2023年の公開を予定しているそうです。ちょっと待ちぼうけを食らう格好になりますがこの出来栄えを観ると完結編となる次作の公開も期待出来ると言うものでしょう。
比類なきこの映像詩、観るならスクリーン一択です。公開も終盤に差し掛かっていますので、まだの方は是非映画館へ。
先日、それまで使っていたシェーバーが遂に電源が入らなくなり、お釈迦に。特に家電の類は壊れるまで使ってしまう性分なので実は15年以上使っていたから実際のところは大往生です。良く今まで持ち堪えてくれました。どれくらい前の物かと言えばメーカーが「National」というところでご察し頂けるかと思います。電器店で新しいシェーバー探している時に店員に「どのメーカーの物を使われているんですか?」と聞かれて「ナ………Panasonicです…」と返答に妙な間を作ってしまいました(笑)
こんばんは、小島@監督です。
色々迷った末に今回買ったシェーバーはBRAUN製。ちょっと予算オーバーでしたがその分剃り味は良いは地肌もピリつかないわでとても快適。
さて、今回の映画は「映画トロピカル~ジュ!プリキュア 雪のプリンセスと奇跡の指輪!」です。
海岸に出現した超ゼッタイヤラネーダを倒したまなつ(声・ファイルーズあい)たち。一息ついていたところに雪の王国シャンティアの妖精・ホワン(声・楠木ともり、井上ほの花)が現れた。近くシャンティアでは王女シャロン(声・松本まりか)の戴冠式が執り行われるという。戴冠式には「世界を笑顔にできる人に参加して欲しい」とシャロンはその才や力を持った人たちに招待状を送っていた。
招待を受けることにしたまなつたちは同じく招待を受けた音楽家や大道芸人たちと共に不思議な列車に乗り込んでシャンティアに向かった。シャロンへの挨拶を済ませて王国見物を始めたまなつたちは、そこでつぼみ(声・水樹奈々)たちと出会う。
秋の風物詩ことプリキュア映画が今年も公開。前作「ヒーリングっど♡プリキュア」では「Yes!プリキュア5GoGo!」とのクロスオーバーが取り入れられましたが、今作でもその路線を引き継ぎ「ハートキャッチプリキュア!」とコラボレーションしています。結果的に名前の通りに常夏のようなハートとメンタルを持つまなつが春めいた名前と心を持つ花咲つぼみと雪が覆う国で出会う映画が秋に公開されるという、絶妙な匙加減で季節感がちゃんぽんな作品が出来上がりました。
コロナ禍で製作体制やスケジュールなどに大きな変更を余儀なくされた最中に製作されたからか、これまでとは趣の異なるポイントが散見される作品となりました。何より10年以上シリーズの特色であったいわゆる「ミラクルライト」が今作では排されたのが大きいです。キャラクターが観客の子供たちに呼びかけ声を出して応援してもらうこれまでのスタイルは、声を上げない鑑賞が求められる昨今では適さなくなってしまったのでしょう。スタイルを一つ排した分、枷が外れた部分もあるので一概に悪いことばかりではなかったかもしれません。
物語的な特徴としては思いのほか「ハートキャッチ」のメンバーが深く関与しています。前作「ヒーリングっど」の時の「5GoGo」のメンバーはあくまで客演という位置づけに過ぎませんでしたが今作ではかなり深入りしており、つぼみたちの決め台詞はもちろんのこと変身バンクもフルバージョンで登場するだけでなくクライマックスでは「ハートキャッチプリキュア!」を知る者には「おおっ」となるシーンが用意されています。作画面でもハートキャッチのキャラクターデザインを手掛けた馬越嘉彦さんを招聘して万全の体制を整えています。
ゲストキャラクターとなる王女シャロンの設定が実は相当に重いのもポイントでしょう。正直壮絶と言っていいレベルでいつもアッパーテンションな「トロピカル~ジュ」のメンバーとはいささか食い合いにくいくらいのシリアスさです。同じ王女ということでローラ(声・日高里菜)と深く関わることになりますが、それと同時にローラは葛藤を抱えることになります。そのローラの選択や意思の在り様につぼみやえりか(声・水沢史絵)との交流が活きる形になっているのでいつもの70分尺ながらなかなか濃密に物語が展開します。
本編終了後、いつものように次回作の特報が流れるのですが、そこで次回作の公開時期が来年秋であることが発表されます。プリキュア映画は2009年より年2本体制を取ってきましたが、遂に春公開分が休止されることになってしまいました。昨年からこっちの製作・供給体制の混乱を思えばそれも仕方のないことかもしれません。少し物寂しい話ではありますが、その分来秋公開される1本が充実した作品になることを祈っています。
こんばんは、小島@監督です。
色々迷った末に今回買ったシェーバーはBRAUN製。ちょっと予算オーバーでしたがその分剃り味は良いは地肌もピリつかないわでとても快適。
さて、今回の映画は「映画トロピカル~ジュ!プリキュア 雪のプリンセスと奇跡の指輪!」です。
海岸に出現した超ゼッタイヤラネーダを倒したまなつ(声・ファイルーズあい)たち。一息ついていたところに雪の王国シャンティアの妖精・ホワン(声・楠木ともり、井上ほの花)が現れた。近くシャンティアでは王女シャロン(声・松本まりか)の戴冠式が執り行われるという。戴冠式には「世界を笑顔にできる人に参加して欲しい」とシャロンはその才や力を持った人たちに招待状を送っていた。
招待を受けることにしたまなつたちは同じく招待を受けた音楽家や大道芸人たちと共に不思議な列車に乗り込んでシャンティアに向かった。シャロンへの挨拶を済ませて王国見物を始めたまなつたちは、そこでつぼみ(声・水樹奈々)たちと出会う。
秋の風物詩ことプリキュア映画が今年も公開。前作「ヒーリングっど♡プリキュア」では「Yes!プリキュア5GoGo!」とのクロスオーバーが取り入れられましたが、今作でもその路線を引き継ぎ「ハートキャッチプリキュア!」とコラボレーションしています。結果的に名前の通りに常夏のようなハートとメンタルを持つまなつが春めいた名前と心を持つ花咲つぼみと雪が覆う国で出会う映画が秋に公開されるという、絶妙な匙加減で季節感がちゃんぽんな作品が出来上がりました。
コロナ禍で製作体制やスケジュールなどに大きな変更を余儀なくされた最中に製作されたからか、これまでとは趣の異なるポイントが散見される作品となりました。何より10年以上シリーズの特色であったいわゆる「ミラクルライト」が今作では排されたのが大きいです。キャラクターが観客の子供たちに呼びかけ声を出して応援してもらうこれまでのスタイルは、声を上げない鑑賞が求められる昨今では適さなくなってしまったのでしょう。スタイルを一つ排した分、枷が外れた部分もあるので一概に悪いことばかりではなかったかもしれません。
物語的な特徴としては思いのほか「ハートキャッチ」のメンバーが深く関与しています。前作「ヒーリングっど」の時の「5GoGo」のメンバーはあくまで客演という位置づけに過ぎませんでしたが今作ではかなり深入りしており、つぼみたちの決め台詞はもちろんのこと変身バンクもフルバージョンで登場するだけでなくクライマックスでは「ハートキャッチプリキュア!」を知る者には「おおっ」となるシーンが用意されています。作画面でもハートキャッチのキャラクターデザインを手掛けた馬越嘉彦さんを招聘して万全の体制を整えています。
ゲストキャラクターとなる王女シャロンの設定が実は相当に重いのもポイントでしょう。正直壮絶と言っていいレベルでいつもアッパーテンションな「トロピカル~ジュ」のメンバーとはいささか食い合いにくいくらいのシリアスさです。同じ王女ということでローラ(声・日高里菜)と深く関わることになりますが、それと同時にローラは葛藤を抱えることになります。そのローラの選択や意思の在り様につぼみやえりか(声・水沢史絵)との交流が活きる形になっているのでいつもの70分尺ながらなかなか濃密に物語が展開します。
本編終了後、いつものように次回作の特報が流れるのですが、そこで次回作の公開時期が来年秋であることが発表されます。プリキュア映画は2009年より年2本体制を取ってきましたが、遂に春公開分が休止されることになってしまいました。昨年からこっちの製作・供給体制の混乱を思えばそれも仕方のないことかもしれません。少し物寂しい話ではありますが、その分来秋公開される1本が充実した作品になることを祈っています。
何年ぶりかで資格試験受けて来ました。今回受けたのは「ウィスキーエキスパート」、名前の通りウィスキーのプロフェッショナルになる為の最初の関門のような試験です。取れれば今持っている「ソムリエ」と合わせて洋酒関係をある程度専門的にカバー出来る様になります。春頃に職場で受験を勧められ、気軽に「YES」と答えてしまったのが運の尽き。まさか年間で1、2を争うほど仕事がピーキーな時に実施される試験だと思わずここ数週間はかなりキツい時間過ごしてました。
この苦労が報われると良いのですが。
こんばんは、小島@監督です。
ようやく解放されたからしばらく楽したいところですが仕事が減ったワケではないので全然気が休まらない(苦笑)
さて、そんなような理由でここ数週間映画館で鑑賞できていないので今回は自宅で観た中からご紹介。今回の映画は「Mank/マンク」です。
1940年、交通事故で骨折し静養していた脚本家・ハーマン・J・マンキウィッツ(ゲイリー・オールドマン)通称「マンク」の元に映画会社RKOより若き天才オーソン・ウェルズ(トム・バーク)を主演にした映画の執筆依頼が舞い込んでくる。
与えられた時間は60日。郊外の一軒家に缶詰めにされ、アルコール依存症に苦しみながら構想を練るマンクの脳裏に浮かんだのはハリウッドで絶大な権力を誇っていた新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハースト(チャールズ・ダンス)とその愛人マリオン・デイヴィス(アマンダ・サイフレッド)のことであった。ハーストはマリオンを売り出すためにわざわざ映画会社を設立してまで大々的にプロモーションを行ったがその評価は惨憺たるものだったのだ。2人と親交のあるマンクは彼らとの友誼を交わした日々を思い出しながら執筆に当たる。
しかしマンクにはそれ以上に構想の動機となる事件があった。それは1934年カリフォルニア州知事選挙で起こった…
今夏から遂にNetflixを導入しましたがAmazonプライム以上のオリジナルコンテンツの量に目を見張ります。しばらくは勉強のBGVとしても邪魔しない(※個人の見解です)B級のホラーやアクションなどを楽しんでいましたが、そういえば去年の公開時に観れずじまいだった「Mank/マンク」が独占配信だわと思い出しました。
1941年に製作された、映画史上に残る傑作と言われる「市民ケーン」、そのシナリオを手掛けた脚本家ハーマン・J・マンキウィッツを主人公に傑作が完成に至るまでの舞台裏を虚実ないまぜにして描き出した一本です。監督は「セブン」「ソーシャル・ネットワーク」などで知られるデヴィッド・フィンチャー。2003年に没した彼の父である脚本家ジャック・フィンチャーが1990年代に書き上げながら映像化に至らなかった遺稿を完成させた作品です。
「市民ケーン」の物語をかいつまんで話すと、オーソン・ウェルズ演じる孤独な新聞王ケーンが死の間際に「Rose bud(薔薇のつぼみ)」という謎めいた言葉を残すところから始まります。ケーンの生涯を綴るニュース映画を作ろうとした記者トンプソンは愛人のスーザンなどケーンの関係者を取材して回りますが誰も「Rose bud」が何を意味する者なのかは分からない。実は「Rose bud」が指し示すものはケーンの子供時代の思い出の品、より正確には大人になってから買ったまがい物。望むものすべてを手に入れたはずの大富豪は、実は全てをまがい物で満たすしかなかった孤独の中で果てたのだ、という寓話です。
時系列が度々前後する物語構成や、パンフォーカス(被写界深度を深くすることで近くの物から遠くのものまでピントが合っているようにする撮影手法)や穴を開けた床にカメラを構えて撮影された極端なローアングルなど当時としては斬新な手法が数多く盛り込まれ、後の作品に多大な影響を及ぼしました。
しかしこの作品が自身をモデルにしたものだと知ったウィリアム・ランドルフ・ハーストは上映に対する妨害工作を行い、その圧力によって上映館数は減らされ批評家たちの評価は高い一方で興行は失敗に終わり、アカデミー賞では9部門にノミネートされるも受賞したのは脚本賞のみ。授賞式では作品名が読み上げられる度にブーイングが起こったと聞きます。この映画に作品賞を与えなかったことは後に「アカデミー賞最大の汚点」とまで言われています。
「Mank/マンク」はそんな「市民ケーン」同様に1940年を「現在」として度々過去を回想しつつマンクがいかに「市民ケーン」を書き上げたかを辿っていきます。作中重要な事件として描かれているのが1934年のカリフォルニア州知事選。当時のルーズベルト大統領が推進したニューディール政策を推す民主党候補アプトン・シンクレアに反発するハリウッドの権力者たちはこぞって対立候補である共和党のフランク・メリアムを応援し大々的な反シンクレアのキャンペーンを展開しました。その中には俳優を使って有権者の声を捏造したいわゆる「フェイクニュース」まで作られていた、というのです。この、約90年前の時代を描きながら現代をも風刺しているところがポイント。更に言えばこの映画のシナリオが書かれたのが先述の通り1990年代なので本質は時代が変わってもまるで変わらないのね、とシニカルな気持ちになります。
敢えてモノクロの映像でレトロ感を出しつつデヴィッド・フィンチャー作品らしい捻りを利かせた非常にスリリングな歴史劇ですが、この映画の難点を挙げるならば「とにかく異様に情報量が多い」点に尽きるでしょう。「市民ケーン」を観ておいた方が良いのはもちろんですが、ある程度映画史と現代アメリカ史を知っておかないと次々入れ替わる登場人物を把握できないままに置いてきぼりを食らってしまうに違いありません。観客にかなりの素養を求める類の作品なのであまり強くお薦めもできませんが、逆に言えばこの分野に興味がある人にはこれほど楽しめる作品もそうはないはず。我こそはと思う人は是非挑戦して欲しい一本ですね。
この苦労が報われると良いのですが。
こんばんは、小島@監督です。
ようやく解放されたからしばらく楽したいところですが仕事が減ったワケではないので全然気が休まらない(苦笑)
さて、そんなような理由でここ数週間映画館で鑑賞できていないので今回は自宅で観た中からご紹介。今回の映画は「Mank/マンク」です。
1940年、交通事故で骨折し静養していた脚本家・ハーマン・J・マンキウィッツ(ゲイリー・オールドマン)通称「マンク」の元に映画会社RKOより若き天才オーソン・ウェルズ(トム・バーク)を主演にした映画の執筆依頼が舞い込んでくる。
与えられた時間は60日。郊外の一軒家に缶詰めにされ、アルコール依存症に苦しみながら構想を練るマンクの脳裏に浮かんだのはハリウッドで絶大な権力を誇っていた新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハースト(チャールズ・ダンス)とその愛人マリオン・デイヴィス(アマンダ・サイフレッド)のことであった。ハーストはマリオンを売り出すためにわざわざ映画会社を設立してまで大々的にプロモーションを行ったがその評価は惨憺たるものだったのだ。2人と親交のあるマンクは彼らとの友誼を交わした日々を思い出しながら執筆に当たる。
しかしマンクにはそれ以上に構想の動機となる事件があった。それは1934年カリフォルニア州知事選挙で起こった…
今夏から遂にNetflixを導入しましたがAmazonプライム以上のオリジナルコンテンツの量に目を見張ります。しばらくは勉強のBGVとしても邪魔しない(※個人の見解です)B級のホラーやアクションなどを楽しんでいましたが、そういえば去年の公開時に観れずじまいだった「Mank/マンク」が独占配信だわと思い出しました。
1941年に製作された、映画史上に残る傑作と言われる「市民ケーン」、そのシナリオを手掛けた脚本家ハーマン・J・マンキウィッツを主人公に傑作が完成に至るまでの舞台裏を虚実ないまぜにして描き出した一本です。監督は「セブン」「ソーシャル・ネットワーク」などで知られるデヴィッド・フィンチャー。2003年に没した彼の父である脚本家ジャック・フィンチャーが1990年代に書き上げながら映像化に至らなかった遺稿を完成させた作品です。
「市民ケーン」の物語をかいつまんで話すと、オーソン・ウェルズ演じる孤独な新聞王ケーンが死の間際に「Rose bud(薔薇のつぼみ)」という謎めいた言葉を残すところから始まります。ケーンの生涯を綴るニュース映画を作ろうとした記者トンプソンは愛人のスーザンなどケーンの関係者を取材して回りますが誰も「Rose bud」が何を意味する者なのかは分からない。実は「Rose bud」が指し示すものはケーンの子供時代の思い出の品、より正確には大人になってから買ったまがい物。望むものすべてを手に入れたはずの大富豪は、実は全てをまがい物で満たすしかなかった孤独の中で果てたのだ、という寓話です。
時系列が度々前後する物語構成や、パンフォーカス(被写界深度を深くすることで近くの物から遠くのものまでピントが合っているようにする撮影手法)や穴を開けた床にカメラを構えて撮影された極端なローアングルなど当時としては斬新な手法が数多く盛り込まれ、後の作品に多大な影響を及ぼしました。
しかしこの作品が自身をモデルにしたものだと知ったウィリアム・ランドルフ・ハーストは上映に対する妨害工作を行い、その圧力によって上映館数は減らされ批評家たちの評価は高い一方で興行は失敗に終わり、アカデミー賞では9部門にノミネートされるも受賞したのは脚本賞のみ。授賞式では作品名が読み上げられる度にブーイングが起こったと聞きます。この映画に作品賞を与えなかったことは後に「アカデミー賞最大の汚点」とまで言われています。
「Mank/マンク」はそんな「市民ケーン」同様に1940年を「現在」として度々過去を回想しつつマンクがいかに「市民ケーン」を書き上げたかを辿っていきます。作中重要な事件として描かれているのが1934年のカリフォルニア州知事選。当時のルーズベルト大統領が推進したニューディール政策を推す民主党候補アプトン・シンクレアに反発するハリウッドの権力者たちはこぞって対立候補である共和党のフランク・メリアムを応援し大々的な反シンクレアのキャンペーンを展開しました。その中には俳優を使って有権者の声を捏造したいわゆる「フェイクニュース」まで作られていた、というのです。この、約90年前の時代を描きながら現代をも風刺しているところがポイント。更に言えばこの映画のシナリオが書かれたのが先述の通り1990年代なので本質は時代が変わってもまるで変わらないのね、とシニカルな気持ちになります。
敢えてモノクロの映像でレトロ感を出しつつデヴィッド・フィンチャー作品らしい捻りを利かせた非常にスリリングな歴史劇ですが、この映画の難点を挙げるならば「とにかく異様に情報量が多い」点に尽きるでしょう。「市民ケーン」を観ておいた方が良いのはもちろんですが、ある程度映画史と現代アメリカ史を知っておかないと次々入れ替わる登場人物を把握できないままに置いてきぼりを食らってしまうに違いありません。観客にかなりの素養を求める類の作品なのであまり強くお薦めもできませんが、逆に言えばこの分野に興味がある人にはこれほど楽しめる作品もそうはないはず。我こそはと思う人は是非挑戦して欲しい一本ですね。
10月入っても冷房が必要なくらい暑い日が続いたと思ったら急転直下で寒さがやってきて慌てて衣替えを実行。いやマジで秋どこ?ってくらいの感じですね。油断すると風邪を引いてしまいそう。
こんばんは、小島@監督です。
このまま冬に突入するんじゃなくて、もうちょっとこう秋を堪能させていただけまいか。
さて、今回の映画は「キャッシュトラック」です。
ロサンゼルスにある現金輸送専門の警備会社。日々現金輸送車を運転、警護するため厳しい試験を潜り抜けた腕に覚えのある者たちが働いている。そこにパトリック・ヒル(ジェイソン・ステイサム)、通称「H」と呼ばれる男が雇われた。試験をギリギリで辛うじて合格した程度だったため当初は周囲から特に気に留められる存在でもなかったが、彼の乗る輸送車が襲撃に遭った時、高い戦闘力で襲撃犯を制圧し同僚を驚かせた。更に別の日にはHの姿を見ただけで襲撃犯は怯え逃げ出すことまで起こった。「Hは何者なのか?」、周囲が疑心暗鬼に陥る中、全米で最も現金が動く日「ブラック・フライデー」が迫る。その売上金を狙い、水面下で強奪計画を進行させている者たちがいた…
「シャーロック・ホームズ」(2009年)や「アラジン」(2019年)など大作を製作する一方で「ジェントルメン」(2019年)などインディペンデント映画も手掛ける映画監督ガイ・リッチー。そんな彼のフィルモグラフィーの初期に度々タッグを組んでいた俳優がいます。それがジェイソン・ステイサム。「エクスペンダブルズ」や「ワイルド・スピード」などを例に取らずとも、今や押しも押されもせぬ一線級のアクションスターです。実はガイ・リッチーの長編デビュー作である「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」(1998年)はジェイソン・ステイサムのスクリーンデビュー作でもあります。今作「キャッシュトラック」で2005年製作の「リボルバー」以来16年ぶりに2人が組んでクライム・アクションが製作されました。
この映画の原典となるのは2004年にフランスで製作されたノワール映画「ブルーレクイエム」。原典では主人公は銀行員でしたが、今作では大胆にアレンジされています。ガイ・リッチー監督が手掛けた映画はハリウッド大作と言えどもどこかストリート的な感覚が盛り込まれているのが特徴です。頭脳明晰な一方で地下ファイトにも顔を出す武闘派だった「シャーロック・ホームズ」、「アラジン」では猥雑な都市の一角でコソ泥として生きる姿を活写したり、それは今作「キャッシュトラック」でも発揮され、洗練されていない猥雑な空気感が漂っています。
映画はオープニングのあと、それぞれにタイトルを付された4章構成で展開します。章が進むごとにオープニングで描かれた現金輸送車襲撃事件の別の輪郭が見え、また主人公Hを始めとした登場人物の思惑も浮かび上がってくるという形になっています。章が変わるにつれ時制も前後するのが曲者ですが、その独特な語り口にも慣れた終盤に展開する襲撃シーンでは頻繁に過去と現在を交互させ緊張感を生む相乗効果をもたらしています。
ガイ・リッチー監督は今作の脚本を執筆するにあたり最初からジェイソン・ステイサムに演じてもらうつもりで当て書きしたとインタビューで語っており、共にキャリアも年も重ねながら気心の知れた2人が息の合ったコンビを見せるいぶし銀の逸品。長かった自粛期間を取り戻そうと秋口にしては珍しいくらいに大作映画がひしめき合っている中ではどうしても地味な印象が拭えず脇に追いやられ気味ではありますがインディペンデント映画ならではの味わいが光る作品です。
ちょっと一癖ある映画を楽しみたい時には是非どうぞ。
こんばんは、小島@監督です。
このまま冬に突入するんじゃなくて、もうちょっとこう秋を堪能させていただけまいか。
さて、今回の映画は「キャッシュトラック」です。
ロサンゼルスにある現金輸送専門の警備会社。日々現金輸送車を運転、警護するため厳しい試験を潜り抜けた腕に覚えのある者たちが働いている。そこにパトリック・ヒル(ジェイソン・ステイサム)、通称「H」と呼ばれる男が雇われた。試験をギリギリで辛うじて合格した程度だったため当初は周囲から特に気に留められる存在でもなかったが、彼の乗る輸送車が襲撃に遭った時、高い戦闘力で襲撃犯を制圧し同僚を驚かせた。更に別の日にはHの姿を見ただけで襲撃犯は怯え逃げ出すことまで起こった。「Hは何者なのか?」、周囲が疑心暗鬼に陥る中、全米で最も現金が動く日「ブラック・フライデー」が迫る。その売上金を狙い、水面下で強奪計画を進行させている者たちがいた…
「シャーロック・ホームズ」(2009年)や「アラジン」(2019年)など大作を製作する一方で「ジェントルメン」(2019年)などインディペンデント映画も手掛ける映画監督ガイ・リッチー。そんな彼のフィルモグラフィーの初期に度々タッグを組んでいた俳優がいます。それがジェイソン・ステイサム。「エクスペンダブルズ」や「ワイルド・スピード」などを例に取らずとも、今や押しも押されもせぬ一線級のアクションスターです。実はガイ・リッチーの長編デビュー作である「ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」(1998年)はジェイソン・ステイサムのスクリーンデビュー作でもあります。今作「キャッシュトラック」で2005年製作の「リボルバー」以来16年ぶりに2人が組んでクライム・アクションが製作されました。
この映画の原典となるのは2004年にフランスで製作されたノワール映画「ブルーレクイエム」。原典では主人公は銀行員でしたが、今作では大胆にアレンジされています。ガイ・リッチー監督が手掛けた映画はハリウッド大作と言えどもどこかストリート的な感覚が盛り込まれているのが特徴です。頭脳明晰な一方で地下ファイトにも顔を出す武闘派だった「シャーロック・ホームズ」、「アラジン」では猥雑な都市の一角でコソ泥として生きる姿を活写したり、それは今作「キャッシュトラック」でも発揮され、洗練されていない猥雑な空気感が漂っています。
映画はオープニングのあと、それぞれにタイトルを付された4章構成で展開します。章が進むごとにオープニングで描かれた現金輸送車襲撃事件の別の輪郭が見え、また主人公Hを始めとした登場人物の思惑も浮かび上がってくるという形になっています。章が変わるにつれ時制も前後するのが曲者ですが、その独特な語り口にも慣れた終盤に展開する襲撃シーンでは頻繁に過去と現在を交互させ緊張感を生む相乗効果をもたらしています。
ガイ・リッチー監督は今作の脚本を執筆するにあたり最初からジェイソン・ステイサムに演じてもらうつもりで当て書きしたとインタビューで語っており、共にキャリアも年も重ねながら気心の知れた2人が息の合ったコンビを見せるいぶし銀の逸品。長かった自粛期間を取り戻そうと秋口にしては珍しいくらいに大作映画がひしめき合っている中ではどうしても地味な印象が拭えず脇に追いやられ気味ではありますがインディペンデント映画ならではの味わいが光る作品です。
ちょっと一癖ある映画を楽しみたい時には是非どうぞ。
コロナ禍で歌会が休止になってこっちカラオケからだいぶ遠ざかってしまっていたのですが、昨日久しぶりに歌ってきました。いや~思った以上に歌唱力落ちててびっくりしました(苦笑)喋ると歌うでは使う筋肉って結構違うというか、月一ペースだったとしてもお腹から声出す時間作ってたのは割と大きかったのねと実感します。
こんばんは、小島@監督です。
ちょっと状況も落ち着いてきたし、また気軽にカラオケできるようになると良いなぁ。
さて、今回の映画は「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」です。
スペクターとの死闘の後、ジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)はマドレーヌ・スワン(レア・セドゥ)と共にイタリアを訪れていた。かつて愛した女性・ヴェスパーの墓参りに来たボンドは、そこでスペクターの残党たちの襲撃を受ける。どうにか敵を退けることに成功したもののマドレーヌの関与を疑ったボンドは彼女を信じられなくなり、2人は別れてしまった。
それから5年後、MI6を退官したボンドはジャマイカで隠棲していた。
ある時、ボンドの元を旧友であり元CIAエージェントのフェリックス・ライター(ジェフリー・ライト)が訪ねてくる。フェリックスはボンドにロンドンでスペクターに誘拐された細菌学者オブルチェフ(デヴィッド・デンシック)の救出を依頼するのだった。
散々待たせやがって…!と言いたくなるくらい度重なる延期を乗り越え遂に007の新作が公開されました。そして15年間ジェームズ・ボンドを演じ続けたダニエル・クレイグの卒業となる作品です。
半世紀以上に渡り続く「007」シリーズは、主人公ジェームズ・ボンドを誰が演じたかで作品の雰囲気を変えつつも骨格の部分では同じスタイルを貫いて作を重ねてきました。ですが6代目となるダニエル・クレイグが演じるに至り、「007」はその基本骨子を踏襲しながらもよりダイナミックかつエモーショナルに「ジェームズ・ボンド」というキャラクターを掘り下げて来るようになりました。何より5作品を通し物語に連続性を持たせたことが大きいです。「カジノ・ロワイヤル」(2006年)ではジェームズ・ボンドは00ナンバーを与えられたばかりの新米エージェントに過ぎず、まだ青臭さを残していました。続く「慰めの報酬」(2009年)では前作のラストシーン直後から始まる文字通りの続編であり、前作で為しえなかった復讐を遂げる物語でもありました。そして「スカイフォール」(2012年)では通過儀礼とも言うべきある事件を以て遂に1人前のエージェントに足る存在となったボンドは「スペクター」(2015年)でようやくこれまでのシリーズのようなワールドワイドなスケールと荒唐無稽さと共に宿敵となる存在と死闘を繰り広げます。
そしてこれまでの4作を受けてダニエル・クレイグ・ボンドの最終作となる「ノー・タイム・トゥ・ダイ」ではこれまでの成長譚の総決算を行い万感込み上げる中で驚くような場所に物語が着地します。
ボンド同様、物語の主線上にいるのが前作から引き続いてヒロインとなるマドレーヌ。今作のヴィランであるサフィン(ラミ・マレック)がボンドよりもむしろマドレーヌの方に因縁を宿したキャラクターとして登場し、そこにボンドとマドレーヌの因縁、更に前作でボンドの手により捕えられ獄中生活を送るブロフェルド(クリストフ・ヴァルツ)が絡んでくるなかなか複雑な構図をしています。それにより特に前半はかなり先読みのできない展開を見せてきます。しかも面白いことにその前半で一番目立つのはこの4人ではなく別の人物。ボンドをサポートすべくフェリックスが派遣した新人エージェント・パロマ(アナ・デ・アルマス)です。「007」の王道を行くようなセクシーなドレスで登場し、新人だからとイマイチ頼りなさげに見えていざ戦闘になったら尋常じゃなく強いというそのギャップが萌える。しかもやる事やりきったら颯爽と去っていきそのまま全く登場しなくなる潔さ。思いがけない牽引力を秘めたキャラクターが前半を彩ります。
ただ勿体無いなと思うのは、MI6を退官したボンドの前に新たな00エージェント・ノーミ(ラシャーナ・リンチ)が現れたり、もう一人かなり意外な人物が登場したりするのですが、それが終盤のクライマックスでどことなく持て余し気味になっているように見受けられるところです。全部が上手く噛み合えばクライマックスの感動は二乗にも三乗にもなったかもしれませんが、そうはならずどこか段取り優先に見えてしまうので少しもどかしく感じます。ついでにいうとこの終盤はロケーションと空間設計とアクションの構成も奇妙に噛み合わないので正直ちょっと弾みが足りません。
それでも物語の最後の着地点はダニエル・クレイグが演じたジェームズ・ボンドのまさに有終の美とも言えるでしょう。その区切りの見事さと共に作中で描かれた「多様性」への萌芽は「007」というシリーズの今後の可能性を予感させます。時代が移り行く中で変わりゆくものと変えないもの、変えてはいけないものとどうバランスを取っていくのか。「007」が見せる未来が楽しみです。
こんばんは、小島@監督です。
ちょっと状況も落ち着いてきたし、また気軽にカラオケできるようになると良いなぁ。
さて、今回の映画は「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」です。
スペクターとの死闘の後、ジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)はマドレーヌ・スワン(レア・セドゥ)と共にイタリアを訪れていた。かつて愛した女性・ヴェスパーの墓参りに来たボンドは、そこでスペクターの残党たちの襲撃を受ける。どうにか敵を退けることに成功したもののマドレーヌの関与を疑ったボンドは彼女を信じられなくなり、2人は別れてしまった。
それから5年後、MI6を退官したボンドはジャマイカで隠棲していた。
ある時、ボンドの元を旧友であり元CIAエージェントのフェリックス・ライター(ジェフリー・ライト)が訪ねてくる。フェリックスはボンドにロンドンでスペクターに誘拐された細菌学者オブルチェフ(デヴィッド・デンシック)の救出を依頼するのだった。
散々待たせやがって…!と言いたくなるくらい度重なる延期を乗り越え遂に007の新作が公開されました。そして15年間ジェームズ・ボンドを演じ続けたダニエル・クレイグの卒業となる作品です。
半世紀以上に渡り続く「007」シリーズは、主人公ジェームズ・ボンドを誰が演じたかで作品の雰囲気を変えつつも骨格の部分では同じスタイルを貫いて作を重ねてきました。ですが6代目となるダニエル・クレイグが演じるに至り、「007」はその基本骨子を踏襲しながらもよりダイナミックかつエモーショナルに「ジェームズ・ボンド」というキャラクターを掘り下げて来るようになりました。何より5作品を通し物語に連続性を持たせたことが大きいです。「カジノ・ロワイヤル」(2006年)ではジェームズ・ボンドは00ナンバーを与えられたばかりの新米エージェントに過ぎず、まだ青臭さを残していました。続く「慰めの報酬」(2009年)では前作のラストシーン直後から始まる文字通りの続編であり、前作で為しえなかった復讐を遂げる物語でもありました。そして「スカイフォール」(2012年)では通過儀礼とも言うべきある事件を以て遂に1人前のエージェントに足る存在となったボンドは「スペクター」(2015年)でようやくこれまでのシリーズのようなワールドワイドなスケールと荒唐無稽さと共に宿敵となる存在と死闘を繰り広げます。
そしてこれまでの4作を受けてダニエル・クレイグ・ボンドの最終作となる「ノー・タイム・トゥ・ダイ」ではこれまでの成長譚の総決算を行い万感込み上げる中で驚くような場所に物語が着地します。
ボンド同様、物語の主線上にいるのが前作から引き続いてヒロインとなるマドレーヌ。今作のヴィランであるサフィン(ラミ・マレック)がボンドよりもむしろマドレーヌの方に因縁を宿したキャラクターとして登場し、そこにボンドとマドレーヌの因縁、更に前作でボンドの手により捕えられ獄中生活を送るブロフェルド(クリストフ・ヴァルツ)が絡んでくるなかなか複雑な構図をしています。それにより特に前半はかなり先読みのできない展開を見せてきます。しかも面白いことにその前半で一番目立つのはこの4人ではなく別の人物。ボンドをサポートすべくフェリックスが派遣した新人エージェント・パロマ(アナ・デ・アルマス)です。「007」の王道を行くようなセクシーなドレスで登場し、新人だからとイマイチ頼りなさげに見えていざ戦闘になったら尋常じゃなく強いというそのギャップが萌える。しかもやる事やりきったら颯爽と去っていきそのまま全く登場しなくなる潔さ。思いがけない牽引力を秘めたキャラクターが前半を彩ります。
ただ勿体無いなと思うのは、MI6を退官したボンドの前に新たな00エージェント・ノーミ(ラシャーナ・リンチ)が現れたり、もう一人かなり意外な人物が登場したりするのですが、それが終盤のクライマックスでどことなく持て余し気味になっているように見受けられるところです。全部が上手く噛み合えばクライマックスの感動は二乗にも三乗にもなったかもしれませんが、そうはならずどこか段取り優先に見えてしまうので少しもどかしく感じます。ついでにいうとこの終盤はロケーションと空間設計とアクションの構成も奇妙に噛み合わないので正直ちょっと弾みが足りません。
それでも物語の最後の着地点はダニエル・クレイグが演じたジェームズ・ボンドのまさに有終の美とも言えるでしょう。その区切りの見事さと共に作中で描かれた「多様性」への萌芽は「007」というシリーズの今後の可能性を予感させます。時代が移り行く中で変わりゆくものと変えないもの、変えてはいけないものとどうバランスを取っていくのか。「007」が見せる未来が楽しみです。