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ちゅうカラぶろぐ


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いよいよヤバくなってきたTVを先日買い換えました。これまで使っていた42型から55型4Kへ。ここまでインチを上げてもTVそれ自体の大きさは前のと大して変わらない、というのが購入の決め手。何せ前のは15年使っていたので何を買っても前より綺麗だろうなとは思っていましたが想像以上に綺麗。スポーツ中継とか見ても分かり易いくらいに迫力が上がっててびっくり。

 こんばんは、小島@監督です。
 今プレイしている「ブラッドボーン」も暗いところが良く見えるようになってプレイ環境が格段に向上しました。だからと言って難易度の高いこのゲームの進行が速くなるワケではないんですけども(苦笑)

 さて、今回の映画は「ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー」です。

 ワカンダ国王ティ・チャラ(チャドウィック・ボーズマン)は死の床にあった。科学者である妹のシュリ(レティーシャ・ライト)は兄を救おうと懸命に努力するが報われること無くティ・チャラは崩御。それは同時にワカンダは国の守護者たるブラックパンサーを失うことを意味していた。
 ワカンダが独占する鉱石ヴィヴラニウムを入手したいアメリカは、海底の鉱脈を探し当てるが調査船が何者かの襲撃を受け壊滅した。同じ頃、ワカンダにも侵入者が。女王ラモンダ(アンジェラ・バセット)とシュリの前に現れたその人物は海の王国タロカンの王ネイモア(テノッチ・ウェルタ・メヒア)だった。ヴィヴラニウム探査の手が海底にまで及んだことで自国が侵害されることを危惧したネイモアはヴィヴラニウム探知機を製作した科学者の引き渡しを要求するのだった。

 喪ったものはあまりに大きく、その穴を埋めることなどできはしない。
 それはある意味で現実に対する虚構の完膚なきまでの敗北だったかもしれません。2020年に癌で急逝した名優チャドウィック・ボーズマン。世界的に高い評価を得た「ブラックパンサー」の続編は、名優の死を受け敢えて代役を立てることをせずにシナリオを1から作り直し、現実の俳優の死をそのまま物語に反映させました。こういう形で作られた作品は極めて珍しいように思います。
 ティ・チャラというカリスマを喪ったワカンダの人々、特にラモンダとシュリは喪失を受け入れる時間もろくに得られないままに「王の責任と選択」をことあるごとに迫られます。そして観客もこう思わずにはいられないのです、「ティ・チャラならどうしただろうか?」と。
 前作がアカデミー賞作品賞にノミネートされた程に高く評価された一因として優れたポリティカル・フィクションであった点も挙げられますが、今作は前作程の政治性は無く全体を貫くストーリー自体は決して奇をてらわずむしろ正攻法や王道ともいえるラインであるのは、ひとえにサプライズよりも向き合わねばならないことがあるからです。

 もちろんマーベル映画らしくアクションのボリュームやバリエーションも上々で、特に今作で初登場するリリ・ウィリアムズ(ドミニク・ソーン)こと「アイアンハート」の空中戦も行えるアクロバティックなバトルは見事にスクリーン映えする迫力。リリは来年ディズニープラスにて主役作も配信予定であり、そこでの活躍を期待させるデビューとしては十分すぎるくらいでしょう。ただ重要なポイントとしてはワカンダにしろ今作戦うことになるネイモア率いるタロカンにしろ、積み重ねられた理不尽の結果戦うことになってしまった、即ち理由なき戦闘であるが故に激しいアクションを重ねども爽快感やカタルシスとは縁遠いものとしてある点です。

 長い葛藤の末に、ティ・チャラのいない世界への決意と共に新たなブラックパンサーが誕生します。一人の俳優へのリスペクトと追悼を映画一本の全てを懸けて捧げ、そのスピリットを継承し一歩を踏み出す。シリーズとしては異色以外の何物でもないでしょう。しかし、喪失と再生の過程を丁寧に描き上げた珠玉の一本であることは間違いありません。
 さらば、チャドウィック・ボーズマン。

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休職に入って最初の数日、処方されてる睡眠導入剤の効きが良すぎるのか、単に数年分の寝不足と疲れが出ているのか分かりませんが、1日の大半を寝て過ごす日が続きました。それこそ食事や家事に要した時間以外はほぼ眠っていたような状態で、さすがに自分で自分に引きましたね。

 こんばんは、小島@監督です。
 医者の方に相談すると、「あまり続くようなら考えものだが、今のところは問題無い」とのことなのでこれはこれで経過観察。

 さて、そんな折に1つライブに行って来ました。アイドルマスター初めてのフルオーケストラ・コンサート、「THE IDOLM@STER ORCHESTRA CONCERT
~SYMPHONY OF FIVE STARS!!!!! ~ 」
です。名の通り、アイドルマスターを彩って来た数々の楽曲を名門・東京フィルハーモニー交響楽団の演奏で楽しむイベントです。
当初は仕事が建て込む時期だったため見送るつもりでいたのですが一時仕事から離れる格好になって時間ができた事もあり、まだチケットの残っていたDay2を思い切って買って現地まで観に行く事にしました。

 コンサートは2部構成。第1部は「FIVE STARS‼︎‼︎! 〜星の交響曲〜」と題し、「星」をテーマにアイドルマスター各ブランドから選りすぐった12曲をダイナミックにオーケストレーション。各楽章3曲ずつで4つの楽章で組曲を構成。選曲もTVアニメのテーマ曲だった「READY‼︎」で開幕し、「Anniversary」のようにもともとストリングスがメロディの中心を担っていた楽曲だけでなく、アッパーなアイドルポップである「サンリズム・オーケストラ」やゴシック・ロックである「Neo theory fantasia」など「こう来たか!」と思わせられる意外なところもチョイス。良く知っている曲が今まで聴いたこともない音色で新たな輝きを放つ様に時に心躍り時に涙すら目に浮かぶほどでした。

 第2部は「Brillante stage‼︎‼︎!」と題し、こちらはギターやドラムと言ったバンドユニットも加わり更に曲によってはヴォーカルも入りアレンジも第1部ほど攻めの姿勢ではなく原曲の雰囲気を活かしたものに。
 Day2ではまずSideMのAltessimoがスクリーン登場し2曲を披露。続いて作詞という形でアイマスに楽曲提供している音楽家・貝田由里子さんが登場しここでも2曲を披露。作詞家による歌唱はアイマスでも珍しく、声優とは全く違う歌声に聴き惚れました。特に2曲目の「こいかぜ」はDay1でもシンデレラガールズの高垣楓がスクリーン出演する形で披露されており、歌い手の違いによる音色の変化を楽しませてくれました。
 白眉は高山紗代子役駒形友梨さんの「Vivid color」と我那覇響役沼倉愛美さんの「初恋第一章〜片想いの桜〜」、そして2人のデュエットによる「瞳の中のシリウス」の3曲。選曲はもちろんのことオーケストラをバックにした2人のヴォーカルの伸びとハーモニーが素晴らしく、聴きたかったものを最高の形で聴けた思いです。

 アイマス初の企画であった今回のイベント、終わってみれば耳慣れた曲を「本物」の音で体感できる稀有な経験を存分に堪能できました。出来ればこの1回限りで終わる事なく今後も続いて欲しいですね。オーケストラで聴いてみたい曲はいっぱいありますし!ただその時は今回のような幕張メッセではなく東京国際フォーラムとかの本格的なコンサートホールで聴きたいかな(笑)

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休職1日目、かなりがっつり引継ぎはしたのですが、朝からバンバン電話がかかってくるのに苦笑しています。まあ私としても想定外のイレギュラーな話だったりしたので仕方ないところではあるのですが。

 こんばんは、小島@監督です。
 静かな日々がやってくるのはいつの日やら。

 さて、今回の映画は「王立宇宙軍 オネアミスの翼」です。

 「何もしない軍隊」と揶揄され、落第物の集まりと見下されているオネアミス王国の宇宙軍。そこに所属する士官のシロツグ(声・森本レオ)は、かつては水軍のジェット戦闘機乗りに憧れていたがそこに行けるほどの優秀な成績を修められず、仕方なく入った王立宇宙軍で気の抜けた日々を送っていた。
 ある夜、同僚たちと繰り出した歓楽街でシロツグは布教活動を行う少女リイクニ(声・弥生みつき)と出会う。休日に下心を秘めてリイクニの下に話を聞きに行ったシロツグは、「戦争をしない軍隊」である宇宙軍を褒められ、やる気を起こしカイデン将軍(声・内田稔)が推進する有人宇宙飛行計画に志願するのだった。

 のちに「新世紀エヴァンゲリオン」で日本アニメ史に不動の名を刻むことになるアニメスタジオ・GAINAX。その第1回作品として1987年に製作された劇場用アニメ映画です。企画そのものはGAINAXの前身とも言うべきアマチュア映像集団「DAICON FILM」の時期に既にあり、本作を製作するためにDAICON FILMを解散し、GAINAXが設立された経緯があります。そんな作品が製作35周年を記念し4Kリマスター版によるリバイバル上映が現在行われています。昔レンタルビデオで観たコレをスクリーンで観られる日が来るとは正直予想外でした。

 端的に言えば軍のはみ出し者だったメンバーたちが力を合わせてロケットを飛ばす、それだけの物語です。正直に言えば119分というがっつりとした上映時間をしている割には内容は薄く起伏にも乏しく、いささか退屈を禁じ得ない部分はあります。
 しかしその大きすぎる欠点を差し置いてなお魅力的に映るのは、ひとえに異常なまでの濃度と密度を誇る作画にあります。なんてことない動作の一つ一つが緻密に描写され、クライマックスのシャトルの発射シーンなどは実写と比較しても遜色ない境地にまで達しており、しかもすべて手描きというのがもう驚異としか言いようがないレベルです。

 DAICON FILM結成時にはまだ学生であった山賀博之、庵野秀明、貞本義行、前田真宏と言った主要メンバーたちは大学在学中から「超時空要塞マクロス」や「風の谷のナウシカ」などにアニメーターとして参加しており、そんな彼らの新たなステップとしての意味合いも強かったこの作品は、映画が作品としてまとまるバランスを逸脱したのと引き換えに参加したアニメーターたちのセンスを見事なまでに発露させる結果となりました。このアンバランスさは監督の山賀博之を筆頭に平均年齢24歳という若いスタッフで主要メンバーが固められていたことも大きいでしょう。同人レベルでは注目を集めていたとはいえ商業的には全く実績の無いスタッフにいきなり全国ロードショークラスの劇場用アニメをしかもオリジナル作品で任せたところに1980年代半ばの時代性が垣間見える面白さがあります。今でこそ映像製作としても大手となったバンダイも、当時はまだ映像事業に参入して日も浅い時期で、ある種の「攻め」をしたい意図もあったかもしれませんね。

 どうにも保守的になりがちな昨今とは違う、「野心」と「若さ」がそのまま形になったかのようなこの作品を時を経て再見すると言うのはただノスタルジーとは一線を画す何かを観る者に与えてくれるような気がします。この道の先に「エヴァンゲリオン」がある、というのも面白い。90年代のクリエイティブに繋がる礎ともいえる逸品、どうぞスクリーンでご堪能あれ。

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少し前から気分がふさぎがちになり、仕事でもミスが増えたというか思考がクリアにならない時間が増えてきて、これはさすがに何かがおかしいと心療内科への受診を始めたところ、「軽度のうつ病」と診断されました。
 職場にも説明して上司と面談した結果、来週から約1か月間休職することに。今までが過労気味だった影響が遂に出てしまったのかも。しばらくゆっくりしますよ。
 
 こんばんは、小島@監督です。
 職場でストレスチェックとかやるところも多いかと思います。あの結果が芳しくない時はマジでカウンセリングとか心療内科とか行った方が良い。1年放置したらここまで悪化した私からのアドバイスです。 

 さて、今回の映画は「線は、僕を描く」です。

 家族を亡くし深い哀しみに沈んでいた大学生の青山霜介(横浜流星)は、友人から紹介された絵画展設営のアルバイトで水墨画との出会いを果たす。
 巨匠・篠田湖山(三浦友和)に声を掛けられ水墨画を学び始めた霜介は、白と黒の濃淡だけで表現する水墨画の玄妙な世界へ魅せられていく。

 競技かるたに青春をかけた高校生たちを描いた青春映画の金字塔「ちはやふる」、監督小泉徳宏を筆頭にその製作陣が再結集し、今度は「水墨画」をモチーフに新たな青春映画を送り出しました。

 全てが必要十分に整い、音楽も過剰に盛られたりすることも無く実に端正に作り上げられた映画です。作中何度か登場する書家たちによる揮毫会のシーンも殺陣のようなダイナミズムに満ち、一見静的な要素の多いモチーフに思えるこの作品に躍動感をもたらしています。
 何より主人公の青年・霜介を演じる横浜流星が素晴らしい。傷心の只中にあり、恐らく世界がきっとモノクロームに見えていたであろうところから水墨画を知り、色彩を取り戻していく様を繊細に演じています。
 
 一見単純に過ぎる物語の構図に一つの変化球として存在するのが、ヒロインともいえる湖山の孫娘、清原果耶演じる篠田千瑛です。師匠である湖山は、霜介に「何か」を見出し弟子にスカウトするも教えるのが下手過ぎるため、湖山に代わって水墨画の基礎を教えることになります。霜介にとって水墨画への世界の扉を用意したのは湖山ですが、扉を開いた霜介の手を取る導き手となるのは千瑛、しかしその千瑛の方は新進気鋭の美人水墨画家として注目を集めるも彼女自身はスランプに陥っています。師であり祖父である湖山に複雑な感情を向ける千瑛と、喪失の哀しみに折り合いを付けられずにいる霜介、2人の葛藤が交差し物語を牽引します。

 そんな2人を見守るのは湖山だけではありません。特に江口洋介演じる西濱湖峯は年長者として2人を支えると同時に、ある意味で一番おいしいところをさらっていきます。いやもうズルいすよアレは(笑)

 正直非の打ち所がない作品ですが、逆を言えばあまりに端正に過ぎて全てが予想の範囲に収まり突き抜けては行かないのが欠点と言えば欠点です。さらりと気分良く観られると言うのも重要な要素なのでコレは一概に悪いこととは言えません。水墨画というこれまであまり映画では用いられてこなかったモチーフに挑む俳優たちの演技の相乗効果だけでも十二分に楽しい作品です。薫風のような爽やかな作品を観たくなった時に、是非どうぞ。
 

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前々から「そろそろ買い替えなきゃな〜」と思っていた自宅のTVがいよいよ瀕死。遂に映像がほぼ映らなくなる時が出始めました。思えば「メタルギアソリッド4」を良い画面でプレイしたいからと買ったTVを今まで使って来たのでもう15年近くになります。良くここまで使い込めたものよ。

 こんばんは、小島@監督です。
 自然と次に買うのは4K対応になるのでしょうが、液晶で行こうかいっそ有機ELにしようかで思案中。でもこの1ヶ月くらいの間には決めないと。

 さて、今回の映画は「RRR」です。

 1920年代、英国統治下のインド。森に暮らすゴーンド族のビーム(NTR JR.)はイギリス人に連れ去られた村の少女を救うべく仲間と共にデリーを訪れ、イスラム教徒の整備工一家に匿われながら少女がいると思われる総督の公邸に入り込む手段を探していた。
 一方、警察官として勤めるラーマ(ラーム・チャラン)は目覚ましい活躍をしながらもインド人であるが故に昇進できないことに忸怩たる思いを抱いていた。そんな折、総督府の下にゴーンド族がさらわれた娘の奪還のために襲撃を目論んでいるとの情報がもたらされる。成功すれば昇進できるという総督夫人の宣言を受け、ラーマは捜査責任者に立候補。反英活動家の集会に潜入し、ゴーンド族の動向を調べ始める。
 ある時、鉄道事故の現場に2人は偶然に出会う。巻き込まれた少年を救うために力を合わせた2人は互いの素性も知らぬままに運命的なものを感じ、これをきっかけに親友になっていく。しかし2人はまだ知らない。やがて互いに命をかけて戦いあうことになることを。

 3時間、最高濃度のエネルギーを放ち続けたまま駆け抜けるような映画を作る。そんなことをやってのけられる国と言えば?
 そう、インド。
 「バーフバリ」2部作で世界にその名を轟かせたS.S.ラージャマウリ監督がまたとてつもない作品を世に送り出してきました。
 英国統治下のインドを舞台に2人の男の友情と戦いを異様なまでの熱量と濃度で描き上げて観客を圧倒します。熱血という言葉がこれほど似合う映画もそうはありません。実はラーマとビームという主人公2人は舞台となった時代に実在した解放運動の闘士なのですが、2人は実際には1度も顔を合わせていないそうなので多分作中に登場するエピソードはほぼ創作と思われます。というか史実だったら嫌すぎる(笑)どちらかと言えば史上実在した人物を借りて「ラーマーヤナ」を思わせる神話的世界を創出したというイメージが近く、ある意味ではFGOなどとも近いノリとも言えるでしょう。

 全編見せ場しかないような映画で、このメガ盛ぶりこそがインド映画の真骨頂とも言えますが、ただ勢い任せに作っているのではなく「知性」を感じさせるところに凄みがあります。一見してCGと分かるショットやエフェクトも多いですが、リアリティの補強としてCGが使われるのではなく「画面を派手に彩りたい」「映画を極限まで盛り上げたい」がために計算ずくで大嘘上等のCGを盛ってくるのでそもそもVFXの映像に対するアプローチが根底から違います。
 今作を手がけたラージャマウリ監督、「バーフバリ」でもMCUシリーズや「スターウォーズ」などの映画的記憶を感じさせるシーンが登場しましたが、この作品でも例えば「モーターサイクル・ダイアリーズ」や「ランボー」を思わせるシーンが登場するものの、重要なのは単純なパロディとして映画に採り入れているのではなく映画の純度を高めるための最適解としてそれを見出し、血肉としているところにあります。

 また、もう一方である種の「怒り」を感じさせる映画でもあります。それは恐らくこの世の不条理や理不尽に対しての怒り。奇しくも、と言わざるを得ないのですがこの映画の前半のクライマックスの一つである「ナートゥ・ダンス」、その撮影は2021年のウクライナ・キーウで行われました。明るく華やかであると同時に抑圧下でも自国の文化への誇りを失わない矜持を描いたエネルギッシュなこのシーンを支えた風景も今は戦禍に見舞われている理不尽。そういった理不尽への怒りをエンターテインメントへと昇華させているのです。

 実は多分に「国民映画」としての色彩も強く、ある種のプロパガンダくささを感じさせる箇所もあるのですが、「映画」としての風格も純度も桁違いなのでそんなことは構わずこの強烈なビッグウェーブを全力で浴びて欲しいと思いますね。カロリーが高過ぎるので観ると体感で何㎏か痩せたような気分になれます。あるいは観るエナドリ。暗い話が多いご時世に一時全てを忘れさせてくれます。
 これは映画館で観ないともったいない!

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昨日と一昨日、2年前に大阪京セラドームで開催されたシンデレラガールズのライブが無料配信されていました。実のところBlu-rayは持っているのに無料配信となるとつい観てしまう不思議。
 これが開催された翌週にPerfumeが東京ドームライブを当日に中止してニュースになり、以降一気に自粛の波が広がって、今ようやくライブはまたやれるようになったものの以前のように声援を送ることはできなくなっています。コロナ禍によって激変する直前の、思うがままに声援を送りコール&レスポンスを楽しんだ最後の輝きとなったこのライブは、今観ると僅か2年半前のことなのに言い知れぬ懐かしさを覚えます。

 こんばんは、小島@監督です。
 いつかまた、こんな風に声援を送れるようになる日が来ると良いのですが。

 さて、今回の映画は「渇きと偽り」です。

 メルボルンで連邦捜査官として働くアーロン・フォーク(エリック・バナ)は、旧友であるルーク・ハドラー(マーティン・ディングル・ウォール)の葬儀に参列するため、20年ぶりに故郷のキエワラに帰ってきた。そこでは1年近くも雨が降っておらず、人々は時に飲み水にも事欠くありさまだった。一家の無理心中と目される事件だったが、ルークの両親ジェリー(ブルース・スペンス)とバーブ(ジュリア・ブレイク)は息子が心中したと言うのが納得いかず、アーロンに調査を求める。熱意に押され地元警官のグレッグ・レイコー(キーア・オドネル)と共に捜査に当たるアーロンだったが、やがてこの事件が自身が故郷を追われるきっかけともなった20年前の幼馴染エリー(ベベ・ベッテンコート)の変死事件と関りがあるのではないかと疑い始める。

 観光大国のイメージもあるであろうオーストラリアという国は、実は気候温暖化の影響を如実に受けている国でもあります。干ばつで苦しむ街や人々は国のいたるところに存在します。この映画の主舞台であるキエワラという街、実在しない架空の街ではありますがそこで描かれる様はオーストラリアが直面する現実でもあるのでしょう。そんな街を故郷とする刑事が、旧友の死を聞きつけ葬儀に駆け付けるところから物語は始まります。
 そこでアーロンを待っているのは現在と過去の2つの事件。そのどちらでもアーロンは幼馴染を喪っており、ルークの死の謎を追う現在の事件は、一方で過去にエリーが変死した事件の際にアーロンが付いてしまった「嘘」が記憶の底からアーロンを苛みます。
 王道ともいえる
ミステリーに、「嘘」で塗り固めた人の心のひだを繊細に描き出すドラマをものにしてみせたのは監督ロバート・コノリーらオーストラリアの俊英たち。主演のエリック・バナはハリウッドを中心に活躍する俳優ですが、今作のシナリオに惚れこみ製作としても名を連ね、実に13年ぶりに母国の映画で主演しています。

 この映画、特筆すべきはセリフ以上に風景が見せる現在と過去の対比です。かつて友と遊び、そして喪った川や湖も今は干上がりそこが水をたたえていたことすら忘れたかのように地面がむき出しになっています。それに呼応させられているかのように人々の心も渇き、やせてしまっている。始めは小さな小石程度だったかもしれない「嘘」も今は何重にも積み重ねてアスファルトで舗装したかのように塗り固められ本音との境界線さえ見えなくなっているものすらある。そんな汚れを洗い落としたくとも雨の降らないキエワラではシャワーからは僅かな泥水のみ。洗い落とすこともできずに自身と街に潜む陰に向き合うしかなくなるのです。

 「フーダニット」と「ホワイダニット」というミステリーの定石を踏まえながら人の心の傷が複雑に絡み合う様を描き出す、まるで濃く淹れたコーヒーのように苦みと渋みに酔いしれる1本です。
 実は数日前まで全くノーマークというか存在も知らないままにいた映画だったのですが、たまたま粗筋を知って直感に促されるままに観た1本。予想以上に自分好みでした。こういう直感には従った方が良い。

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今月から始まった「機動戦士ガンダム水星の魔女」、まだ何もかも断片しか見せていないのにキャラクターとストーリーのフックが巧く序盤から引き込まれるよう。ちょっと「少女革命ウテナ」や「新機動戦記ガンダムW」を彷彿とさせるノリも楽しい。

 こんばんは、小島@監督です。
 シリーズ構成とメインライターが「コードギアス」の大河内一楼なので先々油断できないですが、その先読みのできなさも含めて楽しませてもらえそうです。

 さて、今回の映画は「LAMB/ラム」です。

 アイスランドの人里離れた山間の土地に暮らすマリア(ノオミ・ラパス)とイングヴァル(ヒルミル・スナイル・グドゥナソン)の羊飼いの夫婦。2人は子供を亡くして悲しみに暮れていた。
 ある日、2人は1頭の羊の出産に立ち会うが、生まれてきた子羊の異様な姿に驚愕する。しかしその容貌に愛らしさを覚えた2人は「それ」を「アダ」と名付け自分たちの子供のように育てることに決めるのだった。

 尖った作風の映画を製作・配給する会社として着実に知名度を上げているインディペンデント系企業「A24」が、北欧からまたユニークな映画を発信してきました。今年も様々なタイプの映画が公開されていますが、その中でもかなり特異な部類に入る一本です。

 白夜に彩られた荒涼とした山間の風景はさながらルネ・マグリットの抽象画のようでどこまでも広いのにどこか閉鎖的に映りそこから場所を移すことは無く、登場人物も数えるほど。極めて限定的な物語空間で展開するのはホラーともファンタジーともつかないどこか寓話性の強いストーリーです。
 説明的なセリフもほとんどないままに淡々と物語が進むため、展開する事象の多くは観客の想像性に委ねられており、知らず知らずのうちに観客は「檻」とも「澱」ともつかぬ物語の様相に絡めとられ、先読みのできない不穏な空気感に煽られていくのです。

 物語がいくらかなりともその輪郭を確かなものにし始めるのは、中盤イングヴァルの弟ペートゥル(ビョルン・フリーヌル・ハラルドソン)がふらりと二人の農場にやってきてから。ペートゥルはマリアとイングヴァル、そしてアダで完結していた空間に波紋と亀裂をもたらす存在であり、それに対してマリアとイングヴァルがどう対したかが物語の行く末を決定づけます。
 登場人物の人名や物語のキーである存在が「羊」であることなどにキリスト教的モチーフを見出すことはたやすく、物語に内在する不純物の少なさが寓話というよりむしろ神話性さえ内包していると言える1本です。

 この映画を手掛けたのは「ローグ・ワン」の特殊効果などを担当したヴァルディマル・ヨハンソン。なんとこれが長編映画デビュー作。初作品からこのオリジナリティ。いきなり監督自身の名刺にできる映画を作り上げたと言って間違いなく、今後のフィルモグラフィーが楽しみです。

 観客に羊のごとく反芻を促さずにはおかず、癖が強すぎて合わない人も多いでしょうがそれ故に虜になる人もきっといるであろう怪作です。これは悪夢なのか福音なのか。
 しかし「ミッドサマー」と言い「スイスアーミー・マン」と言いA24のエッジの効いたセンスは面白い。「ノマドランド」や「スリービルボード」を発信したサーチライト・ピクチャーズのように会社の名前で選べるところが一つ増えたようです。

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