減少傾向とは言えまだ連日決して少なくはない人数の陽性者が報じられるものの、特に何か制限の掛かっていない3年ぶりのゴールデンウィークの到来に、ここ数日久しぶりのアッパーな忙しさに追われていました。ただ久しぶり過ぎて需要予測がまるで立てられない様に陥り右往左往する羽目にもなりましたが(苦笑)
こんばんは、小島@監督です。
このまま平穏な時間が戻って来ると良いのですが。まだまだいろいろと予断を許しませんね。
さて、今回の映画は「名探偵コナン ハロウィンの花嫁」です。
ハロウィンを前に賑やかさが増す渋谷、その一角で結婚式が執り行われようとしていた。江戸川コナン(声・高山みなみ)ら少年探偵団や毛利小五郎(声・小山力也)、警察関係者たちが見守る中、タキシード姿の高木渉(声・高木渉)とウェディングドレスを身にまとった佐藤美和子(声・湯屋敦子)が入場してきた。
同じ頃、安室透(声・古谷徹)と風見裕也(声・飛田展男)が逮捕後脱走した犯人に関するタレコミを受け、とある立体駐車場で張り込んでいた。果たしてタレコミ通りに犯人が現れた。しかし様子がおかしい。2人は犯人を確保しようとするが…
ゴールデンウイークの目玉として製作された作品でハロウィンとは季節外れな感じもしますが、それがコナン映画。遂にシリーズ25作目を数える「名探偵コナン」の新作が現在公開中です。近年の劇場版コナンはサブキャラクターにスポットを当てたエピソードが続きますが、今作ではTVシリーズで長くラブストーリーが綴られた高木・佐藤両刑事を中心に、屈指の人気キャラクター安室透と、彼と警察学校で動機であった4人のメンバーのエピソードが絡む構図となっています。
息の長いシリーズだからこそとも言いますが、今作の前段となっているエピソード「揺れる警視庁 1200万人の人質」が放送されたのは2003年。実に19年前!さすがに仕込みが長すぎるのを自覚しているのか、昨年製作の第24作「緋色の弾丸」公開に合わせて製作された総集編「緋色の不在証明」同様の総集編が今年も製作されました。先日「金曜ロードショー」枠内で放送された「本庁の刑事恋物語~結婚前夜」がそれで、高木・佐藤両刑事のラブストーリーを採録し構成されています。また、それだけでなくTVスペシャルだった「揺れる警視庁」も再編集されて通常の放送枠で4回にわたって再放送するなどかなり力の入った準備ぶりです。
そんな今作、ある爆破事件と脅迫事件を軸に高木&佐藤、安室透と警察学校の同期たち、中盤から登場するエレニカ(声・白石麻衣)を中心とするロシア人グループ、現在と過去に渡りいくつもの点が混在し、それらをコナンが結び付けるなかなか見事な構成をしています。容疑者の線上に上がる人物が非常に少なく、「フーダニット」よりもそこに至るまでの物語の積み上げ方に主眼を置いているあたりに第1作「時計仕掛けの摩天楼」を彷彿とさせる部分もありますね。物語の主要メンバーの大半が刑事だからか、70年代の刑事ドラマのような風合いも感じられます。
もう一つ、今作の重要なポイントに音楽があります。メインテーマを残してこれまでの「名探偵コナン」を彩ってきた大野克夫が製作から離れ、菅野祐悟が担当しています。これが思いのほか高い効果を上げています。「PSYCHO-PASS」や「祈りの幕が下りる時」などアニメや実写を問わずサスペンス・ミステリー系の作品も多く手掛けた菅野祐悟、名探偵コナンとも抜群の相性を見せます。この新鮮なマリアージュは今作の意外な拾い物と言えますね。
コナン映画お約束ともいえるクライマックスの盛大な爆発と破壊が今作では少々大人しいのでちょいと物足りなく感じる部分もありますが(笑)、総じて満足度は高いです。
もともと昨年の「緋色の弾丸」が1年延期となったことで実質2年以上の製作期間を得た今作、劇場版コナンの地力を感じられる1本となっています。今作では初めてIMAX版やDolby Cinema版も製作されていますし、20年以上ゴールデンウイークの看板をしている作品をスクリーンで味わってみてはいかがでしょう。
こんばんは、小島@監督です。
このまま平穏な時間が戻って来ると良いのですが。まだまだいろいろと予断を許しませんね。
さて、今回の映画は「名探偵コナン ハロウィンの花嫁」です。
ハロウィンを前に賑やかさが増す渋谷、その一角で結婚式が執り行われようとしていた。江戸川コナン(声・高山みなみ)ら少年探偵団や毛利小五郎(声・小山力也)、警察関係者たちが見守る中、タキシード姿の高木渉(声・高木渉)とウェディングドレスを身にまとった佐藤美和子(声・湯屋敦子)が入場してきた。
同じ頃、安室透(声・古谷徹)と風見裕也(声・飛田展男)が逮捕後脱走した犯人に関するタレコミを受け、とある立体駐車場で張り込んでいた。果たしてタレコミ通りに犯人が現れた。しかし様子がおかしい。2人は犯人を確保しようとするが…
ゴールデンウイークの目玉として製作された作品でハロウィンとは季節外れな感じもしますが、それがコナン映画。遂にシリーズ25作目を数える「名探偵コナン」の新作が現在公開中です。近年の劇場版コナンはサブキャラクターにスポットを当てたエピソードが続きますが、今作ではTVシリーズで長くラブストーリーが綴られた高木・佐藤両刑事を中心に、屈指の人気キャラクター安室透と、彼と警察学校で動機であった4人のメンバーのエピソードが絡む構図となっています。
息の長いシリーズだからこそとも言いますが、今作の前段となっているエピソード「揺れる警視庁 1200万人の人質」が放送されたのは2003年。実に19年前!さすがに仕込みが長すぎるのを自覚しているのか、昨年製作の第24作「緋色の弾丸」公開に合わせて製作された総集編「緋色の不在証明」同様の総集編が今年も製作されました。先日「金曜ロードショー」枠内で放送された「本庁の刑事恋物語~結婚前夜」がそれで、高木・佐藤両刑事のラブストーリーを採録し構成されています。また、それだけでなくTVスペシャルだった「揺れる警視庁」も再編集されて通常の放送枠で4回にわたって再放送するなどかなり力の入った準備ぶりです。
そんな今作、ある爆破事件と脅迫事件を軸に高木&佐藤、安室透と警察学校の同期たち、中盤から登場するエレニカ(声・白石麻衣)を中心とするロシア人グループ、現在と過去に渡りいくつもの点が混在し、それらをコナンが結び付けるなかなか見事な構成をしています。容疑者の線上に上がる人物が非常に少なく、「フーダニット」よりもそこに至るまでの物語の積み上げ方に主眼を置いているあたりに第1作「時計仕掛けの摩天楼」を彷彿とさせる部分もありますね。物語の主要メンバーの大半が刑事だからか、70年代の刑事ドラマのような風合いも感じられます。
もう一つ、今作の重要なポイントに音楽があります。メインテーマを残してこれまでの「名探偵コナン」を彩ってきた大野克夫が製作から離れ、菅野祐悟が担当しています。これが思いのほか高い効果を上げています。「PSYCHO-PASS」や「祈りの幕が下りる時」などアニメや実写を問わずサスペンス・ミステリー系の作品も多く手掛けた菅野祐悟、名探偵コナンとも抜群の相性を見せます。この新鮮なマリアージュは今作の意外な拾い物と言えますね。
コナン映画お約束ともいえるクライマックスの盛大な爆発と破壊が今作では少々大人しいのでちょいと物足りなく感じる部分もありますが(笑)、総じて満足度は高いです。
もともと昨年の「緋色の弾丸」が1年延期となったことで実質2年以上の製作期間を得た今作、劇場版コナンの地力を感じられる1本となっています。今作では初めてIMAX版やDolby Cinema版も製作されていますし、20年以上ゴールデンウイークの看板をしている作品をスクリーンで味わってみてはいかがでしょう。
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昨日開催された「THE IDOLM@STER SHINY COLORS 4thLIVE 空は澄み、今を越えて。」Day2を配信で鑑賞。過去と現在の積み重ねの向こうに未来を仰ぎ見る、そんなリリカルなコンセプトのライブで、時に繊細に時に暴れるような感情の奔流に身を委ねられる充実したステージでした。現地で観れていればそれこそ全身浴でもするかの如くカタルシスに浸れていたことでしょう。アイドルマスターの末っ子シャイニーカラーズも気付けば他のどれとも違う道をちゃんと歩けるようになっていました。その道がどこまで続いているのか、楽しみでなりません。
こんばんは、小島@監督です。
仕事の都合で観れなかったDay1も配信チケットは買ってあるのでこの後アーカイブを堪能することにします。
さて、今回の映画は「シャドウ・イン・クラウド」です。
1943年、ニュージーランド・オークランド空軍基地から飛び立とうとするB-17大型爆撃機「フールズ・エランド号」にモード・ギャレット空軍大尉(クロエ・グレース・モレッツ)が乗り込んできた。上官からの密命を帯びて派遣されたと主張するモードだが、フールズ・エランド号の乗組員たちは爆撃機に女性が乗ることに反発し嘲笑を向け、モードを狭い回転銃座の中に押し込めてしまった。
離陸したフールズ・エランド号は悪天候の中で航行を続け、高度2,500mに達する頃、モードは視界の隅に不気味に動く怪物の姿を捉える。しかし乗組員たちはモードの報告を誰も信じようとしない。じれるモードをあざ笑うかのように怪物は牙をむいて爆撃機に襲い掛かってきた。
最近公開される大作系映画が軒並み2時間どころか2時間半も超え気味で、それはそれで観てて楽しいのですがちょいと胃もたれしかかっていたところに、低予算で登場人物も少なめ、上映時間も83分と短い絶妙にライトな逸品が登場してくれました。
作中で「グレムリン」と呼称される謎のモンスター、名を聞けば多くの方がスティーブン・スピルバーグ製作総指揮、ジョー・ダンテ監督の傑作映画「グレムリン」(1984年)が思い出されるでしょうが、この「シャドウ・イン・クラウド」に登場するのは水を浴びると大量増殖する悪戯妖精ではなく第2次大戦中にイギリス空軍兵たちの間で噂に上った方。原因不明の飛行トラブルに見舞われた兵士たちの間で「故障はグレムリンの仕業だ」と言われていたアレです。目撃例まである話ですが、実際のところは味方である整備兵たちの不手際と責任を回避するためにグレムリンのせいにしたという説が有力で、目撃例についても任務中に極度の緊張状態に陥った兵士の妄想や幻覚だとされています。1983年製作のオムニバス映画「トワイライトゾーン/超次元の体験」の1編「2万フィートの戦慄」ではこのグレムリンのフォークロアをモチーフにした作品が登場し、「シャドウ・イン・クラウド」はこれへのオマージュも感じられる作品になっています。
物語の構成もなかなかユニーク。映画前半、カメラは回転銃座に押し込められたモードに固定され、爆撃機内の様子は機内通信越しに語られる会話のみ。ミソジニー丸出しで無遠慮かつ嘲笑的な会話をモードにぶつけ、更には乗組員たちは「そもそもお前は本当に空軍大尉なのか」とモードの存在そのものに不信感と疑心暗鬼を募らせていきます。
窮屈で動きの無い画面と不審と疑念に満ちた会話劇により募るフラストレーション、これが沸点に到達しようかという頃、グレムリンが襲撃するわ、更には零戦(!)と会敵するわで突如映像から熱量とハッタリが急上昇します。この爆発力は素直に押したい。ここまで秘密を抱えて小さな嘘を重ねるヒロインを抑制された演技で見せていたクロエ・グレース・モレッツはアクションヒロインにシフトチェンジ。ドッグファイトとモンスターバトルが同時進行する戦場で獅子奮迅の活躍を見せ、グレムリンと素手喧嘩(ステゴロ)キメるクライマックスに至りボルテージも最高潮。そうそう、B級映画はこうでなくては(笑)!
誰が見ても振り返りそうな美人なのに異端的なキャラクターを演じてる時こそ輝くクロエ・グレース・モレッツの存在感はこの映画でも際立っていて、彼女のフィルモグラフィーに新たな1ページが刻まれたと言っていいでしょう。
傑作と呼ぶには至らないけれど、ちょっと風変わりな、それでいて楽しい作品。まばゆい大作映画が相次ぐシーズンですが、ふと辺りを見回すとこんな映画が転がっていたりします。何とはなしに観てみるのもまた楽しいですよ。
こんばんは、小島@監督です。
仕事の都合で観れなかったDay1も配信チケットは買ってあるのでこの後アーカイブを堪能することにします。
さて、今回の映画は「シャドウ・イン・クラウド」です。
1943年、ニュージーランド・オークランド空軍基地から飛び立とうとするB-17大型爆撃機「フールズ・エランド号」にモード・ギャレット空軍大尉(クロエ・グレース・モレッツ)が乗り込んできた。上官からの密命を帯びて派遣されたと主張するモードだが、フールズ・エランド号の乗組員たちは爆撃機に女性が乗ることに反発し嘲笑を向け、モードを狭い回転銃座の中に押し込めてしまった。
離陸したフールズ・エランド号は悪天候の中で航行を続け、高度2,500mに達する頃、モードは視界の隅に不気味に動く怪物の姿を捉える。しかし乗組員たちはモードの報告を誰も信じようとしない。じれるモードをあざ笑うかのように怪物は牙をむいて爆撃機に襲い掛かってきた。
最近公開される大作系映画が軒並み2時間どころか2時間半も超え気味で、それはそれで観てて楽しいのですがちょいと胃もたれしかかっていたところに、低予算で登場人物も少なめ、上映時間も83分と短い絶妙にライトな逸品が登場してくれました。
作中で「グレムリン」と呼称される謎のモンスター、名を聞けば多くの方がスティーブン・スピルバーグ製作総指揮、ジョー・ダンテ監督の傑作映画「グレムリン」(1984年)が思い出されるでしょうが、この「シャドウ・イン・クラウド」に登場するのは水を浴びると大量増殖する悪戯妖精ではなく第2次大戦中にイギリス空軍兵たちの間で噂に上った方。原因不明の飛行トラブルに見舞われた兵士たちの間で「故障はグレムリンの仕業だ」と言われていたアレです。目撃例まである話ですが、実際のところは味方である整備兵たちの不手際と責任を回避するためにグレムリンのせいにしたという説が有力で、目撃例についても任務中に極度の緊張状態に陥った兵士の妄想や幻覚だとされています。1983年製作のオムニバス映画「トワイライトゾーン/超次元の体験」の1編「2万フィートの戦慄」ではこのグレムリンのフォークロアをモチーフにした作品が登場し、「シャドウ・イン・クラウド」はこれへのオマージュも感じられる作品になっています。
物語の構成もなかなかユニーク。映画前半、カメラは回転銃座に押し込められたモードに固定され、爆撃機内の様子は機内通信越しに語られる会話のみ。ミソジニー丸出しで無遠慮かつ嘲笑的な会話をモードにぶつけ、更には乗組員たちは「そもそもお前は本当に空軍大尉なのか」とモードの存在そのものに不信感と疑心暗鬼を募らせていきます。
窮屈で動きの無い画面と不審と疑念に満ちた会話劇により募るフラストレーション、これが沸点に到達しようかという頃、グレムリンが襲撃するわ、更には零戦(!)と会敵するわで突如映像から熱量とハッタリが急上昇します。この爆発力は素直に押したい。ここまで秘密を抱えて小さな嘘を重ねるヒロインを抑制された演技で見せていたクロエ・グレース・モレッツはアクションヒロインにシフトチェンジ。ドッグファイトとモンスターバトルが同時進行する戦場で獅子奮迅の活躍を見せ、グレムリンと素手喧嘩(ステゴロ)キメるクライマックスに至りボルテージも最高潮。そうそう、B級映画はこうでなくては(笑)!
誰が見ても振り返りそうな美人なのに異端的なキャラクターを演じてる時こそ輝くクロエ・グレース・モレッツの存在感はこの映画でも際立っていて、彼女のフィルモグラフィーに新たな1ページが刻まれたと言っていいでしょう。
傑作と呼ぶには至らないけれど、ちょっと風変わりな、それでいて楽しい作品。まばゆい大作映画が相次ぐシーズンですが、ふと辺りを見回すとこんな映画が転がっていたりします。何とはなしに観てみるのもまた楽しいですよ。
サイバー攻撃の影響で製作がストップしていた東映アニメーションが、ようやく「ワンピース」や「デリシャスパーティ♡プリキュア」と言った自社作品の放送再開に漕ぎ着け、延期となっていた「ドラゴンボール超」の封切り日も決まるなど何とか再始動してくれて嬉しい限りです。ここ数ヶ月サイバー攻撃により企業がダメージを受けた話が相次ぎ、自分の仕事に近いところでは月桂冠が数日注文を受け付けられず商品が出荷できない事態に陥ったりしていました。ネットの海でも不穏な話が尽きないというのは嫌なものですね。
こんばんは、小島@監督です。
日曜日にプリキュアが観られないと地味にメンタルに来るんすわ。
さて、今回の映画は「ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密」です。
普通の人間「マグル」に全面戦争を仕掛けようとし、魔法界で勢力を伸ばし続けるゲラール・グリンデルバルド(マッツ・ミケルセン)、その野望を阻止しようとするアルバス・ダンブルドア(ジュード・ロウ)だったが自身ではグリンデルバルドを止められないため元教え子で魔法動物学者のニュート・スキャマンダー(エディ・レッドメイン)に依頼し少人数のチームを結成する。
ニューヨークでパン屋を営むジェイコブ・コワルスキー(ダン・フォグラー)は最愛の女性クイニー・ゴールドスタイン(アリソン・スドル)がグリンデルバルドの元に去って落ち込んでしまい、繁盛していたパン屋もすっかり寂れてしまっていた。そんなジェイコブの前にニュートの依頼を受けた呪文学の教師ユーラリー・ヒックス(ジェシカ・ウィリアムズ)が現れる。
「ハリー・ポッターシリーズ」に連なり、その前の時代を描く「ファンタスティック・ビースト」、5部作を予定しているシリーズの第3作目が公開されました。キャストにもスタッフにもアカデミー賞受賞もしくはノミネート歴を持つ方々が何人もいる、まさに大作と呼ぶに相応しい布陣と迫力の映像でゴールデンウイーク・シーズンを飾る作品らしい1本になっています。コリーン・アトウッド(彼もアカデミー賞受賞経験者)手掛ける1930年代風衣裳がとにかく素晴らしいので画の華々しさはピカイチでしょう。
「ハリー・ポッター」の原作者J・K・ローリング自身が脚本を手掛けた前作が興行成績は良かったものの物語の評価は今一つだったことの反省を踏まえてか、今作では映画「ハリポタ」8作品中7作品のシナリオを書いたスティーヴ・クローヴスが共同脚本として参加しており、それが功を奏したか、前作よりメリハリの効いた作品になっています。また、前作までグリンデルバルド役を演じていたジョニー・デップが家庭内暴力関連の裁判で敗訴した影響で降板し、マッツ・ミケルセンが引き継いだという点も踏まえ、続編というより仕切り直しのような印象です。
面白い、というか観る人によって印象が変わるだろうなという最大のポイントが「ダンブルドアの秘密」という副題そのものにあります。実はこれ変な意訳ではなく原題もこのまま。ですが溜めて溜めてクライマックスに衝撃の事実が明らかにされる、という類のものではありません。ごく序盤でかなりあっさりと言及されます。むしろ「秘密」の内容そのものよりそれをどのような気持ちでダンブルドアが抱えてきたかを踏み込んで描いているのが特徴。そこをどう観るかでこの映画に対する評価も大きく変わってくるでしょう。
また、これを主軸にニュートの活躍やコワルスキーとクイニーの関係なども合わせて描かれていくので前作同様に構成要素の多い凝った物語になっており、悪い言い方をすればかなり唐突な展開も目につき、登場人物の背景を把握できていなければ振り落とされてしまいかねない部分も散見されます。予習はしておくに越したことはありません。
ところでジョニー・デップからグリンデルバルド役を引き継いだマッツ・ミケルセン、個人的な印象になりますがグリンデルバルドというキャラクターにはむしろ合っているように見受けられました。冷酷なカリスマであったグリンデルバルドの意外な「もろさ」が露呈する今作にあって、その「もろさ」を品格を以て演じ切るその居住まいがあまりにも見事なのです。ダンブルドア役ジュード・ロウとの化学反応はこの作品の見どころの一つと言っていいでしょう。
前作より引き続きや留め置きとなっていた部分の多くに一応の決着がつきポジティブな余韻を残してくれるのも高ポイント。総じて得られる満足度は高い1本。コレを踏まえて残り2作でどのような展開を見せるのか、ハリー・ポッターの時代へどう繋がっていくのか楽しみです。
こんばんは、小島@監督です。
日曜日にプリキュアが観られないと地味にメンタルに来るんすわ。
さて、今回の映画は「ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密」です。
普通の人間「マグル」に全面戦争を仕掛けようとし、魔法界で勢力を伸ばし続けるゲラール・グリンデルバルド(マッツ・ミケルセン)、その野望を阻止しようとするアルバス・ダンブルドア(ジュード・ロウ)だったが自身ではグリンデルバルドを止められないため元教え子で魔法動物学者のニュート・スキャマンダー(エディ・レッドメイン)に依頼し少人数のチームを結成する。
ニューヨークでパン屋を営むジェイコブ・コワルスキー(ダン・フォグラー)は最愛の女性クイニー・ゴールドスタイン(アリソン・スドル)がグリンデルバルドの元に去って落ち込んでしまい、繁盛していたパン屋もすっかり寂れてしまっていた。そんなジェイコブの前にニュートの依頼を受けた呪文学の教師ユーラリー・ヒックス(ジェシカ・ウィリアムズ)が現れる。
「ハリー・ポッターシリーズ」に連なり、その前の時代を描く「ファンタスティック・ビースト」、5部作を予定しているシリーズの第3作目が公開されました。キャストにもスタッフにもアカデミー賞受賞もしくはノミネート歴を持つ方々が何人もいる、まさに大作と呼ぶに相応しい布陣と迫力の映像でゴールデンウイーク・シーズンを飾る作品らしい1本になっています。コリーン・アトウッド(彼もアカデミー賞受賞経験者)手掛ける1930年代風衣裳がとにかく素晴らしいので画の華々しさはピカイチでしょう。
「ハリー・ポッター」の原作者J・K・ローリング自身が脚本を手掛けた前作が興行成績は良かったものの物語の評価は今一つだったことの反省を踏まえてか、今作では映画「ハリポタ」8作品中7作品のシナリオを書いたスティーヴ・クローヴスが共同脚本として参加しており、それが功を奏したか、前作よりメリハリの効いた作品になっています。また、前作までグリンデルバルド役を演じていたジョニー・デップが家庭内暴力関連の裁判で敗訴した影響で降板し、マッツ・ミケルセンが引き継いだという点も踏まえ、続編というより仕切り直しのような印象です。
面白い、というか観る人によって印象が変わるだろうなという最大のポイントが「ダンブルドアの秘密」という副題そのものにあります。実はこれ変な意訳ではなく原題もこのまま。ですが溜めて溜めてクライマックスに衝撃の事実が明らかにされる、という類のものではありません。ごく序盤でかなりあっさりと言及されます。むしろ「秘密」の内容そのものよりそれをどのような気持ちでダンブルドアが抱えてきたかを踏み込んで描いているのが特徴。そこをどう観るかでこの映画に対する評価も大きく変わってくるでしょう。
また、これを主軸にニュートの活躍やコワルスキーとクイニーの関係なども合わせて描かれていくので前作同様に構成要素の多い凝った物語になっており、悪い言い方をすればかなり唐突な展開も目につき、登場人物の背景を把握できていなければ振り落とされてしまいかねない部分も散見されます。予習はしておくに越したことはありません。
ところでジョニー・デップからグリンデルバルド役を引き継いだマッツ・ミケルセン、個人的な印象になりますがグリンデルバルドというキャラクターにはむしろ合っているように見受けられました。冷酷なカリスマであったグリンデルバルドの意外な「もろさ」が露呈する今作にあって、その「もろさ」を品格を以て演じ切るその居住まいがあまりにも見事なのです。ダンブルドア役ジュード・ロウとの化学反応はこの作品の見どころの一つと言っていいでしょう。
前作より引き続きや留め置きとなっていた部分の多くに一応の決着がつきポジティブな余韻を残してくれるのも高ポイント。総じて得られる満足度は高い1本。コレを踏まえて残り2作でどのような展開を見せるのか、ハリー・ポッターの時代へどう繋がっていくのか楽しみです。
藤子不二雄Aこと安孫子素雄さんが亡くなられたとのニュースが。子供向け漫画の「忍者ハットリくん」や「怪物くん」に始まり、「魔太郎がくる」「笑うせえるすまん」のような人間の醜い部分をえぐるダークな作風の物に親しんだ方も多いでしょう。私も「まんが道」を何度読み返したか知れません。88歳、大往生でしょうが、それでも幼い頃から触れてきた方が去っていくのは寂しいものですね。
こんばんは、小島@監督です。
今頃天国で相棒やトキワ荘の住人たちと再会を楽しんでいるのでしょうか。
さて、今回の映画は「TITANE/チタン」です。
幼い頃、交通事故により頭蓋骨にチタンプレートを埋め込まれたアレクシア(アガト・ルセル)は、それ以来自動車に対して異常な性的興奮を抱くようになった。執着にも似た衝動に駆られるようになったアレクシアは、行きずりの人と逢瀬を重ねる度にその相手を殺してしまうようになる。殺人を繰り返しすぎた末に行き場を無くしたアレクシアは消防士のヴァンサン(ヴァンサン・ランドン)と出会う。10年前に息子が行方不明となり孤独に生きたヴァンサンとアレクシアの奇妙な共同生活が始まる。だが、アレクシアの身体にはある異変が起きつつあった…
「唯一無二」という言葉が似合ってしまう映画はたまに現れるもので、またとんでもないものが世に登場してしまいました。しかもこのエッジの効いたというか尖り過ぎた作品がカンヌ国際映画祭最高賞パルムドール受賞。良くこんな突然変異みたいな作品を見つけ出したな。カンヌは思った以上に自由で懐が深いかもしれない。
体を重ねようとする人を特に動機なく次々と殺していく、敢えて言うならサディズムに突き動かされた衝動殺人とでも言うしかないアレクシアの倒錯的な姿を「痛み」を前面に出した画で描く前半はまるで「スキャナーズ」「クラッシュ」などで知られるデヴィッド・クローネンバーグ作品を彷彿とさせます。が、それだけではありません。作中ではまさに文字通り(?)のカーセックスをするフェティシズム全開なシーンも登場し、ぶっちゃけかなり変態度の高い映画です。しかしこのまま一人の女性の猟奇的な破滅行に終始するかと思いきやヴァンサンの登場で物語は奇妙な方向へシフトしていきます。素性を隠すアレクシアと彼女を行方不明の息子と信じるヴァンサンとの歪な共生関係、その間にもアレクシアは内から来る「異変」により恐怖に苛まれるようになります。落としどころの見えない不安定さは結果的にホラーでもありバイオレンスでもありSFでもパンクでもある、更にはそれらの中にブラックな笑いも数多く仕込まれている、いくつものジャンルを横断し、安易なカテゴライズを拒む作品として観客を翻弄します。
恐らく突き詰めればこれは一種のラブストーリー(とは言えそれはいわゆる男女間のそれでは決してない。何に対しての、誰に対しての「愛」なのかは見て確かめて頂くしかない)なのでしょう。だからこそこれほど奇抜な作風でありながらカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞するまでに至ったのではと思います。
ちょっとうまい感想が思いつかない、ただ「何かすごいもの観た」という感慨は間違いなく強烈に湧く逸品。かなり「痛い」画も多く、観客に「目を背けない」覚悟を求める作品なので気軽に薦められる映画ではないですが、取り敢えずカンヌ受賞作品は押さえておきたいという方、あるいは強烈な個性を味わいたい方は是非。この独自性は人生でもなかなか出くわせるものではありません。
こんばんは、小島@監督です。
今頃天国で相棒やトキワ荘の住人たちと再会を楽しんでいるのでしょうか。
さて、今回の映画は「TITANE/チタン」です。
幼い頃、交通事故により頭蓋骨にチタンプレートを埋め込まれたアレクシア(アガト・ルセル)は、それ以来自動車に対して異常な性的興奮を抱くようになった。執着にも似た衝動に駆られるようになったアレクシアは、行きずりの人と逢瀬を重ねる度にその相手を殺してしまうようになる。殺人を繰り返しすぎた末に行き場を無くしたアレクシアは消防士のヴァンサン(ヴァンサン・ランドン)と出会う。10年前に息子が行方不明となり孤独に生きたヴァンサンとアレクシアの奇妙な共同生活が始まる。だが、アレクシアの身体にはある異変が起きつつあった…
「唯一無二」という言葉が似合ってしまう映画はたまに現れるもので、またとんでもないものが世に登場してしまいました。しかもこのエッジの効いたというか尖り過ぎた作品がカンヌ国際映画祭最高賞パルムドール受賞。良くこんな突然変異みたいな作品を見つけ出したな。カンヌは思った以上に自由で懐が深いかもしれない。
体を重ねようとする人を特に動機なく次々と殺していく、敢えて言うならサディズムに突き動かされた衝動殺人とでも言うしかないアレクシアの倒錯的な姿を「痛み」を前面に出した画で描く前半はまるで「スキャナーズ」「クラッシュ」などで知られるデヴィッド・クローネンバーグ作品を彷彿とさせます。が、それだけではありません。作中ではまさに文字通り(?)のカーセックスをするフェティシズム全開なシーンも登場し、ぶっちゃけかなり変態度の高い映画です。しかしこのまま一人の女性の猟奇的な破滅行に終始するかと思いきやヴァンサンの登場で物語は奇妙な方向へシフトしていきます。素性を隠すアレクシアと彼女を行方不明の息子と信じるヴァンサンとの歪な共生関係、その間にもアレクシアは内から来る「異変」により恐怖に苛まれるようになります。落としどころの見えない不安定さは結果的にホラーでもありバイオレンスでもありSFでもパンクでもある、更にはそれらの中にブラックな笑いも数多く仕込まれている、いくつものジャンルを横断し、安易なカテゴライズを拒む作品として観客を翻弄します。
恐らく突き詰めればこれは一種のラブストーリー(とは言えそれはいわゆる男女間のそれでは決してない。何に対しての、誰に対しての「愛」なのかは見て確かめて頂くしかない)なのでしょう。だからこそこれほど奇抜な作風でありながらカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞するまでに至ったのではと思います。
ちょっとうまい感想が思いつかない、ただ「何かすごいもの観た」という感慨は間違いなく強烈に湧く逸品。かなり「痛い」画も多く、観客に「目を背けない」覚悟を求める作品なので気軽に薦められる映画ではないですが、取り敢えずカンヌ受賞作品は押さえておきたいという方、あるいは強烈な個性を味わいたい方は是非。この独自性は人生でもなかなか出くわせるものではありません。
約2年半ぶりにライブ遠征してきました。泊りがけの移動も1年以上していないので本当に久しぶり。
ちょっぴり時間に余裕もあったので府中の東京競馬場に立ち寄ってみたりもして、少々強行軍でしたが満喫してきました。
こんばんは、小島@監督です。
ただ日頃デスクワーカーなので歩き詰め&ライブではしゃぎすぎでまだ足に来てますがね(苦笑)
さて、そんな週末で「THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS 10th ANNIVERSARY M@GICAL WONDERLAND!!!」を観てきました。
「アイドルマスターシンデレラガールズ」10周年を記念するライブツアーを締めくくる最後の2日間。スケジュールの都合で現地で観れたのはDay1だけ(Day2も配信で観てますが)でしたが全力で堪能してきました。
出演者もコンセプトもオールシークレットで事前情報一切無しという異色づくめのステージは、Day1ではこれまでのライブを彩ってきた楽曲や演出を踏襲して見せるいわば「ライブの総集編」。敢えて全体曲ではなくソロ曲「ミツボシ☆☆★」で始まるステージは、多くの「思い出」を衣裳も当時と同じものを用意して再現、さらにいくつか当時拾いきれなかったものを拾い上げる「+α」のものとして、そこに10年分の経験を乗せて見せに来るので実に「強い」。Day2ではゲームやアニメ、コミックなど各媒体で取り入れられてきた楽曲や趣向などを盛り込んで構成。両日とも衣装の種類も豊富で絢爛なショーアップを続けて来たシンデレラガールズらしい華やかさに満ちていました。今現在ボイスキャストのいないキャラクターもなるたけ画面に登場させようという意識が随所に感じられるのも10周年という節目に相応しい演出。時に新鮮、時に重厚。10年間の集大成を2日間で詰めるだけ詰め込んでみせた印象です。
とにかく強烈にハイ・ボリュームなライブで2日間で披露された楽曲の数は合計100曲!これを実現するのにMCはその日出演しない声優陣の事前収録による音声のみという極限まで切り詰められた体裁を取っており、4時間オーバーでほとんどインターバルが無い状態。更に出演者の数も尋常ではなく両日合わせて延べ100人以上。もはや数の暴力。両日とも1番最後に登場した人は開演3時間以上経過した後なのでその間どうやって待っていたのだろうかと要らない心配を覚えたくらいです。
非常に楽しいライブでしたが大きな欠点が一つ。ステージには城を模したセットが設られており、その前面には4本の尖塔が立っていたのですが、これが座席によっては大きな死角を作っていて出演者の立ち位置によっては全く見えなくなる(私がそうだった)のがかなりのマイナス。確かに見栄えの重厚感は良いものの演出に寄与する様な仕掛けが施されているでなくただ屹立するこの尖塔によって、演出意図が伝わらないどころかそもそも見えもしないエリアがステージの中央に近い部分に広範囲に生じているというのは悪手が過ぎて論外です。配信が常態化したとはいえ客席に人を入れているなら、そしてどの座席も同じ金額を取っているなら、そのことをもっとちゃんと意識して欲しかったところですね。出演者のパフォーマンスが素晴らしかっただけに尚更もったいない。
大きな欠点はあったものの、徹底して10年間の「積み重ね」を見せ切った2日間。私自身もこれだけの「音」を全身に浴びたのは久しぶりという事もあって、翌日に腕とか足に来るくらいには堪能しました。厳かですらあった祝祭の先にこれからシンデレラガールズが何を見せてくれるのか。楽しみは尽きません。
ちょっぴり時間に余裕もあったので府中の東京競馬場に立ち寄ってみたりもして、少々強行軍でしたが満喫してきました。
こんばんは、小島@監督です。
ただ日頃デスクワーカーなので歩き詰め&ライブではしゃぎすぎでまだ足に来てますがね(苦笑)
さて、そんな週末で「THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS 10th ANNIVERSARY M@GICAL WONDERLAND!!!」を観てきました。
「アイドルマスターシンデレラガールズ」10周年を記念するライブツアーを締めくくる最後の2日間。スケジュールの都合で現地で観れたのはDay1だけ(Day2も配信で観てますが)でしたが全力で堪能してきました。
出演者もコンセプトもオールシークレットで事前情報一切無しという異色づくめのステージは、Day1ではこれまでのライブを彩ってきた楽曲や演出を踏襲して見せるいわば「ライブの総集編」。敢えて全体曲ではなくソロ曲「ミツボシ☆☆★」で始まるステージは、多くの「思い出」を衣裳も当時と同じものを用意して再現、さらにいくつか当時拾いきれなかったものを拾い上げる「+α」のものとして、そこに10年分の経験を乗せて見せに来るので実に「強い」。Day2ではゲームやアニメ、コミックなど各媒体で取り入れられてきた楽曲や趣向などを盛り込んで構成。両日とも衣装の種類も豊富で絢爛なショーアップを続けて来たシンデレラガールズらしい華やかさに満ちていました。今現在ボイスキャストのいないキャラクターもなるたけ画面に登場させようという意識が随所に感じられるのも10周年という節目に相応しい演出。時に新鮮、時に重厚。10年間の集大成を2日間で詰めるだけ詰め込んでみせた印象です。
とにかく強烈にハイ・ボリュームなライブで2日間で披露された楽曲の数は合計100曲!これを実現するのにMCはその日出演しない声優陣の事前収録による音声のみという極限まで切り詰められた体裁を取っており、4時間オーバーでほとんどインターバルが無い状態。更に出演者の数も尋常ではなく両日合わせて延べ100人以上。もはや数の暴力。両日とも1番最後に登場した人は開演3時間以上経過した後なのでその間どうやって待っていたのだろうかと要らない心配を覚えたくらいです。
非常に楽しいライブでしたが大きな欠点が一つ。ステージには城を模したセットが設られており、その前面には4本の尖塔が立っていたのですが、これが座席によっては大きな死角を作っていて出演者の立ち位置によっては全く見えなくなる(私がそうだった)のがかなりのマイナス。確かに見栄えの重厚感は良いものの演出に寄与する様な仕掛けが施されているでなくただ屹立するこの尖塔によって、演出意図が伝わらないどころかそもそも見えもしないエリアがステージの中央に近い部分に広範囲に生じているというのは悪手が過ぎて論外です。配信が常態化したとはいえ客席に人を入れているなら、そしてどの座席も同じ金額を取っているなら、そのことをもっとちゃんと意識して欲しかったところですね。出演者のパフォーマンスが素晴らしかっただけに尚更もったいない。
大きな欠点はあったものの、徹底して10年間の「積み重ね」を見せ切った2日間。私自身もこれだけの「音」を全身に浴びたのは久しぶりという事もあって、翌日に腕とか足に来るくらいには堪能しました。厳かですらあった祝祭の先にこれからシンデレラガールズが何を見せてくれるのか。楽しみは尽きません。
それなりに田舎暮らしなのを自覚しているので近所でたまにタヌキやイタチを目撃してもそれほど驚かないのですが、さすがに先日カモシカを見た時はビビりました。まさか天然記念物と間近にエンカウントする日が来るとは。おとなしい性格の動物なのでゆっくりと立ち去っていくのを静かに見ていましたが。ただ驚きの方が強くてスマホで写真を撮っておくのを怠ってしまったのは後悔しましたね(笑)
こんばんは、小島@監督です。
もしもまた現れるような事があったら今度は写真に収めておきたいけど、そう思ってる内は多分出くわさないものでして。
さて、今回は最近配信で観た映画の中から1本。「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」です。
ニューヨーク公共図書館、そこは本館に加えて92もの分館を有する世界最大規模の私立図書館。6,000万点という膨大なコレクションを有するだけでなく、地域住民や研究者たちへの質の高いサービスでも知られている、「知の殿堂」とでも言うべき施設の職員たちと様々な目的をもって訪問する利用者の姿を綴る。
1960年代からドキュメンタリー映画を製作し続け、「パリ・オペラ座のすべて」や「ナショナル・ギャラリー 英国の至宝」などで知られる巨匠フレデリック・ワイズマンが2017年に発表した作品です。
名称に「公共」と名を持つものの設置主体は自治体ではなくNPOで年間予算の20%ほどは民間からの寄付で賄っているというニューヨーク公共図書館の、観光客が立ち入れない領域にも踏み込みその様子を記録したドキュメンタリーです。公開当時気にはなっていたのですが、上映館がそれほど多くはなかった上に206分という長尺故に上映回数も少なく結局機会もつかめぬままに終わってしまった1本がいつの間にやらAmazonプライムで配信されるようになっていました。
観ていて驚くのは、「図書館って何だっけ!?」と思ってしまうほどこのニューヨーク公共図書館の利用価値の高さ、取り組みの多彩さです。作家や研究者の講演会やトークショー(リチャード・ドーキンスやエルヴィス・コステロなどが映画に登場する)、読書の感想会、詩の朗読会だけでなく手話の勉強会、シニア向けのダンス教室、子供向けのロボット製作会、就職支援や起業セミナーまで行っています。更には自宅にネット環境の無い人へWi-Fiルーターを貸し出したりPCの操作をレクチャーしたりもしています。しかもそれら全ての利用は原則として無料で提供されていると言うのが凄い。社会インフラとしての機能力と発信力の強さが尋常じゃありません。
92もある分館がそれぞれ専門性を特化させたものだったり地域的な特性に合わせたサービスを提供しているのも凄い。ハンディキャップを持った人にも同等のサービスが受けられるように設備とスタッフを揃えている所も映し出します。その扉を開けるものには文化的な生活を送るための全てを備えている、それは即ち「公共(パブリック)」の本質に他なりません。と同時に民主主義の「土台」ともいえる部分も浮き彫りにしていきます。
そんな施設に勤めるスタッフの姿も実に印象的。映画の中には度々ミーティングのシーンが登場します。民間の寄付と行政の支援金で成立する組織が多彩なサービスを提供するためにどうやって予算を獲得するか、獲得できない場合に質的向上をどうやって実現するか、既に解決済みであると思われている箇所が実はまだ途上にあることをどうやって意識してもらうのか、誰にも門戸を開きたいが、一人が長時間居座って他の人を締め出されかねないとホームレス対策に悩んだりと良くここまでオープンにしたなと感心するほど実践的な議論が交わされ実にエキサイティング。もちろん緊張感漂う静寂の中で古い資料の保存を行う様や書籍の朗読の録音風景など多様なセクションで働くスタッフのプロフェッショナルぶりも随所に登場し、興味深いシーンが尽きることがありません。
特定の誰かを主軸に据えて構成されてはいないので散文的にも見えますが、それでいて映像の持つリズムはどこか軽やかですらあり、エンドクレジットに入る直前のシーンのチョイスの小粋さまで含めて編集のセンスがずば抜けています。206分もあるというのに遊びも余剰もほとんどないと言っていいほど超高密度な情報量を誇り、絶品のドキュメンタリー映画と言えるでしょう。
それでもさすがに長すぎると言うのなら短いシーンの連続で構成された作品ですし自宅で観る分には手ごろなところで休憩をはさんでも良いでしょう。けれどこの長さに付き合うだけの価値を容易く見出せるほど知的な刺激に満ちた作品です。是非多くの方にご覧いただきたいですね。
こんばんは、小島@監督です。
もしもまた現れるような事があったら今度は写真に収めておきたいけど、そう思ってる内は多分出くわさないものでして。
さて、今回は最近配信で観た映画の中から1本。「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」です。
ニューヨーク公共図書館、そこは本館に加えて92もの分館を有する世界最大規模の私立図書館。6,000万点という膨大なコレクションを有するだけでなく、地域住民や研究者たちへの質の高いサービスでも知られている、「知の殿堂」とでも言うべき施設の職員たちと様々な目的をもって訪問する利用者の姿を綴る。
1960年代からドキュメンタリー映画を製作し続け、「パリ・オペラ座のすべて」や「ナショナル・ギャラリー 英国の至宝」などで知られる巨匠フレデリック・ワイズマンが2017年に発表した作品です。
名称に「公共」と名を持つものの設置主体は自治体ではなくNPOで年間予算の20%ほどは民間からの寄付で賄っているというニューヨーク公共図書館の、観光客が立ち入れない領域にも踏み込みその様子を記録したドキュメンタリーです。公開当時気にはなっていたのですが、上映館がそれほど多くはなかった上に206分という長尺故に上映回数も少なく結局機会もつかめぬままに終わってしまった1本がいつの間にやらAmazonプライムで配信されるようになっていました。
観ていて驚くのは、「図書館って何だっけ!?」と思ってしまうほどこのニューヨーク公共図書館の利用価値の高さ、取り組みの多彩さです。作家や研究者の講演会やトークショー(リチャード・ドーキンスやエルヴィス・コステロなどが映画に登場する)、読書の感想会、詩の朗読会だけでなく手話の勉強会、シニア向けのダンス教室、子供向けのロボット製作会、就職支援や起業セミナーまで行っています。更には自宅にネット環境の無い人へWi-Fiルーターを貸し出したりPCの操作をレクチャーしたりもしています。しかもそれら全ての利用は原則として無料で提供されていると言うのが凄い。社会インフラとしての機能力と発信力の強さが尋常じゃありません。
92もある分館がそれぞれ専門性を特化させたものだったり地域的な特性に合わせたサービスを提供しているのも凄い。ハンディキャップを持った人にも同等のサービスが受けられるように設備とスタッフを揃えている所も映し出します。その扉を開けるものには文化的な生活を送るための全てを備えている、それは即ち「公共(パブリック)」の本質に他なりません。と同時に民主主義の「土台」ともいえる部分も浮き彫りにしていきます。
そんな施設に勤めるスタッフの姿も実に印象的。映画の中には度々ミーティングのシーンが登場します。民間の寄付と行政の支援金で成立する組織が多彩なサービスを提供するためにどうやって予算を獲得するか、獲得できない場合に質的向上をどうやって実現するか、既に解決済みであると思われている箇所が実はまだ途上にあることをどうやって意識してもらうのか、誰にも門戸を開きたいが、一人が長時間居座って他の人を締め出されかねないとホームレス対策に悩んだりと良くここまでオープンにしたなと感心するほど実践的な議論が交わされ実にエキサイティング。もちろん緊張感漂う静寂の中で古い資料の保存を行う様や書籍の朗読の録音風景など多様なセクションで働くスタッフのプロフェッショナルぶりも随所に登場し、興味深いシーンが尽きることがありません。
特定の誰かを主軸に据えて構成されてはいないので散文的にも見えますが、それでいて映像の持つリズムはどこか軽やかですらあり、エンドクレジットに入る直前のシーンのチョイスの小粋さまで含めて編集のセンスがずば抜けています。206分もあるというのに遊びも余剰もほとんどないと言っていいほど超高密度な情報量を誇り、絶品のドキュメンタリー映画と言えるでしょう。
それでもさすがに長すぎると言うのなら短いシーンの連続で構成された作品ですし自宅で観る分には手ごろなところで休憩をはさんでも良いでしょう。けれどこの長さに付き合うだけの価値を容易く見出せるほど知的な刺激に満ちた作品です。是非多くの方にご覧いただきたいですね。
東映アニメーションがサイバー攻撃の被害に遭い、アニメ製作がストップする事態に陥ったというニュース、当初は1週放映休止くらいで終わるかと思いきや「プリキュア」や「ワンピース」などが丸1か月放送中止に追い込まれたばかりか来月公開予定だった「ドラゴンボール超」までもが公開延期になってしまうなどかなり深刻な事態になっています。アニメ業界へのサイバー攻撃でここまで重篤なダメージを食らった前例は恐らく無いはず。そういう時代になってきた、ということなのでしょうが恐ろしい話です。一日も早い復帰を望みます。
こんばんは、小島@監督です。
プリキュアが普通に観られないと案外ダメージがでかい。おのれ犯人許すまじ。
さて、今回の映画は「THE BATMAN -ザ・バットマン-」です。
腐敗と汚わいがはびこる街・ゴッサムシティ。両親を殺された青年ブルース・ウェイン(ロバート・パティンソン)は復讐を誓い、夜になるとマスクとスーツで身を覆い、「バットマン」として悪党を叩き伏せる日々を送っている。
ある時、次期選挙を控えたゴッサムシティ市長ドン・ミッチェル・ジュニア(ルパート・ペンリー=ジョーンズ)が殺害された。殺害現場にバットマンに宛てたメッセージカードを発見したゴードン警部補(ジェフリー・ライト)は、現場にバットマンを呼び寄せる。カードにはなぞなぞが書かれていた。「リドラー」(ポール・ダノ)と名乗る何者かがバットマンに挑戦してきたのだ。
時代の傍らで頻繁に映像化される「バットマン」。一番最初の映画化は1943年と言いますからもう80年近い歴史があります。近年でもドラマシリーズ「ゴッサム」と「タイタンズ」にそれぞれ登場しますし、映画の方でも「DCエクステンデッドユニバース(DCEU)」の「バットマンVSスーパーマン」「ジャスティス・リーグ」でベン・アフレックがブルース・ウェインを演じており、今後公開予定の「FLASH」にも出演することが報じられていますが、今回公開された「ザ・バットマン」はそれとは別扱いの新しいシリーズの幕開けとして製作されました。更に言うと2019年に製作され高い評価を得た「ジョーカー」とも関りが無いため、ちょっとややこしい感じになっていますが、取り敢えず「新しいバットマンが来た」と思って頂ければ良いでしょう(笑)
バットマン映画史上最長となる176分という時間を使って語られるのは、言うなれば本格的なディテクティブ・ストーリー。リドラーが何者か、目的は何なのか。その行動に翻弄されながらブルース・ウェインはゴードン警部補と共に真相を追求していきます。その過程を非常に丹念に描いており、またその中でバットマンの正義が揺らぎ、自身のアイデンティティーが確立していく様をも活写していくため3時間近い尺を必要としたのも納得できる構図をしています。そもそもバットマンは探偵やミステリのアンソロジー・コミック誌であった「ディテクティブ・コミック」でデビューしたヒーローであると言うことを思えば今回の作劇方針は「原点回帰」とも言えます。その一方でバットマンにしろリドラーにしろ、素性を隠すというよりむしろ自身を「アイコン」化して人々に定着させるための手段としてマスクを被っている点が実に当世的と言えますね。
ドラマに比重を置いた作品である故に必然ヒーローものらしいアクションは少なめですが、妙に生っぽいステゴロファイトが目立つことと、バットモービルでのカーチェイスシーンだけは派手さに振り切った画面を作っているので割とメリハリは効いており、退屈な作品と言うことはありません。
際立って印象的なのは、裏社会も表社会も腐敗が充満したゴッサムシティの陰鬱な空気を表現するかのような映像の「暗さ」です。昼間のシーンが少ないことも手伝って全編に渡って「暗い」(比喩ではなく本当に暗い)映像が続くのですが、そうであるにも関わらず「何をやってるか分からないシーンが無い」というのに驚きます。撮影機材や明度の調整を繊細に行った結果かなとは思いますが、こういう映像を作れるとはと感心します。
その暗さこそが闇夜に浮かぶバットシグナルが悪を震え上がらせる恐怖の光ではなく、希望を差し照らす一条の光へと変わっていく物語を強く支えるのです。
今作の監督を務めたマット・リーブスは「猿の惑星:新世紀」などで知られた方ですが、敢えて根源へ迫るようなアプローチで挑むことでバットマン映画の新たな可能性を切り拓いてみせたと言えるでしょう。今作を皮切りに三部作を構想しているそうで、今後の展開が楽しみです。
個人的には結構お薦めしたい作品ではありますが、やはり176分は長すぎるというか、何人もの人がトイレに立って自分の前を通り過ぎるのを目にしたので、ご覧になる方はコンディション調整と水分補給のタイミングは十分に留意した上で臨んでください(笑)
こんばんは、小島@監督です。
プリキュアが普通に観られないと案外ダメージがでかい。おのれ犯人許すまじ。
さて、今回の映画は「THE BATMAN -ザ・バットマン-」です。
腐敗と汚わいがはびこる街・ゴッサムシティ。両親を殺された青年ブルース・ウェイン(ロバート・パティンソン)は復讐を誓い、夜になるとマスクとスーツで身を覆い、「バットマン」として悪党を叩き伏せる日々を送っている。
ある時、次期選挙を控えたゴッサムシティ市長ドン・ミッチェル・ジュニア(ルパート・ペンリー=ジョーンズ)が殺害された。殺害現場にバットマンに宛てたメッセージカードを発見したゴードン警部補(ジェフリー・ライト)は、現場にバットマンを呼び寄せる。カードにはなぞなぞが書かれていた。「リドラー」(ポール・ダノ)と名乗る何者かがバットマンに挑戦してきたのだ。
時代の傍らで頻繁に映像化される「バットマン」。一番最初の映画化は1943年と言いますからもう80年近い歴史があります。近年でもドラマシリーズ「ゴッサム」と「タイタンズ」にそれぞれ登場しますし、映画の方でも「DCエクステンデッドユニバース(DCEU)」の「バットマンVSスーパーマン」「ジャスティス・リーグ」でベン・アフレックがブルース・ウェインを演じており、今後公開予定の「FLASH」にも出演することが報じられていますが、今回公開された「ザ・バットマン」はそれとは別扱いの新しいシリーズの幕開けとして製作されました。更に言うと2019年に製作され高い評価を得た「ジョーカー」とも関りが無いため、ちょっとややこしい感じになっていますが、取り敢えず「新しいバットマンが来た」と思って頂ければ良いでしょう(笑)
バットマン映画史上最長となる176分という時間を使って語られるのは、言うなれば本格的なディテクティブ・ストーリー。リドラーが何者か、目的は何なのか。その行動に翻弄されながらブルース・ウェインはゴードン警部補と共に真相を追求していきます。その過程を非常に丹念に描いており、またその中でバットマンの正義が揺らぎ、自身のアイデンティティーが確立していく様をも活写していくため3時間近い尺を必要としたのも納得できる構図をしています。そもそもバットマンは探偵やミステリのアンソロジー・コミック誌であった「ディテクティブ・コミック」でデビューしたヒーローであると言うことを思えば今回の作劇方針は「原点回帰」とも言えます。その一方でバットマンにしろリドラーにしろ、素性を隠すというよりむしろ自身を「アイコン」化して人々に定着させるための手段としてマスクを被っている点が実に当世的と言えますね。
ドラマに比重を置いた作品である故に必然ヒーローものらしいアクションは少なめですが、妙に生っぽいステゴロファイトが目立つことと、バットモービルでのカーチェイスシーンだけは派手さに振り切った画面を作っているので割とメリハリは効いており、退屈な作品と言うことはありません。
際立って印象的なのは、裏社会も表社会も腐敗が充満したゴッサムシティの陰鬱な空気を表現するかのような映像の「暗さ」です。昼間のシーンが少ないことも手伝って全編に渡って「暗い」(比喩ではなく本当に暗い)映像が続くのですが、そうであるにも関わらず「何をやってるか分からないシーンが無い」というのに驚きます。撮影機材や明度の調整を繊細に行った結果かなとは思いますが、こういう映像を作れるとはと感心します。
その暗さこそが闇夜に浮かぶバットシグナルが悪を震え上がらせる恐怖の光ではなく、希望を差し照らす一条の光へと変わっていく物語を強く支えるのです。
今作の監督を務めたマット・リーブスは「猿の惑星:新世紀」などで知られた方ですが、敢えて根源へ迫るようなアプローチで挑むことでバットマン映画の新たな可能性を切り拓いてみせたと言えるでしょう。今作を皮切りに三部作を構想しているそうで、今後の展開が楽しみです。
個人的には結構お薦めしたい作品ではありますが、やはり176分は長すぎるというか、何人もの人がトイレに立って自分の前を通り過ぎるのを目にしたので、ご覧になる方はコンディション調整と水分補給のタイミングは十分に留意した上で臨んでください(笑)