先日1年ぶりに脳ドック受診してきました。我が人生2度目のMRIです。昨年の結果と比較してもらえるようになったのは大きいですね。
結果は昨年とほぼ同じ。昨年の段階でごくごく小さな「瘤っぽいもの」(血管が単にそういう風に見える形をしてるだけの可能性も十分にあるそう)が見受けられていたのですが、それが大きくも小さくもならずそのままそこにいるので後日送られてきた結果所感に「何なら精密検査してみます?」(意訳)と書かれていたのでさてどうしたものか思案中です。
こんばんは、小島@監督です。
健康のためというか後学のために一度検査を受けてみてもいいかもしれない。
さて、今回の映画は「私は確信する」です。
2000年2月、フランス南西部トゥールーズでスザンヌ・ヴィギエが3人の子供を残して忽然と姿を消した。スザンヌの消息が分からず遺体も発見できぬまま夫であるジャック・ヴィギエ(ローラン・リュカ)に殺人の容疑が掛けられ2009年、裁判が始まる。ジャックは証拠不十分として無罪判決が出るが検察は控訴。第二審が始まろうとしていた。
ジャックの娘であるクレマンス(アルマンド・ブーランジェ)に一人息子フェリクス(レオ・ラバートランディ)の家庭教師をしてもらっているシングルマザーのノラ(マリーナ・フォイス)は長く苦境に立たされるヴィギエ一家の力になろうと事件を調べ始め、厳しい公判が予想される第二審に向けて著名な弁護士であるエリック・デュポン=モレッティ(オリヴィエ・グルメ)にジャックの弁護を依頼するのだった。
2000年から2010年にかけて、実際にフランスで起きた未解決事件とその裁判をベースにした法的劇です。主人公の一人であるノラは架空の人物(モデルとなる人物はいるとか)だそうですが、裁判の当事者たちはほぼ実名で登場します。特にここで登場するもう一人の主人公ともいえるエリック・デュポン=モレッティは昨年内閣改造によって法務大臣に任命された人物です。
衝撃的な事件はそれだけ大きく報道され、またSNSが発達した昨今では警察だけでなく不特定多数の一般人でさえ野次馬的興味や「正義感」から犯人探しを始め、それが裁判の行方に影響していく場合があります。この映画はその危うさを実に見事に描き出しています。エリックから裁判での準備のため通話記録の文字起こしを頼まれることになるノラは、そこで警察が心証に引っ張られ過ぎて見落としていた事実を掴むばかりではなく、ある証人が公判で吐いた「嘘」の存在にも気づきます。
興味深いのはこの後。サスペンスやミステリーの常道で言えばここから真相が明かされていくカタルシスがありますが、この映画はそうはしません。素人探偵となったノラは最初こそヴィギエ一家を救いたい一心で動き始めますが、やがてある人物を真犯人であると「確信」するに至ります。そして基本的にノラの視点で物語が動いているため観客である私たちもそのノラの確信に引っ張られる格好で未解決とされる事件の真相に踏み入った感覚を味わいますが、それこそが「危うい」のだとこの映画は語り掛けます。ある意味で容赦が無いともいえますが知性と理性の煌めきを感じるこの語り口は見事としか言いようがありません。しかも驚くべきことにこの映画を監督したアントワーヌ・ランボーは何とこれが長編デビュー作。とんでもない方が現れたものです。
的外れな正義感が抱く「心証」や「確信」の持つ危険性こそが「推定無罪」の原則の最大の敵であることを語り掛けるこの作品、SNSが発達し誰もが発信できるようになった故に理性的な言動よりも即物的な感情の方を優先しがちな昨今に響く物語であるといえます。フランスの法体系は日本とは違うためサラッとした描写の中に違和感を覚えてしまったり、良く分からないと思われる箇所も出てきてしまうかもしれませんが、それでもこの知性と情熱が輝くこの魅力的な1本を多くの方に味わっていただきたいと思いますね。
結果は昨年とほぼ同じ。昨年の段階でごくごく小さな「瘤っぽいもの」(血管が単にそういう風に見える形をしてるだけの可能性も十分にあるそう)が見受けられていたのですが、それが大きくも小さくもならずそのままそこにいるので後日送られてきた結果所感に「何なら精密検査してみます?」(意訳)と書かれていたのでさてどうしたものか思案中です。
こんばんは、小島@監督です。
健康のためというか後学のために一度検査を受けてみてもいいかもしれない。
さて、今回の映画は「私は確信する」です。
2000年2月、フランス南西部トゥールーズでスザンヌ・ヴィギエが3人の子供を残して忽然と姿を消した。スザンヌの消息が分からず遺体も発見できぬまま夫であるジャック・ヴィギエ(ローラン・リュカ)に殺人の容疑が掛けられ2009年、裁判が始まる。ジャックは証拠不十分として無罪判決が出るが検察は控訴。第二審が始まろうとしていた。
ジャックの娘であるクレマンス(アルマンド・ブーランジェ)に一人息子フェリクス(レオ・ラバートランディ)の家庭教師をしてもらっているシングルマザーのノラ(マリーナ・フォイス)は長く苦境に立たされるヴィギエ一家の力になろうと事件を調べ始め、厳しい公判が予想される第二審に向けて著名な弁護士であるエリック・デュポン=モレッティ(オリヴィエ・グルメ)にジャックの弁護を依頼するのだった。
2000年から2010年にかけて、実際にフランスで起きた未解決事件とその裁判をベースにした法的劇です。主人公の一人であるノラは架空の人物(モデルとなる人物はいるとか)だそうですが、裁判の当事者たちはほぼ実名で登場します。特にここで登場するもう一人の主人公ともいえるエリック・デュポン=モレッティは昨年内閣改造によって法務大臣に任命された人物です。
衝撃的な事件はそれだけ大きく報道され、またSNSが発達した昨今では警察だけでなく不特定多数の一般人でさえ野次馬的興味や「正義感」から犯人探しを始め、それが裁判の行方に影響していく場合があります。この映画はその危うさを実に見事に描き出しています。エリックから裁判での準備のため通話記録の文字起こしを頼まれることになるノラは、そこで警察が心証に引っ張られ過ぎて見落としていた事実を掴むばかりではなく、ある証人が公判で吐いた「嘘」の存在にも気づきます。
興味深いのはこの後。サスペンスやミステリーの常道で言えばここから真相が明かされていくカタルシスがありますが、この映画はそうはしません。素人探偵となったノラは最初こそヴィギエ一家を救いたい一心で動き始めますが、やがてある人物を真犯人であると「確信」するに至ります。そして基本的にノラの視点で物語が動いているため観客である私たちもそのノラの確信に引っ張られる格好で未解決とされる事件の真相に踏み入った感覚を味わいますが、それこそが「危うい」のだとこの映画は語り掛けます。ある意味で容赦が無いともいえますが知性と理性の煌めきを感じるこの語り口は見事としか言いようがありません。しかも驚くべきことにこの映画を監督したアントワーヌ・ランボーは何とこれが長編デビュー作。とんでもない方が現れたものです。
的外れな正義感が抱く「心証」や「確信」の持つ危険性こそが「推定無罪」の原則の最大の敵であることを語り掛けるこの作品、SNSが発達し誰もが発信できるようになった故に理性的な言動よりも即物的な感情の方を優先しがちな昨今に響く物語であるといえます。フランスの法体系は日本とは違うためサラッとした描写の中に違和感を覚えてしまったり、良く分からないと思われる箇所も出てきてしまうかもしれませんが、それでもこの知性と情熱が輝くこの魅力的な1本を多くの方に味わっていただきたいと思いますね。
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