こんばんは、小島@監督です。
今回はいつもより更にもうちょっとディープな映画の話を致しましょう。
先日のクリスマス歌会からぷちさた~んさんが一度観てみたいような、でもお金払ってまで観たくはないようなタイトルを並べた「C級映画DVD」の貸出を始めました。今回はその内の1本と、私が個人的にぷちさた~んさんからお借りしたDVDの、合わせて2本の映画のショートレビューをお送りします。
1本目は「アタリ:ゲームオーバー」。2015年に製作された映画で監督は脚本家のザック・ペン(「アベンジャーズ」共同脚本ほか)。
1970年代後半~80年代初頭に隆盛を誇りながら急速に凋落したゲームマシン「アタリ2600」、1982年のクリスマスシーズン最大の目玉として開発された「E.T.」は、しかしそのアタリ2600を倒産に導いた「史上最悪のクソゲー」との烙印を押されています。
ニューメキシコのアラモゴードにその不良在庫が大量に埋められているという都市伝説があるのですが、それをザック・ペンが実際に掘り返して検証しようというドキュメンタリーです。
この映画の柱は2つ。重機と作業員を大量投入し分析と鑑定のために考古学者まで呼び出して大量投棄されたというゲームソフトを探して掘り返すバラエティー番組的な側面と、アタリ創業者ノーラン・ブッシュネルや「E.T.」開発者ハワード・ウォーショウら関係者へ丹念な取材を行い「E.T.」は如何にして生まれたか、アタリはいかにして隆盛しそして凋落していったかを探るドキュメンタリーとしての側面です。
この二面が絶妙なうねりをもたらし、思いもかけぬ知的興奮をもたらします。
いわゆる「アタリショック」によりアメリカのゲーム市場は一度完全に死に絶え、その空隙に任天堂が飛び込み、現在のゲーム市場を形作っていくことになります。そんなテレビゲーム黎明期の熱狂を掘り下げるこの映画、内容と掛けるワケではないですがまさに「掘り出し物」。正直、舐めてました。C級なんてとんでもない。コレは隠れた名作です。
そしてもう一つは「ターボキッド」。
こちらも2015年の作品でカナダ・ニュージーランド合作。フランソワ・シマール、アヌーク・ウィッセル、ヨアン・カールウィッセル3人の共同脚本・監督作品です。
核戦争により文明が荒廃した世界。水を巡って猛者たちが争う野蛮地帯で謎めいた少女アップル(ローレンス・レボーフ)と出会い恋に落ちた事をきっかけに悪と戦うことになる青年キッド(マーロン・チェンバース)の戦いを描きます。
「マッドマックス」や「北斗の拳」を彷彿とさせるこの映画最大の特徴は「ガソリンすらも枯渇した」ため、登場人物の移動手段がみんな「自転車である」という点です。主人公だろうと女の子だろうといかつい武装を施したおっさんであろうとみんなチャリンコ。誰かを護るために、何かから逃げるために皆大真面目にペダルを踏みこみ終末世界を駆け抜けます。
低予算映画なのでVFXもかなりチープ。登場人物のコテコテな衣装と言いシンセバリバリのBGMと言い無駄に血しぶき多めのバトルシークエンスと言い強烈な80年代臭とインディーズ臭さが漂うこの映画、じゃあつまらないのかと言えば全くそんなことはない不思議。
どこから湧いてくるのか分からない奇妙なまでに高い熱量にちょっぴり甘酸っぱいセンチメンタルが加味されて、何故だか画面に引き込まれます。この「熱量」が世界各地のファンタスティック映画祭(端的に言って芸術的な作品よりマニアックな映画ばかりを集めて上映する映画祭)で称賛されました。これもまた映画の魔法の一つの形と言えるでしょう。
「アタリ:ゲームオーバー」と「ターボキッド」、どちらもマニアックな映画に違いはないですが、だからこそ人を惹きつけもする作品です。ツボにハマれば最高に楽しい逸品たち。こんなのにフッと出会えるからやっぱり映画は面白いのです(笑)
…って、本文をほぼ書き切った後に本来なら今日が私の年内最後のターンだったことに気づいてしまったので、毎年暮れに書いている「アレ」は別枠で年内中に、多分30日か31日にアップします。誰のためというより自分の収まりがイマイチ悪いのでね(苦笑)!
今回はいつもより更にもうちょっとディープな映画の話を致しましょう。
先日のクリスマス歌会からぷちさた~んさんが一度観てみたいような、でもお金払ってまで観たくはないようなタイトルを並べた「C級映画DVD」の貸出を始めました。今回はその内の1本と、私が個人的にぷちさた~んさんからお借りしたDVDの、合わせて2本の映画のショートレビューをお送りします。
1本目は「アタリ:ゲームオーバー」。2015年に製作された映画で監督は脚本家のザック・ペン(「アベンジャーズ」共同脚本ほか)。
1970年代後半~80年代初頭に隆盛を誇りながら急速に凋落したゲームマシン「アタリ2600」、1982年のクリスマスシーズン最大の目玉として開発された「E.T.」は、しかしそのアタリ2600を倒産に導いた「史上最悪のクソゲー」との烙印を押されています。
ニューメキシコのアラモゴードにその不良在庫が大量に埋められているという都市伝説があるのですが、それをザック・ペンが実際に掘り返して検証しようというドキュメンタリーです。
この映画の柱は2つ。重機と作業員を大量投入し分析と鑑定のために考古学者まで呼び出して大量投棄されたというゲームソフトを探して掘り返すバラエティー番組的な側面と、アタリ創業者ノーラン・ブッシュネルや「E.T.」開発者ハワード・ウォーショウら関係者へ丹念な取材を行い「E.T.」は如何にして生まれたか、アタリはいかにして隆盛しそして凋落していったかを探るドキュメンタリーとしての側面です。
この二面が絶妙なうねりをもたらし、思いもかけぬ知的興奮をもたらします。
いわゆる「アタリショック」によりアメリカのゲーム市場は一度完全に死に絶え、その空隙に任天堂が飛び込み、現在のゲーム市場を形作っていくことになります。そんなテレビゲーム黎明期の熱狂を掘り下げるこの映画、内容と掛けるワケではないですがまさに「掘り出し物」。正直、舐めてました。C級なんてとんでもない。コレは隠れた名作です。
そしてもう一つは「ターボキッド」。
こちらも2015年の作品でカナダ・ニュージーランド合作。フランソワ・シマール、アヌーク・ウィッセル、ヨアン・カールウィッセル3人の共同脚本・監督作品です。
核戦争により文明が荒廃した世界。水を巡って猛者たちが争う野蛮地帯で謎めいた少女アップル(ローレンス・レボーフ)と出会い恋に落ちた事をきっかけに悪と戦うことになる青年キッド(マーロン・チェンバース)の戦いを描きます。
「マッドマックス」や「北斗の拳」を彷彿とさせるこの映画最大の特徴は「ガソリンすらも枯渇した」ため、登場人物の移動手段がみんな「自転車である」という点です。主人公だろうと女の子だろうといかつい武装を施したおっさんであろうとみんなチャリンコ。誰かを護るために、何かから逃げるために皆大真面目にペダルを踏みこみ終末世界を駆け抜けます。
低予算映画なのでVFXもかなりチープ。登場人物のコテコテな衣装と言いシンセバリバリのBGMと言い無駄に血しぶき多めのバトルシークエンスと言い強烈な80年代臭とインディーズ臭さが漂うこの映画、じゃあつまらないのかと言えば全くそんなことはない不思議。
どこから湧いてくるのか分からない奇妙なまでに高い熱量にちょっぴり甘酸っぱいセンチメンタルが加味されて、何故だか画面に引き込まれます。この「熱量」が世界各地のファンタスティック映画祭(端的に言って芸術的な作品よりマニアックな映画ばかりを集めて上映する映画祭)で称賛されました。これもまた映画の魔法の一つの形と言えるでしょう。
「アタリ:ゲームオーバー」と「ターボキッド」、どちらもマニアックな映画に違いはないですが、だからこそ人を惹きつけもする作品です。ツボにハマれば最高に楽しい逸品たち。こんなのにフッと出会えるからやっぱり映画は面白いのです(笑)
…って、本文をほぼ書き切った後に本来なら今日が私の年内最後のターンだったことに気づいてしまったので、毎年暮れに書いている「アレ」は別枠で年内中に、多分30日か31日にアップします。誰のためというより自分の収まりがイマイチ悪いのでね(苦笑)!
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