今日のブログの書き出しをどうしようかと思っていたところに入ってきた任天堂岩田聡社長の訃報に衝撃を隠せません。WiiやDSの開発に携わった事ももちろん、「星のカービィ」「MOTHER」「大乱闘スマッシュブラザーズ」など数々のヒット作を手掛け、恐らく皆さんも彼の関わったソフトを一つはプレイした事があるのでは、と思います。私も彼がプログラムを担当したファミコン初期作の「ゴルフ」や「ピンボール」にハマった身ですし、実に四半世紀にわたりその作品に親しんできたことになります。TVゲームの歴史を語るにおいて欠く事の出来ない人物でした。
こんばんは、小島@監督です。
今夜は久しぶりにゲームボーイカラーを引っ張り出して「星のカービィ」でもプレイしようか…いやでもあの頃はスリープ機能無いしな…
さて、今回の映画は「最後まで行く」です。
殺人課の刑事コ・ゴンス(イ・ソンギュン)は母の葬儀を抜け出し夜道を車で駆け抜けていた。
急遽署に内務監査が入る事になり横領の証拠を隠す必要に迫られたためだ。しかし焦りのあまり運転が乱暴になり、道を飛び出してきた陰に気付かず通行人を轢き殺してしまう。
何とか隠蔽をしようと考えたゴンスは葬儀を終えた母の棺に死体を入れて一緒に埋葬する。
それから数日後、警察署内では被害者の身元不明のまま轢き逃げ事件の捜査が始まり、ゴンス自身がその担当に収まり全てをやりおおせたかに見えたとき、ゴンス宛てに一本の電話が入った。電話の向こうで男がささやく。
「お前が殺した男を知っている」
韓国で5週連続で1位に輝いたというサスペンス・アクションの秀作です。
さながらヒッチコックを思わせるような巧みな小道具や伏線の使い方でサスペンスとして先ずは優れているのですが、それ以上に作品が持つ勢いが良い。粗筋から観る前は骨太なノワール・サスペンスなのかなと予想していたのですが、良い具合に斜め上を行かれました。
主人公ゴンスは一つトラブルを乗り越えたと思ったらすぐにそれより悪い事態に追い込まれて更なる危機に直面します。このテンポが非常に良く要所のアクションも冴え、観る者をダレさせない目の離せない作りがこの映画の魅力です。
端的に言って小悪党が大悪党に追い詰められていく、という内容のこの映画、ゴンスの実に小物なキャラクターも秀逸です。これが善良な好人物だとスリルや怖さの方が勝る所なのですが、そうではないので切羽詰った小悪党の姿がユーモラスに映り妙に笑いを誘います。反面、このキャラクターのせいで結構緻密に組み上げてる作品なのに何故かボンクラ感が強く感じられてしまうのが難点でもありますが(笑)
人生訓めいたものや深い余韻が残らないカラッとした作風なので、そういうものが欲しい時には向かない作品ですが、2時間気楽に楽しみたい時には打ってつけです。正直用事が押して当初予定していた「アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン」に間に合わなくて観られなかったので半ばやっつけで入った代替案だったのですが、結果的に思わぬ良作に巡りあえてホクホクしながら映画館を後に出来ました。
昨今の微妙な日韓関係の影響でしょう、あるいは「韓流ブーム」が起きた際に低レベルな作品までホイホイ輸入・公開されていた反動というのもあるかもしれません。韓国映画をメジャー扱いしにくいのは致し方ないのかもしれませんが、このような良作ですらごくわずかな限定上映を除いてDVDリリースのみというのは少々残念な気がします。国を問わずこのような作品がもっと日の当たる場所にいられたらいいのにと、いち映画ファンとしては願わずにはいられません。
こんばんは、小島@監督です。
今夜は久しぶりにゲームボーイカラーを引っ張り出して「星のカービィ」でもプレイしようか…いやでもあの頃はスリープ機能無いしな…
さて、今回の映画は「最後まで行く」です。
殺人課の刑事コ・ゴンス(イ・ソンギュン)は母の葬儀を抜け出し夜道を車で駆け抜けていた。
急遽署に内務監査が入る事になり横領の証拠を隠す必要に迫られたためだ。しかし焦りのあまり運転が乱暴になり、道を飛び出してきた陰に気付かず通行人を轢き殺してしまう。
何とか隠蔽をしようと考えたゴンスは葬儀を終えた母の棺に死体を入れて一緒に埋葬する。
それから数日後、警察署内では被害者の身元不明のまま轢き逃げ事件の捜査が始まり、ゴンス自身がその担当に収まり全てをやりおおせたかに見えたとき、ゴンス宛てに一本の電話が入った。電話の向こうで男がささやく。
「お前が殺した男を知っている」
韓国で5週連続で1位に輝いたというサスペンス・アクションの秀作です。
さながらヒッチコックを思わせるような巧みな小道具や伏線の使い方でサスペンスとして先ずは優れているのですが、それ以上に作品が持つ勢いが良い。粗筋から観る前は骨太なノワール・サスペンスなのかなと予想していたのですが、良い具合に斜め上を行かれました。
主人公ゴンスは一つトラブルを乗り越えたと思ったらすぐにそれより悪い事態に追い込まれて更なる危機に直面します。このテンポが非常に良く要所のアクションも冴え、観る者をダレさせない目の離せない作りがこの映画の魅力です。
端的に言って小悪党が大悪党に追い詰められていく、という内容のこの映画、ゴンスの実に小物なキャラクターも秀逸です。これが善良な好人物だとスリルや怖さの方が勝る所なのですが、そうではないので切羽詰った小悪党の姿がユーモラスに映り妙に笑いを誘います。反面、このキャラクターのせいで結構緻密に組み上げてる作品なのに何故かボンクラ感が強く感じられてしまうのが難点でもありますが(笑)
人生訓めいたものや深い余韻が残らないカラッとした作風なので、そういうものが欲しい時には向かない作品ですが、2時間気楽に楽しみたい時には打ってつけです。正直用事が押して当初予定していた「アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン」に間に合わなくて観られなかったので半ばやっつけで入った代替案だったのですが、結果的に思わぬ良作に巡りあえてホクホクしながら映画館を後に出来ました。
昨今の微妙な日韓関係の影響でしょう、あるいは「韓流ブーム」が起きた際に低レベルな作品までホイホイ輸入・公開されていた反動というのもあるかもしれません。韓国映画をメジャー扱いしにくいのは致し方ないのかもしれませんが、このような良作ですらごくわずかな限定上映を除いてDVDリリースのみというのは少々残念な気がします。国を問わずこのような作品がもっと日の当たる場所にいられたらいいのにと、いち映画ファンとしては願わずにはいられません。
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昨日の歌会に参加された皆さん、お疲れ様でした。
なにぶん前回参加できなかったもので、そのフラストレーションを全力で発散させてもらいました。
初参加の方を含めどうやら水樹奈々好きの方々が集まったらしい部屋では物凄い良い盛り上がりを見せていたようで次は自分も混ざりたい(笑)
こんばんは、小島@監督です。
それにしてもじゃんけん大会でライブや映画のチケットが放出される場っていうのは、やっぱり凄いと思うんだ。
さて、今回の映画は昨日のじゃんけん大会でも前売券が賞品として出されました映画「ラブライブ!The School Idol Movie」です。
全国のスクールアイドルたちが集う大会「ラブライブ!」で優勝を果たしたμ’sのメンバー達。
春を迎え、にこ(声・徳井青空)、絵理(声・南條愛乃)、希(声・楠田亜衣奈)ら3年生メンバーの卒業を以てμ’sは活動を終了することを決めていたが、卒業式直後に一つの知らせがもたらされ彼女たちはアメリカに渡る事になるのだった。
もともとは電撃G'sマガジンでの読者参加型企画から始まった作品が2度のアニメシリーズやゲーム「スクールアイドルフェスティバル」のヒットを受けて遂に映画化。ライブイベントも大盛況ですし、この映画もゴールデンウィークや夏休みの間のあまり大作の並ばない空隙の時期とは言え2週連続で興収ランキングのトップに立つなど、人気の高さをうかがわせます。何ともイタイ行動を取るファンが妙に目立ってしまう事も含めて今最も勢いのあるコンテンツの一つと言って良いでしょう。
映画の方に話を戻すと、やはりアイドルを主軸にしているだけあってひたすらキャラクターを可愛らしく描き出す事に注力しているのが印象的。
TVシリーズでも数か所で用いられたミュージカル的手法をより大胆に使用し各学年でそれぞれ1曲ずつ披露する構成になっているのも楽しい上、前半と後半にそれぞれ用意されたクライマックスで使われる楽曲も良く、また歌曲以外のBGMも劇場公開を意識してか編成がより大きくなり上品なスコアを厚みのあるサウンドで堪能でき、音楽面では満点と言って良い出来栄えです。
反面物語は音楽やキャラの魅力、声優の演技に頼り切っている印象が拭えません。もともとTVシリーズの頃からラブライブの含意の少ない率直すぎるダイアローグがどうしても浅薄に感じられてしまうのがちょっぴり苦手で(それが良い方に働くことも多いから一概に悪いワケではないのですが)、逃げ場の無い映画館でそれが90分超続くのがいささかキツかったという個人的な相性の悪さを差し引いても、ちょっとストーリーに難ありと言わざるを得ません。
先に呈示されたシーンが伏線として後に活かされるということが少なく、どうしても多くのシーンで感慨が散発的なものになってしまっているため個々のシーンそれ自体は良いのに相乗効果というか、化学変化に欠けてしまうのが残念です。
それはTVシリーズからの繋がりにしても同じで、このような物語を紡ぐならTVシリーズでラブライブならではのキーワード「スクールアイドル」をもっと突き詰めておいてほしかったと思います。クライマックスは曲にしろ映像にしろシーンとしては最高なのですが、ここまでの積み上げが足りていないので100が150や200へと爆発していかないのが本当にもったいない、そういう印象を持ちました。
もっともそれらの部分も単に自分にとって相性が悪かっただけに過ぎないかもしれず、そもそも自分は最早メインターゲットからは外れていますしね。たまたま私の近くに座っていた大学生らしい方が鼻をすすっていたことを思えばラブライブという作品のありようとしてはきっとこれが正しいのでしょう。
もちろん単にキャラクターカワイイだけで楽しめる人には更に問題無く楽しめるハズ。私も「凛ちゃんが可愛かったからまぁ良いかな」と思わなくもなかったですし(凛ちゃん推し)
私個人の相性はさておき、ラブライブのファンの方はマストで押さえておくべき作品ではありましょうし、そうでない方にとっても今最も勢いのあるタイトルとはどんなものかを確かめてみるのもまた良き経験になるのではないかと思います。ひょっとしたら、新しい世界が広がるかもしれませんしね(笑)
なにぶん前回参加できなかったもので、そのフラストレーションを全力で発散させてもらいました。
初参加の方を含めどうやら水樹奈々好きの方々が集まったらしい部屋では物凄い良い盛り上がりを見せていたようで次は自分も混ざりたい(笑)
こんばんは、小島@監督です。
それにしてもじゃんけん大会でライブや映画のチケットが放出される場っていうのは、やっぱり凄いと思うんだ。
さて、今回の映画は昨日のじゃんけん大会でも前売券が賞品として出されました映画「ラブライブ!The School Idol Movie」です。
全国のスクールアイドルたちが集う大会「ラブライブ!」で優勝を果たしたμ’sのメンバー達。
春を迎え、にこ(声・徳井青空)、絵理(声・南條愛乃)、希(声・楠田亜衣奈)ら3年生メンバーの卒業を以てμ’sは活動を終了することを決めていたが、卒業式直後に一つの知らせがもたらされ彼女たちはアメリカに渡る事になるのだった。
もともとは電撃G'sマガジンでの読者参加型企画から始まった作品が2度のアニメシリーズやゲーム「スクールアイドルフェスティバル」のヒットを受けて遂に映画化。ライブイベントも大盛況ですし、この映画もゴールデンウィークや夏休みの間のあまり大作の並ばない空隙の時期とは言え2週連続で興収ランキングのトップに立つなど、人気の高さをうかがわせます。何ともイタイ行動を取るファンが妙に目立ってしまう事も含めて今最も勢いのあるコンテンツの一つと言って良いでしょう。
映画の方に話を戻すと、やはりアイドルを主軸にしているだけあってひたすらキャラクターを可愛らしく描き出す事に注力しているのが印象的。
TVシリーズでも数か所で用いられたミュージカル的手法をより大胆に使用し各学年でそれぞれ1曲ずつ披露する構成になっているのも楽しい上、前半と後半にそれぞれ用意されたクライマックスで使われる楽曲も良く、また歌曲以外のBGMも劇場公開を意識してか編成がより大きくなり上品なスコアを厚みのあるサウンドで堪能でき、音楽面では満点と言って良い出来栄えです。
反面物語は音楽やキャラの魅力、声優の演技に頼り切っている印象が拭えません。もともとTVシリーズの頃からラブライブの含意の少ない率直すぎるダイアローグがどうしても浅薄に感じられてしまうのがちょっぴり苦手で(それが良い方に働くことも多いから一概に悪いワケではないのですが)、逃げ場の無い映画館でそれが90分超続くのがいささかキツかったという個人的な相性の悪さを差し引いても、ちょっとストーリーに難ありと言わざるを得ません。
先に呈示されたシーンが伏線として後に活かされるということが少なく、どうしても多くのシーンで感慨が散発的なものになってしまっているため個々のシーンそれ自体は良いのに相乗効果というか、化学変化に欠けてしまうのが残念です。
それはTVシリーズからの繋がりにしても同じで、このような物語を紡ぐならTVシリーズでラブライブならではのキーワード「スクールアイドル」をもっと突き詰めておいてほしかったと思います。クライマックスは曲にしろ映像にしろシーンとしては最高なのですが、ここまでの積み上げが足りていないので100が150や200へと爆発していかないのが本当にもったいない、そういう印象を持ちました。
もっともそれらの部分も単に自分にとって相性が悪かっただけに過ぎないかもしれず、そもそも自分は最早メインターゲットからは外れていますしね。たまたま私の近くに座っていた大学生らしい方が鼻をすすっていたことを思えばラブライブという作品のありようとしてはきっとこれが正しいのでしょう。
もちろん単にキャラクターカワイイだけで楽しめる人には更に問題無く楽しめるハズ。私も「凛ちゃんが可愛かったからまぁ良いかな」と思わなくもなかったですし(凛ちゃん推し)
私個人の相性はさておき、ラブライブのファンの方はマストで押さえておくべき作品ではありましょうし、そうでない方にとっても今最も勢いのあるタイトルとはどんなものかを確かめてみるのもまた良き経験になるのではないかと思います。ひょっとしたら、新しい世界が広がるかもしれませんしね(笑)
たまたま昨日の宝塚記念を生中継で観てました。本命馬ゴールドシップがゲートオープン直前に立ち上がってしまい大きく出遅れ、15着に沈んだというアレです。
日頃馬券は買いませんし、熱心なファンでもないのでレースを逐一チェックしたりしないためこういうのがそうそうあるのかどうかは知りませんが、「出走1秒前に悲鳴が上がる」レースというのを初めて観ました。勝負の綾というものはどこに潜んでいるのかわからないものですね。だからスポーツは面白い。
こんばんは、小島@監督です。
職場では結構馬券購入者がいるのですが、今回は見事なまでに死屍累々だった様子(苦笑)
さて、今回の映画は「マッドマックス 怒りのデス・ロード」です。
核戦争により文明が滅んだ終末世界。
荒廃した世界をさすらうマックス(トム・ハーディ)は、男たちに拉致され監禁される。そこではイモータン・ジョー(ヒュー・キース・バーン)と呼ばれる男が地下からの湧水を独占し、軍団を組織して人々を支配していた。
そんな折、ジョーの軍団の女大隊長、「鉄馬の女」ことフュリオサ(シャーリーズ・セロン)がジョーが自身の子供を産ませるために囲っていた5人の女たちを伴って脱走を図る。ひょんな事からフュリオサたちと行動を共にすることになったマックスは、武装トレーラー「ウォー・タンク」を駆り、フュリオサの故郷「緑の地」を目指す…!
1980年代前半に3本が製作され、主演だったメル・ギブソンの出世作になったと共に特に日本では「北斗の拳」を筆頭に後の作品に多大な影響を与えたアクション映画「マッドマックス」、その実に30年ぶりの新作が3部作を手掛けた監督ジョージ・ミラー自身の手により映画化です。
因みに原題は「MAD MAX:FURY ROAD」
なんだほとんど直訳じゃないかって?HAHAHA何を仰います、ちゃんと「デス」が上乗せされてるじゃないDEATHか。ほんのちょっぴりだが、それが重要。
ただ、このシリーズは小学生の頃にこの3部作のどれか(マジで思い出せない)をTVで放送されたのを1度観たっきりで実は個人的にそんなに強い印象が無かったのですが、知らなくても全く問題無い作りでした。むしろ知らなきゃ知らないで昔の3部作が観てみたくなります(笑)
この映画、とにかくあまりにイカれたアイディアの数々とそれを強引にでも映像化してしまうセンスでその熱量が尋常じゃありません。真っ白にペイントした体に勲章をいくつも付けたボディアーマーを装着するイモータン・ジョーやドレッドヘアのように弾丸をぶら下げ差し歯も弾丸の武器将軍、ジョーに伴走してひたすら(火を噴く)ギターを弾き続けるドゥーフ・ウォリアーなどシルエットから個性的な面白おかしいキャラクター達がハイテンションなアクションを繰り広げます。
物語は極端にシンプル。デカい車で広大な砂漠をひたすら逃げて追われるだけ!なのにコレが滅茶苦茶面白い!
セリフは切り詰められ削ぎ落とされ、心情の多くは身体表現で語られ「物語として無駄が無い」ことが「無駄に過剰で派手な画面」の一つ一つを印象深いものにしてくれます。
最初にマックスが何と呼ばれ、最後にマックスが何をするかという点など、随所に繊細な計算が見え隠れし、決して粗暴なだけの作品ではありません。
とはいえこんな深読みする必要は全くありません。通奏低音のようにかすかに感じ取れれば充分。それよりドライブ感に身を任せてしまうのだ。考えるな、頭が悪くなる。咀嚼なんかしなくて良い、奥歯が欠ける。
そしてよほど抵抗が強くなければ是非3Dでの鑑賞を。ゴーグル(注・3Dメガネ)越しの方が臨場感が増すってもんでさ!
ポップコーンとコーラも忘れてはいけない。熱中症には適度な塩分と水分のこまめな補給が重要だ。
そうそう、パンフレットも買っておくと良い。表紙から心が躍る。中身も分厚いぞ。
こちらの想像を軽く超えていくイマジネーション、スイカに加えた砂糖のようにひそやかな繊細さが導火線となり更に温度を上げるエモーション、ここにあるのは娯楽映画の極致だ。
かすかでもこの映画に興味があるというのなら決してDVDやBlu-rayで済まそうなどと考えてはいけない。絶対にスクリーンで味わうべき一本。さあ、じめっとした梅雨時の不快感を吹き飛ばす最高のヒャッハー体験を是非劇場で!
日頃馬券は買いませんし、熱心なファンでもないのでレースを逐一チェックしたりしないためこういうのがそうそうあるのかどうかは知りませんが、「出走1秒前に悲鳴が上がる」レースというのを初めて観ました。勝負の綾というものはどこに潜んでいるのかわからないものですね。だからスポーツは面白い。
こんばんは、小島@監督です。
職場では結構馬券購入者がいるのですが、今回は見事なまでに死屍累々だった様子(苦笑)
さて、今回の映画は「マッドマックス 怒りのデス・ロード」です。
核戦争により文明が滅んだ終末世界。
荒廃した世界をさすらうマックス(トム・ハーディ)は、男たちに拉致され監禁される。そこではイモータン・ジョー(ヒュー・キース・バーン)と呼ばれる男が地下からの湧水を独占し、軍団を組織して人々を支配していた。
そんな折、ジョーの軍団の女大隊長、「鉄馬の女」ことフュリオサ(シャーリーズ・セロン)がジョーが自身の子供を産ませるために囲っていた5人の女たちを伴って脱走を図る。ひょんな事からフュリオサたちと行動を共にすることになったマックスは、武装トレーラー「ウォー・タンク」を駆り、フュリオサの故郷「緑の地」を目指す…!
1980年代前半に3本が製作され、主演だったメル・ギブソンの出世作になったと共に特に日本では「北斗の拳」を筆頭に後の作品に多大な影響を与えたアクション映画「マッドマックス」、その実に30年ぶりの新作が3部作を手掛けた監督ジョージ・ミラー自身の手により映画化です。
因みに原題は「MAD MAX:FURY ROAD」
なんだほとんど直訳じゃないかって?HAHAHA何を仰います、ちゃんと「デス」が上乗せされてるじゃないDEATHか。ほんのちょっぴりだが、それが重要。
ただ、このシリーズは小学生の頃にこの3部作のどれか(マジで思い出せない)をTVで放送されたのを1度観たっきりで実は個人的にそんなに強い印象が無かったのですが、知らなくても全く問題無い作りでした。むしろ知らなきゃ知らないで昔の3部作が観てみたくなります(笑)
この映画、とにかくあまりにイカれたアイディアの数々とそれを強引にでも映像化してしまうセンスでその熱量が尋常じゃありません。真っ白にペイントした体に勲章をいくつも付けたボディアーマーを装着するイモータン・ジョーやドレッドヘアのように弾丸をぶら下げ差し歯も弾丸の武器将軍、ジョーに伴走してひたすら(火を噴く)ギターを弾き続けるドゥーフ・ウォリアーなどシルエットから個性的な面白おかしいキャラクター達がハイテンションなアクションを繰り広げます。
物語は極端にシンプル。デカい車で広大な砂漠をひたすら逃げて追われるだけ!なのにコレが滅茶苦茶面白い!
セリフは切り詰められ削ぎ落とされ、心情の多くは身体表現で語られ「物語として無駄が無い」ことが「無駄に過剰で派手な画面」の一つ一つを印象深いものにしてくれます。
最初にマックスが何と呼ばれ、最後にマックスが何をするかという点など、随所に繊細な計算が見え隠れし、決して粗暴なだけの作品ではありません。
とはいえこんな深読みする必要は全くありません。通奏低音のようにかすかに感じ取れれば充分。それよりドライブ感に身を任せてしまうのだ。考えるな、頭が悪くなる。咀嚼なんかしなくて良い、奥歯が欠ける。
そしてよほど抵抗が強くなければ是非3Dでの鑑賞を。ゴーグル(注・3Dメガネ)越しの方が臨場感が増すってもんでさ!
ポップコーンとコーラも忘れてはいけない。熱中症には適度な塩分と水分のこまめな補給が重要だ。
そうそう、パンフレットも買っておくと良い。表紙から心が躍る。中身も分厚いぞ。
こちらの想像を軽く超えていくイマジネーション、スイカに加えた砂糖のようにひそやかな繊細さが導火線となり更に温度を上げるエモーション、ここにあるのは娯楽映画の極致だ。
かすかでもこの映画に興味があるというのなら決してDVDやBlu-rayで済まそうなどと考えてはいけない。絶対にスクリーンで味わうべき一本。さあ、じめっとした梅雨時の不快感を吹き飛ばす最高のヒャッハー体験を是非劇場で!
ここ最近、「スター・ウォーズ」のドゥークー伯爵や「ロード・オブ・ザ・リング」のサルマンで知られたクリストファー・リーや「ドラえもん」のジャイアン役を2005年まで務めたたてかべ和也さんと、自分が長く親しんだ作品に関わってこられた方の訃報が相次ぎ、何と言うか、時の無常さを実感してしまいます。いずれこういう日が来るのは分かっていても何だか寂しくなってしまいますね。
ただ亡くなられたとしても出演された作品の数々はこれからも褪せない輝きを放ち続ける事でしょう。
こんばんは、小島@監督です。
お二方とも晩年まで様々な作品に出演されていてまさに生涯現役。こういう生き方できるようにありたいものです。
さて、今回の映画は「メイズ・ランナー」です。
そこは高い壁に囲まれた広場だった。朝になると扉が開き夜になると閉じられるこの壁は毎夜その構造を変える迷路であり、二度と同じ道順になる事は無い。
迷宮の壁に囲まれたそのエリアには毎月生活物資と共に若者が一人送り込まれる。自分の名前以外の全ての記憶を失った若者たちは、コミュニティを形成し、「ランナー」として選ばれた者が迷路に挑戦し、脱出路を探す。扉が閉じられる夜までに戻れなければ、ランナーの生還は絶望的である。
そしてまた一人の若者が送り込まれた。彼の名はトーマス(ディラン・オブライエン)。果たして彼は自身の記憶を取り戻し、迷路を脱出する事が出来るだろうか。
「トワイライト」シリーズのヒットが呼び水となって、近年ヤングアダルト小説原作の映画化が花盛りです。
「ヤングアダルト小説」とは主に欧米で10代後半から20代前半を対象とし、児童文学でも本格文学でもないその中間、言わば橋渡しのような作品群ということでこういう表現でカテゴライズされているとか。日本のライトノベルのような位置づけですが読書文化のありようとしては少々異なるようです。
映画としては主に「ハリー・ポッター」を卒業した人たちの受け皿として機能しているようです。先述の「トワイライト」や「ダイバージェント」、今シリーズ3作目が公開中の「ハンガー・ゲーム」などSFやファンタジー系の作品が多いですが、中には「イフ・アイ・ステイ愛が還る場所」のような青春ドラマもありますね。
「メイズ・ランナー」が他と少々違う所は他は1作目のヒットを受けてシリーズ化されたのに対し最初から3部作として製作されている点ですね。なので、かなり良い所で終わってしまうのが難点でもあります(苦笑)
ネタ的には極限状況でのサバイバルが中心なので既視感を感じる部分もありますが、それでも魅力的な舞台設定に個性的なキャラクター達で決して他と見劣りしない作品です。物語の緩急の付け方も上手く、少々どころかかなりご都合主義的な展開にもかかわらず、そうとは感じさせずに緊張感を持続させる手腕はなかなかのモノです。
今すぐゲーム化できそうな設定にも思えたのでひょっとしたらその内製作されるかもしれませんね。
困った事に引きのタイミングがまた絶妙で、よほど波長の合わなかった人以外は良い感じに続きが気になってしまう事でしょう。しかも次回の予告編まで流れるし。この手のシリーズにありがちな、作を重ねるごとに失速するようなことが無い事を祈るのみです。あと何故か日本でだけヒットしなくて3作目の公開規模が大幅に小さくなった「ハンガー・ゲーム」みたいな事にもならないで欲しいかな。せっかく観たのでどうせなら最後まで付き合いやすい環境を維持して欲しいというか。
作品としてはかなりハードルが低く、特にアニメを観慣れてる方には入り易い作品なので、2作目が本国では9月に、日本でも年内中には公開される予定と、短いスパンで畳み掛けるスケジュールで話を忘れてしまう心配も少ないでしょうし、気になる方はご覧になってみて下さい。
ただ亡くなられたとしても出演された作品の数々はこれからも褪せない輝きを放ち続ける事でしょう。
こんばんは、小島@監督です。
お二方とも晩年まで様々な作品に出演されていてまさに生涯現役。こういう生き方できるようにありたいものです。
さて、今回の映画は「メイズ・ランナー」です。
そこは高い壁に囲まれた広場だった。朝になると扉が開き夜になると閉じられるこの壁は毎夜その構造を変える迷路であり、二度と同じ道順になる事は無い。
迷宮の壁に囲まれたそのエリアには毎月生活物資と共に若者が一人送り込まれる。自分の名前以外の全ての記憶を失った若者たちは、コミュニティを形成し、「ランナー」として選ばれた者が迷路に挑戦し、脱出路を探す。扉が閉じられる夜までに戻れなければ、ランナーの生還は絶望的である。
そしてまた一人の若者が送り込まれた。彼の名はトーマス(ディラン・オブライエン)。果たして彼は自身の記憶を取り戻し、迷路を脱出する事が出来るだろうか。
「トワイライト」シリーズのヒットが呼び水となって、近年ヤングアダルト小説原作の映画化が花盛りです。
「ヤングアダルト小説」とは主に欧米で10代後半から20代前半を対象とし、児童文学でも本格文学でもないその中間、言わば橋渡しのような作品群ということでこういう表現でカテゴライズされているとか。日本のライトノベルのような位置づけですが読書文化のありようとしては少々異なるようです。
映画としては主に「ハリー・ポッター」を卒業した人たちの受け皿として機能しているようです。先述の「トワイライト」や「ダイバージェント」、今シリーズ3作目が公開中の「ハンガー・ゲーム」などSFやファンタジー系の作品が多いですが、中には「イフ・アイ・ステイ愛が還る場所」のような青春ドラマもありますね。
「メイズ・ランナー」が他と少々違う所は他は1作目のヒットを受けてシリーズ化されたのに対し最初から3部作として製作されている点ですね。なので、かなり良い所で終わってしまうのが難点でもあります(苦笑)
ネタ的には極限状況でのサバイバルが中心なので既視感を感じる部分もありますが、それでも魅力的な舞台設定に個性的なキャラクター達で決して他と見劣りしない作品です。物語の緩急の付け方も上手く、少々どころかかなりご都合主義的な展開にもかかわらず、そうとは感じさせずに緊張感を持続させる手腕はなかなかのモノです。
今すぐゲーム化できそうな設定にも思えたのでひょっとしたらその内製作されるかもしれませんね。
困った事に引きのタイミングがまた絶妙で、よほど波長の合わなかった人以外は良い感じに続きが気になってしまう事でしょう。しかも次回の予告編まで流れるし。この手のシリーズにありがちな、作を重ねるごとに失速するようなことが無い事を祈るのみです。あと何故か日本でだけヒットしなくて3作目の公開規模が大幅に小さくなった「ハンガー・ゲーム」みたいな事にもならないで欲しいかな。せっかく観たのでどうせなら最後まで付き合いやすい環境を維持して欲しいというか。
作品としてはかなりハードルが低く、特にアニメを観慣れてる方には入り易い作品なので、2作目が本国では9月に、日本でも年内中には公開される予定と、短いスパンで畳み掛けるスケジュールで話を忘れてしまう心配も少ないでしょうし、気になる方はご覧になってみて下さい。
あまりの好調ぶりがあだとなってニッカの「余市」が販売終了に。
もともと人気が上向いてきていたところに「マッサン」がさらに後押しした結果です。皮肉な事に現在商品に使われている原酒は1990年代から2000年代初頭に仕込まれたもので、この頃は国産ウィスキーの人気が下火…というかどん底に近い時期で、恐らく原酒の仕込み量も少なかったんじゃないかな~って気がします。
ビールなら数週間から数ヶ月もあれば品薄状態も回復できるでしょうが、商品化まで何年もかかるウィスキーはそりゃ10年以上も先の人気など読めようはずもないですしね。
こんばんは、小島@監督です。
販売終了になったとしても「余市」のブランドは残すそう。いずれ良い形で復活して欲しいものですね。
さて、今回の映画は「百日紅-Miss HOKUSAI-」です。
江戸後期を代表する浮世絵師・葛飾北斎(声・松重豊)、その娘であるお栄(声・杏)。父に似て慎みを欠き負けず嫌いで気風の良い男勝り。色恋には不器用。だが父に劣らぬ画才を持っていた。時に北斎の代筆もこなしながら自身のスタイルを探す、彼女の青春とは。
「クレヨンしんちゃんアッパレ!戦国大合戦」などで知られる原恵一監督の新作は、故・杉浦日向子が1987年に発表したコミックを原作に、後に画号を葛飾応為と名乗る女浮世絵師・お栄の青春を描くアニメーションです。
浮世絵師葛飾応為については正直名前しか知らなかったので、今回の映画を観たのを機に少し調べてみたのですが残っている作品も少なければあまり記録も残っていない人物のようで、恐らく作中のエピソードはほとんど創作なのでしょう。ただ北斎の代筆をしたことがあるのは確かなようで、北斎作とされる作品のいくつかは応為のものではないかとする説もあるそうです。作中でも版元は代筆と知りながら何も言わずに喜んで画を受け取っているシーンもありますが、その技量は相当なものだったようですし、案外本当にそんな感じだったんじゃないかなと思います。
西洋画法への関心も強かったそうで、残っている作品の中にはその影響が強く出ている物もあり、「廓中格子先図」や「春夜美人図」は明らかにその影響を感じさせ、江戸市街の宵闇に独特の幽玄さを醸し出しています。今回いくつか画像を探して観てみたのですが、それですら結構な迫力を感じたので一度実物を観てみたくもありますね。
親子そろって破天荒な人物を描く物語ですが、さすが原恵一というべきか、要所要所で大胆さと繊細さを行き交う絶妙なさじ加減の語り口が光ります。春夏秋冬の移ろいの中、お栄は恋に戸惑い愛する者の喪失を知り、時には仕事のトラブルに頭を抱えながら、やがては全ては自身の絵筆へと昇華されていく様を時に静謐に、時に幻想的に描き出していきます。日々の小さな事件を積み重ねるような構成で特別大きな事件が待ち構えているわけでもなくちょっと淡白に感じるところも無くは無いですが、総じてクオリティが高いです。
本職の声優の出演は少ないものの出演者たちの演技もレベルが高く、特に主人公お栄を演じる杏や北斎役の松重豊、親子と寝食を共にする北斎の弟子・善次郎役の濱田岳はどれもハマり役。というかこの3人のまま実写化する所を観てみたい気もするくらいです。
そうそう、監督繋がりなのでしょう、端役で藤原啓治と矢島晶子も出演しています。どんなキャラかは観てのお楽しみ(笑)
主要上映館ではすでに終了しているものの、各地の映画館でロードショーが続いています。生真面目で堅そうな作品に見えて結構敷居は低いので、観られる機会があれば是非ご覧になっていただきたいですね。
もともと人気が上向いてきていたところに「マッサン」がさらに後押しした結果です。皮肉な事に現在商品に使われている原酒は1990年代から2000年代初頭に仕込まれたもので、この頃は国産ウィスキーの人気が下火…というかどん底に近い時期で、恐らく原酒の仕込み量も少なかったんじゃないかな~って気がします。
ビールなら数週間から数ヶ月もあれば品薄状態も回復できるでしょうが、商品化まで何年もかかるウィスキーはそりゃ10年以上も先の人気など読めようはずもないですしね。
こんばんは、小島@監督です。
販売終了になったとしても「余市」のブランドは残すそう。いずれ良い形で復活して欲しいものですね。
さて、今回の映画は「百日紅-Miss HOKUSAI-」です。
江戸後期を代表する浮世絵師・葛飾北斎(声・松重豊)、その娘であるお栄(声・杏)。父に似て慎みを欠き負けず嫌いで気風の良い男勝り。色恋には不器用。だが父に劣らぬ画才を持っていた。時に北斎の代筆もこなしながら自身のスタイルを探す、彼女の青春とは。
「クレヨンしんちゃんアッパレ!戦国大合戦」などで知られる原恵一監督の新作は、故・杉浦日向子が1987年に発表したコミックを原作に、後に画号を葛飾応為と名乗る女浮世絵師・お栄の青春を描くアニメーションです。
浮世絵師葛飾応為については正直名前しか知らなかったので、今回の映画を観たのを機に少し調べてみたのですが残っている作品も少なければあまり記録も残っていない人物のようで、恐らく作中のエピソードはほとんど創作なのでしょう。ただ北斎の代筆をしたことがあるのは確かなようで、北斎作とされる作品のいくつかは応為のものではないかとする説もあるそうです。作中でも版元は代筆と知りながら何も言わずに喜んで画を受け取っているシーンもありますが、その技量は相当なものだったようですし、案外本当にそんな感じだったんじゃないかなと思います。
西洋画法への関心も強かったそうで、残っている作品の中にはその影響が強く出ている物もあり、「廓中格子先図」や「春夜美人図」は明らかにその影響を感じさせ、江戸市街の宵闇に独特の幽玄さを醸し出しています。今回いくつか画像を探して観てみたのですが、それですら結構な迫力を感じたので一度実物を観てみたくもありますね。
親子そろって破天荒な人物を描く物語ですが、さすが原恵一というべきか、要所要所で大胆さと繊細さを行き交う絶妙なさじ加減の語り口が光ります。春夏秋冬の移ろいの中、お栄は恋に戸惑い愛する者の喪失を知り、時には仕事のトラブルに頭を抱えながら、やがては全ては自身の絵筆へと昇華されていく様を時に静謐に、時に幻想的に描き出していきます。日々の小さな事件を積み重ねるような構成で特別大きな事件が待ち構えているわけでもなくちょっと淡白に感じるところも無くは無いですが、総じてクオリティが高いです。
本職の声優の出演は少ないものの出演者たちの演技もレベルが高く、特に主人公お栄を演じる杏や北斎役の松重豊、親子と寝食を共にする北斎の弟子・善次郎役の濱田岳はどれもハマり役。というかこの3人のまま実写化する所を観てみたい気もするくらいです。
そうそう、監督繋がりなのでしょう、端役で藤原啓治と矢島晶子も出演しています。どんなキャラかは観てのお楽しみ(笑)
主要上映館ではすでに終了しているものの、各地の映画館でロードショーが続いています。生真面目で堅そうな作品に見えて結構敷居は低いので、観られる機会があれば是非ご覧になっていただきたいですね。
先日職場でたまたま誰かが通路にほったらかしにしていたプラスティックの結束バンドに足を取られ商品を持ったままスッ転んでしまい負傷。
足になかなか見事なアザと切り傷を作ってしまいました。転倒すること自体何年ぶりな事もあり、数日経ってるがまだ痛いです。
皆さん足元には気を付けましょう。
こんばんは、小島@監督です。
それにしても今回「キズパワーパッド」が大活躍。アレはホントに治りが早いです。貼ったところの見た目が悪いのが難点ですが(苦笑)
さて、今回の映画は「シンデレラ」です。
両親の愛を一身に受け育つ純真な少女エラ(リリー・ジェームズ)。しかし、その幸せは母の死によって暗い影が落ちる。
貿易商ゆえ長期に家を空けてしまうため、エラを不憫に思った父は再婚を決め、継母(ケイト・ブランシェット)と2人の連れ子、ドリゼラ(ソフィー・マクシェラ)とアナスタシア(ホリデイ・グレンジャー)を連れてくる。
ある時、父が旅先で急死したとの報がもたらされ、それを機に継母のエラへの態度が一変する。義姉たちは「灰被りのエラ(シンデレラ)」と呼び召使同然の扱いを受ける。
「勇気と優しさこそが真に魔法になる」という亡き母の教えを胸に、継母たちの仕打ちに耐えるエラだったが、ある日とうとう耐え切れなくなり屋敷を飛び出してしまう。森へと馬を走らせたエラはそこで王宮で見習いを務めるキットと名乗る青年(リチャード・マッデン)と出会う。
実は彼こそが結婚相手を探す王国の王子であった。
エラの事が忘れられない王子は彼女と再会を果たすべく、国外からの招待客だけでなく国内の未婚女性全てを招いての舞踏会を催そうとするのだが…
古典とも言えるアニメの名作の数々を現代的なアプローチで再映画化している近年のディズニーですが、遂にリーサル・ウェポンとも言えるタイトルが登場です。
昨年公開された「アナと雪の女王」や「マレフィセント」は、それぞれベースになった物語にかなり大胆なアレンジを加え、描く「愛」も男女間の愛ではなくもっと別の物であり、更に言えば「アナと雪の女王」に至っては王子は悪役だったりしたのですが、物が物だけに、というべきでしょうか、今回はそう言ったアレンジはせずにド直球のラブストーリーに仕上がっています。
この映画のポイントはより深く掘り下げられたキャラクター達。アニメ映画の方は王子にしろ継母にしろ良くも悪くも「見たまま」というか「型通り」でしかないのですが(無論それが悪いワケではない)、それぞれの葛藤や感情の流れを細やかに描き出す事で、この古典とも言える物語に現代的な息吹を吹き込んでいます。
また、映像面でも必見なのはやっぱり舞踏会のシーン。煌びやかでありながらどんなショットであってもシンデレラと王子に目が行くように計算された色彩感覚とどのカットを切り出しても絵になるくらいにバシッと決まったアングルで、観ていてため息が出そうになるレベルです。
もちろんその舞踏会の前の、ヘレナ・ボナム・カーター演じるハイテンションなフェアリー・ゴッドマザー(今回吹替で観たのですが吹き替えてるのが朴璐美さんで余計テンション高かった(笑))がシンデレラにかぼちゃの馬車や衣装を用意するシーンもアニメーションの風合いを意識した「変身」のインパクトに目を引かれます。
人物造形にしろ映像にしろ監督であるケネス・ブラナーの手腕が存分に発揮されている印象。現代劇を手掛ける事も多いですが、むしろ「ヘンリー5世」や「ハムレット」と言ったシェイクスピア劇の映画化で実績のある監督だけにこういった古典劇の方が性に合っているのかもしれませんね。
余談ですが、「アイドルマスターシンデレラガールズ」でも象徴的に使われているくらいシンデレラのアイコンとも言える「ガラスの靴」ですが、あのハイヒールはディズニーアニメが最初らしいです。そう言えば確かに原作たるシャルル・ペローの「サンドリヨン」ではガラスのスリッパですし、グリム童話では金の靴。それでも今「ガラスの靴」と言えばあれなのですから、ディズニーアニメのインパクトは物凄いものがありますね。もちろんこの映画でもVFXなどではなく見事なまでに美しいものが用意されています。
同時上映の短編「アナと雪の女王エルサのサプライズ」も10分足らずの作品なのにオリジナル・キャストとスタッフが再結集した(吹替の方も松たか子や神田沙也加が演じている)上に1曲新しく用意してみせる本気ぶりで前座にしてはかなり見応えありますし、2本合わせてガッチリ楽しませてもらいました。ま、30過ぎのおっさんが独りで観るにはいささかハードル高かったですけれども(苦笑)
ただリメイクというだけでなく、華やかな中に繊細さを感じさせるビジュアルに文学的な格調の高さで観る者に一時「魔法」をかける傑作。公開から1か月以上経っていますがもうしばらくロングランが続きそうですしまだご覧になっていない方は是非スクリーンでこの「魔法」を堪能して欲しいですね。
足になかなか見事なアザと切り傷を作ってしまいました。転倒すること自体何年ぶりな事もあり、数日経ってるがまだ痛いです。
皆さん足元には気を付けましょう。
こんばんは、小島@監督です。
それにしても今回「キズパワーパッド」が大活躍。アレはホントに治りが早いです。貼ったところの見た目が悪いのが難点ですが(苦笑)
さて、今回の映画は「シンデレラ」です。
両親の愛を一身に受け育つ純真な少女エラ(リリー・ジェームズ)。しかし、その幸せは母の死によって暗い影が落ちる。
貿易商ゆえ長期に家を空けてしまうため、エラを不憫に思った父は再婚を決め、継母(ケイト・ブランシェット)と2人の連れ子、ドリゼラ(ソフィー・マクシェラ)とアナスタシア(ホリデイ・グレンジャー)を連れてくる。
ある時、父が旅先で急死したとの報がもたらされ、それを機に継母のエラへの態度が一変する。義姉たちは「灰被りのエラ(シンデレラ)」と呼び召使同然の扱いを受ける。
「勇気と優しさこそが真に魔法になる」という亡き母の教えを胸に、継母たちの仕打ちに耐えるエラだったが、ある日とうとう耐え切れなくなり屋敷を飛び出してしまう。森へと馬を走らせたエラはそこで王宮で見習いを務めるキットと名乗る青年(リチャード・マッデン)と出会う。
実は彼こそが結婚相手を探す王国の王子であった。
エラの事が忘れられない王子は彼女と再会を果たすべく、国外からの招待客だけでなく国内の未婚女性全てを招いての舞踏会を催そうとするのだが…
古典とも言えるアニメの名作の数々を現代的なアプローチで再映画化している近年のディズニーですが、遂にリーサル・ウェポンとも言えるタイトルが登場です。
昨年公開された「アナと雪の女王」や「マレフィセント」は、それぞれベースになった物語にかなり大胆なアレンジを加え、描く「愛」も男女間の愛ではなくもっと別の物であり、更に言えば「アナと雪の女王」に至っては王子は悪役だったりしたのですが、物が物だけに、というべきでしょうか、今回はそう言ったアレンジはせずにド直球のラブストーリーに仕上がっています。
この映画のポイントはより深く掘り下げられたキャラクター達。アニメ映画の方は王子にしろ継母にしろ良くも悪くも「見たまま」というか「型通り」でしかないのですが(無論それが悪いワケではない)、それぞれの葛藤や感情の流れを細やかに描き出す事で、この古典とも言える物語に現代的な息吹を吹き込んでいます。
また、映像面でも必見なのはやっぱり舞踏会のシーン。煌びやかでありながらどんなショットであってもシンデレラと王子に目が行くように計算された色彩感覚とどのカットを切り出しても絵になるくらいにバシッと決まったアングルで、観ていてため息が出そうになるレベルです。
もちろんその舞踏会の前の、ヘレナ・ボナム・カーター演じるハイテンションなフェアリー・ゴッドマザー(今回吹替で観たのですが吹き替えてるのが朴璐美さんで余計テンション高かった(笑))がシンデレラにかぼちゃの馬車や衣装を用意するシーンもアニメーションの風合いを意識した「変身」のインパクトに目を引かれます。
人物造形にしろ映像にしろ監督であるケネス・ブラナーの手腕が存分に発揮されている印象。現代劇を手掛ける事も多いですが、むしろ「ヘンリー5世」や「ハムレット」と言ったシェイクスピア劇の映画化で実績のある監督だけにこういった古典劇の方が性に合っているのかもしれませんね。
余談ですが、「アイドルマスターシンデレラガールズ」でも象徴的に使われているくらいシンデレラのアイコンとも言える「ガラスの靴」ですが、あのハイヒールはディズニーアニメが最初らしいです。そう言えば確かに原作たるシャルル・ペローの「サンドリヨン」ではガラスのスリッパですし、グリム童話では金の靴。それでも今「ガラスの靴」と言えばあれなのですから、ディズニーアニメのインパクトは物凄いものがありますね。もちろんこの映画でもVFXなどではなく見事なまでに美しいものが用意されています。
同時上映の短編「アナと雪の女王エルサのサプライズ」も10分足らずの作品なのにオリジナル・キャストとスタッフが再結集した(吹替の方も松たか子や神田沙也加が演じている)上に1曲新しく用意してみせる本気ぶりで前座にしてはかなり見応えありますし、2本合わせてガッチリ楽しませてもらいました。ま、30過ぎのおっさんが独りで観るにはいささかハードル高かったですけれども(苦笑)
ただリメイクというだけでなく、華やかな中に繊細さを感じさせるビジュアルに文学的な格調の高さで観る者に一時「魔法」をかける傑作。公開から1か月以上経っていますがもうしばらくロングランが続きそうですしまだご覧になっていない方は是非スクリーンでこの「魔法」を堪能して欲しいですね。
方や島が生まれたり方や人が立ち入れなくなったり、昨年からこっち日本中で妙に火山の噴火のニュースを聞くなと思っていたら、また更に大きな噴火のニュースが。
小松左京の「日本沈没」じゃないですが、こんだけ立て続くとさすがにこれは何かの前触れなのかと不安になったりもします。かと言ってさすがに大仰な防災対策をしている余裕もあまり無いので日頃通勤に使ってるデイパックに替えの下着や携帯の充電器を仕込むとかせいぜいそのくらいの事しかやれてませんが。ま、それに下着はそもそも力仕事主体の職場なので毎日必然的に要るから入れてるだけとも言いますが(笑)
何にしても極端な大災害が起こらない事を祈るのみです。
こんばんは、小島@監督です。
それにしてもいつだったかトイレに入ってる時に地震発生されたのには参りました。あんなの身動き取れないっちゅーねん。ちょっぴり覚悟完了しました(苦笑)
さて、今回の映画は「ハーツ・アンド・マインズ」です。
これは数々のインタビューや膨大な取材映像の他ニュース・フィルムや戦意高揚映画などの素材を編集して製作された、ベトナム戦争の実像に迫るドキュメンタリー映画です。タイトルの由来は作中でも使われていたジョンソン大統領が行った演説の「最終的ん場勝利はベトナム人の意欲と気質(ハーツ・アンド・マインズ)にかかっているだろう」という一節から取ったようです。
この映画が製作されたのは何と1974年。既に末期に差し掛かっていたとはいえベトナム戦争の只中で製作されたという事実に驚かされます。
公開にも紆余曲折あったろうことは想像に難くなく、パンフレットによればまずカンヌ映画祭で上映され大絶賛されたものの、政治的報復を恐れた配給会社が降りてしまい、その後ワーナーによる配給が決まりはしたが当時のジョンソン大統領政策補佐官ウォルト・ロストウが一部シーンの削除と上映差し止め要求を裁判所に提出するなど妨害行為が相次いだそうです。製作サイドは当然再編集を拒否して裁判が行われ、最高裁により一般公開が許可されたのは翌年のこと。
日本ではどうかというと、何に配慮したのか劇場公開は見送られてしまい、1度深夜に放送されて反響を呼ぶも1987年にVHSソフトとしてリリースされたのみで、初上映は東京都写真美術館での企画上映でそれが2010年のこと(同年にDVDも発売されている)。今年に入って全国各地のミニシアターでロードショーされていますがそれが初めての全国公開、という状況だそうです。
こんな剣呑な状況なのでてっきりマイケル・ムーアの「ボウリング・フォー・コロンバイン(2002年製作)」のような過激で扇動的な映画なのか、と思えばそうではありませんでした。
ごく一部に過激なフッテージが使われはするもののせいぜいそれくらいで、ベトナム戦争に対してアメリカベトナム双方の国の人々、賛成派反対派、身分や貧富を問わず多くの人々にマイクを向け証言を拾い集め、極力理性的な姿勢で作られています。
しかしこの映画の発端は明らかに時の政府に対する不信と怒りです。行間、というべきか編集された映像のコマ間に隠しようもない怒りがほの見えます。激流と呼んでもいい怒りを持ちながら極力理性的に作り上げている事、それこそがこの映画の凄みです。ある意味気高いと言ってもいい。声高に叫べばそれが人に伝わるわけではない、ということを体現しているようです。
そしてそのエネルギーは確実に伝達し後年多大な影響を与えました。文化的には「地獄の黙示録」や「プラトーン」等の作品群の原動力となり、そして第2の「ハーツ・アンド・マインズ」誕生を恐れたアメリカはアフガニスタンやイラク戦争では従軍記者の取材を厳重に規制するようになります。そう言った点である意味映像史や政治史的にも重要なポイントにある作品と言えますね。
この映画が見せるのは時の権力に与しないジャーナリズムの本質です。40年前の「現在」を検証する内容でありながら、これから先の「未来」への警告とも言え、どんな感想を抱くにしろ一人でも多くの方に観て欲しい映画です。
先述の通り既にDVDはリリースしていますし、映像も音響も迫力で押すタイプの作品ではないので何も私のようにわざわざ映画館まで足を運んで観なくても良いとは思いますが、「現在」を考える一つの材料として、触れる価値のある一本だと思いますね。
小松左京の「日本沈没」じゃないですが、こんだけ立て続くとさすがにこれは何かの前触れなのかと不安になったりもします。かと言ってさすがに大仰な防災対策をしている余裕もあまり無いので日頃通勤に使ってるデイパックに替えの下着や携帯の充電器を仕込むとかせいぜいそのくらいの事しかやれてませんが。ま、それに下着はそもそも力仕事主体の職場なので毎日必然的に要るから入れてるだけとも言いますが(笑)
何にしても極端な大災害が起こらない事を祈るのみです。
こんばんは、小島@監督です。
それにしてもいつだったかトイレに入ってる時に地震発生されたのには参りました。あんなの身動き取れないっちゅーねん。ちょっぴり覚悟完了しました(苦笑)
さて、今回の映画は「ハーツ・アンド・マインズ」です。
これは数々のインタビューや膨大な取材映像の他ニュース・フィルムや戦意高揚映画などの素材を編集して製作された、ベトナム戦争の実像に迫るドキュメンタリー映画です。タイトルの由来は作中でも使われていたジョンソン大統領が行った演説の「最終的ん場勝利はベトナム人の意欲と気質(ハーツ・アンド・マインズ)にかかっているだろう」という一節から取ったようです。
この映画が製作されたのは何と1974年。既に末期に差し掛かっていたとはいえベトナム戦争の只中で製作されたという事実に驚かされます。
公開にも紆余曲折あったろうことは想像に難くなく、パンフレットによればまずカンヌ映画祭で上映され大絶賛されたものの、政治的報復を恐れた配給会社が降りてしまい、その後ワーナーによる配給が決まりはしたが当時のジョンソン大統領政策補佐官ウォルト・ロストウが一部シーンの削除と上映差し止め要求を裁判所に提出するなど妨害行為が相次いだそうです。製作サイドは当然再編集を拒否して裁判が行われ、最高裁により一般公開が許可されたのは翌年のこと。
日本ではどうかというと、何に配慮したのか劇場公開は見送られてしまい、1度深夜に放送されて反響を呼ぶも1987年にVHSソフトとしてリリースされたのみで、初上映は東京都写真美術館での企画上映でそれが2010年のこと(同年にDVDも発売されている)。今年に入って全国各地のミニシアターでロードショーされていますがそれが初めての全国公開、という状況だそうです。
こんな剣呑な状況なのでてっきりマイケル・ムーアの「ボウリング・フォー・コロンバイン(2002年製作)」のような過激で扇動的な映画なのか、と思えばそうではありませんでした。
ごく一部に過激なフッテージが使われはするもののせいぜいそれくらいで、ベトナム戦争に対してアメリカベトナム双方の国の人々、賛成派反対派、身分や貧富を問わず多くの人々にマイクを向け証言を拾い集め、極力理性的な姿勢で作られています。
しかしこの映画の発端は明らかに時の政府に対する不信と怒りです。行間、というべきか編集された映像のコマ間に隠しようもない怒りがほの見えます。激流と呼んでもいい怒りを持ちながら極力理性的に作り上げている事、それこそがこの映画の凄みです。ある意味気高いと言ってもいい。声高に叫べばそれが人に伝わるわけではない、ということを体現しているようです。
そしてそのエネルギーは確実に伝達し後年多大な影響を与えました。文化的には「地獄の黙示録」や「プラトーン」等の作品群の原動力となり、そして第2の「ハーツ・アンド・マインズ」誕生を恐れたアメリカはアフガニスタンやイラク戦争では従軍記者の取材を厳重に規制するようになります。そう言った点である意味映像史や政治史的にも重要なポイントにある作品と言えますね。
この映画が見せるのは時の権力に与しないジャーナリズムの本質です。40年前の「現在」を検証する内容でありながら、これから先の「未来」への警告とも言え、どんな感想を抱くにしろ一人でも多くの方に観て欲しい映画です。
先述の通り既にDVDはリリースしていますし、映像も音響も迫力で押すタイプの作品ではないので何も私のようにわざわざ映画館まで足を運んで観なくても良いとは思いますが、「現在」を考える一つの材料として、触れる価値のある一本だと思いますね。